はてなキーワード: ユートピアとは
自分を知らないことは往々にしてデメリットばかり注目される。が良い面もある。
二面性があるのだ。
実際、知れば知らない自分よりは幸せになることはできる。ただ、そこで失うものもある。それは夢である。くさい話であるがそうである。
自分を知らないものは、自分では叶いそうもない夢を追いかけることができるのだ。それは自分を知らないからである。夢を追いかけるか、幸せになるかは選べるが選べない。というよりは、それは潜在意識が選ぶことではないだろうか。
自分がなにものかわからないのであれば、何かを追うべきである。その指針は潜在意識が示すものである。別にわからなくてもよいのだ。
他にも自分がなにものかわからないというものに得られるものがある。それは人を見る目が養われるという点である。
自分がなにものかわからないので、他人を分析して比較して自分を探すのだ。その過程でその力は得られる。
自分がなにものか知っている人は自分の強みを知ることができる。
「ここではない、どこか」を追い求めている。
そんなものは存在しない。なぜならばそれはユートピアという名の何もない世界だからである。
「二面性」
逆に
ただ、認識できる、できないではなく、ある、ないでもなく。その中間の世界が存在する。人はそこをユートピアと呼ぶ。
そしてそこを目指すのだ。
https://togetter.com/li/1126352
ポストアポカリプスとディストピアはぜんぜん別物だよ! ってとこまではいいんだけど、このディストピアの定義もなんか微妙なんだよな~
そもそもディストピアってのはユートピアを裏側から見た図であって、
ディストピアの本質は、誰もが認める望ましい性質を追求していたはずなのにいつの間にか怖い社会が成立してたって部分なんだよ。
子どもが産まれたら役所に届け出ろとか、適切な治療のために既往症の記録を共有しておくとか、前科者にGPSを埋め込むとか、脳モニタリングで犯罪の徴候を察知するとか、
国民の安全と幸福を保証するために国家があらゆる情報を管理する必要があると考えられていたからこそ、それを突き詰めたら怖いよね?っていうアイディアが成立したわけで、
プライバシー重視のパラダイムが支配的になった今日においては逆に「国家が、あらゆる情報を徹底的に“管理しない”」、何もかも忘却されるような世界を描いた作品も面白いと思うし、それもまたディストピアなんですよ
C 売国
昔はA党とB党で争ってた
そうするとこうなった
これ自体、理念が反しているのに同盟って意味不明な状態だがおまんま減るくらいなら理念を曲げるのが日本の政治家
豚は反省して売国よりも右翼左翼のがマシとAに投票して元に戻った
この数年間はお灸期間で豚も負け犬も辛い思いをした
んでこうなる
なおアメリカはこう
その他 左翼
これをずっとニンテンドースイッチしてきた
どっちも方向性が違うだけで有能だから幸せの定義についてモメてるだけ
日本が1人勝ちな上にそいつを倒してもよりクソな未来しかないのが異常なだけ
Cが糞っぷりを露呈したおかげでなおさら糞にも関わらずA・Bが盤石になった
アメリカの機嫌を損ねることが大局的に見ていいわけがないことを理解してるから
人類のなかの「比較的気が回らなくてもいい人たち」の分まで一生懸命気を回して
気が回らない自分はADHDではないかASDではないかアスペかリケジョかIT土方になるべきかと日々戦々恐々として
基本的にはシンデレラ的良妻賢母をゴールとして暮らしているわけですので。
女子としては京都人の振りなどする余裕もなく、ただ、オタク男子と外国人女子に代表された持てない女子の
どちらに加担したら自分たちへの実害とかめんどくさい奴が減るのかだけ教えてくれたらいいんだけどなー
ま、どちらの言い分も取るためには
検死医とガスクロだの検出器をセットで増やして自殺だの和姦で処理される事件事故件数を減らして
ガスクロだの遺伝子だの検出器関係ほんとお家芸なのに探偵は居ないと謎の孤独死とか増えるばっかりじゃんねー。
一部の人にとってのユートピアこれ他の人間にとってのディストピア。
いつでもそうだ。
http://anond.hatelabo.jp/20170226130630
この主張に異論はないが・・
本田の主張はセンセーショナルだった。熱狂的に受け入れるものもいたし、極論だと反発するものもいた。是か非か、で論争となり、当時の主要な思想家は彼の考えに言及した。ほとんど彼を批判するためだけの本も出た。
こういう紹介の仕方は、同時なにがベタでなにがネタだったのか誤解を招くのでは。
REV 「思想を立ち上げ時代を変えた人(極めて稀)」と、「変わっていく時代を感じて(たまたまかもしれないが)、表現したり、論評したり、上手い名前を作った人」と、区別がつきにくかったりする
kotobukitaisha 今から10年前くらいって、「オタク」というワードは、蔑まれながらも一定の地位が出来つつあって、人に何かを語らせたくなる言葉だった。地方自治体が地域振興に萌えキャラを作る今は、そういう熱はないけど。
t714431169 この人とか非モテ論壇とか、イヤな時代でしたねえ。「純粋さ」「潔癖さ」は持ち上げるもんじゃない。ジャンル違いだけど佐々木俊尚と同じ箱かなー。/ 時代と寝た人として、賞味期限の短さはむしろ勲章では。
本田透は喪男を自称していたが、当時の喪男板とその周辺は今の2chと違って紛争が絶えなかった。独身男性板から分裂し、さらにモテたい男性板、孤独な男性板などに細分化しているのも内紛の結果である。
はァ?…根っからの反フェミだけど本田透は死ぬほど嫌いですが何か?(苛)
あの男の本質は所詮「極左のフェミニスト」に過ぎん。単にそのフェミにすらミサンドリー喰らっていじ
人大杉な時代の喪男板の内紛とはおおまかに言えば「宅間守はネ申」「女ども死ね」「俺を愛さぬ世界は滅びろ」みたいな喪男道覚悟系、はてな風にいうなら非モテロリストと、「二次元があれば幸福」「モテないものはしょうがない」みたいなオタク系とのdisり合いである。テロ派の勢力はまだまだ強く、またテロ派を生み出すような世間のモテ派的空気(「恋愛しなければならない、できない者は人格破綻者。」「努力すればモテるはず」「孤独な者は一生不幸」等)もまだまだ強かった。オタク系の喪男としてはどちらも大変うっとうしかった。テロ派もモテ派も同じような批判(「お前らは世捨て人」、「人間やめてる」、「やせがまんしてるだけだろ」等)をしてくるので、両者はコインの裏表だろうと思っていた。実際テロ派は世間を批判していたがルサンチマンがあるのは世間の価値観にどっぷりつかっていたからなのだ。そうこうしているうちに、本田透のサイト「しろはた」が立ち上がり、オタク系の主張を集めたような本、電波男が出版されたのである。そこで形勢はオタク系に一気に傾いた。これはこれで電波男の売り上げが~とか世間様的評価を利用している感があるのだが。
要するに、本田透が教祖で多くの信者がいたわけではない。喪男板住民にとってポジティブに言えば「本田透はわしらが育てた」のであり、ネガティブに言えば「パクられた」のである。
『電波男』を真に受けたのって、現在アラサーの世代だけだという話をされたが、たしかにそうなりそうな感じはある。『電波男』のあとにきたのは、オタク恋愛マニュアル本ブームだったしなあ
でんぱおとこに、まじになっちゃって、どうするの /「かつて、ネタ・メタ扱いされていたものが後発世代にはマジになる」を地で行くような捉え方だと言いたいが、当時もマジになっちゃってる人は結構いたなぁ。
https://twitter.com/twit_shirokuma/status/835815900590686208
電波男以降、明らかにオタク系が優勢になったので鞍替えや新参もあっただろうと思うが、しろはたと喪板についての私の記憶は上記の通りであり、間に受けるもまじもない。むしろテロ派やモテ派の恋愛原理主義に対する相対化、ネタ化の機能を果たし、且つ喪男における安全な適応作法を提示したのがオタク系であり電波男である。
なので、電波男やら喪男を指してパラノイックなるものを言われても正直困る。脱オタとか言ってた人(id:p_shirokuma)のほうが全然ベタだったのでないか。当時については。
『電波男』を書いた本人は、もはや『電波男』の話などしなくなっているが、ここにきて『電波男』の主張を本気でする人が出てくるのは、昔の人が適当に書いた本を元に宗教が立ち上がったりするようなものなのだろうか
tukanpo-kazuki 若い男性がしれっと自然に何の気負いもなく恋愛から離れていってる現代において、暑苦しく「脱恋愛!」とか「解脱!」とか叫ぶ本田徹は時代遅れになった。生まれるのが早すぎたのかもね。
二次元もいらないという現在にあって電波男をガチで受け止められてもそれはそれで正直困る。ありもしないものについて「脱!」と叫ぶことは逆効果にもなりそうだ(とはいえいまだにベタな恋愛至上主義者もいるにはいるようなので仕方ない気もするが)。
suna_kago 実のところよく知らないけれど、10年前と比べて情報技術などが進歩した現在、彼が唱えたユートピア思想(二次元主義)は当時よりも現実味があるのかもしれない。
反電波男勢の方々は、二次元もいらないという風潮をもって電波男の主張の失効を唱えるかもしれないが、電波男の主張がはるかに追い抜かれた今となっては(なったからこそ)カウンターとしてでも脱~のためでもなくより一層純粋に二次元に没入できる、ベタに電波男的な時代になったとも言えるのではないか。
あらかじめ、簡単にまとめておくと、
『けものフレンズ』のOPソング「ようこそジャパリパークへ!」は
その一見人畜無害に見える歌詞に、人類がジャパリパークへ至るまでに辿ってきた道のりや設計思想を隠している。
ファンにとってはもはや常識の部類であろうが、啓かれていない野蛮なインターネットの民衆たちにはまだまだ広まっていないであろう。
人類のよりよき未来のため、「ようこそジャパリパークへ!」の歌詞解説をここに記す。
Welcome to ようこそジャパリパーク!
歌い出し。「ドッタンバッタン大騒ぎ」とは戦争前夜の政治的な混乱を暗示している。
うー!がぉー!
「うー」が「おー」になる言葉とは何か。そう、War である。戦争がはじまったのだ。関係ないが SEKAI NO OWARI というバンド名には NO WAR という文字列が潜んでいる。
「喧嘩してすっちゃかめっちゃか」になった時代を経て、けものへ進化したことで今ではすっかり仲良しになれたことを感謝している。
本当の愛はここにある
「けものは居ても のけものは居ない」は一般的に「みんなちがってみんないい」の謂だとされがちであるが、誤読である。
どんな社会には一定のはみ出し者は必ず生まれる。それが発生しないということは、そもそも排除されているからだ。
ジャパリパークは初めから「のけもの」を拒絶するようにデザインされた場所なのだ。
我々はここでナチスの蛮行を想起し、戦慄をおぼえざるをえない。排他的な国家で称揚される「愛」とはどういった類のものか――?
ともあれ、「ジャパリパーク」建設の理想に燃える人物が現れた。その人物は長引く戦争によって疲弊した人類世界を次のレベルに導き平和をもたらすために、ある行動に走ることとなる。
夕暮れ空に 指をそっと重ねたら
きのこ雲を暗示。
そう、ジャパリパークの設立者は単なる戦争を破滅が約束された核戦争へとひきあげたのだ。
振り向けば あちらこちらでトラブル
みんな自由に生きている
そう 君も飾らなくて大丈夫
我々の生きる現代と遠未来のジャパリパークをつなぐミッシングリンク――核戦争後の『マッドマックス』的終末世界で人々がたくましく生きる様子を描いている。
何を「大目に見る」のかといえば、無辜の民衆から暴力で資源や食料を略奪することだ。万民が「獣」になってしまった世の中だからしょうがないだろババア、ということである。
みんな「獣」になってしまったので「自由に生きている」わけである。
安価で高品質な大量生産の衣料品も失われ、この時代の人々はみな古代人のような粗末で簡素な服装をしている。アクセサリーなどは一部の特権的な支配階級にしか許されていない。だから「君も飾らなくて大丈夫」。
(はいどーぞ♡)
荒廃した世界、蔓延する暴力、無法なる秩序――もはや人類に安息の地はないのか?
絶望にくれた未来人の前に「はいどーぞ♥ はじめまして!」と登場したのが我らが理想郷ジャパリパークである。
いつもいつでも優しい笑顔 君を待っていたの
開かれた扉(ゲート) 夢をいっぱい語ったら
どこまででも
続いてくグレイトジャーニー
Oh 東へ吠えろ 西へ吠えろ
「ヨハネの黙示録」第四章:「見よ、開いた門が天にあった。そして、さきにラッパのような声でわたしに呼びかけるのを聞いた初めの声が、「ここに上ってきなさい。そうしたら、これから後に起こるべきことを、見せてあげよう」と言った。」
まさにその門(ゲート)から旧世界を滅ぼす災厄の獣や四騎士たちが「東へ西へ」放たれたのである。
「世界中に響くサファリメロディ」は獣たちの咆哮であるとともに、天変地異を報せる天使のラッパも暗喩しているものと考えられる。
―Welcome to ようこそジャパリパーク!
サビの一節だけを印象的に挿入することで、新世界の誕生を強調。
うー!がぉー!
ララララ ララララ Oh, Welcome to the ジャパリパーク!
ララララ ララララ Oh, Welcome to the ジャパリパーク!
ようこそジャパリパーク!
「ラララ」というコーラスで、言語や思考の多様性を切り捨て幸福に統一されたユートピア・ジャパリパークの状況を示唆。
そこでは「welcome」されたフレンズが「集まって」わいわいし、いつか「素敵に旅立つ」=死ぬ。それだけでサイクルが成り立つ。
それは完成された世界だ。
それは完成された福音だ。
ようこそジャパリパーク!
そういうこといきなり聞く上司です。とは流石に言えないので、
「女ともだちがひとりもいないんですよ」と言ってみた。
本当にそうなのだ。
私はいま30で、女の友だちはひとりもいない。
まあ、居酒屋でタラレバ話ができる友人関係なんてユートピアですよねえ、と
女の結託ってすごくすごく大事なの。
といった営みにのぞむような人は
とりあえず話聞くから。飲みましょう。
え、ほんとに? ほんとにそうなの?
女どうしの結託って、そんな必要なのかな。
熱心な飲みのお誘いを熱心に断って、
女どうしの結託って、そんな大事なんだろうか。
結託できない女は生きのびることができない、くらいの真顔だったけれども。
女どうしの結託のなかで、私や、私の旧友は、何度も殺されたけれども。
入口すぐに『東京タラレバ娘』がガン詰みで、
ああ7巻発売日だったなと思いながら、
いわく、人類は乱交が基本で、女は1度のセックスで複数の男に犯されるようにできてるらしい。
確かに言われてみると、男は発射したらすぐに終わりだけど、女は最初はあまりノリ気じゃなくても、
だんだん気持ちよくなってくると、男がひくぐらい積極的になって、何回も何回もイキまくるってのは、
一夫一婦制を基本とすると、どうにも腑に落ちない。
女が感じ始めて叫びだすと周囲の男が寄ってきて、連続で犯されるってのが普通なら納得できる。
男は発射後は賢者だから、他の男に女が犯されてても、暖かい心で見守れるのだろう。
そういうユートピアだったのに、キリスト教とかその他余計なすったもんだで、現代の人類はかなり抑圧された不自由な暮らしを強いられてる。
つまり、最先端の乱交システムで男も女も幸せになろうって感じ。
まず美少女は数が少ない。少数の美少女を大勢の男で共有するという形が一番望ましいだろう。
最先端のIT技術を駆使した相互評価システムを適用して、人気の美少女には高額な報酬が払われる仕組みができると良い。
Uシステムに参加するには、男女とも毎月性病検査が義務付けられる。医師が承認した者だけがスマホのアプリ(Uアプリ)を利用可能になる。
セックスは生中出しが基本で、子供ができたら自分で育てても良いし、養子に出しても良い。
女性への報酬や子供の養育費はUシステムの男性利用者が負担する。
高額負担者は優先的に上位の美少女と、その日の最初にセックスできる権利が得られる。
オークション制を採用しているので、少女がもらえる報酬や養育費は、それらの収益によって変動する。
現在私は大学生です。高校くらいから2chで自分の趣味に関するスレを見たり書き込んだりとか、なんとなーくまとめサイトを巡回してみたりしていたんだけれど、自分がまとめを見はじめた時に見たネタで盛り上がってるのを見て「こういうサイトは今までのネタを何度も焼き回してその時の中高生が入れ替わりで楽しんでるんだなぁ」ということに気付いて見るのを止めました。(こうやって新陳代謝していくのだと思う
次にはてなを閲覧するようになって、はじめは民度が高いインターネッツもあったもんだなぁ~なんて思ってたりもしていたんだけれど、ちょっと攻撃的な言葉や心に余裕のない言葉を多く見かけるようになってきました。(コミュニティサイトの性だとも思う)
起業する大学生を寄ってたかって攻撃したりしてるいますが、まとめサイトが「厨2病な奴が~」とか「サブカルクソ女が~」みたいなタイトルでTwitterのアカウントを晒しあげて「コイツ痛ェwww」みたいに盛り上がったりするのと同じではないでしょうか?
はてなユーザーの人々はもういい歳だと思うし自分より未熟だなって思った人をかわいいと思う気概(ばかにしてる意味ではない)くらい持てそうだなと思います。
結局そうやって程度やレベルによって馬鹿にすることはキリがないと思いませんか?
自分はあなたたちのことをかわいいと思う(何度も言うけれど馬鹿にしてるニュアンスではないです!)から叩く気にはならないけど、ちょっと生意気なアドバイスをしました。
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環境というのは不思議なもので自らが発信したり交流しなくてもネット上の文字を見るだけで心に影響を及ぼすものだということを最近身に染みて感じています。(現代においてネットは人々の環境たりえる!)
それでは、争いが無く、心に余裕がある人が集まるユートピアはどこにあるのでしょうか?
おそらくインターネットコミュニティにおけるユートピアは実態ではなく概念であって、流動するものなんだと思います。
コンテンツがはじまってから廃れるまでのひろゆきの有名なコピペがありますが本当に的を得ていると思います。(賢い人々は無駄な労力をかけて争う不毛さを知っているから黙って出ていってしまう。はてなの場合だったら上場した時点でコミュニティとしての見切りを付けた人が多いのではないか?)
結論として、自分の様にインターネットコミュニティにおいて心に余裕を求める人、選民思想が強い人(おもないやつ増えたらやだな、みたいなニュアンス)は情報に敏感になり、新しいコミュニティサイトを発見してはその都度見切りを付けていくしかないのではないかな?と思います。(何かおすすめの方法があったら教えてください)
夢の世界かな?現実かな?という逃げ口上じゃなくて明確に夢の世界とされる真世界からこっちの世界に来なければいけない理由があるとして
何でもできすぎるせいで欲望が欠けてしまったために存在が知性体でありかつ欲望があったはずの者たちで維持できなくなったものたちの最後の理想郷が
現実世界であるユートピア空間がこちらの世界なのではないかなと
つまり箱庭のような世界観であまりにも自分たちの持つ力の大きさに逆に絶望をしている状態を解消するための装置がこの世界なのではないかと
全ての有機生命体は知的レベルを上位者からランクダウンさせて上位者が不自由と欲望を再起するための舞台役者にしかすぎず
今も今も参加したくて仕方ない順番待ちの状態かもしれない
大量の餓死者が出たとしても不自由という形で織り込み済みでひたすら記憶を消してまた参加することを繰り返していくが
ついには記憶の残骸を集めた集大成であるテクノロジーが発展してしまい逆アクセスしようとしている段階が今なのだとしたら滑稽でさえある