はてなキーワード: 津島佑子とは
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村上春樹・星野智幸・栗本薫・小池真理子・村山由佳・角田光代・江國香織・川上弘美・鷺沢萠・平野啓一郎・絲山秋子・冲方丁・虚淵玄・上橋菜穂子・朝吹真理子・澁澤龍彦・生田耕作etc
なのに文筆は持たざる者でも一発逆転できる分野かのように言われてきた
梅崎春生『幻化』
佐多稲子『樹影』
大江健三郎『性的人間』『万延元年のフットボール』『同時代ゲーム』『懐かしい年への手紙』『さようなら、私の本よ!』『美しいアナベル・リィ』『水死』
開高健『輝ける闇』
小島信夫『うるわしき日々』『残光』
黒井千次『群棲』
村上春樹『回転木馬のデッド・ヒート』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』
笙野頼子『母の発達』『金比羅』『だいにっほん、おんたこめいわく史』
車谷長吉『鹽壺の匙』『赤目四十八瀧心中未遂』
多和田葉子『雪の練習生』『尼僧とキューピットの弓』『雲をつかむ話』
阿部和重『アメリカの夜』『ABC戦争』『無情の世界』『ニッポニア・ニッポン』『シンセミア』『ピストルズ』
舞城王太郎『好き好き大好き超愛してる。』『九十九十九』『ディスコ探偵水曜日』『淵の王』
綿矢りさ『かわいそうだね?』
柴崎友香『その街の今は』
磯崎憲一郎『往古来今』
朝吹真理子『きことわ』
滝口悠生『高架線』
高橋弘希『指の骨』
崔実『ジニのパズル』
日本のコミックがそこまで海外に読まれなかった頃はよしもとばななとか辻仁成がコンスタントに賞を取れてたのだが今はもう…。
春樹より近いとされた津島佑子は近年他界したし、石牟礼道子を出す人もいるがこの人は全ての賞を拒否している。(個人的には『苦海浄土』についてそこまでの作品だとは思わない。)
あとは現代詩で吉増剛造と谷川俊太郎が挙げられてるが、ボブ・ディランが獲った今スタイルを逆行するものを出されてもキツい。
演劇?歌舞伎役者と宝塚とジャニーズが未だに尊重される自体終わっておる。
ジャーナリズム?嘘しか書かない立花隆が未だに偉そうだしなあ。
異常なし。医師から口頭でそう伝えられても、しばらくぼうっとしていた。もっと感動するかと思ったのに、我ながら意外だった。良かった〜とほっとするでもなく、ワーイワーイとニコニコするでもなく、結果表を受け取ってバッグにしまった。
帰途、夫に電話をした。異常なかったよ、と伝えたら、良かったね、そうだと思ってたよ、と普通の調子で答えた。たぶん、彼の内心ではあれこれ葛藤があったりしたのだろうけど、それは私には分からなかったので、そうだと思ってたって、何それ!と腹が立ったが、この怒りは理不尽だな、と反省して穏やかに会話を終えた。
本当は当たり散らしたい気分だった。
ちょっと、異常なくて良かった、だなんて喜べるはずがないじゃないか!あなた分かってる?私達は、この子を殺そうとしてたんだよ!人工妊娠中絶がどんなものだか、あなた知ってるの?知らないなら、今すぐ調べなよ。それがどれだけ大変なことか、まさか知らずに私にやらせようとしてたの?私にダメージを与え、胎児の命を奪うことについて真剣に考えていた?何か魔法の薬を飲んだら、お腹の中がサーッとカラになるとでも思ってた?違う!引き摺り出して殺すの!そんなことをしようとしてたのに、殺す理由がなくなった、良かったネー、でおしまいにして良い訳がないでしょ!忘れないで、私達はこの子を殺そうとしてたんだよ!
心の中で夫を罵倒しながら、同時に、こんなことを決して口に出してはいけない、と考えていた。私は自分の罪悪感を、夫に押し付けようとしているだけだ。彼に押し付けても半分になる訳じゃない。むしろ、倍以上憂鬱になって返ってくるだけだろう。
(そういう意味では、ここで私が吐き出す文章を目にされる方には申し訳なく思います。ご容赦ください。)
帰宅したら、子供が宿題をしながら待っていた。赤ちゃんどうだった?と聞かれたので、元気だよ、今日はアクビしてたよ、と答えたら、私の腹に耳を当てて嬉しそうにしていた。そこは胃だよ!とか笑いながら話している内に、何故か泣けてきて、止まらなくて困った。
http://anond.hatelabo.jp/touch/20130628194054
前回の愚痴を読んでくださった、またコメントをくださった多くの方に深く感謝します。ありがとうございました。
(でも、江國香織も津島佑子も読んだことがありません。良い機会なので、何か読みたいと思います。あの日病院で読んでいたのは、佐野洋子でした。)
finalventさんの文章を興味深く読ませていただくことがたまにあるな、と考えていて、しかし、ほとんど書いてある事が日本語としてよく分からない、残念ながら(半分以上か)。
大変、失礼のような気もする、しかし、シンプルなエントリーということもあり、読ませていただいてるのにどうかとも思うのだが、いつもは雰囲気で読んだような気になって流していた文章ではあるのだが、今日はちゃんと自分なりに翻訳を試みてみたいと思う。
そういえばと考えてみると人生観を決定づけた一冊の本としての「ソロモンの指環」
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090628/1246181415
(翻訳始め)
つらつらと下らない事(※直前の数エントリーの事)を書いていて、なぜ私はそう考えて(※直前の数エントリーの事)生きてきたのだろうと考えてみると、「ソロモンの指環」という一冊の本に思い至った。
私は人間の性行動(恋愛なども含めて)というものを、動物のそれとして見ている。このヒトという種の特性はなんだろう?というふうに。
もしかするとそんな特性なんて無いのかもしれない。
ただ、種としての行動、特に性行動にはやはり基底となる特性があって、人間存在というのはそういうもの(性行動においてしばしば種として共通の特性を持つもの)なのだと思っている。
私は他者の性行動をおおまかに見る時は、動物の一種として見ている。もちろん、私も含めて人それぞれに違いはあるが、その違いは大したものではない。
私は自然科学少年だったので、津島佑子みたいに、芋虫を飼ったり、植物を育てたり、交配させたりという事を小学校低学年の頃からやっていた。
そして10歳までにはほとんどの生物について生殖に関する知識を得ていた。ただ人間も似たようなものだということは知らなかったので、知った時は驚いた。「うわ、人間やってらんないな、ぐへ」などと思った。
しかし、事実は事実なので、それはそういうものなのだという事にしておき、ローレンツ博士の「ソロモンの指環」などを愛読していた。
(今思うと、ノーベル賞受賞前から読んでいたと思う。)
その後、デズモンド・モリスの「裸のサル—動物学的人間像」なども読んだ。
この手のものは当時流行していた知識で、その流れの上に現れた栗本慎一郎の著作などもよく理解できた。
今にして思うと、ローレンツもモリスも栗本も、偽科学なんだけど。
もしも僕がこの本を中学生くらいで読んでいたら、もっと動物寄りの
人生を選択したのではないだろうか。
(翻訳終わり)
種というか類的な行動は特に性行動の基底にはあるわけで
人それぞれに違うし、ただ、私の違いもその程度の違いというか。
そこはかとなく偽科学
「はっきりしないがなんとなく偽科学」?だろうか。例えばローレンツが書いていた事が一部、後になって間違いだと判明した件などを指しているのだと思われる。