「交流」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 交流とは

2024-02-04

anond:20240204002939

代表的なのはスポーツ系だろうな

自分運動苦手だから参加する気ない

音楽演奏合唱なんかも交流見込める

一緒に趣味やる相手コミュニケーションとる意欲があるならなんでも

趣味のもの目的の人が、趣味サークル人間関係で病んでるみたいな話もいくらでもあるので難しい

人と交流できる趣味が欲しい

何か人と交流できる趣味活動が欲しい。

関東民だからボドゲとか参加しようと思ってるんだけど、他に何か良いの無い?

ブログとか長文書くのは楽しくなかった。

2024-02-03

過去最低収入だった頃の話

勤続3年、隔週週休二日制、当日連絡の休日出勤あり、大体25日出勤、残業月40時間、昼休憩15分(名義上1時間だが食事が終わったらすぐに持ち場に戻る社内規定があった)、営業電話プライベートとは別に用意させられ、費用自己負担

 

額面15万

 

設備積立名義-2万

福利厚生積立名義-3万

社内交流積立名義-1万

税金諸々 -3万

最高手取り6万-携帯代で5万切るかどうか+国保自腹(社保がなかった)

名義上は月給制だけど、遅刻・早退1回につき-1万、有給消化-1万、休日出勤を断ると-2万の罰則規定があった

最低手取りは3万まで下がったことがある

 

辞めればよかったんだが、本当に何のスキルもないし、精神やんでて転職活動もできなかったので、親に金借りて生活してた。

 

勿論、暴言暴力人格否定ハッピーパワハラフルセット精神は更に崩壊し、最終的には玄関先で倒れて救急車に運ばれて2日休み給料日罰金2万の請求書を受け取って、これ以上親に金借りられないので生活福祉資金貸付の相談言って「お前みたいな低収入に貸す金ないから、ナマポ受けろ」って言われて、ナマポを受けて退職した。

 

今になって考えれば、労基に訴えれば余裕で勝てる相手なんだが、先輩も同僚もむしろ社長側についていじめる側に回ってたので、逆らおうと言う気にもなれなかった。

 

そして今は精神病が全く改善してないのに、親に早く社会復帰して金返せって圧力かけられてる。役所結構な頻度で扶養照会送ってるみたいだし、一ヶ月に一回は呼び出されて窓口で早く就職しろって圧かけられる。病院先生にもいい加減甘えるのは止めなさい、あなたよりつらい人はもっとたくさん居るんだからと突き放されるし、人生詰んでる。死にたい

2024-02-02

anond:20240202211704 anond:20240202210350

他人の褌で販管費ってなんだよ、反感費の間違いか

オリジナル作品ならともかく、あくまファンアートで他のファン趣味交流を楽しんだだけなのに寝言言ってんな

 

ただ、まぁ、著作者による著作権侵害裁判ではなかったので、1冊あたり100〜315円の利益を出していることは特に突っ込まれてなかったですわね

1タイトルあたり、300〜2100冊くらい刷ってたみたいなので、まぁまぁいい額だわね

anond:20240202205438

原価であってます。まぁ別に印刷費でもいいですけどね

なお、裁判交通費宿泊費を同人誌の原価に含めるの認められませんでした

まぁ、自分趣味お金を払ってもらって当然とか基地外の発想なので、それはそう

(平成30年(ワ)第39343号 損害賠償請求事件)

即売会への参加費や交通費宿泊費を経費として控除すべきであると主張するが,

原告は,本件各漫画頒布のためだけに即売会に参加するのではなく,他の漫画家との交流や,同人誌の購入等,複数目的をもって参加し,

自身作品頒布しない場合でも参加することがあるから,参加費は本件各漫画原価 に当たらない。

また,交通費宿泊費は固定費であり, 本件各漫画販売数量に応じて増加するものではないから,限界利益の算定 に当たって控除する必要はない。

anond:20240202072026

仕事で忙しいのに友達と会う時間交流を深める時間なんて取れないでしょ

無理な注文だと気がついた方がいいのでは

40歳 友達を作る方法

幼い頃、父が仕事ばかりしてて休日に会う人も同僚や元同僚だから、お父さんは仕事関係しか交流がないんだなって思ってた

今、自分仕事が忙しくて、気づいたら趣味で繋がってた友達とも、学生時代友達とも疎遠になってた

あの時の父の状況がよくわかる

でも今はSNSもあるし、新しい人と交流するのは当時よりも簡単になったのでは?…と思ったが、そもそも仕事ばかりしてるのでSNSに書き込めるようなこともない

習い事を始めてみたいが、定期的に通うことができるだろうか

仕事から離れて友達と言える人を見つけるのは、本当に難しい

学生の頃はまわりにあんなに人がいたのにな

2024-02-01

女性知的障害男性交流できる場を地域

TERF以外のちゃんとした女性達は決して差別をしない。

そのようにブクマでもTwiterでも続々と宣言されている。

そこでこの機会にグループホーム建設反対運動問題となる中

住民一般女性知的障害のある人々。特にTERFからバッシングされた障害男性との交流を進めたいと考える。

本来であれば一般男性も参加すべきだが男性女性に対しても障害者に対しても攻撃的だという。

他の参加者安全を守れない。

男性には最初の機会では様子見として控えていただき

まずは女性知的障害障害男性理解を深めあう。

誰も私に興味はない

SNSをやるのは寂しいからなんだけど、かといってやってみても反応も少ないし私に対して興味を持つ人っていないよなぁと言う感じ

ゲーム理論では「しっぺ返し戦略」といって、利益のために相手のやっていることを模倣するらしいのだけど、

SNSでも「フォローバック」とか「ふだんいいねしてくれる人にいいねを返す」とか言う形でしっぺ返しをしているっぽい

これがめんどくさいんだよね

見ず知らずのひとをなんでフォローバック狙いでフォローしに行くの?なんでつまらポスト社交辞令いいねするの?って感じ

のしっぺ返しについても、誰かが誰かに興味があってやっているわけではないと思う

あと、しっぺ返し以外にも「単純接触効果」っていうのがある

コンテンツを増やせば増やすほど検索される可能性が高まるんだけど、「あ、またあの人だ」という認知が生まれると徐々に好感を持つようになる

これもまためんどくさい

Youtube毎日投稿して何年もそれを続けている人がいるけど、なぜそんなに忍耐力があるのかがわからない

根本的に言って、閲覧者の増加率はコンテンツ面白さによってある程度決まってくるから、私のようなつまらない人間なんて何年投稿しても知られることのない存在なんだよね

そうなるとSNSに求めるのは有名度とかじゃなく、知人との交流とかそっち方面になるけど、知人はSNS積極的にやっていない

SNS積極的に発信する人って意外と少数派

私は地方とある場所にいるんだけど、その地域名でツイート検索しても大したものが出てこない

まり東京にいる一部のノイジーマイノリティ発狂しているのがSNSの正体

そんで、そういう人たちはADHD傾向を持ちがちだったりする

私も「インターネットで何か有意義なことはできないか」といって何年も徘徊しているから、もしかしたらノイジーマイノリティの側かもしれない

結局、インターネットを使っても孤独が加速するだけなんだよなぁ...煩悩即菩提

anond:20240131225617

ギグワーカーではないけど

コミュ障すぎて就職できず、

せどりプログラミング勉強して電脳せどりアプリ開発広告収入)+デイトレで外部との交流ゼロ20年食べてるよ

去年は年収600万ぐらいらしい

誰にでもできるとは言わんが、個人事業主で食えるかどうかは組織で働くとはまったく違う能力なので

勤め人ができないやつに個人事業主なんかできるはずがないなんてことは全くない

2024-01-31

[]1月31日

ご飯

朝:なし。昼:サラダどら焼き。夜:バナナヨーグルトキャベツ大根人参キノコベーコンスープ。沢庵。納豆豆腐。炒り卵。間食:チョコ柿の種

調子

むきゅーはややー。おしごとはむむむー。

環境整備がうまくいかず苦戦中。

プリンセスコネクト

今月のストーリーイベントで極めて近く、限りなく遠い世界レイ様ことシナツが登場。

僕の拡大解釈に過ぎないんだけど

レイ様より劣等感マイナス思考が多いシナツは、ツムギとの交流が無かったの、

逆に言えば僕たちの知ってるレイ様が自己肯定感のあるプラス思考な前向きな性格なのはムギがいてくれるからでもあるのかなって思って

好きだなあってなってる

anond:20240131090218

こいつ絶対女だろwww

男が書いたにしては陰湿だし変わりばんこに送迎してるのに子ども公園クラス友達と遊んでて尚且つ嫁が立ち会ってる時の様子をなんで知ってるの?

おおかたお前はママ友同士の交流でうまく馴染めてないとかで、そのデブ母親が気に食わないか匿名馬鹿にしたかったんだろ。普段から見下してる容姿ネタにしてさ。嫁が窘めてたとか嫁(=自分)は良い子ちゃんアピールまで盛ってて見苦しw

anond:20240131014941

あれらの人々は、遠い星からやって来たと言われています。彼らは透明な輝きを放つ体を持ち、惑星間を旅するために高度なテクノロジーを駆使しています。彼らの知識宇宙の奥深くに根ざしており、星々の間を旅する船は、私たち想像を絶する速さで移動します。

彼らは平和を愛し、他の生命体との交流を大切にしています。彼らの文明科学芸術の融合であり、彼らの惑星では驚異的な建造物や美しい芸術が見られます

しかし、彼らは宇宙彼方から来た者たちであり、時折、彼らの目的意図理解することは難しいこともあります。彼らが地球を訪れる理由や、彼らが我々とどのように関わるのかについて、多くの謎がありますしかし、多くの人々は彼らを畏敬の念を持って受け入れ、未知の可能性と新たな友情可能性を楽しみにしています

セクシー田中さんについて、先生脚本を書かなければ…

芦原先生にとって一番クリティカルだったことは、9話と10話の脚本執筆して、その評価が芳しくなかったことなんじゃないかなと思っています

原作通り・結末は自身指定する」という当初のオーダーを果たすために、脚本家を降板させるという(現場的には)強行にでて、

自身作家性を込めたオリジナルストーリーを描いたにもかかわらず、その評価が芳しくなかった(と本人が認識した)のなら、

作家としてのアイデンティティに大ダメージですよ。私は自分作品を守る為に必死にやったはずなのに、それは求められていなかったと。

このあたりの心情は当のブログ文章から何となく読み取れます

何とか皆さんにご満足いただける9話、10話の脚本にしたかったのですが…。

素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです。

漫画セクシー田中さん」の原稿の〆切とも重なり、相当短い時間脚本

執筆しなければならない状況となり、推敲を重ねられなかったことも悔いてます

9話、10話の脚本にご不満をもたれた方もいらっしゃるかと思います

どのような判断ベストだったのか、今も正直正解が分からずにいますが、

改めて、心よりお詫び申し上げます

https://web.archive.org/web/20240127104246/http://ashihara-hina.jugem.jp/

この先生テキストについて、自分最初内部告発カウンターかと思ってしまったのですが、

本当は経緯の説明執筆脚本に対する釈明だったのではないかと今では思います


脚本を書いて責任を負ってしまった結果、これは自分作品ではないと分断処理も被害者側に立つこともできなくなり、余計に苦しみを背負うことになったのではないでしょうか。


そのうえで、ブログ公表によって意図せずに脚本家を原作レイパーとして全責任を負わせてしまったわけです。

作品を駄目にしたのは自分自身ではないか、そんな感情が渦巻いてる時にこれは、より惨めに思えたことでしょう…。


先生に届けられた脚本家による9話、10話のシナリオは初稿ではないはずです。現場ではOKとされたものが、原作者監修と回されて全ボツになったわけですから現場士気には少なからず悪影響があったはずです。

また脚本家の方は現場に出向いてる様子で、キャストスタッフとも信頼関係にあったことも忘れてはいけません。先生にはブログ記事にあるように、そもそも交流もなかった。

原作権限として、あるいは契約として先生がやったことは正しいのですが、現場感情としては正しくなくて、これが出来栄えにも影響与えたかもしれません。

なのでドラマ打ち上げにも呼ばれなかったとかもありそうで、そういうのもダメージの蓄積になってそうです。


ちなみにドラマの9話、10話の評価に関してはネット漁ればネガティブコメントはまぁあります。ただそれら全体の1割くらいで、最終回まで見た人は概ねポジティブ感想を残している印象です。

視聴率も9話→10から1%低下してますが、これも面白さと直結している指標とは言えません。

ただ脚本家のインスタと併せて、先生責任を感じるには十分過ぎた、という感じだったのではないでしょうか。


まぁ個人的感想で、このテキストには特に意味はありません。

ブログ発表後に「最終回が変だったのはこういう事情があったからなんですね!」なんて無邪気に投稿してる人もいて、自分先生立場だったら本当に死にたくなるなぁっと思った次第です。



ブコメ返答追記

原作設定を大幅に改変しまくった脚本だったから仕方なく書いたという流れなのに、原作者が望んで書いたのに、みたいな前提になってないか

芦原先生脚本を書かなれけば放送できない状況ではなく、誰かに書けと圧力をかけられたわけでもないようです。

消極的選択だったのでしょうが作品の為に自分が書くと決断したんじゃないでしょうか。

から余計にシンドくなってしまったんじゃないとか、そういう感触です。


・本件は原作者が要望をだし、その了承の下で行われるはずの実写ドラマ化だったはずなのが全く守られなかったのが問題

脚本降板して原作者が出るまでいかないと駄目な程の制作体制がまず問題なんだけども

問題点については異論ありませんし批判必要でしょう。

ただ制作中の作品において、その問題が表出している場合貴方先生立場だった場合どういう行動を取りますか?

芦原先生は正面から必死に戦った結果、「正解が分からなかった」と吐露しています

とても難しい状況だったと感じます


追記

もう触れないほうがいいかなと思っていたのですが、最後に少しだけこっそりと。


本件に関しては今なお延焼していますが、原作映像化の構造、あるいは原作者と脚本家と対立に関する議論に完全にシフトした印象です。

ですが、これは心を痛めた人間が死んでしまった事件であり、自死に至るまでの心の機微に焦点が向けられていないことは素直に悲しく思います


芦原先生がどんな気持ちを抱いていたのか、それが明かされる日はこないと思います

からといって先生の心情や作品を透明化してしまうのは、なんともな感情が抱いてしまます

ですが、このエントリブコメトラバなかには、先生に対する心情や心労に対しての洞察も多数あり、

自分とは異なる観点で書かれたそれらは、大変価値のあるものだと思っていますコメント残してくださった方々、本当にありがとうございます


先生がなぜ「攻撃たかったわけじゃなくて。ごめんなさい。」というメッセージ最後に書いたのか。

そのことに各々が思いを馳せることこそが、一番の再発防止に繋がるのではないかと信じたいです。

2024-01-29

Mensa会員になって5年ぐらいったったので印象まとめる

自分: 地方でその地域に住んでるMensaの人たちと交流ある程度。公式例会みたいな東京で会員集めて色々決めるみたいなのは行ったことないし、委員会みたいなのもかかわったことないレベル

あんまり変な人はいない

少なくとも変なテスト高得点出した人っていうフィルタをした割にはやばいやつ遭遇率は普通社会と大差ない印象だった。

ただいないわけじゃないし、昔委員会で色々トラブル起こしてる人もいたみたいだし、人間関係トラブルはあると思う。

その辺は人がそれなりに集まればそうよねという感じ、超少数の地方とかでなければ避ければいいだけなのでそんなに問題いかなという印象。

雰囲気理系っぽい?

理系じゃないから知らないけど理系の人が多いし、落ち着いてる人が多い感じがする。

自分体育会系だったので言えるけど、少なくとも体育会系のノリみたいなのはなかった。

意外とコミュニケーション取ってくれる人が多い

例えば県外から出張できたMensaの人を交えて飲み会するとか、定期的にそういう場を提供してくれる人とか。

ただこれはそもそもMensaでの集まりほとんどはMensa運営企画するわけじゃなくて個々人がやることなので、集まるのが能動的に人と関わりたい人になるからかもしれない。

実際オリエンテーションで見かけた人たちの8割ぐらいは見なくなった気がする。

ボドゲ楽しい

自分にとってのMensaはほぼボドゲを遊ぶための場になってる。

個人的ボドゲカフェみたいなところに単身突撃して入れてもらうみたいなのハードルが高すぎるので、ボドゲ遊びたい人にはいコミュニティかもしれない。

連休でみんなで泊まり込みで重めのボドゲしようといっても集まってくれる人がいたりするので本当に助かる。

---

結局のところただの人の集まりしかないので、共通趣味をうまく見つけて遊べたら友達もできるし楽しいという感じ。

Mensa会員という話はリアルでは誰にもしていないし、運営側にもかかわる気はないので、うまく使えば友人が作れたり趣味を共有できたりする便利コミュニティというのが自分の印象でした。

ただ個人的にこれはすごく大きくて、社会人になってから家に遊びに行ったりするレベルでの友人はMensa経由でしかできていないので入ってよかったなと思います

職業の幅も広かったり趣味の幅も広かったりでいろんな話がきけるのもいいです。印象深いのはお坊さんの話と世界一周した人の話かな、研究者の人とかもたまにいるけどむずすぎて何言ってるかわからないという。

anond:20240128233538

知らない人となんかを一緒にやる集団に入って、そこで仲良くなるのが板よ。

 

社会人クラブ活動

オタクサークル交流

ネトゲ攻略メンバー募集 

そういうのから、気があうようならただ飲みにいくだけとかで会って、面白ければまた別件でも誘ったりする。

学生のうちはそれが簡単なのは、「同学年クラスメイト」「部活動」という鉄板集団自然にできるからやね。意識して同じことするだけだ。

 

あっ、ただお前や昔の俺みたいな奴は、自分から誘うのをサボりガチからな。

向こうから誘ってこない……ってことは友達と思ってくれてないのか……とか考えてたらダメだぜ。気を付けよう。

軌道だった中学時代、どこから始めたのか記憶がないけど、会員制SNSmixiとかではない、特定趣味の人が登録して交流しているやつ)とTwitterでめちゃくちゃ沢山友達作ってた

一部の友達とはSkypeIDを交換して、スカイプチャットグループに招待してもらって、毎日他愛もない話をしていた

年賀状交換が一つ文化としてあって、繋がりの薄い相手でも、声をかけて住所本名を交換して(今思うと恐ろしい)年賀状を交換した。学校では友達と呼べる人は2,3人しかいない自分だったけど、ネッ友のおかげで100枚以上の年賀状が自宅に届いていた(し、自分でも送った)

そんな自分だけど、いつしか痛い中学オタク卒業して、どんなタイミングだったかは覚えていないけど、それらのSNSから完全に手を引いた

かといって元々学校での友達も2,3人程度しか作れない人間だったから、その後高校大学でもろくに友達は作れず、途中でメンタルを病んで人間関係をリセットするなどしてしまって、今友達と呼べるのは3人くらい

たまに中学からネッ友で〜、みたいな人を見かけると羨ましく思う

自分もあの時ネットから消えていなければ、まだ交流を続けることができていたのだろうか

あのときスカチャに誘ってくれたアスカたんのことを未だに覚えている。初心者すぎて、PCを落とす前にグループチャットから抜けてしまった私を再度招待してくれた。元気だといいなぁ

2024-01-28

anond:20240128031950

ちょっとネガティブすぎるなーと思うけど、実態としてはそんな感じなのかな。

リベラルの人たちは能登についてしばらくちょっと黙っててほしい

という話だけど、

「馳さんは外のもんにいじめられて可哀想や」

能登の暗いところばっかりニュースにしていやらしい」

これを能登人間が言っている事実についてちょっとは考えてくれ

ない想像力を働かせて考えてみる。

谷本県政時代から引き続く工業団地などの企業誘致北陸新幹線。そして延伸へ向けた馳知事の尽力、などなど。

こうした地域経済振興観光アピール公共事業、過疎対策をいろいろやってくれたからなのかな。県政評価は高いと思う。

県民しては、とりわけ28年も知事を務めた谷本には強くお世話になった感が強いのだろう。

でも谷本さん自身は当初、革新政党系の支持を受けて初当選したというのをさっき調べて知った。当時、森喜朗推していた農林族の対抗馬を破った経緯もある。

2003年能登空港の開港小松空港国際線就航などは、森喜朗が尽力したといわれているけれど、谷本とは不仲だったという。

2022年谷本知事引退の際に、再び新たに農林族の山田出馬することになり、保守分裂という事態に陥ったが、森喜朗自分が育ててきた馳を推すことに決めた、という内容の記事もさかのぼってみた。そして行政側は第一次産業への理解が厚い山田を推す動きがあった一方、谷本事実上、馳に自分の後継として信を託したという記事もみた。

そう考えると、保守王国石川県というけれども、一枚岩じゃなかったけれども鋭く対立もしていなかったというのも今後の復興を考えるうえでは、いろいろと興味深いと思った。

そんなところへ、ワイドショーやらSNSで、インテリ風吹かせた連中が、能登限界集落は遅かれ早かれ滅びる運命だったのが早まっただけで

この際、復興過程では、そういうところを切り捨てて優先順位をつけるべきだ、とかいう雑な議論が耳に入ってくると、それは地域人間としてはイラっとくるのかもしれない。

想像だけど。



余談ーー

また初動に関して、「馳知事はよくやっている」論も、わからなくもない。

馳氏は谷本県政時代に後回しにされていた地震被害想定など、災害リスク軽減のための取り組みを見直そうと着手していたことは事実で、

今回の震災に間に合わなかったいうのは事実だとしても、馳知事だけの責にするわけにはいかないだろうと思う。

あと、今回初動の遅れの原因のひとつとして、石川県北陸地整が本来事前に取り組むべき道路啓開計画が未整備だったという指摘もある。

総務省は去年の段階でいくつかの地整や県に対して是正勧告を出していたから、いくら県政2年目の新人知事といっても知ってはいたと思う。

これって建設業者など指名業者と事前協定をし、迅速に予算執行するうえで超重要なんだけど、結果としては後回しになってしまった。

ただ、去年から道路啓開計画に着手していたとしても間に合わなかった可能性が高い。

そういう意味では、馳知事はよくやっている、あんまり叩くな、という県民気持ちはわかる。

一方で、発災直後の対応外野があれこれ批判しているうちに、交通インフラ問題は解消しつつあり、あれよあれよという間に復興モードスイッチが入っていく。

復興初期段階のスピード感というのはものすごく早いので、初動の問題はいろいろあったにせよ、そんなことの検証にあまり時間を割いている余裕はなく

これからがれきの処理やら広域の自治体間協力も必要になってくるなど、馳知事には復興の手腕が問われることになる。

という感じであるので、震災後一ヵ月になろうとしているこのタイミングでは、

県民もっとポジティブに前向きに物事をとらえたほうがいいんじゃないかと思う。

多分、震災3か月後には初動の失態なんて議論過去のものになって、もうしていないと思う。

disられていじけて、保守ますます保守に、というルサンチマン丸出しのネガティブスパイラルもわからなくもないけど、

からと言って、何も知らない外野がわーわー騒ぐのは止めようもない。ましてやネット空間なんて。

しかし、外野意見なかには、今後国や行政がどう動こうとしているのかのヒントもあるのも確かなはず。

そこは地元人間だけではルサンチマンを越えられないかもしれないけれど、災害復旧のプロセスで入ってくるさまざまな他者民間支援企業だったり、NPOだったり、コンサルだったり)との対話の機会が今後増えてくると思う。

よそからきた民間経験などを踏まえて、外部の冷静な視点意見を再整理してゆく、ということもまた大切と思う。

そして、実際、国や行政復興モデルに着手し始めると、とりわ予算をつけることが前提となると、行政としては長々と議論してもらいたくないので、予算執行を急ぐのが世の中の常。

復興公営住宅にしても行政が「これならすぐに着工できますが」と提示されたものから復興が進んでいくなかで、ただでさえ経済的に苦境に陥っている被災者に、地域を出てゆくか、受け入れるかの二者択一で選べという形で行政主導が突き付けられる、というのが東日本の教訓としてある。

しかスピード感のある復興とか国や県はかっこいいことを言い出すに決まっているので、恐らく震災半年後くらいには被災者決断を迫られる。え?そんなこの状況でまだ決断できない、という被災者も多かろうに、行政は「受け入れるひと、この指とまれ方式なので、行政提案を受け入れた人だけが救済を得られ、地域を出て行った人はどうなったか統計すらないというのが実態となる。

それこそ、発災直後はヒーローみえていた馳知事が、復興期には被災者に苦渋の選択を急がせる役人顔をするかもしれない。

心理的メカニズムとして馳はヒーローだというマインドがどんどん強固なものになって、ますます保守保守していくなかで、次に復興の話がやってくる。

ルサンチマン的な心理的メカニズムから解脱して悟りを開いている人が何人か周りにいればいいんだと思う。

そういうことの萌芽を、今の時点で何も知らない外野がわーわー騒ぐ言葉の端々にちょろっと見出せることがあるかもしれない。

先日、被災地域ではようやくボランティア活動が本格的に開始されることになった、というニュースをみた。

外部の人間がこれからわんさか入ってくる。これまで入っていただいていた100くらいのNPO団体も含めて。

そのなかには、東日本含め、過去復興経験を持つ人も多くいるはずで、そういう方々と交流をする機会が増えるんじゃないかなと思う。

外部の人間玉石混交で、なかには、インテリ風な意見を持つ人もいるかもしれない。

間垣の里なんてどうでもいいんだよ、堤防なんだよ生命安全第一なんだよ、とかね、中にはいるかもしれない、例えばだけど。

そういうときに、その意見ちょっと違うよね、と言ってくれる人もまた外部の人だったりするので、不協和音のなかだからこそ貴重な意見も拾える。

そのときに、いちいちルサンチマンに陥っていると、聞く耳をもたなくなって、聞けるはずの意見にも耳を閉ざしてしまうことにもなりかねない。

はいっても、これといってどうしようもないことかもしれないけれど。

被災地の人にはこのままルサンチマンを深めながら一方で公助への依存を強め行政から提案を待っていると、

最終的にあんまりいい結果にならない気がするので

玉石混交の外部の人が入ってくる機会をチャンスととらえて、復興の話を進めていったらいいんじゃないかなと思う。

2024-01-26

anond:20240126183251

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

 〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法である。これは、山口和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。

 私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法からの流れの中で位置づけるべきだと考える。

 同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊合憲化(57)、③日本経済的地位に見合った国際貢献必要性、④国連軍国連警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリスト武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から護憲立場から改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである

 同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲である。同提言軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから北朝鮮中国軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラル過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである

 佐藤が語る、愛国心必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである佐藤饒舌から私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。

 馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事平和維持活動において殉死殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊追悼施設必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。

 ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツ独自イラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたかである。翻って日本場合多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国国際社会理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。

 元国連職員吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍軍事活動積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである

 なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実国際政治の中で、山川ソ連侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。

10.おわりに

 これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮アルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略植民地支配反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的保障する国家先進国主導の戦争積極的に参加し、南北格差固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である

 大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派大国路線に対抗して、日本経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪補償必要とした路線が、東アジア諸国民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合破綻といった状況に規定された、リベラル左派危機意識から生じている。九〇年代東アジア諸国民衆から謝罪補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本私たちが、進んで過ちを正しみずから正義回復する、即ち日本利益のために」(69)(傍点ママ歴史清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争植民地支配可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立リベラル左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である改憲後、蛹は蛾となる。

 ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル左派意図的計画したものと捉えているわけではない。むしろ無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力からあいもつあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治立場から期待されている人物統合象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴人物の未分性という日本政治特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディア追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリスト発言力を確保しようとする学者、無様な醜態晒す本質的には落ち目思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからあいもつれあって」、集団転向は進行している。

 ところで、佐藤は、「仮に日本国家国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家同胞日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまたからには、自国国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間異端者扱いするのが目に見えている。

 この佐藤発言は、安倍晋三首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族配慮するという意図からだろうが、アメリカ一丸となって事件対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである国益からむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)

 文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ総連弾圧をめぐる日本言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したこと物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本リベラル左派安倍政権ときに敗北したのである

 〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである侵略植民地支配過去清算在日朝鮮人人権擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア世界平和にとって大きな災厄である(73)。

改憲戦争国家体制拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア知識人等を徹底的に批判すべきである

(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。

(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。

(3)ただし、編集者佐藤右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。

(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。

(5)インターネットサイトフジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37

金光翔 『<佐藤優現象批判

インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載

目次

1.はじめに

2.佐藤優右派メディアでの主張

 (1)歴史認識について

 (2)対北朝鮮外交について

 (3)朝鮮総連への政治弾圧について

3.佐藤優による主張の使い分け

4.佐藤優へ傾倒する護憲派ジャーナリズム

5.なぜ護憲派ジャーナリズム佐藤を重用するのか?

 (1)ナショナリズム

 (2)ポピュリズム

 (3) 格差社会

 (4)「硬直した左右の二項対立図式を打破」―〈左〉の忌避

6.「人民戦線」という罠

 (1)「ファシズム政権樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤擁護する

 (2)「論壇」での生き残りを図るために、佐藤擁護する

7.「国民戦線」としての「人民戦線

8.改憲問題と〈佐藤優現象

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

10.おわりに

1.はじめに

 このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。

 だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディア排外主義のものの主張を撒き散らしている。奇妙なのはリベラル左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。

 佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場記述検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。

 「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動共鳴する特定編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチ共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社カラーや論壇の左右を超えて小さなリスク共同体が生まれ編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞社会面を中心に、従来型の検察官邸主導ではない記者独自調査報道が始まる。」「この四者(注・権力民衆メディア学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論公共圏形成していく。」

 馬場見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点であるある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義体制下の護憲派が、イスラエルリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。

 以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮武力行使在日朝鮮人団体への弾圧必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的ものである。「戦後民主主義」が、侵略植民地支配過去とまともに向き合わず在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象しか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。

 私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤右派メディアで主張する排外主義を、リベラル左派容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在ジャーナリズム内の護憲派問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。

 馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である佐藤自身は自ら国家主義であることを誇っており、小谷野敦言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本右翼なんか一人もいない」。

 佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店朝日新聞出版物では、排外主義ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?

 この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。

2.佐藤優右派メディアでの主張

 まず、佐藤排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。

(1)歴史認識について

 佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本ロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立日清戦争日露戦争引き起こした。もし、日本ロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮にらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージ金正日に送るのだ」。朝鮮植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのもの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢反論することは当然のことだ。」と述べている。

 特に大川周明テクスト佐藤解説から成る日米開戦真実大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本近現代史に関する自己歴史認識開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である

 「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国アメリカイギリスによる植民地支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種棲み分け理論である日本人はアジア諸民族との共存共栄真摯に追求した。強いて言えば、現在EUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカ日本妥協を繰り返せば、結局、日本アメリカ保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民活動家の眼には、日本列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリスアメリカはつけ込んだ。日本こそが中国植民地化と奴隷支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。

 右翼たる佐藤面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。

(2)対北朝鮮外交について

 佐藤は、「拉致問題解決」を日朝交渉大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエル国権侵害でもある。人権国権侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在北朝鮮ミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義選択肢には戦争問題解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題解決」においても、戦争視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。

 さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮米ドル札偽造問題が、アメリカ自作自演だった可能性が高いという欧米メディア報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカ情報源情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証根拠も示さずに(反証必要性を封じた上で)、「北朝鮮情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤現在右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。

(3)朝鮮総連への政治弾圧について

 佐藤は、「在日団体への法適用拉致問題動く」として、「日本政府朝鮮総連経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネス利益を得ている勢力牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。

 漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件摘発拉致問題解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮日本交渉する気にさせるのが警察庁仕事。そのためには北朝鮮資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関民族学校などへの強制捜索に理論根拠提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。

3.佐藤優による主張の使い分け

 排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。

 佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。

 一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループサイト上での連載である地球を斬る〉では、「慰安婦問題をめぐるアメリカ報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的立場から日本政府謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題 Permalink | 記事への反応(1) | 18:32

作品は興味あるけど人となりはべつに興味ないんだよな

凄い尊敬してる作家がいてもその人の作品は興味あるけど生い立ちとかどういう人生を送ったのか、、みたいなところに興味が持てない

どういう家に生まれて、どういう人生を送って、どういう人と交流があって、、みたいなところを知れば作品に対して理解が深まるっていうことはもちろん理解してるけど

その作品としての純粋さをそのまま受け取りたい、みたいな感覚が勝ってしまってその背景まで理解したいと思えない

その作家がすごい人であればあるほど人間性とか人生についてとかの本も増えるけどいまいち読む気になれない

大学サークルで揉めて命の危険を感じて恐喝に屈した話

とある増田を読んで何故か連想的に思い出してしまった大学時代のクソムカついた記憶を供養させてほしい。

俺は大学時代ボードゲームサークル所属していた。

だいぶ昔ってかボードゲームってもんが今ほど比較ライト趣味になる前のことだったので、まあサークルにはクソオタしかいねえ。

で、サークルは主に3派に分かれていた。典型的ボードゲーム(例えばカタンとかモノポリーみたいなやつね)を遊ぶグループMtGメインのグループTRPGメインのグループだ。

各派は別に揉めたりしてなかったし、今週はMtGの気分だから俺そっちで遊ぶわ、くらいの緩さで各派間の交流というか人の行き来もあった。

※「次の土曜日にこれとこれとこれやるからどれに参加するか選んでね」という感じのサークル内の予約制だった。

派閥というか実質別サークルみたいなもんだったんだけど、当時の大学システム的に、大学のスペースを抑えるためにひと纏まりになってる方が効率が良かったのよね。

サークル会長副会長書記って役職は一応あったんだけど、そんなサークルから本当に事務連絡係みたいな感じで、クソオタの集団の中で比較コミュ力があるとか事務作業ができる奴が役割押し付けられてる(投票制で否応なしに指名されていた)ってのが実態だった。

俺は2年生の時に副会長指名された。サークル内の役職とこれから登場人物は以下のとおりだ。

何があったか伊達のせいでサークル方針で揉めた

伊達が各派閥単独サークルにしようと言い出した。だったら伊達が主にMtG派閥の同じ思いの奴らを集めて抜けてくれればそれで良かったんだけど、自分ではそういうことをせずに、分かれたあとにどうするのかとかを全部、小西と俺とうどんで決めて報告しろ手続きもお前らがやれ、みたいなことを言ってきたわけ。

で、すげえくだらない言い争いみたいなのは2カ月くらいあって、最終的には小西と俺とうどんとで話し合って、結論としては伊達を除名・サークル出禁にしようということが決まった。

俺はアホ丸出しで、その時点で小西伊達が付き合ってることに気付いていなかった(何故かだいたい二人並んでサークル会場に現れるな、くらいにしか思っていなかった)。

除名・出禁を決めた翌日午前3時

一人暮らしだった俺の部屋の固定電話が鳴った。

固定電話にかけてくるのなんて親くらいしかいなかったので、何か緊急事態かと俺は飛び起きて電話取った。

伊達「おう、小西から聞いたけど俺を除名するんやって?」

伊達じゃねーか!(前会長なのでメンバーの住所電話番号を知っていた)

伊達「お前勇気あるなあ? お前の家の鍵くらい俺が開けられるってわかってるよなあ?」

普通恐喝である

今にして思えば普通警察相談すればよかったわけだが、まだ実際に事件発生してないのに警察対応してくれんのかな? てのが当時よくわかんなかったし、ぐ警察相談しても伊達が自宅に来る方が多分早い。

もし自宅から逃げ出しても、伊達が入り込んでたりするかもしれないという恐怖心はガチで俺は本当に震えた。

そして泣いて許しを請った。俺は伊達恐喝に屈したのだ。今思い出しても人生で最も屈辱を感じた瞬間ワースト3に確実に入る。普通に思い出して本当にムカつく。

伊達「優しい俺が、お前の家に侵入するとかするわけないやないか(笑)

とか言いやがったんだぜ、あの野郎

その後

約1年後に、結局、ボドゲ派とTRPG派の8割くらいを俺が引っこ抜く形で、俺が別のサークル立ち上げた。

伊達は「俺が逃げた」と認識していたらしく(いやまあ事実そうなんだけど)、やたら機嫌が良かった。

そもそも小西うどん経由で「あいつが仲間連れて出て行ってくれたらええんやけどな~」とか伊達が話していると聞いたのでそうしたのである

その後のその後

伊達大学を6年かけて卒業し、小説家になるとか言いながら小西に養ってもらっていた。

男女のことなので他人がどうこう言うもんでもないが、何で小西伊達のことをそんなに好きだったのかよくわからない。普通に他にもっといい男いただろうと思うのだが。

風の噂レベル伊達小西結婚して子供も産まれた的な話を聞いた。憎まれっ子世に憚るってこういうことかと思った。

なんというか、自分に対して悪意を持ってて本人がその気になれば家に侵入できるっての、本当に怖かったよ。

2024-01-25

若手芸人オタク自分アカウントでつぶやかなかったつぶやきを放流

まっちゃんの件は個人的にはm1とkocと水曜日さえ続くのであれば問題ない気がしてきた。自分世代ちゃうし好きな芸人ダウンタウン信者とかじゃなさそうだし

TLに流れてくるオタクたちのこの件へのツイート倫理観とかより結局はもともと好きだったかどうかでスタンス変わるよなあという感じ

今回ポリコレぶって怒ってる人の中にも、例えばパーケンが捕まったときはそんな反応じゃなかったよね?という人もいるし、もし粗品あたりが今後やらかしたら同じこと言えないだろうねって人もいるし

粗品がやらかすと思ってるって意味じゃないよ、粗品ごめんね)

自分まっちゃんにも優しくなれないし、被害訴えている女の人たちにも優しくはなれないな、まあでも「事実無根」はないでしょとはおもう

あと小沢だけかばっているオタク多いけど、小沢っていうほど性的な面で「小沢さんだけはやってないに違いない」って妄信できるタイプか?

若手芸人オタクって意外とポリコレ意識高いことを自認している人多いけど、結局は自分好き嫌い価値判断変わるってことは自覚しておいたほうがいいと思うよ


吉本鎖国している件、別に今回だけじゃなく昔も神保町芸人がムゲンダイにすら出られないみたいなことあったしまちゃん云々よりただ定期イベントが起こっているだけな気もする

川瀬名人がさっき「ネットで言われてる理由と本当のは違う」的なの匂わせてたし

そもそもK-proライブとかは数年前からまた出られなくなっているしな

個人的K-proはここ数年あまりよく思っていない(なんでかは書かないので、私怨と思ってもらっていい)から別になんとも思ってなかったが、全て出れないとなるとさすがに異常だと思う

ただ、自分の好きな芸人に関してはこれちょっと得なんじゃないか、というか

というのも、ここ数年吉本と他事務所交流が盛んだったのって、結局大学お笑い出身吉本芸人大学時代の仲間を呼んだりしてそっからコミュニティ作り上げたってのが大きいんだけど、自分推しはその輪のなかにいる人とたちではないのでそこでなにか利益を得られる身分じゃなかったわけですよ

からこれから事務所呼べなくなったときに、空いた穴に推しが入る可能性は全然ある、というかこうなることが決まった以上好きな人たちが利益を得られるよう祈るしかないってのはあるが

芸人以前の経歴で踏める場数が変わる現状、正直あんまりきじゃなかったからね、しょうがないと思ってたからそんな意見発信したことはなかったけど

吉本で固まるのと学生時代サークル仲間で固まるの、本質は一緒だしそしたら吉本はそりゃ自分利益になりそうなほう選ぶよね

あとこの話題で「他事務所」って言葉にキレてるオタク、あれ何?吉本の話してるんだからその他の事務所は他事務所問題ないやろがい


・なんかずっと裏垢で吉本批判してる某芸人、なんであの人裏垢でやってんの?

忖度せずに言ってやるぜ」スタンスなら芸人名でやってるアカウントでやったほうがいいよ

まじでなんで裏垢でやるのか、本人なりの理論を聞かせてほしい、これで「自分事務所の人に怒られるから」とかならウケる

さっきミュートしちゃったから最新のツイート見てないが、さっきおすすめツイートで「このアカウントではこの人格でいく」的なこと呟いてた

いやそっちは人格分けてるつもりでも見てるほうは同一人格として見るからね?「裏垢での発言が気に入らなくても表の芸人人格は愛してほしい」みたいなのは通らないんだけど、本当にわかっているんだろうか

あと「10年前に吉本スカウトされたけどやばい事務所と思って断った」話してるの何回か見たけど、あれ普通にシンクロニシティ批判と思っていいの?


芸人オタク始めた学生のころは吉本しか知らなかったから「吉本世界一悪い事務所」くらい思っていた(芸人、平気で所属してるとこの悪口うから)けど、途中違う事務所芸人オタクとかもやって「結局完璧事務所などなく『みんな違ってみんな悪い』な」というところに落ち着いた

結局管理する側も人間から、もうしょうがないんだろうね

そもそも芸能って人を売ってんだよ、そんなの異常なんだから

から芸能界が正常化することもお笑い界が正常化することもないと思っているし自分自身はあまり倫理観が高いほうではないからそれでもいいかなと思っている

まあでもつぶれてほしいわけじゃないしつぶれないためには今の世の中に適合する必要絶対あるから吉本君には頑張ってほしいよ、ほんとうに

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん