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(2ページ目)伝説のマフィア末裔、マリオ・ルチアーノが激白「サイゼリヤは場合によっては高級イタリア料理屋よりいい」
――マリオさんは都内でイタリア料理店を経営されていますが、日本のイタリアンを食べに行くことはありますか?
マリオ 最近は正直、食べ物全般に興味がなくなってきていて、おにぎりと味噌汁だけあれば十分といった感じ。外食も和食が中心で、よそのイタリアンを食べに行くことはほとんどないですね。でも一つだけ例外があって、数ヶ月に一度ぐらいのペースで、サイゼリヤに行きます。あそこのベーコンとトマトのパスタ(パルマ風スパゲッティ)が好きで。麺は柔らかめだけど、それが昔の家庭の味を思い出させてくれて、ホッとするんですよ。高いお金を払って高級な専門店に行くよりも、美味しくてホッとするし、満足できる。あの味が恋しくなると、車に乗って豊洲のサイゼリヤに行きます。
今日、ギリシア神話として知られる神々と英雄たちの物語の始まりは、およそ紀元前15世紀頃に遡ると考えられている。物語は、その草創期においては、口承形式でうたわれ伝えられてきた。紀元前9世紀または8世紀頃に属すると考えられるホメーロスの二大叙事詩『イーリアス』と『オデュッセイア』は、この口承形式の神話の頂点に位置する傑作とされる。
巨体は星々と頭が摩するほどで、その腕は伸ばせば世界の東西の涯にも達した。腿から上は人間と同じだが、腿から下は巨大な毒蛇がとぐろを巻いた形をしているという。底知れぬ力を持ち、その脚は決して疲れることがない。肩からは百の蛇の頭が生え、火のように輝く目を持ち、炎を吐いた。
半人半蛇だけど「炎を吐く邪悪な蛇」のイメージにはなっているかも。
ラードーン(古希: Λάδων, Lādōn)は、ギリシア神話に登場する、林檎園の黄金の林檎を守っていた、100の頭を持つ茶色いドラゴン。
(中略)
口から炎を吐き、一説では顎の関節が尾にある為、体全体が口のようになっており、百の首を持つといわれている。
と、Wikipediaには書かれているが、ラードーンが火を吐くかどうかは定かでない。
何が出典なんだろ?
『ヨブ記』(ヨブき、ヘブライ語:סֵפֶר אִיּוֹב)は、『旧約聖書』に収められている書物で、ユダヤ教では「諸書」の範疇の三番目に数えられている。ユダヤ教の伝統では同書を執筆したのはモーセであったとされているが、実際の作者は不詳。高等批評に立つ者は、紀元前5世紀から紀元前3世紀ごろにパレスチナで成立した文献と見る。
『ヨブ記』によれば、レヴィアタンはその巨大さゆえ海を泳ぐときには波が逆巻くほどで、口から炎を、鼻から煙を吹く。
(中略)
その姿は、伝統的には巨大な魚やクジラやワニなどの水陸両生の爬虫類で描かれるが、後世には海蛇や(それに近い形での)竜などといった形でも描かれている。
ドラゴンになったのは後世。
プリニウスの著作で唯一現存しているのが、自然と芸術についての百科全書的な37巻の大著『博物誌』である。自然界の歴史を網羅する史上初の刊行物であった。
(中略)
プリニウスの『博物誌』10巻には、サラマンドラは斑点を持つ小さなトカゲで、雨が降ると現れるが晴れると姿を消し、体が冷たく火に遭うと溶けると記録されているが、これはサンショウウオに関する記述と考えられている。
また、『博物誌』11巻にはピュラリスというキプロスの炉の炎の中でしか生きられない動物が登場しており、精霊のサラマンダーはこちらに近い。上記の通り、炎を操る特徴からファイアー・ドレイクと同一視され、ドラゴンとして扱われることもある。
『ベーオウルフ』が成立した時期は、作品内部にも外部の言及としても成立の時期を特定する記述が存在しないため、必ずしも明らかではないが、8世紀から9世紀にかけての間に成ったと考えられている[3]。
第一部でベーオウルフは巨人(ドラゴンとも言われている)グレンデルとその母親と戦い、第二部では炎を吐く竜と死闘をかわす。 なお、インパクトが強くかつ謎の多いグレンデルとその親に関しては言及されることが多いが、炎を吐く竜に関してのものは少ない傾向にある。だが、同時にいわゆる「ドラゴンの約束事」(財宝を蓄え守っている、翼を持って空を飛ぶ、火を吐くなど)をほぼそろえている珍しいドラゴンでもある。
スラヴ民族は文字を持たなかったため、伝えられた神話を民族独自に記録した資料は存在しない。スラヴ神話が存在した事を記す資料として、9世紀から12世紀の間に行われたキリスト教改宗弾圧の際の「キリスト教」の立場から記された断片的な異教信仰を示す内容の記述が残るのみである。スラヴ神話は地方により様々なバリエーションがあったことが近年の研究により明らかになっている。
ズメイ・ゴルイニチ(「山の息子の竜」の意)の場合、3つ首以上、多ければ12の体幹を持つと表現され、火や毒を噴くなど、歴然とした一般の「竜」のイメージで描かれる。
『アングロサクソン年代記』はアングロサクソン史を古英語で綴った年代記の集大成である。編纂は9世紀後半のアルフレッド大王の治世に、恐らくはウェセックスにおいて行われた。
「火の竜」を意味する名前の通り、炎をまとい、口からも炎を吐く。空を飛び、それが現れる時は辺り一面、昼のように照らされる。曇天の空に不思議な光が走る時はファイアー・ドレイクが飛んでいるのだとされた。
隕石という説があるらしい。
『イヴァンまたは獅子の騎士』(イヴァンまたはししのきし、Yvain, le Chevalier au Lion)は、1170年から1181年頃にかけてクレティアン・ド・トロワにより著作された散文騎士道物語であり、アーサー王伝説を主題にした5作品のひとつである。
イヴァンは旅の途中で火を吐く大蛇と獅子が戦っているところに出くわす。イヴァンは問答のすえ獅子に加勢し、大蛇を倒した。これに恩義を感じた獅子は、イヴァンと行動を共にするようになり、イヴァンは獅子を連れた騎士とだけしか名乗らなくなる。
『黄金伝説』(おうごんでんせつ、羅: Legenda aurea または Legenda sanctorum、レゲンダ・アウレア)は、ヤコブス・デ・ウォラギネ(1230頃 – 98)によるキリスト教の聖人伝集。1267年頃に完成した。
その時代、エチオピアの町では一人の魔術師が権力を持っていた。彼は常に恐ろしい二匹のドラゴンを連れていて、自分にはむかう者にけしかけていた。あまり大きなドラゴンではなかったが、口や鼻から火や燃える硫黄を噴出し、人や家を焼きつくしたので誰も魔術師に反抗できなかった。その噂を聞いたマタイは魔術師の元を訪れた。魔術師はマタイにドラゴンをけしかけたが、マタイが十字を切るとドラゴンは地面に倒れて眠り込んでしまう。
同じく「黄金伝説」に書かれている、有名な聖ゲオルギウスが退治したドラゴンは、毒を吐くが火は吐かない。
聖マルタが退治したタラスクは、「燃える糞を撒き散らす」と言われているけど、これ英語版では確認できなくない?
タラスクは、レヴィアタンとボナコンの子供なのだが、ボナコンの特徴である「燃える糞」が、日本語訳されるときに混同されたのでは。
といったところから考えると、5世紀くらいまでは「火を吐くドラゴン」概念は薄かったが、
8〜9世紀頃から伝承として語られはじめて、10〜12世紀頃にはすっかり定着していたという感じだろうか。
なぜ火を吐くようになったのか?
サラマンダーは、火をより大きく燃え上がらせる能力があり、火山の溶岩の中に住んでいるという伝承もある。
ズメイや、ヤコブのドラゴンは、吐く息から硫黄の臭いがするといい、火山を連想させる。
ドラゴンには「地を這うドラゴン」と「空を飛ぶドラゴン」の二種類のイメージがあるが、
蛇や蜥蜴からは空を飛ぶイメージがしづらいことを考えると、隕石からの連想には説得力がある。
そこから火を吐くように変わっていったことを考えると、これも自然な解釈に思われる。
うーん、わかんね。
追記。
「フンババの咆哮は洪水であり、彼の口は火を意味し、吐息はまさに死である」というのは単なる比喩なのでは。
5年間勤めた前職を退職したのは自分にとってはどうしようもなかったからだ。
元々アフィリエイトの軍資金を稼ぐためだけに「半年くらい入れればいいや」と思って入った会社だったが
そこの創業者社長が面白い人だったのでついつい長くいてしまった。
こんな伝説がある。
まだ創業して間もない頃、ある営業がお客様を怒らせてしまったことがある。
お客様は電話越しに「お前じゃ話にならん!社長をだせ!」と息を巻いたそうだ。
そこで素直に社長に電話を取り次いだのだが、しばらくしたら「最初のやつに戻してくれ」と言われて結局最初の営業が対応したという。
年齢は若く、右翼的な思想の持ち主で、他の従業員には恐れらていた社長だったが、どこか愛嬌というかいい加減なところがあり
失敗しない人間より失敗する人間を評価する気質があったせいか居心地がよく、また会社も順調に成長していった。
退任の理由はいろいろと聞かされたが簡単にいうと「飽きた」というのが本音なのだと思う。
どこのベンチャー企業もそうだが、会社が成長するというのは一方的にいいことばかりではない。
顧客や従業員が増えれば厳密な資産運用も事業計画も必要になるし、そのためにはより優秀な従業員をいれなくてはいけない。
しかし創業メンバーの全てが組織の巨大化に耐えられるわけは決してない。
20人規模の会社のエースが必ずしも100人の従業員を抱える会社の取締役として勤まるとは限らない。
またオーナー社長独特の孤独さがそれに拍車をかけたのかも知れない。
結局会社は類似事業を展開する大手企業に全株売却による子会社化という形になった。社長は即退任したかったようだが
1年はいてくれと言われ、結果形だけ在籍してるが実際はほとんど会社にこなくなった。
その後社長職はNo2の役員が昇格する形で引き継がれたが、オーナーだった前社長とは違い100%子会社のサラリーマン社長である。
その後2年ほど在籍したが、やはり前社長に対する面白さで続けていた身としては「大手子会社の従業員」に変わることができなかった。
手続きが多くなり、前社長のようなリーダーシップが発揮される場面も少なくなり、安定の代わりに面白みがなくなってしまった。
また全株式売却以前からいた従業員に比べ、それ以降に入った従業員は良かれ悪しかれ「良い子」であり、そういう意味でも
世代交代の空気を感じてしまい、それが退職のきっかけとなった。
前社長は育てた会社を売却してお金と自由を手に入れ。その怖い前社長に必死についていった幹部たちは大手グループの幹部社員という肩書を手に入れ、
食い詰め浪人のような古参社員たちも収益と経営基盤の安定を手に入れ、新世代の従業員たちは大手グループ企業の従業員として相応しいキャリアや学歴をもつ若手社員たちだ。
そういうのに耐えられなかった。何の目的があるでもないが「良い子」として振る舞うことができなかった。
水清ければ魚住まずではないが、会社の創業期や発展期の勢いを楽しんでしまうと安定期というのはどこか白々しく「劇の終わり」を感じざるを得なかった。
まともな会社なら揉めてる建物をショベルカーでいきなりぶっ壊したりしません。それは置いておきます。
さて,山崎氏の所有権取得原因が遺贈であるから,借地権の譲渡について,地主の承諾またはこれに代わる裁判所の許可があったかどうかは問題となりうる。
もっとも,本件では遺贈の登記からも10年以上が経過しており,(仮に地上権の取得時効が成立しないとしても)地代の支払い等の事実から黙示の承諾があったといえるであろう。
しかし、地代は払っておらず、遺贈について地主の承諾もこれに代わる裁判所の許可ももらってない様子であるのが下記ブログから分かる。
借地権には賃借権と地上権の2つがあるが、地上権ならば地主の承諾なく遺贈で権利を承継できる。
(賃借権と地上権については母ブログでも説明している。http://keisui.com/20190227-architect-28915-keisui/)
売り主のおじいさんに再度確認に行ったら、記憶がどうもあやふやで心もとない。ただ地上権は成立していたことだけは断言してくれたが、証拠はない。
昭和50年代だと、今とはかなり事情が違っていたらしい。それでも、地主と建物の所有者が違う場合、いくら28年間も売り主が住んでいたとはいえ建物だけを黙って売ることは出来ないので地主の許諾を取りに行ったそうである。建物だけの売買のこの場合、建物には地上権が付いていたという事であると契約書を作って売買に立ち会った司法書士は保証してくれた。
売主も司法書士も地上権があると証言しているが、借地権の間違いではないのだろうか。(証言者の勘違いなのかブログ主の勘違いなのかは不明)
論点整理増田にある通り、建物の登記があれば当然に借地権は認められる。
そして賃借権の借地権だからこそ建物売買について地主の承諾をもらいに行ったように思えるのだが。
私は未だに地上権の概念がよくわかっていない。やっと息子から借地権と地上権のよく分かるサイトを見せられて納得したのである。
Gigazine編集長は賃借権ではなく地上権を承継したと認識している様子である。
それでやっと父があんな小さな建物にかなりの金額を払ったことがよくわかったのである。地上権の登記は地主側にその義務があるが、買い主側は自分では出来ない。それで父は怒っていたのだということがわかった。
そこで父は、20年計画を立てて、20年後に登記してもらうことを地主と約束したようである。確信はないが、父の愚痴を聞かされていた限りではそうなるのかなあと思う。その後20年間、父は税金を払い火災保険をかけ続けたのである。地代も払えと地主から言われ、地上権を確保するためにそれも実行していたのである。そして、がんに侵されていたた父は、やっと20年目に言われるまま再びお金を払ったらしい。
これでやっとこの土地の地上権を確実に手に入れたと思ったが父ではあったが、やはり地主は地上権の登録を無視したようである。ガンの末期にまで進んでいた父は、裁判をする気力もなく、その後まもなく他界してしまったのである。
父は最後に、その問題の不動産を寿命の長い私の息子に託したのである。あちらこちらに「この家は壊すな。この家は地主に返すな。」と書いたものが出てきて、実際にも私や息子に「この土地は永遠に俺のものだ。」と言いながらこの世を去っていったのである。
借地権が地上権なのか賃借権なのかで編集長祖父と先代地主は揉めていた?(地上権云々の記載は推測であり確信は無いと書いてあるが)
20年目に言われるまま支払ったお金というのは借地契約が20年だったので更新料を支払ったのではないかとも思えるが。
地主の女性は、地元でも評判の悪い方で、1例をあげると、何十年も自分で建てた家に住んでいて土地も買いたいと言ってきた借地人に対し、地主は自分の言い値で1円も負けずに現金で買わせた挙げ句、領収書を書いてほしいと頼まれても「なんでそんなもん書かなあかんねん。」と言って絶対書かなかったという伝説の持ち主である。
(母ブログ2019.4.3 より。あくまで伝聞であり本当のことか分からないけどね。http://keisui.com/20190403-architect-29358-keisui/)
そもそも編集長祖父は建物購入時に“借地権付”建物を購入したと認識していなかったのではないか。
父のこの建物に関しての取引は、私が結婚して家を出てからのことであるので立ち会ったことがない。しかし、実家に帰るたびに父は晩酌をしながら地主に関しての愚痴をくどくど話していたのをよく覚えている。
その内容は、「あの家は全部俺が金を払ったのに、地主は違うといって地代を払えと仕事場へやってきては客や従業員の前で言い続けた。それで根負けして地主にお金を払い会社の商品の倉庫として使っていた。弁護士に相談して話し合いをつけるつもりだ。」というものから、少し経つと「あの土地はやっと俺のものになる。正義は勝つ。」などと言って泣いていたのをよく覚えている。ガンで亡くなる直前には、「あの建物を使うときだけ地主の婆さんがうるさいから金を払ってやれ。使わないなら払う必要はない。」と言っていたのである。その時は何かよくわからないままに、いやいや愚痴に付き合っていたというのが事実であった。今にして思えば。もっと詳しく聴くべきだったと悔やまれる。後悔先に立たず。
借地人が地主に地代を払うのは普通のことであるが、編集長祖父は当初土地ごと買ったと勘違いしていたのではなかろうか。
地代とかいう筋の通らんものを長年支払わされた!という祖父の愚痴を聞かされていた娘・孫と、借地人が地代を払おうとしない!という地主の愚痴を聞かされていた娘が今になってこんなに揉めているものと思われる。
地代も払わなかったという地主の言い分に対する反論としては、あの土地を父が地主の彼女から買っていたということである。その証拠も出てきた。
次の展開がとても楽しみでゲスね。
よく続編や派生作品やゲーム化(逆にアニメ化)がダメだった時、ヲタクは「そんなものは無かった」と自分の認識を改竄して精神衛生を保とうとする
〜〜のアニメ化まだー?とか、〜〜の続編はよと「無かったもの」から目を逸らして無邪気に振る舞うのだ
聖剣の伝説4作目、ドラゴン狩りは古いと述べた戦車RPGのGBA移植、艦隊をこれくしょんするアレのアニメ、ロボットに乗るアイドル、時空を越えるエンタメ決闘者
最近ならのけものが結局居たフレンズとかわかりやすいか? というか、どうせこれら全てはヲタクの中には「存在しない架空の作品」になってるんだっけ
でも本当にそれは良い事なのだろうか ファンであるなら失敗作や黒歴史作品も愛するべきと言う気持ちが一応俺にはある
もちろん、目を背けたいという気持ちもあるし解るんだけどね
少なくとも、俺は無いものとして扱う姿勢が少々ワガママに見えたのでここに書いた
上の「存在しない架空の作品」の話題ってさ、「架空の作品の名前出すな!!!そんなものはない!!!!!」と一部ヲタクが怒り狂って、噛み付いてくるからね
オレってばその道にめっちゃ詳しいんで
正直最近のキモオタクたちがバイブルとか叙事詩とかネタにした作品に「史実と違う💢 捏造するな!💢」とか怒ってんのマジでウケるっていうか冷笑我慢できないっていうか…
そういうのネットの外で言うの辞めた方がいいよ() まじで馬鹿にされるから() 低脳乙()
とここまで半分嘘で半分本気くらい。まず本気で言ってるところは全部自分が経験した事で、神話や伝説の出来事を歴史上の事実であるかのように人前で話すのは、特に何の裏付けもないと馬鹿にされる場合がある。僕がそうで、正確な言い方をするなら「空想上の話をなんの下調べもせず鵜呑みにして人前で得意げに語るような、特別にアホな人間が」「裏付けがまったくない空想の話をまるで真実かのように語るのが決して許されない環境で」やらかしたから、二重に特別だったので馬鹿にされたという話。
つまり、低脳は僕の事なので本当に気にしないで欲しい。でもひどい言い方をしたのでどんなひどい放置をされても何も文句は言わないから思うようにして欲しい。
本題に入る。
まだこの時代にはタイムマシンがないので、大昔の出来事を目で見て、耳で聞いて、本当かどうか確かめるという事はできない。状況証拠を可能な限り探し出して、どうやらそういう事があったらしいと限りなく真実に近い推理をするのが限界である。ただまあ、古代エジプトのファラオの木乃伊が見つかって、パピルスにはどこそこのファラオの胸には北斗七星並びの傷跡があったとされている…ならこの木乃伊はそのファラオ本人で、この木乃伊が発掘された遺跡は古代エジプトの特にいつの時代の…とここまで研究されているなら、このナントカのファラオが神話上の人物であっても実在した事は認めるしかない(このナントカのファラオは喩え話で、完全に僕の中の空想上の存在であるが)。ここで「よって神話は真実だ!」とまで言われるとやはり少し渋りたい気持ちになるので次は神話に登場した超テクノロジーの産物が発掘される日を待つばかりである。
まあようするに、荒唐無稽な神話や伝説の話を歴史として実証する為にはエジプトの砂漠で穴を掘り続けるような途方もない労力が本来なら必要という話なのだ。その途方もない労力が前提とされる場でそれ無くしてそんな話をしはじめると失笑されてしまうという「何を当たり前な」というそれだけのお話。
もちろん、場にそぐわなかったから顰蹙を買ったという失敗談である訳だから、同好が集まって好きなアニメや漫画の話をする場なら特に問題ないと思われる。逆にここで「古代エジプトの架空のファラオが古代エジプト拳法によって諸国を統一した話が元になって現在のエジプト神話が形成された」設定のアニメの話をしている時に「でも冥界の神とかオシリス神とかいる訳ないじゃん…世界史で習わなかったもん…」と発言すると白けられる可能性まである。そういう設定のアニメの話をしているので、歴史上実在した根拠が無くとも本人たちすらその設定を事実として真に受けていなくとも、ここではとりあえずそれらが実在している事にして話が進む。つまり「実在している事にしてもいい」「それが史実であるかのように語ってもいい」場というのがあり、そこでは各々好きに夢や空想を思い描き口にしても許されるのである、たぶん。もし誰かがここまで読んでくれたなら、ありがとう、そういう場をぜひ見つけて欲しいし、もう既にそういう場所にいるならそこを大切にして欲しい、とても得難いものだから。
ここからは蛇足。「神話や伝説を史実と言って欲しくない」というのは完全な建前で、「このアニメは〇〇神話を元ネタにしているが、ウィキペディアに書かれている〇〇神話の説明と違う!」みたいな事を言われると僕が結構白けているというかぶっちゃけ傷ついているというのを主張したかった。流石に「坂本龍馬は女じゃない」「江戸時代の日本人が抗生剤を開発してる訳ない」という批判なら、写真や文字記録から確かめられる当たり前の事実なので甘んじて受け入れたい。それでも面白いアニメなんだよ…と内心思っているだろうけど。
ただまあ神話や伝説となってくると本当にそういう事が実際あったかどうかは確かめようがないし、それを話題にする人によって微妙に内容が違ったりするので、ウィキペディアに書いてある説明文だけを正式な記述扱いにされると寂しいなぁと。大国主がシヴァ神と同一視されていたりされていなかったりしていいし、お爺さんが川に洗濯に行って桃を拾ってくる桃太郎とかあってもいい。ようは受け取る僕か誰かがその話を面白いと思うか思わないか、と。アニメの話だし、空想の話だし、この話はフィクションで実在する人物・団体とは関係ありませんし…生前の大国主や桃太郎が写ってる写真とか残ってないし…。もちろん、これから実在した証拠が見つかって、空想上の話だと思われていた事が本当にあった事だったんだと周知されはじめたら、それはそれで面白いと思う。そういう話したいよね…シュリーマンっていうトロイア戦争の話の大ファンで実際に歴史的発見しちゃった人がいるし。でもゴッドハンドはダメ。
毎年恒例のあの時期がもうすぐやってくる。
ウチはおおよそホワイトっていうかかなり白い。
残業ないし、ボーナスもちゃんと出るし、無理やりな飲み会や慰安旅行もないし有休も取れる。
人間関係も仕事面でのみでプライベートは口に出さないようにしてる(社長がそういう考え)
それでも、辛いと言って辞める人がいる(10人入ってきたら1人は居る)
辞める前に聞いてみると、ほとんどが信じられないことを言う。
とにかく言っていることが自分勝手だったりする。
ちなみに1人で仕事がしたいという新人に1人で仕事ができる所を配置してあげた所、
記録をとっておいたので新人に問題があるという事がすぐに判明して終わったけど。
社会に出て会社に務めるも半年ももたず、そのままクリエイターになるといって
当然のように1日もたずして辞める。
研修中に説明した注意について、人に注意されるのが我慢ならないと言って辞めていった。
一体なんの作品ってゾンビランドサガの話なんですが、まずはライブお疲れ様でした。
いろいろ二次創作界隈の扱いをみて嫌いでは無いけど、純粋に見られなくなったお話を愚痴として書こうと思いますが、紺野純子×水野愛のコンビがお好きな方で、二次創作のように二人がイチャイチャする関係性を好む方はブラウザバックを強くお勧めします。
さて、大丈夫でしょうか?
ゾンサガの二次創作のうち全体の6~7割方が純愛コンビ物で、二人が恋人のようにイチャイチャしてるのはまだ良いのですし、純子の身体が他人のパーツを合成してできたみたいな話もまだ許せるのですが許せないのが、かなりの割合で愛の頭の花飾りがポップコーンのように炸裂しながら「純子かわいい」みたいな純子age要員に使われるオチが非常に多いんです。
もちろん逆も有るのですけど、一般的に愛から純子に対しては、ポップコーン炸裂させながら余裕が無い感じで「かわいい」と言うのに、純子→愛は余裕綽々で「かわいい」という感じでヘタレキャラ扱いされているのです。
さらには純子絡まなくても焼肉好きを弄られたり二次創作愛は全体的に弄られキャラ扱いされてるのですけど、そのうち「水野愛は無能なコメディリリーフ」みたいな認識が一般化して公式に逆輸入されるんじゃないかと不安に思います。
本来、フランシュシュって「時代も性別も世代も超えて」伝説を築き上げたもの立ちが集まってお互いに助け合うって話なんだから7人に序列は無いはずなのですけど、暗に純子>愛みたいな序列づけがされてるようで気に入りません。
これは公式への愚痴にもなるのですが、純子は河瀬茉希さんの歌唱力という説得力に裏付けされたけど、愛は特にダンスが自信ありというのに、コーチ役としての役割以外にダンスが凄いって描写が無かったり、「死んだから伝説になれた」と言わんばかりの劇中の追悼サイトもあったり、純子はほぼ独白頼みで想像に任せきりで生前の活動実績は愛と比べて想像の余地も現時点では大きくて、微妙に公式からも愛sageみたいなものがあるような気がするのですが邪推しすぎなのかな?
そもそも、純子の生前の芸能界の立ち位置って視聴者のうちの少なからぬ人がまだ権威のあった時代のレコード大賞をもう取ってて松田聖子と中森明菜と山口百恵を足して三で割らない凄い人みたいなイメージをされてて、愛が前田敦子(インタビューでもモデルと公言された)って感じで、松田聖子+中森明菜+山口百恵とマエアツならどっちが芸能人としての格が上かと聞かれたらそりゃ殆どの人が前者と答えるよねって感じで、対等感が無い感じがするんです。
初の九州ツアーに行く途中に夭折したんのだから、公式の想定した立ち位置ってもしかして本当に火を付けただけで、(昭和)アイドル好きからは神格化されたけど一般的な知名度があまりない知る人ぞ知るみたいな立ち位置なのかもしれないけど、そのあたりの描写が無かったんですよね。 まあ、多分知名度は全局ゴールデン制覇をして、東日本大震災の年にそのまま死んでさほど時間も経ってないリリィが一番上だと思うのですけど。
どうも、二人はライバルなのかな?とも思ったのですが、よくよく考えたら6話の喧嘩を除けば、意地の張り合いもする事もお互いに競い合う訳でも無い。巽から「お前は昭和のアイドルのままでいい」(要約)と言われた時点で、同じ目標を共有することはあれど、「競う」関係ではなくなったと個人的には思います。
そもそもステージ以外で絡んだのって10話でイノシシ捕らえたときにハイタッチした程度で、7話以後純子が愛をどう会話しているのかまだ解ってないくらい会話してないですよね。
最初の頃は同じ芸能界のアイドル同士って事で一緒に抜け出そうとしたり、ゲリラライブには参加しなかったりしてましたけど、純子はさくら、愛はサキの方が気が合う感じがするんですよ。現代の風俗を愛に聞くってそれこそ二次創作でよく見るシチュエーションですけど、実際には芸能界の事を除けばむしろ最終回後ならさくらに話しかけるんじゃないかなと思うのです。
ライバルじゃ無く以心伝心で伝え合える戦友だから良いと言われるかも知れませんが、それだったら7人全員がそう有るべきでしょう。
結局、純愛ばかり二次創作書かれるのってさくらやサキが方言キャラで、リリィが男の上にロリキャラだからてっとり早く描けるキャラなんでしょう。でも、それってキャラのガワだけはりつけたハリボテですよ。
ちゃんと見てたらそこまでイチャイチャするような関係じゃないと思うのですが、まあ、どっかのガルパンのケイダジとかまほチョビとかのように劇中一度でも会話も交わしたかも怪しいカップリングがあるくらいですから、それに比べたら遙かに接点はあるでしょうが、イナゴのどこか二次創作なんですか(純子風)
どこぞのけものなフレンズのように裏事情ヲチや推測の方が面白いコンテンツに成り下がったってなら幾らでも他界もしますが、最初は燃料不足と最終回ロスでむさぼるように二次創作を読んでたのですが次第に、描き手は違えとやってることが殆ど同じチュチュイチャイチャばかりなのに違和感を覚えて、今では不満のほぼ8割は二次創作の風潮が嫌いなだけなので嫌いになれない苦しみこれが一番辛いです。
私はこれまでライブもライブビューイングも行ったことなかったんだが、画面越しでは何度か見たことがあった
メディアで話題になりがちな陽のヲタクとか、声優好きなヲタクとかではない、「それ以外」のヲタクはかなり多いと思う
理由は長くなるので省くが、ゾンビランドサガはそういう層のヲタクに結構刺さったらしい
これは5chやTwitterを1クール以上観察して感じたことだ
※もちろんアイドル好きオタクにも刺さったが、全体の割合は体感少なかったと思う
アイドルやアイドルアニメについて議論するシーンでも「他見てないから分からん」が多数派だった
だから今回が最高だって言っても、Twitterで5万ツイートされトレンド入りしたとしても、他のライブと比べてどうたったかという答えは出づらいと思う
でも、視点を変えれば今回は「アニメの一部として」最高だったんだと思う
普段ライブを見ないような人達が最高だったと言っていたら、その理由しか考えられない
そもそも、このアニメはライブ押しの方針がなかったのか知らないが、歌って踊れる声優は半分と言った所だった
その割に難度は高く、楽曲を収録する際にも音楽担当に何度もリテイクをうけながら作ったらしい
視聴者も「実際にライブやる用じゃないよね」という感想だったと思う
歌うだけでも何度もやり直しを食らう楽曲を、経験が乏しい人が激しいダンスありのライブで歌うのは相当厳しいだろう
だからファンも声優ライブはおまけとか記念程度に思っていたと思う、少なくとも私はそう思っていた
12月に行われたサイゲフェスは実際にそのくらいの出来だったし、ファンも内情を理解して「みんな頑張っていたな」という感じの感想だったと思う
それでもアニメがそもそも素晴らしかったのと、「頑張っていた」のがアニメ内のフランシュシュと被っていたので十分感動的で好評だったのだけれど
今回のライブはそんな初々しさまみれの状態で行われた、初単独ライブだった
ファンの間では「ライブには何を持っていけば良いのか」「何を着ていけば良いのか」「立つのか座るのか」「サイリウムは買えば良いのか」「どこで買えるのか」「いつ行けば良いのか」と言った初心者丸出しの質問が相次いだ
ほとんどがライブビューイング参加だったからというのもあると思う
明確に回答できる者も少なく「俺はこうする」「周りに合わせる」などという腹の探り合いに発展しているのは面白かった
当初BD購入者先行抽選で、1000人の箱で行われる予定だったこのライブは、アニメの人気によってライブビューイング69劇場の追加が決まり、
運営の柔軟な対応によりファンはこぞって応募し、ライブビューイングはほとんど満席だったらしい
※ちなみに私のBD抽選は落選、ほとんど皆落選してた(倍率10倍位?)
アニメを見ているのか、声優ライブを見ているのか一瞬わからなくなるくらい、というのは言いすぎではない
違うのはせいぜい髪の色と次元くらい
これは錯覚する
思えば伏線はあった
本作のキャスティングはキャラクターと中の人が似ているように作られている
演技も「できるだけ素に近く」のようなオーダーを受けるくらいで
そして3ヶ月前の、まだ慣れていないパフォーマンスも、思えばまるで本編第三話のようだった
普通は他の仕事がある中、3ヶ月そこらでそんな完璧にはならない
皆そう思っていたはずなのに、彼女たちはやってのけた
しかも作中の曲をほぼ全部やった、3ヶ月前より7曲増え計9曲ある状況で、「すげぇ本物だ!」というくらいまで仕上げてきた
その「行間」がモロにアニメと被ってしまって、1曲目から勝手に涙が出てきた
誰かが「こんなのアニメの続きじゃん」とか言ったが、よもやそんな、昨日までなら一笑に付したであろう世迷い言を首肯する日が来ると思わなかった
元々作中の楽曲はよく練られている
「泣けば良いのか笑ったら良いのかよくわからないアニメ」と評されるだけあって
アイドルっぽい曲というよりは、友情・努力・勝利・生き様・死生観・家族愛・応援のような感情を揺さぶる曲が多い
一定のパフォーマンスが出せたら、感情を激しくシェイクするようなポテンシャルを持っていたのだが、それが完全に発揮されていた
と、この時点で十分絶賛するレベルなんだが、あと何点か追加ポイントを挙げたい
これは流石に「マジか」と呟いてしまった
だって本編に少ししか出ていない、2期があれば確実に絡むだろう重要な存在ではあったが「まさか出さないだろう」と思われていた
そのBDにしか付いていない楽曲は評判がよく、「出たらいいのに」とはよく言われていたが、練習もかなり必要なわけで・・・
しかもそれに対してファンが「まるで本当にトップアイドルが来た」かのような反応でこれまたアニメと被る
何で君たちBDにしか付いていない曲で乗れるんだ、ああ全員BD購入者だった
まんま本編じゃないか
こういう、大体100点だなというラインにさらに乗せてくるのはゾンビランドサガらしい、多方面から出るアイディアを何故か上手く昇華できてしまっている
かなり歌詞をこだわってくるタイプだったので脳の処理が追いつかなかった
眼の前のライブと、歌詞と、本編とが脳内でグルグルグルグルしていた
「これからもっと飛躍していきたい」という声優フランシュシュの状況が
同じスピードで完全再現していったら絶対面白い(ちょっと追い越しちゃったけど)
今回のライブの成功が記事になったのだが、作中と同じような写真の構図で記事にしているところがいくつかあった
演者、ファンどころか、メディアまで一緒に再現に加担しているのがとても楽しい
私がいた新宿ではめちゃくちゃ盛り上がった
あとやっぱ音響がいい
夜の部は家で見たが、5割り増しで良かったと思う
まだ語りきれていないが一旦ここまで
とにかくここまでアニメそのものなライブは見たことがなく、ひょっとしたら今後もないかもしれない
(でも次は佐賀でやるらしいから、また一歩アニメに近づくかもしれない。最後に一つ足りないとしたらたえちゃんだね)
衣装も極力アニメに合わせるし、「どういうストーリーの中での歌か」という文脈を大事にしていた
セトリはストーリーそのものだし、ファンを巻き込んでストーリーの一部にしてしまうのは上手いなと思った
この求心力はやっぱり本編ありきなんだと思う
お前まじ伝説やん
昼の部最高だったから見て
参考
https://zombielandsaga.com/event/detail.php?id=1070824
__
ところで田中美海はここ最近、プリパラとWUGとゾンサガで同時にアイドルしてたってマジ?
To my Dearest、指先まできれいだった、2番難しすぎワロタ
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 64 | 12910 | 201.7 | 36 |
01 | 34 | 4212 | 123.9 | 60.5 |
02 | 32 | 5045 | 157.7 | 50.5 |
03 | 32 | 1898 | 59.3 | 45 |
04 | 10 | 1083 | 108.3 | 48.5 |
05 | 17 | 2381 | 140.1 | 55 |
06 | 19 | 2902 | 152.7 | 41 |
07 | 24 | 3924 | 163.5 | 53 |
08 | 53 | 7389 | 139.4 | 59 |
09 | 37 | 2239 | 60.5 | 36 |
10 | 57 | 9244 | 162.2 | 47 |
11 | 69 | 7027 | 101.8 | 51 |
12 | 60 | 10039 | 167.3 | 65.5 |
13 | 93 | 7812 | 84.0 | 35 |
14 | 118 | 9682 | 82.1 | 29 |
15 | 101 | 10897 | 107.9 | 40 |
16 | 85 | 8256 | 97.1 | 48 |
17 | 95 | 7520 | 79.2 | 34 |
18 | 62 | 8226 | 132.7 | 38 |
19 | 104 | 5758 | 55.4 | 35 |
20 | 117 | 9485 | 81.1 | 36 |
21 | 122 | 14676 | 120.3 | 35.5 |
22 | 104 | 13922 | 133.9 | 55 |
23 | 86 | 20872 | 242.7 | 57.5 |
1日 | 1595 | 187399 | 117.5 | 42 |
破産者(5), 低劣(4), 俗悪(6), 原稿用紙(4), 篩(3), 誘引(3), ドーピング(4), ジャップマンコ(4), イエイヌ(3), ブラック会社(3), このままずっと(3), ピエール瀧(16), 自粛(9), 土人(7), 用事(11), 薬物(7), アスペ(21), コカイン(5), 履歴書(5), 座席(5), 帰ら(5), セフレ(9), 飲み会(19), 日本人女性(6), AM(13), PM(13), マンコ(7), 育休(7), 鍛え(5), 憧れ(8), 面接(8), 不倫(7), 進化(7), 白人(7), 昭和(14), 送る(7), 思い出(8)
■セックスレス舐めてた。 /20190315202418(15), ■知らない幼女を呼び止めるにはどうしたら良い? /20190316152849(13), ■憧れの製品は今あるのか /20190316135750(9), ■夜間大学に行く /20190316112313(9), ■青山アナの育休フリーライドを許していいのか? /20190317141642(8), ■30代後半のおっさんに適した髪型 /20190316133644(8), ■27歳の堅物女が相席居酒屋にいった /20190315185437(8), ■ /20190314062758(8), ■異世界じゃない異世界多すぎでは? /20190314215624(7), ■ラノベ読みたい /20190316135724(7), ■ /20190314092821(6), ■「頭良い人が好き」ってどういう事? /20190317160110(5), ■35歳を超えると魂に勢いが無くなる /20190315173802(5), ■理想の妹像ってなんでこんなにキモいんだ? /20190314095100(5), ■養女だった /20190314164523(5), ■小学校の作文で身につけさせられる技術は社会にとって害悪なのか /20190317002325(5), ■これ、俺が悪いの?????赤ちゃんを抱いた母親が通路をガードしてきたんだが。。。。。。 /20190317085718(5), ■ありがとうございますが言えない /20190317171752(5), ■なぜ死んではいけないのか /20190317225356(4), ■二郎女性専門店作ってくれ /20190315114750(4), ■絶対に付き合えると確信してた子に二度と会わないと宣言された /20190316152013(4), ■ /20190316221559(4), ■なんで最近になってまた急にAIが騒がれ始めたの? /20190317130253(4), ■伝説の勇者 /20190317141158(4), ■新社会人になってから爆速で成長するには /20190317142814(4), ■子持ちバツイチとセフレ付き合いしてるとき特有の興奮する瞬間ベスト /20190317194336(4), ■この時間帯 /20190317201155(4), ■ごぼうで死んだ人がいるとか笑ってしまった /20190317211121(4), ■東北うんこっこ /20190317211340(4), ■子供のことを一切話さない同僚 /20190317214339(4), ■マジでVRもう無理だろ /20190317220650(4)
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治験の、それも希少疾患の薬剤のアレンジをしています。薬が世に出るまでには、10年15年といった長い年月と、信じられないくらいの巨額の投機的投資、フェーズ1、2、3、4くらいの段階的試験と分析が必要です。私はその主にフェーズ3の、グローバル治験全般と物流をアレンジしています。今日は(次があるのかどうかわかりませんが)その「ラスト1マイル」の話。
ドイツ、スイス、アメリカ、イギリスなどの諸国の製薬会社から薬剤が成田に着きます。その薬剤はいったん専門業者の倉庫に収められ、盲検が施され、厳格な温度管理がなされて、病院と治験者が整った段階で、どんぴしゃりのタイミングで病院の薬剤部に運び込まれます。
温度逸脱が最大の敵のひとつで、もちろん専用の保冷箱に温度計が同梱されて運ばれるわけですが、薬は極力、物流倉庫で、あるいは薬剤部の倉庫で落ち着いて眠っている時間が長いほうがいい。したがって、物流/配送時間を最小化する課題が生まれてきます。たとえば、3月14日14:00さいたまの大学病院配送なら、都内の倉庫から逆算して、12:30ぎりぎりまで薬を取り出さず、保冷箱に移し替えるまでの間、外気にふれる時間を極力短くして、デジタル温度計を起動し、あらかじめ用意した書類を同梱、封緘して、その時間に来るように手配したドライバーに保冷箱を手渡し、ドライバーは13:45に病院の業者用ヤードに駐車、13:50に薬剤部の担当の方に電話をかけ、携帯の電源を切り、13:55に薬剤部のゲート前に到着し、13:58に窓口を軽くノックする。13:59に担当の方が現れ、後述の合言葉を唱え、14:00に「開封させていただきます」の声とともにカッターナイフを取り出し、テープを切り、箱を開け、書類と薬剤を手交。署名を得たら「ありがとうございます」回れ右して退出。
この間、ドライバー(イコール配送担当者)は、黒子に徹しなくてはならない。無駄な発声は一切禁止。どの製薬会社の何の疾患のどの薬剤でということも原則、口にしてはならない。盲検性に触れるおそれが必ずしもゼロではないからです。前に「○○(物流会社名)の△△です。XXさん(製薬会社)のPP(疾患名)のMM(薬剤名)、あ、今回はプラセボ(偽薬)ですね。お届けにまいりました」と滑舌よくいい放って数百万円の損害を出して即日クビになった伝説の猛者がいました。
「14:00の○○(手交管理番号)の件です」「はい。どうぞお入り下さい」。あるべき情報交換は、本来これだけ。服装も、リクルートスーツは基本中の基本、声の抑揚は「お通夜の司会のつもりで」なんてことを教育される世界であります。
今回、同行させていただいたドライバーさんとは、13:45に業者用ヤードで待ち合わせをしました。13:35に僕が先に着いた。まだだれもいない。13:40にもいない。13:41、スマホを取り出して(ついうっかり)「黄金頭 サクラ」で検索する。師匠たしかサクラ絡みで何か面白いことをつぶやいていたはずだ。黄金頭さんの中毒性のある筆致にすこしネットに夢中になる。13:45イタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! どこから姿を現したのかわからない。左側、3歩ほど離れたところに、薬剤を両手で抱え、植田まさしのかりあげクンを地味にしたような30代半ばと思われる地味なメガネ氏、中肉中背のリクルートスーツが場に溶け込んでいる。僕のほうを見ない。顎を引き、猫背気味、心もち遠くを見るようにして、肩の力が抜けている。「(只者ではない…)」歩を寄せ、「13:45お約束の…」「はい。では、行きましょうか。その前に電話を入れます」。(僕だという確認もしない。わかるのだろう。)
かりあげ氏、そこから先は前述の時刻進行通り。なのですが、特筆しようと思ったのは構内を歩く挙措の無駄のなさ。トラックヤードの上り框から、どの角をどこで曲がり、どこに目配せをすればいいか、足が覚えている感じ。とりわけ、通路の交差点手前では必ず気持ち歩速を緩め、ひと呼吸立ち止まり、左右確認をして会釈をしてから再び歩みを進める。「万一、薬剤を落としては元も子もありませんから」「会釈をして歩く業者を見て気分を損ねる先生や看護師の方はいないと思うんです」。5分前に薬剤部ゲート前に到着してからは直立不動(肩の力は抜けている)で、1分ごとに腕時計で時間を確かめる。
もちろん、何かしら、間違っていると思います。リクルートスーツとかね。そもそも、みんな忙しすぎる(´;ω;`) こんな配送日時指定、調整に血眼になるのは日本の治験だけだとよくグローバルの親分からは聞かされ、嘆かれる。批判も、しようと思えばできる。でも、しない。当面、しないことにした。代わりに、待遇を上げたい。物流のラスト1マイルはどうしても、C向けでもB向けでも、多層の中間搾取の残りの霞をかつかつで食べさせて、その割に重いプロトコル(お作法)を押し付ける傾向があります。特にB向けで専門性の高い、今回記したような薬剤配送の世界はその傾向が強いと感じます。
帰りに「ありがとうございます。お見事でした。どうしてこの業界/仕事に?」と尋ねたら「10年ほど前に弟が珍しい型の白血病にかかりまして。幸い治ったのですが…いえ、余計な話を。申し訳ありません」とかりあげ氏。「すごいプロがいる」と聞いて、今回、普段は管理側にいる私も、それだけではだめだ、現場をこの目で見ないことにはと思って、スケジュールをやりくりして同行させていただきました。さわやかな気分で病院を出、途中の川沿いの桜に、すべて実薬で治験の行われる日を願いつつ、帰途についた次第です。ありがとうございました。
anond:20190315022042 の続き。
本当にTV版からガラッと変わった。途中まで、ギャラクシーの侵入作戦が始まるところまではだいたい同じだった。しかし正直なところ名前と髪型でクーデターに失敗する噛ませ犬だと舐めていたレオン三島がまさかここまで有能であったとは。TV版から反省会を繰り返したのか三島よ。本作におけるTV版との分岐点はできる三島とついに人の心をインストールしたグレースである。まあ最終的にやっぱり三島は死ぬけど。
そして何より本質的な違いは二つ。オズマによる自分を演じることへの肯定と終盤のランカとシェリルの役割の裏返り。この二つの変更点により驚くほどすんなりとシェリルがメインヒロインに固定された。
劇場版で役割と設定が整理されストーリーが単純化したことで、TV版の中盤までの流れ(病に弱るシェリル、シェリルに惹かれるアルト、スターダムを駆け上がるランカ)から終盤への流れ(シェリルが行方不明、ランカからアルトへの告白)が一気にスムーズになった。というかTV版でも密かに思っていたけど、明らかにアルトくんシェリルのこと好きだよね!そうじゃないといくらなんでも終盤のあの展開はないよね!!つまりあの矢三郎めがいなければ(主にシェリルが)あそこまで苦しむことはなかったのだよ!!!
ちなみに好きなシーンは、アルトに会えなくなってもいいのかと優しく問うグレースと答えに詰まるシェリル、アルトの病室での包丁を巡る不器用な二人のやりとり(イチャイチャ)、放課後オーバーフロウのイントロに合わせて閉まっていくマクロスクォーターの外装。
ところで劇場版ではオミットされたTV版終盤でのランカとシェリル:バジュラと交感できる声をしているせいでミンメイの再来と政治的に担ぎ上げられ生体兵器としての運用に疲れていくランカ、病に犯されながらも自分にできる最大のこと(ランカの代わりに死を覚悟して歌う)を選ぶシェリル、という無駄に重い展開も増田はかなり好き。特に歌ったら死ぬことに気づいているから最終決戦の前にアルトに恋人ごっこは終わりと告げる(= 強がる)シェリルとそれを聞くアルトのシーンがとても好き。そういえば劇場版はこの「今は答えないで。歌えなくなってしまうから」部分はランカのセリフになっていたな。どっちのシチュエーションでも振られる流れだよなあ。
冒頭のバジュラの巣の攻略や大気圏内でのマクロスクォーターのサーフィンマニューバ、やたらと陽気で軽そうだがシリーズファンからするとこれ以上ない安心感が得られるYF-19からの声、S.M.S大隊によるマクロスキャノン斉射、そしてアンタレス1との熾烈なドッグファイトなどなど見所だらけだった。増田が一番グッときたのは、実はバジュラの巣攻略戦での隧道内のブレラの操縦テク。このシーンは狭い隧道を先行するブレラをアルトが追いすがるという形なのだが、驚くべきことに狭い上にバジュラも向かってくるのに、ブレラは一度も変形を行っていない。可変戦闘機バルキリーのセオリー(様式美ともいう)通り、垂直方向への移動や複数体のバジュラの掃討にガウォーク変形で対処し即座にファイターへの変形で高速移動を行うアルトに対して、ブレラはファイター形態のままインプラント特有の反応速度をもって、機首の向きをわずかに調整することでノンストップでバジュラの殲滅と移動を行うのだ。マクロスの様式美を否定するような非常に地味ないぶし銀の描写がよかった。
TV版の不満点であった超時空二股エンド。アルトくんはっきりせいやと前の感想に書いたが、劇場版ではズバッとアルトくんの男らしい告白で三角関係に決着がついた……ついたのだけど……ついたのだけど、だけど、
思いが通じ合って両思いになった恋人たちが次の瞬間に離ればなれになるなんて、そんなことは望んでなかった!
ただ思い合う二人がイチャイチャしているところを見たかっただけなのに……
初見のときはこのエンディングで完全に固まった。そしてエンドロールの「dシュディスタb」(願いは叶うとヒロインズが歌う)を聞いてすわビターエンドの先のハッピーエンドかと沸き立ったのだが、生命維持装置に繋がれて昏睡しているシェリルの脳内想像ライブという可能性に思い当たりより消沈した。しばらくアルトがシェリルのことを愛している設定でTV版世界に戻ろうかと考えていたのだが、絶対に救いはあるはずだと考えて二週目へ。そしてなんとか一つのこじつけに思い当たった。
そう、眠り続けるシェリルは眠り姫のモーチフであり、王子様(アルト)のキスで目を覚ますのが必然であるのだ。TV版ではシェリルとランカの両方から唇(一部R18)を奪われていたアルトであるが、運命付けられたように劇場版ではシェリルにされた頬へのキスしかない。これはもうそういうことだろう。運命だよ。よって増田の中では、アルトくんが(アイくんとかで)なんとかしてフロンティアのシェリルのもとへ戻ってきてシェリルの目を覚ましたあと、二人で幸せになることが確定しました。多分アルトの病室での一幕のように互いにからかいあってイチャイチャするのだろう。よかった……。
サヨナラノツバサでも「禁断のエクシリア」から始まり、二人の掛け合いと会場のバタバタ具合が楽しい「Get it on〜光速クライmax」、めちゃめちゃイントロが格好よく演出もパーフェクトな「放課後オーバーフロウ」、そしてエンディングのお祭り「dシュディスタb」と素晴らしい曲ばかりである。ただ、劇場版を代表する曲となると「ダイアモンドクレバス」だろう。イツワリノウタヒメでのバジュラを呼び寄せてしまったことや、ギャラクシー軍のミッション開始の合図だったこと、墜落したフロンティの教会跡など劇中の要所で美しくも悲しいこの歌が効果的に使われていた。
それから見ていて気になったのがライブの演出。演出といってもすごく手のかかったCGの方ではなくて(これもすごかった)客席の後ろからステージを映すカメラワーク。カメラが歌手を追うPV型ではなく観客との一体感を深めるライブ型の演出を選択したのは興味深い。ミュージックシーンがPV中心からライブ興行中心へ転換しつつあったことと関係しているのかもと考えた。なお増田はPCモニターで見たからそこまで臨場感はなかったのだけど、当時劇場で見た人は自分がライブに参加している感覚を味わえたのだろうか。またサイリウムなどを持ち込んで応援上映のようなことができたのだろうか。
そしてもう一つ気になったライブがアルカトラズ刑務所での「星間飛行」からの流れ。何と言っても慰問ライブに参加していた/できなかった囚人たちが声を合わせてこの歌を合唱するのだ。正直はじめはなぜランカ中島リーさん以外の声を入れてせっかくの星間飛行を邪魔するのかと思った。ただ、よく考えるとランカ・リーの星間飛行を聞きたいのならばCDやPVなりを聞けば良いことに気がつき、そこでようやくこのシーンがマクロスの伝統である歌の力を素朴な形で描写していることに気がついた。
増田の理解としてはマクロスのメカニズムというのは武力と歌の相互補完にある。武力では暴力は防ぐことができても心(世界)を変えることはできない。歌は心(世界)を変えることができるけど暴力に対しては無力。しかしその二つが合わさることで等身大の人間が奇跡を起こすことができる。そのリアリティがSFをコアに持つマクロスのメカニズムであり、非対称なこの関係性に三角関係が加わることで豊かなドラマが生まれてくるのだと思う。
この歌の力という面からフロンティアという作品を見ると、二つの場面が思い浮かぶ。TV版の星間飛行ライブと先ほど挙げたライブ@アルカトラズだ。前者は言わずと知れた、ゼントラーディー部隊の反乱を歌とキラッ☆のみで熱狂の海に沈めた伝説のライブである。このライブの演出は、最初は戸惑っていた兵士たちが曲が進むにつれ武器を投げ出し鼻血を噴きそして最終的にクァドランが肩を組んで踊るという実にアホなものだが、歌が心を変える様子をこの上なく描いていた。アルカトラズのライブはというと、先に書いた通りランカを知っていた知らなかったに関わらず荒くれ揃いの囚人たちが自ら歌を口ずさみ心を一つにする。これが星間飛行のすごさであり歌の力であるのだ。なおこのライブ、この後のクランのアジテーションから囚人たちと看守たちの大乱闘がGet it onに乗せて始まるというやっぱりアホな展開になるのだけど、やっていることは単なるテロである。そして最後の「ランカちゃん〜」と「ジェリ゛ル゛さ゛〜〜ん゛」のコールに吹き出すのである(何度見てもこの部分で笑ってしまうのだけどエキストラなのかな?)
増田がマクロス7のサウンドブースター演出に違和感を持ったのは、サウンドブースターにより視覚化・数値化された歌が武器(ビーム兵器、バリア兵器)のように使われていたから。それと力と歌をバサラ一人が担当するのにも関わらず王道のマクロスフォーマットでストーリーが作られていたため、最終的にバサラ一人で世界を平和へ導くという一人の人間を超越した行いをさせてしまったことも同様。作品テーマとして武力を否定しラブアンドピースを狙っていたのは理解できるのだが、武力の代わりとしてサウンドブースターというまた別の武力を持ち出し、バサラ一人に全てを背負わせたため普通の若者の織りなす物語というセオリーを壊してしまったように見えた。洗脳されたバロータ兵を初めから出すのではなく、初めは市民トラブルを歌で解決するというような入りかたでもよかったのかなと思う。
最後になぜ増田がシェリル派なのかというとプロフェッショナルであることの誇りと責任さらにケー鯛(口からアンコ出る)を愛用するセンスを持ち、泥水をすすっても生き抜く根性があり、たとえ死を迎えることになっても自らの役割を全うする覚悟をまとい、でも支えを失うと心が折れそうになる繊細な所があり、そしてアルトくんをからかう姿がとても楽しそうなシェリルが好きだからです。
次はIIかデルタを見る予定。アイドルものと聞いてあまりデルタには興味が湧かなかったのだけど、たまたまワルキューレの歌を聞く機会があり、メインボーカルの声にぶっ飛んだので俄然興味が湧いた。アイドルものであのガチ音圧の人がメインを張るってかなり攻めてると思うのだが、どういう狙いがあるんだろ。
神話や伝説中の人物であるとか伝説的な奇跡を起こしたとか戦争で伝説的な戦果を残したとか伝説のモンスターを倒したとか創作した作品が世界で圧倒的に支持されたとかの功績があるわけじゃないし。
あと近現代の人物は言動の情報が正確に残るため伝説化しづらいという不利もあるね。幻霊として何かぼんやりした黒い影か霧のような存在として十把一絡げに登場するならワンチャンあり?
ブッダらしきサーバントは"覚者(セイヴァー)"としてExtraにゲスト出演してるし、イエスも名前は出ないけど聖人系サーバントのエピソードで"あの人"などとして存在や影響が示唆されたりはしてるな。
Fateでいうところの反英雄とも違うのでは。神話や伝説等の中で「悪であれ」と人々に望まれ、その望み通りの悪となることで結果として人々を救ったり人々の望む神話や伝説を補完・完成させる者のこと、だったような。
アンリマユとかメデューサとか。反英雄がどんなものかはSNやHAをやらないとしっくりこないかもね。
ネタバレになるが、アンリマユなんて別に悪いことしてないのに生贄として選ばれて「この世全ての悪であれ」と人々に願われて魔術的・呪術的にそういう存在であるように霊基だか魂を書き換えられてしまった存在だしね。
日記も、ちゃんと長く書いていると、いつ何を、どこまで書いていたか忘れてしまうが
そんなことを気にせず書けるのが、ブログと違い、いいところだ。
昔ながらの日記形式というのは、何よりも、書く人自身へ、何らかのの効能がある温泉のようなものだと思う。
最近、いろいろな案件を調査していると、興味深い情報を見つけることが多い。
そのなかで、最近面白いと感じたのが、サーバーエージェント。技術的な調査をしていて
とても”技術的には”いい会社だと思っていた。しかし、世の中、やっぱりそんな甘くない。
"キラキラ女子が注目されるサイバーエージェントという会社!顔採用の噂で美人社員が多すぎワロタwww"
一面からしか、物事を見ていなかったんだなと、改めて、自分の思い込みを反省した。
本人たちが幸せなのが一番だから、それでいいと思うが、なんか、キャバ○にしか見えない。。
自分が若かったときなら、素直に喜んだことは認めるけれど、娘を持つ身になると、複雑な心境。
伝説になった、「私、世界で1番のブスです」ラジオに届いた女の子の相談に対する
中島みゆきの回答を思い出して、心に染み入りました。
https://togetter.com/li/1323842
…とかで話題になってるこの話、自分は1990年頃に、新書の後書きで読んだ記憶がある。
内容は
『童夢』が出て評価された(SF大賞をとった1983年あたり?の)時期に、パーティで同席した大友に手塚の方から寄ってきて
「大友くん、童夢を見たけど、あのマンションが崩壊するシーン、すごいね。ボク一つずつ定規をあてて確かめたんだけど、破片の一つずつも、パースが狂ってない」
と言われて、大友が「ありがとうございます」とか何とか受け答えしたら、手塚がじっと大友の顔をのぞき込んで
「でも、僕もあの絵は描けるんだよ」
と言った
的な話だった。十分狂気を感じさせるこの話、著者がどこから仕入れたんだかは知らないけど、そういうわけでこれはかなり古くから流通してる話で、今更関係者の証言とか又聞きで噂されてる話とかではないはず。たしか「手塚が死んだ(1989)からこういう話も表に出るようになったんだなー」と思った記憶があるので、おそらく、この本かと思う。レビューとかで見た本の内容的にもそれっぽい。