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[B! 食] 上タンばかり頼んでなにが悪い? 暗黙の了解があるというなら見せてみろ - 関内関外日記
このエントリーに対して「暗黙の了解を守れ」と繰り返すだけのブコメやそれにスターをつける人たちちょっと酷すぎませんか?
goldheadさんは明瞭に書いている。
繰り返すが、「了解」なんてないんだ。心優しく店のことを考えて「3人前」だと思っていたとしても、店としては「1人前も出したくない」と考えているかもしれない。10だと思って5か、5と思って3か。わかりゃしないんだ、そんなもの。暗黙の不毛さで、ただただ言葉に発せられない憎悪と嫌悪が広まっていく。
「空気を読め」とはそういうことだ。むろん、空気が読めなければ生きにくい。読めて当然の空気だろ、という状況もある。が、これは焼肉屋の食べ放題の話である。「食べ放題」なのだから、好きなものを好きなだけ注文するのが当たり前だ。何度も言うが、それが「当たり前ではない」という人は、同じ意見の側の人たちをも納得させられる数字を出さなければ説得力がない。たしかに「50人前」は過度に見える。見えるが、40はどうだ? 30はどうだ? 10なのか? 5なのか? 空気を読めというばかりで、自分は暗黙の了解がわかっているという顔をするだけで、基準一つ出せないのはどういうことか。単に他人を見下したい、良識派ぶりたいというだけではないのか。
そうやって、「自分はわかっている」という顔をして、「空気」を読むことを人に課して、その実、自分の中身は空っぽだ。あるのは原始的な反感だ。それも、世間や他人の顔色を伺うだけで、「食べ放題で上タンは◯人前だけ頼むべきである」という基準も出せない。
そんなものが世の中の空気であって、だれが幸福になるのか。店は上タンを食べ放題で食べられるのが嫌だったら、上限を定めるなり、食べ放題メニューから外すなりすればいい。それを明文化すればいい。そこになんの問題がある。それで世の中の風通しがよくなる。クリアになる。世界から憎悪や嫌悪の量が減る。違うか?
とまで書いてくれている。
そこから逃げて正面から回答しないのは不誠実だし現在トップコメの「品がない」に至っては対話を放棄した人格攻撃じゃないでしょうか。
ちらほらある「ルール内なら何をしても良いと言うのか!」というコメントも曲解がすぎる。
じつは個人的にはgoldheadさんの主張に全面同意ではない。
最初「50人前も頼むなんて常識的に考えなよ…」と思っていた側だ。
でもこれを読んでハッとさせられた。
たしかに何人前までならOKなのか私は答えられないし、そういう「常識」「暗黙の了解」を私たちは別の場面で「空気」「同調圧力」という言葉で批判しているのではなかったか。
私は考え込んで黙るしかなかった。
いま言えるのは牛タン食べたいということだけです。
青山や銀座みたいに「華やかだけど範囲が局所的」だとか、越谷レイクタウンや幕張新都心みたい充分広いけど娯楽の幅が異様に狭いとかじゃなしに、
「みなとみらい-桜木町-関内-中華街」の一帯のように切れ目ないクソデカ規模で大発展していて(しかもお台場とかと違って全く衰退せず)、なおかつエンタメや観光の選択肢のバリエーションが異常に豊富なエリアをどうして作ることができたのか。
言っちゃ悪いが、都心からはるか遠く離れたあんな横浜南部の海っぺりだ。
横浜で美味しい赤身のステーキ屋をお探しですね。グルメサイト「食べログ」によると、横浜市で人気のステーキの赤身肉お店は74件あります。その中から、ネット予約数ランキングで上位に入っているお店をいくつかご紹介します。
HERO’Sステーキハウス ヨドバシ横浜(横浜西口周辺):ステーキ好き人気店で、赤身肉の種類が豊富です。
ステーキハウス ドン(関内・馬車道):国産牛の赤身肉を炭火で焼く老舗のステーキハウスです。
ステーキハウス さわやか(横浜駅):安くて美味しい赤身肉のハンバーグが人気のファミリーレストランです。
どうぞ参考になさってください。🍽
関内や桜木町あたりはみなとみらいと言って、ウォーターフロント開発が計画的、持続的に進められているから。開発はバブル崩壊前から始まって、万博が起爆剤となり、バブル崩壊で一時停滞したが、その後も延々と続いている。
そもそも海辺は人を惹きつける。みなとみらいの場合、そこに歴史的経緯と環境デザイン的意図が加わって、いっそう人が集まるようになっている。
・官公庁が所在することからビジネス街として発展しやすい素地がある。
・このエリアに官公庁が所在するのは経路依存的で、文明開化以降、日本が外国と交流を持つための玄関口だった名残り。
・歴史的建造物はリノベーションされ、観光資源として街の発展に一役買っている。
元町の霧笛楼は分かる!けどレストランに行った帰りに買うかどうかとしてしか認識してなかった。
十番館とかありあけとか、知ってた気もするけど、藤沢の宝製菓ほど知ってたかというと、観光地のお土産物屋さんくらいの認識しかなかったような……
桜木町、石川町、関内のエリア周辺で、みなとみらい、中華街、元町、本牧、馬車道、伊勢崎町、野毛、中村橋、黄金町なんかが、横浜市民としては地元・高校周辺以外の地名として聞いて知ってるとこだと思うんだけど(ズーラシアとかシーパラとかの施設や、交通情報で名前だけ聞く笠間十字路とか除く)、「足を伸ばしてでもこの店」というのはあっても、「デパートや地下街で買えるお土産」となると決定打がないような……
そのなかでは「ハーバー」が頭抜けてるんだなというのは知れてよかった。早速買ってみたんだけど、お土産感高い上に、包装された箱買いじゃなく一個ずつも買えて、しかも一個が大きくておやつとして満足感高いなって思った
吉村家のラーメンセットは思いつかなかったので、「なるほど!」ってなった
あと、「NEWoMan横浜6階の2416マーケットで「旅するコンフィチュール」」とか、中華街のお店の月餅以外のお菓子とか調味料とか中華まんとか、レス以外にブコメでも色々教えてもらって嬉しかった。帰省したとき自分も買おうと思った
「鎌倉でもいいじゃん、横浜も鎌倉も区別できるわけねーから、鳩サブレーにしとけばいいじゃん」という意見も多くて、なるほどと思った
たとえマイナスでも、マイナスを低減しているという感覚を掴めない人が結構いる。
マイナスかプラスか、でしか脳を働かせることができない人が結構いる。
例えば自炊の話が始まると、1日〇〇円で暮らす! とか1ヶ月の食費を〇〇にしましょう! とかの話題はよく目にする。
それはまだいいのだが、そのうち謎のチキンレースやオークションみたくなって「それじゃあ高い」「もっと安上がりにできる」「本当の節約とは!」みたいな論調が出てくる。
はてなだと関内関外日記の一連の野菜摂取料理の投稿に噛みつく人々が出てきたことを記憶に持つ諸賢もいるだろう。
こうしたネット上のやり取りは、議論がある種脱臼を起こしていると感じている。
すなわち、他の手段、例えば同じタイミングで外食したりWoltを頼んだりした場合と比較して、金銭的に低減していたり、健康上より良い食事になっていればそれでいいのではないかと私は考える。
数値の絶対値を競争し始めると、究極には一番貧乏なある一人の人間(の生活)の方法しか正当性がなくなってしまう。
ネットのコピペかから喩えで言うと、石を投げられるのはキリストだけになってしまう。
年収890万円以下は社会のお荷物という意見に対しても、たとえ年収がそれ以下でもマイナスを低減しているという観点は大切だ。
実際に、日本国民の所得の平均値や中央値を見ても890万より遥かに下るだろう。
平均で見るとお荷物の重さを減らすことを、多くの人は頑張っている。
『ケーキの切れない飛行少年』の論理では、犯罪に走ってしまい働けなかった人を適切な指導や教育で賃金を得られる世にしていく大切さが語られる。
これで税金を投与する側から税金を支払う側に変えて、犯罪率の低下だけでなく社会の安定につながると書かれていた。
上か下か、あるいは絶対的な数値だけだと見えない世界があり、ネットの短文の文化ではそうしたバランスや偏差の様なものは捨象されがちであると考えている。