はてなキーワード: ワイマール憲法とは
日本国憲法には、他の先進国のさまざまな要素が取り入れられています。以下にその要素をもう少し詳細にまとめます:
アメリカの影響:
基本的人権の尊重: アメリカ合衆国憲法の「権利章典」に影響を受け、日本国憲法も基本的人権の尊重を強調しています。
三権分立: 立法、行政、司法の三権分立の仕組みは、アメリカ合衆国憲法からの影響です。これにより権力の集中を防ぎ、チェックアンドバランスを維持しています。
イギリスの影響:
象徴天皇制: 天皇を「日本国および日本国民統合の象徴」とする象徴天皇制は、イギリスの立憲君主制を参考にしていますが、日本の独自の歴史と文化に根ざした形です。
二院制(衆議院と参議院): 日本の議会制度は、イギリスの議会制度(庶民院と貴族院)に似ています。二院制により、多様な意見が反映されやすくなっています。
フランスの影響:
個人の尊重: フランスの人権宣言に触発され、日本国憲法も個人の尊重を強調しています。特に個人の自由と平等に対する尊重が規定されています。
ドイツの影響:
社会権の保障: ドイツのワイマール憲法から影響を受けて、生存権や教育を受ける権利などの社会権が日本国憲法に盛り込まれています(第25条、26条)。
スイスの影響:
地方自治: 地方自治の強調は、スイスのカントン制度に似た要素が見られます。日本国憲法も地方公共団体の自治を保障し、住民自治の原則を取り入れています。
国際連合の影響:
国際平和の理念: 日本国憲法の前文では、国際連合の理念に基づき、国際平和のために積極的に貢献することが謳われています。戦争の放棄と戦力の不保持を規定する第9条もこの理念に基づいています。
カナダの影響:
地方分権の推進: カナダの憲法には連邦制の要素がありますが、日本国憲法はこれを参考にしつつ、日本の地方自治体に適した形で地方分権を進めるための規定を設けています。
これらの要素を取り入れることで、日本国憲法は他国の優れた点を反映しつつ、日本の歴史や文化、戦後の状況に合わせた独自の現代的な憲法として制定されました。
なんだっけ。忘れないうちにメモ。
最近、ゴッホの絵画など芸術作品にトマトスープをかけたり、ウォーホルのアートカーに小麦粉をかけたりする気候変動対策を訴えながら過激な抗議活動が耳目を集めている。
ブクマもよくされているが、ほとんどが環境テロ、という認識で眉をひそめたコメントにあふれている。
もちろん許されない犯罪として国内外で報道されているわけだが、しかし、海外のメディアでは、テロという表現(ラベリング)は少なく、抗議団体が自称するCivil resistance(市民的抵抗)という表現を紹介していることが多い。正直、この種の活動で昔から有名なグリーンピースもそうだが、テロ呼ばわりされてもおかしくない運動ではあることは確かだが、報道はニュートラルに構えているのだろう。
そんなおり、斎藤幸平が、「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解しないのは、日本人の想像力の欠如だ、と述べてブコメから総すかんを食らっていたのをみかけた。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/631285
しかしそもそも、テロという認識が日本では強いのはわかるけれど、実は欧米での反応というのはそれほど強くなく、むしろ彼らが自称するCivil resistanceへの一定の理解の上に立った報道も多く見受けられるように思える。
https://time.com/6234840/art-climate-protests-margaret-klein-salamon/
そして、よく考えると、そもそもテロまがいのデモというのは、現代の人権の歴史を振り返ると、一定程度、社会変革の不可避な副産物として、憲法などのシステムにビルトインしてきた経緯がある。典型的かつ最初の事例は、20世紀初頭の資本主義社会における労働環境を前提とした社会権。
https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/508によると、世界的な環境活動家グループ「Extinction Rebellion」の共同創設者であり、ジャスト・ストップ・オイルの活動に加わっているサイモン・ブラムウェルは、アートニュースのインタビューで、若い活動家がこの抗議行動のスタイルを選択した理由を次のように説明する。
「これはアートの美しさを否定するのではなく、今の私たちの優先順位が絶対的におかしいということを言いたいのです。アートに美を見出し、ギャラリーを訪れる人たちがいる。にもかかわらず、消えつつある太古の森の美しさや、日々絶滅していく何百もの生物たちには目を向けないのです」
アートの美しさを否定しないといいつつ、美の概念の相対化というか、再構築といった意味では、形而上学的な禅問答である。
この説明を聞いて、素直に納得できる人の割合が多いか少ないか、という視点でみると、ヨーロッパに比べると恐らく日本人は少ないだろう。
アリストテレスの時代から愛だの美だの徳だのといったことをテーマに発展した形而上学から学問が枝分かれしてきた欧米と、近代以降のすでにたこつぼ化した個々のジャンルとして完成形をみた成果を受け取ってそれを解読して発展してきた日本では、こういう抽象的なテーマの抗議の趣旨を理解できるのは圧倒的に少ないだろうと想像できる。
これは、作品の美の価値が分かればわかるほど、スープをかける行動の意図もわかる、という構図でもあり、実際、被害を受けた美術館が環境問題の意義に言及するなどしている。作品に接したこともなく、それこそ「ウォーホル」だ、「ゴッホ」だと資産的な記号程度にしか理解していない人ほど抗議行動の意図自体を測りかね、なんじゃこの奇行は?という反応になっているようにみえる。
そういう意味では、当然、環境急進派の行動は、そもそも抗議の意図が分からない地域では成功しない(日本ではテロ以外の認識は生まれないだろうし、絶望的に無理だろう)。
しかし、欧米では、意外と功を奏しているのかもしれないと思える。感心はしないが、ああ、なるほどね、くらいの素養のある人は日本よりは多いだろう。
おおざっぱにいうと、日本人は経験から教訓を得て社会設計をしていくのが得意。いわば帰納法的な解決が染みついている。一方、欧米、ひろくラテン系言語圏含めて、日本人とは比べ物にならないほど、なにかにつけ演繹的な入り方をする。言葉の定義から始まり、指導原理を引き、タスクを明示する、という物事の進め方へのこだわりが強い(日本人の自分からみると)。
一方、構造化された概念、ルール化された行動原理(法)にのっとって行動する、という相互の信頼がないと不安なのが欧米社会。そこに、デモや過激な運動の機会に、自分たちが共有していない別の概念がオルタナティブとして提示されたときにみせる反応というのは、おのずと異なる。
そのもうひとつの理由が、市民的不服従という考え方や人々の認識の違い。
欧米では、恐らく日本人が想像している以上に、Civil resistanceというアプローチ自体の価値を社会変革のダイナミズムとして認めている。
それが今回の場合、限度を超えたものであり、法的に違法である、というときに、運動の趣旨は理解はするが違法である、という具合に飲み込みながら。
この違法性というのは、実は重要な視点。それを理解するには、市民社会を根本から支える憲法など、法について考えないとわからない。
近代から現代へ20世紀に法の考え方が近代法が大きくバージョンアップした際に、社会権が組み込まれたのは、中学生で習う話。
日本の学校では昔から、社会権を生活保護など、上から目線な形で教えてきた傾向があった。
しかし、社会権のうち、争議権を思い出してみればわかるように、実際はボトムアップな契機をはらんでいる。
他者危害禁止の近代法の原則をはみ出した形で、ストやピケなど市民的な抵抗の暴力性を認める市民権が存在する。
考えてみれば、他者に損害を与え暴力的な行動をとっていい、というのが「労働」に関してのみ例外的に憲法に組み込まれている、というのは、よくよくなぜなのか歴史を知っておく必要がある。一歩間違えれば、革命のトリガーになりかねないボトムアップの暴力。これをあえて憲法に明記するのは、明記することでコントロールしたいという、上と下のせめぎ合いのようなものも感じる。しかし、なんだったらいつでも政府がおかしければ転覆して革命をおこせるんだぜ、と市民に思わせておく、オーナーシップ感覚を絶妙なバランスで持たせる機能を果たしているともいえる。
マルクスの時代、そしてワイマール憲法の時代、社会権を育んできた思想運動や社会の歴史のなかで、当時「労働」が最重要課題で、社会権の大きな柱として考えられたのは自然な流れだっただろう。抵抗の暴力は、労働問題を争うツールであるというのが20世紀だった。しかし、抵抗の暴力は資本主義社会のなかで、たまたま労働がキーワードになっただけであって市民社会としては、労働である必然性はない。20世紀には「環境」といったテーマはシステムにビルトインされなかったわけだけど、80年代後半にブルントラント委員会が「我ら共有の未来」といって今日のSDGの原型となるコンセプトを立ち上げたときに、労使間に代わる、世代間の闘争といったことがテーマになりうることはうすうす予測がついていたように思う。
なので、抵抗の暴力が労働問題ではなく、環境をめぐる世代問題だとしても、その新たなムーブメントの市民社会における意義が注目されるのも自然な流れだ。
ここで、はい違法です、はいテロです、といってしまうのは簡単だが、思考は停止する。
一方日本では。
「労働」というキーワードで戦後、日本ははじめて市民的不服従の権利を手にした。市民社会における抵抗という考え方に「労働」というコンセプトが、時代の要請でむすびついていた、というのは押さえておくべき文脈。
しかし、その権利の過激な行使は、1950年代から60年代、大衆の心を猛烈にイラつかせた。
日本の高度経済成長を支えた大手企業は、大規模な争議に悩まされた。
民間では、1960年の三井三池炭鉱紛争など半年を超える争議も珍しくなかった。しかし、ほぼ100%ユニオンショップで、従業員全員が労働組合員という会社組織風土のなかでは、会社は家族みたいなものであり、労使一体みたいなのが当たり前であり、60年をピークに民間の争議はピークアウトする。そのなかにあって、国鉄だけは年中行事のように、順法闘争やストライキを繰り返して市民生活に甚大な影響を及ぼし、会社のみならず社会的に損害を与えた。さらにベトナム戦争反対や成田闘争など、新左翼の政治闘争が加わっていくなかで、日本人のいら立ちは頂点に達していく。
国鉄やら共産党やら新左翼にひどい目にあわされた、という日本社会のこの経験というのは、争議だなんだといっても社会に迷惑をかけてはいけない、という教訓を強く残し、憲法に組み込まれた暴力的な契機をできるだけ抑制的にするべきだ、という認識が支配的になるきっかけだったんだろう。1973年の最高裁は、それまでリベラルと保守の裁判官の間で揺れ動いていた官公労組の争議権の是非について、完全に保守化の方向に舵をきり、封殺する結論に至る。公労協のスト権奪還スト(1975年)を時代の潮目に、公社の民営化路線が進められていく。争議権だかなんだが知らないが、憲法に書いてあったとしても、市民としては正直、うんざりしてしまったというところだろう。戦後、長い間、政治闘争の旗手として大きな存在だった総評、そしてその大半を国労が占めていた時代は終わる。
ということで「労働」をキーワードにせっかく手に入れた不服従の暴力は、迷惑をかけんじゃねーという市民社会常識を繰り返し強化する経験を重ねることにより、空洞化した。
その後の日本社会では、エスタブリッシュメントと化して長い間、社会運動の先頭に走っていた労組が今度は勢いを失うと、どういうことになるか。
例えば、正規雇用、非正規雇用のギャップみたいに新たな問題が浮上してきたとしても、ユニオンショップに非正規も入れてあげたほうがいいんじゃない?、という手続き的な、上から目線的な議論の仕方に収れんしてしまう。日本社会があまりにも保守化してしまって、そもそも争議という暴力的な手法は何のために憲法というシステムに組み込まれたのか、根本的な思想がわからなくなってしまっているようにも思える。言い換えると、憲法をさらにメタな視点からとらえる思想的な背景がさらに弱くなっている。
歴史を振り返ると、20世紀初頭、メタな視点があったからこそ、資本主義社会の現状と課題に即して、社会権という新しい権利が組み込まれたのだが、現行憲法を頂点とし、人権の普遍性や憲法の最高規範性を強調してしまうと、憲法の思想の根拠はと問われたときにフリーズしてしまう。日本では制憲者の意思の議論は起こらず、代わりに基本書読め、といってなぜか憲法学者に振られるのが定番。(制憲者があいまいなのも諸悪の根源かもしれないし、ステートに対するネイションのオーナーシップの違いとも思える。)
欧米の環境運動というのは、あるいはLGBTも同様だけど、恐らくそうじゃないんだと思う。
既存の規範に書いてないものであっても、新たなムーブメントの意味を真剣に見極めようとする思想文化があるんじゃないと思える。
そのムーブメントの暴力性を違法と認識しつつも、時代のダイナミズムとしてとらえようとする、というか。
繰り返すと、
・美の概念など、概念の構想力、概念について深く考えたがる文化の違い。
・憲法など国の根本的なシステムのアップデートするのに必要な社会のダイナミズムへの関心の低さ。
この二つをひとまとめにして、斎藤幸平氏のように想像力の欠如といってしまえるのかもしれないが、因数分解すると、社会設計をするのに基本的に重要な2つの能力、この二つには欧米社会と大きく差があるように思える。
アメリカが戦争で倒したアフガニスタンとイラクでは、どちらも民主化に失敗している。
アフガニスタンでは、アメリカが撤退した後に結局タリバンが統治し、2001年以前の独裁制に戻ってしまった。
今までアメリカが外国に押し付けた民主主義が成功したのは、日本とドイツの2カ国だけである、と言われている。
日本では、大正時代に大正デモクラシーという民主化運動があり、実際に民主化・帝国議会の設置が行われていた。
ドイツでもワイマール憲法が制定され、当時のヨーロッパでは最も民主化された国だった。
日本とドイツ、どちらも民主主義の思想やそれを実行するための社会的な土台がある程度できていたので、戦後のアメリカ主導の民主化はスムーズに行ったに過ぎない。
「「静かにやろうや」ということで、ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか。」
https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/184/syuh/s184008.htm
妻からも娘からも邪険にされる父親像を一般化させたのは一体誰なんだろう
というコメントがあったので
そして、そのフェミに権力を与えたのは戦勝国のアメリカでしょう
占領せず洗脳で弱体化を図る!GHQが行った『日本弱体化政策』とは
http://matome.naver.jp/odai/2142192163190654201
http://d.hatena.ne.jp/sifue/20061208/1165688702
日本国憲法(というかユダヤがドイツ人を骨抜きにするために作ったワイマール憲法の丸写し内容)で、何がしたかったかというと
目的は以下のとおり
自由の過度の追求
道徳軽視
無気力・無信念
俗吏属僚横行
突端主義
国粋否定
間違いなく、日本の物質的豊かさの反面で大流行している精神的退廃じゃないですか
(苦笑。本当にユダヤ人の法律家ってすごい賢いなって思いました。
最終的にたどり着くところは、家族制度の完全崩壊と金、金、金の欲と利害関係にまみれた個人主義的なエコノミックアニマルばかりの国家、
というか国家として機能しない社会を作るのが目的なんだそうです。
ユダヤ人が迫害されてきたヨーロッパでユダヤ人政府のワイマール共和国ができたときに、
大多数のドイツ人の中に生きるユダヤ人が復権するために作った人民飼い殺し用の憲法らしく、
どうせなので日本でもその写しを戦後の日本でも使ってやれ、と適用されたそうです。
(ちなみにドイツではその危機にドイツ人が感づき、反発でナチズムが横行してユダヤ人が迫害された)
で結果、日本では物質的豊かさと反比例して、日本人の精神・家族・国家をここまでぐちゃぐちゃにしてしまった。
で、このユダヤ人の老人モルデカイ・モーセさんは日本人にはいろいろよくしてもらったのに申し訳ない…最後に謝りたい、とこの告白をしたのがこの本というわけです。
憲法の内容とその効果、資本主義と共産主義をの両方を道具として生き残るための使ってきたユダヤの歴史などを詳しく紹介してくれています。
特に憲法の中で「自由」と「平等」という相反する概念の組み合わせがどれだけ人をダメにするか、「義理人情」の方がどれだけ崇高な概念かとかいている所は、かなりぐっときます。民主主義がどれだけ虚妄か本当に勉強になりました。
まあこんな気持ちのユダヤ人の方がいたということで、ぜひ、一度読むことをオススメしたい本です。内容的には、最近流行っている「国家の品格」とかに近い本ですね。
★男女平等は完全な家族制度の崩壊、福祉費用の増大による国家の疲弊を狙ったものだったんですね。
もしかしたら、婦人国有なんていう制度が導入されていた日本の事を考えると寒気がします。
今ももしかしたらほぼ、この婦人国有政策が実施されているのと同じような世の中なのかもしれませんが、
こんな政策が実施されていたら、女性はただイケメンに抱かれるために努力し、
男はいい女を奪い合う、まさに恋愛至上主義、道徳軽視の快楽主義、自然主義が更に蔓延した社会(非モテ・非コミュにさらにつらい社会)になっていたんでしょうね。
そう考えると、日本に古来からあったお見合い制度や信頼ある人同士が結婚相手を紹介し合う制度は非常に道徳的にも精神的にも高度な文化なのかもしれません。
横だけど、そもそも大義名分を言い出すなら、古くは家長制度だから婚内子が平等なのもおかしいだろという話になるよ?
でもこれって、長男には長男で財産を管理して家を守っていく義務が生まれるんだけどね。
むかしは財産といえば領土で、領土を細分化することは好ましくないから、という合理的な理由があって、これは差別ではないんだよね。
その代わり、本家はいろいろ分家の面倒を見たりしないといけなかったり、帳尻合わせは本来あるんだけどね。
また、信仰の自由は大義名分なので、特定の宗教的価値観による判断は国家としては認められないから、歴史的制度である家長制度を持ち出すならともかく、キリスト教的倫理観を持ちだされても、
それは特定の宗教的価値観によるものであって政教分離の観点から大義名分ではない。という言い方もできるよ。
どこかで聞いたことのあるようなフレーズ。ググっても見つからなかったのでネット外の伝聞情報をここに記す。
モチェルダウンス(モチェルダウンス)は、イギリスのロックバンド。1969年にヘルシンキで前身バンドを結成、1992年にメジャーデビュー。デビュー以降外部ミュージシャンの起用は多いものの、同じパーマネント・メンバーで活動している。「ハテナノムーラ」がヒットして以降は常に第一線で活躍し続け、現在アメリカを代表するバンドの一つである。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第1327位。
ジョン・レモン
ミンナ・アホネン
今回の憲法改正の話も、これは現実論として、憲法改正をしておかないと、日本のいま置かれている国際情勢は、少なくとも(現行憲法の)出来た昭和20年と――21年頃とはまったく違うんですよと。この状況は。だから、単なる「護憲、護憲」と叫んでいれば平和がくるなんて思ったら大間違いだし、これが仮に改憲できたからといって「世の中はすべて円満に……」ぜんぜん違います。改憲はたんなる手段だもの。したがってこの手段をどうやって現実的にするかっていうときに、いちばん最初に申しあげたように、ウワアーッとなったなかで、狂騒のなかで、狂乱のなかで、騒々しいなかで決めてほしくない。ちょっと皆さんよく落ちついて。われわれをとりまくこの環境はなんなんだと。この状況をよくみてください、というヨロン*というもののうえに、僕は憲法改正っていうのは成し遂げられるべきなんだと。そうしないと[●●●にとって]間違ったものになりかねんと、いうことを思うわけです。
最後に。
僕は、いま「(現行憲法の改正を発議するには衆・参両議院においてそれぞれ)三分の二(以上の賛成が必要である)」という話がよく出てきますけど**――じゃあ伺いますが、ドイツは、ヒットラーは、あれは民主主義によって、きちんとした議会で(賛成)多数を握ってヒットラーは出てきたんですよ。ヒットラーというのはいかにも軍事力で(政権を)取ったように思われる――ぜんぜん違いますよ、ヒットラーは選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒットラーを選んだんですよ。[●●●は]間違えんでくださいね、これ。そして彼は、きちんとワイマール憲法という当時最もすすんだ憲法下にあって、ヒットラーが出てきたんだから。だから、つねに、憲法はよくてもそういったことはありうるということですよ。だからここは、よくよく[●●●の]頭に入れておかないといけないんであって、私どもは「憲法はきちんと改正すべきだ」とずっと言い続けてきてますけど、そのうえで、これをどう運営していくかって、これはかかって皆さんが選ぶ――投票する――議員の行動であってみたり、またその人たちの持っている見識であったり、矜持であったり、そういったものが最終的に決めていくんだから。
私どもは、周りにおかれている状況は、きわめて厳しい状況になっていると認識していますから、それなりに予算で対応しておりますし、事実、若い人の意識は――今回の世論調査でも、20代、30代の方がきわめて前向き。いちばん足りないのは50代、60代。ここにいちばん多いけど、ここがいちばん問題なんです、私らからいったら。なんとなくいい思いをした世代、バブルの時代でいい思いをした世代が。ところが、今の20代、30代は、バブルでいい思いなんて一つもしていないですから。記憶あるときから就職難。記憶のあるときから不況ですよ。
この人たちの方が、よほど喋っていて現実的。50代、60代、いちばん頼りないと思う、喋っていて。おれたちの世代になると、戦前・戦後の不況を知っているからけっこう喋る。しかし、そうじゃない。
しつこくいいますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください、どこが問題なのか。きちっと書いておれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて作り上げた。そういった思いがわれわれにある。
そのときに喧々諤々やりあった。30人いようと、40人いようと、きわめて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。「ちょっと待ってください、違うんじゃないですか」と言うと「そうか」と。偉い人が「ちょっと待て」と。「しかし、君ね」と。偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選二回ぐらいの若い国会議員に「そうか、そういう考え方もあるんだな」ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。
ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、ワーッとなったときのなかでやってほしくない。
靖国神社の話にしても、なんの話にしても、みんな静かに……参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、みんなで――お国ために命を投げだしてくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わないほうがおかしいんだから。
静かに、きちっとお参りすればいい。なにも戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日もある。8月15日だけに限って行くから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって、といったおかげでえらい物議をかもしたこともありますが。
僕は、4月28日――忘れもしません、4月28日。昭和27年。その日から「今日は日本が独立した日だから」といって――月曜日だったかな――靖国神社に連れていかれましたよ。それが私が初めて靖国神社に参拝した記憶です。それからこんにちまで、まあ、けっこう歳くってからも毎年一回必ず行っていると思いますけれども、そういったようなものでいったときに、ワァワァワァワァ騒ぎになったのはいつからですか、これは。昔はみんな静かに行っておられましたよ。各総理大臣もみんな行っておられたんですよ、これは。いつから騒ぎにしたんですか。マスコミですよ。違いますか、みなさん。いつのときからか騒ぎになった、と私は思う。騒がれたら中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから「静かにやろうや」というんで。憲法もある日気がついたら――ドイツの、さっき話してましたけども――ワイマール憲法もいつのまにか変わってて、ナチス憲法に変わってたんですよ。誰も気がつかないあいだに変わったんだ。あの手口、学んだらどうかね、もうちょっと。ワァワァワァワァ騒がねえで。ほんとにみんな――いい憲法ー―これがいいって――そういう――みんな納得してあの憲法は変わってるからね。だから、ぜひそういった意味で……僕は民主主義を否定するつもりもまったくありませんし、しかし私どもはこういったこれ、重ねていいますが、喧騒のなかで決めないでほしい。
* 輿論なんだか世論なんだかよくわからない。「納得」あたりをみるに世論か。
** 氏のこれらの発言は2013年7月29日に都内で行なわれた、国家基本問題研究所の7月月例会「日本再建への道」に於けるものである。同研究所の理事長は櫻井よしこ氏。
まず私の質問に答えてください。
麻生氏が『狂騒・狂乱の中で憲法は変えてはいけない』と前置きした上でヒトラーの例を出した意図は何でしょうか?
考えられるのは
①全権委任法が民主主義においても狂騒の中であれば起こりうる悪い事例として
②全権委任法が狂騒がなく冷静に落ち着いて吟味されて可決された良い事例として
あなたはナチスが(麻生的に)狂騒でないとするならば②ということで宜しいですか?
一般的な感覚として、視聴者に分かりやすい例で良い憲法改正の事例を挙げるときにナチスを挙げますかね?
「ワイマール憲法という進んだ憲法下であっても、そういうことはありうる」と直後にナチスを批判してるように見えますが。
なぜ明確か分かりませんが麻生氏の発言のどこで語られてますか?
「手続きが正当だった」という意味で取れるのは「ヒトラーが政権を取った」点だけにしか語られていませんよね。
その後の全権委任法を可決させたことについて「正当だった」とどこに書いていますか?
「ナチは上手いこと支持を得て通したんだからその方法論は参考になるよな」と本心で言ったとすれば聴衆は笑いますかね?
ナチスが全権委任法を通した方法については私も認識は一緒です。たぶん会場にいた多くの聴衆も一緒です。
ナチスのやり方が問題だらけだと分かってるからこそ成立する、本音とは真逆と分かってるから笑えるブラックジョークじゃないでしょうか?
あなたの解釈の場合全くジョークになっていないので笑えません。
あなたはどうしても麻生氏が歴史認識不足だったことにしたいようですが、この場合、麻生氏が全権委任法が通った背景をしっかり認識している可能性は高いと思います。
麻生氏は5年くらい前にもナチスを批判して騒動になってますから、ナチスを部分的にも肯定的に例えるだろうか?
http://www.asahi.com/politics/update/0801/TKY201307310772.html
上記講演での麻生太郎氏の発言の一部が批判されている件について。
問題になった発言を以下に引用する。以下「例の発言」という。
「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」
1.麻生氏が例の発言を含む講演をしたこと
2.例の発言が批判的にマスコミに採り上げられたこと
4.麻生発言が、外国のマスコミにも批判的に採り上げられたこと
批判
1.麻生氏は、国民が気づかないうちに憲法改正をすることを奨励しているから、問題である。
2.麻生氏は、残虐な行為をした政党であるナチスの手法を称揚しているから、問題である。
3.麻生氏は、国民が気づかないうちに憲法改正すべきという主張をしている、あるいは、ナチスの手法を称揚している、というような批判されるべき主張をしているものと捉えられかねないような発言をしたから、問題である。
4.麻生氏は、ナチスを肯定的文脈で引用したから、問題である。
5.麻生氏は、外国から強く非難されても仕方ないような発言をしたから、問題である。
批判1と2は、麻生氏の「真意」を問題にしている。しかし、麻生氏は批判1や2にあるような意図ではなく、誤解であったとしているため、これらの批判は的を射ていないことになる。このことは、たとえ批判者が「いや、あの文脈でああいう発言をしたということは批判1や2にあるような意図があったに違いない。」と主張しようが、「批判1や2にあるような意図があったとしか読めない。」と主張しようが変わらない。発言の「真意」は本人のみが決めることだからである。
批判3は、麻生氏の発言の「外観」を問題にしている。前記した、「批判1や2にあるような意図があったとしか読めない。」と主張する者は、批判3を行わなければならない。
そして、批判3を行う者は、例えば「例の発言をした麻生氏に政治家としての適格性はない」という主張をする際には、「なぜなら、政治家は発言を慎重に行うべきであって、あのような批判されるべき主張をしていると捉えられかねない発言を不用意にすることは政治家としてあってはならないからである。」などと続けなければならない。もしも、「なぜなら、あのような批判されるべき主張は憲法の意義・重要性やナチスのしたことへの無理解を露呈しているからである。」と続けるのならば、それは批判1や2にコミットしていることになり、論理矛盾を引き起こす。
批判4は、主にドイツのマスコミが行なっているものである。ナチスは、その政策内容の残虐性・人権侵害性だけでなく、政権掌握に至るまでのやり方も人権侵害を伴うものだった。そうしたナチスのやり方を肯定することは、それがいかなる文脈の中であっても、ジョークであっても、許されることはない、という前提に立つものである。
批判5は、例の発言の内容とは全く独立しているものである。どんな発言であれ、どんな文脈であれ、どんな真意であれ、それが「国際人権感覚」の観点からして批判されるようなものであれば、それ自体が批判されるべきである、というものである。この批判をするためには、「なぜ外国から批判されるような発言をすれば、それがたとえ誤解であろうとなんであろうと、批判されなければならないのか」という問に答えなければならない。
http://nabeteru.seesaa.net/article/370956778.html
上記URL先のブログでは、「ナチスの手口を学んで国民が知らない間に憲法を変えてしまうやり方に共感を覚えているのである。」として、批判1を行っている。その際、批判1を行うにあたって、例の発言を含む講演内容全体から、麻生氏の「真意」を推測している。そして、その推測に基づいて麻生氏の思想内容を断定し、その思想が問題である、と批判しているのである。
http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20130803/1375502413
上記URL先のブログでは、「問題は、『ナチスは悪い中身の政治をしたけども、その方法論は見事だった。180度かわるような大転換をやってのけてしまったのだから』という認識を麻生が持っていることなのだ。」としている。これは、批判2である。批判2も的を射ていないことは既に述べた。
もっとも、このブログでは、「『ナチズムの中身はダメだが、手口は学ぶところがある』と麻生が思っていると解釈すれば」として、留保をつけている。
そして、この解釈自体は論理的に成り立ちうるものである(説得的かどうかは読者が決めることだが)。したがって、例の発言についてこういう解釈をすることは全く問題はないし、その解釈が正しいことを仮定した上で、発言を批判することは、正当なものである。
ただし、あくまで解釈である以上、麻生氏の政治家としての適格性を主張内容に基いて論難することは矛盾をきたす。麻生氏の主張内容(=真意)は、本人と神しか知らないのである。
麻生氏の批判者は、批判1,2をしないように気をつけなければならない。批判3〜5は十分に成り立つ。
いずれにせよ、重要なのは、発言がどうこうとか一政治家の適格性がどうこうとかいう話ではなく、「憲法とは何か/何のためにあるか」「憲法改正はどのように進めるべきか」というような面倒くさいが避けては通れない議題について、基本的人権の概念や権力分立原理等、近代憲法の立脚する根本原理に基づいた建設的な議論をしていくことである。政局論議に堕してはならないと思う。
前回、『麻生太郎の某ナチス発言を解読してみた』(http://anond.hatelabo.jp/20130801210220)を書いた者です。
前の日記で、「動画が公開されていないので解釈が割れている」と言いました。
正直、麻生太郎については好きでも嫌いでもないので、前回の解読は国語テスト感覚で楽しくやってました。
(一応、10年以上前ですが高校の模試で現国は偏差値80以上取ったことあります。理系でしたが(笑)。)
前後関係とナチスの歴史から推測して、それなりに自分なりに納得した形で解読したつもりです。
発言全体から見れば「手口に学ぶ」=「(反面教師として)教訓に学ぶ」として捉えないと全体的な整合性が取れません。
しかし音声を聞いて、「あれっ?」となりました。
問題とされたあの「手口に学ぶ」の発言の時に会場から笑いが起きているのです。
私の解釈だと割と真面目な話なので、笑いが起きるのはあまり考えにくいです。
つまり、いわゆる『あの発言はブラックジョークだった』説です。
わざと本音とは逆のことを言って、(会場の聴衆もそれを分かっているので)笑いが起きているという可能性です。
そのあたりの解釈も加えて、これまでの一般的に多い解釈を検証してみましょう。
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①『手口に学ぶ』=『ナチスを見習ってこっそり静かに憲法改正するべき』説
ニュース等でクローズアップされてる「あの手口学んだらどうかね。」の前後の発言だけを聞くとそう読み取れるのも無理はありません。
【矛盾点】
麻生氏は「憲法改正は狂騒の中で決めてほしくない」と前置きした上で、ヒトラーの台頭を例に出し、「憲法はよくても、そういうことはありうる」と指摘してます。
「そういうこと」とは「ヒトラーの台頭」のことですし、「憲法はよくても」に続く発言ですから、ヒトラーは悪い例であることは明らかです。
「例」とは視聴者に分かりやすく説明する時に用いるのが普通ですから、良い例としてヒトラーを出しては意味不明です。
そうすると『ナチスを見習ってこっそり静かに~』という解釈は非常に違和感があります。
また、ワイマール憲法がナチス憲法に変わった経緯で、「だれも気づかないで変わった」と言ってるのに、その直後で「みんないい憲法と、みんな納得して変わった」と言っており、「どっちやねん!」っていう話です。
さらに当時のドイツは不景気や議会への不満で混乱期でしたから、狂騒とは反対の『冷静に慎重に』の例に出すのはおかしいです。
この①の説を主張している人の中には「麻生氏の歴史認識が間違っている」と批判する方も多いですが、その前のヒトラーの台頭の歴史認識は合ってます。
民主主義でヒトラーが選ばれたことを知っていて、全権委任法が可決された当時のドイツの混乱を知らないのは少し違和感があります。
しかもわざわざヒトラーを例に出すということは、それなりに知識に自信が無いとできませんし。
③ブラックジョーク説
今回音声が発表されて有力になった説です。
ただし、「静かに冷静に」の例えがヒトラーなのがおかしいのは①で述べたとおり。
狂騒の例としてヒトラーが使われなくては辻褄が合いません。
麻生氏の発言は憲法改正の話から靖国神社参拝の話へと移ります。
つまりこれは日本の憲法改正の話ではなく、「靖国神社の参拝の仕方として、狂騒にまぎれて憲法改正を行ったヒトラーの手口を学んだらどうか」というブラックジョークです。
(常識的に実際そんなことできるわけありません。)
靖国問題の例えだとすると、その前の「だれも気づかないで変わった」というのは「ドイツ国民が~」ではなく「諸外国が~」という意味に取れます。
したがって、「みんないい憲法と、みんな納得して」の主語は逆に「ドイツ国民」で、「狂騒の中で、あの危険なナチス憲法が良い憲法だと国民みんな勘違いしてしまった」という解釈であれば意味は通ります。
矛盾点というか問題点は、これだとせっかくヒトラーを狂騒の例えとして出したのに、その意味が薄れてしまいます。
非常にややこしいジョークです。
といった感じです。
④『麻生太郎本人は②のつもりで言ったけど聴衆が③だと思って笑ってしまった』説
そのまんまです。
可能性は少ないですが(笑)。
あくまで個人的な感覚ですが、①の説だったら確かに大問題でしょう。
②や④だったら全く問題なく、ただのマスコミの暴走なので騒ぎを大きくしたマスコミはきちんと釈明しないといけないと思います。
今回の騒ぎが誤解であることに間違いはないので大問題ではないと思いますが、政治家がジョークでナチスを使ったことはまずいと思います。
色々書いてみましたが真相はまだ分かりません。
ただ①を信じて疑わない人や冗談に聞こえない人は「麻生太郎はナチスを肯定するような危険思想を持っている」と確信しているということですから、ご自分が危険思想のテロリスト素質を持っていることを疑った方がいいと思います。