1986年に出版された『任天堂のファミコン戦略』という本が手元にあったので読み返してみたら、以下のような記述があった。
・ファミコンのCPUは任天堂とリコーそれぞれ5名ずつだして10名のプロジェクトチームを作り開発した。
・当時のリコーのスタッフ曰く、任天堂から「ゲームウォッチがピークに来ておりアーケードも落ちていくと予想されるので、新しい製品を作りたい」と昭和57年の夏に声をかけられた。
・開発費は億に達したと言われている。
・リコーの窓口となった浅川俊文は「任天堂には泣かされました。ゲーム機とは言え立派なコンピュータ。その半導体チップを2000円以内で押さえろというんですからね」と語っている。
・それに対し任天堂は2年で最低300万個生産すると保障し、無茶な要求を飲ませた。
・昭和58年春に6502互換CPUの採用が決まった。(ファミコン発売はその年の7月)
・リコーが半導体の生産に参入したのは昭和56年5月。自社のカメラや事務機向けで、余剰分を外販する腹積りだった。
・しかし工場を作ったものの外販先はなく、実績が無かったので一年目は外販ゼロだった。その後アタリ、コモドールジャパンに外販したが業績は良く無かった。
・そこに「300万個は保証するから」という任天堂の山内社長の一声で提携を決断した。
・現在(出版当時)リコーは任天堂への独占供給の代わりに、ファミコン用CPU/PPUの外販は任天堂の許可が必要な契約になっている。
何故そう思うのかというと「任天堂サイドからの話しか出てきてないから」である。 https://www.nintendo.co.jp/n10/interview/mario25th/vol2/index2.html >「CPUの“すごくいい石が見つかった」「リ...
1986年に出版された『任天堂のファミコン戦略』という本が手元にあったので読み返してみたら、以下のような記述があった。 ・ファミコンのCPUは任天堂とリコーそれぞれ5名ずつだ...
セガサターンが気になるなあ
メガドラの68000はモトローラ68000と言う名前がマニアックな連中の間で有名だったという話もあるだろう 言うまでもない有名なゲーミングPC・X68000の名がセガファンに刺さりまくっていた...
いやいや、既にセガはシステム16で68000使っててそのノウハウがあるからメガドラに採用したんだろ… システム16は1985年に出てるけどx68kは1987年だろ?
リコーが6502のライセンスを持っていたって話じゃなかったっけ? Z80はライセンス取得までしていると納期的にもコスト的にもあわないって聞いたよ https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bits...
ファミコンと初代アップルって兄弟だったのか