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はてなキーワード: 指導法とは

2021-03-30

筋トレなんてしなければよかった

世の中に「筋トレ万能論」とも言うべき説が流れはじめて久しい。

やれ筋トレすればメンタルが上向く、健康になる、モテる出世する、云々かんぬん、もはや宗教だ。

これが本当なら素晴らしいことだが、おれ自身は3年間筋トレに取り組んだ結果、鬱になり、無職になった。

筋トレに興味があって始めてみようかと思っている人、また無責任筋トレ万能論を振りかざす人に特に読んでほしくてこの文章を書く。

身バレすると面倒なので適当フェイクを混ぜるが許してほしい。

筋トレを始めたきっか

子供のころからガリガリだった。身長は180cmあるのに、体重はたった55kg。アンガールズ山根とほぼ同じ体型だと思ってくれればいい。

胸板など欠片もなくぺったんこ、力こぶを作ることもできない。

それでも大きな病気をすることもなく生きてこれたが、30歳を過ぎていきなり体の不調を感じることが増えた。

人混みで買い物をするだけで風邪を引く、数時間パソコン仕事をするだけで腰や背中が痛みだす。

これではいけないと感じ、パーソナルトレーナーのいるジムに通い始めた。

しばらくは筋トレが楽しかった

トレーナー指導を受けて、毎週2日、1回45分の運動を始めた。目標体重+15kgの70kgとした。とにかく一般成人並の体になりたかったのだ。

最初はウェイトなしのスクワットすらきつかったが、次第にダンベルやバーベルを使ったトレーニングもできるようになった。

食事も低カロリー野菜中心だったものを、卵や鶏肉ナッツヨーグルトなどタンパク質の多いものに変えて、朝晩2回のプロテインを飲むようにした。

すると体重は緩やかながらも順調に増え、1ヶ月に1kgのペースで体が大きくなり、8ヶ月後には63kgに到達した。

ぺったんこだった胸に大胸筋の膨らみが生まれ、顔の輪郭もふっくらとして健康的になってきた。

なるほど、これは筋トレにハマる人が多いのもわかる。自分の体を鏡で見るのがだんだん楽しくなっていた。

完全な停滞期

ところがここで転機が訪れる。いままでお世話になっていたトレーナー退職してしまったのだ。

新しいトレーナーに引き継いでもらっても良かったのだが、以前から高額な費用が気になっていたこともあり(1回3,000円だから一ヶ月で約24,000円になる)、ここは自分で鍛える方向でやってみようと考えた。

しかしこれがひとつ目の間違いだった。自己流に切り替えた途端、体重の増加がピタッと止まってしまった。

今にして思えば、それまで第三者いたことでできていた「自分を追い込む」という行為が、ひとりになって全くできなくなったのだろう。

それから半年、やってもやっても効果が出ず、自分はなぜ筋トレを続けているのかもわからなくなってきた。

そんな悩みを各方面に話していたら、知り合いが「手伝いますよ」と声をかけてくれたのだ。

新しいトレーナー

彼は東京パーソナルトレーナーをしている男で、ビジネス関連の交流会で何度か顔を合わせたことがあった。

おれが住んでいるのは大阪のため、毎月メニューを考えて送るので、月1回、Skypeでのコンサルタントで成果を確認しましょうという話だった。

しかも知り合い価格で、かなりの格安で引き受けてくれるという。

メニューを考えてくれるのはありがたいし、知り合いに頼めるなら安心だと思った。彼から送られてきたのは以下のような方針だった。


なるほどなるほど、これならすぐに停滞期を抜け出して70kgにも到達するだろう……そう考えていた。

相性の合わないトレーニング

しかしこれが自分には合わなかった。彼の指導を受けはじめてから1年経って、増えた体重はたったの2kg。

とりあえず65kgにはなったものの、このペースでは70kgになるまであと2年以上かかってしまう。

この状況を見かねたのか、彼からヨーグルトプロテイン冷凍フルーツを混ぜたものおやつに食べましょう」とのお達しが来た。

おれはさっそく特製ヨーグルトを毎朝作り、職場で食べる生活を始めたが、これもまた大きな効果があったとは言いがたかった。

ビタミン類はサプリメント摂取し、野菜フルーツよりもカロリーの高い卵や肉類を食べていればもっと効果が出たような気もするのだが、今となってはわからない。

結局、それから2年かかってようやく体重が69kgまで増えた。目標まであと1kgである

ところがこのとき自分にはまた別の問題が降りかかってきていた。

筋トレに疲れて仕事が手につかない

週2日から4日にトレーニング頻度を増やしたこと、また食事にかかる労力が増えたことで、仕事に支障をきたすようになったのだ。

自分はもともと食べるのが遅いので、朝食を食べるだけで30分かかる。

量を食べているから消化にもエネルギーを使い、頭がぼーっとして集中できなくなる。仕事中に休憩を取る回数が明らかに増えた。

またおれは技術職のため、仕事が終わっても自主的に本を読んだりオンラインコースを受けたりと勉強を続ける必要がある。

ところが筋トレをするとその後は何もできないほど疲れてしまうので、勉強の習慣もすっかりなくなった。

気がつけば生活ほとんどを筋トレ食事に取られ、本業がどんどんおろそかになっていた。

やってもやっても成果の出ないことにいらだち、体重計に乗るたびに自分を責めた。

筋トレ人生変わった」「筋トレポジティブになれる」という発言を読んでは、ちっとも人生変わらずポジティブにもなれない己が情けなくなった。

それでもなぜ筋トレをやめなかったのかといえば、「目標を達成できなかったら、指導してくれている知り合いに申し訳ない」という気持ちがあったからだ。

彼の顔に泥を塗るわけにはいかない。せめて目標の70kgを達成して、そこで区切りにしようと考えていた。

しかし、最大のトラブルがやってきてしまう。

コロナで全部水の泡

2020年初頭の新型コロナウィルス騒ぎである目標体重まであと1kgと迫った直後、全国に伝染病の恐怖が蔓延し、ジム営業停止仕事リモートワークに切り替わった。

ジムに通えなくなったおれのために、知り合いは自宅でもできるメニューを考えてくれたが、もはや後の祭り

食糧の買い出しすら自由にできなくなった生活の中、おれの食事量はみるみるうちに減り、体重も1ヶ月で6kg減った。63kg、つまり最初の停滞期の頃にまで戻ってしまったのだ。

「2年間の努力が全部無駄になった」という事実が、おれの精神を完全に崩壊させた。

筋トレに多大な時間と金額と体力のリソースを取られ、本業でのスキルアップもできなかった。これで筋肉さえ残ればまだ良かったものの、すべて消えてしまった。

いったい自分はなんのためにトレーニングなんかしてきたんだろう……

気づけば、勤続年数の割にぜんぜん出世もできていないし、それどころか、あとから入社してきたエンジニア自分上司になっている。

焦って勉強しようにも、本を開いても眠たくなるばかりで、何も内容が頭に入ってこない。

自分のことがひたすら無能で、無価値に感じられ、街を走っている車の列に飛び込めば楽になれるのか、と考えることが増えた。なんてことだ。

自らの置かれた立場を見つめ、絶望し、大きな後悔を抱えながら、おれは辞表を提出した。

今は貯金を切り崩しながら、実家で療養生活を送っている。社会復帰できる目処はまだ立たない。

教訓

筋トレは最強のソリューション」ではない

Twitter流れる無責任筋トレ万能論は嘘八百である

そもそも筋トレで鬱が治るなら、スポーツ選手鬱病患者はいないはずだ。あのイニエスタですら鬱だったというのに。

筋トレしているのに気分が上向かないことだってある。それを自分が悪いのだと考えるのはやめよう。

筋トレ生活のすべてにしてはいけない

ガリガリからムキムキになれたら人生きっと好転するだろうと夢を見すぎていたところがあった。

から本業をおろそかにしてまでリソース筋トレにつぎ込みすぎ、大した成果も出ず、結果として多くを失ってしまった。

どうせなら無理のない範囲で、細く長く続けていけばいい。

知り合いに指導を頼んではいけない

トレーナー指導法との相性は必ずある。合わないと思ったらすぐ変えることも必要だ。

優しい性格の人ほど、知り合いを「切る」ことができないので、十分注意してほしい。

「やらない後悔よりやる後悔」という言葉がある。おれに言わせれば、どちらも同じ後悔だ。

悔いのないくらい精一杯やれよという人がいるだろう。だが精一杯やったのに成就しなかったという事実は、より深い絶望をもたらすこともある。

筋トレなんてしなければよかった。それが今の率直な胸の内だ。

2020/3/31追記

さすが匿名だけあって皆さんコメント言及が厳しい。ここは言葉が人を殺す可能性なんて微塵も考えない人ばかりだ。

ひとつ付け忘れた教訓がある。

ガリガリの男を馬鹿にしてはいけない

(今思えば)無理な筋トレをやめなかった理由ひとつに、複数女性から体力の無さを揶揄されたことが挙げられる。

8kgの増量後、異なる女性とそれぞれ一緒に旅行に行く機会があった(二人きりではない)。その際、長距離の移動でおれが疲れを見せたり、息があがったりしている様子を見たとき彼女らは一様に軽蔑まなざしを向け、あからさまに冷たい態度を取ってきた。

自分としては8kg増量もそれなりによくやったと思っていたのだが、この経験から「まったく足りないのだ」「もっと鍛えなければ一生女性から馬鹿にされ続けるのだ」という認識を得たのだ。つまり強迫観念である

世の中、男性の体力など特に気にしない女性だって多いのかもしれない。しかし、実際にそういう態度を向けられた者からすると、その侮蔑普遍的ものにすら感じられる。

太った体型を嘲ってはいけないという常識は広まりつつある。ガリガリもまたしかりだ。何気ないその態度が、他人に強い呪いをかけることもある。みなさんは痩せ型で体力のない女性馬鹿にするだろうか。そうでないなら、男性のことも馬鹿にしないでほしい。

そしてこの文章を読んでいる痩せ型の男性のみなさんも、決して呪いにかからないよう気をつけてほしい。体力や筋肉がなくても、あなたあなたであるだけで、十分に美しい。

2020-12-27

anond:20201227124312

>>だが、指導法保護者や外部といった素人クレームをつける流れには問題が多い。>>

なんでこうなるかしってますか?

それは「学習指導要領がころころ気まぐれに変わる」からですよ。

1970年代に新数学流行って、数学の授業がめちゃくちゃになった。あれを恨んでいる人は今でも多い。

1990年代にはユークリッド幾何がほぼカットになってしまい、大学数学挫折する人間は増えた。

2010年代になるとゆとり教育で、小学校算数スカスカになった。

こんだけ振り回されれば怒りが殺到するのは当たり前というものではないか

昔の小学生はどのくらいすごかったのですかといわれると、「サージ・ラングの本を読んでた」とか、「シェーンベルクピアノ協奏曲の2台ピアノ版の楽譜を読んでた」とかそんなんだよ。

マーラー大地の歌ピアノ版の新譜(新発見だったのでNHKニュースに)を率先して読みに行った中学生もいた!

今の未成年にこのレヴェルは少ない。このレヴェルが維持できていたのは氷河期世代エリートだけだろう。

教師の水準が下がると生徒の水準も下がる。今の小学校教師は、シェーンベルクの「シェ」の字も書けなかったりして。

掛け算の順序と社会ルール

最近算数テスト結果への不満がネットに晒されることが多い。「掛け算の順序で不正解にされたのが不当だ」という内容だ。

正直、こういった風潮に困惑しているし、仕事上、迷惑だと思っている。

掛け算の順序に応じた採点は、教育専門家が様々な観点から長年実績を積み重ねた指導法だし、算数だけでなく、社会適応していくための重要な要素が加味されている。そういった複雑な要素が絡み合っているので文科省現場に任せるとして指導法として禁止通達を出していないし、我々もそういう理解でいる。

中にはそういう背景を理解できていない同僚もいるが、教育心理学を理解する知能や生活指導との関連を大きな視点でとらえる能力には個人差があるので仕方がないことだと思う。だが、指導法保護者や外部といった素人クレームをつける流れには問題が多い。

例えば、多くの学校では金髪染髪することは認めていないだろう。これは学校をでれば、認められているにも関わらず、にだ。掛け算の順序問題も同じで、小学校ではルールを守る観点からも認められないのだ。1人が染髪すれば、俺も私もと集団規律乱れる染髪を認めれば、白以外の挑発的な下着を着用する生徒が出てきたり、タバコを吸う学生が出てきたり、なし崩し的に学校乱れることになる。

掛け算も同じなのだうさぎの耳は2本、3本はない。逆順の掛け算を認めると、あっという間に教育が崩れる。日本語の使い方や理解乱れる人間にはルール必要だ。

掛け算の順序は精緻児童の発達を加味して作られた指導法であり、他の教科との関連も深いので数学だけ得意な外部の人間が部分だけを取り上げて全体の調和破壊するのは、なるほど素人らしい狭い視点だなと思う。

掛け算の指導で混乱する児童がいるというが、ルールを守れない予兆であり、そういったルールへの不適応は早い段階で直していく必要がある。遅くなればなるほど本人への負担は大きくなる。先日、校則に合わない下着を着用している生徒が学内で脱がされるのが人権侵害だだのというニュースが出ていたが、本人の自己責任校則ルールを定めているのにも関わらず、それを逸脱しているのだから。こういった逸脱は掛け算順序を守る守らないということと比べたら些細なことだ。野放しにするから高校生になって、肌着なしで椅子に座る目に合うのだ。

2020-08-09

そろそろ欠点しかない無能を「褒めて育てろ」と押し付けるのもパワハラカウントしてほしい

俺の指導法が悪い、はほぼ間違いないくありえないんだよ

話題に挙げてる無能以外にレクチャしたときには数日程度で理解していたし、なんなら部署体験研修にきた新卒だってすぐ理解できた(無能は1年たっても理解できてない)

そもそも指導時に指示したことを守らない。全部すっぽかす

そして指導され支持されたということを隠してリーダーに泣きついて被害者ぶる

俺がslackログ付きでリーダー実態を見せるたびに目を丸くされるのにももう飽きたわ

努めてる業界はわりと「やりがい」で搾取されがちなところではあって、実務能力というよりは「業界への熱意」なんかを選考で優先されがちではあるんだけど

それにしたって本当に「業界が好き」なだけで実務能力ゼロの奴雇ってどうすんだよ。100歩譲って雇うのはいいけどクズってわかった時点で切れよそれができる雇用形態なんだから

もっというと実務能力どころか根本的に人間としての出来が社会人の水準に達してない。

きょうび、進捗報告でウソツキまくってタスクの期日当日に誤魔化しきれなくなったからって「体調不良」で休むのを複数回繰り返す奴、高校生でも失笑対象だぞそれ

 

最大限サポートしても一人分の仕事もしないようなゴミのために、(俺含めて)部署でも仕事してる側の二人の時間が食われてる

この無能のこと以外はそこそこいい職場ではあるんだけど、やっぱ転職しないとだめかなあ

2020-07-30

増田でも囲碁の終局がわかるようになる奥田あやメソッド

ゼロから分かる「入門エッセンスセミナー奥田あや三段

https://www.nihonkiin.or.jp/publishing/igo_mirai/

奥田あやプロの「入門エッセンスセミナー」がPDFで公開されていることを知った。

日本棋院が発行している初級者向け囲碁雑誌囲碁未来』で連載されていたものだ。

これは「石取り」をメインにした従来の指導法とは異なり、「地を囲うこと」と「どうすれば終局になるのか」を覚えることに重点が置かれている。

囲碁はいつ終わるのかわからいからとっつきにくい。そう感じている人は是非、読んでみて欲しい。

自分の手で一局を終わらせられるだけでも、達成感を感じられる。

もう囲碁が打てるという人も、効率的に人に教えるためのコツが書かれてあるので一読して損はないはずだ。

2020-07-14

anond:20200714215744

今年のはじめくらいにそういう子の指導法について学びの多い良い増田があった気がする。見つかるといいね

2020-05-22

anond:20200521204505

最上位層になる以外なら、習得に向けた努力の組み立てをきちんとすれば、できるようになると思うんだけど、

水泳ピアノと違って指導法とかがまだ明確になってない分だけ余計に大変かも知れない。

2020-04-29

anond:20200429084006

そこまで書くなら正しい指導法はこうだってのも書いていけよ

2019-09-02

叱られすぎると反省できないよね(叱り方戦略について)

昔、そこそこ仲の良かった男子結構くだらない事でめちゃくちゃ叱られてグレてしまった

グレたと言っても、自習時間に机をドンドコしたり、補習をサボってバッセンに行く程度だったけど、まあうちの学校ではグレてる部類だった

彼はそのうち課題を出さなくなり、その事で他の先生にもしょっちゅう叱られるようになり、余計態度を硬化させる負のスパイラルに陥って

もともと下がっていた成績もガタ落ち、結局3浪して消息不明になった。f欄に行ったという噂も聞いたが、謎だ。

彼を叱った先生とついこの間お話しした際に、彼についての話も出たのだが、「怒りすぎちゃったなあ」と後悔していた。他にも彼の没落の原因はあったのだろうが、アレがキッカケになったのは確かだった

宿題やったの!?」「今やろうと思ってたのに!」みたいなの、大人になってもずーっとあるよね。あんまり叱られすぎると反感や怒りが先行してしまって、なかなか自分省みることが出来なくなる

叱られて伸びないタイプの人は、やんわりと諭してあげるのが一番良いのだと思うが、叱る側に立つと結構難しい

「叱る」とはどうあるべきなのだろう

鬼の生活指導に叱られて、不登校になってしまった女の子中学時代いたが、彼女にとっての「叱られる」は、しょっちゅう叱られている剽軽男子にとっての「叱られる」とは同じ叱られ具合でも全く違うものだったろう

クラスメイトの前で「ちゃんとやれよ!」と一言言う事だっておとなしく真面目な子と活発で不真面目な子とでは受け取り方が全く違う

前者の場合先生にみんなの前で怒られた」という羞恥を引き起こす、精神的苦痛は絶大だ

本人のタイプに合わせて指導法をきめ細かく変えてやるのが一番人を伸ばす叱り方だと思うが、「人によって叱り方が違う」というのは集団不公平感を生む

教室のような閉じた、それでいて壁のないオープン集団の中で人によって態度を変えながら叱るのは難しい

そう考えると、何か悪いことをした子はそっと別室に連れて行き叱るのが適切なようにも思える

しかし、自分自身小学校のころよく知らない先生と二人きりの教室で隣に座って密着されながら委員会資料作成をさせられたのは軽くトラウマなのでそれはそれで問題があるように思う

一対一での指導、は多分ロリコン教師欲情させるシュチュエーションになってしまうし、閉鎖的な空間上下関係が残るのも監獄実験のような状態になって「叱りすぎ」を誘発しそうだ

職員室で叱るという手もあるが、他の先生の前で叱られるというのも精神的な負荷が大きいだろう(忘れ物が酷くて何度やられたことか)

保健室で「厳しい担任先生」と話をそばで聞くだけの「優しい保健室先生」という二対一のお説教が思いつく限り一番良いように思う

仕事量を考えると養護教諭ではなく、昼休みだけ来る外部カウンセラー数人で回すのが風通しが良く現実的な形になるだろう

これが家庭の場合「厳しいお母さん」と「優しいお父さん」のような役回りでの叱り方になるのだろう

しかし、甘やかすだけ甘やかす父(母)に子供がなつき、損な役回りをさせられる母(父)の言う事を子供がきかなくなる、というようなケースも聞くので、適宜「厳しい」と「優しい」は交換しながらやっていく必要がある筈だ

「叱る」一つの手前でも、どちらがどちらの役割をするのか話し合う必要があるのはやや面倒だが、子供の糧になる「叱る」のためにはそのぐらいの手間は必要ではないだろうか

職場で叱るケースでも、教育係を一人に一任せず「直属の厳しい教育係」と「見守る優しい先輩」というロールで叱ってみるのも一つの手なのではないだろうか

我々は普段から「叱る」と「怒る」を混同し、ただ感情を発露させるだけの行為を目下の相手にしてしまう事が多いが、効率的に人を成長させるためには「叱る戦略」をきちんと考えて叱るべきだ

個人的に、教育現場における「叱る=怒鳴る」は論外である。怒鳴る事によって相手を萎縮させ、内省させる間も与えない行動が反省を促すとは到底思えない。

生徒、部下の立場は怒鳴られても怒鳴り返すことの出来ない立場である。おずおずと返答をしても「言い訳をするな」と一蹴される恐れがある。怒鳴る行動は対話の機会を奪うのだ。

勿論、いじめや命を落としかねない悪ふざけには少なからず「怒鳴る」のコマンド必要かもしれない。事の重大さに気づかずヘラヘラ対話による説教を聞き流すような生徒もいる。なぜ「怒鳴る」が必要になるのだろうか。この場合「怒鳴る」はどのような効果を発揮しているのだろうか。

主観的かつブラッシュアップの足りない考えではあるが、一つの仮説がある。「怒鳴るとは上下関係をわからせる手段ではないか」という仮説だ。そもそも動物としての観点で見ると大声とは威嚇の手段の一つである動物のように大声を上げることで、相手を威嚇し、上下関係再確認させるのだ。プラスして、感情をあえて大袈裟表現することで「自分真剣だ」と伝える意味もあるだろう。(しか演者時点が自身の演技に呑まれ可能性はかの有名な監獄実験で示されている通りであるので、十分な精神力と慎重さが求められるだろう)

社会動物である我々は猿山の猿のように、狼の群れのように序列に弱い。だから不真面目な相手を前にした場合、この「怒鳴る」という行為はある程度有効なのだろう。怒鳴るは相手の「話を聞く真剣さ」を+5するというようなコマンドなのかもしれない。

人間感情は複雑なように見えて案外単純だ。悲しい時に怒る、傷ついた時に傷つける、というような行動も一見ブラックボックスを抜け出たものに見えるが、案外類型的なものである。それはピンボールの玉がピンに当たって跳ね返りながら、最終的にはいくつかの穴に収束していくのに似ている。無限可能性を持ちながらも、個々のピンでの跳ね返り方はある程度の予測がつく。我々の行動自体が、大したパターンを持たないからこそ、我々は相手気持ちを思いやり、共感できるのだ。

宿題やったの!?」という言葉子供時代私たちにもたらしてきた感情は「後ろめたさ」「反省」「反感」である。この感情パターン類型的だからこそ、私たちに「先に言われるとやる気なくすよね〜」という共感をもてる。

というように、人間感情がある程度パターンとして把握できる以上「叱る」のマニュアル化可能ではないだろうか。

「優しく諭す」というコマンド相手の「真剣さ」には効果が薄いかわりに「反感」の数値はあまりあげない。だが「真剣さ」の数値が低いと「反省」には至れない。

「怒鳴る」というコマンドは逆に「真剣さ」には絶大な効果を持つ、が、「反感」のポイントを高めてしまう。「反感」の数値が一定を超すと「反省」への道は閉ざされる。

前述の優しい医者と怖い医者戦略も、数値化で説明してみよう。怖い医者は「真剣さ」「内省を促す」方面に強いキャラクターであり、優しい医者は「反感」という感情共感し、怒りを和らげ「落ち着き」を取り戻させるヒーラーのような役割キャラクターである

「叱る方と叱られる方」という絶対的上下関係に、そのどちらでもない第三者を加える事で、叱り手の感情暴走を抑えるとともに、第三者による「共感」で叱られる側の精神負担を減らし、自分省みる余裕を与える。

無論、感情の数値の動き方には個人差があるので、叱り手は自分コマンド相手にどんな影響をどの程度与えるのかを考えながら叱り具合を調節していく必要がある。 と言っても、その個人差もある程度はパターンに当てはまるように思う。不真面目だが誠実な子、真面目だが反抗的な子、結局は要素の集合体である。実際に「元気な子(そして剽軽悪戯っ子)」「明るい子(そして優しくてポジティブな子)」「大人しい子(繊細で真面目な子)」という安易パターン化はあらゆる人間関係において常に行われている※。タイプに応じてコマンド駆使の仕方のマニュアルがあれば、どんなボンクラでも効果的な「叱る」ができるだろう。

※これには幾らか問題がある。私のように「大人しい子(割合図太く不真面目で陰険な子)」という相反するイメージの要素を持つ人間は取りこぼされる。そして不理解大人失望し私は余計陰険になった。教室のような大人数を把握すべき空間では、雑なラベリングが横行して、かえって正確な人格の把握の障害となるかもしれない。ここにもいくつかの心理検査を用いた人格パターン化による把握が必要かもしれない。

このように数値化して考える方法を主張すると必ず人の心が通っていない、愛がないという人が現れる、が、なんの考えもなしに相手の叱られた後の情動予測せずに感情をぶちまける事の方がよっぽど動物的で、「人の脳味噌」という回路を通わない非効率不合理なくだらぬ行動だと私は思うのだが。

(だいたい愛の鞭なんて言うが、恐怖政治よりインセンティブによる動機付けの方が効果がある事なんかもう数十年前から言われているのだからいい加減卒業してほしい。)

叱る、は上手くいけばとてもポジティブ効果を発揮する。しかし下手にやればかえって人から反省の機会を奪う。説教正論気持ちが良すぎるので、叱り手側は容易に権力を振りかざす楽しさに呑まれしまう。だから、叱る前に一呼吸置いて、叱る戦略を立ててみるのはどうだろう。戦略という言葉大袈裟かもしれない。叱る前に叱られた相手気持ちを考える、それだけの事だ。

人材育成教育現場、家庭での指導法においては、「叱り方マニュアル」の作成も試みとして楽しそうだ。心理テストで振り分けられた生徒や人材ごとに診断チャート作成し、それを参考に叱り方戦略を立てる。大規模に実験調査結果を取り続ければ有効性を立証できるかもしれない。最終的にはAIが掛けるべき言葉演算し、叱り手という演者がそれに従うようなディストピア教育が出来上がるかもしれない。AIの愛のない教育、は痛烈にこき下ろされそうだが、「データを集め、型に当てはめ、パターン化された指導をする」という一連の行動は学習行動として常日頃個々人が行なっている事であるし、そこに統計処理がより得意なAIを解すのはそれほど不自然でないように思う。

教育者には当たり外れが多すぎる。一生涯呪い殺したいようなクソもいれば、人生の節目のたびにあって感謝の意を述べたくなるような聖者もいる。マニュアルさえあればどんなクソにも一定ラインを超えた指導ができるようになる筈なのに……!と思うと悔しいばかりだ。しかし、こうなると今度は「マニュアル一辺倒の叱り方」という批判が生まれてくるだろうか。教師マニュアル依存、なんてニュース流れるようになるのも嫌な話である。優しい医者と怖い医者も何も知らずに信じ込めるとステキ装置ではあるが、そんなプログラムだと言われてしまうと薄っぺらさにがっかりしてしまう。マニュアル化した叱り方は叱られる側に不信感をもたらす逆効果となるかもしれない。うーん、難しい(そこまで進んだ未来だと生徒もプログラムが組まれたのをわかった上で乗れるほど慣れるかもしれない、AIカウンセリラーを利用したマインドセット人生の基本になるのだ!←楽しそう)

まあ、今のところは感情的に怒る前に、相手情動予測しながら諭してあげるというのがいいと提案してみることにします。つまるところは思い遣り。プラスして、叱るときは座って目線を合わせるっていうのも提唱してみる。叱り手側も怒りをセーブやすいし、叱られ側も対等な立場での対話であると感じやすい、と思うから。(座って足組んでる奴から立たされて叱られるのも、立った状態で目の合わない相手を見上げながら叱られるかもつまらないもの。)それと、誰かが厳しく叱られていたら、優しい第三者として「反感」や「落ち込み」に共感してあげたりね。まあ普通のことです。しか実践はクソムズイ。人生手強いね

(思い出話あるあるを書こうと思っていたのに、思いのほか筆が乗って長文増田になってしまった。noteにでも貼るべきだったかな、図解しながら書き直したくなってきた。ところで、25件を無限リロード中の増田様方には大変ご迷惑をおかけします、すまない。途中送信しちゃっただけなので再投稿の甘えではないんだよ!)

2019-04-24

ちょっと違う気がするわ

元増田ちゃんの言ってることはわかるわ。その手の説教って嫌だものね。やる気がないなら帰りなさい!→帰る→怒られる。おおジーザス

でも今回の件、それとはちょっと違うと思うのよね。たぶんもっとずっとシンプルよ。

まず"自分の目論見が外れたのにシームレス説教に移行する人間"登場人物にいないこと。togetterのまとめを読んでも、参加者のだれも腹筋男に説教してないわよね。内心ドン引きはしてるけど。

次に、元増田ちゃんブコメ対象にいろいろ言ってるみたいだけど、そこに"自分の目論見が外れた"人が多分いないこと。全員外野よ。

ブコメでの説教乱舞はね、単純に腹筋男がムカついたからぶっ叩いてるだけなのよ(個人の感想です)。

彼の言動は「妊婦とか大変でもなんでもないじゃん(笑)」みたいな意味にとられちゃったってわけ。まあ実際にそうだったのかもしれないけど。

まり、何か(ここでは妊婦)をディスってる男がいて、そしてそいつ批判なり非難なりされてるという、シンプルでありふれた構図なの。

あと、元増田ちゃんの書き方では"妊婦体験企画者/実行者""はてなブックマークコメントしてる人"を同一視してるみたいに読めちゃうわ。わかってると思うけれど別人よ(たぶん)。

たとえば↓

「うわああああ辛い!動きづらい!」

「そうでしょうそうでしょう、妊婦は6カ月ぐらいはこんな感じなんですよ(フフン)」

て展開を想定してたわけじゃん?

問答無用体験でわからせたるってイベントじゃん?

からせられなかったんだよ。

なら単に準備不足の失敗じゃん

そこで

「お前は想像力が無い!」って話に移行するのずるいだろ。

想像力の話なら最初から想像力の話をしてろよ。

そっちにいくなら体験講習要らないじゃん。

その展開を予想していた(かもしれない)人も、わからせられなかった人も、単に準備不足で失敗した人も"妊婦体験企画者/実行者"なの。

そして「お前は想像力が無い!」って話をしたのは"はてなブックマークコメントしてる人"なの。

別人なの。

移行してないの。

そっちに行くも何も最初から別の場所にいるの。

あとは↓もかしら。

はなから相手想像力を見下して体験ねじふせるイベントなのにそこでも失敗しました、ってだけじゃん。

第三者としてもガキっぽい父親非難する前にイベント側に反省再考を求めるしかない所だろ。

ガキっぽいからって父親への非難第一にするのは筋としておかしいわ。

この一件で悪いのはイベント側。

イベント側が悪い。反省するべき。というのはイベント側がこの父親説教したという認識でなければ、なかなか出てこないように思うのよん。

だって、満足な妊婦体験をご提供できませんでしたってのは別に悪いことじゃないでしょう?想像力を含む個人資質に左右されず妊婦の大変さを誰しもが体験できる方法なんてないんだから

それともVRかなんかで開発すればいいのかしら。これが後の大ヒットタイトル"妊婦オンライン"開発のきっかけであった……

元増田ちゃんがかつて、ひどい指導法教師にあたってしまったということには深く同情するわ。

でも説教類型として、あなたがそのクソ教師から受けたものと、今回の件においてブックマークコメントで見られたものは、概ね違うものだと私は思うの。

あ、件の男性に対する批判の是非については特にコメントしないわ。あくまロジックが違うんじゃない?って話ね。

anond:20190423101547

言ってみれば「お前等の想像力なんか当てにしてないから、体験でわからせてやるわ」という主旨のイベントなわけ。

これが100%あってるわけともいえないんじゃないか

多分、積極的想像してくれる人を対象にしたイベントだったと思う。

歯向かったり反抗したい人が来ることを想定していなかったんだよ。

イベントの詳細が分からいから何とも言えないけど、その想定が正しいシチュエーションもある。



なんで俺が腹立つかってさあ

こういう指導法教師が居たんだよ。

「そんなこと言ってたらどうなると思ってるんだ!じゃあやってみろ」

「やります問題なくできました。」

「…そういうことじゃないだろ!(怒)」

みたいなやつ。

この怒りはすげーわかるよ。思い出しただけで嬲られて〇ねばいいのに、ってなる小学校教師がいるもん。

(このテーマでこの表現は良くなかった。その教師は男だし。まぁ直さねーけど)

でもさ、出来る出来ないじゃないんだよ。そういう風に見ちゃう限り、マウント取り合戦なっちゃうんだよ。

クソ指導法教師に似ないでくれ。Togetterの奴からクソ教師の成分を探し出してしまう目を捨てる努力をしてくれ。

俺もだな。

2019-04-23

anond:20190423101547

自発的にわかるための講習」でありながらそんなピンとこない人が結構現れるクオリティになってて、でも素直なフィードバックすると睨まれるので「体験でよくわかりました」的なレスポンスが求められていて、そこから外れるアスペと正直者と蛮族が「人としておかしい」的に攻撃されて封殺されていくの、ザ・忖度ソリューションだよな


これだとアスペ虐殺されていくしシステム改善されないままになるし全員に学習性無気力忖度を刷りこんでいくんだけどほんと社会の中はこればっかりで、こういうのへの適応適応できなかった場合制裁はまさに学校教育の中に組み込まれていてアホな教師(8割ぐらいのことだ)の指導法はだいたいこういうベース

自分の目論見が外れたのにシームレス説教に移行する人間てどうなの

両親学級男性お腹に7キロの重りを付けて「楽勝じゃん」と言って腹筋までしてしまう - Togetter

https://togetter.com/li/1340596

この件なんだけどさ。

子供の頃からずっと同様のシチュエーション理不尽を感じてたきたか一言いいたい。


shields-pikes 自分自身が重りを身につけた時の感覚体験する場じゃなくて、自分より筋力のない妻がその重量を身につけて、それを守りつつ生活してる時の大変さを想像するための場なのに、全く想像力が働いてないのがヤバい

2019/04/22 リンク Add Star

これとか正論風だけど全くおかしいでしょ。

だってさ、体験講習だよ?

言ってみれば「お前等の想像力なんか当てにしてないから、体験でわからせてやるわ」という主旨のイベントなわけ。

からそこを楽々クリアされたんならそれはイベント側の負けだろ。

負けっていうか手落ち?

まずその手落ちを反省して謝れや。

イベント参加者全員に。


第三者立場でこれをジャッジするにしても「イベント側がタコでしたね」で終わりでしょ。

それ以上のことは今回は言えないはずだ。

shields-pikes 自分自身が重りを身につけた時の感覚体験する場じゃなくて、自分より筋力のない妻がその重量を身につけて、それを守りつつ生活してる時の大変さを想像するための場なのに、全く想像力が働いてないのがヤバい

2019/04/22 リンク Add Star

からこういうのがむかつくわけ。

一見正論風だけど違うじゃん。

想像に頼るなら重り要らないだろw


ていうかこの人のこの説明は完全に嘘になってるじゃん。

自分自身が重りを身につけた時の感覚体験する場じゃなくて、」

いやいやいや、どう考えても重りを身に付けさせてその感覚体験でわからせるイベントですよね?

そういう趣旨イベントで、単に失敗しただけですよね?

そこはいったん認めよう?

大人なんだからさ!


本当は

「うわああああ辛い!動きづらい!」

「そうでしょうそうでしょう、妊婦は6カ月ぐらいはこんな感じなんですよ(フフン)」

て展開を想定してたわけじゃん?

問答無用体験でわからせたるってイベントじゃん?

からせられなかったんだよ。

なら単に準備不足の失敗じゃん


そこで

「お前は想像力が無い!」って話に移行するのずるいだろ。

想像力の話なら最初から想像力の話をしてろよ。

そっちにいくなら体験講習要らないじゃん。


なんで俺が腹立つかってさあ

こういう指導法教師が居たんだよ。

「そんなこと言ってたらどうなると思ってるんだ!じゃあやってみろ」

「やります問題なくできました。」

「…そういうことじゃないだろ!(怒)」

みたいなやつ。


そういうことじゃないならやらせるなや。

出来ない筈だと思ってやらせたんだろ?

出来ないのを見てからそこを足場にして説教しようとしてたんだろ?

そのつもりでやらせて、出来たならそれは相手が悪いんじゃなくてお前の想定ミスだろ。

そこは一旦認めろよ。

謝るというかせめて一歩引けよ。

自分の出した難題のつもりの課題クリアされたことでさらに怒り出す(しか相手人間性かに問題すり替える)っていうの、ずるいだろ。

説教はするにしても自分ミスミスとして認めろよ。

出来ちゃったら困るって課題最初からやらせるんじゃねえよ。

(つか服従という結論だけを求めてるならそもそも過程茶番の試練や体験を入れるなよ。)


「やってみろ!」って言われてこっちも挑まれたから「できらあ!」って根性出して頑張って教師想定外で出来ちゃったと。

そしたらせめて「先生間違ってたわ」か「やるなお前」と言ってくれよ。

その上で「でも先生の言いたかったのはそういうことじゃなくてな」って説教が続くならこっちも素直に聞けるんだよ。

なんでそこで自分の落ち度は一ミリも認めずに話逸らすんだよ。

お前が受ける側ならそういう態度で来られて話聞きたいと思うか?

ちょっと相手立場に立てよ。それこそ想像力だろ。 


paralysedinside 想像力のある人は重りなんかぶら下げなくてもわかっているわけで。想像力がない人向け実演なのに想像力がない人に届かなかった、ということで講師がもう一回考え直さないといけないのかな

だろ?

これだけじゃん。

この人のコメントすげえまともー。

はなから相手想像力を見下して体験ねじふせるイベントなのにそこでも失敗しました、ってだけじゃん。

第三者としてもガキっぽい父親非難する前にイベント側に反省再考を求めるしかない所だろ。

ガキっぽいからって父親への非難第一にするのは筋としておかしいわ。

この一件で悪いのはイベント側。



dmr は?女も鍛えたら問題ない?あのな、レッグ100kg/ベンチ50kgできる筋力おばけの経産婦の私だけど、そういうことじゃねーんだよ。その7kgに衝撃与えたら母子ともに危ないんだよ。筋力が無になるほど体調も変わるんだよ。

「そういうことじゃねー」って言い出すなら体験講習なんかやらすなって。

体験講習にわざわざ出てくる人間想像力なしでもわからせてくれることに期待してくるんだよ。

結局想像力や未知の知識で補わないとわかんねえって言うならその講習やる意味ねーじゃん。

免許の飛び出し体験とかはバーチャルだけど「あ、これはよけられない、やばいな」ってわからせてくれたじゃん。

そのレベルのこともないならその講習何なのよ。

なんで話を逸らしてまで参加者側を叩いてんだよ。


drinkmee 体重に応じて重りを増やせばいいのに。20kgぐらい付けてもらって、中身は生卵にする。割れたら終了。

2019/04/23 リンク Add Starblanccasse (green)iwashioyaji71pikopikopan

そういうことだよ。

体重換算すらしてなかったらそれはイベント側が馬鹿すぎってだけじゃん。

sys-cyssys-cys 妊娠の辛さは重さだけじゃない!筋トレしてるかどうかとか関係ないです…。悪阻による吐き気貧血、動悸、痛いくらい昼夜問わず蹴られる胎動、仰向けに寝れない、ぶつからないようにすごく気を使う、薬飲めない…

2019/04/23 リンク Add Starirbs71futsukayoi

結局重りでわからないって言い出すなら体験講習クソじゃん

廃止するか、薬物や酒を入れて気分悪くさせよう(提案

marilyn-yasu 理解すべきは重さじゃなくて胎児を守るのが大変なのかでしょ。腹筋しちゃう時点で分かってないし、ブコメ女性筋肉付ければも分かってない。

2019/04/23 リンク Add Stardogdogfactory68pikopikopan

ならただの重りをつけさすな

2018-09-09

この記事共感

仕事ができない過真面目

自分のことだ。。

どうしたら改善できるのだろう。

やる気だけが空回り。。

以下文をお借りします。

仕事で求められるの緊張度が50くらいだとすると、大多数の人のノーマルな緊張度は20~30くらいなので、仕事をする時は緊張度を上げる必要がある。当然、仕事マニュアルは大多数の人に合わせて作られるので、「人の話を聞け」「人の反応に注意しろ」というふうに、注意を促して緊張度を上げる指導法になる。

ところが、世の中にはノーマル状態で緊張度60~70くらいの人がいる。こういう人に対して、大多数の人向けの緊張度を上げる指導法仕事を教えると、緊張度が100に近くなりミスが増える。ミスが増えるのでますます注意を促し緊張度を高めるように指導すると、緊張度が限界を超えてパニックを起こし、仕事ができない状態になる。

2018-09-04

anond:20180904173733

正しい指導法をしらない脳筋

手っ取り早く言うことを聞かせるために

恐怖の手段として暴力を使ってる

それだけの話しでしょ

2018-07-27

同僚のガチギレ事件

俺の元職場イジメが慢性化していた。ターゲットの選別は課長。全員が指導の一環と思っているため、イジメ認識すらしていない最悪なパターンだ。過去には倉庫自殺未遂をした者がいる。新卒者がつぶれる確率は90%。誰かが辞めるたびに「全然いい人こないよねー」と嘆いていた。

ある時、中途採用男性入社した。山田君としよう。人当たりはよいが不細工で、若干抜けている。誰もが無意識のうちに「次はこいつだな」と思ったことだろう。入社して2週間ほどで課長攻撃は始まった。

「謝るのは猿でもできるよなあ?」と謝罪を促した矢先に「すみませんじゃ済まねえんだよ。対策を言え」とか、最終局面に至る頃には「親の躾はどうなってんだ」とヒートアップ

そして唐突にやってきた実質的山田君の勤務最終日。課長説教姿が日常と化していたため気にもとめず、ぼくは淡々仕事をこなしていた。そんな午後のことである

急に鈍い音とともに女性悲鳴。「やめろって!」と仲裁が入る。なんだなんだと近くに寄ると、もみくちゃになった山田君課長の姿が。

後々、現場近くにいたメガネ女に聞いた話はこうだ。山田君が「はい、わかりました。失礼します」と頭を下げたところ、課長が軽く頭を叩いた。山田君、それでブチギレちゃって思いっきりぶん殴ったらしい。

で、男が数人がかりで止めると、山田君は急におとなしくなった。「わかりましたわかりました。すみません、もう暴れません」両手をあげて降伏ポーズ。男たちの拘束を解いたところで、ぶっ倒れた課長の目ん玉めがけて、ボールペンとともにダイビング。それを課長は何とか回避

課長も興奮して「人生の先輩に何事か。上層部に報告する」と怒鳴ると、山田君が笑みを浮かべてポツリと呟いた。「いつか絶対殺すからな」

その後、山田君懲戒免職課長パワハラ全開の指導法が一応問題になっていたこともあって、地方左遷となった。

上が変わると職場雰囲気も変わる…とは言うけれど、この元職場は何なんだろう、課長が居なくなったところで何も変わらなかった。はじめにも書いたとおり、イジメイジメ認識できない職場。もう麻痺しちゃってるんだと思う。ぼくはこの事件の数ヶ月後に他社へ移ったんだけど、離れてからはじめて異常性に気づいた。

この話を増田に書こうと思ったきっかけは、つい先日、元同僚に「最近どう?」と電話をしたら、「いやー新人がさ…」と愚痴が始まったからだ。彼らはいつ気づくことができるんだろう。

2018-07-13

eスポーツよりは囲碁将棋のほうがマシだろう

指導法評価法もプロへの道もずっとしっかりしてる

2018-05-30

30分かけてスマホぽちぽち打ってた渾身の増田が消えて覚えの悪い新入社員に対する指導法とかもうどうでもよくなった

2017-07-14

自分が小中高と授業以外に勉強しなくても学年トップ全国模試上位がデフォだったので

子供勉強苦手だったらどうフォローしてあげたらいいかからないなって

小学校時代指導法が云々ってまとめ読んで思った。

まあ子供いないし嫁もいないんだけど。

2017-03-31

銃剣道自体否定することはないけど、誰が教えるの?

はっきり言えば、銃剣道自体剣道柔道空手なんかと変わらないただのスポーツだ。

武道と言ったほうがいいのか。

今回、ネット銃剣道のものに対するネガティブコメントが増えたが、まあ殆どは……

人を殺す技術というのなら剣道柔道も当てはまる。

実戦で意味がないというのはもっと謎で、実戦とは何を想定しているのか。

銃剣道銃剣突撃練習などない。

日常のとっさの時に剣道柔道空手より役に立たないものでもない。

特殊剣道とみれば薙刀に近い。

と、いうわけで、それ自体を貶める必要はない。


しかし、学校で教えるのは無理があるだろうとも思う。

まず、教師経験者が皆無だろう。

どうも記事を読むと「選択体育の武道銃剣道を選んでもいいように項目を追加した」というようなことが書いてある。

また、「銃剣道が盛んな地域で」ともある。

どこにそんな地域があって、誰が選ぶのだ。

銃剣道はほぼ十割の競技者自衛隊関係者だ。

教員経験者は皆無だろ。

となると、指導法研究会が開催され、指導要領が整備され、かなりの人手が割かれることになる。

その上で、ほとんど選択されることがない。

なぜなら民間少年銃剣道部なんかないから。

学校は培った指導ノウハウと道具がそろっている昔からの種目を選びたいだろう。

ここで官僚主義弊害が発生する。

銃剣道を導入した人物面子問題』だ。

結構予算を投入して、人手も割いて鳴り物入りで導入した銃剣道が全国で採用ゼロとなれば、責任問題にもなるし、単純に裁可した人物は恥ずかしい。

ここで、各県教委に圧力がかかる。

ここで考えられるオーダーは次の通り。

『各県で少なくとも3校は銃剣道実施できるように推進すること』

実績次第で、様々な飴と鞭を用意して、どうにかそろえば全国で150校の実施となり、まあ顔は立つ。

そんな理由文科省現場担当教職側に多大な不満を植え付け、一部の人間は満足し、時間が流れれば忘れられるだろう。

ていうか、自衛隊学校以外で『盛んな地域』ってどこだよ。

2017-02-06

なぜ多くの人が「学校勉強は役に立たない」と思っているのか問題

http://anond.hatelabo.jp/20170204214653


増田がこういうことを言う前提には、「学校で学ぶことは実用的でない」という考えがあるのだと思うけど、必ずしもそうではないと個人的には思っている

(今のカリキュラム指導法がすべて適切だということはないにせよ)。

中学までの科学知識があれば」なんてことは偽科学批判枕詞でよく使われる。

この前のトランプ大統領就任演説なんて中学校までで習う単語ほとんどだったそうだし、

書店で「中学までの英語英会話はできる」というような内容の本はよくある。

政治問題過去歴史が引き合いに出されることないくらでもあるし、

逆に過去の例を知らずに出した「斬新なアイディア」がクソだってことは少なくない。

保健体育をきちんと学んでいれば、性感染症や望まぬ妊娠はかなりの程度避けられるはずだ。


そもそもの話として「学問実用的でなければならないのか」という問題があるけど、それをさておいても

ちゃんと使えば学校で学ぶ内容が役に立つ局面は多いだろう。


なんでこんなに多くの人が「学校勉強は役に立たない」と口にするのだろう。ぱっと思いつくのは二つ。


一つは「教え方」の問題だろう。人間、習ったことで「試し斬り」をしたくなるもので、、

それが上手くいくことは学ぶことの動機付けの一つにはなる。恐らくそれが不足している

でんじろう先生がもてはやされたのは、学校レベルではそのような実感がいかに乏しいかという傍証ひとつだろう)。



二つ目は、社会不条理や不平等のはけ口として、平等に与えられる学校勉強槍玉にあがる、ということだ。

例えば、それなりの大学を出ても、お金持ちや権力者にかなうわけではない、だから学校勉強など無駄じゃないか」というわけだ。

それに加えて、学問ってのは個人資質で下手するとスポーツ以上に到達度に差が出る。割と絶望するレベルで。

はいえ、それとこれとは全く別の話なのだけど。


他にも恐らく切り分けて考えるべき問題が沢山あって、現実は複雑で、

教師だけ責めても何も解決しないってことは薄々みなわかっていて、

からこそ実体のない「教師」という概念を責めているのかもしれない。

それが有能な教師の足を引っ張るかもしれないことなど考えもせずに。

2016-08-10

EM菌水伝の源流 TOSS

TOSS教育技術法則化運動)という団体がある。教育仕事に就いていない多くの人は知らないと思うが、我々小学校教師は割と知っている。EM菌水伝を広めたのはこの団体である

TOSS

TOSSは、効果的な教育技術研究して集積し、広める団体である小学校の学級運営や教科指導に関する指導法が多い。

大きな書店教育書コーナーにいけば、TOSSから出版された教育書が幅を利かせているのが分かるはずである

無料で授業法を閲覧できるTOSSサイトもある。実際のところ、多くの若手小学校教師はこれを参考にしている。

TOSS指導法採用している教師は、その授業や板書を見ればわかる。廊下に並べられている図工の作品を見てもわかることもあれば、授業でなくても教室の様子を見てもわかったりする。

TOSSにどっぷり浸かっている教師がたまにいて、授業法に関するセミナーのチラシをくれたりもする。

●発足者向山洋一

ところでTOSSは、四・五十年前に、向山洋一という小学校教師を中心として発足した小さな教育サークルが徐々に拡大したものである

向山氏は発足当初から現在までずっとTOSSトップにいる。

我々小学校教師であれば、向山洋一と聞けば少なくとも名前なら知っているというくらいに有名であるしかメディアには出てこないので、やはりほとんどの人は知らないと思う。

学級崩壊モンスターペアレントなどの言葉を考案した教師である

TOSS信奉者にとっては伝説的な教師である書店では、TOSS書籍と並んで向山洋一書籍も多い。

向山氏の何がどうすごいのかはとりあえずここでは省略する。

向山指導法

TOSSでは、向山氏が考案した授業の進め方を「向山算数」や「向山社会」のように呼んでいる。実際に向山式○○を授業で実践している教師は多い。

向山式に限らず、TOSSの中でもネームバリューのある教師のやり方は△△式と言われたりして、国内中に広まる。

TOSSでなくても良い授業法は国内中の教師に広まっていくのはあたりまえなのだが)

みなさんが子どもときに受けてきた授業の中にも向山式があったかもしれない。

話の流れでなんとなくお察しかと思うが、いろいろな向山式授業法と共に広まっていったのがEMである

しかも、数ある向山実践の中でも、重要実践の一つである位置づけられている。向山洋一著のEMに焦点を当てた書籍も出ている(自分は読んでないので中身は知らない)。

であるから爆発的に日本中教師拡散し、いたるところでEMを使った授業が行われてるようになったという現状に至る。

(よく知られる水伝はたぶん向山ではないがTOSSの誰かである

向山氏がどのようにしてEM出会ったのかは知らないが、とにかくTOSSという波に乗って日本中に広がった。

2016-05-17

読書感想文ノススメ

とは言えこのような場所を好きこのんで読む層に当てはまる話でもないとは思うのだけど、まあ自分備忘録として。

最近大学生お話を聞く機会が増えたのだけど、彼らの大半はどうも自分内面の発露、表現方法に関して悩みあるいは問題を抱えてる場合が多い。

で、これが彼らにどんな影響を及ぼすかと言えば、卑近であれば就職活動でのエントリーシート、あるいは面接のものにおいて非常に苦戦するという事態を招く。

彼らはさほど程度は高くないとは言え、大学生なのでそんなにそういう機会が無かったのだろうか、と思うのだが、考えてみれば学部生の論文ゼミ発表などはある程度形式ばったものだったのかしらん、とも思い直すわけである

まり、ある程度客観的指向性のある、極端な話マニュアル化簡単可能表現であれば彼らは十二分にこなせるのだが、それが自己について自由に述べよ、となるとお手上げになってしまうのであろう。

彼らの「自己PR」はまず、感情言語表現が非常に乏しい。就活における質問として学生時代の熱心に取り組んだものを聞くようなものがよくあるがこれに対し――具体的な例は避けるが、○○が楽しかった、嬉しかった、感動した……と概ねこれで終わってしまう。もちろんちょっとした就活本やウェブでの情報でもこの手の何も言っていないに等しい表現は避けるべしとあるし、彼らも承知しているわけだが、じゃあどうしようかと、煩悶してしまうわけである

より具体性のある表現を使えとアドバイスするのだけど、それがわからない。で、どうなるかと言えば今度は具体的に偏って、事実の羅列になってしまう。まあ多少マシになったとは言え、これでは自分が何者なのかがあまり伝わらない。この手の質問企業が求めるのは人間性がわかるエピソードであると思われるので、事実だけ羅列していてはやはり説得力に欠けてしまう。というよりそんなもの履歴書でいいのである

次にいわゆる「盛り方」があまり稚拙である嘘も方便とはよく言うもので、ものを売り込むときにはある程度色を付けるのが世の常であるが、彼らの場合どうにもそれが見え見えであるということだ。

先ほどの具体性の話もそうだが、就活マニュアル的なものではよく具体的な数字を使えとあるという。なるほど的確な数字説得力を持つし、たとえそれがウソであってもそう証明する事は非常に難しい。少なくとも彼らが日々こなす論文などで示すものよりよほどハードルは低い。

しかし、彼らはそれが上手く使いこなせない。例えばこれもよくある質問として学生時代の功績を聞くようなことが多いが、これに対しよく彼らはパーセントという形で数字を使う。よく考えてみて欲しい。例えばメンバーに声をかけ部の参加率を上げた、ということに対してパーセントで功績を強調してもあまりにも「ミエミエ」で実質的説得力が無いように感じられないだろうか。これでは先ほどと同じように「何も言っていないに等しい」。それなら何人に声をかけて、あるいはどれだけの期間を費やして、部の参加者を増やしたという方がよほど説得力があるし、そこでの具体的エピソードも盛り込みやすい。(もちろんウソだって構わない、バレないのであれば)

総じて見るに、どうも彼らはステップを省略し安直結論提示する傾向(ここでは触れないがこれに付随して外部の「答え」を求めようとする傾向も見受けられる。無論そんなものはない)にあるようで、結果として全く説得力を伴わず、「自分」を明確に伝えることに出来ない「自己PR」を作り上げてしまうようである論文は日々書き慣れているにもかかわらず、である

はいえ、彼らがあるいは我々がそういった事態対処する術を学ばなかったかと言えばそうではない。反応は様々であろうが,この国の教育には今なお「読書感想文」というもの存在する。

大学生ともなるとそういう機会もないが、読書感想文を書くことはその実自己内面表現のものであり、なおかつそれを相手に明確に伝えるための文章を書くと言うことでもある。その一方で、「本」というガイドラインがあるので書くべき道筋がわかりやすく、自分の考えに対して何から手を付ければいいのかわからないということにもなりづらくなる。その道筋を通じて、人に順を追って伝えるというということに対してヒントを得ることも出来よう。

もちろんこれは本でなくたって良いわけで、ドラマであろうが映画であろうがゲームであろうがアニメであろうが、なんだって構わない。要するにそれらを通じて自分が何をどう考えたのか、と省みる機会があれば良いわけで、その上でそれを過たず明確に文章化できれば良いのである

そして出来上がったそれらを読み返すことで、自分表現のどこに説得力が足りないのかということも見えてくるだろう。また、人に読ませることを意識すれば、どうしたって多少の見栄も張りたくなるし、あまり好ましくない考え方も書きづらくなるだろう。そういった自分内面他者視線というものバランスよく取り入れた「ウソの付き方」も磨くことが出来るはずだ。一石二鳥である

読書感想文というものがこの国の教育においてどのように位置づけられるか、と言えば、「事象感想意見などとを区別するとともに、目的意図に応じて簡単に書いたり詳しく書いたりすること」と「書かれている内容について事象感想意見関係を押さえ、自分の考えを明確にしながら読むこと」を目的とする授業の一環として行われるという。卑近な例ではあるがこうして見るとまったくそれは必要作業ではなかろうか。これらの中には論文作成方法も含まれ我々はそれを並行して学んでいくが、外側の事実対象とするそれだけでは、我々は「自己内面を誰かに伝える技術を磨く」ことは出来ないのではなかろうか。

確かに自己表現といったものを過度に求める就職活動や、そもそも現実に行われている読書感想文指導法にはあるいは問題もあるかも知れないし、その是非は問われるべきかも知れない。しか教育就職活動といったものから、あるいはこの国の国情から離れたとしても我々が高度に社会性を持ち、他者とのコミュニケーションなくして生活できない生き物である以上、こうした自己を誰かに伝える能力はどのみちどこかで必要になるのである

自己表現に関して正解などない。しかしそれはその技術を磨かなくてもよいと言うことは意味しない。たとえ正解が見いだせないものであっても、コツコツと磨き続けることは思いもよらないところで自らを助けることもある。

その方法論として、今一度読書感想文というものがどういうものだったのかを見つめ直すのも良いかもしれない。

2015-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20150919202550

・とにかく学習指導要領解説読め。「話す聞く」「書く」「読む」で、それぞれ何をどう指導しろと丁寧に書いてる。ぶっちゃけ、それをちゃんとやるだけで終わるくらい書いてある。多分、ぜんぶはできない。

・巷の参考書類とかは糞だから読まなくていい。エビデンスのない本で読んで良いのは、増田の言うようにほんとのビッグネームの本だけ。ちなみに指導書書いてる人間は、真面目に学習指導要領読んでないから、本当のところは役に立たない。

国語には、増田の言うような「実用国語路線(きちんと内容を読み取り、考え、簡潔にまとめて表現する)」と「情操国語路線(感動をベース感性を育てる)」の二つの流れがあるんだが、これは、「どちらか」ではなく「どちらも」だと考えるのが一番分かりやすい。でもって、現実的には、「話す聞く」「書く」「読む」の3領域それぞれ×2(実用&情操)の具体目標を1こずつ、低中高学年それぞれで設定して、1年目は仕込み、2年目で実現、て考えると、やるべきことは見えてくる。

・たとえば低学年ならこんな感じ

 実用情操
話す聞く大きな声でしっかり話す人の話に注意する
書く文法的に正しい文を書く気持ちを表す言葉を使う
読む一定の速度で音読する一冊の本に感動する

国語は、体育と同じでトレーニング大事から、知識も大事だが、実際に眼と手と口を動かす作業を飽きるほど繰り返さないと身に付かない。かといって飽きたらやらないので、飽きないように手を変え品を変え目先を変えながら、実は同じ事を何度も繰り返しやらせるのが大事。たとえば、低学年の話す聞くの力の実用目標を達成させるために、毎日の授業から色々な遊びっぽいことをさせる中で常に「大声でしっかり話す」ための基礎訓練をひたすら2年間やらせる。OK?

・これをやるためには、やらせる側が、目先にとらわれることなく「いま何をやらせているのか」を揺るぎなく把握していることが絶対必要。そこを分からないまま人真似でアレやコレやいろいろな「指導法」だけ取り入れても、効果のあるなしがさっぱり分からないのは当然。

・まあ、国語ぶっちゃけデタラメにやってもそれなりには効果が上がる。それは、体育の時間と称して運動場でただひたすら遊ばせていても、運動きな子適当に走り回って、結局体が鍛えられる。アレと同じ。だから適当にやってる教師でもそれなりになんとかなってるみたいに「見える」…でも、それは「教育」ではない。ただの給料泥ボーだわな。いやしくもプロならば、出来ない子を出来るようにし、自分からはやらない教科嫌いな子を好きにさせて、はじめて胸を張ってお金を受け取れるってモンだろ。そのためには、シンプルかつ具体的な目標をもち、そして、教育の内容だけでなく、教育計画そのものを体系化しなくてはならん。

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