「脳内出血」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 脳内出血とは

2024-11-07

母が倒れた

先に書くが、母は亡くなっていないし、これは亡くなったり倒れた母を前に悲観する話ではない。

30代を目の前に控えた人間が、同世代より少し早く迎えたライフステージの変化に漠然と感じたことを書き綴ったものである

9月某日、母が倒れた。

本当に突然だった。

慌てながらも涙声で電話をくれた兄妹が状況を教えてくれた。

病名は脳内出血だった。

自分よりも動揺する家族の声を前に、悲観することもなく落ち着いて諭すことが出来ていたように思う。

倒れたその晩が“ヤマ”と言われ、覚悟もした。

それでも不思議絶望感は無かった。

少し余談だが、母は私が中学生の頃には大病患い、直近は潰瘍性大腸炎骨粗鬆症難病に持病を抱えていると聞いている。

から、という訳では無いと思っているが潜在的にはそういった要因も加味していたのかもしれない。

私は同世代より少し早く入籍し、結婚式を挙げ、父母を招き、恐らく死ぬまで忘れずに居られるであろう幸せ時間を過ごすことが出来た。

今思えば10から強く願った夢の1つだったのだろう。

さらに、結婚式の翌年には第一子が産まれた。狙ってその通りに叶えられるものでは無い。本当に私は運が良い人間だとつくづく感じた。

生後3ヶ月ほどして父母のいる実家帰省し、初孫としてお披露目することができた。口角は上がりっぱなしで、目も細めっぱなしだった父母が印象的だった。今でも写真を見返すと泣ける。それくらいの時間であり、これもまた私の夢だったのだと思った。

やはり私は本当に運が良い。

その後も1歳の誕生日実家でお祝いすることが出来、張り切って準備をしてくれた母、初孫にデレデレな父を見て、また1つ夢が叶うような感覚にいた。

その数ヶ月後の出来事だった。

決して頑丈な人間では無いことは理解していたし、それがなくても父母は自分より先に居なくなるのが世の常である覚悟していた。

から結婚できたことや子どもを授かったこと、それらを父母が健康なうちに行え、全て後悔のない形で終えられた。

それ以外にも父母に伝えたかたことは全て伝えた。文章に残して。

子どもとして“やりたかたこと”としての親孝行は全てやり切った。ここから先はボーナスタイム、私と父母の“贅沢”な時間だと考えていた。

から、母が倒れて生死の境を彷徨い、生還しても重い障害が残ってしまった状況も不思議と悲観はなかった。

やれることは全てやってきた。

実家で大変な状況になっている家族を遠方から支える。今、目の前にいる私の家族死ぬ気で守り抜く。

これからはこれだけで十分だと思っている。

大変な事態に陥って私以外の家族は悲しみに暮れ、絶望しているかもしれない。

私も絶望の淵に立ち、少し崩れれば精神が折れてしまってもおかしくなかった。

それでも、今は私には妻と子が居て、私は2人のために折れる訳にはいかないのだ。2人を支えていくために、死ぬ気で戦っていかなければいけない。

父母が居なくなってしまうことを事前に覚悟していたこと、妻と子が悲しい状況も支えてくれたこと、全てが私に覚悟を持たせてくれたと思っている。


一般的には悲観すべき事態なのかもしれないが、そんなに悲観することもなく、飄々と過ごしている。

もっと悲観的な文章に出来れば世間的なウケもいいのかもしれないが、そんなことは1ミリも考えていない。

元々火事場方が張り切ってしまタイプからなのかもしれない。

諸々含めて本当に自分は運が良いのだと思った。

おっとー、おっかー、次は俺が2人みたいに頑張る番だから、もう心配はいらないから。これから先の俺から2人に対しての全ては、100%純粋な俺の“我儘”で、“贅沢”だから、遠慮なく受け取ってね。また、近いうちに帰るから病院にもお見舞いに行くから

2024-11-06

母が倒れた

先に書くが、母は亡くなっていないし、これは亡くなったり倒れた母を前に悲観する話ではない。

30代を目の前に控えた人間が、同世代より少し早く迎えたライフステージの変化に漠然と感じたことを書き綴ったものである

9月某日、母が倒れた。

本当に突然だった。

慌てながらも涙声で電話をくれた兄妹が状況を教えてくれた。

病名は脳内出血だった。

自分よりも動揺する家族の声を前に、悲観することもなく落ち着いて諭すことが出来ていたように思う。

倒れたその晩が“ヤマ”と言われ、覚悟もした。

それでも不思議絶望感は無かった。

少し余談だが、母は私が中学生の頃には大病患い、直近は潰瘍性大腸炎骨粗鬆症難病に持病を抱えていると聞いている。

から、という訳では無いと思っているが潜在的にはそういった要因も加味していたのかもしれない。

私は同世代より少し早く入籍し、結婚式を挙げ、父母を招き、恐らく死ぬまで忘れずに居られるであろう幸せ時間を過ごすことが出来た。

今思えば10から強く願った夢の1つだったのだろう。

さらに、結婚式の翌年には第一子が産まれた。狙ってその通りに叶えられるものでは無い。本当に私は運が良い人間だとつくづく感じた。

生後3ヶ月ほどして父母のいる実家帰省し、初孫としてお披露目することができた。口角は上がりっぱなしで、目も細めっぱなしだった父母が印象的だった。今でも写真を見返すと泣ける。それくらいの時間であり、これもまた私の夢だったのだと思った。

やはり私は本当に運が良い。

その後も1歳の誕生日実家でお祝いすることが出来、張り切って準備をしてくれた母、初孫にデレデレな父を見て、また1つ夢が叶うような感覚にいた。

その数ヶ月後の出来事だった。

決して頑丈な人間では無いことは理解していたし、それがなくても父母は自分より先に居なくなるのが世の常である覚悟していた。

から結婚できたことや子どもを授かったこと、それらを父母が健康なうちに行え、全て後悔のない形で終えられた。

それ以外にも父母に伝えたかたことは全て伝えた。文章に残して。

子どもとして“やりたかたこと”としての親孝行は全てやり切った。ここから先はボーナスタイム、私と父母の“贅沢”な時間だと考えていた。

から、母が倒れて生死の境を彷徨い、生還しても重い障害が残ってしまった状況も不思議と悲観はなかった。

やれることは全てやってきた。

実家で大変な状況になっている家族を遠方から支える。今、目の前にいる私の家族死ぬ気で守り抜く。

これからはこれだけで十分だと思っている。

大変な事態に陥って私以外の家族は悲しみに暮れ、絶望しているかもしれない。

私も絶望の淵に立ち、少し崩れれば精神が折れてしまってもおかしくなかった。

それでも、今は私には妻と子が居て、私は2人のために折れる訳にはいかないのだ。2人を支えていくために、死ぬ気で戦っていかなければいけない。

父母が居なくなってしまうことを事前に覚悟していたこと、妻と子が悲しい状況も支えてくれたこと、全てが私に覚悟を持たせてくれたと思っている。


一般的には悲観すべき事態なのかもしれないが、そんなに悲観することもなく、飄々と過ごしている。

もっと悲観的な文章に出来れば世間的なウケもいいのかもしれないが、そんなことは1ミリも考えていない。

元々火事場方が張り切ってしまタイプからなのかもしれない。

諸々含めて本当に自分は運が良いのだと思った。

おっとー、おっかー、次は俺が2人みたいに頑張る番だから、もう心配はいらないから。これから先の俺から2人に対しての全ては、100%純粋な俺の“我儘”で、“贅沢”だから、遠慮なく受け取ってね。また、近いうちに帰るから病院にもお見舞いに行くから

2024-10-16

anond:20241016132423

脳内で血管がキレた音がした・・・

脳内出血は早めに病院に行きましょう。

2024-10-05

アラ還(around 還暦)の思考

最近のこととかとか直近に何をしたかはなかなか思い出せないのに、ふとしたことで随分と昔のことや昔に見て読んで聞いたこはいきなり思い出す

三大増田ポルカネタで当時べつに聴いたこともないのにポルカドットスティングレイなんてバンド名が脳内に浮かびあがって当惑するし、街中でゾンビに近い濃さのアイシャドウした人を見て昔のパ・リーグ選手は目の下に反射光よけのメイクしてたけどアレいつからしなくなったんだろなんか近鉄バファローズがよくしてたイメージあるなぁとか連想するし、

ティプトリー大先生が「老人たちが何かを訊かれた際にワンテンポおいて返答するのは、彼ら彼女らが貯めこんだ経験や想い出が莫大な量で脳内を駆けめぐるからだと信じたい、そうでなく単に処理速度が遅くなるという能力の低下ならば耐えられない」って書いといて結局は老齢で不具になった夫を撃ち殺したあとに自分も同じ手順で心中したってことはそういうことだよなぁ…

しかし銃で頭、つまり脳を撃ち抜いてそうすぐに死ねるのだろうかねぇ、脳内出血だって相当イタイときくのに、脳に風穴が開いてその瞬間に心臓制御ストップして血流が止まるわけでもないしただひたすら痛いだけの時間が死に終わる()までには絶対存在するよな、

そうだ、そういう自殺っていうか安楽()死っていうか、死んだときコンピューターシミュレーションってできないのかね?例えば人間みたいな思考をする回路を造って実際に物理的に撃ち抜いてみたらどういうシークエンス機能停止=死に至るのか、って

これ、安楽死賛成派と安楽死反対派の両方が役立つ知見を得られるとおもうがな🤔

2024-04-09

anond:20240409074023

何度も言わせんな

パワハラクズにはこんくらいやってやればいい

だってこんくらいやって懲戒免職された

完全骨折:右小指1、右前腕2、左前腕1、右上腕1、右上腕1、左肋骨2、下顎骨1

不完全骨折:右前腕1、左上腕2、左右大腿部各1

裂傷8箇所

打撲28箇所

脳内出血

両側鼓膜破損

2023-10-04

かき氷食べた時の頭キーン生命危機を感じるレベルに痛い

物心着いた頃から変わらない

サラサラした鼻水が勝手に出てきて、あまりの痛さに身動き取れず、背中が一瞬で冷や汗でブワッと濡れるくらいには凄まじく痛い

実はこれ脳腫瘍より痛み強いのでは?

だんだん痛くなって救急車呼ぶタイプ脳内出血より痛み強いのでは?

と疑ってる

なったことないからわからないけど

2022-02-10

沖縄暴動高校生「眼球破裂失明事件 

右の頬骨と目の横の骨も骨折さら脳内出血

ぎゃああああああああ

怖い

まるで戒厳令

2022-02-04

祖母が倒れた

脳内出血で、いま手術中。

運ばれたのが公立の基幹病院から、なんだかんだですぐ追い出されちゃうなー

(この病院は「手術さえ終わればとにかくすぐに放り出す」ことでコロナから有名)

落ち着いたら介護保険の変更申請から始めるかな。

2021-11-16

失語症精神障害者1級の嫁と一緒の生活がもう限界

本当に辛い。

誰にどうやって助けを求めたらいいのかもわからない。

以下スペック

自分: 厄年の男。鬱持ち。

嫁: 同い年。上の子供を産んですぐ脳内出血で手術をしてから失語症になる。一昨年くらいにマル障1級。

子供: 12歳男、4歳女

嫁の両親は健在。ただあまり仲が良くない。

嫁とは割と口論になる。

自分の両親も健在。ただし離婚していて実家はない。母親が歩いていける距離に住んでいる。

嫁が3年前くらいから、秋になると突然発狂しだす。

発狂というのは、なんというか、多重人格みたいな、スイッチが入ると謎の因縁をつけてきて、口汚く罵ってくる。

時間後には忘れたかのように普通に過ごしている。

嫁は月経前症候群があって、失語症になってから生理前にイライラすることは多かった。

けど秋の発狂は、生理前後関係なく、突然スイッチが入る。

の子供に対しても一度だけ「気持ち悪い!どっかいけ!」と罵声を浴びせて、泣かせていた。

なんの予兆もなく、食事を終えようとするタイミングでいきなりキレ出した。

そのときはさすがに嫁にめちゃくちゃ怒った。

嫁は数分後には「そんなこと言ってない!」と言い出すなど、手に負えなかった。

そして今年に入ってから、手を出すようになってきた。

今のところは子供に矛先は向かっていないが、自分には遠慮なく目一杯の力で叩くようになってしまった。

さらに持っているものを投げる。

携帯テレビリモコン食卓に置いてあったお惣菜など。

つかこれが包丁やハサミになるんじゃないかと、普段からキドキするようになっている。

なので嫁が物音を立てると、身体がビクッとなるし、今年に入ってからずっと変な動悸がする。

一度循環器科に行ってホルター心電図を1日やってみたが、何も疑わしい症状はなかった。

おととい、またしても、僕がスーパーから買ってきたポテトサラダを見て、「は?なにこれ?何で買うの?」といきなり突っかかってきた。

ポテトサラダは、スーパーに行くたびほぼ毎回買っていて、確かにの子供が4日前くらいに、嫁が作ったポテトサラダが「嫌い!」と言っていたが、別に大人か上の子供が食べるものだし気にせず買ってきた。

それが気に食わなかったらしい。

「ほんとにムカつく!」「気持ち悪い」と散々言ってきたので、さすがにもう限界だと思って、「もう無理です。今から家を出て新しい家を探してきます」と言って外に出ようとしたら、また叩いてきた。携帯を思い切りなげていた。

最近は頻繁にこういうことが起こるので、すぐに録音できるようにアプリを1画面目に置いてあるので、叩いてるところは録音できた。

とりあえず急いで駅に向かって電車に乗った。

の子供が学校から帰ってきたらしく、「お父さん今どこ?」とメッセージが来た。

どうやら、僕のものが外にぶち撒けられていて、何かあったのかを聞いてきたようだった。

の子には「心配かけてごめんね。夜には必ず帰るよ」と伝えた。

気持ちは完全に割り切れて、新しい家を探さなきゃという気持ちでいっぱいになった。

子供二人、自分母親が住める家をなんとしてでも見つけなきゃ。あとペットの猫。

とりあえず、職場の同僚で1番信頼がおける人が住んでいる駅まで乗り継いで行った。

近くにあったアパマンショップにフラッと入ってみた。

そして希望の条件を伝えて、内見に連れて行ってもらった。

内見できる家は1件しかなく、猫可のところが全然無かった。

その場では決めず、悩みながら、ぼーっと駅前カフェコーヒーを飲んでいた。帰るのがしんどい

嫁の両親から電話が来た。

離婚?何考えてるの?そんなこと認める訳ないでしょ」と嘲笑うかのように言われて、めちゃくちゃ腹が立った。

なんだかんだで夜の8時には自宅に戻った。

嫁は少し落ち着いていた。

2021-09-14

anond:20210914135233

そんなこと言ったら兜もつけずに吹っ飛ばされて壁にぶつけられた時点で脳内出血死ぬ

2021-07-07

今年私の友人のお嬢さん結婚する

とても親思いの優しい娘さん。

相手も同じ母子家庭男性だけど、お母さんを大事にして頑張るお兄ちゃん

この二人が幸せな家庭を築いてほしいと願って止まない。

私が大学生アルバイトをしていた飲食店個人営業欧州専門店だったが、

ランチは小さい子供に300円で食事ドリンクバーが付いていた。

ある平日の午後、ランチ客も途絶えた頃に若い母親に連れられた4才の女の子が入ってきた。

母親金髪もまだらになり、服装や持ち物も質素疲れた表情をしてた。

女の子も髪が伸び薄汚れたワンピースだったが、とても陽気な子だった。

二人を案内すると母親は「子供ランチ一つ」だけ注文した。

私は厨房に注文を伝え子供ドリンクバーのコップを持って行くと

母に教わり女の子ドリンクバーオレンジジュースを入れ自席に戻り、

母親に色々話しかけてた。

母親疲れた顔だがニコニコ女の子と話をしてた。

その時女の子が「これっ!あまい!」とか大きな声で言うと

母親に「おいしいよママ!いいにおいがするよ」と上気した顔で言って、

一口飲んで母親に「ほら、ママ!」と飲ませようとしてた。

私は横のテーブルを片付けに行き見ないようにすると後ろで女の子の嬉しそうな声が聞こえ、

「おかわりしていいの?もっと飲んでもいいのっ!」と言い、

そのあと何度かドリンクバーと自席を行き来してた。

その内女の子ランチが出来、私が席に持って行くと、女の子キラキラした目で

ママハンバーグだ!〇ちゃんハンバーグ大好きだよっ!」と嬉しそうに弾む声で言うと、

ニコニコしながら母親と見つめ合ってた。

しばらくして母親が「〇ちゃん、お食べ」と言ったら

ちゃんは「ママのがまだだよ?」と返事したら母親が「ママお腹いっぱいだから」と返事したら、

ちゃんは下を向いて泣き出した。私はどうしたものか・と思ってた。

そのうち〇ちゃんは「ママ、昨日も食べて無かったよ?」と泣きながら言い、

母親も下を向いて動かなくなった。

すると厨房から店長が昼のランチセットを持って親子の席に行き

「ごめんなさいね~おじちゃんママのを忘れてたよw」と言いながら母親の前に置いた。

母親は「すいませんが私は支払えません」と言うと

店長はうちの新規会員カード記入用紙を持って行き「お母さん、これ書いて」と告げ、

母親が記入するとうちの食事2000円分を差し出し「ありがとうございます

うちの新規会員様へのプレゼントです!」とか言って母親に渡したら、

若い母親は泣きだして「すいません」と小さい声で答えた。

そして店長は〇ちゃんの方へ向いていつもの怖い顔でにっこり笑い

「さあ、〇ちゃん、美味しく食べてね!」というと厨房へ帰った。

ちゃんは大喜びで母親に「美味しいねっ!ママも一緒のハンバーグだ!」

とはしゃいで賑やかにランチを食べていた。

私は我慢できずに厨房へ行くとシティハンターに出てくる海坊主に似た店長

涙をぽろぽろ流しながら二人を見てた。

そして食事が終わった後、私が〇ちゃん相手をしてるうちに店長母親は話をし、

親子の境遇を聞いていたが、途中から店長は泣き出し、私と店長奥さんが助けに行った。

母親孤児就職先で恋仲になった男性結婚したが義母から壮絶ないびりを受け、

施設出身者というだけで生まれたばかりの〇ちゃん共々家を追い出された。

必死に働き生きてきたが病魔に襲われ家賃も滞納し強制退去となり、

避難シェルターに行ったがそこでも色んな問題があり行き詰まって・・・という。

店長も片親でお父さんと二人で一生懸命頑張ってきたが、

店長が19才の時に仕事場でお父さんが無理をし続けた結果脳内出血で倒れ

逝去された過去があり我慢できなくなったとか。

店長奥さん人生で苦労されたので、その日のうちに〇ちゃんとお母さんはお店の倉庫

暮らすことになり、お母さんはお店と他で働き、〇ちゃん保育園に行くようになった。

そして私と〇ちゃんのお母さんは友人になり、もう20余年。

店長はすっかりお爺ちゃんになり、ご夫婦共々お元気で、〇ちゃんは二人の孫みたいになってる。

ちゃん、おめでとうございます。Hさん、頑張ったね!!このお話フェイクを含む実話です。

どうかコロナ禍の中、頑張る若い二人に明るい未来を!

2021-05-28

世の中性格至上主義者が多すぎる

なんか知らんけど人間の顔や年収価値を低く見積もる人種ほんとなんなん?

性格がいい人が好み、大いに結構だと思う。でも年収が低い男と結婚したくないとか、顔が好みな女性結婚したいとか、そういう望みを下卑てると批判するのは絶対おかし

顔は老いれば変わるかもしれない。整形で良くすることも醜くすることもできるだろう

でもそれは性格だって同じことだ。俺の父は脳内出血で半身が動きづらくなり、リハビリも続かなかったことで性格が変わった。もともと父が専業主夫をしていたので家計に影響がなかったのがせめてもの救いだ。

年収だってあって困ることはほとんどないはずで、それを望むのはなにもおかしくないはずだ。年収の高い異性を求めるのは言い換えれば将来を見据えているのだ

お前がたまたま金より顔より性格に重きを置いていただけで自分が正しい人間だと錯覚するな

アイドルのような要望結婚相手に求める人を「身の程知らずだ」と、年収の低い相手結婚相手として切る人間を「貧しい人だ」と、人の好みにケチをつけるお前の心根は清らかなのか?それとも自分に無いもの相手に求めているのか?

相手にどんなものを、どの程度求めるかなどというのは好みの差でしかなく、そこに優劣などないし、その望みを満たす人が、同じように自分を好ましく思ってくれるかなど結局運でしかなく、どんなものを好んでいるかでは変わらない

性格至上主義者は自分清貧から最後には救われるなどという宗教他人押し付けるのはやめるんだ

2021-02-18

anond:20210218102758

大きな変化があれば変わる事ができるよ

次の変化は加齢による老化が著しく感じられる時

具体的には、独身者脳内出血で倒れると死ぬしかないが家族が居て発見が早いと助かる

そういう心配が心から払拭できなくなった時

2020-12-28

anond:20201228192946

80まで生きられると思ってたけど 脳内出血で50ぐらい うんがない

脳内出血こわい

40台でもなるんやな・・・

2020-07-09

介護がワタシにやってきた。

anond:20200707172323

 

境遇似過ぎていて、ほぼドッペルゲンガーかと思ったよ。

 

 

役満でございますw

 

金ない・兄弟姉妹ない・親族ない。

ここまで揃うと、笑うしかない。

 

こんな状態なのに、去年介護がワタシにやってきた(サンタが街にやってきた風)。

 

「お父さんが緊急搬送されたと病院から連絡がありました。あなた電話番号病院に教えていいですか?」

という不動産から電話。先方も事情がわからないようで困惑している。

定時で帰ろうと呑気に考えていた春のある日、こんな風に始まった。

 

当初は脳梗塞も軽く済み、介護サービスを使いながら独居することも可能だった。

が、治療した数日後に脳内出血を起こして重症化。

その後のリハビリのおかげで、身の回りのこともできるし、簡単な会話もできるくらいには回復したが、細かな判断お金周りとか)を要する質問には返答できない。

独居は不可能となり、退院後の施設を探す必要が出てきた。

 

兄弟姉妹もいないので、1ヶ月半おきに北海道帰省した。終の住処になる施設に落ち着くまで、約1年間続いた。

毎回4泊5日のスケジュールで、病院役所・父のアパートを何往復もした。お金は勿論のこと、体力的にかなりきつかった。

 

施設には色々な種別があるが、正直かなりわかりづらい。

金額石狩管内私調べなので、田舎に行くともっとお安いところもある。

 

有料老人ホーム

CMでよく見かけるのはコレ。あれは金持ち用の至れり尽くせりな施設だ。

母が医療関係者として働いていたことがあり、「料金が高いせいか、入所者になにもやらせない(家族もそれを望んでいる節がある)。結果、入所後にボケる人が多い」らしい。

貧乏人には永久にご縁がないので、まったく調べなかった。

 

グループホーム

通常家屋で暮らせる程度の身体能力がある人が入所していて、痴呆症の受け入れも多いようだ。

脳梗塞後遺症で、通常家屋に住むのはちょいと厳しいので深くは調べなかった。

金額的にはピンキリの様子だが、18万円は高い部類だと思う。都市部グループホームだろうか?

 

老人保健施設老健

退院後、自宅に戻るためのリハビリ施設立ち位置

最初の3ヶ月くらいは手厚いリハビリを受けることができる。

ただし、終の住処にはなり得ないので、3ヶ月後には退所しなければいけないことが大半。

戻る家がない場合は、老健を3ヶ月に1回渡り歩くことになる。

また、入所中の通院、日用品の買い足し等は家族が行うので負担が大きい。施設に入っているから一安心とはならない。

最近建設された施設は、個室またはユニット個室なので、利用料も12万円台〜。

多床室と呼ばれる大部屋の場合は利用料9万円台〜。

裏技的に特別養護老人ホームの入所待ちに使われることもある(自分もそうだった)。

 

特別養護老人ホーム特養

利用料も抑えられ、終の住処になり得るので大人気の施設

「入所待ちが100人以上いる」と言ってるのはこのタイプ

首都圏では施設数が増え、待機期間が短くなっていると言われているが、空いているのは個室またはユニット個室で利用料は高い。

利用料の安い多床室は、相変わらず入所待ちが続いている。

現在、新しく施設を作る場合は、個室またはユニット個室である

多床室は昔の制度下で建設された施設のため、建て替えなどで個数が減ったとしても増えることはないと思われる。

 

特養の利用料は老健と同じようなレベルだが、特養は自宅介護不可能な人たちが入所してきている。

「終の住処」と呼ばれているが、見取りを行っていない施設もあるし、胃瘻インスリン注射必要な人の入所数を制限したり、断っている施設もある。

入所は順番待ちになっているが、介護度が重いほど上位に来るかというと…そうでもなかったりする。

介護度5を最優先にしている所が大半だが、施設によっては、状態の重い人を入れ過ぎてスタッフ疲弊バランスをとるために、ちょっと介護度低い人にしよう…となることもある。

これは、各施設方針によるので、見学した時にざっくばらんに聞いてみるといい。ぶっちゃけてくれる相談員もいる。

 

ありがたいことに、比較的すぐに特養入所ができたため、ほとんど帰省しなくて良い状態になった。

定期検査で通院する時は、施設スタッフが付き添いをしてくれるし、日用品がなくなると代行して購入し、月末に利用料と一緒に領収書添付の請求書が送付される。

そもそも老健立ち位置が違うので、比較するのはよくないことなのだが、老健に移動してから負担が恐ろしいほどに減った。

 

利用している特養スタッフは皆親切だ。

世の中的に介護施設のお給料は少ないと言われてるので、もっと給料あげて欲しいと思う。

スタッフ献身のみに支えられているのは異常だ(でも、利用料は据え置きでお願いしますw)。

 

元増田さん

正直、母上のグループホーム18万、父上の20万という利用料は大きすぎると思う。

首都圏では普通にあり得るんだけど、北海道では、高額な部類に入ると思う。

この状況が1020年続いた時のことを考えなければいけない。

ご両親の蓄えがなくなった時、元増田さんや兄上は金銭的な負担ができますか?負担しても、それぞれの家庭が壊れないと断言できますか?

 

私は家庭を築く気持ち能力もない、頭アッパラパーな人間です。

そんな人間に言われるのも心外だと思うけど、自ら作った家庭に対する責任第一にした方が良いと思うんだ。

多分、老後もそろそろ考えないといけない年齢だよね。

金銭的援助を20年続けたとして、その間に自分たちの老後の蓄えできるだろうか?

玉突きのように、子供たちに負担がいったら…親としては、ものすごく辛いんじゃなかろうか?

 

介護で一番やってはいけないことは、大きく2つある。

 

どちらもお金が関わっている。

大事なのは「愛」というけれど、世の中の不幸の大半は「お金」で解決できる。

自分は「愛」より「お金」が大事守銭奴なので、父親介護に関して持ち出しをしないことにした。

ただ、父には蓄えがなかったので、当初は50万〜は持ち出しした。ボーナスもぶっ飛んだ。

でも、そんなことを続けていたら共倒れするので、病院の「無料・低額診療制度」を利用して、入院費や定期検査を1年間無料で受けられるようにしてもらった。

その他にも、役所にある地域包括センター相談して施設を探してもらったり、任せきりにせず、自分施設を探すために電話しまくった。

 

法律法律を知るものの味方」とはよく言ったもので、介護制度を知らないと金銭的にも心身的にも疲弊する。

 

ほぼドッペルゲンガー元増田さんには以下をお勧めする。

 

利用できる窓口に相談する以外にも、自力で動く必要もある。そして、それがめちゃくちゃ気が重い。

親の介護お金のことって、簡単相談できるものじゃないから、わからないことだらけ。

でも、「助けて!」と叫ばないと、どこにも声は届かないんだよ… 。

 

つらつら記載したけど比較的両親が若い状況で倒れ、治る見込みもなく医療費が月40近くかかり、実家資産家でもなく、かつ自分親族は遠方というベリーハードな状況の人っているのかね?

 

元増田さんから見ると、ベリーハードな状況から脱しているように見えると思う。

でも、安心してください!

 

 

すごいよ!すごいよ!私の元家族(両親は離婚済)!

去年から、ずーーと続いてるよ!

 

続く時は続くというけど、本当だっだねー…元増田さん、まだハードモード続行中なんで安心してください!

でも、私やあなたよりも酷い状況下で戦っている人はたくさんいるはず!ひとりじゃないよ!

あと、毎月医療費が40万円もかかってるなら、高額医療費として払い戻しできるんじゃない?ぜひ調べてみて!

 

自分健康診断で「高度」判定されたのだけど、再検査では「低度」になったので自然治癒する可能性があった。…残念ながら、先日の再々検査で「中度」に格上げされてしまったので、このまま自然治癒せず「高度」に上がってしまうと、めでたく手術になる。

 

案外、自分のことは冷静で、いの一番に「生命保険で手術・入院費が支払われるか」を確認した。

私に隙はなかった。ちゃんと出る保険かけてたぜw

母の方がうるさいくらいで、「セカンドオピニオンしてもらった方がいいんじゃないの?」と心配してくるが、正直かなりウザイ

この辺りは独身の気軽さで、「ダメなっちゃったら、もう仕方ない」という境地にたどり着いているのが原因かも。

 

この世にいる以上、生と死があるのは仕方ないこと。

配偶者子供がいたら、セカンドオピニオンでもなんでも受けると思う。

今のところ、自覚していないだけなのか、手放して惜しいものが一つも思い浮かばない。

 

まさか40半ばで達観するとは思わなかったな。ちょっと早すぎるよね。もっとあがきなさいよ。

2020-03-06

母方の祖母が死にそう

突然の脳内出血祖母が死にそう。私が産んだ子供とまだ会ってないことが残念だし寂しいけれど、「おばあちゃん長生きしたし、もう十分がんばって生きたよね。だから無理に延命措置して植物人間にするのはよくない」という気持ちがある。

「もう十分生きた」という気持ちわたしだけじゃなく他の親戚も同じ。ひ孫もたくさん産まれて、今妊娠中の親戚もいて、どんどん新しい命が産まれるので世代交代していってる感がある。

令和二年まで生きたんだから、おばあちゃんすごいわ。

いやいや、まだ死んでない。おばあちゃん

祖父はすでに亡くなっているから、祖母が死んだら母方の親戚とは疎遠になるんだろう。

今までは祖母誕生日とかで親戚が集まってたけど祖母が亡くなれば会う必要がなくなる。繋がりがなくなり縁の糸がほそくなる。だって、私の伯父伯母も孫が産まれておじいちゃんおばあちゃんになっているし、そっち方面優先だから伯父伯母やいとこと会う機会も減る。

こうやって、人の流れは変わっていくんだな。

2020-01-11

就職氷河期突き破って闘ってきたけど、もう疲れた。泣きたい。

40代も半ばに入る。

若い頃は、就職できないのも低所得なのも自己責任だとなじられ、中年になれば親の介護によって、人生失いそうな危機が迫る。

間の悪い時期に生まれた運のなさと言えばそれまでだが、もうなんかいろいろ酷くて泣けてくる。

…実はものすごく辛い。ここ20年、ずーっとその気持ちを抱えてきた。

なのに、涙さえ出ない。

泣くこともできないので、自分の心の中で、いろいろな苦しみが渦巻いたままになっている。

自分20歳の時、両親が離婚した。

大人になっていたから、どちらに付く・付かないみたいなこともなく、便宜上、持ち家の父と暮らしていた(5年後には家でたけど)。

この時失ったもの

今でも忘れられない。

真冬の雪の降る夜。

突然、発熱が始まって、家には解熱剤がなかった。

通勤していた父が帰宅したので、具合が悪いので近くのスーパーに連れて行って欲しいと頼んだが、テレビを見たまま無視

仕方ないので、40度近い状態で、雪の降る中、徒歩でスーパーに向かった。

通常なら、往復20分くらいで済む道のりだったのだが、体調が悪く、途中で足を取られて転んで動けなくなった。

田舎だったので、人も車の通りもなく、道路にひっくり返ったまま、夜空からかに降る雪を見ていた。

痛みと具合の悪さでしばらく動けなかったので、家に戻ってくるまで1時間以上かかってしまった。

もちろん、体調が悪化したのは言うまでもない。

から心無い仕打ちをされたのはこれだけではないが、去年、そんな父が倒れた。脳梗塞だった。

今は離れて暮らしているため、こちらに連絡が来たのは病院搬送されてから1週間経っていた。

当初は軽く済んでいたものの、治療を行なった後に脳内出血を起こして症状が悪化

一人暮らしは無理なので、今は施設にお世話になっている。

私は兄弟姉妹もおらず、父方の親族も亡くなっているか音信不通だったので、自分一人でどうにかせねばならなかった。

父の親族と母はあまりうまく行っておらず、赤ん坊の私が入院した時の揉め事きっかけに、ほぼ行き来がなくなっていた。

祖父母が亡くなった時にお葬式をしたので、2度ほど会ったことがあるのだが、母はもちろん、唯一の直系の孫である私も、親の目がないところでいじめられた。

当時、私は小学生だったのだが、いい歳したジジババが寄る辺ない小学生いじめるという、なかなかシュールな状況だったよ。

そんなこんなで父方の親族音信不通。確実に生存しているいとこの存在も知っていたが、私自身が名前を覚えていない…。 そのくらい馴染みがない。

父は定年時に多額の退職金をもらっていたのに、気がつけば年金でかつかつの生活をしていた。

資産も貯蓄もないので、病院費用をどうしようかと思ったが、ソーシャルワーカーさんのあたりが良かったのか、病院が用意している制度を利用する事ができ、無料治療入院をする事ができた。

これはもう、運が良かったとしか言いようがないが、共産系の病院だったので、後日、メモ用紙の裏を見て仰天する事になったけど…まあ、貧乏人としてはありがたい対応を受けたし、看護師さんが、皆さん明るくて優しい人ばかりだったので、搬送先が市外だったのは驚いたが、運が良かったと思う。

1.5ヶ月〜2ヶ月ごとに4、5日の有休を取って、帰っては病院やら役所やらを行ったり来たりしたので、金銭・体力的にかなりしんどかった。

以前は持ち家だったのだが、数年前に支払いきれずに手放してしまっていたので、泊まるところもない。

医療費はかからなかったが、私の移動費や宿泊費、田舎なのでタクシーバンバン使ったので、かなりの諭吉さんとさよならした。

懐は氷河期も真っ青なブリザード状態だ。

そのうち、一人暮らしには戻れない事が確定したので、部屋や車の処分もせねばならず、また諭吉さんは消えていく…。

また、持ち家の負債が残っていたので、月々細々と返済していたのだが、手動で振り込んでいたらしく、ばんばん督促がくる。

曰く「資産差し押さえ」するだの、不穏な文字が連なるアレだ。

一時期、意思疎通が全くできなくなっていたので、振込先がわからない。

先方に確認しようとしても、個人情報保護で、本人が「子供に教えても良い」と意思表示しなければ教えられないの一点張り

から、本人は意識不明だと言ってるでしょーよー…。

かくして、毎月定期的に不穏な督促状が送られてくる。

本人は錯乱していて、話ができない。

支払いたくても支払い先がわからないのに、督促状は送られてくる。

退院したらどうする。

賃貸どうやって片付ける?

お金は?

去年の年末、運良く施設に入所する事ができたが、そこに来るまで、毎日こんな感じだった。

そして、今も続いている。

施設には種類があって、今いるところは長期間いられない。

次の施設をさがすために、数十件の施設に申し込みをしたが、待機人数を見ると数年単位勝負になりそうだ。

もちろん、その間も真面目に仕事もしていた。

かなりしんどい。すべてがしんどい

それでも。

ひとつだけ、無理やりいいところを見つけるとすれば。

両親が離婚した時、母方の親族とは音信不通になってしまったのだが、父が倒れたことを知って20年以上ぶりに連絡をくれたこである

子供の頃は行き来をした親族だったので、私を心配して車を出してくれたり、お見舞金やお小遣いをくれた(お小遣いをもらう年齢じゃないんだが、「おじさんには内緒ね。取っておきなさい」と叔母がにぎらせてくれた)。

私は免許を持っていないので、車の移動や売買も、この親族が手伝ってくれた。

この時さ。本当にありがたかったんだよ。

父方はあてにしていなかったけど、母方の親族とは、私が子供自分は行き来もあって、色々助けてくれていた。

母方の親族がいてくれればな、って思ったことは過去に何回もあるけど、母の離婚によって、かなり長い間、音信不通になっていたのだ。

実際に手伝ってくれなくても良かったし、お見舞金もお小遣いもいらなかった。

ただ、心配して声をかけてくれたことだけが素直に嬉しかった。

離婚した母親心配はしてくれたのだが、父への不満が大きいのか、「なぜお金を貯めておかなかったのだろう」と私に文句を言う。

私に言われても非常に困るのだが、ともかく父への不満を口にする。

だってそう思ってるが、言ったところでお金は出てこないし、過ぎてしまってしまったもの文句を言っても虚しくなるだけだ。

父親の肩を持つわけじゃないが、こちらも疲れているので、私に文句を言うのはやめて欲しかった。

言われるたびにがっかりして、疲れてしまった。

からこそ、深い事情を知らないためか、そういった話をしない親族存在はありがたかった。

ただ、私を助けてくれる人たちだと感じられたからだ。

母親は年を経るごとに文句を言うようになり、父はもともと助けてはくれないし(他人は助けるけど)、今は病気のため正常な判断ができなくなっている(私の職業も知っていたはずなのに、いつの間にか、看護師ホテル従業員という、共通点がまるでないものにすり替わっていた)。

教育を授けてくれた親とはいえ、連絡をとったり、会うたびに精神力を削がれ、正直、かなり会いたくなかった。

こちらの相談には全く乗らず、言いたいことばかり言うからだ。

その証拠にと言うか、10年くらいは父と会っていなかったし、母とも数年間連絡を取ってなかった。

大人になってから、親から助けてもらったことは一度もない。精神的にも金銭的にも。

就職氷河期だったので、新卒で入った会社は、正社員入社したにも関わらず、景気が悪いだの何なのと理由をつけて、正社員になるまで3年近くかかった。

最終的に正社員になれたのも、その会社で一番大きいクライアント担当になっていたからだ。退職してやる!って喧嘩になったが、結局、会社正社員にすることで、一旦収まった(そして1年半後に辞めたw)

時給700円。手取りはいい時で13万円、悪ければ10万円を切る。だから、すごい貧乏だったんだよね。

それでも、当時は実家暮らしだったので、家賃がないだけマシだった。

いつ解雇されるかわからないので、かなり頑張って貯金していた。月10万とか。今考えればよくやってたよ。

そういう貧乏していたけど、親にお金を借りたことはない。お金がなければ、食べ物切りつめたり、買いたいもの控えたりした。

パジャマシーツビリビリに破けていたけど、買うお金なくて、そのまま使ってたことあるしw

でも、親にはそれぞれお金を貸した事がある。20万ずつ。

半分くらいは返ってきたけど、全額は戻ってこなかった。

他人の家を見れば、子供を助けてくれる親も多いのになあ…周囲はそんな人が多いのに、なぜ自分は違うのだろうって思ったよ。

隣の芝生は青いだけなんだろうけど、大人になってから、頼る人はまったくいなく、しか自分が苦境になった時に限って、親が頼ってくるという最悪パターンが多かった。

過重労働で鬱になりかけたことも何度もあったけど、

「鬱になっている暇はない。助けてくれる人は誰もいない。自分自分を助けずして、誰が助けると言うのか」

そう思って、歯を食いしばって頑張った。

暗くなる心を奮い立たせて、仕事では、いつもニコニコ平常心でいるようにした。

から、人に八つ当たりしたこともない。

苦しいのは自分だけじゃない、自分以上に苦しい人はたくさんいる。

就職氷河期で、理不尽書類選考面接があり、圧迫面接なんて当たり前だったけど、まだ頑張れる!まだマシだ!って思ってやってきた。

パワハラにもセクハラにも、絶対に負けなかった。

そこでくじけてしまったら、自分に意地悪を仕掛けてくる人に負ける事になるから

自分は、運良く困窮するところまではいかなかったけど、そんなのは薄皮一枚の差で、周囲を見渡せば、誰よりも努力をしていたのに、ほんの少しの運に恵まれず、望みを叶えられなかった人がたくさんいる。

どちらかといえば、望みを叶える事ができた自分は、頑張る義務もあると思うんだ。

私が今いるポジションは、努力しても叶わなかった人たちが欲しかった椅子だろうから…。

去年はそんな感じでプライベートがゴタゴタだった。諭吉さんがたくさん旅立ったのも痛すぎて死にそうだった。

プライベートだけならまだよかったが、職場でもゴタゴタが数年続いている。

どうしたことか。

会社初の女性管理職になる羽目になり、その上、同じ役職の中でも数人しかなれないポジションにいる。

本当は管理職になりたくなくて、自己評価を下げまくっていたのだが、管理職じゃないのに管理職と同じ権限を持たされるようになり、会社制度上、色々不都合ありまくりだったので、仕方なく管理職になった。

はっきりいえば、部長自分の使いっ走りが欲しかったんだろうな。

なぜ、管理職になりたくなかったのか。

当時、配属された部署の内部がごちゃごちゃだったかである

私自身、その部署には配属されたくなかったし、好きな部署があれば、どこでも受け入れると言われていた。

ただ、どの部署も引き取らない部下がいて、私のバーターとしてなら受け入れると言ったのが、唯一その部署だけだったのだ。

部下の名誉のために言っておくけど、仕事ができなかったわけじゃない。

新卒2年目くらいで、実務経験不足だっただけだ。

実務経験を積ませなかったのはオマエらなのに、配属拒否かい身分だよね。

普通に経験積ませれば、仕事ができるようになる人材だった。物覚えも良かったし、キラリと光るセンスもあった。

配属部署がなければ宙ぶらりんになる。いろいろな不利益も生じる。

本人に落ち度もないのに、そんな立場に落とすわけにはいかない。

自分新卒だった頃、不当に扱われ、嫌な目にたくさんあった。けれど、周りは助けてくれなかった。優しい言葉をかける上司日和見主義者で敵だった。

そう言う経験をしたからこそ、見過ごすわけにはいかなかった。

からものすごく嫌だったけど我慢して配属された。

予想通り…というか予想以上にごちゃごちゃで、管理職として配属された最初仕事が、部下に突き上げ食らってノイローゼ寸前のリーダーとの面談たっだ。

業務内容知る前に、人間交通整理とは…。

そして、それは今でも続いている。

この部署は、売上だけはいいので、若手の頃から野放図になっていたところがある。

そのため、メンバーはかなりスポイルされていて、私から見るとわがままな奴ばかりだ。

同じ社内で、クライアントに苦労させられている社員が数多くいるのに、その社員らを無視して、自分意見を無理やり通そうとする。

自分就職氷河期世代で、上からガッツリ押さえ込まれる割に、仕事ノウハウは何も教えてくれない環境にいた。

まともな教育もせず、仕事ができなければ、信じられない方法で首を切られた。

最近の若手は恵まれているなと思う。

きちんとした教育を用意され、言いたいことを言い、けれど会社立場保証され、守られている。

まれているのに、もっと福利厚生を拡充しろ給料が安いだの評価が不当に低いだの文句ばかりだ。

うちの会社パワハラセクハラに敏感で、若手社員ストレスがかからないよう、特に管理職言動に注意するよう指導されている。

そのためか、逆パワハラと呼ばれる状況に陥りやすく、守られた若手社員突き上げられてリーダーが病む、ということが珍しくない。

とくにうちの部署には「ぜったい部下にしたくない」ナンバーワン若者がおり、こいつが部署の癌になっている。

さすがに管理職にまで上がる人間は、下から突き上げられることがあっても負けないので、病むところまではいかない。

私も「絶対に部下にしたくない」ナンバーワン逆ギレされて怒鳴られた事があるが、あまりにもわがまま言動すぎて「自分に甘く、素直に生きていると、本当に楽だよなあ」と思いながら右から左に受け流した。もちろん病まない。

自分は病まないが、他のメンバーは病む。

その片鱗が見えると、メンバー個別面談を設定しなければならず、かなりしんどい

私は仕事に来ているのであって、お守りしに来ているのではないのだが…。

自分若い時は守られなかった。

中年になった今、若手は守られるのに、自分会社から自分で頑張ってね」と言われる。

本当に、生まれた時期が悪かったよなあ。

2年上はベビーブーム子供の数が多く、受験も大変な世代だった。

私のころも余波があって、浪人中のベビーブーム世代との戦いがあったので、まあまあ大変だった。

最後に楽しかったのはいつだったんだろう。

悲しくて辛くて泣いたのはいつだったんだろう。

外も内も辛くて嫌なことばかり。

死にたいとは思わないけど、辛くて苦しくても涙も出ないから、逆に苦しいものが心の中に堆積する。

苦しい時に泣く事ができれば、発散する事ができるのにね。

頑張り過ぎて泣き方をわすれたのかもねー。

大人になってから頑張ったよ。

学生の時なんか、目じゃないほど頑張った。

不当な扱いにも耐え、戦った。

就職氷河期も突き破った。

多分、就職氷河期世代の中では、恵まれている方だと思う。人によっては「勝ち組」って思うのかもしれない。負けてもいないが、勝ってもいないのにね。

でもさ。

プライベート仕事も頑張るには、もう、息切れして動けないんだよ。

20年以上頑張ったんだから、もういいよね。

ばらばら書いたから、話が飛び飛びになってる。

支離滅裂なのは疲れているから。この苦しさを誰にも訴えてこなかったから。

これだけ頑張っても、誰からも認められないのが中年ってことなのかなあ。

自己責任を強く求められてきたけど、全然褒められないんだよね。

我々世代はそれが当たり前で、他は守られる世代ってことなんだろうか?

ほんと、運悪いよね。

2019-12-15

anond:20191215200012

元気なときならそうしてたけどな

脳内出血とか、心臓とかも含め

そうとう弱ってるから

むかしもおなじこといったやつがいるけど

おれひとりぐらいやじってもいいだろ?(現実には数百の勢いでコメントが増えてるときでも)

 

あいつらは100人単位でひとひとりをやじっても無視してりゃ大丈夫とか本気でいうやつが多い

2019-12-13

おまえのために

おれお前を傷つけたら

”おまえのために”お前の前から消えるわ!

おまえのために!

 

わたしのきもち その程度は おかまいなく

 

脳内出血とかかもな まぁ俺は苦しみぬいて死ぬ運命だったんだろう

そいつ関係者にうまれたことが俺の罪

2018-11-18

anond:20181118200138

血糖値が下がり過ぎても頭痛になるし、

脳内出血とかでも頭痛になるし、

うーん心配

2018-05-16

anond:20180516104113

脳内出血からくるめまいは、数時間後の死によって解消します。

安静にして死を待つか、今すぐ病院に行くかの2択でしょう。

2017-10-28

anond:20171028071755

子供といたいんならそうしたら良いんじゃないかと私は思う。

私の母は若いバリキャリで私含む三人の子供たちを祖母に丸投げして夜遅くまで働いていた。

母はおそらく仕事だけでなく子供たちも大好きだったろうし私も母が大好きだったけれど、そのうち私とも兄弟達にとって母は「いないのが普通の人」になってしまっていた。

特に、長子で最も母に世話をされていない私にとって、母なる者は側で面倒を見てくれた祖母だった。

母は私が七歳位の頃家庭に帰ってきた。というのも祖母が大病を患い育児家事殆どできなくなってしまたから。

母の帰還当初、私と兄弟達は母を歓迎したけれどもすぐに母の事が鬱陶しくなり、母子間に軋轢が生じた。何故なら母は私達の事を長い間見て来なかったので、母の中で私達はずっと赤ちゃん同然だったからだ。

子供は七歳ともなれば広い外の世界に踏み出し親の知らない世界を持っているものなのに。

はいっても子供は案外ながくに親を心の支えとして必要としているものだ。

だが、私にとって母とも言うべき祖母は、家事育児引退すると急速に認知症が進み数回に渡る脳梗塞脳内出血によって人格崩壊人間の姿をした人間ではない何かに成り果てた。

私にとって祖母を失うという事は母を失うと同義であるのに、周囲は事の重大さを全く気にもとめなかった。何故なら実母が生きているからだ。母がいつの間にか母親ではなくなってしまっていた事に、誰も気づかず、私は静かに壊れていった。立ち直るのには長い時間を要した。

ひと度母としてのあなた子供さん達に刷り込んでしまたからには、できる限り長くあなたは母として子供さん達に寄り添っていて欲しい。私の母の様に知らず知らずのうちに母を降りてしまったり、私の祖母の様に早くに子供達の前からいなくならないで欲しい。

仕事すると仕事一辺倒になってしまうならよく考えてね。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん