はてなキーワード: 山内とは
元SKE48箱推し、応援していた高柳明音さんの卒コンを見届けたついでに、怖いもの見たさでABEMAで視聴購入してしまった。
お金を払ったのだから、少しくらい文句を言ってもバチは当たらないだろう。
前日の高柳明音さんの卒コンは150点だった。彼女のヒストリーを感じさせつつ、彼女にとっても、SKEメンバーにとっても有意義な内容だっただろう。
一方で松井珠理奈さんの卒コンはというと、彼女のファンにとっても、それ以外のファンにとってもあまり見どころのない、一体誰のためなのか分からない不可解な内容となってしまった。
もちろん彼女が体力的にも精神的にもかなり不安定な状態であることは伺えた。しかし、それでももっと良い見せ方はあったのではないかと悔やまれる。
6. Dear J 7. プラスティックの唇 8. 愛しさのアクセル 9. 心のプラカード
10. チューよりキス 11. monochrome 12. Birthday wedding 13. 花占い
14. 虫のバラード 15. 泣きながら微笑んで 16. 君は僕だ
なんと(M9~M11・M13を除き)AKB48神7メンバーのソロ曲を”SKEの後輩が”歌う謎ゾーンに突入したのである。
後輩に歌い継がせるという意味ではSKEの楽曲でよかったのでは?それかせめて彼女が選抜だったAKBのシングル曲でよかっただろう。
嬉しくない意外性はただの暴力である。これは予測でしかないが、本来はここで1曲ずつレジェンドメンバーに登場してもらうつもりだったのではないか。
そのうえ自身のソロ曲(誰も知らないソロアルバムの曲含む)を後輩に歌わせるパワハラもさらっとやってのける。ここまでくればKMTダンスも見たかったところだ。
このソロゾーンがコンサートの半分を占めるのである。卒業だよ!全員集合!はタイトル詐欺も大概にしてもらいたい。
まさに絵に描いたような誰得な時間が流れる。みんな裏で何してたんだろう。お菓子でも食べてたのかな。
17. わるじゅり 珠理奈 18. ジッパー 珠理奈 19. ハート型ウイルス 珠理奈
そしてようやく本人登場と思いきや、何らかのリクエスト企画で決まった楽曲を披露し始める。
2曲は渡辺美優紀の持ち曲である。別にこういった企画やオフザケも悪くはないだろうが、ただえさえ体力面で本人の出演限られるのであれば、
ファンが見たかったのは「恋を語る詩人になれなくて」や、「思い出以上」を踊る珠理奈だったのではなかろうか。楽曲とのミスマッチ感も含めてかなり痛かった。
その後はシングル曲を中心に披露したため、なんとか無事に終わる。
この時点で夜を視聴するかどうかかなり悩んだのだが、ええい乗りかかった泥舟だ、沈もうが最後まで見届けてやろうと決意する。
まあ、すぐに後悔することになるのだが…
夜公演「珠理奈卒業で何かが起こる!?」
3. 偉い人になりたくない
4. Change your world BlackPearl
何故かチームKメドレーでスタートしたコンサート。SKEの曲、嫌いなのかな?
それでも彼女にもチームKを兼任していた時期があるので、「奇跡は間に合わない」とか「スクラップ&ビルド」で良かったんじゃないかな
これも予想でしかないがここで宮澤佐江さんとかに登場して欲しかったのだろうか。
あとChange Your World好きだね。まあ彼女の作詞曲の中ではかなりマシな部類な気はするが…
7. アイドルはウーニャニャの件 8. 思い出以上 9.天使のしっぽ
10. 黒い天使 11. ここにだって天使はいる
「アイドルはウーニャニャの件」…もちろん彼女が多くの楽曲に出演できる中の一つなら、これをオバサンメンバーで披露するのもネタになるが、
自身の楽曲「思い出以上」を他人にやらせて自分はコレって…その後は何故かタイトルに天使がつく曲を3曲、
まさかのNMB48の公演曲までやり始めてしまった。ここまでSKEの楽曲は11曲中4曲、ほんとにSKEの曲嫌いなのかも。
12. Parting shot
ここで珠理奈が髪を切って登場したのだが、宮脇咲良さんのじゃんけん大会を意識したの?
とはいえその後のやり取りも含めて精神的に危ない人の奇行に見えて仕方なかった。
キューティーハニーの披露も含めてネットニュース狙ってたのかな?倖田來未さんは反応してくれたみたいでよかったですね。
その後のダンスパートは人がいっぱい出てきた。それくらいしか覚えていない。
16. 強き者よ で1期生の多くが登場、ここは流石にエモかった。ただ、せっかく来てくれたのだからもう数曲一緒に披露してもらいたかった。
PARTYとかSKE48とかやればいいじゃんね。(逆に言うと夜の見どころはここと本家メンバーで披露したGlorydaysくらいしかなかった)
その後は昼と同じくシングル中心に進んでいくので特にこれといったこともなかったが、
「大好き」の多国語言い換えなど随所で滑っている演出が多かったように思う。
オレンジのバスもごめんなさい、松井珠理奈さんの作詞力は世に出すレベルではないのでこれっきりにしたほうが良いと思います。
少なくとも彼女をこれまで応援してきたファンにとっても、これからもSKEを応援していこうというファンにとっても、
あまり見どころのないコンサートとなってしまったのではなかろうか。
正直彼女にはあまりアイドルプロデュースの才は感じないので、SKE48とは少し距離を置いたほうがよいかと思います。おわり。
1986年に出版された『任天堂のファミコン戦略』という本が手元にあったので読み返してみたら、以下のような記述があった。
・ファミコンのCPUは任天堂とリコーそれぞれ5名ずつだして10名のプロジェクトチームを作り開発した。
・当時のリコーのスタッフ曰く、任天堂から「ゲームウォッチがピークに来ておりアーケードも落ちていくと予想されるので、新しい製品を作りたい」と昭和57年の夏に声をかけられた。
・開発費は億に達したと言われている。
・リコーの窓口となった浅川俊文は「任天堂には泣かされました。ゲーム機とは言え立派なコンピュータ。その半導体チップを2000円以内で押さえろというんですからね」と語っている。
・それに対し任天堂は2年で最低300万個生産すると保障し、無茶な要求を飲ませた。
・昭和58年春に6502互換CPUの採用が決まった。(ファミコン発売はその年の7月)
・リコーが半導体の生産に参入したのは昭和56年5月。自社のカメラや事務機向けで、余剰分を外販する腹積りだった。
・しかし工場を作ったものの外販先はなく、実績が無かったので一年目は外販ゼロだった。その後アタリ、コモドールジャパンに外販したが業績は良く無かった。
・そこに「300万個は保証するから」という任天堂の山内社長の一声で提携を決断した。
・現在(出版当時)リコーは任天堂への独占供給の代わりに、ファミコン用CPU/PPUの外販は任天堂の許可が必要な契約になっている。
(続き)
といった問屋関係の逸話が当時バンバン登場した。メーカーも対抗すべく(?)ダンピング出荷、返品受付などで一本でも多くソフトを売りさばこうと必死だった。このあたり、問屋も小売店もメーカーも、市場の異常さに気が付かずもがいていた感じが否めない。初心会と二次問屋は、問屋の本分である「日本全国に適正量の在庫のゲームソフトを流通させる」という機能を忘れ、ただただゲームソフトを動かすことで得る利益をあげることに無我夢中だった。
ここで注意をしておきたいのが、「任天堂や初心会が、一方的にサードパーティや小売店から利益を吸い上げている」という既存の論調は近視眼的だ、ということだ。スーパーファミコン市場に参入したサードパーティはおよそ200社。このうち途中で撤退を決めたのは10数社で、しかもこれら撤退したメーカーの多数は異業種メーカーであり、本業での業績が低下したためだったり、バブル期の不動産に手を出して大やけどして倒産…といったもので、ゲームと直接関係あっての撤退ではないのだ。
小売店も同じことで、当時はファミコン-スーパーファミコンという新しい分野での市場拡大に手を出す小売店が多数いた。ただ問屋に苦しめられるだけの業種であるなら、こんなことは起きるはずがない。甘い蜜はそれなりに存在していたわけだ。ざっくり要約すると「不満はあるが儲けもある」といったところか。むしろPCエンジン・メガドライブの有力ソフトをスーパーファミコンに移植して一旗あげようとするサードパーティのほうが多かった。それほど有望な市場であるがゆえ、いろんな輩が入り込もうとやっきになったわけだ。
市場が拡大している間はそれでもよかった。しかしスーパーファミコンが円熟期を迎え、対抗馬として「次世代機」の姿がちらつくようになってきた頃に、いよいよおかしくなってきた。多数現れた三次問屋が小売店と二次問屋の中にねじ込み、己の利益を吸い取ろうとし始めた。手法としては品薄になりそうな人気ソフトを抱きかかえ、「小売店に小売価格そのままで」卸したりした。商圏を無視して跨いで他社の領域に食い込んで商売するところもではじめた。初心会の中にゲームソフトを投機商品のように扱う問屋が現れ、二次問屋三次問屋が喜んで利益の分前を頂いた。その分小売店に負担が偏り、結果的にはプレイヤーにも巡り、最終的には市場に悪影響を及ぼす。スーパーファミコン市場は歪んだまま大きくなり、そしてついに縮小を始めた。
衝撃が大きかったのはプレイステーションの登場だ。なんと問屋を使わず、ソニーが直接小売店にものを卸すという。革命的なやり方だった。返品なし、定価販売というところがネックになったが、どの商材も掛け率が一定であることに小売店は喜んだ。今までは問屋ごとに掛け率が違ったり、注文する本数によって掛け率が変動したり、そもそも抱合せで仕入れるしかなかった(違法? しったことか!)からだ。
こんなことが可能なのはプレイステーションがCD-ROMを採用しているからだった。リピート生産がROMほど時間がかからない。お金も自前の工場だからさほどかからない。最悪在庫になっても簡単に破棄できる。それゆえ最初こそ少量生産で行い、売り切れたら即リピート発注すればよい。こうすれば過剰な在庫にメーカーも小売も苦しめられずにすむ。値崩れ・抱合せも心配いらない。
ROMカセットを採用していたらすべて実現不可能なことだった。ちなみにセガもサターンでCD-ROMを採用しているが、他社の工場での生産だったためなかなかリピートが上手く行かなかったらしい。(なお、詳しく書かないがここで上手くいった改革は現在すべて崩壊している)
一方、任天堂はROMカセットの採用を64でもやめなかった。ディスクシステムに手を出してそのあまりに長いロード時間に苦慮したことの経験があるからだ。そしてこれを機にもう一度市場のリセットを図ろうとした。市場にはスーパーファミコンのワゴンセールが始まっている。なんとかして初心会内外にあるゲームの投機的扱いをやめさせなければならなかった。ソフトの数が少なくなれば、そのような動きはできにくくなる。そのためサードパーティのソフトをとにかく減らし、少数精鋭路線で進もうとした。初心会外に取引を広げ自前で流通を行うという選択肢もあったが、これは取らなかった(実はSFC時代にトイザらスが日本進出をしてきたとき、任天堂や各大手メーカーに直接取引を持ちかけてきたが、これは上手く行かなかったようだ)。山内社長はファミコン時代の遥か昔から取引を続けていた初心会を切ることに抵抗があったからだ。それに「絶対に売れない」といってたファミコンも買い取ってくれたのは初心会だ。この前もバーチャルボーイというズッコケハードを出したが任天堂は全量初心会にハードを買い取ってもらっているので被害は最小で済んでいる。(その負債は初心会が被り、さらにその負債は小売店に押し付けられた構図だ。)
しかしそれでも、初心会と二次問屋たちは目先の利益を追い求めるのに夢中だった。
スーパーファミコン市場末期の1995年発売の聖剣伝説3は初回出荷は70万本だったが、実は初心会からの注文本数は合計140万本だった。前作がミリオン超えをしていたのでそれだけ期待があった、という表側の理由だが、ようするにこれも投機的に扱われることが明白だった(そもそも前作聖剣伝説2も結構な数がワゴン行きしていた)。あまりに酷い値崩れを嫌ったスクウェアは出荷本数を半分の70万本にし、かつ卸値を10%引き上げると初心会にアナウンスした。こうした動きに一部の問屋がなんと小売店に対して「スクウェアを公正取引委員会に訴える!」と言いまわってしまった。もちろんスクウェア側には一切の非はない。運が悪いことに(それとも狙ったか)スクウェアは夏休みに入ってしまったので、小売店は真相を確認することができず業界の一大事が起きたのではないかとパニックになったところもあるという。この話は巡り巡ってなぜか「任天堂が悪い」ということになった。PSが発売されて半年以上経とうとする頃でも、初心会に危機感は全くなかった。
その年の末発売のドラゴンクエストⅥの発売にあたっては、初心会とエニックスの間で注文数の予測で大紛糾だった。初心会の予測は250万本。エニックスの予測は300万本。エニックスは自信満々だったが、初心会はそこまで売れないと踏んでいた。初期出荷は250万できまり、エニックスは自前で50万の在庫を抱えることになったが、この読みは的中する。即リピート発注がかかり、エニックスは二次出荷を行った。
最終的に320万出荷を果たすわけだが、売上予測ができない問屋にメーカーは価値を見出すだろうか?
そして、ついに、終わりのときは訪れた。
1997年2月21日。任天堂本社で毎年のように行われる初心会の懇親会。その幹部会の席上にて初心会会長である河田会長が宣言した。
幹事会は静まり返った。関係者には事前に知らされていなかったのだ。解散は任天堂山内社長と、初心会河田会長のトップ会談で秘密裏に行われた。今後一切の取引は商品ごと個別に行われ、しかも初心会内の特定10社のみそれが行われる。今までゲームソフトを投機的に扱って儲けを吸っていた会社は任天堂から拒絶され、二次問屋に落とされた。しかも64の少数精鋭路線のおかげでこれから商材はどんどん減る。今までのような振る舞いは不可能になった。
任天堂はスーパーマリオクラブの立ち上げにより売上予測をするようになった。つまり、予測のノウハウを自ら身につけつつあった。そうなれば商材を投機的にあつかう問屋は不要だ。「どれほどのソフトが売れるか、我々にはわかりようがない。流通のプロに任せるしかない」。かつての山内社長の言葉だが、流通のプロがプロに値する仕事をしないのなら、切られても仕方がないというわけだ。
実はこの流通改革に前後してプレイステーションでも問題が発生した。デジキューブだ。スクウェアがプレイステーションに参入する条件として、コンビニに自分たちで卸すデジキューブをSCEに許可させた。
もともとプレイステーションはすべてSCEが自前で小売店に流通することを売りにしていた。ところが後から来たスクウェアはSCEを通さず自前で流通させるという。
このあたりを詳しく解説する。SCEはソフトメーカーと協議し、ゲームソフトの初回生産量を決める(ということになっているが、実質決定権はSCEにあった)。
SCEは特約店(一部、ハピネットといった問屋も使用していたが)からの受注数がその初回生産量に満たない場合はSCEが自腹で在庫を抱える(ように努力いたします、という注釈付きではあった)。
と、ソフトメーカーにかなり親切のように見える。しかしこれには問題が含まれていた。初回生産量はSCEが決め、実際に流通させているのもSCE自身だ。ソフトメーカーが営業をしかけ多くの受注を獲得したとしても、SCEがOKを出さない場合、本当にそのソフトは流通しなくなる。実際に飯野賢治がプレイステーション版Dの食卓で自分たちで在庫を抱えてもいいから多くつくるべきだと要望を出しても、SCEはそれを良しとはせず、結果売り切れを引き起こし機会損失を生んだことがあり、飯野賢治はセガ陣営への鞍替えをしたことがあった。
ソフトメーカーからしたら、リスクも多いが儲けも大きい自社流通に切り替えたがっていた時期だったが、任天堂もSCEもそれを良しとはしなかった(ただし任天堂は初心会通しであるため、一社が売れないと踏んでも他の問屋が受注してくれる可能性はあるし、このときPSの取扱店はまだ初心会流通よりは少なかった)。しかしスクウェアだけには特例としてそれを認めるというわけだ。SCEは流通に関わらず、スクウェアが直接小売店とコンビニにゲームソフトを卸すわけだ。当然、初回生産量も自由に決められる。
いったいどういうことだ、SCEはロンチから頑張ってきたメーカーに対して不義理じゃないのか。こうした理論で反発したメーカーがいた。コナミである。
コナミはSCEに対して自社流通を求めた。ゲームをつくる製造委託費とロイヤリティは支払うから、お前のところの流通網は使わんぞ、ということだ。こうすることでコナミはSCE流通分の費用を削ることができる。5800円の小売価格のうちの取り分を増やすことができるわけだ。もちろん在庫リスクや小売店へのやりとりはコナミ自身がやらなければならないから、自社流通が完璧というわけではない。結果的に大手メーカーはみな自社流通になっていくが、ナムコだけは付き合いもあってか(ナムコはかなり初期からPSに絡み、ライブラリの整備も行うほどだった。自社プラットフォームを諦めたかわり、PSに注力したということだろう)SCE流通を使い続けた。
プレイステーション側でこのようなことが起きてるのだから、当然余波は任天堂側にも及ぶ。コナミは64やゲームボーイの自社ソフトに対して「これから初心会を使わず自前の流通網使いますから」と一方的に任天堂に要求した。かつての任天堂ならば決して受け入れるはずのない要求だろう。だかしかし、任天堂は簡単にこの要求を飲んだ。そして門戸が開かれた自主流通のおかげで、ゲーム業界の流通改革は全メーカーを巻き込んだ。最終的にはコナミ、カプコン、コーエー、スクウェア、エニックスといった大手は自前で流通網を持ち、中小サードパーティはそこへ委託流通する形に落ち着いた。つまり元初心会の問屋たちを全く必要としない流通を実現してしまった。
解体された初心会はボロボロになった。合併倒産が相次ぎ、その多数が姿を消した。残された10社は直接小売店と取引するようになり、二次問屋三次問屋は居場所がなかったからだ。
しかも任天堂から選ばれた10社も順風満帆ではない。10社のうちモリガングはバンダイ系列のハピネットに買収された。石川玩具はタカラへ事業譲渡した。松葉屋はラスコムに事業譲渡し、そのラスコムも後年自己破産している。そんな一方テンヨー、カワダ、カマヤは今でも元気に問屋業を営んでいる。(名前が出てこない他の会社は調べても出てこなかった。情報plz)
そしてジェスネットは任天堂の子会社となり、アジオカは事業譲渡を行って「任天堂販売」となったが、これはなんと2016年の話だ。初心会が解体されて20年近くたったが、完全に自前で任天堂が流通するようになった。
こうして初心会は歴史の中に消えていった。良い面悪い面両方ともあったわけだが、特に末期には悪い面が強く出すぎていた。しかしこうして羅列してみると、「初心会があらゆるあくどいことを駆使して不法に市場を牛耳っていた」というわけではなく「初心会が市場を牛耳っていたのでいろいろとあくどいことができた」ということに気がつくだろう。その市場も確固たるものではなく急激に膨らんだ不安定なものであり、なおかつ悪行も任天堂の山内社長の怒りが落ちない範囲内の話でしかなかった。
悪徳の町、ソドムとゴモラは神の怒りに触れ一夜にして滅んだ。初心会も同じ運命を辿ったのだった。
参考文献
東洋経済 1997年3.22号 盟友・初心会を抜き打ち解散した山内・任天堂 焦りの流通改革
平林久和/H.Hirabayashi @HisakazuH
大森田不可止 @omorita
※この旧版になります。完全版は無料でnoteで公開中ですので、是非そちらの方をご覧下さい。
https://note.com/syosin_kai/n/nb97f2a0a193a
ちょっとゲームの歴史をかじったことがある人なら聞いたことがあるだろう言葉『初心会』。
とにかくこの言葉へのイメージは最悪だ。「真っ黒組織」「ゲームヤクザ」「歴史の闇」「悪の秘密結社」etcetc。
そんな初心会だが、はたしてどれだけの人が正確に初心会とはなんなのか、どのような悪どいことをしてきたのか、そして最後はどういうふうに消えていったかを語ることができるだろうか? おそらく、ほとんどいないのではないだろうか。
この初心会について、私が調べたことをゲームの流通の歴史を絡めてまとめて書き出すぞ。これで君も初心会マスターだ! ちょっと長いけど勘弁な!
もともとの任天堂は花札屋であり、そこからトランプやおもちゃを売り出したことは知っているかな? 創業は明治時代だ。
1960年代前半の任天堂は問屋を通じてテリトリー別に小売店を団体で集め、トランプやかるたの特売セールの景品といった形で温泉招待旅行などを行ったりしていた。そうした中、「ダイヤ会」という親睦会が問屋内で自然発生する。このときはあくまでローカルな親睦団体という形でしかなかった。
1973年2月、光線銃といったヒット商品が出始めたのをきっかけに、このダイヤ会を全国規模のきちんとした親睦会の形にしようとして生まれたのが初心会だ。ファミコンが生まれるずっと前だ。そしてファミコンはこの初心会に参加している問屋(59社加盟、その中でゲームに力を注いでいたのは30社ほどだったそうだ)を通じてのみ、流通させようとした。これには理由がある。
ファミコンのゲームはROMカセットだ。ROMカセットはCDと違って作るのが大変だ。発売日の三ヶ月前にはどれくらいつくるか数字を決めなきゃならない。一本つくるのに1000円以上かかる。もちろん任天堂は自前の工場を持っているわけではないから、他社の工場にお金を払って作ってもらうわけだな。(ドラゴンクエストシリーズは京セラがつくっていたらしい)
つくってもらったゲームソフトを売る。売れればいい。残ったらどうするか? ROMカセットはとにかく廃棄しづらい。体積があるから倉庫の在庫としては大変だ。処分するにも金がかかる。そのため在庫なしの売り切りスタイルであることが求められた。第一、このときの任天堂に「日本全国どこでどれほど、どのファミコンゲームが売れるか」という予測を立てる能力はまったくなかった。
それゆえ当時の任天堂社長山内は初心会の力を借りることにした。ファミコンとゲームソフトは全量初心会への返品なし買い切り制。在庫は持たず、追加の注文が重なってきたら再販というスタイルだ。ファミコンの専売権を与えるかわりに返品は勘弁してくれということだ。初心会は全国にその配下の二次問屋があるので、彼らを通じて全国の小売店にファミコンを売りだした。ちなみに当初の初心会参加問屋の意見としては「こんなもの絶対に売れない」だったそうだ。
ややこしいのがこの後、ファミコンの登場に衝撃を受けたハドソンとナムコがサードパーティとして参加することだ。当時の任天堂はサードパーティが現れることを予測していなかった。というか、まさか他社がファミコンソフトを作れるとは思っていなかった。そのためサードパーティ参加用の契約書をあわてて作る羽目になったという。(このときアメリカにてアタリがサードパーティであるアクティビジョンを販売差し止めで訴えていたが、後に和解し、サードパーティが合法化された経緯があるため、そもそもサードパーティを認めない、という選択肢はなかったものと思われる)
このときのナムコは簡単だった。ナムコは自前でROMカセットを作ることができたからだ。アーケードの雄はハードウェアを扱う力に長けていた。ナムコに対しては自社生産を認め、1本100円のロイヤリティを収めてくれれば問題ないという契約を交わした。
ハドソンが問題だった。ハドソンは能力こそずば抜けていたが、なにぶん会社の規模が小さかった。とても自前でROMカセットは作ることができず、任天堂に頼ることになった。
任天堂からしたらさらに想定外の事態だ。どうやればスマートにサードパーティ用のソフトを流通させることができるのか。任天堂はリスクを負うことなく、かつゲーム市場が適正に伸びていくための方法を模索する必要があった。
最終的な仕様は、まずサードパーティは一括して任天堂に製造委託費を払う。その中からロイヤリティを差っ引き、任天堂は工場にROMを発注する。作る数は任天堂、サードパーティ、初心会の3つで相談して決める。初心会はサードパーティが任天堂に委託したROMを全数買取、支払いする。これで決まった。
もちろんこれが全てではない。年末はクリスマス商戦を狙って多数のソフトメーカーがソフトを投入してくるので、思ったような数が生産できないので任天堂が拒絶する場合もある。初心会の見込み以上に売れると意気込んだサードパーティが、自前で在庫を抱えてリピートを狙う場合もあった。ROMカセットは作るのにとにかく時間がかかるから、リピート発注が来てもそのとき在庫がなければ応えられるのは早くて三ヶ月後だ(半導体の在庫事情によっては半年待たされることもあったらしい)。そうなればすでに需要は中古で落ち着いてしまう。そういう理由で初心会の注文数よりも多くつくるメーカーもあった。そのままリピート注文が来ず在庫になった? その場合は大特価で二次出荷するしかない。君はかつてゲーム屋でファミコン版グラディウスが新品980円で売られているところを見たことはないか? あれはつまり、そういうことだ。
この中で任天堂を非難する流れがあった。サードパーティがソフトを出すにあたり、任天堂はなんのリスクもなくロイヤリティを徴収していると。しかしこれはそもそもファミコンという当たるかどうかわからないプラットフォームを立て、リスクを負った会社が得るリターンとしてはむしろ当然ではないだろうか。不満があるならセガのように自社プラットフォームを出せばいい。ナムコも自社プラットフォームを計画していたらしいが、結局世に出ることはなかった。
ファミコン時代の流通はこういうことで決まった。このあたりの動きでは初心会があまり悪の組織っぽくなくて意外かもしれない。こんな証言がある。スクウェアの創設者鈴木尚が2003年岡山大学にてインタビューを受けたときの発言である。
>初心会っていう問屋集団が、ある時期は全くファイナンスの役割を果たしてくれてたわけですよ。あまりに量が大きくなると「すみません、お金ないんですよぉ」って言うと手形をくれるわけです。その手形を担保に銀行からお金を借りるわけです。実質的には、ある日突然ファミコン・ブームが終焉しない限りは、返ってくるだろうという。
この時期はスクウェアがファミコンに参入したての頃を指す。任天堂はROMの製造委託費を前払いで求めてくるので、どこかが銀行の代行をしなければならない。そこで初心会が(正確にはその中の一つの問屋だろうが)その役割を果たしていたということだ。
スクウェアはこの後ファイナルファンタジーで有数のRPGメーカーとして名を馳せることになるが、実は完全覚醒するまでにはもう少し時間がかかった。初代ファイナルファンタジーの初回出荷数は40万本で、これが最終的には80万本まで伸びる。次回作ファイナルファンタジー2にて70万本超えの実績を得たが、実はこれ、途中でかなり問屋内で在庫が残って大変だったという。しかしファイナルファンタジー3では初のミリオン超え(最終的には140万本)を果たす。それに伴い過去作も売れるようになって、リピードがかかったというわけだ。このあたり初心会はうまくスクウェアのバックアップに動いているように見える。
そう見えるのは、それはスクウェアが一流メーカー入りを果たしたからだった。ファミコン末期の他のメーカーはどうだったか? 1990年8月晴海にて「ファミリーコンピュータ・ゲームボーイ展示会」「スーパーファミコン発表会」が行われた。年末発売のソフト中心に初心会や小売店に対して各ゲームメーカーが披露する展示会だ。この展示会自体は1988年からやっている。
しかし1990年ではついに「受注ゼロ」のソフトが出始めたのだ。しかも一つや2つではなく、この展示会で並んだソフト(約100タイトル)のうち、3割が受注ゼロだった。この時点でファミコン市場は売れるソフトと、そうではないソフトの差が尋常ではなく離れていた。
この場合、メーカーには2つの道がある。一つは発売中止。もう一つは「任天堂には最低限の発注を行い、初心会には最大限の営業活動を続ける」というもの。もちろん初心会に対して売る気を見せるために大規模な広告活動をやれば発注はくるかもしれないが、その分当然損益分岐点はどんどん高くなる。もっとも有効なのは卸値自体を下げてしまうことかもしれない。
そうしてギリギリの攻防が続けられなんとか出荷したゲームはどうなるだろうか? 端的にいうと、人気ソフトの添え物として扱われた。初心会問屋は二次問屋や小売店へ向けて1本の人気ソフトに対してこういった不人気ゲームや、在庫の売れ残りゲームが抱合せで売りつけた。このときのレートによって「1対3」「1対4」などという言葉が生まれた。(場合によっては1対8なんてのもあったらしい)
さらにはバッタ屋ルートなるものも存在した。問屋の不良在庫を捨て値で買取、独自のルートで小売店に売る。このときの小売店はゲーム屋とは限らない。スーパー、ディスカウントストア、リサイクルショップと様々だ。なかには「お楽しみ袋問屋」なるものもでてきて、中身が見えないファミコンソフトの詰め合わせが一山いくらの世界だったそうだ。こういった不人気ソフトはワゴンセールをとてもよく賑わしてくれた。
ちなみに抱合せ販売は違法なので、公正取引委員会による排除勧告が初心会問屋に入ったことがある。ドラゴンクエスト4の頃だ。そのためかわりに「新作ドラゴンクエストの受注を行います。なおドラゴンクエストの他にあの大人気ソフト郡(大人気とは言っていない)のリピート販売を行いますので、ぜひ同時注文してくださいね」なんて手法が取られた。
これらの状況を任天堂は当然良く思っていなかった。もともと任天堂はアタリショックを目の当たりにして、「クズソフトの氾濫は市場を殺す」と認識していた。そのため、サードパーティには本数制限をかけた。が、サードパーティ自体が増えれば意味がなかった。子供向けのおもちゃであるために表現規制を敷いたが、クオリティチェックはまだこの時行われていなかった。どんどん増えるソフトと初心会の流通在庫は市場を殺す材料になりえた。どこもが不良在庫を減らそうとやっきになって価格をディスカウントしてしまえば、プレイヤーは適正価格でゲームソフトを買おう、という意欲が損なわれる恐れがある。
そこで任天堂はこの状況を打破すべくスーパーマリオクラブという組織を立ち上げる。一般のモニタープレイヤー2000人超を使い、彼らに発売前のゲームを二時間実際にプレイしてもらい、どこがどう面白いのか、つまらなかったのかを評価をする。評価は項目ごとに点数付けされ、集計されたデータは問屋や小売店に送られる。このデータは雑誌ファミリーコンピュータマガジンなどにも送られ掲載されていたので、知っている人は多いんじゃないかな。そしてこのスーパーマリオクラブはソフト売上の予測も立てるようになった。意外なことにこの素人集団の予測が的中した。後年はマリオクラブの参加者自身が慣れてきてしまい、その予測が外れるようになってしまったが。余談だがマリオクラブはこの後正式な任天堂の品質管理部門となった。さらにその後分社化が行われ、マリオクラブ株式会社となった。
任天堂としてはスーパーファミコンを機に一度市場をリセットしようと試みた。品質管理に売上予測、あまりに多くなりすぎた流通在庫。今ではピンとこない話だが、当時のゲームメーカーは「いったいどれほどのゲームが実際にプレイヤーの手に渡っているのか、どれほど流通在庫が眠っているのか」を把握する方法がほとんどなかった。商売相手は小売店やプレイヤーではなく、あくまで初心会だからこんなことになったわけだ。
当時の任天堂社長山内はこう語っている。「どれほどのソフトが売れるか、我々にはわかりようがない。流通のプロに任せるしかない」。これは初心会オンリーの流通を自己弁護した言葉と思われた。しかしこの言葉には「流通のプロでもわからないのなら、任せる意味がない」ということを含んでいる。この言葉の本当の意味はこの後判明する。
そうして新たなスタートをきったスーパーファミコン市場だったが、これは結論からいうと、なんら変わらなかった。むしろますますカオスになっていった。このあたりからいよいよ初心会の初心会らしい悪行が目立ち出す。厳密にいうとこの美味しい市場に目をつけた業者が、なんとか流通に入り込もうとし、初心会の中の一部(ここはもしかしたら一部ではないかもしれない)が彼らと手を組んだ結果なのだが。
・スーパーファミコン本体がほしい場合はアクトレイザーとの抱合せで(違法? 知りません)。しかもスーパーファミコン自体の掛け率は98%。場合によっては小売超え。別売りのケーブル(スーパーファミコンはAVケーブルが別売りだった)を売るほうが利益がでる状況だ。
・80万本の出荷実績があるサッカーゲームの第二弾が登場したとき、初心会のとある問屋一社が初回出荷数50万のうち25万を買い占めた。この25万は発売日に大量には卸さず、自前で在庫として抱え、市場在庫が枯渇して小売店や二次問屋が注文してくるのに対し、他のクズソフトとの抱き合わせ(違法? 知らない子ですね)で売りさばいた。
・とある問屋がメーカーに対して「うちは来週から社員旅行にでかけるんで、申し訳ないのですけど一週間早くソフトを卸してくれませんか?」と要望があった。それに応じて一週間早くソフトを送ると、なんとそのまま発売日よりも一週間早く小売店にソフトが並んでいた。社員旅行なんてそもそも嘘だった。
・メーカーに対してゲームソフトを大量に仕入れることを約束する見返りとして、その担当者個人の口座にリベートを送るように要求した。
(続く)
https://anond.hatelabo.jp/20210504185958
当時としては超大作の開発規模で、価格が500円だったんだから任天堂の意気込みは凄い。
任天堂の山内社長は、「私どもは磁気ディスクゲームの第一号として"ゼルダの伝説"を発売するが、この開発にはこれまでのカセットゲームの数倍の労力をかけてきた。自信作だが、かといって提携している各ソフト会社が、つづいてみんな面白いソフトをつくってくれるという保証はどこにもない。ソフトが似たり寄ったりになったらファミコンそのものが飽きられる。だから、ディスクライターは、つまらないソフトは500円でポンポン書き換えてしまってくださいということです。厳しくなって当たり前。濡れ手で粟、というこれまでの状況の方がやや異常だったんです。今こそ、ソフト会社はいいソフトを作って、企業の存在価値を示してもらいたい。その能力がなければ、脱落あるのみ。任天堂自体、磁気ディスクアダプタでは儲からない。大手のハードメーカーの原価計算でいったら、とてもこんな値段設定はできない。ですから、我々自身もソフトが勝負」
Twitterでウマソーな蕎麦屋を紹介してる人がおったんですよ
正確にいうと紹介っていうか、写真を載っけてるだけですね
で、そうすっとだれかがリプライで「どこですか?」ってきくわけだ
ここまではいいよ
で、その答えが嫌なんだよマジで
「吾妻橋の○○です」
吾妻橋、どこー、ーーーーーーーーッ!!!!!!!!!!!!!
知らねえええええええんだよクソッタレ
町より小さい区切りじゃねえかよ
お前もしかして「日光東照宮ってどこあるっけ?」って言われたら「山内だよ」とかいうのか?
そういうこと聞いてんじゃねえ!ってなるじゃん
フツーそうなの
人間には共感とか配慮とかそういうものがあるので、当然地名をいうときは都道府県名から入る
それがマトモな場所の伝え方ってもんだ
でも「大街道の….」ってイキナリ言わねえじゃんなぜならわからないから
そんなクソどうでもいいマイナー地名なんて誰が知ってんだクソゴミ、殺すぞという話になってくるから
それをヘーキのヘーサでやってくるのがウンコタレ・トンキン・ピーポーなんだよな
本当に頭が腐っている人間の屑どもだよ
それがマナーだろうが なぜならクソ東京のクソ地名なんて知っててたまるかカス くそが
マジで嫌いなんだ
ーーー
あのなあ、検索したらわかるとかそういうレベルの低い話はしてねえの 魂のレベルが下がるから話しかけないでくださる?
今回の人がどうだかは正直知らねえが、東京人ってインターネットでどこに住んでるかわかんない知らない人から「この店どこですか?」って言われたときに、相手は東京人じゃないかもしれないっていうことをまったく考えねえで細かい地名から入るだろ
俺たちは違うの
知らない人相手にはでかい括りから入る そういう謙虚さがあんの
調べたらわかるか否かはどうでもいいんだよ 人間としてのあり方の話をしてんだわ
つうか、結局どんな言い方しようと店名さえ言っとけば検索の手間なんて変わんねえんだよ
だからわざわざ吾妻橋なんて細かいとこじゃなくて「東京」、せめて「墨田区」って言えばいいんだ
そこでわざわざ吾妻橋って細かさをチョイスするところに「オレ、東京人!オマエ、東京人!ナカマ!」みたいな意識を感じて不快なわけ
クソなんだよクソ
と、俺はそういう話をしてんの
ーーー
知人だった場合彼に罪はないんだな
でも彼に罪はなくとも東京人に罪アリ
俺は彼の悪くない振る舞いをみてフラッシュバックを起こしたんだ
を見て思い出したので書いてみる
元々水捌けがよすぎて、水害にも水不足にも悩まされる土地だったため
多少の反対はあれどすんなりと決まっていた覚えがある
市内の人もダムの水を使うということで、小さな村の大した価値もない土地だったがなかなかの額を提示され
たまたまダム予定地に半放置農をしていた婆ちゃんと俺の親(出戻りのシンママ)はホクホクしていた
住み慣れた環境と小学校を変えてしまうのもどうなんだってことで、ダムから少し降りた小学校のそばの土地を買って、家もローンを組まずに一括で建てた
山上の学校よりもさらに標高が高い山奥に住んでいた俺としてはこれ以上ない幸福だった。
それから暫くは何をするにも景気良く、その頃できたばかりであった遊園地にも行ったし、婆ちゃんと母ちゃんと俺の3人で伊勢参りにも行った。その時初めて食べた伊勢海老は今でも俺の好物である。
俺の小学校は1学年1クラスとかなりこじんまりしたところで、ダムで土地を売った組はクラスに3人。3人のうち、ダム予定地に住んでいたのは俺1人ということもあって、それからいっときはクラス中の興味が俺に向いていて随分楽しかった記憶がある。しかし、そんな俺以上に注目の的となったのが親父が建築会社をやっていた山内さん(仮)で、急にお嬢様になった彼女は田舎の小学校にあるまじき可愛らしい格好で登校するようになり、女子は勿論、男子の間でも「今まで気にしてなかったけどよく見ると可愛い」と話題になったものだ。(同時に注目を浴びた俺と山内さんは夫婦、とからかわれ俺は内心満更でもなかったのだが、何も起こることはなく、山内さんは中学校に上がってのちに生徒会長に抜擢される出木杉みたいなイケメンと付き合うこととなったという儚い思い出がある。)
その頃の小学校は山間部に住む生徒が多く、ダムの話は他人事ではなかったんだよな。一度はダム候補地になったものの、外された所の子なんかには少しやっかまれた。
そんな一時のダムバブルも少しすれば忘れ去られ、いつもの日常が戻った。
その頃、DV(などという言葉もなかったが)がひどく離婚もままならないままに逃げてきた父親がどこかからダムの話を聞きつけて、家に襲撃し、俺の親権を求めて訴えてくるというなんとも情けない事件もあったものの、それ以外はごく普通の平和な生活だった。
ダムができたことによる影響といえば、遠方の大学に行く学費+仕送りを母に出してもらえたことぐらいだろうか。シンママで、役場の仕事と少しの畑仕事(みかん農家だった)だけの母の稼ぎでは、とてもじゃないがそこまでは叶わなかっただろう。
俺の村では殆どが高卒だった中、市内の頭の良い学校に行って大学進学、という努力ができたのもダムのおかげだ。
今では東京育ちの嫁さんと結婚し、すっかり都会暮らしに慣れきっているので、ダム底にかつての家があることを思い出すと、なんとも奇妙な気持ちになる。
黄金のマリオ像、というものを知っているだろうか? 1990年代の子供たちの憧れであり、ゲーム屋の怨念を掻き立てるアレのことだ。
任天堂が始めた「任天堂エンタテインメント」というフランチャイズシステムがある。任天堂の卸を担当している初心会に金を払うことで、大作ソフトが多数回してもらえるようになるのだ。通常はゼルダの伝説が20本しか入らないのに、これに入会していると400本入ってくるというわけのわからないシステムだ。かわりに敷地が何畳以上とか、保証金が最低百万だとか、それなりにリスクも追うわけだが。で、入会すると貰えた店用販促物がこの黄金のマリオ像だ。これがおいてある店は結構子供心に輝いて見えたものだ。店主からしたら忌々しさもあったものだろう。
今ではなぜか初心会がかつてゲーム業界を牛耳っていた悪の大組織に扱われ、その象徴としてこのマリオ像がやり玉に挙がることもあるのだが、もうちょっと詳しくここらの事情を書き残すことにする。おっと、私は決して業界内の人間でないので、そんな人間でもわかる範囲内のことと、想像できるものの話ししかしないぞ。
昭和の時代、ファミコンというものが生まれておもちゃ市場は一気に変わっていった。玩具のなかにデジタルデバイスが入り込み、子供たちは夢中でファミコンゲームを買い漁った。マリオ、ドラクエ、ロックマン、スターソルジャー……いろんなゲームが生まれ飛ぶように売れていった。するとどうなるか。街にファミコンショップというものがどんどん増えていった。
任天堂はおもちゃ流通として使っていた初心会を利用してファミコンソフトを全国に出荷した。この初心会とはようするに任天堂と付き合いのあったおもちゃ卸業の親睦会だ。もともとそんな大それた組織というわけではない。
もちろん昭和の時代からすべての小売店が初心会の問屋と取引しているわけではないし、おもちゃ卸業の会社の大多数が初心会に入っているわけではない。そのため初心会に非参加の二次問屋も多数いた。その二次問屋を通ってファミコンソフトを仕入れる小売店もまた非常に多かった。ファミコンが売れると嗅ぎつけた奴らはこぞって店を立ち上げ、夢中でソフトを仕入れ売りさばいた。ゲーム市場がどんどん大きくなり、セガやNECも独自の流通をつかってゲーム市場に乗り込んできた(一部セガは初心会を使ったりもしていたそうだが)。
ファミコンからスーパーファミコンへとプラットフォームを移した頃、いよいよ任天堂と初心会に難題が降り掛かってきた。「小売店が多すぎる」問題だ。
スーパーマリオコレクションを例にあげようか。どうやっても200万本は売れるゲームソフトだ。工場もそれを見込んで確保する。ところが小売店からの注文を吸い上げた初心会への注文は、それを遥かに超える500万本になる。
なぜこのようなことが起きるのか? 小売店が欲しい数をそのまま問屋に注文するからだ。その地方にすむ子供の数を見込んで小売店は注文する。しかし近隣のライバル店も同じ数だけ発注しているのだ。品切れを恐れた小売店の注文は初心会でまとめられたところで重複に重複を重ねた数字になってしまう。
ではそのまま工場をフル生産して500万本作るべきだろうか? 論外だ。そんなことをしたら小売店には大量の売れ残ったマリオコレクションが棚を締めることになるだろう。その結果はどうなるか。値崩れだ。そしてアタリショックの二の舞になってしまう。
よく「クソゲーの氾濫でアタリショックが起きた」といわれるが、事実はまたもうちょっと違う。クソゲーの氾濫の他に「価格の崩壊」もあげられる。小売店は売れなかったクソゲーを値引きする。値引きしたソフトで消費者は買う。そうすると正規の価格ではそもそも見向きがされなくなる。そのため正規の価格が守られなくなりどんどん値下げに走り、撤退・倒産したメーカーが放出した在庫がさらに市場に流れ、価格はさらに落ち込み……というデス・スパイラルが、アタリショックだ。任天堂は絶対にこの現象を起こしてはならなかった。
適正量を見極め適正量の製品を出荷する。その結果は「儲けさせる小売と、そうではない小売とを選別する」必要に強いられる。すべての店に平等にマリオを出荷すべきだろうか? いや、そうではない。不人気ソフトでも買い取ってくれる、不良在庫を引き取ってくれる小売店を初心会は優遇しようと考えた。人気ソフトしか買わない小売店は卸からしたら不要なのだ。そんな店なら上得意の店に回したほうがマシだ、というわけだ。
それまで抱き合わせ販売をして初心会は小売店を選別してきたが、さすがにいよいよ無理がでてきた。この状況を打破するための小売店選別システム。それが上記の任天堂エンタテインメントであり、黄金のマリオ像なのだ。なんなら小売が卸を担当してマージン取って他の小売店にまわしてもよい(まあこれは表向きはNGということになっていたが)。なお、「敷地面積○畳以上」という条件を満たせなかったプレハブのようなファミコンショップも当時は結構あった。
ところがこのシステムもスーパーファミコン末期には崩壊する。任天堂エンタテインメントに参入する小売自体が増えすぎてきたのだ。さらにはその地方に一店も任天堂エンタテインメントに参入していないような状況だとむしろ在庫は拮抗して小売店にとっては不都合がなくなる。そうなると「誰も参入せずに困らない地方」と「全員参入してしまって困っている地方」とが生まれてくる。最終的に「入れば儲かる商材が大量に仕入れられる」から「入らないとそもそも入荷しない」にまで悪化する地方すら生まれたという。小売の選定にも限界が来てしまった。
そうした状況がプレイステーションによって完全に破壊された。ソニーは独自流通で直接小売店に卸たのだ。問屋は不要になった。問屋は今まで選定する立場にいたが、以降は選定される側に回った。初心会内で吸収合併が続き、数をどんどんと減らしていった。初心会外の問屋も潰れるか、吸収されるかになっていった。初心会はいくつかの改革を行ってきたものの、結局プレイステーションの攻勢に太刀打ちできず解散した。解散後も任天堂の意向を汲んだり任天堂に意見をいったりとしてそれなりに機能していたが、岩田社長へと社長交代が行われたあたりでその動きもだいぶ削がれていった。
なおソニー流通でもいくつかのごたごたがあり、最終的にはゲームメーカーが自社独自の流通を持ち直接小売店に卸すようになった。これがPS1後期。今では大手ゲームメーカーの自主流通に、中小サードがぶら下がる形でゲームは流通されている。みんな大好き日本ファルコムはコナミが流通を担当しているぞ。
初心会は決して業界を牛耳っていた悪の組織ではない。アタリショックの幻影に怯えそれを阻止しようと尽力し、結果滅んでいった(厳密にいえば滅びてはいないんだが……)清濁併せ呑む存在だ。黄金のマリオ像は小売からしてみたら忌々しさを覚える象徴だろう。しかし初心会からしてみたら、それなりに自己の正義というものがあったんじゃないだろうか。
※追記
こんなつまらない日記をブックマークしていただけて感謝。すごく嬉しい。いくつかブコメに返信する
>従事る
多数指摘をいただき大変申し訳無い。何分脳が8bit故許してもらいたい
>任天堂を絶賛するやつってこの話題絶対触れないよな。これのせいでメガドライブとPCエンジンのソフトがどれだけ買いづらかったか(入荷数が極端に少ないという意味)
たしかに小売に対して問屋が「他の所とは取引するなよ」と圧力をかけたという証言はあるのだけれど、じゃあ実際どうだったかというとNECがPCエンジンのCD-ROM2ユニットを売り出したときには至るところから寄越せ寄越せの大合唱になったということもあるんで、「上手いこと小売もやっていた」んじゃないかと思う。もしくは問屋も自分のところを経由する形なら文句言わなかったとかかな。
PCエンジンとメガドライブはただただ出荷量が少なかった。めちゃくちゃ売れたイース1・2やソニック・ザ・ヘッジホッグで30万本くらいだ。同時期のスーパーファミコンはミリオンソフトがずらりと並んでいる。小売は当然売れる商材を中心に揃えるわけだから、圧されてしまうのは仕方ないんじゃなかろうか。
そうして売れる商材を揃えている初心会だからこそ、横暴なことをやっても小売は耐えてきたわけだ。単純に販路が弱いっていうのもあるはずだ。スーパーファミコンは初心会とそれに非参加の二次問屋を巻き込んで在庫のやり取りをしていたので品切れをしてもリピートの確保ができた。PCエンジン、メガドライブはそこに余裕がなかったので即メーカー発注になり、そこにも在庫がなければリピート待ちだ。
>権力もってる人間がオトモダチ優遇したりグレーな事やってたりするのを悪の組織と呼ぶべきではないかって言うと・・・
オトモダチ優遇なんて話しじゃないよ。単純なビジネス上の付き合い。ドラクエとマリオしか欲しくない小売は多かっただろうけれど、そんな小売は問屋からしたら何の魅力もない取引先だってことだね。
>ゴールドマリオ像懐かしいな/最近の任天堂絶賛派はこの件を知らないか、知ってても「流石山内組長は商売上手!」みたいに言うのではなかろうか
山内社長から出た案ではないと思う。というか任天堂発案ではないんじゃないかな。マリオ像も販促物も初心会名義だったので、集まった金は初心会で管理していたのだろう。任天堂からしたらどこの小売に儲けさせるか云々はさすがに範囲外だからね。
これに関しても面白い証言があった。確かにROMはリピートに二ヶ月以上かかり、CD-ROMは3週間ほどで生産できたというんだが、「在庫がなくても問屋にある。問屋になくてもメーカーにある。メーカーになかったらいよいよリピート待ちになるが、3週間後でも二ヶ月後でも結局熱が覚めてしまうから同じことだ」というもの。プレイステーションは問屋とメーカーが一体化していたから、初心会内でやりくりしていた任天堂と比較して在庫の数という面では不利になったかもしれない。ファイナルファンタジーみたいなリピート待ち必須の超人気ソフトはさすがに恩恵があっただろうね。
続きを希望されてて嬉しい。実はネタはあるから、気長に待っていて欲しい。初心会から開放された小売がどうなったかというと、あんまり明るい話題じゃないんだけどね。
人数を合わせるため、俺たち兄弟は一蓮托生ということにした。
「じゃあ、マスダが4位の場合は弟くんも4位ってことか」
「そうだ。3位以上は買出し組になる」
「え、それでいいの?」
「まあ……元はといえば、今回の集まりもこっち側の提案だし、それ位の“ハンデ”は背負うさ」
俺はあえて歯切れの悪い物言いをした。
「マスダたちが3位の場合は? ジャンケンで兄弟どちらかが残るって感じ?」
「んー、そうだな……」
ちゃんとした台本が用意してあるわけじゃないので、このあたりはアドリブ次第である。
「“なしなし”がいい?」
「いや、“ありあり”でいいだろう」
「じゃあ、サイコロ振って」
麻雀の取り決めには様々な“あり”と“なし”があるが、仲間内のお遊びでこれらを細かく確認することはない。
“ありあり”とした場合、面倒なので他のものも“あり”とするのが俺たちの中で暗黙のルールだった。
例えば、頼りない照明しかない、このような場所で麻雀をやる場合は“イカサマもあり”となる。
つまり今回のルールは喰いタンあり、役の後付けあり、赤牌あり、ピンヅモあり、喰い替えあり、イカサマありの“ありありありありありあり”……
舌を噛みそうなので、俺たちは気取って“ブローノ・ルール”と呼んでいる。
ちなみに、ここでいう“俺たち”とは“俺と弟のみ”を指す。
もちろん“イカサマあり”を知っているのも“俺たち”だけだ。
麻雀をやったことがあるならば、誰しも一度は考えたことがあるだろう。
運要素の強いこのゲームで、果たして打ち手の強さがどれほど関係するのか。
一説には、麻雀に勝つのに必要なのは運であり、負けないために必要なのが実力だ。
そのどちらもコントロールできるのがプロだが、素人の俺たちはもっと泥臭くやるしかない。
「カン……よし、ドラ4だ」
牌のすり替え、積み込み、出来ることは何でもやった。
少し練習した程度の拙いものだったが、この暗がりだからバレることはない。
更に、みんな夜更かししているから頭が回らず、視野も狭まっている。
多少、露骨にやっても誰も気づかない。
「それロン」
「えー、マジかあ」
「マスダ早いなあ」
もしバレた場合、交友関係に新年早々ヒビが入るという相応のリスクを背負っているからな。
それに、これはこれで神経を使うし、楽勝ってわけにもいかない。
あんまり目立つような勝ち方をしたら疑われるので、適度に手を抜く必要がある。
そのためには、相手の手牌を把握することが肝要だ。
「あ~暇だな~」
俺たちが打っている間、弟は退屈そうに、いかにも落ち着きのない子供といった感じで山内を歩き回る。
「日の出まだかな~」
その手には双眼鏡が握られているが、覗き込んだところで見えるはずもない。
「ねー、次は打たせてよ……」
「……この局までは待ってろ」
こうして相手の手の内を見たら、俺たちにしか分からないサインでそれを知らせる。
傾向さえ分かれば十分だ。
「ちぇ、そっちがきたか……マスダ、それロン」
そんな調子で派手さこそないものの、終わってみれば俺たちが1位だった。
・2.3万人リストラ
・有利子負債2.8兆を0.5兆以下に削減
・確か役員報酬は1億以上だったはず
2000年中盤で
・成長する海外向けマーケットに集中し、国内マーケットの扱いを減らす
・この辺まで売上はあまり変わらず、純利は数千億
・-2000億の純損失
・2.5万人のリストラ
・数年で、+3000億の純利益に転換
・景気の後押しもあり、売上12.1兆、純利5000億と過去最高クラスの業績
・売上11.5兆、純利3000億
・従業員は13.8万人に縮小。
・役員報酬16億
2018/11
・逮捕
→108日後に10億納めて警備員コスプレで保釈、その後再逮捕、5億納めて保釈(合計15億、税金考えると役員報酬2年分)
2019/12
・逃亡
・ゴーン後の西川CEOが報酬問題で辞任、山内CEOが暫定就任、内田CEOが就任、関COOが退任
ルノー周り
・1999アライアンス
・2006年にルノーが日産株44%所有(日産もルノー15%所有)連結子会社に
・2016年に日産が三菱自動車の株式を34%取得して、ルノー・日産アライアンスに追加
無名コンビによる歴代最高得点、同じくほぼ無名による最後の直線からのまさかのマクリで和牛敗退とドラマチックにも程がある今年のM-1だった。どの組も大きくスベることもなく、去年のギスギス状態に比べ-たらまさにお祭り会場の楽しさ。心配してたテンポの悪さも改善されてた。そんな中で平場適性の高さを見せた東京吉本のエース、ニューヨークがネタ以外の本戦MVP。最悪や!は確実に番組にエンジンかけてくれたと思う。
笑い飯哲夫「角刈りとかまだ全然処理できてない(ミルクボーイ)」、パンブー佐藤「印象以上にテクニカル(かまいたち)」等々、興味深い分析が山盛りだったが省略。散々言われてた「反省会面白いけどファイナリストへの負担が大きすぎる」問題を中継でつなぐことで改善しようとしたっぽいね。一昨年の福徳、去年の川瀬と追い詰められた芸人の生き様は見応えあったけど可哀想になってくるからなー。小籔の司会は陰気臭いけど論理的で良かった。ここはMVP選出なしで。
相変わらず後輩たちに優しく、かつ納得感あるコメント多数の千鳥はすごいね。抜き出しはしなかったがぺこぱは2人とも平場がわりとナチュラルで、それがむしろ地肩の強さを感じさせる。ネタも実はキャラの前にシステムありきだからキャラ薄くしても笑えるし平場での応用もきくという。そんな中とにかく運が悪いというお笑い的強運を引き続けたオズワルドに打ち上げMVPを進呈したい。YouTube版ではちゃんと補完されてて良かった。
個人的に敗者復活戦だけは微妙なとこあったけど、それ以外は大満足のドラマチックな大会だった。とにかくすごい逆転劇を見させてもらったという感想。
去年に引き続き勝手にMVPとか偉そうでごめん。お笑い分析自体が寒いのも分かってるんだが語りたくて。増田で1万字近く書くとは思わなかった。
なにはともあれミルクボーイおめでとう!!
わりとみんな言ってるけど、今大会のキーワードは「人を傷つけない漫才」「ツッコミの時代」。
【ニューヨーク】
トップバッターの不利よりも、彼ら本来の毒のあるセンスのキャラが今大会に向いていなかった。毒のあるキャラはコントだと役柄の設定ということにできるが、漫才だとそのまま本人の人柄に見えてしまう。本人たちもそれを意識したようで、M-1向けに普段よりもソフトに好かれやすくネタを調整した結果、持ち味がさらにぶれてしまった。
そもそも例のニコ生事件以来あまり良い印象は持っていなかったが、今回の審査員コメントのところでも同じ過ちをしているように見えた。それは「今の時間主役は誰か?」をわからずに番組を壊してしまうということだ。審査員がしゃべっているとき視聴者は少しでもたくさん審査員の評価・解説を聞きたいと思っている。今大会でこれまでよりもその時間を多くとったのは成功していると思う。この時間は漫才師は脇役で、むしろ一言もしゃべらなくても良いくらいなのにニューヨークは自分たちのプロレスで評価・解説の時間を大きくロスさせてしまった。最初の「最悪やー」は特に悪くないが、その後すぐに松本の話に戻すべきだった。結局あの時間で松本が言いたかったことの半分くらいしか聞けなかったのではないか。
【和牛】
普段の和牛に比べると少し落ちる評価が多いが、今年のネタは彼らなりの「人を傷つけない漫才」であるところが自分はとても好きだった。通常は水田のサイコパス風の男に川西の演じる女性やお年寄りキャラが振り回されるネタが多く、川西に感情移入すると少し心が痛む。今回は不動産屋と客という関係性で川西が明確な弱者ではない。また前半水田に振り回されるのはいつも通りなのだが、最後の物件で川西の狂気が発動してむしろ上回って痛快だった。
【見取り図】
フット後藤や南キャン山里らによって急激に高度に昇華されたワードセンスによる「たとえツッコミ」。それをさらに純化させてツッコミでさえない「たとえ」を軸にしたネタになっている。「あおり運転の申し子」は最高。
ナイツ塙に鼻を触る手の動きを指摘されていたけど、そういえばアメトーーク!「ツッコミ芸人が選ぶ、このツッコミがすごい!!」で博多華丸が手の動きにムダが多いのは駄目と言っていて塙も同意していたのを思い出した。
【インディアンス 】
インディアンスにとって不幸な偶然であるが、先月10年ぶりにアンタッチャブルがテレビで漫才を披露したのは地味に効いている気がする。当時と変わらないかそれ以上のザキヤマのパワフルな動きが目に焼き付いていると、それと同系統の田渕のボケが若干見劣りしてしまった部分もあると思う。
【ぺこぱ】
キャラが定まらず迷走した結果、ひとつの方向性を見つけたのではなくて、迷走したまま洗練されてしまった感じがすばらしい。今大会「人を傷つけない漫才」「ツッコミの時代」の代表格。NON STYLE井上の正解はこれだったんじゃないかとも思わせる。「ノリつっこまない」と評されていたが、詳しく見ると長いツッコミフレーズの前半でセオリー通りの厳しいツッコミをやりかけて、後半で急激に優しさにハンドルを切る構成になっている。面白く、新しいだけでなく、松本がよく言う「緊張と緩和」をツッコミの1センテンスの中に詰め込んでいるのがテクニカル。
【かまいたち】
1本目は山内の狂気に見てる方がちょっと引くいつものかまいたち、2本目は少しソフトになった屁理屈漫才。好みはあるだろうが自分は2本目が今まで見た中で最も完成度が高い完璧な漫才に見えた。
【ミルクボーイ】
会場での最高評価のわりにネット上の感想ではまったく受け付けない人もいるミルクボーイ。大人から子供まで誰もがわかる「人を傷つけない漫才」というところに目が行きがちだが、かなりテクニカルでもある。ボケ、展開、オチはあえて全然面白くない作りなので、そこを重視する人には好まれないのだろう。ツッコミのワードセンスと声のトーンのみで笑いを作り、それを何度も重ねていく競技のようなストイックネタである。それだけにツッコミのフレーズや間は完璧に磨き抜かれている。ひとりごっつやIPPONグランプリなどストイックなボケ企画を生み出してきた松本がもしツッコミだったらこういうスタイルの笑いの実験をやっていたかもしれないと思った。
そういう点でミルクボーイもまた「ツッコミの時代」の象徴的なコンビだった。笑いはほとんどとらないが正確にトスを上げつづけるボケ?側も高い技術が必要なのは言うまでもない。
【一応ネタバレ注意】
ヒカキンがYouTuberなのにテレビにでしゃばってうざいから捕まれだの、
山内が自首成功した時には卑怯者呼ばわり、電話の前にハンター1人設置しろと文句を言い、
一般出場者が逃走成功した時には、「こんなにハンターがいて捕まらないわけがない!ヤラセだ!」と連呼し、
山内とハイタッチした時には、「こんなのとハイタッチすんな!まぁ一般だから(賞金取ったのは)許すけど」みたいな謎目線。
家族が食卓を囲み、夕飯を食べながらダラダラ見るようなバラエティなはずなのになぜこんなにムキになるのかいまいちわからない。
最終的には「ゲームやってギャラもらってるのに更に賞金を求めるのはがめつい!」となんかイライラしてる。
「別にうちの口座からしょっぴかれるわけでもないのになんでそんなに怒るの?」と聞いても答えはなかった。
昔から『美人すぎる〇〇』とか『〇〇似のイケメン』に、「ブスじゃん」とか「〇〇って元々ブサイクじゃん」みたいなツッコミを入れるし、
激辛料理食べてるタレントを見れば「あんなの作るのも食べるのも頭おかしい」と言う。
なんていうか、一緒にテレビを見て楽しみたい人として思えなくなってきた。
なんだろうね、こういうの…
今放送中の朝ドラ「なつぞら」はアニメーターの女性が主人公で、日本アニメーションの歴史をなぞるストーリーとなっている。その前々作「半分、青い」では、漫画家が主人公だった。
ということは、今後10年以内に、アニメ・漫画と並ぶ日本の三大コンテンツであった「ゲーム」を題材とする朝ドラが確実に放送されるであろう。
となると、一体誰が主人公の人生のモデルに選ばれるのだろうか。
最有力の第一候補として思いつくのは、やっぱりコーエーの女帝、襟川恵子だろう。まさに日本ゲームの歴史をなぞってきた。シブサワ・コウとの夫婦愛や内助の功も描けるし、自らが女性向けゲームを開発する話も描ける。任天堂の山内親分と対等にやり合い啖呵を切ったりするシーンなんかも見どころになるだろう。しかしコーエーという会社が、あまり朝ドラ視聴者に有名ではなさそうだ。大人向けゲームが多いので、マリオやFFやDQと比べ「子供に夢を与えた」という脚本にしにくいのが難か。
他に第二候補として、スクエアでグラフィッカーをしていた渋谷員子か。アニメーター志望で職探しをしてたらゲーム未経験なのに出来たばかりのゲーム会社に誘われ、そこで才能を発揮しFFを作って世界的ヒットになるというストーリーがいい。井浦新が演じそうな坂口博信との掛け合いも面白そう。問題はスクエアの話だけでは脚本が半年持たないとこだろう。「半分、青い」みたいにゲーム会社の話は途中で切り上げられて田舎帰って別の夢に向かうとかになりそうか。
第三候補としては、Mobageを立ち上げた南場智子。ゲームクリエイターじゃないけど一大ゲームプラットフォームを作り上げた企業の社長の女一代記。その栄枯盛衰をどんなふうにでも脚本に起こせそう。
宮崎勤事件というのがあって簡単に言うと小児性愛のオタクが幼い女児を連続で誘拐,殺害などなどをした事件で,世間のオタクは犯罪予備軍というオタクやロリータに対する蔑視を確立させた出来事なのだけれども社会学者の大澤真幸は犯人の動機を小児性愛ではなく幼少期の身体障害や祖父の死に際する独特の認識に基づくものだというアプローチを取っていて,ここで犯人は「おっかない・甘い」という指標に基づき,これを絶対的なものとして犯行を行っていた.
ハッピーシュガーライフという母親から異常な形の愛を注がれた故に愛を知らずしかし執着し他人と付き合っても楽しいとは思わない主人公のさとちゃんが何らかの成り行きでしおちゃん(知らない人の子供)の首を締めようとしている母親をイーゼルで殺してノコギリで解体し,生き残った二人で楽しく甘い生活を送るパーソナリティー障害(シゾイドか境界性)についてのホラーアニメでも主人公は苦い・甘いという指標に基づいて行動していてこれもなんだか似た構図が展開されている気がしたのですよ
cf: 山内春光 「今田勇子から宮﨑勤へ」https://gair.media.gunma-u.ac.jp/dspace/bitstream/10087/6081/1/01_%E5%B1%B1%E5%86%85.pdf