はてなキーワード: 差別煽動とは
もともと他人の性癖なんて興味もないから、気にしたこともないのに。
それが受けるとわかったらテレビもネットも急にそればかりになるから、耐えられなくなる。
この苦しさは、ちょっと前の日本スゴイとか差別煽動ばっかの日本のメディアを見てた時といっしょだ。
結局俺がきらいなのは、ひとつ流行ったら全体が脳死で右にならえの「日本人の衆愚性」そのものなんだよな。
最初は自分もちょっと面白いと感じたことでも、本当にすぐアホが群がって擦り倒して食傷になる。
日本人ってなんなの?
“またデマを流してる。トランス女性ではなくトランス男性な。”
“トランスではあってもそれが事件の動機と関係あるかは分からないと警察のコメントもある”
“完全な差別煽動目的の記事。犯罪者の属性を殊更見出しにするような記事の拡散って、一番やっちゃいけないことだということがわからないのかな。”
呉座勇一氏のNHK大河ドラマ降板を憂う - 與那覇潤|論座 - 朝日新聞社の言論サイト
今話題のこれ。自分は一般論部分には特に反論はないし具体論についても部分的に同意するところはある。
まあその上で色々思うとこがある中で恐らく最もどうでも良さそうなところに噛み付くのだが。
元のツイートは職業や学歴など、本人の選択次第で「移動可能」な特性を非難するのは差別ではない、とする(呉座氏以外の)主張に対して、そうしたロジックを認めれば「在日問題も『帰化しろ』で終了してしまう」と批判したものだ。
これの話って五野井DaDa論争のことだろうと思う。以下のTogetter見るに個人的には心底”Theネット”という感じで大変意義のない争いにしか見えんけど。
学者「ナチズムには差別が内在しているので表現の自由に値しない。共産主義?それは別」 - Togetter
けどこの與那覇先生の読解って正しいんですかね?当時のやり取りそのまま引用するとこういう感じで(敬称略)。
五野井「どの表現も加害となりうる。では表現一般とヘイトスピーチの違いは何か。それは後者が差別煽動であり、それに踊らされた者らによって現在まで多くの人々が傷つき殺されてきた点だ。「私にはヘイトスピーチする自由がある」を「私には差別に基づく加害や殺人煽動する自由がある」に置き換えてみてくれ。」
DaDa「何言ってんだ、その言い分だと共産主義に踊らされた者らによって現在まで多くの人々が傷つき殺されてきたから、共産主義は禁止もしくは監視あるいは一定の制限の下にしか存在を許されない、なんて理屈が罷り通ることになる。」
五野井「わたしは共産主義には微塵の魅力も感じないが、そもそも共産主義はヘイトスピーチと違って、人種差別が内在していないことは明らかだ。ナチズムが禁じられる理由は、まさに人種差別と差別煽動が埋め込まれているからである。「差別煽動」という術語をわざと外す暴論には感心しない。誠実な反論を望む。」
DaDa「あら、共産主義に内在的に埋め込まれている階級出自による煽動は差別でないとは斬新な見解ですこと。」
五野井「人種差別の話をしているのになぜ階級の話になるのか。人種は階級のように移動できるのだろうか。できないだろう。それをあえて比較対象とするのは不誠実だ。為にする批判ではなく、改めて誠実な議論を求める。」
DaDa「階級は移動できる問題ないって安直に社会学者が言うの致命的な発言でなくって?」
五野井「人種って移動可能なのですね(笑)。あなたは、人種は移動できるという想定を前提でわたしに議論をふっかけてきたわけですが、まずはどうやったら人種が移動できるかを教えて下さい。なお階級は、容易ではありませんが移動可能ですよね。ライフピアも大勢いるし。あと社会学者って誰のことかしらん?」
DaDa「人種は移動できるっていつ何処で誰が言ったんですかマイケル・ジャクソンですか?」
五野井「わたしが移動不可能な人種差別を問題にしているのに、あえて移動可能性のある階級の問題とわざと等価にして食いついてきたのはあなただろう。ポップなネタに持ち込んで、ごまかそうとする悪いクセはやめなさい。不誠実な相対化で立論をしているかぎり、あなたには勝ち目はない。で、社会学者って誰よ?」
DaDa「だから、人種>階級が絶対に優先だって学問的定説あるんですかあ、差別に優劣ありってそれこそ差別的でしょう。あと社会学者だか政治学者だか人文学者だか知らんけど階級移動なんか些末なことって言い放てるなら社会問題にコミットする立場として大問題に違いないと思いますよ。」
本当、意味のない議論だよ。このTogetterのはてブが何で真面目に議論してるかも理解できんほど噛み合ってないやり取りなんだわ。
それはともかく、五野井先生は「職業や学歴など、本人の選択次第で「移動可能」な特性を非難するのは差別ではない」なんて言ってます?これ”差別を論じるに人種と階級は移動可能の可否に違いがあるから等価に扱えない”であって”移動可能な属性なら差別ではない”ではないんじゃないかなあ。DaDa氏も借金玉氏も呉座先生も與那覇先生も勘違いされてるようですが。いや、たぶんDaDa氏は他3人と違って最後の最後で気付いたんでしょうね。だから最後に「人種>階級が絶対に優先だって学問的定説あるんですかあ、差別に優劣ありってそれこそ差別的」と五野井先生が階級差別の存在を否定していない可能性を認識したような反論をしている(反論として妥当とは言わないが)。
「お嬢様の自己実現なんて知らんがな」から「女性の自己実現を否定している」という解釈はダメだと與那覇先生がおっしゃるなら、直接言ってもないことを実際にあった主張だと断定するのはギルティーでしょうとも。しかしまあ素晴らしい見識を備えた学者方がアルファツイッタラーが気付いていることにすら気付かないのはいかがなものか。それこそ「誤読」ないし「意図的に歪曲」と言われても仕方ないのでは。
「実証的に文言を読み解けば不当だと論証できる非難」を傍観するべきでないということのようなので気になったところ指摘しておく次第。
まあ、五野井先生もかなり微妙な手法使ってて、例えば「共産主義には人種差別はない。ナチズムには人種差別と差別煽動が内包されている。差別煽動という術語を外すな」と言っていたのに階級差別の話を持ち出されたら「人種差別の話をしている」と言って差別煽動の部分を吹っ飛ばしてしまう。だから勘違いを引き起こすわけで…。もっと問題なのは五野井先生は当初の書き方だとヘイトスピーチについては差別煽動であることに重きを置いてたはずなんですね。それによって生じる被害の害悪は果たして「移動可能」か否かで変わるものなのか?差別を語るうえで属性の「移動可能性」に着目すること自体は王道にしてもそことの論理的接続性は本当にあるのか。
ところがDaDa氏はそこを指摘するわけでもなく、何故か人種差別云々に乗っかってしかも「移動可能」とかいうそれを考慮すること自体は実はわりと妥当な部分に噛み付いて滅茶苦茶にするしなんなんでしょうねこれ。そもそもマルクス主義持ち出してきたのも大体イメージ人によって変わるとこだから困ったもんだなと思わないでもない。
それで言うとここには引用してないけど階級について「移動困難」だと五野井先生が認めているところがあって、むしろそっちの方が突っ込みどころでは?ヘイトスピーチの定義を調べた人は「変更不可能または困難な属性を理由に~」みたいな文章見たことあると思うんですよ。移動困難ならば移動不可能と同じカテゴリーではってことね。もちろん困難とはどういう意味でどの程度困難なのかって話がその次に待ってるんだろうけど…。
まあ今更どうでもいいね。語ってもしゃーなし。
移動可能というか変更可能/不可能を考慮することはあるということを上で書いたので一応実例は出しておく。
まあわりと差別とかを考えたことある人には馴染みがある考え方の1つだと思うのだが、呉座先生(ともしかしたら與那覇潤先生)の反応見るにあまり知られてないのかな。
日本国籍は,我が国の構成員としての資格であるとともに,我が国において基本的人権の保障,公的資格の付与,公的給付等を受ける上で意味を持つ重要な法的地位でもある。一方,父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得するか否かということは,子にとっては自らの意思や努力によっては変えることのできない父母の身分行為に係る事柄である。したがって,このような事柄をもって日本国籍取得の要件に関して区別を生じさせることに合理的な理由があるか否かについては,慎重に検討することが必要である。
上記制度の下で父母が婚姻関係になかったという、子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず、子を個人として尊重し、その権利を保障すべきであるという考えが確立されてきているものということができる。
id:yubasu バカだろ。「バイデンが井戸に毒を」に朝鮮人差別批判を無効化する目的(つまり差別をしたいという動機)が無いと推定するのはお人好し過ぎるだろ。また表現の不自由展は公権力の問題だ、主題も事後の展開も
https://b.hatena.ne.jp/entry/4699765887052376098/comment/oldriver
「『バイデンが井戸に毒を』には朝鮮人差別批判を無効化する目的(つまり差別をしたいという動機)がある」?
おいおい、頭は確かか?
無いと推定するのがお人好しなら、
あるとすれば、どういう機序でそうなるわけ?
誰も答えられないやん。
なぜならそれは単なる「不・謹・慎」てやつだからだよ。
差別扇動は「気に食わない発言」なんかではない。そんな区別すらつかないなら黙ってれば良い。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4698522943863755554/comment/maruX
という馬鹿丸出しの b:id:maruX のコメントに流石に頭にきたので、書き残しておく。
おねロリキメセク天皇のツイートのどこがどう誰に対する「差別の煽動」なのか説明できないなら、黙ってろよ。
不謹慎と「差別の煽動」との区別が付いてないのはお前の方だよ。
参考→
@kimehito
に対する反応の中には、「「「朝鮮人が井戸に毒」はデマ」はデマ」と思っている人がいるから「バイデンが井戸に毒」は差別煽動である、という主張がいくつか見られる。
password1234 この増田の言い分は理解するけど、“「井戸に毒」から朝鮮人を連想できる人は、必ず、それがデマであることをセットで連想する”という仮定は微妙で、あれをデマではなく史実と誤解している層が存在していると思う
「「「朝鮮人が井戸に毒」はデマ」はデマ」と思っている人の朝鮮人に対する差別感情が湧き上がることが、差別煽動と断ずる根拠になると言うのなら、「「朝鮮人が井戸に毒」はデマ」という表現もまた差別煽動であるということになる。
我々は、関東大震災の時に「朝鮮人が井戸に毒」という流言飛語によって民族ジェノサイドを起こしてしまったことに触れてはならない。
「バイデンが井戸に毒を入れた」という冗談が、一部の人には「朝鮮人に対する」差別煽動投稿に見えるらしい。驚いた。
これが「朝鮮人に対する」差別だと主張する模範的文書を、藤崎剛人がコラムとして公開している。(差別煽動投稿だと最初に断じた津田大介が、これが「朝鮮人に対する」差別煽動と述べているかどうかは確認していない。)
https://www.newsweekjapan.jp/fujisaki/2021/02/post-3_1.php]
「井戸に毒」というのは藤崎も指摘するとおり「1923年関東大震災での流言飛語を連想させる」フレーズとして選択されている。つまり、ここで連想されるのは、井戸に毒を入れる行為ではなく、「流言飛語」つまりデマという評価である。
「井戸に毒」から朝鮮人を連想できる人は、必ず、それがデマであることをセットで連想する。藤崎がそうであるように。
もし関東大震災時のデマを知らずに「井戸に毒を入れた」を真に受ける人間がいたならば、彼は毒を入れたのはバイデンだと考える他なく、「井戸に毒」が朝鮮人と結びつくことはない。(そして、バイデンは日本に居らずテロリストでも無いのだから、殆どは「井戸に毒」が嘘であることに気付くだろう。加えて、バイデン大統領なら、「バイデンが井戸に毒を入れた」と信じる狂人が居たとしても危険は及ばない。)
朝鮮人の連想は、デマによる虐殺というエピソードを前提にして初めてもたらされる。
もし朝鮮人を差別する意図があるならば、デマに踊らされたという愚かな過去を引き合いに出すことはあり得ない。
したがって、「バイデンが井戸に毒を入れた」という文字列は、流言飛語が朝鮮人虐殺を招いた歴史を想起させ悪質なデマに惑わされないための注意喚起を諧謔とともに表現したものと読むほか無い。朝鮮人に対する差別煽動と読む余地は無い。
ところが藤崎はなぜか、「バイデンが井戸に毒を入れた」という文字列から、流言飛語が朝鮮人虐殺を招いた歴史を想起し、悪質なデマに惑わされないための注意喚起をしようと考えたようだ。
藤崎は、「バイデンが井戸に毒を入れた」が「井戸に毒」をネタ化したものであるとした上で、次のように述べる。
我々は、我々の社会がかつて行ってしまった民族ジェノサイドに対してどのように向き合うのかについて改めて問われている。こうした状況のもとで、「井戸に毒」をネタとして消費してしまうことは、ジェノサイドという事象の軽視であり、それは論理必然的に差別扇動となるのだ。
しかし、ここでネタ化されているのは「井戸に毒」ではなく「「井戸に毒」というデマ」である。
ここで揶揄されているのは、荒唐無稽なデマに惑わされて愚かな行動に出たかつての日本人に他ならない。
フェミニズム系のブクマカから続々と増田への批判が寄せられているよ。
絶対にあれは酷いトランス差別に間違いないし、その差別に反対する。でもその差別を、人を殺す危険すらある差別を、「ほんとすき」とか「応援しています」とか書いてしまえる増田もまた軽蔑するよ。
“トランスジェンダーの人たちに対する悪質な差別煽動だと思うけど、” 違います。前提が間違っているので以後の文章は意味がない
割と有名なフェミニスト団体のサイトでTERFの主張が無批判に垂れ流されていてビックリしちゃった。
https://wan.or.jp/article/show/9075
トランスジェンダーの人たちに対する悪質な差別煽動だと思うけど、これって次の2つの理路のどちらかでしか正当化できないよね……
1を選んだ場合、まあ自殺だよね。お疲れ様です。今後WANやその周囲の人たちがどんなに女性差別を訴えようとも聞き入れる価値はゼロということですね。
2を選んだ場合、これはかなり強硬な表現の自由を主張しているということになるよね。
表現の自由を掲げてヘイトスピーチの法規制に反対する人は一定数いるけど、彼らの主流派は「ヘイトスピーチはけしからんかもしれないが公権力によって取り締まられるべきではない」と言っているのであって、ヘイトスピーチを積極的に議論の場に乗せてやろうと主張する人は、強烈な差別主義者以外はあんまりいない。
ところが、今回のWANは、ヘイトスピーチに積極的な議論の場を提供してあげたに等しい。これは、「表現の自由戦士」なんて揶揄される人たちとは比べ物にならないほど強硬な表現の自由主義だ。
当然、これを選んだ場合、WANおよびその周囲の人たちは、今後他人の表現に口を出す資格がなくなる。混じりっけなしの本物の差別主義に場を与えておいて、ジェンダーバイアスを強化する表現はいかがなものかとか空想上の性暴力コンテンツはけしからんとか他人に言う資格があるとはとても思えない。
WANはどちらの理路を貫き通すのだろうか。
1を選んで差別主義者であることを開き直るのか、2を選んで表現の自由戦士過激派に転向するのか。それともTERFの主張を肯定的に載せてごめんなさいと謝罪するのか。
どう転んでもフェミニズム界隈は大変なことになりそうですね。まあ頑張ってください。増田はWANのフェミニズム自爆活動を応援しています。
Not All Feministsってやつですよね、わかります。一部の変な人たちのせいで全体に悪い印象がつくのは不当なレッテル貼りですよね!