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2024-04-01

うちの会社には窓際に社員がいる

所謂窓際族”というもので、俺が入社した当時から居る。

彼とは一度も話をしたことがなく、風貌からして自分父親と同じぐらいの年齢かもしれないなと漠然と考えていた。

しかし彼が仕事らしきものをしているところを一度も見たことはなく、そもそも誰かと話しているところさえない。

日がな一日、ただぼぉーっとあの席に座っているのみである

たまにチラリと視線を送ると目が合うことがあり、そのときには妙に焦りすぐさま視線を逸らしたものだ。

うちの会社大手ではないし、別段それほど儲かっているようにも思えない。

まりお荷物社員をずっと置いておけるほど余裕があるようには感じられず、彼の存在一種の謎であり、興味を惹かれるものの深入りする気にまではなれなかった。

そんな彼だが、今日4月1日。といっても業務に変わるところはなく、ふと何気なく彼のことを見るとこそばゆそうにしており、くしゃみの前段階を匂わせるように顔をくしゃらせ僅かにのけ反った。

「ふぃくしょーん!!!」

彼は大仰にくしゃみし、その声はフロア一面に響き渡った。

俺はなるほど、と思った。つまり、そういうことなのだなと。

2024-03-31

なぜ人を殺してもいいか

なぜ人を殺してはいけないかかいくらやってもさ

実際いま世界中で殺しまくってるからあん意味ないよな

もう賭け麻雀みたいな状態じゃん

しろ漠然と殺してはいけない理由を探すより「なぜ人を殺してもいいか」を突き詰めた先にどうしても排除できないものを探したほうが辿り着けそうじゃない?

2024-03-30

「この読み切りが凄い」みたいなのが欲しいよね

面白い読み切りを見つけたいんだけど、読み切りって本当に一瞬だけ話題になってそのあとはもうずっと名前を聞かないってことが多いじゃん?

そのあとは作者が短編集出すときに収録作品リストで改めて話題になるぐらい。

俺はそういうった作品でまだ俺が読んでないのが多すぎて悔しんだよ。

からどっかでランキングを作ってくれないかなと。

年に1回ぐらい、その年に伸びた読み切りベスト100を決定するようなイベントがあってもいいと思うわけよ。

ぶっちゃけ、今ある漫画賞みたいなのってどれも「あーはいはい既に売れているよねー」ってのばっかじゃん?

単行本の売り上げランキングソートかけて売れている順に選んでるんじゃねーかみたいな状態

あれって漫画を日頃から読んでる人は知ってるようなのばっかだし、漫画あんま読んでない人も書店に行けば漠然とみたことあるのばっかでさ、宣伝としてもあんまり意味がない気がするんだよ。

その点読み切りだったら、ネットで2週間ぐらいバズったらもうずっと下火になる所を、年に1度改めて引っ張り上げて総決算してみる意義はあるんじゃないかなと思ってね。

年に3つぐらいは「半年前に読んだあれ面白かったなー」みたいなのがあると思うんだよね。

まずは一次予選として各WEB漫画誌ごとにアクセス数上位20+編集者推薦枠5みたいな感じでエントリー選手を決めていって、そっからユーザーがバシバ投票して最終的な結果を出してみるってのは面白いんじゃねーかなと。

雑誌系の読み切りについては一部のオタクしか分からんだろうから有識者オタクを20人ぐらい集めて選考かねえ。

入選したらWEBリバイバル掲載するとかしたら作者の名前が売れて面白いんとちゃう

漠然水原さん逮捕されたイメージだったけど

ドジャース解雇されただけか

よかった泥棒はいなかったんだ

anond:20240330000651

選択的子無しなだけだよ

子供作るかどうかなんて夫婦問題なのに旦那の方は完全スルーなのがいかにも

清野とおる: 若い頃は漠然結婚したら、当たり前のように子どもを持って、それが自分幸せにも親孝行にもなるんだろうなとは思ってはいたのですが、考えが変わったのはいつ頃だろうな。もし、今のこの日本経済下や地球環境含めて、自分が生まれていきたいかと言われたら、僕は生まれたくないなと思うんですよね、いろんな意味で。そう思っている時点で、子どもを持つ資格はないと勝手に思っているので。しっかり子育てされている方々は立派だなと思います。僕なんて、親になる自信は微塵もないです。これに関しては結婚から壇さんも僕と同意見でしたね。

https://news.yahoo.co.jp/articles/1d9d94991e5ef851be4e858563b514d025861205?page=3

籍を入れる前に、清野さんは自分のことを「末代意識高い系から自分の代で終わってもいいじゃない、ということ)」と言いました。私もそうだと同意したのが、お互いに子供より2人で生きることを優先していこうという確認表現でした。両家にも挨拶の時点で伝えましたよ。完全に理解していただけたかどうかは分かりませんが、「あなたたちが決めたなら」と言ってもらえました。

子供をもうけないことを伝えるのにも、勇気気合必要でした。何だかんだ言っても、孫の顔が見たいと言われる時代はまだ続きそうですから、流れに逆らうのは正直怖かったです。その代わり、私より年上の家族は必ず助け、看取る、先に逝くようなことはしない!と誓っています。母や父は少し安心してくれました。

https://www.yomiuri.co.jp/otekomachi/20220720-OKT8T345831/

25歳で死ぬつもりが大学院に進学してしまった

2024年3月、某大学大学院の修士課程を修了した。2024年4月から同大学院博士課程に進学する。

大学院では臨床心理学を学び、研究に勤しんでいる。

さてここで、折角なので、ここまでの自分人生を少しだけ振り返ってみようと思う。

俺は、地元自称進学校中学校を出て、地元商業高校に進学した。そこに行った理由は、高校卒業したらとにかく働きたかたから。

小学校高学年の頃から、家を出たくて仕方がなくて気が狂う寸前だった。そんなんだから生きることに意味なんか見出せなくて、「ちょろっと働いて小金を稼いで、趣味サッカーをそれなりに楽しみ、さっさと人生畳んでしまおう」というのが中3で進学先を考えていた時の完璧人生設計だった。

何故そんな設計かと言うと、毎日死にたくて堪らなかったから。今でも少し。本当に、死にたくて堪らなかった。生きてる意味がなかった。ほとんど毎日、親や学校教員から理不尽に責められ、侮辱され、殴られた。友人と思っていた人間から屈辱を受けた。生きてる意味なんてなかった。あるのは親への明確な殺意だとか、大人や友人、社会への怒りだった。大好きなサッカーだけはその感覚を少し忘れさせてくれたけど、それが続くのは90分だけだった。

本当に、死にたくて堪らなかった。今でも少し。生きてる意味なんてなかった。あるのは親への明確な殺意だとか、大人社会への怒りだった。それは今でも変わらないし、たまに自分の内側から顔を覗かせる。何かがずれていたら新聞の一面を鮮やかに掻っ攫っていただろう。

から、家を出たかった。サバイブするために絶対に抜け出さなきゃいけなかった。そのために、働いて家を抜け出して1人で生きる金を稼ぐために商業高校に通った。そこなら、高卒で働くのに有利だってって聞いていたから。3年耐えれば良いんだって、少し希望が見えた気がした。

20代後半まで生きてるつもりは想定してなかったし、できなかった。やりたいことなんてあるわけがいから、どうやって生きていけばいいのか、ほとんど分からなかった。

大学進学なんて微塵も興味がなくて自分には関係のない、想像もつかない世界の話だと思っていた。現在通っている大学院が旧帝大と称され、世界で有数の教育研究機関だなんてマジで知らなかった。

仰々しいかもしれないけど、もう本当に、とにかく目の前の一日を誰にも脅かされずに、心穏やかに慎ましく生きるために必死だった。そんな一日だけがしかった。その一日を安定して手に入れて、噛み締めるためには最低限の金が必要だった。

運が良いことに、その高校自分に合ってて、自分を受け入れてくれる最高に面白い人達にも恵まれた。バイトもして、稼いだお金は家の外で過ごす時間に充てた。そのおかげで家にいる時間も少しずつ減らすことができるようになってきていた。

さて、こうなると「意外と楽しくなってきたし、もう少し長く人生やろうか」なんて考えそうだが、それでも当初のプランに変更はなかった。心の渇きは潤わず、やり場のない怒りが消えるわけもなく、遅くても30歳で終了だと漠然と考えながら日々の空虚感を味わっていた。

3年間耐えれば全ての苦しみから解放されるはずだと、そんな未来祈りながら高校時代生活サバイブしていた。高校マジで毎日が楽しくて仕方がなくて、今更すぎるけど本当に関係者に超感謝してる。

そしてどうしてか、家を出て関東大学に4年間通うことになり、入ったゼミで最高の恩師と先輩・友人・後輩に出会ってしまった。

ここで完全に人生設計が狂った。

毎日が楽しくて仕方なくて、自分の居場所が少し見つかってしまった。自分が役立てる瞬間だとか、できることに気がつく瞬間にどんどん遭遇してしまった。ここでも人間に恵まれしまい、人生を取り戻したいモードに心が傾いてしまった。大学時代出会いは、本当に、人生が変わってしまうほどのものだった。感謝してもしきれない。

本当に、大学生の時は明日が来るのが全く怖くなかった。何なら楽しみで仕方がなかった。高校生までは、あんなに嫌で堪らなかったのに。眠っている時間学校にいる時間のみが心の安寧が保たれる時間であることに心底腹が立ちながら、勘弁してくれよって思いながら、そのまま一生起き上がらないことを祈りながら床についてたのに。

働いてさっさと死ぬつもりが、気がついたら大学院まで行き、修士を修めていた。今は博士になろうとしている。こんな人間大学院に進学しているなんて、人生はわからない。本当に運が良くて、人に恵まれたと思う。

といった感じで、俺はこんな人生を送ってきた。

俺について、周りの友人からは「よく分からない人間だ」と言われることが多い。

自分のことを基本的に話さないから当然だ。こんなことは話せないし、話すのが怖くて堪らない。話したところで何かが変わるわけでもないし誰も助けてくれないから、自分解決しなきゃいけないことだから、話す必要がないと思っていた。話してはいけないとも思っていた。それに、それでここまで上手く立ち回ってこれた。

けど、人に自分のことを話せないって超辛いんだなって最近理解できた。

俺は、自分のことを誰かに理解してほしかった。「君は悪くない」と誰かに言ってほしかった。

そんなことは人に伝えられないから、自分はタフで強いんだと言い聞かせて、そうあらねばならないと思っていた。自分1人で生きていけるように振る舞い、悩みを隠してなるべく人に頼らず生きていた。そのせいで「悩みがなさそう」とよく言われる。そんなことはない。

大学院まで進学して、完璧に強い奴はどこにもいないんだと気づいた。周りにその強さを求めていたけど、そんなの無理なんだって気がついた。自分が一番苦しい思いをしているって驕りがどこかにあった。そんなことなくて、何かしらの傷を皆が抱えていて、それでも必死に生きているんだと気がついた。反省した。そう思うと同時に、少し心が軽くなった。

今、少しずつ自分大事にして、心が充電されてきている。ようやく失った人生を取り戻せるところに来ている気がする。

博士課程に進学が決まり、少なくともあと3年間は生きてることが確定した。残りの人生設計はこれから考える。それくらいがちょうどいい。多くは望まないから、俺はそれで良いんだ。

2024-03-29

「話合いが苦手」とはどういうことか教えてほしい

マッチングアプリで知り合った人と付き合って、なにかしら問題を感じる→話し合えない→破綻、というパターンが続いている。

私としては「問題があるなら話し合おう。自分から見えているもの、感じていること、どうしたいか/してほしいか希望を出し合って、お互いに良いと思えるところを探そう。トライしてどうしても妥協できなければ別れを選択肢に入れよう」という感覚で、「長い付き合いでは問題も必ず起きるのだから、話し合いは避けて通れない」という考え。

相手は「問題を感じたら自分の中で消化する。相手には伝えない。我慢しきれなくなったら別れる」というようなポリシーに見える。説明してはもらえないので、正確なところはわからないのだけど。

なぜなのか、わかる人がいたら教えてほしい。

以下は私に思いつく仮説と、観察結果:

  • 気軽な関係を望んでいる

=楽しいことだけ共有したい。話合いのような面倒くさいことをするくらいなら独り身のほうがマシ?

→少なくとも口では「人生パートナーを求めている」と言うし、一緒に暮らすことを提案してくれたり、実際に同棲したりしている。元彼のうち一人は話合いを避けるがあまり適応障害メンタルクリニックに通うに至り、そこまで追い詰めてしまった申し訳なさと共に「そうなる前になんで言ってくれなかったの…?」という困惑がすごい。もう全然気軽じゃない。

  • 「この人に言っても無駄だ」と思っている
  • 責められているように感じて精神的につらい

=私が感情的だったり責める口調だったりして、話す気になれない?

反省する点はたくさんあり、謝ったこともある。ただ、言い方については常に考えていて、「長く一緒にいるために話合いがしたい。自分が正しいと思っているわけではなくて、自分なりに考えて思っていることがあるから聞いてほしいし、あなた見方を教えてほしい」というような言い方をしても話合いにならない。「わからない」のような返答だったり、関係ない方向へ話が逸れていったり。

=自分の考えをうまく言葉にできず、その間にこちらが話過ぎてしまってさらに混乱させている?

→これは大きいのだと思う。「紙に書きだそう」「時間必要なら言ってくれれば待つよ」「文章でやり取りしよう」「伝わっていないなら私の言い方が悪いのだと思う。わからないならわからないと言って質問してほしい」など提案してみたけどうまくいかなかった。そういえば質問しないし意見を言わない人って会社とかでもいる…

けど、彼らの能力問題と見做すには時期尚早?頭のいい人たちだと思うし、それは学歴職歴に表れている。恋愛人生のような漠然としたものについて話すのは勉強仕事について話すのとは違う?

説明してよー!と思ってしまうのが私の限界で、なにかあるのかな。説明してさえくれれば真剣検討するし実践もしてみたいと思ってるんだよ…

誰か教えてください。

2024-03-28

anond:20240328020829

増田もそうなんだけど、ブクマカってマジになることがないからね

ガチマジでやってコケた時のことが怖いから、浅瀬でピチピチチャパチャパやって遊んでるだけ

ブコメでイキリ正義カマシてる右左も同様。別にガチじゃないので突っ込まれると逸らして逃げる

コイツラが加齢と人生クエスト処理して「人の親である」というのが増えてきて、それなりに暗い気持ちになってる

こんな連中のガキの素養に対する漠然とした不安

anond:20240327173811

もしそういう立場自分がなったら、総理でい続けることを目的にするわけじゃないじゃん。

給料安いし、さほど美味い汁があるわけでもないし、やり玉に挙げられるし。

たぶん、岸田だってそうだよ。

どの自民議員も、自民総裁総理大臣の椅子が、基本貧乏くじなことぐらい知ってる。

 

からタイトルの答えは、さっさと降りるだ。

自民本体への被害を気にしないならそうなる。

 

なんかそういうところ認識ズレてると思うんだよな。

漠然と、権力者は悪い奴で権力にしがみついている、みたいな認識しかないというか。

全年齢向けで二次創作オリジナル漫画を上げていた人が、いつの間にかfantiaだかfanboxだかを始めており、投稿は下書きで完成品をそこに上げるようになっていた。

それからまた月日が経ち、その人は成人向けの絵を描くようになった。肌露出部分を隠した絵を投稿し、それを取っ払った名実共に成人向け状態ものをfantiaだかfanboxだかに上げている。

本人が何を思って路線を変えたかはわからないし、本人の勝手ではあるものの、まるで収益性がその人の作風を左右したかのように見えて漠然と切ない気分になった。

2024-03-27

追記】なんとかなりたくてADHD診断受けに行ったら泣いた

診断に行ったけどADHDじゃないって言われて惨めな気になって終わった話。まぁでも学ぶこともあったので、同じような気持ちの誰かの参考になるかもと思ったので書き留めておく。

仕事が何も上手くいかなくて落ち込んで、もしかしたら自分は軽度のADHDなんじゃないだろうかと思った。なので、とにかく一番近い病院を予約した。

診断でADHDじゃないと言われるのは怖さもあった。けど毎日苦しすぎてとにかく誰かに助けを求めたかった。例え結果がADHDではないと言われたとしても、鬱屈した気持ちを抱えたままよりかは、専門家に何かしら助けを求めた方が良いと思った。

それで病院受診したが散々だった。

一応ネットでその病院ADHD相談を受け付けているかどうかは確認していたが、検査まではやっていなかった。

予約した時点で聞いておけば良かった。完全に自分が悪いのだが、惨めな気持ちになって自己嫌悪が深まった。


検査はできないが話は聞いてくれるようなので、診察は受けることにした。

先生ADHDっぽいと思った理由は?今働いてる?」

最初にこんなことを聞かれてたので、仕事ミスをしていたことと、今は出社できていることを伝えた。

そしたらあっさり「ADHDじゃないね」と言われた。

素直な気持ちを言うとショックだった。全然深く聞いてくれないうちから言われても、お前に何がわかるんだと言い出したくなる気持ちだった。

先生としては問題なく出社できていることと、席を立ったりせずこうして診察を受けれていることからADHDではないと判断したみたいだった。


その後、軽い質問があったが「仕事に慣れなくて疲れが溜まってるんでしょ?」「出社できてるなら大丈夫から」と言われた。自分の欲しい答えがもらえなかった自分は、もう先生言葉を素直に聞けなかった。

自分状態を決めつけのように話されているようにしか感じなくてその場で泣いた。泣きながら早く帰りたいと思った。

なんでもいいから早く終わってほしくて、全部「そうですね、そうだと思います」で返した。もう悩みを話す気になんてなれなかった。

診察時間10分かそれに満たないぐらいだったと思う。会計で2000円ほど払った。

何も自分気持ち解決してないのに2000円???

安い金額だが、金をドブに捨てた気持ちになった。

別にADHDじゃなくても良かった。それきっかけでなにか相談のとっかかりになればいいと思っていたが、結果は何もなかった。

病院出たらダッシュで近所の川に行って大泣きした。

非常に惨めでしにたくなったが、今冷静な頭で振り返るとまぁ学びはあった。

・まず診断を受けたいと思ったらちゃんと予約時点で診断をやっているかどうかを聞くこと

 →マジでこれは私が悪かった。大反省

・おそらく診断を受けた方がよい人というのは、薬の力を借りないと日常生活が難しい人のこと。

 →精神科心療内科カウンセリングで何やら色々違うらしいと後から知った。病気に対する治療必要なら診断を受けた方がいい。

逆に私は会社に出社するという日常生活はできているので、治療よりも誰かに悩みを聞いてもらうカウンセリングというものの方が必要だったのかもしれないと自己分析した。

何もかも嫌でとにかく楽になりたくて病院に行ったが、診断書を貰う目的を何も考えていなかった。

私は日常生活をなんとか送れているので、相談できる人が欲しいと思っても、診断書必要サービス(障害者雇用とか薬とか)を受ける必要はない。ここに気付けたのは良かった。

なので、セカンドオピニオンは受けなくてもいいかなと思っている。次は診断ではなく、どこかのカウンセリングを受けたいと思っている。

もし自分ADHDかもしれないと思っている人がいれば自分診断書必要かどうかを一度考えてみるのも手かも知れない。思いつきで診断に行ったって惨めな気持ちになって終わるだけだから

それならもっと他のことに2000円を使った方が有意義だ。


追記

勢いのまま書いた文章に反応ありがとう。思ってたよりも人に見てもらえてびっくりしている。

いろんなコメントを貰って自分の中の視野が広がったので本当にありがたい。

最後は尻切れトンボのように雑に終わらせてしまったのでちょっとした補足と、貰ったコメントへの返信をしたいと思う。

セカンドオピニオンを勧めてくれるコメント

→これは本当に心を救われた。大人ADHDに対する理解は想定してたよりも世間で進んでなくて、みんな通る道っぽい。そんなもんなんだと苦しさが小さくなった。ありがとう

ちゃんとした知能検査を受けてADHDではなかったとしても自分の特徴を知って対策を練れるのはいいなと思ったので、めげずに検査できる場所を探すのもありかも知れないなと思った。

担当してくれた先生がいい先生だというコメント

個人的感情を正直に言えば碌に話を聞いてくれなくてむかついたのだが、医者としての判断は正しかったんだろうなとは思う。

働けてるのに「病人」になって働けなくなったら元も子もない。薬についてはまったく詳しくないが、副作用の話などもよく聞くのでそれで出社できなくなるのは確かに嫌だ。医者患者を増やしてどうする的な。

それはそれとしてヤブというコメントを見て感情は幾分かスッキリした。先生すまんね。

・診断の目的をなんでADHDにしたのか系のコメント

→これは本当にそう。今考えると冷静じゃなかった。

仕事で滅入ってる時にたまたまADHDの話を見て、もしかたらこの辛さはADHDからなんじゃないか?そうに違いない!という思い込みというか、縋るような気持ち検査を受けてみたいという発想に至った。

(ネット上にいっぱいあるセルフ診断を受けて可能性があるという結果だったのも一因)

後、これは完全に自分の甘っちょろい考えなんだけど、例えADHDじゃないと言われても「ADHDな気がするんです」→「結果は違いますね。ですが、増田さんに困り事はあるのは事実なので、別の方向で一緒に考えていきましょうか」みたいな流れでなんとかしてくれないかなと思ってた。漠然となんとかなりたいって気持ちだけで持っていって後は丸投げなんだから嫌な患者すぎる。

なのでADHDかもって思ったのはきっかけに過ぎない。

医者は薬を出してくれる人というコメント

→これは今回受診して初めて気付けたことだった。医者あくまで薬という手段治療を手伝ってくれる相手であって慰めてくれる相手ではない。慰めや相談が欲しいならまずカウンセリングなどを受けるべきだったと思う。

今後大事にしたい考えとしては「目的を持って受診しろ」ということだ。

本文にも最後に書いたが、この目的意識に関する話をコメントでも多く貰った。

漠然となんとかしてくれるなんて気持ち受診するのはよくない。

(これは自戒なので否定的に書いたが、助かりたいと漠然とした気持ちでも誰かに相談するのも悪いことではない。しぬよりはマシだし、相談する一歩を踏み出せるのは偉いと思う)

どこかの本でも書いてあったが、診断をもらったとしてもそこがスタートであってゴールではない。診断書を貰って障害者雇用に回ったりだとか、薬を飲んで社会生活に戻りたいだとか、そういう具体的な未来像がないといけない。手段目的すり替えていた。

改めて今後の自分としては、カウンセリングでまず自分が何に悩んでるのかを具体化して、その悩みが努力だけでは解決できにくいようであれば、セカンドオピニオンに行ってみようと思う。

発達障害コミュニティなどがあることもコメントで教えてもらえたので、そういった場にいくのもあり。

自分と同じように「ではない」判定を貰ってる人も沢山いるだろうから、この話がなんらかの手掛かりになれば嬉しい。厳しい道だけどお互いになんとかなろう。

ちなみに川で泣くの割と良かった。家だと布団に引っ込んで出勤までの時間があっという間だが、外だと時間ゆっくりでいい感じ。外出るの大事信者の言い分が分かったわ。

さらちょっとした余談】

増田!お前それはADHDだよ!」と同意を貰いたい訳ではなかったので省いていたが、自分がかも知れないなと思った要因を書いておく。似てる人はあるある〜ぐらいにでも思ってくれ。多分不注意が強いタイプ

・締め切りがあるものギリギリまでやらない。夏休みの宿題最後まで忘れましたで通した

・「次は〇〇の作業をするぞ」→PCフォルダ開く→「何しようとしてた...?」(しばらく考えたら思い出せる)

上司から指示を受けている途中、後ろで誰かが話しているとそっちの会話を拾って上司の声を拾えなくなる

議事録作成で何度も見返すのだが、上司チェックを通すと誤字が見つかる(しかも直した筈の箇所が直ってなくてアレ?になることもある)

・人の前では多動っぽい症状はでないが(親に昔怒られたので)、一人の時はつま先を揺らしたり手首揺らしたりなんらか動いてる。人前でも感情が昂ると揺らしてしまう。

優先順位がつけられない。新しく仕事を頼まれるとそれに集中して、それまでやってた仕事を忘れる。(備品整理してる途中に別の仕事任されたんだけど、床に備品出しっぱにしてて怒られた)

自分ADHDだ!と思ったら、その日の退勤後に即病院に足を運ぶ。ワンチャン予約なしで見てもらえないかなと思った。そんな訳ない。(思いつきと衝動)

他にもあるけど大体こんな感じ。

基本的自分はやらかすと思っているので、その前提で動くことでなんとかギリギリクビになるような大ポカはやらさずにすんでいる。

部屋出る前に部屋を一望する(物を出しっぱにしてないか)、帰る前にポケットに手を突っ込む(会社の物を持ち出してないか)とか。

そんな感じでなんとかやってたんだけど、ここ最近特に上手くいかないことが多くて悩み、一番上に戻るという感じ。

構ってもらえたのが嬉しくて長々と書いてしまった。

見てくれてありがとう

最後の補足】

このまま締めようと思ったんだけど、書き方が悪かったのでこれだけ補足しておく。

今は自分ADHDであるかどうかということは考えていない。一旦棚上げしてる。

ADHDじゃなくて鬱とか他の症状なのかもしれないし、普通に仕事キャパオーバーで落ち込んでるだけかも知れない。

なんでこんなに辛いんだ?っていうのをカウンセラーと話して見つけてくるよ。

2024-03-26

味の素、そして次は国産論争へ

いずれ味の素と同じ構図で「国産問題が起きるだろう。

これに言及している料理人専門家は皆無なのでここに記録しておく

後年話題になったときに、

「あぁそれね、俺は大昔から言うてたけどね」鼻ツーン

颯爽とこの日記エビデンスとして出すのだ

 

さて、本題、結論、「今や国産よりも外国産の方が安全です」ドーン

 

消費者の大半は漠然と「国産」が安全安心だと思い込んでいる

味の素と同じ、情緒

 

輸入食材と言えばオレンジ牛肉から始まった

国産業者抵抗キャンペーンを張り、輸入品ヤバい宣伝消費者に刷り込んだ

これが未だに生きている

 

古いんです、知識が古いんです

 

オリンピック国産食材は使えなかった

2023年東京オリンピック選手村では選手たちに日々の食事提供されるのだが

主催者IOCリスクのある食い物を世界トップアスリート達に提供できない

IOCは厳格なレギュレーション要求しており、その一つがGlobal-GPA取得。必須事項。

国際的農業認証農業ISO、内容はググレカス

世界食品流通はこの認証を取得していなければ事実上国境を超えられない、スーパーには卸せない。日本を除いて。

日本はG-GAP取得率が極端に低いのでオリンピック供給できなかった。

 

苦肉の案で、選手村の外に日本レストランを作りIOC管轄外で選手自己責任で食うてくださいという屈辱的な施設が作られた。

選手選手村しかメシを食えないわけではない、勝手に出歩いて自費でそこらでメシを食うても構わないのだ。そういう建前

 

なぜ日本だけG-GAP取得が進まないか

理由は「輸出しないから」、だって食料自給率5割だもん

 

Global-GAPを取得している農家世界で20万経営

日本のG-GAP取得農家は750経営体、ちなみに日本全農経営数は100万経営

 

世界基準で言えば日本農作物は、正当な認証下で生産されてない、安全性が担保されてない、得体のしれない食い物、です。

 

そんな認証なくても日本農家は善人しかいないので問題ない、厚労省だか農林水産省ちゃんとやってるもん、日本は凄い国だもん

ふーん

 

農薬

耕作面積当たり農薬使用量という国際データがある。

日本イスラエル台湾の次の3位

中国の50倍の農薬を使っている

日本は高温多湿で欧米とは主要作物が違う、散布方法農薬の成分も違う、と言うのだが

かにその通りで、日本よりも劣悪な高温多湿の国でも日本よりも使用量は少ない国は多い

水田の米と乾田の小麦では流出する農薬の量が違うため多めに散布しなきゃならないというが

タイ日本よりも高温多湿は酷い、稲作をやっているが、農薬日本の100分の1

 

使用成分に関しても欧米では早々に使用禁止制限されたグリホサート、ネオニコチノイドなど日本では規制どころかむしろ緩和をした。

2015年、この時期欧米規制が始まったにもかかわらず日本

ロチアニジンアセタミプリドチアトキサムの残留基準値を緩和、フルピラジフロンを追加承認している。

欧米でまったく使えないわけではないが残留基準値は厳しかったり、成分規制があったり(クロチアニジンはほぼ使えない)、使用用途も葉物ではなく果樹、穀類に制限されていたり、散布方法制限されている。

日本はなーんの規制も無い。

ドローンを使った空中散布希釈倍数なども年々緩くなっている、農家から要望があれば議員はすぐに動く。

 

日本お話にならないほど酷いんです

 

農薬検査

年々検査を減らしてる、そもそも日本農水省検査意味を履き違えてる

「長年検査しているが検出限界以下が続いているのでこの成分検査辞めます

 

おーい

あ ほ で す か?

日本のお百姓さんは善人しかいないので規制成分を勝手に使わない

検査されないからと言ってそれを使わない、そんな悪人いませんキリッ

こーゆー前提なの。ナメてる?

 

外国はどんどん検査項目を増やします、検査は抜き打ちランダムにやります

日本のように農協通じて事前通告なんてしません。

海外不正がバレたらG-GPA認証を取り消され事実上出荷不可能となるので詰みます

 

農林水産省は「国内産農産物における農薬使用状況及び残留状況調査の結果について」という調査を毎年行っている。

古いもの平成15年から令和最新まで開示されているので見比べて欲しい。

年々調査対象作物を減らしているのがわかる。

さらに詳しいデータもあるのだけど調査項目、成分も毎年減らしていってるんです。

あんまりクロが出ないからやってもツマラナイ」だそうです。

 

小規模農業

日本の1農家あたりの経営面積は2ha

ヨーロッパ30ha

アメリカ100ha超え

生産作物が違う?

農家比較すると

日本、1ha

カリフォルニア、161ha

オーストラリア、51ha

中国、10ha(国営

日本は極端に経営面積が小さい。

不正ミスが起きやすい、高齢化も進んでおり近代化も進まない

日本農業経営」になってない、家庭菜園の延長にすぎない。

行政が厳しく指導しようとしても議員に泣きつかれる、大票田なので議員も動く

この悪循環日本農業近代化が遅れている

品質農業などできるわけがない、実際できてない。

時代的な農薬ジャブジャブの農業を続けている

経営単位が小さいので農業地域全体の面制御がしずらく農薬は過剰に使いがちになる

 

さな単位で暖かく目配りの効いた丁寧な農業、みたいな漠然としたイメージもある。

現代農業科学です、統計です、経営です。

その方が安全で安いんです。

 

でもでも、海外モノカルチャーで単調な食生活じゃん

これも幻想欧米外国スーパーマーケットにいってごらん。

日本よりも遥かに豊富で多品種です。

 

罰が甘い

2008年に発覚した中国ギョーザ中毒事件犯人無期懲役を食らっている。

その他にも、特に国際問題になった信用毀損に関して中国共産党は厳しく短期間の裁判判決を出し見せしめ的に死刑執行されるケースもある

 

海外農家はG-GAPで縛られているので不正は即認証取り消しで経営が詰む。

取り消しは容赦ないです。だから不正やらんです、検査も抜き打ちだからすぐにバレる

 

一方日本は、例えば熊本偽装アサリ事件、確かに健康被害は出ていないもののこの事件で訴追された人は一人もいない、軽い行政処分が出ただけ。

毎年なにかしら食品偽装不正が起きるが逮捕、訴追されることは皆無。

魚沼産コシヒカリ流通量が生産量30倍と言われ続けているが、何十年も行政放置したまま。認証制度罰則が整備されてないのでやりたい放題。

 

ここまで書いてやっても、

国産農薬とか少なめで善良なお百姓さんが心を込めて作っているので安全安心

味の素は毒

 

いいんだけどねw

2024-03-25

3回目の無料コロナワクチンを打ちそびれた引きこもり

自分は2年近く髪も切れておらず髪が胸の長さまで伸びて 無精髭も酷いほどの姿の引きこもりだが、6日ぶりにシャワーで髪や体を4時間近く洗って、17:45までに近場の接種予約した病院へ行ったら、受付の人から3回目の接種券が必要である事を知った。接種券も持って必要な持ち物は用意してきたはずなのに。

自分の持ってる接種券は1~3回分使える物である自分はてっきり思い込んでいて、2回目分までである事に受付の人に指摘されて初めて気付いたのだった。

受付の人から「3回目の接種券は本来郵送されている」と言われたが 身に覚えがなく、今日までに家族からそれが届いていた事をについて何も言われなかったり目立つ所に置かれてなかった。(郵便受け管理しているのは家族なので3回目の接種券が家への郵便物に混じっていたかどうかも自分は知らない。日常で喋らないし顔も合わせていないぐらい家族自分は不仲であるし。)

それから、「一旦家に戻って接種券を探して来ます」とも受付の人に言えず、「待たせると迷惑になるだろう」とか世間体漠然とした圧に負けて、なぜかもう折れて接種を諦めてしまって帰った。(その病院は18時半に閉店だったので諦めなかったらギリギリ接種できていた可能性はあった。しか一時帰宅後に家のリビングで接種券を探すとなると家族から色々思われたくない事にも負けた。)

(話は変わるが 自分10日前に、2回目までの接種券に載ってた予約番号で「3回目以降WEB予約のページ」でログインしていて接種予約してたが 今になって思えば本来は、3回目の接種券に載っている予約番号で「3回目以降WEB予約のページ」でログインできないとおかしくないか? と思ってしまった。ある意味バグじゃないだろうか?

もし2回目の予約番号で 3回目以降WEB予約のページをログインできなかったら、今日のようなヒューマンエラーに事前に気付く最後の砦だったのではないかと 今日の事のような失敗は防げたのではないかと 思ってしまった。はあ。)

接種の準備を割としたのに最後最後で徒労に終わった。

ワクチン接種とかコロナウイルス感染とかどうでも良くなった。ましてや自分人生も。

(ちなみに、最後に2回目を接種したのは2年前ぶり。高校中退からずっと10年以上ひきこもり。)

もう自分の予約番号と生年月日ここに晒そうかな。

2024-03-23

ガットギター独奏みたいなのとはまたちょっと違った、カッティングにチョロっとメロディを混ぜるようなカッコいい感じの即興演奏をやりたい。でもやり方がいまいち分からんかった。

仕方がないのでコードジャカ弾きばっかりしてたけど、最近になって適当にFフォームでカッティングしつつ、合間合間に人指し指そのままでそこ軸のペントニック適当に弾けばかなりそれっぽいじゃん!と気が付いた。

これだけじゃまだまだ求めてたものには足りないし、未だにメジャーマイナーセブンスしか覚えてないからなんか小学校音楽の授業みたいな感じの響きになっちゃう。それでもかなり感動的な発見だった。

漠然仕入れていた知識が初めて繋がった感じがしてめっちゃ気持ち良かった。

まあ何億回目かの車輪の再発明なんだろうけど、おれは全く無駄だとは思わない。自分で辿り着くのと知識として仕入れるのじゃ納得感が違うし。

あと有名なギターソロを齧って回ってたら、これペントニックの配置じゃん!スゲ〜って思った。

2024-03-22

総資産ランキングの一位の最終学歴高卒以下になって、大卒総生産高卒以下の総生産が上回るようになったら、学歴マウントもなくなりますかね?

だって学歴マウントする根拠って「自分たちのほうが社会に貢献してる」みたいな漠然とした自信から来てるんでしょ?

高卒以下が頑張って収入で平均でも合計でも追い抜かして、自信の源を片っ端からつぶせばいいのでは?

障碍者でも女性全然犯罪犯してないよね?なんで?

犯罪する障碍者ってだいたい男性だよね?

障碍者漠然と恐れるのは偏見だと思うけど、そういう態度を示す人は正確には男性というカテゴリを恐れて、そこに障碍という属性が乗ってくるだけなのだと思う。

それを「障碍者」というカテゴリすり替えるのは卑怯論法だよ。

犯罪を繰り返した58歳の知的障害者が「ぼく、やっぱり戻りたい」と語る支援施設 近隣は反対、行政は圧...

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nordot.app/1138361464045551660

ずっと眠っていたい。夢を見なくてもいいから。

はいつまで仕事しているのか、いつまで生きているのかと漠然とした不安感を覚えて嫌になるな。実家暮らし家賃光熱費をありがたく浮かせてもらってるので。

でも片親がはやめに死んだこともあっていつまでも生きているとは限らないし、本当の別れは急なのである

から毎日死別覚悟を薄っすらとしているのに行動に移せていない。いつまで仕事をつづけるのか、老後の生活大丈夫なのか、終活をする気はないのか。そう問いたいけど、これは死んでほしいと言っているようで嫌になる。

そんなわけない。むしろ生きてほしい。

それはやはり家賃光熱費が浮くという個人利益は大きいけど、死んでほしいという気持ちはないから、生きてほしいという気持ちになるのか。

人間、いきなりの変化に弱いと思う。コロナ禍初期の東京はそうだった。パニックになって攻撃的だった。通勤電車スーツ姿の男性オフィスカジュアル女性の足を蹴ったり、松屋で透明ビニール存在無視してカウンターの奥に顔をつっこんでツバを飛ばしながらスプーン! と叫んでいた爺さんがいた。

後者はもしかしたら普通だった世界でもいたかもしれないけど、前者はたぶんコロナ禍によって生まれ存在だ。

それまで引きこもりリモート業務推奨されていたのが一転、感染経路または感染したらどうなるのかがよく分からない状態で出社しなければならないのだから、みんなビクビクする。電車内の空気は張りつめていた。

今はもう誰かの足を蹴るようなスペースも動ける暇もないほど、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車だ。ただ一つ大きく変わったのは「降ります」という掛け声を誰もしなくなった。電車内では喋ってはいけないという、あくま東京電車ローカル範囲だけど、そういう決まり雰囲気によって定められている気がする。降りますって言わない。その代わりガンガンぶつかる。

もし4月から東京上京する社会人は「降ります」って絶対言ってほしい。大きな声で「降ります」は素晴らしい行動なので。前の人を押すのは「降ります」と言ってもがたくなに動かないだった場合だ。

で、すごい話しずれた。戻す。戻すと言っても何だったかな。

ああ、不安だ。起きたとき不安がすごいんだ。

今の環境が変わる(かもしれない)という、未知のタイミングへの不安。よく未来を知ると人生面白くなくなるって漫画であるけど、自分は反対だ。むしろ安心する。ゲームでも先に攻略方法を知ってからプレイするので嘘にはなっていないと思う。見えない、分からないことが本当にこわい。

かといって、すべて解決できるほどのお金なんてないし、ロトニアピンばっかり。今日バレンタインジャンボの抽選日だけど300円しか当たらないだろう。競馬が予想しやすくて、当たりやすいし、なにより賭ける相手が馬だ。馬へラブコールと思えば賭けてもいい。

……と、ギャンブルでなんとかしようとする自分思考回路から察するに、投資会社設立して儲けようとか、経済を動かす方面で金を工面する能力が本当にない。プロデューサー向いてないなと考え続けると悲観一直線なのでこの話はやめます

せっかくの金曜日だし、仕事終わったら本屋に行って業界本いろいろ漁ろ!

あと2分で支度しないと遅刻するのでひとまずここまで。書いているうちに気持ち落ち着いてきた。朝から長文失礼。はてな匿名ダイアリーを作った、またサービスを維持しているはてなの方ありがとう

以下の文章は単純に書いて飛ばしていたのだが、わりと良い文章なので載せてくれ。↓

素直に死にたいと思って起床する。太陽の下を通勤するときはそんなものはないし清々しいか太陽って偉大。目を開けたときが一番暗い。ずっと眠っていたい。夢を見なくてもいいから。

2024-03-20

anond:20240313095538

マンコパワーに噛みついてる人多そうだけど実際これが存在しないと思ってるのお花畑過ぎるでしょ。

性犯罪は男が加害者であることが多い」くらい漠然とした単なる事実じゃない?

ちょうど今朝みたニュースがひどく象徴的だった。

ドジャースMVPトリオに対してスポーツジャーナリストインタビューを行っていた。

大谷結婚の話に差し掛かりインタビュワーが「結婚に関してなにかアドバイスはあるかい?」とフリーマンベッツに対して促すと、ベッツが「Say, YES」と言って場がドッとなったという終始和やかなインタビューだったが、これがマンコパワーだよ。

女の尻に敷かれてるくらいが丁度いい夫婦関係ってことだ。

ポリコレ一丁目一番地フロンティア最前線であるアメリカ人ジョークにしても炎上しない程度にはマンコパワーが浸透しきってるってこと。

anond:20240320093951

海外旅行好きの女性って何か特徴ってあるのかな。

そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。

国内海外わずだし、男女問わずだけど。

旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所食べ物を入念にチェックする。

現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動がみられる。

最近では、インバウンド来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。

映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。

旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。

日常との差異体験やよその世界ちょっとだけ繋がったりできたことの証明自己顕示が欲しいのだ。

その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したこと証明するうえでとても重要

このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、

現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。

さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、

東海道五十三次時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。

日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。

ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。

そんな男性立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。

それは、旅先で一時的体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。

旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。


「おもいでぽろぽろ」というジブリ高畑勲監督映画(1991)がある。

都会育ちのOL女性田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、

最終的に田舎暮らし決断するところで終わる。

この映画場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、

いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをしばしばきてきた。

アジアアフリカ中南米で。かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。

「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば

海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。

また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップ意向が高いのに対し、女性男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。

男性女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、

だが!しかし、、、、

果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。

それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。

まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。

突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。

瀬戸内海小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。

あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」

当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、

ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟必要だった。

ドラマおしん」(1983年)も思い出す。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。

そこでは、さらもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイ過酷人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつ小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性共感を呼んだ作品だった。

孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、おしんドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしん過去を振り返るために旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。

アウェイ世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。

「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じるエネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性文化的に育まれものなのかもしれない。

昨今では、結婚就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。

男性は芯がないくせに保守的で臆病だからこそ外の世界渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリホームにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなもの男性社会のものがもっていた。ふるさと家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。

一方、女性は嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界

「嫁ぐ」という習慣、因習宿命からまれた、抑圧される女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。

これはなかなかパラドックスだと思った。

翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイ世界に飛び込むという意味

かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟必要だということだ。

若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分覚悟能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。

嫁ぎ先である日本社会日本人男性漠然失望している場合

希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイ世界で生きる宿命ならば、

いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚深層心理にあるのではないか妄想する。

一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というもの概念として存在していた時代都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀)は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。

かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。

「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」

この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイ世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。

なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、温かい視線旅人である自分に向けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテン寅さんとほぼ同じ世界観だ。

そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。


民俗学者宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人考察した文章のなかで、そうした旅人

地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域活性化寄与する機能果たしていたことを、

世間師という言葉表現した。そんなことも思い出した。

世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。

嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会リーダーシップをとっていかなければならない男性潜在的意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。

かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。

男の旅というのは、ちまちましたもの火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。

しかし、この四半世紀、女性社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性模索する時代になった。

テレビドラマも、90年代以降、女性社会進出を反映して、トレンディドラマ代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストラン食事する、みたいなシーンが増えた。

東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマ世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。

しかし、現実女性社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性役割押し付けられていたのが現実だ。その現実90年代ドラマショムニ」でよく表現されていたように思う。

しかし、時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。

中長期的には東京一極集中トレンドは変わらないものの、それは不動産価格トレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省必要な人というのは減っているのではないか首都圏の人は首都圏世代を重ねるし、地方の人は地方価値見出し仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方ふるさとホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。

そうなると、都会の人間地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。

その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、女性理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。

一昨年のドラマファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業テーマ女性自画像模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。

ファーストペンギン」のように地方移住テーマにした作品は、アウェイ環境女性ポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。


そんなことをおもった。そもそも旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。

とりとめもないメモです。

2024-03-19

いつから死ぬことが怖くなくなってしまった

漠然と死に怯えていた幼い頃の自分に腹が立つ

おまえの人生が喪われることに怯えるほどの価値なんかなかったよ

いっそあの頃死んでおけばよかったのにね

2024-03-18

アニメが好きって漠然としすぎな言い方だろ…

それって花がっぱとかおじゃる丸とかも好きってことなのか?

いやむしろそうじゃないと嘘になると思ってた時期が自分に合って無理に見て病んだ時期があったよ。だからアニメ好き自称するのやめた。

アニメの画風ならなんでも好きってなってきてじゃあゆキャラ?果てにはどっかの店のパンフレット無名キャラも全部知ってなきゃいけないのか?ってなったからね…

2024-03-14

anond:20240314132226

漠然としたイメージしか共有されてない問題ってあるじゃん

それを言葉にすることで問題クリアにする作業言語化じゃないの

説明」じゃあ言葉になってないもの言葉にするというニュアンスが入らない

2024-03-13

キズナアイの件、海外ボコボコにされてほしい [再]

2018-10-10

キズナアイの件、海外ボコボコにされてほしい

きめえんだよ〜〜〜

はっきり言うけど本当に気持ち悪い、気色悪いよ〜〜〜〜

つーかまず文脈を考えろよ。

ジェンダーギャップ114位で、世界女性外相会合に一人だけ男が参加して、新内閣も女閣僚一人だけで、議会のど飴舐めた女性議員はオヤジ共に寄ってたかって虐められて、

AVエロ本エロ動画では普通に制服の子が出てて、暴力系も一緒くたにされて、そんなんがコンビニにも置いてあって、

未成年(18以下)とオッサン淫行したらオッサンと同等かそれ以上に女の子が叩かれて、

医学部受験では秘密裏差別され、給与でも差別され、そういう、そーーーーーーーいう社会の中で、16歳のキャラクター横乳とヘソと太もも丸出しの格好させて、NHKが頷き役させるなんてさーーー恥ずかしくないのかよ。マジで。私は恥ずかしいよ。。。NHK矜持とか無いわけ???

おまえらが、大人が、日本人の成人が、着させてるんだよ、わかるか?本人が選んだ設定か喜んでる設定か知らねーけど、女性自己決定権とか好きな格好をする権利とか全っっっっ然関係ねーから

馬鹿じゃねーの。つーかさお前ら結局ヌけるかヌけないか、その一点だけだろ、戦ってるポイント

この話題海外から見たらさ、オタクキモさにドン引きでしょう。キズナアイにじゃないよ、おめーらにだよ。

漠然とした海外じゃなくて、日本以外全部ね。キズナアイフェミニスト発言させたらバグっちゃって真っ赤になるくせに、KKKの格好させるのが皮肉として効くと思ってるおまえらのその感覚にね。

この社会で、現実女性少女がどんな扱いを受けているかなんてどうでもいいかフェミvsオタクみたいな構造に出来ちゃうんだろうけど、そうなったら本当に害悪ですよ。つーかフェミニストVSになるんだったらもうセクシストですよ。セクシストでもフェミニストでもないならヒューマニストになってくれ、頼むから。でなければ滅びてくれ。

いや私もオタクなんですよ、正直ね、でもさぁ自浄作用って知ってる?もはや皆無じゃん、自浄が。ねぇ。言っとくけどBLだってTPO弁えないのはクソだよ。

からもう、一回滅びよ?ちゃんとできないんだったらさ。

もうこれ無理でしょ。この件ではオタクの側、屁理屈ばっかやん。場面によっては正論かもしれないけど、普段オタクの態度と矛盾してるとこ多すぎて。。

コミケを思い出そうよ、なぁ!どうせキズナアイだってそういうとこではいろんなあれされるじゃないか!!我々が普段どんな文化に浸ってるか自覚しようよ!?!?隠さんと!バカ!我々の方に分がないに決まってんだろうが!!あん表現自由にできるのは、他者への配慮前提だろ!!!

だってあそこではクソみたいに表現自由じゃないかうどんやらクジラやらの存在許してくれる国なんか日本くらいだと思うぞマジで…いわんや二次創作をや……

とにかく一回目を覚まそ?もうフェミニストが敵にしか見えなくなっちゃったなら仕方ないから、表現戦士軍だけでもっかい考えてみてよ。

追記だけどきめぇ〜〜〜〜

増田で書く意味考えろよ??

申し訳ないけど今海外英語圏)に住んでるよ、だってもうマトモな感覚してたら日本で生きてくの無理でしょ(TT)(TT)(TT)2018年やで今。容姿が良くて若くて薄着の女を、無知反論しない頷き役として、説明役のおっさんとセットで置く、っていうのいつまで続けるのかな?

ワイは実名燃えたくないかfbで発信したりしないわ、だって日本表現戦士軍がキモいし怖いんだもーーーん。なんか執念感じるし…

そのまま海外で暮せばいいじゃん、一生帰ってくんな、って言われるだろうけどさ〜〜〜多少日本人友人と繋がってはいからsnsで流れてくるんだよ、こういうクソみたいな日本らしい話題が。

これから日本で生きていく若い人達のこととはちょっとは気にするわけよ、日本で育った大人として。誰かさんとは違ってね?

まぁでもちょっと英語でどこかで話してくるけどさ、正直日本人としてこれ話すのめちゃめちゃ恥ずかしいなーっていうのと、文脈ありきのキモさだから説明は難しいなって思う。

だってキズナアイ画像を出して「これどう思う?」っていう単純な話じゃないし。

あとトラバの誰かも言ってるけど、皆そこまで特定の国に興味関心無いから、日本内の問題で留まってるうちはそうそ話題にならないんだよね。だから願望なのさ。

でも頑張ってみるね(^_-)-☆

https://web.archive.org/web/20211006232334/https://anond.hatelabo.jp/20181010024150

[B! 増田] キズナアイの件、海外ボコボコにされてほしい

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20181010024150

2024-03-12

マイクラArk、パルワールド古典名作、近年名作、話題作と触れてみたけど、

コントローラープレイと相性が悪い上に、あまり目標漠然としていて何をしていいかからず、

木を殴り倒してツールボックス作ったところで全部投げ出したな。

何の制限もなく、目的もなく、「さぁ世界だけ用意したので後は自由に生きてください」って言われても困る。

現実社会でも似たものだけど、ルールガチガチに縛られた上に、手段も限られていて、その上で目的設定されていた方が全力で動ける。

つくづく、社畜適性が高くて嫌になるぜ。絶対フリーランスとか自営業とか無理だもん。

2024-03-11

anond:20240311104749

基本的には自分の考えの整理と振り返りに使っているけど、ブクマカブクマカ兼ねてそうな増田を年単位で見て非常に得るものはありました

 

  1. まともな人が多いから世の中は回るは大大大前提にはあれど、想定の範囲外の人はいる。他人の知能や知的な態度に期待し過ぎてはいけない


  2. どんな能力を持って生まれるかも、どんな親の元に生まれるかも、100%運だから、すべてを当人の責めに帰すのは公平ではない
    から凶悪犯罪者や近い将来にそのような犯罪を犯す可能性の高い人でなければ、できる範囲で力になりたいなと漠然と考えてる
    (例えば、ホームレス、行き場のない子どもたち、仕事を探している人々など)
    しかし、現在生活に困っておらず、近い将来に家や仕事を失う心配がない人々には、同情する必要はないのでは?とブクマカブクマカ兼ねてそうな増田を見て気付いた
    だって自分の行動の結果が現れているだけ』としか言いようがないか

 

 

ただ、2番においてはまだ、気付きのまとめが終わっていない。これはワイではなく、別の増田投稿なんですけどね

自己責任論って突き詰めたら、森羅万象あらゆる事象自己責任を主張している本人のせいに全部転嫁できるはずなんだけど、いまだかつてこの主張が自己責任論者に聞き入れられたことがないので、自己責任論者は自己中心論者だと思っている

https://anond.hatelabo.jp/20240227185639#

 

これは 1000000000%、それはそう

 

森羅万象ではなく、もっと単純な日常的な視点で言っても、

通貨が弱く、教育システム医療体制も不十分な国から出てきたエリートや準エリート、またはスラム街からのし上がった人々にとって、先進国人間の直面する問題なんて甘えどころの騒ぎじゃないだろうし、

同じ先進国人間でも、呼吸する、歩く、座る、食べる、うんこする、寝る、じっとする からして困難な人たちからしたら、それらの困難を持っていない人の直面する問題など甘えどころの騒ぎじゃないだろうし、

身体的・精神的な困難を抱えていない人であっても、居所不明児童悲劇 川口高齢夫婦殺害事件(2013年)当事者に近い環境に身を置く人はいるだろうし、

殴る蹴る性加害など緊急性の高い虐待ではなくても、電気ガス水道が止まるのが日常なのはまぁまぁしんどいし、

ネグレクト機能不全家庭でなくても、教育DV暴言日常とか過干渉とか条件付き愛情とか、基盤を壊すものは無数にあってひとつひとつ挙げたらキリがない

 

 

まぁそれでも新たに上がっている『めちゃくちゃ叩かれてるビリギャル擁護?を少しだけ(https://anond.hatelabo.jp/20240310181641#)』では、

ボンボン(持てる側) の 甘え や 傲慢が叩かれてるんだよね

やっぱ、甘やかされた裕福な家庭の子どもたちが、自分人生が大変だと嘆いたり、傲慢教育はいてるのを見ると、

呆れたり、バカなの?ってなるの、どうしたって一般的感覚だと思うんですよね。だってエクイティ(Equity)や共通善と反してるから

 

(ただ、厳しい環境に身を置くと〜の話を書いた時、先進国特別な困難も無さそうな人たちが『生存者バイアスだ!』とキレてましたよね?自分を棚上げ?😒とは思わんでもない)

 

 

 

 

やりたくないことをしない選択他人にそれを強制しない選択は、他者を受け入れる態度と関連している

でもなんやかんやとやらないといけない事は現実問題としてある。そして、エクイティ共通善に反する持てる者(能力主義)の傲慢

 

暇な時に考えてそろそろ3ヶ月くらい経つけどなかなかまとまらない

 

1. 他人の知能や知的な態度への期待:

- まともな人が多くても、全ての人が同じ期待に応えるわけではない。期待し過ぎないようにすることが大切である

 

2. 生まれつきの条件と自己責任

- 能力や生まれつきの条件は運に左右される。凶悪犯罪者でない限り、力になりたいと思うが、生活に困っていない人々に同情する必要を感じない。

 

3. 自己責任論の突き詰めと批判

- 自己責任論を突き詰めると、すべてが本人の責任になるが、それを受け入れることは難しい。自己責任論者は自己中心的だと感じる。

 

4. 困難な状況への理解

- 先進国の人々も、困難な状況や悲劇に直面することがある。ただし、他の人の問題共感すると同時に、エクイティ共通善に反する傲慢な態度には注意が必要

 

5. エクイティ共通善に反する傲慢

- 持てる者が傲慢な態度を持つことはエクイティ共通善に反しており、これには批判的な態度をもつべきである

 

6. 甘えや傲慢への批判

- 甘えや傲慢な態度が叩かれることは、エクイティ共通善に基づく考え方と一致している。厳しい環境に身を置く話については、「生存者バイアス」の意見もあったが、これには異論もある。

 

7. やりたくないことをしない選択他者への受け入れと現実問題

- やりたくないことをしない・させない選択は大切だが、同時に現実問題としてやらなければならないことも存在する。他者尊重し受け入れる態度とバランスが求められる。

  

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