2021-02-22

国鉄の残り香があったこ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/hms_ulysses/status/1363263554728517633

これを見て思い出したこと

国鉄が分割民営化されJRになってすぐ、子どもながらにまだ「国鉄」と言い間違えることも多かった頃の話。

三ノ宮駅のコンコースサーティーワンアイスクリームの店ができた。

サーティーワン子どもお小遣いしょっちゅう買えるようなものではないが、何回か利用しているうちに違和感に気づいた。

店員さんが全員おっちゃんなのだ

アイスクリームを受け取るときに感じていた違和感はこれだった。普通大学生アルバイトみたいな店員さんばかりだから

しかし、おっちゃんたちはいつもニコニコしながらアイスを売ってくれていたからまあそんなもんかと思うようになっていた。

そしてここが他の店と違う点はもうひとつあった。

アイスの盛りがやたらいいのである

当時はレギュラーとかジュニアといった料金体系ではなく、1スクープは1サイズだったはずだが、やたらと玉がでかかった。

食べ盛りの10代でさえ、ダブルにしたら溶ける前に食べきれるかどうか心配になるような大きさだった。

そんなわけで、サーティーワンを食べるなら三ノ宮駅に行くべし、ということになっていた。

数年後、そのサーティーワンは閉店して、店舗は跡形もなく撤去された。

三ノ宮駅サーティーワンなくなっちゃったよ、あそこ大盛りでよかってんけどなー」と親に話すと、

「あそこは国鉄からJRに移れなかったおっちゃんの受け皿だったのではないか、全員定年になって閉店したのではないか?」と言われた。

その話をしたときもまだまだ子どもだったので「そんなもんか」と思っただけだが、あれから30年近く経っていろいろ背景を知ると趣深い。

あの特盛りアイスおっちゃんたちのヤケクソのたまものではなかっただろうか。

国鉄マンがあのピンク制服を着て研修を受けていたときはどんな気持ちだっただろうか。

あ、後継のJR西日本と言えば悪名高き日勤教育とかそんな体質と言われているよな、とか。

あのおっちゃんたちは労組とどう関わっていたのだろうか、とか。

他の駅でも、西日本以外の会社でも、そんな店はあったのだろうか。

ひとつだけ救われることは、おっちゃんたちが私たちアイスを手渡してくれるとき笑顔だけは、本気で子どもをかわいがっているときのものだと信じられることだ。

  • 31ってダイエー系列だったよな、確か

  • 当時は交通系人材は全国的に不足してて、JR行けなかった勢はそういう方面に行ったという話も聞いたけど 実際どうだったんだろうか・・ まあ国鉄マン全員がいわゆる現業職員ってわけ...

    • 過激な組合活動家は清算事業団とかJRコヒとかに飛ばされて、暗に退職させようとしてた JRコヒに飛ばされた活動家は期待されたほどやめなかったので、JRコヒの運行は組合員のサボター...

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