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はてなキーワード: 支配権とは

2019-01-29

anond:20190129120428

「大多数の人間」が絶対的支配権をもって少数派を摺りつぶしていいルールなんかないんやで?

暗黙のルールもしらない社会不適合者は黙れ

anond:20190129120045

「大多数の人間であるというエビデンスすらないんやで?

そして「大多数の人間」が絶対的支配権をもって少数派を摺りつぶしていいルールなんかないんやで?

2019-01-23

https://anond.hatelabo.jp/20190123112242

イトコ婚制度政治資金の非課税制度を利用して

一族の富と地位社会支配権保護し、富の集中を拡大する

不服な奴らはブラック企業にぶっこんで人口を減らす

増田はそういう資本家サイドかい

2018-12-06

anond:20181206125943

支配権が偏る時点でそもそも対等じゃなかったってことだから別れるのが自然な成り行きだろう。

最初からそういう相手だったってこった。

2018-12-02

我々は一人の社員を失った。

これは敗北を意味するのか? 否! 始まりなのだ

GAFA連邦に比べ、我がNTT年収は30分の1以下である

にもかかわらず、今日まで戦い抜いて来られたのは何故か!

我がNTT職場環境正義からだ!

我々は郵政省公社を追われ、民間企業にさせられた。

そうして、一握りのエリートが、全地球にまで膨れ上がったGAFA連邦支配して20余年。

日本に住む我々が社員引き留めを要求して、何度連邦に踏みにじられたか


我が社員諸君が愛してくれたXXXXXXは辞めた。何故だ!?

新しい時代覇権を、我ら選ばれた社員が得るは歴史必然である

ならば、我らは襟を正しこの戦局を打開しなければならん。

我々は、過酷競争環境生活の場としながら、共に苦悩し、錬磨して手厚い福利厚生を築き上げてきた。

かつて中曽根康弘は、行政革新郵政の民たる我々から始まると言った。

しかしながら、GAFA連邦モグラ共は、自分達が情報通信産業支配権を有すると増長し、我々に抗戦をする。

諸君の、父も、子も、その連邦の無思慮な抵抗の前に辞めていったのだ。

この悲しみも怒りも、忘れてはならない!

それをXXXXXXは退職をもって我々に示してくれた!

我々は、今この怒りを結集し、GAFAに叩き付けて、初めて真の勝利を得る事ができる!

この勝利こそ、退職者全てへの最大の慰めとなる!

悲しみを怒りに変えて、立てよ社員

我らNTTこそ、選ばれた民である事を忘れないで欲しいのだ。

優良種たる我らこそ、人類を救いうるのである

ジークミカカ!!

2018-10-05

市民的公共性存在する(が千田氏の思うようなものではない)

辞書的に言えば「市民的公共性とは、ハーバーマスが『公共性構造転換』(1962)の中で提唱した概念ホルクハイマーらの『人間の理性が頑張っても幸せにならないんじゃないの? だってナチスとか出てきたし』という悲観に対するカウンターとして提出された。ハーバーマスにとっての公共性人間自由平等連帯幸せになっていくためのベースとして存在している」といった感じ。

~性というのはいかにベースとして弱そうだが、ドイツ語のÖffentlichkeitは「Public sphere=公共圏」と訳すこともできるというかこっちのほうが適切だと最近は言われている。なので以下では基本的公共圏統一する。

で、市民公共圏って一体何よ?

それはハーバーマス自身もよくわかっていないようである。その証拠大学図書館には「公共圏ってたぶんこういうのだと思います(こういうものだったらいいな)」という本が溢れている。たぶん最大公約数的には「まあみんなで議論する場は必要だよね」というあたりで理解されている。

しかし、この「みんなで議論する場」というもの曲者である人類の大半の歴史上、「みんなで議論する場=公共圏」には男性だったり社会的強者だったりという入場パス必要だった(今でもそうかもしれない)。しかしそれは今日価値観から見れば明らかに間違っていたわけで、その間違い(入場パス)と長い間仲良しだった概念自由幸せ社会ベースに据えていいのかという問題がある。

ハーバーマスは彼が理想とする市民公共圏がどういうものであるかは、少なくとも『公共性構造転換』の中では(たぶんそして今日に至るまで)ふわっとしたことしか言っていないのだが、どういうものでないかはこれ以上ないほどに詳しく論じている。一見いかにも学者らしい無駄っぽく思えるが、「こっちに行ってはいけない」というガイドブックでもなにもないよりはましである。たぶん。

本稿では、「昔の(入場パスつきの)公共圏にはこのような批判がありました」とハーバーマスが論じている部分を検討し、その批判千田氏の立場にブッ刺さっていることを確認する。その結論として、千田氏の「市民的公共性」という用語用法いかに不適当ないしド適当であるかを示す。

ヘーゲルによる公共圏批判

以下ではハーバーマス細谷貞雄山田正行訳)『公共性構造転換』の第四章 第一四節「公共性弁証法によせて――ヘーゲルマルクス」に基づいて議論を行う。

ヘーゲルは入場パス公共圏関係を真っ先に疑った人であった。とはいえヘーゲル最初からブチ切れたりはしない。「公論公共圏における論議、もしくは公共圏のもの)っていいよね、合理的だし」というところから話を始める。でもその合理性って自由主義がベースになきゃ成立しないよね?(みんなが自由意見を言えることが前提なので)、でもその自由主義って本当に公共圏とそこまで相性いいだろうか?とヘーゲルは問う。考えてみればこの矛盾は明らかである。司会のいない多人数の会議を考えてみればよい。地獄である。間違いなくそこに自由はある。なのに(だから?)地獄である

このことの地獄性は会議室を超えて社会とか国家とかのスケールになるとより増す。例えば少数者差別を考えてみればよい。これはみんなに「自由に」議論させてるだけではそもそも議題にすら上がらないだろう。そうして公論きらきらした合理性の賜物から「多数者の主観的私念」という水準へと転落する。公論は「自然に生じた不平等止揚するどころか、むしろこれらを技能財産さらには知的倫理的教養の不平等まで深めていく」。入場パスを持っていない人はより不利な位置に、持っていても少数派の人もまたより不利な位置に、公論によって追いやられる。

まあとはいえ人間も頑張るもので、法治国家とか市民社会とかを作って頑張って公論して私念から理性に支配権を移そうとするのだが、ヘーゲルいわく土台が腐っているのに頑張っても泥縄だそうである。そうした頑張りはむしろ国家主観的私念を入り込ませる結果になるとヘーゲルは言う。じゃあどうすりゃええのよって言えばヘーゲル最初から開き直って身分制国家を作れとか言ってそれに対しマルクスがいや社会主義でしょとか言って最後ハーバーマスがいや公共圏を作んなきゃダメだよとか言うのだが、そのあたりは略する。

ともかくにもハーバーマスが描く市民公共圏というものは、こうした批判スルーしては論じることができない。ここで重要なのはハーバーマス公共圏をどのようなもの「ではない」と考えていたかということである。以上見てきたようなヘーゲル理論は最終的に乗り越えられる(ということになっているが詳しいことはやはり不明)のだが、であるからこそ少なくともヘーゲル批判したそのままのことをやるのがまずいというのはわかっている。

千田氏は何をしたか

まさにヘーゲル批判した地獄公論インターネット上に出現させようとしているのである

私自身は「表現の自由」は国家から規制されるべきものではない、とは思う。でもそう思うからこそ、国家から規制されるまえに、「市民的公共性」を発達させないといけないと思うんですよ。

あと表現って、さまざまな他者への配慮のなかでこそ磨かれていくものだと思う。フリーハンド表現なんてない。https://twitter.com/chitaponta/status/1047451777220501504

市民的公共性の話って、ハーバーマスのつもりだったんですが…。https://twitter.com/chitaponta/status/1047789073471946752

市民的公共性対話によるものですから、そのことを話し合うことが大切だと思います

いままさに起きていることが、市民的公共性なのではないでしょうか?https://twitter.com/chitaponta/status/1047810256976269312

まず第一に、専門用語を「」で括って注釈なしに使うのはおよそハーバーマスの「市民的公共性」的態度ではないといえる。なぜならこれこそヘーゲル批判した「自然に生じた不平等を(略)知的倫理的教養の不平等まで深め」る態度にほかならないかである

そして第二に、ハーバーマス議論は上のような「話し合えばそれが公共性」というような安易理解を拒絶するものであるということを千田氏はまったく理解していない(か理解していても無視している)。上で見たヘーゲルによる公共圏批判からもわかるように、ハーバーマス議論は「公共圏にはあれやこれやそれや…の批判があるけど、でも、それでも公共圏がなければ人間幸せにはなれないんだ」というひねくれたものであり、単に「話し合いが重要だよね」と言っているのとは違う。仮に結論は一緒だとしてもやはりそれは違う。その違うものを一緒くたにして、専門外の人に「話し合い=市民的公共性」という理解(そんな人のいい理解をしている人はほとんどいないようだが仮に字面だけ虚心に読んだとして)を植え付けることが、ほんとうにハーバーマスであるといえるだろうか?

第三に、「思う」根拠が示されてない。少なくともハーバーマスは「国家規制を前もって回避するために市民公共圏を発達させるべきである」というような具体的な議論はしていないはずであるであるとすればこれは千田氏のオリジナルアイディアが含まれているはずであるのだが、それがまったく説明されていないのと、先に述べたようにそもそも専門家間ですら扱い方に差がある「市民的公共性」という単語のせいで、最初ツイートの二文目は全く意味不明ものと化している。原理的に誰にも意味が伝わらないはずのもの炎上しているのはお気の毒というほかないが、であるからこそ千田氏は「市民的公共性」の意味と「思う」理由をしっかりと説明してほしいと思う。

2018-07-19

少子化って何が問題なの?

私はもう人間がすべていなくなって

地球支配権猫ちゃんに渡した方がいいと思ってる

2018-07-04

日本ネットコミュニティ環境ネット国境が出来る日

最近徐々にインターネットに(事実上の)国境が出来るのではないかと思い始めている。

いや、国境というより大量の検問が作られると言う方がわかりやすいだろうか。

中国の台頭とEUネット政策を見ると明らかにそちらに傾いているように見える。


KADOKAWA川上社長ブロッキングにまつわる議論を見ているとどうしてもそのような考えが浮かんでくる。

ニコニコ動画差別に対して肯定的であるか否かという議論がしばしば起こる。

ニコニコ動画在特会専門チャンネルを一時期容認していたり、ネット右翼のユーザーが多いためそのような議論が出てくるようだ。

だがここで冷静に考えて欲しいのだがニコニコ動画在特会チャンネルを最終的に削除した。


https://www.huffingtonpost.jp/2015/05/19/zaitokukai-niconico_n_7312092.html


一方でYoutube在特会桜井誠チャンネルを削除したのは2018年6月である

さらYoutubeネット右翼の動画数はニコニコの比ではない。

別に川上社長擁護するわけではないのだがなぜこのような差が生まれたのか考えるとYoutube日本企業ではなく

アメリカ企業であったからという理由がどうしても大きいように思える。

同じようにTwitter日本支社の対応が歪んでおりまったく差別発言などの削除が行えていないのではないかと話がずっとついて回っている。


はてなではニコニコが「日本企業であるため、差別容認していると見ているように思える。

だが実態

「どんなに規約差別に対して許さないといっても他国で他言語日本コミュニティは明らかに二の次である

という状態だ。

もちろんYoutubeTwitterが悪意をもってそのようなことをしているとは思っていないが。

ニコニコ動画ネトウヨを押し込めといって活動している人達がいるが

その間にYoutubeに大量のゴミ動画が作られる可能性はどう考えても高い。


これは現実政治法律日本支配権を握っているにもかかわらず

ネット世界ではアメリカ企業支配しているから起こる現象だ。

アメリカ人は通常日本語をできないし、日本政治法律に通じているわけではない。

だが良く考えて欲しいが、企業がその国の法律コンプライアンスを守らないという状態は全く正常ではない。

おそらく今後もYoutubeTwitterに対して抗議の声を挙げ続ける人はいるだろうが全ての決定権はアメリカ他国に委ねられている。

これは明治時代不平等条約下における大日本帝国事実上同じ状態なのではないか

おそらくEUエリート達はこの事実に気づいたのではないだろうか。

中国の長城につづきEUのグレートファイアウォールが出来る可能性は高い。


その時われわれ日本インターネット環境果たしてどのようになっているだろうか。

2018-06-14

[] 金正恩天才軍師!?

北朝鮮アメリカ交渉して、在韓米軍撤退させる狙いがあるらしい。(本当だろうか!?

もしも、金正恩在韓米軍撤退させて、在日米軍撤退させることができるのなら、こいつの外交手腕は天才的と言わざるを得ないだろう。

もっと北朝鮮がすごいのではなく、バックについている中国チャイナセブン太子党)がすごいだけなのかもしれないが。

中華思想世界の中心は中国)を推進するために、アジア支配権欧米から取り戻したい中国は、日本にも影響を及ぼすだろう。

日本漢字を使っている国なので、中国との親和性が高い。

日本が、中国南北朝鮮と連携を取り、なおかつ対等なパートナーとしてアメリカとも連携する場合、どのような条件を整備する必要があるのだろうか?

日本国憲法を改正して、日本軍隊を持てば、外国と対等なパートナーシップを形成できるだろうか?

日本天才が集う増田諸氏の意見をお伺いしたい。

[] アジア各国は大同団結せよ!

日本人世界史を学べ!(歴史を学ばない者は豚だ。人間じゃない)

 

アジア欧米列強蹂躙され、植民地にされてきた歴史がある。

紆余曲折、今は日本アメリカ植民地にされている。

 

第二次世界大戦後、中国朝鮮独立を勝ち得た。

日本ダメになってしまった今、アジア復興できる盟主実質的中国だろう。

日本の「大東亜共栄圏」構想ではなく、中国の「一帯一路」でも仕方がない。

 

アジアが力を蓄えれば、日本アメリカ支配を押し返せるようになるだろう。

「骨を切らせて肉を断つ」…中東支配権はユダヤにくれてやれば良い。

アジア支配権はアジア人が握り、日本支配権は日本人が再び取り戻せば良い。

 

アジアにはEU英米を超える可能性を持っている。

地球未来を守ることができるのは、サイコパス欧米ではなく、人類共存を目指すアジア先駆者になるのではないか

2018-05-24

anond:20180524141602

日大損切りの失敗例

何かもういろいろ飛び火して、アメフト問題では納まらなくなってきている?

これまで広域暴力団住吉会会長山口組組長との写真流出、その交遊が国会問題になったことがある。

また、常務理事時代には建設業者からのバックリベートが取り沙汰され、内部調査を受けた。

いずれも決定的な証拠はなく、疑惑の指摘にとどまっているが、それだけ敵が多いのも確かで、長期政権を敷く間に理事を仲間や側近で固めて、支配権を確かなものにした。

その際、自分との距離感を計るのに使うのが、優子夫人経営する阿佐ヶ谷の「ちゃんこ料理たなか」である

 

うまく使えば、安倍政権国民の目を逸らせるのでは?

2018-03-17

anond:20180317193638

かにな。

それにね、痴漢が多いのもそれが原因だと個人的に思う。

人が嫌がると自分も嫌だって感覚母子愛がルーツだと思うから

どんなことがあっても人を傷つけないっていう気持ちは、母の無償の愛から学ぶことだと思う。

でも、父性って強い者こそ正義であり、強い者には支配権正当化されるって意味合いあるよね。

母性精神が欠如したら、力で女を抑えれば正義だってなるよね。

母性父性が揃ってれば、人の痛みは自分の痛みっていう母性が理性(父性)をドライブするから痴漢は止められると思う。

2018-03-01

anond:20180301210210

宇宙人が既に地球に来ていないという根拠存在しない

俺はもう宇宙人地球に来ていると考える

ではなぜ公開しないと俺にいうだろうが

それは公開するメリットがまずないからだ

1.人間自己進化をやめてしま

宇宙人科学技術横流しして使いだしても

自己進化をやめた人間が使えば戦争の道具や争いにしかならないだろう

人類自力調和を持つようになるまでは宇宙人科学技術提供なんてしてくれない

 

2.なぜ地球支配してこない

植民地理解人間の考える現実限界から

空間を超越してやってくる宇宙人地球を欲しがる理由がない

やってくる理由すらないほうが自然

もしやってくるなら未開の猿を救おうとする慈悲の心以外に有り得ない

 

3.1と2の理由から今は人類テスト期間

人類自力核兵器を捨てて戦争に頼らない統一政府を作り出し人口調整ができる時代に至るまでは

宇宙人技術提供しないし助けもしない

から当面の目標世界統一して支配権が誰にあるのかを宇宙人に示す必要がある

表向きは昔から戦争っぽいけど今はそういうステージじゃない

宇宙人に答え合わせの解答用紙を誰が持っていくかで、地球支配構造覇権争いされている

もちろん同じ目的で動いていない宇宙人いるから一緒に働いてるやつもいるでしょう

 

特に目撃例についてとやかく言われるけど

日本みたいに何もない国にきてどうすんのって話でしょ

一番先進的な国がアメリカなんだから

あなた地球に来た宇宙人アマゾン川に降りると思います

 

宇宙人地球存在しないという現実

あなた宇宙人出会うだけで崩壊する大したことのない希望的観測なんです

それは原発メルトダウンしたことと同じように根拠のない絶対なんです

この宇宙生命誕生物理法則になった確率と比べたら

既に宇宙人地球滞在してる確率の方がずっと低い

もっと早い段階で心ではなく力を信じるべきだった

より多くの人間を救うことが使命であり正義だと思っていたが

その自分の考えこそが大いに間違いであるという疑問を持たないでいた

現実はそれを実行できるか、結果に起こせるかということにしか関心がないようで

人間の信じる心や愛や真実にはとんと無関心らしい

自分の考えてきた正しさという者は心の中にしか存在せず

過去成功例はないし未来にもまた一切ないだろう

それについて絶望しているもの弱者であり強者はただ合理的行動を取ることができる者であるというのは疑いようがない

強い者が強くあり続ける理由がようやく分かった

それを俺が求めている答えでないことも、認められないことこそが己の弱さであることも

やるべきことは突き留めることではなく、それを理解自分が変わることではないだろうか

俺は産まれときからずっと支配権を握られることに強い抵抗を覚えてきた

自分よりも強い存在がいることに激しい怒りを覚えた

特に感情的な行動が多かった

思考よりも感情を優先した

なぜ支配されることが嫌なのか考えてみたが、それ以上の理由がこたえられない

かに決定されることが極端に嫌いだ

地球支配構造についても嫌いだし資本主義についても嫌いだ

この宇宙物理法則にしたって嫌いだ

なぜ生命には寿命があり、死ななくっちゃいけないんだと

なぜ全ての人間が同時に幸福になってはいけないのかと

この宇宙法則性という支配力そのものに怒りを覚えている

なぜ俺は決められなくてはならないのかと

自分意志やチカラよりもずっと上位に存在する階層から

影響を受けて支配され続ける限りは俺は永遠に自由になることはない

俺の求めている自由が一体何を意味するのか俺自身には分からない

から正確な怒りの理由動機説明できないが、とにかくずっと怒りを感じてきた

人という檻の中で生きるのが苦痛だし、

社会的ルールを守り続けるのも本当に苦痛

宗教的観念モラルにしても倫理にしても守らなければ自分の身を守れないという理由で守っている

決して美的感覚ポリシーから守っているのではない

まり善人ではないのだ

俺が自分根本的な悪人悪感情を持っていることを強く自覚している

自分のものが悪だと思っている

例え犯罪的な行いをしていなくとも心が悪なのだ

善とは嘘偽りのない感情で、常時ではなくとも、常に善人としての行動や心情を選択できる人間だと信じている

だが

俺はそのような人間と、完璧な善人と出会った事がない

から探し続けている

悪人は死んでもいいからだ

俺は自身が悪であり、生きるべき善人を見つけたときにやっと死ぬに値する人間として生を受けたことを自覚し、

死を受け入れることができる

それが死生観

ずっと探し続けているが見つかりそうにない

もちろん俺と比べたら幸せな家庭をもっていたり守る家族を持つ、まっとうな人間は見てきた

だがどこまでも自分は疑いを持ち続けた

無力だ

100%確率でそんなものはないし、自分を納得させれるだけの材料は揃わないとも思っている

愚かだ

であれば開き直り弱肉強食世界に対して利用できるものを踏みにじっていくという精神性を持つべきだった

自身が悪であると思いながら悪を肯定しきれない未熟さ不安定さが俺の人間としての軸を破壊している

矛盾したポリシーのせいでだ

から俺は今度は絶対的な力を持つ存在を信じることにする

この世の正しさを作り出せるとしたら圧倒的な力だ

俺のように無力な人間にも目はついていて耳は聞くことができる

恐ろしく力の大きな存在を少しでも感じることで俺は残りの人生の生きる糧にしようと思う

俺はもう生きるのに飽きてはいるが

やはり死んではならないと考えている

自分意志の強さを信じている

ずっと繰り返してきたのだ、10年以上

から楽しみは観察することや知ることだけだ

もう何かを変えられるとは思わないし興味も無くなった

聖人がどこにいるか探すよりも力を見ていたほうがずっと正しいと思っている

今ではそうだ

2017-06-05

鎌倉戦国時代に燦然と輝く北条家は、日本史教科書では分からない

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

日本史教科書いくら見ても本当のところは理解できないんですよ。

なぜ北条家が坂東武士の頂点に立ち、鎌倉幕府頼朝が作ったにも関わらず、北条がその後の支配権を握り続けたのか。そして戦国時代に「後北条家」が、北条家と特に関係がないのに成立し、関東盟主足り得たか源氏とは、北条とは何か。

北条は、坂東平氏の家柄である坂東平氏とは、桓武天皇の血を引く、関東にやってきた平氏総称であり、その五世である平将門新皇自称して、朝廷に対して関東支配権を主張して反乱を起こし、敗れた後に祟りを起こして神となったことで、関東に決定的な影響力を及ぼすようになった。

平将門は神である。そこを間違えてはいけない。平将門怨念とされるものは畏敬の対象として、現代人に対しても深く印象づけられているが、関東ではほぼすべての神社平将門を祀っていたほどに力があった。坂東武士たちにとっては、平将門は実際に神であり、朝廷反旗を翻し関東独立した政権を、坂東平氏が頂点となって打ち立てることは坂東武士の念願であった。平忠常というそのへんの平氏関東で反乱を起こしただけで一大ムーブメントになってしまうぐらい、平氏関東支配朝廷から独立するという夢は坂東武士の間に広がっていた。元記事に書かれている関東の有力豪族千葉氏上総氏は、平忠常の子孫とされている。

そこにやってきたのが源頼朝である源頼朝清和源氏事実上嫡流である清和源氏桓武平氏といった用語を知らない人のために説明すると、天皇家は偉いわけだが、子孫がいつまでも皇族だと皇族が際限なく増えてしまい、現代で言う宮内庁予算が際限なく増えてしまうので、どこかで平民になってもらわなければならない。平民になる時に、皇族には名字がないので、名字を与える必要がある。その時に、源、平の名字が与えられた。天皇の血を引くスゴイ人たち、という意味が源、平という姓には込められている。清和源氏清和天皇の子孫で源姓を名乗った人たち、桓武平氏桓武天皇の子孫で平姓を名乗った人たちである

たとえば足利も、徳川も、本姓は源である。源尊氏源家康が本名だ。なぜ足利とか徳川というかと言えば、源が増えすぎて区別必要が出てきたというのもあるが、源というスゴイ名字を出すのは気が引けたから、という要素が大きいように思う。本当の名字は避け、住んでる所を名字にする、といったことをして、木曽義仲とか、足利尊氏とか、あるいは自分でっち上げ徳川という名字を使った家康のような人もいる。これを説明するには、武士にとって本名いかに大切であったか述べなければならないが、面倒だ。武士の下の名前は諱(忌み名、呼んではいけない名前)とされていたということを考えれば、上の名前もそれなりに大事だということはわかると思う。(そして信長様~とか秀吉様~とか言っている時代劇が全部嘘っぱちだということも分かるだろう)

平忠常の乱を平定しようとした、桓武平氏嫡流平直方は、乱の平定に失敗するが、清和源氏事実上嫡流である源頼義を婿に迎え、領地であった鎌倉を譲り渡す。この時、鎌倉坂東源氏拠点であると同時に、平氏源氏嫡流が交わった聖地という意味が生じた。そこから八幡太郎義家が生まれ源氏の声望が高まり、その嫡流である頼朝権威づけていく。

ここまでくれば、坂東平氏である北条家が頼朝を婿にとり鎌倉本拠地に据えた意味が分かるだろう。平家源氏が交わり、鎌倉拠点とするというのは故実に則った神聖儀式なのだ。ちなみに、北条家が坂東平氏の由緒正しい血筋だというのはおそらく自称であり、フィクションである。だが坂東武士は将門の祟りの方が怖いので、血筋の細かい所は気にしないのだ。

鎌倉に作られた幕府は初めから天皇を中心とする朝廷対立関係にあり、承久の乱勝利することで朝廷の上位に立ち、皇位継承操作するまでになった。それはなぜかといえば、平将門朝廷から独立志向していたかである平将門怨念が実際に実を結んだのが鎌倉幕府である頼朝の下で働いた北条梶原三浦和田千葉熊谷などは、みな坂東平氏である。そして役割を終えた源氏はどこかに消えて、坂東平氏北条家による支配が行われた。

そして戦国時代、後北条家の話になるが、後北条家は伊勢新九郎盛時、北条早雲によって立ち上げられる。伊勢氏室町幕府政所執事の家柄で、ものすごく偉い。ちなみに桓武平氏である

室町幕府というのは北条家に牛耳られた鎌倉幕府を倒して出来た政権である鎌倉幕府内の源氏で最高の血筋だった足利鎌倉幕府を倒し、北条家はほぼ滅亡してしまう。そして源氏である足利京都朝廷とベッタリの幕府を作った。平氏による独立志向関東幕府から180度の転換である

史実ではものすごく偉かった伊勢新九郎盛時であるが、実家室町幕府の偉い家柄で、関東を牛耳りに来たというのは、いかにも坂東武士には都合が悪い。仕方ないので、先祖を辿れば同じ坂東平氏という縁にあやかって、北条の名を名乗ることにした。ちなみに名乗ったのは息子の氏綱の代である。そこで、おそらく後北条家のプロパガンダによって、歴史改変が行われ、謎の素浪人北条早雲が、下克上嚆矢となり関東に覇を唱えたという、我々のよく知るストーリーが現れる。よく調べると、全てデタラメである

これにより、なぜ後北条家が秀吉と争い、滅亡への道を歩んだかも分かるだろう。秀吉関白天皇代理である天皇と対抗する存在である坂東武士にとって、秀吉に降ることは、平将門祟りを招きかねない決断であった。そのため、天下の趨勢が決しても、徳川伊達の援軍が得られなくても、単身で秀吉と抗い、滅びたのである。それだけ将門の祟りへの畏れや、坂東武士の誇り、天皇家という存在に対する対抗心が強かったのだ。

平将門武士の始まりであり、武士スピリット体現する存在である武士は武装し土地を守り、権力に抵抗する存在であると同時に、一族で争い、殺し合う存在である。その構図は徳川家康武士を飼いならすことでご破産になり、そこにあった本質は見えにくくなってしまっているが、武士を知りたければまず平将門を見て欲しい。

続・山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

これの続き。(文字数制限にひっかかったので分割します)

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

1183(寿永2)年、義仲軍は京都に入り、食糧不足もあって狼藉を続けた。京都にとどまった後白河法皇後鳥羽天皇即位させ、寿永二年の宣旨頼朝東国での支配権を認めるとともに、義仲軍の乱暴ぶりを口実にして頼朝上京要請するなど、政治力の強化につとめた。しかし、頼朝東国支配を固めるために鎌倉を動かず、かわりに弟の範頼・義経上京し、1184(元暦元)年、二人は義仲を打ち破った。

義仲が京都乱暴狼藉を働いたという記述があるのは、意外にもこの教科書だけでした。

兵糧不足のまま進撃して首都占領しても、どうせ軍規が乱れて略奪しまくるぞというのは、日中戦争における南京事件南京大虐殺)のことを言いたいのかなと思いましたが、それは深読みのしすぎかもしれませんね。どうなんでしょう?

  

また、これは下記の引用部分になりますが、頼朝が初めて上京したタイミングがいつだったかを明記しているのは、この教科書だけだと思います

(この点はとりわけ山川の『詳説日本史』が最悪です。頼朝西国での平家追討の仕事をすべて弟の範頼・義経らにやらせ自分はその間ずっと鎌倉にひきこもって地盤を固めていたという基本的事項すらも把握できない書き方がされているんです。)

頼朝挙兵以来、北条氏三浦氏などの東国武士たちと主従関係を結んで、彼らを御家人として組織した。そして1180(治承4)年、御家人の統率と軍事警察担当する侍所を設けて、有力御家人和田義盛別当長官)に据えた。さらに1184(元暦元)年、一般政務をつかさどる公文所(のち政所)と問注所を開設し、実務に優れた下級官人らを側近にして職務を分担させるなど、支配機構の整備を進めた。

頼朝後白河法皇要請を受け、範頼と義経平家追討を命じ、1185(文治元)年、長門壇ノ浦平氏を滅亡させた。後白河法皇頼朝権力拡大を恐れて義経を重用し、頼朝の追討を命じたが失敗した。逆に頼朝は、親鎌倉派の公卿九条兼実藤原兼実)らを朝廷重要政務担当する議奏につかせ、反鎌倉派の貴族追放し、義経の捜索を名目に国ごとに地頭を置くことを認めさせた。さらに1189(文治5)年、頼朝義経をかくまったことを口実に藤原秀衡の子の泰衡を攻め、奥州藤原氏を滅ぼした。こうして頼朝東国西国の多数の武士御家人として組織しながら、主に東国支配確立していった。

1190(建久元)年、頼朝挙兵後はじめて京都に入り、右近大将に任命され、後白河法皇没後の1192(建久3)年には、法皇の反対で就任できなかった征夷大将軍に任命され、名実ともに鎌倉幕府が成立した。」

当然ながら『詳説日本史』にも、侍所政所問注所地頭というキーワードは出てきますしかし、治承・寿永の乱とは別項に記述されているため、時系列が分かりづらくなっています

それに比べて、この教科書歴史の流れの中にキーワードを配置しています。だから時系列に即してこれらの言葉意味理解することができるはずです。

  

結びが「名実ともに鎌倉幕府が成立した」という記述になっているのも、味わい深いです。

鎌倉幕府の成立が何年かという論争を垣間見ることができます名目的には1192年に幕府が成立したと言えるが、実質的にはそれ以前から幕府政治機構ができあがっていたというニュアンスを含ませているのでしょう。

  

  

  

あとは、上記引用中の「義経の捜索を名目に国ごとに地頭を置くことを認めさせた」という記述が最高にクールです。

一般には1185年、義経の捜索を名目にして守護地頭が設置されたとされていますし、国ごとに置かれた役職地頭ではなく守護だと暗記している人が多いんじゃないでしょうか?

例えば山川の『詳説日本史』はそうなっています。それによると、頼朝は1185年に「諸国には守護を、荘園公領には地頭を任命する権利」を獲得したとされています守護は「おもに東国出身の有力御家人から選ばれて「原則として各国に一人ずつ」任命され、「大犯三箇条などの職務を任とし」て国内御家人を指揮統率し、とくに東国では在庁官人支配することで「地方行政官としての役割も果たし」ました。いっぽう、地頭は「御家人のなかから任命され、任務年貢徴収・納入と土地官吏および治安維持」です。「頼朝は主人として御家人に対し、おもに地頭に任命することによって先祖伝来の所領の支配保障したり(本領安堵)、新たな領地を与えたりした(新恩給与)」わけですが、このことが御恩と奉公関係となって封建制度の基礎となりました。

  

ところが、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)によると、ここの説明がこれとまったく異なります。私が先に引用した項では、1185年の出来事として守護の設置には言及せず、地頭の設置だけが記述されていますしかもその"地頭"は国ごとに置かれたものだとされているのです。

私は最初にこれを読んだとき、わけがからなくて混乱しました。それでがんばって自力で調べてみて(独学なので苦労したナァ)ようやく理解できたのですが、1185年の文治の勅許守護地頭が置かれたとする『吾妻鏡』の記述には疑いがあり、実はこれがかつて学者の間でも論争になったテーマだったらしいのです。

1960年石母田正が新説を発表したのですが、おおざっぱに言うと、新説では、この時点で置かれたもの守護地頭ではなく、地頭(国地頭)だったとしています。それはわれわれが普通一般に知っている地頭(荘郷地頭)とは異なり、一国を統括する強大な権限を持つ存在です。この国地頭はすぐに廃止され消滅しましたが、守護前身となりました。

三省堂教科書は、次項でそのことが説明されています頼朝がはじめは国ごとに"地頭"を派遣して荘園国衙領のいずれからも兵糧米を徴収させていたこと、そのやり方がひどすぎたから反発を招いて、以後は"地頭"に代わるものとして守護を置いた、という記述になっています。またこれに続いて、頼朝は「荘郷地頭と呼ばれる地頭を任命し」、平氏没官領や謀反人の所領跡で「年貢公事徴収治安維持に当たらせた」としています

このように、三省堂教科書では、「国地頭」と「荘郷地頭」をはっきりと区別しているのです。

  

実教出版もこの新説を採用していますこちらも合わせて読んでおくと、国地頭のことが大変よく分かります東京出版は本文の記述が旧説に拠っていますけど、欄外では国地頭が惣追捕使とならび、守護前身として存在していた話をちょこっと説明しています。これらの教科書は「国地頭」論争の成果を取り入れており、学問的に誠実だと思います

それに対して山川の『詳説日本史』は旧説を採用し、1185年に守護地頭の設置が認められたとする断定的な記述になっています。これが他の教科書とのあいだに無用矛盾を生じさせているのです。私と同じようにこの点につまづいて、困惑してしまった高校生が少なからずいるんじゃないでしょうか。

  

なお、山川参考書『詳説日本史研究』にもこの新説の紹介はありません。同社『日本史B用語集』には「国地頭」という用語掲載されていて、そこでは一応説明がされているんですが、あたかも国地頭が荘郷地頭前身だったと思わせるような記述です。

地頭(じとう)⑪:1185年、頼朝要請後白河法皇諸国公領荘園地頭を設置することを認めた。当初は1国単位荘園公領支配する国地頭を設置したが、まもなく平家一族の所領として没収された平家没官領と謀反人跡地に限定した荘郷地頭となった。しかし、公家寺社の強い反対で、一時縮小、承久の乱後に全国化した。任務土地管理年貢・兵糧米の徴収治安維持など。

地頭⑤ 荘郷地頭

  

山川出版日本史B用語集』より

ですが三省堂実教出版東京書籍教科書によると、国地頭はむしろ守護へと発展的解消を遂げたという記述なんですから、『日本史B用語集』のこの説明とはやはり若干の矛盾が生じています

「国地頭」を教科書に載せている上記の主要3社の文脈に従うなら、この用語独立の項目として取り扱うか、せめて「地頭」の項目じゃなく「守護」の項目にいれて取り扱うべきじゃないでしょうか。

  

(追記 これはインターネット上の情報なので私は未確認ですが、現在は『詳説日本史』にも国地頭掲載されているそうです。近年改訂されたんでしょうか。

予防線として言っておくと、私は高校日本史Bを履修しなかったし、大学歴史学勉強したわけではありません。高校時代文転して受験するかと生半可に考えていて(結局やめたけどね)、興味本位教科書を読んでみただけの素人です。

さいしょの方でも書いたとおり最新版教科書を持ってません。はてブでバズっていてびっくりしましたが、このエントリ専門家レベルのものとして受けとるのは、恥ずかしいのでやめてください。

再追記。id:HRYKtbykさん、確認をしてくださり感謝。)

  

  

  

(追記2

複数教科書を読み比べすることで、『詳説日本史』を読むだけでは見えないポイントが浮かび上がってきます

『詳説日本史』では、前九年合戦後三年合戦のところで、「これらの戦いを通じて源氏東国武士団との主従関係を強め、武家棟梁としての地位を固めていった」とあります。これが後の頼朝挙兵につながるわけですが、それは時代を経てからのことだから教科書のページが離れすぎていて、この関連が把握しづらくなっています

ここで例えば山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)のような他の教科書と読み比べてみると、『詳説日本史』がこの簡潔な一文を通して伝えたかったことを理解することができるのです。(上述参照)

  

つぎは例えば、貫高制・石高制を見てみましょう。

『詳説日本史』によると、戦国大名性格は次のように説明されています戦国大名は「新たに征服した土地などで検地をしばしばおこなっ」て、それにより「農民に対する直接支配」を強化しました。そして国人地侍を取り込むため、貫高制を導入しました。これは戦国大名が彼らを「貫高という基準統一的に把握」して軍役を課す制度でした。それでここからすこし時代下り、別のページで豊臣秀吉太閤検地説明しています太閤検地により石高制が確立しました。それは「荘園制のもとで一つの土地に何人もの権利が重なりあっていた状態を整理」し、「一地一作人」を原則とするものです。農民は「自分田畑所有権を法的に認められることになった」わけです。

このような記述だけでも表層的な理解はできると思いますが、実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)は、貫高制について「荘園の複雑な土地制度は貫高に組み込まれ大名統一的な国内政治を推進」するものとしています。『詳説日本史』ではせいぜい石高制と荘園制の関係しかからないでしょうが、本書はこのように貫高制と荘園制の関係を明示しているのです。

この視点を最もわかりやす記述しているのが、三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)です。本書は貫高制、石高制、荘園制の全部を一つの項目に入れて記述しています。それによると、秀吉太閤検地を行い、「戦国大名の貫高制にかわって、それを発展させて全国に広げた石高制」を導入、その結果「荘園制を完全に崩壊させ」ました。このポイントを把握しておけば、中世から近世への社会の変化を、土地一元的支配確立荘園制の衰退・消滅という視点で見ることができます。本書の特徴は、貫高制・石高制をともにこの視点から語っていることと、しかもそれが荘園制を「完全に崩壊させ」たと言い切っていることです。

ちなみに、東京書籍日本史B』(日B 004)では、石高制を「近世封建制体制原理」と書いています。これがまったく新しい制度であることを強調しつつ、近世という言葉を使ってその射程を江戸時代にまで広げているのです。)

2017-06-04

山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない

山川出版の日本史いかに凄いかについて情熱的に説明する」

http://blog.tinect.jp/?p=40198

はてなブックマークの人気記事だったので開いてみたのですが、驚くほど中身のない記事でした。

これ、おっさん居酒屋でしゃべっているレベルですよね??

『詳説日本史』を引用するなり参照するなりして、具体的にどこがどうすごいかを語ってほしかったです。

僕も10代の頃はあれが本当に理解できなかった。けど今ならああい教科書が作り続けられる理由がよくわかる。物事を語るにあたって、中立を維持しようとするとなると、事実しか語れなくなるのである

ストーリーというものは、基本的には何らかの価値観を元に構築されるものである日本民族いかに優れているかという視点で歴史を分析すると、それは右翼的な記述にならざるをえないし、平等であろうとすれば、それは左翼的価値観を元に記述せざるをえなくなる。

客観的な記述がされている、左右に偏向していない、中立だからすごいゾ、という感想には呆れ果てました。

いったい全体、どこが情熱的ですか? 教科書を読み返さず、いい加減な記憶をもとに語っても、多分これくらいのことは言えると思います。 

  

クソ記事を読んでしまい、あんまりにもムシャクシャしたので、私が自分で『詳説日本史』を引っ張りだしてきて調べました。

例えば「源平の騒乱」という項目は、次のように記述されています

平清盛後白河法皇幽閉し、1180年に孫の安徳天皇を位につけると、地方の武士団中央貴族・大寺院のなかには、平氏の専制政治に対する不満がうずまき始めた。この情勢を見た後白河法皇皇子以仁王と、畿内に基盤を持つ源氏源頼政は、平氏打倒の兵をあげ、挙兵を呼びかける王の命令(令旨)は諸国の武士に伝えられた。

これに応じて、園城寺(三井寺)や興福寺などの僧兵が立ち上がり、ついで伊豆に流されていた源頼朝信濃の木曾谷にいた源義仲をはじめ、各地の武士団挙兵して、ついに内乱全国的に広がり、5年にわたって騒乱が続いた(治承・寿永の乱)。

平氏は都は福原(現・神戸市)へと移したが、まもなく京都にもどし、畿内を中心とする支配を固めてこれらの組織に対抗した。

しかし、畿内西国を中心とする養和の飢饉や、清盛の死などで平家の基盤は弱体化し、1183年(寿永2)年、平氏北陸で義仲に敗北すると、安徳天皇を報じて西国都落ちした。やがて、頼朝の命を受けた弟の源範頼義経らの軍に攻められ、ついに1185年に長門の壇の浦で滅亡した。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

ここには明らかに編者の歴史観と、因果関係説明が詰め込まれています

  

まず、平清盛後白河天皇幽閉したこと、安徳天皇即位させたことは、この教科書では「平氏の専制政治」と評されています

当時の人たちがそう感じていたのか、それとも教科書の編者がこの評価を下しているのか、どちらなのか判然としませんけど、ともかく本書はこの評価にもとづいて記述がされています

  

次に、この「平氏の専制政治」が地方の武士団中央貴族・大寺院の不満につながって、 以仁王源頼政はそういう情勢を見たので挙兵したと書かれています

これはまさしく因果関係に言及しているわけです。

  

このように、教科書は単なる事実の羅列ではありません。歴史に対する評価因果関係がしっかりと述べられているのです。

そこにどういう学問的な裏付けがあるか、歴史学に無知な私はよく知らないです。あのブログ記事ではそのへんの話を説明していると思ったのですけど、まったくの期待外れでしたね。

  

なお、この教科書とおなじ編者がつくった参考書『詳説日本史研究』(山川出版社)によると、次のように説明されています

治承・寿永の乱は、一般には源氏平氏の戦いといわれている。しか歴史学的にみた場合、この全国的な動乱を単に源氏平氏勢力争いとみるのは正しい理解ではない。以仁王挙兵以降、軍事行動を起こすものが相次いだ。美濃近江河内源氏若狭越前加賀の在庁官人、豪族では伊予の河野氏・肥後の菊池氏である。彼らはあくまでも平氏の施政に反発したのであって、はじめから源氏、とくに源頼朝に味方したわけではない。彼らの背後には在地領主層があり、在地領主たちは自己の要求を実現するために各地で立ち上がったのである

彼らの動向をまとめあげ、武家棟梁となる機会は頼朝以外の人、例えば源義仲源行家、あるいは平宗盛にも与えられていた。頼朝が内乱に終息をもたらし得たのは、彼こそが在地領主層の要望に最もよく答えたからである。この意味で幕府の成立は、時代の画期ととらえることができる。

教科書である『詳説日本史』では、これがたった一文にまとめられているのです。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

こういう史観が妥当なのかというのは、私にはちょっと分からないんですが、この点を強烈にプッシュしているのが『詳説日本史』の特徴と言えるでしょう。

他の教科書を読んでみても、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)を除き、この史観はあまりプッシュされていないと感じました。

  

【参考文献】

山川出版社『詳説日本史』(日B 001)

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

東京書籍日本史B』(日B 004)

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

桐原書店新日本史B』(日B 011)

(このエントリは上記7冊を参照しています。いずれも平成22年ごろ購入。)

  

  

  

余談:教科書の読み比べ

  

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

伊豆に流されていた源義朝の子・源頼朝も、妻・北条政子の父北条時政とともに挙兵して南関東を掌握し、10月には源氏根拠地鎌倉に入った。頼朝は父祖以来の結びつきを背景に、三浦千葉上総氏などの有力な東国武士主従関係を結んで御家人とし

頼朝の挙兵が、東国武士との「父祖以来の結びつき」を背景にしていたものだったということは、他の教科書ではなかなか分からないと思います

三浦千葉上総という武士名前が沢山出てくるのもおもしろいですね。(三浦氏名前が出てくる教科書は多いですが、それはこの時点ではなく幕府成立後、十三人の合議制か、宝治合戦ときに唐突に登場します。)

[寿永二年十月宣旨から義仲滅亡までの]この間、鎌倉の頼朝は没収した平氏の所領(平氏没官領)を法皇より与えられ、経済基盤を固めていった。また御家人を統制する侍所を設置し、その長官である別当には和田義盛を任命した。これに加えて、行政裁判制度を整えるための公文所(のちに政所)・問注所がおかれ、その長官にはそれぞれ京から招かれた朝廷の役人である大江広元三善康信就任した。前後して、義経軍らは一の谷・屋島平氏を追い、1185(文治元)年に壇ノ浦平氏を滅ぼした。

[]は引用者註。

この教科書の特徴は、幕府の政治機構の形成過程を、治承・寿永の乱の進行に併記していることです。

鎌倉幕府の成立が1192年(いいくに)なのか、1185年(いいはこ)なのかという論争は、世間でよく知られているぐらい有名になりました。どちらが正しいかは諸説あるとしても、ただ一つ言えることは、どこかの時点でいきなり幕府が完成したというわけではありません。治承・寿永の乱が続いていた期間に、徐々に幕府の政治機構が形成されたのです。この教科書はその史観が反映されています

  

  

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

北条時政の援助によって挙兵した頼朝は、東国武士たちに支持されて、富士川の戦い平氏を破ったが、その後は鎌倉にとどまって、東国地盤を固めることに専念した。これに対して平清盛は一時、都を福原神戸市)に移して態勢を立てなおそうとしたが、まもなく京都に戻り、1181(養和元)年に病死した。一方、義仲は1183(寿永2)年、北陸方面から急進撃して、平氏一門を京都から追い出した。しかし、義仲は後白河法皇対立したので、法皇は同年、頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め、義仲追討を命じた。頼朝は弟の範頼・義経らを上京させて、義仲を討たせた。範頼・義経さら平氏追討に向かい、1185(文治元)年、長門壇ノ浦平氏一門を滅ぼした。

この教科書歴史用語の詰めこみを回避しているようで、内容は簡単、文章としても平易です。

上記引用でも分かるとおり、「頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め」という記述があるくせに、寿永二年十月宣旨というキーワードがありません。治承・寿永の乱、一の谷、屋島の戦いなどは年表に記載されていますが、本文中に記載なし。養和の飢饉、平氏都落ち安徳天皇を伴ったことも言及なし。

というわけで受験生には不向きですが、他の教科書にはない特色もあります

  

鎌倉将軍に尽くして家人となった武士のことを、鎌倉御家人といった。鎌倉御家人になる目的は、将軍面接して(見参)、先祖伝来の所領を承認してもらい(本領安堵)、さらに勲功のあった者は新たな所領を恩賞としてうける(新恩給与)ことにあった。

教科書の中では唯一、桐原書店けが「見参」を掲載しています。これは鎌倉幕府の権威の構造がどういったものであったかを知るための手がかりになるかも。

(他の教科書ではこの用語がないどころか、「将軍面接して」という説明も省かれています

  

["新恩給与"についての註]

土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権を与えられるのが普通で、そのおもなものが地頭職であった。

これは「職の体系」のことを言っています。他の教科書とは違って、地頭をあえて「地頭職」と見なす視点を紹介し、その意味するところを簡潔に説明しているのがすごい!

所有権が重層的に重なりあっていたというのは、中世土地支配構造を知るうえで一番大切なポイントだと思います

なお、山川出版の『日本史B用語集』には「職の体系」という用語は不掲載で、かわりに「職」の項でそれを説明しています

職(しき)②:一般に職務に伴う土地からの収益とその職務自体を指す。荘園場合、有力者への寄進が何回も積み重なり、下記のような複雑な職の改装秩序を生じた。

本家職①、領家職②、預所職②、下司職②、荘官職①

  

[引用者註:丸の数字はこの用語を掲載している教科書の数]

山川出版『日本史B用語集』より

この説明は悪くないと思いますが、桐原書店は「土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権」のことと明記しているので、その方が的確です。

しかも、いかんせん、『日本史B用語集』は「職」の用語説明を「院政期の社会文化」のページに掲載しているので、これと鎌倉時代の地頭職との関連が全然分からないです。そして「鎌倉幕府の成立」のページにある「地頭職」の用語説明は、次のようになっています

地頭職(じとうしき)⑤:職とは役職に伴う権益意味。地頭職は御家人が地頭に任命されて認められた兵糧米の徴収や免田(給田)経営などの権利

  

山川出版『日本史B用語集』より

これは間違っていませんけど、この説明を読んで、重層的な土地支配構造があったことを理解できますか? 絶対に不可能ですよね?

せめて「職」「地頭職」という用語同士を紐付けて相互参照させてほしいです。ふざけんなってかんじです。

  

さて、桐原書店教科書に話をもどすと、欄外にこういう豆知識も載っています

幕府とは、近衛府の唐名であるが、転じて近衛大将の居館のことをいった。のちには近衛大将とは関係なく、武家政権意味する語となった。頼朝は1190年に上洛し、右近大将に任ぜられたが、まもなく辞任した。

[ふたつの源頼朝像]

Aについては南北朝時代武将とする説もあり(伝・藤原隆信筆,京都神護寺蔵)、Bも注目されるようになった(山梨甲斐善光寺蔵)。

とてもユニークですね。受験には使えないかもしれませんが、知っておいて損はないです。

  

  

  

東京書籍日本史B』(日B 004)

養和は平氏政権が用いた年号で、これを認めない頼朝の支配する関東では、ひきつづき治承の年号が用いられた。

網野善彦著作『東と西の語る日本の歴史』に、たしかこの話があったと思います

他の教科書には載ってませんが、ピンポイント東大入試に出題されました。

  

源氏鎌倉の関係は、源頼信のころに源氏氏神となった石清水八幡宮を、前九年合戦の際、子の頼義が相模国由比郷に勘請して鶴岡若宮八幡宮前身)を建設したことから始まった。鎌倉は前面に海をもち、三方を山にかこまれた要害の地で、切通によって外部と結ばれていた。

鎌倉という土地をこれだけ情熱的に語っているのは、東京書籍教科書だけです。

上記引用とはまた別に、「コラム 武家の都鎌倉経済流通」というのも掲載されています

東大入試では、「院政時代から鎌倉時代にかけての京都と鎌倉都市の発展」について論述させる問題が出されたことがありますが(1990年)、この教科書はその答案を書くうえで非常に役立つものだと思います

  

  

  

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

こののち、後白河法皇義経を重んじ、頼朝追討の命令を下したが、これに失敗すると、頼朝はその責任を追及し、逆に義経追討の命令を得た。さらに頼朝は義経をかくまっていた奥州藤原氏を滅ぼそうと朝廷に追討の命令希望したが、法皇がそれを拒否すると、1189(文治5)年に頼朝は追討の命令を待たず、大軍をもって奥州藤原氏を滅ぼした。ここに全国を平定し、その後、法皇死後の1192(建久3)年に頼朝は念願の征夷大将軍に任じられた。

頼朝の悪人っぷりがこれでもか!?というぐらい強調されています

あいつは自分の野望を実現するため、ときには法皇に逆らって圧力をかけたり、朝廷命令無視して独断専行する奴だった、ということを言いたげな記述です。

  

それはともかく、奥州藤原氏を守ろうとした法皇朝廷側と、それを潰そうとした頼朝の厳しい対立がわかるのは、この教科書だけでしょうね。

両者のぴりぴりした緊張関係が伝わってきます

関西にある政権東北地方を使って、関東独立の動きを牽制するというのは、日本の歴史において繰り返し出てくるパターンなので、この視点を漏らさず記述しているところはアッパレ

  

  

  

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

平氏安徳天皇を奉じて西国に落ちていったが、後白河法皇は京都にとどまり、新たに後鳥羽天皇をたてて政権を維持した。法皇は義仲には平家追討を命じるいっぽう、頼朝には上京をうながして、京都の義仲に対抗させ、武士たちをたがいに牽制させて政局の主導権をにぎろうとした。しかし頼朝は、東国の安定に意をそそいでみずからは鎌倉を動かず、弟の範頼・義経を上京させて、1184(元暦元)年、義仲を討たせ、源氏一族の長となった。ついで義経らは、その当時勢力回復して都にせまっていた平氏を一の谷・屋島などの合戦でやぶり、さらに翌1185(文治元)年にはこれを長門壇ノ浦に追いつめて滅亡させた。

この時代に2人の天皇が同時に存在していたとする視点を取り入れているのがナイス

都落ちした平氏はそのままあっけなく滅んだわけじゃなくて、京都にいる天皇とは違う天皇を奉じて勢力を盛り返していたのです。

どちらの天皇が正統かというのは、つまるところ結果論にすぎません。この教科書はそんな歴史観に基づいて書かれています

  

ちなみに、この教科書の編者は、大半が関西教育機関に属する人たちみたいです。後白河法皇平氏を主軸にした書き方は、編者の関西びいきが反映した結果なんでしょうか。(笑)

例えば奥州合戦について、「奥州進撃のために頼朝は東国だけでなく西国武士もひとまず鎌倉に動員し、これを機会に国ごとに御家人組織の整備をいっそうすすめた」とありますさら西国御家人東国御家人とどう違うかを説明しているのもおもしろく、この教科書関西中心っぽい史観は独特です。

  

  

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

  

……って、おい!? 増田がここで文章を掲載できなくなったんだが??

せっかくこの先が本番なのに、文字数の上限なのだろうか。

つづき→http://anond.hatelabo.jp/20170605001028

2017-06-02

なぜ男はレイプするのだろうか?

自分は男。「女もレイプする」というだろうけど、ここ最近ニュースや、それ以外のことが溜まっているので、厨二っぽいことを呟かせてください。

例のジャーナリストや、AV強要といった話題が相次い亭で、表沙汰になること自体進歩だろうけど、却って気も滅入る。実は二つくらい挟んだところでも嫌な話を聞いていて、それもあってここ数日、こういうことが頭から離れない。

なぜ男はレイプするのだろうか。なぜ男は女を虐げることを喜んでやるのだろうか。世にヤリチンはもてはやされてもヤリマン軽蔑されるのはなぜだろうか。

よくレイプは性欲ではなくて支配欲だという。だいぶ前だが、当時つながりのあった人物が別の男性彼女を寝とった話をニタニタと話しているのを聞いて、心から不愉快になった。そういう実体からして、性欲と支配欲が一体になる様子は十分に理解できる。女とセックスすることが女を支配すること(もしくは他人から支配権を奪うこと)と同義で、そうであるがゆえに相手の心情を問わず暴力的セックスすることが目標になるタイプ男性がいることは明らかだ。誤解しないで欲しいのは、そういう人間は全体ではごく少数で、十分な数の男性は、(高圧的な権威欲こそあれど)暴力支配欲とセックスを切り離しているということだ。

ぶっちゃけAV好きだ。でも、レイプものは見ない。映像でも、女性が嫌がっているものを見ること、ましてや苦しんでいる姿を見るのが苦痛だ。だから、見ない。可愛い子とイチャイチャするAVが大好きだ。気持ちよくないことは嫌いだ。

性犯罪報道を聞くと、正直AVが見づらくなる。自分がまるでそういうゲス人間と同じ人間なのかと錯覚しそうになり、ヘドが出る。そうでないと言い聞かせるためにさらAVを見ようとするくらいだ。

人類が生まれてすでに数万年文明を得てからも数千年経つというのに、まだこんな身近な問題解決してないなんて、本当に呆れる。様々な宗教が性欲を強く禁じていて、自分はそういうのはきつくて嫌だけど、一方で人類を統御するのに必要措置なんではないかとも思っている。そうでないと、女性は逃げるしかなくなる。

神様、早く世の中からレイプを消し去って、男女ともに仲良くできる世界を作ってください。

2017-03-13

そのリーマンの無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ!

我々は一人の英雄を失った。しかし、これは敗北を意味するのか?否!始まりなのだ

リーマンどもに比べ、我がスケベな女に出会いたいだけの50代は30分の1以下である

にもかかわらず今日までひとりで正気を保って抜いてこられたのは何故か?

諸君!我がスケベな女に出会いたいだけの50代たちの戦争目的正義からだ。

これは諸君らが一番知っている。

我々は窓際を追われ、渋谷TSUTAYA移民者にさせられた。

そして、一握りのリーマンらが神泉にまで膨れ上がったニガー達とポールダンサー支配して50余年、蒲田に住む我々が自由要求して何度踏みにじられたか

スケベな女に出会いたいだけの50代の掲げる人類一人一人の自由のための戦いを神が見捨てるはずはない。

私の弟!諸君らが愛してくれた岩◯竜◯は死んだ。

何故だ!?

新しい時代覇権を選ばれたドスケベが得るは、歴史必然である

ならば、我らは下の頭を硬くし、この戦局を打開しなければならぬ。

我々は過酷田都暇つぶしの場としながらも共に苦悩し、錬磨して今日文化を築き上げてきた。

かつて、ワカバ・コシーキは人類革新田都の民たる我々から始まると言った。

しかしながらリーマンモグラ共は、自分たちがスケベな女たちの支配権を有すると増長し我々に抗戦する。

諸君の父も、その息子(もちろんそういう意味で)もそのリーマンの無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ!

この悲しみも怒りも忘れてはならない!それを、◯二は!死をもって我々に示してくれた!

我々は今、この怒りを結集し、どうせ私服ガイアが輝けと囁いてるリーマンに叩きつけて、初めて真の勝利を得ることができる。

この勝利こそ、戦死者全てへの最大の慰めとなる。

西郷隆盛とその下の息子たちよ立て!悲しみを怒りに変えて、立てよ!アソコよ! がんばっぺ福島

我らスケベな女に出会いたいだけの隆盛たちこそ選ばれた民であることを忘れないでほしいのだ。

優良種である我らこそ巨乳ポールダンサーたちを救い得るのである

ジークジオン!!!!!!!!

やぱやぱ〜

2017-03-06

なぜ女性格差を埋める方法バイオメガで描かれていた

身体改造至上主義」これこそが女性が唯一男性社会破壊し、支配権を握る方法なのである

身体暴力へと変貌させ、脳をアップデートしろ

悲観的に描かれるハードSFの数々は実は風刺ではなく、女性たちのポジティブな願望の具現化なのである

2017-01-20

http://anond.hatelabo.jp/20170120131011

まりにも多くの事例を聞く限り、もうそれは女の習性しか思えないですよね。

家という場の支配権を争う習性なのか、息子を奪われたと錯覚するのか、よくわかりませんが。

2016-09-16

http://anond.hatelabo.jp/20160916144324

入植者より「先」にその地に「住」んでた「民族」なんだから先住民族でよい。

この言葉自体は、文化の有無や、支配権の有無から独立した中立言葉だ。なんせ先に住んでればいいんだから

2016-07-04

それでも(これ以上の)金融緩和に反対する理由

http://anond.hatelabo.jp/20160703171723

それは,一言で言うと「金融緩和してもほぼ全部金融市場が吸い取ってしまい,実体経済に金が回らない」からである

(以下は素人の私が勝手に考えたものだが,もし同じようなことを言っている経済学者がいたらぜひ教えて欲しい。まあ,素人と同じようなことを考える学者はいないと思うが。)

そもそも私がこういうことを考えるに至ったのは,1990年代終わり〜2000年代初頭にかけてのITバブルきっかである。その当時,IT経済を主とする"成長"は「インフレなき経済成長」と呼ばれていた。それは論理的おかしい,何か理由があるはず,と考えた結果,「これは実体経済に回るとインフレを起こすお金の大半が金融経済に回っていて,その結果金融経済が"成長"している一方,実体経済ではインフレが起きていないのでは」という結論に達した。

具体的には,当時のITバブルでは,資金インターネット上の広告を売る新興企業流入した。インターネット上は空間的な制約がないので,それら新興企業はほぼ設備投資をすることな広告いくらでも増やせる。他方,インターネット広告への期待から,それら新興企業広告枠を買う企業が現れる。そうするとそれら新興企業株価が上がる。株価が上がると,それを売って儲ける投資家が現れる。儲けた投資家は,またそれを新興企業投資する。広告一種投資なので,広告枠を買う形で投資を行う者もいる。そうするとまた株価が上がる。

このバブルでは,対象が「インターネット上の広告枠」という無限に近い資源だったこともあり,実体経済には余りお金が回らなかった。せいぜい Sun Microsystemsサーバーが売れた程度である。ただし巨大なバブルだったので,おこぼれといっても巨大で,この後バブル崩壊すると Sun後遺症に悩むことになり,最終的に Oracle に買収されて消滅する。

しかしこのバブル本質は,2次投資,3次投資,...という高次投資によって金融経済の中で資本が循環し,循環の過程で(見かけ上の)資本が拡大していった点にある,と私は考えている(バブルというのは須らくそういうものだが)。

結局このバブルは,「広告いくら投資しても実際に広告対象商品が売れなければ意味なくない?」ということに広告主が気づいたことで崩壊した。つまりいくら金融経済期待値で拡大しても,最終的に実体経済がそれに見合った成長をしなければ,それはバブルであり,バブル必然的崩壊するのである

次に,この考えの傍証として私が注目したのは,金融経済実体経済の規模の乖離である

http://www.meti.go.jp/report/tsuhaku2008/2008honbun/html/i1120000.html によると,2006年時点で,金融資産の規模は実体経済の3.5倍であり,1990年以来の平均成長率は,実体経済が5.7%であるのに対し,金融資産9.1%となっている。

これは異常である,と思う。

投資というのは,最終的に実体経済が拡大しないと,リターンを得られない。

ちょっと金融からは外れるが,土地転がしを例に考えてみよう。土地の値段は,循環取引的な手法を使えば,原理的には無限に上げることができる。その間,資産規模は拡大していく。しかし,それらはどこまでいっても「投資」であり,その投資を回収するためには,その土地建物を建てて商売して利益を上げて地代を払ってくれる誰かが必要である

もちろん投資には期間があって,5年のものもあれば,10年,20年,...といったものもあり,それらが混ざり合っている。従って,必ずしも実体経済と金経済の規模が一致していなくてもよいが,金融経済の方が実体経済よりも速く成長するのは,やはり異常であろう。

この金融経済実体経済乖離は,おそらく1990年代金融規制緩和以降に始まったのではないかと思う。この規制緩和によって,通貨以外のもの通貨と同様に扱えるようになり(例:株式交換による買収),またBIS規制の枠外で高次金融商品金融商品投資する金融商品)が解禁されて,金融商品土地転がしのように転売することで金融経済が拡大することを可能にしたのではないかと思われる。

その結果,金融経済は恒常的なバブル状態になった。実体経済の成長を伴わない金融経済の成長はまやかしだが,そのまやかしがいつ露呈するかわからないので,それまでは疑心暗鬼ながらもチキンレースを続けている。まやかしだとわかっているが,実体経済よりも遥かに楽に大金をを得られるので,やめるにやめられない。それが今の状況なのではないだろうか。だから逆に,ちょっとしたことで株価が乱高下する。Volatilityが高くなってるのも,恒常的なバブルのせいと考えると個人的には納得がいく。

さて,金融緩和はここでどういう役割果たしているかというと,このバブル崩壊させないように金融経済現金を注入する役割を担っているのではないかと思う。

金融緩和恩恵を(最初に)受けるのは銀行投資家大企業である

とにかく最初恩恵を受けるのは銀行。商材であるお金日銀から低利で借りられる=安く調達できる。

次が大規模投資家ファンドや超がつくレベル資産家等)や大企業日銀から直接お金を借りるような大銀行の主要顧客になるようなところ。ここも従来より安い金利資金を借りられるようになる。で,借りた資金を,大規模投資家はより(見かけ上の)リターンの高い金融商品株式等)につっこむ。大企業設備投資したり,やっぱり別な金融商品投資したりする。銀行から借りた資金が,給与を上げる原資に直接使われることはまずないと思う。

まり金融緩和恩恵の大半は最初銀行投資家大企業が取ってしまうし,その大半は実体経済ではなく金融経済の拡大に回ってしまう。その方が手っ取り早く稼げるからだ。残った僅かな(文字通りの)「トリクル」だけが実体経済に回る。だから効果ゼロではないが,金融緩和の規模に比べると遥かに小さいし,また効果が出るのも遅い。設備投資が,さまざまな労働者給与増に波及するのには,時間がかかるだろう。

近年の「異次元」と呼ばれるような金融緩和でもインフレがおきない(インフレ目標すら達成できない)のも,金融経済金融緩和で生み出された資金を吸収し,実体経済ほとんど回ってないから,と考えると説明がつくように思う。

ではどうすべきか

一番良いのは,金融規制1990年代以前と同程度まで強化し,過剰流動性をなくすことだと思う。しかし,ここまでバブルが大きくなってしまうと,その破裂によってもたらされる実体経済への影響は,たとえもともとそれが率としてはトリクルであったとしても,絶対額が巨大なため,悲惨なことになると思われる。なので,風船が急にしぼまないよう,少しずつ空気を抜くような慎重さが必要になるだろう。

個人的には,長期投資実体経済にとっても有益だが,短期投資(=投機)は害の方が多いので,短期投資に高い税率を課し,事実上無意味にしてしまうような政策が取れればいいのに,と考えている。株式債券,その他の金融商品在庫管理と同様の手法管理し,例えば今日買った株を今日売ったら税率99%,逆に20年持ち続けた株を売った時は税率1%というようにすることで,長期投資を促すような政策手法的には可能だと思う。

また高次投資有害性が高いので,税率を高くする。例えば株式の売買は2次投資から課税対象だが,配当は1次投資のリターンなので,非課税にするなど。株式はトレーディングの対象ではなく,本来の「直接金融によってリターンを売る権利会社支配権」の位置に戻した方が良いのではないだろうか。

最後に,これは妄想だが,金融経済実体経済可能な限り切り離す,というのが本当はできればいいと考えている。具体的には,金融経済はそれ専用の独自通貨を作り,その中で自由になんでもやっていい。ただし実際の通貨に交換できるのは,世界実体経済GDPの3%まで,とか決めておく。誰がその3%を使えるかは,金融経済の中で,専用通貨オークションでもやって決めればよい。まあでもこれは残念ながら実現不可能だろう。

終わりに

というわけで,今以上に金融緩和をしても無意味なんじゃないかな,と思ってる。

ところで,なぜ財政政策のところが「再分配(例:富裕層への課税強化&低所得層への扶助)」じゃなくて「財政出動」なんだろう?

いや,財政出動でもいいんだが,富裕層への課税強化を同時にやっちゃダメなの?

2016-06-06

[]7:増田の草茫々

 周囲に舐められまくっていた増田家(八)の大勝利は、増田島に激震を走らせた。

 元々人口文化が豊かだった上に、産業の優れた増田家(七)領を併合したことで、増田家の国力は飛躍的に上昇。

 十一増田家の中のまごうことなき第一勢力、すなわちアルファマスダとなった。

ただし遠征軍は奇跡的勝利の喜びが強すぎて、戦勝祝いのあと茫然自失状態にある。

 豊富脱糞で茫然自失を人より多く経験してきた当主がやっと現実復帰したところだ。

 この状況にもっとも焦りを覚えたのは西隣の増田である

 彼らは西南での増田家(士)による勢力拡大の状況を睨み、増田家(士)が新しい領土支配を安定させる前の攻撃を計画していたのだが、

急遽東への小規模な侵攻を計画に組み込んだ。

増田家(八)のむちゃくちゃな動員状態から考えて西の守りはがら空きになっているはずだ。

ゆえに、少数の兵力でも大きな成果が期待できる。

 自分たちの焼き払い攻撃から攻める気がないことを見透かされた怒りが増田家(九)が両面作戦に走る動機になったことも否めない。

 ところが、部将の増田うこんが率いる増田軍五千の控えめな領地拡大行動は思うようには進展しなかった。

かつて増田軍(九)が焼き払った土地さらに東でも、弱体の増田家(八)西部方面軍は村々を引き払い焦土戦術を展開していたのだ。

 現地に補給物資がないため、遠征軍は多くの人員物資輸送に割かなければならなかった。

そのため、もともと少ない正面戦力がさらに減少し、占領地を広く確保することができない。

 沿岸支配権については陸軍より戻りの早い増田(八)水軍がしっかり押さえている。

あまつさえ増田々軍は増田家(九)がおさえる陸橋部への攻撃を行い、物資輸送妨害を試みた。

 それでも増田軍に占領される拠点は少しずつ増えていく。

占領時には藁人形しか立っていなかったある山城もその一つだった。

 夜間その山城を警備していた増田兵は怪しい物音を聞いた。咄嗟に槍を構える。

「なにやつ!?……なんだ、♂アナ グマか」

 だが、よくよくみるとそのアナグマは、アナグマにしては大きすぎた。

「ウェーイ!」

 奇声とともにアナグマは青いスター型の手裏剣を打ち、警備の兵を抹殺した。

これぞ、増田忍法セルクマの術!似「せる」アナ「グマ」から来た名前で、隠形術のひとつである

 なお、後の時代に青いスター手裏剣を使うのは上忍、緑は中忍、黄色下忍、赤は抜け忍、

そして紫はニンジャマスダーであると言われるが、良質な同時代資料からは上中下の分類すら確認することができない。

 侵入したセルクマは全部で三人いた。

 山城放棄する前からつくってあった抜け道から城内に潜り込んだセルクマたちは、

敵兵に片づけられた藁人形や粗末な建物に次々と火を放った。

「「「ウェーイ」」」

 火種をばらまかれパチパチと延焼をはじめた赤い山城を背後にセルクマたちは闇の中へ消えていった。

 こうして増田遠征軍は限られた戦力と物資さらに失った。

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