2021-05-05

anond:20210505070139

1986年出版された『任天堂ファミコン戦略』という本が手元にあったので読み返してみたら、以下のような記述があった。

 

ファミコンCPU任天堂リコーそれぞれ5名ずつだして10名のプロジェクトチームを作り開発した。

・当時のリコースタッフ曰く、任天堂からゲームウォッチピークに来ておりアーケードも落ちていくと予想されるので、新しい製品を作りたい」と昭和57年の夏に声をかけられた。

・開発費は億に達したと言われている。

リコーの窓口となった浅川俊文は「任天堂には泣かされました。ゲーム機とは言え立派なコンピュータ。その半導体チップを2000円以内で押さえろというんですからね」と語っている。

・それに対し任天堂は2年で最低300万個生産すると保障し、無茶な要求を飲ませた。

・でもその条項契約締結直前になって契約から削除された。

昭和58年春に6502互換CPU採用が決まった。(ファミコン発売はその年の7月)

リコー半導体生産に参入したのは昭和56年5月。自社のカメラ事務機向けで、余剰分を外販する腹積りだった。

しか工場を作ったものの外販先はなく、実績が無かったので一年目は外販ゼロだった。その後アタリ、コモドールジャパンに外販したが業績は良く無かった。

・そこに「300万個は保証するから」という任天堂山内社長の一声で提携決断した。

現在(出版当時)リコー任天堂への独占供給の代わりに、ファミコンCPU/PPUの外販は任天堂許可必要契約になっている。

記事への反応 -
  • 何故そう思うのかというと「任天堂サイドからの話しか出てきてないから」である。 https://www.nintendo.co.jp/n10/interview/mario25th/vol2/index2.html >「CPUの“すごくいい石が見つかった」「リ...

    • 1986年に出版された『任天堂のファミコン戦略』という本が手元にあったので読み返してみたら、以下のような記述があった。   ・ファミコンのCPUは任天堂とリコーそれぞれ5名ずつだ...

    • セガサターンが気になるなあ

    • メガドラの68000はモトローラ68000と言う名前がマニアックな連中の間で有名だったという話もあるだろう 言うまでもない有名なゲーミングPC・X68000の名がセガファンに刺さりまくっていた...

      • いやいや、既にセガはシステム16で68000使っててそのノウハウがあるからメガドラに採用したんだろ… システム16は1985年に出てるけどx68kは1987年だろ?

    • リコーが6502のライセンスを持っていたって話じゃなかったっけ? Z80はライセンス取得までしていると納期的にもコスト的にもあわないって聞いたよ https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bits...

    • ファミコンと初代アップルって兄弟だったのか

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