はてなキーワード: 以心伝心とは
例えば、ネガティブな評価をされがちな発達障害の学生たちのポテンシャルを毎日新聞は10年前から高く買っていたよ。
当時の「余禄」本文はネット版から削除されちゃったけど、それの残骸を引用しているまとめサイトからうかがい知れる。
不思議に思われるにちがいない。超難関大学に合格し在学中の成績も優秀なのに就職試験に落ち続ける。
就活に苦戦している若者は珍しくないが、発達障害のある学生にとって就活はとりわけ厳しい
▲「今日はいい天気だね」。あまり意味のない会話が苦手だ。「あなたの長所は?」。それに答えるとどのようなメリットがあるのかを聞きたくなる。以心伝心、言外の意味、周囲の空気を読む、ということがとても苦手な障害なのである
▲けっして少数ではない。文部科学省の調査では学校で何らかの発達障害が疑われる児童は全体の6・3%に上った。毎年大学を卒業する人のうち発達障害のある人は数千人規模でいるとの指摘もある。親の育て方や環境のせいではない。
先天的な要因で起きるが、外見ではわかりにくいせいもあって誤解される
▲知的な遅れのある人は多いが、びっくりするほど知的能力の高い人もいる。
最近、歯科医師や公認会計士の資格を持つ人が「障害者枠」で企業に採用されたと聞いた。
「筆記試験は点数が取れても面接で落ち続けたらしいのです」。人事担当者は大いに驚いていた
▲高性能の工業製品を大量生産して成長する分野に貢献できる人材が求められると、彼らは苦しい。しかし、均質で間違いの少ない人材よりも、独創性や深い洞察力・執着心が評価される時代になるとどうだろう
伝わっていない場合もある。
そんなことわざわざ言わなくても、わかりあえているだろう、
と感じている人は少し注意が必要かも。
コミュニケーションにはお互いの気持を伝え合うという重要な役割がある。
これをこまめにしていないと「気持ちが積もってしまう」場合がある。
少しだけ気持ちを伝えるためだけのコミュニケーションを増やしてみればいいと思う。
気持ちを伝えるというのは怒ったり悲しんでいることを「態度で示すのではなく」て、
ごく淡々と事実として、それはあまり好きではないかも、と言語化して相手に伝えることだ。
でも、あまりに比喩的・抽象的にあるいは皮肉として相手に伝えて、
それが相手に伝わらなかった場合に怒り出すのは愚かな行為であるのは忘れないで。
気持ちは言葉にしないと伝わらない、伝わる場合もあるけれど過度にそれに期待しない、
言葉にするのが苦手なら態度ではなくて行動で示すことを心がけています。
察するのを期待するのではなくて、伝える。
欧米人なんかは割とこれが得意ですね。
昔の父はかなり無口なほうだった。
両親が二人っきりのときでも静かだから、喋りたがりの母からそのことで時々軽い愚痴を聞かされた。
母からお出かけに誘われても、ちょっとめんどくさいから留守番じゃだめか?って断ることが多かった。
でもけっして仲が悪いわけじゃない。
むしろ以心伝心、なんでもだいたい伝わっててお互いに思いやりがあって、喧嘩は一回も見たことなかった。
今の父はよく喋る。
さすがに今は控えてるけど、スーパーでも郵便局でも活発な母にくっついてとにかく頻繁にあちこち出かけるようになったようだ。
母に電話をかけるとだいたい父が横にいて、たまに会話に入ってくる。
それと二人で季節ごとに小旅行するようになったらしい。
母はlineに旅先の風景とか食事の写真がよく載せるようになった。
父は半年に一回くらいめちゃくちゃテンション上がったっぽい時にだけ、家族のグループチャットにビジネスメールばりのかたい文面で報告を上げる。
でもさ、年1回か2回、それも数時間とか1日とかしか会わなくて普段は写真とかメッセージばっかりだと、これらの変わりっぷりを実際に目の当たりにするのってほぼないんだよね。
子供はみんな巣立ったし定年で家にいる時間も増えたんだから、そりゃあ大きく変化するはずだと理解はしている。
だんだんどんな記事を書いたら「うんち」がつくかがわかってくる ちょっと愚痴を書いてしばらくしてトラバがついているから見に行ったら「うんち」とだけ書いてあって頬が緩む くると思ってたよと思う これはもう以心伝心、いわば友情じゃないですか
知らねえ奴のクソトラバに適当に返事をしたら、案外真摯なトラバが帰ってきて驚いたりする 誰かの質問に答えたら思いの外感謝されて嬉しかったりする
でもみんな増田なんだよな 俺は誰が誰なのか全くわからない なんだったら一連のトラバツリーの会話の相手の同一性だって常に疑わしい
増田に対して感じてる友情は儚い 吹けばとぶ影みたいなものにすぎない
自分の書いた記事にブックマークコメントがつく それを読んで、ブックマーカーの人柄がだんだんわかってくる 増田とブコメはラリーこそないものの発話とそれへの反応なわけで、こっちとしては同じブクマカからブコメをもらうたびに少し会話したような気分になるわけだ 長くいるにつれて段々この人ならどんな反応しそうっていうのもわかってくるんだ この人となら現実で会っても結構盛り上がれるだろうな、ってくらいの親しみを持つ相手も出てくる
でも俺は増田なんだな ブクマカは増田としての俺を認知していない
逆に増田としてのブクマカをブクマカとしての俺は認知していない
寂しいことだよ 一方的に知り合うだけだ
増田は悲しい