「一遍」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 一遍とは

2017-09-07

へそ曲がりオタクの居場所

自分ネットに入り浸ってオタク談議をするようになって、もう15年くらい経つわけだが、最近ネット自分のようなへそ曲がりにとっては、あまり居心地のいい場所ではなくなってきたように思う。

例えばアニメ特撮漫画の話にしても、昔のネットは通り一遍雑誌テレビ受け売りのような論評ばかりではなく、

「この作品は名作と言われているが、本当に名作か?駄作と言われているが、本当に駄作か?」

「今、世間じゃこの作品がすごく流行っているらしいけど、どうも俺には合わないなぁ」

「この作り手は深いテーマを描き続けた偉大なクリエーター評価されているが、そうかね。俺はそこまで素晴らしい作品ばかりとは思わないし、かなり問題も多かったと思うがねぇ」

という意見も割と見かけたものだった。

その中には共感をおぼえるものも少なくなかったし、時にはそれこそ雑誌テレビではまずお目にかかれないような、深く感銘を受ける意見出会うことも度々あった。

それがここ5、6年くらいだろうか、いつ来てみても、2chTwitterも他のSNSブログサイトも、

「名作と言ったら名作なんだよ、異論は認めん。やいやい文句をつける奴はバカだ」

「お前は偉大な大御所の○○先生ケチをつけるのか?!上っ面しか見ていないくせにわきまえろ」

という空気支配的になっていった。

そして気づけば文字通り薄っぺらな、何処かから拾ってきたような通り一遍評価しか見られなくなった。

近年の作品はまだ評価が固まっていないせいか、それほどでもないのだが、90年代以前のもの特に昭和の名作と呼ばれるような作品や作り手になると、もうどうしようもない。

もちろん、じゃあ昔のネットはそこまで風通しが良かったか?と言えば、別にそんなことはない。

昔でも基本的には誰かの受け売りのような評価の方が多かったし、自分のようなへそ曲がりオタクにそこまで居場所があったわけではないのだが・・・

今は少数どころかほとんど絶無になってしまったし、意見を表明できる場もそんなにない、無理矢理主張したところで誰から同意してもらえず、逆にフルボッコされて終わり、というのが当たり前になってしまったようだ。

2017-08-19

https://anond.hatelabo.jp/20170819101153

(6-1)「汚れてる」じゃなくて「汚しました、ごめんなさい」だろ?ごめんなさいが言えない口は引きむしってやるぜ(*‘∀‘)

(6-2)てめーの汚ねーケツで拭いとけやこの痴呆が(*‘∀‘)

(6-3)ガンッ(相手の頭をおもむろにそこにぶつける)もう一遍言ってみな、どこが汚れてるってんだ(*‘∀‘)

(6-4)ふふっ、それって新手の嫁いじめですかぁ?ですかぁ?でぃぃぇえぇぃすかぁぁああああっっ⁉(*‘∀‘)

(6-5)(包丁を持ち出し)オイ三秒だけ待ってやる。逃げられるとこまで逃げてみろ。ゴミ(*‘∀‘)

(6-6)なるほど汚れてるな。(ふーっとたばこの煙を吹きかけて)どっちにしてもお前はクビだ。お前は壁のシミより無価値存在だ(*‘∀‘)

(6-7)お前が舐めてきれいにするのか?便所ナメクジ(*‘∀‘)

(6-8)あ、すいません(*‘∀‘)(ササッ)ニッコリ

教訓

(1) 選択肢本来いくらでもあるので、そのことをことを忘れないで。

(2) 6-8の選択肢が思い浮かばない時点であなたは病んでいるので、大人しく休むこと。

(3) 人間関係の基本は笑顔です。常に笑顔を忘れずに。

2017-08-02

ソフトバンク携帯IIJmioMNPしつつ、複数台をIIJmioで一本の契約にする

非常に狭い条件下の作業ではありますが、何かの参考になればと思いメモを残します。

当初の契約



やりたいこと



必要作業

  1. 契約A:プラン変更(「申し込み翌月1日からの変更」しか不可なので、タイミングを見計らう必要あり)
  2. 契約B:名義人を妻から夫に変更するようソフトバンクに依頼する
  3. 契約BをソフトバンクからIIJmioMNPする
  4. IIJmioにまとめられる


やってみたことの記録(失敗談が多いのですぐに成功例が知りたい人はスルーを)



こうすれば良かったのではないか

8月1日9月30日が違約金不要期間として



精算

(全て出揃ったら追記します)

所感

2017-07-26

弱者男性への批判だが

社会構造産業構造の変化を無視して通り一遍の当たり前のことを言っていたら通じない。

そのうえで能力がない人間新自由主義能力主義に対抗する理論右派はもちろん、リベラル左派は生み出せていない。


から雇用労働条件改善ダイバーシティの推進を並べても

その結果が単なる弱肉強食新自由主義になるのではないか矛盾を感じている人には届かない。

2017-05-26

http://yorimichi.airdo.jp/asahiyama_kakijiro

命の価値に差は無いみたいなことを言われても

ゴキブリとか、NATROMとかQJV97FCrみたいなゴミクズとかは一遍の同情も無く絶滅させるべきだと思うので同意はできない

2017-05-19

鎌倉時代僧侶・一向俊聖(暦仁2年(1239年)? - 弘安10年(1287年)?、以下「一向」と表記)を祖とする宗派

一向は筑後国草野家の出身で、はじめは浄土宗鎮西派西山派という異説もある)の僧侶であった。後に各地を遊行回国し、踊り念仏天道念佛を修し、道場を設けた。近江国番場蓮華寺にて立ち往生して最期を迎えたという。

以後、同寺を本山として東北関東尾張近江に一向の法流と伝える寺院分布し、教団を形成するようになった。鎌倉時代末期に書かれた『野守鏡』にはこの教団を一向宗と呼んで、後世の浄土真宗とは全く無関係宗派として存在している事が記録されている。

一向と一遍智真は同時期の人物であり、ともに遊行や踊り念仏を行儀とする念仏勧進聖であることから、一向の「一向宗」は一遍の「時衆」と混同されるようになっていく。『天狗草子』に記された「一向宗」は、一遍の衆を指したものである(一向俊聖の項を参考)。たしかに一向も一遍と同様に浄土宗の影響を受けて自己教義確立させたものであるが、全く別箇に教団を開いたものである。また、一遍と違い一向の教えは踊り念仏を行うとはいえ、念仏のもの特別宗教的意義を見出す事は少なかったとされている。ところが時代が降るにつれ、一向の教えが同じ踊り念仏一遍の教えと混同され、更に親鸞の興した浄土真宗とも混ざり合うという現象が見られるようになる。特に一向の教義が早い段階で流入していた北陸地方ではその傾向が顕著であった。

浄土真宗本願寺八世の蓮如北陸地方活動の場を求めた時に、布教対象としたのはこうした一向や一遍の影響を受けて同じ浄土教の土壌を有した僧侶信者であり、蓮如はこれを「一向衆」(「一向宗」ではない)と呼んだ。蓮如布教時に、一向宗時宗支配層との結びつきを強め、民衆から離れ、一向宗民衆蓮如教団になびいた結果、一向宗と呼ばれるにふさわしかったともいわれる[1]。本願寺及び蓮如北陸における成功の背景にはこうした近似した宗教的価値観を持った「一向衆」の存在が大きいわけであるが、同時に蓮如はこれによって親鸞の教えが歪められてしまう事を恐れた。さらに別の事由から宗派より「一向宗」と呼称されていたこと(後述)も彼の憂慮を深めた。文明5年(1473年)に蓮如によって書かれた『帖外御文』において「夫一向宗と云、時衆方之名なり、一遍・一向是也。其源とは江州ばんばの道場是則一向宗なり」とし、一向宗が一向の教団でもあることを明記して本願寺門徒一向宗名前を使ったもの破門するとまで書かれているものの、ここでも一遍と一向の宗派混同されている。

江戸時代に入ると、江戸幕府は本末制度の徹底を図り、系譜を異にするさまざまな念仏勧進聖が、清浄光寺総本山とする単一宗派時宗」の管轄下に編成された。この際、一向の流派独立した宗派とは認められず、「一向宗」の呼称を用いる事も禁じられた。『時宗要略譜』によると、時宗十二派のうち、一向派と天童派が一向の法脈を受け継ぐものとされている。一向派(かつての一向の一向宗)は再三にわたり時宗から独立を求めたが実らなかった。

明治時代になって、中期に一向派から独立転宗を唱える者が出現し、一向派は浄土宗宗務院に「所轄帰入願」を、時宗教務院に「時宗一向派独立認可願」を提出した。しかし一向派の独立・転宗を認めてしまうと、明治以降衰退著しく、時宗寺院が少ない上に、さらに減少することになるので、時宗当局は、これを認めようとしなかった[2]

大半の寺院時宗を離れ、一向の母体であった浄土宗帰属するようになったのは、昭和時代に入った1943年の事であった。

ゆかり寺院[編集]

番場蓮華寺滋賀県米原市

佛向寺(山形県天童市):現在でも踊躍念仏を伝える。

浄土真宗の「一向宗」[編集]

浄土真宗、ことに本願寺教団を指す呼称。教団自身はこの名を自称しなかったので注意が必要である

「一向」とは「ひたすら」「一筋」という意味であり、「一つに専念すること」を意味している。『仏説無量寿経』に「一向専念無量寿仏」と記されていることから、とくに阿弥陀仏名号を称えることと解釈され、親鸞宗祖とする教団(本項では「真宗教団」とする)を他の宗派から指す呼称となった。とくに浄土宗は、親鸞の教団が「浄土真宗」と自称することを嫌い、「一向宗」の称を用いた。

したがって「一向宗」は真宗教団の門徒から見て正しい呼称ではなく、また一向俊聖の「一向宗」と混同される事から望ましい呼び方でもなかった。だが、中世において同じ念仏を唱える浄土教宗派であった両派が混同され、更に時衆などとも漠然と同一のものとして捉えられるようになっていった。蓮如は前述のように「他宗派の者が(勘違いして)一向宗と呼ぶのは仕方ないが、我々浄土真宗門徒一向宗自称してはいけない」という主旨の発言をして違反者破門するとまで述べているが、逆に言えばこれは、真宗教団の門徒ですら「一向宗」を自称する者がいた事を意味する。

こうした指導により教団内部では「一向宗」の語は正式に使われることはなくなり、「浄土真宗」または「真宗」と称するようになった。しかし、門徒たちを中心とする一揆が「一向一揆」と呼ばれるなど、真宗教団のことを教団外から一向宗」と呼ぶ風潮は収まる事はなかった。

江戸幕府は、真宗教団を指す名称として「一向宗」を公式に用い続けた。この経緯としては、徳川家康三河一向一揆により家中統制で苦しめられたこと、徳川将軍家が(真宗教団が「浄土真宗」を称することを望まない)浄土宗信仰していることが挙げられる。これに対して、真宗教団側は本願寺の分裂などの影響があり、長らく具体的な対応が取られることがなかった。

2017-05-10

はいはいはいと聞き流す

手術の同意書で麻酔が合わなくて死ぬかもよとか保険のアレで加入後3年以内に自殺したらナシだよみたいな、法律説明しなきゃいけないことになってるから一応言っとくけどねみたいな通り一遍説明別に聞き流しとけばいいのにいちいちつっかかるやつなんなん。

パソコンソフトインストールするとき説明読まずにはいはいはいクリックするのに慣れてる世代から保険やら同意書やらのアレを聞き流したり読み飛ばせたりするのか?それに慣れてないババアから死とか自殺かい単語にびっくりしちゃうのかな。

おいなんだよそんな真剣に考えるなよと思ってしまう。

説明聞くのだるいからそんなのさっさと飛ばしてくれよと思うし、仮に万が一のことが起きても、そんなもん万が一にすぎないのだから説明聞かなきゃいけないダルさが優って、いいからよお、訴訟起こしたりしないからさっさとやってくれよと思う。

2017-03-30

東芝株主総会へ行ってきた。

暇だったから。そう、無業者ゆえ。

今年になって株価がずいぶん下がったところで「もうそろそろ上がるんじゃないの?」と思って買ったクチだからギャンブル一種といって差し支えない。つまり経営者には何の文句もない。ちなみに株主総会自体、行くのが初めて。問題のある会社株主総会からこそ、面白そうで行ったのだ。

株主総会とは、株主と称される人が経営者と称される人に対する愚痴を言い、通り一遍説明やおわびを返して受け流す儀式なのだな、と理解した。

株主の主な意見ひとつは、「経営者側の再建に対する意気込みが感じられない」というもの。まあ、俺にとってはそんな精神論はどうでもいい。

他に「経営者無能だが、従業員責任はないので、雇用は守ってほしい」という意見も多かった。従業員の持株会がまあある程度議決権をもっているので仕方がない。これも俺にとってはどうでもいい。確かに経営者無能なのだろうが、生え抜きの元従業員経営者にしてしま日本的慣行の結果なのだから従業員を路頭に迷わせないため雇用を守れという話と根は一緒である経営者バンバン切って外部の経営プロを入れ、従業員バンバン切って経営再建してくれたほうが俺にはありがたい。雇用を守る社会からこそ、無能経営者も生まれているのである。まあ、ムダに従業員をクビにして社会不安助長されたりするのは嫌だけど。

俺の経営者に対する希望は、株価を上げることだけ。高度な技術防衛技術海外流出する懸念があるとかなんとか言って、モラルハザード的な政府支援でも勝ち取ってくれれば万々歳。以上、株主総会見学レポート

2017-03-24

http://anond.hatelabo.jp/20170324151118

まあ一遍衰退したほうがいいんじゃないのか

大体でかい予算でやってる研究なんて後追いかエセ実用化ばっか

大学が貧弱だったころのほうが独創的だったよな

2017-02-21

ローマ法王も話のわかるやつだなと思ったら違った話

癒やしのランチタイム電話割り込みかけてくるやつはSHINE!開戦だ!的なことかと思ったら人との食事中に携帯いじんなおめーという通り一遍マナーの話だった

2017-02-17

人と支え合っていくってことが、分からない。

人に甘えているとか、

一方で、人に頼ることが出来ないので、依存症状に人はなるとか。

逃避しているとか。

  

人と人とは助け合っているんだ、って言われてもピンとこないことがあって。

「寄り添って話を聞いて欲しい」とか、

要望を出すことに遠慮の気持ち」やら「酷いパワハラにあって、人間不信気味だっていうのか」

からないよな。

コミュ障にとっては、辛い世の中です。

一度に、今までの辛いことー

なんか、父親自死したとか、その後で母親も鬱になったとか、

それをみた祖父を、オマエの父親だけじゃ無くて、母親までおかしくなったじゃないか

どうするつもりだってことを19才の時に言われて、えらく困惑したことだとか。

  

一遍に思い出されてきた。

一度、日記チラシの裏に吐きだそう。

2017-01-30

http://anond.hatelabo.jp/20170130175736

ベルマーク中の人作業が案外楽しい」「手間暇のかかる作業を通じて、思いやりの心とか心の効用をつくり出すことができる」「効率一遍がいいとは思っていない」

2017-01-16

自分ゲーム全般に疎い任天堂株ホルダー

周りにもゲーム好きな人間はあまりいない(と思う、話題にしないだけかもしれない)。

から任天堂ゲーム業界の中でどんなポジションにあるのかとかゲームユーザーからどういう評価を受けているかとか、

通り一遍情報以上のことは知らない。

ただ、はてな匿名任天堂について熱い書き込みをしている人が多いことを見ても社会的な関心度がとんでもなく高い会社

であることは分かるし、「社会的な関心度がとんでもなく高い会社だとみんなが思っている」会社なのは確かなので株の売買はしている。

短いスパンで傾いたりしない(であろう)会社の中ではボラティの高さは捨て難いものがあるし、何かきっかけがあった時の

瞬発力から株式投資というか投機面白さを味わえる。

ただ、基本的現物のみ。

信用で目一杯とかさら二階建てとかは考えただけで恐ろしくて無理。

このへんが素人たる由縁なんだろうな。

2016-11-18

毎日毎日、悲しくて苦しくて、とてもつらい。

過去の取り返しのつかない事への後悔と、将来への漠然とした絶望とで頭がいっぱいになる。頭の中に、後悔の記憶絶望予測洪水のように流れ続けている。いつもいつも、休み無く。自分の脳はノイズが大きい役立たずな幸せ探知機だ。今現在に良い事があっても、普段の後悔絶望ノイズに掻き消されて何も検知してくれない。とてもつらい。息がつまる。人間として人間思考回路をもって生きることを辞めたい。

こういうことを知人に言えば、お前それは鬱病から病院へ行けという。しかし、そんな事ではない。なぜ他の人には理解してもらえないのだろう?他の人は、苦しくなりはしないのだろうか?自分のこれは病気などではない。ただ、生きる苦しみが強すぎるんだ。

仮にこの苦しみを病気だというなら、もう一遍赤ん坊からやり直すくらいしか治療法などないだろう。生まれ直せないなら、この苦しみから解放されるためには死ぬしかないのかもしれない。本当は幸せに生きたいけれど。27年も幸せを求め続けて得られなかった自分には、無理そうだ。

この痛くて苦しい感情と、絶望的で出口のない思考回路を、誰か分かってくれるだろうか?どこかに自分の仲間がいるのだろうか。教えてほしい。

2016-11-02

http://anond.hatelabo.jp/20161102130538

そりゃ部下が反抗的な態度示して来たら評価下げたくなるっていうか下げるから

自分気持ちとか感情を切って法人視点で何が必要か何が不必要かで意見対立があるのは

すごく好ましいことだと思うしそれを会議でまとめられれば会議意味が出てくるけど

文化的にもう上の言うこと聞くだけとか派閥争いで会社としてのベストを選べない状況が続く現場をみると

もう潰れてもいいんじゃないかな?とかいい加減同席してる方としても馬鹿らしくなる

あんたら何が目的なのか一遍、紙に書いて声出して全員で読めと言いたくなるが既に手元の紙に書いてある

頭抱える

そんなこと中の人間ならともかく部外者もっと言えないわけで

中の人間は中の人間で言うとリスクがあるから言い出せなくて困るなあって顔するしかない

それで最終的にはやる気のある人から辞めていく

あれ、やる気のある人から辞めていってるなマジで

まあイエスイエスで何も考えずに従うことで生きるタイプ責任取りたくないタイプにとってはかなり良い環境だと思う

ちょっとでも良くしたいとかいう欲さえ出なければ

2016-10-10

そろそろ年末だがビジネス年賀状廃止にしようではないか

過労死労働生産性話題が取り沙汰されているが、無駄仕事を無くす一環としてまずはビジネス年賀状廃止しよう。

取引先に送るのやめよーよ。自分はもらっても何も嬉しくないし年賀状来てるな、くらいしか感想がない。送ってるのも事務の人に送るべき相手の住所と宛名を伝えて通り一遍のものを送ってもらっているだけだ。

友達とか親戚とか、あと個人顧客に送るのはいいと思うけど法人間で送るのやめよう。郵便局が困るのは知らね。

2016-08-05

http://anond.hatelabo.jp/20160805102054

もう一遍ちゃんと映画見たほうがいいな

体内の熱を血液循環で放熱してるから血液凝固させるっていっとるよ

2016-07-18

松前病院を語ってみる

立場としては、北海道在住、バイト医。趣味聖地巡り。

こないだ道南で割りのいいバイトがあったので何個か組み合わせて道南出張の旅をやってきた。

イカ食ったり、夜景見たりそれはそれでとても楽しかったのだが、うわさで松前病院崩壊という話があったので偵察してきた。

もちろん松前は以前から行ってみたい土地の一つであり、松前城博物館の展示物はとても興味ぶかく満足いく旅であった。

まずは通り一遍松前観光を終えて、なんとなくそこらへんでランチ

人もいないがさすがに海鮮うまいなーと寿司をほうばりつつ、大将世間話をしてみていくつかわかったことがあった。(当方自称歴史好きサラリーマン

いわく

松前にも病院はあるが、たいしたことやってくれない

・大きい病気とき函館に行く

盲腸だってやれない病院なのに信頼なんてできっこない

・やめるとかなんとかいってるけどまぁもう関係ない、どうせ函館行くから

新幹線木古内うらやましい・・・

ぐらいのこと。

最初に感じたのは住民病院ギャップ

まずはこの地域のこの規模の病院を維持するのはとんでもなく大変なことだということを地域住民(すし屋の大将をn=1で代表にして申し訳ないが)が

全くといって理解していないこと。

しか木村院長のもと「全科診療医」として(これはこれで異論も無いわけではないが)とりあえずは何でも診ますという姿勢を貫いていること、これがどれだけ

大変なことかを理解していない。とりあえず診ますということは診たものに関しては紹介もふくめて最後まで面倒を見ることに他ならないと思う。

それを「専門外」ですから、という一言で片付けられて自分函館まで連れて行って一から病院を当たる苦労を肩代わりしているなんて想像もついていないんだろう。

そこにはやはり、この過疎の土地で「他でも生きていけるよそ者技術者」が「自分たち税金で高級をとって」、「盲腸すらろくに見れない」というゆがんだ認知があると思う。

アッペの手術なんて比べ物にならない恩恵を受けているにもかかわらず 函館年収1000万円でアッペのオペができる医者>>>>松前に単身来て年収1500万円で何でも診てくれる医者という

認識になっているのは、だいぶ愕然としたけどなんとなく聖地というか日本僻地全般してみられる認識なのかもしれない。

ブログとかつらつらと拝見するに、「よそもの」が「高い給料とって」、「地域事情も知らずに」、「きれいごとばっかいって」、「われわれの日銭が入る貴重な機会をつぶしてる」

みたいな認識なんだと思うし、その認知の歪みを是正するなんて、今5-70代の松前オピニオンリーダーに求めても、ぜーったいに無理に決まってるので

粛々と撤退するほか無いんだろうなーと思うし、正直ここが崩れたら救急医療の道南ドミノ大会が盛大に開催されるに決まってますので近づかないにしかず、という聖地ならではの

景色が繰り広げられることだと思うことですよ。

あ、なんか七人中四人しかやめないなんて報道ありますけど、地域枠の後期研修医とその御守り役が残るだけなので、来年には医者ゼロだと思いますよー。

さすがに道庁もこんな聖地虎の子はもう送らないと思いますどっとはらい

追記 報道見ると研修医さん10月で別のところいけるんですね、よかった。で、やめるの三人というと院長と後期研修医と、子飼いERさん?後の人どうするんでしょうね。あまり残るとも思えませんが。

2016-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20160618211423

でも、覚えきれないくら企業を受けて、

受ける会社多すぎじゃないですかね。

例えば、私の今いる会社はいわゆるIT系ですが、採用基準は「コーディングできること」です。

まぁそれ以外にも、就職後どこにでも行けるとかもありますが、コミュニケーション能力さえ、あまり重視しません。

基本ソルジャーしか求めてませんので。なんせ役員でも実装するぐらい。

逆に前の会社とかはこみゅけーしょん能力onlyです。

ソルジャーかいらない。

いわく。「なぜわが社に入りたいと思いますか?」ってのに一遍通りではなく

自分の興味に結び付けた形で話せるかどうかが基本で、あとは、、なんすかね、、その会社に合うか会わないかですかね。。

会社に入れないからって、人生終わりってことはないっすよ。

今は前の会社はほぼ首になって、底辺ソルジャーとして気楽にやってます

2016-05-23

[]

ヨハネスブルク天使たちを読んだ。建築紛争と落下するロボット。全編通して退廃的な寂寥感が味わえたのでなんだか寂しい読後感を得られた。

人間って何なんだろう。誰しもがふと考えて、その時々で納得できる答えを見つける問を、再び抱かせるような作品だった。紛争が大きな共通項として紡がれているから、どうして人は争うのだろうとかも考えさせるんだけど、ある程度その答えが作中で描かれているか人間に対する哀れみにも似た感情を抱いてしまう。歴史は繰り返すって言うけれど、改めて無情な現実を突きつけられたような気がして呆然としちゃった。

また表題作でもあるヨハネスブルク天使たちにおいて、起動しただけのDX9に意思と呼んでいいのかわからない思考回路が生まれていることが引っかかった。この一遍以外純粋なDX9の思考は明確に表現されていないんだけど、人格を上書きされた個体とか、プログラムを上書きされた個体果たしてどうなったのか、思考存在していたのかとか彼女たちに対する生存権みたいなものを考えると、ますます人間のどうしようもなさが強調されているように感じた。

建築とか紛争については解説でも触れられていたから脇においておくけれど、度々記述されていた言語に対する思想も興味深かった。言語に関する項目は紛争にも関わる事柄ではあるんだけど、もしバベルの塔が倒壊していなかったらもう少し現状とは違う現在存在し得たんだろうと思う。

最後一遍だけ紛争から離れた日本舞台にしてたから(二編目もアメリカ舞台だけど9・11を題材にしていたから毛色が似通っていた)雰囲気が他と少し違ってたけど、この作品には最後希望が見える気がした。あんなの希望じゃなくて暇を持て余した挙句に見つけたささやかな娯楽の延長でしかないのかもしれないけど、あの光景想像すると人間の善性を信じてみたくなる。もちろんそんなのはまやかしかもしれなくて、事態を一方からしか見ていない独善的な捉え方ではあるんだけど、やっぱり生きていくのだから先は少しでも明るいほうがいいと思う。

なんかよくわかんない感想になってしまった。個人的には前作のほうがバラエティーに富んでいたし、しんみりする話ばかりじゃなかったから好みに合っていた。静な気持ちにさせてくれる一冊だったと思う。

2016-05-03

池上彰氏の凄さ限界

池上氏関連のホッテントリがここ数日あがってたので、自分の思うところを書いてみる。

自分は一応、新卒池上氏と同じ業界就職(といっても、自分は紙媒体)し、記者という肩書をもらっていた経験がある。

7年ほど現場にいて、体壊して、ちょっと内勤の管理部門にいさせてもらったのだが、なんか、内側から会社を見ているうちに

もともと、あんまり向いていなかったかな?と思っていた業界さらに嫌になって転職して

10年ちょっとになる。

普通、あの業界では、最初の何年か地方修行して、いずれ東京大阪に戻ってくるパターンが多いが、

自分就職先は、いわゆる経済紙で(ってもう社名明かしたようなもんだが)地方支局が貧弱な会社だった故、

新卒地方支局に行くという制度がなく、入社から退社まで東京で過ごした。



池上氏の凄さは、なんといっても、情報を取捨選択してわかりやすく伝えるプレゼン能力と、守備範囲の広さだと思う。

で、あれだけのことを伝えられるには、背後に相当の知識があるのであろうと思われている。

その「相当」がどの程度なのか、というと、たぶん、世間一般の人が想像するよりは、かなり浅くて、

けっこうぎりぎりのラインでしゃべっているのではないか、という気がする。それでももちろん、かなりのレベルではあるだろうが。

いわゆる大手メディア企業記者にまず最初に求められるのは、

「昨日聞きかじったばかりのことを、あたかも以前から詳しく知っているかのようにしゃべったり書いたりする能力である

なにしろ、日々、いろんなことが起こるのだ。

なかなか深堀している暇などない。

そうこうして、キャリアを積んでいくうちに、それぞれの専門分野ができていくわけだが、

大半の人は、きちっと専門分野を確立する前に、デスク管理職になったりして、だんだん現場から離れていく。

記者職としてキャリアを全うする人(編集委員とか論説委員とか解説委員とか)は少数派だ。


池上氏の経歴を見ると、NHKで地方局通信部を回った後、東京社会部気象庁文部省宮内庁などを担当した、とある

まあ社会部記者として一般的コースという感じだ。

東京では、悪名高き日本の「記者クラブ」に所属し、最優遇される立場で、役人から懇切丁寧なレクを受けて、

それをニュース原稿に仕上げるのが、まず最初基本的仕事だったと推測する。

NHKの記者特に、「特ダネ」を取ってくることよりも、「報道されるべき情報を落とさない」ことをなにより求められるらしいので、

多分、想像以上に、定例記者会見に出席したり、資料をチェックしたり、他社の報道確認したり、

思いのほかルーティーンワークが多いのではないかと推測される。

(なお、NHKスペシャルなどのドキュメンタリー番組は、主にディレクター職の人が担当しているので、

つのテーマを深くじっくり追いかけるのは、あまり記者仕事ではないらしい。

実は自分もNスぺ作りたくてディレクターを第一志望にしてNHK受けたのだが、見事に落ちた)



で、そんなに知識が深くなくても記者が務まるのかといえば、そこそこ務まる。

自分は、そのさして長くない記者キャリアの大半を、メーカーを中心とした企業取材で過ごしたのだが、

正直、最初は、「貸方」「借方」もよくわかってなかった。(大学政治学選考だったし)


それでも、入門書片手に勉強しながら記事書いて何とかなっていたし、

そもそも「大手メディア記者」が企業広報部を訪ねると、結構いろいろ懇切丁寧に教えてくれるのである

そりゃ、変な記事書かれたくないからね。

多分、NHKの記者というのも、それなりの対応を受けるはずである

もちろん、伝えてほしいことは積極的かつ懇切丁寧に伝え、触れられたくないことは隠しながら、だが。

中には、「たいてい経験の浅い若手が担当する企業」というのがあって、そういう会社古参広報さんの中には

「今、編集委員の何々さんねえ、あの人が新人のころ、私がいろいろ教えてあげたものだよ、わっはっは」なんて言ってたりした。

もし、あなた会社広報部に、なんだか大学出たての記者ばっかりくるようだったら、

それは、メディアから軽んじられている証拠である


もちろん、教わってばっかりでは舐められるので、こっちも勉強していくわけだが、

しろこちらは早いと一年担当が変わってしまうが、

相手はその会社一筋なわけで、知識の深さでは、敵わないのが通常だ。

知識を深めるのは、そこそこにしておいて、知らなくてもはったりかませる胆力をつけたほうが役に立つ。

そうこうしているうちに、正面から取材を申し込んだり、正規記者会見に出席したり、

ニュースリリース原稿に仕立て上げているばっかりでは通り一遍記事しか書けず、

社内的にもマイナス点はつかないものの、プラス点がつけられることもないので、

独自夜討ち朝駆けアポなしで取材対象のところに押しかける)したり、独自ルート作ったりし始めるのである

そんなことをしているうちに、自分のような、結局途中で業界を去ってしまうような木っ端記者でも、

ごくごくたまには、取材担当企業株価ストップ安にしちゃうような記事を書くチャンスが巡ってくることもある。


まあでも、ぶっちゃけいえば、そこそこキャリアを積んでいる先輩の中でも

減価償却費資金繰りにどういう影響を与えるのかよくわかっていないまま、

それでも企業経営危機について記事を書いているような人はざらにいた。

(まあ、自分経験積みながらようやくわかるようになったクチで、

当初はなんのことやらわからなかったのだから、偉そうなことは言えないが)

それでも、首にはなりはしない。



そういえば、思い出したことがある。

今の若い人にほ想像もつかないだろうが、その昔、世界エレクトロニクス業界リードし、

今でいえばappleと同じくらいのブランド力で各種製品を生み出していたSONYという会社があった(今もある)。

当時はまだまだ、かつての威光が残っていた。

自分は、そこのメイン担当になるほどの能力キャリアもなかったが、

たまたまSONY会社が取り組んでいる内容が、自分取材テーマに関わっていたことがあって

取材を申し込んだことがある。

いわゆるストレートニュースではなくて、連載コラムのような記事を書くためである

で、SONYに行ってみて驚いた。

美人広報さんが、それまでの取材で見たことないような、

膨大でかつ、非常にわかりやすくまとまった資料をお持ち帰り用に用意していたのである

なんかもう、取材しなくても、この資料キトーにまとめたら記事書けちゃいそうな。

もちろん、そんな手抜き仕事をして相手の思うツボにはまってはいかんので、

きちんと担当者さんに話を聞いて、自分なりの記事を書いてみたのだが、

やっぱり資料に引きずられなかったかといえば、影響はあったわけで、

まあ、恐ろしい会社であった。

かつて「メイド・イン・ジャパン」の強さの象徴として流布されたSONY伝説は、

もちろん実力の部分もあったけれど、伝説伝説たらしめようという広報戦略によって

かさを増されていた側面も多かったというのは、そこそこ業界で有名な話である

なんだか、大分、話がそれた。



多分、池上氏は、NHKでそこそこの社会部記者だったのだろうと思われる。

そんな彼の経歴の中で異彩を放っているのは、そろそろ管理職か専門記者か、という分岐点にさしかかったあたりで

キャスターに転身し、その後10年以上にわたって「週刊こどもニュース」を担当していたことだろう。

(すごい優秀な記者と認められていたら、ここいらで、海外支局あたりで経験つんでいるはずである

そこそこの取材経験を積んだ後で、

衆議院参議院って、どう違うのですか?」とか「比例代表制ってなんですか?」とか、

「どうして輸出が中心の企業は、円高ドル安になると困るんですか?」とか

あらためて、そういうレベルからニュース解説する仕事を10年以上も続けたジャーナリストは、

少なくとも今の日本では皆無に等しいんではなかろうか?



普通、そこそこキャリアを積んだ記者は、あらためてそんな仕事をしたがらないし、

そもそも、そんなレベルことは、真っ当な社会人ならば学校で習っているはず、というのが日本社会の建前で、

読者や視聴者を、そんなこともわからないヤツらと想定して記事番組を作っていたら、

ある意味、「お客様をバカにしている」ことにもなりかねない(と、みんな考えていたのだろうと思う)。

まあ実際、そのレベル作ってみたら、予想以上に受けたわけだが。


「こども向け」の番組というフォーマットを得ることで、池上氏はそういう稀有仕事を追及していった。

その結果、得たのが、あのたぐいまれなるプレゼン能力だと思うのだ。

多分、池上氏程度の知識や取材能力をもった記者は、NHKや全国紙にはゴロゴロしていると思う。

自分のかつての勤め先でも、そこそこキャリアがあって、東京でそれなりに仕事している先輩は、皆さんそれなりに凄かった)

でも、その知識や取材結果を子供にわかレベルでよどみなくしゃべれる人は、そうはいない。


池上氏のニュース解説番組をたまに拝見すると、自然災害メカニズムから、最新の科学上の発見、日本選挙から世界経済まで

あらゆる森羅万象を斬っておられるようである

だが、自分が見る限り、その解説一般紙新書本で得られる知見を超えるものほとんど見ない。

「いや、それは、視聴者に分かりやすいレベルにしているからで、その背後には物凄い知識が・・・」という見方もあるが、

果たしてどうだろうか?

多分、毎日6紙読むという新聞ベースに、ひたすら横に広くいろいろな情報を取り入れておられるように見える。

海外取材などの映像を見ることもあるが、どうも、テレビ局とコーディネータによるセッティングが透けて見えてしょうがない。

多分、その経歴からいっても、海外取材独自ルートなどはそんなにお持ちではなさそうだ。

やはり、「あまり深くないレベルで次々とあらゆる分野に取り組んでいく」ことがこの人の真骨頂だと思う。

それが悪い、ということではなくて、それがこなせる凄さがある、ということである


著書を読んでも(といっても、ほんの数冊目を通しただけだが)、たとえば同じNHK出身の元ワシントン支局長の手島龍一氏とか、

あるいは日経の元スター記者週刊ニュース新書田勢康弘氏の著書のような、深い取材と鋭い洞察に支えられた

凄みのようなものは感じられない。

そのかわり、入門書としてのわかりやすさはピカイチだ。

やはり、この人の存在価値は「広く入門レベルの知識を提供する」以上でも以下でもないのだろうと思う。

(なお、今、軽く検索してみたらどうやらニュース英語の本まで出されているようだが、

膨大な著書のどこまでご自分で書かれているのだろうか?という疑問は置いておく。

出版業界では、驚くほど「著者が適当にしゃべったことを編集者ライターがまとめた本」というのが、世間で思われている以上に多い。

あと、池上氏が英語を話しているところって、あんまり見たことないような。

NHKの採用試験突破するくらいだから、読むことに関しては、そこそこのレベルと推察できるが)




さらに、分かりやすさの理由の一つとして、「子供のような素朴な疑問にも正面から取り組む」というのがあるように思う。

巷間よくいわれる、選挙特番の「池上無双」の象徴ともいわれる「創価学会話題」についても、

タブーへの果敢な挑戦というより、素朴な疑問を追求していった結果なのかもしれない。

「どうして自民党公明党と組んでいるんですか?」という質問は、大人あんまりしない。

それは何となくタブーであると感じているせいでもあるが、一方で「そりゃ、理由はみんな知っている」からである

ましてや、「政治記者歴何十年」を売りにするような政治ジャーナリスト諸氏は、

そんなことよりも、自分の掴んできた独自情報を話したくて仕方なかろう。


だが、池上氏はそういう疑問をスルーしたりしない。

「それは、公明党には創価学会という支持母体があって、固定票が見込めるからですよ」と優しく語りかけるのだ。

で、「では、公明党創価学会本部がある信濃町に行ってみましょう!」と、女子アナを連れてツアーを組んだりする。

実際、やってみれば、放送しちゃいけないタブーというほどのこともない。

そりゃそうだ。

ある程度、日本の政治に関心を持っている人ならば、普通に知っていることなのだから


公明党の側だって、連立与党として大臣まで出す立場になった以上、その程度の取材拒否するはずもなく、

ちゃんと「公式な答え」だって用意している。


から池上氏が

創価学会の人たちが、選挙は功徳だなんていう仏教用語を使っていたりしますが、政教分離観点からみて

問題があると思われませんか?」と質問しても、

創価学会は、大切な支持団体ではありますが、創価学会公明党は全く別個の組織です。

政教分離というのは、政府宗教活動を行ったり、宗教活動に介入したり、宗教団体政治に介入することを禁じております

宗教団体政党を支持することを禁じるものではなく、現在公明党創価学会関係問題と思っておりませんが云々」

といった、きちっと理論武装した答えしか返ってこない。


「そうはおっしゃいますけれども、ここに創価学会名誉会長が、公明党に指示した文書がありましてね・・・

などと、爆弾情報でもぶっこんで来たら、それは多少「タブーに斬り込んだ」ことになるだろうが、

そこまでのことはしない。

多分、そこまでの取材もしていないと思う。そもそもが、そういう役割の人ではなくて、そこは、

政治を専門する別のジャーナリスト役割だろう。

池上氏はただ、意味ありげに

はい、そうですか、よくわかりました」と視線を投げかけるという、

きわめてテレビキャスター的な技術を見せるのみだ。


で、こう考えてみると、やはり池上氏の凄さでは

子供にも分かるように語ること」「子供の持つような素朴な疑問をゆるがせにしないこと」

を常に追求し実践してきた所にあるように思われる。

これは、なかなかに難しい。

多分、そこには、「相手子供)が、何がわかって何がわからないのか」を推察する想像力共感力

「限られた言葉で複雑なことを説明する」ことを可能にする、優れた言語能力必要なのではないかと思っている。

ただし、限られた言葉で語りえることは、やはり、ある程度、限られているわけで、

その辺が、池上氏の限界ではないかと考えている。

2016-04-10

気になる相手

二度目の食事に誘おうと思うけど2・3週間後の日取りって迷惑?ウザい?

社会人恋愛の成立っていったいどういったペースで進んでいけばいいのか全くわからん

燃え上がる恋とかウザいんかな。でも鉄は熱いうちにっつーのもあるし

気になる相手なのに1か月に一遍食事するだけとかそれもどうなのって感じ

ほんとは明日にでも会いたい

2016-04-04

・・・その先は言う必要ないですよね。」

こんにちはトンボ鉛筆のsです。改めて地震の方は大丈夫でしたか

このメールを配信した中には、被災されている方が多数いると思います

直接的な力にはなれないですが、

私自身、都内から自宅のある埼玉まで徒歩で8時間かけて

帰宅して、実際の東北の方に比べる程のものではないですが被災の怖さを感じました。

さて、先日は咄嗟メールだったので、返信しなくても大丈夫ですからね。

会社大丈夫です。揺れは大きかったですが、今のところ大きな事故・怪我の連絡は入っていないです。

本当は週明けに全員に送ろうと思っていたメールです。

こんなことくらいしか出来ませんが、履歴書とESをお送りします。

ただ、非常に厳しい条件をつけさせていただきます

その条件とは1点だけです。

書類選考希望される方は、添付の専用履歴書エントリーシートをご確認いただき

3月15日(火)消印有効でその2枚をセットにし、下記までご郵送ください。

直前に説明会へ予約が出来た場合は、ひとまず書類持参でお越しください。

会場で通り一遍等の説明・指示はします。

その指示が難しい場合・・・その先は言う必要ないですよね。

自分で考えてみてください。

皆様にも言いたいこと、不満があるのは重々承知していました。

全部ではありませんが、私も様々な心の奥にある声を見て・聞いています

2016-01-11

http://anond.hatelabo.jp/20160111182216

医者栄養学者では無い。専門外の医者の中には、驚くほど栄養無知な人が居る。

そして糖尿病専門医が太っている事など有り得ない。業務説得力が皆無になるし、目の前で悲惨患者を山程見ているからな。

糖尿病患者生活習慣を変えさせる方法は、淡々栄養学の知識を詰め込んで、悲惨症例を目の前で見せる事だよ。

人は「今まで食っても生きてこれたか大丈夫」と思っている。その認識破壊するんだ。

糖尿病になるほどの重度の場合洗脳に近くなると言ってたな。洗脳拒否する患者は、来ても通り一遍診療をして終わりだそうだ。

生活習慣を変えるのが大変なんじゃない。生活習慣を変える事を拒否する人を説得するのが大変なんだよ。まぁ他人にそこまでしてやる義理は一切無いけどな。

2015-12-24

http://anond.hatelabo.jp/20151224163829

「おいテメー、さっきからうぜェんだよ。百遍死なすぞ」

一遍死んだらそれ以上死ぬことはできない。はいろんぱ。

 仮に生まれ変わりがあるとしても、死ぬ前に魂が移動することはないと考えれば、殺せるのはよくて一年一遍ってとこだろう。

 君はあと百年生き続けて僕を殺し続けるつもりかい?そりゃ大変なライフワークだ。頑張ってくれ」

「あァン!!?」(ビキビキ)

「数どうでもいいなら百遍とか言うなばか」

それが彼の最期言葉だった

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん