はてなキーワード: 「回転」とは
航空機の離陸には「V1」「Rotate」「V2」という頭の悪そうな名前の離陸速度がある。
1937年と言えば日中戦争の始まった年。4年後にパールハーバーで日米開戦。
あれだろ。敵性語廃止とやらで無理矢理カタカナ外来語を漢字熟語に変えさせられたんだろ。野球の用語なんかも「ストライク→よし」とか変えさせられたそうだし。
1937年の第十五回大会でアルペン競技が新設されて「滑降」「回転」「複合」が行われたという。
スキー(とスノーボード)には「回転」「大回転」「スーパー大回転」という頭の悪そうな名前の種目がある。
それぞれ「Slalom」「Giant Slalom」「Super Giant Slalom」の訳である。
しかし「スラローム」というと、普通は「蛇行」と訳されるものではないか?
ジャンプして空中でぐるぐると回転しているところを想像してしまうのだが、
実際の競技は、立てられたポールやゲートのあいだを蛇行しながら滑り降りていく競技である。
いったい誰がこんな訳にしたのか?
遡ってみると、1923年の第一回全日本スキー選手権大会では、
「スラローム」はそのまま「スラローム」と呼ばれていたらしい。
http://www.ski-japan.or.jp/3786/
第三回以降にいったん「スラローム」は姿を消すが、
1937年の第十五回大会でアルペン競技が新設されて「滑降」「回転」「複合」が行われたという。
http://www.ski-japan.or.jp/3791/
おそらくこのあたりで「スラローム」のことを「回転」と呼ぶようになったのだろう。
その当時「スラローム」という言葉がまったく使われていなかったわけではない。
当時のスキー教本などにも「スラローム」という表記で載っている。
スラロームと云ふ言葉はノルウエー語で痕跡の輪廓を描くと云ふ意味ださうである。其の廻轉の姿勢がクリスチアニアスウイングであるとかテレマークスウイングであるとか其他種々の姿勢であると云ふ事、並びに杖の使用不使用と云うふようなことには全然無關係である。
其スラロームは右、左のスヰングを自由にやりうる人のみが描きうる曲線の美しさである。スヰングとは體の振方とスキーの角付とによつて滑降中徐々に或は急激に方向を變じ或は停止する技で、外觀上の美のみでなく實用上缺く可からざる動作である。
クリスチャニア回轉又はテレマーク回轉を連續的に行って、雪の上に大きくの字を描きながら滑り降るのを、それぞれクリスチャニア・スラローム、テレマーク・スラロームと呼ぶ。“スラローム" Slalom は恐らくノールウェイ語であらう。
注目すべきは、ここで「回転(廻轉・回轉)」と訳されているのは「スウィング」や「ターン」のほうだった、という点だ。
「ターン」を「回転」と訳すのは、バレエなどでも同じであり、それほど違和感は無いだろう。
上記の文章では、はっきりと「スラローム」と「回転」は区別されており、明らかに異なる用語として広まっていたことがわかる。
それで後から「スラローム」の訳語を「回転」と決めたとは考えづらい。
単にアルペン種目を新設するにあたって「スラローム」という横文字を嫌い、
「回転を繰り返して滑り降りる競技なんだからそのまま『回転』と呼んだほうが分かりやすくね?」
それが後に「ジャイアントスラローム」が登場してやむなく「大回転」と訳すことになり、
(「回転」がターンを表すのはまだしも「大回転」はもう違う言葉だよなあ)
さらに「スーパージャイアントスラローム」が登場するに至って
もはやパチンコの売り文句みたいにせざるを得なくなったということだろう。
また「ターン」を「回転」と呼ぶことも少なくなり、
今となっては競技名としての知名度のほうが遥かに高くなったので、
まるで「スラローム」の訳語が「回転」であるかのようになってしまった、
言っても一般人にとっては冬季オリンピックくらいでしか耳にしない単語ではあるし、
元増田は、「自己の観測範囲において」寿司という物体は回転運動を行っていない、という話をしているんだと思う。もし「自分に見えない部分で回転していたとしてもそれを自分の日本語に反映させる必要はないのではないか」という彼の主張に対して「君には見えていないかもしれないが、回転しているからそれは回転寿司と呼ぶべきだ」という主張が成り立つのなら、地球上で暮らしている我々の目の前に置かれた寿司は全て宇宙的視点では「回転」しているわけだから、いかなる寿司屋も「回転寿司」を名乗るべきだし、もっと言えばラーメン屋も牛丼屋も「回転○○」を名乗るべきだという主張も成り立ってしまう。
太陽が「のぼり・しずむ」とか月が「出る」という言い方が許容される以上は、「私の観測範囲において回転していない寿司」は「回転してない寿司」と呼んでいけない理由があるだろうか?
夕方、NHKの野球中継で解説者が「左打者のあの打球はラインドライブがかかっているからファールになりがち」みたいな話をしていた。
日本の野球用語で「ラインドライブ」と言えばファウルライン方向に打たれた打球に、スライス回転というか、シュート回転というか、体の反対方向に曲がるようなスピンがかかっている事を指しているような気がする。
メジャーリーグでも「ラインドライブ」という用語は使われるのだが、こちらは日本語でいうところの「ライナー」を指す。いや「ライナー」は英語としてもちゃんと通じるらしいが、「ラインドライブ」はゴロでなく、山なりでもない、まっすぐ飛んでいく打球の事を指す。センター方向に飛んでもライナーなら「ラインドライブ」だ。イチローはそういう打球をよく打つから「ラインドライブヒッター」だ。回転のことは関係ない。
■「モチベーション 3.0」 https://anond.hatelabo.jp/20170729215932
このダニエル・ピンクの著作の原題は「ドライブ」である。訳者の大前研一がこれでは日本で意味が通じないと「モチベーション3.0」に変更した。
どうして日本では「ドライブ」を「回転」のことだと刷り込まれてしまったのか?。これはキャプテン翼のせいではなかろうか。
翼君の必殺シュートは「ドライブシュート」である。強烈な回転がかかっていてすごく曲がり、落ちる。ディフェンダーの届かない頭の上を越えてからゴールに向かっていくので誰も防げない。これでドライブ=回転のイメージが広まってしまったのではないか。
ライバルの日向君の必殺シュートはタイガーショットである。こちらはただ強烈なボールが直進してゆく。バックスピンがかかってるのかもしれないがそんな説明はなかった気がする。これこそ「ラインドライブ」そのものである。高橋陽一はこっちの方に「ドライブシュート」の名前を付けるべきだったのかもしれない。そうすれば「モチベーション3.0」は「ドライブ」のまま出版できたはずである。
理解できない人たちというのは多角的に物を考えないので、
ちょっと違う。考えない、のではなくて、前提知識がなさすぎて考えられないだけ。
例えば、高校レベルの数学なんかでも、「回転」を考える時、素直にxyグラフ上で幾何的に考えたり、
三角関数で考えたり、ベクトルで考えたり、虚数を使ってみたり、行列をつかってみたり。
これらは見た目は全然違うけど同じ答えが出せる。
で、よく見てみると、実は同じことをやってることに気づく。
それらすべてをきちんと理解してないと共通性なんて見いだせない。
やり方だけ覚えても駄目。なんでそうなるか、それぞれの仕組みをきちんと理解しないと駄目。
ただ、最初に取っ掛かりとして分かりやすい、わかりにくいはそれぞれある。
その中から一番わかり安い物を持ってきて説明できればまず、一歩を踏み出しやすい。
それが人によって違うこともあるからその辺を見出せる人だとモット良い。
これはまさに、「わかった気にさせる」説明の方法。何も理解してない。
もちろん、ただ覚えるだけでいいんだ、ってものも多いから、必要なところだけ教える、ということも必要な場合もあるが。
ただ、それでも理解できないタイプの人に共通する言語レベルに突っ込んだ書き方をすれば、
それはわかりやすい書き方に出来ると思っているのだがなぁ…
もちろん、説明の仕方として順をおって教えたりすることは出来るだろうけど、
それはその「レベル」を教えたのであって、本来の事柄を教えてるわけではない。もちろんそれで十分な場合もあるが。
ただ、気をつけないといけないのは、そういった「レベルを落とした教え」というのは、つまりは「わかった気にさせる」物。
さらに、「嘘を含む」ことも多々ある。
その嘘も、時として閉じた世界で簡単なことをスルだけなら問題ない場合もあるが、殆どの場合はむしろそこから一歩出てさらに学ぼうとした場合の障害になる。
回転寿司店は客もうまく「回転」させなければいけないのかもしれないが、この台詞にはあ然とさせられた。たまたま入った都内の某チェーンの店は空席がポツポツ見られるぐらいに繁盛していた。そこにやって来た2人連れに店員が言い放った。
自分の働いている場所の意味が分かっていないかのような自己チュー暴言。上映中は会話できない映画館なら2人連れが離れて座るのも我慢できるにせよ、食事を楽しみに来た客にバラバラで食べさせてどうするのか。普通の寿司店と違って回転寿司は空腹を満たすという「えさ」の機能しかないと内心では思っているのか。この言葉を浴びせられた客が、ただちに踵を返したのは言うまでもない。
客商売にあるまじき無神経さだが、寿司店に限らず、居酒屋でもよくある無神経の典型がやたらとデカい声。新規来店、注文が入るたびに大声で応える。威勢のよさで店内のムードを盛り上げているつもりなのだろうが、近くで叫ばれる客はうるさくて仕方ない。ひどい時は頭に響く。ということが分かっていないようで、ひたるら大きな声で受け答えするのががサービスだと思い込んでいるから始末が悪い。
ったくもう…という店員は少なくない。回転寿司「バラバラ座り」の打診発言は、あと11か月あるものの2013年不適切発言大賞の有力候補だ。
老害のひと言で片付けたいが敢えて釣られよう。
店員が何故「バラバラなら座れますが」と聞くのか。回転寿司屋に食べに来たカップルにしても、バラバラでもいいから食べて帰ろうとする重要がある。場合によって私もそういう時があるものだ。そのような客に対してのサービスとして聞いているのである。これをトンデモ発言だと言い捨てるには、あまりにも無知である。
次に居酒屋について。
何故大声なのか。客が大声で話すから大きな声出ないと、注文なり声が届かない(事がよくある)。客の中でも、おっさん連中は特にうるさい。サービスの為でも何でもない。
その通り(何度も言うけど勘で書いてるので微妙に間違ってるかもしれない。本質的には外してないと思うけど…)。
そこが分かれば後のことは数学的詳細なので実装上は気にしなくてもいいと思う。
基底のところは正直かなり説明をはしょったので(少なくともベクトル空間についてよく知っていることを仮定した)、
わからなくても無理は無いと思う。
これは完全にその通り。これが理解できるというのはかなり凄いと思います。
「操作」というのはその平面上で点を動かすことに対応していて、動かし方は無限にあるわけだけど、それらをどう表現できるかという話。
ここで言った「回転」というのは、「基底ベクトルの組を任意に回転(ユニタリー変換)してもやはり基底ベクトルの組になる」というような意味で、
具体的には2次元基底ベクトル(1,0)と(0,1)を45度回転した1/sqrt(2) (1,1)と1/sqrt(2) (-1,1)もまた基底ベクトルとみなせるというようなこと。
ここでは「ベクトル」はさっきの「立体を表す点を指すベクトル」ではなく「操作」そのもののことなので、「基底操作」についてそういうような
厳密には「操作」自体はベクトル空間を構成しなくて、もっと広い(制約が緩い)概念であるところの群を構成する。
「基底操作」というのは群論の言葉で言うと生成元のことで、全体の群を構成する生成元の取り方が複数あるということ。
まぁいずれにせよあんま気にしなくていいと思う。
個人的には、とにかく実装してしまうパワーが弱い方なので、実装力高い人はうらやましい。