はてなキーワード: 賢明とは
ようやく解ってきた。今は時間無いので短めに。
自分は、米国韓国台湾日本アジア某小国含め、色んな層や色んな分野の人間と接してきたので、割と多くの人を観察してきたという自負はあります。そのうえで、
言葉は、人となりの考え方が出やすい。あなたの文章からは、賢さを感じない。
(私の賢さの定義は、知識の広さや深さ、洞察力や論理的思考能力、いずれか1つ以上がある事が最低限の前提条件です)
学者の友人も、馬鹿ったーは流石に使わないけれど、FBやmixiでネットスラングをよく使う。内容も十分真似てね。しかし、スラングであっても、学識ある人間とそうでない人間のスラングには、やはり違いが出る。
「自分は賢くないのに、非論理的相手に対して、馬鹿だ非理性的だと批判する」
こういった言動は揶揄されて当然と思うけれど、そこに自覚は無い?
どうしようもない人間の単なる酔っぱらいのクダ撒きならば無視したのだろうけれど、自分が賢いと思って書いているのなら、一言いってみたくもなってくる。
ルソーのプレゼンや小論文で上位と言われても、賢さの証明にまったくなっていないし、その事に気付かない時点で賢くないと断言してもいいと思う。今後、口外しないことをお薦めします。
酔っぱらいのクダ撒きするような人間では、きっと賢明な人間は避けるでしょう。まずは、その性格を直した方がいいと思います。
以上、感想まで。
元増田だ。
なんていうか斜め上っていうか斜め下の反応で悪い意味で予想通りって感じだ。
コレは橋下の戦いじゃなくて大阪府民の戦いだったってことをよく思い出してね。
で、なんでこういうしょうもない発想によく考えずに乗ったのかっていうのもよく考えてね。なんだったら反対側というか大阪自民が「ノーサイド」って言った意味を理解したほうがいいよ。
要は、しょうもないんですよ。大阪市民からすれば、改革するって言って改革できなかったことも、いや、それでも慎重に考えるべきだ、なんだったらプラン名まで変更まであるぞ。って今更言われることも。
「昔っから言ってた」なんてのはもう聞き飽きてるんです。でもって、本来なら反対の方が多い戦いだったんです。
それなのに賛成を増やしたのは他でもない、大阪自民が寄り付かなければならなかった、共産やらの烏合の衆が作り出したアホみたいな広告やチラシなんですよ。アレと一緒なんですよ、与党は。
それに、ここまで書いてて橋下マンセーな訳ねえじゃん。なんだったら賛成にさせた後やめさせてやりたい気持ちで一杯なんですよ。むしろ任期終えてやめてくれるならそれでいいんです。そのままTVにも出ずに消え去って欲しいくらい。それくらいの失態を演じてきたんですよ彼は。
維新をいい気にさせて、その鼻っ柱をへし折るか、それとも反対に入れて与党の肩を持つか、どちらかしかないかな、と思っているところに今回の結果なんです。
維新が鼻っ柱へし折られたのは勿論のこと、大阪府民が馬鹿と呼ばれてもそこに寄らざるを得なかった部分を与党は理解しなければならんのですよ。なんせ、投票に行った半数はこのままの大阪ではいけないと確信、もしくは誤解しているから。
そして反対に入れた層に生活保護は関係ないじゃんって言ってるのも変な話だ。
だって住所が変わるなんてのは生活保護者にとっては一大事だからね。老人もそれは同じ。だから反対する。
そして、潜在的に存在する西成区への差別も見えてこれたのは良い部分だったと思う。
だって健全な街にするにはあの街の孕むシステムは厄介すぎるから。
で、弱者を切り捨てるも範疇には入れるけど、意見を聞こうとしている辺り救済が視野にあることを察そうな。
それこそ自分自身の問題なんだから、自分自身で立ち上がる気が無いならYESマンにでもなっておいてもらわないと困る。
余裕が無い。って思ってる周囲にいるんだからそこから抜けないと余裕がない人の肘にぶつかって死んじゃうよ。人数が減ろうと、減る分食い扶持が増えるなら本当に減るべきなのよ。
だけど、それは望まれるべきじゃないの。だから、そこから立ち上がる人だけ這い上がってきてもらわないといけない。それを示しているのよ。
生活保護ってそんなに楽じゃないのくらい誰だって理解してるよ、もう。
だけど、人権、とか、生きさせてほしい、っていうなら本気で生きてもらわないと。
国が潰さなくちゃいけなくなるんだし。
そういう意味で老人は問題外にしている。むしろ外さなければならない奴等だけど、なんというか、ほっといても死ぬじゃん。彼らって。どれだけ恨み言残しても、70歳以上の投票が今回の反対を呼び込んだと思わせたことは、若者はその恨み言に対して「なんか言ってるけどようやく死んでくれたね」って思わせる力を持たせられたんだし。そういう意味では遺恨は残らないのよ。停滞したものと心中したくないしね。
弱者を切り捨ててるでしょ?じゃあそんなに大阪っていい状況だったのかな?生活保護者数ワースト1位だぜ?なんでそこまでかまわなきゃならない?それは全国区でも言えるだろ?なんでこいつを助けなきゃならない?ってずっと言わなきゃいけなくなるんだよ。
だから、生活保護者は、若年層は、救われなければならないんですよ。どうしてもどうやっても無理な人は本当にいなくなってもらうしかない。マスコミや政治家が僕らに見せてきた不景気はその答えを出すのにうってつけの問題だからね。
元の方でも書いたとおり、大阪市民であれば察しが付くようなことを理解してない辺り、ただ投票に行った馬鹿か市外の方でおられることは間違いないね。
だから、本来「おどれらが気にするような問題でもないんじゃボケ」と罵って終わるようなところを、「じゃあ君の県でも同じようなことが起きたら君の周辺は無論賢明でおられるんだろうね」と問い掛けて終わらせてもらう。まぁ賢明な敬君らの住む地域なのだからとても賢明な方々によって地域が守られているのだろうと思う。どこかの共産主義に尻尾を振ってしまうようなことも無く、しょうもないセクハラ騒動も無く。県民が長や知事を支持しているようなところに住んでおられるのなら。
あ、そう考えると名古屋都が最高かもしれんね。
これはひどく狭い世界の話だ。
要するに、
創作関係のコミュニティで内輪揉めを引き起こして、
結局なにひとつ現状は変わらなかった、というだけの愚痴だ。
数年前からそのコミュニティに参加し始めた。
「コミュニティの一生」というコピペがあるが、
あれでいえば俺はちょうど面白い人とつまらない人が入れ替わる、
その一番最初に来たつまらない人、という位置だろう。
当時はにぎわっていた。
最初にその場を耕し、育てあげた人々はみな何らかのノウハウがあった。
意外にも、本来いるべきその道の専門家は少なかった。
むしろ優れた部外者たちの試行錯誤やぶつかり合いが場を育てた。
たとえるなら、
トランペットを小学生の頃から続けてきたベテランが、
その経験を活かしてセンスある創作料理を次々と生み出すようなものだ。
それほどに無関係な分野の人たちが、
「その道の専門家」を圧倒する勢いで傑作を生みだしていった。
自分は以前“その道”に近い場所にいた。
だからはじめ、彼ら先駆者よりも自分の方が優れたものを生み出せると、
そんな驕った考えでその場に近づいていった。
そして打ちのめされた。
最初の半年か一年くらいは、彼らの生み出した言語の習得に追われる日々だった。
夢のように充実していた。
彼らは小手先の作法などでなく、本質を素手で掴まえようとしていた。
最盛期は「いかによりよいものが作れるか」と夜な夜な語り合い、
酒を片手に垂れ流すようなバカ話も交えつつ、
時には場を凍らせるような尖った言い争いを起こしつつも、
全体としては実りある技術論をしていた。僕にはそう映っていた。
みんな、過去の話だ。
やがてある時から、人の気配が減り始める。
そのコミュニティがどこまでも膨張していったが、
筋違いの非難や関係者への人格攻撃も増えていった。
先駆者たちの多くは、そこらで別の居心地良い場所を探し始めた。
自分も彼らの後を追ったり、まだ元の場所に居着いていたり、
あるいは全く別の場所に触れてみたりしつつも、
心まではコミュニティから離れられずにいた。
衰退以前から、コミュニティ関係者の間ではSNSが普及していた。
SNSは確かにコミュニティ活性化の起爆剤ではあったが、
同時に終焉へと向かう引導でもあった。
当初の目的を外れた雑談や日常生活での愚痴などが空間を占め、
居心地の良い場所となっていった。
そこは創作行為をしなくてもぬくぬくと過ごせる場所に変わっていった。
世代交代はゆるやかに進んでいった。
かつての先駆者たちが作り上げた傑作に魅了された、新しい作り手もやってきた。
だがすでにそこは見えないルールでがんじがらめとなっていた。
尖った作品、極端な作品は叩かれ、無難なものだけが場を占めるようになった。
それどころか、作品の評価と作者の評価が混同されはじめ、
「SNSで良い顔をしている作者は叩かれない」という
あまりにも本末転倒した状況が生まれつつあった。
コミュニティから生まれた作品を保管するサイトの運営もまた、世代交代した。
以前の運営はコミュニティ参加者とは一定の距離を保っていた。
必要最低限のことしか話さず、任務を遂行していた。
運営が引退すると、別の参加者が次期運営に名乗り出た。
それから運営が交代し、ついにSNS参加者の手に運営が移った。
その運営は作品への非難を許さず、すべてに全肯定で返した。
作者の人格をキャラ化してSNS上での人形遊びにかまけては、
作者と作品の安易な結び付けを積極的に促した。
作品非難に対しては、その質を問わず断固たる態度で臨み、
場合によってはアクセス禁止を断行した。
ユートピアによく似せたディストピアがゆるやかに形作られた。
以前はどうだっただろう。
かつてはつまらないものはつまらないと叩かれ、
時には手ひどい長文バッシングやアンチのストーキングさえも起きていた。
だが、それは間違いなく健全な場所だった。
飛び抜けて優れたものが絶賛を超えた絶賛を受け、
見るに堪えないものはこっぴどく叩かれる。
だが、そうした歯に衣着せぬやり取りこそが、
本当の意味で作品に触れることでもあったのだ。
現在、そのコミュニティには酷評も絶賛もない。
悪いものには反応がなく、
よいものにも「お疲れ」「よかった」程度の寒い拍手が並ぶ。
中身を見てなどいないのだ。
現在でも本当に飛び抜けて優れた作品が生まれるが、
参加者にそれを賛じるだけの語彙がない。
この語彙というのは単なる辞書的な意味ではなく、
作品を底の底まで見抜く目と、それを素直に口にする心意気だ。
今は作品ではなく、生身の人間としての作者との馴れ合いが優先される。
彼らは何を作り上げるかではなく、儀礼で作った愛着にしがみついているのだ。
私はコミュニティにとって老害だ。
本当はすでに別の場に片足どころか重心まで移しておきながら、
さらに当時のコミュニティで腕を奮っていた作者たちをそこに呼び寄せながら、
こうして元居た場所を憂う資格など、本当はないはずだ。
けれども、もし、と考えてしまう。
もしこの場で、
かつてのように良いものを良いと、悪いものを悪いと言えたら。
言える人物がいたら。
まっとうな評価があれば、少しは何かが変わるだろうか。
風を起こせるだろうか。・・・そんな夢物語を考えてしまう。
ディスコミニケーションが極右思想をそそのかしてしまう。
そこで、修羅の仮面を被ってみた。
最盛期よりも過剰に、気に入った作品を絶賛し、
逆に気にくわない作品を立ち直らせぬほど叩き潰した。
実作評価とコミュニティ評価の乖離した作品は許さなかった。
借りてきた怨念を込めて、身体に空く穴もいとわず、
保管庫とその運営に向けて呪いをぶちまけた。
耳に入る同志たちが影でささやいた恨み辛みを糧に、
自分が真っ先に身をなげうって、
「健全な精神」の持ち主が後に続く道を切り開こうとした。
もちろん、そんなことで現状は何一つ変わらなかった。
今でも参加者はいちゃいちゃと馴れ合い続け、
自分の酷評に対しては見当違いな人格非難で憂さ晴らししてやり過ごし、
彼ら参加者は己の手で愛すべき土地を汚して踏みにじっていることに気づかず、
ぬくぬくと余生を過ごしている。
恥知らずにも、その手は未だに僕や出て行った人々にまで向いている。
突き返して叩き落としても、彼らに言葉は通じなかった。
反吐が出る思いだ。
だが、祖国に泥を擦り付けたという点では、自分もまた同罪かそれ以上なのだ。
先駆者たちは正しかった。
何もせず、すっと離れる方が殉教などより遙かに賢い選択だった。
中でも先陣を切った人は、コミュニティの樹立どころか、
人が集まる気配すらも避け続けているように見える。
根無し草というより、難民のような様相だが、
己の創造性や価値観を守るには賢明な選択なのだろう。
作品の質云々も、手前の好みにすぎないと言われても反論しきれない。
現運営が理想主義者の皮をかぶった独裁者であるのと同様に、
自分もまた、ある種の独裁的思考の持ち主にすぎない。
「ユートピアを語るものは、そのユートピアでの独裁者である」
そんな言葉を何度となく噛みしめる。
ちょうど一連の出来事は、例のISILの事件と同時期に起こっていた。
比べるのもばからしいほど規模の違う話だが、
テロリストになるとはこういうことなのか、と共感してしまう自分がいる。
僕はもう諦めてしまった。
例のコミュニティから距離をとりつつも、へらへらと生きていくのだろう。
死んでいく老兵の遺言として、この文章をのこす。
さあ、四月から新生活だ。
がんばるぞ
だが、ここでメールクライアントを立ち上げて、なし崩しに仕事になだれ込むようでは、真の仕事人とはいえない。
始業前はね、誰にも邪魔されず、自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ。
マグカップに注いだコーヒーの香りを静かに吸い込む。いい匂いだ、タマラナイ。
そして、おもむろにマインスイーパを起動し、無心に地雷を発掘する。
マインスイーパで、考えながらマス目を開けているようでは、まだ初心者である。
やりこむことにより、だんだん反射的に開けられるようになる。
そう、賢明なる読者はお気づきかもしれないが、瞑想中とゲーム中では似たような脳波となるのである。
マインスイーパは社会人にとって必須の瞑想ツールといっても過言ではない。
id:xevra 先生はさぞかし名のあるマインスイーパーであることだろう。恐ろしい恐ろしい。
毎朝きっちり10回マインスイーパをトライして、コンプリートした数、平均タイムスコアを手帳に付ける。
これを習慣化することにより、標準的な自分のパフォーマンスを可視化することができる。
できる社会人は、朝の時点で当日の自分のパフォーマンスを把握しているもなのだ。
また、はてなーの諸君は、人気エントリーに上がってくるライフハックを日々実践されていることと思う。
だか、それらのライフハックの効果を客観的に把握しているだろうか。
○○でテストに受かった……○○しなくても受かったのでは?
○○で体調がよくなった……気がしているだけでは?
もはや、マインスイーパによるパフォーマンス可視化の効能は繰り返し書くまでもないだろう。
そう、ビル・ゲイツはマインスイーパをWindowsに標準装備することにより、世界一の金持ちになったのだ。
午後3時、人によっては人間火力発電所になっているかもしれない。
だが、ここで一度仕事にブレークをかける。焦るんじゃない、俺は腹が減っているだけなんだ。
少量の甘味を取り、軽く体操して気分をリフレッシュしてマインスイーパを起動する。
午後のこの時間に自分の集中力はどの程度残っているか。それによって残業の方針を考える。
いたずらに長時間働いてミスを連発しては本末転倒である。ミスを挽回するには大きなエネルギーが必要だ。
集中力を切らして仕事をするくらいなら、何もしないほうがよい。
ゲームの地雷を避けられないものに、リアル世界の地雷を回避できるわけがないのだ。
まだ読んでるか?
はてなには結構お人好しが居て、前にちょっと食いつめた奴(あなた程深刻な状況ではない)が銀行口座を晒したら、現金を振り込む奴が以外なくらい居たりしたんだ
だから、できるならあなたも住所と名前(ペンネームでいい)を晒すといい
今より状況が悪化することはないだろう
自分も貧乏だが、すぐ食べられて保存もきく多少の食料とかビタミン剤の類い、それに小遣い程度の金なら送れなくもないし
文章から察する限り、暗証番号やパスワードが思い出せない、問い合わせの方法が分からないってのは鬱状態ぽいし
それだけじゃどうしたって色々足りないもんは出るからね
ともかく、良かったら住所を晒すんだ
追記
契約社員や派遣社員が3年を目処に正社員化しなければならない。
その業界は飽和状態で役員人事で殿様から天下りしてきて居座ってるからプライドが異様に高い。
そこの系列がやってるある事業が世界でもトップシェアを誇る日常必需品を作ってる所なので
内実は違う。
正社員の役職者が大半が仕事しない癖に横柄な人間で、一生懸命仕事してる契約・派遣に毎日のように
モラハラ・パワハラするのに、何故か給料は平均年収換算で600万円程貰ってるのに対し、
契約たちは多くて250万円程度の推移だ。
比較的経営が安定している反面、こうした露骨な格差構造のせいでいつも契約・派遣が苦労している。
そのせいか、転職会議や2ちゃんねる等には怨嗟の声が日々書き込まれてしまっている。
とはいえ、労基は十分守られてるし、福利厚生にしても労働組合が会社より強いのでそこは問題ないが。
平均月収額は、フルタイムで12万から13万程度の基本給に残業代プラスなのだが、それでも15万に満たないのが現状だ。
しかしながら、残念な事にこの会社は系列が潤っている影響でいつまでも殿様商売が適ってしまっているために
国営企業だった頃の名残りからか例え契約・派遣が離れて行っても後からそのような現状を知らない夢のある若者たちが
大量にやって来るため、大量離職しても全く困らないのだ。
5種類5個食べました。
美味しかったですね。
劣化版ミスドなんていう叩きがネットの暗部に散見されますがそんなことはないです。
値段は1個100円。高くも安くもないと思います。
強いてアドバンテージを挙げるなら『近さ』でしょうか。
近所のセブンイレブンでいつでもドーナツが買えるなんてデブ歓喜じゃないですか。
というより、ドーナツに差なんてあるんですか?
今回ドーナツ5個食べて得られた知見は「ドーナツは油っこくて甘い」ということです。
特に3つ目からはフードファイトで、ブラックコーヒーを飲みながらなんとか完食した次第です。
目つぶって食べたら味の違いなんか分からないんじゃないでしょうか。
ドーナツの食べ過ぎでブクブクに太って死んだプレスリーも、ドーナツの味にうんちくを垂れていたとは思えません。
ガソリンスタンドに併設されたクリスピークリームドーナツなんか典型ですが、あれは貧困層が食うジャンクフードだよね。
このほど私がドーナツ5個完食できたのは一重にコーヒーのおかげです。
口内の糖分と油を中和するのにコーヒーが活躍するのですよ。焼き肉と烏龍茶みたいな関係です。
今やプログラミングといえば、Webなどで使われるような高水準スクリプト系言語中心のアプリケーションプログラミングが主流だ。
そんなこともあり、もはや以前の低レベル言語によるシステムプログラミングの苦労など、タダの昔話である。
そこに来て、実際は齧った程度の分際で、性懲りもなくそんな昔話を書いてみる。
少なくとも10年位前に自分が手がけた(押し付けられた)仕事はそうだった。
大学で初めて触ったC言語しかもポインタ分からないで止まっているような奴に、電文の再配信プログラムを任せたのだから。
客は「遅延が絶対許されないシステムなのでJavaとかPerlとかはやめてねー」とにこやかな笑顔かつ笑ってない目で注文してきた。
このうちC++は、Java経験がある自分からしても仕様が膨大かつ複雑すぎて、とても手に負えないと感じ、必然的にCで書くことに。
勿論Cの言語仕様がKR本一冊で収まるほどコンパクトであっても、それが簡単であることを全く意味していないというのを開発早々に思い知らされたのだが。
あ、Cと言えば電文提供側の機関が受信用のスケルトンプログラムを一応は用意してくれていたが、どう見ても電文受信中に接続が切れた時のことを考慮していない内容で、全く参考にならなかった。
コード書きにおいては、例え一人屋台の俺ルールであろうが、コーディング規約のようなものは絶対に必要である。
その時のルールは「gccのオプションに"-Wall"を入れた状態で、Warningゼロになること」にしてみたが、その途端、日付変更線をまたがない限り退社できない生活が始まった。
というかオブジェクトを使えないだけでも地味に辛いのに、更にCの言語仕様はコンパクトである以上に原始的と言っていい代物で(だからWarningは基本無視できないのだ)、しかも言語仕様以外の環境依存要素が山積していると来たもんだ。
そんな言語でシステムコールだらけのコードかつ複数のファイルディスクリプタの同時監視(即ち非同期でノンブロッキング)しかもマルチプロセスでシグナルもあるよ!とか、お客さんは俺を殺す気か、そもそも完成させる気無いだろとか、今だったら思う(当時はそう思う余裕もなかった)。
仕方なく最初のKRに加えて「UNIXネットワークプログラミング」をわざわざ東京に出かけてまで買って読み漁った。
後にも先にも、古今東西の名著と呼ばれるような本を、泣きながら読んだのはこの時だけだったりする。
そこまで凄い良書なのになんで絶版になったんだか。
いかし、それでも「子供を殺しても死なない」、かなり前の処理での領域破壊のせいで突然プログラムが止まっちゃうなどなど、やればやるほど問題が出る。
シグナルを受信し、仕様のとおりに処理するのがこんなに難しいのか!と途方に暮れたこともあった。
そして途方に暮れても解決の手段になるような便利なツールもなければライブラリもない。
結局、「ある程度正しく動いたら、あとは出来た所まで」で勘弁してもらってようやく開放されたが、今でも当時の自分の仕事ぶりには全く満足していない。
無駄に頑張ったというか、頑張っただけの仕事であり、折角低レベル実装というCの本領発揮分野の案件でありながら、スレッド、malloc()、可変長引数は遂に習得できなかった。
こういうプログラムって、どうやったら正しく動かせるんだろ。
このような経験を経て、後年、Cやシステムプログラミングを指してギークな人々が
Cはとても高効率ですし、マシンのリソースもドカ食いしません。残念ながら、Cがそれだけの効率性を実現するには、あなた自身が低レベルのリソース管理(たとえばメモリ管理)を手作業でやってあげなくてはならないのです。それだけ低レベルコードがあると、複雑でバグも起こりやすいし、デバッグですさまじい時間をとられることになります。今日のマシンはずいぶん強力になっているので、これは通常は悪いトレードオフです――マシンの時間を少し非効率に使っても、あなたの時間をずっと効率的に使う言語を使うほうが賢明でしょう。
本物のプログラマはアプリケーションプログラムなど書かず、まっさらな金属板にゼロから書き込んでいく。アプリケーションプログラミングなど、システムプログラミングのできない弱虫のすることだ。
あと、あれほど苦手だったポインタについても、「ポインタが理解できないと永久にC初心者」というのを嫌でも理解した。
あれはギターのFコードやSEALsのヘルウィークみたいなもので「習得できなかった者にとってはキャリアの終わりを意味するが、習得できた者にとっては始まりですらない」ものなのだ。
・・・で、これだけで終わってしまうと本当にタダの黒歴史だが、これには少しだけ嬉しい後日談がある。
それから数年後、やはり電文転送系のシステムで、かつて自分がCのソロプレイでこなしていた規模の数万倍はあると思しき超大型案件に助っ人の「兵卒」として参加したのだが、そこはインプラとアプリでチームが分かれており、アプリ側だった自分は
「配列とポインタと構造体しか使わないで済むなんて、なんて楽な仕事なんだ!」と左うちわでのんびり過ごし、しかも高評価をいただいて帰ってこれた。
量産化と中華圏の頑張りで、デスクトップよりノートが安くなってしまいましたね。
ただ、ノートも分解修理マニュアルがPDFで転がっていたり、iFixitやYouTubeや好事家のサイト見て、ネットでパーツ買えば修理できちゃうんですよね。
それに買ってから時々新しいパーツに入れ替えて騙し騙しデスクトップ使うより、新しいノートまるごと買っちゃった方が安上がりだったりするんだよな……
DTP,DTMなどでの利用、お絵かきフリーク、宗教上の理由がなければWindowsですね。
拡張性があって色々できるところが計算機の良さじゃないですか。だから窓がジャスティス。
あと、8.1はみんなが言うほど悪くない。Vistaみたいに重くはない。軽快さは7と同程度で、ファイル操作は8.1の方が速いくらい。欠点はモダンUIが使いにくいことだけ。
サポートライフサイクルと次期Windowsへの割安(ひょっとしたら無料)アップグレードを考えれば7ではなくて8.1にすべき。
Chromebookもあるにはある。Googleが頑張っているおかげで、リリース直後よりアプリケーション充実してきた。俺、一年以上前から持ってるよ(個人輸入)
でも、窓ノートが2~3万円でリリースされるようになってきちゃって、Chromebookの最大のウリ『安さ』が霞んできたことは否めない。
ユーザーに勝手なことされたくない、集中管理したいみたいなニーズに今後Chromebookは応えていくのかな。学校への一斉導入とか。
あと、デスクトップ版Linuxは安定性良くないのでオススメしない。
技術革新の加速で製品の陳腐化が速くなったので、『安い端末を短いサイクルで買い換える』方針が賢明です。
『15万のPCを5年使う』のと『3万のPCを毎年買う』のなら、後者の方がお得。
ゲーミングPCとか動画エンコしまくるとか、極端に負荷かける作業しないなら安いので十分。
最近のPCはローエンドでも普通に使えちゃうんだよな。ただし中古はやめとけ。
持ち歩くならA4,1kg以下が欲しいです。多少諭吉が殉職しても、小型・軽量のマシンにすべきです。
おうち据え置きならまぁどうでもいいよね。
【総選挙2014】みな勝手に投票すればいい http://politas.jp/articles/282
を読んだ。あずまんが、「白票投じる」とかいうゲロ吐きそうな意見を取り下げたことは喜びたい。そして、小選挙区、自民。比例区、社民だそうだ。結構なことだ。彼の本はそれなりに愛読していたので彼に失望しなくて済んだ。
それにしても、今回のタイトル(=結論)を見るに、あずまんは選挙がもともと「みな勝手に投票すればいい」ものだということをよく分かっていなかったらしいということに驚いた。どんだけ自意識過剰だったのか。また、ブクマで共感を表す人が多いことにも驚いた。みんな、自分の投票行動で世界が大きく変わるとでも思っていたのか? そして、「よりよい未来を選択するために、戦略的にベストの行動を全員がとる必要がある」とでも思っていたのか?……とんでもない勘違いで、それこそ危険極まりない思想だ。大体、みんなが熟考して最適解が本当に出るなら、全員同じところに投票することになるではないか。そんな政治判断、危険極まりないではないか。そんな危険な状況を回避するための「民主主義」なのではないか。
「民主主義」が、事実として最低の政治体制であるにも関わらず、我々に他の選択肢がないのは、「愚者でも政治に参加できる」という方法が現状このほかにないからだ。つまり、民主主義とは愚者の集団が国家を運営するための唯一最善のシステムなのだ。あずまんが言うことはごく当たり前のことであって、国政に対しては、国民一人一人はどれだけ熟考しようと事実上愚者同然であることは明白だ。だから、一人一人の投票行動が最適であることなど、民主主義は期待していないし前提もしていない。むしろ、一人一人の投票行動は最低であってもいい、情や直観は大歓迎だ、そんなことは、最初から織り込み済みだから……というのが、当然のものの考え方だ。馬鹿でも集まればそれなりの判断ができる、そして、判断はいずれ下さなきゃいけない、だから、自己の判断に最低限の責任さえもつなら(あとで「俺は投票しなかった」なんて言い訳さえしなければ)、馬鹿は馬鹿なりに投票してよい。当たり前の話だ。それが民主主義だ。最初から分かっていることだ。だから、白票も棄権もダメなんだ。
そんな話を、大の大人が(しかも相当程度教育水準が高いはずの人々が)分かっていなかった、ということに今回衝撃を受けた。教育の問題か、哲学の問題か、文化の問題か。おそらくその全部だろう。とりあえず、「民主主義ってなんなの」ってことは、最低限、学校でもう少しちゃんと教えた方がよいと思う。「多数決」という最悪中の最悪な方法が許容される根拠も含め。
今回、あずまんは小選挙区で自民の候補者を選んだ。支持政党ではないが人間を見て選んだという。なるほどそれなりに合理性があり賢明な判断だ。その人を選んだことの責任だけは、今後数年間自分の中でかみしめればいいと思う。結果として、自民の興隆に手を貸すことになって後悔するとしても、「選ばなかったもんね」とか「白票を投じたから知らないもんね」という人間の偉そうな物言いより、ずっとずっとマシで評価できる。そして、比例区では社民を選ぶという。これも、少数派の選択ということで、大変結構なことだ。自分の主張に一番近い政党を選んだということなのだろう。社民に入れたことで果たして彼の主張が実現される可能性はコンマ1パーセントでもあがったのか否か、いろいろ葛藤もあるかもしれないが、それでも選んだということだけを忘れなければそれでいい。主権者としての責任を果たしたと言える。
ちなみに、かく言う自分は、たぶんあずまんとはいずれも違う選択をするだろう。それでも、あずまんが一人の大人として選挙に臨んだことは本当に嬉しく思っている。この文章は、ブックマークを見つつ、あずまんと同じような葛藤を抱えている人が一人でも多く投票に足を運んでくれればいいと思って書いた。この文章を読んで、「俺は投票しねえ」と思ってる人の心に、それでも少しでも何かが残れば、満足だ。
ミステリ小説の謎解きですら明快に推理できる人は稀少なのに、現実世界の複雑な問題を論理的にきっちり論じることができる人などそういるものではない。
きっちり白黒つけられないから、まくしたてや暴言や決めつけで何とか押し切ろうと双方必死で見苦しいことこの上ないが、それも仕方の無いことなのだろう。
特に、不特定多数の見識か思考力のない人だらけの場においてはなおさらである。
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例えば、ある人物がある行動をとってそれが悪だと叩く人が出てきて、その是非を争う対立が起きる。
裁判のプロセスを見ても分かるように、是非を正確に判定するには証拠事実を入念に集めなければお話にもならない。
1つの証拠だけで善悪を断定できることはまず無いものと思ってよい。もしそんなものがあると思ったとしたら、そこには何らかの思い込みが隠れている可能性が高い。それは賢明なるミステリ読者の諸君ならばよく分かっているであろう。
多くの場合、沢山の証拠の中から選ばれたいくつかの証拠の思わぬ組み合わせにより決定的な結論が導かれるものである。
また、別の多くの場合では沢山の証拠をどのように組み合わせても完全には誤謬が否定できない。このように蓋然性が最高なだけで断定はできない場合、まくしたて等の力技を使われ敗北を喫することも多い。
都立大で大学院の入学希望者のレベルが下がったらしく、先生たちはWEBで基本的な文献リストを提示するまでになっている。
全てのことはわからないが、身近なところでもそういう感じを受ける。
いわゆる駅弁大学の大学院は中国人とか外国人ばかり。旧帝大レベルもそうなりつつある。東大京大には日本人はいるけど、修士で辞める人は増えたし、高齢の人も一部いる(かつてはゼロだった)。
都立大は中国人留学生を入れるということをしてこなかったのか知らないけれど、日本人だけで定員を充足させようとしたらどうしたってレベルは下がる。
少子化に加え、大学院に行っても就職できないというポスドク問題が大々的に言われるようになり、賢明な学生はさっさと就職する。うぬぼれが強かったり世間知らずな学生が大学院に進もうとする。
ポスドク問題が言われて久しいけれど、たいていの人は大学院生の自己責任だ、と大学院生を責める。一般の人達だけではなく、大学の教員でもそういう人は結構多かった。
大学としてはポスドクのキャリアセンターみたいなのを作って(文科省からお金をもらって)、先生のコネで専門性は?な人を雇ってキャリア支援をして、とか形ばかりやってきたけれど、あまり有効であるという話は聞かない。キャリアセンターで働く人たちの雇用は生まれたけど、本当にキャリア支援がしてもらえたポスドクや大学院生はほんの一部。私の知り合いの多くは自力で行き先を探してどうにかこうにか入ったという状態だ(世間で言われているほど就職できない状態でもないように思う)。
つまり、ポスドクのキャリア支援はまともに行われず、大学院の悪い評判が広まり、学生が集まらなくなってレベルが低下したということで、それは大学院生に自己責任だと責めた人達(大学の先生や職員も含み)にブーメランで返ってきたということなのではないかと思う。このまま大学院生が減れば、大学院の先生たちは定員を減らす(予算が減る)か、レベルの低下を受け入れるかどちらかを迫られる。それはFラン大学と同様苦渋の選択だし、どちらにせよ痛みは大きい。もう少しまともに大学院生やポスドクの未来を考えていたら、ここまでにならなかっただろうに。何かおかしい、筋の通らない組織からは人がいなくなり、力が低下する。そういうものだ。
どんなに偉くなっても権力を持つようになっても、自分のやったことは自分に返ってくる。偉くなる可能性は低いけれど、気をつけようと思う。
借りていた本の返却、並びに予約図書を受け取るために図書館へ行ったのですよ。
開館10分前に着きました。
入り口の前に2人ほど人が並んでいたので何となく、旧東側で「とりあえず行列があったら何の配給か分からなくても並ぶ」みたいなメンタリティで私も後ろにくっつきました。
で、5分くらい経ってからふと後ろを見ますと、私の後ろに20人くらいの人が並んでいるのです。
私「ふぇ?」
〇〇コミュニティーセンターみたいなところじゃなくて、面白おかしいサービスは少しもありません。
私「なんですの……これ?」
こんなにぎょうさん人がおる理由はとんと分かりません。
入館後オロオロしていたらカウンターに列ができ、私がその最後尾に並ばされることは必定でした。
賢明な私は開館と同時に、スターティングゲートが開いた瞬間の競馬馬のようにカウンターに向かいました。
私が返却した本にピッピッとバーコードリーダーを当てるカウンターのオバちゃんを横目に見つつ、私は後ろに並んでいた20人の所在を確認しました。
私「ふぇ?(2回目)」
ついさっきまで行列をなしていた人々は……
をしていました。
自称教養主義者である私は怒りに打ち震えたのですが、どうにもしようがありません。
え? お前が偉そうにいうな? へい、すんまそん。
特にイケダハヤトなんかに影響を受けたような、意識高い系(笑)の若者はIターンなんかしないほうが賢明である。絶対に後悔することになるから。
首都圏・中京圏・近畿圏以外はとにかく仕事が無い。いや、厳密に言えば選ばなければ仕事ある。
例えば介護、ホテルや飲食、建設土木業などはどんな不景気な地方都市でも仕事はあるし、年間休日80日のブラック営業なんかの仕事はいくらでもある。
しかし意識高い系のやるような仕事、WEBとかIT系の技術者や広告代理店などはもちろん無いし、電機や自動車メーカーの工場の現地採用は給料のやすさの割に競争倍率が高く、とても就けるものではない。
あなたがまだ第二新卒でMARCHか駅弁大学を卒業したぐらいの学力の持ち主でコネがあれば、市役所や県庁、あるいは地方銀行や地方紙、ローカル局などに潜り込めるかもしれないが、それらがないならやめておいたほうがよい。大卒でも東京の高卒初任給レベルの給料で使われるのが落ちである。
イケダハヤトはクラウドソーシングなどを活用してフリーで仕事をとれというが、残念ながら東京の発注主は東京近郊在住のフリーランスにしか仕事をよこさない。あったこともなければ、いざとなった時にあうのに莫大なコストがかかる人物に仕事を頼むほど、世の中のクライアントは甘くないのだ。
さて、ある程度妥協してそれなりの仕事についたとして、今度は職場に不満を持つことになるだろう。こう言っちゃなんだが、地方というのは全体的に仕事のレベルが低い。
例えば仕事外部に発注するときに優先するのは、単価でもクオリティでも納品スピードでもなく、地縁やら血縁やらコネやらまず人間関係が優先される。たまに地方都市でコピー機やら光回線やら広告枠やらを飛び込みで売っている営業マンを見かけるが、彼らは首都圏の2/3ほどの給料を首都圏の1.5倍の苦労をしなければ稼げないのである。
そんな調子なので、仕事をしている連中のレベルも低くなる。地方のエリートが集まっているはずの地銀やローカル局ですら、いわゆる「都落ち」みたいな連中が多く、やたらエリートぶって威張るくせに仕事ができない連中がのさばっている事が多い。
「都落ち」以外では、いわゆる一度も地元から出たこともないような、本格的な世間知らずも多く、こいつらもはっきり言って仕事のレベルは低い。レベルが低い上に、他人の足を引っ張ることに情熱をす注ぐので、ますますレベルが下がっていく。彼らにとって仕事は何かを作るとか、何かを成し遂げるとか、そういう目的ではなくただ時間だけいて給料をもらう行為なのである。
エリートどころか、そこら辺のショップの店員のレベルもはっきり言って低い。注文したものを何日も連絡もされず放置されたり、間違えられたりなんてこともよくある。おかげでネットでしか買い物をしなくなるのだが、今度は配送員のレベルの低さに悩まされることになる。
Iターンを目的とする連中は、東京で疲れたとか田舎でのんびりとかそんな理由なんだろうけど、はっきり言って地方は給料が安い上に休みも少ない。下手すれば労基に引っかかるような求人がまかり通っていたりする。
あなたがもしIターンを画策していたなら、Iターン先のハローワークの求人をネットで見ることをおすすめする。一例として、とある県のバス会社の求人情報をここに引用してみよう。
求人広告内容 ・乗合路線バスの運転業務・就業時間内での6時間前後の運転(バスの運行時間により出退勤時間が変ります)*大型2種免許がない方でも養成いたします。*正社員登用あり(採用時45歳以下の方で、約1年半の期間を経て審査となります)※大型2種免許養成期間(9日~3週間)の賃金は時給675円となります
募集資格 保有資格:普通自動車一種運転免許(AT限定可) 経験について:不問 学歴:不問
勤務地 **県**市、**県**郡**町、**県**郡**町
勤務時間 変形 1ヶ月単位05:30~01:30の間の7時間程度(残業月10〜20時間程度)
休日 5働1休を基本とした勤務割*有給休暇は、入社2ケ月後より付与となります 年間休日:66日
給与 日給月給 a 基本給(月額平均)又は時間額150,400円~150,400円
b 定額的に支払われる手当a + b150,400円~150,400円
c その他の手当等付記事項拘束手当他20,000円~60,000円
勤務待遇 加入保険:雇用 労災 健康 厚生 通勤手当:実費支給 上限あり 月額:6,500円 マイカー通勤:可会社敷地内に無料駐車場あり 定年制・再雇用:なし 育児休業取得実績:あり 入居可能住宅:
上記の求人は大体月の休日が平均5〜6日(良くて隔週、下手をすれば週休1日)で、月の労働時間が残業が有った場合250〜260時間、手当を含めても手取り20万行くか行かないかというところである。ちなみにこのバス会社は去年事故連発で行政処分を何回も食らっている。
こういう、ウンコ見たいな求人が当たり前のように転がっているのが地方都市である。年間120日休めて、手取り300万円を超える仕事はないと思った方がいい。イオンに入っているようなショップで、年間休日105日で、手取り200万円代といったところか、これでもマシな方である。
もっとわかりやすい話をすると、北東北の県庁所在地のファストフードの時給は680円、東京都中央区のファストフードの時給は1200円である。
「そうは言っても物価は安いだろ」と思うかもしれないが、安いのは家賃と生鮮食品だけである。イケハヤなんかは一戸建てが1万円で借りられるぞとアジっているが、築60年で上下水道なし、10年ほど前に老夫婦が他界して以来空き家でほとんど廃屋なんて家にあなたは住みたいだろうか?そういう家に住もうとしてらリフォームが必要になるし、浅築物件だとせいぜい東京より2割安い程度の家賃になる。
更に地方は自動車必須になるので、自動車本体とその維持費がかかる。走行距離も伸びるので、保険料・タイヤ代・オイル代で大体年間40〜50万円ほど、もちろん車本体は別である。そのせいか、東京じゃまず見かけない2代目マーチや初代デミオ、5ナンバー時代のカローラやすでにモデル自体が生産されていないサニー、車検が通るかどうかも怪しい軽トラ軽バンが走っていたりする。
更に東北や北陸などの場合は、光熱費がかかるので結局家賃や食料品の部分で浮いた部分を引いても、生活費は東京と変わらないぐらいとなる。
イケハヤが「近所の人が野菜をくれる」なんて嘘を言っているが、よそ者にくれる野菜などもちろん無い。秋田県には上小阿仁村という、よそ者の医者を老害がいびって追い出し続けている、絵に描いたようなクソ田舎の無医村があるが、はっきり言って首都圏以外近畿圏以外の地方都市はあれよりマシという程度の排他性である。名古屋や京都ですらあやしい。
あなたが豊臣秀吉や田中角栄や水無灯里級のコミュ強で、地元の消防団に入団したり、知らないばあさんを病院へ送って行ったり、知らない爺さんの葬式に出たりすることが苦痛でなければやっていけると思うが、意識高い系には無理だろう。地元の消防団はマイルドヤンキーみたいなのがゴロゴロしてるし、ジジイやババアは不条理な存在である。
ちなみにドラゴン桜の三田紀房も、岩手県へのUターンに一度失敗し漫画家デビューして再上京している。
よく「何の能力もない人間は東京になんかこないで地方でおとなしくしてろ」的な言説を見かけるが、むしろ逆である。バカとブスは大げさかもしれないが、平凡な人間こそ首都圏で仕事して生活するべきである。確かにブラック企業や倒産寸前の零細企業の労働条件は、日本全国どこでもいいものではないだろう。それでも、首都圏では地方都市に比べればそういうハズレ会社に当たる確率は大幅に低い。少なくともウンコみたいな労働条件で、事故と行政処分を連発するようなバス会社は、東京では存在すら許されないのだ。
何も東京都港区や千代田区で生活しろということではない。埼玉県所沢市でも東京都町田市でも、神奈川県藤沢市でもいい。大都市圏にいる人は頑張ってそこで生活すべきだし、駅弁大学の若者は一度大都市圏で生活してみるべきだし、大学から首都圏に出てきた若者は、そのままそこで就職したほうがよい。国は地方再生など諦めて、都市化をもっと進めるべきである。
結構気合を入れて書いたのに、全然トラバもブコメもつかなかくてがっかりしてたらいきなりホッテントリ入りしてびっくりした。
いやいや、お前のほうがいい加減だろ。こっちは地方のハローワークの求人状況と家賃相場と公共交通機関のダイヤとか、人口動態統計ともろもろの地方経済統計データとかを調べながら書いたのに、そんな特殊な成功例を2個あげられてドヤ顔されても困る。島根県海士町とか徳島県神山町とかDMMとかそういう「地方で成功した企業」とか「成功した町おこし」の裏には、ウンコみたいな地方零細企業と失敗した役所の町おこしの屍が山のようにつまれてるんだから。
ちなみに県庁所在地レベルならITの仕事もなくはないが、技術レベルがアレなSIerか東京に本拠を置くWEB系企業のオフショアセンターみたいなのになる。もちろん薄給激務。技術も身につくかどうか微妙。そういうのも含めれば、無くはないといえる。
[アンジェラ]
容姿は端麗だが、そのことに自信を持つ、
周囲を出し抜くことしか考えていない。
逆に言えば、ネトウヨが性的な願望ばかりを露出していることの象徴でもある。
[ディンゴ]
アンジェラと行動を共にする青年であり、ネトウヨをたしなめる知識ある常識人。
ネトウヨとの対比とするならば、彼は中庸の存在と言えるだろう。
自らが正しいと主張し続けるのである。
この物語における真の主人公であり、ネトウヨとは対極の存在である。
彼は非常にユニークで知性に富んでいて、
前述のディンゴが彼に興味を持つことも、さもありなん。
そんな、ネトウヨが嫌悪する彼が何の象徴であるかは、最早語るまでもあるまい。
彼らはそこにい留子とを許された、選ばれた存在だと思い込んでいた。
たまに外部の人間が現れ、
を投下していくのだ。
そんな"デマ"を貼ったアカウントを特定し、アク禁することだ。
曰く「現実世界に行って"荒らし"を直接指導してこい」とのこと。
ネトウヨとしての承認欲求の高い主人公は、すぐに部屋を飛び出していく。
ネトウヨが幾ら"世界の真実"を語ったところで、なんの関心も示さない。
しまいには、引きこもり続けていた身体が普通の生活にもついて行けず、
体調不良で倒れるほどだ。
だが、パートナーはネトウヨだからというだけで差別をすることもなく、
ちょろい。ちょろすぎる。
そんな中、ネット情報だけでなく、人間関係でもコミュ力のあるパートナーは、
ネトウヨでは絶対に導き出せなかった方法で、"荒らし"の居場所を突き止める。
ネトウヨは"荒らし"の排除を主張するが、彼は対話を選択する。
それは、偏った思想しか与えられていなかったネトウヨには想像もできなかった新しい視点で、
一方パートナーは中庸であるからその思想も受け入れる事ができ、
どころか、より人間味があるとして、"荒らし"と意気投合する。
それが気にくわないネトウヨ。いじける。めんどくさい奴だ。
"荒らし"は、どうやら夢があるらしい。
少なくとも、相手の意見に耳を傾けるだけの知性を持ったネトウヨだった。
彼のいうことにも一面の真理があることを、
だが、ネットにも精通していた"荒らし"はそんなネトウヨを救う。
ネットに精通した彼にとっては、ネトウヨ共が構築したシステムなどたやすく突破できるのだ。
この段になり、ようやくネトウヨは、自分の思想が偏っていたことに気がつく。
そして、そのことを恥じ、より歴史を知り、謝罪と賠償をするために、
ネトウヨは――元ネトウヨは、現実世界で生きていくことを決める。
"荒らし"は自らの夢を叶えるために。
そして、今の人間の更に一歩先を行くために、前へと進み出す。
パートナーは言う。
ネトウヨではなく、真実を告げてきた彼の姿こそ、より人間的であると。
ネトウヨからきちんとした人間として生きていくことを誓い、パートナーと行動を共にするのだった。
ネトウヨでも簡単に外部に毒される。もっと管理をしなければ。と結論づけ――
END
初対面の相手とお互い自己紹介を談笑していたが、名前を忘れてしまった時:
「失礼ですが、お名前は何ですか」←不躾な感じがし「さっき言っただろうが」と言いたくなる
ちなみに英語でもこの場合は"What was your name?"と言う。
参照 http://english.stackexchange.com/questions/3255/is-it-correct-to-say-what-was-your-name
■ 丁寧の過去形
「手伝ってもらいたいのですが」→ I want you to help me.
「手伝ってもらえればと思ったのですが」→ I wanted you to help me.
引用元:「過去時制:遠慮した丁寧な言い方」http://www.ravco.jp/cat/view.php?cat_id=5209
「失礼ですが、お名前は何でしたか」←相手が改名していなくとも、過去形
「手伝ってもらえればと思っていたのですが」←今思っていても、過去形
そうすると
「ご注文は~でよろしかったですか」は、確認or丁寧の過去形といえるかもしれない。
ただし
「ご注文は~でよろしいですか」←これは上記2例の現在形とは違い、不自然さ・不躾さが無いように思える。
「ご注文は~でよろしかったですか」←丁寧よりは確認の過去形としたほうが自然だが、その「確認」が早過ぎるかもしれない。
※接客業では「~よろしかったですか」を避ける方が今や賢明であることは、いうまでもない。
追記:「賢明であることはいうまでもない」は言い過ぎか。賢明である理由:過去形を使うだけで客側からクレームが来たりするようなので。
http://anond.hatelabo.jp/20141025154701
結局、人様の人生も自分の人生も自滅させる車なんて、運転しないのが一番賢明なんですよね。
賢く利口に生きたいものです。
http://anond.hatelabo.jp/GreenTopTube/edit
結局、理屈ではなく感情で考えてしまっているのが自動車にしがみついてしまっている気の毒な自動車信者さんなんでしょうね。
主張には根拠が必要。資料へのリンクを貼って主張するのはネットでの意見交換の際に心得として大事ですよ。
根拠もなくうざいだのなんだのと放言してしまうようでは、あなたと貴方のような考えの人たちに正当性がないことを外に示す形になります。
30万以上もかけて免許という身分証明証を取得するなんて合理性のかけらもないでしょう?
写真付き住基カードやパスポートのほうが取得費用も安く、取得必要期間も極めて短い。
http://anond.hatelabo.jp/20141025032138
警察官自身が住基カードでの手続き業務が不慣れなだけで、なんら問題ないですよ。
それで通らなかったら警察官のほうに問題があるので、警察手帳見せてもらって、名前を控えて警察署に相談しましょう。
車離れが進むなか、これから写真付き住基カードはどんどん普及していくでしょうし、警察官もそちらにこれからどんどん目にする機会が増えていきます。
そして取得にウン十万円と短くない期間かかる免許証を取らなくても、写真付き住基カードであれば、効力はなんら問題ありません。
もし疑問であれば、警察署にメールや電話で問い合わせてみるといいですよ。写真付き住基カードは免許証と同等の効力を持ちます。
そもそも自動車免許証というのは、危険物取扱者免状となんら本質的に変わらないんですよね。
自動車というのは一瞬にして大勢の人命(自身の命も含む)を奪う殺傷性を有する凶器であり、爆弾や劇物と本質的になんら変わらないのですから。
自動車免許など、扱わないのであれば、取らなくててもよいものですよ。
自動車免許証なるもの、これは、本当にウン十万円と短くない期間をかけてとるだけの価値があるものか?
そして『写真付き住基カード』という安価で迅速な別の賢明な選択肢があることも考えれば、良い判断ができます。
これからどんどん写真付き住基カードは普及していくことが予想されています。
また、自動車は自他ともに多大なリスクを生じさせ、地域の安全も壊し、排ガス騒音で汚し、そして自動車維持費は家計に大きな負担となる。
刑務所に入れば社会生活はどうなるかを考えれば、自動車運転の要らない都市部へ大勢の人々が移住しているのは合理的な判断といえるでしょうね。
そして自動車運転依存はメタボリック症候群に陥らせ、壊疽や失明、心臓病、脳梗塞、免疫不全症などを誘発し、自身も辛ければ、地域の医療費負担も増大する。
自動車の社会的費用について計算すれば、自動車依存の深刻な自家用自動車移動前提の地域は、人にとって割にあわない。
持続不可能な地域に陥るということが判明し、NHKの取材に応じた自治体職員もこう話しています。
「すべてのものを残していこうとすると、財政破綻に行き着いてしまう。
わが町を身の丈に - NHK クローズアップ現代 http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3418_1.html
これは自動車依存による拠点の点在化が、地域を自滅させることを意味しています。
そして、その集約社会は子供からお年寄りまで、すべてにとってやさしいものです。
自動車依存の深刻な地方ほど通学路でさえ自動車が我が物顔で速度超過当たり前の暴走行為が蔓延し、お年寄りのドライバーが子供を死傷させたり
若いドライバーが歩行者のお年寄りを死傷させて交通犯罪者として逮捕されるケースが横たわっている。
ママさんドライバーが通学路の子供を死傷させたり、また、事故によって同乗の子供を死傷させるケースも多発している。
自動車を運転する必要のない地域ほど、そういうケースが少なくなる。それは人にやさしい地域です。
自動車を抑制する、結果的に自動車の抑制となる、どちらの場合でも、それは望ましいことです。
加害者、そして被害者にならないためにも、そして自動車が地域に及ぼす害に思いをめぐらせて
http://anond.hatelabo.jp/20141025003943
自分の息子二人には「車の免許なんか取るんじゃない」と教えたという
青山さんは言う
「車なんか危ない、乗らないほうがいい、乗らないことにこしたことはない
車はステアリングをちょっと間違っただけで人様の人生を壊してしまう」
自動車の運転なんて、チェーンソー作業や高所作業と同等以上のリスクがあるってのは、なかなか気づきにくいもんだね。
1トンを超える乗り物を、それと同等かそれ以上の乗り物の通行、歩行者、自転車が混在するなかでするというのは
ちょっとでもハンドルやペダルの操作を誤れば、加害、被害とも甚大となる。
そしてこんな言葉もある
住みやすい街ランキング上位は、いずれも自動車の運転が必要のない地域。
そういった地域ほど、高齢化が進むこの先、人口が増えていくことが予想されている。
それに、見えない相手を学生扱いする時点で、あなたの理性と人格の程度が知れるということが自覚できませんか。
ちょっとでも調べれば自動車の運転がいかに割に合わないものかなんて、いくらでも出てくるでしょうに。
自動車免許を持たなきゃいけない、という原理主義者な宗教に染まり、それこそあなたの感情であり、論理のそれには該当しない。
自動車メーカーは自動車を所有し運転することのデメリットをさほど語らず
自動車メーカーはマスコミに多額の宣伝費という口止め料で自動車運転の馬鹿馬鹿しさを語らせない。
学生であろうと、社会人であろうと、そこに気づけているか、気づけないでいてしまうか。その差が決定的になる。
自動車で弱者保護優先不徹底の危険運転により歩行者や自転車に怪我をさせれば下記の通り
危険な運転で人を負傷させ、または死亡させる罪。刑法第208条の2が禁じ、致傷は15年以下の懲役、致死は1年以上の有期懲役に処せられる。
危険運転致死罪。危険運転致傷罪。→自動車運転過失致死傷罪
◆第208条の2は平成13年(2001)に新設。刑法改正前は業務上過失致死傷等罪が適用されていたが、
悪質な交通事犯に対応するために改正された。同条が定める危険運転とは、
アルコールや薬物による不正常な運転・速度超過・技能を欠いた無免許運転・割り込み・幅寄せ・信号無視・煽り運転など。
なお、本罪の行為は自動車の運転に限定されており、自転車の運転では本罪を構成しない。
事故を誘発した違法駐車運転に6千万円の賠償命令 消防車や救急車の行く手を阻む違法駐車 緊急事態現場への到着、未だ遠く
http://www.city.minokamo.gifu.jp/home/kouhou/IHAN/1.html
路上駐車の運転手が女児死亡事故を誘発したとして車庫法違反で約3400万円
http://www.47news.jp/CN/200408/CN2004080601003709.html
http://livedoor.3.blogimg.jp/himasoku123/imgs/9/5/952362b2.jpg
http://www.tkz.or.jp/con13.html
http://fanblogs.jp/sakurabunama/archive/253/0
「その車、本当に必要ですか?」“金食い虫”の自家用車の維持コスト
http://diamond.jp/articles/-/24093
http://kuru-ma.com/page317.html
一体、車を持つと維持費にいくらかかるのか【持たない暮らしで豊かに暮らす】
http://fx-style.boo.jp/car18.html
自動車害 自動車モラル崩壊まとめ なんで日本人は自動車で暴走するのか
なぜ自動車運転手は法を知っていながら通学路でさえも交通犯罪行為を繰り返し暴走を続け、国内外で道路を危険化するのか? 免許制の形骸化
制限速度・・・守らない!エンジン音とロードノイズにより深刻な騒音公害をまき散らし、重量1トンを超える車両で制限速度超え危険運転。『俺が交通の流れだ!』→自動車規制取り締まり強化&自他の死傷や交通刑務所服役へ
横断歩道・・・渡らせない! http://blog.jablaw.org/?eid=1074745 横断歩道で歩行者や自転車を加害し逮捕、交通刑務所で懲役生活へ
横断歩道前の菱型マーク・・・意味知らない!ブレーキランプ無点灯が示す狂気。速度超過も併せて犯す。
歩道・・・安全不確認の我が物顔飛び出しで歩行者、自転車を加害し交通刑務所服役へ http://d.hatena.ne.jp/delalte/20111021/1319158025
歩道&車道&自転車レーン・・・違法駐車で事故誘発。自動車の我が物顔な危険行為により尊い命が犠牲になり、ドライバーに6千万円の賠償命令 http://www.city.minokamo.gifu.jp/home/kouhou/IHAN/1.html
子供らが学校へ通う通学路・・・オラオラ!自動車様のお通りだ!プップー!(クラクション) 速度超過xスレスレ追い抜きx異常接近x警音器使用制限違反x徐行義務違反x横断歩行者等妨害?知るかボケ!
上記交通犯罪はすべての道路で日常的に繰り返されている。歩道のない通学路でさえも!
交通犯罪危険運転自動車撲滅のため、自動車規制取締強化を警察、学校、市長や知事、議員等に要請しつづけよう。
それに、善良な大人として子供を守る大人としてやるべきことは、歩行中自転車走行中の区別なく子供の安全を壊している自動車への抑制でしょう。
交通の鉄則は弱者保護弱者優先であり、子供の命は何よりも重い。そう、自動車のわがままより重いのです。
自動車は重量約1トン以上もあり、大勢の児童の命を一瞬にして粉砕してしまうような、爆弾や銃と同等の凶器です。
そのわりに通学路でさえ自分勝手な自動車の抜け道利用や制限速度以下で走らない速度超過暴走行為、
危険なスレスレ追い抜き、幅寄せ(暴行罪として懲役二年以下等)、事故を誘発する違法駐車(ウン千万円の賠償命令も出てます)、
警音器使用制限違反、横断歩行者等妨害(横断歩道場で交通弱者を死傷させられば刑務所行きです)、
これら自動車の交通犯罪が、通学路でさえ、子供が行き来する通学路でさえ蔓延しており日常的になっているのです。
歩道のない通学路でさえ自動車が我が物顔な運転で子供らの安全な通行環境を破壊している。
まずは自動車への規制取り締まり強化、職員らや市民に自動車利用を控えるよう要請したり、
交通弱者保護優先という当たり前の考えを交通政策において実践し、
自動車を不便にしてでも歩行者や自転車を保護するインフラも含めた環境整備が先決でしょう。