はてなキーワード: ストライキとは
社内では誰もが知る「要注意人物」。
以下、案。
うちは労組絶対加入で、組合運動も活発なので何かしら相談に乗ってくれる可能性はある。
数年前はストライキしたらしい。
共●党系なので、まぁ左寄りだけど、悪い人たちではないので仲良く接してはいる。
まぁ、考えているだけでは何も進まないのだが。
最近は心理的安全性に配慮した職場づくりを経営側が意識するようになってきた。
(ただし、当の上司はついていけていないが)
ただ、通報したものの軽い懲戒だけで、逆にこちらが不利益を被る場合も無きにしも非ず、、、と危惧する。
でも、部下にパワハラしていた上司が実際に懲戒処分された事例もあるので会社は本気で取り組んでいる。
IT職なんて(特に実務経験があれば)他社でもひっぱりだこなのは体感で知ってるから。
ただ、部長にはお世話になってるし良い人だし、同僚とも仲が良い。
業種、業務内容ともに本当に理想通りの仕事だから、すぐに事を起こして退職もしたくはない。
ぶっちゃけ、それでもいい。
寝る時間も惜しんで働くなんて、別に普通にやってるし、楽しいし。
うーん、難しいな。
ボクサーを撲殺したのは僕さ
これから満で数つけるわ
ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ
新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼し信管が作動する。
ケニアに行ったら生贄や
柑橘類の香りに歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。
塗装を落とそうか。
観光客がフイルムに感光させた写真を刊行することが慣行になった。
サボってサボタージュ
景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)
夫を成敗するオットセイ
つまらない妻の話
竹の丈は高ぇなー
餅を用いて持ち上げる
ロストしたローストビーフ
サボテンの植え替えサボってんな
過度な稼働は可動範囲を狭める
伯爵が博士の拍手に拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人を白紙にもどす。
紅葉を見て高揚する
甲子園で講師をする公私混同した孔子の実力行使には格子窓も耐えられない。
死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」
夜祭で野菜を食べる。
信玄餅を食べながら震源を特定するように進言する新元素を発見した人。
蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ
五反田で地団駄を踏む
ようやく要約が終わった
海溝で邂逅
豪華な業
甲板で甲板をかじる
甲板で乾パンをかじる
店頭で転倒
大枚をはたいてタイ米を買う
醤油をかける人「えっっ?」
神田でした噛んだ
少食な小職
牛の胆嚢の味を堪能する
あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。
キーンという高音の起因が掴めない。
こんな誤謬は秒でわかるだろ
壊疽した箇所が治るというのは絵空事だ
経口補酔液
痴的好奇心
セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ
軽微な警備
冬眠する島民
ベットは別途用意してください
The deserted desert in desert desert.
九尾のキュービズム
罹災者へのリサイタル
画家の画架
不納が富農になるのは不能だ
理工がRICOHに利口な履行
I sensed tha it is in a sense sense.
私はそれをある面では扇子だと感じた。
鯖を食べている人と、それを見ている人の会話
鯖 ça va?
ça va 鯖
ça va
ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない
早漏で候
凪に難儀
東上線に搭乗した東條が登場
高校を後攻で煌々と口腔で孝行
蝉が転んでセミコロン
道徳をどう説く
写真はフォトんど撮りません
ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」
華美な花瓶のカビに過敏に反応
檻に入っておりいった話をする
夏のおサマー
夜は寝ナイト
渦中のカチューム
渦中のカチューシャ
リスボンでリスがborn
どうないはどないなってんねん
苫小牧でてんてこ舞い
市内を復旧しないと
石狩の石を借りる
おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」
砂がどしゃーw
東上線に登場した東條が登場
飽きない商い
おなか吹田市
観劇で感激する
側転に挑戦し即、転倒
別件を瞥見
凹地のお家
魚を初めてみた人「うぉー」
カラヤンの頭の空やーんw
豚をぶった仏陀
只見線をタダ見w
菊名でそんなこと聞くなよ
五秒で死んで御廟に埋葬
がらんとした伽藍
有給を使いすぎて悠久の時が流れた
長谷に想いを馳せる
Thinkerの真価
不具の河豚
暗記のanxious
半世紀にわたる半生での藩政を反省
タンチョウが単調増加
ショック死内親王w
カルカッタの石軽かった
天皇のこと知ってんのー
蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する
其方のソナタ
先王に洗脳される
防潮堤で膨張した傍聴人
砂漠で鯖食う鯖を裁く
筒に入った膵島
サイコロを使った心理テスト(psychological test)
カラシニコフが辛子個踏んだ
皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂
にようかで酔うか?
うるさい人が売るサイ
どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人
透徹した饕餮の眼球
チャカで茶菓を破壊
slimyなすり身
ゆうほど広くない遊歩道
いにしえのイニシエーション
コーランをご高覧ください
K殻の傾角を測定する計画
協賛した共産党員に強酸をかける
負けたのは聖者の静寂のせいじゃ
裏地見るウラジミール
カミオカンデの上に紙置かんでw
県大会がおわり倦怠感を感じる
夕暮れのユーグレナ
ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm(公務)」
エド・はるみの穢
祭壇を裁断
腐卵ダースの犬
全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」
四苦fuck
都バスが人を跳ね飛ばす
怒るカロテン「なにカロテンねん」
嫌がる慰安婦「いやんっ」
かえるがえる帰る蛙
沈厳な青梗菜
トリコロールの虜
布陣を組む夫人
栗けっとばすクリケット🦗
婉容と遠洋漁業
アマルガムで余るガム
ハラスメントの疑いを晴らす
滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない
他意はないタイ人の鯛の態度
鯛が蛇足
ダジャレではない↑
割と面白い
ハラッパーの原っぱ
紫に関して思案を巡らす
Huluが夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流)
下調べのムニエル
わからないので
意味ない諱
よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」
どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」
計算ができない人
着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」
enough、enoughは工夫がenough
負け負け山(カチカチ山)
薬師丸せま子
トーマス・マンの書いたふるさと「うさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」
その心は
焼結が猖獗を極める
これはstaleだから捨てるか
衒学的な弦楽を減額
完全な勧善懲悪
イボ人の疣痔
イブに慰撫
(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)
盲いるのに飯いるの?
アーヘンで阿片を吸った人「あー変」
毒吐く独白
明借りるアスカリ(車)
丁寧な砂浜「Could you九里浜」
ゴーンと奉公
その心は
サンクチュアリに山窟あり
熟れたウレタンは売れたんか?
清澄な声調を静聴し成長
プエルトリコで増える虜
象さんを増産
兄弟が今die
Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす
ソフィカルのソロカル
美人局に筒持たせる
十把一絡あげ
篤信な特進が涜神を得心
これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。
クートゥを食うとぅいいよ
マイソールで昧爽に埋葬
ドクサは毒さ
暗殺で朝死んだ
クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」
凛々しいリリシズム
衛生的な俳人
御髪も亂とはオクシモロンだ
コロナ後の世界を分析する学問→postcoronialism
影響が色濃いイロコイ諸族
あてのあてないアテナイ
変革を起こせるし、ペンは剣よりも強いんだけど、
日本マスコミには民主主義、市民による統治、報道、をあまり理解してない感がある。ジャーナリズム学の欠如というか、専門性を感じないんだよね。
他の国の報道番組だと、「世界で起きてる重大なニュース」について専門家の意見を引き出す質問者、という構図でニュースは進むのに、日本の報道番組はニュースをコメンテーター(謎の素人芸人)が素人感覚で感想を述べてアナウンサーの美人お姉さんが頷いてるものばかり。何を見せられてるのか。
選挙についても、終わってから特番をしている。選挙期間前に特番を組まないと選挙特番なんて意味ないんじゃないのか?国民主権なんですよ?審査員は国民なのに、アイドルの握手会じゃない。
Twitterでもバズってたけど、正確性よりも政治的アジェンダの設定を重視してるのは日本くらい。
https://togetter.com/li/1976688
なにかと市民運動や市民活動は軽視されているように見える。ボランティアは善意に映す。アイドルや政治家や歌手や俳優には敬意ある映し方をするのに、市民活動は素朴に撮る。彼らはヒーローなんだが?ボランティアは本来市民ではなく行政の仕事なんだが?政治家や歌手やアイドルはテレビ業界の「中」では数字や権力を持ってる人かもしれないがそれを番組作りに反映しないでほしい。主役は市民。権力者は市民。
政治家は偉くて権力のあるリーダーシップのある人で、市民は細々と自分の生活をする人、みたいな構図に撮る番組まである。
貧しい国の人や貧しい人や外国人(非白人)や若い女性や太った人やモデル顔じゃない人や障害者のことは素朴で力の無い人として撮り、政治家や有名人を力ある上の人として撮る。
主役は国民だし、最高権力者・主権者は国民だし、政治家は国民に奉仕する公務員で、権力の監視がジャーナリズムなのに。日本人はまた「政治家先生は権力者のお偉いさんだからちゃんと敬わなきゃ」と民主主義から遠ざかる。
学校教育でもマスコミでも、日本人は問題を見つけて語っても「生活の中で少しでもこのようなことを考えてみましょう」「少しごみを減らしてみましょう」みたいなことばかり言うだけ。抜本的な解決にはならない。
行動して変えていこう、休みの日にこうしてみよう、みんなで団結して組合を作ろう、弁護士を雇って直談判しよう、戦おう、署名しよう、勉強会をしよう、当事者が政治家に直接話すイベントを作ろう、デモを起こそう、とは言わないのに、行動を起こす人や出る杭を叩く風潮は「中立を装って」しっかり報道する。
なんならデモに対して、テレビ業界は「過激なPTA」「おかしなおばさんたちが集まってる」「昭和の学生運動」みたいなイメージで描くじゃん。『集会の自由』を本当に理解してるのか?終わってるよね。
日本人はどんどん勘違いを始めてしまう。「デマやストライキは迷惑で良くないことなんだ」と。
現に社会のために戦ってる人たちや戦ってきた人たちを繊細に取材してるマスコミをあまり見ない。
こんな活動があって社会はこう変わった、こんな活動をしてる人々がいて今これだけの額の寄付が集まっていてその結果こんな変化があった、議員との対談でこのような意見を提出して、新しい法案が決まった、みたいなことは知らせない。
考えても何も起こらないし、当事者意識もない、そういう日本人ばかりを普通の人として撮っていく。そうして市民を刷り込んでいく。
日本人がそういうドラマを好まなくて視聴率が取れないだけなのかもしれないけど、そうだとしても、一言入れるだけでも違う。加担してしまってる。薄給多忙の業界のせいなのかな?それはまた大変な問題なんだけど。
https://jj-jj.net/lifestyle/151688/
「私が取材先の立場だったら『嫌』と感じることはしないように。相手が心地いいと思える距離で、相手の心に寄り添い、信頼されるような記者とは、と客観的に考えながら行動しています」
「こちらの都合で取材対象者の方にお話を伺うこともありますが、向こうも忙しいよな、向こうの都合もあるのに申し訳ない…と思ってしまいます」
取引先企業の重役と接する営業の平社員のような思い違い。総理番は若手にさせるという謎の奇習で、ジャーナリズムを理解していない若い社員を首相や大臣などの国会議員の接待・番記者にさせている。
でもこういうのが業界に横行してると聞いた。
貴殿の局もそうなのかはわからないけれど、社会の変革を望んでるのは市民も同じ。
アメリカにはマスコミを変えたヒーローやヒロイン達がいました。市民に正確でジャーナリズム学に基づく情報提供を行えるテレビ業界の革命は日本でも起こせるはず。と期待しています。ジャーナリズム学を人事に評価させることからお願いしたい。
でも根本的な解決のためには法改正や行政の介入、社会の変革が必要だったりするが、それはちっとも叶わない。こんなにすごい人が一生に一本書けるか書けないかの記事で、影響力ってこんなものかと思った。
各問題について反対の結果を提示された場合、米国の成人の約 10 人に 8 人が、2023 年は減税ではなく増税となり、財政赤字は縮小ではなく拡大するという経済困難の年になると考えています。10 人中 6 人以上が、価格が高率で上昇し、株式市場が今後 1 年で下落すると考えています。どちらも 2022 年に起こりました。さらに、アメリカ人の半数強が、失業率が 2023 年に増加し、経済問題になると予測しています。米国は2022年に免れました。
国内では、アメリカ人の 90% が 2023 年は政治紛争の年になると予想し、72% が犯罪率が上昇すると予想し、56% が労働組合による多くのストライキが起こると予想しています。
世界情勢に関しては、米国の成人の 85% が、今後 1 年は平和ではなく国際的な不和に満ちたものになると予測しています。また、64%が世界における米国のパワーが低下すると考えている一方で、73%が中国のパワーが増大すると考えています。しかし、アメリカ人の 64% は、2023 年には世界におけるロシアの影響力が低下すると予想しています。これは、ロシアが最近ウクライナとの戦争で後退したことを反映している可能性があります。
これらの調査結果は、Gallup の確率ベースのパネルのメンバーである米国の成人を対象に 12 月 5 日から 19 日に全国的に実施された代表的な Web 調査によるものです。
ギャラップは、1960 年から断続的に次の年の予測をアメリカ人に尋ねてきました。以前の調査は、対面または電話でのインタビューによって実施されたものであり、その結果は、自己管理型の Web 調査によって収集された現在のデータと直接比較することはできません。 .
しかし、過去のデータは一般的に、来年のアメリカ人の予測は、その時点での国内および国際的な気候に対する彼らの見解に大きく依存していることを示しています. 同様に、最近のギャラップ世論調査は、国内問題に関する 2023 年の予測における国民の悲観的な見通しを浮き彫りにしています。
政党の特定は、2023 年の予測における人口統計上の最大の差別化要因であり、民主党は共和党よりもすべての側面で肯定的な予測を提供する可能性が高くなります。これは、現職の大統領の政党に共感するアメリカ人が、今後 1 年間の見通しについて全般的に前向きであるという典型的な現象です。
民主党員の過半数は、2023 年に 5 つの前向きな進展を予測しています。これらには、完全雇用または雇用の増加 (69%)、合理的な価格の上昇 (53%)、株式市場の上昇 (53%)、米国の力の増加 (56%)、ロシアの力の減少 (79%)。民主党支持者は、政治協力を予想する可能性が最も低く (13%)、国際紛争のほとんどない平和な年を予想する可能性が最も低い (21%)。
一方、無党派層の 61% と共和党支持者の 47% は、世界におけるロシアの力が低下すると予想しています。共和党員の 36% が今後 1 年間に労働組合のストライキがほとんど起こらないと予想しているのを除けば、他の 11 の側面のいずれについても前向きな結果が得られると予想している共和党員は 23% にすぎません。
アメリカ人は2023年を懐疑的に迎えており、2022年を締めくくった経済闘争が収まるという期待はほとんどありません. 共和党が下院の支配権を獲得した後、2023年に政府が分割されることを考えると、不当な期待ではなく、国を悩ませている党派政治が改善すると予測する米国の成人はほとんどいません。国際問題に対する世論の予測も同様に悲観的です。しかし、彼らの党がホワイトハウスを支配しているため、民主党は来年についてより希望を持っています.
https://www.zerohedge.com/markets/americans-extremely-pessimistic-about-us-prospects-2023-gallup
うーん、一つには好きというより補給の手っ取り早さはあるかな。
自分は生理が重くて病気が発見されて手術したくらいなんだけど、手術後も生理が始まると貧血かつ胃腸がストライキおこしてしまうので塩ようかん75gくらいのをその場で1かたまり全部食べたりする。※鉄剤はほぼ毎日のんでるしタンパク質も取れるだけ取ろうとはしている
自転車やマラソンの男性選手が補給所でバナナ数本とかスポドリ(意外と砂糖が濃い)をのんだりたべたりするのも「甘いものが好き」なのではないと思う。
あとおしゃれなフレンチって消化に悪い野菜やシコシコすぎるパスタが多いのでおばちゃんは食べてて疲れるんよ。最後にまだまだ血糖値あがらんので手っ取り早くカロリーくれと体がいってる気がする。
なので、甘いのが好きでないという人はたぶん胃腸が丈夫で吸収力がつよくむしろ血糖値ハンマーのほうに耐えられないという長生き体質でよかったね、でも年取ったら無理というか酷使はしないでねとしか。
ですがどちらも日本人は無駄に忌避感を持っているので利用率が低いのが現状です
そして日本でその忌避感を作り出しているのは左翼界隈ではなく生活保護やデモやストライキのバッシングが大好きな右翼界隈です
一方左翼は己の権利の追及には貪欲である為、生活保護やデモなどで声を上げ、自らの生活の向上を常に図り結果的に成功してしまっています
もしあなたが過酷な労働環境にいるのなら会社の不正の証拠を集めて然るべき場所に報告し、会社と争うことで己の待遇の改善か今までの被害に対する慰謝料を請求できます
もしあなたがホームレス同然の暮らしをしているかもしくは今後それに類する生活をする事が確定しているのなら生活保護を申請すれば行政から支援を受けられます
今はネットでやり方を調べられますし、個人で難しい場合は助けてくれる人々も存在します
なぜこうなってしまったのか。答えは2つ、パンデミックと戦争だ。
長く続いた低インフレと低金利という快適な時代は、コロナ禍の到来で突然終わった。各国政府と中央銀行が、ロックダウン下の企業と家計を支えるために何兆ドルもの支援を投入したためだ。
この命綱のおかげで、労働者は失業手当の列に並ばずに済み、企業も倒産を回避し、住宅価格も暴落を免れた。しかし同時に、そのせいで需要と供給のバランスはかつてないほど狂ってしまった。
2021年に入って各地のロックダウンが解除され、グローバル経済がリセッション後の回復としては過去80年で最速のペースで成長し始めると、世界の貿易システムは経済下支えのために投入された膨大な資金を消化しきれなくなった。
それまで稼働停止していた工場の生産回復は需要の急増に追いつけず、新型コロナ感染防止ルールにより、小売業、交通、医療分野では人手不足が起こり、景気回復にあおられてエネルギー価格は急騰した。
それでも足りないとばかりに、2月にはロシアがウクライナに侵攻した。主要な石油・天然ガス輸出国であるロシアが西側諸国による制裁の対象となり、燃料価格はさらに高騰した。
インフレが「貧者への税金」と呼ばれるのは、低所得者に最も深刻な打撃を与えるからだ。2桁台のインフレは世界中で格差を拡大させている。比較的裕福な消費者は、コロナ禍によるロックダウンの間に積み上がった貯蓄に頼ることができるが、それ以外の人々は家計のやりくりに苦労しており、フードバンクに頼る人も増えている。
北半球が冬になり、燃料費の高騰によって生活費への圧迫はさらに厳しくなる。医療機関から航空会社に至るまで、さまざまなセクターで労働者はストライキを起こし、インフレに見合うような賃金の引き上げを要求している。だが大半は、十分な成果を得ないまま妥協に追い込まれている。
富裕国の政界は生活費をめぐる懸念への対応に追われている。気候変動対策といった他の優先課題も一部で後回しにされている。
最近になってガソリン価格が下落したためプレッシャーはやや緩和されたものの、バイデン大統領率いる米政権にとって、インフレは依然として最大の関心事だ。またフランスのマクロン大統領やドイツのショルツ首相も生活支援プログラムに数十億ユーロを回しており、財政運営に負荷がかかっている。
先進国においてさえ状況が厳しいとすれば、ハイチ、スーダン、レバノン、スリランカといった貧困国では、食品価格の急騰が困窮状態を一層悪化させている。
国連世界食糧計画(WFP)では、世界で7000万人以上が飢餓に近い状態に追い込まれたと推定しており、この状況を「飢餓の津波」と呼んでいる。
世界各国の中央銀行は、需要の冷却とインフレ抑制に向けて急激な利上げに乗り出している。国際通貨基金(IMF)は、世界のインフレ率は2023年末までに現在の水準の半分以下となる4.7%にまで低下すると予測している。
目指すのは、需要の冷却によって住宅市場の崩壊や企業倒産、失業者の急増が起きることがないような「ソフトランディング」だ。もっとも、急激なインフレが生じた過去の例では、そうした最良のシナリオは達成が困難だということが示されている。
米連邦準備理事会(FRB)のパウエル議長からラガルド欧州中央銀行総裁に至るまで、金利の引き上げという薬は苦々しい結果をもたらし得るという見解が相次いでいる。そのうえ、ウクライナでの戦争や中国と西側諸国の対立といった大きな不安定要因を巡るリスクは、ダウンサイド方向に振れている。
IMFが10月に発表した恒例の世界経済見通しは、ここ数年でも有数の悲観的な内容で、次のように指摘した。「要するに、最悪の事態はこれからである。多くの人にとって、2023年はリセッション(景気後退)の年と感じられるだろう」
https://jp.reuters.com/article/year-end-inflation-idJPKBN2SW04O
なんだっけ。忘れないうちにメモ。
最近、ゴッホの絵画など芸術作品にトマトスープをかけたり、ウォーホルのアートカーに小麦粉をかけたりする気候変動対策を訴えながら過激な抗議活動が耳目を集めている。
ブクマもよくされているが、ほとんどが環境テロ、という認識で眉をひそめたコメントにあふれている。
もちろん許されない犯罪として国内外で報道されているわけだが、しかし、海外のメディアでは、テロという表現(ラベリング)は少なく、抗議団体が自称するCivil resistance(市民的抵抗)という表現を紹介していることが多い。正直、この種の活動で昔から有名なグリーンピースもそうだが、テロ呼ばわりされてもおかしくない運動ではあることは確かだが、報道はニュートラルに構えているのだろう。
そんなおり、斎藤幸平が、「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解しないのは、日本人の想像力の欠如だ、と述べてブコメから総すかんを食らっていたのをみかけた。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/631285
しかしそもそも、テロという認識が日本では強いのはわかるけれど、実は欧米での反応というのはそれほど強くなく、むしろ彼らが自称するCivil resistanceへの一定の理解の上に立った報道も多く見受けられるように思える。
https://time.com/6234840/art-climate-protests-margaret-klein-salamon/
そして、よく考えると、そもそもテロまがいのデモというのは、現代の人権の歴史を振り返ると、一定程度、社会変革の不可避な副産物として、憲法などのシステムにビルトインしてきた経緯がある。典型的かつ最初の事例は、20世紀初頭の資本主義社会における労働環境を前提とした社会権。
https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/508によると、世界的な環境活動家グループ「Extinction Rebellion」の共同創設者であり、ジャスト・ストップ・オイルの活動に加わっているサイモン・ブラムウェルは、アートニュースのインタビューで、若い活動家がこの抗議行動のスタイルを選択した理由を次のように説明する。
「これはアートの美しさを否定するのではなく、今の私たちの優先順位が絶対的におかしいということを言いたいのです。アートに美を見出し、ギャラリーを訪れる人たちがいる。にもかかわらず、消えつつある太古の森の美しさや、日々絶滅していく何百もの生物たちには目を向けないのです」
アートの美しさを否定しないといいつつ、美の概念の相対化というか、再構築といった意味では、形而上学的な禅問答である。
この説明を聞いて、素直に納得できる人の割合が多いか少ないか、という視点でみると、ヨーロッパに比べると恐らく日本人は少ないだろう。
アリストテレスの時代から愛だの美だの徳だのといったことをテーマに発展した形而上学から学問が枝分かれしてきた欧米と、近代以降のすでにたこつぼ化した個々のジャンルとして完成形をみた成果を受け取ってそれを解読して発展してきた日本では、こういう抽象的なテーマの抗議の趣旨を理解できるのは圧倒的に少ないだろうと想像できる。
これは、作品の美の価値が分かればわかるほど、スープをかける行動の意図もわかる、という構図でもあり、実際、被害を受けた美術館が環境問題の意義に言及するなどしている。作品に接したこともなく、それこそ「ウォーホル」だ、「ゴッホ」だと資産的な記号程度にしか理解していない人ほど抗議行動の意図自体を測りかね、なんじゃこの奇行は?という反応になっているようにみえる。
そういう意味では、当然、環境急進派の行動は、そもそも抗議の意図が分からない地域では成功しない(日本ではテロ以外の認識は生まれないだろうし、絶望的に無理だろう)。
しかし、欧米では、意外と功を奏しているのかもしれないと思える。感心はしないが、ああ、なるほどね、くらいの素養のある人は日本よりは多いだろう。
おおざっぱにいうと、日本人は経験から教訓を得て社会設計をしていくのが得意。いわば帰納法的な解決が染みついている。一方、欧米、ひろくラテン系言語圏含めて、日本人とは比べ物にならないほど、なにかにつけ演繹的な入り方をする。言葉の定義から始まり、指導原理を引き、タスクを明示する、という物事の進め方へのこだわりが強い(日本人の自分からみると)。
一方、構造化された概念、ルール化された行動原理(法)にのっとって行動する、という相互の信頼がないと不安なのが欧米社会。そこに、デモや過激な運動の機会に、自分たちが共有していない別の概念がオルタナティブとして提示されたときにみせる反応というのは、おのずと異なる。
そのもうひとつの理由が、市民的不服従という考え方や人々の認識の違い。
欧米では、恐らく日本人が想像している以上に、Civil resistanceというアプローチ自体の価値を社会変革のダイナミズムとして認めている。
それが今回の場合、限度を超えたものであり、法的に違法である、というときに、運動の趣旨は理解はするが違法である、という具合に飲み込みながら。
この違法性というのは、実は重要な視点。それを理解するには、市民社会を根本から支える憲法など、法について考えないとわからない。
近代から現代へ20世紀に法の考え方が近代法が大きくバージョンアップした際に、社会権が組み込まれたのは、中学生で習う話。
日本の学校では昔から、社会権を生活保護など、上から目線な形で教えてきた傾向があった。
しかし、社会権のうち、争議権を思い出してみればわかるように、実際はボトムアップな契機をはらんでいる。
他者危害禁止の近代法の原則をはみ出した形で、ストやピケなど市民的な抵抗の暴力性を認める市民権が存在する。
考えてみれば、他者に損害を与え暴力的な行動をとっていい、というのが「労働」に関してのみ例外的に憲法に組み込まれている、というのは、よくよくなぜなのか歴史を知っておく必要がある。一歩間違えれば、革命のトリガーになりかねないボトムアップの暴力。これをあえて憲法に明記するのは、明記することでコントロールしたいという、上と下のせめぎ合いのようなものも感じる。しかし、なんだったらいつでも政府がおかしければ転覆して革命をおこせるんだぜ、と市民に思わせておく、オーナーシップ感覚を絶妙なバランスで持たせる機能を果たしているともいえる。
マルクスの時代、そしてワイマール憲法の時代、社会権を育んできた思想運動や社会の歴史のなかで、当時「労働」が最重要課題で、社会権の大きな柱として考えられたのは自然な流れだっただろう。抵抗の暴力は、労働問題を争うツールであるというのが20世紀だった。しかし、抵抗の暴力は資本主義社会のなかで、たまたま労働がキーワードになっただけであって市民社会としては、労働である必然性はない。20世紀には「環境」といったテーマはシステムにビルトインされなかったわけだけど、80年代後半にブルントラント委員会が「我ら共有の未来」といって今日のSDGの原型となるコンセプトを立ち上げたときに、労使間に代わる、世代間の闘争といったことがテーマになりうることはうすうす予測がついていたように思う。
なので、抵抗の暴力が労働問題ではなく、環境をめぐる世代問題だとしても、その新たなムーブメントの市民社会における意義が注目されるのも自然な流れだ。
ここで、はい違法です、はいテロです、といってしまうのは簡単だが、思考は停止する。
一方日本では。
「労働」というキーワードで戦後、日本ははじめて市民的不服従の権利を手にした。市民社会における抵抗という考え方に「労働」というコンセプトが、時代の要請でむすびついていた、というのは押さえておくべき文脈。
しかし、その権利の過激な行使は、1950年代から60年代、大衆の心を猛烈にイラつかせた。
日本の高度経済成長を支えた大手企業は、大規模な争議に悩まされた。
民間では、1960年の三井三池炭鉱紛争など半年を超える争議も珍しくなかった。しかし、ほぼ100%ユニオンショップで、従業員全員が労働組合員という会社組織風土のなかでは、会社は家族みたいなものであり、労使一体みたいなのが当たり前であり、60年をピークに民間の争議はピークアウトする。そのなかにあって、国鉄だけは年中行事のように、順法闘争やストライキを繰り返して市民生活に甚大な影響を及ぼし、会社のみならず社会的に損害を与えた。さらにベトナム戦争反対や成田闘争など、新左翼の政治闘争が加わっていくなかで、日本人のいら立ちは頂点に達していく。
国鉄やら共産党やら新左翼にひどい目にあわされた、という日本社会のこの経験というのは、争議だなんだといっても社会に迷惑をかけてはいけない、という教訓を強く残し、憲法に組み込まれた暴力的な契機をできるだけ抑制的にするべきだ、という認識が支配的になるきっかけだったんだろう。1973年の最高裁は、それまでリベラルと保守の裁判官の間で揺れ動いていた官公労組の争議権の是非について、完全に保守化の方向に舵をきり、封殺する結論に至る。公労協のスト権奪還スト(1975年)を時代の潮目に、公社の民営化路線が進められていく。争議権だかなんだが知らないが、憲法に書いてあったとしても、市民としては正直、うんざりしてしまったというところだろう。戦後、長い間、政治闘争の旗手として大きな存在だった総評、そしてその大半を国労が占めていた時代は終わる。
ということで「労働」をキーワードにせっかく手に入れた不服従の暴力は、迷惑をかけんじゃねーという市民社会常識を繰り返し強化する経験を重ねることにより、空洞化した。
その後の日本社会では、エスタブリッシュメントと化して長い間、社会運動の先頭に走っていた労組が今度は勢いを失うと、どういうことになるか。
例えば、正規雇用、非正規雇用のギャップみたいに新たな問題が浮上してきたとしても、ユニオンショップに非正規も入れてあげたほうがいいんじゃない?、という手続き的な、上から目線的な議論の仕方に収れんしてしまう。日本社会があまりにも保守化してしまって、そもそも争議という暴力的な手法は何のために憲法というシステムに組み込まれたのか、根本的な思想がわからなくなってしまっているようにも思える。言い換えると、憲法をさらにメタな視点からとらえる思想的な背景がさらに弱くなっている。
歴史を振り返ると、20世紀初頭、メタな視点があったからこそ、資本主義社会の現状と課題に即して、社会権という新しい権利が組み込まれたのだが、現行憲法を頂点とし、人権の普遍性や憲法の最高規範性を強調してしまうと、憲法の思想の根拠はと問われたときにフリーズしてしまう。日本では制憲者の意思の議論は起こらず、代わりに基本書読め、といってなぜか憲法学者に振られるのが定番。(制憲者があいまいなのも諸悪の根源かもしれないし、ステートに対するネイションのオーナーシップの違いとも思える。)
欧米の環境運動というのは、あるいはLGBTも同様だけど、恐らくそうじゃないんだと思う。
既存の規範に書いてないものであっても、新たなムーブメントの意味を真剣に見極めようとする思想文化があるんじゃないと思える。
そのムーブメントの暴力性を違法と認識しつつも、時代のダイナミズムとしてとらえようとする、というか。
繰り返すと、
・美の概念など、概念の構想力、概念について深く考えたがる文化の違い。
・憲法など国の根本的なシステムのアップデートするのに必要な社会のダイナミズムへの関心の低さ。
この二つをひとまとめにして、斎藤幸平氏のように想像力の欠如といってしまえるのかもしれないが、因数分解すると、社会設計をするのに基本的に重要な2つの能力、この二つには欧米社会と大きく差があるように思える。