はてなキーワード: 現代詩とは
実る道行
そして実りゆく案山子
つるむらさきと芹ならば
かえって心も気も楽か
紙が毛羽立つ筆先に
寝てもいいけど角度を変えて
どの交情が占めるかとか
雁は帰巣の頭を巡らせ
湯冷めのしない羽休め
気持ちをすべて言い当てられて
謎まだ解けず
声、小さいよ
もう眠そうな声
眠いのか、そう眠たいならね
薄暮れにひきあげて
体の幅で塞ぐ畦道
ゆくりなく渡り歩いて
抜き足を峠まで運ぶか
運んだ先の馬場で待つ蟻
夜の目も利く先導と
山裾からまた山裾へ
思い出したら話してくれる
何かと深めた信心を
あたらしい主になり代わる
鯰の潜む流れから
遠くから二十万騎のかちどき
おおむね好意を内に示して
尖底土器まで野心が巡る
ただ走り先走る尖石
雪が見えるの
なれの果て
それがおまえ
おびただしく連なるからたち
絶えずまわりにくべる火の
しらじら退いた機先
明日の天気は野を分けて
みだりに迫り来る老齢
昼のあずきとも関係ない
払えば道となる藪を
ぼうぼう伸びるにまかせていれば
北限に迫る脊梁
たかく道行き
洗いそそいで運ばねば
枯れるもなにも使う人のない枕木
向こうで咲いてたか
もうそこまで行ければいい気がする
ひとまず不慣れな先行きで
まずは燕をとらえるか
あぶみを離れるいななきの
鼻先まで香るうちに
まずは燕をとらえてみるか
『パッチ・ワークス』(港の人)より
最果タヒさんの詩集『死んでしまう系のぼくらに』『夜景座生まれ』と、あとは図書館で数冊をパラ読みした。著作が映画化されているらしいが、見てない。本しか触れてない。
否定的な感想なのでブログには投稿するか悩んで、結局、こちらに持ってきた。ただの感想。
まとめ
最果タヒさんの詩はあまりに散文的で、これは本当に詩なのか、日記じゃないのか、小説と変わらないんじゃないのかとすら思う。実際、同作者の小説『十代に共感する奴はみんな嘘つき』も少し読んだけど、境が曖昧だと感じた。これなら全部小説でも良いじゃんと思うけど、当事者からすると違うのかもしれない。
詩そのものについては、単純に口調とテンポが私に合わない。あんまり真摯な感じがしない……と感じる。でも私が思う真摯な感じとこの人の真摯さが違うだけかもしれないし、この方に真摯なつもりなんてないだけかもしれない。
使われている言葉は、それっぽい言葉を並べてるだけに見える。色んな言葉が出てくるけど、そのひとつひとつの定義って、なんなんだろう? どういう意味で使ってるんだろう? そういうのが見えてこない。だから真摯には感じない。急に言葉が連想ゲームみたいに飛ぶのも、え? 寝ぼけてんの? って感じ。
あと、わざと間違った/厳密に間違いではないけどまず使わない言葉使いや組み合わせ、漢字の開き(ひらがな)が多用されてると、絞れ!になる。そういうのはアクセントに使うのがいいのであって、多用されると醒めるし、詩全体がぼやけてしまう。
これがぼやけたことを狙っている詩や短い詩ならまだ良いけど、長くて散文的だから、ただぼやける。何を言ってるのか分からない。批評を色々読んだけど、「わからなさ」を評価されている面もあり、それでいいのか、じゃあ私に合わないだけか、となる。
ちなみにこの「わからなさ」とは「共感できなさ」のことではない、と言い添えておく。
また、死にたい、殺されたい、の表明が素直球すぎて上滑りしてる。死にたさについて、現実世界の死について、空想上の死について、犯罪について殺人についてを描いている部分があるが、それはただの比喩なのかもしれない。(以下、長いので略してます、ごめんなさい。詩を引用する時に略すのってどうなんだろ……。よくないかも。)
❝(前略)今日も、撃ち殺されなかったと泣きながら眠る夜はただ一人で、(後略)❞
❝あいされたい
それはべつに深刻ではなく。ころされたい、でもいい。❞
❝せめて他殺で。惨殺で。❞
確かに、「死にたい」「あの人に殺されたい」「今日も死ねなかった」と思う人はたくさんいるだろうし、私にもそういう欲求はあるが、なんでだかこの直球ぐあいは合わなかった。反対に、この表現がいい!と思う人もいるでしょう。軽くなんてない、という人もいれば、軽くて何が悪い、という人もいるでしょう。
例えば『死んでしまう系のぼくらに』p.23「線香の詩」から1行目❝大切なものが死んだあとの大地はすこし甘い匂いがする❞のっっっってなんでなんですか!?
次に蝉が出てくるので夏だろう、じゃあスイカやかき氷を食べた庭かな? 大切なもの……有機物か?無機物か?ペット火?人か? 人じゃなければ何かを土に埋めて、それがなんらかの作用で甘い匂いをさせてるのかな?
って、そんなことは考えても考えなくても良くて、まあ私は考えるほうが好きだが、まあとにかくこういうのがなくてもいいけどとにかく「説得力」が足りない。
読んでて、否応なしに「そうなのか」となる、もしくは「そんなわけないだろ」と言えるのがさ、好きなんだよな。「そんなわけないだろ」すら言えずに、「意味わかんねーよ」じゃ、ちょっと良いとは言えない。
例えば宮沢賢治の「やまなし」は詩じゃなくて小説(童話)だけど、❝『クラムボンはかぷかぷわらったよ』❞って説得力えぐいでしょ。「クラムボンは、かぷかぷ、笑う」んだよ。まあこれも好みの問題かもだ。
私は作品の批評で、「分からない」からいい、分からないのがいいんだ、みたいなのは嫌だ。
感想においては「気づかせてくれる」とか「感性が素晴らしい」とかって、何も考えないで生きてるのかよ!と叫びたくなる。もちろん、詩歌(詩、短歌、俳句)って「新しい視点」が評価されるし、私もそういう作品は好きなんだけど、どうしてか嫌だ。単純に感性が素晴らしいって褒め言葉が嫌いなだけかもしれない。私がそう言われると、「感性は、普通ですよ。思ったことを表現するために、頑張ったんですよ」と思うからかもしれない。私の話じゃん。私の話だよ。
この記事は、最果タヒの詩について、否定的感想をあまり見つけられなかったので、公開しました。「最果タヒ 批評/感想」とかで調べるとね、いくつかは出てきますしリンク貼らないけどめちゃくちゃ良い記事もありました。でも、ほとんど見つけられなかった。なので公開しました。私のこの記事はただの感想で、うまい批評なんかじゃないし分析もできてないけど。
でも詩でこんだけ売れてて若者人気もあるってすごいよね、は本音で、昨今は詩歌の中では短歌ブームらしくて色んな本が出たり特集が組まれてるけど、現代詩もそういうふうに盛り上がると嬉しいなとは思います。
読んでくれた方、ありがとうございました。
この記事に対する反論も良いですが、おすすめの現代詩あったら教えてください。読むので。
現代より前の詩……工藤直子/金子みすゞ/谷川俊太郎とか、中原中也/島崎藤村/室生犀星/萩原朔太郎とかは既読なので、それ以外の「現代詩」のおすすめが、知りたいです。よろしくお願いします。
■教養を身に付けられる本を教えて欲しい。
この問いに答えるには先に「『教養』とは何か」ということをクリアにしないといけないと思うが、これを抽象的に論じ始めると喧々諤々の議論となって、増田の「本を教えて」という望みにたどり着かない。
しかし、日本の「教養人」と言われる人/自称している人たちの中で「教養」の範囲は割と共通していて、だいたい以下のラインナップに自分の専門や好みを付け加えたものになるのではないかと思う。
これはもう間違いない。およそ西洋で発展した学問は深掘りすればすぐにキリスト教にぶち当たる。
ただ日本でキリスト教について知識を身に付けようとしてもなかなか良い本が無いのが現状。(その辺で売ってる入門書は表面をなぞってるものばっかりなので読んでも誤解して終わりだと思う)
個人的には内村鑑三の一連の著作から入るのが分かりやすくて良いと思うが、古くて読みづらいかも。田川建三から入るのも面白いかもしれないけどどうかなぁ。
なお、「教養人」といえど聖書は誰も通読していないので、上記の本で引用されたところを拾い読みしておけばよい。
ひと昔前までマルクス主義はすべての学問を包括する「グランドセオリー」と言われていて、どんな問題でも切れる便利なナイフのように活躍していた。
その残滓が今でもあって、社会科学においては今でも学生が知らず知らずのうちにマル経用語を覚えさせられていたりする。
むかしは手に入りやすくてわかりやすい入門書が不破哲三のものしかなかったが、数年前のマルクスブームでたくさん良い本が出ており、個人的にはデヴィッド・ハーヴェイの入門書をお勧めしたい。(ただ抵抗が無ければ不破哲三の著作は今でも分かりやすくてよい)
みんなの憧れ『資本論』も上記入門書の傍らに置いてちびちび読んでみると良い。そこらの難解な哲学書に比べればぜんぜん読める。
マルクスをやればみんな歴史がやりたくなる。マルクス主義史観を学校で習った日本史/世界史に当てはめて、その切れ味を試したくなるからだ。
好きな時代や分野をやれば良いと思うが、「教養人」はみんな網野善彦と遅塚忠躬の著作が大好き(偏見)なので、ぺらぺらめくっておくと良いだろう(マルクス主義史観の多少の解毒剤にもなる)。
ウォーラーステインも読みたくなるが、長すぎて誰も通読していないので、川北稔のアンチョコを読んで、読んだふりをしておくと良い。
なお、第二次世界大戦については最近、川田稔『昭和陸軍全史』という誰でも読めるすばらしい本が出たので、知ったかぶりができなくなった。
文学となると何を読むか、ということになるが、サマセット・モーム先生が『世界の十大小説』というすばらしいアンチョコを出しているのでまずはこれを読むと良い。
そこで採り上げられている小説のうち、『カラマーゾフの兄弟』と『戦争と平和』は「読まなければ人ではない」という風潮があるので、せめて読んだふりはできるように。キリスト教の知識がここで生きてくる。
日本の小説では、夏目漱石についての柄谷行人の論考を読んで、日本の近代について一席ぶてるようにしておこう。
それと『失われた時を求めて』はとりあえず買って挫折するのが大事。
わが国では哲学について昔から「デカンショデカンショで半年暮らす、あとの半年寝て暮らす」という有名な言葉があり、デカルト・カント・ショーペンハウアーが昔の「教養人」の必須科目となっていたらしい。
ただショーペンハウアーがここに入っているのは少し不思議で、今ならニーチェが入るのではないかと思う。
どうせ正確な理解なんて無理なのだから、適当なアンチョコを読んで知ったかぶりができるようにしておくと良い。
なお、なんか知らんが日本人はヘーゲルが大好き(な割に誰も理解していない)なので、一応挨拶だけしておこう。
「教養」として名前が挙がることが多い一方で、まともに条文を運用できる人がほとんどいない分野。
上述してきた分野と違って、本を読むだけではだめで、指導教官のもとで実際の事例にぶち当たってトレーニングを積まなければならないので難しいのだろう。
下手に基本書を読んでも本職に知ったかぶりをすぐ見抜かれるので、時折ネットで話題になる法律問題について法曹の解説を読んで都度勉強すると良いだろう。
ここまで挙げた学問はいずれも西洋で発展したものなので、「日本にはなんもねぇのか」という気分になってくる。
こうした「教養人」が抱えるコンプレックスについて内田樹が『日本辺境論』という本で書いているので、ちょろっと見ておくと良いだろう(Amazonで1円で売っている)。
ここらで本居宣長とか丸山真男とかを読み出す人も多いのだが、どうせ不毛な作業になるので、視野を広げて中国思想・インド思想辺りに目を向けるのが良い。
「教養人」というのは大概文系であり、自然科学についてはからっきしな奴が多い。
自然科学の話題になると、トーマス・クーン『科学革命の構造』をそれらしく引用して逃げ切りを図る人が多いのだが、本職に馬鹿を見抜かれるので素直に勉強しましょう。
ヨビノリをはじめとした学習コンテンツがYouTubeに転がっているので、せめて高校数学と物理ぐらいはやっておかないといけない。
上述してきたような分野をやっていると、唐突に詩が登場したりして困惑する場面が多々出てくる。
論理的(笑)な「教養人」の中にはこれを不得手として敬遠する人が多いのだが、どこかで対決しなければならない。
幸いなことに最近、詩人の渡邊十絲子という人が『今を生きるための現代詩』という詩についての分かりやすい概論を出したので、一読した上で適当な詩のアンソロジーでも買ってくれ。
なんか知らんが「教養人」は映画が好きな人が多いので、ある程度は観ておかないといけない。
イギリスのエンパイアという雑誌が「史上最高の映画500本」という特集をやっているので、上から適当に観ておけば良い。
とりあえずこの辺を押さえておけば周囲からは「教養がある」という認定を受けるのではないかと思う。
ただ教養があったとしても「教養人」からマウントを取られる可能性が低くなるだけであり、「他人との会話が盛り上が」るなんてことはまず無いから気を付けて呉れ給へ。
私は「インターネット上で故人のブログが閲覧できる」ということを知り、廃墟サイトまとめを閲覧していた。
そもそも一体なぜ私が故人のブログに興味を持ったのかということについて述べたいと思う。中学生の頃、図書館で南条さんの本を借りた。当時私はリスカやアムカを常習的に行っていた。そのような自傷行為がきっかけで南条さんの本に辿り着いたと記憶している。
本には、南条さんという人物について、また彼女がインターネット上に残したものについて書かれていた。
「死んだらインターネットで公開したものが残り、さらには書籍化されるパターンもあるらしい」
衝撃だった。
南条さんは、生存した証をインターネット上に残して死んだ。いや、「生存した証がインターネット上に残ってしまった」と言い表した方が正しいのかもしれない。
さて話を戻すと、インターネット上で閲覧できる故人のブログというのが、二階堂さんの「八本脚の蝶」という日記サイトだった。利用されていたのは「@niftyホームページサービス」で、このサービス名から推測できるように、当時はまだ世の中に気軽に開設可能なブログサイトは広まっていなかったのかもしれない。
二階堂さんもまた、南条さんと同様にに生存した証をインターネット上に残して死んだ。特筆しておくべき点が、二階堂さんは南条さんと異なり「自らの意志で生存した証をインターネット上に残して自殺した」という点である。
私は、南条さんも二階堂さんもインターネット上でリアルタイムにて追うことができなかった。そのことについてなぜか「残念だ」と感じてしまうの自分自身の気持ちが不謹慎でたまらなかった。
インターネットではブログサービスの代りに増田が流行り始めた。私は主にメンタルヘルスについて発信している増田を好んで見ていた。そのうちそのクラスタ内のある増田について「どうやらあのアカウントの持ち主は自殺したようだ」と囁かれている場面に何度か遭遇するようになった。
このような場面を目撃し私は、非常にモラルの欠けた発言になるのだが「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と感じるようになっていた。
さて、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化され河出書房新社より発売された。文庫化されるという情報を得た時点で既に私は、自分の心の中で妙にひっかかるものを感じていた。故人の尊厳について考えた。
前置きは長くなったが、本編の日記を読んで感じたことを述べていこうと思う。
私はいつの間にか、2001年当時自分が何をしていたかということについて思いを馳せていた。2001年6月13日水曜日、私は小学6年生だった。私は6年生のゴールデンウィークに旅行先で体調を崩し、風邪をこじらせてしまい入院した。自宅で寝ていると熱がぐんぐん上がり、布団に包まっても寒くて寒くてたまらなかった。後になって改めて親とその話をしていると、どうやら熱性けいれんを起こしていたらしい。
ところで北海道の運動会は春に行われる。私は運動会当日までに退院することができた。当時の担任の先生が「持久走どうする?」と確認してきたので、私は「徒競走だけ出ます」と答えた。グラウンド5周の1キロなんて走りたくなかったのである。
私にとってそんな小学校最後の運動会が終わり、初夏なのか蝦夷梅雨(北海道にも一応梅雨のような時期が一瞬だけ存在する)なのかわからない曖昧な気候の中で、小学校生活を送っていた。おそらくそれが、私の2001年6月13日水曜日だったのではないかと思う。
2002年4月8日、月曜日。おそらくこの日に私は中学1年生になった。中学校に進学したといっても、私が通っていたのは小中併置校だった。わかりやすく説明すると、小学生の教室が校舎の2階にあって、中学生の教室が3階にあるということだ。つまり中学生になると階段を上る段数が増えるだけのことである。
私は新学期の校舎の何とも言えないにおいに敏感な子どもだったので覚えているが、小学生のフロアと中学生のフロアとでは、においが異なっていた。中学生の階の廊下や教室は、やはり中学生らしい大人っぽいとでも言ったらいいのか、とにかく少し変なにおいがしたのを覚えている。
4月も8日頃となると、多くの会社にとっては新年度の区切りを迎えてから数日経過したというところで、まだ新しい環境には慣れていないという時期ではないだろうか。
2002年4月8日の月曜日、二階堂さんにとってのこの日は、ある本に引用されていた詩を見つけることができた日ということになっている。どうしても読みたくて探していたのだという。彼女にとってのちょっとした記念日であるように感じられる。
2002年の3月末~4月初旬の彼女の日記を確認してみると、すっぽりと更新されていない空白の期間になっていることがわかった。年度末から年度初めは、やはり忙しかったのだろう。
彼女は文学部哲学科を卒業した後、編集者・レビュアーとして働いていたようだ。新年度が始まって早々しかも平日に、ずっと探していた本が見つかったという出来事を日記に書くほどに、彼女は本に対してかなり熱心な人物だったんだろうとぼんやり想像する。
2003年4月1日火曜日、この日は平日だ。
平日だが、二階堂さんの日記は「その一」「その二」「その三」「その四」「その五」「その六」「その七」、これに止まらず「その八」「その九」、さらに続き「その一〇」「その一一‐一」と綴られている。私はそのことに気付き、なんだか雲行きが怪しくなってきたと感じた。「その一一‐二」「その一二‐一」「その一二‐二」と日記は続くが、いくら新年度の決意表明にしても長編すぎやしないだろうかと思う。「その一二‐三」の日記の次に、彼女はやっと翌日の4月2日を迎えられたようだ。
しかしその4月2日水曜日の日記のタイトルは「その一」とある。この日は「その七」まで綴られているが、分割されている記事もあることを踏まえるとトータル9回更新されたということなのだと思う。おそらく当時はスマホなど普及していなかったはずなので、勝手な個人的な予想になるが、彼女は自宅で夜中になるまで複数回にわたってブログ記事を投稿したのではないかと考える。もしくは、職場のPCから小分けして投稿していたという可能性も考えられる。しかし、2002年4月8日月曜日の日記から判断する限り、彼女であれば絶対にそんなことはしないのではないかと思う。
一投稿あたりの文字数は、今でいうブログ(いわゆる収益化を目的としたブログ)と比較するとかなり少なく感じられる。
しかし彼女の複数回に及ぶブログ投稿を現代の増田で例えるなら、短文の増田をかなりの回数にわたって連投しているという状態に置き換えられるのではないかと思う。多くの人はそのような増田のことを、はてなーもしくはいわゆる「病み増田(メンタルヘルス系の内容を扱う増田の中でも特に思春期の中高生が該当するように思う)」に分類すると思う。事実私も、一晩にかけてそのように連投しているアカウントを見かけると、どうしてもメンタルヘルス系の悩みでも抱えているのだろうかと見なしてしまう。
さて連続して投稿された日記の内容はというと、私が生きてきた中でそのタイトルも作者も聞いたことがないような本からの引用である。また、彼女が数年前に受け取ったと思われる知人からの手紙を引用している投稿も見られる。
ふと私は、おそらく二階堂さんは思考の整理のためにブログを使うというやり方をとるタイプの人間ではないだろうかと感じた。というのも私も時たまTwitterをそのような用途に用いるからである。そしてどういうときにその思考の整理をするかというと、それは「ものすごく死にたいが、どう対処していいか方法が見当もつかないとき」である。これについては、もしかするとピンとくる方もいるかもしれない。そのようにしばしば私はTwitterで思考の整理を行う。なぜなら自分自身の脳内の回転及びそれによって生じる思考をインターネットに吐き出さなければ、到底処理しきれない状態に陥っているからだ。
そしてなぜあえてインターネットに吐露するのかというと、リアル社会には私の話を聞いてくれる人が存在しないからだ。私にとって、リアル社会で相手の様子を窺いつつ的確なタイミングでふさわしい言葉で相談を持ちかけるという動作は、極めて難しい。過去に何度も相談時のコミュニケーションに挫折する経験を重ねたことがきっかけで、そのような事態に辿り着いてしまったのではないかと疑っている。
彼女の本心は今となってはわからない。そのため私のような人間が、勝手に彼女と自身を重ね合わせ、どこかに類似点があるのではないかとあれこれ想像してしまう。
ふと、彼女の死とはこのような在り方でよかったのだろうかと思わず考えてしまう。死後に自分の作品が残るとは、そういうことなのだと思う。
2003年4月に私は中学2年生になり、無事に厨二病を発症した。インターネットに本格的に参入したのは、この時期だったかと記憶している。休み時間には、情報の担当教諭がヤフージオシティーズのアカウント取得を手伝ってくれた。
やはり、当時はまだブログがそこまで一般的なものではなかった。私はまずは無料レンタルスペース(現代でいうレンタルサーバーのようなもの)を契約し個人サイトを作っていた。そしてレンタル掲示板を設置し、同盟バナー(ハッシュタグで繋がる文化など当然存在しなかったため、共通の趣味で繋がる同盟という文化が主流であった)を貼り、繋がっていた。あの頃はそのような時代であった。
私は夜な夜な日記(これはノートに綴った日記であった。というのも夜はインターネットができない家庭環境にあったのだ)を書き、アムカをするようになっていた。田舎特有の地域性、そこで生じた問題、そして本来の私の性格と一体何が根本的な原因であるのかはわからないが、ちょうど家庭内でもそこそこ大きな出来事が発生し、私は混乱のさなかにあった。
やがて私は個人サイトの別館を作るようになった。それはおそらく現代でいうTwitterの複垢(サブアカウント)のような類に非常によく似ているのではないかと思う。私はやがて、いかにも「メンヘラポエム(笑)」と晒されそうな文章を拙いながらも公開するようになっていた。
私は日本におけるインターネット内でポエムが馬鹿にされる風潮にいまいち納得がいかないので補足するが、あの頃は「テキストサイト」とカテゴライズされる個人サイトが充実していた。現代詩ともエッセイともいえない、インターネットならではの文章をポートフォリオのようにまとめた個人サイトは、当時かなり多くみられたように思う。
このように、思春期も相まって私は何かと思いつめて過ごす時間が多かった。先に述べたアムカをするようになったのは、確か半袖を着なくなった秋頃だったかと記憶している。
二階堂さんの日記は2003年4月26日の土曜日で更新が途絶えている。4月26日というと私の誕生日の翌日なのだが、そんなことなど今はどうでもいい。4月26日の日記は、6回更新されている。「その一」「その二」「その三」、そして「お別れ その一」「お別れ その二」「お別れ その三」という題で投稿されている。
そしてその後に、おそらくこれは投稿時間を設定したことによる自動投稿なのではないかと思うのだが、「最後のお知らせ」が更新されている。その内容は、「2003年4月26日のまだ朝が来る前に自ら命を絶ちました」という旨を報告するものである。
人の死についてあれこれ憶測することが心苦しいが、おそらく夜中のまだ朝が来る前に、最期のまとめとお別れの言葉を、何人かの対象に向けてそれぞれ投稿したのではないかと思う。そして、2001年から更新が続いていた日記をありがとうございましたという言葉で締めくくり、パソコンをシャットダウンしたのかどうかはわからないがきっと彼女のことなら身支度を整えてどこか高い建物へ向かい、そして亡くなったということだと思う。
断っておくと、私は『八本脚の蝶』すべてを読破したわけではない。二階堂さんが好んだ幻想文学などの専門分野について私は詳しくないため全文の理解が困難であるという言い訳により、私は挫折した。しかし何とも言えないモヤモヤとした疑問が残った。
冒頭で私は「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と述べた。再度ここで明記するが、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化された。
もしかするとインターネットに生きた証を残して自殺するということは最悪な選択肢なのではないかと私は思った。というのも、自らの意志に構わず書籍化され、需要や編集者の熱意があれば数年後に改めて文庫化されるというパターンもあり得るということが今回わかったからである。
果たして彼女はそのようなことを望んでいたのだろうかと、厚かましくも疑問に感じてしまう。世に広まるということは、全く想定していないターゲット層にまで届いてしまうということだ。もしかすると「自殺なんて弱い人間が行うことだ。自殺をする人間は敗者だ」などと主張する層に触れ議論を呼ぶこともあり得るかもしれない。
事実、書籍化された『八本脚の蝶』は私のような読者にまで届いたし、加えて私は今こうしてこのような文章まで書いている。果たして私のこのような行為は許されるものであろうか。
文中で軽く触れたが、私にとって増田は思考の整理のためのツールとして役立っている。
私は物心ついた頃より、「この子はぼんやりと過ごしているねぇ」と周囲から見なされることが多かった。しかしその一方で、「あなたは随分と真面目だね」などと言われる場面もたびたびあった。その理由について私は、私の脳は必要以上に過剰な思考を行っているためではないかと考えている。
私にはストレスや言いたいことを溜め込む傾向がある。「我慢しちゃだめだよ」とかなりの数の人たちから言われた経験がある。しかし、言える相手に言える範囲で相談をし、さらに増田で大量に噴出しても追いつかないのが残念ながら現状なのだ。
私は、増田を含むインターネットとは「最後の砦」であると考えている。リアル社会で捨てきれない期待をインターネットに託している。もし私がインターネットに見捨てられたなら、どうにかして確実な方法で間違いなく命を絶つと思う。それほどまでに私はインターネットに縋り付いている。
果たしてインターネットは苦しみの最中に置かれた人間にとっての救いとなるのだろうか。
今となっては、様々な利用目的によりインターネットは利用されている。インターネットで事業を興し収入を得る個人も随分と多く見かけるようになった。しかしインターネット上に人が増えたわりに、一向に私はそこで救われることがないように感じる。
私はリアル社会の中で、絶望に絶望を重ねている。冷静に振り返ると自滅して傷ついている場面が多いようにも感じられるが、何らかの救いを求めてインターネットに入り浸っている。もしも私がインターネットに絶望しきってしまったのなら、それは完全に終了の合図だ。「死」以外に何もあり得ない。
インターネットを彷徨っていると、「死ぬ以外の選択肢が無いために死ぬという選択を取った」という人間が多数存在することに気付かされる。
二階堂さんが一体どうして「八本脚の蝶」というウェブサイトを立ち上げたのか私にはわからない。もしかすると彼女の日記のどこかで触れられているのかもしれない。
しかし、私にはそのことについて何時までもこだわっている時間は無い。正直に言うと、小康状態を保ちながら生きていく上では、他人のことを気にかける余裕など皆無なのだ。そして当然なことであるのかもしれないが、健康な人間にとっても同様に、いわゆる「生きづらい人」を気にかける余裕というものは本当に無いらしい。最悪の社会だと思う。
しかしその「最悪な社会」だからこそ、インターネットは救済希望者を受け入れて欲しい。私の意図することをより明確に言い表すなら、「すべての利用者がインターネットを通じて他者を救済する世界であって欲しい」。
相変わらず私はぐちぐちと思考の飛躍や感情の上下運動に振り回される様子を、増田のしかも匿名で披露している。どうかこのことに何らかの意味があって欲しい。
私は自分自身の人生について、「あまりにも辛く、ほとんどの時間を疲れ果てた状態で過ごし、さらに今にも死にたくなる瞬間がたびたび勃発してしまう」ものであるように感じている。それならば、私の不幸によって同じようにどこかで苦しい思いをしている誰かが救われて欲しい。
「自分自身とよく似たパーソナリティの人物の言動や思考を知ること」は、抱えている苦しみを解消することにかなり役立つのではないかと思う。そのような情報を医療機関で提供してもらう機会が少なく、私はインターネットに救いを求めている。そういうわけで私は毎日欠かさずインターネットを利用している。
私はインターネットヘビーユーザーのまま亡くなっていったすべての人たちを観測したわけではないが、目にした限り彼らは社会に対する憎しみを叫ぶことなどせずにこの世を去っていったように思う。彼らに共通することとしては、後世に何らかの表現方法でアドバイスを残し、そして希望を託して亡くなっていったように感じられる。
私は彼らから希望を託された側として生を続けたいと思う。そしてそれがいつまでの期間になるかはわからないが、インターネットに救いを求めつつも、積極的に自分自身の不幸を開示していこうと考えている。
君かへす朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ(北原白秋)
年々にわが悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなりけり(岡本かの子)
早春のレモンに深くナイフ立つるをとめよ素晴らしき人生を得よ(葛原妙子)
馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ(塚本邦雄)
海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり(寺山修司)
男の子なるやさしさは紛れなくかしてごらんぼくが殺してあげる(平井弘)
あの夏の數かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ(小野茂樹)
Twitterに名歌botがたくさんあるので適当にフォローするといい
本だとちょっと古めなら『日本文学全集29 近現代詩歌』(河出書房新社)(上で引いたのはこの本から)
最初からプロのブクマカとしてブクマだけで食べていこうと思わない方がいい。少しずつ自分のブクマの質を上げて、量を積み重ねて、コミュニティへの貢献を大事にする心意気でやっていく。影響力を得ようと思ってはいけない。影響力は後からついてくる。お金も同じ。スターの獲得数が直ちに収入に結びつくとは限らないので、専業になっても当面は食べていくのに困らない蓄えは用意しておくべき。
勢いのあるプロブクマカにはスタイルがあるが、それを真似するだけでは自分も同じ存在にはなれない。まずは量を書いて、それから自分のスタイルが自然にできてくるような流れが理想。言葉への感度を高めるにはネット上の記事を読むだけでは足りない。本を読むこと。簡潔で刺さる表現を身に着けるには現代詩の詩集を読むのもいい。プロとしてやっていきたければそれぐらいの投資は必要。
移り変わりの激しい業界なので、他人が成功をしているのを見て焦っても仕方がない。一日中ブクマコメントばかり書いているのではなく、他の様々な社会経験を積むことが大事。
こちらは全然仕事しない気で行っているのに、初対面で「やる気があるやつきたぁ」な扱いである。
まず「スーパーバイタリティやる気まんまんマン(こんな奴そもそもいない)」だと思われ、仕事場の特殊な手続きすらも一切解説されずに炎上現場に投下されまくるのが苦痛。
本読みまくりでしょ、勉強しまくりでしょ、政治とかわかるしなんならもう政治力すらあるでしょ、と認定されるのも苦痛。
増田はゴミクソの上昇志向ないない系だし、話題作は絶対に読まずに哲学書・専門書・純文学・近現代詩・前衛短歌ばかり乱読するタイプの
実務やる気ゼロ系東京大学卒のインテリ糞野郎なのでめちゃくちゃ腹が立つ。
友達や、会社の上司・同僚すらその辺を察しくれないし、仕事で出会う人物が初対面でとにかくやる気あると誤解するのでどうにかしたい。
純文学というのは全ての文芸の中でも現代詩に次いで程度が低く、ライトノベルと同等。
売れないことを考えたらライトノベルの方がむしろレベルが高いともいえるかもしれない(私は好きではないが)。
冷静に考えたらわかることだが、まず若書きで頭角をあらわせる分野というのは「知識を必要としない」ことの証明であるし、実際、芥川賞作家含めほとんどの純文作家は10代や20代前半で鳴り物入りでデビューしたとしても、20代半ばには凡庸な通俗作家になるのが一つのパターンになっている。
雰囲気と作者個人のキャラクターやアイドル性といった商品価値だけで決まるようなところがあるので実際は作品は高尚さからは程遠い。
バラエティ番組で例えたら東野圭吾や浅田次郎・宮部みゆきなどの娯楽作家が司会やひな壇を務めるプロの芸能人で、純文作家はVTRとかで出演する素人と考えればいい。
その中でたまに人気者が出るという話でしかない。
日本のコミックがそこまで海外に読まれなかった頃はよしもとばななとか辻仁成がコンスタントに賞を取れてたのだが今はもう…。
春樹より近いとされた津島佑子は近年他界したし、石牟礼道子を出す人もいるがこの人は全ての賞を拒否している。(個人的には『苦海浄土』についてそこまでの作品だとは思わない。)
あとは現代詩で吉増剛造と谷川俊太郎が挙げられてるが、ボブ・ディランが獲った今スタイルを逆行するものを出されてもキツい。
演劇?歌舞伎役者と宝塚とジャニーズが未だに尊重される自体終わっておる。
ジャーナリズム?嘘しか書かない立花隆が未だに偉そうだしなあ。
うちの職場は繁忙期にデータ入力の短期アルバイトを雇っている。期間は3ヶ月で、毎年5人位が採用される。短期雇用なので学生が多いのだが、Iさんはその中のひとりだった。
Iさんは母親が日本人で、父親はスロバキア人。両親がすぐに離婚してしまったので、父親に関する記憶はまったく無いらしい。
Iさんは18才までスロバキアで過ごし、日本の大学に通うために都内に移住してきた。東京に住み始めて、今年で4年目を迎えた。
最初にIさんがオフィスに現れた時、僕ら社員の間で軽いどよめきが起こった。Iさんがめちゃくちゃ美人だったからだ。その場から完全に浮きまくっていた。ギャグ漫画の中に、一人だけ画風の違う美少女が混ざっているようだった。しかもIさんはただの美人ではなかった。かなり個性的なキャラだったのだ。
Iさんはかなり独特な日本語を話す。最初に聞いた時は、シュールな現代詩みたいだと思った。でもわりとすぐに慣れた。それどころか、だんだん好ましく思えてきた。気が付くと、僕はIさんの言葉を渇望するようになっていた。彼女の言葉には何とも言えない中毒性があった。
勤務初日、Iさんがデスクに座り、研修資料を凝視しながらじっと固まっていた。僕はなんだか心配になって声をかけた。
「間違えました。そんな日本語は無いです」と言った。
僕は不安になった。彼女の業務はデータ入力である。当然、日本語の文章も入力する。その独特過ぎる言葉遣いに、一抹の不安をおぼえた。
しかし、それは杞憂だった。Iさんは実に優秀で、業務は素早く、しかも正確だった。飲み込みも早かった。喋る言葉は独特だったが、業務に関しては何の問題もなかった。
ある日、Iさんが突然言った。
「私の髪が短くなったとしたら、どう考えますか?」
「髪を、切るんだよ....」
なぜかタメ口だった。
数日後、Iさんは肩まであった髪をバッサリ切って、ベリーショートになっていた。僕は褒めるつもりで、「勝手にしやがれ」のジーン・セバーグに似てますねと言った。Iさんはよくわからないという顔をした。
僕はIさんのおかげで、会社に行くのが楽しくなった。Iさんはなぜか僕を頼りにしてくれて、仕事でわからないことがあると、まず僕に質問してきた。本来、僕はあまりとっつきやすいタイプではないはずなのだ。これに関しては、周りの社員も不思議がっていた。
休憩時間になると、Iさんは雑誌を読みながら、ミックスナッツばかり食べていた。ある日、僕はIさんに訊いた。
「昼ごはんはそれだけですか?」
Iさんは黙って頷いた。それからおもむろに雑誌を丸めて、望遠鏡みたいにして僕の顔を覗きこんだ。僕がきょとんとしていると、今度は指で唇をなぞる仕草をしてみせた。「勝手にしやがれ」の真似だと、僕はやっと気付いた。
「映画を見たんですか?」
「見ました。確認のためです」
スロバキアにいた頃から、Iさんは日本語を勉強していたらしい。日本のアニメをたくさん見て、漫画もよく読んでいた。
「どんな漫画を読んでいたんですか?」
「ハットリ君!」
Iさんはなぜか食いぎみに答えた。律儀に「新」を付けるところが面白いと思った。
日本に来てからは「鶴さん」の番組をよく見ていると言った。「鶴太郎ですか?」と聞いてみたが、どうやら違うようだった。「鶴さん」についてさらにくわしく聞くと「太ってる」「メガネ」「やさしそう」などという特徴を上げた。笑福亭鶴瓶のことかもしれない。
いちばん笑ってしまったのが、父親に関する話だった。Iさんは5歳ぐらいまで、ある男性の写真を「これがお父さんだよ」と言われて育った。それは母親による嘘だったのだが、今でも写真には愛着があるから、スマホに保存してあるのだという。見せてもらったら、カメラ目線で親指を立てているダイアモンドユカイだった。Iさんの母はレッドウォーリアーズのファンなのかもしれない。それにしても、なんという雑な嘘だろう。父親がダイアモンドユカイなら、Iさんは純粋な日本人ということになってしまう。
Iさんは日本語を貪欲に学んでいて、気になる言葉があったりすると、すぐにメモを取った。ある時、僕が何気なく使った「善処します」という言葉をやけに気に入って、ことあるごとに「ゼンショシマス」と言うようになった。
「ゼンショシマス」
「いや、必ずお願いします」
こんなバカな会話を繰り返しているうちに、あっというまに3ヶ月が過ぎた。
僕とIさんはかなりうちとけて、ラインも交換した。しかし、Iさんのバイトが残り一週間という時に、僕は風邪で寝込んでしまった。残念ながら彼女の最後の勤務を見届けることができなかった。繁忙期に風邪をひいてしまったのもショックだった。様々な業務が滞り、迷惑をかけてしまうからだ。
風邪は意外と長引いて、結局僕は5日も会社を休んでしまった。6日目に出勤すると、Iさんのデスクはすでに片付けられていた。なんとも寂しい気持ちになった。Iさんは今頃はオーストラリアにいるのかもしれないと、ぼんやり考えたりした。バイトが終わったら、オーストラリアに行ってパラグライダーをやるのだと、嬉しそうに話していたのだ。
課長に挨拶に行くと、驚くべき報告を受けた。僕が休んでいる間、Iさんが僕の穴を埋めるために、毎日遅くまで残業をしてくれていたらしい。そのおかげでなんとか納期に間に合い、ピンチを切り抜けることができたという。Iさんは業務に関して、隅々までしっかり把握していて、とても頼りになったそうだ。短期間であそこまで教育するなんて、君も大したものだと、僕は課長に褒められた。どういうわけか、僕の評価が上がってしまった。
その日の夜、感謝を伝えようと思ってラインを開いたら、嘘みたいに絶妙なタイミングで、Iさんの方からメッセージが届いた。
それから続々と写真が送られてきた。海辺、街路、駅前、広場、公園。どれも景色ばかりで、Iさん自身の写真が一枚もなかった。なぜ自分の写真を送ってこないのだろう。やはり変わっている....。気持ちよさそうに羽根を伸ばしている、野生(?)のインコの写真があったので、とりあえず僕はそれを待ち受けにした。
旅行写真でも卒業写真でもなんでもいいけど、自分にとっては大事な一瞬をとらえた写真って、知らない人が見たら「なにこれ?」ってなるでしょ。でも撮った本人はその一枚でもあのときのことを思い出せるから、わぁーいいなあってなる。そんなふうに物語そのものではなく物語の痕跡から全体像をを想像して味わうのが詩歌の楽しみ方のひとつだから、詩は本来、書いた本人にしか分からないのが普通なんだよ。
だから詩はあなたにも書けるし、けれどもその詩は他の誰かには全く理解してもらえないかもしれない。あなたにとっては切実な場面でも、「なにこれ?」ってなっちゃう。
だったら他人が他人の詩歌をどう評価できるんだっていうと、みんなまず物語以外の部分をかみしめてるみたい。言葉って意味だけじゃなくて音や文字もあって、たとえば漢字がいっぱい並んでたら理屈抜きで「うわ、めんどくさ!」ってなったりするし、ミラバケッソとかヒノノニトンとか意味関係なく音として気持ちよくて頭に残っちゃうことって結構あると思うの(卑怯なCM多いでしょ)。写真でも、単純にきれいなものが写ってたら誰がいつどこで撮ったか以前に「わーきれい!」ってなるでしょ、文字だってうつくしい言葉がきれいに並んでたらそう思えるかもしれない。写真だとモチーフが左右対称に並んで写ってたらそれだけで気持ちいいように、定型句でも575の音数に合ってたらそれだけで気持ちいいとか。この辺が、作品それ自体の内側へと入り込んでいく楽しみ方の例。
逆に作品の外側に目を向けると楽しいこともある。写真なら、たとえば撮った人や撮った場所に注目してみるとか。普通の写真でも、自分の知ってる人、好きな人が撮った写真だって聞いたらそれだけで「どんな気持ちで撮ったんだろう」って想像したくなってこない? あとさ、ライオンが大口あけてる写真とかだと「この人どうやって撮ったんだよ、撮った直後に殺されたりしてないだろうな」とか想像して怖くなったりもしそうでしょ? 他にも、京都タワーを手で支えてるような構図だったりしたら「ピサの斜塔かよww 京都タワーじゃかっこつかないでしょうがwww」なんて元ネタと比べて楽しむとか、それ自体では補えない情報量が実はそこかしこに見つかったりするものなの。
そうやって自分で必要な情報量を探していく、補っていくっていう探偵じみたプロセスも詩歌の楽しみだと思うし、これって実は小説でも他の芸術分野でもおんなじだよね。さらに言うと、いろんな作品(詩歌や小説に限らず)を見ていくと、自分を泣かせる笑わせるために必要な情報量ってじつはそれほど多くない、このツボさえ抑えてれば自分は大体泣けるっていうポイントが抽出できたりする。物語全体じゃなくって特定の要素があれば人間は勝手に想像できちゃうし、人からもらうより自分で作った方が味付けも変えられておいしいのは料理と一緒。でもそうやってツボを探していくと、面白いことに、その自分だけのツボって実は他の人も泣かせてしまったりする。自分のためだけに作ったものが何故か他の誰かまで撃ち抜いてしまったりする。
究極的に個人的なものは、実は最大限に普遍的でもあるんだ。その普遍性だけを切り取って残そうとする挑戦が、詩歌を作る苦しみであり楽しみなのだと、わたしは思う。
あとは渡邊十絲子の『今を生きるための現代詩』って新書がすげーオススメなので一読されたし。自分も詩歌詳しくないけど、わからないなりに楽しくなるよ!
すてきな紹介記事→ http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20130531/1369926781
自分の文章読み返したら「ツボ」の例を泣ける笑えるに限定しすぎたのが失敗だった。「泣ける」が分かりやすい例だっただけで“面白い”のツボって千差万別だからね。
でも自分なりのツボはすべての書き手が持ってるだろうし、それを分かってくれる人も必ずいるんだよ、なぜか。・・・いや、よき受け手と出会えるかどうか、そもそも作り手がそのツボを自分の表現で押さえることができるかどうかは別として。
青木淳悟でも木下古栗でも岡田利規や小笠原鳥類や橘上でも誰でもいいんだけど、たとえ共感を得やすいツボに反感を持ってたとしても、その人には別のツボがあるし、人間の表現である限り普遍性を完全に排することもできない・・・とわたしは思う。
だってすべての表現はコミュニケーションだから。読者としての自分自身とすらコミュニケーションしない表現なんて、ヘンリー・ダーガーでも無理なんじゃない?
わーいやったー! ありがとうございます、せっかくなのでその先の本もいちおう置いときますね!
入り口としては『今を~』がすばらしいけれど、もしそれで現代詩自体に興味がわいたら新書館から刊行されてる『現代詩の鑑賞101』がとってもいいです。やさしい解説つきで101篇も読めばだれか一人くらいは推し詩人も見つかりそうでしょう? つまんないのはどんどん飛ばそう。
歴史の流れが知りたければ野村喜和夫の『現代詩作マニュアル』がなかなか手っ取り早いけど、ごめんなさい、なんかスノッブくさくて個人的にはちょっと・・・。
もっと深く勉強したい人は現代詩手帖の特集版『戦後60年“詩と批評”総展望』などをどうぞ。谷川俊太郎が「やっぱ売れ専をバカにしないで売れる詩をちゃんと作んなきゃダメだろ、ジャック・プレヴェール見習えよおまえら」とか言っててわろた。
ちなみにわたしの推しは入沢康夫と渋沢孝輔です。入沢翁、ツイッターはじめててびっくりした。俳句や短歌の話は、ごめんなさいぜんぜん分かりません。だれかオススメおしえて。
――
長谷川豊による「自業自得の透析患者は殺せ!」との一連の言説からの炎上が、
イケハヤのエントリが提示した「あるべき倫理観」によって収束解消されてってる気がする。
けど、あんな御為ごかしで溜飲下げてる阿呆は運動と瞑想と睡眠と野菜とPCの電源落とした後にモニタ映る怪物との対峙が足りない。恐ろしい恐ろしい。げに恐ろしきは人の心。ああ今はスマホか知らん。靄靄するので書き出す。
長谷川の繰言もイケハヤの戯言も個人の責任論に終始している。本来いま議論し深めるべきは、来るべき苛烈な負債処理社会に向かう再分配制度の再設計、人命尊重至上主義からのその基盤となる思想、そのパラダイムにシフトする方策なのだろう。一連の話は関連するがまずはさておき。
それにこの文章は腐れトマトの与太の与太っぷり、味わい深さについて口上を述べるなんていう霊媒師の譫言だ。
――
” いやいや、そりゃあ、卑怯者はいるでしょう。当たり前です。この世から犯罪はなくなりません。”
まず、犯罪者と卑怯者は違う。これ混同すんのは真の与太者の思想だ。
元エントリを要約する。
~~
卑怯者はいる。けれど、「その人が弱者であるかどうか、卑怯者であるかどうか」は判断できない(他人からも自分からでも、)
だから、人々の倫理観を高めるべき。それは他者に対する疑念を捨て、他者を信頼すること。
「大半の人は正しく行動している」と信じることで、自分自身も正しい行動を取るようになる。
「みんなズルをしている」と考えている人は、当然ズルをしたくなる。
だから、ぼくらはまず、信じなければならない。
不正をする人がいても、ほとんどの人はそれを正しく、望ましく利用している、のだと。
~~
自分でも他人からでもその人=自分が卑怯者かどうか判断できないっていう考え方ね。
「その人」とは「自分」と交換可能じゃなければまずおかしい。ここでもう自分だけ特別なのか?
・自分からも他人からもその人または自分が×か○か判断できない、
もしくは、
・自分からも他人からも、その人または自分は×あるいは?、/じゃなければ○。
間違っているかどうかはわからないのに、正しいかどうかだけはわかる。現代詩かよ。
で、この「大半の人は正しく行動している」の「正しさらしさ;正しさみ」を判断している主体は誰?
これは、「大半の人は“ボクにとって正しいと思える”行動をしている」という程度の意味だ。
あるいは「みんなは、ボクから見て正しいと思える行動をしているなあ」って、阿が取れたら呆者だ。
ボクにとって正しいと思える行動をみんながしていると信じるならば、ボクにとって正しいと思える行動を取ることは容易い。
ボクにとってズルと思える行動をみんながしていると信じるならば、ボクにとってズルをするのは容易い。
お前はどこからどのようにその価値判断基準を得てきたんだよ。社会から、自分なりに、だろ。
だから大体において自分は正しいわけだ。なのに、差異があり、衝突もある。おかしいな、自分は正しいはずなのに。当たり前だ。みんな自分なりに様々な文化社会から得てるんだから。
みんな違うのです。なので絶対的な正しさはないのです、だから「自分からも他人からも価値判断されるものではないです」などと言うのは誤りだ。それは社会上、相対的に決まる。たとえば法律がある。人がどう思うかによる。
(アプリオリかどうかとかは知らん。;
このひとつの人間の心理、思考回路は、拙筆にも矛盾なく親しく感じられる。私はこの心理を、日常生活においてはあなたや、誰にとっても矛盾なく親しく感じられるものと思っているが、厳密には誰かにとって矛盾なく親しく感じられない可能性があることは理解している。)
――
たとえ、「ボクにとってさえ本当はズルいと思える行動」があっても、他人によってそれがズルかどうか判断される意味はなくなる。
また、ボクに良いこと・自然なことと思えることこそ、他人にとっても良いこと・自然なことだと思えるようにならざるを得ない。
――
ここで正しいとか間違ってるとかいうのは、人間社会での価値の判断だ。それは単純な話、みんなが間違ってるって言ってれば社会通念上の間違いだし、みんなが正しいって言ってれば社会通念上正しいってだけの話だ。
自分にとってどんなに正しいと主張しても、その社会において認められなければ間違いとされるし、自分にとってどんなに間違ったことだと主張しても、その社会において認められなければそれは正しいとされる。Xはなんでも良い。論理の式が真理なだけだ。
自分の価値判断は自由だし誰にも侵されない。考えてるだけなら自由だ。でも、文章をはじめ、行為にしたとたんに何らかの、他者からの評価、価値判断は免れ得ない。
――
懸命な諸氏にあられては既にお気づきのように、紐解けばこれまでの、逃亡トマト師への批判と齟齬ないだろ。で、お前らも揃いも揃ってサイコパスか。って言いたいためだけに書いてる。
――
ほとんどの人が「それ」を、自分にとって正しく、自分にとって望ましく利用しているはずだ。
自分にとって正しくなく、自分にとって望ましくない「それ」の利用が不正と思えるだけだ。
たとえば「それ」がなされなければ死ぬというとき、「それ」が自分にとって正しくないことだ、なんて言えるだろうか。
現に制度が整備され、第三者によって利用が認められ、「それ」なしでは自己保存本能が侵されるときに、「それ」を断てるだろうか。
そこに「卑怯者」はいない。社会通念上の価値判断を外してただ個人の生存から見るならば。
そうなったらみんな同じだよねと。
どんなイメージを持つかは自由だけど、基本的にはただ待ってるだけで自分の存在が脅かされるときに、何もしないで待っていられるのは、そりゃ馬鹿か釈迦か瞑想のし過ぎのどれかor全部だ。
誰もがみな生きることに必死だ。必死で生きてるんだから。必死なのに生きずにはいられないんだから。
死にたくないんだ、より生きたいんだ、卑怯もクソもあるかよ。使えるカードはみんな使うよ。
要するに生存競争なんだからと。それを敷衍してけば、バレなきゃなんでもアリだ。捕まらなきゃいいんだ。バレてもゴリ押せば勝ちだ。大義名分の下に持てる力全て使ってこの先生きのこるんだと。
だから、誰かに対して、あなた方だけはどうぞご遠慮くださいなんて言い出す奴は、お前こそ御免下さいだとよと焚べられるのも当然の流れで。
じゃあどうするのか?爺婆が自分で自分を火に焚べるのをまだかなまだかなって夕ご飯よろしく待つか。あるいはカタワらもまとめて誰かが知らぬまに処理してくれるのを見て見ぬふりするか。とりあえずどう考えても自業自得っぽい麻薬中毒者はガンガン殺してもいいかな。もちろん人殺しはどんどん死刑にしよう。「私達」が安心して生きられるようになるまで、どんどん減らそう。
ね、だいたいそんな感じで人類は衰退するんじゃないかな。トランプが勝って、核もまだいっぱいあるし。おそらくそのほうが最適なのかもね、地球全体にとっても。
自分で自分を制御できないんだから、AIに操作してもらい、バランス取ってもらうのが最後の頼みの綱ではあるよね。環境に適応して増殖し始めちゃって自分達では止められないんだもん。ライフゲームよろしく、絶妙なバランスを、自分たちの手だけで構築できるなら良いけど、どうやら無理っぽいし。ホーキング博士やイーロン・マスクが恐れてるのってそういうことだと思うけど、もうそれ以外に方法がない。自分だけ助かる方法なんてないし、結局みんな死ぬんだから、まあ、それでいいんじゃないかな。
ジョルジュ・サルマナザールはフランス生まれの白人だったが、ウィリアム・イネスという牧師の協力を得て「キリスト教に改宗した台湾人」になりすました。「台湾人の先祖は日本人である」「香草をまぶした生肉を食べている」などデタラメな風習を広め、独自の「台湾語」まで作りだした。当時のヨーロッパでは台湾のことなど全く知られていなかったので、サルマナザールは25年ものあいだ台湾の専門家と見なされ、彼が執筆した『台湾誌』は知識人からも信頼されていた。しかし、ハレー彗星で知られるエドモンド・ハレーが、『台湾誌』に掲載された星図などから矛盾を見つけ出して突きつけたため、彼はついに自らの虚偽を告白した。
数学教授ロデリックと図書館司書エックハルトは、横柄な態度のヨハン・ベリンガーに腹を立て、悪質ないたずらを仕掛けることにした。二人は石灰岩に細工をして、カエルやミミズの化石、彗星や太陽の形をした化石、「ヤハウェ」という文字が刻まれた化石などを作り出し、ベリンガーが化石を採集していた山に埋めておいた。当時は化石が生まれる原因が分かっておらず、神秘的な力によって形成されると考えられていたので、いま見ると明らかにおかしな化石でも、ベリンガーは本物だと信じこみ、図版を収録した書籍まで出版してしまった。話が大きくなって慌てた犯人の二人は偽造であることを明かしたが、ベリンガーはそれを中傷だと考えてまったく取り合わなかったという。
コック・レーンにあるリチャード・パーソンズの家に、ウィリアム・ケントとファニーという夫妻が下宿していた。しばらくしてファニーは天然痘で亡くなったが、それ以来、パーソンズの家では何かを叩くような音や引っかくような音がたびたび聞こえるようになり、パーソンズは「ファニーの幽霊に取り憑かれた」と主張した。ファニーの幽霊は、自分がケントに毒殺されたことを訴えているのだとされた。幽霊のことはロンドン中の話題になり、見物客が連日のように集まってコック・レーンを歩けないほどだった。しかし調査の結果、パーソンズが自分の娘を使って、木の板を叩いたり引っかいたりさせていたのだということが分かり、彼は有罪となった。
ヴォルフガング・フォン・ケンペレンは「トルコ人」という名の人形を完成させた。それは完全な機械仕掛けでチェスを指し、しかもほとんどの人間より強いというものだった。「トルコ人」はヨーロッパ中を旅してチェスを指し、その中にはベンジャミン・フランクリンやナポレオン・ボナパルトなどの名だたる人物がいた。多くの人間がその秘密を暴こうとしたが果たせなかった。ヴォルフガングの死後、「トルコ人」はヨハン・メルツェルのもとに渡り、ふたたびアメリカなどで大金を稼いだが、1854年に火事によって焼失した。その後、最後の持ち主の息子が明らかにしたところでは、やはりチェス盤のあるキャビネットの中に人が入っていたのであった。
宝石商シャルル・ベーマーは、自身が持つ高額な首飾りを王妃マリー・アントワネットに売りたいと思い、王妃の友人だと吹聴していたラ・モット伯爵夫人に仲介を依頼した。伯爵夫人は、王妃に渡すと言って受け取った首飾りを、ばらばらにして売りさばいてしまった。その後、ベーマーが代金を取り立てようとしたことから事件が発覚し、伯爵夫人は逮捕された。しかし「王妃と伯爵夫人は同性愛関係にあった」「本当は王妃の陰謀だった」といった事実無根の噂が流れ、マリー・アントワネットの評判は貶められた。ちなみに、かの有名なカリオストロ伯爵も巻き添えで逮捕され、のちに無罪となっている。
19歳のウィリアム・ヘンリー・アイアランドは、父親を喜ばせるためにシェイクスピアの手紙や文書を偽造するようになった。多くの専門家がそれを本物だと鑑定し、ジェイムズ・ボズウェルなどは「我らが詩人の聖遺物を生きて見られたことに感謝する」と祝杯を上げたほどだった。ついにウィリアムは戯曲の偽作まで行うようになったが、その戯曲「ヴォーティガンとロウィーナ」はあまりにも悲惨な出来栄えだった。また、その頃にはエドモンド・マローンによる批判も広まっていた。ウィリアムは罪を自白したが、世間はそれをウィリアムの父親が息子に言わせているものだと受け取った。当の父親も、無能な息子がそんなものを書けるわけがないと、死ぬまで贋作であることを信じなかった。
イギリスで異国の言葉を話す身元不明の女性が保護された。ある船乗りが「言葉が分かる」というので通訳となった。船乗りによれば、彼女はインド洋の島国の王女カラブーであり、海賊に囚われていたが逃げ出してきたのだということだった。彼女は地元の有力者たちのあいだで人気となり、またその肖像画は新聞に掲載されて広まった。しかし、その新聞を見た人から通報があり、彼女はメアリー・ベイカーという家政婦で、架空の言語を作り出して、カラブー王女のふりをしていただけだということが判明した。
イギリス軍人グレガー・マクレガーは、中南米で実際に功績を上げたのち、イギリスに戻って「ポヤイス国」への移住者を募集した。ポヤイス国は南米の美しい楽園で、土地は肥沃であり、砂金が採れると喧伝された。ポヤイス国の土地や役職、通貨などが高額で売りに出された。それを購入した二百七十人の移住者グループが船で現地へ向かったが、そこにポヤイス国など存在しなかった。荒れ地に放り出された移住者たちは次々に死んでいった。マクレガーはフランスに高飛びし、そこで同じ詐欺を働こうとして失敗した。さらにベネズエラへと逃げて、そこで英雄的な軍人として死んだ。
アメリカの冒険家だったジョシュア・ヒルは、ハワイへ移住しようとして失敗した後、タヒチ島からピトケアン島へと渡った。ピトケアン島は、イギリスからタヒチまで航海したのちに水兵たちが反乱を起こしたという「バウンティ号」の生き残りと、その子孫たちが暮らす絶海の孤島だった。ヒルは、自分はイギリス政府から派遣された要人だと嘘をつき、独裁者として君臨した。逆らう者には容赦なく鞭を振るい、恐怖で島を支配した。それから6年後、通りすがりのイギリス海軍の船に島民たちが助けを求めたことで、ついにヒルは島から追放された。
イギリスの名門ティッチボーン家の長男ロジャーは、1854年に南アメリカ沖で海難事故に遭って亡くなっていたが、その10年後にオーストラリアで肉屋を営む男が「自分がロジャーである」と名乗り出た。翌年、ロジャーの母である未亡人と「ロジャー」はパリで面会した。華奢だったロジャーとは違い、「ロジャー」は体重100kgを超える粗野な男だったが、未亡人は彼こそがロジャーだと認めた。貴族を名乗りつつも労働者であった彼は、イギリスの庶民からも大いに人気を集めた。しかし未亡人が亡くなった後、裁判において彼は偽者であるとの裁決が下され、14年の懲役刑を課されることになった。
ジョージ・ハルは進化論を支持する無神論者だったが、聖書に登場する巨人の実在について口論となり、それがきっかけで巨人の化石を捏造することを思いついた。石膏を巧みに加工し、毛穴まで彫り込んで、いかにも偶然発見したかのように装って大々的に発表した。専門家たちはすぐに偽物であることを見抜いたが、キリスト教原理主義者の一部は進化論への反証としてこれを支持し、また全米から多くの見物客がやってきた。フィニアス・テイラー・バーナムが同様に巨人の化石を見世物にしはじめたことで、ハルはバーナムを訴えるが、その裁判を取材していた新聞記者がハルの雇った石工を突き止めて自白させたため、ハルも観念して偽造を認めてしまった。
ドイツの靴職人ヴィルヘルム・フォークトは、古着屋で軍服や軍刀などを購入し、「プロイセン陸軍の大尉」に変装した。彼は大通りで立哨勤務をしていた近衛兵に声をかけ、十数名の兵士を集めさせると、ケーペニック市庁舎に踏み込んだ。フォークトは、市長や秘書らを逮捕し、また市の予算から4000マルクほどを押収すると、兵士たちにこのまま市庁舎を占拠するよう言いつけ、自分は悠々と駅に向かい、新聞記者からの取材に応じた後、列車に乗り込んで姿を消した。彼はすぐに逮捕されたが、ドイツ全土で人気者となり、時の皇帝によって特赦を受けた。
イギリスのピルトダウンでチャールズ・ドーソンによって発見された化石は、脳は現代人のように大きいが、下顎は類人猿に似ている頭蓋骨だった。ドーソンはこれをアーサー・スミス・ウッドワードと共同で研究し、人類の最古の祖先として「ピルトダウン人」と名付けて発表した。当時は大英帝国の繁栄期であり、人類発祥の地がイギリスであるという説は強く関心を持たれた。しかし1949年、フッ素年代測定により、ピルトダウン人の化石が捏造されたものだと断定された。捏造の犯人は未だに分かっておらず、『シャーロック・ホームズ』の作者であるアーサー・コナン・ドイルが真犯人だという説まである。
後に作家となるヴァージニア・ウルフを含む6人の大学生たちは、外務次官の名義でイギリス艦隊司令長官に「エチオピアの皇帝が艦隊を見学するので国賓として応対せよ」と電報を打ってから、変装をして戦艦ドレッドノートが停泊するウェイマス港に向かった。ぞんざいな変装だったにもかかわらず正体がバレることはなく、イギリス海軍から歓待を受けた。彼らはラテン語やギリシア語を交えたでたらめな言葉を話し、適当なものを指して「ブンガ!ブンガ!」と叫んだりした。ロンドンに帰った彼らは新聞社に手紙を送って種明かしをし、イギリス海軍の面目は丸潰れとなった。
ドイツの曲芸師オットー・ヴィッテは、アルバニア公国の独立の際に「スルタンの甥」のふりをしてアルバニアへ赴き、嘘がバレるまでの五日間だけ国王として即位した、と吹聴した。そのような記録はアルバニアにもなく、当時からオットーの証言は疑わしいものとされていたが、オットーはドイツ国内でよく知られ、新聞などで人気を博していた。オットーが亡くなったとき、その訃報には「元アルバニア王オットー1世」と書かれた。
コティングリー村に住む少女、フランシス・グリフィスとエルシー・ライトは、日頃から「森で妖精たちと遊んでいる」と話していた。ある日、二人が撮影してきた写真に小さな妖精が写っていたことに驚いた父親は、作家のアーサー・コナン・ドイルに鑑定を依頼した。そしてドイルが「本物の妖精」とのお墨付きを与えて雑誌に発表したため、大騒動となった。50年後、老婆となったエルシーは、絵本から切り抜いた妖精を草むらにピンで止めて撮影したと告白した。しかし、フランシスもエルシーも「写真は偽物だが妖精を見たのは本当だ」と最後まで主張していた。
オーストラリアの現代詩誌『アングリー・ペンギンズ』に、25歳で亡くなったという青年アーン・マレーの詩が、彼の姉であるエセルから送られてきた。『アングリー・ペンギンズ』誌はこれを大きく取り上げて天才と称賛した。しかし、これは保守派の詩人であるジェームズ・マコーリーとハロルド・スチュワートが、現代詩を貶めるためにつくったデタラメなものだった。この事件によりオーストラリアの現代詩壇は大きな損害を蒙ったが、1970年代に入るとアーン・マレーの作品はシュルレアリスム詩として称賛されるようになり、以降の芸術家に大きな影響を与えるようになった。
フィリピンのミンダナオ島で、文明から孤立したまま原始的な暮らしを続けてきたという「タサダイ族」が発見された。彼らの言語には「武器」「戦争」「敵」といった言葉がなかったため「愛の部族」として世界的な話題になった。彼らを保護するため、世界中から多額の寄付が集まり、居住区への立ち入りは禁止された。しかし15年後、保護地区に潜入したジャーナリストは、タサダイ族が家に住み、タバコを吸い、オートバイに乗っているのを目撃した。全ては当時のフィリピンの環境大臣マヌエル・エリザルデJr.による募金目当てのでっちあげだったとされた。
評論雑誌『ソーシャル・テキスト』は、「サイエンス・ウォーズ」と題したポストモダニズム批判への反論の特集に、アラン・ソーカルから寄せられた『境界を侵犯すること 量子重力の変換解釈学に向けて』という論文を掲載した。しかしそれは、ソーカルがのちに明かしたとおり、きちんと読めば明らかにおかしいと分かるような意味不明の疑似論文であり、ソーカルはそうしたでたらめをきちんと見抜けるかを試したのだった。それはポストモダンの哲学者たちが科学用語を濫用かつ誤用している状況に対する痛烈な批判だった。
ぁdkじゃfklだjふぁkldjふぁ;kldじゃ;klfdじゃ;dヵ;jldkfじゃlkdfじゃ;ldfかj;ldkふぁj;ldkじゃlkふぁjsdlkふぁjl;dかjd;あlkdjふぁkjd;あkjf;ヵjdf;ヵjd;あlkdjふぁlkjfjかjklf;あjkdぁjd;ヵjfかdjfヵjd;あflkdじゃlkjだ;lkjfだ;lkdjふぁ;lkdじゃ;lfkdjlkjふぁlkdsじゃlf;ksだlkfjsdlfkじゃsldkfじゃlsdkふぁjldさklsd;jふぁlksdじゃflkdjdj;ぁlkfdじゃ;lksdjふぁ;ldkjふぁldkfじゃlkdjふぁlkdjふぁlkdjふぁlksjfかljdf;あlkdjふぁlkdjふぁ;lkdじゃlskdjふぁlskdjfぁksdjfぁk;djfjふぁl;ksdjfかldじゃf;ldkじゃ;ldkjふぁ;lkdじゃ;kldjふぁ;lkjf;あlksdfじゃ;lkdじゃ;ldjふぁlk;djふぁ;lksjdfl;あksdjぁjdflkさjfぁksdぁぁkfjdらksdjf;あlskdじゃ;fkじゃ;ldkfじゃ;ldkfじゃd;lkfじゃ;ldskfじゃ;ldkfじゃ;sdlkjふぁlkjfだlk;jふぁlksjfだl;kjだl;skdjf;ぁkdjふぁ;ldjふぁl;kdじゃfldかjklふぁjd;lkjふぁld;kfじゃ;lkdじゃ;lkじゃdfかsdjヵsjdkfらjsdlkfじゃsldkjfかlsdふぁkldじゃklsjだslkdら;fjdsljf;dsら;lkdjふぁlkdじゃlkdjふぁlksjflkdjsぁkfjヵsjdヵsjdlkfじゃklsdjfkぁsjdklふぁsldkfじゃsldjふぁlkdsjfヵjdfぁdfkぁjsdふぁkdsfjぁdじゃldkflじゃd;lkjふぁldksjふぁlkじゃ;ldkfじゃlkだslsふぁ
目玉焼きにソースやケチャップかけるやつのことは馬鹿にしてきたし、寿司ネタでうにが好きなやつのことはほんとになんでそんなにってくらいに馬鹿にしてきた。カラオケでバラード熱唱しちゃうやつのことも当然馬鹿にしてきた。
電車でうんこもらすような大人のことはもちろん馬鹿にするし、20歳すぎて童貞のやつも当然馬鹿にするし、旧帝一工神未満の低学歴のことも馬鹿にするし、課金ゲーやってるやつのことも馬鹿にするし、任豚のことも馬鹿にするし、ウィンドウズ使ってるやつのことも馬鹿にする。
日本人のことを馬鹿にしてきたし、野球のことを馬鹿にしてきたし、テレビのことも馬鹿にしてきた。政治家で馬鹿にしなかったやつはいないし、コメンテーターを見てはこいつ馬鹿だと馬鹿にし、ネトウヨを見てはジャップと馬鹿にし、三色ボールペンを見てはそこは四色だろと馬鹿にしてきた。
プロパンガスのことも馬鹿にしてきたし、卓球の粒高ラバーのことも馬鹿にしてきたし、靴下の色が白のおっさんのことも馬鹿にしてきたし、白ブリーフも馬鹿にしてきた。
初詣に行かないのは馬鹿にしてるからだし、箱根駅伝だって馬鹿にしてる。
種ありぶどうは欠陥品だと馬鹿にするし、でかくて味の悪いバナナはつねに馬鹿にしてる。
広辞苑は言葉の用法がよくわからないから馬鹿にしてるし、41度という風呂の温度も若干低いから馬鹿にしてる。
CD買ってるやつのことも馬鹿にしてるし、BDでAV見てるやつのことも馬鹿にしてる。
魚の食べ方が汚いやつのことも馬鹿にしてるし、箸の持ち方が悪いやつのことも馬鹿にしてる。
それがなにか?
え、なにがそんなに問題なの?
馬鹿じゃないの?
ああ、おまえ、いま俺のこと馬鹿だと思っただろ。
そういうことだよ。
お前も何かを馬鹿にして生きてるんだ。