はてなキーワード: こんにちわとは
ん〜とな、ありゃ俺が中2ん時の話だぁ( * ॑˘ ॑* )゙
田舎にけぇった(帰った)ら、自転車で田んぼ走ってみたくなるでさ、それで神社までママチャリで走ったさ、んで、神社で「いつかの事故の時はあんがとございました」と祈って出ようとしたら
「こりゃ!持ち帰るしかねぇべ」とバックにしまって持ち帰ったさ、んで2階の部屋で読んでみたらさぁ、とんでもねえ内容で眼を丸くしたんさ
そもそもひらいたページがいきなり小学生の娘を調教して赤ちゃん作る漫画だったもんでさ
「3けんな!作者は最低だな!」と妙な正義心で
むくむくと海綿体が膨らんでしもうていたよ。
それでさ、幼女が筋肉ムキムキの男に次々レイプサれる漫画があって、さすがにそれを読んだら我慢できなくて、息子を空気とこんにちわさせて
白いミルクをぴゅーっと出したんさ
それから何度も俺の息子がそのLOにはお世話になったなぁ。ページにいちいち精液をつけるのが趣味なもんで、数ヶ月したら読めなくなっちまった
以後お見知りおきを
その村は、実に奇妙な村だった。
おおよそ布と呼べぬようなボロきれを最低限、身にまとう格好で生活し、浅黒な肌は古来の原住民を思わせ、ぱちりとした大きな目と背の高い鼻は相手を威嚇するようであった。
こうした彼らアングロサクソン系に属さぬ種族の暮らす集落は、全体の人数はおおよそで百人前後。
森林に囲まれた場所に集落を築き、たいして大きな村とも言えず、互いの顔を知り合い、共存して暮らしている。
まさに一個の家族、巨大な集合体のようなもので、かれらは時計的時間に暮らさず、出来事時間によって生活をする。
つまり村のF氏と午前11時に会う約束をするならば、「11時に会おう」と言うのではなく「子牛を散歩に連れ出す時間に会おう」という必要があった。
尤も、11時ならば彼は散歩に行くので会えないことにはなるだろう。
然しこうした出来事時間を持つ社会的集団は少なくなく、それはむしろ、急激に進歩を遂げた我々とて同じ。
以前、といっても数百年ほども前だが、とにかくそのころは我々先進国であろうと正確な時計は持たず、正確な時刻を知らずに暮らしていた。
故に、時間、というものは絶対的なものに成り得ず相対的であり、さらには個人的。
各町、各村によって時間は異なり、時計がずれている事さえも常識であった。
だからこの町が奇妙だと、
そう評するのは何も、こうした出来事時間に添って暮らすためではない。
彼らは我々との認識が、著しく異なっていたのだ。
そう、”死”に対する認識が。
彼らは”死”を恐れない。
いいや、そうではなく、むしろ彼らは”死”を喜んで受け入れるのだ。
まるでそれが大層めでたい事のように。
その事に気付いたのは、滞在三日目の朝だった。
日の高さが頂点付近にまで登り詰めた頃に起床すると、いつもと違う雰囲気に戸惑い、太鼓の音などが聞こえ、辺りには明るい民謡のような、陽気な歌声が響いて回った。
それからテントのような簡易的な宿を出ると、村の人々はみな笑顔で、子供などは小躍りしている。
「なにごとかね?」
するとその男は「ああ、あの家あるだろ」といって軒先の一軒を指差し、あそこの爺さんが、雄鶏の鳴く頃に死んだんだ、と私に言った。
満面の笑みでだ!
私は奇妙に思い、「どうしてみな笑い、騒いでいるのだ?」と訊ねた。
すると男は不審者を見るような視線を私に向け、「めでたいからに決まってるだろう!」と言った。
私はますます分からなくなって困惑したが、同時に彼らの習慣にえらく興味が沸いては、滞在予定の一週間を変更し、長期に渡って居続けよう、という気になった。
彼らが何故 ”死” を祝福し、そして恐れないのか。
そもそも、私が間違っていたのだ。
”死”は恐れるものではなかった。
私は彼らに訊いた。
「どうして”死”がめでたいのか?」と。
すると彼らの一人は笑顔でこう言った。
私は人間だ。
そして、私は既に死んでいたのだ。
それだけに過ぎない。
片割れの私は既に死んでいて。その死んだ片割れこそが ”死” だったのだ。
もしこれまでの私と今の私とに違いがあるのだとすれば、それはその事に気付いているかどうかの違いに過ぎない。
私は教わった。
誰もが、いや、どの生物も、不完全で生きてるのだということを。
それは半身が欠けているからであり、人間なる生き物は、そうしてかけた半身に
”死”
という名前をつけたのだ。
誰もが死を恐れながら、死に惹かれ、死に関して興味を示すのは無理もないこと。
理由が分ければ明白で、それは自分を求めていての行動だったのだ。
誰もが自分のかけらを求める。
それはそうだ。
すべてのことを。
私の半身、それが持つ、きおくのかけらは、いのちのかけらなのだ。
今の私は好意的に ”死” を向い入れよう。
いいや、これでは言い方が適切でない。
”自分”
を受け入れる。
ただそれだけのことだ。
私は枝木のように細まった腕を床で十分に見つめた後、ゆっくり目を閉じる。
やあ、こんにちわ。
そんなふうに声をかけて、
そんなふうに思いながら、
私は安らかな表情をして、意識を失った。
定数係数回帰数列が無限に多くの 0 を含むかを判断するアルゴリズムは存在し、もし無限に多くの 0 を含むのであれば、漸化式の特性多項式の根の代数的性質に基づいて、0 の位置の「分解」を周期的な部分列として示すことができる[3]。スコーレム問題の難しい部分は、0 が有限個である(したがって周期的でない)場合に、0 が存在するかを判定する部分で
ま、そんな冗談は置いといてオレ、すきなこ
いるんですわ。もちろん女の子ね(当たり前だろw)何で好きになったかって体育の時、理由は分からないけどその子見学してたんすわ。その時にちょっと苦しいのかお腹ぎゅってしててその姿がめちゃくちゃかわいいんすよ。で、べた褒れってわけなのだwでもまだ
あんまり話はできてないけど…(´- ̯-`)ま、今度話しかけてみるっす勇気出して
、んで本題なんすけどねオレ最近他言語にハマってるんすわ。しかも、めっちゃマイナーな言語(ズール語とかミゾ語とか)そん中でも一番好きな言語がスロバキア語なんすよ。でもまだ単語単語しか覚えてないけど(日本語も怪しいからだろw)でもスロバキア語って
ちょーかっこよくないすか?例えば聖者→ svätýとか 破壊→ zničenieとかめっちゃ気に入ってるんすよ!学校に持ってかない秘密のノートとかもうその単語ばっかりメモしてるwこんなかっこいいなら好きな子に教えたいとかならないすか?最初はこう、簡単な単語からあたふた教えていってでも「Páči sa mi to」ってのだけはなかなか教えないでいてある日突然耳元で囁くんすわ「好きって意味」だって。くーめっちゃたまらないのだ!あ、その子ことなんすけどめっちゃ見た目かわいい
系ですわ。プライベートなんか口紅してるんすよ!ブランドのバック持ってヤバくないすか??しかも、多分虫歯もないみたいで、歯医者の待合室で偶然会ったことあるんすけど
「今日は検査だね」って受付が言うと「はい」ってにこやかに微笑んでたんす。もう、めっちゃ羨ましい!あれっすね、昔の流行語に「貧乏人は麦を食え」ってあるじゃないすか。
彼女は貧乏でもないし麦じゃなくて愛情をたくさん食べてるんすね!だからオレも告白して愛情たくさん食べてもらいたいっす!阿諛なんか使わない様にしてるけどあの子の前だったらついぽろっと口にしちゃうっす!
何を言ってるのかわからねーと思うが、おれも何をされたのかわからなかった…
うちの会社は中小のソフトウェア会社だけど、数年前に大手企業に買収された100%子会社ってやつで、その時、給与体系は親会社と同じ運用に変更されたんだ。
管理やるより実装とかやりたいんで、チームリーダーやらされる昇進は断ってたけど、人よりコーディングが速い分評価も高く、年功序列の恩恵もあって、順調に給料はあがってた。
で、給与体系の変更で、謎のランク制度が導入された結果、自分は一般兵のランクの上限を数万円上回っている状態になっちゃった。
さすがに給料下がるのはマズいってことで、額面は据え置きになったものの、以降、まったく昇給はされないことが確定。
まぁ、一般兵で貰える額としては十分だったから、それ自体に不満はなかったんだけど、去年、物価高騰に伴い、グループ全社員を対象に、月一万円の賃上げが発表されたんだ。
久しぶりの給料アップに、ワクワクして四月の明細を確認したら、いつもと同じ額面がこんにちわ。
小さい会社なんで、直接社長に確認したところ、「親会社からの指示はベースアップじゃなくて賃上げ。一律ではなく能力に応じて平均一万円。通常の昇給と同様、ランクによる上限はあるけど、上限は一万円増額した」んだそうな。
まぁ辻褄はあってるし、めったにない事態だから納得してたんだけど、今年もやることが決定したそうな。
それを調味料の引き出しに入れといたのね!
それでさっき初めて使おうとしたの!
これね!赤いフタを外すとね!本体に白いキャップがついてて少しだけ出せるのね!
だから引き出しあけて赤いのとって!赤い蓋を回すでしょ!?それを辛いの得意じゃないから一振りね!さっとかけてね!引き出しに戻して隣の胡椒手に取ったの!
この胡椒!これもハウスのやつ!唐辛子と一緒!この胡椒を取ってね!蓋を回して取ってね!そおい!よ!
そしたら胡椒がゴバーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!
人間あれね!本当に驚くと動きが止まるのね!流れる胡椒を見つめることしかできなかったわ!
ようやく慌ててひねった手を戻したら新品の半分ぐらいの胡椒ががが!
なにごと~!?!?!?!?!?!?!?!?!?ってみたらねみたらよ
これね!この胡椒ね!瓶につけるフタ自体にもうひとつフタがあってね!それを持ち上げて開くといくつか穴が開いた状態になってフリフリできるのよ!瓶についてるフタ自体を回して外すと唐辛子と違ってね!お口全開のはだかんぼの瓶がこんにちわしちゃうの!
わわわ罠ぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!
唐辛子と同じ手順を踏むと調節レスでガブガブ行けちゃう罠ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!
フタ持ち上げる!入れる!戻す!唐辛子持つ!フタもち…上がらない!フタ回す!入れる!戻す!
それがなんの因果か唐辛子から入れたから!!!!!!!!!!!唐辛子の動作は胡椒にも使えるから!!!!!!!!!!!!!!でも出る量は全然違うから!!!!!!!!!!!!!!!
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
それでね、入れちゃった胡椒ね、なんとか食べようとしたんだけどね、これ無理だなって。体が危険信号だすなって。先に入れた唐辛子のせいかどうかわからない辛さとひり付きがあるなって…。
調べたら全部食べても死にはしない量みたいだけどね、でも、無理だなって…。
食べ物捨てるのはとても辛いんだけど…大量の水に入れて薄めてスープに再利用とかも考えたんだけど…。
でももうね、もういち早くこれを見たくなくて忘れたくて流しに捨てちゃったの…。
綺麗さっぱり消えてくれたらよかったけどまだ流しの水切りネットに沢山胡椒がこんにちわしてるの…。ああ、キミはちゃんとゴミを受け止めてくれてるんだね。働き者だね。でも、今はキミのその優しさが辛いや…。
もうね、書くしかないんですわ。ハウスさんにクレーム入れるとかじゃなくてね。この気持ちを。こうやって。流して、切り替えて、残った胡椒と向き合っていくには。これは儀式なの。
これでもうね、一生調味料の小瓶を持ったら一時停止する人間になると思うの。どんなに人から奇異の目で見られても形状確認。ロボットかよと思われてもいい。むしろロボットならこんな気持ちにもならないからなりたい。もうあのブラインドで流麗に調味料を扱う日々は死んだの。疑り深い偏屈人間の出来上がりよ。
ああ、ごめんね胡椒。愚かな私を恨んでくれ。これからこの十字架を一生背負って生きていく。
でもね。それはそれとしてね。
文法は間違えるしまともに議論はできないし本当に海外在住か疑わしいけどな
それは結局「hi→こんにちは」の変換を高速でやってるだけなのよ
わかった気になっているだけで本当の意味でhiの使い方をわかっているわけではない
thank youも一見簡単に見えるが日本語のありがとうとはかなり使い方が異なる
生の英語に触れていればその差異を多少埋めることはできるが結局ネイティブではないから限界がある
だからこそ常に自分の理解は正しいのか自問自答する謙虚さが大事なの
そういう謙虚さを忘れるとこの海外在住増田や菅総理を批判した連中のように大して英語もできないくせにネイティブや辞書の言うことを偉そうに否定した挙げ句恥をかくようになる
例のプール付き公営公園で"健全"や"卑猥"という指針が出され、この指針に定数も定量も無いなぁと感じたのだけれど、それよりも気になったのが「18歳未満のグラビア撮影を禁止にしたらどうか?」という試み的な提言をされている方が結構居るのが気になった。
ざっくりわかりやすくいうと、人物をメインの被写体として撮影することをポートレート撮影と言うのだけれど「18歳未満のグラビア撮影を禁止にしたらどうか?」を試み的に提言している人はグラビア撮影とポートレート撮影をどうやって線引きするんだろうか?
個人的におそらくは無理だと思われる。
何故ならグラビア撮影はポートレート撮影という大きなジャンルに含まれる小ジャンルであり、ポートレート撮影の近接用語は景色を撮影する風景撮影や、香水瓶や人形やガジェットなどを撮る小物撮りなどであり、ポートレート撮影というのははてな界隈で言うところの主語デカ問題だからだ。
グラビア撮影はご存知の通り、別に水着や下着、肌面積の多い女性だけを撮るというものではなく、少年青年漫画雑誌の表紙もグラビア撮影だし、露出とは真逆にライダースーツを着込んでバイクにまたがっている人物を撮影するのもバイク雑誌ではグラビア撮影である(バイク界隈のグラビア撮影には峰不二子的な方向性もあるけれど全体で言えば少数派だ。何故なら峰不二子に比肩できる女性はそう居ないから)。
いや撮り鉄のように特定の被写体が好きな連中も居るけれど、実際のところ撮り鉄が列車ばかり撮ってるのか?と言われると大半の撮り鉄は主な被写体が列車なだけで、奴らは列車の無い風景も撮っているだろうし旅先のメシも撮っているはずだ。
カメコとしてイメージしやすいアイドルの追っかけだってそうだろう。何なら筆者には妻も子も居るし、筆者の主な被写体は妻と子である。妻と子で培った撮影経験をアイドルの撮影に応用していると言っても過言ではないだろう。それくらい妻と子を撮ってる。
カメコへ共通する特徴は何なのか?と言えば、キモデブでオタクなおっさんではなくカメラと撮影の知識だろう。カメコなんだからそりゃあカメラを趣味にしていない連中よりはちょっと詳しい。
近年じゃスマホカメラの性能があがり誰も彼もが気軽に写真を撮るようになったが、女の子をより可愛らしく綺麗に撮るという点ではスマホカメラってちょっと不向きだよなという印象をカメコならば誰しもが持っているだろう。
スマホカメラのレンズはいわゆる広角レンズが大半であり、広角レンズは歪みが大きくて太って写る。標準体型がデブになり、デブはよりデブになる。それがスマホカメラのレンズだ。
世の中にはポッチャリ好きが居るというのは非常に重要な指摘だが今回はそこを問題にはしていない。今の自分よりもスマホカメラは太って見えやすいということを問題視しているのだ。
じゃあどうするべきなのか?と言えばズームするわけだ。最近のスマホカメラは多眼になっているので最も拡大できる望遠レンズを選択して撮影する。
ポイントはデジタルズームは使わないことだな。デジタルズームは単に画像ピクセルを拡大しているだけなのでレンズの歪みに影響しないので意味がない。
望遠レンズは広角レンズと比較して歪みが少ないので、痩せて写るわけではないが広角レンズにように太って写りにくい。
まだ女の子を可愛らしく綺麗に撮るポイントはある。1枚の写真へ全身を収める場合は顔を中心にではなく腰を中心に撮るのだ。
顔を中心に撮るとレンズというのは多少なりとも歪みが発生し、レンズの中央はレンズの端へ向かって歪んでいくので顔がデカくなり首より下が小さく写る。
自分の顔がデカいと悩んでいる女の子が居るとしたらレンズの中央で撮るというのは更にコンプレックスを強調する結果となるわけだ。顔はレンズの端へ持っていけ。
更に良いことがある。腰をレンズの中心に添えることで、前述した歪みから腰の部分が多少広がり相対的に上半身と下半身が細くなる。つまり小顔足長になり女性らしい身体の曲線が強調される。
ほんの少し下から煽るように腰を中心に撮影すると小顔脚長効果が更に増すぞ。
胸が小さめなのが悩み?いや一部に需要あるぞ?えっそういうの良いから大きく写す方法を教えろ?
逆に広角レンズを使え!広角レンズは歪みが大きいため、広角レンズで胸を中心に据えて顔もレンズの端に写るように近接撮影しよう。相対的に胸デカ小顔の写真が撮れる。これは逆にスマホカメラが有利だな。
ここに書いた写真撮影術を使えばマッチングアプリのプロフィール写真とかもちょっとは印象良くなるんじゃないか?需要あるか知らんけど。
カメコはこういう知識がある。撮り鉄は主な被写体が列車なのでポートレート撮影の知識がアイドルカメコと比較すると少々乏しいだろうけど、このくらいは知っている。逆に撮り鉄は雄大な自然とか真っ直ぐなものを歪み少なく真っ直ぐ撮る方法とかに詳しいぞ。
このようにカメラと撮影にちょっと詳しいヤツが疑問に思うわけだ、グラビア撮影とポートレート撮影をどうやって線引きするんだろうか?と。
何が健全で何が卑猥か?なんてポッチャリ好きや貧乳好きが居る世界で一定の線引きなんてできるわけがなく、世の中にはおそらく女性用リクルートスーツが性癖ですみたいなヤツとか、北海道とかに居そうなコートで厚着してモコモコになってる女の子良いよねとか言うヤツが必ず居る。そういう連中に取ってみればリクルートスーツもモコモコなコートのポートレート撮影も卑猥な写真になるのさ。
この世界には衣服を燃やす様子を映したアダルトビデオが存在するんだぞ?もちろん女性、というか男性を含めて人間、何なら生物は一切出てこない。本当に服が燃え上がる様子だけが淡々と流れる映像だ。ハイレベルすぎて理解が追いつかないがアダルトビデオとして実際に販売配信されている(一説には服が燃える映像がアダルトビデオとして販売されている事自体に意味があるらしい。こんにちわ宇宙猫)。
最後に蛇足だが、筆者の妻は不定期に筆者が撮影した妻自身の写真をセレクトし「これ遺影に使ってね」と言ってくる。カメコ冥利に尽きるよね。
うちは公園ではなく、ご近所のお子さんの声。
会えば挨拶もするし、お子さんともじゃれて遊ぶようなご近所さん。
割と仲良くさせてもらってたと思う。
で、2020年のコロナ禍で非常事態宣言が出て、保育園とか学校とかが休校になった。
そんな中で、このご近所さん、夏場に庭にビニールプール出して子供(複数)を遊ばせるようになった。
最初は「元気でいいなー」くらいの認識だったけど、子供(保育園とか小学校低学年くらいと思ってくれ)が
フルパワーで「キャー!キャー!」と1時間も騒いでると、流石に「ちょっとうるせえなあ…ここ住宅街だぜ?」と思うようになった。
けどさ、朝8時から夕方6時くらいまで、家を出たり入ったりしながらずっとプール遊びをしてんのよ。
楽しく遊ぶ子供、「くらええええーーー」「キャーーーーー!」「おかあさーーん!」「ちょっとーーーー!」「キャハハハ!!!」
こっちは窓を完璧に締め切って、しかも全部屋2重窓を導入済み。
そんな防御壁があっても、数メートル先からの子供の声の前にはほとんど無力に等しい。
最初キツイのは物理的に飛んでくる声だけど、すぐに「いつアレが始まるのか分からない」という、
コントロールができない状況そのものに精神が耐えられなくなる。
しかも向こうは、こっちに迷惑をかけてると思ってないから、さらにタチが悪い。
増田がいう、騒音元の「想像力のなさ」に絶望と怒りが止まらなくなってくる。
で、玄関を出ると「こんにちわー!」「どこいくのー!!!」と元気に声をかけてくる子供。
先日までは可愛いと思ってたけど、もう無理。
そこに何で考えが及ばないんだ!と怒りしかわかなくなった。
やんわり「お元気ですねえ」(うるせえ)と伝えても伝わらず、そんな状況が1ヶ月か2ヶ月か…
一度、プールが破れて数日静かだったので「助かった!」と思ったら
そんなある日の朝。
新聞を取りに玄関を出たら「今日もプールやってまーすー!!」と子供が声をかけてきて、何かが切れた。
「休みの日の朝くらい静かにね」と言い捨てて家に入り、家族に「もう限界。次はもう直接言う」と話したら、
題名の通りだ。ネット環境という文字でのコミュニケーションが多い環境だからこそなのかもしれないが、気にしなくていいような誤用が気になってしまう。
例えば、「~しないわけにはいかない」の意味で用いる「~せざるを得ない」を「せざるおえない」「せざる負えない」「せざるえない」と表記するだとか。「または」「あるいは」等の意味で用いる「もしくは」を「もしくわ」と表記するだとか。気になる誤用を延々と……そうそう、「延々と」もそうだ。「永遠と」と表記する人をよく見かける。
話を戻して。自分でどの誤用が苦手なのか、どの誤用なら問題ないのかを考えてみたものの、共通点がてんで分からない。「せざるおえない」「もしくわ」「永遠と」「そうゆう」「~しずらい」は気になるのに、「こんにちわ」「全然大丈夫」は大丈夫だし、ら抜き言葉もそこまで気にならないのはなぜなのか。ら抜き言葉が気にならないのに縦書きの文章を左から右に読ませるものが気になってしまうのはどういった理屈なんだろう。
別にこれで自分だけが気にして少し嫌だな~ともやもやするだけなら別にいい。いや、正直なところを言えば嫌ではあるのだが、自分だけで完結するし自衛もできるだろう。気になる誤用が出てきたなろう小説はそれ以上読まなきゃいいし、気になる誤用を扱う切り抜きチャンネルは見なければいい。
だが、自分は大層厄介なことに、どうしても気になって声を上げてしまいたがる性質だ。このように。今こうしてここに書いてしまっているように。普段SNSやらで友人達と交流する時だって誤用が気になって仕方がない。もちろんそんな誰彼構わず指摘しているわけでもないし、親しくなった友人にだってなるべく言わないようにしている。言ってしまったこともあるが、苦手なものを聞かれた時に「そうゆうとかもしくわとか、そういう感じの誤用が苦手かも。使うなとは言えないけど」程度の回答に留めていたように思う。とはいえ、使うなとは言えないと言ったにもかかわらず、友人の誤用が気になり段々嫌になって自分から距離を置いてしまったこともあるから、これも最善ではないのだろう。
そんな中、先日、ついに別の友人に「その表記は誤用だよ」と指摘してしまった。「『延々と』と『永遠と』は全く意味が違うよ」と、ついに声を上げてしまった。友人は心優しく、自分のこんな狭量な発言に対して謝罪をしてくれた。気分は全く晴れない。口語表現となんとなくのノリで生きてきてしまった、言葉を扱うのが昔からずっと下手だった、と友人は続けて零していた。気分は全く晴れず、それどころか落ち込んだ。
言い方が悪かった。このことに関しては間違いはないだろう。けれど、どう言ったらよかったのだろうと考えてしまう。そもそもとして友人たちは好きなように言葉を使っただけであって、その言葉を見て自分が一方的に気になってしまっただけなのに、自分が何かを言う必要なんてないだろうに。言わないほうがよかったのかもとも思っているが、言わないなら言わないでまた自分から距離を置いておしまいだろう。見ただけで集中力が切れ、見続けるだけで段々気落ちしていくのだから、言わないままというのもきっと自分の精神衛生上よくない。
誤用が気になってしまう。誤用が気になってしまう自分に嫌悪感を抱いてしまう。言語は移り変わっていくものだと分かっているつもりでも、移り変わっていく過程で生じた誤用であり数百年後には正しい表記になっている可能性もあると理解しているつもりでも、それでも気になって気分が悪くなったり気分を悪くさせたりしてしまう自分に嫌悪感を抱いている。
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彼は日々、料理の海を泳ぎ、味の宇宙を探検していますが、日本の方々とのコミュニケーションがちょっと難しいみたいですね。
なぜなら、言葉も文化もまるで異なるからです。でも、ここに話す鍵があるかもしれません。
日本の伝統的なボードゲーム、将棋が彼の日常にスパイスを加えてくれました。
ルールも駒の名前も知らなかった彼に、ある日突然、一つの光が差し込みました。
「こんにちは、おじさん。将棋やろうよ」と一つの提案が舞い込んできました。
提案主は近所の7歳の将棋マスター、太郎くん(名前は変えています)!彼は将棋が大好きで、よく父親と一緒に遊んでいます。
彼が彼の将棋の秘密を李店長と共有することを約束しました。そう、彼は無料の将棋教師になったのです。
李店長も彼に対して感謝の気持ちを表し、「ありがとう」と日本語で返しました。そして彼も、「どういたしまして」との言葉を返しました。
そうして二人は、将棋を通じて友情を深め、新たな文化を学びました。
李店長は日本語と日本の文化を学び、太郎くんは中国語と中国の文化を学びました。
一緒に成長し、年齢や国籍を超えた友情を育んだ二人。彼らの物語は実話です。