はてなキーワード: ハッピーとは
https://anond.hatelabo.jp/20210315160051 について、ブコメをいただきました。
ウイルス感染後数年の潜伏期間を経て発症する悲惨な病気もある(麻疹のSSPE等)。ワクチンの長期的副作用が分かっていないのと同様に、新型コロナの長期的影響も分かっていない。新型コロナのリスクを過小評価しすぎ。
この点については、論旨に影響ない程度に文章を簡単にするため、新型コロナのリスクを過小評価して文章を書きました。
当然ですが、より網羅的にフェアにいうなら、ワクチンの方にも同様に、既に統計(エビデンス)のあるリスクが存在します。こちらも文章から省いてあります。
同様に、
です。
R1<R2なら、人はワクチンを打たないということになります。逆も然りです。
元増田で書いた際は、論旨に影響しないため、Y1とX2は無視して、
としていました。上記ブコメは、Y1を無視するのはアンフェアだという指摘で、その通りです(実際にはX2も無視しています)。
元増田で書いたのは、情報収集と論理によって明確化できるのは、既知のリスクX1(とX2)についてのみであって、未知のリスクY2(とY1)については、個々人の主観的な価値判断になるということです。
したがって、Y2を大きく評価し、結果として、R1<R2と評価する人がいたとしても、他者がそれを「論理的に」「科学的に」否定することは不可能だし、やるべきではありません。
当然、「R1<R2(ワクチンを打たない)と考えるのは、X1(コロナの感染リスク)を過小評価しているからだ」などという指摘は非論理的です。その個人の価値判断のもと、Y2(ワクチンを打つ場合の未知リスク)を大きく評価しているだけだからです。
と価値判断する個人にとっては、R1<R2という判断が合理的であることは変わらず、
また、それを他者が「論理的に」「科学的に」否定することは不可能です。
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yzkuma 「ワクチン接種ジレンマ」で数理的に議論されている問題。リスク値のほとんどが不明なので個人的な正解はない。社会的には打つのが正解なので「自分だけ逃げ切る」という選択肢を自分の心が許すなら打たなくて良い。
数理的なんて言われると照れちゃいますね。まぁ足し算も数理ですが。
この点は元増田に書いた通りで、
「全員が免疫を獲得する必要がない以上、統計がないリスク(ワクチンの副作用)を低く、統計があるリスク(感染・重症化・後遺症)のリスクを高く見積もっている人がいるなら、その人が優先的に打ってくれたらみんなハッピーだよね」という考え方はあっていいと思ってます。
元増田に書いた通り、「コロナワクチンを打たない」という意思決定は、いわゆる反ワクチン(既知の科学的なリスク評価自体を否定する)と異なるよね、というのが議論の出発点です。
kou-qana 未知部分は掛け算で、その値は未知だから全部脳内妄想で、何を重視しても合理的ということ?うーん、未知部分はとりあえず掛け算しない態度と同程度に合理的…か…よくわからない。
掛け算というか足し算ですかね。
「何を重視しても合理的」というのは遠からずです。他人には口出しできないということです。それを合理的と呼ぶべきかどうかは微妙だと思いました。
frantic87frantic87 打ちたくないから打たないということ?内心の自由としてはそれで構わないけど、それで他者を納得させるのは無理では
極論すれば「打ちたくないから打たない」が認められるべきで、少なくともそれが「非論理的」「非科学的」だという非難はおかしいという話です。
個人がワクチンを打つかどうかについて、基本的には、他者を納得させる必要はないと考えています。同居家族等を想定しているなら、そもそもの議論がもうちょっと違う方向になると思います。
mRNAワクチンについては作用機序を科学的に考察すれば長期的副反応はそれほど大きいとは考えにくいけれど、嫌なら嫌で良い。アストラゼネカについては経験的に安全性が高いと考えられるけれど、嫌なら嫌で良い。俺は
まさにこういう議論がありがたいです。書いてある内容に異論はないです。
やるべきことは、未知リスクの部分をなるべく正確に推測するために、状況証拠には何があるのか、とか、リスクの見積もりに想定外はないかを議論する(または、専門家が適切にその議論ができるよう、社会的環境を整える・監視する)ことだと思っています。
残念ながら、ブコメでは、「ワクチンの未知リスクは十分に明らかでないと考えるので、ワクチンを打たない」と表明すると、「コロナの後遺症リスクを低く見積もっている」「集団免疫が獲得できないことが理解できていない」等、別の論点にすり替わってしまいます。「知っていることだけで議論したい」「知らないことは議論したくない」「自分の意見を信じたい/変えたくない」からですかね。論点がすり替わるため、未知リスクの見積もり自体はガバガバのまま議論が放置されます。
もしかしたら条件付き確率の概念を失念しておられるのかもしれません
打ちたいと思っている人は基礎疾患等重症化リスクの高い人だから、そういう人が打ってくれれば重症者が減ってみんなハッピーということにはなりません
あのさ、
ついについに、
やり込み度を極限までマックスに最高に上げなくてはいけないのよ。
星2つとか付いてる人とか、
もの凄くやり込み達人なんじゃないかしら?って星の理由を知って驚愕してしまって顎がガクガクなったわよ!
いや~でも快適快適!
懸念していた、
コントローラーをいちいち無線のを接続し直す手間が大変なのかしら?って思ったけど、
常にどのコントローラーでも遊べるようになってて、
違うコントローラーを障ったら、
バーボンハウスへようこそ!ところでどっちコントローラーで遊ぶんだい?ってマスターが聞いてくれる親切設計仕立てなのよ!
これには感動の嵐を覚えるとともに、
私の桜前線が音速の貴公子よりも早く北上するほど一気に満開になりそうなりよ。
ここで急にコロ助が出てくるほど、
再接続の手間もなく、
世の中にあった線というかケーブルというのがなくなったらどんだけ快適な世界になるかってことなのよね。
あとさ、
もうこの際に言うけど、
パソコンの電源と画面の線もなくなったら、
もっとハッピーになると思うセットを私はハッピー抜きでっ!って
あくまで
おまけ目当てじゃなくて、
食べるのがメインなんだよ!って
お寿司は格好付けて、
わさびは抜かないで
カウンターが一盛り上がりするぐらいの量にしておくと
ああこの人はバラエティーが分かってるな!って思われるからデキる!って寿司屋で思われるのよ。
わさびの量を大将に訊ねられたら「多目で」といか野暮なこと言わないで「バラエティータイプの量で!」って
もうそれはとにかくスゴい自信で言って欲しいの!
「バラエティーの量をロシアンルーレットのタイプで」っておっしゃってたら、
もうそれはそれはスゴいことになるわよ。
その紳士は。
だからそう言う時は遠慮無く
わさびがバラエティーの量をロシアンルーレットのタイプのお寿司を私も1つよろしいでしょうか?っていただく方がむしろ礼儀ね。
きっと紳士も喜んでお一つどうぞ!って言ってくれるはずだから。
そんで女将さんが、
「あらあら盛り上がってるわね」って言って赤出汁を出してくれるところまでがワンセットだから!
そうこうしている間に、
今日は私はスイッチコントローラーでプロデビューしたんだけど、
神様は越えられない越えられるモノなんて与えないのよ!
きっと乗り越えてみせるわ!って
とにかくスゴい自信でおおくりしたいの!
毎日毎日これはこれでもうすっかりライフワークでお馴染みよね。
やめてあげて!
もう私のライフはゼロよ!ってところまで頑張るつもり!
だから
パンテーラよ
パンチーラじゃないわよ。
うふふ。
タマゴだけじゃ物足りないけど、
思わず私もニッコリ!
また少し寒くなってきてないかしら?
ホッツ白湯ウォーラーのなかで梅干しは潰してもいいし潰さなくてもいいわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
モルカー流行ってるよね私も見たよモルカー
可愛かったし人類は愚かだったしでドハマりした
たった2分半でも毎週楽しみにしていたし
最初の路線からかなりジャンルが変わってきたけどどれも面白かったから気にならなかった
9話までは。
10話をまだ見ていない人はyoutubeで見てきて2分半だし
それで何が言いたいのかと言うとこのありきたりなオタク賛歌に失望したのね
モルカーを美少女化するだけでもげんなりなのにその上に痛車として仕上げたオタクには何もないんだもん
痛車にしたおかげで奇跡が起きてめでたしめでたしハッピー じゃないんだよ
あそこでやるべきだったのは猫を助ける為なら痛車という見た目でもお構いなしに木に登るべきだったんだよ
それこそ周囲の目を恐れないで助けに行くのがヒーローなの ファンタジーに助けられましたじゃ意味ないの
それを勘違いしたオタクがTwitterで良い気になってるのも気に入らないし
その上調子に乗って更にオタクっぽい絵柄にして動画にしたり他のモルカーの美少女化イラストまでアップしたりと
モルカーが一気に汚された オタクっぽくないからこそモルカーは素晴らしかったのに
将来は子供に見せてあげたかったのに10話だけはとても見せたくないし円盤が出ても10話をカットする機能が欲しい
悲しいよ
TVシリーズも旧劇もリアルタイムでは見ていないが、新劇の前には一通り見ていた、程度の思い入れ。
解説サイトとかはつまみ食いするけれど、資料集とか一次資料などにはほとんどあたったことがない。
いや、面白かった。観てよかったし、何度も観に行くと思う。
特に、ミサトさんが良かった。撃たれるシーンや突撃のシーンとか泣いたよ。
(撃たれて壁によりかかってるシーンは、アウトレイジの大友の「何かってえと腹やられるな」というセリフがふと浮かんだ)
終盤のそれぞれのストーリのところは。右隣のオッサンがいちいち嗚咽してたから急に冷めたけど。
それはよいのだが、乗り切れないのはラストシーンだよ。
俺が、特に旧劇を観てエヴァがいいなと思ったのは、ハッピーちゃん♪ちゃん♪で終わらせてない点だった。
普通の映画なら「色々辛いことはある。でも、他人がいる世界を望むんだ!」となったら
エンディングはアスカと手を取り合って世界を再建していくみたいな雰囲気で終わるだろ。
他人と触れ合えて幸せを感じても、結局ひとりになる瞬間はあるし、恐怖を抱く瞬間も必ずある。
それに映画はラストシーンで終わるが現実は死ぬまで続く。その人生の終焉が不幸で終わるということもある。
その両面性を見せずに美味しい上澄みだけ掬って提供されるのが普通の映画だと思っていた。
エンターテインメントとして、そのような楽しさは理解しているし好きではあるのだけれど、
「でも虚構よな。現実はこんなんじゃないじゃん」という心の声が常に響いていた。
だけれど、旧劇は「気持ち悪い」で終わった。
ハッピーだけじゃなぞ甘ったれるな、という現実っぽさも入っていた。
キャラクターや映像も好きだったけれど、俺にとってリアリティがあったから好きだった。
それがシン・エヴァでは、徹底的に破壊された世界がいつの間にか再建されて平和な日常になっていた。
そして未来に向かってつがいが走っていくという陳腐なラストシーンだった。
カップ惣菜、あれは罪深い…。殊更おいしいってわけではないのだが、そもそも他コンビニに該当商品がない。
チルド惣菜が興隆しているので、似たものが手に入ることは入る。ものによっては温めて、パウチパックから皿に出せば、ひじきの煮物とかが食べられはする。カップ惣菜よりもおいしくて量も多い。
でもコンビニで買い物をする時点で疲れ切っている。もう食べずに寝たい。でも本当に食べないと栄養失調の前に脱水を起こして寝るどころじゃない。それに関する対処法はまあさておき、皿を使ったら洗わなければならない。
Uber Eats とかの丼ものは元気があるときしか食べられない。ガーって食べるなんてほんと夢中になって食べるような時しかない。
一品は少なく品数が多いとなんとか食欲が湧く。疲れたら別の味や別の食感に逃げても良い。気分じゃないものがあっても、量が少なければなんとかなる。
ああ、書いていてやっと気付いたけれど、残すのが本当に嫌で嫌で、というか怖くて、食べ物を残したら自分がすごく非道い人間になるので、残す可能性のあるものを食べ始めたくないんだ。悪い子は家から追い出されるから子供の躾に反するのが怖いんだ。そら怖いわな。ばかばかしいけれど、住まわせてやっていると日々言われていた。追い出されるなんて脅しに怯えているようでばかばかしいが、気分屋の気分ひとつで外に出されていた。実現は目の前にあったんだ。事実猫は真冬に外に出されて死んだし。
…惣菜が、小さい惣菜が手頃に買えるの嬉しいって話を書くつもりだった。おなかはずっと空いていたのに何も食べる気にならなくて、そんな中で食べられそうな惣菜がちょっとだけ入っていて、準備も片付けもしなくて良くて、ありがたくて…ああもうそういうものに頼らなくても普通に生活できるように解脱したいなあ。死んだのに捉えられてきつい。もし読んでくれている人がいたらごめん。いろんな味おいしーっていうハッピーな話をするはずだったんだよ…
元記事についたブコメについて、返信や補足です。どうやら増田には7000文字くらいで文字数制限がかかっていて、それを超過すると記事が途中で途切れるらしいことがわかったので、ブコメへの返信や補足などはこちらにかいております。ブコメを取り上げる・上げないの判断基準は「補足して何かを言いたいものであるかどうか?」です。ブコメの良し悪しでの判断ではありません。
本当はリンク全部書きたかったけども、URLが多すぎるせいか投稿に失敗したのでURL省きます。ここで引用しているコメントは全て、元記事についたブコメです。
法人で事務所や借り上げ社宅を借りるには、法人としての信用が必要です。具体的には3年間(もっと長いかも?)の黒字決算でそこそこの事業規模が無いとキツい、とか。
ちょうど友人がこういう投稿をしていたばかりだ。https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=3719818448134271&id=100003184580045
そう、未成年で天涯孤独だったりDV親だったりすると本当に人生詰むんじゃないかって思います。生きるための障壁は住居確保以外にもたくさんあることは想像に難くありません。はてな界隈で有名な話としては「私が休学を決めるまで - Tritamaブログ」が挙げられますね。この方は高校出てから放り出されてこれだけ酷い目に遭う訳ですが、中学出た時点で放り出されたらもっと大変かもしれません。世の中、特に未成年の環境については「協力的な親が実在する」という前提に立った制度が多過ぎます。
これほんと辛いよね。独身のときは家借りるの一苦労だったし、ちゃんと働いてるのに出自を値踏みされてる感じで屈辱だった。増田の案は妥当に思える。どっかに意見出したのかな?
SNS上で政治家のアカウントに軽く進言したりすることはありますが、きちんとした意見書を出したりパブコメに投稿したりということはありません。今後は検討したいです。
出自を値踏みされてる感じ、それはありますね。差別を受けるってこういうことなのか、って思います。
大手の不動産仲介よりは、地場の不動産管理会社の方がネゴは効くかもしれん。地主やビルオーナーが一階で営業して自分の物件や管理物件だけ紹介してることも多い。まあ古い考えの人も多いのでハズレも多いが。
これは、そうなんだろうと思います。問い合わせして回るのに足を使うので私は手っ取り早くURに保護を求めましたが、万が一URの運営が止まったり等すれば、この手段は頭に入れておきたいところです。
もしも長生きしてしまっても、そのころには安アパートを借りれるか借りれないかというシングル老人が大量発生しているころだろうから、なんとかなるんじゃねえかと思ってる。空き家も増えるだろうし。
「なんとかなる」状況が発生するとしたら、国内の治安や衛生状態が悪化して社会問題となり、法制度が改正された時、だと思っております。
定期借家契約が出てこないのに違和感がある。普通借家における貸主・借主のバランス(一般に「借主が強い」と言われがち)を若干貸主側に傾けたのが再契約条項ありの定期借家契約で、当然その活用が考えられるはず。
借主が緊急避難をする手段としては定期借家契約は非常に優れた話ではあります。実際に契約した経験が無く実態を知らなかったので省略しておりました。指摘ありがとうございます。
わかるけど、解決策はピントがずれている。問題は、賃貸借契約は相続されるということ。増田が急死したら、増田の相続人が借主になるので、相続人に連絡を取れないと貸主側から部屋を解約することが難しい。
これが一番ここで取り上げたかったコメントです。元の記事には書きませんでしたが、借主の死亡や失踪というのは大家にとって非常に大きなリスクです。他のブコメでもしてきされている通り、相続人となり得る者は存在しないという証明書を借主が提出することによって借主死亡or失踪時に大家は都合の良いように処分できるっていう制度が必要です。
少し話が逸れますが、例えばDV親から逃げ出した時にDV親を「相続人の廃除」することが私たちの人生で重要なポイントなのですが、このハードルが高すぎることも問題としてあります。相続人の排除を否定した判決の判例を見ると、ほんと頭痛がします。
賃借権だけでなく増田の遺品についても相続される。大家は勝手に処分することはできない。問題は家賃だけじゃないのよ。親族の連絡先がないとこれらの処分方法が確定できない。遺言執行人の選定も強制力ないし
こちらも同種のコメントです。日本の社会は、この問題も解決しなければなりません。
サービスアパートメントだめなんですかね。ずっと海外で住んでたけどよかったですよ。入居はパスポートとデポジットだけ。あとはシェアハウスかな。デポジットと前家賃払えば大抵のところは住めます。
海外に居たときは、私もデポジット(敷金のような扱い)払うだけですんなりとシェアハウスに住むことができていました。気をつけないといけないのは、歳を取ると(30代半ばくらいから?)シェアハウスで間借りするのは肩身が狭くなる、といったところでしょうか。
緊急連絡先は借主が死んだ時の処理のためにあるのか、そりゃそうか。じゃあ死後処理を頼める会社や団体ができるしかないな。遺書を預けた弁護士とか含む感じになるんだろうか。それはそれでニーズありそう。
団信なしでもフラット 35 は行けるので住宅ローンは出来るよ。共同名義じゃない限り連帯保証人も不要。賃貸なら UR という解決策が存在しているし、あらゆる物件に住めるわけでは無いが、選択肢自体は割とありそう。
フラット35がそういう制度になっているとは知らなかったです(調査が足らなかったです)。てっきり、フラット35でも団信を求められるものだと思っておりました。
東京にはURよりもう少しリーズナブルな「公社住宅」がありますよ。諸条件クリアしやすいです。そこにも漏れるような層をこぼさないようにさらにリーズナブルな「都営住宅」は場所を選ばなければ空がたくさんあります
公社住宅に関しては
都営住宅も「住宅に困っている収入の少ない方に対し低額な家賃でお貸しする住宅です。」と謳っており、やはり私たちは支援対象外です。 https://www.to-kousya.or.jp/toeibosyu/
全保連の「入居申込書兼保証委託申込書」を見る限りだと「緊急連絡先」があれば良さそうに見える。これとは別に親族の連絡先が求められるのかな?
記憶が確かではありませんが、私が2017年時点で見たのはこれかもしれません。2019年時点の家探しで出会うことができなかったのは運が無く、費やした探索労力が少な過ぎたせいかもしれません。
というか筆者は十分上級国民なので参考にならない。時給1,000円、氷河期非正規、前の住居が老朽化のため立ち退きを迫られている、ぐらい言わないと。
こういうケースを救うのは生活保護とかの制度だと思います。こういった保護はとても重要なのですが、これだけだと私のようなケースで人権が侵害されていってしまうという想いから、元の記事を書きました。元記事の上の方にある通り、私は1000万円ほどの物件を買えば(倒壊とかしなければ)保証会社と無縁の人生を得ることができますが、それだと同じ境遇の若い人たちが救われません。
一般論として「身元が確かでない人は家を借りにくい」という問題は「身元が確かでない人に貸してトラブルになると家主が困る」からで、家主の権利を強化すれば貸しやすくなる。さて、どうする?といういつもの話。
この「いつもの話」を解決するためには法改正するしかありません…!!
損をするのは悪意を持って詐欺や滞納とかやらかす輩だけで、それ以外の関係者全員がハッピーになれる社会を作っていきましょう!
賃貸契約まわりの契約書の中には、虚偽の情報を記載した場合は即時退去になるような条項が入っていることもあります。2019年の家探しの時に、不動産仲介屋に虚偽情報を記載することを示唆されましたが、リスクが高すぎるのでやめました。
分譲住宅で2DK未満の広さのものって、物量がそんなにありません。買いたくても買えないので、安値を狙うならボロボロの2Kや2DKとかになります。
ぜひ、その「1300万円ほど」の貯金で1Rマンションを購入し、貸し出してみてください。身銭を切って逆の立場になったら別の世界が見えるかもしれませんよ。例えばあなたが貸主で借主にどうやって強制退去させるんですか
■ツイステッドワンダーランドの爆発的人気が笑っちゃうくらい分からない
■ジャミルの声について
■ツイステが好きでも嫌いでもない私の所感
■ツイステお気持ちの波に乗る
■ディズニーもツイステも好きなオタク視点からの感想とかいろいろ
■twstをやってるDオタの話
■ツイステより何よりイナゴが酷い
■ツイステが嫌いな私のお気持ち表明
■ ツイステ辞めること『引退』じゃなくて『中退』って言った方が適切なんじゃないかと
■ 未成年ポルノは問題無いし、差別的な表現満載でもブランドイメージを損なわない
そもそもタイの音楽会社、グラミーの映画部門であるGTH,GDHの映画は100もない。54しかない。全部見たっていい。
GTH | 作品 | 邦題 | 監督 | 公開年 |
---|---|---|---|---|
1 | 15 ค่ำ เดือน 11 | メコン・フルムーン・パーティ | Jira Maligool | 2002 |
2 | แฟนฉัน | フェーン・チャン 僕の恋人 | Nithiwat Tharathorn他5名(共同監督) | 2003 |
3 | เพราะอากาศเปลี่ยนแปลงบ่อย | 早春譜 | Nithiwat Tharathorn | 2006 |
4 | ปิดเทอมใหญ่ หัวใจว้าวุ่น | 夏休み ハートはドキドキ! | Songyos Sugmakanan | 2008 |
5 | รถไฟฟ้า มาหานะเธอ | BTS - Bangkok Traffic (Love) Story | Adisorn Tresirikasem | 2009 |
6 | ATM เออรัก เออเร่อ | ATMエラー | Mez Tharatorn | 2012 |
7 | พี่มาก..พระโขนง | 愛しのゴースト | Banjong Pisanthanakun | 2013 |
8 | ไอฟาย..แต๊งกิ้ว..เลิฟยู้ | アイ・ファイン、サンキュー、ラブ・ユー | Mez Tharatorn | 2014 |
9 | คิดถึงวิทยา | すれ違いのダイアリーズ | Nithiwat Tharathorn | 2014 |
10 | เมย์ไหน..ไฟแรงเฟร่อ | May Who? | Chayanop Boonprakob | 2015 |
GDH | 作品 | (英題,もしくは邦題) | 監督 | 公開年 |
---|---|---|---|---|
1 | แฟนเดย์ แฟนกันแค่วันเดียว | 一日だけの恋人 | Banjong Pisanthanakun | 2016 |
2 | พรจากฟ้า | ギフト | Jira Maligool他3名(オムニバス) | 2016 |
3 | ฉลาดเกมส์โกง | バッド・ジーニアス危険な天才たち | Nattawut Poonpiriya | 2017 |
4 | เพื่อน..ที่ระลึก | The Promise | Sophon Sakdaphisit | 2017 |
5 | น้อง.พี่.ที่รัก | ブラザー・オブ・ザ・イヤー | Witthaya Thongyooyong | 2018 |
6 | โฮมสเตย์ | ホームステイ ボクと僕の100日間 | Parkpoom Wongpoom | 2018 |
7 | ระวัง..สิ้นสุดทางเพื่อน | フレンドゾーン | Chayanop Boonprakob | 2019 |
8 | ตุ๊ดซี่ส์ แอนด์ เดอะเฟค | トッツィーズ&フェイクスター | Kittiphak Thongauam | 2019 |
9 | ฮาวทูทิ้ง ทิ้งอย่างไรไม่ให้เหลือเธอ | ハッピー・オールド・イヤー | Nawapol Thamrongrattanarit | 2019 |
10 | อ้าย..คนหล่อลวง | The Con-Heartist | Mez Tharatorn | 2020 |
まだGTHという会社すらなかった頃の実質1本目作品。超常自然現象?として国境の川に実在するイベントを「対岸の寺がヤラセでやってました」というぶっちゃけた設定にしてしまったところに監督の非凡さが伺える。(Jira MalikulはこのあとほぼすべてのGTH,GDH映画にプロデューサーなどで関わっている)
日本中が「マッハ!!!!!!!!」でアクション映画のタイ映画だと思っていたところに「田舎に残した幼馴染の思い出」という振り返りあるある王道を突き進んだ作品。この映画でいじめっ子のガキ大将役をやったChaleumpol Tikumpornteerawongはこの後脇役で大ブレイクするので、その成長を見るのも楽しい。
音楽学校を舞台にした三角関係のラブコメ。ちょうど日本での「のだめカンタービレ」が流行った頃に上映されたこともあって「タイ版のだめカンタービレ」と言われることもあるがストーリーは全く似ていない。ドラムの先生役を日本人パントマイマー矢野かずきが演じていて、この人の活躍を愛でる映画。
中学生から大学生までの4つのグループのラブコメをかき混ぜた青春映画。幼馴染2人のナンパ競争の対象になったことをこっそり知って小悪魔ムーブをかます女子中学生のストーリーが一番手が込んでいてメインのストーリーだが、日本人的には大学生カップルのサプライズプレゼントをぶち壊す蒼井そらの活躍も見どころ。
30手前の奥手独身女性の恋人探し、というちょうどこの時タイでも問題になり始めた晩婚化現象を都市鉄道開通10周年記念に無理やり組み合わせた、完全なトレンディドラマ的プロットが良くも悪くも話題になった作品。当時のあるあるを突っ込んだ結果、期せずしてタイの現代文化紹介になってしまった部分も含めて興味深い。主演女優は決して美人でないのに時々とんでもなく可愛く見えるところもリアリティを増した。矢野かずきも出る。
ストーリーは最近のみずほ銀行とはあまり関係ないはずだが、「日系銀行のATMアップデート設定が日本語で書いてあったのでうまくアップデート出来なかった」という話の発端は何か今に通じるものを感じさせる。起きたエラー「出金すると口座から引かれた金額の倍が出てくる」の後始末をうまくやったほうが社内恋愛禁止の会社に残る、という設定は日本の女性コミックにもありがち。関係ないとはいえみずほ銀行のアレがあったから今ここに入った。入れ替えの可能性がGTHの今回の中では1番高いかもしれない。「フリーランス」とこっちのどっちを10本に入れるか今でも迷っている。
「長い旅から帰還したら、妊婦だった妻は胎児ともども死んだのに待っていた」という、タイで一番有名な実話怪談を、時代設定をぼかしつつ時代劇で演じた作品。「『アナと雪の女王』を抜いてタイNo.1ヒット」というのが日本での宣伝文句だったが、タイであの作品は記録的な不入りだったことは知っている人ならみんな知っている不都合な真実。とはいえ結局歴代No.1映画なので、リメイクの力は侮れない。
アジア屈指の英語の通じない国タイが、アジアで2番目に英語の通じない国になった(1番は日本)頃の作品。英語学校を経営するキャリア女性が、工場のメンテナンスエンジニアに英語を教えるというラブコメと聞けばそれだけで話のラストは想像可能だが、数々のタイ人英語あるあるに加え、「外人はタイ人を妊娠させると妻を置いて逃げる」「日本人は面接でどうでもいいことを聞き、それを合否判定に使う」という社会?問題を入れているのが意外と深い。この映画にも蒼井そらがちょい役の域を超えて出ているので要注目。
タイの奥地に実在する水上分校をモデルに、素行に問題があってそこに左遷されたベテラン教師と、教師のなり手がなくなってそこに送り込まれたやる気はあるものの教育方法に問題のある新米教師見習いの奮闘を描く作品。2人はベテラン教師の残した日記だけで交流するので、ラストシーンまで出会うことはない。日本語吹き替えの子役は東日本大震災被災者の子供がやった、というのが売りだったが、別にそこを気にする必要はない。タイ文字がわからないと若干面白さは減るのだが、それでも教育の大切さを教えてくれる良作品ではある。
超能力少女メイの学園での活躍をアニメパートも含めて描いた青春映画、と書けば響きはいいが、実のところその超能力は能力というより身体障害に近い扱いづらいものなので、観た直後の感想は「バリアフリーってなんだろう」になってしまうという作品。カトゥーンレンダリングした3Dアニメは一見の価値あり。
北海道全面ロケ協力作品。雪山に迷い込んで記憶喪失になった女性に片思いしていた男が「俺が君の恋人だ」と言い張って、記憶が戻るまでの1日間、北海道を縦横無尽にデートする。タイ人の北海道好きは他の都道府県と比べても群を抜いているのだけれど、その中でもタイ人が何に興味を持つのかとても参考になる。日帰り周遊旅行という点を除けば、日本人にも旅行先は参考になる。
生涯で五十数曲を作曲したプミポン国王(当時)の曲から3曲を使って、3つの短編に仕立て上げたオムニバス作品。主演俳優は近年GDHで活躍している人ばかりなのである意味親近感を感じる。各作品に他の主人公を入れ込むなど芸の細かいところと、会社内の移動がなぜかオートバイ集団走行になってしまうという画作り優先のところが交じる、まさにJira Malikul節の炸裂。3曲聞くと、なぜ国王がタイ国民にあそこまで愛されていたのかがわかってもくる。
タイ国内No.1ヒット作品は「愛しのゴースト」だが、世界No.1ヒットタイ作品はこちら、という、立ち位置的には「君の名は。」(当時)に近い名作。金銭的に腐敗した学校に憤った主人公がカンニング商売に手を出したものの露見して一度破滅するものの、今度は時差と暗記とLINEメッセージを使った世界的カンニングに乗り出す、というあらすじ。とりあえず明日金曜日19時からBS12チャンネルで放送されるので観ておけ。地味な主人公役の少女は、実はけっこうすごいモデルだったりするので映画の力はすごい。
バンコクに現存する建てかけ放置の高層ビルマンションを舞台にしたホラー映画。20年前のアジア経済危機に巻き込まれて百合心中を企てたが生き残ってしまった女性が主人公で、娘が先に死んだ親友と同年齢になったことをきっかけに起き出す奇行に悩まされるのだけど、ホラーと言いつつ目に見える悪霊はほとんど出てこないので逆に怖い。GTH,GDHにはホラー作品も多いのだが、ここまでほぼ1本も入っていないのでここで紹介。もっといい作品が出たら入れ替わる可能性あり。
日本のマンガを通じて育った兄妹の、妹が日本留学を経て日系企業に入ったことで始まる、兄弟愛に関するコメディ作品。よしもとタイ住みます芸人が接待漬けで陥落する上司役で好演している。日タイハーフの、妹の恋人役は、タイ語の話せる日本人を探したが見つからず韓国人が演じていて、彼が頑張って日本語を話すところは期せずして日本人には笑えるシーンになってしまっている。北九州ロケあり。
バッド・ジーニアスのおかげでGDH映画に陽が当たるようになり、こんな映画も日本で上映されるようになった。森絵都の「カラフル」を原作とした作品で、主人公である"ある魂"は自殺したミンの代わりにミンの体に入り、ミンが手がかりを全て捨てて自殺した理由を探っていく。BNK48の中心メンバーが相手役になっているだけでなく、その後注目されるようになったメンバーも1名その他大勢の中に写り込んでいるということで、BNK48フリークには有名な作品。確かにチャープランはかわいい。特に眼鏡。
日本では全く言葉として浸透していない「FRIEND ZONE」をそのままテーマにした作品。高校時代から10年間「いい友達」を演じている男性が、女性の同棲相手の浮気疑惑に一念発起する作品。潰れかけのタイ航空全面協力で、主演俳優は世界各国(ただしASEAN+香港)をまたにかけて活躍する。香港だけ地名表記の時に国名が出ないのは気がつくと意外と深い。両手にビールを持って飲みたい。
現在日本のNETFLIXで唯一観られるGTH,GDH作品(今回挙げた他の作品は全て他の国では配信されている)。イケメンオカマと、デブオカマと、派手オカマの3人オカマ友達が起こすドタバタ、というTVドラマのプロットはそのままに、映画化にあたって派手なシーケンスを増やした、という作品で、正直「日本でもNETFLIXで観られる」という点を除けばここで紹介するほどのものではないのだが、いじろうと思えば今でもこれくらいはオカマいじりできる、という基準点としては参考になるかもしれない。
まだ日本でも公開している映画館があるはず。北欧留学を経て、こんまりメソッドに目覚めた女性が、実家を事務所にするために派手な断捨離を始める、という話。断捨離は本人の借りパクがバレたことで方向修正を余儀なくされるのだけど、そこに元カレが絡んできて話はさらに複雑になる。たぶんこれも、バッド・ジーニアスがなければ日本公開はなかったはず。監督が若干アート寄りなので雰囲気は地味だが、やっぱり面白いものは面白い。NETFLIX(観られれば)には日本語字幕もある。
昨日NETFLIXで配信が始まった、昨年12月公開作品。アカサギにやられた女性の復讐を手伝う詐欺師、という「クロサギ」的作品。主演の詐欺師役をやっているナデット・クギミヤはかなり有名なのだが、おそらくGTH,GDH映画初主演のような気がする。2019年から2020年にかけて、という時系列が明らかにされているため、騙された主演女性はマッチングアプリで出会っていたり、借金を返す足しにYoutuberになったり、さらに脇役の動作などにCovid-19も話に絡んでくるのが時事好きなGDHらしい。
けっこう興味を持ってくれた人がいるので、現状見られる方法を紹介しとく。
そうそう、大阪アジアン映画祭でThe Con-Heartist観た人は途中女主人公が電話で啖呵を切る「ワイドショーで持ちきりでしょうね」みたいなセリフに誰が使われていたか教えて欲しい。さすがにみのもんたではないけれど志らくでも小倉智昭でもないだろうから。
https://anond.hatelabo.jp/20210228234557
を読みました。上の記事の方とは別人ですが、同業者として色々と思う所があったので書きます。初めての増田です。
自分を勝ち組とは思っていませんが、年齢や職位などはこの記事を書いた方と似ています。ただ、多分私の方が少し年上です。
各所で反響があったようですが、基本的には過酷な労働環境で頑張る若手教員、すごいな、頑張っているな、というような反応が多かったように思います。私も他人事として記事を読んでそう思ったのですが、ふと自分のことを振り返ると決して自分の労働環境が過酷とは感じておらず、大変幸せな日々を送れているなと思いました。大学教員のような仕事に対してよくあるイメージとして、好きなことをやっているのだがら、異常な労働時間も苦にせずに働く、といったようなものがあるかと思います。しかしながら、私の幸せというのはそういったものではなく、むしろ大学教員の裁量を最大限使うことでワークライフバランスを保ちながら、学生と刺激的な議論ができ、たまに面白い発見もありといった具合に割とゆるく楽しむといった感じです。こういったケースはレアかもしれませんので、私の大学教員ライフを共有できればと思います。
元記事の方も書かれているように、大学(院)教員として研究室やゼミでの学生指導は最も重要な仕事だと思います。が、私は1人あたりにかける時間としては元記事の方の1/2 - 1/3程度です。基本的には配属時に時間をかけて研究ゴールの共有と中長期のスケジューリングをして、あとは学生におまかせです。人前で発表したりする訓練は当然必要なので、週0.5時間程度/人ミーティングで発表してもらいます。もちろん、学生から議論したいと言ってきた場合はこの限りではありません。そのときには、なるべく少ない時間で議論の成果を増やすために、分からない事がある場合はなんでもいいので自分の仮説を持ってくること、をゆるやかに要求しています。そうでない場合は、「とりあえず2,3日考えてみて、俺も考えとくから、あとで答え合わせしよ」てな感じで一旦追い払います。2-3日後に答えが出なかったらその場で一緒に考えます。ちなみに、私は学生といろいろお喋りするのは好きなので、この部分が多少増えても苦痛ではないのですが、お互いの効率を考えてこのくらいの配分にしています。投稿論文を書くときはある程度時間を使って一緒に書きます。
このあたりは大学や学科依存で若手教員の負担がかなり違う部分だと思います。平均的な実負担時間でいうと私は元記事の方の1/5程度です。
私の学科では単純に教員の数が比較的多く、負担が少ないといった部分があるとは思います。ただ、学生実験に関しては、技官さんやTAと打ち合わせをしっかりして、学生実験の数ある業務(設営、実験前の講義、実験中の巡回、試問、採点などなど)のうち、どの部分が教員にしか出来なくて、どの部分は技官、TA、学生に担当してもらえるかはいま一度考えてみるといいかもしれません。意味もなく教員が実験室で巡回するといった無駄があるならばそれをへらす努力は必要(だが多くの学科でされていない)だと思います。
このあたりは同程度です(週3h程度)。好きではないですが、気晴らしと思えばそんなに苦ではありません。また、自分以外(秘書さん、大学事務、学生)にふれると思った仕事はどんどんふっていきます。例えばオープンキャンパスの運営が例にあがっていましたが、こういった毎年殆ど同じ内容の仕事(上の学生実験も実はそう)は、マニュアル化して多少のバイト代さえ工面できれば、自分で動く時間はだいぶ減らせます。
この仕事を苦にしないために、アブストをよく読んで1.本当に読みたい論文である場合 2.自分の専門に合致しており容易に論文の価値を判断できる場合 のどちらかに当てはまる場合以外は断るようにしています。1であればどうせ後々読む論文を先取りできてラッキーですし、2の場合は4-5時間くらいで査読レポートまで書き終えられるので、締切直前にぱぱっと終わらせます。月2くらいのペースなので、時間的には元記事の方の半分くらいです。この一年は皆引きこもって論文を書いていたからか、依頼がめちゃくちゃ増えました。査読をするといかにも科学コミュニティに貢献しているといった気分にはなるのですが、一方で、査読する価値もないゴミ論文も相当数投稿されるので、そういったものはしっかり査読する前に断るようにしています。
科研費はもちろん、プロジェクト型予算、色々な財団の助成金をとにかく出せるものはすべて出します。結局お金があると、秘書さんを雇えたり、学生にバイト代を出せたり、研究にしても既に新規性のない開発部分は外注したりと、かなり自分の時間を買えるので、ここは力を入れてやっています。募集が沢山ある時期は一日中申請書を書いているときもあります。
基本、断っています。個人的な感想ですが、研究者の数は増えないのに年寄り(に限らず若手の会みたいのも沢山あって困りものなのですが)の同窓会のような学会が増えて、お互いに何が違うのかも分からない研究会が乱立しているような印象を受けています。私も以前は参加していたのですが、そういう学会に行って懇親会なんかがあると、決まって皆大学事務の悪口や、如何に大学での雑務が忙しいかで盛り上がります。私達が今参加しているまさにこの会こそ意味の薄いものなのではないかと考えるようになり、基本的には学会には参加しないようになりました。
さて、残りの時間で自分の研究です。上の項目はあくまで平均であって時期によって忙しさが違うので、何週間も自分の研究が進まないこともありますが、逆にどかっと時間があいて没頭できることもあるので、無理せずに自分のペース進めています(それを可能にするためには、極端な競争になりにくい研究テーマを設定するなど、それなりに考えてやる必要はあると思います)。
随分な長文になってしまいました。自分の周りの若手助教の先生なんかを見ていても思うのですが、どうも大学教員は忙しい!雑務多い!それでいて待遇ひどい!学生は使えない!といったような思い込みに縛られている人が多いのではないかと感じます。過酷な環境で業務をこなすスーパーエリートってな感じでやっていくのも悪くないですが、現場でできる効率化をどんどん進めて、ゆるふわハッピーに研究をするっていうのもアリなのではないかと思う今日この頃です。今年度からは科研費等の研究費を一部自分の給料にあてることも出来るようになり、大学教員の待遇は良くなってきている部分もあります(予算とれば給料ふえる)。個人的には、大学教員は自分が研究を好きという点を差し引いても十分魅力的な仕事で、若者にすすめられる仕事です。
「人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたしはしまいには、どこかの場所がわたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする」
二つの家族の間を行き来しながら、人間の記憶や、場所への執着を捉えた文章。それはまるで、漱石のいいところだけ抜き出したような文章だった。
ところで、同じ著者の「インドへの道」もいい。これは大英帝国支配下のインドで、未婚女性が現地の男性に暴行されたという疑惑を巡る話だ。女性を守ろうとする騎士道精神と排外主義が結びつき、支配者と被支配者の亀裂が広がる様を描く、不幸にして極めて現代的な作品である。冤罪をかけられたインド人が、「誰があんな不美人な年増を」と心の中で毒づくの、とても嫌なリアリティがある。たぶん、帯を工夫したら売れるし、どっちの「弱者」がより保護されるべきか的な話題で定期的に盛り上がる増田の住民にも刺さるんじゃないかな。
切れた靴紐を昼休みに買うだけの、注釈だらけの何だかよく分からない小説。細やかな観察眼と都市生活者が思わず共感してしまう日々の経験で、要するにあるあるネタで延々と読ませる。すごい。こういうのが現代文学なのね、みたいに一席ぶつのにも使えるかもしれない。
真面目な話をすると、文学にはいろいろな機能があって、それは作者の意図とはかけ離れているかもしれないのだけれども、その結果的な機能の一つとして、その時代で言語化されていないものを文字化するというのがある。だから、文学賞を受賞した作品だからと言って、実は今の自分が読んでも面白いかどうかは全くの別問題なのだ。文章が巧みで、いかにも知的な主人公の知的な悩みを描いた文学だけが主流な時代は終わっているのかもしれない。そういうのが好きな人は古典で充分であるし、逆に言えばいろんな立場の人のきれいごとではないこじれた気持ちが知りたければ現代文学は面白い。
理由は書かないが、自分は周囲の期待を一身に背負っていたエリートが挫折する話が好きだ。前途有望な若者が、将来を棒に振ったり挫折したりする筋書きに対するこの偏愛ゆえに、自分は「ゲド戦記」第一部の前半部分や「スターウォーズ」のエピソード3に対する執着がある。
生きていくとは何らかの失望を味わうことであり、時間をかけてそれらを味わいつつ咀嚼していく過程であるのだけれど、こうした自分のどうにもならない感情を言語化した先行作品があることで、自分は孤独ではないとわずかな慰めが得られる。
「鏡の中の鏡」「魔術」「薔薇の名前」などの元ネタとなる作品を書いた人。「バベルの図書館」は聞いたことがある人もいるかもしれない。
非常に濃密な短編を書く人で、このネタで長篇普通に書けちゃうだろ、みたいなネタをそのまま短篇で調理する。どの作品も非常に濃密で、読み解くのにエネルギーがいる。文体は簡潔で、物語も必要最小限の描写できびきびと進む。ただ、具体的に何が起きているのか、そしてなぜそうなったのか、その設定の意味は何か、を追うには読者に教養が要求される。読破すると、それ以上のものが得られる。読み終わったらカルヴィーノだとかスタニスワフ・レムの「虚数」だとかミロラド・パヴィチ「ハザール事典」だとかそういう沼にようこそ。
キリスト教文学の癖にルシファーがめちゃくちゃかっこいい。地獄に落ちても神への反逆を続けよとアジる場面は音読したくなる。そのくせ、彼の弱く情けない姿もまた魅力的だ。アダムとエヴァが楽園で楽しげにしているところを見て、自分には愛する伴侶もなく、人類に与えられている神からの恩寵も既に失われたことを嘆く場面もまた、声に出して読みたい。そして、彼は人類への憎悪と嫉妬のゆえに、アダムとエヴァを堕落させる。この叙事詩の主役はルシファーだ!
好きなヒロインは六条御息所。自分の意に反して生霊を飛ばし、他人を苦しめてしまうことに悩むのがかわいそうでならない。今でいうなら、好きという感情をコントロールできなくて、それでも好きな人が振り向いてくれなくて苦しんでいるタイプで、感情のエネルギーが強い自分としては大いに共感する。
他に好きなキャラクターというか、嫌なリアリティがあっていいと思うのは薫で、その優柔不断さがいい。「この子とつきあいたいけど、でもこの子にそっくりな別の子とはいい雰囲気だしなあ」みたいな優柔不断というか欲深さは、男性心理をよく観察していないと書けない。そういう意味で、自分の中では紫式部の評価がすごく高い。
情けない夫が不機嫌な妻に、お前それだけはやっちゃダメだろ的な行為を延々続け、妻から完全に軽蔑され、とうとう上司に妻を寝取られてしまうだけの話で、一人称の視点から延々と繰り返される言い訳はひたすらに情けない。ねえ、僕のこと愛してる? 嫌いになっちゃった? と尋ねまくって、わかっているくせにとぼけないで! 今忙しいから後にして! うるさいからほっといて! もう愛してないったら! あなたを軽蔑するわ! と怒らせるのは、完璧な反面教師であり、ギャグすれすれだ。
しかし、作者は妻のことを相当恨んでたんだなあ。
身体に劣等感を持つ主人公が、付き合うだけで不幸をもたらす浮気性の彼女を振り切って、幸せにしてくれる女性を見つける話。多くの人が何かしらのコンプレックスを持っているし、何であんな自分に敬意を払ってくれない人を好きになったんだろうって記憶を持っていることだろう。王道過ぎるといえばそうかもしれないが、結婚してハッピーになる王道の何が悪い!
ローマ皇帝が自分の治世を振り返る体裁でありながら、欺瞞と自己満足をさほど感じないのは文体のせいなのか。時代も性別も文化も言語も超えて、別の個人に憑依しながらも、己を見失うことなく語る著者の声は、他人の視点に立って(歴史)小説を書くとはどういうことなのかを、これからも厳しく問い続けることだろう。
中年や老人にならないと書けない小説がある。そして何年もかけて書かれる小説があり、構想から数十年が過ぎて着手される作品もある。そうした重みを持つ文学作品がどれほどあることか。
技巧も素晴らしく、文体も素晴らしい。こうした作品に出合えるのは、年に一度か二度だ。
説教臭い頑固おやじのブログ。基本的には仏教説話が多いが、それらに交じって挿入される、「〇〇という迷信には典拠がない」だの「〇〇という習慣は最近のもので、本来のありようや精神とはかけ離れている」だの「〇〇という言葉は語源を考えれば正しくは〇〇と言うべきだ」だのが、まさにその辺のおじさんがいかにも言いそうなことで面白い。
ただ、それだけじゃなくて、第三十九段の「或人、法然上人に、……」のエピソードは、「とりあえずできるところから頑張ればいいじゃん?」的な内容で励まされるし、十八段の「人は己れをつづまやかにし、……」は身軽に生きていくことの幸せさを教えてくれる。
最高だった。ラヒリ大好き。体調崩すレベルで刺さった。アイデンティティの混乱という古典的テーマもさることながら、ラストシーンで過去と不在の人物の記憶が、そして小説の全体が何気ないものによって濃密によみがえってくる様子がすばらしい。そのイメージはプルースト以上に強度があるかもわからない。
これは、インテリのインド系(ベンガル人)移民の第一、第二世代の話なんだけれど、読んでいるうちに海外赴任者の寄る辺なさを思い、つまりイギリスで暮らしていた自分の両親の境遇を勝手に連想させられ、ついつい感傷的になってしまった。随分と勝手な読み方だが、小説の読み方はいつも私的なものだから構わないだろう。
外国では気候も習慣も何もかもが違う。両親の教えることと学校でやることが矛盾していて、両親が里帰りしても子供たちは故郷のノリについていけない、ってのが、すごくパーソナルなツボをついてくる。こういう経験がなくても、地方と都会として読み替えると、増田でいつも議論されている話にも近づくんじゃないかな。
正直なんでこの時代にラブクラフトを読むのか、というのはある。人種差別主義者だし、排外主義者だし、クトゥルフ物はパターンが決まっているコントみたいだし(人類に理解できない名状しがたいものに触れて発狂するのが基本的なオチ)。でも、彼の持っていた宇宙の巨大さと人類の取るに足らなさという感覚は、まさにセンス・オブ・ワンダーだ。そして、「人間の感情の中で最も古くて強いのが恐怖であり、その中で最も強いのが未知のものへの恐怖である」という言葉の通り、究極的には理解できない「他者」という存在の恐怖にまっすぐに向き合おうとしたことを何よりも評価したい。
この作品が好きな理由もまた、不気味なクリーチャーが非常に知的であり、かつ知識欲が旺盛だということによっている。
一巻から三巻までは、ゲドという人物の自我の確立に始まり、他者を助けることや世界を救う英雄的行為が扱われる。しかし、実はゲド戦記は第四部からが本番なのだ。あらゆる魔法の力を失い無力な存在となった彼が、魔法のある世界でいかに生きていくか。これは、老いに直面する男性の物語だ。
そして第五巻! ゲドの生涯で一番の功績が、実は重大な誤り、人類の傲慢に過ぎなかったのではないか、という仕事に生きてきた男性には非常に厳しい可能性が示される。
しかし、ル・グインはゲドにとてもいい歳の取らせ方をしている。果てしなく努力をすれば、男性が女性を、女性が男性を理解できるのだと作者はどこかで述べていたが、その希望を見せてくれるし、そこに女性作家を読む喜びの一つがある。
いわゆる毒親について書かれた小説なんだけど、ねちねちしていなくていい。文体は軽く、描写も簡潔。だからこそ、彼の育った環境の異常さが際立ってくる。なんでこんな親子関係になっちゃったのかについて掘り下げられることもほとんどない。
そして、暗鬱なだけの作品にならないのは、にんじん少年の異常なたくましさだ。ひどい目に合っても受け流し、冷淡な母から何とか愛されようともがいている。読んだときの年齢によって、感想は大きく変わるだろう。
全員がハッピーになる制度になれば一番良いけど書いてある通りカネがかかる。
「即職場復帰強制」と書いてるがこれ自体は女性が望んでることなんだよな。
というのも、これを書いたのは「男女格差は女性が出産育児に過剰に時間を取られているのが原因」という主張を聞いたからなんだ。
これは女性側からの主張で、男女平等に育児ができる環境にならないと男女格差は埋まらない、と言っている。
つまり女性は産後すぐに職場復帰をしたい、男性も育児休暇をとるべき、という話なんだよね。
なのでその主張に従って男性の育児休暇を取る仕組みにしましょう、となったときに
じゃぁ現行制度にある1年ちょっとの産休・育休は短くしますね、となるはずなんだよ。
これは別に改悪という話ではなくて、主張に沿った制度変更だと思うんだよね。
北欧に住んでる女性がTwitterで、出産後1週間で職場復帰するのが常識になっていて驚いた
というツイートがバズってだけど、まさにこれと同じ話なのかもしれない。
営業が少し前に取ってきた新しい会社の総務をやっているらしく、
プロジェクトメンバーの中に俺の名前を見かけて、もしかしてと思って連絡を取ったのだそうだ。
で、まあ久しぶりにご飯でも食べますか。となって、食べに行った。(緊急事態宣言出る前ね)
正直その子のことは自分の記憶にはほとんど残っておらず、名前をうすらボンヤリと覚えているくらいだった。
25年ぶりに合った彼女は、当時の面影を残しているような気はしたが、化粧っ気の無い普通のおばさんだった。
日本酒にフレンチを合わせる割烹料理屋みたいな、チグハグだけど美味しい店で、
彼女の話を聞いた。会社のことや、中学校時代の思い出のこと、彼女の身の上などなど。
俺は、その話のどれ1つにも興味が湧かず、共感もできなかったので、ただウンウンと相槌を打っていた。
帰り際に、数年前にバツイチになったことを打ち明けられ、まあ俺もバツイチだったので
「俺もそうだけど、人生バツ一つついたくらいからがスタートだよ!」と適当なことを言って別れた。
最初は丁寧に断っていたのだが、頻度も多く勘違いさせてもと思い、返事を返す頻度を減らし、返信する時間を開けた。
毎週だった連絡が毎月になり、少し落ち着いたかなと思った頃、取引先の偉い人からご飯に誘われた。
営業がどうしても俺について来てほしいとのことだったので、まぁ良いかとついていったら、彼女がいた。
ゾッとした。40手前になれば、普通は脈無いことくらいわかってくれそうなものなのだが、全く引く感じがなくグイグイくる。
どうしょうもないので、その席で恋人の話をなんとなく切り出し、
昔の恋人と一緒に写ってる写真を見せて、結婚も視野に入れてるんですよね。と話した。
俺はなんで取引先との会で元彼女の写真を(しかも嘘をついて)見せてるのか、意味がわからなかった。
まあ、でもこれで、ようやく終わりだろうと思ってた。
そしたら金曜にオフィスに来たらしく(俺は在宅日だったので出社せず)
「近くに来たので、ついでの義理チョコです。ハッピーバレンタイン」
とメッセージが書かれた手紙とともに、2個入りの高級チョコレート。
この前までは「(相手が強引でなければ)好意を寄せられたら嬉しいもんだろう」と思っていたが、
全然そんなこと無かった。中肉中背のおっさんの自分がこんなことになるとは思ってもみなかった。
女性の諸先輩方は、こういう時どうやって切り抜けてるの??