はてなキーワード: 現業職とは
東大文一に落ちて早稲田大学法学部に進学した息子が司法試験の勉強をしている。
私は努めて平静を装い、母として「頑張ってね」と声をかける。
でも心では思う。
どうしてもっと10歳から12歳、16歳から18歳という人生で最も重要な6年間に今の頑張りと結果を出してくれなかったんだろう、と。
その6年間にかけたお金と手間を思い出し虚しくなる。
第一、仮に予備試験と司法試験に合格したとして早稲田大学法学部から裁判官や検察官になって何の意味があるのだろう。
判事ならその大半を最高裁事務総局付や最高裁判官調査官として、検事ならその大半を法務官僚として過ごす。
そしてその先に高裁長官、最高裁判官、最高裁長官、法務次官、東京高検検事長、検事総長という職務が待っている。
それが一流だ。
法廷に立って犯罪者を裁く判事、送検された被疑者を取り調べて被告人にして法廷で責め立てる検事は現場で働く現業職であり二流なのだ。
なせわそれに気が付かない。
だからお前は二流なんだ。
そんな言葉を飲み込み、頑張ってねと声をかける。
婚活してるけど
低身長の男とは付き合いたくない
低身長の男は社会的に差別され性格がひねくれており人間として劣っているんだわ
例えば、警察や自衛隊のような現業職ですら差別されて低身長はなれない
よく言われるように「丸の内に低身長の男はおらず、逆に山谷は低身長の男が多くホビット荘みたいになってる」ってね
貧困層も多い
そういった被差別階級(カースト下位)の人間と結婚したい女性はいないんだわ
インド人の女性に聞いても「不可触民と結婚したい」とは言わないだろうし
この手の、実名じゃ言えない後悔を、わざわざ叩くのは邪悪だと思う。
本人に非があっても、愚痴を言う権利くらいあるはずだ。自業自得なんだから一言も文句を言うなという態度はよくない。
これが、悪いのは全部旦那だから慰謝料が欲しいとかだったら、そりゃあもらえないでしょうとくらいはアドバイスしてあげていいと思うが、ヒトは常に間違う。恋心はいつか冷める。選択を間違ったからといって、その人本人を責めてはいけないと思う。
とはいえ、配られた配牌で戦うしかない。一度切った牌は戻らない。
>第一子出産時夫は病院で働いており、早朝から深夜まで、時には当直までこなしていた。
この記述だと、旦那さんは今は病院(動物病院)を離れてたのだと思う。
読者らは開業すれば儲かるかのようにまだ誤解してるけど、今はまず無理だ。東京は完全に飽和状態で、ペットの数を獣医師の数で割ると1000を切る。猫の正確な頭数は不明だが、犬は登録制度がある。それによると東京都はペット診療の獣医師1人に対して279頭。青森は同じ計算で1494頭なので、5倍の差がある。犬と猫あわせて2000頭
くらいを固定客にしないとつらい。しかし、飼育頭数を考えると東京ではかなり高望み。年間に一頭あたり4万円を動物の医療費に出してくれたとして、1000頭じゃ年商4000万円にしかならない。利益でも粗利でもなく年商でだよ。
4000万の年商でピンとこないなら、だいたい小さなラーメン屋と同じかそれ以下。ラーメンの原材料費に比べると、売り上げに対する薬代はたいしたことがないので、粗利としてはラーメン屋よりマシだけど、家賃も設備費も段違いにかかる。開業資金に4000万かけて、利益がラーメン屋より少しマシな程度。当然、雇われ獣医に支払われる給料はたいした額ではないはずで。
結果、かなりの人数がペット診療からは数年でフェードアウトする。
転職先は公務員が多い。都道府県職員に潜りこむ。現業職なので、同じ県内で転勤し続ける。衛生部なら、県内の保健所と屠畜場を数年でぐるぐる。農務部だったら県内の家畜保健所をぐるぐる。給料は、大卒と変わらない。現業職なので手当がつくが、夜勤があるぶん警察官や消防士のほうが手取りは上。
たぶんだけど、元増田さんは、東京かどっか大都市で旦那と出会ったのでしょう。で、ペットの診療で開業する夢を諦めてどこかの都道府県の職員になった。公務員の身分を生かして、薄給でも住宅ローンを通して家を買ったのだと思う。実家も義父母も貧乏なら、薄給なうえに援助なしでマイホームを買ったんだ。立派だよ。看護師なら、医者と結婚した知人とかもいるでしょう。羨ましくみえるのも仕方ない。
旦那さん、人生の選択を間違えたかもしれない。少なくともお金の面では。でも、慎ましくとも、親類からの援助もほとんどなしで妻と子を養ってマイホームも買えただけでも、60点はあげなくてはと思う。専門卒の元増田さんより収入が少ないのは、旦那さんが無能なのではなくて、社会のせい。あるいは、旦那さんの進路選択のミスかもしれない。でも、進路を決める18歳に完璧な選択は無理だから、少しはリスペクトをあげてほしい。
念の為いうけど、元増田さんを批判するつもりはない。愚痴りたくもなると思う。もしかしたら、縁もゆかりもない土地に連れてこられ、看護師としての出世も諦めさせられたのかもしれない。
でも、悪く無い旦那さんだ。子煩悩で家事もしてくれる。夢を諦めてワークライフバランスを家庭に振ってくれたんだと思う。
あなたも自覚してると思うけど、離婚するのは得策ではないし、子供もそのほうが幸せだと思う。
同じ空気も吸えないくらい嫌いでなければ、共存の道を探ってほしい。
お互いを見つめ合う関係が無理なら、同じ方向を向くといいと思う。子供が成人するころには、恋人としてではなく、苦楽を共にした戦友としてリスペクトも生まれると思うよ。
グッドラック。
40代前半になり、管理職を意識した仕事の進め方(実務中心→マネジメントへ)を検討しはじめた頃だった。ずっと同じ部署で働いていたわけではないが、新卒からほぼずっと法人課税一本だった。
そんな折、数個年上の同僚のひとりであるN君が「今年度いっぱいで辞めて転職するから」と言ってきた(ビットコインの件で苦しんでいた人だ)。職場の飲み会の帰りで、飲み直しで別の店に入った時だった。少しばかり仕事で縁のあった会計コンサルの内定を得たという。
「なんで辞めるの?」と聞くと、「昨年課長にはなったけど、どこまでいっても組織の歯車で、それだったらまだいいけど……国民のために役に立っているとは思えない。だったら民間の方がいい。自分の仕事力は、広く社会のために使いたい」といった答えが返ってきた。「上司と人事には退職の旨を話してある」という。
私は、そこまで高邁なことを考えるタイプではない。どこか仕事から引いたところがあって、上から60点の成果を求められた時、80を出せる時でもあえて70の成果を出す。残り10の余力は、いざという時のためにとっておく。そういうタイプだった。
できるなら上の方まで昇進したいとは考えていたが、審議官とか、次長とか、長官とか、そういう地位はむしろ遠慮したかったし、私の学歴だと奇跡が起きても難しい。職務自体は好きだったから、できれば長い間やりたいとは思っていたが。
そのN君は、私などよりも公僕に向いている。いつも全力だからだ。そういう人だった。今回、自分の力を社会のために役立てたいという想いを聞いたが、嘘偽りはないと感じた。
数か月後、私は「絶対にここを辞めてやる」と決意することになった。N君の退職が認められなかったからだ。それで結局、N君は内定先を辞退することになった。伝聞での話になるが、N君の内定先には「霞が関の事情を説明する」という名目での情報共有(という名の転職妨害)が入ったのだという。
民間の方には事情がわかりにくいと思う。まずは次の規則を読んでほしい。
(辞職)
第五十一条 任命権者は、職員から書面をもって辞職の申出があったときは、特に支障のない限り、これを承認するものとする。
公務員の任免というのは、民法上の雇用契約が基底にある。そのうえで、国家公務員法や人事院規則により公法上の契約関係を構成する。ざっくりいうと、行政事務職の公務員≒サラリーマンということだ。労基法が適用されないからといって、隔絶した存在ではない。現業職の公務員だと、よりサラリーマンに近い扱いになる(労働協約締結権があるなど)。
上の人事院規則は、公務員のみならず民間業界をも拘束する。当規則が国家公務員法(国会で議決)から委任を受けているからだ。
N君の例だと、別の内規により人事院規則第51条が課長補佐以上には厳しく適用されるのに加え、「再就職に関する規制」に該当するおそれがあったのだろう。それゆえ、転職を目的としての辞職が認められなかった。
結局、N君はどうしたのかというと……私が辞める時点では在職していたが……少し述べると、あれからも転職活動をしたが失敗に終わったらしい。40代半ばで、国家公務員としての経験しかないN君は転職市場では必然不利になる。
N君に興味のある会社があったとして、N君からすれば入りたい会社ではなかったという。とはいえ、税務や会計の会社を選ぶとまた転職できない可能性がある。かくして、N君は今でも霞が関のどこかで働いている。どうか幸せでいてほしい。
「こいつらクソだな」と思った。たかだか数年前に1回契約したっきりのコンサルに移るくらい、認めてやってもいいじゃないか。厳密にいうと再就職の規制にかかってしまうのかもしれないが、それでもいいだろう。仲間なんだから。
当時は怒りでいっぱいだった。今はとうに収まっているが。所詮は、その程度の仲間意識しか持てない連中の集まりだったのだ――と今では達観している。
繰り返すが、四十前半であれば課長(管理職)になってもおかしくはない。平均的には43,44ほどで課長に昇進するイメージがあった。早くミッションを遂行しなければならない。
転職活動を始めることにした。この時、妻はすでに亡くなっていた。子どもはふたりいたが、先ほど書いたとおり、霞が関の一人親に子育ては不可能であるため実家に預けている。妻が存命だったなら、転職活動自体していなかったかもしれない。
この時は、リクナビも有名になっていた。転職エージェントもネットで探せる時代になっていた。さっそく求人を探していくも、自分に合った仕事は見つかりそうにない。リクルートエージェントにも登録して、毎日少ない自由時間を使って求人を確かめていき、平行して求人応募に最低限必要なドキュメントを作っていった。
転職活動スタートから三ヶ月ほど経った頃は、こんな状況だった。希望条件には、就業場所や入社時期や休業制度や、もっと細かい事項もあったが省略する。
二 職務内容に拘らない
ア どんな仕事でもやっていれば好きになる
イ それよりもどんな人と働けるかが大事
イ 全体向けに説明した後、現場レベルに立脚した観点で是非を整理
※この箇所は、文字ばかりで窮屈~というエージェントからの指摘あり
ア 息子と娘を遊園地などに連れていきたい
ウ この年になるとゆっくりしたいのもある
二 風通しがいいこと
イ 怒鳴ったり急に泣き出したり、負の感情を吐き出す社員はいないか?
ア 前の職場が不明確だったので。データによらずに上司が決めるなど。
イ ずっと続けられる好きな仕事にしていきたい
イ 子がいるので額面700万はほしい。今の年収△200万円までOK。
とまあ、いろいろ考えはしたが……結局、税務コンサルにした。スキルを活かせるうえに、さらに磨くこともできる。そのうえ、応募に必要な資格である税理士免許もある。応募要項には「事業会社での税務実務経験5年以上」とか「同業界でリーダーシップを発揮された経験3年以上」とか「M&A、組織再編、事業統合、事業再生等の案件に対する税務コンサルティング経験」とか、該当していない要件があった。
だが一方では、「上場企業、外資系企業などに対する税務申告書作成業務」など、こちらの十八番(ルールを作ったり審査する側)とも言える要件もあった。当てはまるかもしれない。
こちらの日系大手の税務コンサルを受けたいと転職エージェントに告げたところ、「要件については、体感6割でいいので。ほかにも何社か受けた方がいいですね。増田さんの場合は、最低15社は受けましょう」とアドバイスをもらった。
言いたいことはわかったが、こういうのは絞るべきだと感じた。一気に15社受けるのではなく、3社を5回に分けるなど、そういうやり方がいいと思った。※よく考えると、転職エージェントと転職希望者は利益背反の関係にある。転職エージェントとしては、ほどほど短い期間で離職しそうな会社を勧めるのがメリットだからだ。
かくして、税務コンサルのうち、外資系大手・日系大手・日系準大手の3つにエントリーした。うち2社が書類選考を通過し、一緒に働くであろう仲間との数度の面接を経た後に、幹部社員とも話をさせてもらい、最終的に2社の内定を得た。
決め手として、一番好感があった会社を選んだ。やはり、一緒に働く仲間――これがマストだった。上の3つでいうと日系準大手になる。
こちらの会社は、昔仕事でお世話になったことがあった。直接契約を交わしたことはないのだが。とある相談案件を通じて、互いの知見を高めることができた……とこちらは認識していた。その会社は、国税庁を不当課税処分で訴えたことがあったのが気になったが、今さら大した問題ではない。
次は、どうやって上司に転職を伝えるか考える必要がある。まともにやってしまうと、N君の時のように無理筋なことをされる可能性がある。公務員の退職にあたっての厳密な許可制や再就職の規制は、当時の私の役職(課長補佐)だとばっちり適用される。※20代とかの若手だと、基準を緩めてもらえるらしい。
「年度末で退職します」と告げた時の直属の上司の顔を覚えている。諦めと怨嗟が混じったような顔つきだった。一応遺留は受けたものの、上司もわかっていたようで、最後には「これまでお疲れ様。次のところでもうまくやれるように。ただ、辞職が認められたらいいけどな。俺は無条件に認めるけど」と言っていた。後は、人事による退職ヒアリングを残すのみだ。
思案した結果、退職ヒアリングにおいては、内定を得ていた会社のうち辞退するところを転職先として告げることにした。入社予定の日系準大手は、一応これまでの取引先には当たらないが、関係先に該当すると見做されるおそれがあった。N君の二の舞だけは御免だった。絶対に避けたい。今ここで、今ここで就職しておきたい。絶対に!!
証拠書類として、第二志望だった外資系大手のオファーレターの写しを人事ヒアリングで提出したところ、それから約一週間ほどか、何事もなかったように辞職の許可が下りた。そこから、残りの約二ヶ月半の間で引継資料を作り、3月の初め頃には仕事を引き受ける人に業務の説明をして、懸念事項の対処方法の素案を示して、最後に職場内で気を付けるべきことを述べて……それから数日後、私は職場を跡にした。
転職に成功した。一度下った辞職許可である、春先になって覆されることはない。覆そうにも、4月の時点ですでに民間企業との雇用契約が成立している。どうしようもない。私は管理職ではないからして、そこまで大事にならないはずだ。
実際、春先になってすぐ、雇用保険や健康保険の手続きの関係で、私の勤め先は元職場に知られることになったろう。それでも、私に元職場から電話がかかってくることはなかった――転職に成功したのだ。
新しくスタートした税務コンサルティングの仕事は、私にピッタリ合っていた。最初の1年間は、向こうの会社でいうところの雑巾がけ(企業の予定納税額の調べ、特定の申告方法の可否の問い合わせ、税制改正の動向調査)に当たる仕事だった。これまでの経験が活かせる、いい仕事に出会うことができた。
定時退社が実現し、給与は少しだけ上がり、休暇日数も増えて、福利厚生も十分だった。何より、一緒に働く仲間だ。自然な話し合いができる。暴言を吐く者や、怒りや悲しみの感情をぶちまける者や、不貞腐れる者もいない。言いたいことを言い合える。
反対意見に弱い人達じゃなくて、なんというか、「精神的に健康」というか。自分と考えの違う人の反論に耳を傾けることができる。それでいて、自分の意見として昇華できる。そんな人達だ。
いい職場に移ることができた。運がよかった。太陽が昇っている時間に家に帰れるなど、私にとっては夢のひとつだった。夕焼けは近かったものの、まだ青空が残っている部分を見上げると、子どもの頃に読んだ児童作品を思い出した。少し前にも思い出そうとしていたっけ。きっかけは忘れたが。
タイトルは、『ちいちゃんのかげぶんしん』だった。時代背景は、太平洋戦争の末期だ。ネタバレは避けるけれども、ちいちゃんという女の子が家族と一緒にやった『かげおくり』という遊びを通して、戦争反対を訴えるものだ。
かげおくりというのは、地面に映った影法師をしばらく見てから青空に目をやると、網膜に焼き付いた影の残像が空に映ってみえるというものだ。未成年だった頃の私の心にドスンときた作品だった。増田民にも是非おすすめする。
晴れ晴れとした気分だった。それからはマイホームで羽をのばした。なにしろ、毎日が定時帰りなのだから。子どもを実家から引き取るまでの間、家でゴロゴロしたり、趣味に勤しんだり、妻の遺品を整理したり、平穏な日々を過ごした。
暇な時間を使って、『犬神さんと猫山さん』のBlu-rayディスクを購入して観た。やはり、何も考えずに見られる。1話がCM込みで5分なのもいい。最終回は、花火大会だった。今まで出てきたキャラクターがみんな登場して、最後はふたりで花火を見上げながら手を繋いだところでエンドだった。
ネット掲示板を読んだところ、原作漫画(※記念に1巻を購入)の方は、残念ながら打ち切りのような結果だったらしい。作者も若い人だから、いろいろと苦労があったのかもしれない。でも、あの作品を面白いと思った人がたくさんいるのだと――作者に知ってもらえたら幸いだ。
私のようなおじさんが楽しめたのだから、若い人だったらもっと楽しめる。面白い作品に違いない。できれば15分枠のアニメだったらよかった。
たった三ヶ月の間だったが、思い出に残るアニメだった。ありがとうございました。
ここまで書き終えて、今は自室にあるパソコン机の前で一息ついている。携帯電話の通知を見ようか、それともコーヒーを飲もうか、ボーッとするのもいいかなと、いろいろ考えている。
税務官僚だった頃に比べると、今は幸せだ。そのうち慣れるとは思っていたが、あの辛かった日々を思い出すと、しみじみ幸せに思えてくる。不思議かな、辛かった日々であればあるほど、思い出す時に幸せな気分になる。なぜだろうか。
そんな思いに捉われて、ふと携帯電話を拾い上げた私は、デリヘルでも呼ぼうかと思い、アドレス帳を開いた。お気に入りの子が脳裏に浮かんでくる。
ここで思い留まった。そうだ、先日誓ったばかりじゃないか。もう風俗店を利用するのは辞めようと。昔はよくソープに行ったり、デリヘルを呼んだりしていたけれども、もうしない。そういう店は利用しないと決めていた。
長い日記になった。ゆっくり読んでもらえばいいし、わかりにくいところや、興味のないところは飛ばしてもたぶん理解できる。
今回、昔のことを振り返ることができてよかった。書いている最中、じんわりとした幸せが込み上げてきた。この幸運に感謝したい。
(追伸)
上で挙げたN君だが、半年前に話をする機会があった。今でも彼は、どうにか転職ができないか模索しているらしかった。裏技を使おうかとも言っていた。さすがにここでは言えないが。
N君の転職活動が成功する未来を祈っている。彼は独身だから、私よりは選ぶ会社の自由が利くだろう。彼の多幸を願って日記の結びとする。
「今まで逃げ続けてきた人生でしょw」
会社のM先輩(仮名 イニシャルは男の先輩なんでmenのMより)からの何気ない一言。
こんなこと言われるほどまでにM先輩を怒らせるきっかけが色々あったのだがそれは省略。元を辿ると自分の仕事が甘いせいなので自業自得なんで。
まぁ嫌味の一つや二つ、言われたところで受け入れるしかない背景はあったのだけど、これは流石に変化球過ぎる唐突なディスりだったので(M先輩は何を突然失礼なことを…)と思って言い返そうと思ったけど、何も言い返せず黙ってしまった。
今まで生きてきて、これほどまでに自分の人間性を的確に言い表されたことは初めてだった。
受験や就活の時なんかは、面接対策だったり何かよくわからんセミナーの自己理解を深めようだかの目的で自分の性格を自己分析させられたりするが、そういう時大体は自分って「真面目系クズ」とか「ろくでなし」だなぁと分析してきた。しっかりやってるように見えて実はズボラだったり、言い訳さえつければ多少甘いことやっても仕方ねぇだろってスタンスだったり、アウトロー気取って悪ノリしてしょうもない遊びをやったり。でも他人がそういうことやってると真っ当に動かない人間には怒りたくなるし、あいつらはクズだ俺みたいな真人間とは違って劣ってるからああいうことしちゃうんだ、なんて見下したりするタイプの本当に嫌な奴。
まぁ流石に「分析した結果、自分は真面目系クズです!」なんてそのまんま言うわけにもいかないので、マイペースだとか、争いや変化を好まない温厚な性格とか、ちょっと綺麗な言葉に言い換えたりして誤魔化していたけども。
でもこんなに端的でわかりやすい表現があったのか!と目からうろこだった。「嫌なことから逃げる性格」とはまさに自分だ!
思い返せばまさにそんな逃げてきたエピソードがたくさんある。
誰か困っている人が居る時、大丈夫ですか!なんて駆け寄る構えだけはする。でも誰かほかの人がもう駆け寄っていれば自分は何もしない。あぁ大丈夫だな、とその状況から逃げる。
電車で座っていて目の前に老人が居る時、眠ってるふりだったりスマホに集中してるふりをして席を譲ることから逃げる。
学生の部活の時、こんな性格でも一応運動部だったが、何かと理由をつけて練習をサボって逃げたし、合宿も自由参加だったので最初の1年目は参加しても2年目はパス。キツイ練習から逃げたかったし。
就活の時、就職課や合同フェアなんかでよくやってた履歴書やESの添削とか、面接練習を受けることから逃げた。自分が書いた内容やチョイスしたエピソードをバッサリ切られて否定されるのが嫌で逃げた。あなたの受け答えこういうとこが足りてませんよって辛らつなこと言われるのが嫌で逃げた。どちらも自分のためには逃げるべきじゃなかったのに。
そんなもんだからちゃんとした会社からは一つも内定を貰えず、手元にあった数少ない内定がタクシー業界とブラックで有名な某オタク系古物商。でもこんなところで働くのは自分の理想じゃないから嫌だと、変なプライド持ち続けて逃げ出す。
就活は冬まで続いた。就活という行為自体から逃げなかったのは偉いと思う。
こういう時頼りになるのは大学の就職課なんだけど、春先から色々頼ってるならともかく、秋口になっていきなり頼りだすことのみっともなさとか、今まで何してたの?なんて言われる羞恥が嫌で逃げた。
一番逃げたかったのは「あなたこんな内容でずっとエントリーしてたの?」とか言われたりすることだった。今までの自分がやってきたこと全てが誤りで、全てが無駄になるような気がして。どっちみち落ちてるんだから結局無駄なんだけど。
まぁそんなんでも何とか「新卒でこの会社入りました」って言えたらそれなりの体裁を保てるぐらいの企業と縁を持つことが出来た。
でも仕事の中でも逃げることは続いた。
とりあえず最初の数年間は現業職で経験を積むことになるので、まずは交代制で勤務するのだが、まず自分が最初に考えていたのは「自分の勤務時間にでかいトラブルおこるなよ…」ということ
まだまだ新人として甘く見られてた頃に先輩と絡んだり積極的に仕事に取り組んでわからないことは質問したりすることから逃げてきたため、入社数年目なのに新卒レベルの質問をすることが度々あった。え、今更それ知りたがるの?これ知らなかったの?なんて反応されることは日常茶飯事
仕事のトラブルで困っているとき、本来なら自分の担当部門のトラブルなので自分一人で解決するべき内容なのだが、さも難問かのようにアピールして周りの人から「ここをこうすれば?」「あれはああして…これはこうで…」なんてアドバイスが飛んでくるのを待ってた。自分で解決することから逃げてた。
そしてもっと悪いことが「こうすれば?」なんてアドバイス貰った時に「それですよね、自分もそれ目は付けてたんですけど」なんていう一応自分でも考えてましたアピール。
「周りが解決してくれてよかったな」、と。う~ん、見透かされてるな。
そんな逃げ続けてきた人生を先輩に見事に見抜かれ、雷に打たれたようなショックを受けた私が今何をしているかというと、この発言がきっかけで適応障害を発症し休職に入るという「逃げ」の状況です。
嫌なこと言う先輩や仕事から、自分の性格に従ってに「逃げ」の選択肢を取りました。あんなこと言われた直後に、その人生を体現するかの如く本当に逃げのポーズ取ることになるとはさすがに自分でも思わなくて先輩の慧眼さに怖れおののきましたし、きっと先輩も「あいつに『逃げ続けてきた人生だろ』って言ったらここからも逃げやがったwwwwマジ図星wwwww」なんて職場でゲラゲラ笑ったことでしょう。多分自分が逆の立場だったら表向き反省した後に間違いなく裏でゲラゲラ笑うし。
そんな逃げの性格を変えたくて、とりあえずどっか仕事の楽そうなところを…なんて選択肢は選ばず「公務員試験を受けよう」という自分にしては珍しい積極的な選択肢。
でも滑り止めの自治体に内定誓約書を出しつつ、本命の自治体の試験がまだいくつか進行中なのでちゃっかり受け続けるという、どう転んでも少なからず公務員として働けるような「逃げ場」を用意しながらの転職活動なので、結局根っこのところは変わってねぇなぁこいつ、と思う日々。
言っちゃ悪いけど自分が20代の時にさすがに40代未婚女性は相手にできないだろ?
でも実際身の回りにいるのはそういう人たちばかりなんだよね
日本人の平均年齢は49歳
同年代の異性がいる環境なんて学生時代だけで、仕事始めるとまず異性どころか同世代の人と出会うのですらレアケースになるんだよね
新卒大企業総合職なら半々くらいだけど、今だ世の半数を占める高卒中小企業一般職現業職や派遣労働なんかだとマジで同世代がいないよね
まあそんな環境だからみんな早々に職場恋愛なんて諦めてマッチングアプリとかに手を出すわけだけど
まあマッチングアプリは一強多弱、強者総取りの超競争社会だから、そこでも世の半数を占める高卒メンズたちは相手にされず、まさに「砂漠に水がない」状態に陥るんだよね
A夫さんとの面談の日はすぐやってきた。先日と同じ面談室だった。
こちらは予定どおりの布陣で、A夫さん側は2人。今回は上司と一緒だった。「一緒に来てほしい」と上司に頼んだという。
あの時と同じく、だらしない恰好だったが、上司の指導によるものか、前回よりは綺麗だった。ネクタイはまっすぐで、謎のシミもない。
「A夫さんですね。今年から人事~~として採用されました××と申します。前回、あの端にあるソファに座っていた者です……いきなりで申し訳ありません。A夫さん、今日はどうして呼ばれたかわかりますか?」
「そうです」
※方言を標準語に直したうえで、特定のおそれのある箇所を編集している。以下、職員の会話はすべて同じ処置を行う。
会話のクッションを何度か挟んだ後、私はついに言った。
以下、主要なやり取りを抜粋する。
「単刀直入ですが、A夫さんには退職の道を選んでいただきたいと考えています」
「……ん?」
「いや、いや、それできないでしょう!」
「市としての決定です」
「労働組合は?」
「組合は関係ありません。組合に入っていようがいまいが、処分内容が変わることはありません。今回、あなたは万引き、窃盗という罪を犯しました。それだけでなく、過去に社会人としてよろしくない行為、仲間から尊敬されえない行為を繰り返している。改善の見込みもない」
私は、A4用紙にプリントされた罪状を読み上げていった。その数は20件以上にもなる。
どうしてこんなものがあるかといえば、人事課のデータベースに、職員のさまざまな問題行為が毎年追加されているからだ。三十年以上前の忌避行為であっても筒抜けというわけだ。
A夫さんは硬直していた。最初よりもはるかに緊張感に満ちている。睨むようにこちらを見つめながら、両手の指を組んでさするような手つきだった。
彼の上司は、何も言わずに片目でガラス卓の鏡面を見ていた。部下を庇う様子はない。
「なんとかなりませんか」
「なりません。しかし、総務部長とも話し合った結果、A夫さんが自ら退職願を出すのであれば、懲戒免職にはしません。通常どおりの退職となり、退職手当も満額出ます。これまで40年近くもK市のために働いてこられたんですから、この程度の寛大な措置(※諭旨免職)はあってしかるべきかと。そのうえ、今回は早期退職制度の利用を認めるので、割増退職金もつきます」
「わかりました。では、こちらがA夫さんが今回の処分に不服である場合の申し出のやり方を書いた資料になります。受け取ってください。それで、A夫さんがどうしても納得いかなければ」
「……はい」
「K市は妥協しないので、後は裁判しかありません。判決でA夫さんの主張が認められた場合は、K市に残ることになりますが、今の部署は相応しくないと判断されるため、異動を覚悟してください。今のところは、〇〇課か〇〇センター(※一般的な公務員にとって辛い労働をする部署。不要と判断した職員を、サイコパスと思しき管理監督者の元で働かせる。その管理監督者というのも、K市にとって不要な人材と判断されたため、同じく問題職員を監視するポストに就いている。いわゆる蟲毒)を予定しています」
「A夫さん。あなたは罪を犯しました。信用失墜行為です。全体の奉仕者としてふさわしくありません。繰り返しますが、本来の処分は懲戒免職です。しかし、法をそのまま適用すべきでない場面だとも判断されることから、これまでのA夫さんの功績を考慮して依願退職を認めるものです」
A夫さんは、不服申し立てに関する資料を受け取ると、そそくさと出て行った。彼の上司がその後に続く。
それからの1か月は、あっけないほど順調に進んだ。
まず、労働組合の執行委員長や書記長ほか数名が怒鳴り込んできた。彼らのスタンスはわかっている。怒鳴り声に2、3分も耐えていると、あちらも私達が本気であることがわかったのか、冷静になった。
「組合としては、A夫さんは必要な職員だというご認識ですか?」
「組合員としてA夫は仲間だと思っている」
「知ってのとおり、A夫さんは信用失墜行為を犯しています。K市としては、彼のような職員はいりません。A夫さんが、自らの意思で早期退職を選ぶのであれば問題ないですね」
「当局がA夫を脅迫しているなら話は別である。もしそうなら、仲間として守らせてもらう」
「そうでないならいいんですね?」
「当局は~」(以下略。何かあっても組合に責任はないことの確認をしていた)
さて、労働組合の本質は政治運動にある。K市の組合もそうだった。加入者の毎月の給料から約3パーセントを徴収し、その何割かを左派政党に納める。そして、プッシュした議員に労働者寄りの政策を実現してもらうのだ。
職員労働組合――職員同士の互助会であり、組合員を不当な権力から守るという本来的な意味での組合活動は、それに比べると優先順位が低い。口には出さないが、彼らはそう思っている節がある。この事件の後で、団体交渉を何度も経験した私はそう直感した。
A夫さんは、別に組合にいてもいなくてもいい。組合費が入らなくなるのは惜しいが、当局(※労働組合は経営者側をそう呼ぶ)に対して、「A夫さんをなんとかしてほしい」と交渉するまでの価値はない。とはいえ、組合員のために戦った、働いたという実績はほしいので、こうして形だけの食い下がりを続け、ほどよいところで悔しそうに退散する。それが私が見た、一市町村の労働組合の姿だ。
これ以降、私は計15人の問題職員に退職勧告を行い、そのうち13人が実際に退職した(残り1人はK市を訴えた。もう1人は更生の余地が認められたので勧告を撤回)のだが、労働組合が最後まで食い下がって助けた職員の数はゼロだ。本気で当局(私たち)を動かそうと行動に出た回数もゼロ。こうして辞めたうちの1人は、組合の元役職持ちだった。
彼らは、口酸っぱく、「当局、当局!」と騒ぎ立てるだけだ。本気で争うつもりなどない。ただ組合員に、「当局は許しがたい行いをしている」と知らせるにすぎない。
交渉のテーブルの上で、彼らはよく主張していた。「仲間をクビにするとはどういうことか」「同じ職員として恥ずかしいと思わないのか」「〇〇さんは十分市に貢献してきたはずである」と。しかし、同じ交渉の最中に、「職員組合としては、免職処分の取り消しと引き換えに、このようなことできる~」などといったバーターの提示や、「取り消さないなら現業ストライキを行うことを辞さないが~」(※公務員は労働三権の一部しか認められないが、現業職員に限ってはもう少し広く(+団体交渉権と協約締結権)認められている。なお、現業職員であってもストライキは認められないが、一部の地方自治体では事実上のストが行われることがあるという)といった、交渉者としての態度が出てくることはなかった。
彼らは、組合の利益が薄いと見るやいなや、交渉と見せかけた陳情だったり、見かけ倒しの規範論を繰り返すばかりだった。これは、まったく個人的な感情になるが――それにしても気持ちの悪い連中だった。偽善と嘘ばかりを繰り返している。ああいう男らしくない連中には虫唾が走る。
結局、A夫さんは、年度末での退職を選んだ。
何のことはない。あと数年で定年退職だったので、裁判で争うよりも、あと1年未満でいいので今の職場でゆっくりやりたいと考えたのだろう。正しい判断だと思う。
勝てるかどうかもわからない裁判を抱えて、勝ったとしても地獄のような部署で働くことになるよりは、早期退職を選んだ方が本人にとっていい。
今回の結果を受けて、副市長が激怒した。私は電話で副市長室に呼び出され、ほかの総務人事関係の幹部職員と一緒に説教を受けた。
上述のとおり、市長から退職勧告を行うことについての了解は取っていた。以後、A夫さんが退職を決めた後で正式に市長の了解を取り、文書での稟議を回していた最中の出来事だ。意思決定者の合意が先で、文書での伺いは最後。民間企業でも一般的なやり方である。
誤算の一つは、市長や他の幹部が副市長に一声かけていなかったこと、もう一つは副市長が同意しなかったことだ。主には、私がK市での仕事に慣れていなかったせいである。
・なぜ早まったことをしたのか?
・身分保障という慣行を破ってはならない。先人が決めて守ってきた大事なルールである。
といった意見をぶつけられた。副市長とA夫さんが同じ年に入庁した同期という事情もあっただろう。ちなみに人事課長も同期だ。
ほかの幹部は、申し訳なさそうにしていた。私は堂々たる姿勢で、「K市にとって不要な職員だと判断しました。罪を犯したのに反省の色もなく、最初の面談ではヘラヘラと笑っていました……切るべきかと。市長もやってみろ、と言っていました」と答えた。
これらの台詞は、当時のメモを見返しながら書いている。そこまで間違ったものではないはずだ。私は確かに、副市長に対して上記のような返答をしている。
こういう時に大事なのが『自信』だ。自らの想い、行動への信仰と言い換えてもいい――下の人間に好き放題やられた副市長からすると、自信なさげだと「悪意でやった」と思われかねない。越権行為であるからこそ、組織にとって正しいことをしたのだとアピールする必要があった。
「目的はわからなくはない。理解はする。だが、こういったことをする場合は、私に事前協議するように。私を飛ばして市長のところに行くな。今後相談しなかった場合は、決裁の判を押すつもりはない」
それが副市長のメッセージだった。その後、幾人もの問題職員が諭旨免職によりK市を辞めることになった。副市長のところには事前協議に行ったが、判を押してくれたのは2人分だけ、A夫など比較にならないほどの悪に限って決裁の判を押してくれた。
『よくない人間を辞めさせることに利があるのはわかる。しかし、行政の世界はそういうものではない。不合理に見えても、ここの大事なルールだ。みんなにダメだと思われている奴でも辞めさせるな。それが本当にダメな奴、組織にとっての癌だと、人間の目でいったいどうしてわかるというんだ?』
これは、私が要約した副市長の主張だ。
一応言っておくが、副市長の考えは正しい。ただ、私や市長の考えと合わなかっただけだ。公務員の身分保障は、行政行為を円滑に回すための全世界共通ルールである。実際、公務員に身分保障がなければ、社会制度をまともに維持できないことには私も同意する。
例えば、税務系部署にいる職員は、自らの裁量で税務情報システムにログインし、市民の課税情報を書き換えることができる。K市くらいの住民規模だと、上司もいちいち課税情報の変更をチェックできない。彼ら彼女らは、やろうと思えば不正ができる。
もし彼らの身分が保障されていない(生活できないレベルの給与水準、簡単にクビを切られる環境、権力者に脅迫されても守ってくれる存在がいない)場合、何が起こるのかを想像していただければ、副市長の言うことに理があり、私があくまで慣習への一挑戦者にすぎないことを理解いただけると思う。
これから就職を考えている方は参考にしていただければ幸いです。
【入社前】
今はどの会社も
入社動機がはっきりしている専卒・高卒はもとより大卒の入社理由は人それぞれで面白い。
いわゆる私大文系で自己分析の結果、数字ノルマのある営業や全国転勤は嫌だから「とにかく安定している」という理由以外特にないままこの世界に入るタイプ。
近年はJRや大手私鉄だと、MARCH・駅弁以上だけど現業という珍種もいる。
そこで待っているのは今まで経験したことのない同じ釜の飯を食い同じ寝床で寝る楽しい楽しい集団生活。
基本的にどの鉄道会社も4週8休で朝~翌朝までの24時間勤務をベースに循環交代しながら働くことになる。
○よく説明される例
(土)休み
(日)休み
だいたい説明会や研修でもこのような勤務の仕組みの説明を受け「非番は自分の時間!自由に過ごせますよ!」とかキラキラした目のサクラ社員に説明されるが実際は、
●本当の例
(木)朝~夜・・・残業でラッシュ対応とお昼まで教育、そのあと先輩に強制連行されて平日昼から酒(20時~終電間際まで)
(金)朝~(土)朝・・・本来は日勤だったが病欠が出たので半分休日出勤でそのまま通して全泊仕事
(土)朝~夜・・・仕事を終えた朝から昼までは詰所で死んだように仮眠、昼から組合員講座へ動員され夕方からは飲み会
こんな感じ。
終車後の仮眠時間はどの会社も概ね5時間前後だが全員が着替えやシャワー浴びる時間も含めてその時間。
当然イレギュラーなことがあったりシャワーの台数と働いている人の数が釣り合わないと短くなる。
多くの若者にとっては今まで学校に行って家に帰れば親の用意してくれたあったかいご飯を食べて暖かい布団で寝れた生活からの転調なので当然ショックを受ける。
また、いくら時代が変わったとは言えまだまだ20年30年働いている先輩が幅を利かせてる超縦社会なので体育会系や集団生活の経験のない若者はのっけから洗礼を受ける事多し。
先輩への気遣いはどこの会社でもあるが、それがおはようからおやすみまでどころか翌朝のおはよう以降も続くのでやはり向き不向きはある。
ダメな奴はすぐにダメと判断し辞めるのが一定数いる(それはどの仕事も同じだけど)。
ただこんな生活でも半年もすれば身体が慣れてしまうので大丈夫。
若いうちは休日出勤も含めた残業代でそれなりに稼げるのでほとんどの若者は4週5~6休くらいにして休日出勤で稼ぐ。
会社によっては駅は子会社採用で乗務員にならないと親会社へ転籍できないところもあるので人によっては死活問題でもある。
もし駅が子会社採用で乗務員になる以外親会社へ就職できない鉄道会社への就職を考えるのであれば必ず入社前に運転の適性を確認すること(視力・聴力)。
やはり子供の頃からの夢で乗務員を目指す若手が多いが夢を叶えるのは同期全体で半分もいれば良い方。
どの会社も駅以上に超体育会系ではあるが、駅より拘束時間が短く給料も同じで休暇も取りやすいので人気が高い。
駅でそのまま係員として過ごす場合、ずっとルーチンワークが続くが年々後輩が入ってくるので仕事自体は楽になる。
組合関係の役職員で重宝されることが出世コースとなるかは会社によってケースバイケース。
御用組合の会社では組合役員は出世コース(ただしどの会社も組合関係は酒・ゴルフのお付き合いが付きものなので向き不向きがある)。
だいたいこの生活を30まで続けるともう月~金で毎日会社へ行く生活のほうが無理になる。
どの会社も30代40代で助役以上を目指すかどうか決めることになる。
給料は会社によって大きく異なるが、総じて助役になるとそれなりの収入になる会社が多い(ただしそれには理由があり・・・)。
駅という建物の管理(消防・建築)、駅員の管理(人事・総務)、売上の管理(経理)等、助役になった瞬間仕事の幅が広がる。
ルーチンワークをこなす事と他人にルーチンワークを正しくやらせる事では使う頭が変わってくる。
一昔前はパソコンも使えない高卒のおじさんが酒と煙草で飲みニケーションを図り、体裁の悪いものは上手く隠し、良くも悪くもどんぶり勘定で現場をまとめるのが良い助役とされた。
しかし、昨今のコンプライアンス重視の風潮や大卒者の増加により明らかに前時代より仕事に求められるクオリティーが上がった。
これは業界特有だが規則や規定を知ってれば知ってるほど偉いという風潮があり、最善の結果を求めた結果ルーチンワークに新たなルーチンワークが加えられるケースが多い。
脅しすかしで上手く若手を使った時代も過去の話となり、最近は係員に仕事を振るのも一苦労といった具合。
これはすべての会社共通だが助役に上がるとそこから残業が激増する。
係員として長年親しんだ明け番でバイバイ!というのもなくなる。
自分が当務者の日に係員がトラブルを起こし、翌日の家族旅行・子供の運動会・授業参観等ドタキャンになったなんて日常茶飯事だ。
そう、助役の収入が高くなるのは残業代が大きいからのである(ほとんどの会社では助役は管理職ではないので残業代が出る)。
そうなるとそこまでして助役を目指すべきか?という疑問も当然大きくなる。
助役を目指すのと一生係員でいるのとでは生涯賃金でどのくらい差がつくかは会社による。
本当に恵まれた一部の大手鉄道では一生係員でいても年功序列でそれなりの収入になるので助役を目指さない人も多い。
最終的には同期入社のうち定年まで残った者の割合は、乗務に行くのが3割(駅への出戻りもある)、助役以上になるのが4割、一生係員が3割という感じ。
役職で言うと助役が自分の実力だけで誰でもなれる最後のポストでそれ以上は上からの覚えが重要になる。
それ以上のポストの名前は首席助役・区長・管区長・駅長など会社によって違うが、いわゆる駅長ポジションになると泊まり仕事でなくなり日勤のカレンダー休みになる。
普通の会社でも課長になると残業代がなくなり年収が下がるという減少はあるが、鉄道現業職という性質上それ以上の出世は望めないので年収的には寂しい定年間際となる。
【年齢と収入(仮)】
元國鉄は額面はこれより少ないですが、超恵まれた福利厚生が凄いので体感はほぼこれと同じかこれ以上です。
あと私鉄は大半の会社が転勤に転居が伴わないので、大手でも住宅関係の手当がほとんどない会社が多いです。
なので家賃は社宅や独身寮に入らない限り給料から全額払うのが普通だと思ってください。
○一生係員コース
25・・・500万
35・・・700万
45・・・800万
60・・・900万
(30代半ばまではほぼ同じ)
45・・・950万
60・・・950万
よく言われるが恵まれた鉄道会社は給与形態や就労形態的には消防や警察に似てる(手当や退職金は消防・警察のほうが多い)。
警察や消防のようなパワハラ的な厳しさはないので、警察学校崩れや元自衛官で中途で入ってくる若手が多い。
子会社採用モデルで子会社で定年退職まで働いたサンプルはまだまだ少ないと思うので平均的なものはないと思う(あったらごめん)。
乗務員に合格したら親会社に転籍できるが、あくまでも「転籍」なので退職金の係数や休暇の日数も1年目からやり直しになるので注意。
大事なのは分布の下位の生徒であっても将来の生業にむけての準備をすること
大学行った方が収入が高くて楽な仕事につけるのかもしれないが、工場やエッセンシャルワークだって大事な役回りだ
(そうした職種の人が満足な収入を得られているかどうかは議論が複雑になるので、ここでは触れない)
読み書きそろばんと言われるが、識字と四則演算ができれば最低限の社会人としては十分であるのだ
低学力層には、受験のための数学、理科ではなく、現業職に就いた場合に必要な実践的な実習を施すべきではないのか?
地頭が優秀にもかかわらず出自によって低学力層に編入されてしまった生徒は見る人が見れば一目瞭然だし、そういう人を救い上げるのこそ教育の使命なんだから個別対応でいい
はてなを始めとしてネットの書き込みや、大学生時代のサービス業・現業職の経験からすると、
世の中には割に合わない仕事が圧倒的に多い。しかしそんな人たちは自分からすれば死にたくなるような仕事でも耐えてこなしている。
個人的にはその状況をなんとかしたいのに、そしてそのために上司と戦ってきたこともあるのに、上司も、そして自分も社会に対する理解からその差の解消に為す術がないことが分かっている。コンビニで働く外国人や介護施設で現業職を務める若者は、例え同世代の人でも経験や社会からの評価に差があり、それを理由に他人からの扱いが異なるのだ。自分と東大卒には差があるように。経験や社会からの評価に差があるのは、ひとつには金にならないからだ。
そのため、弱者支援に見せかけて、強者をより強者にするための仕事を日々こなしている。つまり競争主義の礼賛なんだけど、競争主義が人々にもたらすものも一時的な幸せでしかない。現に、恵まれた生活を送っている自分が申し訳なく感じ、不幸だ。同じ大学を出て、年収同じ、週休100日みたいな人もいる。ちなみに、手取りでの年収は300程度なので世の中のために金を使えるほどでもない。
では何が幸せをもたらすのか。宗教?確かに、あっちゃんのブランド「幸福洗脳」の文字とおりではないけど、洗脳されるのがいいのかもしれない。
介護や運輸、飲食など人手不足の業界に就職させようとするのが政府の氷河期世代対策であるように見えるけれど、当事者たちが求めている仕事ってそういう現業職では無いんだよね。
今だって、そういう職種なら働き口はある。しかし、長時間拘束のハードワークなのに低待遇、それでいて労災の危険や法的責任を問われるなどのリスクが高いから従業員が居付かない訳で、そういう業界構造を変えるのが先。
で、氷河期世代が求める仕事に話を戻せば、彼らが就きたいのは、スーツ着てオフィスに通勤し書類を作ったり整理したりすれば、家族を持って子ども2人を自分と同じような私大に通わせることが出来るような「普通の仕事」なんじゃなかろうか。
高専卒の方のエントリーが上がっていたので,レアな存在である高専について私も語ってみる.何度目の焼き直しになるかわからないが.
15年前に卒業.化学系学科.情報としては古い点も多々あるかと思う.ただ学生会長で全国高専につながりを持っていたので、情報ソースは1校のみではない.
①進学が容易
後述する.
高校1年次から専門教育を受けられる.全課程が専門教育というではなく,高校や大学で履修する一般教養とのミックスになっている.年次が低い段階では一般教養の比率が高く,年次が上がるにつれ逆転するという塩梅だ.まともに単位を取っていれれば5年次は週の半分は研究だった.
①進路が固定されやすい
大多数が工業系の道に進む.進まざるを得ないといっても過言ではないだろう.感覚的に同級生の8割はメーカにいる.世界が技術系一辺倒なので,その他が見えにくい.入学時点で15歳なので、染まりやすく視野を広く持つことも難しいという点もあったかも知れないが,情報網が発達した現代はまた異なるかもや知れない.教員も普通の研究員なので,理系のアカデミアで純粋培養されたような癖が強い人がごろごろ.コースを変更しようとしても,マイノリティになるため後押しもロールモデルが少なくハードルが高い.
専門性が高い故、入学後に技術に興味がないことに気づいてしまった場合,モチベーションが下がりついていくのが困難になる.高専は受験日が普通高校に比べて早いので,度胸試しで受けてみたら受かってしまった,偏差値が高いのでなんとなく来た,という層の一部がこの状態に陥る.一念発起して3年次にセンター試験を受け大学に進学、文転したものもいた.これはレアなケース.
③恋愛チャンスは共学に比べ少ない.15-20歳という多感な時期に恋愛経験はまあ一般的に重要だろう.学科構成に依るとは思うが伝統的な学科であれば女性が少ないので競争は激しい.然しながら化学専攻などは女性比率が高い,それでも半分程度だろうか.
授業時間は90分.1年次から週1-2回のペースで半日かかる実習or実験があり,1年次から毎週毎週濃密なレポート提出を課せられる.締め切りや採点も厳しく,図書館での追加調査を含め毎週5-6時間をレポートだけで費やしていた.科学的文章の書き方の下地はここで醸成されたと感じる.専門科目が入っている分,一般教養が割かれている.歴史はなく,地理も確か1年前期しかなかった.その他普通科高校と比べて色々なものが削られていたに違いないが、よく分からない.
また,数学が難しかったことを殊更に覚えている.入学後すぐに三角関数,確率,2年次に上がる前に微積,線形代数.2-3年次で重積分,偏微分,常微分・・・.4年次以降で複素関数,曲面,群論,ラプラス変換,ベクトル場等の応用数学に入っていく.他にも電磁気,化学,熱力,固体物理・・・うっ.
①就職
就職率100%.求人倍率~20倍.県内の有力企業,大手の現業職(現場職長候補)に比較的楽に就職できる.ただ高専生は世の中のことをよくわかってないので,企業や業態研究をせずに適当に就職してしまい数年後に後悔する同級生はそこそこいた.先生も技術バカが多く,経済的なリテラシー教育はほぼなかった.私のころはインターネットの情報量も多くなく,現在はまた違っていると思われる.
②進学
大きく2つに分かれる.専攻科か大学か.
専攻科:
自校に残り,2年間の延長教育を行う.大卒の資格を得られる.ほぼ研究メインの生活を行う.研究8割,授業2割くらいか.卒業後は旧帝や技術系大学院(奈良先端科技大/豊橋技科大/長岡技科大)などに院進する人が多かった.就職する場合世間的にはレアな存在であり,専攻科?そんなのがあるんだ?という反応をされ,研究漬けで辛い生活を送ってきたのにも関わらず就職アピールとしては弱いと友人はボヤいていた.
進学(3年次編入):
ここが最大のうまみであろう.
①いくつも受験が可能.大学毎に試験日程が統一されていないので,費用と日程確保さえできればいくらでも.自分の場合は4大学に出願し,3大学目で決めた.偏差値が低いほど早めに行う傾向があった.
②受験科目が少ない.例えば東大は数学と英語だけだった.(東大のみ2年次編入だったが)問題も奇天烈なものでなく,真面目に授業を受けてしっかり対策していれば十分に解ける範囲である.
③高専によっては提携大学がある.私が卒業した高専では所在県の大学,提携の私立大学(関関同立など)は指定校推薦でほぼ全入していた.高専から私立大学に行く人は少ないので,競争率も低かった.就職したくはないが勉強も好きではないモラトリアム層は延命策としてこの選択肢をとっていた.大学編入後は一般教養はほぼ単位認定(=免除),専門教科も高専で齧っていることが多く,比較的楽.実験,研究発表においては経験の差が歴然.学部レベルでは専門を変えない限り大きな問題はないだろう.私も彼女が欲しくてテニスサークルに入ってみたが,雰囲気についていけずすぐ辞めたというオチ.
ピンキリ.トップレベルの明石高専や豊田高専などは偏差値60後半でそこらへんの進学校を超える難易度だが,商船高専などは50前後.学科としては電気がいつも大変そうだった.数式だらけで理解するのが大変.材料や土木,環境,その他新興分野はおぼえればいい科目も多く,比較的楽.
全寮制の高専は確かなかったと思うが,大概他県や遠隔地からの学生用に寮が用意されている.寮ではゲーム相手に事欠かない,発売日に漫画がすべてそろう,ありとあらゆるジャンルのエ〇本を閲覧できるなどのメリット(?)もあるが,大きなデメリットとして私が通学していた20年前では上級生による「しつけ」という名の体罰が行われていた.木曜日の夜に1年生を呼び出し,暗闇の中で数時間正座をさせて悪事を白状させるというもの.(風呂掃除に数分遅れたとか,寮の敷地内で先輩を発見した際百m離れていても90度おじぎをして挨拶を”叫ぶ”必要があるが,そのお辞儀角度が足らなかったなど)一定数白状しないといつまで経っても終わらないため,どうでもいい些細なことを報告するのが常であった.正座のみならず1時間両手を上げっぱなしにさせるなど.終わった後は体が痛んだ.脚が痺れを通り越して暫く立てないレベル.なぜ木曜の夜かというと,金曜になるとみんな帰省してしまうため.
さすがに今はもうないだろう.しかし,中学校を出たばかりの小僧に大学1-2年生相当の先輩たちはとても怖い存在で,且つ退寮して親に金銭的負担をかけられないため多数は我慢を選択する,という構図だったし,私の親も鍛えられてこい,という感覚だった.家が比較的近いやつは馬鹿馬鹿しくて通学に切り替えていた.私のころはなかったが,以前は先輩から達しが出るや否や吉野家の牛丼を30分以内で代理購入してくるという「吉野家ダッシュ当番」なるものもあったそう.尚,年次により寮内でのルールは緩くなっていく.年次による権力を揶揄した称号があり,1年次から「奴隷」,「見習」,「平民」,「貴族」,「神」.1年次においては共有スペースの炊事禁止,テレビ閲覧禁止,風呂掃除や朝食準備などの各種当番,祭りでの汚れ系出し物など.2年次になると共同場のテレビ閲覧可,3年次から個室があてがわれ、テレビも自室に設置が可能となる.今思い返せば,陰湿な日本文化を如実に体現しており,乾いた笑いが出る.
私は上級生になった際このシステムを廃止しようと試みたが、全体的にそれを維持したいという空気が流れており結局叶わなかった.ただ親元を離れて集団生活を送ったことで自身も随分たくましくなったと思う.
メーカを何社か転職し,現在はITでデータ解析職.製造業に興味がないことに気づくのに大分時間がかかり,また気づいてからも収入を維持しながらも他業種へ脱するまでが大変だった.現在は34歳で年収950万円.奨学金は500万ほどあったが30歳前に完済することができた.
【2022年追記】現在37で1700万.幸運が重なり待遇の良いコンサルへ転職することができたが,周りの優秀さに埋もれつつありキャリアピークも近いかと感じている.がんばりたい.
数年前に就活した機械系修士(今日は年休消化マン)だが、当時はやりたい仕事ばっか調べて待遇面を適当にしか調べてなかったので当時の自分に伝えたい内容を書く。
①会社の給料体系を知るために適当にネットで検索した年収ランキングみたいなサイトの会社の平均年収を鵜呑みにしてはいけない。
製造業は総合職と同数くらい工場で実際に作業をする現業職の人たちがいて、給料テーブルが違うけどそれらをまとめて平均化された数字になってるかもしれない。
総合職として就職するのであればその平均年収が全社員のものか総合職だけのものか確認してな。
あと会社の昇給具合を知りたかったら「mynewsjapan」で画像検索してみると色んな企業の総合職昇給カーブなんとなくわかると思うからおすすめ。
まあ一番はOBとか知り合いに実際の状況聞けたら一番だ。
リクルータやってる身からすると、携わりたい業務ベースの質問が学生から多いが、待遇関係もどんどん聞いていいからね。
②ある程度の規模の製造業に入って数年でとてつもない成果を出したってシリコンバレーやファーウェイ、日本のIT企業、コンサル、外資金融みたいな給料がもらえる昇給はない。
(もちろん昇進が早まって、同期からしたら高給にはなるが、まあそこは数年早いくらい。)
なぜなら労働組合がいるから、会社側が少数の人に特別な給料テーブルを用意出来ない可能性が高いからだと思う。
会社は就業規則を作成できるが、労働組合がいたら団体交渉の結果締結される労働協約があり、そちらの方が優先される。
結局は就業規則=労働協約となるが、それはつまり労働組合が納得したものになっている。
経営側が有能な人材確保のために特別な給料テーブルを作成することを強く推さない限り、現業職が多くいる製造業で、総合職の中でもさらに特別な給料テーブルを組合が容認することはないだろう。
あと会社ごとに労働組合の意向は変わると思うが、製造業の労働組合は業界別の労働組合の傘下になっているから業界トップの会社が変わるとかしない限り一社だけとびぬけたこともできない。
組合員じゃなくて、管理職相当である非組合員の給料テーブルは労働協約の範囲外だから、そっちならあるかもだけどまあ組合員である若い内は出来るやつもできないやつも年収に差はそんなつかない。
とまあこんなところ。
ここ数年は時間外労働を特別条項最大限まで働いていたからそれなりの年収だったけど、働き方改革でしっかり制限がついた。
前までは月制限が大きかったから45時間以上残業するときは60時間以上の割増率適用をフルに生かして年間でメリハリつけて稼げたけど、働き方改革のおかげで社内の推奨月制限も厳しくなったから、60時間以上の割増がそんなに適用されずに稼げないまま年間それなりに働かされることになりそうだ。
どうせ働くなら稼ぎたいし、やりたい仕事に就けてもお金欲しい。
製造業での技術系就職はやりたい仕事です!いれてください!ってやるけど、やりがいの名の下に待遇面を軽視するのは後で後悔するから気をつけようね。