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2021-08-28

ワクチン強制と "グレート・リセット":政府メディア、製薬業界国際機関協調には理由がある

記事 (Zerohedge):https://www.zerohedge.com/geopolitical/vaccine-mandates-great-reset

執筆者:Philipp Bagus via The Mises Institute,

翻訳Deep translate を使用

ワクチンを受けていない人への圧力が強まる いくつかの国では、ワクチンを接種した人たちが、コヴィドの介入によって奪われた自由を取り戻しつつありますが、ワクチンを接種していない人たちはそれほど恵まれていません。彼らは差別対象となっています公共の場へのアクセス旅行が難しくなっています。一部の国では、職業によってはワクチン接種が義務付けられているところもあります

しかし、なぜ政府予防接種キャンペーンをそれほど重要視し、これほどまでに圧力をかけているのでしょうか。また、誰が世界的な予防接種キャンペーンに関心を持っているのでしょうか?

これらの疑問に答えるためには、普及しているワクチン接種に関する物語分析し、そこから誰が利益を得ているのかを問う必要があります

その際には、国家メディア、製薬業界、超国家機関の間の利害関係連合を取り上げなければならない。

まず、製薬業界から見てみましょう。

ワクチン接種キャンペーンには、明らかに経済的利害関係がありますワクチン接種の普及によって莫大な利益を得ることができるからです。

一方、国家どうでしょうか?

コビド19の危機において、政治家は恐怖とヒステリー組織的に増幅させた。これは偶然ではなく、当然のことなのです。国家は、内外の危険から国民を守るという主張の上にその存在意義を築いているのですから国家は恐怖の上に成り立っているのである国家の助けがなければ、国民飢餓貧困事故戦争テロ病気自然災害パンデミックに対して無防備になってしまうという物語である。したがって、国家は、起こりうる危険に対する恐怖心を与え、それを解決するふりをして、その過程権力を拡大することが利益になるのである比較最近の例では、9月11日同時多発テロや第二次イラク戦争の後、テロの脅威に対応するために米国市民自由制限されました。同様に、平時には考えられないほど国家権力を拡大するために、市民基本的権利犠牲にして、意図的に恐怖心を煽り、コヴィド-19を特異な殺人ウイルスとして描写することは、政府利益となった。

コロナ危機が始まったときウイルス潜在的危険性についてあまり知られていなかったため、政治家は非対称な報酬に直面した。政治家危険性を過小評価して対応しなければ、過小評価責任を問われることになる。選挙権力も失うことになる。特に、死者の責任を問われることになればなおさらだ集団埋葬の写真はさておき、危険過小評価して行動しなかった場合の結果は、政治的に致命的なものとなる。対照的に、危険性を過大評価して断固たる行動をとることは、政治的はるかに魅力的である

もしそれが本当に前例のない脅威であれば、政治家ロックダウンなどの厳しい措置をとって称賛されます。そして政治家は、彼らの断固とした行動がなければ、実際に災害が起きていただろうと主張することができる。しかし、その対策が大げさであったことが判明した場合、その対策がもたらす可能性のある悪影響は、集団埋葬の写真のように政治家と直接結びつくものではなく、より間接的で長期的なものであるからです。ロックダウンによる間接的かつ長期的な健康コストには、自殺うつ病アルコール依存症ストレス関連の病気、手術や検診のキャンセルによる早死に、そして一般的生活水準の低下などがある。しかし、これらのコストは、思い切った介入に直接関連するものではなく、政策のせいにされるものです。これらの結果の多くは、次の選挙の後、あるいはそれ以降に発生し、目に見えません。例えば、生活水準が上がれば、平均寿命がどの程度伸びたかを観察することはできません。また、ロックダウンきっかけに発症したアルコール依存症うつ病で6年後に誰かが死んだとしても、ほとんどの人はおそらくロックダウンを行った政治家責任にはしないでしょうし、もし責任にしたとしても、その政治家はすでに退陣している可能性があります。このように、脅威を過大評価して過剰に反応することは、政治家利益になるのです。

政治家にとって魅力的なロックダウンなどの厳しい措置正当化擁護するためには、恐怖心をあおることが必要である。19年のソ連危機の際、政治家が恐怖とヒステリー煽りロックダウンなどの高度な制限措置実施したことで、経済社会構造に与えたダメージは計り知れないものでした。しかし、社会永遠にロックダウンすることはできません。どこかの時点でロックダウンを解除し、正常な状態に戻さなければならないのです。しかし、殺人ウイルスの脅威に対する恐怖心を煽ると同時に、正常な状態に戻すにはどうすればよいのだろうか。

その方法は、ワクチン接種である

ワクチン接種キャンペーンにより、国家は大きな危機から救世主としての役割を果たすことができる。国家国民のために予防接種組織し、その予防接種国民に「無料」で提供するのである。この「予防接種レスキュー」がなく、永久ロックダウンされた状態では、市民権利制限することによる経済的社会的な悪影響があまりにも大きいため、国民の間で恨みが募り続け、最終的には不安が脅かされることになります。だから、遅かれ早かれ、ロックダウンは終わらせなければならない。しかし、国家当局が、それ以上の説明もなくロックダウン制限撤回し、「結局、危険はそれほど大きくなかった」「制限は大げさで間違いだった」などとほのめかすようなことがあれば、住民の支持と信頼を大きく失うことになるだろう。したがって、政府立場からは、最も厳しい規制から脱却するための、面目躍如たる「出口のシナリオ」が必要であり、それを提供するのが予防接種キャンペーンである

国が提供するワクチン接種によって、国家は大きな脅威の物語を保持し続け、まだロックダウンから抜け出すことができる。それと同時に、ワクチン接種によってある程度正常な状態にしている救世主のように見せかけることもできる。そのためには、できるだけ多くの国民予防接種を受ける必要がある。なぜなら、国民のほんの一部しか予防接種を受けていなければ、予防接種キャンペーンを開放に向けた必要ステップとして売り込むことができないかである。このように、国民の大部分にワクチンを接種してもらうことが国の利益になるのです。

この戦略成功すれば、国家前例を作り、権力を拡大し、さら市民をより依存させることになる。市民は、国家自分たちを死の窮地から救ってくれたと信じ、将来的には国家の助けが必要になると考えるだろう。その見返りとして、彼らは自由の一部を永久に手放すことを厭わないだろう。国が主催する毎年の予防接種ブースター必要であるという発表は、市民依存心を永続させるだろう。

マスメディアは一線を画し、予防接種シナリオ積極的に支持している。

国家マスメディアは密接につながっている。有力メディアによるフレーミングと、国民ターゲットにすることには、長い伝統がある。すでに1928年エドワードバーネイズは、その名著『プロパガンダ』の中で、大衆知的操作することを提唱していたのである現代国家では、マスメディアは、covid-19のような政治的措置に対する大衆承認を構築するのに役立っている。

マスメディア国家を支持するのにはいくつかの理由がある。国が直接所有しているメディアもあれば、規制が厳しく、国の免許必要メディアもありますさらに、メディアハウスには国家教育機関卒業生が常駐している。さらに、特に危機的な状況下では、政府との良好なつながりがメリットとなり、情報へのアクセス優遇される。また、ネガティブニュース危険性を誇張して伝えることで注目を集めることができるため、国家の恐怖物語を伝えようとする姿勢も見られる。

コロナ事件では、ソーシャルメディア拡散した一方的報道批判的な声を封じ込め、恐怖とパニック引き起こし国民に大きな心理的ストレスを与えた。しかし、メディアにとって魅力的なのはネガティブニュースだけではなく、国家国民を大きな危機から救い出すという物語もよく売れる。このように、ワクチン接種という物語は、マスメディアの思惑通りに動いているのです。

国民国家メディア製薬会社に加えて、超国家組織もまた、世界人口が確実にワクチンを接種されることに関心を持っている。

国家的な組織は、世界的な予防接種キャンペーン重要役割を果たすようなアジェンダ積極的に追求している。これらの組織には、世界経済フォーラム(WEF)、国際連合UN)、EU国際通貨基金IMF)、世界保健機関WHO)などがあり、これらの組織相互に密接に関係しています

これらの組織の中には、目標として「偉大なるリセット」や「偉大なる変革」を掲げているところもありますパンデミック気候保護ジェンダー移民金融システムなどの分野で、これらの組織世界中のすべての人々の利益のために協調した答えを見つけようとしています。これらの組織は、責任の共有とグローバルな連帯を強調していますワクチン接種、気候変動、金融移民の流れを中央管理することは、新しい世界秩序の特徴でもあります。例えば、WEFの2019年の年次総会のテーマは「グローバリゼーション4.0」でした。Shaping a New Global Architecture in the Age of the Fourth Industrial Revolution" でした。また、超国家的な計画の例として、国連の "Global Compact for Migration "があります。国レベルでは、ドイツ地球変動諮問委員会のWelt im Wandel - Gesellschaftsvertrag für eine Große Transformation (World in transition: Social contract for a great transformation)政策文書に見られるように、こうした過激アイデアが支持されています

Raymond Unger(2021, pp.84-89)は、この超国家計画の推進を、アントニオグラムシハーバート・マルクーゼが想定した文化戦争の一環として捉えている。意見や怒りをグローバル管理することが、特に気候変動やコロナの分野における恐怖やホラーのシーンと結びついて、新しい社会主義の世界秩序を確立する。実際、WHOIMF国連は元共産主義者が率いている。WEFは、製薬会社大手ハイテク企業などのグローバル企業出資しています。WEFは、国連の「2030アジェンダ」にも大きく出資していますWHOもまた、製薬会社ビル&メリンダ・ゲイツ財団から多額の資金提供を受けており、世界的なワクチン接種キャンペーンを先導しています。コビド19危機の際にも、製薬業界WHOに影響力を行使した。また、IMFWHO勧告に従う場合にの国家支援している。

これらの超国家組織は、コビド19の危機自分たちアジェンダを進める機会と考えている。国連政策文書「Shared Responsibility, Global Solidarity: 国連政策文書『Shared Responsibility, Global Solidarity: Responding to the Socio-economic Impacts of COVID-19』は、covid-19を現代社会の転換点と捉えている。この機会をとらえ、世界的に協調して行動することを意図しています大手ハイテク企業は、このようなアジェンダを支持しています。彼らはWEFのメンバーでもあり、マスメディアと同じように、自分たちプラットフォームTwitterYouTubeFacebook)で、covid-19に関連する不愉快情報検閲している。特にYouTubeでは、予防接種批判的な動画はすぐに削除されています

IMFクリスタリナ・ゲオルギエヴァ理事基調講演タイトル「From Great Lockdown to Great Transformation」も、超国家組織コロナ危機自分たちアジェンダのために利用したいと考えていることを強調しています。WEFの創設者であるクラウス・シュワブは、コヴィド-19の危機は、"経済社会システムの新しい基盤を築く "ための「貴重な機会」であると主張している。COVID-19: Thierry Malleretとの共著である『COVID-19: The Great Reset』の中で、シュワブは決定的な瞬間について語り、新しい世界が出現すると主張している。シュワブ氏によれば、今こそ資本主義根本的な改革必要であるという。

したがって、世界的に調整された予防接種プログラムは、偉大なリセットのための超国家戦略構成要素と解釈することができる。

世界的な予防接種構造確立され、それがその後の世界的な予防接種キャンペーンに利用されるのであるグレート・リセット提唱する人たちの視点から見ると、世界的な構造組織必要性が強調されています。これらの組織は、「気候変動」に効果的に対処し、グレート・リセットを推進するなど、他の世界的な目的のために使用することができます。要するに、国家メディア、製薬業界、超国家組織が密接に絡み合っており、予防接種というストーリー共通の関心を持っているのです。

このような観点からすれば、ワクチンを打たない人への圧力が強まっているのは当然のことです。

2021-08-18

百合論考vol.00の感想

百合論考vol.00」を購入したので感想を書き残そうと思う。

https://102202.booth.pm/items/2602773

ツイッターだと文字数制限が厳しいのとなんか恥ずかしいので。

まず俺は、ノンケの男であることは示しておこう。百合は好きだがそれほど詳しいわけではない。

百合論考」で良かったのは

セイジロウ検証!あの子のまつげは何故長いのか」

芦生慧「百合解体

ゆりすこ「2010年代百合を振り返る ―そして2020年代へ―」

しかったのが

鞆谷六花「百合という二文字表現できない時代がもうすぐそこまできてる」

り「時代とともに変化する百合スタンダード

他はテーママニアック過ぎたり、特定作品を読んでいないと理解が難しいと感じた。あとは、可もなく不可もなくといった原稿も。

まず「検証!あの子のまつげは何故長いのか」はテーマが良かった。構成も上手く、トップバッターにふさわしい内容。だがトップにしたせいでこれ以降の論考のハードルが上がってしまう側面もあった。とはいえトップに持ってくるべきだったとは思う。

百合解体」はその名の通りジャンルとしての「百合」は解体すべきと、やや過激な論。俺は賛同しないが、当事者による論考という意味では価値があると思った。このくらいハッキリ言ってくれたほうが気持ちイイ。論考とはこうあるべき。

それと真っ向から対立しているのが「2010年代百合を振り返る ―そして2020年代へ―」。こちらはあらゆる女同士の関係性を百合とし、その中から好きなものを選べという論。個人的にはこっちのがしっくりくる。他の原稿もこっちよりの人が多い感じはした。

この論はテーマがわかりやすく、文章も読みやすかった。俺は今の百合はやや衰退気味の気がするが、1年経ってるし執筆出版とのタイムラグ問題か?今氏がどう思っているかは気になる。

百合という二文字表現できない時代がもうすぐそこまできてる」は論考としてはやや主張が薄い。日本語を書く上での基本的ルールを逸脱しているところもあり、論理の飛躍など構成も甘さを感じた。主催者からそのまま載せたのだと思うが、誰かに校正してもらうべきだっただろう。あとこの人たぶん理系高学歴だと思う。文章が完全に理系のそれなので。根本的な文章のクセって直せるのかな?

時代とともに変化する百合スタンダード」は文字で主張するのではなく、数字を使うというコンセプトは良かった。ただそれを活かしきれてないないという印象。見ればわかるようなことを書いても仕方がなく、そのグラフからどんなことが推測できるのかもうちょっと踏み込んでほしかった。というか全体的に文章自体が少なすぎる。鋭い視点もあっただけにもったいない

そもそも最大の問題アンケートの回答数が500件にすら満たないという点か。これはどちらかと言えば百合ジャンル自体の人気の問題ではあるが。個人的にはその程度しか回答が集まらなかったことに一番衝撃を受けた。百合ナビとかがやったらそこそこ集まりそうだけどな?

あと後半の22名へのアンケートは人数が少なすぎる上に、特定属性に偏りすぎているのでさすがに無意味趣旨からズレる自覚があるならカットすべきだったと思う。


あとは値段の高さはやや気になった。この手の本はラーメンと同じで1000円超えるとちょっと抵抗がある。送料がかかることを考えると相当なハードルになっている。もっと原稿の数を絞って600~800円程度になると手を出しやすくなると思う。本当は送料込みで1000円超えないくらいがベスト

今回は準備号ということもあり、テーマ統一性イマイチだったのも気になる。あまりマニアックテーマは書いている方は気持ちいかもしれないが読む方はしんどいとはいえ執筆者が集まらないとどうしようもないので初回に関しては仕方ないか執筆者が書きたいテーマNG出すのはしんどいもんね。

もう一つ付け加えるとすれば、このご時世に紙オンリーでの出版は謎。紙で出すこと自体がコンセプトなら問題は無いが、電子版も配信した方が売り上げは上がると思う。住所とか入力しないといけないのは購入へのハードルをかなり上げてしまっているように感じる。何を重視するかは主催者次第なのでなんとも言えないところではあるが…。

初回ということもあり粗もあったが全体的な満足度はまあまあだった。vol.1にも期待したい。

2021-08-15

日本の“匿名ダイアリー”に驚きの声 海外反響「うちの国も導入すべきだ!」

AP通信

 東京五輪は8日に幕を閉じた。24日にはパラリンピックが開幕するが、取材日本を訪れている海外レポーターは”匿名ダイアリー”に驚いたようだ。自身ツイッター経験を伝えると、海外フォロワーからは「興味深いね」などと反響が寄せられている。


 ツイッターに驚きを記しているのは、オーストリア公共放送「ANL」でレポーターを務めるアヌース・エクスパンス氏。東京五輪パラリンピック取材7月から来日している。ある日、日本はてなブックマークを利用したようだが「どうやらブログ記事らしいのだが、ほかのはてなブログと違って記名がなく、執筆者がわからない」という出来事について伝えた。


 不思議に思ったエクスパンス氏は「このブログについてググってみた」という。「これは”マスダ”という愛称で親しまれている、日本匿名ブログサービスであるようだ。身分を隠した立場から自由にクソみたいなデマお気持ち日記誹謗中傷を量産することができる!」と紹介した。


 すると海外フォロワーからは「ヨーロッパにも導入すべきだ」「素晴らしい!」「日本がなぜ素敵な国なのか、これでわかったわ!」「本当にクールなことだ」「尊敬に値する」「興味深いね」「次は電球を入れるチャレンジをしたい」「350gの野菜瞑想」などと反響が寄せられている。

2021-07-24

anond:20210724155811

(1)「現場に居た当事者じゃないから口出しするな」と言うお前は、当事者として和光学園イジメ現場にいたの?加害者本人?被害者本人?クラスメート目撃者?「当事者じゃなければ口出しするな」と言うならば、お前は当事者な訳だ。QJ関係者か?それとも、北尾修一・村上清・小山田圭吾か何れかの本人か?「当事者以外は黙れ」と言うのならば、お前自身が率先して口を閉じたら?それが出来ないからお前も口出しするんだろ?当事者でもないのに。馬鹿なの?

(2)記名記事執筆者名前を、匿名化する意味は全く無い。村上清を匿名化して隠避しようとするのは、マスメディア関係者の身勝手責任逃れ。記名で執筆した記事に対する責任は、顕名で引き受けるべき。

お前はお前自身が(小山田圭吾村上清を批判している人間とは異なり)冷静さを保っているかのように述べているが、お前の文章から教祖様馬鹿にされたから頭に血が上って書いたのが現れているぞ。

それとな、お前は俺のことを「デビルマンを読んだことが無い」というが、物語クライマックスで牧村家を襲撃して血祭りに上げたのは「デーモン」じゃなくて「普通人間たち」だよ。お前こそ、デビルマンを読んでねえだろ?サブカル馬鹿は、教祖様原理主義者の短絡思考から、そういう初歩的なミスをするんだよ、馬鹿

(3)それで出てくるのが「お前はライターじゃないか批判するな」かよ。じゃあ、お前は当時の、それとも現役のQJライター編集者なのか?まるでお前は全てを知っているかのような口調だが、当事者以外は黙ってろとお前が言うなら、お前自身が口を閉じるか、お前が当事者であることを示せ。初歩的な論理だろ。それも分からないぐらい頭に血が上ってるくせに「オレは冷静だ!」と装うから、お前自身馬鹿さ加減を自らの手で晒す羽目になるんだよ、頓馬。

それとな、お前は孤立無援のブログミスリードと主張するが、あれは「加害者側の一方的且つ身勝手な『ボクたちはトモダチだった』と云う言い訳によって、美化したり隠したりしている本質」を抽出しただけだ。

(4)既成事実化だろ。読んでもいない手紙の内容を、小山田圭吾村上清にとって都合の良い内容が書かれていたかのように言って、それがさも事実であったかのように「あの思いは通じた」とか書いたら、良く言えば「北尾修一は事実と願望の区別がつかない馬鹿」で、悪く言えば「長々と願望ポエムを書き連ねて、その末尾の方でコッソリと己の願望=事実であるかのようにすり替えて読者をミスリードしようと意図した卑怯者」だろ。北尾修一は、一体どっちの馬鹿なんだ?両方かもな。

よっぽど既成事実化と言われるのが嫌みたいだから、これからもオレは積極的北尾修一は既成事実化を意図したと主張することにするわ。

(5)村上清がイジメ被害者であることは、小山田圭吾と一緒になって雑誌の誌面で二次加害を行ったことを免責する理由にはならねえよ。馬鹿なの?

村上清がイジメサバイバーから何なの?それで村上に、他のイジメ被害者に対して「イジメエンターテイメントだ!」と村上清の勝手価値観押し付けて、剰え雑誌取材と称して押し掛けて、被害者とその家族の心の古傷を抉る権利付与されると思ってるの?お前みたいなサブカル馬鹿は、本当に自己中心的・お仲間絶対主義で身勝手だな。馬鹿

(6)冷静な意見加害者側の身勝手な主張だけを根拠に、イジメ正当化矮小化しているだけだろ。「加害者が『ボクたちはトモダチだった』と言っているから、これはイジメじゃなかったんだ!イジメ被害者との間に友情が成立していたんだ!」って、それのどこが「冷静」なの?DV加害者が「被害者を愛している」と言ったら、それを真に受けて「ああ、DVじゃなかったんだ」と納得して放置するの?お前の頭の中に、ちゃん脳味噌入ってる?DV事件現場では、加害者一方的な「愛情存在」を鵜呑みにする馬鹿がいたら批判されるよ。そういう「加害者側の一方的な主張」を根拠にして「これはイジメではない」と言うのは、サブカル馬鹿知識認識アップデート出来ていないことの何よりの証明だよ。それで「オレはお前たちと違って冷静だ!」とか、馬鹿なの?

それと、お前の言う「二次加害」って、誰に対するものを指して言ってるの?「一次加害」は和光学園在学中に行われたイジメと、その後に雑誌取材と称して被害者とその家族の心の古傷を抉ったことを指すと思うんだけど、お前の言う「二次加害」に先立つ「一次加害」は誰が誰に対して行ったものを言ってるの?頭、大丈夫サブカル馬鹿は、自己陶酔したポエムばっかり書いたり読んだりしてるから、話の筋を見失うんだろうなあ。

まあ、取り敢えず「当事者でなければ口出しするな」とお前が言うならば、先ず当事者ではないお前自身が口を閉じるか、それともお前が当事者であることを証明しろよ。間抜け

2021-07-22

クズから仕事を受けたしクズからラーメンズヲタでも無いのに仕事を依頼した

追記 7月23日 18:10頃】あまりの衝撃に封印していた言葉を解禁してしまったのですが(anond:20210722183137anond:20210722183851)
クズ』も伝えたいニュアンスは含むので『クズ』に変更しました
 

 

ただそれだけなんだが?

 

さな劇場でもメジャーを目指してる芸人が何考えてんの?だが

2021年においても上級ソシオパス逆張りクズが幅を利かせてるジャップランドなので

さな劇場ならジャップ中世の民(価値観)だからでまだわかる

 

でもTVでこのネタやってるって終わってんじゃん、マルコポーロ事件1995年だよ?

ラーメンズって小卒だった?高等教育受けてなかった?上級国民の代名詞美大へ行ってなかった?

文藝春秋による謝罪と『マルコポーロ廃刊

発売から13日ほどが経った1月30日文藝春秋は、編集権執筆者ではなく編集部であり発行責任出版社自身にあるとして、西岡には相談せず、出版社として「記事は誤り」と発表し公的謝罪をすると共に、『マルコポーロ』の廃刊花田紀凱編集長の解任、記事関係する幹部構成員更迭を行った。田中健五社長は廃刊を発表した1995年2月2日ホテルニューオータニでの記者会見社長の職に留まると述べたが、後に社内外から批判を浴び、結局、2月中旬田中代表職を辞任した。廃刊により文藝春秋社員有志がSWCでのセミナーアウシュヴィッツ見学に参加した。『マルコポーロ1995年2月号の回収は、実際には行われていない。

廃刊が発表された1月30日外務省斎藤事務次官記者会見を開き、外務省見解として「廃刊措置は適切だった」と述べている。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

小卒じゃないなら、平和の祭典で日本人収容施設沖縄集団自決東京大空襲原爆を弄ったヤツがわざわざ表に出てきても、

『俺は気にしないし(笑)』or『日本政府は強く抗議しないし、気にする方がおかしい』か?

 

マジでどうすんの?

 

このくそ逆張りクズ上級国民ソシオパスたち

anond:20210722140554 anond:20210722152037 anond:20210722151446 anond:20210722155559 anond:20210722163703 anond:20210723003923

2021-07-20

エロ小説を1年半ちょっとで180万字くらい全力で書いた話と自慢

今後同じことは出来ないだろうな、と思うことがあったのでほんのちょっとだけ自慢させて欲しい。

以前ここでエロ小説書き始めたって話をした者なんだけど、あの後もずっと書き続けている。なんだかんだで、1年半とちょっとで180万字くらい書いてしまった。自分でもこんなに書くことになるとは思わなかった。

ノクターンノベルズというなろう系列エロ小説投稿サイトがあるんだけど、そのサイトでは作品ごとに読者のブックマーク評価によるポイントがつく。

で、そのポイントによるランキングがあって、集計期間ごと、日間・週間・月間・四半期・年間に分かれている。その内の年間の短編ランキングで、半年ちょっとくらいの間、1位~3位を自作で独占出来た。内一作は、年間ではなく短編歴代ランキングでも1位になっている。何万人も執筆者がいるサイトで、多分これはそこそこすごいことだと思う。

https://noc.syosetu.com/rank/list/type/yearly_t/

2位の作品はちょうど一年前に書いた作品なので、ぼちぼちこの独占状態は終わる筈だ。多分今週が最後になると思う。だから、イキってるみたいで恥ずかしいけどちょっとだけ自慢したくなった。これは執筆者としての小さな勲章だ。

ただ、嬉しいと同時に、創作ポイントをつけて評価することへの違和感っていうか、それにコミットしてしまうことへの不安感みたいな感情もあって、我ながらナイーブだと思うんだけどずっと気になってる。だってポイントなんて読者次第の水物であって、どんなに面白いもの、どんなにエロものを書いてもとれない時はとれない。実際、私エロ小説読むのも大好きだから色んなエロ小説読んで、「こんなにエロいのになんでこれしかポイントついてないんだ……!?」と思う作品もたくさんあるし、「これ俺のエロ小説よりずっとエロいやん……!」って敗北感を感じることもちょくちょくあるから

からポイントにこだわってしまうと、それが「受けるもの書かないと!」「受けるジャンルで書かないと!」っていう自分への変な制約になってしまったり、ポイントとれないだけでモチベーションの低下に繋がってしまいそうな気がして、こだわり過ぎないようにしようと気を付けていた。(実際、これはノクターンに限らず、なろう全体のランキング方式弊害として凄く大きいと思う)

とにかくエロもの書きたい、という根本的な欲求大事にしてきたつもり。今のところ、それはそこそこ上手くいっていると思う。需要の有無は自分の性欲が教えてくれる。自分という読者がいる限り、「誰も読まない」ということはあり得ない。

そのスタンスはこの自慢記事とは矛盾していると自分でも思うんだけど、けどまあ矛盾自分の中の一部だから仕方ない。ごめんなさい。

創作については、半年も書いたら飽きるんじゃないかと正直思っていたんだけど、幸いといっていいのかどうか、全く飽きる様子がない。書いても書いてもまだ書きたい。エロだけじゃなくて非エロも書きたい(非エロ書きかけので1年くらい止まってるのもあるけどそれも続き書きたい)。まあ、たまに全然書けなくなる時もあるんだけど。

から、引き続きエロ小説エロくない小説を書き続けると思う。もしよかったら、いつかエロい気分の時にでも、「あっ、これあいつのだ」と思ってもらえるととても嬉しい。

エロかった」の一言ももらえると更に嬉しい。

あとこれは私の作品関係なくなんだけど、ホント一言でもいいから、エロかったと思ったら「エロかった」って、面白かったと思ったら「面白かった」って感想書いてあげてください。その一言だけで救われる人が、きっと創作者には大勢いる。私も感想書きます

追記

ごめんなさい、これ先に書くべきだった。

増田はてブでは、もちろん辛辣言葉を頂くこともあるんだけど、毎回たくさんの人がものすごーく暖かい言葉をくれて、物凄く勇気をもらいました。ありがとうございます

以下のは以前書いた記事

https://anond.hatelabo.jp/20191225083638

2021-07-06

anond:20210706143648

  • 創作」の部分がそんなにないか
  • 創作性がない、って失礼過ぎない?

いやいやいや、失礼なのは大雑把な読み替えでしょう。執筆者も流されて謝りなさんな。

そんなにない と ない は一緒にできるもんじゃない。

2021-06-04

anond:20210604004019

執筆者が見ていないから今回はいいんだけど、その言い方、人によっては「チーズ牛丼食ってそうな顔してるぞ」と捉える人もいる。傷ついてる人間に欠ける言葉にしてはデリカシーが無い。そこは気をつけて。

2021-05-28

WSJ社説のヤバさ

中国武漢ウィルス研究所2019年11月に3人がコロナ同類風邪症状で通院してたり入院してたりしたと米国調査で判明したとウォール・ストリート・ジャーナルWSJ)がスクープして、以前からバイデン大統領も更なる調査を進めるよう命令していたという記事も出た。

それを受けてWSJ社説を発表した。

 

社説武漢ウイルス流出説、信頼性高まる - WSJ

https://jp.wsj.com/articles/the-virus-lab-theorys-new-credibility-11622097256

 

信頼性高まる」と書いてるがスクープ以上の新しい根拠が書かれてるわけではなく、スクープによって今までの「武漢発祥説」の信頼性が高まったという趣旨社説である

そこには、以前からトランプやポンペオや共和党議員武漢研究所発祥説を唱えてきたのに、党派色の強いニューヨーク・タイムズワシントン・ポストCNN政治的打算で彼らを批判してきたせいで真相究明が遅れた!武漢研究所発祥説を否定した医学誌「ランセット」の声明執筆者感染症研究所のファウチ所長やWHO調査メンバーはみんな中国から資金提供を受けていたり中国の影響下にあったりするので信用できない!という怒りが長々と書かれている。

ヤバいと思ったのはランセット声明否定の部分で、それこそ科学的に批判するのではなく、執筆者の経歴批判でもって声明批判しているところ。

公衆衛生分野の学者たちも、許される議論境界線を引いた。医学ランセット2020年2月19日、「COVID-19の発生源が自然界にないことを示唆する陰謀論」を非難する科学者らの声明掲載した。一部の学者がひそかに反対したものの、この声明は研究所ウイルス流出説の「うそが暴かれた」証拠として広められた。

 ランセット声明動物学者ピーター・ダシャック氏がまとめたものだった。同氏の非営利団体武漢ウイルス研の研究資金提供している。研究所流出説は将来の研究資金を脅かす恐れがあったため、同氏には同説を否定することで得られる明白な利益があった。ダシャック氏は世界保健機関WHO)が今年武漢派遣した調査団の一員でもあった。同氏以外でランセット声明署名した人のうち3人はそれ以降、研究所説がさらなる検討に値すると述べているものの、同氏は依然としてこの説が非常識だと主張している。

この声明が出された背景として、当時「新型コロナウィルス自然界の起源を持たない。武漢研究所で開発されたウィルス兵器だ」とする「人工ウィルス説」が世界的に拡散していたことがある。それら「人工ウィルス説」「生物兵器説」を批判する目的で出されたのがランセット声明だ。単に「武漢研究所から流出たかどうか」を論じた声明ではない。声明では、遺伝子構造分析すれば人工物ではなく野生動物に根ざしていると証明されるとした。

これを真っ向から否定するWSJは、「人工ウィルス説」や「中国生物兵器説」を信じているということになる。完全な陰謀論である。もちろん社説で直に「コロナは人工ウィルスだ」と書いたり生物兵器説を肯定しているわけではない。しか否定していない。それがヤバいである

2021-05-13

anond:20210513212440

本文に追記できるのは執筆者だけだからセルクマの人は偽物です」って言えば大丈夫

まあ騙りに気づければの話だけども。

2021-04-14

女性ホームレス、どっちが弱者か?

炎上中のnote記事

女性というマイノリティと、

ホームレス男性というマイノリティ対立

フェミニズム理論では、男性はすべて下駄を履いており、特権を持っている。

ホームレス男性という特権階級に、女性というマイノリティ弱者対峙したという内容のnote

なぜ執筆者女性批判されているのかが理解できない。

あらゆる状況においても、女性男性より強者になることは有り得ない。

それがフェミニズム

2021-04-07

anond:20210407024501

俺もヘビーなゲーマーだけどちゃん執筆者A(自己紹介ページこちら)とかあるページは文責が明らかで情報も有志より早くてまとまってる

おかしいとおもうところがあったらコメントにいれたら「ご指摘ありがとうございます」っつってすぐ調べて正しく書き直したりしてくれる

有志wikiしかたよりにならないって相当古いかマイナーゲームだとおもう

anond:20210407051433

まともに更新されてないんじゃなくて、メイン執筆者更新期間が終わっただけだよね

世の中の人元増田みたいに毎日永遠に時間をつぎ込めるわけじゃないんだよ

これは企業主導型じゃないふつう攻略wikiにも同じことがいえるよ

どこそこが更新されてないとか古くて間違ってたとかって文句言う奴が定期的に出るんだが、お前が書けよ

2021-04-02

Vと炎上腐女子著作権と私

とあるVがBL同人誌タイトルを9割がた読み上げてしまたことによる炎上について。

それ自体については正直どちらにも悪意がなかった不幸な事故であるという見解なのだけど、あまりにも外野vs外野状態が続いていて、見ていてなんだか思う所もあったので文章にしておく。

私自身は男性向けも女性向けも見る、時には執筆者側(女性向け・男性向け問わず)にも回るいちオタク。(Vも見る)

腐女子ローカルルールというのもおおよそ理解しているし、だからこそ「タイトル読み上げちゃったのはまずいよなぁ」って最初は思った。

でもそれって、よくよく考えたら腐女子ローカルルールであって、外の世界の人にわかるはずないよねっていう。だからこんな争いがおこる。

もう、腐女子の「ローカルルール」というのはやめた方が良いと思う。

はっきり言って、現実に即していない。もう、「ローカル」が「ローカル」ではなくなっている。

同人認知度も10年前とは全然違う。企業側が二次創作/動画配信に関するガイドラインを出したり、2次創作者が公式ゲストイラストレーターとして参加したり、このような認知度の状態で「私たちは隠れている存在なんです」というのは正直無理がある。

あくまで推測なのだけど、女性ルールを守る真面目な方が多い。このローカルルールってそれがめちゃくちゃ裏目に出てる案件だと思うんですよね。腐女子として界隈に入ろうとすると、先輩の腐女子からルールを教え込まれる。真面目な女性は、それをちゃんと守って、また後輩の腐女子にはそれを伝えていくし、守ってない腐女子がいたら「ルールは守って」と言ってしま・・・でも、そもそもルールが変わろうとしている中で、それが裏目に出ている。という印象です)

あとBL不快に思う人が多いから、というのもも時代が変わっている。

もちろんゾーニング必要だけど、それは垂れ幕1枚あればもう十分なんです。

過剰に隠れる(振りをする)のはもうやめて、これからは堂々と活動していくためのことを考えた方がいいと思うんですよね。

(念のため、エロコンテンツ捏造カップリングなんかを堂々とおっぴろげにしていいって言ってるのではないです)

そして、多くの著作側の方々にお願いしたいのは、2次創作ガイドラインを出していただくこと。

これに関してまだまだ多くの腐女子が「藪蛇をつつくようなことはやめろ」と思っているのかもしれませんが、それでだめだといわれたらダメですよ。普通に

かに一定ジャンル数、活動できなくなる方々はいると思います。私だってその可能性は十分あります

でも、時代が変わればできなくなることもあるし、またできるようになることもあるはずです。

少なくともいち同人作家として、訴訟におびえながら活動するのは、私はイヤです。

そして、著作側が本当は嫌がってるのに、2次創作をするのも本意ではありません。著作側が嫌だというならそのジャンル活動スッパリ辞めます

どーーーーしても2次創作がしたいジャンルなら、それこそ個人サイト作成し、パスワード型にして、信頼できる人にだけパスワードを教えます

公式ガイドライン作成することは、少なくとも同人作家側においてメリットの方が大きいはずなのに、なぜ藪蛇扱いになっているのがよくわかりません。

「これまではそれでうまくいっていたんだ」というのは、日本人特有事なかれ主義ってやつです。時代が変わっていて、今までローカルだったものローカルではなくなっているのだから、これまで通りうまくいくんだと思うのはあまりにも楽観的すぎるのではないでしょうか。

実際に今回のVの案件海外も含めとてつもなくたくさんの人に認知されてしまったわけです。

ネット社会で、ネット上に作品を上げている以上、界隈外の人に見られてしま可能性がどんどん上がっているんですよ。

そしてその人たちは界隈特有ローカルルールなんてわかるわけありません。

anond:20210401183840

どこにでも出て来すぎて何が悪い。誰も「わきまえる」必要なんてない。

批判されたくなければ? 批判されたくないなんて言ってる人いないぞ。

あなたこそ短絡的に判断せずせめて解説記事くらい読んでから判断しなさい。

増田にいいブログがあった。note記事執筆者本人が転載してるやつ。

2021-03-18

雑誌映画秘宝』の記憶(13)

前々回の投稿(11)で言及した『映画秘宝』内部で起きていた「業務の『私物化』」について、引き続き今回も述べようと思います

ムック形式が好評だったこともあり、90年代の終わりに雑誌化・大型化を見事に果たした『映画秘宝』は、傍目には順風満帆に見えました。しかし、初期の同誌を読んでいた方々ならばご存知のとおり、若者購読者を想定した誌面作りとはお世辞にも言えませんでした。初期の『映画秘宝』がそのターゲットにしていた購読者とは「子供時代70年代映画館テレビで観た映画についての記憶を、編集者ライター陣と共有する大人」だった訳ですが、当時そんな条件を満たしていた人たちは、私も含めて既に「立派なオジサン・オバサン、若しくはその仲間入りも間近な人たち」でした。そのままで購読者高齢化によって、ジリ貧に追い込まれるであろうことは明らかでした。

したがって、雑誌映画秘宝』が将来的にもビジネス継続して生き延びるためには、長期的な戦略として「より広範で多様な読者層を開拓すること。それも、特に若者層』と『女性層』を購読者として積極的に取り込むこと」を選択するべきでした。しかし、こんな事を今さら書いても、後の祭りです。

承知のとおり、それとは正反対戦略を『映画秘宝』は選択しました。いや、何らかの戦略選択したと言うよりも、むしろ「長期的な戦略など、当時の『映画秘宝編集者ライター陣は露ほども真剣に考えてはいなかった」と言う方が正確かもしれません。

覚えている方もいるかもしれませんが、高橋ヨシキが『映画秘宝』の表紙デザインとして、邦画から引用した「裸の女性が荒縄で緊縛されて馬に跨がる残酷エロ画像」をコラージュして仕上げたことがありました。この表紙について、町山智浩は「この表紙じゃあ女性が手に取り辛い(=買い辛い)」とボヤいていました(※注)。雑誌の「顔」である表紙がこんな状態だったぐらいですから高橋ヨシキの頭に「女性購読者を獲得すること」など微塵も無かったことは明らかです。

既に述べたとおり『映画秘宝』は「女子供から映画を取り戻せ!」をスローガンにしていた訳ですから、むしろいか女性が手に取り辛い(=買い辛い)デザインにするか」について考えた上で、高橋ヨシキ意図的かつ積極的に「女性が嫌がりそうなデザイン」に仕上げたのだと考えるのが妥当です。きっと、このような表紙を作っていた時の高橋ヨシキは「オレたち男だけの輪を乱すような奴(=女性)は、お呼びでないから帰った!帰った!」「この表紙デザインを見たら、きっと町山さんも喜ぶだろうなあ!」と云う気持ちを込めていたことでしょう。(※注:ところで、町山智浩も本気でボヤいていたのではないのだろうと私は思いますが、そう思う理由については別のところで述べます。)

近年は真魚八重子などの女性執筆者が『映画秘宝』に登場する機会が増えてはいましたが、それで町山智浩高橋ヨシキの芸風が改まったようにはとても見えず、むしろ却って「これでもオーケーなんだ!こんな芸風でも女は許容してくれるんだ!」と彼らの勘違い助長したと云う可能性すら有ると私には思えます。仮にそうだったとしたら、真魚八重子の頑張りが報われていなかったことになって、非常に気の毒な話ですが。

また、これも既に過去投稿でも述べたことですが、比較的早い段階から映画秘宝』は、ごく少数の寄稿者(例:山本弘)を除けば「アニメファン蔑視・敵視・嘲笑する」と云う態度を明確に打ち出していました。この「アニメ叩き」の姿勢は同誌において長く一貫していたと言ってもよく、恫喝DM事件が発覚する直前にも「『鬼滅の刃』は絶対に観ない!」と、訊かれもしないのに自分たちの方からアピールに励んでいました。

もちろん、思想信条自由に照らして考えれば、編集者ライター個々人が「何か」を嫌うこと自体は許されるべきです。だから対象が「萌えアニメファン」だろうと「女性」だろうと何であろうと、高橋ヨシキらが個人的に何かを嫌うことは自由範疇あると言えるでしょう。極端な話、内心だけに留めて現実世界で実行に移しさえしないのであれば、性的マイノリティ/人種民族etc.に対するネガティブ気持ちを持っていても許されるでしょう。

しかし、その上で問いますが、当時の編集者ライター陣がわざわざ誌面を使ってまで「女嫌い」や「萌えアニメ嫌い」を盛んにアピールしたり、ゲイを繰り返し「ホモ」呼ばわりして嘲笑し続けて、雑誌映画秘宝』を売ると云うビジネス全体にとって、何か良い成果を招いたでしょうか?結果的には、女性萌えアニメファン性的マイノリティはもちろんのこと、それらに該当しない人たちにすらも「何だか映画秘宝』は排他的雰囲気があって嫌だなあ。近づくのは止めておこうか」と思われ、遠ざけられただけに終わったように私には見えます

そうして「未来購読者」に成っていたかもしれない人たちも見す見す逃してしまって、長期的に見れば大きな損をしたのではないですか?もしも、編集者ライター陣の個人的な好みに拘ったことによって、ビジネス未来が失われたのだとしたならば、それについての責任を彼らはどう取るつもりなのでしょうか?

当時の『映画秘宝』の萌えアニメ叩きムーブに関しては、こんな出来事もありました。ある時、俳優加藤雅也に対するインタビューを行った際、わざわざ「最近若い奴らは、萌えアニメなんかにウツツを抜かしているんですよ!」と御注進に及んだのです。もちろん、そのインタビュー記事の中では、それに対する加藤雅也の「『萌え』ねえ…」というリアクション言葉を「例の見慣れた太いゴシック文字」で強調することも忘れませんでした。つまり当時の『映画秘宝』は「あの加藤雅也サンも、萌えアニメなんか好きな奴のことは見下して馬鹿にしているんだゾ!読者の皆も後に続け!」と、虎の威を借る狐のスタイル萌えアニメファン嘲笑することに勤しんでいたのでした。それにしても、何の脈絡も無く突然「萌えアニメが云々」とか言い出したので、インタビューを受けていた加藤雅也も反応に困ったのではないでしょうか。加藤雅也についての面白い/興味深い話を読みたい読者の立場からすれば「何でインタビュアーがいきなり『オレは萌えアニメが嫌いだ!』と自己主張を始めるんだよ。お前は主役じゃねえだろ。お前の自己満足にスペースを割くぐらいなら、もっと加藤雅也言葉を載せろよ」と云う感想を抱くしかありませんでした。きっと、このインタビュアー脳裏には、読者の存在及び読者のニーズなどは思い浮かびもしなかったことでしょう。

上で述べたような行動に熱中していた『映画秘宝編集者ライターたちは、ただ単純に「『自分たち欲求』が充たされて気持ちが良かった」のだろうと思います。もちろん自分欲求を充たしたいと思うことは人間として当然ですし、仕事を通じて欲求を充たすことが出来れば、こんなに幸せなこともないでしょう。しかし、それをするならば良識と限度が必要不可欠です。わざわざ無駄に敵を増やし、未来購読者を失ってまで「自分たち欲求を充たすこと」を優先したことは、仕事(ビジネス)として必要なこと、正しいことですか?

ひょっとしたら「眼の前の『利益』を捨ててまで『信念』(=嫌いな奴らを大っぴらに嘲笑すること)を貫くことが出来るから、オレたち(=『映画秘宝』)はスゴいんだ!」と、『映画秘宝切り株派は自分達に酔っていたのかも知れません。しかし、それは別にスゴいことではありません。

洋泉社としては、雑誌映画秘宝』の刊行を「遊び」や「無償ボランティア」として、ではなく「まっとうなビジネス業務」として行っていた訳です。それには先ず雑誌が売れること、それも短期的にだけではなく長期的に売れることが先決であり、その為には更に、購読者を増やすことが何よりも重要でした。したがって、これらの重要事項こそが『映画秘宝製作チームに対して洋泉社が何よりも先に求めたことだったはずです。「何よりも先に」です。

それなのに、購読者を増やさず、と言うよりも増やす為の努力を端から放棄して、逆に無駄に敵を増やすことにだけはキッチリ勤しんでいた訳ですから洋泉社にとって『映画秘宝』の編集者ライター陣は、さぞかし頭痛の種というか獅子身中の虫というか、実に困った存在だったと推察されます

こういった「まっとうなビジネスであれば求められて当然の事柄」には応えようとせず、何よりも先ず「自分たち欲求を充たすこと」を優先して仕事に臨む、これこそが私の言う「業務の『私物化』」なのです。

この文章を読んでいる方は、試しに想像してみて下さい。もしも貴方が何処かの会社などに勤務していて、社員一丸で協力して赤字解消や顧客開拓などに努めねばならない時に、赤字を垂れ流したり顧客どころか敵を増やす行動にばかり勤しむ同僚が社内にいたとしたら、しかも、それに勤しむ理由が「自分気持ちいから」とか「これをやると○○センパイが喜ぶから」とかだったら「テメエの『趣味』の為に業務を『私物化』するんじゃねえよ!」と言いたくはなりませんか?単に「職業人」としてだけではなく「社会人」としても失格でしょう。

このように『映画秘宝』の行動は、とても「長期的な利益を考えている」とは思えないようなものばかりでした。岩田和明による恫喝DM事件を見れば分かりますが、ごく最近の『映画秘宝』内部でも「長期的な利益を考えず、自分気持ち良くなることを優先する」と云う風潮が継続していたことは明らかです。更に、岩田和明が退職するからと云う理由だけで、のんさんの連載を打ち切って雑誌の「売り」を無くすように仕向けたことも、これまた雑誌全体のことを考えない「自己中心的な行動」でしょう。

仕事に関して「長期的な利益」について考えると云うことは「自分よりも若い世代に残す未来」について考えること、つまり責任感の伴う態度」です。これに対して「業務の『私物化』」とは、仕事に臨むに当たって「今」の「自分」のことしか考えないこと、つまり無責任な態度」です。

映画秘宝』は、彼らが「精神年齢の幼稚な奴ら」と見なして嘲笑していたアニメオタクや「馬鹿宣伝に騙されて底抜け大作を観に行く奴ら」と侮蔑していた女性と、彼ら自身とを勝手に比べて「自分たち(=『映画秘宝』の編集者ライター)はアイツらと違って『大人の男』なんだ!」と周りに向けて盛んにアピールし続けてきました。しかし、果たして彼ら自身は本当に「大人」と呼ばれるに値する人間だったでしょうか?

雑誌未来」よりも「自分たち欲求」を優先し続けてきたことを、中心メンバーによる「業務の『私物化』」と呼ばずして何と呼べば良いのでしょうか?「身体大人頭脳はコドモの幼稚な遊び」でしょうか?

高橋ヨシキら「切り株派」が居なくなった2号目にあたる『映画秘宝』に、アニメ作品の特集記事掲載されることが予告されました。この「居なくなった途端に」と言っても良い動きを見るに、おそらく「切り株派」が彼らの一存で他の派閥編集者ライターに対して「『映画秘宝』でアニメ作品を扱うなよ!」と有形無形の圧力を掛けていたことは、想像に難くありません。そのような圧力存在したとしたら、一部の人間の一存で企業努力可能性を封じられていたことになるのですから、これもまた「業務の『私物化』」です。

「今」の「自分(たち)」のことしか考えない「無責任な体質」なのだから、年下の女性に対して恫喝DM攻撃を行ったり、自分たちよりも年下のフリー女性編集者に対してパワハラを行ったりするのも、何ら不思議ではありません。告発を受けるまで、何一つ疑問に思わなかったのは「本当」でしょう。何しろ彼らの頭に有るのは「自分(たち)のこと」だけなのですから

奈良さんがパワハラ告発した後に柳下毅一郎が出した、あの謝罪文としての体を成していない文を読んだ時も「ヨシキくんが報われて欲しい」とか、被害者を置き去りにしたことを書いていて「本当にどこまでも『自分(たち)のこと』だけに終始するんだな」と私は思いました。東大を出たぐらいだから間違いなく柳下毅一郎は頭が良いはずなのに、被害者を含めた「他者存在」に対して満足に想像力を働かせることも出来ず、謝罪文一つまともに書けないとは流石に想像できませんでした。子供か。

映画秘宝』の中心メンバーとも呼んでもいい人間たちが「業務の『私物化』」をし続けても恥じなかったのは、彼らの根底に有る「ボンクラと云う『甘え』」の精神だと私は思います

しかし、長くなったので、一先ず今回はここまでにします。

2021-03-02

がん闘病ブログを読む楽しみ

がんの闘病ブログを読むのが好きなのだがおおっぴらに語りづらい趣味なのでここにその醍醐味を投下しておく。

闘病ブログに何を求めているのかといえば、自分の死についてのシミュレーション代わりに、というのが一番大きな理由になるだろう。自分もいつか死ぬわけで、その時にどのような考えを抱くのか。どのような苦しみを抱くのか。それを、他者の闘病経験を通じてシミュレーションしたい。いろいろな闘病ブログを読み漁ってきたが、迫真の筆致で綴られる生への希望、そして死への恐怖は、こちらの胃まで痛くなってくるような切迫に満ちている。ぜったいにこうはなりたくないと思う。

いくつも読み漁っていくうちに、そこに明らかに自分エンターテイメント性、おもしろさを感じているし、それを求めていることに気づくようになる。たとえば、50代とか60代の、いってしまえば死ぬことに何の不思議もない年代人間死ぬ闘病記よりも、20代や30代や40代といった働き盛りの自分ががんになって死ぬなんて考えたこともないような人間の闘病記の方が、やはりおもしろい。その年代の人々には子供家族がいるケースも多く、なぜ自分が、という絶望が、深く刻み込まれている。絶望は深ければ深いほどおもしろい。子供がおさなく、自分が死んだあとこの子は、家族はどうしたらいいのかという苦悩が書き込まれていると心が踊る。

それどころか、いつしか闘病記を読む時に、死んで終わってくれと願うようになった。自分の死のシミュレーションとして読んでいるので、生き残ってしまわれたら困るのだ。闘病記は、だんだん執筆者がまともに文章を残せなくなり、最後家族がその死を報告して終わるべきだろう。そう思うようになった。何十もの闘病ブログを読んできて、治って元気になってしまった時ほどガッカリすることはない。死んでこの暗い欲望を満たしてくれ、それもできれば、少しでも生きようという希望と、死に対する恐怖を細かく書き込みながら、と願ってしまう。

こういう欲望を持ちながら闘病記を読んでいる人は数多くいるだろう。口では奇跡祈りますとかなんとかいいながら、心の底では死を願っている。これまでもたくさん楽しませてもらったので、せめて、自分余命宣告レベルのがんになった時は、できるだけ自分理想とする闘病ブログを書き上げてしんでみせようと思う。

2021-02-18

スキマ時間はてブから抜け出したい

数十秒~3分程度の時間を見つけては、はてブを開いてタブロイド的な記事増田を覗いてしまう。

いたずらに興味関心を煽られるだけで、あとに残るものほとんどなかったりする。(1%ぐらいの掘り出し物はあるが)

そろそろ素人放言ばかりに食いつく悪癖から卒業したい。

求めるのは以下5点。

こんなワガママ要望に応えてくれるポータルサイトがあればなあ。

NHK視点・論点が一番イメージに近い

https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/

2021-02-14

反応が欲しいnmmn文字書きへの苦言

表題にあることがすべてではあるけど、どこにも吐き出すところがなくてもやもやしていたのでここに書きます

自分自身はずっと長いこと文字書きをしていたけどいろいろあって今はほぼ見る専(個人的に書いたりはするけどどこにも公開してない)。

まあそんな私がこんなところにわざわざ出張ってきてなにを物申したいのか。

ちょっと前に、詳細はぼかすけれどちょっとあって、nmmn界隈がざわついたことがありました。

好きだった執筆者の方々も続々作品を削除または非公開(マイピク限定)にしたりして、結構な騒ぎだったように思う。

自分自身はもう書き手をしていないので、まあそれなりに冷静に見ていたけど、その時点で書き手をしている方たちからしたらほんとに肝の冷える展開だった。

数日間にかけて普段ほとんどしないマイピク申請をしたりなんかして、早く騒ぎが収束してほしいなあと思ってました。

pixiv作品を公開されていた方の中にはプライベッターに完全移行するって方もそれなりにいて、私は今一番入り浸っていた界隈のTwitterアカウントを持っていなかったので見られなくなるのは残念ではあったけれど、nmmnジャンル特性上ほんとに仕方ないなと、静観?(という表現おかしいが)していた。

最近は鍵ぱかでnmmn過激なのを公開してる馬鹿も増えて、近頃nmmn界隈が騒ぎになることも多かったし、隠れてくれる分には大いに結構

なんせこちらはインターネット老害、それもnanoかに生息していたオタクもの最近nmmn界隈にはひやひやされせられることも多かった。

界隈が騒ぎになることを望んでいるわけではないけど、これで今一度界隈の危険性とか、ルールとか、浸透してくれたらいいと。

とはいえ所詮nmmn界隈の騒ぎなんて全書き手/読み手に浸透するもんでもないから、普通にpixiv投稿を続けてる人もいる(それを読んでる自分自分だけどこの際棚上げを許してほしい)。

ルールとか明言されてないから(だめだけど)知らない書き手公式に見つかるようなタグつけてpixiv作品をアップしちゃってんのは仕方ないと思う。

それについては気づいてもらえるように老害が促せばいい。老害はこういう時のためにいるからね。

ただし一旦pixivから消えたくせに、新しいアカウント作って戻ってきたてめーはだめだ。

例の騒ぎでpixivからプライベッターに作品を引き上げ、ここまではいい。

作品を書くことは止めないし、自分も楽しませてもらっていた側だから

更新頻度も高くて、けれど文字数も多くて、すごいなって思ってた。

ブックマーク数もいつも3桁あったし、さぞ通知も多かったと思う。

自分nmmn、非nmmnわず書き手をしていたころ、それなりに反応をいただいていたからわかる、ブックマーク通知が来ると嬉しいよね。

好きってメッセージもらうと嬉しいよね。

反応がなくても文字を書くけど、人に見えるところに公開するのは結局反応が欲しいからだよね。

本当にわかるけどそれとこれとは話が違う。

pixivで全体公開するのは公序良俗に反することに気づいたからぷらいべったーに引き上げたんじゃないの?

このジャンルが人目についちゃいけないって思ったからだよね。

なんでわかってて戻ってきたの?わざわざ同じユザネで新しいアカウント作って。

おまけに前アカウントで公開してた作品露骨タグつけて全体公開して。

なんやかんや理由つけてるけどそんなん結局反応が欲しいからだよね。

プライベッターに引き上げたら全然反応なくて萎えちゃったのかな。

私もむかーし別のジャンルでその手のサイトから検索除け、pass請求性にした個人サイトに引き上げたときにグッと反応減ったから(当たり前)、ちょっとしかったりしたけど、nmmnジャンルってそもそも見つかっちゃいけない前提みたいなもんだから反応多いほうがおかしいんだよ。

自分自尊心を満たすために、本尊のことも界隈のことも危険さらすのやめてくれ。

法で決められてるわけじゃないし明文化されてないルール跋扈する界隈にこんなこと言うの無駄かもしんないけど、マイピクの承認基準にあれこれ書いてんだからわかってるんでしょ?

晒されたくない、本尊不利益を与えたくない、でも書きたいんならせめて反応がないことを許容して。

あと矛盾したことをいうけど、戻ってくるならせめてユザネを変えるなり、前垢の作品一切出さないとかであればこんな苦言を呈さずに済んだんですけど。(とはいえ文体で気づくとは思う)

本当はこの界隈のことこうやって匿名なのをいいことに持ち出したりするのはよくないってわかってるんだけど、最近どうにも似たようなオナニー文字書きよく見かけるから物申してしまってほんとうにすまん。

まあこの記事オナニーみたいなもんだから人のこと言えないんだけどね(とは)

本人にはわかるように書いたつもりなので、うっかりこれに目を通していただけた場合、いったん考えてくれませんかね。

そしてこれを読んで一ミリでも思い当たる節がある人も。

老害インターネットの奥地に戻るので、どうかよろしくな。

2021-02-07

勝手に削除から考える文芸時評論理

 『文學界2021年3月号の新人小説月評に関して、評者の荒木優太氏が「末尾が勝手に削除された」とTwitterに訂正願いを投稿、ほどなくして『文學界公式アカウント反論ツイートをした。

 のちに荒木氏は『マガジン航』で「削除から考える文芸時評倫理」と題する文章を発表し、背景を説明した。

https://magazine-k.jp/2021/02/06/ethics-in-literary-criticism/

 まず騒動時系列を把握しよう。

 最初荒木氏の①【訂正のお願い】ツイート2月5日19時半前、②『文學界』の反論ツイートは同日9時過ぎ、その後30分と間をおかず、荒木氏は「とりあえず」との留保付きで③追加説明ツイートを行なっている。

 ④『マガジン航』への掲載は翌日である

 では「削除」に至った経緯について、両者の主張を見てみよう。と言っても、経緯の主張については対立するところはない。

 1. 問題の3行を含む原稿を『文學界』が受け取る。

 2. 『文學界』が「批評としてあまり乱暴すぎるのでもう少し丁寧に書くか、それでなければ削除してほしい旨申し入れ」る。

 3. 荒木氏が「では、末尾に『全体的におもしろくなかったです。』と付け加えてください」と伝える。

 4. 『文學界』が「改稿していただけないのであればその3行は削除します」と申し入れる。

 5. 荒木氏が「『お好きになさるとよいでしょう』、ただし『その事実SNS等で吹聴する』」と返答する。

 6. 削除された状態刊行される。

 7. 「勝手に削除された」と荒木氏がTwitterで吹聴する。

 以上である

 さて、ここからが本題である。『文學界』のツイートは一貫して、「勝手に削除された」という「認識」をめぐるものである

 先ほどの経緯を「削除」の一点に絞って書き直してみよう。

 1. (略)

 2. 『文學界』が「削除してほしい」旨申し入れる。

 3. (略)

 4. 『文學界』が「削除します」と申し入れる。

 5. 荒木氏が「お好きになさるとよいでしょう」と返答する。

 6. 「削除された」状態刊行される。

 7. (略)

 『文學界』の立場としては、まず削除してほしいと提案し、聞き入れられない(どころか批評たりえない(と彼らが判断する)改稿を提示された)ので削除を宣言し、荒木氏が認めたので実際に削除した=「勝手に削除したわけではない」、ということになる。すなわちここでの「勝手に削除する」は、A「著者に一切の了解を得ることなく不掲載とする」ことを指す。

 荒木氏の立場としては、編集部意向で、B「最終的な確認なく削除された」=「勝手に削除された」ということになる。

 つまり問題はこういうことだ。

 「勝手に削除してもよいという合意」の上で削除が行われた場合、それは「勝手に削除された」と表現できるのか?

 一見して難問だが、前件と後件の「勝手に削除」は、指しうる範囲が異なる。Aの意味は「合意」とそもそも相容れないため、前件ではBのみを指しうる。一方で後件は問いの形式なのでAとB両方指しうる。しか命題「〜場合、それは『勝手に削除された』」が真となるのは両件ともBを指す場合のみである

 では荒木氏のツイート時系列に話を戻すと、最初の「勝手に削除された」という荒木氏の言葉は、ここでは後件に相当する。しかし前件はそもそも提示されていないために、AとB、どちらを意味するとも解釈できる状態である。それに対して『文學界』の経緯説明は前件を説明するものであり、ここでようやくBの意味での解釈のみが妥当であることがわかるようになる。

 言い直すと、A「著者に一切の了解を得ることなく不掲載とされた」と荒木氏が主張しているように読めるため、そこに出てくる表現勝手に削除された」は、B「最終的な確認なく削除された」のみを指しうるのだと、『文學界』は反論したのである

 これを踏まえると、「Bでしか解釈できないはずの表現を、Aとも解釈できる状態で公にした」荒木氏側には、『文學界から反論されるだけの落ち度があると言えるだろう。

 荒木氏を擁護しうるとしたら、以下の主張が妥当である場合だ。

 「物理的に手出しできない」という不均衡な関係ゆえに形式同意せざるを得なかっただけで、本来的には一切了解していない、すなわち前件自体が間違っているのだから、Aと解釈すべきである、という主張である。なるほど、物理的に手を出せないのは明らかにである。だが、「ならば同意せざるを得ない」と即座に結論づけられるのか。これは言わば「抗拒不能」を争うもので、論理から法の領域に踏み込んでしまうだろう。

 ここで可能性として生まれるのは、「6. 『削除されなかった』状態刊行された」パターンである。ではなぜそうならなかったのか。『文學界』側が「論理的に適当でないのだから削除するほかないではないですか」という論理的な抗拒不能に陥っていた場合である

 本論では『文學界』側にこの主張が成り立つかを『マガジン航』に掲載された「削除から考える文芸時評倫理から考えてみよう。

 荒木氏は「削除されなかった」場合作家が反応を示した場合を想定して、こう書いている。

そもそも作家から「反応」があったからといって、なんだというのか。怒りたければ怒ればいいし、月評に不満なSF作家樋口恭介がしたとおりウェブ反論文を書いてもいい。場合によっては私はそれで反省するだろうし、或いはやはり自分の正しさを確認するだけに終わるかもしれないが、その過程のなかで新たに発見できるものもあるだろう。

 ちょうど1年前の『文學界新人小説月評に対し、作家樋口恭介氏が反論した例(https://note.com/kyosukehiguchi/n/n54a493f4d4f4)を挙げ、自身の評言に対しても同様に振る舞えばよいではないかと述べている。

 樋口氏の件では反論に遭った両評者とも、作品内容にある程度触れ、自らの解釈をある程度開陳した上で否定的評価を下している。よって樋口氏は両者の解釈そもそも成り立たないことを説得的に示し、古谷から不適切であったと謝罪撤回を得ることに成功している。非常に健全批評的やりとりだった。

 ところが荒木氏の問題の3行には解釈がない。解釈提示されていないのであれば、樋口氏のように「それは誤読だ」と反論することもできないだろう。荒木氏自らが提示たこの事例との比較から、「反論余地を与えない表現批評たりえない、単なる悪口である」という論理が――「論理的に適当でないのだから削除するほかないではないですか」――容易に導かれる。

 荒木氏は「文学作品は作者による産物であると同時に、読者がもつ解釈格子次第でいかようにも姿を変えるものだ」とも述べている。なるほど、その解釈格子を通して得られた感動は「読者が固有の仕方で編み出した創造物」であるという論も含めて同意する。ところが荒木氏は続けて、「読者に伝えたいのは、私のもっているつまらなさや無感動も、いくぶんか自己責任もつところの私自身にとっての大切な創造であるということだ」と述べる。結論はこうだ。

私の最大の、というより唯一の武器は、面白いものには面白いといい、つまらないものにはつまらない、という、正直であることのほかない。

 荒木氏の論理では創造なのは「(無)感動」である解釈のものはそれを生み出すためのフィルターである。そして荒木氏が月評に書こうとしたのは「全体的におもしろくなかったです。」の一言、すなわち「感動」である

 だが、樋口氏の事例との比較で明らかなように、批評文に求められるのは、評者の感動=感想などではなく、それを生み出すにいたったフィルターであるところの解釈である解釈には確かに属人的な部分もあるが、ある程度規範的な部分もあり、さもなくば書き手自身から反論も成り立たず、「過剰解釈」が氾濫する。なるべくそ規範的な解釈をもって評価を下すのが評者の使命であろう。評者個人の正直な感想など、正直言って全く興味がない。文芸誌を買ってまで読書感想文を読みたくなどない。

 月評の制限字数わずであるため十分に論が展開できないというのならば理解できる。ところが『マガジン航』には多少なり岸作の解釈が載るのかと思えば、ここでもやはり「簡単な紹介と個人的所感」にとどまる。「個人的所感」などどうでもよい。

 解釈ができないのであれば、あるいはするまでもないと思ったのであれば、端的に書かなければよいだけの話であり、結果として「勝手に削除された」のは理の当然であろう。

 ある意味当事者となった川上未映子氏はこうツイートしている。

 テキスト論理もなく書かれた感想に怒りで反応する皮相な「緊張感」だけが漂う場を、批評とは呼ぶまい。

追記2021年2月8日

 反応をいただいたのでいくらか補います

 まず公平性を期すためあえて本論執筆者自身の考えを明確にすれば、「『文學界編集部の削除対応は、抗議ツイートまで含めて手続き問題はないが、合理的ではなかった」というものです。

 仮に削除せずに全文ママ掲載し、岸・川上両氏から編集部に対して抗議が来た場合、やりとりの履歴はあるのですから「改稿あるいは削除を提案したが聞き入れられなかった」と説明すればよいでしょう。改稿・削除を要求した理由が両氏への忖度だけなのであれば――「裏工作して保身に走る編集者」なのであれば、交渉をした時点ですでに保身は成立すると言えます

 あるいはもし仮に改稿・削除提案荒木自身の体面を守るためというお節介だったとしても、誌面から削除したところで荒木自身SNSで当該の評言を公開することは避けられないわけです。

 それでもなお最終的に削除の決断をした。非合理的でしょう。「批評を載せるのだ」という編集部としての決意表明のようなものを感じます(これは解釈を経て創造した感想です)。

 無論、コメントでいただいたように、「そもそも読者は批評を求めていない(批評を求めていない読者もいる)」可能性はあります。誌面にどのようなものを載せるか決めるのはまさしく編集作業なので、この場合問題は「作者が作りたいものと受容者が求めているものが違う」ことです。

 ただし荒木自身批評を書こうとしているので(「「批評言葉」かどうかを編集部判断するのがお門違いであり」と主張している以上)、問題の3行を読んで「読者は批評を求めていないのだから問題ない」として荒木氏を擁護しようとすると、逆に氏を裏切ることになります

 よって、時評の存在意義や読者の需要コメントでいただいたように「別の話」なわけですが、それはそれで議論されるべき問題なので取り上げました。

 最後に、本論文末の「緊張感」は、わざと誤読のように用いていますコメントでおっしゃる通り、「テキストへの真摯さ」が本来の緊張感ですが、テキスト論理がないので当然この本来の緊張感も不在です。それとは別の、感情的応酬という緊張感しかないのだ、と表現するために括弧付きで「緊張感」としました。最後までお読みくださりありがとうございます

2021-01-28

anond:20210127224152

それから毎刊、執筆者の内半分は女性ライター女性批評家に書かせる事、ここまでやれば「過去反省してホモソーシャルから脱却した」と演出出来るだろう

女が書く映画秘宝って・・・

それ男性オタク女性ファッション誌書かせたり、暴走族ビジネス誌書かせるようなもんだろ。

金落とさなフェミ警察以外誰も得しないから、そんな雑誌になるなら潰した方が良い。

2021-01-27

ポリコレに潰されるリベラル

映画秘宝の件、寓話みたいだなと思った

昔は反ポリコレ的で下品だった人達が時流に乗ってポリコレ化し、

女性エンパワーメントしてどんどん武器を渡して無敵にしていった結果、自分達に矛を向けられた時にどうも出来なくて潰された

 

件の編集長が「ホモソーシャル」という言葉にあそこまで傷付いたのも、ポリコレ内面化して、それでもどうしようもない「自分男性である事」を突かれたからなんじゃないかと思う

ま、編集長以外のライター達の反応含め、あれが彼らの限界だったんだろうね

これから似たような事は何度も起こるよ、男でポリコレフェミニストの人が自分限界を突き付けられ、落とされる

何度も何度も起こるよ、これから

まぁ男である事にも、おっさんである事にも限界があるんだよね、今の時代特にポリコレに寄れば寄るほど男性性とオッサン性に厳しくなるって事だから

 

映画秘宝はまぁ廃刊じゃないか

ここで一つ、アドバイスをしよう

廃刊後、映画秘宝を復活させたいならどうすればいいか

まぁ復活と言っても復活と銘打ったら叩かれるのは明らかだから名前も変える必要は有るだろうね

重要なのはまず女性編集長を掲げる事、過去の経緯から男性編集長を据えれば叩かれるのは必至だから

それから毎刊、執筆者の内半分は女性ライター女性批評家に書かせる事、ここまでやれば「過去反省してホモソーシャルから脱却した」と演出出来るだろう

結構簡単じゃない?これだけの逆境から復活するには随分安いコストだと思うけどね

今までの男性執筆陣も、まぁ書く機会は半分位に成るかもしれないが、これまでが「下駄を履かされてた」だけなんだから、大したことじゃないでしょ?

心情的にはどうか知らないけど、ポリコレを掲げる側に回った以上、そうするしかないと思うけどね

こういう事言うとフェミニズム側の人間自分達の仕事を作る為に言ってると思われるかもしれないけど、そうじゃなくてももうこの流れは変えられないよ、誰にも

あなた達が女性を指さした者を燃やせる無敵の存在に仕立て上げてしまったんだから

2021-01-21

こんな事なら、アンソロ主催なんてしなければ良かった。

 

もうアンソロ主催なんてまっぴら。

しかすると複数人主催をしたのが間違いだったのかもしれない。

私の心が狭いだけなのかもしれない。

でも本当にこの件で私は今後の同人活動に一歩引いた姿勢ができてしまった。

オタク友達と話すのが楽しいと思って初めたTwitterだけど、もう作品公開の告知しかしないと思う。

 

 

およそ1年前、同じカプ(以下○△)で活動している仲良し4人でアンソロ出したいねという話になった。

4人とも○△でそこそこの数作品も本も作っていたし、何より○△のアンソロがまだ出ていなかったから。

誰が主催する?え〜私は無理だよ。なんて話をしていたら、誰かが「じゃあ4人でやる?」と言った。

4人なら作業分散出来るし、良いんじゃないって。

そうしてとんとん拍子で4人が主催アンソロを作ろうという話になった。

 

私は執筆者への声掛けや、連絡、取りまとめの係。

Aちゃん原稿をまとめて体裁を整え、印刷所へ入稿する係。

Bちゃん執筆者への献本の手配、通販サイトとの連携をする係。

CちゃんアンソロHP作成Twitter情報を発信する係。

誰か一人に負荷が掛かり過ぎないように分担した。

 

そこからしかった。

全員社会人から仕事が終わってから色々と話し合って決める。

誰にお願いするか、テーマはどうするか、ページ数はどのくらいにするか、装丁はどうするか、印刷所はどこを選ぶか。

ある程度決まったと思ったらまた決めなきゃいけない事が出てきたり、4人揃ってSkype出来なくて不参加の人の為に情報を共有したり。

深夜まで話し合いながら作業は本当に大変だったけれど、4人全員が同じ方向を向いていたし、頑張ろうね、良い本作ろうね、と互いに励まし合いながらどうにか乗り越えられた。

 

 

それから8ヶ月後。

執筆者の誰一人欠ける事なく、締め切りを延ばす事なく、無事に原稿が集まった。

この頃からBちゃんが少し仕事で忙しくなったと言っていた。

勿論アンソロの事はちゃんとやるよ!と言っていたけど、Twitterにも前程の頻度で浮上しなくなっていたし原稿の完成もBちゃんが一番遅かったから少し心配だった。

もしBちゃんが本当に忙しくてどうにもならない!という事なら3人でフォローするつもりでもいた。

 

どうにか入稿し、あとは本の到着を待つばかり!という頃になってBちゃんからの返事が目に見えて減った。

例えば私が「Zさんは2冊献本して欲しい(今回は2冊までの献本可能としていた)って言ってたからお願い!」と伝えても返事が無かったり、Cちゃんが「HP更新たからみんなTwitter拡散して!」とグループDMに送っても返事が無い所かTwitterでも何もしなかったり。

Bちゃんを除いた3人でSkypeをした時は、Bちゃん最近大丈夫かな、お仕事忙しいって言ってたもんね、なんて話題が出る程。

何か分担変わろうか?とAちゃんグループDMでBちゃんに聞いても返事は無かった。

 

無事通販サイトにもアンソロのページが出来て予約も始まった。

たくさんの人がアンソロを楽しみにしてくれていたし、Twitter拡散してくれて○△界隈では話題になった。

予約してくれる人が多くて刷った部数が全部予約で埋まってしまい、慌てて増刷をする程だった。

Bちゃんからの返事の無さは前ほどではなくなったけど、相変わらずこちらの連絡には5回に1度返すくらいの頻度だった。

どうしてもBちゃんからの返事が無いと先に進めないとなった時、普段は人に物を催促する事のないCちゃんが「Bちゃん返事して〜」とDMを送った。

それに対して「え?私の返事待ちだった?」と返って来た時には怒りを通り越して呆れてしまった。

 

 

そんな時、Bちゃんが久々にTwitterに出てきた。

最近ツイートをする事なんてほとんどないから珍しいなと思っていたら、内容が『最近別のジャンルのカプ(以下☆□)にハマっている』だった。

見れば別のアカウントを作って最近はそこにいるらしい。

新しいBちゃんアカウントを見れば、Bちゃん仕事で忙しくなったと言っていた頃に作ったようだった。

そこでのBちゃんほとんど毎日のようにツイートをしたり、新しいフォロワーとリプのやり取りをしていたり、本当に楽しそうだった。

 

私は激しく憤った。

別のジャンルに行った事や、新しいアカウントを作った事に怒っている訳でもない。

Bちゃんアンソロの事を適当にしたまま、碌に返事もしないまま、新しいジャンルではしゃいでいる事に憤りを覚えた。

 

アンソロの事でまたSkypeしようとグループDMで決めた時、珍しくBちゃんも参加した。

久々に話したBちゃんは本当に楽しそうで、☆□がどれ程素晴らしい物なのかを熱弁していた。

アンソロのためのSkypeだったのに。

みんな良い歳の大人からそれを「うんうん」って聞いていたけど、正直私はこのままBちゃんの話を聞いているだけなら自分原稿を1コマでも進めたかたから、途中から適当に流して作業しながら聞いていた。

Bちゃんが話したい事を話し終えると話題は当然アンソロの事に移ったけれど、さっきまでの勢いが嘘のようにBちゃんは静かになって、代わりにスマホの画面をカツカツ叩く音が響いた。

大方今ハマっているジャンルクエストにでも精を出しているんだろう。

アンソロの話なんて興味が無いというようで、本当に嫌だった。

 

その割には「じゃあこうしよう」と決まりかけていた事に「え〜でもそれってさぁ」と口を出してきてまた話がごちゃごちゃになったり、かと思えば「私は3人を信頼してるから、3人で決めた事なら何でも従うよ」と言ってきたり。

正直この頃には、Bちゃんの事が嫌いになっていた。

 

 

無事本が通販サイトとBちゃんの家に着いた時もこちから尋ねるまで連絡はなかったし、執筆者への献本一言「これから送る」というような連絡は無く私達の知らない内にいつの間にか行われた。

献本と一緒に送るプレゼントギフトカードノベルティちゃんと全員に届いたらしいけれど、メッセージカードは入っていない人もいれば2枚入っているという人もいて散々だった。

私がお願いしたZさんへの献本は、やっぱりというか何というか1冊しか送っていなかった。

微々たる物かもしれないけれどZさんへ追加で送った送料やメッセージカードの刷り直し代、送料は当然私達の売り上げから引かれ、当のBちゃん全然気にしていないようだった。

私達主催の分も遅れてBちゃんから本が送られてきたけど、本1冊がぺらんと入っただけだった。

以前Bちゃんも参加していたSkypeで「主催は3冊ずつ持っておこうね」と話したのも忘れてしまっているようだった。

 

私はBちゃんのそのあんまり姿勢文句を言いたかったけれどAちゃんも Cちゃんも気にしていないのか、スルーしているのか、何も言わなかったので黙った。

アンソロを手に取ってくれた方がたくさんリプやDMをくれたけれど、それにありがたいと思いながらも変に冷めている自分がいた。

執筆者の人も私達を労ってくれたけど、当然Bちゃんにも同じように賛辞の言葉を送っていたのも、仕方の無い事だと分かってはいたけれど、もやもやした。

 

 

最近Bちゃんは別垢で何かあったらしくまた私と繋がっているアカウントに戻ってきつつある。

それでも話す事は☆□の事ばかりで殆どファボも付かない。

それが悔しいのか知らないけれど、時々思い出したかのようにアンソロの話を持ち出したり○△の話をしたりする。

最近○△の本も出した。

当然私はBちゃんツイートに反応する事も、本を買う事もしていない。

グループDMでAちゃんやCちゃんが「本買ったよ!」とか「よかったよ!」と言っているので、上辺だけの同調はしている。

Bちゃん新刊はこれまで支部やベッターにアップした物の再録だったので、私も内容を知っていたから会話に付いていく事には困らないのが不幸中の幸いだった。

 

Bちゃんは私達に対する配慮なのか、既存アカウントツイートする言い訳が欲しいのか分からないけれど○△の事はまだ好きだと言う。

そう言う割に私達が○△の話をグループDMでしていると全く関係の無い話に無理やり変えたり、何なら☆□の話を始めたりする。

☆や□のキャラどころか、その作品も私達3人はよく知らないのに。

最近の○△で活躍している描き手の話になると、Bちゃんはあからさまに興味が無くなるようでまたスマホの画面をカツカツし始める。

○△の話は出来ても、同人は追っていないか自分が分からない話はつまらないのだろう。

ならSkypeに来なければ良いのに・・・と思ってしまう。

AちゃんもCちゃんも、Bちゃんがまだ○△を好きだという言葉を信じているようで、話に上がった描き手の人を勧めたりどれ程すごい作品かを話しているけれどBちゃんの返事は毎回「今度見てみるね」で、その『今度』が訪れた事は一度も無い。

いい加減AちゃんもCちゃんも気付けば良いのになあとも思ってしまう。

 

出来ればBちゃんブロックしたい。

でもそんな事したらAちゃんやCちゃんと気まずくなるのは目に見えているし、Bちゃんには本を送ってもらう為に本名も住所も教えてしまっているので、何かあったら怖いしそれも出来ない。

 

最近では前と変わらずBちゃん笑顔で話しかけているAちゃんや、SkypeにBちゃんが来ると喜ぶCちゃんにもモヤモヤしている。

AちゃんもCちゃんも悪くないのに。

二人ともアンソロの事はもう過去の事と割り切ってBちゃんに接しているのに、私だけが子供でBちゃんを許せていないと突きつけられているような気になる。

 

アンソロ執筆者には本当に感謝しているし、本を手に取ってくれた人にもありがたいと思うけれど、正直今回のアンソロの件で私は何もかも嫌になってしまった。

 

出来れば違うカプにハマりたい、ジャンル移動してしまいたい。

それでもハマっているカプってそう思って離れられる訳でもないから、私はまだこのカプで本を作ったり作品をアップしたりしている。

本の発送する時、通販サイトとやり取りをしている時、他の人の本を買う為に通販サイト彷徨っている時、Bちゃん適当な、投げやりな態度を思い出してはイライラする。

  

こんな事なら、アンソロ主催なんてしなければ良かった。

 

 

 

2021-01-04

anond:20210104173827

追記野党は対案〜とか書かれてるけど、別に政権擁護でもないし緊急事態宣言に反対!というわけでもなく、緊急事態宣言発出を急ぐ人たちに一旦立ち止まって欲しいだけだよ。

 

追記2:ウッこれは自分の書き方が完全に悪いのだけど市井の人たちにB案を考えるべきと思ってるわけでもないよ

 

追記3:B案はより強制力のある外出規制に決まってんだろ的なコメントについては、

 

・娯楽とか会食は潰せても、エッセンシャルワーカーを中心に現実的に篭るわけにはいかない層は生じる

 

・それで終わりが見えなかった時/規制解除が即再拡大に繋がるような状況になった時の対策をすべき

 

と思う(ていうか本文で書いてる)

 

ただ冷静になって長期戦の覚悟をした方がいいよ、と書いてるだけなのにこんな斜めの方向からコメントがいっぱい来るとは思わなんだ。

 

いや、これは記事タイトルの書き方が悪い。

追記のような読み方は必ずしもできないから。

緊急事態宣言が効かないことに対するプランB(対案と解した)は、

緊急事態宣言をやめること、も指す。

 

気分を悪くされるかもしれないが(俺のブックマークコメントも含め)

誤読は、読者の理解問題から生ずるのみならず、

執筆者文章コミュニケーションからも生ずる場合があるよ。

 

貴方のように、「斜めの方向」と言うことで、

ああ、こいつはまともにコミュニケーションを取る気が無いんだな。

相手にして損した。と受け取る読者だっていないとは言えないよ。

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