はてなキーワード: 一遍とは
他人の子とは言っても、こどもに怪我をさせるのは嫌なので、ベビーカーが満員電車にいるとこの点で激しくストレスなのだが
万一、殺ししてしまっても法的責任に問われず、罪にならないというのであれば、もう気にするのはやめようかと思うし
一生懸命に押してくる人垣に対してベビーカーの前で壁になる努力もすまいと思う。
ベビーカーの前で必死になって耐えてるのに、礼を言われることもないし謝られることもない
そうやってベビーカーの前で必死に防波堤になってる他人は不寛容だと、権利を振りかざすのであれば、潰れてしまえばいい。
きっっっっっしょ!
俺は女子供と比べても老人と比べてもそこらへんの平均的な男と比べてもはるかに優れた体力を持ってるので
必要な場面では誇りとノブレスオブリージュで自分の身体を犠牲にする
それは生まれとか育ちとかこれまでの人生で培われたお前の人格だから変わることが無い
kyo_ju よく判らんがすげぇ偉そう(労働組合の役員経験どころか組合員ですらなさそうだが)/なお、御用組合化してる所は平和運動も不熱心だし、ちゃんと会社と戦ってる所は平和運動もやるので、リトマス試験紙的な意味もある。 労働 社会 18 clicks
・オマエエラソウ!
まずそれソースあるの?
仮にソースあるとして、切り離せますよね?なんで常にセットにするの?
「労働者としての権利を主張したいけど平和運動政治運動は別にしたくない」って労働者の立場は?
なんで混ぜるの?に答えられてないよね。
労働者にとっては自分達の場を政治活動家に私物化されてるとすら言える状況だけど。
el-condorel-condor 一遍、御用組合とそ闘争的な組合で、平和とかその他の所謂「左派的な」活動をどれだけやってるものか比べてみるといいよ。ちなみに大企業で「組合強制加入ガー組合費天引ガー」と言われてるのは大概御用組合の方な hoge labour 2 clicks
2019/05/07
同上。
「比べてみるといいよ」とまで言うなら根拠があるのだろうからソース貼ったほうがよくね?
そして、同じくなんで混ぜるの?に答えられてないよね。
hate_flag でも労組がないとすぐに給与水準や待遇は下がるんだよ。自分の見たいイヤなところにだけ注目して叩くのは不毛じゃん?
こいつが一番酷いよな。
普段のこの人のブコメを見るとここまで酷い誤読するような低学力ではないので、
こいつは左派批判には息をするように故意に話を逸らして返す癖がついてる典型的な詭弁者だ。
Arturo_Ui 自分の勤務先の組合に意見すべきことを"総論"として語るのは理解不能。戦時体制が生産現場を疲弊・崩壊させる、という事実に基づいた"総論"である「戦争反対」に異を唱えるのも意味不明 // ていうか増田が専従やれば? マジレス
「戦時体制が生産現場を疲弊・崩壊させるから平和運動する」という屁理屈が通るなら、
「伝染病が生産現場を疲弊・崩壊させるから防疫活動する」とか、
「不逞外国人による社会擾乱が生産現場を疲弊・崩壊させるから自警団活動する」とか、
もはやなんだっていえるよな。
お前のガキレベルの屁理屈にのるなら労組は森羅万象担当しないといけないことになる。
左派ってなんでこう、幼稚な子供レベルの嘘や屁理屈しか言えないの?
「無関係な活動の為に乗っ取って私物化すると本来の機能を損ねるから混ぜないでくれ」
っていう当たり前の注文に延々駄々をこねるんじゃないよ。
ちょっと違うかもしれんけど、オリンピックとかサッカーのワールドカップとかの試合後の選手のインタビューで、みんな開口一番通り一遍の「応援に感謝」を述べるのがつまらない。
炎上しないような受け答えを教えられてるんだろうなと感じる。
今朝のスッキリで、トヨタの広告の話を聞いて呆れ返った。どこまで揚げ足取れば気が済むんですか?世間の放火魔の方々。イライラしすぎです。ヒステリックになりすぎです。嫌われますよ?
「やっぱりピーマンは嫌いですか?」って聞かれて「別に好きだし!そんなお子ちゃまじゃねーし!子供扱いすんなし!」ってガチギレする小学生みたいなもんです。同レベル。何でそんなことで突っかかるの?
LOFTのバレンタイン広告の炎上の時も、本当に笑っちゃいました。広告だよ?ただの広告だよ?なんでそんなガチになるの?そんな血眼になって穴開くほどに見つめるものじゃないんですよ、広告なんて。イメージなんですよ。広告って、そのポスター自体が売り物なんじゃなくて、ポスターの先にあるものを売るための手段に過ぎないんですよ。お客様がその広告を何気なく見たときに印象(イメージ)が残り、その後の生活の中の何かの折にそれを思い出してもらうことが目的なんですよ。広告なんて所詮そんなものなんですよ?!そんなに馬鹿真面目に見なくていいんだよ?寿命縮まるよ?
もしこれが倫理上の問題に発展するような案件だったら、確かにそれはやりすぎだと思いますよ?性とか家族とかデリケートな部分にあからさまに踏み込んでたらね。例えば「やっぱり子供が欲しいですか?」とか「やっぱりスカート履きたいですか?」とかそんな感じだったら(例えばね)でもさ、車の運転て。。呆れる。
そもそもありとあらゆるものをすぐに炎上させる人には想像力ってものが欠けてる。思考力も働いてない。見たものをそのままに受け止めて、瞬間的に思ったことをすぐ口にする。お前らには反射神経しか無いんか?もっと本を読め、本を。想像力を働かせろ。ユーモアを学べ。面白さを見つけようとしろよ。じっくり考えてから物を言え。この広告を作った人はどんな意図を持って作ったのかな?とかさ。考えろよ?まったく自分のことを大切にしすぎ。敏感になりすぎ。作り手の気持ちとか、他人の受け取り方とか想像してみろって。
わたしはこのトヨタの広告もLOFTの広告も面白いなって思うよ。何よりヒトの印象に残るから優秀だと思うし。放火魔の顔色気にしてたら、通り一遍の、似通ったモノしか生まれないだろ。そんなの全然楽しくないでしょ。
スッキリで調査したらこのトヨタの広告、100人中8割くらいは「偏見とは思わない」って答えたみたい。結局、大抵の人はそういう感覚なんだよな。炎上させるのは少数の人たちなのに、なんでここまでおおごとになるんだろうな。メディアがそうやって取り上げるからなのかな。ネットの影響で、少数派が力を持つようになったと思う。顔も名前も出さずに自由に意見できるチャンスが増えた。実際わたしもそうしてるし。物事には何にしてもプラスとマイナスがあるからしょうがないけれど。時代が変わったんだな。どんどん生きにくくなっていくなぁ。
『くるみ割り人形と秘密の王国』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向けであります。
すごいぞなんと150点。点数の基準は「上映時間+映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。なんで、なんかもっとお金出したい感じはあるんだけど、この映画の場合グッズとかサントラとかそっち方向にはいかない、いけない、やばい。
この映画を公共向けにレビューするとジャスト95点くらいなのははっきりしていて(いや辛く採点すれば80くらいか?)残りの+50くらいは何かといえば完全に性癖の話なのですよ。いつもそうだけど、今回はそれにもまして(主に後半)全く当てにならないレビューであることを告白しなければならないです。何がやばい特殊性癖なのかについて最初に語ると話が混乱するので、後ほど詳細を述べます。
物語はストームボール一家がクリスマスの準備をしているところから始まります。でも主人公でありミドルティーンの次女であるクララ(演マッケンジー・フォイ)は浮かない顔。他の一家もなんだかギクシャクしている。それも無理のない話で、どうやらストームボール一家の母親は、このクリスマスの直前に死んでしまったようなのですね。
家族を失った喪失の中でもストームボール一家は伝統であるところのクリスマスをしようとしている。ヴィクトリア朝の話だから、親族の大規模なパーティーに出ようとかあるのだけれど、母親を失った悲しみからそれらを拒否して引きこもりたい主人公のクララと、このような状況だからこそ普段通りに日常に過ごさなきゃならないと考える父親の間には、感情的な亀裂があるというところから物語は始まるわけです。
そういう意味で言えば、これは大事な家族を失った喪失から回復する話です。同じテーマを扱った今年の映画でいえば『若おかみは小学生!』なんかがあります。普遍的なものなので他にもいくつもあるでしょう。
そういう普遍的なテーマだったんで、料理の作法にも定番(セオリー)みたいなものはあるわけですが、まずそのセオリーそのものはきちんとこなしていた。そういう意味で脚本は及第点。
また、同じテーマをこなしながらも独自性のある切り口も感じられました。この項目はその独自性についての感想です。
この種の「喪失と再生」の作品において、「去ってしまった人から過去において贈られた自分に対する愛情を再認識する」というエピソードは非常に重要なセオリーポイントになります。
それは例えば前述の『若おかみは小学生!』においても「私たちは娘であるあなたを愛していたよ」「その愛は永遠だよ」というようなメッセージは存在していて、それが主人公に受け取られることで回復の契機になりました。
いってしまえばこの「親からの愛情」ってのは遺産なわけですよね。だからこのテーマは遺産継承に関するテーマだと考えることもできます。
でもこのテーマには隠された問題点もあって、それは「親子間の関係を遺産を残すもの/受け取るもの、というような一方通行の、上位者の秘密に下位者が気づくだけという、そういう物語として描いていいの?」というものです。この問題告発って自分は今まで意識したことがなくて、『くるみ割り人形と秘密の王国』で始めて気が付きました。
例えば先程から比較している『若おかみは小学生!』においてこの問題提起はないんですね。それはなぜかといえば、『若おかみは小学生!』の主人公おっこはタイトル通り小学生で、これから自分の世界を確立していく存在だからです。重要なのは遺産が(つまりは死んだ両親からの愛情が)「あった」事であって、それにさえ気づけばおっこのここから先のミッションは回復だけなわけです。
しかし『くるみ割り人形と秘密の王国』の主人公クララはミドルティーンであり、もうすでに自分なりの自意識も世界観も作り上げつつある存在です。
次女のクララには、上には憧れつつも素直に従うことができない長女がいて、下には一緒に遊んで面倒を見てやる長男(小学生低学年くらい?)がいます。弟の面倒を見ながらも、女性的な完成度と貫禄では長女に勝てない次女。おしゃれは苦手でちょっと理系(工学系)な変わり者な主人公。
彼女はそういう意味で「母親を失って狂乱するほど悲しむ幼子」ではない。悲しいし落ち込んでいるし、日常を取り繕おうとする父親に反発をするけれど、だからといってそれを破壊しようというほどのパニックにはならない。自分自身の力でこの悲しみを乗り越えようとしている、まだ若いけど自立を目指す女性なわけです。
そんな彼女は、通り一遍な意味では「死んだ母親から愛情があった」ことはわかっています。世間一般でそういう慰めの言葉はよく聞くし、自分が母に愛されていなかったという疑いはない。
でも、じゃあ、その「愛情」って具体的にはなんなんだろう? もちろん日常でのさりげないやり取りや、スキンシップや、無言での加護やら、ありとあらゆるものがその候補なわけですが、それらは要するに伝われば伝わるし伝わらないわけです。過去のシーンとしては無数にあるそれを、クララはまだ自分の中で結晶化できていない。そこにクララの戦いはあるわけです。
この物語ではその愛情を暗示するキーワードとして母親の残した「大事なものは全て中にある」という言葉があります。
クララは亡き母からのプレゼントエッグの中に残されたこの言葉を追いかけて冒険の旅に出るわけですが、この言葉の意味は最終的には「私(母)がいなくなった世界においてあなた(主人公クララ)が前を向いて生きていくための大事なものはすべてあなたの中に残してきた」です。
大事なものは、様々な教えであり、生きていく知恵でもあり、もちろんつながりや愛情や人格そのものでもあり、大げさに言うならば「母親(家族)と過ごした時間のすべて」なわけです。
そしてこのキーワードが示すのは、それだけにとどまらないんですよね。
この言葉は「nを残してきた」「nが私(母)の愛情である」という指定ではないわけです。だからこそ逆に「何が残されていたと認識するかは、娘であるクララが選んで受け取りなさい」という信頼であるわけです。
愛情は遺産なわけですが、それは決して贈る/受け取るという一方的な関係ではない。この物語における「気づき」はそういうステージのテーマとして描写されている。それはやはり一味変わった、深い踏み込みだったと思います。
一方、作中において「遺産」はもうひとつの意味でもあらわれます。クララの母は幼いころ「秘密の王国」を発見してその民に慕われた女王でもあったのです。わお。ですから、遺産は女王位。クララは本作のメインの冒険である「秘密の王国への迷い込みそこで戦うこと」をとおして、この「女王位の継承」という問題へ巻き込まれてゆきます。
でもこの問題も前述の「母の愛情をいかに受け取るか」とワンセット、同じ物語の両面なのです。
クララは「女王が去ってしまって荒廃が始まった秘密の国」で大歓迎を受けると同時に、その危機においては「お前なんかは女王の代替品にすぎない」ともいわれてしまいます。「女王の位」をうけとった娘クララは、ただ単にそれを受け取った段階では「無力な模造品」にすぎないという弾劾です。
クララの母でもあり前女王でもあるマリーが幼いころ発見して作り上げた秘密の王国とそこに住む住民たちは、マリーに生み出されて育てられたという意味では、クララと同じく「マリーの子供」でもあるわけです。表面上は老人に見えても年上に見えても異形に見えたとしても、その意味では全てクララの兄弟姉妹に等しい。その彼らが、母マリーがなくなって、道を失い、うろたえ、クララに剣を向けさえする。
その混乱はマリーの残した女王位をただ受け取るという、つまりは遺産を残す上位者、受け取る下位者というだけの状態では、収拾されないわけです。
つまり、これもまた、「継承というのは一方的な贈与関係ではない」というテーマに接続されているわけです。
作中で、母との回想シーンの中で、クララは母から「あなたは姉に憧れているけれど、あなたにはあなた独自の世界があって物事をあなただけの見方で見ることができる。そこがあなたの魅力なのよ」と励まされます。
クララはクララなりに世界を見ることができる。それは父母や周辺環境のコピーとして自意識を確立していくしかない幼子ではなく、ミドルティーンとしてすでに自分の世界があるこの物語のクララでしか描けなかった切り口です。
母からは無限の贈り物を残されたけれど、その中のどれを受け取るか――母の残した教えや愛情のうちどれを「クララという自分自身のコアとして据えるか」というのは、クララの側の自由であり、その選択によって自らの存在を定めるわけです。
その自由の幅が良かった。
この物語の中で、クララは「秘密の王国」での旅と冒険を通して、そういった自分自身の内面と出会い、悲しみを癒やすわけですけれど、でも実はこの度ってなくても良かったんですよね。作中でも途中でリタイヤして現実世界に帰る選択肢が示されるシーンが有ることからも分かる通り、それはありなわけです。途中で帰るどころか、実は、出かけなくても良い。
クララはもうすでに自分自身を確立しつつあるミドルティーンで、この作品の冒険なんかを経なくても、時間さえかければ悲しみから立ち直っていたと思います。父親との間にギクシャクした感情は少し残ったかもしれないけれど、それすらも時間の流れでおそらく解消できた。
そこがとても良かった。
幻想郷への旅が必要不可欠であり、この冒険行がなければクララが破滅していたのだとすれば、クララは神が(母が)操る遺産相続の操り人形なわけですが、そうではなくクララは旅をやめる自由がある中でそれを続行し、自分で選んだわけです。
母から与えられたすべての教えや愛情の中から、姉と同じように「おしゃれで社交的な自分」ではなく、「機械いじりが好きでとびっきりの発明家である自分」を選んで継承した。同じように「秘密の王国で歓待されるだけの女王」ではなく「みんなのために調和を取り戻そうと戦う女王」も選んだ。選ぶという行為によって、ただ与えられる下位の存在ではなく、継承というテーマにおいて贈り主である上位存在と対等の関係であることを示したのです。
この辺はもはや登録商標とも言って良い「ディズニープリンセス」というワードの「プリンセス」にたいして、一定の回答を出そうと本作が挑んだ結果でもあると思います。
王位とか王権(そして愛情を)先代から送られ継承した存在が、プリンセスである。
でもそれは逆説的に、「プリンセスとは手渡されはしたものの、その手渡されたものをまだ十全には使いこなせないし、自覚もはっきりとはできていない、運命や自分自身と戦いの最中にある存在だ」という主張でもあると思うのです。
そういう踏み込みのある本作は、テーマから見ても脚本の構造から見てもかなりの出来でした。
――まあ、もっとも、ここまで脚本を褒めては来たんですけれど、その表現としての台詞回しがどうにも垢抜けない感じで、紋切り型なところも多くて正直言えばそこは今ひとつです。取ってつけた感じがある。
てなわけで、構造面ではキラリと光る部分はあるけれど、80〜95点くらいですかね、これは。という感想になるのでした。
文字数がオーバーしたので後編 https://anond.hatelabo.jp/20181201181722 に続きます。
最近俺が会社に行くとあからさまに窓を開けられたりしてなんなんだと思っていたら、上司に社内でお前の臭いが問題になっている。不潔だ。直せないなら辞めてくれと言われた。
特に通り一遍というか特別気を使ってるわけではないが、同じ服を着続けるとか風呂に入らないとかそういうことは一切ない。
歯も三食食後に磨いている。
あまりに驚いてしまい、彼女や友達に相談したら、ぜんぜん臭くないと言われた。
翌日一応気をつけて出社したら、上司に別室に呼ばれて、お前に改善する気がないのはよくわかった。今日は帰ってしばらく来なくていい。改善したら連絡してこいと言われた。ショックが大きくてどうしていいかわからなくなった。
彼女に相談すると、まったく感じないからわからないけど、一度全部洗濯しようと言ってくれ、一生懸命洗濯してくれた。スーツ類は全部クリーニングに出し消臭対応をしてもらった。
お前はなんで直さないんだ?
お前の臭いで他の社員がからクレームが何度も入ってるんだ。頼むから直すか辞めるか決めてくれ。と言われた。
その後比較的仲のいい社員に聞いたらその上司だけでなく社内の大半が臭いと思っている。悪いけど俺もそう思うと言われた。
そこではいろんな検査をやってもらったのだが、先生曰く同じような悩みで来る人は最近多い。その人たちの多くは確かに体臭がキツいけど、あなたはまったく普通です。客観的にも主観的にもぜんぜん臭くないとのこと。
別にお前が嫌いとかそういうのはないからそれは信じてほしい。ただ社内からのクレームは多く、俺もそう思う。
本当に訳が分からないのだが、どうしたらいいのだろうか。
上司が言いはじめたのは上司の一存ではなく、女子社員が彼女の上長に訴え、それをその上長であるこの上司に訴えたのがきっかけだそうだ。
これは複数の人に聞いたので確認できた。上司としては臭いごときと最初は思ったそうだが、以前から臭いとは思っていたそうだ。女子社員が連名でこのままでは働き続けられないと何度も訴えた結果こうなったそうだ。
臭いごときで辞めさせるかということについてはその他の社員の職場環境を守るためということだった。
臭いについては聞いてみたことがある。汗臭さが凝縮したような臭いだと言われた。
会社は靴を履き替えたりはしないのでスリッパが原因ということはない。
病院には会社からの帰りに行ったので、臭いと言われている状態だった。
あとタバコは一切吸わない。
周りをきちがい扱いしてもらいたい、自分の悪いところを認められない奴ということに関しては、原因と現象が自覚できれば直したいと思っているので現在思いつくこととしてクリーニングや病院に行ってみた。
このメールを配信した中には、被災されている方が多数いると思います。
直接的な力にはなれないですが、
帰宅して、実際の東北の方に比べる程のものではないですが被災の怖さを感じました。
さて、先日は咄嗟のメールだったので、返信しなくても大丈夫ですからね。
会社は大丈夫です。揺れは大きかったですが、今のところ大きな事故・怪我の連絡は入っていないです。
本当は週明けに全員に送ろうと思っていたメールです。
こんなことくらいしか出来ませんが、履歴書とESをお送りします。
ただ、非常に厳しい条件をつけさせていただきます。
その条件とは1点だけです。
書類選考を希望される方は、添付の専用履歴書とエントリーシートをご確認いただき、
3月15日(火)消印有効でその2枚をセットにし、下記までご郵送ください。
直前に説明会へ予約が出来た場合は、ひとまず書類持参でお越しください。
自分で考えてみてください。
皆様にも言いたいこと、不満があるのは重々承知していました。
全部ではありませんが、私も様々な心の奥にある声を見て・聞いています。
「出家して俗世を捨てて厳しい修行をしたり、たくさんある戒律や律法を守ったりすれば天国に行ける」という思想には納得感があるけど、古代や中世の日々の生活で精一杯の厳しい世界でそうした生き方ができるのは、お金持ちや高位聖職者だけというのが現実だった。
つまり難行系の教義だと、お金持ちと高位聖職者しか天国に行けないということになりがち。ということで、「○○するだけで天国に行ける」という教義の分派活動が生まれる。
キリスト教が「○○しろ、○○してはいけない」という定めがほとんどなくて、神を信じさえすれば救われるという教義なのは、当時のユダヤ教が律法重視のファリサイ派が主流派で、それへの改革運動がイエス・キリストの活動だったから。
もっとも、カトリックがあれこれ定めを勝手に付け加えたので、ルターがまた軌道修正せざるを得なかったけど。
「ぶっちゃけ悟って仏になるの、俺ごときでは無理(←このへんが日本人的謙遜)
働いてる一般人なんかもっと無理。今の仏教は金と暇のある金持ちにしか役立つ可能性がない。
でも安心しる。阿弥陀様って偉いお方が、自分が十分にレベルうpしたら
おまいらも引っ張り上げてやんよ、ていってる。これはそこに張るしかないっしょ。
はらたいらさんどころじゃないよ。「あみださまに、全部」 さあ何度でもいいつづけよう」
念仏言った回数で差別するような方じゃねえはずだよ(←このへんが日本人的舶来びいき)
心に思うだけで、修行とか、戒律とか自分をどうにかする必要もないよ。
だから俺なんか結婚だってしちゃうもんね。ただ阿弥陀様に乗ればいいのさ」
「おまーも阿弥陀様なめすぎ。あの方は信者だろうと何だろうと、一切区別しないの。
老舗という言葉を聞くからに、くっきりした雰囲気が浮かび上がる。厚みのある看板、紺地に白く染め抜かれた屋号や印、家業とともに代々受け継いできた手堅い店構え、そこに立つ者の行き届いた対応の好ましさなどが先ず思われる。
どこそこの何と言われる商品に持つ思いは、売り手の誇りと買い手の満足の双方で、持ちつ持たれつきたもので、通り一遍の商品と金銭の受け渡しだけでは無い、気概のようなものがある。
青葉美しいこの季節、さっぱりしたお蕎麦や涼しさが形になった和菓子は気楽に付き合えるが、値の張る商品を扱うお店は、物も知らず懐も乏しい私などは、表からウインドを眺めるだけで、なかなか足を中に踏み入れるのに勇気がいる。度胸で押すか愛嬌で行くか、一言、ちょっと拝見と言えば、奥に飾ってある物の前に立って見ることができる。何より向こうの商いの邪魔にならないように、普段ものから馴染んで行って、是非いいものが欲しい時、相手になって貰えば、手に入れる品物ばかりか、いい付き合いが生じる。それが商いが飽きないとなる面白さなのだ。
元増田です。
カウンセリング行ってきました。
基本的にはうんうんと聞いてもらって、通り一遍のアドバイスをもらって。
具体的な解決策は何もなかったんだけど、少し楽になった気がします。
単に話をしたかった、というのが大きかったのかもしれない。
気楽に話せる知人などいないし、いたとしてもネガティブまみれの会話などしたくないし。
そう考えたら、ここに書き込んで見てもらえることって凄いことだと思い至って。
閲覧数人だとしても、現実ではカウンセリング行くまでは0だったわけで。
見てくれた方。何か少しでも考えてくれた方。
どうもありがとうございます。
天気が良かった休日に、散歩してみました。見知った街が新鮮でした。
辛くなったら、また書きます。
バカにされても良いです。こんな状況なんだと、表に出したいだけなので。
自分はサービス業だ。お客様相手に商売をして、お客様の要望に応え、お客様の顔色を伺い、時と場合によっては奴隷のようにこき使われている。
今回の土俵女人禁制のあれこれ、誰が一番カスなのかと言ったら、それは行司ではないと思う。
通り一遍のニュースしか見ていないが、【顧客】からの「なんで女が土俵に居るんだ」の声で行司のあのアナウンスに至ったと見た。
行司のアナウンスは判断ミスであったというのは否定しようがないと自分も思う。
どんなときでも人命より優先されるものなどないし、もう少し一歩立ち止まって冷静な判断ができていればあのようなアナウンスにはならなかったと思う。
また、あのアナウンスに行き着いてしまう相撲というものの体質にも問題はあると思う。
ここからは想像だけれど、ニュースでわざわざ【顧客】と表現されるからには、ある程度の発言力のあった人間だったんじゃないかと思う。
それが金銭的なものか政治的なものかは知る由もないけれど、そういう人間から声があったとき、客商売の人間の力はすごく弱い。
行司の立場が自分だったらと置き換えるとひょっとしたら自分もそうしてしまったかもしれないという思いは捨てきれない。
そこに加えて、土俵の上で人がぶっ倒れるという前代未聞の事態があれば、冷静な判断力を欠いても、仕方ないとは言わないまでもある程度は同情してしまう。
自分の職場で何かが起こったとき、万全な対応ができるように日ごろの消防訓練も受けているけれど、たとえば超超常連客に、避難したあとで「どうしても取りに戻らないといけない書類がある」とか言われたら、それを留めることができるかどうかは、正直あまり自信がない。
今の冷静な頭では絶対に押し留めると思っていても、それが小火だったり、低震度の地震だったりしたら、ひょっとしたら許してしまうかもしれない。
あくまでひょっとしたらの話だけど。(小火や低震度地震と人命救助がイコールじゃないのはわかっている。あくまでそういう要素があった場合としての話で)
繰り返し言うと、現場の判断としては間違いなくあれは間違った判断だった。
でも間違いのない人間なんて居ないわけで、行司の「動転していた」という弁解はそれ以上でもそれ以下でもないと思う。
必要なときに必要な行動が取れる人間というのは普段思っているより少ない。その点、あそこで土俵に迷いなく上れた女性は本当にすごい。
相撲業界もあの体質だから、きっと体育会系で女人禁制に始まる相撲のしきたりを身体に叩き込まれてたんだろうと思う。
そうなってしまうと、悲しいかなイレギュラーなケースでその目に映るのは現実への対処よりも凝り固まった原則やしきたりなんだよね。
そういう現場は、今まで自分がサービス業で仕事をしている中でもゴマンと見た。普通の日本の企業で働いていても、そういうことって実務レベルでも日ごろからあると思う。
何より強調したいのは、誰が一番カスかというと【顧客】だと思う。
昼間に飯屋で流れてたニュースで、常連のおっさんはひたすらに行司を悪く言っていた。それに対して、明日はわが身のサービス業としては、何も言えなかった。
職務を果たせばいいだけの話だけど、それを忠実に冷静に、臨機応変にできる人間はそうそう居ない。
責めるべきはミスよりも、無責任に大した想像力も働かせず声を出した【顧客】であると自分は思ってしまって仕方がない。
世の中は声のでかい馬鹿(この場合は顧客)を中心に回ってるんだな、と思えて仕方がなくて少し悲しくなった。
これは出版業に隣接する場所で働く人間にはこう見ているという話だ。出版業は苦境に立たされている、新しい売り方を模索せねば、という声が聞こえてくるが、いや、苦境どころじゃなくてもう終わっているよなーと素直に思う。
編集者はいつ会っても疲弊している。ノルマに追われ、考える時間がない。著者を見つけ、本を作っても、宣伝費がないので売る方法がない。ノルマがあるので完成したらすぐ次の本に取り掛からなきゃいけない。同時並行でやっているので、一冊に力をかけることもできないし、完成したら販売に力を入れることもできない。結果、作ったらあとは放置。売れてくれたらラッキー。そのぐらいの気持ちでやっている。
宣伝費がかけられないので、少しでも売れる確率をあげたければ、すでにファンがいる人間にあたらなきゃいけなくなる。なので、ツイッターでフォロワーが多い人間、ブログが少しでもバズった人間に声をかける。だから、今はネットでちょっとでもバズると、すぐに出版の声がかかる。今やネットで人気のある人が毎月のように本を出す。フォロワーに対して「なんと本を書きました!」と報告する。初版は6000部。編集者からは「普通はもっと少ないんですけど、フォロワーが多いので増やしました」と言われている。「うちは新人の印税は7%なんですよ……」と申し訳なさそうに言う。ツイッタラーは一生で初めての出版なので、舞い上がり、少ない報酬でも睡眠時間を削って書く。だから、出版を報告するのは一世一代のことだし、売れてくれと願っている。だけど、出版社はそうじゃない。出版社は現実を知っていて、売れないことを見込んでいる。フォロワーたちが買って、万が一にもヒットしたらいいと考えている。
売れないことがもはや当たり前なので、本を出してそれが売れなくても、気にしない。というか、気にする余裕がない。次の本を完成させなきゃいけないのだ。売れないことで凹んだりはしない。だけど、著者は違う。報告ツイートは「いいね!」されたけど、レビューもそんなにつかず、ツイッターで感想もあまりつぶやかれず、「これでほかの出版社からも依頼があるかも」と期待していたけど何もなく、「あれ?」と思っているあいだに、ビックリするほど静かに時間が過ぎていく。そして、また別のツイッタラーが「本を出しました!」と報告する。
そこで出るツイッタラーの本も通り一遍なものだ。生い立ちを語り、私はこうやって成功しました、と成功談をつづる。ちょっとツイッターでバズったぐらいの人間が、ものすごい人生を送っているわけでもない。文章がすごいわけでもない。だから、どこかで見たありがちな内容になって、売れない。
本はビックリするほどたくさん出ていて、そしてビックリするほど売れない。
本屋に行けば、いつも同じ本が並んでいる。「自由に生きよう」「夢を諦めるな」「こうすれば上手くいく」同じような内容を著者を変え、毎日出している。どれかが万が一にもヒットしてくれたらいいと思いながら。
小説はどれも内容違うじゃないか、と言われるかもしれない。だけど、小説はもう本当に売れない。書くのに2年かかって部数は4000部。特に宣伝もされずに一部の書店に一週間ほど置かれてなくなっていく。そして、売れなかったことを理由に次回作は出ない。
じゃあ、売れる本は何なのか、というと、偶然としか言えない。たまたまタイトルが時流に合っていた、たまたま表紙がキャッチーだった、たまたま部数が多く出て書店での露出が多かった──これらの偶然が重なって発売数日、書店での売れ行きがいい。すると、出版社は「おっ」と思い、「じゃあ新聞広告出すか」とここでやっと宣伝することを考え始める。宣伝するとそれなりに売れる。だから、増刷をする。すると、書店で目につきやすくなるので、また売れる。その売上を見て、また広告を入れる。すると、また売れる。一度売れだすとこういう循環が回り出す。
じゃあ、最初から部数を多くして、宣伝をしていけばいいじゃないか、と思うかもしれない。だけど、そんなことは怖くてできない。すでに数字がないと営業や宣伝を説得できない。
こんな構造ができあがっているので、いい本はできないし、著者の期待は裏切っていく。似たような本しかないので読者も離れていく。これはもう「構造改革」でなんとかなる話ではなく、すでに業界が瓦解していると思う。
散々、ネットで色々な人が真っ当な意見を述べているから改めて言う事でもないけど、自分的に何処かで吐き出したいなって思ったのでここを選びました。
本当、童貞で何が悪いんだと思う。生物学的から見たら負け?繁殖能力が低い?そんなのどうだっていいわ。
非モテで男性が苦手で、顔も可愛い訳じゃない、性格も気立てがいい訳でもないから恋人もできた事が無ければ、浮いた話もない喪女。年齢=恋人いない歴。毎日毎日ハイスコアで更新中。
そんな私が言うと言い訳かもしれないし、負け犬の遠吠えでしかないかもしれないけど、そんなに性交渉をした事が無いって恥ずべきことなんだろうか。笑いのネタになるんだろうか。
所謂童貞臭いっていうのは、性的な事を連想させるワードに敏感に反応したり、初心な反応を取ったりって事だと思うけど…
人間三大欲求に性欲ってあるんだから、エッチなワードをきいてソワソワしてしまったり、悶々してしまったりって別にあっても良くない?ていうか普通にない?
私だって女子だから言いだせないけど、風の噂でセックスは気持ちいいらしい、とか聞くから興味がない訳じゃない。そりゃあ何となく気になったりする。どんなものかなぁ……って。
それってそんなに恥ずかしいの?普通じゃなくて?笑えるの?お前、そんなに反応して可笑しい~、ウケる!って。
じゃあそんな風に思うなら一遍抱かれてこい、抱いて来いって…… 手頃なやつ見つけてセックスしてみろって……
いや、セックスって普通は好きな人とするもんじゃないの? それで、こういうと、いやいや、初心~(笑)なんて答えが返ってくる。
え、この考えって可笑しいの?夢みな夢子ちゃんなの?それならもう全然夢子ちゃんでいいわ。上等上等。
でも本当にそれが笑われる、ネタにされるって、どうなんだろう。
いやとにかくモテなくて、異性から相手にされなくて可哀想で、恋人出来なくて…とかあるけど、それってそんなに笑える事なの?可哀想なの?
何年も鬱病で苦しんだ。
数年前にそれが行き着くところまで行って、まあ初めてではなかったけれども、自殺未遂、救急車で運ばれて気が付けば集中治療室、その後入院、と、散々迷惑をかけ心配をかけ。
退院はなんとなくヌルッと決まったような感覚だった記憶があって、その後どうなるんだ自分の人生、と思ったけれども、失業給付やアルバイトで食いつないでいる間にたまたま決まった仕事が妙に性に合ったようで、働き始めて二年を待たずに服薬が必要なくなるところまで回復した。病院に通わなくなったのは十年以上ぶりのことだった。とてもラッキーだったと思う。
もともと創作活動が好きだったのだけれども、鬱病が酷い時には創作どころではなかったので、何年も遠ざかったままだった。でも回復するにつれ自然に創作に向かうエネルギーも湧いてきて、たまたま外的なタイミングも合って、創作活動を再開し細々と行うようになった。
才能が無いなんてことはとうの昔に痛感していたので飽くまで趣味としてではあるけれども、趣味なりに本気で何かを創る感覚は久しぶりで、刺激的で、仕事やプライベートでうまくいかないことがあっても、創作が自分の支えになりつつあった。
評価は全然されなかった。自分の力では無理も無いと思う。年齢的な面もあって、年甲斐もなく何をやっているんだと思われていた節もある。でも本当に近しい人たちには、自分にとって創作が如何に大事なものかはわかってもらえていると思っていたし、そのうち少し良い作品ができたら、それなりに喜んでもらえるんじゃないか、なんて甘い考えを抱いていたりした。
とある賞で、予選を通過した。それなりの規模で行われている賞で、そういった機会で選ばれた経験が自分には無かったので、予選通過者なんて他にたくさんいたのだが、それでも嬉しかった。励みになった。それなりに浮かれてしまって、今となってはとても恥ずかしい。
そんなに盛り上がるなんてことを思っていたわけでもないけれど、七転八倒していた自分を知っている古い友人、近しい人々は、喜んでくれるんじゃないかと思っていた。でも甘かったらしい。
何の反応もなかった。何も。無理もないか、予選を通っただけだものね。作品のクオリティや方向性だって、まるで誉められたものじゃなかったのかもしれない、こんな自分の創ったものだから。
それでも、そうかここまでちゃんと形にできるところまで回復したんだね、今はやりたいことをやれてるのか良かったね、って喜んでくれる人もいるかと思っていたんだ。作品はまだまだ全然だけど、創れるようになったってことは本当良かったよ、なんて言ってもらえるんじゃないかって、思っていたんだ。
創る側の人間からしたら、ネガティブな評価もそれは勿論怖いけれど、評価が無いこと、誰からも無視されることがどれだけ恐ろしいか、身に染みてわかるんじゃないかと思う。それをわかっているはずの友人たちも、何のフィードバックもくれなかった。
コメントすることも憚られるほど作品が酷かったのか、気を遣って労いの言葉をかけることも煩わしいほど自分が嫌われていたのか、それともその両方なのか。何にしろとてもショックだった。とても。
他にすることも大してなかったんだけど、でもそれなりに色々なことを諦めたり犠牲にしたりしてなんとか形にした作品が、手元にある。でも結局誰にも届かないんだろうな。酷評にも値しない作品。
それでも自分が今死んだら、友人たちは葬いとして一応は作品に触れてはくれるだろうか?それなりに美化して、通り一遍でも褒めてくれるだろうか?
そんなことばかり考えている。作品が認められないこと、無視されることの苦しみに耐えることが出来ないなら、創作なんてする資格も無いのだろうけれどもね。そもそもちゃんと力があって、評価に値する作品が創れるならこんなことにはならない訳で、文句を言う筋合なんてない、こんなことは言ってはいけないんだろうなってこともわかっています。だから自分は駄目なんだ。趣味でこんなに消耗するなんて、バカだなあ。本当にバカだ。人生にはもっともっと大切なことがたくさんあるはずなのに。でもバカだから、もう死んでやろうかという気持ちになる。バカだなあ。
格安SIMに乗り換え時の不安にショップのサポートがないってのがあるけどさ
データの修復してくれるわけでもない
壊れたスマホを修理のために持ち込んでもアップルストアを紹介するだけ
引き落とし出来なかった分の通信料を払い込むために利用すると余計な手数料が発生する
正直使うことないじゃん?
ていうか、店員ド素人ばっかで詳しい話になると全然分からんってパターンばっかじゃん。通り一遍の回答しかできないのばっか。
設定がわからないとかなら自分で調べればいいし。ていうか、ショップどこにあるのかって調べてるより、回答直接探したほうが早い。
文字だけだと理解できないのか?音声で聞かないと理解できない?
あるいは文字が読めないのか……ありうることではあるが。