はてなキーワード: ダイアモンドユカイとは
うちの職場は繁忙期にデータ入力の短期アルバイトを雇っている。期間は3ヶ月で、毎年5人位が採用される。短期雇用なので学生が多いのだが、Iさんはその中のひとりだった。
Iさんは母親が日本人で、父親はスロバキア人。両親がすぐに離婚してしまったので、父親に関する記憶はまったく無いらしい。
Iさんは18才までスロバキアで過ごし、日本の大学に通うために都内に移住してきた。東京に住み始めて、今年で4年目を迎えた。
最初にIさんがオフィスに現れた時、僕ら社員の間で軽いどよめきが起こった。Iさんがめちゃくちゃ美人だったからだ。その場から完全に浮きまくっていた。ギャグ漫画の中に、一人だけ画風の違う美少女が混ざっているようだった。しかもIさんはただの美人ではなかった。かなり個性的なキャラだったのだ。
Iさんはかなり独特な日本語を話す。最初に聞いた時は、シュールな現代詩みたいだと思った。でもわりとすぐに慣れた。それどころか、だんだん好ましく思えてきた。気が付くと、僕はIさんの言葉を渇望するようになっていた。彼女の言葉には何とも言えない中毒性があった。
勤務初日、Iさんがデスクに座り、研修資料を凝視しながらじっと固まっていた。僕はなんだか心配になって声をかけた。
「間違えました。そんな日本語は無いです」と言った。
僕は不安になった。彼女の業務はデータ入力である。当然、日本語の文章も入力する。その独特過ぎる言葉遣いに、一抹の不安をおぼえた。
しかし、それは杞憂だった。Iさんは実に優秀で、業務は素早く、しかも正確だった。飲み込みも早かった。喋る言葉は独特だったが、業務に関しては何の問題もなかった。
ある日、Iさんが突然言った。
「私の髪が短くなったとしたら、どう考えますか?」
「髪を、切るんだよ....」
なぜかタメ口だった。
数日後、Iさんは肩まであった髪をバッサリ切って、ベリーショートになっていた。僕は褒めるつもりで、「勝手にしやがれ」のジーン・セバーグに似てますねと言った。Iさんはよくわからないという顔をした。
僕はIさんのおかげで、会社に行くのが楽しくなった。Iさんはなぜか僕を頼りにしてくれて、仕事でわからないことがあると、まず僕に質問してきた。本来、僕はあまりとっつきやすいタイプではないはずなのだ。これに関しては、周りの社員も不思議がっていた。
休憩時間になると、Iさんは雑誌を読みながら、ミックスナッツばかり食べていた。ある日、僕はIさんに訊いた。
「昼ごはんはそれだけですか?」
Iさんは黙って頷いた。それからおもむろに雑誌を丸めて、望遠鏡みたいにして僕の顔を覗きこんだ。僕がきょとんとしていると、今度は指で唇をなぞる仕草をしてみせた。「勝手にしやがれ」の真似だと、僕はやっと気付いた。
「映画を見たんですか?」
「見ました。確認のためです」
スロバキアにいた頃から、Iさんは日本語を勉強していたらしい。日本のアニメをたくさん見て、漫画もよく読んでいた。
「どんな漫画を読んでいたんですか?」
「ハットリ君!」
Iさんはなぜか食いぎみに答えた。律儀に「新」を付けるところが面白いと思った。
日本に来てからは「鶴さん」の番組をよく見ていると言った。「鶴太郎ですか?」と聞いてみたが、どうやら違うようだった。「鶴さん」についてさらにくわしく聞くと「太ってる」「メガネ」「やさしそう」などという特徴を上げた。笑福亭鶴瓶のことかもしれない。
いちばん笑ってしまったのが、父親に関する話だった。Iさんは5歳ぐらいまで、ある男性の写真を「これがお父さんだよ」と言われて育った。それは母親による嘘だったのだが、今でも写真には愛着があるから、スマホに保存してあるのだという。見せてもらったら、カメラ目線で親指を立てているダイアモンドユカイだった。Iさんの母はレッドウォーリアーズのファンなのかもしれない。それにしても、なんという雑な嘘だろう。父親がダイアモンドユカイなら、Iさんは純粋な日本人ということになってしまう。
Iさんは日本語を貪欲に学んでいて、気になる言葉があったりすると、すぐにメモを取った。ある時、僕が何気なく使った「善処します」という言葉をやけに気に入って、ことあるごとに「ゼンショシマス」と言うようになった。
「ゼンショシマス」
「いや、必ずお願いします」
こんなバカな会話を繰り返しているうちに、あっというまに3ヶ月が過ぎた。
僕とIさんはかなりうちとけて、ラインも交換した。しかし、Iさんのバイトが残り一週間という時に、僕は風邪で寝込んでしまった。残念ながら彼女の最後の勤務を見届けることができなかった。繁忙期に風邪をひいてしまったのもショックだった。様々な業務が滞り、迷惑をかけてしまうからだ。
風邪は意外と長引いて、結局僕は5日も会社を休んでしまった。6日目に出勤すると、Iさんのデスクはすでに片付けられていた。なんとも寂しい気持ちになった。Iさんは今頃はオーストラリアにいるのかもしれないと、ぼんやり考えたりした。バイトが終わったら、オーストラリアに行ってパラグライダーをやるのだと、嬉しそうに話していたのだ。
課長に挨拶に行くと、驚くべき報告を受けた。僕が休んでいる間、Iさんが僕の穴を埋めるために、毎日遅くまで残業をしてくれていたらしい。そのおかげでなんとか納期に間に合い、ピンチを切り抜けることができたという。Iさんは業務に関して、隅々までしっかり把握していて、とても頼りになったそうだ。短期間であそこまで教育するなんて、君も大したものだと、僕は課長に褒められた。どういうわけか、僕の評価が上がってしまった。
その日の夜、感謝を伝えようと思ってラインを開いたら、嘘みたいに絶妙なタイミングで、Iさんの方からメッセージが届いた。
それから続々と写真が送られてきた。海辺、街路、駅前、広場、公園。どれも景色ばかりで、Iさん自身の写真が一枚もなかった。なぜ自分の写真を送ってこないのだろう。やはり変わっている....。気持ちよさそうに羽根を伸ばしている、野生(?)のインコの写真があったので、とりあえず僕はそれを待ち受けにした。