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はてなキーワード: 大江戸線とは

2024-03-09

anond:20240309030603

いや、都営大江戸線以外はdisってないんだよ

とにかく、俺にとって大江戸線は駄目、閉所恐怖に耐えられない

車体が小さい上に地下深くって、地震とか考えたら狂いそう…

anond:20240309030047

でも、大江戸線って東京テロ制圧されたときの要なんだよな

東京の外から自衛隊員乗せて内側に潜入して展開するらしい

俺、駄目なんだよ、あの狭い車内が…

大江戸線かいうアホみたいな名称、完全に浸透したなー

2024-02-07

anond:20240126003842

増田です!いま夜行バス東京向かってるとこです!

とりあえず場所を決めるために歩き回って、次の日は不動産屋さんに行こうと思ってます

提案してもらった練馬と、ほかの人におすすめされた副都心線沿いの駅と(有楽町線とどう違うんだ)、大江戸線門前仲町清澄白河らへん、あと個人的に気になってる中野坂上(新宿レイトショーみて、ぶらぶら歩いて帰るたのし想像をしてる)あたりを見てきます

上にあげた駅がどうとか、ほかにこの辺見ておいたら?って場所あれば知りたいです!

2024-01-28

麻布十番駅核シェルター化について

小池百合子知事麻布十番駅核シェルターにするとぶち上げて話題になっているが、

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/20979db65c4b2665d53884ea0247aa2eac51db19

 

実は都営地下鉄大江戸線麻布十番駅防災拠点として整備されていて、地下に巨大空間があるのだ。

地下鉄線路は地下6階にあるのだが、駅コンコースは地下4階となっている。その上の空間備蓄倉庫となっている。

更に鳥居坂シンガポール大使館下に地下駐車場入口があるのだが、

https://maps.app.goo.gl/T7BFm9ohKUEZT68J7

この下と道路の下が駐車場で、その下がまるまる防災倉庫+コンコースとして伽藍と開いているのだ。

大江戸線2000年に開通したが、90年代麻布十番は延々と工事中で、しかも巨大な縦穴を掘っているのが見て取れた。それは地下鉄だけじゃなくて備蓄倉庫の躯体も作っていたかなのだね。

 

地下鉄トンネルの作り方

土木に興味がある人なら、都市トンネルの作り方には上から掘り下げる開削工法と、地下を横に掘り進むシールド工法があるというのは知っている事と思う。

シールドというのは盾の事で、丸盾型の隔壁を全面に置いて開口部から工夫がショベルツルハシで土を掘ってトロッコで後ろに残土(ズリ)を送る。シールド前進すると同時に丸いトンネル形状を支える支保工を建てて、そこにコンクリートを流して丸いトンネルにする。トンネル掘削面を切羽というが、都市の地下だと切羽が崩れてくるのを防ぐ為にこういう風にした。150年前のロンドン地下鉄から使われている枯れた技術だ。

このシールド工法、今ではもっと進化して、シールドマシンという機械自動で掘り進むようになっている。掘ったそばから円形トンネルの外壁を分割したセグメントを組み立てて行く。

このシールドマシン、よく山岳地の道の駅などにこういうの

http://www.yesemk.com/eng/business/tbm_small.html

が展示されていて、いかにもごつそうなドリルが付いているが、そういうのは山岳用である

都市部は沖積平野であるのでそういうドリルは効かない。

 

泥を作れ

沖積平野地下で威力を発揮するのは実は泥水なのだ。泥水を吹き付けて土を崩し、そろばんみたいなカッターグリグリやって出てきた残土は泥として後方に送る。

それには泥と水の分離機が必要になる。地下鉄工事下水管(雨水管)工事現場でこういうデカタンクが置かれているのを見た事が無いだろうか?

https://www.futamoto.com/product/ftu-d/

これは泥と水の分離機で、丸い形状の場合もある。セットルタンクともいう。上に機械が載っている事も多いが、それは脱水機で、振動、或いは遠心力で泥から水を分離して、それをダンプに載せて残土として捨てに行く。

建築現場でも見る事が多い。これは杭基礎工事で潤滑剤として水を使い、杭打機の中の土の掻き出しにやはり泥水吸引を使うので、その泥を水と土に分離して捨てる為だ。

一方、シールド工事ではその残土、排水分離の他に泥を作るという役割があるってわけ。

水じゃなくて泥水である理由は、まずは比重の重さによる破壊力の増加。鉄砲水では橋や堤防は壊れなくても、土石流だと破壊されてしまう。これは泥水の方が比重が重いからだ。

また流動性が水より低い。この為に余計な場所に流れて行ったりしにくい。

また比重の高さにより、切羽が安定する。水だと掘ったそばから土は崩壊しようとするが、泥だと高圧状態が保てるので崩れにくい。

そして泥と別に水も送り、出てきた残土の泥を薄めて流動性を上げて後方の分離機に送るのである

この為に残土のトロッコベルコンベア必要なくてホース数本だけでいい。人員も減るし労災も起こりにくい。

 

しかもこういう仕組みだとシールドマシンが小型化出来る。人が入れないような径のトンネルを掘る事も出来る。何しろホースと泥水分離機だけでいいのだから

そういう訳で異常気象で多発してきた排水氾濫に対して雨水幹線を整備するのにも大活躍だ。下水管なら各戸の管を接続する為に露天掘りしか出来ないが、雨水管なら必要ないので小型シールドマシンが使えるのだ。

 

シールドマシン基地は駅に

ってことで、シールドマシン下発進拠点であり工事の要である泥水分離機を稼働させ、残土を搬出する場所必要なので大きな縦穴を掘る必要がある。この縦穴は最後にただ埋めてしまうと勿体ない。なので駅になる場所シールド基地となる事が多い。

因みに雨水シールド工事での基地役割にはもう一つあって、それは「シールドマシンを押す事」だ。シールドマシンには推進力が無いので基地から油圧で押してやるのである

 

で、トンネルが出来たらその上に駅コンコースの躯体を鉄筋コンクリートで作る。それが終わったら土で埋め戻して完成だ。

この辺の構造みなとみらい線元町中華街駅とかが判り易いかも。露天掘りで出来た駅コンコースからエスカレータを降りると、丸いトンネル天辺に出る。この二つは別構造で作り方も別だったのだ。

 

都営麻布十番駅は地下6階で、コンコースは地下4階、その上はただ埋め戻しすると無駄だ。なので有効活用する為に備蓄倉庫とされる事になった。更にホーム自体交差点からエネオスのガソスタのあたりまでなのだ鳥居坂の方まで延長されて地下駐車場備蓄倉庫などになった。確か鳥居坂の方は地下鉄が開通しても工事が続いていた覚えがある。

また、石原都知事地下鉄開業後に自衛隊部隊市谷から大江戸線乗車で麻布十番に移動させる訓練を行った。自衛隊を指揮したい、六本木から市谷防衛省移転したのでデモンストレーションしたいという動機もあったろうが、都営防災倉庫落成のデモ意味もあったのだ。

 

核シェルター化は本気なのか問題

このように元々防災備蓄倉庫として整備されていたもの核シェルター化するというのが今回の肝なのだが、どうもその辺の背景知識が参照されていないように思える。

更に小池知事はワンフレーズ政治家なもんで、ちゃん継続して計画策定するのかっていうのが疑問なのだ山手線2階建はどうなった?

 

就任当初に小池知事廃校となった都立市ヶ谷商業高等学校跡地を韓国人学校転用する取決めを反故にした。これは韓国人学校化を約した舛添前都知事独断の疑いがある事の他に、当時議席もない右翼政治ゴロのような人物秘書としていて音喜多都民ファ議員パシリにしていて、その影響もあると思われる。

だがその言い訳がヤバかった。保育園にすると言ったのだ。当時「保育園落ちたの私だ」などで保育園待機児童問題炎上しており、それに乗っかったのだが、こういう時は実地を見てみないとポジショントークになってしまう。

市ヶ谷商業高は新宿区矢来町にあり牛込柳町駅が最寄り駅だ。しか結構狭隘路の中にある。学校としての敷地はかなり小さい。だが保育園としては過大な建物だ。

車での送迎は狭隘路の為に不可能だ。また保育園というのは電車で通うものではない。電車で送迎した場合、坂の下にある柳町から急坂を登らねばならない。

都市計画法と建築基準法用途地域というのがあり、地区ごとに建てられる建物の種類が決まっている。例えば商業地域には木造家屋は建てられず、住宅地工場は建てられない。また工業地域には学校を建ててはならない。これは住環境教育保護するための規制だ。

だが保育園にはなんの規制も無いのだ。これは環境がどうこうよりも、保育園は働く人の為の施設でありオフィス労働者工場労働者が居たら自動的に必須となるのである

こういう属性を持つので、保育園は遠方に通うものではない。住居か職場に近い場所に開設されるものだ。

 

矢来町は大きなオフィス街ではない。だから大きな保育園必要場所ではない。

ならば住居の方はどうか?この周辺は人口空洞化が進む地域だ。因みに増田の母校はここから徒歩30分くらいの場所にあったが生徒数現象廃校されてしまった。

故にここに保育園というのはナンセンスなのだ。だがこの時は「場所的にナンセンス」と強く否定されなかった。

その後市ヶ谷商跡地はずっと遊休施設になり、最近に老人施設に一部転用という形になっている。保育園転用可能性は検討さえされていない。

 

こういう感じの人なんで、核シェルター化は本気で継続する事業なのか?というのが非常に疑問なのだ

更に現知事問題はその問題性を感じさせない天賦のポピュリスト性にあって、市ヶ谷商高保育園転用の時もマスコミに半畳を入れられなかったし、今回も同様だ。なんか、テキトウ言っても通ってしまうという言論空間にいる。長期停電したら水没しますが、ガスタービン発電とその燃料備蓄はどのくらい?と言った具体性に繋がらないで、北朝鮮の核があるから、で通ってしまい、何も事業が進んでないまま皆忘れるというパターンに入ってるような気がしてならない。

コロナ初期のように「三密」「移動制限」みたいに全体の流れを言葉で決定付けるのは非常に高パフォーマンスを出すのだが、その後が続かない。ママチャリクラリオンの高額なアンプスピーカー積んで街宣みたいな感じになるのがいつものパターンというか。

 

同じスキーム清澄白河駅でも可能

大江戸線清澄白河駅麻布十番と同じくコンコース上の空間防災倉庫になっている。だから清澄白河駅でも同じ核シェルター化が可能だ。ここの場合ホームが地下2階、コンコースが地下1階と深さが無いが、その代わりに隣接する清澄庭園にはみ出す形で地下構造物が築造されている(はず。見てない)。

あと、東京都防災倉庫指定されていないが、新宿中央公園地下も広い空間が広がっていてシェルター化出来そうである中央公園新宿広場は昔階段や噴水が組み合わされた広場だったが、地下鉄大江戸線工事で巨大工基地となっていた。

その後広場に何も置かない、噴水も置かないというのは何かの躯体が埋まっていると考えられるのだ。

 

からこの二つでも核シェルター化は可能な筈だが、何分にも知事が何処まで本気なのか放言なのか判らないので…

 

麻布十番トリビア

 

麻布十番地名由来

江戸時代古川改修工事で工区を区切り、○○N番、と書かれて居たのが由来。麻布は十番だったので麻布十番と。これは有名だね。因みに昭和初めまで森本町、山本町、永坂町という感じで麻布十番という地名は無かった。町の合併地名整理で古い呼び方を復活させたのだ。

 

マハラジャ

エネオススタンドの斜向かいマンシーズウキョウというレストランがあるが、実はここがバブルディスコマハラジャ東京の跡地。因みに増田も行った事がある。んでその近くのファミマの隣のPCデポの隣がマハラジャWESTでここも増田は行ったこ

 

麻布十番広尾

一の橋交差点五反田寄りに団地があってその裏の古川べりに広尾公園があるのだ。

これは、江戸時代古川改修工事の後にできた、川べりの土地を開墾して田んぼにして、そこを全部広尾と名付けたためだ。つまり一の橋からずーっと遡り、広尾天現寺橋までの両岸が広尾。また天現寺橋から北の方に今の外苑西通りに沿って笄川(こうがいがわ)というのが流れてて、その両岸も広尾だった。地名として無茶なのだが、どうもこれは広尾の人らが開拓に駆り出されたかららしい。

後にややこしいので川沿い広尾近傍地名に合体させられたのだが、一の橋付近だけはその地名変更前に公園名が付けられて残ったというわけ。

 

バス車掌

六本木交差点アマンド横に坂道があり麻布十番まで繋がっているが、元はこの道は都電線路だった。廃止されて道路になったもの

で、ここを都電が走っていたので、その代替都バスもここを走る事になった。なので右折禁止六本木交差点の真ん中で都バスが右折待ちしているのが見られた。路線新宿東口東京タワー。

で、都バス昭和40年(1965年)に車掌乗務からワンマン均一料金に転換したんだが、車掌については本人の希望にした。それで殆ど車掌退職するか配置転換されたのだが、十数人くらいは継続勤務を希望した。因みに狭隘路線などでは今でも補助的に車掌が乗務する路線はある。

この人達最後まで残っていたのが新宿東京タワー系統で、1990年近くまで居たそうである

因みにこの路線は整理されて今では残っていない。

 

鳥居坂ジャンプ

鳥居坂は急坂の下の方を大通りが通り、そこだけ水平なのでサンフランシスコのような光景になっている。なので勢いがありすぎるとジャンプする。というかした。バイクで急いで通ろうとしたらジャンプして転倒しそうになった。減速を心がけたい。

 

パティオ十番

元麻布に登る坂の下にパティオ十番という広場があり、多分これは南部イタリアの街を模して作ったものだろうが、よくフリマが開かれている。麻布十番という下町オサレ地域に相応しい出品が多くて雰囲気も良いし面白い

ただ最近は頻度が落ちて少し残念である

 

悲願の鉄道開通!

都電廃止後に陸の孤島と化していた麻布十番南北線大江戸線が相次いで開通することが決定すると、沿道には「悲願達成!麻布十番鉄道開通!」という横断幕が方々に掲げられ、まるで冬は雪に閉ざされ交通途絶される雪国のようで苦笑した事がある。

 

三田一丁目

先ほどの飛地みたいな広尾公園から古川を渡ると、三田一丁目というかなり強烈な下町がある。この辺の人も麻布十番居住と言っているはずだから麻布十番に一番安く住むには三田一丁目に住むのが一番と思われる。風呂が無い家も多いが、実は麻布十番には銭湯が残っているのであるしかもここは温泉が出ている。泉質は南関東ガス田の上なので黒湯である

再開発

六本木のロアビルから曲がり鳥居坂に向かうと、周囲は東洋英和や古い教会などが立ち並ぶ雰囲気の良い地帯である

ところがこの広大な一帯には再開発が掛かっている。なのでロアビル廃業して廃墟となっている。ロアビルから鳥居坂まで全てである

実はこの一帯はロアビルも含めて川崎財閥という財閥の所有地であった。GHQ財閥解体で解散させられたが六本木不動産はそのまま所有し学校などへ売却されたり共同運営(ロアビル)されるなど管理されていたがその全部を再開発する事になった。デペロッパは当然森ビルである港区にいる限り森ビルブルドーザーから逃れられる者は居ないのである核シェルターもいずれ森ビルブルドーザーが…。

2023-08-21

東京の子育て地獄

地方県庁所在地から23区子連れ引っ越してきたんだけど辛すぎるわ

まずスーパーの品揃えがやばい東京スーパー地元スーパーの1/10しか売り場面積がない。そのせいかアンパンマンジュースみかん味がない。りんごしかないとかどうなってるんだ。りんごアレルギーの子詰むじゃん。ビール大手のクソまずビールしかないしヤッホーですらよなよなと水曜日のネコくらいしかない。ビール飲まないの?と思ったら日本酒コーナーもロクな品揃えがない。え、東京グルメなんじゃないの?

移動やばい引っ越しを機に車手放したんだけど大失敗。3歳の子地下鉄乗り継ぎでこの酷暑の中移動とかバターン死の行軍並みの地獄大江戸線かい地獄乗り物なんなん?うるさいし狭いし深いし。え、東京ママって優雅生活してるんちゃうの?明らかに車に接触したら即死するスピード子供前後に乗せて電チャリ乗って死にたいんかね。

子供向けのレストランがない。国道沿いにはあるんだろうけどなまじ都心部にしたせいでごちゃごちゃした昼間やってないクソ狭い高居酒屋しか周りにない。びっくりドンキーガストはどこだよ?すかいらーく倒産したんか?サイゼが唯一の希望ってこういうことだったんだな。

とにかく東京の子育て無理すぎる。次の異動で絶対地方に戻る。無理だったら転職するわ。

2023-08-17

駅の「排除ベンチ」を見てきたがこれは違うと思う

最近の駅にはずっと座っていると尻が痛くなる『意地悪ベンチ』が多くなっているが人に全く優しくない「排除アート」なのではないか

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2205469

 

これだが、都営大江戸線大門駅だという。

そこでちょっと回り道をして見て来たんだが、単にデザインの一環だと思う。

ブクマ動画を貼っている人がいるので見て欲しいが、

https://youtu.be/OiTBIFPVDmM

動画再生前のサムネイルに写ってるのが件のベンチだ。

 

再生すると3:51 で接写されて使用している人も見えるのだが、スツールタイプ普通椅子とをくっつけたデザインだ。

スツールタイプのベンチ?は1993年から駅に普及してきて、ドッカと座るほどじゃないがずっと立待ちするのはシンドイっていう需要に応えて設置されてきた。

パイプタイプスツールの反対側に普通椅子を同じ素材で作ったというデザインだと思う。

 

大江戸線環状部のコンセプトデザイン

大江戸線は環状部が2000年に開通して全通したんだが、駅の内装がかなり凝っているという特徴がある。そして駅ごとにコンセプトが違う。

 

特に目立つの飯田橋駅で、ここのコンセプトはポストモダンかと思われる。

https://goo.gl/maps/Dy3pdXoWyuoq8bNH9

この入口なんかはアールヌーボー流行時に出来たパリメトロ駅のサイバーパンク化みたいな、何とも言えないデザインとなっている。

駅の内部も緑色ワイヤーフレームがひしめき、その途中に蛍光灯があるというすごいデザインだ。昔のアタリベクタースキャンゲームのようなSFチックな内装だ。

 

蔵前などの下町にある駅の場合は「和の色」的な江戸紫、茶、緑なんかの組み合わせになっている。永谷園お茶漬けみたいな駅だ。 

 

六本木は夜の街なので黒の大理石+金の装飾みたいな、怪しい感じになっている。

でもこれってホストクラブとか水商売イメージで、六本木外国人が多い歓楽街ちょっとイメージ違うんだな。そもそも郊外的なお水なイメージが嫌いな人が六本木とか来るんで。

 

まあこんな感じで駅ごとにコンセプトがあるわけよ。

で件の大門駅はっていうと、ライトインダストリアルだと思われる。動画見ても判る通り、線路の向こうのトンネル壁はアルミのコルゲート材で化粧されている。

なので椅子ステンレスパイプにしたんじゃないのか?と。

動画にもプラスチック座面の椅子も数個映っているが、これは後から付け足したのではないか

パイプ椅子はどんな拷問だよって苦情があったのではないか

 

なのでワザと排除の為に嫌がらせ椅子を設置したんじゃなくて、デザイン優先で人に厳しいモノが出来たのだと思う。

大門駅の周辺には飲み屋街も無いし酢客排除とかも心配する必要が無いから。

 

実は電車自体排除アート

でも実は鉄道界隈では電車自体が「排除アート」になってるんだな。

通勤電車というのは都市圏だけに走ってるものだと思うじゃない?そうじゃなくて、今は地方でも全てつり革+ロングシート通勤電車になってるんやね。

県境を跨いで隣の県庁所在地に行く、なんて時は乗車時間は2時間かになる。そういう長距離幹線でも全部通勤電車に置き換えられてる。

通勤型だとつり革も定員に入るから同じ乗車率でも両数を減らせる。ワンマン運転で降車時に後ろから運転席に移動するのもやり易い。

って事で乗車時間観光路線かなど考慮せずに全て通勤電車にして、ブラインドも省略する為に窓はスモーク入りガラス景色は良く見えない。

こんなものに何時間も乗って平気な馬鹿がいるわけもなく、通勤需要以外は全滅して通勤時間以外、通勤圏以遠は空気輸送になっている。それで鉄道自体の利用が減って特急廃止とか減便とかの本末転倒な事になっている。

みんな高速バスに乗り換えちゃうんだね。当たり前だ。バス乗客排除みたいな事をしないから。

って事で、実は乗客は駅のベンチじゃなくて電車から排除されているのであった。乗客はずっと立ってろって事やね。座りてえならバスしろ

 

ただ、大門駅で座るという事よりデザインが優先の椅子採用されたのは、こういう銭にならないが当たり前に考慮されていた「休む」という行為が軽視して当然という風潮もあったのだと思う。

その行きつく先が最早高速バス自家用車に乗り換えられ役に立たない地方幹線状態じゃないのか?

車椅子など身体障碍者や足が悪い高齢者の移動が確保されるように法律が作られ、EVや段差解消など動線は確保されて来た。

だが健常者の移動には保護措置必要なかったので、ちょっと疲れたりした時のベンチや新幹線が無い場所での長距離移動が拷問みたいなモノになっていってしまった。

ホームレスや酔客を悪意建築排除してたら健常者も周縁的状態になった時に悪意に晒されるようになったわけやね。

パイプ椅子を設置するな」「長距離路線通勤電車にするな」という法律作れば直るんだろうが、普通そんな法律無くてもいい筈なのだが。

2023-06-11

都民だけど行ったことない区など

東京引っ越し10年過ぎるんだけど行ったことない場所沢山ある

 

築地 なぜか行ってない

杉並区 行く理由がない、怖い

 

あれ、結構行ってるな

麻布とか白銀台あんまいったことな

あと大江戸線沿線とか

2023-04-23

anond:20230422124340

高校生の時に都立青山高校っていう東京都ど真ん中の高校に通ってた実情を書いてみる。

都会にいるっていうのが、どういう文化レベルなのかの一例となれば幸い。

具体例がみえないまま、議論が進んでも微妙からね。

青高は東京メトロ銀座線外苑前駅の近くにあって、ヤクルト本拠地神宮球場の目の前の高校

高校生クイズ選手権時の予選会が神宮球場にあったりしたんだけど、そこで一番近い学校だっていう事で注目されてた時もあった。すぐに敗退してたけど(笑)

国立競技場も近くて、僕は高校生の時はサッカー部だったんだけど、「いま一番国立近い学校から物理)」みたいな冗談はことは友達には言ってた。

まぁ、もっと近くに國學院高校っていう学校があって嘘なんだけど。

僕は大江戸線国立競技場前って駅から青高まで歩いてたんだけど、国立競技場敷地内を歩きながら学校に通ってたのは、なんか誇らしかった気持ちがあったかな。

あと高校生の時はお金がまじでなかったから(お小遣いが月3000円〜5000円だったから)滅多に行かなかったのだけど、ホープ軒で食べるラーメン美味しかった思い出がある。(今思うと全然美味しくないが)

立地はこんな感じ。


次にイベントについて書いていく。

確か5、6月ぐらいに体育祭があってその一環とし、応援団を作って、応援合戦みたいなのをやるのがあった。

応援団をやる人は2、3週間くらい応援団練習をするんだけど、練習場所代々木公園だった。

定期がある人は電車乗っていくんだけど、みんながみんな定期あるわけじゃなくて、代々木公園までは歩いていくってのが恒例になってた。

外苑前から原宿超えて代々木公園まで行く道ってのは結構面白くて、

インテリアショップとか眼鏡屋とかブラジル大使館とかあったり、

表参道を歩いたりとか、原宿竹下通を歩いたりとかしながら、代々木公園まで行ってた。

今はなき原宿のコンドマニアで「お前買ってこいよ」「やだよ、お前いけよ」「なんでだよ!じゃあ一緒に行こうぜ」みたいやりとりをやってたりした。結局買わないんだけど、当たり前だけど。しょうもないけどそういうの楽しかったような気がする。今思うと全然面白くないが。

11月には外苑祭っていう文化祭があるんだけど、外苑祭では1年生から3年生の全部のクラスが劇だったりミュージカルをやるってのが伝統になってて、夏休みから外苑祭の前までは、「神宮外苑絵画館」前のちょっとした広場的な場所練習をしてた。

正直僕は外苑祭に乗り気じゃなかったから、全然練習参加しなくて数回だけしか行ってないくても、なんか思い出にはなってるね。

文化レベルって観点では、絵画館建物自体がすごい美しい建物だったし、絵画館銀杏並木風景っていうのはすごく美しかったのは、高校生でも感じる部分があった。

イベント的にはそんなもんがメインで、その他の時期は普通に駅と学校を行ったり来たりするだけの生活してた。

個人的には、学校自転車を置いたのもあって、学校サボって自転車乗って、原宿行ったり、246を赤坂方面まで走らせて、皇居らへんまでいったりとかは楽しかったな。



あと僕は部活やってたかバイトはしてなかったけど、周りの人とかは学校周辺でバイトやってる奴もいた。そういう奴は結構大人世界垣間見えたんじゃないかな。お金も増えるしね。

僕は遊ぶ金なんて全くなかった。だから高校生場合都心のど真ん中にあったとしても、そこまでは楽しめてなかったんじゃないかな。

まぁでも表参道とかの建築を見て、建築学科に進むっていう決断をしたので影響は大きかったのかもしれない。

建築作品を見るのはタダだったからね(笑)

あと仲良かった奴が、「スイスヘルツォークアンドドムーロンの建築観てきて良かった!青山にもあるから観に行くと良い」って言ってくれたりして、周りの人間文化レベルたけぇなって思った。

お金が無いなりに楽しんだって思えるのは、原宿古着屋でHanjiroっていうお店が全盛期だったんだけど、そこで100円になってる服を買ってた。てかそれしか買えなかったんだけど、あれは楽しかったな。

あとはまぁ、今はもうない明治公園フリマがやってて、そこで 安く売られてる服とかを買ってたりしたな。


もちろん高校時代を都会で過ごした影響はかなり大きかったんだけど、僕の中で影響が大きかったのは、やっぱり大学ですね。100倍くらい大きいんじゃないかな?

高校の時は受動的にやること っていうのが多くて、能動的には動けなかった記憶があるけど、

大学生になったらぼぼ全部自分で考えて、行動するから大学生の時の方が、濃密な時間を過ごせたと思ってる。

まぁ今なら、文化ってインターネット発なのが多いし、都会にいなくても、最先端文化に触れられるのじゃないかな?

僕が好きなVtuberのぽこぴーとか滋賀県出身電車ない土地に住んでそうだけど、最先端いってる。

僕が高校生の時は、まだスマホとかなかったし(シャって開くタイプ携帯とか、インフォバーとかが流行ってた時期だったし)、高校生の時は家族パソコンしかなかったし、ニコニコ動画も知らないし2ちゃんねるも知らない。パソコンの授業の時に友達が「スーパーマリオTAS動画」見せてくれた時も「おもしれー!TASさんって人まじで超マリオ上手いやんけ!!!」って思ってたレベルだったから、住んでる場所の影響大きかったと思うが、今はどんどん差が縮まってきてる。

っていうのが 都心高校に通ってた一般男性の一例。

2022-12-05

anond:20221204124145

大江戸線が西に延伸したら光が丘駅価値が激減するけど、まだまだそんな気配は無さそうだな。駅の用地はほぼ確保済みで地下を掘るだけの状態だけど。

そもそも延伸した時にいまの大江戸線車両乗客を乗せ切れるのかという懸念がある

2022-12-04

anond:20221203133219

そんなこたあない。

そもそも昔は駅にエスカレーターなんかなくて全ての駅では階段だけだったんだよ。東京駅でも品川駅でも新宿駅でも銀座駅でも有楽町駅でも四谷駅でもな。で、後からエスカレーターが併設されたんだよ。特に東京では早くから線路網が発達したから、エスカレーターの普及するずっと以前から階段みの駅だらけだったんだよ。そういう経緯だったから、殆どエスカレーターは元々階段のあった所に後から併設されている。

まあ、都心部では階段の併設されてないエスカレーターもあるけど、(永田町とかもそうだっけ? あと、大江戸線のように新しめの路線で深いところもそういうのが多めかな)、そういうのは東京全体からすると少数派だろ。殆どエスカレーターは元々あった階段の横に後から併設されている。 俺が使い慣れてた荻窪(一応23区内)なんかも以前はずっと階段だけだったのが後からエスカレーターが併設された。

だいたい駅のホームからエスカレーターしか出入りできないところなんて限られているだろ。(新宿駅にそういうのあったっけ?)

2022-11-15

丸の内線大江戸線

環状っぽいけど切れ目があるから出発地と目的付近にそれらの路線の駅があっても、それらの路線安直に使うと遠回りになるパターン結構あって、なおかつ遠回りになるかどうかが頭で即判断できないからすごく使いづらい。

2022-04-20

どうすれば筋トレを楽しく続けられる?

リングフィットの3周目が終わりそうだ。

正直もうやりたくない。今すぐ辞めたい。

もともと運動が大嫌いで、全く動かない人生だった。

それがリングフィットを初めて、筋肉がついた…断っておくけど決して「ムキムキになった」ではない。当社比筋肉が前より増えましたねという話である

はっきり言って良いことしかない。

坐骨神経痛の症状が消えた。

腰痛は随分軽くなった。

階段を上がるのがめちゃくちゃ楽になった。大江戸線も楽勝である

以前はいろいろなことが億劫だったが、こまめに動けるようになった。例えばスーパーの買い物を冷蔵庫しまうとか、落ちたゴミを拾うとか、

そんなこともできなかったのかと言われそうだけど億劫過ぎてできない事もあった。

掃除も滅多にできなくて、まとめて一括でやるから余計に億劫に感じていたけれど、今では気がついた時にこまめに片付けとかできるようになった。部屋が綺麗になった。

本当に良いことしかない。

 

だが筋トレ自体は全く楽しくないし、スクワットは辛い。

それでも続けているのは、ひとえに恐怖心があるからだ。

辞めたらまた坐骨神経痛が来る。買ってきたものしまうのが億劫になる。

ちっっっっっっとも楽しくない。

これはつまり、あまり筋トレ苦痛になってしまうと、心が折れて「もう坐骨神経痛でいいや」と思ってしまいかねないという事だ。

それも怖い。

少しでも楽しくなる方法とか無いのか。そもそも運動が嫌いならどうしようもないのだろうか。

2021-12-03

新宿丸ノ内線に乗り換えられるだろと思って九段下から新宿線に乗ると

九段下

↓(新宿線)

新宿

↓(大江戸線)

新宿西口(丸ノ内線に乗り換えられない!)

↓(大江戸線)

春日(丸ノ内線に乗り換えられない!)

↓(三田線)

大手町(丸ノ内線に乗り換えられない!)

↓(三田線)

白金高輪

↓(南北線)

溜池山王国会議事堂前

↓(丸ノ内線)

南阿佐ケ谷アナルパール

ってなる

はやく猪瀬はメトロ都営を一元化してほしい

2021-11-10

大江戸線エスカレータが怖い

あの長さと高さが見渡せる感じが怖い。

巨大な物恐怖症と似ているかも。

しか大江戸線より深く怖いエスカレータなんてあるのか。。。

anond:20211110003453

70年代後半に初めて上京した時に既にかなり複雑で驚いた覚えがある。もちろん今ほどではないが、地下鉄新規工事だんだん難しくなってきているはずだから路線を延ばしたり増やしたりのスピードも遅いはず。(既存路線を避けないといけないし、より深いところまで掘る必要もある。大江戸線みたいに。)

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