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はてなキーワード: 傍証とは

2018-06-26

小並感を「こなみかん」と読んでしまうワケ

※以下は不完全な私見です。他の傍証バンバン歓迎しま

小並感は「小学生並みの感想」の略であるから本来「しょうなみかん」と読むべきであるが、初見で「こなみかん」と読んでしま人間は多く、一部ではもうその読み方で定着している(←何を今さら

これはなぜだろうか?

通例「小物」「小粒」「小柄」「小枝」「小技」などの熟語は「こ~~」と読む。その感覚に引きずられているのではないか

――と書くと、「小学校」「小規模」「小所帯」などの熟語は「しょう~~」と読むではないか! とツッコミが入るだろう。当然だ

ここで気づくと思うが、漢字文字で「小~」という熟語は「こ~」と読む場合が多く、漢字三文字場合は「しょう~~」と読む場合が多い。

でも、「小並感」は漢字三文字だ、あれれ。

それを「こなみ」と読んでしまいそうになるのはなぜか?

世に「~~感」という語句はいろいろある、「充実感」「満足感」「挫折感」などだ。

そこで多くの人々は「小並感」という語句を、無意識に「小並・感」と区切っているのではないか

「小並」という熟語存在しない。しかし、「小並・感」で区切ると、「小粒」「小物」「小柄」などのイメージに引きずられて「こなみ」と読みそうになるのではないか

なお、小さいことを意味する「小」と、牛丼の並盛り・並サイズなど、普通・平凡・平均的を意味する「並」の字面から、なんとなく「小並=とるに足らない・凡庸な・ありふれた」というイメージを感じている人もいるのではないだろうか

そうすると結果的に「小並感小学生並みの感想」という意味とあまり大差はない。

ひょっとすると、ここから転じていずれ、「小並=とるに足らない・平凡なこと」という新語が生まれ22世紀国語辞典に載る可能性も皆無ではないかも知れない

2018-06-20

幸色のワンルーム批判記事に含まれる二つの誤認

「幸色のワンルーム」は許されるのか~誰が彼女を監禁しているのか? - レインボーフラッグは誰のもの

漫画の内容は実際の誘拐事件とぜんぜん違うし、むしろ誘拐ですらないし、事件作品の発表時期もズレてるけど、誘拐犯は私たちひとりひとりの心の中にいるから恐ろしいね」みたいな主張をしていて、最初に読んだとき漫画擁護しているのかと思ったくらいだが、どうやらこれで批判をしているつもりらしい。

この記事には二つの誤認がある。

一つ。

悪く言えば紋切型であり、ラフ画に近い素人作品がこれほどまでに話題となったのは、実際の事件と人々の無責任憶測追い風になったと言われている。

どこで言われているのだろうか。

この漫画Twitter投稿されたあとの数日で1.7万RTされるほどの話題になっている。

https://twitter.com/koukakunopandor/status/778664647121448960

その最初期(2016年9月中)に作者へ寄せられた300件以上のリプライのなかで「実際の事件モチーフにしているのでは?」という点に触れているのは数名(自分が数えたかぎりでは4名)だけで、もちろんそれは「作品から事件を想起する人がいる」ことの傍証ではあるけれども、「事件を想起させるから話題になった」とは言い難い。

作家瀬川深が「実在事件元ネタにしている」と批判をし(たけど反論されて下手な言い訳をして逃げ)てバズったのは年が明けて2017年1月

このときには既に書籍化が決まっていた。

https://togetter.com/li/1070377

瀬川深のツイートを受けて書かれたこちらの批判記事1月であるはてブでバズったのは3月だが)。

http://blog.livedoor.jp/kudan9/archives/50445222.html

というわけで「実際の事件追い風になった」は誤りであろう。

二つ。

この作品事件に似ているのではなく、事件揶揄した数多くの人々の無責任発言に似ている、のである

あるいは、公判責任逃れをする寺内被告言葉と「逃避行ドラマ」は似ている。

記事の核心部分である

さて漫画の内容は、「事件揶揄した無責任発言」に、「寺内被告責任逃れ」に、本当に似ているのだろうか?

当時、寺内被告に同情的な言説で圧倒的に多かったのは、「家出少女寺内被告の家に転がり込んだが喧嘩別れして誘拐犯の汚名を擦りつけた」という邪推であった。

https://wadainews.hatenablog.com/entry/2016/03/31/230041

要するに「ストレス解消で痴漢冤罪を被せるクソ女」に似た妄想であって、幸色のワンルームで描かれる「誘拐犯と被害者は本当は愛し合っていたんだ」というラブロマンスとは随分と毛色が違う。

寺内被告供述についてもミスリードがある。

被害者に「君は家族から見放されている」と言い聞かせたのは、両親に助けを求めないように仕向ける洗脳であると同時に、両親から隔離」させるための処置だったと見るべきで、寺内被告被害者共感していたり、被害者を助け出したと思っていたというようなものではない。

自分と同じく社会から隔離された人間を観察したかった」といった供述は、「誘拐して社会から隔離した女性がどうなるかを観察したかった」というサイコ文脈であり、「誘拐から被害者社会から隔離されていた」と思っていたわけではない。

女子中学生女子高校生誘拐監禁して社会から隔離し、その変化を観察したい」

冒頭陳述などによると、寺内被告は遅くとも平成24年2月ごろからそう考えるようになり、過去誘拐監禁事件洗脳に関する記事書籍を読み、犯行イメージを膨らませていった。

https://www.sankei.com/affairs/news/160927/afr1609270019-n2.html

「昔から誘拐願望があった」と素直に認めているし、「被害者と面識があったわけではない」とも言っている。

寺内被告脳内では誘拐ではなく自己再生ドラマだったかもしれない」などというのは明らかに邪推のたぐいだ。

事件後に寄せられた被害者バッシングのコメントや身勝手な人々の妄想寺内被告の弁明を寄せ集めれば、確実に「幸色のワンルーム」的なドラマひとつ出来上がるということである

まり事件への揶揄寺内被告供述繋ぎ合わせても、「女性拉致監禁したいと思っている危ない男の部屋に家出娘が転がり込んでさんざん世話になった挙句犯罪者として通報する」という殺伐とした話になるだけで、幸色のワンルームは決して出来上がらないのだ。

2018-06-03

はいえ、読書量と知性が比例しないのは成毛眞とか小飼弾とかの強力な傍証があるしなあ…

2018-03-08

森友学園の決裁文書問題をまとめてみた

朝日が報じて、今日になって毎日も別の文書について報道しはじめて、一体何がなんやらわからなくなっているひとも多いと思うので「今問題になっている決裁文書ってそもそもなんなの」という話からまとめてみた。学生だったのは随分昔だし知識うろ覚えな部分も多く、わかりやすくする、自分知識が不足しているなどの理由から説明を簡略化している部分が結構ある。わかりづらい部分、間違っている部分があったら指摘してほしい。

今報じられている「森友学園の決裁文書」ってそもそもなんなの?

森友学園への国有地売買、こんな感じで進めますよ」というのを、財務省近畿財務局担当者上長に報告・承認を得ていた際の記録文書

半分は進捗報告も兼ねてるので決裁文書複数存在する(後述)。

決裁文書の「原本」は普通財務省近畿財務局しか存在しない。何かの必要性があって文書を外部に公開する必要があるときコピーを取ってそれを公開する。それが「写し」。

どんな文書があるの?

現在確認されているのは以下のとおり。

  1. 財務省近畿財務局が、大阪航空局に売却予定価格を通知した際の決裁文書
  2. 森友学園と務省近畿財務局の管財部門作成した、局内の決裁文書。以下の写しが存在している

2018年3月2日朝日新聞が報道したのは2-1。

2018年3月8日毎日新聞が報道したのは1。また、和田政宗議院の指摘する文書は「予定価格の決定の決裁文書」らしいので、1と推定する。

その他、森ゆうこ参議院議員が持っているとされる決裁書のコピーもあるが、どれのことかわからないので2018年3月8日段階では無視してよい。

朝日新聞が報じた問題ってなに?

2-1の中身が2-2と異なるのを根拠とした「公開時に、決裁文書が書き換えられたのでは。表に出ていない本当の決裁文書別に存在するのでは」という問題。2-1と2-2には以下の相違がある。

  • 学園との取引について「特例的な内容となる」「本件の特殊性」と表現した部分が削除
  • 「学園の提案に応じて鑑定評価を行い」「価格提示を行う」という記載が削除
  • その他、「学園とどのようなやり取りをしてきたのかを時系列で書いた部分」「学園の要請にどう対応たか」などの部分が項目ごとなくなったり、一部消えたりしている

2-1と2-2が違うと何が問題なの?

文書主義に明確に反している(文書主義が何なのかはググって)。また、情報公開で公開される情報の信用性を著しく損なう行政の信用性を担保するための情報公開なのに、それが信用できないのがやばいのは想像に難くない。

※正確には「原本が書き換えられた」場合と「原本そのままで原本の写しを書き換えた」場合の二つがあって、どっちなのかでも重要性が異なるんだけど、BLOGOSの記事がよくまとめてるのでそっちを読んでほしい。

なんで安倍政権の進退問題に発展するの?

森友問題性質如何ではなく、「行政文書安倍首相への批判をかわしやすくなる方向性に向けて書き換えられていた」というのがよくない。これは、「安倍首相が森友問題積極的に関与しているのを想像させるから」というものではないことに注意してほしい。

関わっていないのを前提にしたとして、そしてそれが役人忖度によって勝手におこなわれたとして、「誰に命令されなくてもみんなが現政権の有利になるかたちで不正をおこなうなら、現政権を一旦総辞職させた方がいいんじゃないの?」という思考になるのは、まあわかる。

もちろん、それは行政省庁で長年おこなわれてきた問題である可能性を否定できないし、安倍政権を交代させたからといって行政省庁の体質が改善されるかどうかもわからない。

ただ、行政省庁の出してくる文書データおかしいのではという話はこれに端を発したものではない。自衛隊南スーダン派遣における日報問題財務省における公用メール60日廃棄問題厚生労働省裁量労働制データ問題と、省庁をまたいだかたちで再三問題視されてきた。それにも関わらず、自民党政権下で改善されないということから行政省庁のガバナンス行政の長たる内閣がしっかりおこなっていない」という批判が出るのは、まあ的外れとも言いがたいところはあるかと思う。

誰が書き換えたの?

わからん

本当に書き換えられたの? 朝日新聞が嘘ついたんじゃないの?

明確な証拠はないのでわからん。なので、考えうる可能性を列挙してみる。

  1. 行政文書が書き換えられた
  2. 朝日新聞が飛ばし記事を書いた

朝日新聞が飛ばし記事を書いた可能性が否定できないし、飛ばし記事であっても決裁文書が書き換えられた可能性も否定できないのもおもしろい(傍証2はむしろ書き換えの可能性を示唆するものなので)。

仮に飛ばし記事だったとした場合、推測を1面スクープにして行政責任を求めようとする朝日新聞の報道姿勢は責められるべきであろう(この辺報道倫理かに詳しくないのでわからん)。

どうして朝日新聞は入手した2-1を提示しないの?

可能性としてはいくつかある。

  1. 朝日報道が本当であるが、2-1を出すと、それにあわせてまた提出される文書が書き換え・破棄される可能性があるから
  2. 朝日報道ねつ造であり、2-1を持ってないか

後者は言うまでもないとして、前者でも理屈は通る。公文書偽造が焦点である問題なので、資料を出したらそれにあわせた偽造がされるかもしれない。公文書偽造が焦点なので、戦略として出さないのは正しい。

なんでみんな朝日新聞に公開を求めず、安倍政権証明を求めるの?

言い出した方が説明責任を果たすべき、というのは私人間であれば成り立つのだけれど、行政学・政治学視点から言うと、「公権力たる行政国民に対して強い権力を持つため、私人間における均等な説明責任の原則が成り立たない。行政私企業よりも強い説明責任が課される」とは言えそう。

どうして財務省ゼロ回答を繰り返すの? なんで「書き換えはない」と言えないの?

  1. 悪魔の証明から
    • 「あの答弁は嘘だった」ということにならないよう、本当に確実なことしか言えない。むしろ、「ない」と断言しないのは誠実さの表れとも読める。
    • 断言(「私や妻が関係していたということになれば、首相国会議員も辞める」)してしまって大もめになったのが森友問題なので、確実なことしか言えない。
  2. あったのをなんとかごまかそうとしているか
    • 逆にこっちの説は具体的な根拠が「行政は信用できない」ということ以外にないので、一旦無視しておいたほうが誠実ではあると思う。

どうして野党はこの問題国会の審議時間を浪費するの?

政党政治における野党役割与党監視なので、公文書偽造問題における与党ガバナンス不足を追求することは審議時間を削ってでもおこなうべき重要仕事」とは言えると思う。また、実証政治学でもある程度証明されているのだが(ごめんすぐに具体的な事例の論文が出てこない)、国会で審議時間が減ると困るのは与党だけでなく、ただでさえ審議時間が減っている野党も同じ(むしろわずかに与えられたパイを更に削る、リスクのともなう行為であることも留意しておきたい。

結局どっちが正しいの?

知らん。

その他

指摘あったら追加するので各位指摘お願いします。

2018-01-16

anond:20180116122041

エロは「ライター名前を出してくれるジャンル」の例として閑話気味に挙げているだけで、「ストーリーが求められない事例」として示しているわけじゃないだろ。

記事として「エロを書かされてつらい」という主旨じゃない。むしろ名前を出してくれることへの感謝の含みすらある。

エロなんて太古からあるんだし、仮にそれを「ストーリーテリング時代じゃなくなった」ことの傍証として出してるんならますます吃驚だよ。

2017-12-11

熊谷千葉市長の主張する、表現規制についての正当性について

 熊谷千葉市長は千葉市が行った、コンビニにおける成人向けコーナーについて、これの表紙にカバーをかけることを要請するという行政上の行いに対し、民主主義プロセスによって決定されたものであり、この要請は正当なものであると主張している。

 また、その要請を端緒として決定されたイオングループにおける成人誌等に関する流通規制について、これは民間独自に行ったものであり、表現規制という批判は当たらないと主張している。

 以上のことについて反論すべくつらつら書いたのが、書いたら満足してしまった部分があるので、増田にて放流することとした。 

 五千文字以上の乱文を読むことは骨が折れると思うので、主たる主張を始めに書く。

 

 まず、民主的プロセスのみを根拠として表現規制を行うことは肯定することには大きな問題がある。

 表現規制を行うのであれば、表現の自由の重大さから鑑みて、単に民主的プロセス正当性のみではなくそれ相応の慎重さが求められると考えるが、千葉市が成人向けコーナーの雑誌に対しカバーをかけることについて民間要請するにあたり、慎重に取り扱ったという証拠は今のところ提示されていない。

 またイオングループ自主規制は、その前提となった千葉市要請に基づくものであり、これと一体として論じるのが適当である

 このことは、ミニストップ熊谷千葉市長が共同して記者会見たこからも明らかなように、千葉市要請イオングループ規制政治的にもセットで語るべき問題であることは明らかである

 よって、イオングループの決定についての政治的責任を、熊谷千葉市長は一定程度負わなければならない。

---------

・表紙の隠ぺいにしろ流通経路からの締め出しにしろ、それは表現規制である

 ある表現物に対し、役所などの行政規制を設けることは、これはすべて表現規制である。これは表現規制という単語を見れば明らかである

 よって、千葉市によって行われたコンビニに対する表紙の隠ぺいなどの要請表現規制要請である

 また、イオングループによる撤去について、これの端緒となったのは千葉市要請であり、その因果関係があることは熊谷千葉市長も認めるところであり、また共同記者会見を行いイオンの発表として千葉市要請を端緒としていることを明記しているのだから千葉市要請した表現規制の延長として捉えることは自然なことである

 このようなイオンの動きは「自主規制」と呼ぶべきものでもあるが、日本表現規制歴史においては行政による規制自主規制は両輪の関係で不可分であり、特に本件はイオングループによる自主規制行政による規制要請とそれを受けての自主規制であることから、これを一体として論じることが適当である

 一度ここで確認したいことは、あらゆる表現が許容されるわけではないということだ。これは、一部の表現が法などによって規制されていることからも明らかであろう。例えば他者人権侵害するようなもの名誉棄損の罪などによって規制されているし、性器露骨描写についてはわいせつ物として規制が行われている。

 すなわち、あらゆる表現のなかから他者人権などと比較し、規制されなければならないものについてこれを行っているのである

 したがって、今回の千葉市についてもその表現規制妥当であるかどうかが検討されたかどうか、またそれが客観的に見て妥当であるのかどうかを見なければならない。

 しかし、熊谷千葉市長のツイートを読む限り、民主的手続き正当性を主張するのみであり、そのような妥当性の検討を行った形跡は確認できない。

 また、表紙の隠ぺいについては自由競争市場に対する規制であることもここで指摘しておきたい。

熊谷千葉市長の主張の危うさ

 熊谷千葉市長の本件に関わるツイッター上での主張は

民意があり、議会承認しそれを行政が実行したものであるから、この表現規制は正当なものだ」

とまとめることができるだろう。

 しかし、これを以ってして表現規制を行うことの危うさについてここで指摘しなければならない。

 なぜならば、民主主義は必ずしも正しさを担保するわけではないかである

 例えば、以下に例示したもの民意に基づき、民主的手続きに基づき行われたものだが、果たして正当化しうる政策だろうか。

ナチスドイツによるユダヤ人政策

 ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働党NSDAP)は一応は民主的選挙によって議席を獲得し、一応の手続きを経てユダヤ人に対する迫害を行った。

アメリカにおける日系アメリカ人強制収容

 日本アメリカとの戦争状態に入ったときアメリカ世論の後押しを受けて日系人強制的収容した。またこときその財産事実上簒奪された。これらの名誉回復1980年以降にようやく行われた。

アメリカ特に南部において行われていた人種隔離政策

 「黒人専用」「白人専用」といった人種差別政策が行われていた。これらは民意によって支持されていた。

オーストラリアにおける白豪主義

 オーストラリア政府によって行われていた一連の非白人への差別政策

 また、熊谷千葉市長の主張を言い換え、このようなものも導くことができるだろう。

外国人性的少数者への排斥などは

民意代表たる議員議会質問をもって提案し、関連予算議会承認され、並行して市民意見聴取して改善を求める意見が多数と確認

されたならば外国人性的少数者に対する排斥などを行うことは正当である」と。

 これらは不当に差別的ものであり、人権侵害であることは論を待たないと思うが、熊谷千葉市長はこの理屈表現規制は行えるものとしているとしているのだから、これについても是であるとこれまでのツイートからでは判断せざるを得ない。

 そうではないのであれば、熊谷千葉市長はある特定物事については単に民意議会における手続きだけではなく、より広範な正義に基づいて判断するべきだと考えているのであり、そしてその特定物事には、表現に対する規制は入っていない、ということになるだろう。

 だが、表現の自由とはそういうものであろうか。

 表現の自由も、単に手続き上満たしているからといって、これに制限を加えることを正当化することができるのだろうか。

 私はそうは思わない。表現の自由は大切なものであり、表現規制はこれを慎重にしなければならないと考える。

 そしてそうであるならば、それは単に手続きを満たしているからと言ってそれを実行することを正当化することはできない。

表現の自由とはなにか

 表現の自由基本的人権の一つであり、すべての見解検閲されたり規制されることもなく表明する権利をいう。

 また、ここには報道出版の自由なども含まれる。民主主義において自由な討論は欠くべからものである政府などによって恣意的表現規制することは原則としてあってはならない。

 よって、行政による表現規制は慎重でなければならない。

・これまで日本で行われた表現規制

 戦後日本における表現規制の概略をここに示す。

わいせつ表現規制

 日本における性的表現物に対して規制している法律刑法175条で定義しているわいせつ頒布等の罪である

 サンデー娯楽事件により、わいせつ物を構成する三要件定義された。

 すなわち、

.通常人羞恥心を害すること

.性欲の興奮、刺激を来すこと

.善良な性的道義観念に反すること

わいせつ物の構成要件となる。

 その後チャタレー事件悪徳の栄え事件などで判例を積み重ねている。

 刑法175条の運用として、警察局部が映っているかどうかで取り締まりを行った。このとき陰毛性器の一部として取り締まり対象としていたが、1980年から徐々に変化し始め、陰毛が映っていても直ちにそれをわいせつ物とされなくなっていき、1990年に入ると事実上陰毛については刑法175条の規制対象ではなくなった。「ヘアヌード解禁」とも呼ばれる。

 このように、判例に拠らず行政側の恣意性によってわいせつ物の判断が変動していくのが我が国におけるわいせつ規制の特徴の一つである

悪書追放運動

 1950年チャタレー事件きっかけとして各地の地方自治体青少年健全育成条例が制定されていき、それと同時に民間PTAなどで悪書追放運動が起きる。特にマンガが標的とされ、各地で燃やされるなど過激化した。

 1989年東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件が発生、宮崎勤逮捕され、大量のアダルトビデオを所持していたと報道されたことで、これらのメディア人間に悪影響を及ぼすとしてメディア効果論が起こた。また、それに関連して朝日新聞漫画本が子供に悪影響を与えると社説で論じたことをきっかけとして再びコミック追放運動が起きた。これらを受け、成年向けコミックでも激しい自主規制が行われた。

有害図書指定

 各地で制定されている青少年健全育成条例で定められており、過激暴力や性表現のもの包括的、あるいは個別的指定する。指定された書籍は18歳未満への販売禁止され、区分陳列をしなければならないほか、業界団体自主規制として指定を受けた図書流通制限している。

-成人コミックマーク

 業界団体出版倫理協議会が制定した、性描写過激な成人向けコミックにつけられるマーク

 コンビニで定めている成人誌とは区分が異なる。これらはコンビニには原則として流通しない

コンビニ向け成人誌

 コンビニエンスストア側が成人向けとして区分し、成人向けコーナーなどに陳列する雑誌

春画の展示

 春画江戸時代に版画で刷られた性的表現物で、今日ではその美術性が評価されている。

 しかし、日本国内でこれを自由に展示することはできない。なぜならば、性器修正が施されておらず、わいせつ図画にあたるからである。数年前に実現した春画展も、主催者警察など関係先がなんども折衝を重ねて半ば例外的に開催にこぎつけたと理解している。

 その春画展に合わせて春画掲載した週刊誌のいくつかがわいせつ図画を掲載したとして警察から指導を受けている。

 このように、日本性的表現物については行政側の規制要請民間団体自主規制とが複雑に折り重なっており、民間側の自主規制についても含めて表現規制として論じられる。特に今回は熊谷千葉市長並びにイオングループ千葉市要請きっかけとしていることを認めており、千葉市要請イオングループ自主規制については一体として論じるのが適当である

 政治的にも、ミニストップ熊谷千葉市長が共同して記者会見たことなどから、この自主規制とそれによってもたらされる表現規制に対し、一定政治上責任を負っている判断される。

コンビニに置かれている成人誌の表紙は隠されなければならないほど卑猥なのか

 熊谷千葉市長はコンビニ成人誌に対して自主規制を行っていないかのように批判したが、コンビニ向け成人誌はコンビニ流通できるよう自主規制がすでに行われているし、その内容は青少年健全育成条例などによって規制を受けている。

 表紙についても水着を着用するなどわいせつ性を抑えており、青年誌などと比較して規制しなければならないほど突出して過激であるとは言えない。言えるのであればその根拠規制する側である行政提示しなければならない。

 また、表紙の卑猥さについて基準を設けての規制ではなく、区分陳列されていることによって一律で規制しようとしたことは、表紙の卑猥さとは無関係規制である。これは当初の規制目的ひとつである、成人向けコーナーの雑誌過激さによってもたらされる不快さを低減するための措置としては不適当である

 以上より、私はコンビニにおいて成人誌と区分される雑誌に対して表紙をカバーするなど表現規制を行うことについては正当性を見出すことはできない。

 また熊谷千葉市長のツイートを読む限り、これら比較検討を行い、それでもなお成人向けと区分される雑誌の表紙を隠さなければならないことの正当性検討した過程が見えず、よって表現規制に対する慎重さを読み取ることはできない。

不快理由排除は正当なのか

 本件は成人誌に対する不快感を一部根拠としている。

 しかし、これを根拠とすることは危険である

 不快に思わされないことは人権の一部と言えるが、その人権擁護するために他者権利侵害する場合、これを比較検討して結論を出さなければ公平ではない。

 例えば、性的少数者に対する不快感はどうであろうか。近年、性的少数者についての認識が変化し、これを受容する方向に世論形成されているが、これまでの歴史において性的少数者迫害されてきた。性的少数者迫害された理由はいろいろ考えられるが、そのうちのひとつは個々人が思う同性愛者に対する不快感によって、同性愛者を迫害することへの肯定的世論構成されていたからだろう。

 多数が不快に思っているのだから性的少数者迫害してもいいのだろうか。

 もちろん、これは否である性的少数者不快に思う気持ち内心の自由ではあるが、内心の不快によって性的少数者人権侵害していいわけではない。

 表現の自由も同様である。単に不快であるというだけではそれを規制することは他者表現の自由に対する侵害である

 また、個々人の趣味嗜好は多様であることから、単に不快さを理由としたとき、その範囲は無制限に拡大していき、実質的にすべてが不快であるから規制する、ということにもなりかねない。

 よって、不快さを根拠として表現規制することは適当ではない。

結論

 以上すべてより、千葉市が当初求めた成人向け雑誌カバーをかける要請について、これ表現規制であり、またこ規制適当ではない。

 イオングループが発表した流通規制千葉市要請した表現規制と一体として論じられるべきものである。また、イオングループが実行した自主規制に対し、熊谷千葉市長は一定政治的責任を負う。

 また、イオングループ千葉市<

2017-10-31

anond:20171020232727

この内容、私は非常によくわかる。

私は増田よりも5〜6歳年上だが、私の業界もかなり給料がよく、増田ほどではなくとも高いお給料をもらっている人が多かった。

しかし、業務内容はブラックで非常に厳しく働かされておった。増田ぐらいの年齢の時は特に

給料を下げて、仕事をそこそこにしたいと思っている人は、恐らく少なくなかったはずだ。

特に女性では激しくそのように思っている人が多かったと思う。

しかし、現実的にはそのようなオプションはなく、高い給料を掴んでブラック労働をするか、逃げるかの道しかなく、

まあ逃げる道もよくさがせばあることはあるが、そこをくぐる選択をするには相当な覚悟必要な仕組みになっていた。

給料を安くしたい」そう思うのは、うちの業界特殊性なのかと思っていたが、増田文章を読んで確信した。

多分この問題は、日本若い世代で、ある程度エリートに属するグループにとっては、ある程度、業種を問わず共通問題なのだと思う。

不快に思う人がいるだろうが、エリートとはっきり書いておく。実は、エリートではない層も「給料を減らしたい」と思っているのかも知れないが、私にはわからないのでその点はほかの増田に譲る。

まり労働環境がひどすぎて、どちらかというと、給料をさげて、人間的な生活をしたいのだが、なかなかそういうことができず困っている人が、少なからずいるのだと思う。

その本質は、急速に進む少子化人手不足だろう。「品質向上」が叫ばれているのも、人数不足により、品質の維持が困難になっていることの傍証にすぎない。

言葉は悪いが、とりあえず「金さえたくさん掴ませて、逃げ道を塞いでおけば、重労働させていい。」と思っている人が、多い。

そして、その価値観を内部に取り込んだ女子は(俺は男だし、男もだが)30を目の前にして崩壊していく。

私はそろそろ30代なので増田世代が違うが、このような経験をした層のボリュームが増えていくと、日本社会がどのように転換していくかは非常に興味がある。

なお、「こんな時間増田書き込んで暇じゃね?」という反論があるだろうが、私はもう降りたのである

戦うのはやめにした。

2017-10-23

注目エントリにまったく政治が出てない時点で

そんな話題は求められてない・君の話したことはだれにも受け入れられてないという傍証だと思うのだけど、まあようやるわ

2017-10-06

なーにが「名前を隠して楽しく日記。」じゃ

上司とうんちうんち言いながらこなす仕事はおもしれーですが

最近はぼくの仕事クオリティがうんちになってきているのでとてもうんちという感じです。

むかしは優しかった先輩からも見捨てられつつあります

悲しいですけれどもそれが現在のぼくに対する正当な評価ですので甘んじるほかありません。

しろかつての評価が過大であったのです。

当時は過大すぎる評価に対して自分本来の実力を詐称しているような気分になって

つらいなあという気持ちがあったものですが

実際に正当な評価をされてみるターンになるとやはりそれもつらいわけです

虫のいい話です

一方でまあいっかーどうにでもなあれ☆みたいな気分もあります

ぼくの本来の実力を見定めつつある先輩のことは好きですが

なんかもうちょっとミスってしまうとあとはどのように思われようが知らんという気分になります

完璧主義者のそれのようであまりよくない傾向であるのかもしれません

いっぽうで上司氏はぼくのことをまだまだ高く評価してくださっているようです

実際に上司氏に見せる仕事についてはおそらく弊社ではぶっちぎりトップな感じであり続けておりますので

上司氏がぼくを高く評価するのもまあ間違ってはいないのかもしれません

得意な分野と下手くそな分野での差が激しすぎます

具体的に言うと事務処理をすると死にます

ケアレスミスを連発しまくります

こちらといたしましては目を皿のようにして間違いがないかをチェックしている気分なのですが

実際に成果物を提出するとさっきまでなかったはずのミスがうようよと湧いて出てきます

他のみなさんはミスがえらい少ないのでいったいどうやってミスを防いでいるのか疑問です

ですので上司氏におかれましてはぼくに事務処理をさせると会社が傾きますので事務処理は

ちゃんと事務員さんを雇って行っていただきたく思います

この前やめちゃった事務員さんの補充はいつになったら完了するんですか

明らかにあんたらがやるような仕事じゃない仕事をがんばってやっちゃってる状況じゃないですか

悪いこといいませんから早く雇っちゃいなよ

それにしても会社というのは非人道的組織であると思います

こんな作業人類やらせるのは人権的な何かにアレするんじゃないか心配になってしまうような作業がえらいあります

こんなうんこみたいな作業をやってはい仕事でございますみたいな顔は恥ずかしくてできません

いやこんなうんこ作業をやってお給金がもらえるならそらこっちとしてはバンザイだぴょんという話ではあるんですけれども

しろあたまのいい人たちにしかできないたのしくてくりえいちぶな仕事なんてぼくにできるわけがないのでいいんです

ええぼくはだいじょうぶです

もっとかんたんでらくちんぽな仕事を振ってくださいお願いしま

弊社はまあ中堅企業ていどのところではあると思うんですけれども

仮に平均的な日本企業の水準が弊社程度であるとしたらそら生産性低すぎうんぬんの話もうなづけるというものです

先輩らがやっている仕事をそばで見ていて

もっと単純でわかりやすくて簡単お仕事還元させられないものなんだろうか

と思うこともちょくちょくあるのですが

実際にぼくはその仕事をしたわけではないので実際のところはわかりませんなわけですし

一見非合理に見えるような作業であっても実は欠かすとえらいひどいミスが起こるんだぜ的な作業であるのかもしれません

だいたい組織がでかすぎて業務フロー全体像がさっぱりわからんのです

そんな状態で今のところ正常に動いている業務フローをいじるなんて恐ろしすぎてできません

経営層のみなさまにおかれましてはぜひりふぁくたりんぐやふるすくらっち等していただきたく存じ上げます

他のすごい会社はすごい業務フローが洗練されていてぼくのようなぬるいうんこ人材など使い物にならないのかもしれません

すごい洗練された人間じゃないとすごい洗練された会社はいることはできないのかもしれません

まり今ぼくがうんこみたいな業務フロー会社にいるということはぼくがうんこ人材であるということの傍証になるわけです

やーいやーいうんこうんこー!

しかしここで弊社がすげえと思われるところがありましてそれはぼくみたいなぺーぺーの新米

業務フロー改善をさせようとしているところです

いやまあたしかに弊社はぱそこん苦手な人が多いので、あっぼくは情報系専攻なんですけれども、

ぱそこん使えるやつになんかできねーかなーと聞いてみるというのはたしか合理的ではあるんですが

それにしてもぺーぺーの新米やらせてみるということができて実際にそれを採用してしまうというのは

すなおに弊社すげーと思いました

まあうまくいくかわかりませんけれども精一杯やらせはいただきますがいやでも期待せんといてくださいね

ハードルうすいひくいかるいでおねがいしま

しかし働きだしてからというもの自分時間がとれなくなってとてもつらいです

朝起きて会社いって仕事して帰ってめし食って寝るみたいな生活になってます

うそう、仕事以外全部ねるみたいな感じです

これはもうあれです 労働のしくみは破綻しています

なんで先輩らはこんな破綻した人生を送っていて平然としていられるのかわかりません

てんちょーが言ってたんですけど、ふつう人間自由であることにそこまで執着してないらしいよということらしいんですが、

ぼくは好きなときに起きて好きなときに寝て好きなだけ好きなことしてめしくってうんこしてねる生活理想ですので、

ってこういう行為どもを自由ということばに押し込めるのもなんか気がひけるのですが、まあぼくは自由をほしがっているようです

すまんな自由

2017-09-29

「十万人の宮崎勤」はデマだったが

苛烈オタクバッシング傍証自体はぼろぼろ出てきてるのが本当にいやらしい記事

2017-08-08

https://anond.hatelabo.jp/20170808173434

マツコの場合は「野球部員は人間性が育てられる」の反証として言っているんだから

「会ったことのある野球部出身者はクソだった」という自身経験談だけで十分に目的を達成できて、

自分が会ったことのない人も含めて野球部出身者は総じてクソだ」とまで主張を拡大する必要がない。

Googleの人は「Google女性エンジニアとして雇うべきでない」という主張の根拠を述べているので、

「私はたまたまそういう女性によく当たって生きてきた」というだけでは済まずに、

「全ての女性エンジニアに向いていない」という主張をしなければいけなくて、

からストレスに弱い」や「協調性ありすぎる」といった客観的な(しか根拠のない)傍証を持ち出した。

違いがあるとは思わない?

2017-08-02

https://anond.hatelabo.jp/20170726215433

なんだか、投稿しても途中で切れてしまうので、追記部分だけをトラックバックでつなぐことにした。

追記

 すごい伸びていてびっくり。読んでいただいてありがとうございます

 はてブなどの反応を読ませてもらって、補足したいところとか言い訳したいところとかたくさんあるけれど、元々長いしキリがないので文章が飛躍してるところやタイポを中心にちょこちょこ直せるとこだけ直した。いらんとこだけ書き直したわりに、あんまり直ってないかもしれない。それ以外では、

 御用wikiについてもいっぱい指摘があったので追記したかったけど、本題とずれるわりにくっそ長くなったのでやめた。3.11以後の動き、の項の一段落目にアエラ表紙とか青プリン先生とかとあわせて含まれていると察してください。

 きくまこ先生否定ありきで見てる、みたいな意味合い感想もちょこちょこ見たのだけど、確かにたまたま何回も名前を出すことになってしまったけど、別にそんなわけではない。他のおかしニセ科学批判派含めた、ワンオブゼムとして批判対象になるべきだと思っている。個人的好き嫌いでいうのならば、きくまこ先生には同情するところも少しはあるし、感情レベルでむしろ一番不愉快なのは多層な批判層の(3)にあたるような人たちである。ただこの人たちは(2)と区別がつけにくかったり((2)だって大嫌いだが、不愉快度だと「通じるとこのある」分(3)のが高い)、ニセ科学批判者としても論客としてもいまいちなサイズの人が多かったりで、名前を挙げにくかったので特に具体名は挙げなかったのだ。「また人文系か」タグを振り回すのが好きだった某はてなブックマーカーあたりはここの例としてに限れば最適だったんだけど、ニセ科学批判とは関係ないし、ツイッターではさして存在感がないし。かといって、最近頭角()を現してきた大貫剛氏あたりを出すのも、さすがにかわいそうな気がするし。

 追記も長くてごめんなさい。

追記の追記

 ツイッター経由で、元記事について伊藤氏がこんなツイートをしているのを知った。

それですね。元増田のひとが、いわゆる左派をもう信じられなくなっているが、失われた信頼を想像的に回復するため、じぶんと近しい批判対象必要としたという見立て可能でしょう。

https://twitter.com/GoITO/status/890508057469362176

 「それ」というのは埋め込みツイートされている別の人のツイートのことだがそれはともかく、いやマジで何を言ってるの。

 俺がニセ科学批判者を批判するのは俺がもう左派が信じられなくなっているせい?どういうロジックよ。「ニセ科学批判への批判サヨクのせい」ですか。

 こんなん、10年くらい前なら「伊藤剛検証blog」とかブログが立った時に酷すぎる支離滅裂発言の例として取り上げられるレベル20年くらい前なら山本弘に著書の中で太字で突っ込まれた上に小見出しネタにされるレベルおかし物言いじゃないか伊藤氏にはトンデモ本シリーズで取り上げるべき著書がない、とかそういう話はここでは関係ない)。

 言葉を単純に置き換えればいいというものではないのかもしれないが、例えば、エア御用とか言ってた人が、「エア御用放射脳批判をしている人は、実際はもう放射能安全派を信じられなくなっているが、失われた信頼を想像的に回復するため、じぶんと近しい批判対象必要としているだけなのだ」とか言い出したら、それこそ伊藤氏含めたネット言論で袋叩きにされるんじゃないかね。

 俺が左派論客全面的に信じるなんてことは今も昔もあったことはない。そういう世代じゃないし。でもそんなのは左派相手に限らず当たり前の態度であるわけで、左派を「もう信じられなくなった?」と言われたらいやそんなことはありませんよ、と答えると思う。俺は別に家柄も収入もたいしたことな人間なので、左派不信になってトクする理由あんまりないし。それと左派おかし発言をする人について批判的なことを言ったり考えたりするのは別に矛盾しない。ニセ科学批判クラスタ批判してるからといって、ニセ科学批判の内容なんてもう信じられない、放射能のせいで鼻血が出る福島の子供やホメオパシー治療効果虐殺された江戸しぐさ伝道者も実在したんじゃないか、と主張したいわけではないのと同じである

 それは別に元の記事から読み取れることではないと思うので別に当てられなくてもいいんだけど、だからといって伊藤氏がどうやって上の推測にたどりついたのかはやっぱり謎である。どこかパラレルワールドには左派不信な「俺」がいて、伊藤氏と親しかったりするのだろうか。

 あと、そういう「推測」が成り立つのなら、伊藤氏が「みんな左派が信用できないんだ」と思い込みイデオロギーにとりつかれているのを勝手に俺に投影している、その傍証じゃないかという見方も出来るのではないか?と思えるのだが。少なくとも伊藤氏よりはロジックもアクロバティックじゃないと思うけど、どうなんだろうね。

追記の追記の追記

 もうこれ以上の追記はしないつもりだったが…… 被曝方面ニセ科学批判で目にする林智裕氏がこんな反応をしていたらしいという話を見た。

 元増田では名前を出さなかったとはいえ、放射能デマ関係ニセ科学批判に熱心な人、こんなんばっか目立つの本当悲しくなるな、と思って見ていたアカウントの一つだ。

 そして、一読してやっぱり悲しくなった。

左派のことばかり批判するな、と言われても、じゃあまずはこの件から謝ってみせて下さい、としか左派政党代表達が、放射能デマゴーグとべったり。総括も反省もしない。謝罪も無い。

https://twitter.com/NonbeeKumasan/status/890709234916007936

 俺はどっかの政党党員じゃないので、左派政党代表がだれと仲良くしてたとかについて謝ったり総括してみる義務責任もないはずなのだが…… この人もどこかの平行世界ではそういう政党所属している「俺」と知り合いだったりするのかな?謎だ。というか、党員であってもあんまり代表不手際を謝ったり反省したりしないよね、左派政党に限らず。逆ならまだしも。

 もっとも、そういう党を支持するだけでもけしからんという見方もあろう。俺は左派政党のそういうところは支持していないので関係ないともいってしまっても良いのかもしれないが、元増田で書いたRT論はそのような属人(党)的で判断する考え方に近いともいえるし。

 ただそれならそれで、林氏が普段、どの政党を支持して票を投じているか、知りたいところだ。RTする相手アカウントの数ほどあるが、政党はそんなにたくさんない。今の日本で非左派政党とみなされる政党というのは、ニセ科学デマゴーグにまみれた主張や政策推し進めているか、そういう政党衛星政党としてしか機能していないか、その両方か、のいずれかしか心当たりがないのだが。あやまって、やくめでしょ。って言ってやりたくならないのだろうか。そうじゃない、あくま無党派なんだ、というのかもしれないが、その割には随分左側のニセ科学けが許せなさそうな様子のツイートだ。

 特に、いま一番議席を持っている右派政党代表から末端の組織までニセ科学デマゴーグがあちこち観測されるんですが…… その人たちやその支持者にこういう総括や反省謝罪を求めたことがこの人にはどれほどあるのでしょうか。右派メディアで有名な産経新聞「WILL」正論」、それにあまたあるアフィブログネットメディアしかり。いや、総括や反省謝罪を求めなくてもいいっちゃいいんだけど、そういう人にこんなこと言われたところで知るかとしかいいようがない。

 あるいは(これはあまり想像したくないことなのだが)、放射能デマがらみ、あとたまに反医療デマがらみ?以外なら、デマでもニセ科学でも大歓迎!ということなのだろうか。

 元増田でも触れたけど、ニセ科学文脈であれそれ以外であれ、ニセ科学批判者には右派を(あるいは「も」)批判する人は(「ニセ科学批判批判クラスタ」が時に大げさに言うよりは)意外にいる。というか俺もリアルアカウントニセ科学批判をするときはそういう人として見られていたはずだ。なのだが、「左派のことばかり批判するな、と言われても」というからには、この人は自分の属する「ニセ科学批判集団」が右派批判をロクにしていないという自覚があるのだろうと思われるわけで、そのへんどう思っているのかというのも気にかかる。あいつらは頭のおかしいことをやっている、とでも思ってこちらの陣営を見ていたのかな。そんなニセ科学批判者、「放射脳」並みに御免である

 まあなんていうか…… この論法きじゃないのだが、伊藤氏にしろ林氏にしろ自分ゴリゴリ党派性韜晦したつもりで普段イデオロギーフリーニセ科学批判」をしてるからこそのこういう反発じゃないのかな、とか言ってみたくなるんですがどうなんですか。アリバイ的に左派的な口ぶりをするだけなら、ダダでも出来るんだよね。

 ことは最初、もとの文章推敲してた時に考えていた以上に、深刻なのかもしれないな…… なーんてね、フフ……

 いやこういう締め方も扇動者じみてていかがなものだが。

2017-07-28

https://anond.hatelabo.jp/20170728163906

ゆらぎ荘云々は傍証じゃなくて論証の対象ですよ。

 

  1. ゆらぎ荘程度のお色気は昔から載っている
  2. ジャンプはゆらぎ荘程度のお色気が許される年齢層を対象としている

 

ゆえに

または

 

が成り立つんですよ。ここが論点

 

対象年齢層は内容と購買層から判断されるか、出版社自分から名乗るものであって、外野勝手押し付けものではないんですね。

小学生向けでない内容がずっと載ってきていて、今買っているのも大半が中高生以上である

それを「小学生向け」って、いったいどこから小学生向け」がわいてきたんでしょう。批判するためにでっち上げレッテルですよね。

別に小学生向けと名乗ってもいないし、買ってるのは中高生以上だし、載ってる内容も小学生向けではない。

とすれば「小学生向け」って何?

2017-07-13

埼玉県警東京電力共通性新潟県議会より)

https://anond.hatelabo.jp/20170531221941

以前柏崎刈羽原子力発電所再稼働に向け東電が提出する原子力規制委員会への申請書で、新潟県放射性物質放出への事前同意権が削除されたという話を長く報じた。

結局何が言いたいのか、という趣旨コメントも頂いた(すいません)。

最近でも新潟県議会でやりとりを行っている。

http://www.niigata-pref.stream.jfit.co.jp/?tpl=play_vod&inquiry_id=727

7月10日のやりとり、14:25- 20:30辺りを参照。参考までに質問者記事ttp://yosimotoseagreen.blog13.fc2.com/blog-entry-777.html

「明らかに規制委のことなんだけど日本的あいまい発言を~」と言うあたり、クジラックス曖昧な言い方相応に応じたところを作文する埼玉県警に似ており、もうこういう国なんだと改めて感じた。防災局との認識共有も動画中で疑問視されているが、官庁としての新潟県庁の気風も課題となる。フェリー船の購入トラブルでは副知事の関与した度合いも焦点であったし、新潟日報こちらの県の検証委員会報道について「これ以上県職員責任を負わせたくない」ので泉田知事の追求を求める立場であった。

免振重要棟でも結構微妙かつ重要なやりとりをしているが、

泉田は国の法律拒否権を確保すべきという立場で、申請書への事前同意権重複記述はその代わりだった。米山安易にそういう行動をとっていない(悪く言うとアグレッシヴさが足りない)のは、原子力規制委員会とのやりとりに拘泥しすぎることで安全協定よりそちらが優位に立つと主張されないようにしたいということなのだ、と善意でとらえれば思った。免振重要棟についてもつまるところそういう上下関係を持ち出されないように、ということかと思う。

言い換えると、5月末に廣瀬氏が来訪したのは ※ 規制委の確認しない拒否権存在しない ※ ことにしたくて言質を取りに来たのである。当時、泉田撤退に追い込んだ新潟日報県内ローカルで実際に拒否権裏付けが減るのではと論じたことも傍証となる。委員会最近一見東電にやや厳しく映る挙動をしているのも同様である

まあ、それでどうすりゃ良いのよ、という話については、申し訳ないが答えられない。答えられないから書いている。

書いて、とにかく書いて整理したい。

2017-05-28

日本全国の鉄道趣味の方へ

大半の日本人は、鉄道に関して、娯楽施設として認めておりません。本来なら鉄道運営側が負うべき迷惑の一切の責任鉄道趣味は負わされています。その傍証になる動画などが多数アップされております

このような趣味を今後はすべきではないでしょう。

また、昨今の政治界隈でのバッシングの多さなから判るとおり公共の眼が厳しい現在の状況下にあっても、なおも娯楽利用を自重していない、あるいは自重意思がないとしたら、それは公共インフラの乱用であることを承知して黙秘しているということです。そうなると情状をくむ余地はなくなります

今後の大半の日本人は、公共交通私物利用には厳しい態度で臨みますし、あわせてマスコミに密告します。鉄道趣味は、自由主義社会不条理に漬け込んだ非道であることを覚えておきましょう。

2017-05-16

冤罪冤罪言ってるやつが一番エロい

俺のエロさは10段階中6かせいぜい7だ。

満員電車にもときどき乗る。デブおっさんに密着するよりかわいい女の子に密着する方がうれしい。自分から女性の方には行かない(ように心がけているが人間の心はそれほど強くないかも知れない)。

満員電車にのときはいつも持ってるカバンが重いので両手で取っ手を持って体の前でぶらさげる形になる。両手が腰のあたりの高さになるので女性のお尻に密着することもしばしばあるがそれは不可抗力(だと信じているの)だ。意図的な接触は極力避けているし、ほぼその努力は達成できていると思っている。自分欲望制御できていると思っているせいか冤罪への恐怖はほとんどない。

よくブコメで「冤罪が怖いから吾輩は両手を上げて乗っているのであーる」とか言ってる人がいるが(実際にそんな人見たことないのだが)、俺が思うに、そういう人たちは冤罪への恐怖と、自分欲求が抑えられず痴漢行為をしてしまうことへの恐怖があいまっているのではないだろうか。つまりエロさが8-10の人たちだ。

この説の傍証として男性ホモ女性性的興味がない人の、冤罪への恐怖がどれくらいかデータがほしい。

2017-05-10

bonchacchangaこそネット原住民でgreatchina2こそネットヤンキーである

http://anond.hatelabo.jp/20170508230629

bonchacchangaがネット原住民である傍証



greatchina2がネットヤンキーである傍証



そして彼らがネット界隈で嫌われている最大の要因は、「左翼を名乗りながら天皇制に全く反対していない」ということである

もはや天皇制廃止世論が出てきている中、その声から目を背けることはもはや彼が右派工作員であると疑われて致し方ないものである

彼らはもはや貧民社会と都会人リベラルの風上にも置けない人間。それがネット原住民のbonchacchangaであり、成り上がり趣味反動分子・不良臭の三拍子揃ったgreatchina2である

2017-04-27

国会議員ではなく外部有識者意見が反映される」是非

国会ウォッチャーです。どっかにこのワードは入れるんで、増田キーワードで探してください。増田カテゴリータイトル文字制限がよくわかってない。トラバ増田id:c_shiikaさんもありがとう

 昨日、今日と、国会がとまったのは、与党国対竹下亘が「遠慮して」止めたんですが、再開条件として野党側が集中審議要求すると、「審議拒否」という話になる産経ェ。委員会審議の開催は、基本的与野党合意でやっとんですよ。与党が職権で開催しなかったっていうのは、与党自身が非を認めてるから野党要求を呑むことにしたわけ。別に与党常任委員長は全部握ってんだからやりたきゃやれるんだよ。なんでもかんでも野党が決めてることにしてんなー。経読みが終わった後の法案付託付託させないことをつるす、といいます)、委員会の開催、採決の是非、全部国対や筆頭間での貸し借りの話で進んでるんですよ、基本は。あのつるしはおろすから、アレは開催してとか、地方公聴会はやるからコレは採決させてとか。ま、国会が止まるのは暇だけど今はいいことだ。

森ゆうこ議員問題提起

 先日(4月25日)の森ゆうこ議員自由)の質疑を聞いていて、良いこというなぁと思ったので書き起こし。もう完全に受け入れてしまってたけど、外部有識者として、自分意見に近い人を集めて、「諮問したんだからー外部の意見でやってるからー」っていうスタイルってよく考えたらというか、よく考えなくても微妙っていうか完全におかしいですよね。国民の一部の代表者である野党との文言修正はぜんぜんやらないのにっていう根本の話。これは民主党事業仕分けとかもそうだったけどね。

11月9日国家戦略特区諮問会議の文案についての質疑。前も書いたけど、森議員は、この11月9日の案が、総理近辺からトップダウンできている話だと多分疑っていて、12月22日の三大臣合意文書存在のものから疑ってるのです。なぜなら、この三大臣合意文書山本幸三稟議にかけてつくったという形式を事後的に取ることが、安倍総理からの指示ではないという形式上証拠になるからです。だからこの文書がもし偽造であるなら、トップダウンでできた話だということの傍証になるのです。ちなみに、桜井充議員文科省内閣府役人から受けた情報提供によると、省内では事前に検討した事実はないということです。また山本幸三大臣も、「いつ三大臣で話し合って合意したのか」と聞かれてしどろもどろになりながら、「そのような具体的に話し合ったというような記憶はない」と答えています。だからここは結構合理的な疑いだと個人的には思います

「(略)本来であれば、H28年10月から11月末にかけて、加計学園市有地ボーリング調査したということが入るべきなんでありますが、一番大事なのは、この黄色の四角の部分(国家戦略特区諮問会議11/9の前後)でありまして、この間各省庁にヒアリングいたしましたら、H28年10月28日に、各省が、案文を提示したと。そしてその後、少し協議があって、やりとりがあって、最終的に11月9日に提出する最終案になったと教えていただきました。その、内閣府文科省等に提示した案文をお出しいただきたいとお願いをいたしましたが、まだ私のほうに届いておりませんけれど、もし今日お持ちであれば、副大臣松本洋平)にお読みいただければと思いますし、11月9日の最終案にいたる経緯も合わせてご説明いただきたい」

松本

内閣府提示いたしました、原案、その後の意見や修文の具体的な内容につきましては、個別政策に関する意思決定の途中段階のものでありますから、お答えすることは差し控えさせていただきたいと思います諮問会議取りまとめにいたる経緯につきましては、昨年11月諮問会議にかかる取りまとめに関しまして、(×昨年)4月12日(多分読み間違い、このとき大臣はまだゲル。今年の間違いと思うid:bareloさんのご指摘で訂正、お疑いのようだからあなた文字おこしやればいいんじゃない複数人がやればいいよ。それが健全だよ。正直バカだなぁとは思ってるけどね。)、地方創生特別委員会におきまして、山本幸三大臣と、内閣府佐々木事務局長から詳細にご説明させていただいております。その内容としましては、文科省農水省との議論獣医師会などから提出された慎重な意見から総合的に判断をして、まずは地域限定することで、意見に十分に配慮することが適当であると、山本大臣がご決断になったものであります。その上で、内閣府事務方が取りまとめの原案作成を支持し、昨年10月28日内閣府事務方が、文科省高等教育局、農水省消費安全局に原案をおもちしたところでございます。それに対し、農水省から意見なし、文科省からは昨年10月31日に、原案に対する意見がございました。11月1日内閣府から修正案提示し、翌11月2日文科省から意見なしの連絡があり、特区ワーキンググループ内省庁間での事務的な調整を終えたところであります。最終的に山本幸三大臣にご決断いただき11月9日諮問会議にいたったということであります。」

「あのー政策決定過程から示せない、という答弁でした。農水省からもそのようなお返事がありました。おかしいんじゃないんですか。今問われているのは、なぜ、今治に決まったのか。11月9日に、実質上、事実上今治に決まったんですよ。加計学園に決まったんですよ。その意思決定過程があまりにも不透明からこの間質問してきたわけで、そこに至る大事な部分ですので、出していただきたいと思います国会なめてるんですか。立法府ですよここ。出してください。」

松本

「同じ答弁で恐縮でございますが、原案、その後の意見や修文の具体的な内容につきましては、個別政策に関する意思決定の途中段階のものであるため、答弁を差し控えさせていただきたいと思います。」

「だからね、政策の決め方がおかしいて話をしてるんですよ。国家戦略特区国会議員じゃないんでしょう。有識者全然関係ない人が入って(竹中八代なー)。それは最後大臣かもしれませんよ。でも議事録見るとひどいもんですよ。まったく専門ではない、いい加減なことを言っている。もちろん専門の人が入られることもあります。でもそういう中でものがきまっていく、先ほどの自民党先生方の話をお聞きしても(自民党議員でも国家戦略特区は、実質上総理の専権だから部会を通じて修正していく、普通法案と違うんです。)、国民に選ばれた、国民代表である国会議員のいろんな提言、全部無視して、全然関係ない人の意見は取り上げられて、ものごとが決まっていく。こういう政策決定のやり方は、おかしいんじゃないかって。だから質問しているんですよ。出してください。」

松本

「繰り返しの答弁で(略)・・・」(桜井充議員不規則発言:決定したんだから出せるだろ。決定してないんなら途中は出せないってんじゃないんだ。)←そのとおりー

「あの委員長、まぁ理事会協議になってるからってのを理由資料を出し渋るのはやめていただきたいんですけれども、ここまで副大臣が拒絶しておりますので、きちんと理事会協議をして提出をしていただきたいと思います。」

(以下木曽功氏の話へ)

 これさー野党修正協議に応じないってのは、そうだけど、自民党山田俊男議員農水族)が、JAへの攻撃かばっかして(まぁそこには緒論あると思うけど)くせに、農家責任押し付けすぎているのではないか農業競争力強化支援法は脅迫法の間違いじゃないかと不満を述べていたのにも現れていました。山田議員の主張は、規制改革推進会議が、党の議論独立に出してきた結論に引っ張られて、好き勝手意見を言うのを政府容認し、党もそれを止められない、という類の話をされて、最終的には規制改革推進会議農業を好き放題させてはならんぞぉということをおっしゃっていたことを森議員は言ってるんだと思うんです。これって、自民党の変容を端的に表していることで、党の部会議論より官邸主導の有識者会議が優先されているから、自民党族議員特に道路族農水族は強い不満を持ってると思うよ。口には出してないけど。官邸主導ですばやく決めるんだっていうけど、じゃあ立法府役割はなんなの?っていう根本的で、しかも今あらゆる場面で問題になってることですよね。

 大体、国家戦略特区竹中平蔵が入ってやってることって、自分社外取締役やってるオリックスの子会社農地取得(養父市)、パソナ等3社で独占してる家事代行業への外国人参入、また今かかってる農業従事者への外国人労働者特定機関として、派遣請負業者(まだ特定機関認定はされてないはずだけど、どうせパソナだろ)が占有するっていう政令とか、おい全部利益誘導じゃーんていう。木内議員が言ってたように、規制改革じゃなくってレントシーキングだろっていうさ。古い自民党部会主義全否定してきた意識高い系のひとたちってこういうのどう思ってんだろうねっておもったしだいです。

2017-02-06

なぜ多くの人が「学校勉強は役に立たない」と思っているのか問題

http://anond.hatelabo.jp/20170204214653


増田がこういうことを言う前提には、「学校で学ぶことは実用的でない」という考えがあるのだと思うけど、必ずしもそうではないと個人的には思っている

(今のカリキュラム指導法がすべて適切だということはないにせよ)。

中学までの科学知識があれば」なんてことは偽科学批判枕詞でよく使われる。

この前のトランプ大統領就任演説なんて中学校までで習う単語ほとんどだったそうだし、

書店で「中学までの英語英会話はできる」というような内容の本はよくある。

政治問題過去歴史が引き合いに出されることないくらでもあるし、

逆に過去の例を知らずに出した「斬新なアイディア」がクソだってことは少なくない。

保健体育をきちんと学んでいれば、性感染症や望まぬ妊娠はかなりの程度避けられるはずだ。


そもそもの話として「学問実用的でなければならないのか」という問題があるけど、それをさておいても

ちゃんと使えば学校で学ぶ内容が役に立つ局面は多いだろう。


なんでこんなに多くの人が「学校勉強は役に立たない」と口にするのだろう。ぱっと思いつくのは二つ。


一つは「教え方」の問題だろう。人間、習ったことで「試し斬り」をしたくなるもので、、

それが上手くいくことは学ぶことの動機付けの一つにはなる。恐らくそれが不足している

でんじろう先生がもてはやされたのは、学校レベルではそのような実感がいかに乏しいかという傍証ひとつだろう)。



二つ目は、社会不条理や不平等のはけ口として、平等に与えられる学校勉強槍玉にあがる、ということだ。

例えば、それなりの大学を出ても、お金持ちや権力者にかなうわけではない、だから学校勉強など無駄じゃないか」というわけだ。

それに加えて、学問ってのは個人資質で下手するとスポーツ以上に到達度に差が出る。割と絶望するレベルで。

はいえ、それとこれとは全く別の話なのだけど。


他にも恐らく切り分けて考えるべき問題が沢山あって、現実は複雑で、

教師だけ責めても何も解決しないってことは薄々みなわかっていて、

からこそ実体のない「教師」という概念を責めているのかもしれない。

それが有能な教師の足を引っ張るかもしれないことなど考えもせずに。

2017-01-01

隠れ大金持ちは十パーセントはいるだろう 君も歩いたら分かるだろう

実際そう思う。

ここで云うのは、本物の富裕層と、現代価値観にして庶民ではないケース、つまり仮にほんとに違うとしても傍証が多いケースとを合わせた数字で、私が学生時代に見聞きした実感として、それくらいあると思う。

まずこれは百パー富裕層だなと思ったのは、見るからに不良出身自営業で、既に家を持っている。車も普段通る車とは違う。中年にしては若い方だが、ただ危ない人のようには見えなかった。

引っ越しのために転向しようとした富裕層の家庭の高校生が、その代償に問題児から別の校則違反を着せられたケースもあった。しか学校もそのことを把握しているようだった。彼は最初否認したが、学校は、これを引き受けなければ過去に見逃してやった不良行為を蒸し返すぞと彼を脅したそうだ。彼はやってない罰を引き受けて、高校を去った。

ひどい社会だと心底から思う。

2016-07-04

それでも(これ以上の)金融緩和に反対する理由

http://anond.hatelabo.jp/20160703171723

それは,一言で言うと「金融緩和してもほぼ全部金融市場が吸い取ってしまい,実体経済に金が回らない」からである

(以下は素人の私が勝手に考えたものだが,もし同じようなことを言っている経済学者がいたらぜひ教えて欲しい。まあ,素人と同じようなことを考える学者はいないと思うが。)

そもそも私がこういうことを考えるに至ったのは,1990年代終わり〜2000年代初頭にかけてのITバブルきっかである。その当時,IT経済を主とする"成長"は「インフレなき経済成長」と呼ばれていた。それは論理的おかしい,何か理由があるはず,と考えた結果,「これは実体経済に回るとインフレを起こすお金の大半が金融経済に回っていて,その結果金融経済が"成長"している一方,実体経済ではインフレが起きていないのでは」という結論に達した。

具体的には,当時のITバブルでは,資金インターネット上の広告を売る新興企業流入した。インターネット上は空間的な制約がないので,それら新興企業はほぼ設備投資をすることな広告いくらでも増やせる。他方,インターネット広告への期待から,それら新興企業広告枠を買う企業が現れる。そうするとそれら新興企業株価が上がる。株価が上がると,それを売って儲ける投資家が現れる。儲けた投資家は,またそれを新興企業投資する。広告一種投資なので,広告枠を買う形で投資を行う者もいる。そうするとまた株価が上がる。

このバブルでは,対象が「インターネット上の広告枠」という無限に近い資源だったこともあり,実体経済には余りお金が回らなかった。せいぜい Sun Microsystemsサーバーが売れた程度である。ただし巨大なバブルだったので,おこぼれといっても巨大で,この後バブル崩壊すると Sun後遺症に悩むことになり,最終的に Oracle に買収されて消滅する。

しかしこのバブル本質は,2次投資,3次投資,...という高次投資によって金融経済の中で資本が循環し,循環の過程で(見かけ上の)資本が拡大していった点にある,と私は考えている(バブルというのは須らくそういうものだが)。

結局このバブルは,「広告いくら投資しても実際に広告対象商品が売れなければ意味なくない?」ということに広告主が気づいたことで崩壊した。つまりいくら金融経済期待値で拡大しても,最終的に実体経済がそれに見合った成長をしなければ,それはバブルであり,バブル必然的崩壊するのである

次に,この考えの傍証として私が注目したのは,金融経済実体経済の規模の乖離である

http://www.meti.go.jp/report/tsuhaku2008/2008honbun/html/i1120000.html によると,2006年時点で,金融資産の規模は実体経済の3.5倍であり,1990年以来の平均成長率は,実体経済が5.7%であるのに対し,金融資産9.1%となっている。

これは異常である,と思う。

投資というのは,最終的に実体経済が拡大しないと,リターンを得られない。

ちょっと金融からは外れるが,土地転がしを例に考えてみよう。土地の値段は,循環取引的な手法を使えば,原理的には無限に上げることができる。その間,資産規模は拡大していく。しかし,それらはどこまでいっても「投資」であり,その投資を回収するためには,その土地建物を建てて商売して利益を上げて地代を払ってくれる誰かが必要である

もちろん投資には期間があって,5年のものもあれば,10年,20年,...といったものもあり,それらが混ざり合っている。従って,必ずしも実体経済と金経済の規模が一致していなくてもよいが,金融経済の方が実体経済よりも速く成長するのは,やはり異常であろう。

この金融経済実体経済乖離は,おそらく1990年代金融規制緩和以降に始まったのではないかと思う。この規制緩和によって,通貨以外のもの通貨と同様に扱えるようになり(例:株式交換による買収),またBIS規制の枠外で高次金融商品金融商品投資する金融商品)が解禁されて,金融商品土地転がしのように転売することで金融経済が拡大することを可能にしたのではないかと思われる。

その結果,金融経済は恒常的なバブル状態になった。実体経済の成長を伴わない金融経済の成長はまやかしだが,そのまやかしがいつ露呈するかわからないので,それまでは疑心暗鬼ながらもチキンレースを続けている。まやかしだとわかっているが,実体経済よりも遥かに楽に大金をを得られるので,やめるにやめられない。それが今の状況なのではないだろうか。だから逆に,ちょっとしたことで株価が乱高下する。Volatilityが高くなってるのも,恒常的なバブルのせいと考えると個人的には納得がいく。

さて,金融緩和はここでどういう役割果たしているかというと,このバブル崩壊させないように金融経済現金を注入する役割を担っているのではないかと思う。

金融緩和恩恵を(最初に)受けるのは銀行投資家大企業である

とにかく最初恩恵を受けるのは銀行。商材であるお金日銀から低利で借りられる=安く調達できる。

次が大規模投資家ファンドや超がつくレベル資産家等)や大企業日銀から直接お金を借りるような大銀行の主要顧客になるようなところ。ここも従来より安い金利資金を借りられるようになる。で,借りた資金を,大規模投資家はより(見かけ上の)リターンの高い金融商品株式等)につっこむ。大企業設備投資したり,やっぱり別な金融商品投資したりする。銀行から借りた資金が,給与を上げる原資に直接使われることはまずないと思う。

まり金融緩和恩恵の大半は最初銀行投資家大企業が取ってしまうし,その大半は実体経済ではなく金融経済の拡大に回ってしまう。その方が手っ取り早く稼げるからだ。残った僅かな(文字通りの)「トリクル」だけが実体経済に回る。だから効果ゼロではないが,金融緩和の規模に比べると遥かに小さいし,また効果が出るのも遅い。設備投資が,さまざまな労働者給与増に波及するのには,時間がかかるだろう。

近年の「異次元」と呼ばれるような金融緩和でもインフレがおきない(インフレ目標すら達成できない)のも,金融経済金融緩和で生み出された資金を吸収し,実体経済ほとんど回ってないから,と考えると説明がつくように思う。

ではどうすべきか

一番良いのは,金融規制1990年代以前と同程度まで強化し,過剰流動性をなくすことだと思う。しかし,ここまでバブルが大きくなってしまうと,その破裂によってもたらされる実体経済への影響は,たとえもともとそれが率としてはトリクルであったとしても,絶対額が巨大なため,悲惨なことになると思われる。なので,風船が急にしぼまないよう,少しずつ空気を抜くような慎重さが必要になるだろう。

個人的には,長期投資実体経済にとっても有益だが,短期投資(=投機)は害の方が多いので,短期投資に高い税率を課し,事実上無意味にしてしまうような政策が取れればいいのに,と考えている。株式債券,その他の金融商品在庫管理と同様の手法管理し,例えば今日買った株を今日売ったら税率99%,逆に20年持ち続けた株を売った時は税率1%というようにすることで,長期投資を促すような政策手法的には可能だと思う。

また高次投資有害性が高いので,税率を高くする。例えば株式の売買は2次投資から課税対象だが,配当は1次投資のリターンなので,非課税にするなど。株式はトレーディングの対象ではなく,本来の「直接金融によってリターンを売る権利会社支配権」の位置に戻した方が良いのではないだろうか。

最後に,これは妄想だが,金融経済実体経済可能な限り切り離す,というのが本当はできればいいと考えている。具体的には,金融経済はそれ専用の独自通貨を作り,その中で自由になんでもやっていい。ただし実際の通貨に交換できるのは,世界実体経済GDPの3%まで,とか決めておく。誰がその3%を使えるかは,金融経済の中で,専用通貨オークションでもやって決めればよい。まあでもこれは残念ながら実現不可能だろう。

終わりに

というわけで,今以上に金融緩和をしても無意味なんじゃないかな,と思ってる。

ところで,なぜ財政政策のところが「再分配(例:富裕層への課税強化&低所得層への扶助)」じゃなくて「財政出動」なんだろう?

いや,財政出動でもいいんだが,富裕層への課税強化を同時にやっちゃダメなの?

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