はてなキーワード: 私立高校とは
本物はブス過ぎてキモいからっていう理由だけでサッカー部の男子に箒で叩かれる すれ違いざまにうぅわっブス!(笑)って笑われる これ美味しいから食べてみてーや!って言われて新聞紙の上に置いたセミ食わされる そんでシクシク泣きながら食ったら悲鳴を上げられる 勉強も運動もできない 貧乏で親が授業料無償化制度を全く理解してないから私立高校は受験しない 近所の工業高校行ってバスケ部にいじめられる 退学してコンビニのバイト始める 健常者であれば誰でもできるようなレジ作業を人並みにこなせることに人生初の充実感を覚え、高校生の後輩にイキり散らす日々 月収16万実家暮らし 父の年金を頼りに、半身麻痺の母を介護する 御年63の母のウンコでまみれた畳を見て涙を流す どうして高齢出産をしたのか、なんで私がこんなことやらないといけないんだよと呂律の回っていない母に怒鳴り散らす 一切家事ができない父のためにサッポロ一番を作ってあげる 麺が伸びているとキレられ死にたくなる
とあるフォロワーが鹿児島から久留米まで新幹線通学をしている女子中学生の報道を引用して、「鹿児島のラサールは男子校。女子の教育機会が奪われているのを放置し、鹿児島は性差別的なところだ」という話をしていて、いやいやいやいややってなってしまった。
九州は男尊女卑的であるという偏見の目でこのニュースを見るとそう見えるのだろう。
九州の進学校事情に多少詳しい人からすれば、それはただの偏見による観測なのだ。
そして、九州の進学校の花形は二つの私立進学校の例外を除いて、たいていの地方と同じように各県の公立トップ高たちだ。福岡であれば修猷館、熊本であれば熊高(くまたかと呼ぶ)、鹿児島であれば鶴丸といった県立トップ進学高たちだ。
東日本の学校のように一高が実質男子校、二高が実質女子高のような伝統もなく、主要な公立進学高校はもちろん共学だ。
異常でしょ関東。というか、北関東の公立男子校群なんなん。よっぽどこっちの方が女子の教育機会奪ってるだろ。
九州の公立2は鹿児島にあるらしいが、どちらも共学化が決まっているようだ。
一応、種明かしをすれば、公立は前述の通りだが、九州の私立男子校が急減したのはここ20年の動きだ。
確かに私が20年前に中学受験したころは頭のいい女子は受けるところがほとんどなくて、塾のトップクラスにいた自分も塾の講師が同級生の女子に「女子なんて勉強したって入るところないだろ」とか暴言を吐いていたのも観たことある(今考えると本当にひどい環境だった。暴力もあったし)。そんな環境で、塾の実績作りのためとはいえ、桜陰に合格した子もいたのは今考えると本当にすごいことだ(その子は公立中→県立トップ高→東大と進んだ)。
ところが、少子化の最前線の九州地方、生徒募集に苦労した各校は次々と共学化し始める。その中でもエポックメーキングだったのが、ラ・サールと並ぶ九州の私立進学校の雄・久留米大学附設高等学校の05年の共学化だろう。結果として、周りの学校が共学化し偏差値が上がる中(単純に募集できる対象者が倍増するのだから)、附設より低いレベルの男子校進学校もほとんど共学化することとなった。その数少ない例外の一つがラ・サールだ。とはいえ、ラサールを除き、主要進学校はほとんど共学化している。
その証拠にネットから拾ってきた九州の東大合格者ランキングがこれだ。
熊高(公立・共学)
青雲(私立・共学)
明善(公立・共学)
元々地方なので公立が強い地域だし、附設、青雲、大濠と私立組が共学化したことによりずらりと共学が並ぶ。
渋幕(私立・共学)
改めてみてもひどい。
よくこんな地域に住んでいる人が九州に向かって「女子を教育から排除」しているなんて口が利けたものだなぁ~と思うのだが、そのことを指摘すると東京の人たちは「男子校は悪いことではない」「優秀な女子高もある(1校しか入ってないやんけ!)」、「九州には〇〇という性差別があり~」とか話をそらし始めるのだが、今は中等教育の男女差別の話をしているんですよ。関東が女子の中等教育における後進地区って認めろよ。東大の女子比率下げてるのおめーらじゃねーか、と思うのだが。。。
というわけで、冒頭の鹿児島から久留米に新幹線で通う私立中学生の話に戻る。件の私立中学生は鹿児島から久留米大附設まで新幹線で通っているわけで、それ自体はもちろんひえ~~という話なのだが、そもそも論として附設やラ・サールレベルの私立中学校は九州にこの2校しかないのだ。
普通に考えればわかるとおり、久留米や鹿児島が通学圏内にない九州の人たちだって多い。そのため九州の主要私立進学校はだいたい寮を持っている。ラサールは6割、附設は3割が寮生のようだ。ところが、附設は男子寮しかない。というわけで、件の女子中学生は鹿児島から新幹線で通うことを選択したのだろう。
もちろん、ラ・サールが男子校であることや附設が女子寮を持っていないことが女子教育の排除に繋がっていると言われたら全くその通りなのだが、一私立高校にそこまで負担を求める(特に女子寮の増設)のはいくら何でも厳しいだろう。だいたい関東の国立の男子エリート進学校という何故国税をつぎ込まないといけないのかよくわからない存在に比べれば、ラ・サールや附設だけに罪を被せるのはアンフェアだろう。
当たり前の話だが、九州の他に同レベルの学校がないのだから、附設やラサールへのアクセス可能性を九州の人に平等に担保すること自体不可能だ(寮に入ると授業料と合わせて月10万程度になり、経済的に負担できる家庭は多くないだろう)。そもそも関東とは違い九州で中学受験する人は親が教育熱心な一部の家庭だけだし、附設やラサールという二つの例外を除けば、たいていの田舎と同じように県立トップ校に行って、いい大学に行くというのが九州の人の普通のエリートコースなのだ。その環境を背景にすれば、この事実を持って九州は最高レベルの教育から女子を排除している!というのはさすがにナンセンスだろう。
もちろん、大学進学の時点で男子は東大目指すけど、女子は九大や地元国立でいいでしょう、という話は今でもあるだろうし、女子は医学部志向が強い(九州全体としても医学部志向は強い)。医学部も悪くはないが、東京で知見を広めることもいいのにな、と思うのだが、就職や家業・本人の志向の問題もありなかなか難しい。
九州は世帯の平均収入が低く、それが大学進学率にも影響をしている。
九州にももちろん教育における男女差別は存在する。それは解決すべき問題だ。
とはいえ、鹿児島の大学進学率は43.6%、東京都69.8%だ。こんなにひどい地域格差は見もしないのに、鹿児島から久留米に通う女子中学生のニュース一つで九州は男尊女卑だと吹き上がる。ここまで述べてきたとおり、九州の中等教育において少なくとも「制度的」には、女子の教育の機会はある程度担保されている。もちろん、制度ではないところに差別はあるだろうが(女子はそんな勉強せんでええ的な)、男子校が進学実績トップにずらっと並び「制度」すら保証できない関東に比べればはるかにマシだろう。特殊な一中学生の例をあげて、九州の男尊女卑的な偏見を用いて煽るのは地域への差別以外の何物でもないろう。
昔、はてなで許される唯一の差別は地域差別です、というブコメを見て本当にその通りだなぁ、となったのだが、地域への差別や格差にも少しは目を向けてもらえませんかね。
Twitterで日々病みツイをする様子を見ていたから、素直に良かった、と思った。同時に、ずるい、羨ましいとも思ったけど。
現代は弱者に優しくなったと思う。パワハラセクハラ、鬱病ADHD、LGBTQ。平等の名のもとに、マイノリティーは保護される。みんな尊重すべき個性だから。
そういう“弱者”になってしまえたら、どんなに気持ちが楽だろうと思う。こんなこと言うと「当事者は苦しんでる」って言われるだろうけど、私だって苦しんでる。多分みんな苦しんでる。増税に次ぐ増税と、少子高齢化と、どこを見てもゴミなメディアと、変革の進む現実が辛い。
労働基準法を誤魔化しながら最低賃金で働いて、娯楽の溢れかえった令和の世でネットサーフィンして睡眠時間を溶かす。友人と会って、交友関係をキープ、重たすぎない愚痴を吐く。たまに実家に帰る。なにかするには体力が足りない。私は意識高くはなれない。
ここがド田舎だからそう思うのだろうか。田舎から出なかったのは私の意思だし、“普通”でありたいってのも私の意思だ。
だって、都会は物価がクソ高い。私は長女で下に兄弟が2人いる。あいつら、田舎のアホ私立高校に行ってアホ私立大学に行った。2人にかかってる金額と、自分の奨学金とか考えたら都会に出てやって行ける気がしなかった。それに、都会は青天井すぎる。田舎なら、国公立大学卒はまあまあそこそこだ。ここの人達は日東駒専とMARCHと関関同立と早慶の違いが分からない。私が都会に出たところで、結局ここと同じような生活をするなら、自分より成功したものが目に入らない方がいい。ここなら、私を過剰評価してくれるし。
その分、田舎ではやはり“普通”な方がいい。元気がいい方がいい。挨拶ができて、天気の話ができて、髪色は落ち着いていて、精神疾患がない方がいい。どこでもそうか。けど、田舎の方がそうだ。
言っとくけど現代の配慮は平等に入り込んできてるから、田舎だからといって価値観が昭和な訳じゃない。変な人がいるのはどこでも同じだ。けど、“普通”じゃないと体面が悪い。都会は個で生きていけるけど、田舎は仲がいい。近所だとか、子どもが同学年だったとか、パートアルバイトだとか、親戚だとか。その繋がりがずっと続くから、だから田舎は噂が広まるんだよ。そして、本人の知らないところで、デリカシーのない人が相談事の形で噂を広める。みんな、可哀想だねってそれだけだけど。
下の兄弟は2人とも不登校で、弟はアスペルガーだ。母親は2人の子育てに関して鬱の傾向が確実にあったし、父親はほとんど関与しなかった。私が中学の時にはもうそうなってた。自分がヤングケアラーだとは思わなかったし、今でも思ってない。けど、学校から帰って家事をした。高校も大学も公立に行って、扶養ギリギリでバイトして、自動車学校は学生ローンを組んだ。良い娘であろうとした。
その反面、弟はゲームの課金で何十万も使ったし(さすがに怒られていた)、妹は実家で暮らしてるのに母親とすら会話しないらしい。
時々、真っ当に生きるのが苦しくなる。でも、私が真っ当に、“普通”に生きないと母親の子育ては全部失敗だ。ダイバーシティだっけ、多様性が大事だから2人は失敗じゃないのかな?けど、2人とも自立して生きて行けてないからダメでしょ。
普通のレールに乗るのは大変だけど、世間は普通じゃない方を支援してる。“平等”になるように。
私の言ってることって、「女は泣けばいいよな」みたいな僻みと同レベルだって分かってる。けど、本当に辛い人となんちゃってみたいな人が混じっているのが許せない。私も明日から7歳を自認して、ピーマン食べるだけで褒められたい。
こんなに悩むなら、田舎には不必要な好奇心も、働くのに邪魔な豊かな感受性も要らなかった。まあ、いつか綺麗に削れて削ぎ落とせるんだろうけど。
自分語りだったけど、多分みんなもそうだよね。
単なる憶測にすぎないが、田舎でそれなりに立場のある親の子どもは、ガキのころに天狗になりやすい。
しかし都市部の大学に出たときに自分の実力を思い知る。今まで見えていたものは単なる幻想で、自分など大したことはなかったと。ここで非常な挫折を経験する。
「私がいちばん馬鹿」のようなポジションになってしまうとその中でもより挫折しやすい。これは都市部の私立高校でも発生する。
昨今では、地方と東京の断絶が進み、学歴差も大きくなっている。田舎しか見たことがない子どもは、東京の強大さを全く知らないのに「自分がナンバーワン。少なくともだいぶ優れている」と思っている。自分の田舎を100倍したものが日本のすべてだと感じるのだろう。だから、位置的にもそのようになるのだと感じるのは自然なことだ。「日本」と「アメリカ」の関係もあるが似たようなものだ。
こうした子どもが首都圏に行くと自分が味噌っかすであることを全身全霊・魂レベルで経験することになる。そこらへんのどこにでもいる凡愚とされる。準備などしていなかった衝撃である。年々、この落差がどんどん激しくなっているように思う。
彼らは「地元の名士」の子どもでもなかったりする。地元の名士は何かと東京と繋がっているものだからそういう情報が入ってきやすいが、彼らはそういう情報がなく、表面的な文化の部分でのみ都会を理解しているのである。これはしかし原理上どうしようもないことになっている。
彼らのほとんどは挫折によって苦しみながらも自分の立場をなんとか確保して成長していく。とくに、若いころから苦い経験を飲み込んで努力を積み重ねてきた人間は、問題を抱えつつも人格的にも能力的にも徐々に成長していく。こうした人間は適応し、確固たる居場所を獲得する。そういう人々が家臣団として東京周辺にザッと住んでいるのだ。城下町のように、家来として東京の中心地を囲んでいる。そして主君のお望みの通りに馳せ参じるのである。また、各々の人生を歩む。よく成功しようとしたい者は海外に出る。海外というのは「アメリカ・イギリス・EU」などのことだ。ここ最近は主君をアメリカとみなしているのである。長いものには巻かれろということだ。
しかし、大した努力や積み重ねもなく、今まで1番を獲得し続けてきた子や、親から1番になること、1番でなくともある程度優位な立場を得ることを強いられ続けてきた子、強制的にレール上を歩かされてきた子は、ここで強烈に挫折を味わい、脱落していく。「挫折」と表現されたくすらないかもしれない。ちっぽけなプライドゆえに「挫折」と捉えられない。「挫折した」のではなく、「今も挫折し続けている」のだ。立ち直る術を知らない。
「本気を出してないだけ」「時代が悪かった」「環境が悪かった」と、なんとかして知性化という合理化を図り、自分の心が折れていることを観測できない。もう耐えきれない。心を捻じ曲げようとする。「お前ぐらい勉強ができるものは無限にいるぞ」と受け入れられない。そのような「田舎」など、全国で見ればほとんど無限にあるのだ。足軽にもなれないような実力なのに、身分は家老ぐらいあると感じている。穢多・非人程度の扱いをされるのは、到底受け入れられない。
自分を知らないし、他人のことも知らない。ただただ軽視されることに耐えられないのである。第一、もはや身分が違うからといって人を軽んじていい世の中ではない。ますます生きにくくなる一方だ。ポリティカルコレクトネスとはそういう流れだろう。
生きている意味とは何かわからない。親もまた、その挫折を真剣に受け止められない。立場が違いすぎるがゆえに、わかってあげることができないのだ。わかってくれるような親ならば、初めから違った教育をしている。
彼らは、性格も歪んでいるために、友人関係を結べない。「バカで無能で愚図でおまけに性格も悪く、カッコよくも可愛くもなく、一人で生きる力も無いし、人のために何かすることができず、依存性が高く、他の周りの人たちよりも恵まれた環境なのに文句ばかり言う割に、他人の助言を聞き入れもしない」という、どうしようもない子どものできあがりである。何者かになろうとしていると表現されている。アイデンティティの崩壊がある。すぐそこに救いはあるのに、自らが軽んじている相手に頭を下げて敬意を払うことができない。この私が。屈辱だ。なぜ私がこんな目に。私は軽蔑などされるべき対象ではなく、人を一方的に軽蔑しても良いはずなのに、なぜ人は私を軽蔑してくるのだろうか。なぜ人は精神を蝕んでくるのか。
わかっている人でも、これを鋭く指摘してはくれない。下手に関わって逆恨みされたくはない。全く無関係の嫌な奴の精神の奥深くを抉ってもメリットなどないのだ。すぐに離れていくことだろう。そもそもあまりに距離が遠すぎて、そういう人に出会うことがない。ただ運のみである。そういう運命の人がたまたま自分の近くに来ることは少ない。理解のある彼くん、私の王子様、ぼくの女神さま、オタクに優しいギャルなど。
大抵、こうした子の親は両親とも毒親であり、子どもはアダルトチルドレンである。
そして親にそこそこの金があれば、脱落しても引きこもりをすることができる。
自分がゴミクズであることを受け入れて、セルフネグレクトに邁進する日常を選択できる。幸福だ。絶望という名前はついているが、幸福で穏やかな毎日を送ることができる。
何をやっても無駄なのだという学習性無力感と精神の麻痺。突然湧き上がってくる希死念慮。荒廃した生活。死ぬという選択が取れない優柔不断さ。他責的・他罰的な発言。努力をしようと「学問」に活路を見出すも、それをどう活かせるのかは未知数であり、どうすれば生きることができるのかはわからないのだ。学問は決して救わない。機械的人間を大量生産する教育システムそのものが時代遅れなのである。経済の硬直化と後進性と長老支配。学問の民主化により、昭和初期の三流エリートぐらいの知識があるだけでは、生存には足りないのだ。自分の力での生き方はわからないのに、生存自体はし続けることができるという矛盾。欲が無い。欲を持つことができない。
そして、そうした努力も長くは続かない。学校の勉強ぐらいしか知らないのだ。狭い価値観ゆえにそれしか道がないと勝手に思い込んでいる。やがて意味がないと気付くのであろう。容易にやめてしまう。簡単にたどり着けるところまでやったあとはすぐにやめてしまう。見下していた賤業には就きたくないという都落ちを拒否する愚かなプライド。山月記で何を学んだのだろうか。そしてある日、その「賤業」にすら就けなくなる。精神は子どもなのに、体だけはしっかり老化していく。虎にすらなれないのだ。
親に中途半端に金があるのが厄介である。親は、償おうとする。子もときには努力しようとする。それでもうまくいかないし、近所は理解しない。何か精神的に異常なのであろうという、全く異なる価値観によって蔑まれる。それが村社会というものだ。
親に金がなければ、生きていくために自力で仕事につく他ない。首都圏で揉まれ続ければ、やがては苦しみながらも自分の生きる場所を確保できるだろう。
しかし、ただ親元で小さな世界で何年も何年も閉じた生活を送っていると、そうした道も閉ざされる。貴族的な生活。放蕩、放縦。嫌悪している相手に依存しているという忌避感。
年齢の数値は淡々と増えていく。やがて手遅れそうなことに気付くのであろう。
なんなのだこの人生は。なんなのだこの世の中は。許しがたい。テロリストたちへの深い共感。
人は言う。「自分が招いたことだ」「自己責任だ」と言う。この世には悪しかいないように見える。悪辣な社会の中で自分だけが虐げられている。他人に「自己責任だ」と言う者もまたコンプレックスを抱えている。「お前が悪いのだろう」と言いたいのだ。「お前の自己責任だ」という言葉は、「俺が悪いとでも言いたいのか?」の裏返しだ。
他人は楽しんでいるではないか。どうして私が苦しまなければならないのか。
異世界かもしれない。異世界に行けば、愚かな民たちを嘲笑い、自分が正しく認められる世界に行けるのではないかと、光を見出す。
更に狩られているだけなのだ。その精神は看破しているぞ。ただの餌だ。空想の世界へようこそ。現実を直視できない。現実はどうしてこう苦しいのか。
しかし、現実は「そんなどうしようもないものではない」ということをまだ知らない、という点が彼らにとっての最大の不幸である。価値観そのものがどうしようもなく古いのである。
自分がどうしようもないダメ人間だという真実をすべて受容して、それを打ち払おうと一歩一歩踏み出すことでしか道は開かれない。外に出て、本を読むなど世界を広げれば良い。また、生活パターンを変える。思考を広げる。それが本来の学問というものだ。
人材は不足している。別に自分はそういう人物なのだから仕方がないのだ。でもそれを、自分で変えようと進み続けることで自分の人生が拓かれる。ニートのままでも別にいい。全然変わらなくてもそれはそれで仕方がない。
本来、絶望する必要はないはずなのに、どうしても絶望したいのだ。能動的に幸福になるために受動的に絶望を選択している。
絶望することで、「ハンデを負っているのにここまでできる自分はすごいのだ」と思いたいのだ。セルフ・ハンディキャッピングという。
そうではない。より強い絶望を選ぶべきなのだ。能動的に絶望を選ぶことで、受動的に幸福になれるのだ。自ら絶望しなければならない。今より苦しめば、今より苦しまなくなる。
苦しみからずっと逃れようとして「楽な苦しみ」を選び続けているだけなのだ。世間はそれを看破して「楽でいいね」と言っている。世間側のイラつきもある。
もしくは、やはり目を閉ざして、元の穏やかで苦しいメルヘンワールドに戻るかだ。知らぬが仏という。こんな偏見にまみれた文章などくそったれだ。せいぜい凡人たちは、社畜を頑張れば良いさ。
教育ママも、また、気をつけなければならない。教育ママのコンプレックスは、子どもを愛玩動物のように扱おうとすることで子どもに伝染し、子どもを生涯苦しめることになる。愛と呼ばれるものではない。
頑張ってほしい。
初めて使うので不慣れな点があったらごめん。文章も読みにくくてごめん。自分がカスすぎるだけなんだけど、
どうしても吐き出さずにはいられなかったからここで吐き出させてほしい。
マジで人生舐めてんのかって思う人が大半だと思う。でも、自分的にはこれを抱えてることがすごい精神的負荷なので吐き出したかった。フィクションと思ってくれても構わない。
25歳女、独身実家暮らしのオタクで仕事はしてるけど給料は最低限家に入れる金を除いて全部お小遣いとして使ってるカス(150万前後の借金持ちのクズ役満フルコンボ)なんだけど、
「そろそろ自分の給料だけじゃやっていけないから、副業でもしようかな。」
私と2つ違いの妹の面倒も一身に背負って今まで面倒見てくれてるから当然なんだけど、(妹は精神を病んで休職→OD癖のあるメンヘラまっしぐら、最近やっと仕事再開した)
私は改めていかに甘やかされてきたか、こんなカスをよく見捨てず今まで面倒見てくれたもんだと本当に身につまされた。
私の家は高校で親が離婚して(父有責のよくある浮気→離婚)からずっと母子家庭で母は泣き言も言わず、必死に働いて私立高校と通信制高校の費用を出してくれていた。
どれだけ母が大変かは分かっていたので私は高卒で細々と働くことにした。今思えば奨学金借りて大学出てた方がもうちょいマシなやつになれてたかもしれない。
父が家の名義変更に応じず、振り込んでいた家賃を丸ごと持っていかれてローンが半年未納ということになり、結果的に家をなくした時も真っ先に今の家を見つけてきたし、
家で母のことを見る機会が少ないくらい働いて、母だけの収入で3人家族が成り立ってるレベルの稼ぎようだった。母は全くの未経験から資格をとり、福祉業一本で私たちを育てたのでほんとうにすごいと思う。
それでもその果てに出来上がったのがこんなクソみてえな給料の大半を貯金もせず趣味に使い込む25歳実家暮らし独身(彼氏いない歴イコール年齢)で母はよく怒らなかったなと思う。
本当に、もし私ならそろそろ家出てけと追い出しているレベルだ、と振り返ってみて思う。本当にこんな娘でごめん母。
直接言えばいいんじゃね?と思う人もいると思うが、直接言えてたらこんなとこには書いてない。
今日、改めて本業のほかに副業を探している母を見て、漠然と思ってしまった。
もしかして、(もしかしなくても)私ってめちゃくちゃお荷物なんじゃね?と。
いやもっと早く気付くべきだったんだが、趣味を追うことしかしていたくなかった私は恥ずかしながら、今日まで現実逃避をしまくってきていたのだ。
楽で生活が保障されている、自分で負担しない甘い蜜を散々すすっていたことを見ないふりをしていた。
周りは既に自立している子たちばっかりで、早い子だともう結婚して子供もいる。それなのに、私は何をやっているんだろう?
そんな私が母に発した、「そんなに働かなくてもいいんじゃない?しんどくなるよ」という言葉はなんて軽いんだろう。まじで。そんなことしか言えない自分に嫌気がさした。
結局、夜勤だというのにあまり寝付けず、今もちくっと心に刺さっている。
とりあえず現実問題、借金返済もあるし(完全に私の自業自得)貯金もないので今すぐ家を出て一人暮らしは難しい。
私はやりたい仕事なんてないから間口の広い福祉業でずるずると仕事している。職業柄、老人と関わることが多いので母のその後を考えると、もう迷惑かけたくないって気持ちが大きくなった。
多分ここを逃すと、本気でクズの子供部屋おばさんの出来上がりだろうなって思ってしまった。
恩を仇で返す最低な子供で、一人寂しく介護施設で死んでいく母を想像したらめちゃくちゃ嫌だった。
借金返し終わる3年後に出ていくから、という話だけは母にした。私が何を言っても説得力がなさ過ぎてそれしか言えなかった。
どこに住もうかな、なんて思ってたけど、それよりも今の生活から離れて自分自身の力だけで生きていくことの不安の方が大きい。
こんなクソゴミが一人でやっていけるんだろうか。私がもし男だったら絶対彼女にはしたくないタイプだと本気で思っているので、結婚して相手に養ってもらうという選択肢はない。
というか、結婚しない方がいいタイプだと本気で思っているから、孫の顔すら見せてやれないクズがこのまま実家にいても、母にメリットなんて一つも無い。
年金ももらえる額が少なくなってきているし、とっくに成人済みの私と妹の面倒を見るために稼いだ金を使わせるのが申し訳ない。
母から出てくる言葉はいつも今の話ばっかりで、自分の老後は二の次にするしかないことに今まで気づかなかった私が一番悪い。
だからといって誰かのせいにしたいわけではない。今日ここまでの生活を甘んじて受け入れてきたのは自分自身なので。
とりあえずもうあと三年だけ待ってほしい。こんなクズが言えることじゃないけど。
書いてて泣きそうになってるけど、一番泣きたいのは母なんだよな。
父が死んでちょうど一年になる。
この一年は家族と宗教について、父について考えざるを得なかった。
考え出すと、寝れなかったり不安定になることがあるので、節目に吐き出したい。
というのも、元首相の殺害や、菊池真理子氏の「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~ を読み、
私自身、宗教2世として記録と想いを書き残しておこうと思った次第である。
【創価学会と私】
私は幼少期に早い段階で、「あれ、家の家族は周りと違う」と気づき、
思春期には、親への反抗と同時に学会への不信感を募らせていった。
小学生の頃から月に何度か、知らない大人が集まる場所で連れていかれ勤行をしたり、
意味の分からないビデオを見せられたり。胸糞悪い記憶が残っている。
「新聞取ってもらえませんか」
と言いに来る。
”お母さん恥ずかしいからやめて”
田舎の小学生にとって、周りの友達との関係が崩れていく事がどれだけしんどかったことか。
普通の家ではないということを、表に出さず、隠しつつ、とはいえ田舎だったので周知の事実だったと思うが。
幸い友人に恵まれ、勉強も少しはできたので、いじめも無く、表向きは周りの子供と変わらない様に過ごせたと思う。
同じ中学から進学した同級生で親友になった子も、私の家族について良く知っていたが、一度も嫌な顔をせず私に付き合ってくれた。
なるべく親の世話にならず一人で生きていきたいという気持ちが学会のせいで強くなり、
部活をせずバイトをフルでいれて(貧乏というのもあったが)、奨学金とバイト代で授業料を支払っていた。
そしてここから成人して、就職、都会へ引っ越し、出来るだけ家族と離れることで、学会と距離を取ることができた。
【父と家族】
私の父は、生まれつき心臓の病を持っていた。学会とは関係無し。
忘れもしない小学低学年、夜中に居間が少し騒がしく、トイレに起きた私は母に慰められながら号泣する父を見た。
バブル崩壊後の不況の中、持病持ちの父は会社から要らない人間扱いされたらしい。
そこからの我が家は、どん底だったとのこと。父は病気のせいで再就職もままならない。
子供が4人(兄、姉、私、弟)。今思えば、生きて大人になっているだけで儲けもんではあるが、
母は強かった。
朝から晩まで、仕事を掛け持ちして皆を食べさせて、学会の活動も、勤行も欠かさずやっていた。
朝は清掃のアルバイトで、私が朝起きて登校するまで家にいることは稀で、
母が夜にアルバイトしていた工場の冷凍肉まんをチンして弟と食べて学校に行っていた。
昼間は保険の営業をしていたらしいが、学校に行っている間なので詳しくは知らない。
たまに学校から帰って家にいるときは、内職や家事の合間に勤行をしていた覚えがある。
父は弱かった。
私が幼い頃は絶対的な存在として、一家の主として君臨していた。
家族を養えなくなり、酒に溺れ徐々に精神的にも肉体的にも弱っていった。
私が思春期の時には、何度もぶつかり合った
「なぜ仕事をしない」
「酒をやめろ」
私は父が病気だと知っていてもなお、問い詰められずにいられなかった。
そのある夜に、父が紫色の顔で鼻血を垂れ流し、シャツを真っ赤にして救急車に運ばれた。
兄は優秀だったが。
私とは別の私立高校を特待生で通っていたが、すぐに不登校になり、ここから10年近く表に出なかった。
これは原因も私には分からない。ただ精神的に不安定な人間だった。やはり家庭が関係するのだろうか。
そしてその間、私と弟は良く兄と仲違いした。
姉は男を追って遠くへ消えていた。家族の中で私と弟はこの兄が大嫌いだった。
そして私が都会に出た数年後、弟から兄が創価学会に入信したと聞いた。
私は信条の自由だとその場は笑い飛ばしたが、笑い事ではなくなった。
「いつかお前にもわかる」
「幸せとは何か」
私は本当に何度も実家に帰りたくなくなったが、それでも会いたいという父や母の為に顔だけ出していた。
それだけで息子として顔を見せるくらいは何も苦痛ではなかったが。
【父の死】
そしてちょうど一年前、父が亡くなった。
数年前に心臓病とは別にガンを発症、末期になり3月から緩和ケアに入る。
コロナで面会が難しく、5月中旬になら会えるとのことで、連休をずらして規制予定だった矢先に。
墓も遠方の学会の墓に建てるそうだ。もう兄を止める者はいない、
【最後に】
私が見てきた限り、一度も勤行をしたこともない。
けれど父は、もっと言えば母も学会にのめりこんでいたが宗教というフィルターを通さず、
兄はそんな父をなぜそのような扱いにしたのだろう。
本当に父が思っていることを聞けなかったことを後悔しているのかもしれない。
私は宗教で苦しみました。
兄は宗教で救われました。
おそらく私は一生この問題と付き合わなければいけないとも思います。
あなたがそうしたように。
【】
吐き出したいことをだっーと書いていったら、ある程度言いたいこと言えたっぽいのですっきりしました。
思い出したので。
母と父の馴れ初めは全く知らない。小学生の頃何気なく聞いたことがあるがはぐらかされ、これはあまり聞いてはいけないやつだと思ったので詳しく聞かなかった。
父は私が中学2年になる頃までにはすでに警備会社の契約社員まで堕ちていたが(警備会社と言うが実際ところはイオンの駐車場の交通整備である)中学3年生の頃に職場の人とソリが合わず会社を辞めてしまった。そして初めは小銭欲しさに精神科を受診したはずでうつ病だとかの診断をもらって手当金を貰うという話だったはずだが、あれよあれよという間に何かの診断がおり障害者となった。障害者年金がもらえるとのことと、自分が障害者であるということから勤労意欲がなくなったらしく、それからはニートになった。
父について印象的なことを話したい。
私は高校に進学するとき、本当は全日制の高校に進学したかった。私立高校で学びたいカリキュラムがあった。制度も調べたし、提案をしたがどうしても入学金はある程度の額を出してもらう必要があり、提案した。だが
「生きるだけなら他にも方法はあるしそんなにお金もいらない。自分の仲の良い宗教グループで仕事ももらえるし中卒でいい」
と言われた。
私はこのとき「この人にとって現世は消化試合であり、自分の人生や子供の人生に責任が取れないレベルの人なのだ」と思った。
ちなみに母はあまり我がなく、口も上手くないので、このときも何かモゴモゴ言ってたと思うが何の助けにもならなかった。
職業訓練校の話になると高専の話題が出るが、卒業者の一人として思ったこと。
現時点の採用側や大学や職場での高専卒に対する能力の評価はポジティブなものが多い印象受ける。
だけど、そこを担保しているのは
・学校数が少なく、入学の段階で一定の学力が必要なこと。(中学卒業者の1%)
・一般的な年齢の子が大学受験に要する時間の多くを、実務や専門の勉学+α(ロボコン等)に割けること。
・高校生相当の年齢(15〜20才)で留年する子がそれなりの人数発生すること。
※卒業した高専は在校生の1割が留年経験者で、入学時からストレートで卒業するのは8割くらい。退学者も多い。25%が留年したクラスもあった。
大部分は若い段階で学力と専門への適正で篩い落としが働いていることが大きいと思う。
他の高専は分からないが入学以降はカリキュラムと塾がリンクしていないので、塾で成績を上げてきて入学した子は辛そうな印象を受けた。
高専退学者で怨嗟の声もよく聞く。若い段階で篩い落としが激しいので当然。
近々だと卒業者が毎年全国で1万人ほどで、就職するのが6000人弱。しかも専門の特性上特定産業。
専門とマッチする卒業生が就職市場に何人投入されるんだろうなって人数。
大学もここまで極端に数が少ないわけではないが、そこに至るまで競争や篩い落としが働いてたこそ質が担保されてた側面もあるんじゃないだろうか。
高専の数を増やすだけだと、私大が増えた現状と似た感じで安泰とは言えなくなるように思う。
現状は工学に偏ってるので、他の専門分野の高専が増えるのなら面白く思うが。
【追記】
・第一に小学校の中学年時点でなりたい職業が決まっていたこと。大学生になって学べるようになるまでの時間を考えると中学卒業時点から学べるのは魅力があった。
・高等教育は受けたいなと思っていたこと。それに対して高専のコスパが良かったこと
・田舎だと教育コストの関係上 公>私 の価値観。私立高校に対する認識は、大学内におけるFラン私立のような認識。
・高校受験が学区制で自分の学力と合う公立高校が近隣になかったこと。調べたら現在半数の都道府県で学区制は廃止らしい。自分が受験した当時は大半でまだ学区制があったようだ。
学区内の公立進学校の偏差値が60、次点の公立高校が55。近隣の私立高校は公立進学校よりも低い。
自身の偏差値が60半ば、高専の目的の学科が60前半だったので高専を選んだ。
自分が住んでいる地域に置ける中学卒業時のコスパを含めた選択肢の狭さの影響が大きい。
中学卒業時点で学力さえあれば住んでいる地域に限らず入学できるよっていう公立学校が高専しかなかった。国立のメリット。
公立小中学校→推薦→高専→入社だったから、組織に入る際に学力を測るテストを受けたことはなくそこに関しては個人として特殊なんじゃないかと思ってる。
江戸:
~~~明治維新
企業につとめてサラリーもらえてるだけですごくえらい(高杉晋作とか坂本龍馬のように藩主でもない人間が事業おこして社長やっただけで名前が後世にのこってる)。
女性が大学に行くとニュースになる。教員、医者、作家など汗を流さなくてよい職業を「先生」といって尊敬の念を抱く。給料が高いので書生・秘書・家事手伝いさんを雇える。
※ちなみにこの職業に貴賤をつけるやり方が偏差値教育をうみ、今の大学進学メインの学校にまでつづいている。
~~~第二次世界大戦
昭和中期:
団塊世代。オーモーレツ。サザエさん。企業につとめて三種の神器(洗濯機・冷蔵庫・テレビかな)をおいた団地にすむのが若い男女の夢。
家に自動車もあるとなおよい。女性が大学生になる事例が増えたが都市部のみ。
田舎だと高校うかっていかせてもらえただけでも頭いいね(実家も太いんだね)レベル。
頭がいいと、なんとか地方唯一の商業高校にいけて、そこをでてすぐ働く人が多い。
義務教育を終えただけの中卒で働くとか、中学卒業もだいぶお目こぼしされてた(本来なら卒業できてないけど義務教育には留年がないから卒業できました)という人も田舎には多い。
昭和後期:
労働者のサラリーマンが8割。景気がよくてどんどん元が取れるので私立高校や私立大学も増え塾もふえる。
そろそろクーラー・自動車などが標準装備になる。「二十四時間働けますか」
パソコンでいうとPC*801MK2が出た。ハードディスクなにそれ。記録といえばフロッピーディスクだよ?
~~~平成3年リーマンショック…じゃなくて「経済のバブルがはじけた」か
平成前期:
ICチップは産業のコメ。インターネットがそろーりそろりとはじまる。電話線のメタル回線のテレホーダイからですね。
ポケベル、ISDN、PHSなどスマホの前身になる技術がどんどん発達。テレビゲーム(据え置き型家庭用ゲーム機)が盛ん。
パソコンが市販されるけどたいていの人はまだキーボードそのものに慣れてない。ダブルクリックムズカシイ。
ていうかワープロ(word機能と感熱紙プリンタだけが入ってる機械。ファックスのような通信機能はない)が現役だった。工業めちゃさかん
平成後期:
ご存じIT革命。スマホ世代。リーマンショックって平成20年だったのか
令和
今だよ
さて
・過重労働
↑昭和はスマホパソコンがないので仕事に即時対応することが物理的に不可能。
小学校で習ったそろばんや電卓が使えればパソコンのかわりに足し算という単純な仕事を延々とやっていられて感謝もされる。のんびりしたもの。
あとは人脈と移動力がものをいう。つまり電車に乗って駅弁たべて「出張してました、〇〇さんに会ってきました、こういう感じでいってました」といえばかなり働いたことになる。営業職つよつよ。
※ちなみにメタル回線の電話はすべて従量制課金だよ。長電話すると営業でも怒られるんだよ。長い話をするときは紙にまとめてファックスにしておくろうね。←令和になってもこれやってる不動産多い
・残業代が出ない
土曜日は半ドンといって昼までで家に帰る職場もけっこうたくさんあった。
まあ最初はリーマン・先生たち、週休1日だったりもしたけど、どうしようもなくみんな貧しいんだから仕事もそうそうこないだろ的舐めプしてた。
あくせくせずに遊びながら席に居るだけ居て、上のものがきたときにだけへこへこしようぜみたいな集団サボりが許されてた感。
・ハラスメント多め
↑ハラスメントなどという横文字言葉そのものが日本の企業風土にないが、
そのかわりネクタイしめて会社に通ってるエリート、だの、美しいお嬢さん、という型にはまってくれる人間にたいする親密さや敬意はあった。
要らないのにお見合い写真をもってこられたり、寿退社必須だったり、お子さんもっと産めばいいのにとか。今でいうハラスメントだが本人たちは親密のつもりでやってる。
今でいうとさしずめ銀盾ユーチューバーくらいじゃないだろうか。
「一般人の皮をかぶった厄介ファンがつくのも予測できてたはず。
自ら選択してなったのだから、サラリーマンやOLは、人格者でなければならない。」みたいな。
ブラックでもなんでもなく、昭和の人の言うところの「あら~いいところにお勤めですね」だよ。
管理職になったらもう社長もすぐそこですねって取引先からつけとどけのお中元・お歳暮、お世辞がバンバンとどく。
そんななかでちょっと残業したり経営が苦しかった時期の苦労をいえばもはや美談、自慢話なんだよ。プロジェクトXだよ。
農業だの家業の手工業だのをやらされてない当たり前のサラリーマンという時点で勝ち組なんだ。
まあ、あとは令和でもそういう「ブラック以前に自営業ばっか」の田舎については「セケンのハテまで」という漫画でもよんでくれ。今でも都市部以外はそんな感じだから。
それこそ「まだ東京で消耗してるの?」は事実の一面は突いてた。
平成令和はやっぱインターネットでオリンピック級に仕事ができる人が可視化されちゃったからな。
荒木飛呂彦とか、AKBとか、どうみても常人じゃない人が「だれにでも見える」「目標に据えられる」「自分でもできるかもとおもわされる」。
昭和ってのは全員知らぬゆえ仏だったよ。
学生闘争で活動してた人が頭いいから背広きて社員になって労組に入って労働闘争して、
何も知らずに搾取されてる同僚たちを企業経営陣の搾取から守ってくれてた部分もあった。
そういう労組から会社への指摘は「ブラック」だなんてふんわりした色だけの言葉ではなく「労基法違反」だの「経営陣は社員Aに残業代と労災を払え」のような、
きちんとした要求になるから、「ブラック企業」に直接相当する言葉はやはり労組にもなかっただろう。「弊社経営陣は違法」といった、長めの告発タイトルならあったかもしれない。
元弊社を「ブラック企業」って命名してことたりちゃうのって、SNSでの、素人にもわかりやすい内部告発や私的労働闘争のほうが労組より効力が強くなったから、それで「ブラック」がようやくなりたったんだろうな
ツイッターがこのまま崩壊したらやっぱり労組が力をとりもどすのかもしれないけどどうだろ。
社員からすると労組か経営かって結局どちらも選べない。どっちも歯車になれる強者おっさんの理論なんだよな。
今は労組から管理職いける不思議な労組ばっかりのこってる。結局企業論理に染まり切ったバカしか企業には残れない。
労基法だの業界基準だの行政だのも、結構いろいろ詳しく仕事のやりかたを(外部のくせに)指図してくるから、
労組があっても経営と手を組んで黙って身内だけで法律をかいくぐることに必死になってるタイプのブラック企業もある(不祥事とかでしょっちゅうバレる。大成建設とか)
社員としては時間や魂を売り渡してる以上、金と地位くらいは見返りとして欲しいわけだからどっちのいうこともわかる。
経営陣はお客様の代弁者だし、労組は「こんなやり方では迷惑だ」と社員やセケンを代弁してる。
でもどっちもそもそも働きたくない個人(今でいう発達障害とか個性のある一人一人の人間、お気持ち)の味方ではないんだよ。
労組弱体とかそういう問題じゃなく、お気持ちを吐き出せるところとして現在最強なのがツイッターだという話。
「黒=悪」というイメージを植えるのはぽりてぃかりーコレクト違反だとしてアメリカなどではもうだいぶ禁止されていると思う。
まあ昭和だと「赤=労組、テロ、共産、悪」というこれも悪口ひっくるめた扱いだったし。
色にイメージをつけてわかったつもり・けなしたつもりになるってのはわかりやすくて訴求はできるけどやっぱり頭は悪いわな。
・1桁ブクマが今さっきみたら2桁も後半になっててびくーりした。俺増田史上5本の指に入りそうだね。
・バブルはじけとリーマンショックまちがえてたり、PCの名前(買ってもらえなかったからどっちでもええんじゃコラ)まちがえてたのでちょこちょこと訂正した。
もうどっちでも新入社員にとっては恐竜と大差ない大昔だからなぁ。
というか「バブルがはじけ、第一次就職氷河期がはじまった」というのを歴史家はいつまでも一言でいえる言葉にしないんだな。
1971が石油ショックで、
2008がリーマンショックなら、
およそ18-20年に一回なんかそういう失業・氷河期祭りがあるんだな。
次は2025あたりにAIショックとかあるんじゃねえの。
・理解するための漫画の追加ありがとう。たしかにそういうのもあったな~とおもった
・フジ三太郎・東海林さだおやコボちゃんなどのサラリーマンもの
(絵柄が大体あの感じのやつ)
※ただ、結局漫画家ってのはサラリーマンを途中でドロップアウトしてるし編集に「こんなのモデル企業に訴えられる」といって差し止められるので正確にはかかない。
島耕作もプロジェクトXも、イメージ向上してるからというだけで訴訟は乗り切れてるけど。
金と社員だけみれば現実はもっとド汚ねえ。だから読める程度には美しく書くんだけどさ。やくざ漫画でいう「ザ・ファブル」みたいなもん。売れるのは毒抜きしたものだけ
一番サラリーマンの本体をしってるのは父親・母親をみていた子供だよなとおもう。(なので一番最初にサザエさんをすすめたし、「セケンのハテまで」もおすすめする)
俺は、ここ二十年タバコの吸いすぎ闘病でずっとおまる使っててママ氏に介護の世話ばかりかけてるうちのパパ氏、
外からみると島耕作に、だいぶ近いことをしていたんだなと改めて感じている。
(部長には一時期なってたんじゃないかな。取締役とかはなってない)
ちなみに俺のなかでは釣りキチ三平の作者(市役所…じゃなくて銀行、のだいぶえらい人だったのが「ドロップアウト」して漫画家に)と手塚治虫(医者を「ドロップアウト」して漫画家に)が出世頭からの転身組漫画家の双璧だとおもいます
・俺史上2本の指に入った
・PC買ってもらえなかったっつってんだろ、ワイルドカードじゃコラ。最初は8801って書いてたんだぞちゃんと。マッきんとっしゅクラシックよりは安いけど、あのくそたかいのに数MBしかハードディスクがなかったおもちゃ買ってもらってたやつは今頃何してんだ、まさかブックマーカーなんかしてないよな。
・しゃぶでもやってるのかっていったやつは大成建設にでもつとめてんのか
・うちのパパがいよいよ危篤。結局あまり企業については話せなかったけど、まぁなんとなく雰囲気はわかるよ。
花々しい企業づとめも、「宮仕え」「エリート」も、社内政治も理系にとっちゃ全部ひかえめにいってクソでありうんこだよな。
腰かけ程度に中小につとめてすぐやめたママはわかってないお嬢様OLだったんだなとおもうことが多々あった。
というか子供からみて高校以降のママのアドバイスは全部見当違いだったんだが、社会人ならとおもったらやっぱりだめだった。
ママには大きな組織に働いてすりつぶされる感覚を愚痴れないなとおもったのは就職して半年もたたないうちだった(見当違いな対処法を提案され余計につかれる)。
https://anond.hatelabo.jp/20170206102543
いま家族旅行に来ているが、もうみんな寝てしまったので、缶ビールを飲みながら徒然なるままに思うところを書きつづる。
前回の記事に書いたとおり、当時小6だった長男は中学受験に挑戦し、俗に御三家と呼ばれる男子校に進学した。
それからの6年間、長男は部活に勉強に学校行事にと精を出し(なお恋愛)、仲の良い友人もたくさんでき(なお恋人)、とても充実した日々を送ってくれたようだ。
その高校の卒業式に出席したが、決して厳かとは言えない雰囲気。
いちおう詰め襟の標準服が制服ということにはなっているが、入学式以外で着ることはほぼなく、体が大きくなっても作り直したりはしないので、制服を着ている生徒は一人もいない。
ほとんどは親に借りたと思しきスーツだが、中には普段通りのカジュアルな格好もちらほらいるし、奇抜な格好をした目立ちたがり屋もいる。
その全てが許されている。
後で長男に聞いたところ、一人はネタだが、他はトランスジェンダーらしい。
彼ら(彼女ら?)の勇気には敬服するし、トランスジェンダーの問題に限らず、素の自分を臆することなくさらけだせる環境、校風を作り上げてきた学校と生徒たちを賞賛したい。
生徒たちも何かというと「自由」を声高に叫ぶ。その一方で責任についてもしっかりと言及するあたり、なかなかしっかりしているな、と思わされる。
ただ自分が卒業した関東の公立高校もそれほど変わらない程度には自由だったし、この学校が果たしてそこまで特別なのかどうかは分からない。
「自由であらねばならないという不自由さ」に囚われているような気がしなくもない。
ともあれ、校則はないし、制服も(実質的に)ないし、髪を染めたり休み時間に校外のコンビニに行ったりしても怒られない(らしい)。
最近ネットで高校生のやらかしがSNSで拡散され退学処分になるニュースを聞くが、たぶんこの学校では同じことをやっても退学になることはない。
退学させてしまったら、更正のための指導・教育ができなくなってしまうではないか。
高校が勉強を教え、その出来を評価するだけの場であればそれでよいのかもしれないが、この学校は「人間を育てる」ことをとても重視してくれていた。
先生方はとても熱心で、生徒たちの将来を非常によく考えてくれている。
PTA役員を2年間務め、校長を含む先生方とも様々な機会で交流させてもらったからこそ、自分もそれを実感できる。
卒業アルバムを開くと「この学校に6年間通えてよかった!」という長男のコメントが書いてあった。
今となっては長男がこの学校に通うことになって自分もよかったと思う。
卒業式から一週間後、受験した大学の合格発表があり、第一志望の「東.*大学」に合格した。
ソフトウェアエンジニアにはおなじみの正規表現というやつでぼかしたが、面倒なので以下「東大」と略すことにする。
この東大というところは、多くの人にとって特別な意味を持つ大学のようだ。
老衰で死にそうなばあさんや、鬱で生きる気力のなくなったじいさんでさえ、東大合格を伝えると笑顔を見せて喜んでくれた。
実際、長男はよく頑張った。鉄なんとかという塾の宿題にもしっかり取り組んでいた。
しかし自分は田舎の公立中高から塾にも通わず、東京のとある国立大学に進んだ身だ。
大学入学後、御三家校を含む都会の私立高校出身のやつらから聞く高校生活には、自分のそれとは全く違う華やかさがあった。
全国から集まった同級生の中には、自分には理解できないくらい裕福な暮らしをしている者もいた。
こちらは築数十年の4人部屋学生寮に月5000円で住んでいる。
寮生活は楽しかった。何なら人生で一番楽しい時期だったかもしれない。
しかしそれはそれとして、都会育ちのエリートや金持ちにはある種の妬みや反感を持っていたのは否定できない事実だ。
それから30年。
よりにもよって自分の息子が、当時の自分が妬んでいた側の人間になってしまった。
合格した夜、そんな複雑な気持ちを抱えながら、こんなことを伝えた。
「お前はよく頑張った。それは誇っていい。でも周囲の環境に非常に恵まれたことは忘れるなよ。お前と同じくらい素質があったがお前ほどには環境に恵まれなかった人は全国にたくさんいる。決して自分が人よりも偉いだなんて思うなよ。」
もう自分が父親として彼に教えられることはそう多くは残っていない。
自分は次男にも中学受験を勧めはしなかったが、長男がそういうルートをたどった以上、そうなるのは必然だった。
小3の冬のある日、次男が「塾に通いたい」と言い始めた。
反対する気はないものの一応「何でだい?」と尋ねてみる。
ウソである。本当は学校の仲の良い友だちが通い始めるからである。
しかしこんなことを言われて、長男も通わせておいて、ダメと言えるはずもない。
次男は別に勉強ができなくはないし学校の成績も良いのだが、中学受験という競技においては長男ほどの才能はなかった。
そして今は第4志望くらいだった学校に楽しそうに通っている。
偏差値の高低は重要ではない。次男にとってはその学校が合っていたのだと自分は満足していた。
ちょっと面食らったが、もともと大学は海外に行くことを勧めたい気持ちはあったので、それがちょっと早まるくらいだと思い了承することにした。
日本人が通えるアメリカの高校は、基本的には全寮制のいわゆるボーディングスクールというやつになるらしい。
でも本人がやる気になっている今になって、やっぱりダメとは言えない。
ここはもう腹をくくることにした。
そして留学エージェントの力も借りて、先日めでたく合格をもらうことができた。
ところでアメリカの高校は4年間あって、1年生から入るには日本の中学3年の秋からアメリカに渡る必要がある。
つまりいま通っている私立中学を中退してアメリカの高校に入学する。
なので、もしホームシックをこじらせて志半ばで日本に帰国するようなことになると、日本における最終学歴は「小卒」になってしまう。
まあ本人はネタとして面白い、とあっけらかんとしているので、それほど心配はしていない。
1ヶ月前に勤めていた会社を辞めた。
ただ何もしないととことん堕落しそうなので、シニアタレントオーディションというのを受けてみることにした。
最近は団塊ジュニア向けの商品やサービスの広告モデルや、テレビの再現VTRなどで、40代以上のシニアタレントの需要がそこそこあるらしい。
そしてめでたく合格した。
4月から3ヶ月ほど演技のレッスンに通うと、タレントの仕事を紹介してもらえるようになるらしい。
まあ入所料やレッスン料を支払わないといけないので、最初は習い事みたいなものだ。
そういうビジネスだと思えば、たぶんお金さえ払えれば誰でも合格できるのだろう。
タレントになるのが早いか、ITエンジニアとして再び働き始めるのが早いか、将来のことは自分にも分からない。
妻も職場の資格試験に合格したらしいので、一家全員合格祝いの家族旅行になった。
それにしても海外に来ると、円安と長く続いた日本のデフレを痛感する。
タレントとして成功しない限り、次回はちゅうちょしてしまうレベル。
以上、深夜のワイキキビーチより。
700万ずつぐらい稼ぐ両親の元に生まれ、荒れた公立中を避けて中高一貫の私立に進学。早めに予備校に通い始め、それなりの努力の末それなりの大学に合格。現在は私立校で教諭を務め、年収700万ぐらい。
ものすごく高学歴というわけではないし、胸を張れるほど稼いでいるわけでもないけれど、自分という枠組みの中ではよく頑張って生きているなぁと思っている。仕事は楽しいし、勉強以外に得意なことがあるわけでもないから尚更。
学歴なんてなくていい。それでも名のある大学卒ならカッコいいし、稼ぎも伴いやすい。だから勉強ができるなら勉強を、勉強が苦手ならそれ以外を伸ばして未来を切り拓くのがよい、そう信じてきた。
地頭がよく態度も真面目なのに、+αの努力を一切しない生徒。出席や点数が足りず留年が迫っているのに、まるで慌てない親子。実力より10以上偏差値の低い指定校を進学先に決めてしまう家庭。
なぜ頑張らない? なぜ焦らない? なぜ上を目指さない? 心底疑問だったが、ようやく理解した。お金があるからだ。
数億が飛び交う家の生まれなら、ニッコマでもMARCHでも関係ない。留年が決まったら別の学校、なんなら海外にでも転学させればいい。心身を削って受験勉強に励むより、今しかない学校生活を楽しませたい。自分を飾るには、学歴よりきらびやかなものがたくさんある。
ペンケースはエルメス、財布はブルガリ。毎年海外旅行に行くが、エコノミーには乗ったことがない。お手伝いさんや庭師がいて当然、医者や寿司屋は家に来るもの。
生徒の豊かさは理解していたが、この気づきは衝撃的だった。学歴はいらない。就職には困らないし、しなくたって構わない。受験戦争は自分の価値を売るしかない貧乏人のためのものなのだ。
この衝撃はマイナスなものでなく、「お寿司やサトウのごはんをパックから食べることを屈辱に感じる人がいる」というのと同種のものだ。
わざわざお皿に移すことで何が変わるの? 手間が増えるだけでは? というのが個人の意見だが、けしてお皿に移したい派の人を否定したいわけではない。むしろ価値観の多様さに感動さえする。そもそもパックの寿司やご飯なんて食べたくないという人もいるだろうし、高くて買えないという人もいるだろう。
世の中には進学はおろか生きるのが苦しい人も大勢いる。「受験戦争は一般も推薦も金持ちに有利」「東大生の親は高年収」なんて言説もよく耳にする。
だからこそ、「普通の高年収」のさらに上、「そこそこ恵まれている」自分や周りがしてきた努力が不必要な層の存在はセンセーショナルだった。今まで見えていなかっただけで、案外多くいるのだろうし。
もちろんリッチな世界にはリッチな世界の苦労があるだろう。リッチだからこそ学歴がいるんだが? という人もいるかもしれない。今回書いたのはあくまで自分が認知した範囲の話なので。
己の視野の狭さを反省し、世界の広さに感服しつつ、学歴が必要な層も不必要な層も充実した学校生活が送れるよう、日々励もうと思う。
俺の住んでた県は学区制が厳しい
家が貧乏で私立高校どころか大学進学まで危ぶまれたので公立の商業高校にすることで間を取った
高2の一大イベント、商品開発の班でなぜか男子だけの班が作られてそこに俺も入れられた
なぜOLがターゲットなのに男性のみで班を作るんだ!って班を決めた教師に怒鳴ってボイコットした
今思えば絶対に逆らってはいけない教師に盾突き、まだ浸透してないジェンダー論を盾に歯向かったのは後にも先にも自分だけではないだろうか
女子みたいな趣味が多かったのでCDを貸し借りしたりずっと雑談したりデートしたり
だが今思うと商業なんて将来性考えたらやめとくべきだよなーと思った
両親が中卒で教育終わってる地域の生まれだから常識が固まってなかったから商業選んだのであって
いまネット見てたら正直ありえんよなーって
でも俺の地域だと選ばざるを得ない事情で雁字搦めだったからさー
なんか教育って地域ごとに全然違うのにネットだと猫も杓子も同じように語られてるのが解せないね
ガチの頃の高校生クイズみたいな風貌じゃなくてすみませんでしたーって思う
そういや修学旅行の班も男女別別で苦労した思い出あるわ
偏差値53 (フロンティア科) 学科別偏差値51(普通科) 全国偏差値ランキング1596位 / 4320校 高校偏差値ランキング宮崎県偏差値ランキング14位 / 33校 宮崎県高校偏差値ランキング宮崎県私立偏差値ランク6位 / 8校 宮崎県私立高校偏差値ランキング