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はてなキーワード: ユートピアとは

2016-11-24

ロボットに任せきりで人類ヤバイ!!ってディストピアアニメ作品

藤子F不二雄「ドラえもんのび太ブリキ迷宮

ピクサー「WALL-E」

他にあるかな

一見ユートピアだけど、人間が老若男女問わず

全員障害者みたいになってて怖かった思い出

あん世界でもそこそこハッピーだろうけどね・・・

2016-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20161024024824

金が無尽蔵にあったら何をするか。

無尽蔵とは無限という意味らしい。

無限に金があったら全世界無限に配りまくれば貧富の差のないユートピアが生まれるかと一瞬思ったが、それは貨幣経済破綻を生むだけで何の意味のないことに気づいた。

 

まり自分(とせいぜい自分の選んだ相手)のみ無限に金をもっているから優位性が生まれるというわけだ。

 

そうなると金をもっていない人間から自分が最高級の誘拐恐喝拉致監禁ターゲットとなる。

よって、無尽蔵に金があったらまずは自分セキュリティを最高級に高めねば即死である

自分無尽蔵に金をわけてもらえる者たちは自分に雇われ従う選択をするものも多くなることだろう。

まり世界自分無限に金をもらえる陣営と、自分を服従させて無限に金をださせようとする陣営にわかれる。

 

しかしここであらためて考えてみると、無尽蔵に金があるとはどういう状態をさすのだろう。

仮にATH、銀行口座から金を無限にひきだしたり振り込んだりできる状態だとしよう。

そのような金の動きも額が大きくなればすぐ国税庁の目につくことだろう。

すると自分に金が無尽蔵にあるという状態はすぐに国の知ることとなる。

これはすなわり日本銀行がもっている貨幣発行権を自分という個人が所持して乱発していることとなるが、

貨幣発行権は憲法法律規定がないため合法である

はい合法でも日本経済を大きく混乱させる危険因子であるため国としては何らかの口実をつけてコントロールせねばならなくなり、

結果として監視下のもと神社を通っただけで参拝などの正当な理由がないのに神社に入ったとして建造物侵入逮捕、などの微罪逮捕されてしまうだろう。

 

などと考えると金無尽蔵にあっても命がけの何かをしたいと思うまでは金が無尽蔵にない現状と同じ生活をすることとなり、あまり何もかわらない。

命がけで稼いでもいない無尽蔵の金をひきだそうとするのはどのようなときだろうか。

それはどうにも貧困になり金がなくて生きていけないとき

オレオレ詐欺にだまされて焦って金を振りこみたいとき

などだろう。

ある程度以上、まっとうで合法的収入があれば、無尽蔵の金などあったらあったで非常手段にはなってもリスキーなだけで、そう別に夢のある話でもないという結論になった。

2016-09-28

http://anond.hatelabo.jp/20160927003039

食べログ感想を書いても消されるよね。増田食べログ感想書いても消されるだろうし、ほかにも問題点を指摘する感想書いた人はいたけど消されただけっていう可能性は高い。

いま自分は「料理はおいしいけど、店内の低周波音がうるさかった。(大意)」という感想を書いたのだけど、食べログに非公開処置を受けまくっている。

難癖つける内容ではなくなんとかなるといいなあくらいの感想しかしだめ。

「3.お店へ悪影響を及ぼすかつ内容の確認が困難な事象についての投稿はご遠慮ください。」

  ・食べログは、お食事をした際の主観的感想意見を共有する口コミサイトのため、お店へ悪影響を及ぼすかつ事実関係確認が困難な事象のご投稿はご遠慮いただいております

「7.お店への個人的クレームトラブルに関する内容はご遠慮ください。」

  ・食べログは、お食事をした際の主観的感想意見を共有する口コミサイトのため、お店に対する個人的クレームやお店で起きたトラブルに関するご投稿はご遠慮いただいております

この2点に引っかかるとして文章全体を直せと言われている。

けど引用した規約を見れば分かる通り、店の改善点とかを書いた感想はほぼすべてが規約違反対象になる。つまり消したい感想はなんでも消せる。

さらに、

 「利用規約

  ・お食事をされた店舗様とは直接関係のない、食べログ運営に関する内容や、口コミ修正に関する内容を書き込まれることはご遠慮いただいております

この規約もあるので「感想に書きたいことがあったけど食べログに言われて消しました!」という書き方もできない。

食べログはすこしでも気に入らない感想を消せるし、消した痕跡も残らない。ユートピアですよね、期待を込めて星4つです。

2016-09-26

で、フィリピン大統領が9割の支持を承けてジャンキー野郎(と思しき連中含め)大虐殺してる件について、反対派はどのような解決策を提示してくれるの?

Gl17 ↓実際多数がポンポン殺されてんのにナニ悠長な例え話してんだお花畑。/ こういう方向性の人らが支持する政治が進めば日本あん無法地帯になりかねないという話だな。

リンク2016/09/26

FUKAMACHI じゃあ、おれは立派な自警団員になって、高須邸にこっそり麻薬を隠そう。ドゥテルテ政権みたいな政治になるのが楽しみだ。嫌いな野郎をみんな葬って英雄になれるユートピア。 136 clicks

リンク2016/09/26

kouchi203 巻き添えで5歳の少女を含む多数の市民自警団にコロされているらしいけど、麻薬撲滅のためにはしかたないってことですか これはひどい しょーがねーなー

リンク2016/09/26

Yoshitada それ、全部本当の犯罪者ならな……。

リンク2016/09/26

haruhiwai18 . ナチしぐさ

リンク2016/09/26

xevra ドゥテルテの問題は、殺された数千人の人達妥当性の検証プロセスが無い事。私怨で殺しててもそれを見つけられない事。悪質な麻薬犯罪者けが殺されているなら公約通りかもしれないが検証されない以上危険 20 clicks

リンク2016/09/26

こういう連中って石原都知事が何回も当選する度に東京都民を見下していたわけだけど、見下すだけで何の処方箋解決策も提示できないまま文句言う口だけやろうだったんだよな

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.huffingtonpost.jp/2016/09/25/takasu-duterte_n_12177518.html

2016-09-14

anond:20160914212548

銀河鉄道999にそんなストーリーがあったな。機械の体なんで、性別関係なく取り替え可能なわけで。

生殖細胞精子卵子という構造の違いがある。これは卵子を人工的に作るか、核を入れ替えるかすればなんとかなりそう。

卵子を育てる人工子宮か、人工卵が完成すれば、女性必要なくなるし、それ以前の段階で精子を作る男性必要なくなる。

DNAデザインして、人工卵で成長させて、ヒトが生産できるように……

地球へ… とか 火の鳥2772 愛のコスモゾーン とかがそんな世界だったなぁ。

ユートピアなのかディストピアなのか。

2016-08-28

ゴルスタの現状態で気になること

アプリストアからゴルスタが消え、ダウンロード出来ない状態

公式サイトも実質逃亡状態で、Twitter公式アカウントも消えた

でも、唯一(?)現在利用可能URL

https://sns.goalstart.jp

これはおそらくゴルスタユーザアプリ内で配信する際に利用することになるURL

古参というか、正規ユーザけがゴルスタ内部にはいれて、サービスを利用し続けているということか

実際に#ゴルスタ とかURLTwitter検索すると利用中のユーザツイートが見つかるし

ゴルスタ現在、外界と隔絶された既存ユーザユートピアと化している……?

で、もしサービス停止するってなったら、どうやって通知を出すんだろうって考えた。もう公式サイトとかTwitter声明を出さないこともありえるのかな?

流石に燃えすぎてるからそれはないと思うけど

でも、ゴルスタを愛しているユーザらに尊敬されている運営が、ゴルスタ内部で何かドラマチックなこと(感動的な演説なり、声明発表なり)をしてサービスの幕引きをしたら、ゴルスタを愛してきたユーザにとっては伝説というか、歴史にはなりそう

いい意味でも悪い意味でも。客観的にみた構図が怪しい団体のそれ

このURLが利用できなくなる=ゴルスタサービスが(少なくともユーザ配信などについては)終了する

って解釈をしていいのかな。なんにせよ今後が気になる

2016-08-22

尾頭さんの差し入れ問題に関して

シンゴジラにハマって感想漁ってたら尾頭さんの弁当問題というのがあるらしく。

http://togetter.com/li/1014624

 これフェミとかジェンダーとか以前の問題だと思ったんだけど同じ事書いてくれてる人がいないからここに書く。

 まず、巨災対って、職場として最高じゃないですか。全員優秀だし全員が元の職場連携してて動きも速い。上司は「査定に響きませんので自由発言して下さい」ってあらかじめ言ってくれるできるやつ。ユートピアか。

 それでシャツを着替えるのすら時間が惜しいレベル修羅場に主力メンバーの一人がお弁当作ってきて「おお~」ってなるかなあ?「いや……ありがたいですけど……それより10分でも15分でも寝て下さいよ、何やってんすか尾頭さん」ってなるんじゃないかな……。差し入れも尾頭さんの気持ちも嬉しいけど、ご飯もおいしいけど、隣には家族とご飯食べる15分すら惜しんで戻ってきてる人もいるわけで、私はその人の顔見れないかもしれない。中には「気持ちはありがたいけどさー、弁当作る時間あるなら仕事して欲しいよなあ」なんて喫煙所で言い出す人がいたりして……ああやだ。そんな巨災対は嫌だなぁ。そんな職場に雑念呼び込むような事する人じゃ尾頭さんはない!シンゴジラにそんな人はいない……!とかのうっすらした違和感が頭の中をよぎった。 

 ざっくり言っちゃえば「飛影はそんな事言わない」なんだろうけど、ギャップ萌えというならなんでわざわざ「巨災対に差し入れシチュばっかりなんだろう?料理とかアイロンとか「普通女性として」丁寧やってる尾頭ヒロミ日常漫画はないんだろうか??それならひっかからないっていうかむしろ見たいですけどね。

 それから片桐はいりの事を考えてて思ったんですけど逆に“たまたま開いてた画面を見た片桐はいりが「あら?これ(放射線量地図)とこれ(ゴジラの移動経路)、なんだか似ていません?」「何……まさか!」「マジかよぉぉぉ〜」”っていうシンゴジラって、何か違うくないですか。

 ホント言葉にするほどハッキリ感じたわけじゃないし、二次創作止めろとか言いたいんじゃないけど、まとめでフェミ的な括りにされてる人達の中にも同じ事言ってる人いると思うので、ちょっと書きたかった。

 ちなみに他で見た、尾頭さんが合理的すぎて家畜の給餌みたいになってる手料理漫画面白かったです。

2016-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20160809185432

極論も何も温まった規制派にまともなボーダーなんて引けるわけがいからやりたいことを代弁してあげてるだけなんだけど

行動そのものが極論的な原理を元にしてるんだから文章化したら極論が出来上がるに決まってんじゃん

そもそもどれだけ影響力の強いものがあったとしてもそれに従うかどうかは極端な話、個人問題帰結するから

戦争に参加したくないって醤油飲んで病気になっても行きたくないやつだって当時いたんだぞ

どれだけ影響力が強い状況に追い込まれてもそれでもまだ個人に残ってる選択肢を増やすも減らすも自分次第

その個人の自由意志尊重するどころか「個人は簡単他人に影響されて道を誤る」という自由意志に唾吐く様なことが

正常かつ当たり前で常識的なことであることが前提とするって

要はこの社会に生きる大人たちが自分たちの頭で考えて何が悪か何が善か判断するだけの知能と良識を備えてないってことになるんだが

赤ちゃん人間が前提ならそれこそ総ての要素を管理下において政府に統括させろよ

規制派の思い描くユートピアってそういう赤ちゃん人間たちが毒に一切触れずに生涯を終える環境のことだろ?

最初から極論言ってるんだから文章化して改めて極論だと分かったところで何で一歩引いて怖気づいてるんだよw

そこは「そうそう、俺はこういう管理社会の元、社会に悪影響が一切ない世界で生きたいんだよね!」って胸を張れよ

なんでそこで引くんだよ

 

引く理由言ってやろうか?

要はお前個人が単に否定したい1つの要素に対してだけ社会から除外したいと思ってるから

社会に悪影響なんじゃなくてお前個人の精神に対して悪影響だから

本当の意味主語デカくて、結局困ってるのもイラついてる個人の「俺が気に入らない」

これだけ

からそれ以上に対象が広がると自分の大好きな要素もセレクトされてしまうから引いてしま

嘘ついてるんだよな

みんなじゃなくて素直に俺が気に入らないんだって言えよバーカ

 

この手の手合いってなんで二言目には「みんながそう思ってる」「みんなが迷惑してる」って出てくるんだろうな

みんなじゃなくてお前だよお前

お前が迷惑してると思ってるんだよ

自分他人ボーダーが引けないか自分=みんな化してるんだよ

気軽に意思疎通取れない人間の心の中分かって気でいるなよ

お前の常識の精度どれだけ高いかからないけど根拠のない自信捨ててこい

境界性パーソナリティ障害者がネット市民権得ると本当に主語デカくなってシンゴジラ級になるから非常にめんどくさい

 

おまえんちのカレーちくわ入ってても俺んちのカレーにはぜってぇ入れねえから

表現の自由ってそういうことだから

2016-08-01

初めて知ったが、面白い試みかも。

しか書きかけの本を公開できて、完成度が上がるにつれ最初ただで読めてもだんだん値段あげていくサービス、金を払い続ける人がいたらこの本完成しますよみたいなのがあったが、この試みとは相性いいかも。コメントgitが挙がってるけど、ブランチ分けたりとかを見越してそういうの利用するのもいいかも。

僕は全然哲学とか専門じゃないので、細かくは語れないだろうけど、インターネット上のプラグマティズム(でいいのかよく分からんが)みたいなのがあるといいかなと。

最近よく目にするのが、自由すぎると人間かえって損をしてしま場合が多いという主張。これについて語れないだろうか。以前よりサイバーカスケードデイリーミー、デリートユーなどの言葉があったが、ユートピア幻想が、そこで描かれている世界が実現に近づいてくると、かえって良くないディストピアだ!となったように、自由すぎて目の前の事をコツコツやっていればそれなりに幸せだったみたいな人が、変な選択肢に手を出してしまい、失敗して落伍者なるみたいな。

…て書いてるうちにこれは社会学とかの範疇?と言う気がしてきた

http://anond.hatelabo.jp/20160731214314

2016-07-29

人類って多分99.9%以上の不幸な屍体の上に0.1%以下の幸福を得ているんだろうな

数字は大げさかもしれないけど、50%よりは絶対に不幸な人間の方が多いよね。

その0.1%すら完全に幸福人間なんていないんだろうけど。


人類が生まれから今までの全人口におけるこの比率が、もしも未来もずっと不幸側に偏ってるなら、

ギャンブルで出来た借金ギャンブルで返そうとしているような不毛さを感じる。

不幸を最小にするっていう目的があるとしたら、人類はココらへんでロスカットしたほうが良いんじゃないかって位だ。

(もちろん俺は死にたくないから嫌だけど)

人口が大爆発してるからユートピアが出来て100年くらい全人類幸福になったら負債を返済できるかもしれんけど

2016-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20160725162332

おかげでへんな外国人が入り込めない、日本というユートピアができあがっている。

2016-06-27

タラレバ』に心を抉られる女は勝ち組じゃんか

アラサー独身女性ハートを抉るらしい『東京タラレバ娘』読んだけど

なんだこれユートピアじゃねえか。

男にふられたとか、仕事うまくいかないとか、人生詰んだ…って時に

迷うことなく連絡できる女友達ふたりもいるのかよ。

道ならぬ恋に悩んだりするのもうらやましいよ。

それをまたお互い報告しあって、心配しあって

常に、どんな時も自分のほうを向いてくれるそんな友達ふたりもいるのかよ。

いったい何が危機なんだ。

自分を高く見積もってて、その価値が下落してることか。

プライド捨てれば解決じゃないのか。

いやプライドを捨てるのは生半可にできることじゃないけど、

でも、結婚してようとしてまいと、誰もがいつかは捨てざるを得ない。

それより危機なのは友達がつくれない女だよ。私だよ。

既婚だって孤独に喘ぐ時期はかならずやってくる。

育児中の孤独とか母子ともに地獄っていうじゃん。

気の置けない女友達がいて、女コミュティになじめる人は

きっと未婚でも既婚でも離婚でもだいじょうぶだよ。

女友達がひとりもいない私は、

たぶん、妊娠出産育児孤独発狂すんだろうなあ。

2016-06-12

気がつくと、増田になっていた

ネチケット」などと散々大人たちに講釈たれられていた時代2chを知り

その無法地帯かつユートピアが居心地良くなるくらいには入り浸っていた青の時代


2chメジャーになるに連れ、アングラ感を無くしていき「ここはなにか違う」感を強く受けるようになり、

ようやく一般化したネットを踏破すべく意欲的に新天地探しに渡り歩きだしたバラ色の時代


SNS一般化し子供から大人までネットにつなかることを否定しない世の中が来て、

自分もその一員であろうとするものの、今ひとつ踏み出せずシュール発言お茶を濁す。

twitterアカウントを幾つか運営するにとどまる煮え切らない超現実主義の時代


ふとした不用意な発言と、添付した画像EXIFから炎上芸を披露し、あと一歩のところで現実にまで

延焼しそこねそうになるも、ギリギリ回避でき命からがら逃げ延びることに成功したゲルニカ時代


そして、安住の地を求めた結果、気がつくと益田がそこに居た。

幾度も立ち去ろうとする自分を止めたのは枡田だった。

諦めの境地から救い諭してくれたのも桝田だった。


気が付くと増田になっていた。

それが晩年時代

2016-06-07

野生?いいえ偏見です。

元増田の言い様にどうも納得がいかないので一席ぶたせてもらう。

トラバブコメとけっこうかぶってるけど許してほしい。

なお、個々人が作品から何を見出すかは千差万別であることは認識しているので、この記事を読んで意見を変えろなんて言うつもりはない。

理性/野生の対立軸? そんなもの、ウチにはないよ。

ズートピア世界は、理性によって被食-捕食関係が終わり、共存できるようになったからこそ成立している。

理性の存在は、動物が喋る/二足歩行する/服を着る/文明化してる/etc.と同レベルの、物語における大前提である

理性/野生の対立軸は本編前にもう終わっているのだ。

もちろん、これは「過去」として本編中でも言及はされるし、“偏見”の大本にもなっているが、この過去のものが本編中に蘇ったりはしない。

では、元増田見出した“野生”というのは何か?― それは“偏見である

肉食動物は凶暴で草食動物を襲って食べたがっている」という偏見だ。

そしてこれはズートピアにおいて一貫して存在している、理性/偏見という対立軸の一部なのだ

肉食動物は凶暴」なんて、「ウサギは臆病」「キツネはずる賢い」と同種の偏見と言えば分りやすいんじゃないかな。

“野生”の定義恣意的

  ― 当然さ!偏見もの

肉食動物けが“野生”について言及されてるって?

  ― 当然さ!「肉食動物への」偏見もの

草食動物だって野生はあるって?

  ― 当然さ!でもそれは“野生(という名の「肉食動物への」偏見)”とは別物なんだ。

草食動物だって「野性的」で「野蛮」で「非社会的」な行動を取るだろうって?

  ― 当然さ!まさに黒幕がそうだったろう?

肉食動物社会性には触れられていないって?

  ― あの生き生きとした描写を見ていないのかいマジで

肉食動物の野生状態描写が「凶暴」一辺倒?

  ― あれは薬物による凶暴化さ。野生とは関係ないよ (薬物中毒人間が暴れてるの見て「野生だ」って言う?)。

元増田はどうも、野生を肯定的にとらえすぎているように思う。

「理性は必ずしも野生より優れてはいない」、「理性が善、野生が悪とは限らない」、「理性ばかり肯定的に扱うな。野生にも光を!」。

なるほど、時と場合世界によってはそうかもしれない

しかズートピア世界においては、過去に克服された野生にしろ偏見としての“野生”にしろ、内容的には「共に暮らす隣人(隣獣?)を襲う」というものだ。

肯定的にとらえる余地はない。

なに? 野生は自然から善?それは自然主義の誤謬と言うのだ。

タイトルについて

元増田は言う。

ズートピアユートピア意識しているはずなのに、ユートピア文学等を踏まえた批判/論評が盛り込まれていない!つまらん!」

さて思い出してほしい。ズートピアユートピア/ディストピア的な世界だっただろうか?

初期案(肉食動物電気ショック首輪等々)であれば、これはなるほどユートピア/ディストピア世界だと言えよう。

だが、今上映されているズートピアはどんな世界だったか

映画があって道路があって、スマホもあるし、屋台、車、電車etc職業だって警官から役人詐欺師もいれば泥棒だっている。

監視社会管理社会?いいやそんなことは無い。

そう!ズートピアモデルは我々の世界なのだ

では、我々の世界ユートピア/ディストピア的だろうか?―もちろん答えは「いいえ」だ。

単に、ズートピア作品名前であり、都市名前であり、ZooとUtopiaの合成語である

ユートピア俗語的な意味、すなわち“理想郷”的な意味合いは持たせているだろうが、それだけだ。

ぱっと見、理想郷にも思えるような、動物たちの共存する大都市ズートピア

そこにも現実の、我々人間世界と同じように偏見があり、差別がある。そういう世界

タイトルユートピアのもじりだからって、ユートピア世界観なわけでなし、なんでわざわざ関係ない批評を盛り込む必要があるのか。(もちろん盛り込んでも良いが)

ズートピアZooという単語も含んでいるわけだが、動物学(Zoology)の観点から批評とか盛り込むべきだと思う?私は思わない。それと同じさ。

おまけ

以下のブログ記事では「野生」の原語(Biology, Biological)について示してある。(全部ではない?)

単純に記事としても面白いので、元増田お勧めしておこう。

ズートピア』におけるハードコア反復/伏線芸のすべて - 名馬であれば馬のうち

http://proxia.hateblo.jp/entry/2016/05/01/131333

2016-06-05

理性と野性の「ズートピア

ズートピア」を見た。

結果、少々がっかりしてしまった。「理性」と「野性」というキーワードが引っかかってしまった。(地元には吹替しかないのでオリジナル表現確認できていないけども)


社会差別偏見モノのストーリーとして見ればよかったのかもしれない。

トランスジェンダーガゼルが、作中でカリスマシンボルとなっているところを見るに、制作陣の意図として設定されたテーマは「一見ユートピアに見える中に残る差別偏見とのたたかい」みたいなやつだと思うよ。

私は理性/野性で読んだので批判的ですが。







○理性と野性

作中には「理性/野性」という対立軸存在していた。

(理性/野性とも、理性/本能ともいえる。英語だと「savage」が使われているらしい。「野蛮」だ。)




・・・・・・・「理性による野性の淘汰」をこの時代にわざわざやります

つの近代人だよ。




残念だったのは、「理性」「野性」の判断基準恣意的であることに対して、さしたる言及もない点。

作中に言及されている「野性」の部分って、肉食動物の側だけなんだよ。

「(多数派である草食動物への害になりうる野性」のみが、「野性」として取り上げられている。



草食動物の「野性」には言及されない。

草食動物の「生物学的」特性には触れられない。

肉食動物の「野性」には言及される。

肉食動物獰猛さが「生物学的」である言及される。



主人公が抱えていた偏見は語られたけども、

草食動物肉食動物に対して抱えている「偏見」止まり

草食動物に野性があることへの言及にはなっていない。

草食動物だって、「野性的」で「野蛮」で「非社会的」な行動を取るだろう。

群れを維持するために弱い個体を追い出したりするというような。

そうしたことに、少しは言及されていてもよかったのに。





草食動物が90%の社会から肉食動物の怖さにだけ、敏感だ」みたいな位置けがしかった。

この恣意性言及されなかった。

非対称的で、ひどく残念だった。




そして、ああ救われねーな、と思ったのが。

肉食動物社会性には触れられず、

肉食動物の野生状態描写が「凶暴」一辺倒であるかのように描かれ。

そして、肉食動物である彼ら自身が、野性の克服を「是」としているところだ。

野生に「戻った」カワウソが、彼の奥さんを認識できなかったりとか。

そして、「理性ある」状態の奥さんに、「あんなの夫じゃない」と言われてしまったりとか。

彼らにとっても、野性・野蛮は憎むべき敵なのだなという位置けが、ひどく残念だった。



理性/野性の構図が一貫して変わらない。自明視されていて言及されない。

疑念余地は挟まれない。

理性は善で、野性は悪。

それを、「ズートピア」というタイトルを冠しつつ行うのは、

まりにも。

まりにも不足が大きすぎるのではなかろうか。










タイトルについて

タイトルは明らかにユートピアないしはディストピア意識してのものだろう。

いわゆる「ユートピアディストピア)」にまつわる言説を、なんらかの形で昇華するのかな、という期待もあった。

ユートピア」といえば。

元をたどればトマス・モアの「ユートピア」に連なる一連の「ユートピア文学」だ。

「人工的で、規則正しく、滞ることがなく、徹頭徹尾合理的』な場所」だ(wikipediaより)。

簡単に「ディストピア」に通じる社会だ。



から、高度に機械化され、監視機能が発達し、そのなかで主人公公職に付いた時点で、

過去の「ユートピア文学」らの批評を加味した、なんらかの言及がなされるのではないか・・・・・・という期待をした。

作中内に、理性/野性が取り上げられ。

理性が善で、野性が悪。

理性が社会的で、野性は反社会的

そういう位置けがなされていたから、

ユートピア(=ディストピアに転じうるもの)」への、なんらかの批判がなされるのではないかと、期待した。




・・・・・・・・・・・・・・・・そ ん な こ と は な か っ た 。




理性的合理的で「理想郷」のユートピア肯定されただけ。

理性によって作られた社会

理性の肯定。野性の克服。



「それだけ」だった。マジで




理性的合理的な「ユートピア」が、「ディストピア」に転じうるってもう言及されているのに。

ズートピア」とかいうもじりを使っておきながら、

「理性」ゴリ押し







それってどうなん。

まらん。












愚痴終わり。

これ、字幕版見たら変わるかな。

でも県内にないんだよな。

県外までいく気力は、今のところ、起こっていない。

格差教育無料でも広がる

金さえ有れば良い教育が受けられて、良い人生が過ごせると思っている皆さん、間違いです。

金持ちの子は良い教育を受けて、良い学校に入り、良い仕事につくというのは一面の事実では有る。

しかし、あくま金持ちの家に多い「傾向」でしかない。

本当の所は「まともな親は、比較金持ちに多い」のだ。まともな親に育てられるからまともに育つのであって、金持ちからまともに育つのでは無い。


貧乏人に多いクズ親の特徴はこんな感じだ。

子供が家に帰ると親が寝転がってポテチ食いながらワイドショーお笑い番組を見ている。

肥満あるいは栄養失調。三大栄養素食育など考えた事も無い。

家に有る本といえばマンガ芸能人名義のゴミ本。

掃除洗濯をまともにしない、当然片付けも教えない。

喫煙者、安酒飲み。

趣味パチンコorスマホゲーor改造車宝くじを常習的に購入。

仕事単純作業or非正規、数年かけてスキルキャリアを積む仕事についた事が無い。

例えば、上記のような暮らしをする人間に、いくら金をやってもまともな子供は育たない。

貧乏の子供は貧乏になる確率が高いのだが、それは最も長い時間を過ごす家庭がそのように運営されているからだ。


多くの金持ちの家庭はそうでは無い。

家に帰ると宿題を見てくれて、親は休日美術館に行ったり読書をしている。子供自然に学び、本を読み、豊かな文化的素養を養う。

整理整頓自分人生効率的に生きる手段である事を身をもって教えられる。

海外に友人が居る。子供の頃から多様な文化に触れ、その中でアイデンティティ確立する機会が有る。

積み重ねた努力で、ある程度の地位仕事についている人に囲まれ生活をしている。努力すれば、具体的にどうなれるかを日常的に見ている。

親共大学を出ている。子供の頃から大学に行くのが「当たり前」になっている。海外へのホームステイ留学視野に入り、経験者の話をいつでも聞ける。

高い能力を持つ人に囲まれ、日々の生活の様々な場面で礼儀を学び、見聞を広げられる。

このような日々の暮らしこそが「文化資本」なのである。カネを持っている事など、瑣末な事でしかないのだ。(もちろん文化資本の無い金持ちも居る)

例えば貧乏人にカネだけ与えても、こんな暮らしは出来ない。せいぜい半額惣菜外食になり、しまむらの服がブランド物に変わるくらいだ。(文化資本を持った貧乏人という存在は極めて少ない。)


東大に入る学生の親は約半分が年収1000万以上だと言う。日本年収比率から考えれば明らかに偏っている。

もちろん、小学校からSAPIXをはじめとする有名塾に通える環境一助にはなっている。まぁ塾代だけで、本気で通わせると小学1年から高校3年までで1000万以上かかるし。

しかし、家庭環境が壊れている子供SAPIXに通わせたとして、有名私立に入れるか?と言われれば無理なんだよね。最も重要な家庭での学習が出来ないから。

良い教育とは、まず最初に家庭で行われる。家庭で教育を受けられない子供は、最初から大きなビハインドを食らって社会に出る。そこにいくらカネをつぎ込んでも無駄

稀にトンビが鷹を産むが、そんな子供現在制度でも返済不要奨学金いくらでも有る。

格差とは経済力では無い。本当の格差とは、誰もが選べない幼少期の環境の事なのだ

その格差を国が是正する方法など無い。


教育に過剰な期待をしているブコメが多いけど、家庭でするべき教育学校が肩代わりしろと言っても無理ですよ。

何事も本人のやる気が無ければ始まらないのだが、その「やる気」をステロタイプ貧乏親は削りとる。

まともな親の子供は親&周囲のまともな大人からやる気をもらい続ける(ついでに良質な知識、コミュ力、広い見聞も)

要するに、日々の生活追い風になるか逆風になるかの差がデカイのだ。これに比べれば、スタートラインの差など無いに等しい。

教育費を無料にした所で、大学に遊びに行くバカと、目標持った優秀な学生に二分されるだけ。

優秀な学生は大体親が金持ちだし、そうでなければ奨学金を取れる。

教育無料なんて教育関係者ポジショントークしか無いよ。乗せられている貧困層は利用されているだけ。



解決策は無いのか?という話だが、これ以上のバカ底上げ無意味なのでしない方が良いという立場だ。

そもそも日本は、ホームレスですら字が読める国だから初等教育は行き渡っていると言って良い。

教育費でよく話に出てくるOECD各国だが、字を読めない人が普通に居る国だらけだからな。

日本識字率は99%以上だから初等教育バカ底上げ)に成功している国とも言えるのだ。

巷で叫ばれている大学無償化奨学金返済不要については、費用対効果が悪すぎるのでやめた方が良い。

20年ほどクズ親に育てられれ、何の文化資本も持っていないFラン大学生なぞ、支援しても無駄から

一定数、世間知に長けたワンチャンを掴める層は居るが、そいつらは放置してても勝手に伸びる。学校教育範疇ではないからな。

やるなら一定以上の偏差値を持つ世帯年収が低い家庭の小中高生に集中して支援するくらいか

または、いくつかブコメで出ていたが幼児教育シフトするか。

しかし、いずれの場合バカ感染を防ぐために寄宿舎で預かる必要が有るが、日本でやる事は不可能だろう。

日本国が行う学校教育幻想を持っている人が多すぎだが、そもそも東大すら世界的には有象無象の一大学しか無い訳で、本物のエリート欧米アジアエリート養成大学に行ってる。

世界的な流れはバカを救済するよりもエリートを伸ばす方向だ。

ただし、日本エリート養成をする事は無駄平等を重んじる文化から無理だろうなと思う。

みんな平等格差をなくそうという思想はご立派だけど、現実的に考えると家庭に介入出来ない限りは不可能だという事。

国(あるいは他人)に出来るのは自力一定ラインを超えてきた人を支援するくらいだ。

やる気のない(あるいはやる気を奪われた)人は、自助努力が出来ないので救いようがない。




共産党機関誌である前衛」を読んでいるコミュニストが、この記事ネタに書いているので見てみた。

格差教育無料でも広がる」のか - 紙屋研究所

http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20160605/1465138757


まぁ一言で言えば「そう出来たらいいですね、ところでどこから金が出てくるの?」である

 松本は、さらにそこから夫が主な稼ぎ手で、妻が専業もしくは補助的な労働でそれを支えて、子どもケア労働担当する「標準家族モデル」がいか危機トラブル脆弱かを述べる。

 そして、もし子どもに関わる費用をすべて社会負担するようになれば、親は自分の食い扶持さえ稼げばよくなり、シングルでもダブルでも不利や不公平は解消すると述べる。これこそが「強い家族なのだと。


さらにこう続ける。

もし小学校中学校のように、高校大学に誰でも行けることはおろか、医療住宅もそして食事文化に触れる機会も、子ども無料アクセスできるようになれば、その時初めて子ども貧困は親の責任から切り離される。そこまで社会を進めることの覚悟とセットでなければ、容易に元増田のような非難に遭遇するハメになる、と松本警鐘を鳴らしているのである


ユートピアを追求するコミュニストらしい意見だ。で、そんな国どこにあるの?日本人は1億人以上居るので、中東産油国でもこんな暮らし出来んぞ。

ちなみにその理想を実現しようとした国知ってる、ソ連かい強制収容所国家だ。

まぁ共産主義者に財源を追求しても仕方ない。彼らは責任をもって行動した事が無いのだから

仕方がないので、テキトーだが俺が考える。

日本の0~14歳までの年少人口は1613万人。彼らに衣食住+文化的生活学習無償化したとする。

かなり安めに見積もって1人1ヶ月10万円の経費がかかるとして、1年で120万×1613万=19兆3560億円

更に高校生大学生まで含めると900万人ほど増える、1人月10万で年間10兆円ほどかかる(年齢が高くなるほど消費が増えるが、面倒を見る職員の数は減らせるので同じ経費とする)

合計して約30兆円、数字を見ただけで非現実的だとわかるだろう。

まぁ所得税を3倍にすれば実現可能だ。もしかしたら、共産主義者として望む所なのかもしれない。

現在日本において、財源を示さずに甘い夢だけを語るのは誠実な態度だろうか?

耳障りの良い話、目の前の人を気分良く救える話は正しいのだろうか?

共産主義者家族解体を是とする。旧ソ連では集団主義教育が行われていた事は周知の通りだ。

全ての子供を「学習はおろか、医療住宅もそして食事文化に触れる機会も」親の責任から切り離す覚悟が問われるそうだ。

まさしくコミュニストに相応しい思想ですねとしか言いようが無い。


ちなみに私が提唱する解決策?はこんな感じ。ブコメにも有ったが、教育は数世代解決するしか無いので、まず1代目はお金を稼ごう。

1代だと所詮成金なのだけど、2代続けばその子供は教育が行き届くようになるだろう。

年収1000万になる方法

http://anond.hatelabo.jp/20160225194038

内容は一言に集約される(私の言葉じゃないけど)

人並み以上の努力をすれば年収1000万ってそれほどの高い障壁じゃないと思うんですよ。


とりあえず年収1000万くらいにはなって、経済活動に貢献してから社会保障を語ろう。

他人の財布で天下国家を語るその姿、ダサいですよ。

まぁ共産主義者が語る、財源の裏付けが全くない甘い夢を見たいならご自由に。夢の見過ぎで虫歯にならないようにね。

2016-05-19

ズートピア』が描くグロテスクな"多様性"

 『ズートピア』はオーウェル小説動物農場』のディズニー流のアップデートである舞台こそ農場という本来動物がいるであろう場所から都市、街に移されて、動物たちの文明化もはるかに進んでいる。また、田舎と都会という多層的な背景を採用し、人間社会の複雑さがさらに反映され、戯画化されている。戯画化で思い出したが、古くから動物擬人化させて描かれた物語は数多くあり、日本でも代表的なのはその名の通り、『鳥獣戯画』であろう。その中でも『動物農場』がモチーフとされていると断定できるのは、こと権力の逆転が物語の節目として描かれているところだ。さらに、『動物農場』の結末が、「動物主義」という思想を掲げながら搾取的な社会構造が生み出されたのは、人間ほとんど見分けがつかない"2本足で立って歩く豚"であることを考えると、もはや『ズートピア』は『動物農場』の続編的な作品ではないのかと思えるほどだ。

 しかし、私が主に取り上げたいのは『ズートピア』と『動物農場』の相違そのものではない。『動物農場』のアップデートであるなら、そもそも『動物農場』という作品が生み出された背景がそうであったように、『ズートピア』もまた同様に"子供向け"に戯画化されたものではない、ということだ。つまり、ある一定ディズニー並びにハリウッド作品を観る際にどうしても想起してしまう"勧善懲悪"とも呼ばれる単純な力関係に留まる作品として論じてしまうのは、この作品が描いている(我々が住む"先進国"社会酷似した)社会形態のを、グロテスクものとして描いているという事実を見落としてしまう、ということだ。

 「グロテスク」が具体的にどういう性質を指してるかは後に詳しく取り上げるとして、まずは『動物農場』との相似を洗い出そう。『動物農場』では既存権力の持ち主である人間を打倒しようと農場内の長老である豚が呼びかけた後、その長老と同じ種である豚が主導となり人間の打倒と、権力の奪取を果たす。権力の逆転が描かれた後、そこからさらにその権力が腐敗し、かつての権力の持ち主と酷似していく様を描いている。『ズートピア』でも同様に、権力の持ち主である肉食獣を追放し、草食獣が権力を得る。しかし、その後の社会様相の腐敗として描かれるのは、『動物農場』のそれとは違うものである。この肉食獣が追放される背景は、砂川秀樹が「男色近代社会化以前には受容されていた」という言説に対する反論として、近代社会以前から否定的に捉える見方があったことを挙げ、それが近代化社会以降にゲイに対する「病理フレーム」が形成されたことの背景にあるという指摘していたケースと酷似している。すなわち、ズートピアという街にあてはめるなら、冒頭の子ども劇において近代化文明化というものを"進んだもの"とする言説が背景にあるからこそ、その言説が暗に導き出す"野生"というスティグマが、肉食獣という属性表象として充てられた、というわけだ。草食獣であり小動物であるジュデイが警察官を、肉食獣の子どもが税の査察官を目指すということを、それぞれの属性と"相反するもの"への志向(だからこそ"自由"や"可能性"の提示となる)として挙げられていること自体に、すでにこの世界形成する言説の中に、後に肉食獣が「病理フレーム」の中に収められることを暗示している。

 『ズートピア』と『動物農場』でそれぞれ権力の腐敗の在り方が違うのは、『ズートピア』が主題として据えているのは、差別が未だ存在する社会においての振る舞いであり、また、そうした社会対峙することの難しさであるからだ。だが一方で『動物農場』と共通しているのは、たとえ既存社会構造の不当な点を糾弾したものであったとしても、新たに権力に座する者が、特定属性を以てして社会的地位を不当に貶めたり、あるいはその逆に持ちあげたりすること。つまり権力立場にあるものが、いち個体が否応なしに複合的にまとうあらゆる属性の中から任意属性を持ち出したり、あるいは見出したりして、それを根拠権力側の良いように用いることそのもの社会の腐敗を招く、と指摘している点にある。こうしたケースは今日の"先進国"社会においても行われている。そのあらゆるケースの中でも、創業者であるウォルト・ディズニーが、かつて「赤狩り」と呼ばれたハリウッドにおける排除運動に加担していたという記憶を持つディズニーにとっては、なおのこと無縁ではないだろう。なぜなら、その赤狩りこそ、『動物農場』が受容されたのと同じ背景の中で起きた現象なのだから。つまり、『動物農場』が、"反スターリニズム、反ソ連"として受容された時代イデオロギーの中に回収された結果招いた、「赤狩り」という別の形での全体主義化を経た後の問題提起をする為、違った様相社会の変化を描く必要があったのだ。では、その必要はいったいどういう形のものなのか。

 まず、そもそものズートピア』(原題も"Zootopia")というタイトルから振り返ってみたい。誰もがその語感から動物園("Zoo")とユートピア("Utopia")を連想するこのタイトルと、それが充てられた都市の姿や本編内で取り上げられている問題とを照らし合わせると、この名前一種ミスリードを引き起こそうとしていることは誰の目にも明らかだろう。しかし、このユートピアに対するミスリードを行おう、という意図製作者側にあることを考えると、一方でユートピア思想のものを全く信じていないであろう、という可能性が高いものとして浮かび上がってくる。つまり、この作品世界はそもそも、主人公にとっての、あるいはそれに感情移入するであろう観客が考える様なユートピアを描こうという意図の下では成り立っていない、と考えることも決してできなくはない。では、それなら反対にディストピアを描こうとしていた、とするのもまた違うだろう。それこそオーウェルが『動物農場』の後に出したディストピア小説『1984年』で問題としているような、監視カメラシステムを駆使した管理社会は決してネガティヴものとしては描かれていないし、作中で市長と並び権力象徴として現れる警察だって最後にはジュディに味方する。ズートピアに張り巡らされている権力構造が、一様に悪しきもの還元されるものとして描かれていないところを見ると、『映画クレヨンしんちゃん モーレツ!オトナ帝国の逆襲』において大人たちが夢中になる昭和の街並みのように、ユートピアを模したディストピアを描いている、とするのものまた違う。では何を志向していたかといえば、ただひたすら身も蓋も無く、我々"先進国"における社会現在の姿を炙り出すことにこそ本作の力点がおかれていたのではないだろうか。

 オーウェルが『動物農場』で描いたようにユートピアへの志向がある種のディストピアを生み出し、また『1984年』でディストピアは一方で誰かにとってのユートピアであることを描いてきたこと、さらに言えば今までのディズニー作品ハリウッド作品が数多く生み出してきた作品へ寄せられた批判を鑑みれば、主人公ないし観客のユートピアを描くことで何かの可能性を見出そうとする、虚構作家なら誰もが夢見る境地との決別こそが、今のディズニーが走っている地点ではないか、とすら思える。だとするなら、管理化・全体化社会兆しとして表象される監視カメラとの関係、後半で肉食獣と草食獣とが分断されてしまったと言われる前から存在する、小動物と大型動物との"棲み分け"をあからさまに感じる都市デザインマジョリティマイノリティ形成マクロでいうところの都市デザインミクロでいうところの建築様式という、物理的な段階からすでに反映されている)、朝礼時には着席を強要しながら、大型動物に合わせて設計されてるが為に、ジュディが座ると署長の顔すら見えないサイズ感の机とイスが、ジュディが"認められた"後も変更は行われず、それどころかジュディとニックに同じイスを共有させること(1人分の席に2人が座らされているのである)や、かつてジュディに偏見しかいいようがない対応をしてきたことに対して何も悪びれもしなければ、むしろジュディに対して冗談を飛ばすほどの親密さを示してみせる警察署長の態度、そして何より権力に対して何も批判的な態度を持てそうにない警察という組織が持つホモソーシャル性格をあけすけもなく描いているのは、それらに対して作品内で明確な批判が行われないということの薄気味悪さも含めて呈示しているのではないか

 だとするなら、本作が「子供向け」であるが為に、権力に対して批判的な態度を伴っていない、とするのは、少々早計ではないだろうか。確かに、ディズニー子どもを含めた幅広い年齢層の支持によって成り立っている。しかし、その中には子供と呼ばれる低い年齢層の観客もいれば、それこそ子供の頃からディズニーに触れ続けた高齢の観客だっている。そうした状況の中で、こと任意の年齢層の観客だけ取り出し、それにのフォーカスをあてようとするのは、作品もつ性質を見誤ることに繋がるおそれがある。「子ども向け作品からしょうがない」とするのは、すでに子供の在り方を規定づけるものしかないのみでなく、未だ巨大資本によって子供たちが社会へ"馴致"されるべきだとすることへの別の形での肯定にも繋がる。しかし一方で、ディズニーが「子供向け作品」の地位に就いていることも、決して無視していいものではない。ならば、なぜディズニーはずっと「子供向け作品」であり続けたかを問わねばなるまい。結論から述べれば、それは「グロテスク」だからである

 これまで述べた「グロテスク」の定義は、マサキチトセが自身の論考のタイトルに用いた『排除忘却に支えられたグロテスク世間体政治としての米国主流「LGBT運動」と同性婚推進運動欺瞞http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/23399 に依っているところが少なからずある。しかし、ここで取り上げたい「グロテスク」については、美術観点からのものである。どういうことかというと、ディズニーアニメ製作者としての名前を不動のものにしてからずっと追及してきたのは、デザインと動きの"かわいさ"である。"かわいい"とされるものは、その多くが直線的なイメージではなく、曲線的なイメージによって、硬質なものではなく、柔軟なイメージによって構成される。これらの美学根本を辿れば、動物植物をあしらった、古代ローマ美術様式の一つであるグロテスク様式に辿り着く。ツイッター上で「モフモフ」と公式アカウント形容された『ズートピア』を形成する美的様式は、根本からして「グロテスク」なものなのだ。この2つのグロテスク」がピタリと重なり合うのは言うまでもなく、主人公ジュディの造形や仕草であり、冒頭に警察を夢見る彼女暴行を働いたキツネギデオンウサギが(警察官を目指すに値しない)弱者たる徴として挙げた「鼻をヒクヒク」させる動きが、権力関係が決定的に転覆される場面の直前に配置されていることからもわかる。

 「かわいい」は弱者の徴である。それ故に、その「かわいい」を極めたディズニーは、今日アメリカ象徴し、公的権力からも寵愛を受ける地位を築き上げた。つまり、『ズートピア』は、その地位を利用しつつ、現在アメリカをはじめとする先進諸国社会形態の描く"多様性"の脆さと「グロテスク」さを描くことと、またそのヒントや問題は、明白に誰かに取り上げられているわけでなくとも、世界のいたるところにある、この2つを描くことを目論んでいたのではないだろうか。その一例として、コロンビア女性シンガーであるシャキーラ演じるポップスターガゼルモデルとなっている動物であるブラックバックは、オスにしか角が生えていないこと。つまりガゼルトランスジェンダーポップスターであるということが、作品内で明確に言及こそほとんどされていないが造形として現れていることから見ても、決して拭い去れるものではないと私は思う。

2016-05-11

ズートピアずるい

動物たちののユートピアとか、もう設定だけで面白そうって思うに決まってんだろ

うさぎシュガー・ラッシュのヴぁねっろぺっぽくてかわいい

ケモナーに目覚めそう

まあポケモンでもう半ば目覚めてはいるんだけど

イーブイエロい

2016-04-11

http://anond.hatelabo.jp/20160411124422

監督水島努だし、納鳴村はユートピアって設定だから、誰も死なないよw

死んだというのも、死んだと目撃者が思っただけで死んでないし、

行方不明になった人はある組織によって別の場所隔離されていただけだし、

基本はハッピーエンドだよ。

1話だって、ボッチになって山中に取り残されたおっちゃんもちゃんと最後に合流できてるっしょ。

2016-02-19

2016年2月17日参議院憲法審査会での丸山発言全文

もうだいぶ最後の方になりましたから、お疲れでしょうからあんまり硬くならないで、(参考人先生方に)豊かな発想でお答え頂きたいんですけども....

今、院生ということでして、参議院存在価値をどこに求めるのかという議論なんですけども、この議論というのはおそらく何十年、延々とやられてきてる議論なんですよね。ほとんど変化なく。

たとえば党員拘束の問題もやりましたけど、これはやっぱり先生方がおっしゃってましたようにね、なかなか難しいだろと。それで本当に党員拘束を止めるというのであれば、参議院議員政党所属を法的に禁止しなければいけないと思うんですね。そこまでやらないと政党に居てですね、参議院だけはなんとなく党員拘束から自由でいこうぜ!って、それはもう土台ですんで、ユートピア的に言ってるだけで、まったく意味がないと私は思っています。(仮に)それであれば憲法上の問題クリアできるんじゃないかと思いますけど、(そのためには)参議院議員基本的法律政党所属禁止するということが必要だと私は思います

それから新井先生はですね、とりわけ”行政監視”に参議院機能に集中すべきだと力説されたと思うんですけど、巨大な官僚機構を、このままだと国会まで官僚機構支配されてしまうのではという危惧さえ持っておられると。私も行政監視についての意見は(色々)あるけれども、行政監視を補充してしっかりしたものにする、理屈はそうなんです。ただ(参議院を)開けない、開いても大した成果をあげていないとなると意味がないんですね。

参議院とは、本当の意味では、なかなかこうあるべきだと言っても、基本的には機能を発揮できない状況にあると私は思ってるんですね。せいぜい政権暴走とか、多数与党を慎重にさせるとか、衆議院政策時間をかけて審議するとか、この程度なんですね。期待されてるのはその程度、それ以上のことは現実的参議院には誰も期待してないし、期待したってできないですしね。

(以下一般的な全文書き起こし)

そこでですね、これは憲法上の問題もありますし、ややユートピア的かもしれませんけど、たとえば日本アメリカ51番目の州になるということについて、憲法上どのような問題があるのか、ないのか。

そうすると集団的自衛権安保条約ってまったく問題ありませんよね。たとえば今拉致問題ってありますけど、おそらく起こっていないでしょう。それから、いわゆる国の借金問題についても、こういう国の行政監視が効かないようなズタズタの状態には絶対になっていないと思うんですね。

これは日本が無くなるということではなくて、アメリカ制度であれば人口比において、下院議員の数が決まるんですね。そうすると、おそらく日本州というのは、最大の下院議員の数を持つと思うんです。上院も州1個とすれば2人ですけれど、日本もいくつかの州に分けるとすると、十数人の上院議員を選出できる。これは世界の中の日本というけれども、ようするに日本州の出身者がアメリカ大統領になる可能性が出てくるということなんですよ。ということは、世界の中心で行動できる日本という、日本とはそのとき言わないですけれども、それもあり得るということなんですね。馬鹿みたいな話だと思われるかもしれないですけれど。

たとえば今アメリカ黒人大統領になっているんですよ。黒人の血を引く。これは奴隷ですよ、はっきり言って。それで、リンカーン奴隷解放をやったと。でも公民権もない、何もない、ルーサー・キングが出てきて、公民権運動のなかで公民権が与えられた。でもですね、まさかアメリカ建国あるいは当初の時代黒人奴隷アメリカ大統領になるようなことは考えもしない。これだけのですね、ダイナミックな変革をしていく国なんですよね。

そういう観点からですね、たとえば日本がそういうことについて憲法上の問題があるのか、ないのかということについてお聞きしたい。それから政党所属忌避するということについての憲法上の問題があるのかないのか。これについて、まず荒井議員からお聞きしたい。これはですね、十数年前から日米問題研究会ということがありまして、それで本まで発表されてるんですね。だからそういうことについてですね、日本憲法的な観点から、どのように思われますか。お聞きしたいと思います

2016-02-12

日本には世界に「知られる」一般層の視聴に耐えうるイベントが少ない

例えば、オリンピックワールドカップの様に世界的なイベントが少ない気がする。

さっぽろ雪まつりも素晴らしいのだが、世界的には中国大連祭りの方が知名度が高いと思う。

コミケ… は盛り上がっているとは思うが、一般層(子供連れてとかハイカルチャー評価に耐えうる)から見て難しいので、その内、英語系のメディアに、アダルトイベント国策を上げて応援する異常な国日本という記事が出るだけの話は時間問題であるので論外だろう。(決してコミケが悪いと言ってるわけではないが、そういう性質イベントだという話)

本線に戻ると、よいお祭りなどもたくさんあるのに、例えばスペイントマト祭り牛追い祭りに比べると世界認知度が低い気がする一方で、かなまら祭りだけはやたらと知られているのも、なんだかなーという感じ。(逆に日本人の方がかなまら祭りにはあまり行ってもない、尻もしないというところではないだろうか)

映画祭音楽祭・ファッションウィークも日本でもやっているが国際的な知名度はほとんどない。

コスプレなんかは単独イベントアダルト性を排除すれば世界でもトップクラスイベントになれるポテンシャルはあると思うのに、ちょっと残念だ。

それこそ寿司職人ワールドカップ日本で開催してもいいくらいだ。

なぜこうなるかというと、もともとイベント毎にビジネス性がなく、日本場合とりあえず「東京」に来ればなんでもできるという環境のせいなのではないかとも思っている。

モントルージャズフェスティバル、フェットドゥラミュジック、サンバカーニバルなどと比肩うるいろんなイベントを是非日本からも胸を張って出てほしいものだ。

##トラバもらったので追記

甲子園はなるほどいいなと思ったのだけど、甲子園はオラが街の高校生応援したいという日本の土着のコンテキストイベントに強く付与されてしまう気がして、そうなると世界的なプッシュはなかなかハードルがあるのかなと。

漫画賞の話に関しては、全く同感で別のポストで書こうと思っていた所。(中身は一緒)

花火大会は確かに国際競争力あるなぁ。

CWCトヨタカップの頃を少し覚えてるなぁ。確かに盛り上がっていた。ただ今回の投稿海外コンテキストでのイベントを「誘致」するという話ではないので、ちょっと別の議論だとは思うけど。誘致に関してはそれによって国威発揚必要新興国やオイルリッチアラブとかにまかせておけば良いのかなーと。

増田だとこのレベルでもネトウヨみたいと言われるのは正直困ってしまうが、ブコメは多分違うんじゃないかなぁと。政治色の強いものブコメはそもそもあんまりID付きだから見ないわないしね。国境のなく且つユートピア暮らしたいならどうぞご自由にとしか

2016-02-07

まあ、いいじゃないですか

フェミニスト戦士たちの活動のおかげで男は去勢並みの性欲に減退してきた。

女は男性化が進んで男より稼ぎを出し才能を開花させるようになり結婚しなくても生きていけるようになった。

しろ結婚しても共働き生活が楽にならないから子どもも作れなくなった。

そうやって加速度的に少子化が進んで晩婚化になっても精子劣化と閉経で子どもまれなくなった。

 

男女平等を歪んだ形で解釈して、それを実現することで未来に生まれるはずだった子ども達を殺して

手に入れた少子高齢化社会フェミニスト戦士たちのユートピア

不潔な男は死に絶えて女だけの国を目指せ日本

次なる平等を目指して。

2015-12-28

http://anond.hatelabo.jp/20151227224052

別に他の奴がどう思ってようが、お前が自殺しようって決心したら関係ないだろ

どれほど止められようとダメだしされようと、日本だけで毎年何万人も自殺してるんだぜ

何でお前にはそれが出来ないの?

他人迷惑や悲しみがどうでもいいなら、死ぬ方法なんていくらでもあるだろ?

絶対怖くなくて絶対苦しくなくて絶対死ね方法とか探してるなら、そんなのユートピア探すのと同じでただの現実逃避だと思うわ

もし実は自分のことじゃなくて、死にたがってる家族とかを止める言葉を探してるなら… 理屈こねる前にとりあえず病院じゃないか

2015-12-17

http://anond.hatelabo.jp/20151217105047

そういうユートピアを掲げた団体世界にいくつかあるはずだよ。

門をたたいてみれば?



日本だと、今もあるかどうかわからないけど、ヤマギシ会とか子供集団保育で結婚一夫一婦制に縛られてないとかあったはず。

※でも大抵そういうところって、一回入っちゃうと出るのは大変らしいからお気をつけて。

2015-12-02

女性専用回春マッサージに行ってきた(電マと私・完)

http://anond.hatelabo.jp/20151201143130


メールを受け取った私がまっさきに行ったのは、ムダ毛周りの処理であった。


風呂には入り終わっていたし、施術の前にも入ることになっていると言うが、毛については自宅で処理をしていくほうが賢明だろう。

チラシを開いてその上に座り込み、Iラインを処理。

冬だからと油断して生やしまくっていた膝下を処理。

忘れちゃいけない脇の下も処理。

どこをどれだけどうされるかはわからない。

からないが、ただでさえババアかつデブである

施術者をげんなりさせる要素はひとつでも減らしておきたいではないか。


ムダ毛を刈りつつもメールのやり取りを数回行い、1時間後に最寄りの駅で待ち合わせ、ということになった。

そこから車でラブホファッションホテルという呼び方はいまだに馴染めないものを感じる)へ向かい、めくるめく春の世界へ、というわけだ。


殺されるかもしれないと少しだけ思ったので、ノートPCをつけたままにし、マッサージ店のサイトを開いておいた。

そしてふと思い立ち、はてなアカウントを作り、今から出かける旨を書き記した。

リアル身分トレースされないため、バッグの中には必要最小限のカードしか入れていない財布と、がっちりロックしたスマホと、部屋の鍵、ミンティアだけをぶち込む。

そしてコンビニへ向かい、ホテル代込みのゆとりを持った予算3万円をキャッシングする。

性のためにこんなにもお金を使うのははじめてだ。

最初最後かもしれない。

(ちなみに、今までのエロへの最大支払い額は、官能ドラマ的なもの聴くダイヤルQ2に払った8000円程度である


「はじめて」。

ババアにこんな種類の初体験が残っていたとは。


駅に向かうバスの中でしみじみ思う。

男性は自らのチンポの望むままに、可愛い女の子を買える。

本当に好きな女の子とヤレるか、というのはお金問題ではないかもしれないが、好みの容姿の若い女の子中出し、くらいであればソープで10万も払えばイケるのではないだろうか。

私の定番オカズAV(しかもサンプルを使っている有様だ)「しろうと関西援交」など、ピチピチ女子高生2名を一気に買い、ひとりに挿入しつつももうひとりにアナル舐めをさせるという幸せそうなことを当たり前のようにやっている。

映像の中の彼女らが、本当に女子高生かどうかは知らない。

しかし、アーイグイグ~~とうめく映像の中の彼はとても気持ちが良さそうだし(その声が大変にヌケるのだ)、あれがリアルな援交なのだとしても、きっと1人につき5万も払ってはいないように思う。


羨ましい。

私も若い女にチンポをハメてみたい。

処女を優しく、かつ荒々しく奪い、キツいマンコに耐えきれず中出しなどしてみたい。

私にそれをしたあの親指チンポの彼のように(中出しではなかったが)。


若い童貞ならどうだろう?

お金を払えば買うところまでは行けるかもしれない。

ただ、買った男の子が私に勃起してくれなくては全く意味がなくなってしまう。

ホストなどでもそれは同じことだ。


「私に欲情して」というようなことを書いた作家は誰だっただろう。

まったくもってそれなのだ

私が好いた誰かに欲情されて、イかされたい。

だって私が触れてきたエロメディアの女性達はそうだったのだから

好いた誰か、は諦めた。

欲情される、なんてこの年齢と顔と体ではおこがましい。

イかされたい、が最後の砦といえた。


待ち合わせの駅に着くと、少しだけ雨が降り始めていた。

「到着したらメールします」と知らされていたが、メールはまだ来ない。

手持ち無沙汰に、普段のようにTwitterを、LINEを見て、何気ないツイートや、返信をする。

ここで「今から回春マッサージしてくるよ」と入力したら私の何かが変わるだろうか。

最後の彼には連絡してみようかな。

思わなくもなかった。


そこにメールが届く。

自販機の前に着きました」

事前に教えられていた車のナンバーつぶやきながら駅を出る。

小さくて丸っこい車がそこに待っていた。

車内はよく見えない。

ドライバーの手が助手席ドアを中から開いた。

「あ……トウヤマです」

メールで名乗った偽名を告げる。

思い切ってその丸っこい車のシートに身を委ねた。


道中、果たしてなにを話すのが自然だったのだろう。

なぜマッサージを呼ぶことにしたのか、その経緯などを話した気がする。

おそらく私は饒舌だった。

オッサンも饒舌であった。

そう、回春マッサージ施術者は、おそらく50代くらいであろうオッサンであった。

小柄、メガネ。不潔そうではないが清潔とも言い切れない。

車内には隠しきれないタバコ臭いが漂っていた。

私が「今日の予約がダメなら縁がなかったと諦めるつもりだった」と告げると、たまたま今日に限って「通常の」マッサージ常連からドタキャンがあったため受けたのだと言われた。

日頃から「持ってる女」だと自負していたが(ならなんでイケないのか?きっとそれは多分、別問題だ)ここでそれを発揮するとは思わなんだ。


車は、オッサン推薦のホテルに滑り込む。

うっすらと見覚えのあるホテルであった。


週の頭にしては混みあっているそのホテルに、空室は3つしかなかった。

5000円代の部屋は安いのか高いのか。

今まで数多のラブホに入ってきたが、値段はあまり意識せず部屋を選ばせてもらっていたなぁと申し訳ない気持ちになりつつ、もちろん選んだのは安い部屋である

(それでもこのホテルではランクが高い部屋であった)


さなエレベーターに乗り込むとき、少し身体がこわばるのを感じた。最後の彼に、よくエレベーターキスをされていたからだ。

しかし当たり前のことだが、オッサンが私にキスなんぞするわけがない。

自分の警戒心に苦笑しつつ部屋に入る。

激しい既視感が駆け抜けた。


この部屋、入ったことがある。


厳密に言えば全く同じ部屋ではないかもしれない。フロアが違うかもしれない。

でもこの内装は見覚えがあった。

最後の彼と1度来たことがある。

この部屋でしたセックスも思い出せる。

一緒にサッカーを観た帰り。デブの私がレンタル衣装を無理やり着て、制服プレイをした部屋である


………つくづく「持ってる女」だな、私。

一気に覚悟が固まった。

冷蔵庫からサービスの水ペットボトルを取り出し、ひとくち飲む。

オッサンに渡されたガウンタオルを持って風呂場へ向かう。

車の振動でまたマンコが濡れていた。


下着はつけておいて下さい。

そう言われたのでガウンの下にはブラジャーパンツをつけてあった。

ベッドにうつぶせになるように促すオッサンに従い、ラブホの大きなベッドに横になる。

他の女性専用マッサージはどうなのかわからないが、このオッサンの手法普通マッサージを施したのちの性感マッサージなのだという。

罪悪感が軽減される、いいシステムだと思った。

例えば誰かにオッサンと一緒にいる場面を見られたとしても、あくまで「普通マッサージお金を払いました」、という顔ができなくもない。


で、オッサンのマッサージは上手かった。流石にこちらが本業だけある。

特に良かったのが二の腕マッサージ二の腕なんて揉まれたことがなかったが、存外に疲れていたのだとしみじみわかった。

相変わらず二人とも饒舌だった。

それと、オッサンのスンスンという鼻すすりが気になった。

寝てもいいですよと言われたがそんなもったいないことはできない。

気持ちいいことをされているあいだは気持ちよさを全力で感じていたいのだ。

今まで行ったマッサージ屋の話、高速バスの話、最後の彼によくマッサージをされたが正直いつも痛かったという話など、美容院でもマッサージ屋でも「黙ってやって欲しい、ほっといて欲しい」と思う私なのに、よく喋ったと思う。

なのに、1度でいいから人に触られてイキたかたかあなたを呼んだのです、ということはどうしても口に出せなかった。

いっぽう、オッサンはスンスンとよく鼻をすすった。


小一時間は揉まれていただろうか。

普通の」マッサージからだんだんと、尻たぶを揉み、横乳に触れ……というものに切り替わってきた。

たか

マッサージでほぐれた身体ではあるが、内心の緊張は隠しきれない。

うつぶせのまましばらく触れられていると、鼻をスンスンさせながら、オッサンの手が太ももをそっとひらく。

下着の上からつうっ……と、マンコをなぞられた。

!?

そう思うほどの繊細な触れ方にまず驚いた。

AVを見ていても、パンツ越しにマンコを触るシーンとマンコにパンツをくい込ませるシーンはイラつきながら飛ばす私が、少し感じてしまったことに衝撃を受ける。

舌のような指がマンコを這う。パンツの上からからこそのもどかしさが襲ってくる。

これは、気持ちがいい。

うっとりとかよりも、驚きが先に立った。

オッサンはうつぶせの私に対してどうポジショニングしているのか、よくわからない。顔にタオルをかけられているかである

オッサンの姿勢を想像してしまい気が逸れるが、「身体を起こして下さい」と言われてぼんやりそれに従った。


ベッドに座ったオッサンに身体を預け、もたれかかる。

オッサンは後ろから私の乳をそっと触る。

ブラジャーの上からだ。

左右平等に交互に触る。マッサージの延長だなと思った。

もともと胸は私の性感帯である。心地よさを感じて目をぎゅっと閉じて感覚を味わう。

そこに差しまれ不快感があった。

オッサンが私の手をそっと握ったのである

本当に申し訳ない。こんなデブスババアの体なんて触りたくないだろう。万券もらったって、ボランティア同然だ、そうわかっている。

オッサンは汚くはないし無臭であるマッサージうまい。マンコを上手に触ってもくれた。

でも、手は握られたくなかったのだ。

なんとまあお綺麗なことである

娼婦だけど唇は許さないの」の逆バージョンだ。「男は買うけど手は握らないで」。


そっと、オッサンの手がブラのホックに触れる。やりにくそうに肩ひもを落とし、ガウンを脱がす。

直接触れられると声が抑えられないほどの感度の乳首なのに(ブラ越しでも机などに擦れると感じてしまうことがある)、その時はオッサンの手つきにあまり興奮を感じなかった。

このまま冷めてしまうのだろうか。


ふたたびうつぶせになるように促される。

今度はパンツを脱がされて、指で直にマンコを触られた。

普通マッサージの時から思っていたが、オッサンの指はすべすべしている。

すべすべの指が私のマンコのぬめりを掬い、縦に撫でる。これは気持ちがいい。マッサージされている時から気持ちいい部分では声を上げていたので、その延長で私は声を出した。

クリトリスを撫でられる。うつぶせのままで触れられたことは多分ない。変な感覚だがイヤではなかった。イケそうかと言われたらまだまだ遠いが、気持ちがいいので声を上げる。何度もそこを擦られる。


そこにまた不快感が襲う。


オッサンの指がマンコに侵入したのだ。


電マを友としているくらいだ、私はクリトリス至上主義、マンコの中には何ら感動を感じない人間である

AVの激しい手マン、その果ての潮吹きには憤りすら感じる人間である

そういう意味での怒りなのか。

手を握られた時の感情と同種の怒りなのか。

そういえばNG行為的なことは全く確認されなかったなとふと思う。

指入れないでください、と言っておけばよかった。

あいにく私はこういう時(たとえば、飲食店でオーダーミスをされた時、たとえば、ネイルサロン側のミスで2時間待たされるハメになった時)、強く出ることができない人間だ。

ニコニコ笑って「気にしないで下さい」と言ってしまう。

そんな女だが、もちろんここでニコニコ笑いはしない。今日はイキにきたのだ。払う金の単位も違う。静かな抵抗として、クリトリスを触られていたとき自然に上げていた声をむっつりと潜めて、オッサンの手マンを批難した。


手マンはそれほど激しいものではなかった。入り口をクイクイ、指先をヌプッ、その程度だ。鼻をほじるのと何ら大差はない。

それでもさっきまでの気持ちよさは飛び散り、まさかこのまま手マンで終わるつもりじゃないだろうな?という暗雲が脳裏によぎる。

私の温度が明らかに下がったことに気がついたのか、オッサンが「足がむくんでましたから、オイルマッサージしておきましょうか」と囁く。私はそれを承諾した。



オイルをぽたぽたと体に垂らされるのは実に官能的だった。

「Oh」もしくは「Ah」という表記が相応しいだろう。

背中から腰にかけてを指でソフトに撫でられると、くすぐったさに声が出た。

まずはうつぶせ背中側を。肩、ふくらはぎ、足の裏。オイルで滑ることによってオッサンのマッサージ技は数割増に心地よく感じられた。

イカなかった。イカなかった。けどまぁ、クッソ高いマッサージを買ったと思えば……そう落としどころを見つけかけた時、鼻をすすりながら、オッサンの手が再びマンコに忍び寄った。


回春マッサージ部分はまだ終わっていなかったのである

すっかりそれは「店じまい」なのだと思っていたから驚いた。

オイルでぬるついた指が再びマンコに侵入する。

うつぶせのマンコに人差し指中指を入れているため、ケツの穴に親指が当たるのが大変に邪魔くさい。気が散る。つくづく私はクリトリスだけを触ってほしいのだと思い知る。オッサンは人差し指中指を絡ませるアレでもってマンコを攻めはじめる。チンコ特有のアレである。イクぜ!俺の指技!と思っているのかもしれない。大変に迷惑であるのであれを言い出した奴は終身刑を食らうべきだと多くの女が思っているはずのアレ。Gスポットがあると信じている(あるのだとは思うが私にはそれはガンダーラでしかない)男のユートピアGスポット手マン。ゼイ・セイ・イット・ワズ・イン・ヴァギナ


もちろん私は無言である

痛みすら感じて枕に顔を埋め、黙り込んだ。

オッサンは指技が通用しないことに焦りを感じたのか、鼻をすすりながら、私に体を仰向けるように指示した。

顔にタオルをかけ直される。数秒後、思わず声が出た。

オイルでぬるついた乳輪を、オッサンの指がこねくりまわす。

気持ちいい!!気持ちいい!!!気持ちいい!!!

他人にぬるついた胸を触られるのはめちゃくちゃ気持ちがいい!

これが恋人相手なら、「舐めて!」と懇願していただろう。

オッサンがどうやら指のみしか使わないものと読み、言い出さなかったが、心の奥底では激しく乳首を吸われ、噛まれることを望んですらいた。


大きく声をあげる私に安堵したのか、オッサンは鼻をすすりながら再度、マンコに指をのばす。

もう同じなので省略するが、手マンに対して私は無言を貫いた。

反応するのはクリトリスにのみ。そう決めて黙り込むと、オッサンはようやく察してくれたようだ、指でクリトリスを撫で始める。


他人に与えられる快楽」の久しぶりさ。

電マほどの安定感がないことに対する、嬉しくない焦燥。

ああ。

親指チンポの彼の苛立ち、今ならわかる。

もっと一定リズムでやれよ」!


愕然とした。

私が求めているものはどこまでも、電マのテクニックなのだ

そんなもの人間に求める方が間違っている。

でも、だけど仕方ないじゃないか。はじめて私をイカせたのは電マ、私を一番多くイカせたのは電マ、文句を言わず、何も求めず、私がデブでもブスでもババアでも、黙って奉仕してくれるけなげな電マ。

電マじゃなきゃ、多分。だれとしても同じだ。


私は人とのセックスでイクことが、多分できない。


マジかー。


今、こうやって赤の他人クリトリスをなぶられながら、こんなことに気がつかなくたっていいじゃないか。

バッカだなあ!!!


こうなったら意地でもイってやる。

中イキじゃなくていい。クリイキでいい、でいい、というかそれが私のイキ様だ。いつも通りイッてやる。オッサンは2時間14,000円の、ちょっとテンポの狂った電マである本来業務であるマッサージうまい、単なる電マである


オッサンは鼻をすすりながらクリトリスに集中している。私はタオルで顔を隠されているのを良いことに(それでも恥じらい、ためらいはあった)自分の胸をわしづかみにした。

ぬるついた胸は自分で触っても最高にエロい感触で、乳首を撫でると腰が浮いた。

左右の乳首クリトリス。ここだけ触られれば十分なことを再認識する。いつものように足をピンと伸ばせば、オッサンの手ももうマンコには侵入できないだろう。私は3点の快楽に集中した。何分経っただろう、多分5分はなかったと思う。イキそうになる。ここでやめたら許さねぇ!という気持ちと、マンコに指入れるなよ!という気持ちを込めて声を大きめに上げる。

キモチイ、キモチイイ、イク、イク、イッ……」

「スンスン(鼻)」

「イクゥゥウゥ!!」

イッた!!!

やった!!!!!!

ここで私によぎった喜びは「他人の指でイッた」ということに対してのものではなかった。

「一万ナンボ、無駄にせずに済んだ!」

そういう、とてもがめつい喜びだった。

快感の度合いで言えば、ダラダラ1時間くらいクリトリスを電マで刺激したあとに味わう本イキのほうが断然上だと言えた。

それでも。イッたのだ!!!

達成感に包まれている私の太ももを、オッサンはそっと撫で、終わりですよ感を醸し出す。

そして鼻をすすりながら「お時間で〜す」とつぶやく

「手、洗ってきますんでね。戻ったらシャワーになります

おいおい、それじゃあ私がすっげぇ汚ねぇみたいじゃねーか、とは思ったが、実際汚らしい外見のマンコなので文句は言えない。

オッサンの手洗いを待ち、バスルームの扉を開ける。

シャワーにかき消される程度のボリュームで私はつぶやいた。

「あ〜〜〜〜、損した」

人生最大級賢者タイムであった。


オッサンに14,000円を支払い、ホテル部屋代を精算して、再び車に乗り込む。

エロ方面の話題は一切出なかった。

どこそこのうどん屋が移転したとか、チェーンのマッサージ屋はテクニックがどうとか、そんな話で帰路は終わったと思う。

自宅にほど近い、さっき3万円キャッシングしたコンビニまで送ってもらうことにした。

明日朝ご飯買って行くので」

「いいですよ、そういうの大歓迎」

なにが歓迎かよくわからないけど、オッサンはコンビニにするっと車を入れた。

「ボクここでタバコ1本吸うんでね。コンビニ出たら知らん顔して帰っちゃってください」

そう言ってオッサンは、さっき私のマンコの中に入れた指でタバコを取り出した。


いつものセブンイレブンでパンを見繕う。

下腹部の重いものは消え去っていた。

その代わり心がずしんと重かった。

「汚れてしまった」みたいな後悔ではない。

万単位の出費に値する快楽が得られなかったことへの後悔、というか、失望であった。

それは自分のマンコに対する失望でもあった。

手マンでもチンポでもイくことのない自分の体への軽蔑と。

それでも私には電マがあるじゃないか、という安心感と。


コンビニを出る。オッサンの車はまだあった。コーヒーひとつも渡してあげるべきかと思ったけれど、他人のふりがスマートだろう、もうお金は払ったのだから

シャカシャカコンビニ袋を鳴らしながらアパート階段を上る。

鍵をひねって、「ただいま」と言う瞬間、私はとてつもない多幸感に包まれる。

部屋に帰ればいつでも、電マが私を待っているのだから

自分の性欲は自分で慰めよう、これから一生。

そう心から思えた夜だった。

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