はてなキーワード: 西口とは
駅西口周辺で喫煙していた専門学校生の男性(20)は「ワクチンは打たない」と言い切った。「副反応で死ぬ可能性もあると聞いた」という。連れの男性(20)も「マスクと消毒でコロナは防げる。どんな副反応が起きるか分からないワクチンの方が怖い」と同調した。
仙台市内で若者に話を聞くと「動画投稿サイトで『外国産のワクチンは危ない』と聞いた」(大学3年の21歳男性)、「ネットやツイッターに『打つと死ぬ』など怖いうわさがたくさんある」(専門学校生の18歳女性)など、接種への期待より不安の声が多い。
ワクチン「打たない」若者にじわり 副反応への不安、ネットで拡大(河北新報) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/66cd6bd1a28d2e15c6c63e8d95fb1a8c58c72d21
先日から話題になっていた、「若者の『コスパ』重視」と重なりますね。副反応のデメリットを、マスク、消毒、そして体力でカバーするメリットが自身にとっては上回っているのでしょう。集団免疫なんて関係ない、自分がかかるかどうかだけ、なんでしょう。
引用URLは無い。ネットとかTVでの池袋の扱い全般への反駁&雑語りと思ってくれい。
これ嘘だから!元池袋史跡公園っていうのを豊島区がこしらえちゃってるけどこれ嘘だから!
あのさ、駅周辺のこの辺が池袋になったのって日本鉄道が池袋駅を開設してからの事なんだけど?
それまで池袋っていうのは東上線二駅目の下板橋駅周辺が池袋だったの。今でもこの辺は「池袋本町」って地名でこれは池袋本村、池袋村のメインの集落だった所なのよ。
「袋」っていう地名は川が湾曲してその内側の土地の事を指すのな。江戸袋とか大袋とか色々あるがみんなそう。
今は暗渠化された谷端川っていう川が屈曲しててその内側の高台が池袋本町(村)。池やら沼があったんじゃないかと言われているが記録が残ってないので池が付いた理由は不明だ。
そもそもこの元池袋史跡公園がある場所っていうのは昔は雑司ヶ谷村だったのな。池袋村と雑司ヶ谷村の境界は大体今の池袋駅南通路の辺り。
それなのに遥か数キロも離れた池袋村の名の由来になるはず無いだろ。豊島区は誤解の元だからあの公園撤去するか説明書書き換えろってーの。
余談だが山の手の台地の上で井戸を7~10m程掘ると水が出てくるんだが、それって粘土の関東ローム層の下に砂礫層があるから。だからこの谷端川がそれだけ谷を刻んだ下流では小石だらけになる。なので下流は小石川って呼ばれて地名にもなってる。
東京山の手って山あり谷ありって言われるけど、そうじゃなくて谷だけがある地形なんだな。富士山と伊豆の山が噴火した火山灰が積み重なって西高東低のかなり緩い勾配のまっ平らな台地ができた。
ここに多数の小河川が切り込みを入れた地形になっている。だから尾根の部分はほぼまっ平らな訳です。これは国道246の赤坂→渋谷手前とか国道254の春日→池袋六差路とかを走れば判る。この二つは尾根道の街道を車道化したものでとにかくまっ平ら。
因みに上野~赤羽等の線で台地がきっぱり切れ落ちて下町になってるのは海進時にそこからが海だったから。
というか、台地はもっと東に伸びていたが波に削られて海食崖が後退したと考える方が自然。上野~赤羽って京浜東北線に乗れば判るが崖が真っすぐでしょう?これって海食崖の特徴ですわ。
あと、陸地が角になっている所って波の入射方向、角の先に真っすぐな海岸線が延長されるように砂嘴や砂州が出来るけど、上野、赤羽の角地形の先には砂嘴の痕跡がありますよ。上野の場合は根岸砂州というのがあり微高地になっていてこの上に日光街道、千住宿が作られていた。赤羽の方は名前不詳なれど川口、戸田の喜沢の辺りに筋状の微高地がある。
脱線したがこういう地形だから山の手ではまっ平らな尾根部分では水を引けない。だから水田は出来ない。水利は限られたもので貴重だった。
農村である雑司ヶ谷村の水源だけ池袋村に属してる訳無いし(トラブルの元だ)、遥か離れた他村の水源地の名前に因んで池袋の村名が決まる訳ないやろ。
だから駅周辺が池袋になったのは駅が出来て以後の事なのだ。因みに古典落語でも池袋は結構出てくるんだけど、当然それは下板橋駅周辺の事ですよ。
駅にはそこに至る道路があるのが当たり前。でもそれは今の事であって日本鉄道って鉄道が官営鉄道1本しか無い時代に鉄道を敷いた道なき道を行くパイオニアだった訳。だから日本鉄道側が既存の街道に面して駅を作らなきゃいけない。
でも江戸時代には道路というのは軍事施設でもあった。だから数少ない街道以外は道らしきものはない。勝手に道を普請して罰せられたケースは数多くあり、その殆どは死刑だった。
それで、品川線(現山手線~赤羽線)から新規開業する土浦線(現常磐線 当初の始発駅は田端)に繋げたい日本鉄道は目白分岐としたかったが、雑司ヶ谷村に難色を示され更に巣鴨村に建設予定の近代的監獄(巣鴨拘置所、現サンシャイン)に重なると政府にダメ出しされてしまう。
そこで目白の北側のまっ平らな辺りで分岐する事にした。ここまではよく説明される事だ。
問題はここからで、雑木林しかない、集落すらない場所で乗客が駅に来れる様にするにはどうすればよいか?
中山道板橋宿の平尾追分から川越街道(現首都高中央環状線JCT~大山サンロード~ハッピーロード)が分岐し、そこから直ぐに分岐して雑司ヶ谷を抜けて早稲田に至る雑司ヶ谷道という道があった。これは金井窪~ローソンストア100池袋本町1丁目店を右折して平和通り~WEロード~明治通り~鬼子母神電停前~と続く現存する道だ。
この道と日本鉄道の線路が交わる所は踏切になっていた。駅を設置するならここしか無い。他に適当な街道に接近するところがないからね。
って事で今のP'パルコの左側に駅が作られることになったのだ。WEロードの正式名称は雑司が谷隧道だ。線路が増えすぎて踏切では危ないのでガードになったのだな。
Wikipediaの池袋駅の項には日本鉄道時代の駅の写真が貼られている。
これはWEロードの前身の踏切から撮られたもんだ。場所はP’パルコの裏手。
なのでこの汚いガード(の前身の踏切)は池袋の全ての始まりなんであるのよ。
サンシャインの前身は巣鴨プリズンで有名だがそれは東京裁判が決する迄の一時期で、東京拘置所だった。
東京拘置所を小菅に移転して跡地の再開発の話になった時に周囲の地権者、縁故者を集めて合意形成の場が開かれることになった。
ここで特に問題になったのが池袋駅直通地下街の建造で、強硬な反対派が居てその筆頭が東口の洋菓子店タカセだった。当時タカセは小売店の有力な顔役だった。地下道ができたら当然人の流れは変わり地面店は売上激減する。
その為に駅直結地下道の話は流れてしまい。東急ハンズ横からの短い地下道と東池袋駅がアクセスルートとなる中途半端な形になってしまった。
この地下道建設流れで当時タカセの地元での評判はかなり低下したらしい。
しかしその後の埼玉の植民地化=池袋駅~ハンズの学生向けの店舗の隆盛を見れば反対して正解だったとしか思えない。通路を兼ねた地下街なんてどうせ碌な集客力がない。そもそもハンズ前の道には丸の内線が埋まっているから地下街の幅は取れないんである。
なので学生向け店舗の経営者は出退勤の途上に今はやや寂れた感のあるタカセ前で一礼すべきである。若年向けのP’パルコだって地下道があったら出来てなかっただろう。P' のテナント一同もタカセ参りはすべきである。
ここなんだけど、池袋行く人でここのおかしさに気づく人ってどれだけいるだろう?
https://goo.gl/maps/UQN2f86tQk8xXQPv5
逆を向いてほしい。西武の搬入口だけがある。なのに信号機で管制されている。何故だろうか?
そのわけは南のびっくりガードの途中にある。
https://goo.gl/maps/BR5VUwN7iYPUv5Zx5
ここから入るとJR線路と西武線の間の空き地に出る(入っちゃダメよ)。実は当初のびっくりガードはここを上がってから西武線を踏切で渡って明治通りに出るというルートだった。
この坂の上はJR用地で昔は国鉄の貨物駅だった。つまり初代びっくりガードは国鉄をガードで潜って直角に折れて急坂を上り国鉄貨物駅の中を通り西武線を踏切で渡る。そして出てきた先がさっきの搬入口前の交叉点だったって訳。
現在の中央東口っていうのは元は西武線の改札だった所で、西武が運営するデパート、武蔵野デパートはエルメスがあるあたりにちょこんとあった。
しかし当時の西武の社長は貪欲な堤康次郎と堤義明。もっともっと増床だ!でも駅が邪魔だ!ならば線路を縮めて駅を向こうに追っ払えばいいじゃん。
という事で駅をずらすのに邪魔な踏切は廃止。その代わりに国鉄ガードの延長にガードを作った。そして踏切跡はデパート搬入口に転用。
井の頭線渋谷駅や世田谷線三軒茶屋駅とか、商業ビル建てるために駅をその向こうに追いやって客はその分歩けっていう工事するのがあるじゃないすか。あれムカつきますよね。
こういう訳で「西武デパートの搬入口だけの為に信号がある」状態が生まれた。一見それに見えなかったものがトマソン的である事を発見するとその由来が見えてくるって事ですわ。そしてびっくりガードなんて間抜けな名前が公的に使用されてる事の方がびっくりだわ。
昭和29年に地下鉄丸の内線が開通することになりそれに合わせて建築されたビルが結構残っている。LABIの建物が代表格でここは元三越。今も所有者は三越な筈。
昭和28年頃の完成なので今でも売り場の裏は非常~に古い。客用エレベータもエレガ時代は真鍮蛇腹式だった。それでは客がセルフオペ出来ないのでかごは替えられてしまった(着床位置も手動ハンドルで調整する方式だった)。
LABIの裏にマックがあるがここは三越が所有していて地下にLABIの搬入通路がある。マックの裏の建物はLABIの搬入口になっている。
新しそうなパルコも昭和32年竣工の東京丸物デパートの居抜き。
昔は携帯電話が無かったから待ち合わせ場所を家の電話で打ち合わせておく必要があった。新宿駅や東京駅には待ち合わせ場所としてアルプス広場や銀の鈴があるが池袋駅には無かった。
そこで末期の国鉄の人らが考えて作ったのがいけふくろう。いけぶくろだからいけふくろう。
国鉄はそれまでの親方日の丸体質ではダメな状況に至り、色々とサービスアップの為の試行錯誤をしていた。現在のJRより熱心だったが如何せんセンスがダサい。
いけふくろうもかなりの失笑を買ったと言われているがその後豊島区などがフクロウの里などの歴史修正主義を始め定着するに至った。
いけふくろう像があるのは北通路の階段付近という半端な場所だがこれはパルコの土地ぎりぎりのJRの土地であるから。いけふくろうのダジャレを考えた国鉄マンの同定をしなくていいのだろうか?疑問である。
サンシャインの地下駐車場のそのまた下には地域冷暖房の施設があって付近のビクトリアスポーツや東池袋駅やハンズのビルなどに熱供給を行っている。
これは触れている本やサイト、番組が多いが、実はその下に東電の変電所がある。これはサンシャインで働く人も知らない秘密なのだが、数年前にあった新座でのケーブル火災による東京大停電での停電地域によって変電所の場所が割れてしまった。
城北線豊島変電所というのがここで、終端変電所は内幸町の東電本社の地下である。
https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/hoan_shohi/denryoku_anzen/pdf/014_06_00.pdf
雑司ヶ谷道の駅北側は戦後商店街となって平和通りと名付けられた。だがどういう訳だかヤクザの事務所がこの道路沿いに林立するようになり、やがて抗争が勃発、殺し合いまで始まった。
90年代後半になるまで路上駐車というのはルーズに見逃されておりその辺にとめるドライバーが多かったが、事情を知らぬ者は平和通りの組事務所前にとめてしまう。
玄関前塞いで車止められたら誰でもいい気分はしないが組となればメンツの問題でもある。戻ってきたドライバーはそのまま事務所にお持ち帰りとなって凄まれ絞られ少なくない詫び賃を置いていく羽目になる者もいた。
お巡りさんに泣きついても「こんな通りに駐車したら身の危険になるのは当たり前でしょ」と説諭される始末。平和通りなのに。
やがて銃撃事件などが相次ぎ非常線で封鎖される事もしばしばとなった。シャブで錯乱したヤクザが突然暴行を加えたり物を破壊したり自分を刺して血だらけで歩いていたり警察に保護具で簀巻きにされている所がみられる事もあった。結構な高頻度で。北口のレンタルビデオ店G〇〇が入居するマンションなどは上がほぼすべて893となってしまった事で有名だった。
暴力団新法の施行でヤクザは激減してこれらの風物詩は過去のものとなった。
あの事故のあった道路はほぼ直線なのだがどういう訳か事故が多い。飯塚のは運動能力の問題だろうがスピードを出しすぎる車&Jウオークする歩行者両方に問題があるケースが多い。見通しが良すぎて油断するのだろう。
過去の事例では130km/hで邁進するフェアレディZがUターン中の1Boxカーに衝撃して1Boxの助手席女性が死亡するという事故があったが、普通Uターン側にも責任が問われる所、相手の速度が速すぎて予見不能として1Box運転者に無罪判決が出るという事件があった。
10年近く争っての事だが異例な判決である。その後も事故が続くので信号機を増やしたりしたのだがあんな予見困難な大事故が起きてしまった。
池袋にいわゆる駅ビルみたいなものはなくてデパートばかりだが、戦争で駅舎が燃えてしまったので戦後に鉄筋コンクリートで国鉄駅舎というのを作った…のだが直後に民間資本の建物を誘致する民衆ビル構想が立ち上がったので駅ビルは解体され丸物(現パルコ)や西武のデパートが建つ事になった。計画性無さすぎである。いや勢いがあったのか。
開通当時は武蔵野鉄道(買収)→西武、東上鉄道(買収)→東武だったから最初は変じゃなかったよってのが定番の豆知識記事だが、「東に東武」もあった。
サンシャイン手前~飯塚事故現場辺りの一帯は戦前東武鉄道の根津嘉一郎が所有しており根津山と呼ばれていた。雑木林だらけの池袋駅~護国寺に道路と都電を通す事になり全部手放したのである。
池袋東側の住人なら赤尾敏は誰でも知ってるけど日ころとか朝生とかに出てるらしい赤尾由美見た事ある人いない。だってあんた道場に居なかったじゃんよ。何赤尾敏赤尾敏って名前使ってるの?
お祭りには欠かさず来るね。で、それだけで「地元の人」って認知受けちゃう。贅六の落下傘なんだけどな。
一月二十八日(木)
先日、TENGAを買っても紙袋がもらえなかったのだが、それが店員さんのうっかりミスかどうかを確かめるために、もう一度ジョギング帰りに同じ店舗でTENGAとついでに飲料水を購入した。何も言わずにTENGAを手渡しされた前回とは違い、今回は袋はいりますか、と尋ねられて断ったのだが、やっぱりオナホを隠す袋はもらえないらしい。これも環境のためだろうと思い、先週と同じくポケットに突っ込んだ。白いソフトタイプだったから同じ色のジャージにしまっても目立たない。
それはさておき、コンドームを買っても袋はもらえないのだろうか。あるいは、生理用品なんかはどうなのだろう。薬局とコンビニとでも対応が違うのだろうか。生理は隠すべきものだという風潮は一昔前に比べれば薄れたが、やっぱり恥ずかしいと思う人はまだ多く、これでいいのかと思わなくもないが、そういう人は普通にビニール袋をもらうなり鞄にしまうなりするので問題にならないのだろう。
そういえば、横浜駅西口五番街でエロ漫画を買ったとき、書店名の入っていない黒い袋に入れてもらった記憶があるのだが、そこでエロ漫画を買ったらやっぱり袋なしがデフォルトなんだろうか。気になるところだが、今読みたいエロ漫画が特にあるわけではない。エロ漫画ソムリエの友人にいいのはないのか尋ねるのも面倒だ。
仕事は本社半分、テレワーク半分というところだが、来週からは残念ながら当分は出勤しなければなりそうだ。職場の環境はよく、いつでもコーヒーが飲めるのはありがたいのだが、最近の流行だろうか、オープンスペースで自分の席の後ろが会議スペースになっている。そこで何やらもめていたり叱責していたりと落ち着かない。最近は以前と比べればこうした人の声が気にならなくなってきたのだが、昨日はオンライン面接とその評価をやっていたが耳に入った。体育会系だけれども笑顔が足りないとかへらへらしているだとか、好き勝手言われつつ採点されているのを見ると、自分も入社時は人事にいろいろと言われていたのだろうかと想像される。
何の関係もないが、さきほど日本世論調査協会だとかそんな名前のところから電話がかかってきた。電話を受けてみると自動音声で何やらアンケートに答えてくれという。今週はクレジットカード宣伝の電話も業務時間中にかかってきたし、何かと忙しい。弊社は昼休みの時間が若干ずれているので、その旨を伝えると大変恐縮していた。
今日の夕飯はとんかつとカキフライだった。おいしい。おいしいが正月に体重が一キロ半増えてから戻らない。妹がおいしいパンを頻繁に焼くからなおさらである。
夕飯を食べて一息入れてから、購入した入江亜季「北北西に雲と往け」の五巻を読んだ。もともとこの漫画はタイトルだけ知っていたのを、おととしの冬にデートした女性に勧められたので既刊を全部買ったのだが、結局その女性とは付き合うことはなく、続きを読む気になれなかった。さいわい、昨年の秋から別の女性とおつきあいすることができたので、そうしたわだかまりもなく新刊を手に取ることができた。主人公とヒロインがちょっと素直になったのを、特に嫉妬することなくもなくニヤニヤしながら読めるのはうれしい。
念のため、年齢はぼかす。創作なので俺も彼女もどこにもいないです。
俺には中学生の頃に女友達がいた。その子は低い声がコンプレックスらしくあまり人前で喋る方ではなくて、アスペルガー障害を持っていた(これは後に発覚)ので、よく周りが笑っている時に笑いどころが分からないと一人で真顔でポツンと座ってるような子だった。ストレスで上唇を噛む癖があり、パッチりとした目をした可愛い子だったが上唇がいつもボロボロだった。それでも2,3人の女の子グループにいつもいて、ぎこちなく笑いを浮かべて過ごしてはいた。
その子も俺もよく休みがちだった。俺は情報量が多い学校生活を送っていると脳と体が疲弊しきるので、周りと比較することを覚えた小4あたりから社会生活を諦めていた。布団に入って教育テレビを見ながら疲弊と不安で泣いてることが多かった。
彼女と同じクラスになったのは中1の頃で、席替えの時に隣の席になった。とある授業で前日休んだ人間が前日のプリントを職員室に二人で受け取りに来いといわれたので二人で一緒に行ったのが彼女と接点を持ったきっかけだった。今まであんまり接点がなかったが無言のまま行くの気まずいので「マンガ読む?」と彼女に聞いた。彼女は「うん、鈴木先生とか」と即答した。
当時でアクションで連載開始したばっかりぐらいの時期だったので、同級生にアクションを読んでる人間がいるとは思わなくて驚いた。父が買ってる漫画雑誌や父の本棚の本を読んでいるらしい。俺と全く同じだった。
それをきっかけに仲良くなった。ジャンプを読まず、アニメも観ず、流行がわからない俺には漫画の話をする相手が彼女しかいなかった。話を合わせる必要がある同性の同級生よりも、彼女と漫画の話をしてる方が楽しかった。彼女から「安野モヨコ」を教えてもらい、俺は彼女に「吉田秋生」を教えた。こっそり漫画を貸し借りした。「吉祥天女すごい面白かった」と彼女は言っていた。俺は「BANANAFISHは?」と彼女に聞いたら「IQ200もある人間が男娼なんかになるわけないし悪い意味で都合がいい展開多くてBANANAFISHは好きじゃなかった」とハッキリ言った。俺はそれを聞いてハッとして「それもそうだね」と笑った。彼女は笑うわけでも怒るわけでもなく、ただ無表情だった。最初は嫌わてるのかと思ったが、こういう子なんだと理解できた。
中3になって受験シーズンに入ると周りも受験モードになってくる。彼女とは別のクラスになったが、メールで時々やりとりをしていた。俺は特に行きたい高校がなかったので通信制の高校へ行くつもりでいた。欠席日数も100日を超えていたし、何よりまともに高校生活を送れるとは思わなかった。通信制の高校なら週1の通学で卒業できるので、俺でもなんとかやれると思えたのだ。「教師になりたい」と言っていた彼女は大学進学も視野にいれて進学校に行きたいらしい。俺も彼女も成績は上位20番台に入れたので、「学校休んでまで勉強しているガリ勉」だとかよく陰口を叩かれていた。特に進学に成績が関係のない俺は受験シーズンになっても変わる事なく学校を休んだりしていた。周りが受験モードになると俺は成績が50番台まで落ち、塾に通いだした彼女は上位10位をキープするようになった。同級生に志望校を聞かれたとき、通信制の高校名を口にすると驚かれた。なんでそんな所に行くんだ。と。三者面談の時に担任から「第一志望を通信制の高校にするやつなんて初めて見た。考え直せ。」親からも「せめて普通の子みたいに普通の高校行ったら?」と言われた。周りから理解はされなかったが、学校を休みがちな彼女だけは「頭の中がオーバーフローしそうな時は横になってるのが一番落ち着くんだよね、それ以外どうすればいいかわからない」と言っていた。あの時俺の気質を理解してくれてたのは彼女だけだったと思う。面倒くさかったので、家から一番近い学校を受験した。前期受験の時に同じ中学から受験した子は成績が「160人中120位」ぐらいの子だった。「え!?なんでお前もここ!?」みたいな反応をされたのを覚えてる。周りにも騒がれた。
俺は第一志望の通信制の高校に通うを事は叶わず、家から一番近い偏差値40ぐらいの高校に通うことになった。彼女は後期試験で第一志望の高校に受かった。思春期の周りが恋愛モードになるが、俺たちは卒業まで学校で会話することもなく、淡々とメールを交わすだけだった。ある日彼女に「好きな人いないの?」と聞かれた。俺は「枕と敷布団とかけ布団の3股してるよ」と答えると「私もだ笑」と帰ってきた。「塾の先生がすごい恰好良くてね、携帯にペアのストラップつけてるんだけど、あれは彼女いるんだろうな。私も彼氏欲しいな」と言ってきた。今思うと、彼女が学校で仲良かった異性は俺ぐらいだったし、あれは彼女なりのモーションだったのかもしれない。彼女にとって俺は恋愛対象じゃないと思っていたので「高校行ったらできるんじゃないかな、応援してる」と返した。そんな感じで卒業して俺たちは疎遠になった。俺はこのままうだつの上がらない生活をし続けて、高校進学で高みを目指せる彼女は、もっともっと高い所に行くんだろうな。と少し寂しくなった。
俺は高校では相変わらず休みガチだったが、中退はさすがにまずいと思って卒業できる程度に通った。授業も中学の復習から始まったりして、授業も教科書をなぞるだけだったので、体が辛くても無心でノートを取って、休み時間はずっと寝ていた。幸いクラスメイトも良い子が多くて、人間関係で悩むこともなかった。一度学期末の成績優秀者で学期末に壇上に呼ばれたのがトラウマになり、勉強は授業を受けるだけで一切手を付けなくなった。
高3の頃に俺は進学か就職かの岐路に立たされた。進学する金も家になければ熱意もなくて、自動で就職になった。よく教師や親からは「お前みたいなやつ社会じゃやっていけない」と言われていたので、そんな大人たちがいう「楽な仕事」の代表の「市役所」に就職することにして、公務員試験の対策で過去問を解いてたら高卒枠で滑り込めた。うちの高校から市職員を輩出するのは初だと、また騒ぎになって、来年インタビューに行くからなと担任から言われたのがすごい嫌だった。
就職が決まってから、俺は中学の頃の彼女を思い出した。中学を卒業してから「高校どう?」と一度連絡したら、「楽しくやってるけど、周りが勉強出来すぎてヤバイ」と不安をこぼしていた。少し心配だったが、勉強に忙しそうだったし、彼女に連絡を入れて勉強の邪魔をするのも嫌だったし、もしもガス抜きしたくなったら俺に連絡くるだろう。と思っていた。それ以降連絡は来てない。まだ教師を目指してるんだろうか。大学はどこに行くんだろうか。あれだけ不登校気味だった俺は市職員になるよ。税金でご飯食べるよ。笑っちゃうよね。鈴木先生おわっちゃったね。この間ね、安野モヨコのエッセイ読んだよ。いろんな話をしたかった。「久しぶり、元気?」一通だけ送った。ひょっとしたらアドレスが変わっていてメールは届かないかもしれない。無事届いた。がその日は返事が来なかった。
翌日の夜中に一通メールが来た。彼女からだ。「久しぶりー、そっちも元気?私はまあまあかな。私入ってからすぐ高校辞めちゃった。〇〇駅(県内で一番大きな駅)の西口で売春してたら補導されて、親にすごい怒られて家にも居られなくなっちゃってさ、今は回春エステを転々として寝泊りしてるよー。増田は大学行くの?頭良かったもんねえ」
ビックリした。
口から晋三が出るかと思った。
中学の俺たちは似た者同士だと思った。しかし俺は彼女だけが高みへ飛んだと思っていたのだ。俺がだらだらと低空飛行の高校生活を送ってる間に、彼女は高校を辞めるぐらいまで追い詰められていた。働きたくなかった俺は公務員になり、教師になりたかった彼女は風俗嬢になっていた。一体どこでどう間違えたんだ?あれだけ高校受験を励めるお前が、頑張れるお前が、なんで落ちたんだ?落ちるんだったら俺の方だろ?
俺は彼女とご飯を食べに行く約束をとりつけた。会って話がしたかった。幸い昼間は時間の融通が利くそうで、予定調整してから合うまでに時間はかからなかった。
久々に会った彼女は顔の印象がだいぶ変わっていた。黒い髪は相変わらずだったが、パッチりとした目の下には人工的な涙袋が入ってた。垢ぬけた感じはあった。体は細いがなぜか指がパンパンに膨れ上がっていて、表情があまりかわらないのは昔のままだった。ボロボロだった上唇が細くきれいになっていた。
「久しぶりだね、大人っぽくなったな」と声をかけると「そっちも中学の時よりすごいかっこよくなっててビックリした」と言ってきた。彼女はこんな事言えたのか。なんか変わったなと思った。
ファミレスで軽食をしながら俺たちはお互いの話をした。彼女からは3年間の空白を埋めるようにいろんな話を聞いた。
彼女は高校に進学してから授業についていくためにずっと勉強をしていた事。授業についていくために塾にも通った事。それでもとうとうキャパティシが限界を迎えた事。家で数学の勉強をしてる時に発狂してしまった事。不安と違和感を感じた両親が精神科に連れていき診察した結果、適応障害とうつ病だと判断された事。両親と医者と本人との3者でのカウンセリングを重ねたり、いろんな検査を受けた結果幼少期からアスペルガー障害があることもわかった事。その高校を辞めた翌年は別の学校に再受験した事。受かったが周りが自分より1つ年下の環境と、前の学校が県内上位の進学校だった事もありすぐに噂が広がり居づらくなった事。ブロンでODをした事。次第に金パブにも手をだすようになった事。金パブブーストで学校に通い続けることができたが、そこでも最終的には居づらくなり精神が限界を迎えて学校を辞めてしまった事。応援してくれた両親も激怒し愛想つかした事。フリーターとしてコンビニバイトなどをするも空気が読めず、どこへ行ってもうまくいかなかった事。バイトを転々としていた当時高2の彼女が自分一人の力でも食べていけるようになった手段が「売春」だった事。売春を続けていたら補導されたので、寝泊りができる回春エステで働くことにした事。過食嘔吐がストレス解消の手段になった事。整形して顔をいじったこと。今の収入じゃ満足できなくなってきた事。回春エステでチップをもらいながら本番をしていたところ病気をもらって運営にも本番行為がバレた事。今度デリヘルに転向する事。一切本が読めなくなったこと。文章が頭に入らなくなったこと。休みの日は過食しながらyoutubeでジャルジャルの漫才を見てゲロ吐いてる事。誰かにずっと監視されてること。いつも誰かに悪口を言われてる気がしてるということ。昔の彼女の面影を探すように俺は彼女に色んな話をきいた。中学の3年分よりも彼女と話した。
しかし俺は彼女に「普通の生活に戻る気はないのか」とはどうしても聞けなかったのだ。学生生活を満足に送る事が出来なかった俺だからこそわかる。その質問は残酷すぎた。普通に働けたのであれば、とっくに働いているのだ。彼女の話をきいて、彼女が彼女の世界でなんとか足掻こうとしてるのが俺には痛い程わかった。
「中学の頃にさ、〇〇(女友達)はIQ200もあれば男娼になるはずない。ってBANANAFISHを批判してたの覚えてる?」
「あー、懐かしい。言ってたね。吉祥天女今でも好きだよ。文庫版買っちゃったの実家にある。」
「買ったんだ、言ってくれればあげたのに。俺はさ、〇〇が風俗嬢になるはずない。ってこの間のメールみて思ったんだよね。」
「だから?」
「でもそれって、〇〇のしんどさとか辛さとか経験を、俺がわかってないだけだったんだな。ってお前の話聞いて思ったよ。アッシュが男娼になるまでのバックグラウンドがもっと掘り下げられていれば、〇〇もBANANAFISH楽しめたのかなー」
「増田は変わらないね。私の土俵で私の漫画の話をしてくれるよね。中学の頃私と一緒にいた女友達覚えてる?あの子たち時々連絡くれてたんだけど、高校中退した時に『何があっても友達だから』って言ってくれたのに、私が売春初めてから連絡してこなくなったよ。私が売春してんのも回春してんのも同級生の間でもう噂になってんでしょ?この間中学の時の××からヤらせてくれってメールきたよ。ただ話したいから会おうって言ってきたのは増田だけ。増田からメール来た時、仕事中もずっと増田の事思い出してた。うれしかったよ」
「そんなに嬉しかった?だったら、薬指切り落して俺に送り付けてくれてもよかったんじゃない?(安野モヨコの漫画ネタ)」
「馬鹿じゃないの」3年越しにあってから初め聞いた彼女の笑った声と、笑った顔だった。
俺には彼女を救い上げてやることはできないし、彼女の生活を支えてやることもできない。彼女を守ることもできないし、俺たちにはお互いを支えあうような力は残ってなかった。日々の生活でいっぱいいっぱいなのは、お互いが一番よく理解していた。公務員に内定が決まった俺に目の色を変える同級生がいたが、一番寄りかかりたいだろう彼女は俺に依存しようとは一切しなかった。性風俗を咎めず、性風俗に従事している彼女をただ受け入れて話を聞く。俺にできるのはそれだけだった。
俺たちはその日たくさん話して、仕事へ向かう彼女を見送った。何故かもう会えない気がしたので、「体に気を付けて」といったら「そっちもね」と、中学の頃と変わらない無表情で返ってきた。
それから数年経ったある日、彼女から「私と会った事ある人だよね?ずっとスマホが監視されてて。確認したかったの。ヤバい人にずっと付きまとわれてて、ネットに本名も晒されて、ずっと監視されてるから疑心暗鬼になっちゃって」とよくわからないメールが飛びこんできた。「久しぶり、増田だよ、中学の頃から同級生だったろ。大丈夫か?」とメールを返したが送信エラーになった。
心配した俺は、ひょっとしたら彼女が実家で療養しているのかと思って、中学の同級生から彼女の実家の住所を聞き家まで行った。表札には彼女の苗字はなく別の苗字が書いてあった。念のためインターホンを押したら現住民が対応してくれた。どうやら今の住民は中古物件としてこの家を買ったみたいで、前回の住民とは一切コンタクトは取っていないとの事。文章でのやりとりが得意で、口語でのやりとりが苦手だった俺たちは、携帯の電話番号を交換していなかった。俺は彼女と連絡をとる手段を失った。
ジメッとする盆過ぎの暑さの頃、そう学生は夏休みの真っ只中だった。
クーラーの効いた個室に入って、仕事中だからこそぐったりする開放感。
しばらくすると電話が鳴り続けるので取ると、フロントからの取次だった。
こんにちはー。何歳ですかー。若いですねー。何歳だと思うー?何してるのー?
違った。「いま私たち、池袋の西口にいるんですけど暇してて。高校生」。
分かった。冷たい飲み物おごってあげるから、ロッテリアで待ち合わせようよ。
「外出します」とフロントに言い、汗がじわりとサンシャイン通りのロッテリアに歩く。
よく周りを見たら、夏休み中の小中高大学生でいっぱいだった。映画を見るのか?見たのか?
いま思えば携帯電話も無しによく待ち合わせできたな。この後PHSを買うことにした。
スーツ姿で22歳で、ロッテリアの前で僕はキョロキョロしている。「すみません、電話の人ですか?」
女子高生二人組は、今年高校入学で、まだ垢抜けない15歳だった。服装も一昔前の中学生みたいだった。
顔も可愛くない寄りの普通だった。
ロッテリアのセットメニューを注文して、冷房が半分効くテラス席に座った。
歳は22歳と15歳と16歳だ。何してるんですか。会社が嫌で嫌で、
テレクラは涼しくて個室で寝れてテレビも漫画もあるからなんだ。
昔の外回りの営業と言えば、パチンコか喫茶店か映画館だろうか。
なんでテレクラに電話してきたの?暇だったし、興味あったし。ねえ。
二人だし昼間だし、怖かったら電話切っちゃえばいいし。そうそう。
いままで何してたの?さっき待ち合わせて、どうしようっかって。埼玉からなんだ。
「これから三人で、涼しいラブホに行かない?コンビニでお菓子買って」
えーえー。ラブホって昼間やってるんですか?昼間は逆に安いんだ。
どこにあるんです?池袋は北口にいっぱいあるんだ。ここから歩いて10分くらい。
行って何するんですか?何もしません。大きなベッドで寝られる。
私は良いけど。エッチなことしないですよね?これを機会に見学見学!
ちなみに僕は、女の子の私でも本気を出したらこいつに喧嘩で勝てる、
歩いてもいいけど、夏の暑さのせいかしら、タクシーで陸橋渡って北口へ。
コンビニの前で降りて、適当にお菓子や飲み物やビールも買った、僕はアルコールは飲まないけど。
新宿のラブホだと、もっと大きくてディズニーランドの建物、ではないけど、まあいいか。
どの部屋がいい?うーん、取り敢えずどれでもいいかな、まずは。
普通の見た目広めの部屋にした。
部屋に入りドアを閉める三人。家族旅行で旅館の部屋に入った時と同じ気持ちだ。
ベッドに飛び乗る。あちこち見る。ボタンを押す。照明をいじる。
浴室を見に行く。テレビをつける。案内板読む読む。エッチなチャンネルにする。
ここはラブホテルでエッチなことする場所だし、エッチなビデオを見てもおかしくないと思います。
なるほど。。今日だけね今日だけね。家で見たことある?無いー。
ビデオ、みんながいつも居る部屋にしかないし。お父さんも見てないと思う。
夜中でもなんかテレビついてたら分かるし。私とお母さんとおばあちゃんが買い物行ってるときとか?
私は中学校の時の友だちのお兄ちゃんのを、友達んちで少し見たことある。
モザイクで見えないよねー。見えない見えない。
僕はそんなお喋りをしてエロビデオを見てる片方の女の子の見えそうで見える白いパンツをじっと見てた。
女の子の視線はテレビのエロビデオ。僕の視線は女の子のスカートの中。
女の子が立膝を崩すのと「モザイクで見えない」と言うのが一緒だった。
「何が?」「おちんちん」「あ、え、」「おちんちんって言わない?英語でぺにす?」
「保健のテストあったじゃん。生理とか子宮とか妊娠はいいけど、
名前とか漢字で書くのやだったなー」「いんけいとかしゃせいとかぼっきとか」
ベッドの上の女の子に普通に近づいで、手前の女の子のスカートの中のパンツの股間に触ってみた。
隣の女の子も気付かないくらい反応はしなくて、後ろにあった枕を取って自分の腿の上に乗せて、押さえつけた。
だからそのまま指をパンツの中に入れたら、ぬるぬるだった。もしかして生理だったのかな、ナプキン無かった。
ここまで書いて疲れた。
女の子のパンツ脱がして二人でよく観察して、指でいじりながら、
上も脱いで脱いでと素っ裸にして、どさくさに胸を揉み揉み。
素っ裸になってエロいことも見られた女の子はもう怖いもの無し、
友だちの女の子に服脱いで。私は嫌だ恥ずかしい。恥ずかしくない、一緒にお風呂に入れる。
胸が小さいからやだ、毛も濃いから恥ずかしい。私もう全部見たじゃん。
男の僕の存在はとくにどうでもいいみたいで、
脱がせましょう!と二人で女の子の服を脱がせた。
パンツは僕が下ろした。女の子の股間に指を当てて、割れ目を開いて、
なんか透明ななんか出てて、ぬるぬるですよ。と、しれっとすごいことをやると、
濡れるの同んなじ、おなにーの時と。指で触ってないのに濡れた。
二人はお風呂に小一時間入って、「おちんちん見たい」って言うけど、
断る理由も無いから見せて触られて握られて、無理無理絶対入らない。
もう女の子の恥ずかしげでない最初に手を出した方の女の子の股間を手でぐいぐいして、
唇にキスしちゃおう、と思ったけど思いとどめて、もう片方の女の子の警戒心無い素っ裸の、
太ももに射精して、うわあったかい、精液白い。プールの臭い。はふぅっ。
手まんしてる女の子、裸で抱きついてくる。
飽きた
「おお!そうなんだ。サイトの地図見たけど、ネットカフェがあったとこね。しかしこれだと近くのカラオケアミは経営大変だね。」
「アミって懐かしw もう閉店してね?てかアミってどこにあったっけ?」
「イトーヨーカドーからもうちょっと東に行ったほうだよ。マガジン2の道渡ってイエローハットの奥あたりにあったはず。」
「マガジン2懐かしw てかもう潰れて10年以上経つんじゃないか?あとイトーヨーカドーも3年前に潰れて、いまヨシヅヤになった。」
「なんとw イトーヨーカドーも潰れてしまったんだ。駅西口側のユニーも潰れたし、ついにイトーヨーカドーも潰れてしまったのか。これで昔から残る市内の大型スーパーは清水屋だけか。」
「ユニー潰れたって20年以上前w あと清水屋も耐震基準満たしてないとかで今年の2月いっぱいで閉店したぜ。」
「なんと!まさか清水屋まで潰れたとは…。これで昔からの大型スーパーは全滅か。」
ラインを終えたあと、twitterで「清水屋」を検索したら建物に解体作業中の写真があがっていた。
過去にさかのぼると昭和レトロなスーパーということではるばる訪れた投稿もいくつかあった。
モザイクアートの壁画や、階段の丸窓など、確かに昭和レトロ感があって良い。
地元にいたときはただただ古いスーパーと思っていて全然良さに気づかなかった。潰れる前に行っておきたかった。
イトーヨーカドーも検索したら確かに閉店していた。店のロゴがヨシヅヤに変わってるけど合成写真みたいだと思った。
カラオケアミとマガジン2は情報すら出てこなかった。マガジン2があった場所をGoogleマップで見てみたら、もはや建物すらなくなっていて眼科の駐車場になっていた。
地元を離れて10年以上経ち、昔行ってた場所はどんどんなくなっている。
けれど、駅東のスーパーはイトーヨーカドーで、眼科の駐車場はマガジン2で、地元でカラオケと言えばアミと、きっと10年後も20年後も自分の中ではそうなんだろうなと思った。
一日の終わりにはできるだけ目を使わないようにしようと思った。
目が覚めてから寝るまで、常に何かを注意して見ている。スマートフォンやタブレットが生活の中に入り込んで来てから、画面を見て何かを読むのをやめられなくなっている。人間は視覚を好むと言っていたのはアリストテレスだったか。大学で哲学の授業に出たのはだいぶ前のことだからうろ覚えだが、現代人は視覚を好みすぎて酷使しているような気もする。
仕事帰りに新宿の西口でラーメンを食べた後、ヨドバシカメラに寄って、小さなラジオを買ってきた。ラジオしか聴けないようにするためにラジオが欲しかった。
ベッドに入って電気を消し、ラジオの電源を入れる。小さな液晶にオレンジ色の光が灯り、周波数を表示する。ダイヤルを回すと、ザーッという音が聞こえる。
そういえば、番組と番組のあいだ、周波数と周波数のあいだには、意味をなさない、あるいは意味を読み取れない雑音の海があった。アプリで文字や画像をタップするといつも目的のコンテンツに一瞬でたどり着くことに最近はすっかり慣れていたから、そんなことも忘れていた。
ダイヤルを回し続けると、雑音は不意に音楽に変わる。この、無秩序から秩序への移行を一瞬に知覚する時の感じも、ずっと忘れていたことが信じられない。
ボサノバの旋律が、やけに遠くから聞こえてくる。チェーン店のカフェでお昼を食べるときに天井から降ってくる、ありきたりで空疎な環境音のボサノバ。それが今はどこか遠くから、大切に、丁寧にこの小さな箱まで届けられた音楽のように聞こえる。これはきっと、もともとはそういう音楽だったのだという気さえしてくる。
音量のツマミを回して次第に音を小さくすると、かなり小さな音でも音楽や人の声は識別できることに気づく。スピーカーに耳をつけてようやく聞こえる程度でもそれはさほど変わらないことにも。暗くした部屋でラジオの微かな音に耳をすませていると、落ち着く。
音楽よりも好きなのは、天気予報だ。各地の天気や気温をアナウンサーが静かに読み上げていくのを聞いていると、ただ時間が経っていくのを感じられるというか、なんだか豊かな気持ちになる。さらに好きなのは各地の気圧で、ヘクトパスカルがただ読み上げられていくのに暗闇で聴き入っていると、世界はすでに戦争で滅びかけ、自分はシェルターで生き延び、よく知らない政府の発表に立ち会っているかのような、何かに包み込まれた不思議な隔離感がある。
感じられている暗さが室内の暗さなのか、まぶたを閉じているときの暗さなのか、音の途切れは電波のせいなのか、自分の意識が飛び飛びになってきているせいなのか、もうわからなくなってきたら、ツマミを回し、音を完全に消す。
久しぶりに、薬を飲まずに眠ることができた。
新宿駅よく使う者ですが構内では宇崎ちゃんポスターは見かけませんでしたよ。
ジェイ・アレン氏もそうだったようです。
恐らく西口の献血ルーム前に掲示してあったポスターを目にしたのだと思います。https://t.co/wBso6rtDcE pic.twitter.com/AwlvDcDsWT— 青川龍樹 (@pochacorodog) January 5, 2020
私が24歳の頃、池袋西口のキャバクラに面接に行った事がある。
大学卒業後、アルバイトを転々とするが何一つ長続きせず、消費者金融からも20万円ぽっち借りただけですぐに借りられなくなった。
親には何度も泣きついて、ついに「もうあげられるお金はないから、地元に帰って来なさい」と最後通告されてしまった。
私はどうしても田舎に帰りたくなかった。
アルバイトも長続きしない人間が、キャバクラで接客なんてまず出来ないのは明白だが、人間窮地に追い込まれれば出来ない事はないと当時の私は思った。
ならしっかり定職に就けば良いものを、地道に働くより短い時間で沢山稼ぎたいと欲だけは深かった。
昼のアルバイトが続かないなら、夜のアルバイトなら続くかも?というよく分からない希望もあった。
インターネットのキャバクラ求人サイトで歩いて行ける池袋西口の店に早速面接の予約をした。
何故そこにしたかと言うと、歩いて行けるけどバスか電車を使ったと申告すれば交通費をチョロまかせると思ったからだ。(当時キャバクラに送迎がある事を知らなかった。浅はかでみみっちい考えである。)
面接日はすぐに決まった。
面接当日、お店のドアを叩くといかにもという感じのスーツの男性が迎えてくれた。
オープン前の店内は薄暗く、並べられたボトルとシャンデリアだけがボヤッと青白く照らされている。
大きな黒い皮張りのソファに、何だか汚ならしい女が座っていた。
顔はどう見ても50過ぎのおばさんだが、赤いペラペラのドレスを着て、白髪まじりの髪を無理矢理ブリーチした金髪は綺麗に巻いてある。
時折カウンターで作業している若いボーイに怒鳴るように話し掛けているが、ボーイは何も返さなかった。
この店のお局だろうか。私はきっとあの人にいじめられるだろう。とまだ面接もしていないのに不安だけは募る。
おばさん嬢から少し離れたソファに案内され座ると、先程カウンターで作業していた若いボーイがスッとドリンクを出してきた。
カクテルグラスにオレンジ色の液体、カットされたオレンジが刺さっている。
アルバイトを20件以上転々とした私でも、面接にこんな飲み物を出されたのは初めてだった。
口にしなかったので今となってはあれがオレンジジュースだったのか、お酒なのか、それともまた別の何かだったのかは分からない。
私は段々怖くなっていた。
1秒も働いてない私にこんな飲み物まで出して、この人達は私を一体どうするつもりなのか。
飲み物を凝視している間に玄関で迎えてくれた男性が向かいのソファに座った。この人が店長らしい。
「身分証見せてくれる?」と言われ免許証を差し出すと店長は「これコピー」と先程のボーイに渡した。
「何でキャバクラで働こうと思ったの?」と誰もが疑問に思うであろう事を聞いてきた。
「あっ、お金がなくて.......はい」と何の捻りもない返事をした。ここでスキルアップだなんだと嘘をついても仕方がないと思った。
ここから先は記憶がぼんやりしているのだが、質問は上記の一点のみで、後はどういう風にお金が貰えるか、どんな事をすると罰金か、などの説明を店長は淡々と話し始めた。
緊張した頭にシステムを叩き込む余地はなく、ただぼんやりと(もうここで働くんだな.......)という実感だけがふつふつと沸いていた。
奥の席で煙草をふかすおばさん嬢、テーブルに置かれた謎のカクテル、シャンデリア、ボーイ、目の前でキャバクラの説明をする店長.......
昨日までの自分からは想像もつかない夜の雰囲気に、私は怖じ気づいてしまった。
働きたくない。怖い。でももう後戻り出来ないところまで来たんじゃないか。
ここでやっぱりやめますなんて言ったら、東京湾に沈められるのではないか。
さっき免許証のコピーも撮られたから悪用されるのでは。もう私の人生は終わった。
お母さんには迷惑ばかりかけた。金をせびるばかりで、何もしてあげられないまま私は夜の街に消費されるんだ。
そこまで考えて、私は泣き出した。
「すみません、私やっぱり無理です.......ごめんなさい.......」
言ったら殺されると思いながらも、もう言わずにはいられないくらい恐怖と不安に押し潰されていた。
店長は顔色ひとつ変えず「そうですか、駅まで送るね」とスッと立って出口に向かった。
外に出ると一気に安心した。
「すみませんでした.......失礼します」と頭を下げて帰ろうとしたら、店長もついてくる。
えっ?!ほんとに駅までくるの?!と内心焦った。
私はまだ解放されていないのだろうか。
夜の池袋の街を並んで歩きながら店長は「世の中には悪いお店も沢山あるから、もうこういう事はしちゃいけないよ」と言った。
怒るでも諭すでもない、フラットな口調だった。
「はい.......すみません.......」それしか言えない。時間と労力と謎のカクテルを無駄にしてしまった私はどんな償いをすればいいのか、何か要求されるのだろうか、お金はない.......どうすれば.......と私の頭はいっぱいだった。
店長はそれ以上の事は言わず、お互い無言で池袋西口の駅に着いた。
「では気をつけて」「はい、ありがとうございました」お辞儀をして数歩歩いて振り向くとまだ店長はこちらを向いて立っていた。
何もなかった。
本当に駅まで送ってくれただけだった。
駅前に用事があったのだろうか、そのついでに私を送ってくれたのだろうか。
でも振り向いた時にまだ店長は立っていた。
優しい人だったのだろうか。
私は東京湾に沈められる事も、免許証が悪用される事も(多分)なく過ごしている。
この10年性懲りもなく何度も金がなく、出来もしない職業にヤケクソに飛び込もうとした時はあったが、あの時の店長の事を思い出しては踏み留まった。
https://twitter.com/sukinisitemokei/status/1294097810787188737
この件が話題になっていたので和歌山市で起きているメガソーラー事業の数々について少し。
このままいくと冗談抜きで和泉山脈の南側が全てメガソーラーになってしまう。ちなみに和泉山脈以外の山は全て風力発電所になる。
https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/032000/taiyokojorei/gaiyo.html
実はこの縦覧中にもヤバい事業が結構あるので、それも含めて書いておく。
中身を読んだら審議会の意見書がかなり慎重なのが理解できると思う。というのも、隣接地にも同様のメガソーラー計画が別にある。
http://www.succeed-in.com/gk-wakayama/
この隣接地の件については更に裁判沙汰にもなっているのだが、和歌山県と市がやたらと強硬に反対している。
https://www.wakayamashimpo.co.jp/2019/09/20190904_88979.html
この手の土木工事が大好きな和歌山県と市にしては不審にも思えるが、この辺り一帯は90年代に和歌山版イトマン事件といっていいフォレストシティ問題の予定地だった苦い記憶があるのだろう。
住宅地なのかゴルフ場だのリゾート開発だとかよくわかんない開発計画だったのだが、開発会社の和興開発は前田社長が逮捕され、紀陽銀行の山口頭取以下の幹部たちが億単位のリベートを受け取ったのがバレて、県の企画部長は自分の土地を相場の数倍で買い取らせて国土法違反の罰金刑。ちなみに数百億円が使途不明で闇社会行き。
フォレスト事件が発覚し騒ぎになったのが1995年なのだが、2年後の1997年になると事態が急変する。
なんと驚き県知事の西口勇は紀陽銀行からいくら貰ったか知らないが、このデタラメな開発計画を許可したのである。この西口はグリーンダイヤモンド構想とか紀泉100万都市構想とか意味わからないことブチ上げてた本物のバカなので仕方ない。
当然こんな計画が上手くいくはずもなく開発計画書を作った東急建設がこの事業から撤退、和興開発は破産し、フォレストシティ計画は消えた。地元政界はどっかから流れた金を掴んでいたので共産党以外みんな推進派で、最終的にはうやむやに。
ちなみにネットにもリアルにも情報はほとんど残っていない。全国メディアが扱うには小さすぎ、県内メディアが扱うには大きすぎた。
さらに東側の岩出市山地区には根来開拓パイロット跡地にメガソーラーが完成している。
そもそも開拓パイロット事業というのは農業やるから国の土地払い下げてやるよって話だったのに、この根来開拓パイロットはじきに耕作放棄され、地元で眠る土地となった。
しかし岩出市曰く「開拓パイロット事業で一度農地にしたんだから環境も何も関係ないし、その後は何やってもセーフ」ということらしく、突如として太陽光パネルを敷き詰めたのである。
Googleの航空写真ではまだだけど、実際には既に完成している。
この事業はふじと台と和歌山カントリーを挟んで西側にあるバブル期に宅地開発で削った山をメガソーラーとして再利用しようという計画。
https://wbs.co.jp/news/2019/09/06/137724.html
ここがフォレスト跡地と違うのは、既に宅地開発しようと造成済みだということ。県条例がなければ余裕で完成していた。ギリギリ致命傷でセーフだった。
ここのヒドさはメガソーラー関係なしなので知りたい人はGoogleで検索だ
なんか島精機の会長だったかが、ここに人工スキー場を作るとか息巻いていたという話を聞いたことがある。できたのはトマト農園で、しかも既に潰れた。
仮谷と西口は地元のゼネコンから毎年数千万円のお年玉をもらっていたという話が有名なのでお察しください。逮捕されなかった理由もお察しください。
https://mainichi.jp/articles/20191010/ddl/k30/010/312000c
県立自然公園のはずの生石高原周辺や、ハイキングコースとして知られる深山渓谷、たくさんの蛍がいる貴志川流域の山という山に超巨大風車をバカスカ建てるという計画。
土砂が流出して蛍が全滅しようが知ったことではないらしいこの計画は、全部作ると深山渓谷から鏡石山辺りまで全ての山という山に人類が未だかつて作ったこともないような超巨大風車がやってくることになるらしい。
ちなみに紀南は既に手遅れになりつつある。
あのさ、いったいぜんたい和歌山が何したっていうんだ?
新宿と渋谷と銀座と秋葉原とお台場行くのでは全然目的も違ってくるじゃん
なんなら街ごとどころか新宿東口と西口みたいな「駅の出口」ごとに目的変わったりするじゃん
でも地方は違う
車で30分も走ればすべてが揃うイオンがある
(そもそも子持ちにはいつでも自由に使える車があるってことが楽すぎる)
イオンを中心に家電量販店や飲食店も乱立しているので、脳死でとりあえずイオンに向かっとけば大抵の用事はこなせる
服買うなら新宿行って、電化製品買うなら秋葉原行って、バッグ買うなら銀座行って、飯食うなら渋谷行って、子供と遊ぶならお台場行ってとか考える必要ない
まあそれだけ選択肢があるってことなんだけど、現代人の欲望や可処分所得、時間対して東京はオーバースペックなんだよ
つーか実際上記の予定って本来新宿だけでだいたい片付くんだよな
でもそれぞれに特化した街があるからなんとなくそっちに行ったほうがいい
イオンモールくらいがちょうどいいんだよ
やっぱイオンモール最高ーー!
【追記】
俺は大学含む独身時代と二人目生まれる直後までは東京23区内で生活して
今は地方(東京には新幹線で片道2時間距離)に住んでるんだけども
東京の恩恵享受できるかは子供の有無(もしくは気軽に子供任せられる東京在住のジジババの有無)によって全然違うと思う
俺が独身だったら今でも東京サイコー!って言ってると思うんだけど、イヤイヤ期の2歳児含む未就学児×2持つ身としては、電車移動しなけりゃいけないって時点で「あ、もう無理っす」ってなっちゃうわけよ
最寄り駅まで歩くのすらめんどくせー
子持ちには東京を充分に楽しむだけの金も時間も体力もナッシング
そんな中だ、玄関出たら即チャイルドシートにブチ込んで、「動く個室」でたいていの用事は済ませられるイオンモールに行ける
子供が泣き叫びながら床ローリングしたとしても舌打ちするオッサンなどいない
「おうおう、やっとるやっとるw」くらいの扱いなのでストレスフリー
広大なイオンモールで一日暴れて帰りの車では兄弟揃ってスヤスヤ
東京と比べると博物館とか美術館みたいないわゆる「文化的資本」が少ないと言われるけど、ぶっちゃけ未就学児だとそんなとこいくよりYouTube見たり庭でビニールプールで遊ぶ方がよっぽど喜ぶしな
っていうかそれ系だと今まで一番喜んでたのはド田舎の山奥にある恐竜博物館だったし
保育園も余裕で入れるし、地方だと進学実績一番いい学校公立だからお受験の必要ないし
とりあえず大学で都市部出たいと言われても大丈夫な金を貯めることだけ心がけて、今はイオンモールのある生活に甘んじたい
東京がいいとこってのは否定するつもりないし、今でもラーメン二郎とか食いてーと思うけど、東京を充分に楽しめるのは金か時間か体力、あるいはその全てがある人間に限るよなと思う
(ラーメン二郎が行ける距離にあっても子連れで行けるわけじゃないしな)
【追記2】
バーリアル5本目だぜ
本物のビールには全然敵わないけど、「水より安いビール」ってコスパ良すぎだよな
でもあんまりバーリアルに触れてるトラバブコメいなくて寂しいぜ
何人か察してる人いるけど北陸在住だぜ
大手チェーン最高!
とにかくブコメでも言われてるけどマニアックな趣味って子供いると続けにくいんだわ
俺は元々ネトゲ廃人だから東京にいたときはオフ会しやすくてサイコー!って思ってたけど、子持ちになるとそもそもネトゲする暇すらないんだよね
だから趣味を満たすよりどれだけ楽に衣食住を満たせるかが優先されちゃうんだよね
そうなってくるとやっぱイオンモールが最強
うちは夫婦揃って陰キャオタクだからイオンモールで充分てのもあるんだけどね
あ、ちなみにどうしても行きたい東京のオタクイベントは実家のジジババに子供預けて泊まりで東京行ってるよ
せいぜい年に1〜2回だけどそのくらいの頻度なら孫と一日中遊べてジジババ嬉しい、孫廃課金のジジババ家で遊べて子供嬉しい、久々のオタクイベントで俺ら夫婦嬉しいでWin-Win-Winよ
1回行くのに夫婦で宿泊費込みだと結構な金かかったりするけど、年に数回のイベントのために東京住むほうがコストかかるし諦めてる
9:00 になったら家で会社のPCを立ち上げるんだけど、実質開店休業状態のまま 17:00 まで。
おれは目黒の下のほうに住んでいるので、自宅から走る時はだいたい多摩サイなんだけど、17:00 からだと堤防のサイクリングロードはちょっと怖い。
まずは環七にでて、内回りを平和島方面に向かう。大井町線の下をくぐり、中原街道を横切ってすすむと下り坂。
リコーのあたりも人が少ない。国道一号線も横切って進み、第一京浜を左折する。
第一京浜を都心方面に向かう。分かってたことだけど第一京浜は路面が汚い。
ハンドルバーに手を置いているだけだと跳ね回るのでちゃんとハンドルを持って走る。
点々と現れる京急の駅を右に見ながら進む。北品川を超えたあたりで右に大きくカーブ。
札ノ辻で左に東京タワーが見える。曲がっちゃえばよかったなと思いつつ直進して、左折するポイントを探す。
三田で左折。日比谷通りに入る。NEC があるけど閑散としてる。
日比谷通りってずっと行くとどこに出るんだっけ。と思いつつ走る。芝公園のそばを通る。
名前がわからないけど面取りしたような高層ビルが左に見えて、きれいなビルだなと思う。
そのうち日比谷公園が現れる。ずっと昔日比谷公園のトイレに入ったらそれらしい男性がたくさんいたのは良い思い出だ。
と思っていると左が皇居になる。皇居の周りは歩いている人がパラパラいた。
しばらく進むと永代通りにあたる。曲がっちゃえばよかった。と思いつつ次の信号を左折。
目の前がお堀の T 字路を右折して内堀通りに入る。車が少ないのですんなり右折レーンから曲がれた。
お堀を見ながら進む。どこかで靖国通りに入らないと。
まっすぐ行けば靖国通りなのに、なぜか右折しないと靖国通りにアクセスできないと思い込んでいて、竹橋を過ぎたところで右折する。
すぐに靖国通りにあたるので、左折。上り坂。武道館を左に見る。当たり前だけどなにもやってないので人は少ない。
ずっとまえここを通った時は凄い数の人がいて、帰って調べたらパフュームだった。
坂を上り切ったあたりで右に靖国神社。市ヶ谷駅の前を右折。川を渡る。
ここの橋の上はいつもと変わらず混んでたので川べりの桜は見られなかった。
靖国通りと外堀通りがわかれるところに分離帯ができてて靖国通りに進みやすくなってた。まあ車が少ないからだけど。
防衛庁を右にみながら進む。毎朝あの階段を登るのは大変そうだけどエレベーターとかあるのか。
いまの職場が新宿なので、いつもの会社帰りと同じく 20 号から環七で帰ろうかと思ったけど、それもつまらないので明治通りで渋谷に向かうことにする。
普段なら絶対避けるルートだけど、これだけ車も人も少ないならアリでしょ。
伊勢丹の前を左折して 20 号に入り、すぐに明治通りにあたるので左折。
思った通り快適に走れる。新宿から原宿あたりは路肩が狭いうえ、結構なスピードで車が流れてるので怖いんだけど、今日はラクラク。
表参道もいつもよりずっと人が少ない。原宿から渋谷にかけては緩く下る。薄暗くて人が少ない。
休みの日は歩道からあふれた人が車道を歩いてたりするのに。まあ平日の夜だからってのが大きいけど。
さらに渋谷駅あたりでは正面にデカいサイネージができてて、入り乱れる空中歩道と相まって 80 年代に想像した近未来っぽい。
246 が渋谷駅の東口側から西口側に抜けるところは、昔と変わらず薄汚くてほっこりする。
246 を池尻方面に向かう。上り坂。この辺りはいつもどおり路駐トラックがうっとおしい。登り切ったあたりで旧山手通りにあたる。
旧山手通りのところで信号に捕まったので、そのまま旧山手通りに入る。
走り出して思い出したのは、この辺りは路駐が多いせいで(そいつらがハンドルをこじるので)路面がガタガタだったって事。
今更思い出しても遅い。三宿から学大に抜けるルートのほうがよかった。。
代官山の交差点を直進すると駒沢通りあたるので、右折。長い下り。
左カーブの見通しが悪いうえにオートバックスの前に必ず路駐がいるのでちょっと怖い。
でも今日は後ろから車が来ないので思いっきり 2 車線の真ん中あたりを走る。
そのまま駒沢通りでおうちに帰る。祐天寺から学芸大学あたりはいつもと変わらない感じだった。
まあ、駅前まで行ってないけど。
家を出てからだいたいちょうど 2 時間ぐらい。シャワーを浴びてからチェーンに油をさそうと思っていたことを思い出す。
シャワー浴びる前にさせばよかったのに。もー。
寒さが足を運んでくるも紅葉はまだ訪れず。
夏のボーナスが入ったのでレズ風俗に行ってきました(ダブルピース)
思い立ちは「さびしすぎてレズ風俗にいってきましたレポ」( https://www.pixiv.net/artworks/51537801 )
を「ほーーーん 私の絵柄に似とるやんけ」とおもって眺めてたのが始まりで、案外利用者がいることを知り、レズ風俗サイトを見ていたら顔はちゃんと出ていないものの
可愛げのある感じの女の子が並んでいたので思わずまじまじれず風俗案内サイトをネットサーフィンしていたところから始まる。
なかなかこういう経験はないし、カスみたいなボーナス入ったしレズ風俗行くか!!と思い立ったわけである。
ところでレズ風俗にもいろいろあって「レズ 風俗」とぐぐるとまあ結構検索結果が出てくるが、どうやら「さびしすぎてレズ風俗に行ってきましたレポ」の人は
関西で利用したようだ。それどころかなんか評判の良さそうなレズ風俗は西側にあるらしく、思わず大阪までの旅費を計算までした。
レズ風俗利用するのは初めてだし、何なら評判のいいところでしたいとは思ったがただでさえカスみたいなボーナスなのだ。
とりあえずぐぐってでてきた「はじめてレズ」と名乗られた、星のカービィウルトラスーパーデラックスでいう「はるかぜとともに」ステージみたいなところから女の子をチョイスしようとした。
これは後に記述する大失態に繋がったのかもしれないがまあ後で。
レズ風俗でお勤めされている女の子たちには属性があって「タチ」「ネコ」「リバ」「トラ」と大きく分けて4つのカテゴリがある。
タチは攻め側。親の名前より聞いたカテゴリ。ネコは受け身な子を指す。リバは攻め受けどちらもOK。トラはトランス。体は女性だが心は男性な人。
ということでせっかくだしどちらも楽しめそうなリバで同い年くらいの子を探した。
これもあとに記述する大失態に繋がった気がする。
女の子と日取りを決めてはじめてレズのフォームに投稿。うわ~~~~~~おんなのこだあああああああ~~~!!!
10月某日。
池袋の西口で待ち合わせをした。ご存知池袋西口は東口よりひとの出入りが少ないので待ち合わせ場所で立ちぼうけている女性がすぐ目に入った。
集合15分前なのに!!!!!!もういる!!!!!!!!!!!!!!
遠目で見た感じ、東口に出たかったのに西口に出ちゃったみたいな薄手のクリーム色の上着を羽織ったショートヘアの女性がスマホもいじらずに遠くを眺めていた。
事前にこちらはかぶっていくニット帽を伝えてあったのでその女性がこちらを見るなり手を振りながら歩いたときは後ずさりしそうになった。
オタク男性風俗レポでよくオベリスクが来たとかエグゾディアの腕と足は揃ってる人とか強カードに例えられるが、そうだな…遊戯王でいうと霊獣使いレナ。
あんまりにも可愛い子が私のもとへ歩いてくるので後ずさりしそうな両足を釘打って手を振り返した。
うわ~~~~~~~~~~!釘持ってきてなくて良かった~~~~~~~~!!!まじで釘打ちそうだった~~~!!!!
女性は「あかねさん(仮名)ですか?」と朗らかに聞いてきた。ここで一つシステムの案内をしよう
レズ風俗では仮名で登録をすることになっていた。でもど~~~~しても本名の下の名前で読んでもらいたかったので仮名欄には本名を入れた。
オタクにありがちだが、インターネットをしていると本名で呼ばれなくなる。あまつさえ周りの人はあだ名で呼んでくるのでちょっとドキっとした。
あかねさんですか?と聞かれて返事をしそびれたのに名乗ってくれた。彼女で間違いはなかったのだがこちらが返事する前に名乗ると事故が起きるぞ。
まあ返事ができなかったのはこちらがド緊張かましていたからなのだが。
ようやくひねり出した言葉が「あかねです、逢えてよかった~(しゃがれ声)」だったのが恥ずかしかった。
メイさんは右手を伸ばして私の左手を握り、ホテルまでエスコートしてくれた。
ふつーの部屋を借り、まずはお金を渡す。16,000円(税別) 60分。
ウェルカムドリンクにお互い紅茶を選び、お揃い~ふふふ~みたいなやり取りをしたときにレズの波動を感じた。
その時こんなところで抱かなくてもいい変な疑問が浮かんだ。
「この人本当にレズなのかな」
タイミングをみてそこでレズなのか、バイなのか聞いてみようと思った。
メイさんはバスルームにお湯をはって戻ってきたところで聞いてきた。
「はい…ちょっとお金に余裕ができたので(カスみたいなボーナス)、前々から気になっていたのもあって今日お願いしました」
「そっか~~~!初めてが私なのは嬉しいなあ~~!」
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
思い出したら悶てきた
湯船にお湯が溜まったので二人でお風呂へ。
体の洗いっこも良かったんですけど、湯船で体寄せながらダラダラおしゃべりしたのが良かった。
私は本当にひどい冷え性で、湯船に入ってもあっという間に足先から冷えていく。そのくせのぼせやすいので湯船にはあまり入らなかったのだが今回は違かった。
湯船では彼氏いるの?とか最近のゲームの話とかをメイさんが振ってくれた。
二人で軽くタオルを羽織ったままベットに潜り込んで「最初は下と上どっちがいい?」とメイさんから聞かれた。
レズ風俗初めてだし最初はリードしてもらおうと「下で~」と答えた。
フレンチキスをした。『ふにゃ』と柔らかい。…いやめちゃくちゃ柔らかいな!!?!??!?!?
そのまま首、胸、へそ部分をちゅ、ちゅと下っていき下部を舐めてくれた。
ア~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
何を隠そう!下部を舐められるととっても気持ちいい!
口を離して指の出し入れをした。
それはもう酷い言い方をすると、私は中イキができない人の気持ちがわからない人間なのでわりとすぐイって攻守交代させてもらった。
こちらから女の子の体を好きなだけ触らせてもらった。それはもう柔らかくて幸せだった。
あらかたお互い攻守楽しんだところでメイさんがまた上になっていろいろ触ったり舐めたりしてくれた。
そしてここで問題が起きた。
めっっっっっっちゃ首を絞められたくなった。
最初に受けをして、その後攻めをして、また受けに戻ってしまったのでこのときの気分は完全に受け。
そう、私は首を絞められるととっても興奮するのである。首絞めはいいぞ!
かなり気分も乗ってきているし、このまま…とおもって胸を舐めてくれているメイさんの手を取ってお願いしてみた。
「メイさん、首って締めてくれますか?」
「ダメなんです」
でんぢゃらすじーさんみたいな「えーーーーー!?!?」が出てしまった。
メイさんは申し訳無さそうに手をにぎにぎしてくれた。
拒絶が即答だった。ということは何かしらルールで決まっている可能性が高いと悟ってしまった。
でもどうしても首を女の子の手で締めてほしい。こんな機会もうないのだから。
半身を起こしてメイさんに向き直って「どうしても?ダメ?」と聞いてしまった。
女々しい。
メイさんはそんな情けなくて女々しい私の頭をなでながら「シャワー浴びよっか」と話題をそらして私の手を引いた。
もう情けなくてもなんでもいいから手を惹かれながらも全裸で「おねがい~~~」と頼んだものの
「ごめんね~それはできないんだよね~」と言いながら一緒にまたお風呂に入った。
帰りも手をつないで駅まで歩いた。
最後の最後、メイさんは私の両手をとってまっすぐ向き直って言った。
「秘密のお楽しみ、どうもありがとう!あかねさん、自分を大事にしてね」
ほんとにちょっっと泣いた。
たぶんもう行かない。
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敗因