はてなキーワード: 片想いとは
古くはルイズコピペみたいなものから、最近はぺこら五七五までオタクの愛のカタチというのは様々だが、俺は昔からクソ長い文章を書くことでその愛を表してきた。好きになった女の子でさえも俺はブログに想いを綴り、綴る度に無力感が押し寄せてきた。綴っても意味なんかない。付き合えるわけでも画面の向こうから出てきてくれるわけでもない。綴らないと死んでしまうから綴るのであって、それ以外に特に理由はない。
アイマスに特に思い入れがないまま始めたシャニマスに、俺は物の見事に首まで浸かった。甜花ちゃんを愛で、樋口円香に息を荒くした俺のシャニマスにハマるきっかけになったのが冬優子だった。プロデュースで逆切れしたあとに泣いて謝るところで舌を噛み切らんばかりに俺も泣いた。冬優子で初めてTrueエンドを達成したときは涙で画面が見えなかった。冬優子は俺の親父にどこか似ていた。仕事の休憩にカツカレーを食う場面で情緒がバグって泣いた。多分吸ってるタバコはセブンスターの14ミリボックスだし、ビールはラガー一択だろう。まあそういう同人誌的なネタはともかく、俺は親父に一番認められたいのと同じで冬優子に認められたかった。冬優子は「まるで陳腐なハッピーエンド!」で俺を認めてくれた。冬優子と呼んでもいいと言ってくれた。こんな俺でも20歳以降なんだかんだと艶っぽい話はあったけど、冬優子が一番カッコいい女だった。
文章を書くこととシャニマスが大好きだから、俺は後輩と一緒にシャニマスの文芸同人誌を書くことにした。24歳、無職、前歴あり、精神障害者で元々人生が始まっていないので金儲けも何も考えずに好きな文章を好きなだけ書けることは俺の大きな喜びだった。冬優子についての文章だった。8000字で手が止まっている。寝ても覚めても冬優子のことばかり考えて、ボーッとしてるときには無意識にグーグル検索やYoutubeに「黛冬優子」と打ち込み、ストレイライト二次創作を漁って一日が終わる。ホーム画面の冬優子と目を合わせたくなくてシャニマスに一日ログインしないこともあった。こんな感覚に陥ったのは、19のときに好きになった女以来だった。Twitterで男とリプライしているのを見て憤死しそうになったり、同じ場所にピアスを空けようと思ってピアススタジオの周りをうろうろしていたときぶりだ。結局その女とは一年越しの片想いが実り付き合うことができたが、付き合って三か月で俺の躁鬱が悪化し全てが台無しになった。上手く行かないものだ。冬優子のTwitterなんか分からない。冬優子の名前でpixivのR-18検索をかけることもしなくなった。見ているとつらいから。そんなこんなで俺はどうしても原稿の続きを書くことができなくなってしまって、今増田にこの文章を書いている。
冬優子は画面から出てきてくれない。こんなにも愛しているのに。「うっさい!」と俺を叱ってくれない。こんなにも愛しているのに。ときに言葉は無力である。
人間には3種類いる。
「パートナーが既にいる奴」、
「パートナーが欲しくない奴」、
既に居る奴はいい。そして欲しくないというのも当然選択肢としてあるし、要らないならそれで構わないだろう。
問題は「パートナーが欲しいけど出来ない奴」だ。これが何故発生するのか全く理解できない。
パートナーが出来ない事自体は色々複雑な過程をたどるのでしょうがないが、恋愛がしたいのに出来ないって有り得るの?
車買いたいと思ったら車屋に行ってお金を出す必要があるように、
旅行に行きたいと思ったら、宿を調べて予約して、新幹線や飛行機を取る必要があるように、
恋愛もある程度はアクションを起こさないと出来ないと思うんだけど、言ってる人は大体しないので疑問である。
定番だがこれを言ってて出会おうとしてる人間を一人も見た事がない。
マッチングアプリもやってないし、恋活・婚活の場に足を運ぶ事もない。なんらかの新しいコミュニティに所属しようとも思わない。
部屋で寝っ転がりながらTwitterやってるだけの1年間で誰とどう出会うつもりなんだ。本気で出会えると思ってるならどうかしてるぞ。
でも世の中ブッサイクでも結婚してる人大勢いるし、ひたすら気にしすぎ。
そもそも本気で「顔が悪いから恋愛出来ない」と思っているなら、少しはマイナスをゼロにする努力をすればいいのに、大体しない。
中卒やクソみたいな年収で結婚したり、なんならヒモ的なやつなんて大勢いるし、やっぱり気にしすぎだと思う。
顔が悪いから派もそうだが、どちらかというと〇〇のせいで恋愛できないというよりは、コンプレックスでうだうだしてる事が大体の原因。
幼少期のいじめや毒親育ちであることをトラウマにしており、全部そのせいにしているタイプ。
増田もそういう被害に遭ってきたので気持ちは分かるし気の毒なのだが、過去は過去にしておかないと永遠に先に進まない。
別に一生「イジメノセイダー」「ドクオヤノセイダー」と言いながら死んでいくならそれでもいいのだが、それは恋愛をしたい人がする言動ではないと思う。
(追記)
・「お腹が空いてるけどうんこは食えない」派は、自分のスペックでは自分の理想に届かない事を知って諦めているのであるからして、選択的に要らない派に含まれないだろうか?
それならば「俺面食いなんだけど、俺のスペックじゃ美人と付き合えないから諦めてるわw」と言うのであって、恋愛したくても出来ないとウダウダしてるタイプの人にはならない気がする。
・男は生物学上必然的にいくらか余るとしても、では何故このような女性が発生するのだろうか。男女ともによくいる。
・自分が理解する必要がないとはいえ、「あーあ恋愛したいなー、でも私……†〇〇だから†……(キリッ)」って毎回言う人が周囲にしょっちゅう出てくるのでいい加減鬱陶しいと言うのが本音である。
なんか中二臭い風が吹いているというか、ダガーが見えるんだよな。単に行動していないだけの話を、少年漫画の訳アリ能力者が悲惨な過去を語ってる時みたいな臭さで語られるので良く分からない。
・「痩せたいけど痩せれない人」は類似例としてかなり近い。なんとなくお菓子を食べるのを辞めれば、ちゃんと運動すればいいのに意志が弱くてつい立てようとした誓いを破ってしまう心境。つまり「恋愛したいと口では言うけど出来ない人」も意志が弱いということ?
・片想いした相手と通じ合わないパターンというのは最も切ないが、個人的には恋愛市場の中には既に足を踏み入れているという意味で、そういう人は将来的になんとかなりそうな気はしている。
というより、あーあ私も恋が出来ればな系の人とは何か数段階ぐらい違うと思う。もしかしたらここはカテゴリーをある程度分ける必要があるのかもしれない。
・行動を起こしても失敗してしまう人というのは具体的にどういう人なんだろう。これが最も気になる存在なので体験談などがあれば教えてほしい。間違った方向に行動を起こしていてそれを軌道修正出来ていないのでは?とどうしても自己責任論的な事を考えてしまう。
・つまりこのエントリーで言いたいことは、「恋愛したいって言うけど、本当は別にそこまで恋愛したい訳じゃないんだろ?本当に恋愛したくてたまらないのに出来ないなんて人いるの?」という事である。
ノリが「ああ~行きたいよね、ハワイ。いつかね。」みたいな感じなんだよ。ハワイに今すぐ行かないと死んでしまうみたいな切迫感じゃないわけ。
ハワイにどうしても行きたいんだよなああっっっっ!!!!て言ってる奴がいたら、聞いてる側からしたらいや旅行予約すればいいだけではってなるだろ。(※コロナ禍ではない想定で)
今すぐ行動を起こさないならなんとなく漠然と思ってるような所詮その程度な訳じゃん。それって本当に恋愛したくてたまらない人なの?
A:いや普通はそんなことないと思うけど、少なくとも今周囲にないものを掴み取りに行きたいならそれなりに普段と違う事しないとダメじゃね?
少なくとも女性には妊娠に関してそれなりに明確なタイムリミットが存在するのに、「あーうん、子供、欲しいね」って人生無計画すぎるだろ。
・Q:理解してるのでは?
A:結局このエントリーで述べた事は、「口では恋愛したいと言いつつ本当は別にそこまで恋愛したくはない人」に対する考察でしかない。
「結構マジで恋愛したいし凄い頑張ってる、けど出来ない」のがこれだけブクマを見渡しても誰一人現れないので、分からないのだ。本題はこれなので引き続き募集したい。
ダイエットに例えると、食事のコントロールも運動もやって、時々医師に相談したりした上でなお全く痩せない人。
つまり、これといった自己責任的な非が無いのにも関わらず目的を達成できない人について、もっと詳しく知り、そして理解したいのである。
途中でお菓子とか食べちゃう人は求めてる快楽が 食べたい>痩せたい なんだからそらどう考えても痩せない気がする。想定した現象がそのまま起こっているだけのような。
・Q:片想いが何故想定出来なかったのか?
A:上にも述べた通りだが、特定の相手に好かれなかったことが原因であるなら、少なくとも「あー恋愛ね、したいね、でも自分には縁がないからなあ(キリッ」とは別の人種であると考えていたからだ。
どちらかというと「特定の相手に好かれなかった為」故に、選択的いない派の中に包含しているつもりであった。
はじめのカテゴリー分けがそもそも悪いという点については柔軟に訂正していきたい。あと今片想いしてる人は頑張って欲しい。
A:恋愛に対するコストの高さを前に支払う事を諦めた人は、それってもう選択的な独身なんじゃないだろうか?
色々考えた結果そういう方針に自分で決めたってことだよね?これは恋愛したくても出来ない人ではないと思う。
・Q:就職できない人が居るのと同じだろう
A:確かにこれも分からない。就職を見越してそれなりの学歴を築いたり、学生時代に資格や特筆するべきスキルを身に着けておけば、第一志望に受からない事こそあれど少なくとも全く誰からも相手にされないという事は起きない気がする。というか最悪誰でも働けるような場所という選択肢があるけど、それは嫌だから無職のままであることを「選択している」んじゃないのだろうか。
対策してない人が失敗するのは極めて普通の事だろうとしか思わない。
A:勉強しなかった奴が試験に落ちるのは当たり前じゃないの?受験した子は頑張ったんだから皆合格にしてあげて!っていう思想の方か?
今日、これまで最推しだった非公式のNLカップリングと決別してきた。
具体的には、パソコンのエクスプローラーやスマホのフォルダから自分の創ってきた作品をすべて消してきた。pixivのアカウントも変えた。今日は時間がないのでしないが、近いうちに、自サイトからも作品をすべて撤去するつもりだ。
3年くらい前、そのCPを好きになって本格的にそのジャンルに入った。そのジャンルは、今年で初めてゲームが世に出てから20周年だった。それからしばらくするまで、そのジャンルのほとんどは公式CP好きか腐女子しかいないことを知らなかった。もっと早く知っていて、かつ己の発信力の無さを把握できていれば、回避できたのかもしれない。
ほとんど誰も自分の描く最推しだったCPに興味を示さない。中には腐女子さんでも理解をしてくれる方は数名いたが、リツイートまでして拡散してくれないのである。これじゃ見る人は一向に増えない。
しかも(NLだけの話だと)人生一番の地雷である対抗CPばかりに人気が集中しているのである。いいねは当然、多くのリツイートもついている。それだけ対抗CPばかりが支持されているということだ。ストレスはたまる一方だった。
その対抗CPは一概に公式CPであるとは言い難い。アニメで一瞬片想いの描写がほのめかされていた程度で、その後ストーリーにはまったく生かされておらず、そもそも原作のゲームでは出会ってすらいない。
アニメというメディアの一部でしかないところががほのめかした程度でなぜみんな肯定的に受け入れられるのか。他のファンに対してずっと疑問だったし、不満でもあった。自分の推しNLCPには目を向けようとすらしないくせに。やはり公式か非公式かで違うのだろうか。だとするならばそれは差別的だし、理解しようという努力が足りなさすぎる。
ここまで読んで「お前は反応がもらいたいだけだろ」と思った方も中にはいるだろう。そのあたりについては、こちらも特に否定しない。
自分の作品への注目度の無さと地雷CPの存在そのもの、また向き合い方に2年悩み、導き出した結論が「ジャンルごと最推しCPを切り捨てる」であった。
というのも、その前にいたジャンルにも地雷はあったが、その前ジャンルの熱が冷めると地雷CPごと心底どうでもよくなったことがあったからだ。その前ジャンルで(意図せずとも)できたんだから、このジャンルでもできないはずがない。
自分は良く言えばフットワークが軽い方であり、悪く言えば衝動性が強い。思ったことはすぐ行動に移すのだが、しかしこればっかりは5ヶ月程度と時間がかかってしまった。それでも今日、実行することができた。断捨離が終わった後は、なんだか解放された気分だった。
こうして"最推しCPを自ら殺した"わけだが、よくよく考えたら自分の人生はこんなことを何回か繰り返したと思う。例えば、某SRPGゲームの運営による特定キャラ依怙贔屓に嫌気が差して、推しを捨てて自ら身を引いた(今は一応復帰している)ことがある。
少し以前まで、自分勝手な事情で推しを捨てたりシチュエーションを選別することが悪であり、そしてこのCPの最推しであることばっかりは譲れないと、ファンとして誇りを持っていたが、考えを変えたことでそうとは限らないと思うようになった。結局、(何でもそうだが)趣味より自分の健康の方が大事なのだと今は思う。
後悔はしていない。出会いがあれば、遅かれ早かれいつか別れが来る。それが今日だった。それだけのことだ。
最後に、彼らに別れの言葉を告げてからこの3年と3ヶ月間の歴史を闇に葬り去ろうと思う。
君たち。君たちと出会って自分は人生が変わった。それは確かだ。毎日のようにストーリーを練ったり絵や漫画を描いて、いつも楽しかった。
しかし自分はこだわりが強すぎた。それは今でも変わらないし、むしろ悩み始めたあの時より強くなっていると思う。楽しいと同時にいつからか苦しくもあったんだ。描き手が闇落ちしてしまっては、君たちは幸せになれない。だから、この気持ちに区切りをつけるためにも今日、君たちに別れを告げに来たんだよ。君たちのことを想ってのことだ。怒ったり悲しんだり憎んだりしないでほしい。
君たちは自分の知らない世界のどこかで、どうか幸せになってください。それが君たちへのひとつの願いです。
それじゃ、さよなら。
仕事で関連することがあってそのときはやりやすくて良い印象だった。
以前はあった飲み会とかではを話して、たまに誘われた会社の人の集まりみたいなのにも参加したときは話したりした。
明るくて良い人だけど、趣味とか個性的で、それを自分の言葉で語って伝えられる人だから彼女の人柄がわかってすごく楽しかった。
逆に僕が話をするときはちゃんと説明して理解してもらおうとしたら、ちゃんと聞いて理解してくれる人だった。
そんなこんなでとても魅力的な人だなぁと思っていた。
そうなると彼女のことをもっと知りたいし、プライベートで何かを一緒に見たり聞いたりして彼女の話を聞きたいと思ってしまった。
ただ最近はあまりそういう機会も減っていたから交流が少なかった。
そして今日、機会があって会社の人同士でランチしてたんだが、その席で彼女に恋人がいること、結構進んでいることを聞いた。
辛い。
なんだか口にするのが恥ずかしいが、僕は恋をしていて、それが最良の結果ではなく終わった。
まぁ、思い返してみると僕とはただの同僚であってプライベートではなんの関係でもない。
そして彼女にとって僕は嫌いでもないけど、単なる同僚でそれだけなんだろう。
今はそれがすごく寂しい。
好きな人の興味を惹かなかった。僕だけが楽しかったのかと思うとひどく寂しい。
失恋ばかりの人生だったからいつか忘れて落ち着くだろうということは経験からわかる。
それだけは若くなくて良かったなぁと思う。
でも明日からも顔を合わせるたり、彼女のことを考えたりすると心がざわめく。
別に今までも頻繁に話していたわけではないが、今は冷静に上手くやれる自信がない。
あからさまにはしないけど、接する機会が減ればいいなととも思う。
でもやっぱり彼女にとっては意味のない会話がなくなってしまうのは僕にとってはひどく寂しい。
相手はなにも知らない。
僕が僕だけで恋して舞い上がってたのを僕自身で消し去らなきゃいけない。
ちなみに自分はキャラが幸せで有れば大体なんでもいいタイプ。感想も大体ポジティブ。
①ケンアス
ここがこうなるとは思わなかったけど話の流れ的には自然だったので個人的には満足。
アスカが「ケンケン」なんて呼んでた時から怪しいと思ってたのよ。ウフフ
ポスターの配置的に公式かと言われると微妙だけどエヴァなんて脳内補完したもん勝ちなんだからこれはカップルだよ。
大人ケンスケ落ち着きあって知的な部分だけが残って、めちゃくちゃカッコ良かったね。アスカが村から出発する前「今日だけは撮らせてくれ」(ビデオを)って言ってたのセクシーすぎて震えたぜ。
アスカは正直中身28なんか?って思ったな。まぁ元々シンジよりもだいぶ精神年齢が高いからな。
村にいるときの2人はなんとなくまだ恋人ではないのではないか?と思うのだけどほぼ素っ裸のアスカと一緒に暮らしていると考えると分からない、、脳内補完は情報の整合性を取るのが難しい。
アスカが幸せになってくれて本当によかった。ケンスケはこれからもアスカをなでなでしてあげてほしい。
②シンマリ
想像をしたことがなかったし他に比べて話の流れ的にも必然性がないのでまだしっくりきてはいない。が、かわいいカップルなのでこれはこれでありだ。
ワンコくんとパラシュートの人くらいの関係性からシンジくんマリさんの仲になり、「絶対迎えに行く」(本当に来た)で熱い信頼関係が築かれ、、と考えるとシンジの、レイやアスカなど自分が不安定な時に築いた関係性ではない、自立してからの新たな人間関係というのは新鮮に感じた。(シンジ君て大体不安定だったし)
姉のような母のような、過去までひっくるめて抱きしめてくれるような優しさと底なしの明るさと強さに辛い体験をしたシンジ君は救われるのではないでしょうか(昇天)
「絶対迎えに行くよ!」の強さやばかったよね。マリさん強いしほんとかっこよかった、、シンジ君と幸せになってね
③カヲレイ
劇中一度も話したことないのに!みたいな声ありますがカヲル=ゲンドウだとしたらしっくり来ますね。(ゲンドウとカヲル君のビジュアル差(イケメン度)があまりにも大きくレイ=ユイと比較してカヲル=ゲンドウの概念を脳が受け入れられていないのはさておき)
劇中1番美人なカヲル君と劇中2番目に美人なレイが結婚したら、、ハァ。絵が美しすぎてため息が、、
どうでもいいけど最後のホームにいたレイとカヲル君私服だったところ、アパレルコラボとかで散々見てきた立ち絵みたいでちょっと面白かった(伝われ)
シンジ君の幸せを思って貞エヴァやら旧劇やらループしてきたカヲルくんの事を思うと胸がギューっとなってしまう。これからはレイを幸せにする事で幸せになれる人生を送るんだろうな(大号泣)
(カヲル君がシンジを幸せにしたいと思うのはゲンドウの優しい部分が抽出されてるからなのかな、とか思ったり)
ここまでが公式ですね。
以下は非公式です。
④カヲシン
あ゛〜〜〜〜〜〜〜〜
私の中のカヲシンはまだ成仏しきっていないので、もう一度見に行ってスッキリ成仏させてこようと思います。
⑤マリアス
ケンアス、シンマリではあったかもしれないけど、マリアスも公式だったと思うんですよね。途中まで。
姫〜〜おかえり〜〜〜💞のシーンあれマリアスじゃないですか。ほっぺにチューしてたじゃないですか!!(幻覚)
このシーンもシンマリにしっくりきていない要因の一つである。更なる脳内補完が必要。
髪の毛切るシーンめっちゃ良かったね。
黒レイ→シンジ描写いっぱいあったけどシンジ君はメンタルがそれどころじゃなかったよね。
プログラムされてた云々はどうでも良い!レイがシンジを好きになることでポカポカするならそれでいいじゃん!!
推してないけど大本命と思ってたのでアッサリ祭りもなく終わってしまい、私は悲しいです。
アスカ昔の片想いに決着をつけられて本当によかったね、、薄着でお料理作ったりしてたの思い出してうるっときてしまった。アスカの性格的に、ああいうのはもっと未練がましく言いそうだと思ったんだけどさっぱりすっきり言ってたのが印象的だったな。大人になったのと、ケンケンがいるからって事を考えると納得。
⑧カヲアス
僕は最後までカヲアスを諦めませんでした。たとえ、面食いの妄想乙wwwと言われようとも!!!!!
妄想乙でしたね。まあ、新劇のカヲルくんは美しさが超越しすぎててカヲアスは違和感ある。対面したっけ?ってレベルで何もなかったしね。
(でも貞エヴァならありそうではないですか??)
今夜は某先生のかわいいカヲアスを読んで泣きます。某先生またエヴァ描いてくれないかしら。
ミサトと加持さんのむしゅこイケメンすぎてワロタくらいですかね。
カップリングだけでこんななのに戦闘シーンとかそれぞれの成長とか考え出すとお気持ちが止まらないね!!!シンエヴァ最高でした!!
私の心には魔物が棲んでいる。
魔物は彼女をかわいそうな子に仕立て上げて、それを庇護下に置きたいという欲求を持っている。
甘えてくる彼女はとてつもなくかわいいし、不安そうにしてる彼女はギュッと抱きしめたくなる。
傷ついてないフリをしている彼女に頑張らなくていいんだよと諭したくなる。
油断すると出てくる魔物をどうにか心の奥底に押し込めないといけない。
魔物は隙あらば彼女を傷つけ、私自身も沼へと引きずり込もうとする。
彼女の良いところ、良くないところ、そこだけを見て好きになったはずなのに。
彼女と一緒に過ごした楽しい時間の積み重ねが、この気持ちの礎だったはずなのに。
彼女のことを想うとき、私の愛情と魔物の欲望が心に一気に流れ込む。
決して溶け合わないが、分離もしないその感情の扱い方を私はまだ見出だせていない。
百合だいすき。とてもすき。愛してる。百合を読んでたら突然叫び出しそうな幸せが襲ってきて怖い〜。なにそれってかんじなんだけど、好きで仕方なかった百合が嬉しそうに私にページを開いてくれていることをふと実感した瞬間、ギャー!ってなる。気持ち悪いから必死に発作抑えてるけど…。
百合に対して何年も片想いしてると、好きなタイプ=百合になってしまった。好きってほどでもないけどなんとなくこの人のこと気になるな〜と思う人は、特徴として割と百合と似てる部分がある人なことに気づいた。どれだけ好きなんだよ。百合がだいすき。愛してる。はやく会ってもっといろんなことを教えてほしい。生命線長いんだなーとか、舌の長さは普通だなーとか、意外と筋肉質だなーとか全身で早く確かめてみたいな。
春になったら新型コロナウイルスも少しはマシになるかなー?と去年の秋くらいに話してたけど、全然そんな気配ないね。仕方ない。それにしても早く読みたい。だいすき。世界で一番愛してる。
「百合に男はいらない」って百合に言われないと眠れないからそうやって言ってほしいっていうわがままを、今日も聞いてくれてありがとう。私も愛してるよ百合。
彼氏だいすき。とてもすき。愛してる。彼氏と電話してたら突然叫び出しそうな幸せが襲ってきて怖い〜。なにそれってかんじなんだけど、好きで仕方なかった男が嬉しそうに私と電話してくれていることをふと実感した瞬間、ギャー!ってなる。気持ち悪いから必死に発作抑えてるけど…。
彼氏に対して何年も片想いしてると、好きなタイプ=彼氏になってしまった。好きってほどでもないけどなんとなくこの人のこと気になるな〜と思う人は、特徴として割と彼氏と似てる部分がある人なことに気づいた。どれだけ好きなんだよ。彼氏がだいすき。愛してる。はやく会ってもっといろんなことを教えてほしい。生命線長いんだなーとか、舌の長さは普通だなーとか、意外と筋肉質だなーとか全身で早く確かめてみたいな。
春になったら新型コロナウイルスも少しはマシになるかなー?と去年の秋くらいに話してたけど、全然そんな気配ないね。仕方ない。それにしても早く会いたい。だいすき。世界で一番愛してる。
「愛してるよ増田ちゃん」って彼氏に言われないと眠れないからそうやって言ってほしいっていうわがままを、今日も聞いてくれてありがとう。私も愛してるよ彼氏くん。
マスクで隠された唇はそのうちおっぱいや性器みたいな存在になるんだろうか?
日常生活では、食事や運動の時以外は基本的にマスクをとらない。
となると、社会人で片想いの人が好きな人の唇を見る機会はぐっと減る気がする。
そうすると、好きな人の唇を見ただけで興奮する世の中がくるんだろうか。
それをおかずにオナニーするくらい、唇という箇所が性的な存在になる未来はあり得るんだろうか?
ただ漠然と思っただけです。
そもそも性癖は十人十色だし、男の血管見ただけで濡れる女もいれば、女の髪の匂い嗅いだだけで勃つ男もいるでしょう。
それは個人としてみた話で、今回言いたいのは男も女も全体的に唇を見たら興奮する人が増えるかってお話です。
もしそんな世の中になると、マスク着用以前の世はハレンチだったなーとか、リップや口紅を塗る姿を見せるストリップ劇場とかできるんかなーってアホなことを考えたりしてます。
良かったら、意見聞かせてください。
大人になってから知り合った人と親友になれるとは思っていなかった。その人は私の同僚の知り合いで、最初に会ったのは居酒屋だった。その後も何度か飲み会で一緒になって、映画に誘ってもらったり二人でお茶したりして、いつのまにか月に何度も会うようになっていた。どのくらい仲良くなれば親友と言えるのかわからないけど、勤め人の貴重な休日を半分も私のために使ってくれるのだから、ここではそう呼んでいいことにしよう。
初めて二人で旅行をしたのはライブの遠征にいったときだった。宿を相部屋にしないかと聞いてみたら、それでも構わないと返ってきて、ちょっとおしゃれなホテルを予約した。誰かとお泊りをするのは高校生ぶりだろうか。疲れていてすぐに眠ってしまったけど、きれいな部屋でお喋りをしてすごく楽しかった。それからもライブにかこつけたりかこつけなかったりして何度か旅行をした。二人とも街歩きと甘いものとお酒が好きで、ぶらぶらと街を歩いて見つけたカフェやバーに入ってみるだけのあまりぱっとしない旅行だったけど、私達には調子が合っていたんだと思う。
ある晩、好きな人がいるのだと話してくれた。大学の同級生で友人としてはずっと仲が良いらしい。お酒を飲んで宿に戻って二人きりになると、きまって嬉しそうにその人の話をしてくれるものだから、私は密かに旅行の楽しみの一つにしていた。その想い人を紹介してもらって三人で遊ぶこともあった。三人でいてもその人のことばかり見ていて、本当に好きなんだろうと思う。想いが通じるのを願ってはいたけど、心の三分の一くらいではまだしばらく独りでいてほしいと思ってしまっていた。
そんなふうにしばらく仲良くしていたけど、ここ一年は数えるほども会えていない。秋口、映画を観てお茶をして駅で別れたのが最後だ。正直に言うと会えなくて寂しい。触れ合って眠ったときの感触を不意に思い出してしまう夜もある。
なにかしたくてバレンタインデーにチョコを贈った。メッセージカードを書いたら、思いの外ラブレターみたいになってしまって気恥ずかしくなった。翌日「ありがとう」とだけスタンプが届いた。お互い普段から素っ気ない方で、この返事自体にどうということはないけど、カードを読んでどう思われたか気になってしまっている。私にも片想いを相談できる親友がいたらよかったのだけど。
大手といってもその業種がニッチ過ぎて競合相手がいなかったからだし、私も含め末端の人たちはみんな非正規だったのだけれど。
私のいた部署は出社して、管理職からとある書類を貰ったら各自振り分けられた複数の会社に行き、持ってきた書類にハンコ押してもらったり訂正して頂いて、回り終わったら帰社して明日の書類の準備をするという、営業と事務半々みたいな業務をしていた。
そんな業務の微妙さや仕事してる姿を誰にも見られないからか、普通と呼ぶにはちょっと「?」がつく人が多かった。
覚えてる限りを挙げてみると
・借金で首が回らず家賃も滞納しているため家に余り帰れず野宿しがちで、携帯も家電もないから消費者金融が会社に電話や直接回収しにくる40代独身。
・寡黙過ぎて10年勤務しているけれど、最寄りの駅と年齢以外のことを誰も知らない30代後半の男性。
・モーニング娘。が好き過ぎて関東圏に来る時は大体のコンサートに行き、次の日には体調不良で当日欠勤をするが、皆それが酷い二日酔いなのが暗黙の了解だから、昨日はモー娘のコンサートがあったという無駄な指標になる人。
・「私、夫が誰にも知られちゃいけない秘密を一つ握ってて、それがある限り自分は自由に生きられるの」と言っていて、周囲は「一体どんなことを」と思っているが気が強いので誰も言い出せない姐御肌の30代女性。
・機械オンチの同僚のPC端末の壁紙を突如νガンダムに変えたり、黙って無表情に仕事をしていた私に、飲み会で私に「あなた何人目?ねえ何人目?」と泥酔しながら聞くガチオタ既婚男性。
・ゲイでオネェなことを全く隠さないで話すのは構わないとして、片想いの同僚が他部署の女性と婚約したのを知り、心痛の余り会社を無断欠勤を数日間して、心身を心配して手土産を持って課長が自宅に訪ねた男性。
・その課長には愛人が3人いて、さらに奥様との夫婦生活も月1であると忘年会で暴露し、姐御さんに
「50代でそれってお盛ん過ぎませんか?!」
と詰め寄られていた。
他にも様々おりましたが、代表的な人はこんな感じでした。入社して1ヶ月くらいの時、若手の正規社員に
と心配されたりもしたけれど、私は元気でした。
結婚を機に引っ越すので退職したけど、社会のすみっこで微妙に生きづらい人には凄く快適だからあんなだったのかもな、と今でも思ってる。
今年のバレンタインに、大嫌いな女より早く結婚した。嫌いな女とは小学校と中学校が同じだった。眼鏡をかけた頭のいい女で、いつも先生に褒められていた。でも、同級生から嫌われるタイプではなかった。
その女のロッカーにはいつも数冊本が入っていて、朝読書の時間、読むものがない同級生に本を貸してくれた。彼女が勧める本にはハズレがなかった。私も彼女から何度か本を借りたことがある。これはどう?と言って貸してくれたさくらももこのエッセイは自分でも買って、今でも読み返すことがある。
当時クラスにはいくつかのグループがあったが、彼女はいつもあぶれていた。でも、何かのイベントがあると、彼女は色んなグループから声をかけられた。彼女がいると、イベントごとがスムーズに進むし、諍いがなくなって楽だったからかもしれない。
勉強ができて、先生から可愛がられていて、地味で、それなのに彼女を嫌う人はほとんどいなかった。優等生だけど、頼めば宿題を見せてくれたし、勉強を教えてくれることもあった。まだ彼女のことを嫌いでなかった頃、宿題を写されるのは嫌じゃないのと尋ねたら、みんなに嫌われないようにしてるだけだよと流された。
彼女のことを嫌いになったのは、中学3年生の冬だ。彼女は1組、私は2組だった。私は1年以上片想いしていたバスケ部の男子と、やっと付き合うことができて、3ヶ月経った頃だった。まだお互いの家に行ったことはなかった。
そんなとき、友達から「あんたの彼氏からMさんの夢を見たって相談を受けたけど、別れたの?」と聞かれた。喧嘩すらしたことがなかったし、3ヶ月記念日を祝う手紙を贈ったばかりだったから、間違いだろうと思った。それに、彼女と私の彼氏とはあまりにも釣り合わないように思えた。確かに、クラスは同じだった。でも、勉強なんか全くしないでバカなことばかりしている彼氏は、彼女と仲良くなるようなタイプではなかった。それに、彼女には生徒会長と付き合っているという噂もあった。
少し経った後、別の男子から私の彼氏が「彼女の家に遊びに行ったらしい」という話を聞いた。付き合っていることはごく一部の友達にしか言っていなかったから、興味を持ってるふりをして詳しく聞くと「勉強を教えてもらうって口実で日曜に押しかけたらしいよ、勇気あるよな」と教えられた。授業中、彼に手紙を書いた。あの女の家に行ったって本当?と書きたかったけど、放課後聞きたいことがある、というような文言にした。
中休みに手紙を渡すと、彼氏はあー、いいよ、と珍しく険しい顔で言った。私はああ、たぶん本当なんだな、と思った。噂について尋ねると、彼は「彼女のことが好きと言い切ることはできないが、私のことを好きということもできない。別れるというならそうする」と言った。私は無責任だ、あの女が告白してきたのか、と言ったけど、「彼女は何も言ってないし、誘ってもきていない。俺が勝手に家に押しかけただけ」と言われて、耐えきれずに待っていてもらった友達のところに逃げ帰った。同じ部活の女友達はほとんどみんな私の味方をしてくれたけど、最初に夢の話を教えてくれたひとりだけは「ムカつくのはわかるけど、あの子も悪くなくない?」と言っていた。
受験間際だったし、クラスの違う彼女と会うことはほとんどない。でも、先生が休みとかなんとかで、1組と合同の体育の授業があった。彼女がひとりでネットの片付けをしていた。私は手伝うふりをしながら「◯◯のこと好きって本当?」と聞いた。彼女は「なんで?ただのクラスメイトだよ〜」とことも無げに答えた。彼女の手がちょっとだけ強張ったように見えたけど、ほとんど「シロ」っぽいふるまいだった。
彼氏とは、別れなかった。1年以上好きだったし、彼はあの女を好きとは言わなかったし、彼女も彼を好きじゃないという以上、私が正しい彼女だと思っていた。
卒業式の後、地元の公立高校の合格発表があった。私はすでに決まっていたけど、違う高校に行く彼氏の発表を一緒に見に行く約束をしていた。合格の番号を見つけた後、彼は写真を撮って、誰かにメールしていた。こっそり横目でのぞくと、相手はあの女だった。「勉強教えてくれてありがとう。ちゃんとお礼させてください。」という文章と、番号の写真を送っていた。私はサッと血の気が引くのを感じて、「結局あの子が好きなんでしょ」と言った。彼は一瞬うろたえて、「でも、付き合っているのは君だから」と言った。結局、別れたくないと思っているのは私だけだってことだった。
しばらくその話を巡って喧嘩したり、冷却期間を置いたりしたけれど、やっぱり彼の気持ちは戻らなかった。最後は私がキレて、「もう好きにしろよ」と怒鳴って終わった。
彼女は頼むとなんでもしてくれたけど、テストの点数や好きな人、志望校とかのプライベートなことを誰かに教えることはなかった。でも、頭がいいのはわかりきってるし、県内のトップ校に行くんだと思ってた。でも、彼女は東京の高校を受けて、さっさと地元を出て行った。
彼女に最後にあったのは成人式の日だ。成人式の二次会で、女子はみんなちょっとよそ行きのワンピースとかセットアップを着ている中、彼女は高そうな赤いドレスで現れた。昼間の着物の時とは違う髪形だった。私の元彼が、彼女の手を引いていた。みんながあんたら付き合ってんの!?優等生ちゃんめっちゃ綺麗になったじゃん!と騒ぐ中、元彼は「付き合ってないよ、親友っすわw」と言っていたから、結局付き合ってはいないようだった。ひどい別れ方をしてるし、当然というべきか、彼は私のところになんか一度も来なかった。東京の有名な大学に進学して、綺麗になった彼女を自慢する元彼の姿はバカップルよりひどいと思った。そして、イオンで買った黒いワンピースを着て、着物の時と同じ髪形で、彼が私のことを惜しいと思うんじゃないかなんて思ってた自分が惨めだった。
私は働き始めてから付き合った人から去年の誕生日にプロポーズされて、今年のバレンタインデーに結婚式を挙げた。コロナのこともあったけど、田舎だから式ができた。でも、ひとりだけ彼女の味方をして、夢の話を教えてくれた友達は、結婚式に呼ばなかった。
繋がっていないFacebookと、繋がっていないInstagramの情報から察するに、彼女は独身らしい。彼氏がいるとも書いていない。だから、私は少なくとも愛されてプロポーズされたという点においては、彼女に勝ったんだ。馬鹿みたいだけど、私はそれだけで、少しは自分に自信が持てる。大嫌いな女より早く結婚した。子供の頃のことを引きずって、自分に酔っているだけなんだと思う。相手にされてすらないかもしれないし、こんなの無駄だとわかってるけど、こうして書いて忘れたかった。ああ、本当に勝てたらいいのに。
留学先で女性を妊娠させて見捨ててしまう話なので、近頃は評判が非常によろしくない。そのくせ、この文体のせいで美しいと感じてしまう自分がいて、実はこれ、レトリックや文体によって騙されることに注意しろっていう警告なんじゃないかって気もする。「自分のおすすめ編」にも書くつもりなんだけど、ナボコフ「ロリータ」もそういう自己正当化がとにかくうまい。
余談だが、鴎外自身は東洋人だったこともあり、留学先では写真を撮らせてくれと頼まれたことがあったという。それに対して、構わないけどもあなたの写真も逆に撮らせてくれ、と言って、相手も満足させつつ日本人としての尊厳も守ったことがあって、これは割と好きなエピソードの一つ。まあ、漱石よりは世渡りがうまいよな。
古風な文体で挫折しかかるも何とか読破。これよりは幼馴染系の「たけくらべ」のほうが好きだったなあ。増田では古文がいるかどうかで議論になったことがあったらしいが、古文がすらすら読めるほうがこういう趣味というか楽しみが増える気もするし、純粋に実用面だけでいえば法律用語や古い公文書を読む必要がまだあるんじゃないのかな。
「舞姫」の話の続きだけど、古典文学にもやっぱりクズエピソードは結構あり、じゃあどれを教えてどれを教えないかは割と難しい。
僧侶が山間で美しい妖怪と出会う話。文庫のちくま日本文学全集で読んだ。全集と銘打っているけど、このシリーズは日本の近現代文学作家のベスト盤みたいな感じで、チョイスはいいのだけれどときどき抄、つまりダイジェスト版みたいなのが紛れていて、コンプリートしようとは思わなかった。
話としては幻想的ですごく好き。幻想譚が好きな自分がどうして泉鏡花にどっぷりはまるまでいかなかったのかが不思議なほどだ。当時は、著名な作品をどんどん消化しようと思って乱読していたからかもしれない。そういう意味でも、課題図書を読破することが自己目的化した読書には幾分害がある。
とても好き。小説が読めなくなったときには、文豪の書いたこうした随筆というか、風景描写の豊かな文章を読むことで、自分のリズムを整えたくなる。外出の難しい昨今、こうして空想の世界でだけでも豊かな自然のなかで過ごしたいものだ。五感が刺激される文章というのはなかなかない。
我輩を吾輩に修正。
ここ最近は漱石の評判はあまりよろしくないと聞く。所詮は当時の欧米の文学の輸入に過ぎないとか、結局は男社会の文学だとか。言われてみれば確かにその通りなのだけれども、日本の近代文学の開拓者にそこまで求めちゃうのも酷でしょうと思わないでもないし、この作品からたったの十年で「明暗」にまでたどり着いたのだから、やっぱりすごい人ではないかと思う。五十になる前に亡くなったのが惜しまれる。
で、肝心の内容だが。基本的におっさんがおっさんの家をたまり場にしてわいわいやる日常ものなので、当時の人にしか面白くないギャグを除けば、普通に笑える。最終回は突然後ろ向きになるが、もしかしたら漱石の本分はユーモアにあるのかもしれない。
余談だが漱石の留学時代の日記に付き合いのお茶会について「行カネバナラヌ。厭ダナー」とのコメントを残している。
素直に面白かった。若干のプロパガンダっぽさがなくはないが、読んだ当時は差別する側のねちっこさや意地の悪さが良く書けているように思われた。とはいえ、昨今は善意から来る差別についても考える時代であり、問題はより複雑になった。
被差別部落問題については気になっているのだがなかなか追えていない。日本史について読んでさまざまな地域の実例について断片的にかじった程度だ。それでも、地域によって温度差やあったり、差別対象が全く異なっていたりすることがわかり、どこかで日本全体の実情について知りたく思っている。
女中の布団の残り香を嗅いで悶々とする話だってことは覚えているんだけれども、読んだときにはあまり印象に残らなかった。なぜだろう。自分が読んできた近代文学は、基本的にダメな奴がダメなままうだうだする話ばかりだったからかもしれない。その多くの一つとして処理してしまったか。
で、自分が好きなのは飢え死にするほど悲惨じゃないくらいのダメさであり、親戚のちょっと困ったおじさんくらいのダメさなんだろうと思う。
読んだことがない。ただ、ドナルド・キーンの「百代の過客〈続〉 日記に見る日本人」によればこんなことを書き残しているそうだ。「僕ハ是レカラ日記ハ僕ノ身ニ大事件ガ起ツタ時ノミ記ケルコトニ仕様ト思ツタガ、矢張夫レハ駄目な様デアル。日記ヲ記ケ慣レタ身ニハ日記ヲ一日惰ルコトハ一日ヲ全生涯カラ控除シタ様子ナ気ガスル。夫レ故是レカラ再ビ毎日ノ日記ヲ始メ様ト思フ」(意訳。日記書かないとその日が無かったみたいで落ち着かない)。ここでツイッターに常駐している自分としては大いに共感したのである。そのうち読もう。
読んだはずだが記憶にない。「暗夜行路」で娼婦の胸をもみながら「豊年だ! 豊年だ!」と叫ぶよくわからないシーンがあったが、そこばかり記憶に残っている。これを読んだ当時は、この小説のように自分がどれほど理想を抱いていたとしても、モテないからいつかソープランドに行くのだろうな、とぼんやり思ったことを覚えている。
ちなみに、自分が初めて関係を持った女性は貧乳だった。だがそれがいい。
お父さんとうまくいっていない人は子供の才能をつぶす話である「清兵衛と瓢箪」が刺さるんじゃないかな。あとは少女誘拐犯視点の「児を盗む話」もよかった。
大学時代知り合った文学少女から薦められて読んだはずなのだが、覚えているのは「阿房列車」の何編かだけだ。それと、いつも金に困っていて給料を前借りしていて、そのことのまつわるドタバタを描いた作品や日記もあって、そうした印象ばかり残っている。
関係ないけど就職活動中に、この文学少女から二次関数を教えてくれと言われ、片想いしていた自分はそのためだけに都内にまで足を延ばしたことがある。いいように使われていたなあ、自分。あいつには二度と会いたくないが、元気にしているかどうかだけは気になる。
めんどくさいファンがいることで有名な作家。全集には第三稿や第四原稿が収録されており、比較するのも楽しい。俺は〇〇は好きだが〇〇が好きだと言ってるやつは嫌いだ、の○○に入れたくなる作家の一人。○○には「ライ麦畑で捕まえて」「村上春樹」「新世紀エヴァンゲリオン」「東京事変」などが入る(註:この四つのものとその愛好家に対する歪んだ愛情から来る発言です。僕も全部好きです。すみません)。サブカル系にはこれがモチーフになっているものが数多くあり、その点では「不思議の国のアリス」と並ぶ。
思想に偏りはあるが、独特の言語感覚や観察眼は今でもすごく好きだ。余談だが新書の「童貞としての宮沢賢治」は面白い。
知り合いにいつもぬいぐるみのキーホルダーを持ち歩いてかわいがっていた男がいたが、それで本人が落ち着くのならいいと思う。不安の多い世の中で、人が何か具体的に触れるものにすがるってどういうことなんだろう、って、ってことをこの作品を思い出すといつも考える。どこで読んだか思い出せなかったが、これもちくま文庫の全集でだった。
狭いコミュニティの中でこじれていく人間関係の話ではあるけれども、新潮文庫の場合は表題作よりも他の話のほうが気に入った。印象に残っているのは十二人の旅芸人が夜逃げする「時間」と、ナポレオンがヨーロッパの征服に乗り出したのはタムシのせいだったという「ナポレオンと田虫」。
実はこの作品は読めていない。谷崎作品は割と好きで、「痴人の愛」「刺青・秘密」「猫と庄造と二人のおんな」「細雪」は読んだ。「痴人の愛」という美少女を育てようと思ったら逆に飼育される話は自分の人生観に多大な影響を与えたし(例の文学少女に気持ちをもてあそばれても怒らなくなってしまったのもこれが遠因だろう)、「細雪」はただ文章のリズムにぷかぷかと浮くだけで心底気持ちがいい。ついでに、戦時中の生活が爆弾が実際に降ってくるまでは震災やコロナでただよう自粛の雰囲気とそっくりだったこととよくわかる。
ところで、最近久しぶりに谷崎作品を読もうと思ったら、ヒロインの名前が母と同じだったのですっかり萎えてしまった。というか、ここ最近趣味が「健全」になり始めていて、谷崎作品に魅力を感じられなくなっている。感覚がどんどん保守的になっていく。これはいかん。
高校生の頃に読んだのは確かに記憶に残っているのだけれど、高校生に川端康成のエロティシズムが理解できたかどうかはよくわからない。たぶんわかっていない。せいぜい伊豆の踊子の裸の少女を読んで、ロリコンを発症させたことくらいだろう。
太宰はいいぞ。自分は愛される値打ちがあるんだろうか、というテーマを本人の育った境遇やパーソナリティの偏りや性的虐待の疑惑に求める説は多いが、そういう心理は普遍的なものでもあり、だから多感な時期に読むとわかったつもりになる。芸術に何歳までに読むべきという賞味期限は原則としてないが、これもできるだけ若いうちに読んでおくといい。太宰の理解者ぶるつもりはないが。
もっとも、本ばかり読んで他の活動をないがしろにしていいものだとは全く思わない。あまりにもドマイナーな本を読んでマウンティングするくらいならバンジージャンプでもやったほうが話の種にもなるし人間的な厚みも出るというものだ。たぶん。
天才的。男性のあらゆる種類のコンプレックスとその拗らせ方を書かせたら彼の右に出るものは少なかろう。ただ、大学を卒業してから突然読めなくなってしまった作家でもある。息苦しくなるまで端正に磨きこまれた文章のせいかもしれない。
極限状況下でのカニバリズムをテーマにした小説なんだけれども、途中から戯曲になって、「食べちまう葬式ってえのは、あっかなあ」などとやけにのんびりした台詞が出てくるなんともユニークな小説。ただし、これは単なるブラックジョークではない。物語は序章、戯曲の第一部、第二部と別れているのだけれども、その構成にきちんとした意味がある。
人類全体の原罪を問うようなラストは必見。あなたは、本当に人を食べたことがないと言えますか?
祖父母の家から貰ってきた作品で、愛蔵版らしくカバーに入っていた。カフカにはまっていた時期だから楽しんだ。カフカの父親の影から逃れられない主人公とは別の種類の渦巻にとらわれてしまった主人公がだらだら、ぐだぐだしてしまうのだが、カフカが男性によって抑圧されているとしたら、こちらは女性に飲み込まれている文章だ。
未読。不条理な陸軍の中で、最強の記憶力を頼りにサバイブする話だと聞いて面白そうだと思い購入したのだが、ずっと積んだままだ。これに限らず、自分は戦争ものの小説・漫画をあまり読んでない。戦争に関しては文学よりも歴史書からアプローチすることが多い。
これは自分の悪癖だが、戦争ものになると庶民よりも知識人にばかり感情移入してしまう。
大江健三郎は初期の作品をいくつかと、「燃え上がる緑の木」三部作を読んだきりで、どういう態度を取ればいいのかよくわかっていない作家の一人だ。狭い人間関係の中のいじめだとかそうした描写に病的に関心のあった時期に読んだせいで適切な評価ができていない。
「燃え上がる緑の木」は新興宗教や原子力発電といった(結果的には)非常に予言的であった作品であったが、癖が強くカトリックの宗教教育を受けた自分であっても世界観に入り込むのに時間がかかった。「1Q84」よりもきつい。面白いが。
大学時代の友人に薦められて読んだ。「この家の主人は病気です」と、飢えて自分を食ってしまったタコの詩ばかりを覚えている。覚えているのはこれだけだが、この二つが読めたからいいか、と考えている。大体、詩集ってのはピンとくる表現がひとつでもあれば当たりなのだ。そして、それはあらゆる書物にも当てはまることである。
祖父が学生時代に送ってくれたのだけれども、ぱらぱらとしか読んでいない。
子供向けのものだった気もするし、近々原文にチャレンジするべきか。自助論(西国立志編)なんかと合わせて、自己啓発書の歴史を知る意味でも興味深いかもしれない。
読もうと思って読めていないけれども、これまたドナルド・キーンの本で面白い記述を見つけた。「墨汁一滴」の中に、つまらない俳句を乱造しているやつの作品にはどうせ碌なもんなんてありゃしないんだから、そういう連中は糸瓜でも作ってるほうがマシだ、という趣旨のくだりがあるそうだ。創作する上でのこういう厳しさは、いい。
「ローマ字日記」しか読んだことがない。たぶん日本で最初にフィストファックが描写された文学かもしれない。春画はどうか知らないけど。
堕落と言いつつもある種の誠実さについて語った本だった気がするが、それよりも新潮文庫で同時に収録されていた、天智天皇と天武天皇の家系にまつわる謎についてのほうが印象に残っている。
今は平日の朝5時台。
夜でも眠る気になれなくて、でもやることがないから2chを監視して新着レスの更新を押し続け、みたい動画もないから本当にやることがなくて、目が痛い。
転職サイトに履歴書職務経歴書を載せないといけないのに億劫でまだやっていない無職だ。
アルコールは飲む気になれないのでコーヒーを1日7杯以上は飲んでる。
風俗嬢と付き合ってるみたいな感じになっているが、学生時代の片想いみたいな感情と違いすぎて、これを付き合ってると呼ぶのは違う気がする。
しかしその辺をはっきりさせて関係を終わらせるメリットも必要性もないから、曖昧なまま会い続けている。
罪悪感みたいなものはやっぱり多分あって、それで心に澱が溜まっているかもしれない。
そもそも仕事がなくてやることがないから、何も考えないようにしている。
自分より頭が悪かった幼馴染は弁護士で、俺はなぜか匿名の世界でしか生きられない人間になっているって、なんだこれぇ。
状況を好転させようとやってることもあるけど、実になりそうな気がしねぇ。
でも、普通、友達なったりしても、そういう愚痴みたいなことって、言えないじゃん。
慰められるとかふざけんじゃねぇって思うわけ。
書き出してみて、状況は俯瞰して見れたよ。
別にまあ、ここから就職できれば、カードのリボ払いも返して、一人暮らしを始められる目も普通にあるわけ。
昔借金だけは絶対しないって思ってたのに、リボ払いとかアホやんって思ってたのに、返ってくるものですね。私が愚かでした。ごめん。
リボ払いするゴミになりさがったことを胸の内に抱えてたからモヤモヤしてたけど、カミングアウトすればたいしたことじゃないや。
先日も述べたように自分はポーの作品が好きではあるのだけれども、ミステリの黎明期は今でいうところの禁じ手を平気で使っているものが多く、純粋にストーリーを楽しもうとするとずっこけることがある。とはいえ、論理と推論をたどることによって面白い話を作りだすのを始めたのは彼なので、ミステリが好きなら読んでおきたい。確かに意外な真犯人ではある。
同じく、今でいえばお粗末な話も時折あるのだけれども、ホームズとワトソンの関係が好き。中でも「三人ガリデブ」でワトソンのピンチに思わず熱くなったホームズは必見。なんでこのシーンが好きなのかというと、聡明すぎてどうしても人を観察対象としてしまうホームズが、知的ではあるが彼ほどではないワトソンを心から思いやっているからだ。知的に対等ではない人間を愛することができるかどうかは、鋭敏な知性の持ち主にとっては人生最大の試練だ。女性人気が高いのもうなずける。
ルパンシリーズのこの巻だけ親が買ってくれたし、何度も読み返していたのだが、なぜか続きを読もうとは思えずに現在に至っている。ミステリというよりは冒険小説に近い気もするが知恵比べ的な面もあり、そこが面白かったのかもしれない。しかしそうすると、これをミステリ100選に入れるかどうかは迷う。ライトノベルの定義がライトノベルレーベルから出ているかどうかだとすれば、東京創元社か早川書房から出てはいるからミステリとしてOKかもしれないが。
自分は新世界の神になれると信じて殺人を犯したのに日和ってしまい、純粋なソープ嬢に救われる話。これも謎を解くというよりも心理戦を描いている。心理戦というかやっぱりドストエフスキー名物の神経質な人間の独白だ。基本、ドストエフスキーの登場人物にはまともなやつなどおらず、この作品も例外ではない。主人公の妹をつけ狙うロリコン野郎だとか、娘がソープで稼いだ金で酔いつぶれ、その罪悪感からまた飲むというどうしようもない親父だとか、神になり切れなくてプルプル震えている主人公だとか、そういうキャラが最高なのだ。これではまったらドストエフスキー五大長編を制覇しよう。ミステリじゃないのがほとんどだが、心配はいらない。ドストエフスキーの過剰な語りにはまった人間の前ではそのようなことは些事だ。
ちなみに高野史緒「カラマーゾフの妹」は二次創作小説として最高なのでみんな読もう。
こういう非人道的な植民地を持っていた王様の銅像だったら国民から倒されても文句は言えんよな、的なベルギー領コンゴをモデルの一つとしているのだけれども、これってミステリかね? ひたすら謎の人物を追いかけて、地理的にも深いところへ分け入っていき、目的の人物と出会うが彼はあっさり死んでしまうというあらすじは、神話的な単純さと力強さがあるが。クルツは何を恐ろしがっていたのかで語り明かしたい本である。
自分は育ってきた境遇上英米のわらべ歌(マザーグース、ナーサリーライム)は身近に感じるのだが、そうではない読者がどこまでこの趣向を楽しむことができるかどうかはわからない。
この作品で特筆すべきことは、探偵が犯人と対決するときの命を懸けた大博打だが、今の倫理的な読者はこの方法で犯人を裁くことが適切と考えるかどうかはわからない。ミステリにおける倫理(後期クイーン問題とかそういうの?)を語るなら読んでおきたい。
確かに単体で一番面白いのはこの作品だけれども、せっかくだからドルリー・レーン四部作は一気読みしたい。ただ、衝撃の真犯人といわれても、すっかりすれてしまった現代の読者からすればそこまでショックを受けないかも。そういう意味では登場人物の反応も大げさに見えてしまう。
個人的には「Zの悲劇」以来(テコ入れのために?)登場したペイシェンスという活動的なヒロインが女性史の観点から興味深い。当時としてはすごく斬新なヒロインだったんじゃなかろうか。恋人と一緒にパンツを買いに行くし。
クリスティはどれを選ぶか迷う。ただ、わらべ歌物の中ではなじみが少なくても楽しみやすいんじゃなかろうか。一人ずつ減っていくという趣向は非常にわかりやすい。謎を解く手記が多少不自然といえなくもないが気軽に読める。
ちなみに舞台版ではハッピーエンドに改作されているのもあるとのこと。
「チャーリーとチョコレート工場」など児童文学の作者としても知られる。児童文学ではスパイス代わりだった毒がメインディッシュになっている。
ところで、読者諸氏は年末に「岸部露伴は動かない」をご覧になっただろうか。ドラマ化されていないが、シリーズの中に命を懸けて賭けをする場面がある。あるいは、「ジョジョの奇妙な冒険」第五部でライターを消してはならないという賭けが出てくる。その元ネタとなったと思しき「南から来た男」が収録されているので、ジョジョファンは一読をお勧めする。オマージュや翻案とはこういうのを言うのか、って気持ちになる。なお、ダールは「奇妙な味」の作家としても知られている。
筆者はフィリップ・マーロウの良さがわからない。必要のない危険にわざわざ飛び込んでいき、暴力的な人間を挑発する。ただし、この作品が日本の文化に与えた影響は大きい。
ハードボイルド小説以外から例を挙げよう。一つは村上春樹のいわゆる鼠四部作だ。「羊をめぐる冒険」での鼠の足跡を訪ねてのクエストはチャンドラーの強い影響を受けている。あるいは「ダンス・ダンス・ダンス」の警官による拷問や親友の犯罪が明らかになるシーンの元ネタも見つけることができる。一度村上春樹の登場人物の系譜はどこかでまとめておきたいと思っている(村上春樹のヒロインをまとめていた増田と自分は別人)。
もう一つは「スペースコブラ」の「坊主… 口のききかたにゃ気をつけな… オレは気が短けえんだ!」「腹を立てるとなにをするんだ? うさぎとワルツでも踊るのか」の元ネタがあること。「……俺は頭が切れやすくってね」「頭が変になったら何をするんだい? 地リスとタンゴを踊るのか?」。どこがかっこいいのかは残念ながら筆者にはわからなかった。
エーコについては書きたいことがたくさんある。キリスト教と笑いについて問いを投げかけたこと、中世を舞台にしているようで当時のイタリアについての無数の言及があること、それから次の名言。「純粋というものはいつでもわたしに恐怖を覚えさせる」「純粋さのなかでも何が、とりわけ、あなたに恐怖を抱かせるのですか?」「性急な点だ」
しかし、この作品で一番深刻なのは、キリスト教文学であるにもかかわらず、主人公の見習い修道士以外の誰もが、誰のことも愛していないことだ。キリスト教とは愛の教えであるはずだ。弱いものに施したことは、神に捧げたことになるはずで、福音書にもそう書いてある。しかし、修道士たちは貧民を見捨てて権力争いに明け暮れ、異端審問官たちは民衆を拷問し、主人公を導くはずの師匠も人間を愛していない。彼が愛しているのは知識だけだ。
主人公は、言葉の通じない村娘とふとしたきっかけでたった一回の性交を行い、彼女に深く恋し、それでも魔女として告発された彼女を救えない。彼が村娘の美しさを描写する言葉がすべて、聖書からのつぎはぎなのが痛々しい。
勿論、知的な遊び心にもあふれている。主人公の不可解な夢の持つ意味を解き明かした師匠は「もしも人間が夢から知識を得る時代が来たら世も末だ」という趣旨の台詞を漏らすが、これはフロイトへの当てこすりである。同じく、深刻な場面で、とあるドイツの神秘主義者が「梯子をのぼったらその梯子は不要なので捨ててしまわなければならない」と述べたことが言及されるが、ウィトゲンシュタインに言及したジョークである。中世にこんなセリフが出てくるはずがない。
難解かもしれないが何度でも楽しめる。なんだったらあらすじを知るために映画を先に見てもいい。ちなみに、この映画のセックスシーン、村娘が修道士を押し倒すのだけれども、多感な時期にこんなものを見たせいで女性が男性を襲うアダルトビデオが好きになってしまった。そういう意味でも自分にとっては影響が深い作品。
人間嫌いだった筆者が最高に楽しんだ本。文明が野蛮に回帰していくというモチーフが好きなのだ。何を持って野蛮とするかは諸説あるが。大体、中高生の頃は自分を差し置いて人間なんて汚いという絶望感に浸りがちで、そういう需要をしっかりと満たしてくれた。舞台と同じ男子校出身だしね。
三部作の一冊目。実はこれ以外読んでいない。読んだ当時は、双子たちのマッチョ志向というか、とかく異様に力を手に入れようとするところだとか、著者がフランス語で書いたにもかかわらずフランス語を憎悪しているところとかが、何とも言えず不快だった。
今読み返したら、双子たちが過剰に現実に適用しようとする痛々しさや、亡命文学の苦しみに対してもっと共感できる気がする。個人的には頭が良すぎて皮肉な態度を取り続けるクンデラのほうが好きだけどね。「存在の耐えられない軽さ」よりは「不滅」派。
子供の頃より腕力がなくてやり返せず、口も回らずにいつも言い負かされ、片想いしていた女の子といじめっ子が仲良くなるのを横で見ていた自分にとって、自由と財産と恋人を奪われたことへの復讐を主題としたこの作品にはまることは必然であったと思う。とにかく面白い。特に、モンテ・クリスト伯が徐々に復讐心を失っていく過程が、非常に良い。
大人になって完訳版を読むと、ナポレオン時代の国際情勢を背景がわかってさらに面白かった。
犯人当てや宝探しなど派手な展開がてんこ盛りだし、犯人の動機の一部は自分が醜悪に生まれたことに端を発しているから、貧困とか弱者とか非モテとかそういう問題に敏感な増田にとっても議論の題材にできそう。
読んだからと言って別に正気が失われないけれども、チャカポコチャカポコのくだりで挫折する読者が多いと聞く。大体あの辺りはあまり深刻にとらえず、リズムに乗って楽しく読めばいい。スチャラカチャカポコ。
話のテーマは、基本的には原罪的なものだろう。自分が人を殺しているかもしれないという恐れ、親の罪を受け継いでいるかもしれないという恐れ、それから生きることへの恐れだろうか。
難解な雰囲気は好物だが、かなり自己満足的でもある。ヴァン・ダインの二十則破りまくりだし。言葉の連想テストで犯人を指摘し、余計な情景描写や、脇道に逸れた文学的な饒舌にあふれ、探偵があっさり暗号を解読して、事件の謎を解く。作者の知識の開陳を素直に楽しみましょう。ただ、これ読むんだったら澁澤龍彦の本を何冊か買ったほうがお得であると思うし、膨大な知識が注ぎ込まれているがリーダビリティの高い点でもエーコに軍配が上がる。
差別用語が出てくることで有名で、先ほど出てきたわらべ歌による見立て殺人の影響を受けている。
血のつながりによる犯行の動機や、実行の決め手となる偶然の出来事、その皮肉な結末が個人的に好き。自分は謎を解くことよりも、犯人たちの心理状態、特にその絶望のほうに興味を持つからだろう。
メタフィクションを個人的には愛好しているのだけれども、話が入り込みすぎていて結局どういう話であったか覚えていない。巻末の書き下ろしのおまけで、探偵が少年にパンツの模様を聞くシーンがあったことだけを覚えている。
とはいえ、癖のある登場人物から、大学の文学やミステリサークルの雰囲気を思い出して感傷に浸るのにはおすすめか。大体、小説を好きこのんで読む人間は大抵どこかこじらせているものだし、読みたいリストや他人にお勧めする本リストを作り出したらもういけない。そしてそんな奴らが僕は大好きだ。
以上。