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はてなキーワード: 口承とは

2023-06-07

矢沢あい冨樫義博もも口承でいいかストーリーだけ教えて欲しいんだけど

出版社って漫画家健康に対するケアどのくらいするもんだろう

マッサージのタダ件とかは渡したりするっていうのは聞くが。健康診断とかカウンセリング提供してやれよって感じだけどそこまで福利厚生望むならまずは社員になっていただいて感じなのか。

2022-02-03

文脈がないと熟語特定するのは難しい

「コウショウする」といったとき、「交渉」「考証」「口承」など候補複数考えられるのでさら情報必要だ。

文字で書かれていれば確定するのだが耳で聞いたときに「その熟語何だろう?」と思うことがある。

2021-11-08

anond:20211108133104

から社会構成要素の「人を殺してはならない」も後天的口承という形で学習する。

いや、それがウソなんでしょ。

たまにエラーで人を殺しちゃう個体もいるが、基本的には人間も「人を殺してはならない」とプログラムされているから人を殺さない。

「人を殺してはならない」とプログラムされているから、「人を殺してはならない」という感情殆ど人間は持っており、「人を殺してはならない」とみんなで言い合うことで社会連帯を深めている。

順番が逆。

anond:20211107232054

アリとかハチなんかは社会昆虫で、巨大なコミュニティーを築く。それに成功するのは勿論、仲間をいたずらに殺さず、助け合い子を養育するからだ。だが、社会昆虫には「なぜ仲間を殺してはいけないのか」という問いなんか最初からない。なぜなら彼らはもっぱらその身体インプットされた本能に従い、また、女王の出すフェロモンに操られるなどして、生きているからだ。むやみに仲間を殺したり遺棄したりしないとプログラムされているからそうしている、それだけのこと。

人間場合本能プログラムを少なく経験値を重ねることで上手く生きれるような仕様になっている。だから社会構成要素の「人を殺してはならない」も後天的口承という形で学習する。勿論、人を殺した方が自己所属集団の為となれば人殺し忌避すべきでないのであって、生活する環境によっては人を殺すか否か、その基準をどのように設定するかというのは違って来る。

なぜ人を殺してはいけないのか?」という疑問にヒトがぶち当たるのは、なぜなら本能に頼って生きるのを我々は大昔に辞めたからだ、ということでしかない。

2020-05-06

anond:20200506041006

親戚が旭川。ザ住宅街の親戚の家の近所にローカルテレビ局があってびっくりしたけどそういう感じだったんだね。

だいたい江戸くらいからの地縁内地田舎じゃ地域ゴシップ口承伝聞だけど、雑誌というメディアが普及した頃と開拓が同じ時期だったから脈々続いているんだろうか…

ちょっと馬鹿っぽいことを言うと冬に外で立ち話なんかしないで、暖房ガンガンの家でしっぽりゴシップ読むのはなんかいい。

2020-04-23

高尚な交渉は哄笑の鉱床口承を考証

ええと、意識の高い取引は笑われる元になるという言い伝え調査し検める、でいいのかな

2020-04-01

。そしてこれらはシュルティ英語版)(天啓)とスムティ英語版)(聖伝)の2種類に大別される。ヒンドゥー教聖典は何世紀にもわたり口承にて編纂され、記憶され、そして世代を超えて伝承され、後に文字に起こされた[65][66]。何世紀にもわたりリシ(聖仙)たちは教義を磨き上げ、それをシュルティ

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2020-03-11

anond:20200311165317

多分、50~60年ぐらい前にも

自分は紙の出版広告に誇りを抱いてきたが、最近のTVCMときたら視聴率効率重視でこんなものは~」

と悲嘆口調で嘆いていた者がいたであろう

そして500~600年ぐらい前には

自分手書き筆写本に誇りを抱いてきたが、最近活版印刷の本ときたら効率重視でこんなものは~」

と悲嘆口調で嘆いていた者がいたであろう

そして2000~3000年ぐらい前には

自分口承伝承に誇りを抱いてきたが、最近の"文字"に頼る連中ときたら効率重視でこんなものは~」

と悲嘆口調で嘆いていた者がいたであろう

2020-01-18

anond:20200116222707

発音の違いもあるけど、あえて話し言葉書き言葉の違いを考えてみた。

1 英語話し言葉

追記コメントも最もだと思う。つまり逆に言えば英語文学は、話し言葉に近いスタイルで書かれているということ。三人称作品であっても、ときおり筆者自身一人称で呟きを入れたりして、朗読向きに書いているときもある。

2 外国文学口承性格

から聖書物語を聞いたり聖歌を歌ったりコーランの暗唱をしたりしている、小説家自作朗読会をする文化がある。盲人の人への優しさも伺える。声や耳や頭を使うことは例えばボケ防止にもなる。

で、そういう話はいわゆる5W1Hが割と明瞭。朝昼晩など時間帯もよく記載されている。日本語でも口承文学民話などは割とそうだろう。

3 短文による構成

翻訳文学書き言葉に変換されていることが多いから、元の英文話し言葉だというのは、分かりにくいかもしれない。元の英文はいくつかの短文が関係詞で繋げてあるだけなのに、日本語では関係詞で繋ぐために後ろの短文から訳されていたりして。もし桃太郎翻訳文学だったら、

「むかしあるところで毎日芝刈りに行くお爺さんと一緒に住んでいた毎日川に洗濯しにいくお婆さんが、いつも洗濯しにいく川に行って洗濯をしていたとき、大きな桃がドンブラコドンブラコと川の上流から流れてくるのを見つけました」

みたいな書き言葉になってしまうかもしれない。当然長くて順番がへんてこな文章意味が把握しにくい。

4 日本語表現の含むあいまいさ、矛盾など

それと、日本語文学あいまいさや矛盾放置してる場合がある。その場合朗読向きとは言えないように思う。

例えば漱石の「吾輩は猫である」。「どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめめした所でニャーニャー泣いていた…聞くとそれは書生という…」 頓と見当がつかぬ、というのは地名のことかも知れない。でも少なくとも書生のところだって分かってるじゃないか、と。こういうのはストレスになりがちだ。筆者は読者の同情をを引くために「見当がつかぬ」と嘘をついた、と裏読みする人もいるかもしれない。

5 話し言葉こそ論理の建て付けが必要

書いた文章飛ばし読みができる。だから長くても矛盾があっても読めてしまう。でもそれは耳で聞くには耐えない場合がある。聞くときは話を飛ばせないから。

結論としては、オーディオブックとか朗読用の文章は、各文の短さと論理の緻密さが必要なんだと思いますよ。

2019-04-09

ドラゴンが火を吐きはじめたのっていつごろなの?

ギリシャ神話のテューポー

今日ギリシア神話として知られる神々と英雄たちの物語の始まりは、およそ紀元前15世紀頃に遡ると考えられている。物語は、その草創期においては、口承形式でうたわれ伝えられてきた。紀元前9世紀または8世紀頃に属すると考えられるホメーロスの二大叙事詩イーリアス』と『オデュッセイア』は、この口承形式神話の頂点に位置する傑作とされる。

巨体は星々と頭が摩するほどで、その腕は伸ばせば世界東西の涯にも達した。腿から上は人間と同じだが、腿から下は巨大な毒蛇がとぐろを巻いた形をしているという。底知れぬ力を持ち、その脚は決して疲れることがない。肩からは百の蛇の頭が生え、火のように輝く目を持ち、炎を吐いた。

半人半蛇だけど「炎を吐く邪悪な蛇」のイメージにはなっているかも。

ギリシャ神話怪物はだいたいテューポーの子孫だし。

ギリシャ神話ラードーン

ラードーン(古希: Λάδων, Lādōn)は、ギリシア神話に登場する、林檎園の黄金林檎を守っていた、100の頭を持つ茶色ドラゴン

(中略)

から炎を吐き、一説では顎の関節が尾にある為、体全体が口のようになっており、百の首を持つといわれている。

と、Wikipediaには書かれているが、ラードーンが火を吐くかどうかは定かでない。

何が出典なんだろ?

旧約聖書レヴィアタン

ヨブ記』(ヨブき、ヘブライ語:סֵפֶר אִיּוֹב)は、『旧約聖書』に収められている書物で、ユダヤ教では「諸書」の範疇の三番目に数えられている。ユダヤ教伝統では同書を執筆したのはモーセであったとされているが、実際の作者は不詳。高等批評に立つ者は、紀元前5世紀から紀元前3世紀ごろにパレスチナで成立した文献と見る。

ヨブ記』によれば、レヴィアタンはその巨大さゆえ海を泳ぐときには波が逆巻くほどで、口から炎を、鼻から煙を吹く。

(中略)

その姿は、伝統的には巨大な魚やクジラやワニなどの水陸両生の爬虫類で描かれるが、後世には海蛇や(それに近い形での)竜などといった形でも描かれている。

ドラゴンになったのは後世。

サラマンダー

プリニウス著作で唯一現存しているのが、自然芸術についての百科全書的な37巻の大著博物誌である自然界の歴史網羅する史上初の刊行物であった。

(中略)

最初10巻は77年に発表され、残りは彼の死後おそらく小プリニウスによって公刊された。

プリニウスの『博物誌10巻には、サラマンドラは斑点を持つ小さなトカゲで、雨が降ると現れるが晴れると姿を消し、体が冷たく火に遭うと溶けると記録されているが、これはサンショウウオに関する記述と考えられている。

また、『博物誌11巻にはピュラリスというキプロスの炉の炎の中でしか生きられない動物が登場しており、精霊サラマンダーこちらに近い。上記の通り、炎を操る特徴からファイアードレイクと同一視され、ドラゴンとして扱われることもある。

「ベーオウルフ」のドラゴン

『ベーオウルフ』が成立した時期は、作品内部にも外部の言及としても成立の時期を特定する記述存在しないため、必ずしも明らかではないが、8世紀から9世紀にかけての間に成ったと考えられている[3]。

第一部でベーオウルフは巨人ドラゴンとも言われている)グレンデルとその母親と戦い、第二部では炎を吐く竜と死闘をかわす。 なお、インパクトが強くかつ謎の多いグレンデルとその親に関しては言及されることが多いが、炎を吐く竜に関してのものは少ない傾向にある。だが、同時にいわゆる「ドラゴン約束事」(財宝を蓄え守っている、翼を持って空を飛ぶ、火を吐くなど)をほぼそろえている珍しいドラゴンでもある。

スラヴ神話のズメイ

スラヴ民族文字を持たなかったため、伝えられた神話民族独自に記録した資料存在しない。スラヴ神話存在した事を記す資料として、9世紀から12世紀の間に行われたキリスト教改宗弾圧の際の「キリスト教」の立場から記された断片的な異教信仰を示す内容の記述が残るのみであるスラヴ神話地方により様々なバリエーションがあったことが近年の研究により明らかになっている。

ズメイ・ゴルイニチ(「山の息子の竜」の意)の場合、3つ首以上、多ければ12体幹を持つと表現され、火や毒を噴くなど、歴然とした一般の「竜」のイメージで描かれる。

アングロサクソン年代記ファイアードレイク

アングロサクソン年代記』はアングロサクソン史を古英語で綴った年代記集大成である編纂9世紀後半のアルフレッド大王の治世に、恐らくはウェセックスにおいて行われた。

火の竜」を意味する名前の通り、炎をまとい、口からも炎を吐く。空を飛び、それが現れる時は辺り一面、昼のように照らされる。曇天の空に不思議な光が走る時はファイアードレイクが飛んでいるのだとされた。

隕石という説があるらしい。

獅子騎士イヴァン」のドラゴン

イヴァンまたは獅子騎士』(イヴァンまたはししのきし、Yvain, le Chevalier au Lion)は、1170年から1181年頃にかけてクレティアン・ド・トロワにより著作された散文騎士物語であり、アーサー王伝説主題にした5作品ひとつである

イヴァンは旅の途中で火を吐く大蛇獅子が戦っているところに出くわす。イヴァンは問答のすえ獅子に加勢し、大蛇を倒した。これに恩義を感じた獅子は、イヴァンと行動を共にするようになり、イヴァン獅子を連れた騎士とだけしか名乗らなくなる。

黄金伝説」のドラゴン

黄金伝説』(おうごんでんせつ、羅: Legenda aurea または Legenda sanctorum、レゲンダ・アウレア)は、ヤコブス・デ・ウォラギネ1230頃 – 98)によるキリスト教聖人伝集。1267年頃に完成した。

その時代エチオピアの町では一人の魔術師権力を持っていた。彼は常に恐ろしい二匹のドラゴンを連れていて、自分にはむかう者にけしかけていた。あまり大きなドラゴンではなかったが、口や鼻から火や燃える硫黄を噴出し、人や家を焼きつくしたので誰も魔術師に反抗できなかった。その噂を聞いたマタイ魔術師の元を訪れた。魔術師マタイドラゴンをけしかけたが、マタイが十字を切るとドラゴンは地面に倒れて眠り込んでしまう。

同じく「黄金伝説」に書かれている、有名な聖ゲオルギウスが退治したドラゴンは、毒を吐くが火は吐かない。

マルタが退治したタラスクは、「燃える糞を撒き散らす」と言われているけど、これ英語版では確認できなくない?

タラスクは、レヴィアタンボナコンの子なのだが、ボナコンの特徴である燃える糞」が、日本語訳されるとき混同されたのでは。

といったところから考えると、5世紀くらいまでは「火を吐くドラゴン概念は薄かったが、

8〜9世紀から伝承として語られはじめて、1012世紀頃にはすっかり定着していたという感じだろうか。

なぜ火を吐くようになったのか?

候補1:サラマンダーとの混同

サラマンダーは、火をより大きく燃え上がらせる能力があり、火山溶岩の中に住んでいるという伝承もある。

ズメイや、ヤコブドラゴンは、吐く息から硫黄臭いがするといい、火山連想させる。

候補2:雷や隕石などの自然現象に由来

ドラゴンには「地を這うドラゴン」と「空を飛ぶドラゴン」の二種類のイメージがあるが、

蛇や蜥蜴からは空を飛ぶイメージしづらいことを考えると、隕石から連想には説得力がある。

候補3:「身体が灼けるような猛毒から「火」に転じた

古典的ドラゴンはやはり「蛇」「毒」のイメージであり、

そこから火を吐くように変わっていったことを考えると、これも自然解釈に思われる。

うーん、わかんね。

anond:20190408143752

追記

というか最初、つまりギルガメシュ叙事詩(フンババ)の時点で『その口は火で、その息は死』と形容されてる。強力な怪物が火や死を吐くのは有史以前からの常識で、「最初から吐いてたが記録に残ってなかっただけ」では - cider_kondo のブックマーク / はてなブックマーク

フンババの咆哮は洪水であり、彼の口は火を意味し、吐息はまさに死である」というのは単なる比喩なのでは。

まあ比喩として記述されたものが、後に「そのもの」として受け取られるのは、この手の伝説ではよくあることだけれども。

仮にフンババが火を吐くとしてもそれだけで「もともと怪物は火を吐くのが常識」というのは飛躍ではないかと思う。

2018-04-05

熊はなぜ逃げろと言うのか

https://anond.hatelabo.jp/20180405090701

大喜利は他の人に任せて、おそらく増田は知っているだろう内容を大真面目にマジレス

本来歌詞

http://www.worldfolksong.com/closeup/bear/page4.htm

The other day, I met a bear, A great big bear, A way up there.

He looked at me, I looked at him, He sized up me, I sized up him.

ある日クマと出くわした かなりデカい熊に 道の途中で

クマは僕を見て 僕も熊を見た 

クマは僕を見定めて 僕も熊を見定めた







He says to me, "Why don't you run?" "'Cause I can see, you have no gun."

I say to him, "That's a good idea." "Now let's get going, get me out of here!"

クマは言った 「逃げなくて大丈夫?」「だって君は銃を持っていないみたいだから

僕はクマに言った 「そりゃいい考えだ」「それじゃ早速逃げるとしよう」




I began to run, away from there, But right behind me was that bear.

And on the path ahead of me, I saw a tree, Oh glory be.

僕は走って逃げ出した  でもすぐ後ろにはあのクマ

道の先には木があった ありがたい




The lowest branch was ten feet up, I'd have to jump and trust to luck.

And so I jumped into the air, But that branch away up there.

低い枝でも3メートル  運にまかせて大ジャンプ

体は宙を舞ったけど  あの枝まではとどかない




Now don't you fret, and don't you frown, I caught that branch on the way back down.

That's all there is, there ain't no more, Unless I meet that bear once more

心配しないで 機嫌を悪くしないで 倒れかけながらも なんとか枝をつかめたんだ

僕の話はこれでおしまい これ以上は何もないよ またどこかであのクマに出くわさない限りね




日本語歌詞

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E3%81%AE%E3%81%8F%E3%81%BE%E3%81%95%E3%82%93_(%E6%9B%B2)

クマが逃げろと言っているのに、追いかけてくるのはおかしいのではないか考える人は多い。これには2つの説がある[4]。日本語作詞者が不明とすれば、口承によって伝わって変遷したものと考えられる。1975年全音楽譜出版社から発行された楽譜では、2番でクマではなく「小鳥さん」が逃げろと忠告している。これだとストーリーに不自然な部分はなくなる。1985年発行の『季刊どうよう』第3号(チャイルド本社)において、「1970年頃、小鳥だった」と証言する人もいた[5]。

もう一つの説では、このクマは争いを好まない性格なので、暗い森から逃げたほうがいいよと忠告しているかである。この説は2005年12月16日テレビ東京系列放送されたテレビ番組所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!』において日本語作詞者の馬場祥弘説明している。

2010-11-08

http://anond.hatelabo.jp/20101108181420

単純に、社会が「年長者のほうが偉い」というシステムにしておけば、自分より劣位にある子供をつくる動機が生まれるから。

それは無いだろう。

年功序列ってのは、年長者の方が人口比率で少数になる事、

口承では年長者ほど蓄積された情報価値が高い事により、

年長者ほど価値が高まるからじゃないかね。

広い意味で言えば、このねずみ講が機能しなくなったから日本少子化が進んでいるわけだ。

逆に医療制度進歩少子化から人口比率が変わったこと、

教育システムの整備が、口伝の必要性を減じたらしめたことから、

年功序列は機能不全におちいったのではないだろうか。

どうも、年功序列が元凶のような書き方をしているので。

バブル崩壊までは、割と機能していたと思うよ。年功序列

ただ、その後、年功序列陳腐化してからも縋りついてるのが問題なわけで。

2007-11-15

最古の小説ねえ

anond:20071115180445

日本最古は竹取物語だろ?あんた学校で何習ったんだ。

まあ物語というのは基本的に「語り」というだけあって、口承文学で基礎ができていたから、最古を決めるのは非常に難しいが。

でも小説ってのは活字文学ジャンルのことだからね。その最古が悪文であったかどうかはわからないよ。

何せ、小説という概念が生まれる以前から、いろいろな物語がつむがれていただろうし。

それらを受容してきた世代の中で、文字を書けるほどの教養があった人物が、それほどおかしな小説を書き上げるだろうか。

 
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