はてなキーワード: 社会派とは
追記したら表示文字に制限があったのか、本分がぶつ切りになってしまったので記事を分けたよ。
追記部分はここを見てくれ!
というわけで、タイトル通り成人映画館(ポルノ映画館)に足を運んでみたのでその話をする。まったく知らなかった人、行ったことないけど行ってみたかったり興味がある人、行く気はないけど中身が気になる人、そんな人たちに少しでも足しになる話になれば幸いである。
ちなみに当方20代半ばの女である。女性から見た成人映画館体験記として今からエロい話をするので、お好みの美女・美少女を脳内補完して楽しんでほしい。
成人映画館とは、その名の通り成人向け映画をメインに上映している映画館である。ポルノ映画館、ピンク映画館とも呼ばれる。
通常の映画館とは違い、連続上映となっており一度入場券を買ってしまえば何時間でも見ていられる。料金も特別料金が上乗せされてめっちゃ高ぇ!なんてこともなく、劇場によって多少の差額はあるものの普通に映画を見るのと同じような値段で入ることができる。このシステムは成人映画館ならでは、というよりは昭和の映画館運営から営業形態が変わっていないのだと思う。まぁネット検索のみの付け焼刃知識なので、話半分くらいに聞いておいてくれ。
当然18歳未満は入場禁止だが、学生禁止ではないので大学生からは入れることになる。
また、普通の商業施設とは違いシアター内ではある程度のわいせつ行為はお目こぼしされており(支配人やその時いるスタッフのさじ加減次第だが)、男性同士の出会いの場(いわゆるハッテン場)や特殊性癖のカップル、男女の集まる場所となっているらしい。そしてそういった行為についてもどうやら界隈内で一定のルールがあるらしく、アングラで非日常的な場所ではあるがそこまで無法地帯ではないと感じた。たまたま私の運がよかっただけかもしれないが。
最近流れてきた昭和を懐かしむ系のツイートで、成人映画館の前で女の子が写真を撮っているものがあった。それ自体は普通に炎上したつまらんツイートだったのだが、そこに付いたリプや引用が私の目を引いた。みんな揃って「そこ現役でやってるピンク映画館だから下手なこと言わない方がいいぞ」みたいな忠告をしているのだ。
その単語を知識として知っていた私は思った。あれって実在するんだ、なんかおもしろそうだし現役でやってるなら行ってみよう、と。
めちゃめちゃしょうもない自語りをさせてもらうと、昔から興味が沸いたことは一回やってみないと気が済まないタイプの人間だった。扇風機に指を突っ込もうとしては親に叱られアチアチのヤカンを「それ熱いよ!」と注意されても自分の指で触って確かめ親にぶったたかれるクソガキだった。ペヤングが時々出しているトチ狂ったフレーバーの焼きそばを食べずにはいられない人間だった。もうとにかく自分の興味が引かれたものに対しては自分で体当たりせずにはいられなかったし、「さすがにマズイぞ」のラインを見極めるストッパーも自分の中には無かった。あとシンプルにエロいことが好きだった。未知のエロ、体験せずにはいられないッ!
というわけで、好奇心の赴くまま、都内在住の私はこれ幸いと夜の街へ繰り出したのであった。こういう娯楽はだいたい東京にある。東京、私のような好奇心のかまたり人間には最高の土地だ。
の3カ所である。このうち上野とついている劇場は同じビルにあるとのこと。
それぞれの劇場に特色があり
シネロマン池袋→わりと大人しい雰囲気らしい?初心者向けとか書いてあるブログも見た。
上野オークラ劇場→日本一のポルノ映画館とも呼ばれている。一番お客が多いっぽい。
私の通勤経路的に上野まで行くのは骨が折れるのと、初心者向けとのたまうブログを信じて今回は池袋の劇場をセレクト。さていよいよ本番である。
シネロマン池袋は池袋駅西口側に存在しており、出口にもよるが基本は徒歩3分かからないくらい、一番近い出口からなら徒歩1分ほどとかなり駅近くにあった。今までかなりの回数、目の前を通っていたが全く気付いていなかった。人間とは意識の外にあるものをこうも認識できないものか。
施設自体は地下一階にあるが、地上の入り口部分にでっけー看板があるので目印を見失って迷子になる心配はまったくない。狭い路地の秘密基地めいた場所が入り口……とかでもなく、なんならめちゃくちゃ通りに面しているので本当に見つけやすい。いつもグーグルマップに惑わされるタイプの人間なので非常に助かった。
階段を下りた目の前にチケット自動販売機と対面で購入できるスペースがあるが、私が行ったタイミングでは対面の購入スペースは既にカーテンで締め切られていたので大人しく券売機で購入。
ちなみに今、シネロマン池袋はサービス価格で通常は男性ひとり1800円のところ一律1300円で入場可能だ。男性諸君行くなら今がチャンス!
券売機で買ったチケットを左手側に進んだ受付のスタッフさんに手渡すのだが、女性ひとり客の場合ここで
・トナラー防止用の貸カバンを渡すので、自分のカバンと貸カバンを両隣に置くといいこと
・中で何かあったら大声を出してもかまわないこと
など説明される。私が入った時のスタッフのニイサンはかなり親切な人で、非常に心配そうな顔で説明してくれた。私自身はここが「そういう場所」であることは覚悟の上で来ているし、なんならハプニング的要素も楽しむつもりではあったのだが、痴女と思われるのも心外なので神妙な顔で頷きながらカバンを受け取っておいた。後述するがこれがシアター内での平穏を守る砦となってくれたので、この時の自分の判断に感謝である。
ここで渡される貸カバンだが、中にしっかり重めの物体が入っていた。
もしこれを見て成人映画館というものに興味を持った貴女が、本当に見物だけを目的に劇場を訪れたとき、触られたくないのに同意もとらず不埒を働く輩がいたらこのカバンを思い切りぶん投げるか振り回してぶち当ててやればかなりのダメージが入るはずだ。少なくとも走って受付に行くまでの時間は稼げる。迷いなく全力で振りかぶろう。好奇心に駆られた貴女が心身を損なう事なくその心を満たせることを祈っている。
受付からさらに左手へ進むとシアターだ。ちなみにお手洗いは受付の後ろ側にあるので、シアター内でプレイを楽しみたい紳士諸兄は女性に触れる前にここで手を洗おう。女性客がいなかったとしても、自分のブツを触るならやはり清潔な方がいいので、どちらにしろここで手を洗おう。
シアターへ繋がる防音扉を開けると、普通の映画館とは違いカーテンがかかっていたので最初ちょっとびっくりした。人間、目の前に急に何かしらが現れるとびっくりしちゃうよね。
レール等はなく動かないようだったのでのれんのようにめくって一歩中へ入ると、お客さんは結構まばらで20人くらいの男性が各々好きな席に座って見ている感じだった。仕事帰りに立ち寄っているのか大半がスーツ姿。仕事終わりにちょっとむらっとくることあるよな。うんうん。
上映中の画面前を横切ってうろうろするのは気が引けたので、とりあえず目の前にあった席(最前列の右端)に座って左隣に貸カバンを置いてひとまずは鑑賞することに。がら空きだったのでもうちょっと中心寄りに座ってもよかったのだが、いかんせん見知らぬ場所で自分のカバンを手放すのは盗難などのリスク的に怖かったので、貸カバンひとつ置けば済む一番端の席に座り、自分のカバンはひたすら膝の上で抱えこんでいた。しかし最前端はずっとスクリーンを見上げる体勢になってしまうので、最前列はおすすめしない。単純に鑑賞を目的とするなら、中間列の端の席がベストだったかなーと思う。カバンを手放すのはオススメできないので、あくまで端の席だ。
ちなみにシアター内は独特のスメルがする(たぶん体液)ので、臭気に敏感なタイプの人はマスクを推奨する。私もけっこう気にする人間なので最後までにおいには慣れなかったし、最初の10分くらいは鼻がキツすぎて帰りたかった。気合で我慢したけど。
さて、上映していたのは昭和の香り漂う作品で、「AV」じゃなくて「ポルノ」という感じだった。現在FANZAやDMMで見られるものとまったく違うテイストで、もちろんその人の感性によるが私は作品として普通に楽しく鑑賞した。1作品目は途中入場だったのだが、なんとなくメッセージ性のある作品で正直エロいものを見ている、というよりは性描写のある社会派風刺ドラマを見ているような感覚だった。
あと今の人と体型がぜんぜん違ったり(見る感じ、今どきの人はとても足が長いと思う。昭和の女優さん、脱ぐと動体が長くのっぺりとした体型で、100年も経たないのに人類の遺伝子ってこうも変わるのかと驚いた。)、ひたすら局部を隠すカメラワークで当時はポルノでも挿入はフリだけで撮っていたのかな?だったりといろいろ考えながら見られて興味深かった。コンテンツとしてポルノ映画にハマりそうなレベルで、なんか普通に3本映画見て帰ろうかな、と思ってしまうくらいだった。
このようにアンダーグラウンドな成人映画館でのんきにポルノ鑑賞を楽しむ私であったが、これには貸カバンの恩恵が大きい。
というのも、どうやら「カバン等で隣席をブロックする」という行為は「コミュニケーションの意思無し・私に触れるな」という意思表示と見做されるようで、貸カバンを置いた席の隣まで移動してくる人や横の通路まで来て顔を凝視する人、後ろの席から顔を覗き込んでくる人、映画の濡れ場ではなくこちらを凝視しながらシコる人等々はいたが、カバンを置いている間は一切触ったり声をかけたりという行動はなかった。無理にカバンを取り上げて隣に座ってきたり、というのもなかったので、基本は相手が積極的にOKを示すまでは触れるべからず、的な界隈ルールがあるのだろうと推測する。それが「成人映画館の常連全体」なのか、「シネロマン池袋のローカルルール」なのかまではわかりかねるが……。
さて、ここで次の私の興味関心は「この場で貸カバンをどけてみたらどうなるのだろう?」である。
いやさすがに始めてきたばっかりでそこまで試してみるのもなぁという気持ちと、せっかく来たなら気になるもん全部試した方が悔いはないという気持ちで10分程度争った結果、好奇心に抗えなかった私は貸カバンを手に取り、通路側の手すりにかけてみた。これで私の真横の席が空くことになる。
はいここからエロい話になります。紳士諸兄はお好みの女性像を思い浮かべて読んで欲しい。
そしてエロをエロく書くには文才がいるのだが、私にはそこまでの文才はないので起こったことをさらっと書いていく。最大限の脳内補完を頼んだ。
はてブでそういうつもりになろうなんざ思ってない?それはそうだ。そんな人はここは読まなくていい。長ったらしく書くが、私が言いたいのは「やろうと思えばすけべなことができる空間だったよ」、ということだ。結末に興味がある人は、ここを読み飛ばして下の総括を見てくれ。
さて隣席が空いた瞬間、すごい勢いで周りの席に男性が集まってきた。直前までは後ろに一人、カバンを挟んで一人、あとは全員離れた席にいたのだが、カバンをどけて一人が隣に移動してきたのを皮切りに周囲の空席が全部埋まった。なんなら隣の隣くらいまでは人が座ってこっちを覗き込んでいる。
成人映画館にはゲイが多いらしいとネットには書いてあったので、なんならシアター内の大半はそっちの嗜好の人なのでは?意外と私には誰も興味を示さないかも……と思っていたがどうやらそうでもなかったようで、気付けば通路側にも人がおり人生で初めてレベルの取り囲み方だった。
まずは左隣に座った男性が私の手を触っており、どうやらこれで接触に対する拒否がないか様子を見ているようだった。ひとまず黙ってそのままにしておくと次は太ももへ。これも黙って受け入れる。
このあたりで大丈夫な女だと判断され、あちこちから手を伸ばされ服の上から体をまさぐられた。普通に生きてて大人数からまさぐられることなんてなかなかないので、私もちょっと楽しくなってくる。
この時後ろで立ってこちらを見ていた男性がいたらしく、別の男性が「おい、座れよ!」 「後ろの人も見てんだよ!」 「座れって!」 「なんだようるっせぇなぁ!」みたいな喧嘩が発生してておもしろかった。座れと言った男性は圧倒的に正しいのだが、片隅とはいえわらわらと集まってこんなことをしている時点で言えた義理ではないのでは?と思ってしまった。まぁここに見に来ている人はそれも織り込み済みなんだろうけど……。
抵抗しないでいるとあっという間に服をたくし上げられて直接胸を触られ、ズボンは前を開けられパンツの中に手が入ってくる。身をゆだねきっていれば徐々に快感が高まっていき、体が反応してピクっと動いたり声を漏らしたりするたびに周囲の男性も盛り上がっていく。
ちらっと周りを見ると、新しく入ってきた人も席につかずこちらの見物に混じってきていたようで3層くらいの人の壁ができていた。入り口ふさいですみませんでした。
ひとりの指がぬるっと中に入ってきて、すわガシマンされるか!?と警戒したが思ったよりゆっくり触られて少しずつ絶頂に近づいていく。ときおり激しくなりすぎて痛くなっても、「痛い…」とつぶやけば周囲の男性の中で誰かしらが拾ってくれて「痛いって!」 「優しくしてあげて!」と声をかけて調節してくれるので、けっこう安心して快感に集中できた。
口に指を突っ込まれ、うーんこれはちょっとやめて欲しいかも……と思いつつも絶頂を迎え体がひときわ大きく跳ねる。指でふさがれているので喋れなかったが、中を触っていた男性が「イっちゃったの?」と聞くので頷くと「じゃあ休憩しようか」と服を整えつつ壁になっていた男性を解散させてくれた。この人おそらく界隈歴の長い常連だな。助かる。
なかなか味わうことのない感覚だったのでしばらく息を整え、好奇心も性欲も満たされた私は席を立った。
ネット記事やブログ(風俗誘導系のアフィリエイトも含め)に、〇〇で起こったエッチな体験談!みたいなのが載っているのを見たことある人も多いと思う(成人映画館で検索しても出てくる)。私は嘘を嘘と見抜ける人間なのでその手の体験談は基本、誘導するための架空記事だと思っている。しかし、実際に起こる場所もあるにはあるんだなぁと一つこの世の真実を知った気分になった。
成人映画館、性的な行為に抵抗がなく、ある程度自分の損害を納得できる人間にとっては非常に楽しい空間である。
最初に書いた通り、アングラな空間ではあるが、場所も、そこにいる人も治安は悪くないと思う。
これはもちろん私が非常に幸運だった可能性もあるが、「全員料金を支払っている」という側面が大きいと思う。どんなものでも、身銭を切らずにタダで使ってやろうと思う人間と、金を支払うということを呑める人間の治安レベルには大きな隔たりがある。特に成人映画館は風俗店ではないので、その日女性客が訪れる・その女性客が接触できる人である可能性は低い。それを承知の上で支払えるという状況は、ひとつの安心材料たりえるのではないだろうか。
しかし、だとしても、私が言うのもなんだが女性が一人で行くのはあまりオススメしない。こういった場所に誘える友人なんているわけない、というのは確かにそうなのだが(私もそうだ。)、自分自身の身を守るためにも複数人、あるいは男性を連れて、最低でも2人で入場するのが好ましいだろう。
私はシネロマン池袋に単身乗り込むにあたり、最悪身ぐるみ剝がされてレイプされても泣き言は言わぬ覚悟だった。財布だけは死守したかったので、触られてる時も決して自分のカバンから手も目も離さなかった。
……とまぁいろいろ書いたものの、私としては楽しかったので今後の人生でまた何度か行くと思う。次は絶対にマスクをしていく。絶対にだ。
今回行ったのはシネロマン池袋。中にいた人の話を聞く限り、結構大人しい客が多い劇場らしい。それに私が行ったのは平日ど真ん中の夜。
では、人が多く集まるであろう金土曜夜の、日本一のポルノ映画館である上野オークラ劇場は一体どうなんだ?言ったら何が起こるんだろう?好奇心が止まらない!
というわけで、これを架空記事やおっさんがネカマして書いた記事だと思っているそこの貴方、
○ご飯
朝:納豆たまごかけごはん。豚汁。昼:フライドポテト。夜:餃子、もやし、にんじん、しいたけの鍋。ネギたまごおじや。間食:アイス。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、おやすー。
○AMBITIOUS MISSION
・はじめに
原作はSAGA PLANETSから2022年に発売された18禁美少女ゲームの全年齢移植版を遊んだ。
北海道沙幌市を舞台にクラーク博士が残した伝承、12個の宝石とそれを収める台座で構成されたお宝を巡り、怪盗、探偵、警察、盗人、泥棒などが入り混じるクライムサスペンス。
金色ラブリッチェとは同じ世界のようで、ちらほらと見知った顔が登場する。
メーンヒロインの怪盗ミスアルテが掲げる「みんなのハートとため息を盗む」というポリシーを実現する様に、主人公の根津御影が共感し協力することになるのが導入。
怪盗が犯罪者であることは口酸っぱく言及され続けるが、法律よりも優先すべきことがあるキャラクタの心情に共感でき始めてからが物語の本番。
めちゃくちゃ面白くて最高に楽しいゲームだったので、感想を書いていきたい。
主人公の根津御影の一人称が基本的な視点になるが、まず彼が怪盗ミスアルテに一目惚れ、もといハートを盗まれるエピソードから始まる。
そのため、まずはこのメーンヒロインミスアルテが魅力的でないと話に入り込みに食いのだが、めちゃくちゃ格好いいキャラで、これに惚れない男はいないと納得させられる。
自身の行いが法律で裁かれる悪であることを強く自覚し、しかしその悪を持ってしか成し得ない大志を掲げる。
義賊的な振る舞いをしながらも、結局は自身の個人的な大志のために悪を成すミスアルテの立場は、口で言うのは容易いものの、具体的に納得するのは難しい。
しかし、本作では一番最初のエピソードで、早速主人公が抱える大問題、自分を育ててくれた養護施設の取り壊しを阻止するという目標を、ミスアルテがかなりあっさりと成し遂げてしまう、それも自身のポリシーを実戦しながら。
もうこの最初のエピソードから一気にのめり込まされ、物語の要素がたっぷり詰まっていて面白い。
夜の街を飛び回る怪盗の痛快さ、腕力や体力だけでなく知恵を使った騙しのテクニック、怪盗部と呼ばれるミスアルテをサポートする面々のプロフェッショナルさ、そして幾度となく繰り返し語れるハートとため息を盗むというポリシーの格好よさだ。
段取りを立てるパートがちょうどいい塩梅の文量なのが心地よく、怪盗目線で事件を起こしていくのが面白い物語なんだとすごく伝わってくる。
この段取りの部分では後に書くミスアルテの仲間たちも活躍するのが特に良きだった。
リアリティラインがわかりやすく引かれ、かなり無茶なことをしているが、開幕のエピソードが作品の自己紹介として読者もまさにため息をする暇もないし、ハートを盗られたと感じさせられた。
・怪盗部が仲間になっていく過程の楽しさ
怪盗ミスアルテに助けられた主人公は、自身も怪盗ミッドナイトとして、怪盗業に勤しむことになる。
この自身の名前を名乗るシーンのポエミーでキザったらしい部分で、ヒロインだけじゃなく、なるほど主人公の根津御影も大きくフィーチャーされると、予見できるのが面白い。
ミスアルテとミッドナイトは、高校生をやりながら放課後に隠れて怪盗を行う。
そのため協力者達と表向きは文化系の部活を装いつつ、その実は怪盗をするので、怪盗部という謎部活感のある設定が登場する。
顧問のカリス先生はラッキースケベ枠兼鬼教官キャラで、訓練の最中にエッチなハプニングが起こるわかりやすい美少女ゲームらしさが楽しい。
訓練でのお茶目なシーンがあるからこそ、怪盗パートでの頼れるサポート役とのギャップが良いキャラ。
男性ながらメイド服を着てお給仕もしてくれる小林つばめ君は情報解析やオペレーターの仕事をしてくれる。
怪盗部の男性は彼と主人公だけなので、最初から距離感が近いし、何より押せばすぐヤレそうな気の弱さが可愛いキャラだ。
彼女のメイク道具は特殊な素材でカメラやビデオで撮影してもボヤけて焦点が合わないというSFガジェットなので、決して無駄な職業ではない。
夜の街を駆けるために強力な足の補助具やグライダーなどの怪盗道具を練習するパートが結構長くあるため、所謂修行パートのような楽しさがあった。
金色ラブリッチェとの設定リンクのおかげで、あいつよりはまだリアリティのある設定だとある種勘違いしてしまうの設定の妙もある。(あちらでは完全にすこしふしぎの領域に入っていたので)
そうして怪盗部の面々との交流を通じて、主人公は怪盗ミッドナイトとして成長していき、各ヒロイン毎のルートに分岐していく。
僕がプレイした順序だとまずは、メイク担当にしてギャルの本郷虹夢ルート。
共通ルートでは怪盗が主役の痛快エンタメだったが、個別のルートでは諸々の事情があり怪盗の動きは控えめになる。
ここは正直言ってストレスの溜まる部分で、共通ルートではアレだけ自由だった怪盗部が社会的な圧力で身動きが取れない展開はモドカシイ。
虹夢のルートでは、SNSで様々な人の暮らしが容易に見えるからこそ、資本の格差を感じる人の辛さがテーマになっていた。
共通ルートのエンタメ一辺倒から一転して、結構真面目なテーマを扱っているし、作中での言及も安易に極論や結論に飛び付かず丁寧な議論が多く、作風の違いはあれどこれはこれで面白かった。
もちろん怪盗が身動き取れないことや、議論のくだりはタメの展開で、最終的にはテーマ通り、みんなのため息とハートを盗むことになる。
そこにメイク担当のギャル虹夢が当番のルートであることを踏まえた仕掛けがキマるのが、美少女ゲームにおける怪盗の書き方になっていて面白い。
虹夢はSNS強者でフォロワーが大勢いるアルファツイッタラー(今はインフルエンサーというらしい)なので、その立場を利用した仕掛けは現代ならではの仕掛けで、部品が現代的になり、かつその根底にヒロインの可愛さがあるなら納得の出来で良かった。
彼女のルートで悩みの種になっていた、SNSのせいで浮き彫りになってしまう格差が、それでもそうやって誰かに映える魅せ方をすることを前向きに肯定する明るいシナリオなのも良いポイント。
・血よりも濃い関係
続いてプレイしたのは、盗人を自称する第16代石川五右衛門のルートだ。
見た目は小さい後輩女子なのだが、盗人を盗む盗人を生業とする端的に言うと忍者のキャラ。
忍者なのでミスアルテやミッドナイトが使うガジェットなしでも技術と筋力だけで同等のアクションをやれちゃうすごいキャラ。
怪盗部を取り締まる側の立場ではあるが、ミスアルテの口八丁に巻かれて仲間になってしまう。
彼女のルートでは血よりも濃い家族の関係がテーマになっている。
主人公は親がおらず孤児院で育った経歴を持つが、彼女は先祖代々の石川家を継ぐために母親の蜜子の命令を絶対視している。
そんな対象的な二人の恋愛エピソードが主で、他のエピソードとは結構毛色が違うかもしれない。
ヒロインの母親蜜子さんの存在感が大きく、正直言って途中これもう蜜子ルートでは? と思ったところもあったぐらいだ。
(実際、原作では蜜子さんとのシーンもあるそう)
エピソードとしてはラブコメらしいラブコメで、怪盗のお話はちょっと添え物感があったかもしれない。
攻略ルートが無いサブキャラ達にも魅力的なキャラが多いが、中でも男性キャラで親友ポジションの小林つばめ君はとても可愛い。
かぐやに仕える従者で、男が年頃の女性の側にいることを問題視され、嫌々ながら女装をしているキャラ。
怪盗の仕事でもオペレーターとしてサポートしてくれ、平常時の知性面では非常に頼れるキャラだ。
その上で怪盗部の中では、唯一の男友達なので、主人公と気安い関係を築いていく。
聞き分けが良い性格を逆手に取られて下品なことをされてしまうのがコメディながらもエッチで可愛い。
設定解説パートを任されることが多いので、一生懸命長セリフを喋るのも頭良い可愛い。
押しに弱いところが非常にエッチで、義務の女装なのに下着まで女性ものにさせられるくだりはとても良かった。
18禁版ではお楽しみエピソードを補完する追加パッチが配信された人気キャラなのも納得。
彼が主役のボイスドラマなどもあり、要チェックしたい。
そして、本作のメーンヒロインミスアルテこと有瀬かぐやのルート。
虹夢と石川のルートは怪盗のエピソードが控えめだったが、こちらではたっぷり楽しめる。
共通ルートの延長線にはなるが、そちらの感想の通りの面白さが続く。
それと並行しながら、かぐやの大志、姉のあてなを救うことの難しさが少しずつ開示されていく。
有瀬かぐやは有瀬家という北海道の要所に親族を多く送り込んでいる超金持ちの家系の跡取り候補。
この有瀬家の跡取りを巡る騒動が話の主軸になっていく。
ここは「もう詰んでいる」ことを理解させられるため、かなり息苦しいお話だった。
設定が繋がっている金色ラブリッチェの理亜ルート彷彿とさせるどうしようもなさで、法律に縛られない怪盗であったとしても方法が思いつかない。
しかし、SFガジェットの登場でそこが大きく動き出すことになる。
ワクワクする導入で、かなり後半の登場なので、ここからまだひっくり返すのかと驚いた。
しかし、ここは正直文量に物足りなさを感じてしまった惜しいところでもあった。
SFガジェットによってすごく大きな変化が起きるため、もっと色々と掘り下げを読みたかった。
もっとじっくり読みたかったところだが、あくまでそのガジェットにまつわるセンスオブワンダーを楽しむのはストーリーの主題ではないのだろう。
このルートのヒロイン、かぐやが怪盗ミスアルテとして姉を救いたい、その感情の掘り下げと描写こそが本懐だと感じられ、情緒的な文章もたっぷり読める。
助けられる姉側の感情の掘り下げ、姉妹の怪盗への想いがブレないことが、最初から首尾一貫し続ける。
この二人が何が起きようと分かち難い関係だったことが判明するシーンは、今作屈指の名場面だ。
ここの仕掛けの妙は、声優の小高志季(安玖深音)さんの演技力も光っていた。
このシーンは視点人物が妹のかぐやになっているため、地の文が彼女のフィルターがかかっていること、スチル絵のインパクトとと、あの仕掛けに向けての工夫は各所にあるのだけれど、声優の演技次第では興醒めも良いところなので、難しい設定をしっかり演じ分けていて、とても素晴らしかった。
「あてな」の掘り下げこそあったものの、裏の裏をとっていったとき、どこまで踏み込んで良いのかのバランスをうまく演技が補強していて、すごく印象深かった。
そんなわけで、怪盗ミスアルテのエピソードはこのルートで終わるものの、作品全体を通じての大きな謎は次のルートに持ち越される。
あてなのルートということにはなっているし、恋愛のエピソードもあるものの、主演は主人公の根津御影こと怪盗ミッドナイトだ。
彼が何者なのか、あのSFガジェットとの関係はあるのかなどの謎が全て解かれる綺麗なエピソードになっていた。
ばら撒かれたパーツがしっかりと全て必要な場所にハマっていく快感が流石の構成力だった。
彼が、みんなのため息とハートをどのように盗むのか、本作最後の怪盗パートでそれが明かされる。
この仕掛けが明らかになるシーン、最初からここに集約することが決まっていたであろう綺麗さで、物語の全部がこの一点に向けられているような万感の思いがこもってすごく良かった。
前作金色ラブリッチェへの目配せも意識したシーンになっていて、シルヴィア達の選択すらも内包した力強いメッセージ性、格好つけることの大切さすらもあった。
ハートとため息を盗む。
繰り返し、繰り返し何度も言及される言葉だが、本当に端的にこのゲームの内容を示していて、良い言葉だった。
・おわりに
最高に面白かった。
敵役の感想はほとんど書けていないし、SNS以外の社会派なテーマのエピソードが獣害や環境問題など他にもいっぱいあったし、仮想通貨などの現代的なガジェットの面白味、金色ラブリッチェからのゲストキャラがあの二人であることの意味など、まだまだ語りたいことは沢山ある。
執着の感情がわかりやすく、弁が達者で、かつ作戦がかなり泥臭く、そして彼なりの愛の形もあった多様な面がある良い敵役だった。
悪を成す点では主人公たちと同じだが、その有り様が相反する点があることで、より立体的に怪盗が成すべき思想が見えてくるのが好き。
良かったシーンを全て書いていくと、物語全てを書き下すことになってしまうぐらい、本当に面白い作品だった。
導入では魅力的に誇張されたキャラクタ達が、中盤では社会的に地に足をつけて生きなければいけないもどかしさで溜まったストレスを、一気に解放する完璧なオーラスの展開は、本当に爽快で気持ちの良いスカッとした面白さだった。
特に三人目の怪盗、ミスミネルバにまつわるスチル絵が出てくるシーンはどれも最高にキマっている印象深いシーン揃い。
声優さんの演技、立ち絵と背景絵、スチル絵、BGM、SE、そしてテキスト、テキストが主体のアドベンチャーゲームを構成するそれら全てのどれもが、完璧なクオリティで、ゲームって楽しいなあと、胸が熱く滾りながらプレイできた。
ハートとため息を盗む怪盗達のエピソードをもっと沢山読みたいと思わせる、良い意味での余白がモドカシくもある。
大好きな作品です。
あらすじ:都市の片隅で、若き医師・加藤悠は新人として地域のクリニックに勤務していた。彼は人の心を理解することに長け、患者たちとの信頼関係を築いていた。
ある日、彼の元に、違法薬物使用の疑いで逮捕された若者、佐藤貴之が連れてこられる。佐藤は無実を主張し、自身が薬物依存症ではないことを訴えるが、警察や周囲の人々は彼を冷たく見下し、「依存症患者」というレッテルを貼ろうとする。
加藤は佐藤の訴えに耳を傾け、彼の状態を冷静に分析する。しかし、周囲の偏見や社会の二重基準によって、真実を伝えることは容易ではない。加藤は自身の信念と戦いながら、佐藤の真実を明らかにしようと奮闘する。
やがて、加藤は都市の裏社会にまで足を踏み入れ、驚くべき事実に直面する。彼が知る世界は、依存症と犯罪という二元的な概念の中で揺れ動き、自己正当化の心理が支配する闇に満ちていた。
例の客、あえて車椅子席のないグランシアターで見る理由が「見たい作品がグランシアターでしか上映していない」だった。
それで例の問題が発生して以降は、シアタス調布の上映スケジュールが調整されて1日1回しか上映のない作品はグランシアターを使わなくなった。
なので「車椅子のお客様は車椅子席のあるスクリーンの上映回を見てください」と案内ができるようになった。
これは十分に「合理的配慮」を達成してると思う。
蛇足でいうと、グランシアターってコロナ以前は人気作とかデート映画みたいな作品用に使われてたのが、
コロナ以降は人気作はでかいスクリーンでヘビーローテするようになったので、
私はしないかな、する時は皮肉やパロディ目的で架空の主張かもう歴史の中のものだと思う。
以下は私がそんなにしない理由です。
そういうことがしたいと思う他の人は勝手にしたらいいと思います。
別に政治的な表現が含まれるだけで嫌いになるわけでもないですし、
あったら意識高さが伝わって来て嬉しいとかもないです。
ちょっと気を付けとこ。」と思うじゃないですか。感覚としてはそれ。
もちろん思想の内容面では全く異なり、もっと人道的なものだと思います。
さて多くの場合、オリジナルに比べて二次創作のキャラクターの方が知名度があります。
思想を持ってる人にキャラクターやコンテンツの素晴らしさが伝われば素敵ですよね。
しかし、寄ってくるのがいい人もしくは同調してくれる人だけとも限りません。
政治運動に限らず二次創作でも、解釈違いの奴や意図を汲み取らない奴、
最後まで見ない読まないって奴どこにも絶対いるじゃないですか。
キャラも公式も悪くないし、社会派オタクくんもそんなことは望んでないだろうに。
例えば古風なキャラを先進的な思想の持ち主に改変してあるファンアートを見て、
「このキャラって、保守的で封建的で考えが古くて、時代錯誤なところが魅力
だったのに、なんか現代的な価値観に染まっちゃったんだ。なんか残念だな。」
と思われることもあるかもしれません。意図的にそういう改変してるならともかく。
ぶっちゃけ私自身も、雑な社会運動してる二次創作でイメージが悪くなったキャラや作品もあります。
残念ながらインターネットに一度アップした以上、悪意があろうとなかろうと、
二次創作の作者の手を離れて拡散・無断転載・意図せぬ解釈などされてしまうことがあります。
自分の知らないところで、自分の二次創作が他人を喜ばせたり不快にしているって、
そういった不幸なすれ違いを防ぎ、自分の管理下に置ける、法的にも問題がない
と言う意味ではキャラクターを使うよりもオリジナルの方が少しは安全なのかな、と思います。
そもそも公式の温情で二次創作という犯罪行為をお目溢ししてもらってる立場なので、
実社会との接点を持つような創作物は扱いが難しいのかな、と個人的には思います。
揉めた時に間に企業が入って対応してくれるのも個人の匿名性が守られて安心だから、
やっぱり公式に任せるかなぁ。
昔、エロBL同人に「実体験に基づいた描写です」って書いてあるのに近しいもの
を感じます。エロ漫画の作者の顔を知りたくないとか、絵師は自我出すな、
みたいな気持ちとも近いかもしれません。私は知ってても抜くが…。
せっかくのお休みなのに仕事の話をずっとされるような感じとも言えます。
個人的な体験で恐縮ですが、数年前に虚構と現実の区別がついてない人間に
「私はメンヘラロリコンのレズだ」と思い込まれ、あたかも私がそのオタクを性的な目で
見ているかのように振る舞われたり、粘着されたりするという不快な出来事があり、
無事トラウマになりました。虚構も現実で創作活動を行なった結果なので、
完全な虚構としての創作物というものは存在しないのかもしれない。
だから狂ったように女体化ロリ同性愛二次創作などを描く私を、彼女はロリコンのレズだと思い込んだのかもしれない。
それは勘違いさせてごめん。それはそうとして顔も知らん会ったことのない人間と
あと、LGBTに理解があることと趣味で腐女子やってることを混同する奴いるよな。
あれ嫌い。愛知県出身って言ったら勝手に名古屋出身だと勘違いされるみたいな…。
なぜか私個人の身の回りの離婚率が異様に高く、友達も知ってる限りで片親や毒親の方が
過程環境に問題のないご家庭と比べて、比率が高い状況です。未婚率も高い。
私自身も片親です。結婚をすることによって税金年金の免除などの多少のメリットがあるにせよ、
親戚付き合いや介護など、結婚することによって生じるデメリットが大きいのでは?
と思っています。どうせ配偶者は所詮他人なんだし、死ぬ時は一人なんだからその過程はどっちでもいいかな。
このように終わった結婚観なので、結婚が実現した後二人はどのような幸せな生活を送るのでしょうか?
現実の話でもフィクションの話でもいいけど、オタクくんがどういう社会を築きたくて
なんで?なんのために?気まずくない?
品定めや口出しされるのも腹立つし。
現ジャンルは、アイドルゲームなのになぜか政治軍隊革命君主その他犯罪行為に
かかわるキャラクターで構成されており、今はお腹いっぱいだから。
私は二次創作に啓蒙的な役割を求めてないので、現実性や政治的なメッセージを
過度に入れ込むことはないのかな、と思います。デメリットもでかいし。そういう
実用的な知識や問題提起はオタクくんの描いた創作物楽しませてもらってからゆっくりしていい?
とりあえず今回は活動的で声の大きい方々が暴れて悪目立ちしただけだと思っている。
もちろん主張し続けること自体は大切なことだと思うのですが、私はやらないかな。
ひとりで仕上げた作品を1ページ毎に買い取りでリテイクとかさせないとかなら
『嫌なら売るな』で終わりでいいと思うんですけど、
だからこういうことやらかすんだと思うわ
海外なら児童ポルノ・児童虐待判定される作品を平然と肯定したり垂れ流す
そして日本という社会はそれを誰も咎めないし、むしろ売れれば何でも良いとばかりに腐女子を応援しちゃうノリだ
具体例をあげたらキリが無いが、近年のジャンプで言えばBLを題材にした『腐女子除霊師オサム』
ポルノ作品でも社会派作品でもないのに差別的なポルノファンタジーであるBLを題材にする時点で既にヤベーのだが『どっちが受けか攻めか』なんて公式アンケートを無邪気に取ったりする
https://twitter.com/shonenjump_plus/status/1411894677385613319?s=21
ちなみにBLの受け攻めとは『どっちがちんこ入れる方か?』であり、単なるポルノの嗜好の話である
しかも『腐女子除霊師オサム』の中でポルノファンタジーの対象になっているキャラクターは"未成年"である
これをインディーズ(独立系)出版社が・・・でなく、日本を代表する出版社の編集部がやらかした上に自らSNSで拡散しているのである
海外ならフツーに担当者なり役員なりの首が飛ぶレベルの話だと思う
青年向け漫画の編集者をしていた。といっても若い頃の話だ。都内にある編集プロダクションを辞めて田舎に帰ったのが36の時だから、おじさんの入り口に立った頃か。今では完全なるおじさんである。
働いていた会社というのは、講談社とか小学館とか秋田書店とか、そういう大手出版社ではない。あくまで編集プロダクションである。出版社と編プロがどう違うのかって……ざっくり言うと元請けと下請けだ。出版社が出版事業(今回だと青少年向けの漫画作りや商業展開)の企画をして、漫画家が作品そのものを作って、編プロは雑誌本体を作って、その制作過程で印刷所やデザイン事務所といった専門集団と関係することになる。
イマイチな説明になってしまった。一般社会の例で説明する。民法でいうところの委託(準委任契約)に当たる。公共建築の分野でいうと、公共機関の建築技師が新しい建築物のマンガ絵を作り、建築事務所が基本設計~詳細(実施)設計をして、出てきた成果物を元に大手建設会社が施工監理し、地元にある中小事業者が実際の土木建築作業をする。
自分が勤めていたのは、この例でいうところの建築事務所だ。受益者(国民=漫画読者)の希望に応えたい組織があって、そこから依頼を受けて動いている関係会社のひとつ。そういうアナロジーだ。
出版社との役割分担は、そこまで分離しているわけでもない。漫画編集者といえば、昔の手塚治虫ほかの自伝みたいに、漫画家とアツいやり取りをしているイメージがある。ああいう、企画経営と制作現場の間にあるような仕事は、出版社の社員が直接することもあれば、編プロが出版社(編集部)のオフィスを間借りして行うこともある。
前者の例だと、マガジン、サンデー、チャンピオンなどだ。コンビニや書店にほぼ必ず置いてあるレベルの漫画誌。大手出版社に総合職コースで入社した人が、(編集、取材、制作、資材、宣伝、マーケティング、総務経理人事その他事務)といった多くの部門のひとつである漫画編集部に割り振られて其処に居る。
後者の例だと、大手出版社が出している漫画誌でも、あなたが聞いたことのないやつもけっこうあると思う。そういうのは、編プロが出版社(編集部)の仕事を丸ごと請けて実施していることが多い。自分は、そういう会社で働いていた。職場自体は大手出版社の中にあるが、いわゆる委託先の社員だった。別の言い方をすると、親雑誌に対する子雑誌の関係。
ほかの長文増田の記事を見るに、あまりたくさん書けない仕様のようである。何文字までかは知らないが、文字数制限があると思う。本当は何万字でも書きたいのだが、あくまで自分が書きたいだけであって、あなたが読みたいとは限らない。一万字以内になるよう心掛ける。以下に、自分が関わった漫画家を2人だけ紹介しよう。最後に所感を述べて終わりにする。
その2人(A先生とB先生。どちらも若手)と私は、分水嶺のような関係(追記;わかりにくい表現ですいません。ブクマカのBuchicatさんのコメントのとおりです)だった。ある日、私が担当していた漫画家のA先生が新作の企画提案に来ていて、同じタイミングで別の編集者のところに持ち込みをしたのがB先生だった。その別の編集者が不得手なジャンルだったこともあり、A先生との話が終わった後で、私も一緒にB先生の作品を読んだ。
その後、編集部の責任者を交えた会議で、私が引き続きA先生の新作の担当者に決まった。新人であるB先生の担当になる可能性もあったが、そうならなかったのは、今の漫画界の一界隈にとって幸運なことだった。
A先生は、雰囲気が暗めだった。人間性まで暗いというわけではなく、心を開くと明け透けになるタイプだった。モードに入ると饒舌になる。
弊誌では、読み切りを何度か掲載したことがあった。アシスタント経験あり。小さい賞を取ったことがある。ヒット作はないが、若き漫画家としてはキャリアがあった。
画力が抜群だった。小学校や中学校で、学習ノートにフシギダネの絵とかをソラでゲームパッケージそのまんまに描く子がいただろう。とにかく天賦の才を持っていた。最小限の画量で、それでいて迫力と感情に溢れた1枚1枚を描く。そういう人だった。
難点は、マジメすぎるところか。少し前にやっていたアニメだと、チェンソーマンに登場するアキくんか(少し前……?)。とにかくマジメだった。いや、やはり『直向き』に訂正する。
A先生は、少年誌に見合わない重たいテーマに挑むことがあった。今でもそうだ。彼のマンガには『緩さ』がない。それもいいところなのだが。私は好きだった。はっきりいって。が、読者の傾向に合っているかは微妙だった。
子どもの頃から漫画が好きだったらしい。中学生の頃のイラストを見せてもらうと、俄然キャラクターへの愛に溢れる作画を見ることができた。中学生らしい、プロには程遠いクオリティなのだが、しかし見ていて違和感がないというか、自然にくっきり入ってくる。
私という人間は、具体例で物事を説明する癖がある。上の「中学生らしいイラスト」を別の事例で表現すると……「うるせ~!!知らね~!!FINALFANT ASY」(短縮URL:https://x.gd/L5cc4)だろうか。以前、いつぞやかのid=pptppc2さんのブックマークコメントがきっかけで元ネタを知ることになった。
あの時のA先生のイラストは、ベルセルクのセルピコだったと思うが、力強い表現だったのを覚えている。セルピコがファルネーゼを抱きかかえて、
「申し訳ありません 道案内を頼まれまして 少し席を外していましたもので」
と言うシーンの模写だった。
さて、そんなA先生だったが、ある時これまた重量級のテーマで描きたいものがあるという。先ほどの、編集部での新企画提案の話だ。
その際、A先生からプロットをもらい、私のデスクで拝見させてもらったところ……うちの雑誌では持て余しそうだった。作品の質が低ければ普通に打ち切りになりそうで、作品の質が高くても――弊誌の売上規模だと会社グループ全体の機会損失になりそうだった。私の前でパイプ椅子にかけているA先生は、不安げな面持ちだった。
内部の話で悪いが、例えば「甲」という雑誌の亜流の「乙」という雑誌があるとする。ビッグコミック(オリジナル、スピリッツ、スペリオール)みたいな感じだ。この時、甲と乙に明確な上下関係があった場合、乙誌に掲載された漫画が甲誌に引き抜かれることがある。その際、甲誌の編集部から言われるのが、
「なぜうちの編集部に見せなかった?」
という意見だ。これは、ストレートに言われる場合もあれば、暗に言われる場合もある。だが、事前に上流の雑誌に見せていたとして、多くの場合は玉虫色の返事があるだけだったりする。
話を戻そう。この時の自分は、編集部の自分のデスクのあたりでA先生の次回作を見せてもらっている。確か缶コーヒーを飲んでいた。
自分としては、A先生のマンガを弊誌に載せたいと思っていたが、先ほど述べたとおり、後ろ髪を引かれる思いもあった。社会派の少年漫画というのは扱いが難しい。その作品が「あしたのジョー」の影響を受けているのは明白だった。「A先生であれば、きっと面白い作品にしてくれるのだろうな」という期待はあった。
うーん、大いに悩むところだ。どうしよう。思いあぐねていたところで、別の編集者から声がかかった。要約するとこんなところか。
「持ち込みに来た人がいる。私の専門じゃないので判断が難しい。門前払いにするレベルではないので、あなたの判断を仰ぎたい。上の人間は今出かけている」
要するに、自分の専門外なので判断できないよ、と言っている。ここも会社なので、編集者の上には当然上司がいる。その人達がいなければ同輩に相談するのが基本だ(余談だが私は後輩だった)。こういう原則は一般の会社と変わらない。
その『別の編集者』というのは、儚い感じの純文系が得意なタイプだった。一番わかりやすい喩えは……『はちみつとクローバー』みたいなやつだ。ああいうのが得意な人だった。
その時は、A先生との話が終わったら行くと告げた。それで、しばらくそのまま話を続けた。
「この作品はいい意味で重たいね。ちょっと考える時間がほしい」
と言って、その日は解散した。A先生は、「お願いします!」と言ってパイプ椅子を立ち、そのまま帰っていった。いつもだったら喫茶店でご飯をおごっている。
A先生は、『いい子』だった。あまり感情は出さないけれど、人間に対する愛を持っている。そういう子だった。私が当時、A先生にご飯を奢って、彼がおいしそうな表情で食べている時、私は幸せだった。A先生が幸福だと、自分も幸福だと思えた。A先生が漫画という手段で自らを表現している時、まるで自分もそれに劣らぬような喜びを得ていた。
ヘンな表現かもしれないが、例えば読者がA先生を褒めている時、自分とA先生との区別がなくなっているというか。彼のことが、自分のことみたいに嬉しかった。これは愛なのだろうか。
持ち込み部屋に行くと、別の編集者と、持ち込みに来た子が対面で座っていた(ちょこんと挨拶をしてくれた)。自分が座る席には作品が置いてあった。綴じられていない原稿用紙がある。ページ数にして30枚ほどだった。もっと多かったかもしれない。記憶があやしい。
実際、B先生の作品は面白かった。コテコテの学園ものかと思いきや、登場人物それぞれに適度な制約があって、キャラクターも立っていた。これまでのキャリアを聞き取ったところ、作品が雑誌に掲載されたことがあるようだ。アシスタント経験もある。
絵の方は、自分がこういうのも大変失礼だが、上手な方ではなかった。どちらかというと、脚本や設定、キャラ作りが得手のように映った。当人が情熱を注いでいる箇所はすぐにわかる。キャラ絵が有名漫画家の影響を受けているとか、キャラクターの台詞回しがハリウッド映画風とか、背景や小物を手を抜くことなく全部描いているとか、そんな具合に。
光るものがある作家だった。これを見抜けないようなのはモグリ――そんなレベルで輝いていた。
私は作品を読み終えた後で、「ちょっと待ってね」と自席に戻り、少し残っていた缶コーヒーを飲み干して、思案を重ねつつ持ち込み部屋に戻った(どうするのが最良かわからないケースだった……)。
それで、テーブルではこういうやりとりをした。
私「イイ作品だと思います。特に、セリフ回しにセンスを感じます。掲載ができるとかここでは言えないけど、話は通してみますね」
B「ありがとうございます」
私「それで、担当はね……縁なので。あなたがするのがいいのでは?」
編「私よりもほかの人がいいと思います。もっと才能を引き出せる人が……」※小さい声で
私「いや、でも恋愛描いてるよ。エンタメだけどいいんじゃない」(こいつ、作家の前でアホなこと抜かしよって)
編「難しいです」
私「でもこれ、縁だよ」(意識が低すぎる……)
編「ほかの作家さんも抱えてるので。いっぱいいっぱいです」
私「わかりました」(トラブル回避のため後で編集長に説明しとこう)
B「すいません。僕の作品はどうなるんですか?」
私「後日連絡しますね。必ずしますから、それまでは他誌への持ち込みは待っていただけますか」
B「あの、はい。できればですが、早めでお願いします。一週間くらいでなんとかなりますか」
私「なんとかしてみます」
作品そのものと、作家プロフィールと、付属資料のコピーを取らせてもらって、彼には外で缶コーヒーを奢った。ビルの入り口まで送ったところまではいい気分だったが、正直、身に余る事態だった。
持ち込み作家の才能がありすぎるのも考えものだ。嬉しい悲鳴というやつ。誰が担当に付くかで今後の雑誌の売り上げに影響がある。重大な意思決定ということになる。
最悪、『進撃の巨人』の時みたいに優れた作家を逃してしまう可能性がある。あれも、実際は諌山先生は門前払いではなく、週刊少年ジャンプの担当が付くか付かないかの微妙なラインだったらしい。それで、誰が担当になるかを押し付けあっている間に諌山先生が他雑誌に持ち込んでしまった、という話が業界団体の公的な飲み会で囁かれていた。
B先生についてだが、一週間後に担当編集が決まった。「別の編集者」でもなく私でもない。当時、若手のひとりだった20代の子が任されることになった。編集部のトップを交えてB先生の原稿のコピーを読んだのだが、「若い感性が光る。年齢が同じくらいの人と組ませる方がいいのでは?」という結論になった。
その20代の子は、上の組織からこっちに出向してきている子で、いわば武者修行の身だった。一流大学出で、本社のプロパー社員。いわゆる総合職である。
最初は、私に選択権があった。B先生の担当になる道もあった。だが当時の私は多忙であり、月に何度も会社に寝泊まりするレベルだった。新人は抱えるべきではない。しかし、才能のある子だから迷いがある。
A先生のこともあった。彼のあの作品を世に出してやりたい。もっと有名にしてあげたい。そんな想いがあった。
私が悩んでいるうちに、例の20代の子が手を挙げたのだ。私としても、彼のやる気と知性と直向きさは買っている。諸手を上げて賛成した。
今思えば、正しい選択だった。もし私がB先生の担当になっていたら、面白い恋愛エンタメを楽しめる読者の数は減っていただろう。これでよかったのだ。
以後のB先生は、例の持込漫画のブラッシュアップを続けた。翌年には、晴れて弊誌に第一話が掲載されることになった。さらに以後は、担当編集とともに二人三脚で躍進を続け、イケイケドンドンの勢いを保ったまま、一度も息切れすることなくスターダムに上り詰めた。今では漫画家として世に知られている。
上で挙げたA先生の意欲作は、読者層に合っていなかった。それでも、高い画力とシナリオ構成の上手さがあったのだろう。その意欲作は、連載期間を積み重ねる度にファンの数が増えていった(業界的には、Amazonの第一巻のレビュー数が人気の代替変数になることが知られている)。
今では、A先生は親雑誌で連載を勝ち取るまでになった。去年だったか。彼の作品をコンビニで立ち読みする機会があったのだが、やはり突き抜けた画力だった。週刊連載であそこまでの画力というのはまずない。
2024年現在、私は東京を離れて田舎で暮らしている。地元の町役場にUターン就職して、実家の農業を手伝いながらスローライフに近い生活を送っている。
実は、編集者だった当時、働きすぎて病気になった。ある日、下腹部の辺りに違和感を覚えて、血の塊のようなものが血管を這っている感覚があった。病院に行くと、「遅くても明日中に入院しなさい」という医者からの指導があった。
それなりに重い病気にかかってしまった。一応は死亡リスクもある。数か月ほど入院した後、どうしようかと考えて、考えて、考えて……編集部に復帰後は、労働を最小限にしつつ転職活動をスタートした。
A先生については、幸いだった。彼の意欲作とは最終回まで付き合うことができた。私が退院した後、無事完結を迎えることができた。あしたのジョーに比べればハッピーエンドだった。
入院中に、A先生とB先生がお見舞いに来てくれたのを覚えている。ほかの編集仲間も来てくれた。A先生は、テンションが低めで、何を考えているのかわからないこともあるのだが、人間への基本的な愛というか、思いやりがある人だった。
もう40才を過ぎている。はてなユーザーの中では平均的な年齢か。思えば齢を重ねたものだが、当時の日々は今でも夢の中に出てくる。
若い頃から編集者をやってきた。身体を壊さなければ続けていたのかというと、多分そうだろう。でも、今の生活も悪くないと感じている。自分語りはここまでにして、締めにしよう。
もしあなたが、Webでも紙媒体でもいい。気になる漫画作品を見つけたとする。面白いものを見つけたと感じたら、ひとまず買ってみるのがいい。Webだと1話単位で売っている。
ひとかどの漫画家というのは、自らが産み出すモノを本気で高めにいっている。あなたのフィーリングが合ったのなら、ひとまず1巻だけでも読んでみる方がQOLが高まると思う。ハズレを引くことはあるだろうが、アタリだってちゃんとある。人生は運試しである。
・脳破壊(され)おじさん
・そういや2人のおじさんが各々のやり方で脳破壊されとる…
こんなクレジットの出し方初めてみたオシャレや
3%のヤギかわいそう…でもこの行動は監督の思想が反映されての行動だからそこに関しては監督と考え方がちょっと違った部分であって駄作という訳では決して無い…ロブスターとか女王陛下で監督の畜生観はなんとなくわかってたやろ…!ヤギだって群れで行動してたら「俺なんか他の個体と色々ちがくね?」で病むとかわいそうだけど恐らく邸宅内で比較対象なく終生飼育だからまあええか…というきもち
・紛うことなくオサレで眼福映画だがテーマは何だろうアートメインの映画かな?と思ったら格差貧困女性自身の性の主体性・選択権を持ち自立して生きるという予想以上に社会派テーマだったし説教臭くなく手段が目的になってないヨルラン監督、流石だぜえ!の映画だった
・おじさんが脳破壊される途中は「男女の恋愛の機微、よくわかんない…」ってみてたけど格差社会〜のくだりけら「おおっ」となってパリから「なるほどそんな感じのテーマの映画か目茶苦茶今な感じのテーマやんな」ってなった
・格差社会×労働×階級の上下がまんま物理的にも上下とかそのへん逆転のトライアングル連想した
・理解ある彼くんに逆プロポーズのくだりで「よかったね…!」という気持ちと同時に湧いた「性に奔放なのは選択の自由として行動に伴うリスク(性病)は?」に即質問で回収しててよかった
・理解ある彼くんと努力が素直に反映される優秀な頭脳があれば…叶えうる理想やね…これは啓発というか励まされるための映画だから…これは物語だから…理想を形にすることから社会が変わる一歩になるんや…
・米映画、やたらフェミフェミしてんなとは思うけど中絶禁止法?やらが現実に出てきて論議に上がってる世界と対岸の事として見てるジャパンの己とは「マジさ」が違うんだろうな〜とは思った
・パッパ…よかったね…泣いた
・
・
・
・賞レースガンガンなのは納得の良作品なんだけど若干心が凪なとこあるな…なんでだろと思ってたら
とりあえずほぼ事実なのが
正直これはやり取りをはっきりさせなきゃ無理だと思う、でも強制わいせつ罪起訴は難しいんじゃないかな
強制性交等罪は2017年からだし、今の不同意性交罪ではAさんはアウトかもしれないけどそれは2023年からの話
文春では「脅された」的なことが書かれているが
良く読むと会合の前に「粗相があったら〜」と言ってるだけなのでギリギリ脅しにはならんと思う
脅しっていうのは「もし性行為を拒絶したら〜」と言わないと
法的に罰せられるかはかなり微妙だけど、イメージはかなり悪い(そもそも不貞行為)なので
松本の罪状は「センテンススプリングベッキー」と同等だろうし
大御所芸人は多かれ少なかれ書かれているわけで、スキャンダルで消してたらテレビ終わる
そういうシーンを記事にされたら大体の人はダサいしキモいと思うのと
別に信者でもないのでガッカリしたということもない(ただ面白くないのが致命的、浜田は面白かった)
ただ今段階で清廉潔白だと思ってるのがちょっと痛い、嫁子供居るんだから世間的にアウトじゃん
小沢が申し訳無さそうになってるのは責任感じてでしょ、黙ってるのは松本や吉本に同調するため
なんとも思わない
てかこれは予想だけど、タレコミはもっと前にしてたんじゃないかな?それか警察に相談済みでだめだったとか、8年は空きすぎ
騒ぎすぎ
・松本の「俺の子供産んでほしい」は生セックスしたいから方便でしょ、実際にうっかりできた子居そうだよね
・意外とMeTooが広がらなかった、この会の打率低かったんじゃないか?
・ジャニーズ問題とはだいぶ違う、年齢も違うしパワーバランスも違う。近いのは飲みサー大学生(それを52歳がやってるのは痛いが)
・小沢が交通費しか出さなかったのは、出したら売春斡旋になってアウトだからでしょ?ギリギリのところでやってたんだと思う
・この会は明らかにゲーム性を意識してると思う、小沢なら「松本とエッチしたい子」を連れてくるくらいできるでしょ