金というか資産に働いてもらうにも、それを持ってなきゃ何も始まらない。
無い金は増やせないし、無い土地も貸せないし、無い株からは何も得られない。
生まれついてのボンボンではないから、それを手にするには働いて金貯めるか、でなきゃ借りるしかない。
投資というか投機的な運用でさえ、元手が知れてりゃ増える額も同じことだし。
そこでレバレッジですよ!
というほどの度胸もない。
借金して、別にやりたくもないし儲かる保証もない事業を無理やり始めた所で、楽に金を集めるために苦労するなら実に本末転倒だ。
寿命や若さや欲望が永遠なら、金を享楽に回さずコツコツ貯めるのもやぶさかではないけど。
この身の時間を使って何かしらスキルを得て高給の職を得ようってのも本質的には同じことだよな。
過去は言葉でしかなくて、未来なんて存在すらしなくて、ただ現在の連続だけがある。その今まさに感じている欲求をほっぽってやるべきことなんてあんのかな。
まあ漠然と生き急ごうとする気持ちも薄れてきて「今」への執着とかもなくなってきたら、先の満足のために今を犠牲にするのも悪かないかな。とか思うようになんのかな。
でもそんな風にすっかり欲望を去勢されて安定を得た先には実にディフェンシブな満足感しか残ってない、なんて事にはならねえかな。そこに燃えるような喜びの実感ってあるんかな。
まあ消費と貯蓄なんて程度というかバランス感の問題だよな、とか、そういう保守的な心を安全な生き方と自己弁護していきながら生きていくしかねえのかな。
なんて、色んな楽しさを知りたい気持ちに嘘をついて、いつかそれが本当になってしまうんかな。
ほどほどな無欲さに至って、悩みがほどほどなら喜びもほどほどにしかない人生になってしまわねえか、それだけがどうしようもなく恐ろしいぜ。