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はてなキーワード: 思索とは

2022-09-19

anond:20220919090423

男の性欲を「彼を傷つけずに」無くす方法存在するよ!!

コツは理想女性身体イメージさせること。

あなたにとって究極にエッチ女の子身体ってどんな感じ?」

最初こそ恥ずかしがったり、真面目ぶって明言を避けたがるだろうけど。

そこは上手く信頼関係を築いて、自由思索をうながして。

おっぱいは垂れてる感じがいいか、とか乳輪の色は? 形は?

この女優の顔、ダメ出しするならどこが問題? エラの張り方は理想に比べてどう?

気にくわないポイントを挙げるならどこ?

そんな風に性的理想女性を追い求めさせる。

一見より性的に旺盛になるように見えるけど、実は逆効果になるんだよね。

夢のエロティック女神なんて実世界には存在しえないし、仮に存在したとしても自分人生では決っして手が届くことは無い。実際にやらせてるのは、そんな現実再確認する行為。やればやるほど性欲と現実ギャップを思い知らされて、性欲の萎えが期待できるってわけ。

面白いのは、理想女性像を二次元に設定しても同じ効果が得られるってこと。

このエロ画像は、このヒロインは、本当に究極にエッチか? 落ち度はないか? って考えると必ず欠点が見つかる。ダメ出しする程に絵のアラが見つかるようになって、追えば追うほど未だ見ぬ女神は遠ざかってしまう。

2022-09-07

anond:20220906195034

単に女がムカつくから叩きたいだけっていう明確な理由があるのに何をそんなに悩む必要があるのだ?

単語で言うと差別だが。

私は貴方レスをした増田を書いたものだが。

考察する必要があると言ったきり、私自身の見解を述べていなかったので追記に記した。

思索の結果、悩む必要のある事が隠れていると解った。ぜひ読んでいただきたい。

警戒しろという要請が「単に女がムカつくから叩きたいだけ」ではない場合がある。

その解説はここに書いた。

https://anond.hatelabo.jp/20220907021026

かに言うとおりミソジニーによる性差別攻撃場合があって、元増田からのツリーでもそれは明白に見てとれる。しか差別マスクされている奥にも、差別構造が隠れていて、それが表面上のダブルスタンダード引き起こしてるんだ。

想像だが、「女性論理的でない」などという言説の実態の背後すべてに、こうした社会構造が隠れているのではと思う。

2022-08-29

anond:20220829113902

ポンコツは1エントリあたりの密度が低い

漢字をあまり使わない、ひらがなが多い

・常にツイッターに張り付いてて目の前の事象脊髄ツイートする

仕事生産性ではなく、人間のことをつぶやくことが多い

思惟思索ではなく、日常出来事をつぶやいている

あたりかな

こういうのはミュートして、この逆をしている人のツイートだけ選別できるのもいい

2022-06-25

薄いけど長時間かかって読んだ本。

『小さな里山をつくる チョウたちの庭』(今森光彦



概要

 写真家今森光彦氏が、段々畑のある里山土地を買ってアトリエを作り、雑木林などを大改造。様々な種類の樹木を植え、溜め池を堀り直し、花々の咲き乱れる庭を作った。大好きな蝶を沢山呼ぶためである。足掛け30年でつくり上げられた「チョウの庭」には75種類もの蝶が来るようになった。

 写真が多くルビも適宜振られている、分類としては児童書なのだが、大人が読んでも面白い本

増田感想

 私は庭いじりはあまり本腰入れてする方ではないが、必要に駆られてちょっとはするので、草木の手入れについて知っている事もあるけど、それでもこの本を読んで「へー初めて知った!」という事があった。草刈り必要性についてだ。

 年に数度の下草刈り必要という事までは知っていた。だが草を刈る事で特定の丈の高い草に土地を独占される事を防ぐ効果があり、それによって植物の種類が多様になり、するとその植物達を利用する昆虫達の種類もまた増える事になるというのは、私は知らなかった。つまり里山生物多様性は人の手によってつくられるのだ。

 昔、映画もののけ姫』の監督インタビューを『アニメージュ』か『もののけ姫を読み解く』で読んだ。そのインタビュー宮崎駿監督が、世の人々が「自然」だと思っている里山風景は人工的につくられたものだと言っていたと記憶している。

 人の手によってつくられた「自然」とは何か……その具体的な有様をこの『小さな里山をつくる』によって見せられた。人の手の入った里山の「自然」はありのまま自然よりも豊かなのだ。それは人間にとって有用という意味だけではなく、植物昆虫小動物など生物にとっても住みやす環境なのだ

 蝶は、それぞれごく限られた種の植物依存して生き、しかもその美しく奇妙な姿と優雅で愛らしい羽ばたきからよく人の目にとまる。そのため、ある土地暮らしたり立ち寄ったりする蝶の種類の数というのは、その土地生物多様性指標としてはもってこいなのかなと思った。

 30年もかけて土地に多様な種類の樹木や草花を植えてつくられた蝶の楽園楽園の維持には草刈りや木の間伐、野焼きなど、農業園芸を知らない人ならそんなにやって大丈夫なの? と心配になってしまうようなダイナミックな手入れが必要なのだ

 自然のまま草木の生えるままにしておけば強い草木けが生え、それに依存する少数の昆虫しかいなくなる。そしてやがてそこに生えていた木々老い共倒れにより滅びて、ただの荒れ果てた草原に戻る。

 人間による手入れは自然の中ではたまにしか起きない天変地異再現であり、しか計画のもとに行われる。本来だったら競り負けてしま草木を残し、土地養分日照権を独占する草木を打ち倒したり、勢力を抑えたりする。

 環境保護というトピックにおいてはつい人間存在不要の物として私は考えてしまいがちだったのだけれど、人間自然のよき管理者にもなれる可能性も持っているのだと知った。本書のメインの蝶の話から脱線しているけれど、私は本書を読みながらそんな事に思いを馳せた。

 裏を返せば、自然の中に住む様々な生物……こと植物……生態系ベースとなるので彼らの生き様というのは重要だ……にとっては、多様性共存共栄というものはあまり重要な事ではないのかもしれない。常に競い合い頂点を目指す、自分繁栄けが願いなのかもしれない。人の夢見る生物多様性というのは、不自然な事でしかないエゴなのだろうか。

 まあそんな面倒臭い思索は置いといて、庭がクリエイトされていく過程は読んでいてわくわくするし、里山風景草木や蝶をはじめとする昆虫写真は素敵だし、全75種類もの蝶がずらりと並んだページは壮観で興味深い。お、『鬼滅の刃』の胡蝶しのぶさん柄の蝶まで。アサギマダラという珍しく美しい蝶だ。

 それと、本書に度々登場するジャノメチョウ。私はこいつに嫌な思い出がある。だからまり出会いたくないのだが、本書で久しぶりに目にしてふと気づいた。昔はよく家の網戸に停まっていたのに、最近全然見かけない。本書によればジャノメチョウはススキ依存して生きる蝶であるらしいので、最近とんと見かけないのもむべなるかな。ススキの生えた場所なんて、市街地には全然ないもんなあ。

 読むのにだいぶ時間をかけたけれど、時間ほとんどは写真をじっくり眺める事に使った。

2022-06-20

anond:20220619234815

そしてこの投稿は明らかにムスリムに対する偏見に満ちている。…とかは悪質な誘導だって別に禁忌じゃないんだからイスラム教においてはこれが禁忌であることを前提とする書き方は全くおかしいし、調べない人ならイスラム教では罰せられる行為だと誤認するでしょう。

投稿者が調べない人本人であると分かっているにも関わらず、あたかもわざとやっているかのように書いている。明らかに悪質な誘導だろう。

誤認している → 禁忌であることを前提とする。の単純な構図であることにその文章を書いていてなぜ気づかないのか。

悪意のレッテルを貼るあなたこそが、悪だ。

境界線上のケースを持ってきたいなら、まずちゃんと背景を調べてから持ってきなよ。「マイノリティのことを考慮する必要が」とか言うけど、そのマイノリティに対して無知偏見をむき出しにするのは全く不誠実極まりいからね。

誰しもが英語に通じてるわけじゃないし、その投稿自体無名思索者によるたった四行で書かれた疑問だ。誰もが初めから無知自覚があるわけではない。自分で調べるよりも詳しい他人に聞いた方がよっぽど早く正確な情報を得られる。それと同時並行して自分でも考えているのだから真実に対してこれ以上誠実な態度はない。サーベイ能力差を無視し、勇気ある学習者の足を引っ張る態度こそ、全く不誠実極まりいからね。

追記:いま気づいたけど、言い訳をダラダラと追記するぐらいなら『イスラム教においては緊急時AED(なりCPR)を行うことは許されている』ことをまず追記しなよ。本当にどうしようもない…。わざとだとしたら非常に悪質な行為だと思う。

いま気づいた難癖をダラダラと追記するのこそ、本当にどうしようもないダブルスタンダード…。

追記では思考停止に陥っている人々の不誠実さに腹を立ててるのであって、考えたり調べたりしない人々に安易に正しい情報だけ与えるのは主義に反するんだろう。

ある宗教は堂々と女性差別的に抑圧するのに、他人自分主義主張を曲げてまで宗教フォローしなければならない。そんなことを個人に強いることこそ非常に悪質な行為だ。あなたが指図しているようなことをしなければならない理由はありません。

2022-06-15

たとえば『エレベーター同衾』を避ける

かつてのアメリカ副大統領自分に課している、いわゆるペンスルール

これが日本でもそれなりに支持を集めていて、はてなブックマークでも話題になっていた。

妻以外の女性と、ふたりきりにならない

当時、私は考えていた。男性としての正しい振る舞いを。

たとえば、『エレベーター同衾』を避ける。

エレベーターを利用していて、一時的に男女が二人きりになる状況がある。

途中で乗客が降りたり、自分が乗り込んだり。

エレベーター密室だ。監視カメラはあるかどうか判らない。

統計上の確率的に男性犯罪率は高い。

差別教科書は通常の状況では統計的な差異に捉われず、コミュニケーションを取ることで相手安全性危険性を確認せよ、と説く。しかエレベーターに乗り合わせた、ごく短時間の突発的な状況でそれは空虚理想論として響く。現実的不可能だ。

女性は凄まじい心理的負担を感じうる。

そんな状況が生じたとき男性女性エレベーターを譲ってただちに降りる。

あるいは、女性の方が先行して譲ったりするのもよい。とにかく二人きりになるのを避ける。

決して男性コントロールパネルの前に立ってエレベーターの主導権を握ってはならない。

コントロールパネルの前に立っている女性の背後に立つのも良くない。女性から動きが見える位置に移動するべきだ。

この新しいモラル提示しようと思いついた当初は、半ば冗談のつもりで書く気だった。

行き過ぎた品行方正を参考にできるくらいの善人は、早々いないだろうとタカを括っていた。

から、数年後に実際にこの紳士的態度を取っている男性が現れ、女性たちもその態度を求めている、そんな話がバズってると知ったとき椅子から飛び上がるくらい驚いたんだ。


さらに月日が経って、当時気にしていなかった疑問が浮かび上がってきた。

ペンスルールはどうして異性間なんだろう🤔

レズビアンホモセクシャルがいるのに、女性同士・男性同士で同衾状態を避けようとしないのはなんでだろう。確率的に低いとはいえ密室女性女性に襲いかかったり、それを怖れたりする可能性はあるじゃないかレイプののち妊娠が発生しない事は安心材料になるんだろうか。この思索温泉男児が女湯に入ってくるのを女性が怖れる話に繋がる。どうして暴力のあり得ない、生殖どころか性欲さえ芽生えていない男児を、大人の女性が恐怖するのか。ひょっとすると疑問の答えは、Vtuber 女性男性コラボするのを忌み嫌うファンが、女性同士のコラボは許してしま理由もつながっているかも知れない。恐怖や嫉妬考慮の外に置き去りにされる同性愛

anond:20220615025552

2022-06-11

anond:20220608110351

元増田だ!!

今回も無事、フラッシュバックで始まる自己反省ループから脱出できました。

いつもの事ながら結論には至らなかった。

自分的に腹落ちする答えは得られなかった。

優生思想がなぜダメなのか? これから思索は続いていくと思う。

でもいくつかの発見はあった。ヒントは見つけられた。

内省の暗がりを何度も何度も抜けて、少しずつ進歩していく。

螺旋階段を昇っていくように。

2022-05-16

AVの件でもはてなリベラルヤバい

八鼓火/七川 琴 on Twitter:

"「AV堕ち」で検索すると大量にヒットするのに、

なぜAVにまつわる人権侵害の話には「自由意志でやってる尊い職業!」が湧くんだよ。

まず「AV堕ち」って言ってる人に「AV女優は全て自由意志に基づいて行われる職業なので

その言い方はやめろ」と言って来てくれ。本当にそう思うのならな。"

https://twitter.com/Hachikobi/status/1524572683655999489?t=2ExTl5ChqOcQ7d0oASfVeg

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/Hachikobi/status/1524572683655999489

このAV根絶派らしき人のtweet意図的詭弁なんだけど

はてなリベラルは多分それもわから賛同してる。

インチキに気付いていながらとぼけ賛同」ですらなくなってる。

解説の為にまず当該tweet反論していく。

 

 

1.さりげない付け足し藁人形

まずさあ

本件でAV根絶運動家に反対してる人たちって

だいたいが「AVは自由意思でやってる職業」って言ってない?

尊い」はtweet主が付け足しましたよね?

  

私もAV自由意思でやってる職業だと思う。

特に尊いとは思わない。

他と変わらない仕事じゃん?

 

この人がなんでこっそり「尊い」を付け足したかったのかというと

AV自由意思でやってる職業」と「AV堕ち呼ばわり」は別に衝突しないからなんだよねw

   

「その仕事自分で選んでる」ことと「その仕事を見下した言い方する人間がいる」ことは全然矛盾しない。

たとえば肉体労働者のことを見下す人間結構いる。

ドカタを見下す人間がいると、ドカタのお兄さんは自由意思で働いてないことになるわけ?

まるで支離滅裂論理だよね。

  

「AVは自由意思でやってる職業である」を否定できないので

相手の主張に無理矢理「尊い」を付け足したうえで「AV堕ち」と衝突させてるの。

そして「ほら!相手の主張に矛盾があるぞ!」と喚いてるわけ。

   

藁人形論法ってやってるの気付かれると信頼ガタ落ちするうえに

自説のどこが厳しいと思ってるかまでバレちゃうんだよね。

    

  

2.この人自身がAV差別主義者じゃね?

次に、

AVに対して「堕ち」とか言ってる連中は確かに失礼で職業差別的だと思うけどー、

なんでその差別言説を取り締まる義務一部の人にだけ発生するの?

特定職業への差別言辞なんて我々みんなで非難して取り締まるべきことじゃなーい?

 

「AVを自由意思で選ぶ職業とか言ってる奴等(お前等)が抗議しろ

「本当にそう思うならな」

ってどゆこと?

    

もしかして

「私はAVは賤業であるという認識に賛成です」 

「だからそのようなことを大声で言う人を取り締まる気が私にはありません」 

っていう職業差別野郎自白をしておられる?

 

そうとしか取りようがないよね。

お前等が抗議しろ、「本当にそう思うのならな。」っていうのは

AVが賤業ではないと本当に思ってるならな 

って意味だよね?

  

すごいね言い逃れ出来ないほど明確に差別意識自白しまくってるね!!! 

私はAV尊いとは思わないけど、

人の仕事に「堕ち」とかほざく職業差別は厳しく非難していきたいかなー。

でもそこすら共有できなくて「お前等がやれ」「本当にそう思うならな(ニヤニヤ)」なんだー。

本当にすごい!

 

こんな差別人間tweetにまたはてな自称リベラルさん達が賛同ブコメしてるけど

この人達意識はどうなってんのかな?

  

  

3.その二つは同じ人達が言ってるの?

じゃあここらで毎度お馴染みはてなリベラルのパップップーブコメ引用するね。

なんとトップコメだよ!

sand_land そう。カジュアルに蔑む呼び方をしておきながら、

それを楽しむ自分達が攻撃されたと感じれば即座に盾にし出す。

キモい」が差別なら他者の「自由選択の結果」の職業を蔑む呼び方もまた差別になり得る。

2022/05/15

これtweet主よりバカなのわかる?

tweet主が慎重に踏みとどまった箇所に気付かず踏み越えちゃってるの。

 

tweet主は「AV堕ちと言ってる奴等に抗議してこい」って言ってるんだよね。

なんで命令口調?とかなんでお前は抗議しないの?とかはあるんだけどさ、踏みとどまってる部分がある。

 

AV堕ち」って言ってる奴等と「AVは自由意思で選ぶ仕事」って言ってる奴等、重なってる保証がどこにもないんだよね

からそこ突っ込まれないように「言って来てくれ」って言い方をしてるの。

論理ガバガバ詭弁含みの難癖なりに、最低限の神経使ってるわけ。

  

なのにこのはてリベのsand_landっていう人が文章読むときの注意力が微塵もない感じの知的能力の方であったため

そう。カジュアルに蔑む呼び方をしておきながら、

それを楽しむ自分達が攻撃されたと感じれば即座に盾にし出す。

という風にその二つを同じ奴が言ってないと成り立たない論陣を張っちゃった。

これだと「じゃあそれを同じ人間が言ってるって証明してくださーい」って言われて終わり。

 

こういうの本当に困っちゃうんだよねtweetからしても。

「折角そこに神経使った言い方してるのに何で台無しにしたうえ

 より脆くて簡単に突っ込まれ論陣にしてくれちゃってんの」

って話。無能な味方。

  

よりによって☆を集めて押し上げるブコメがこれなの、

いつもながらはてなリベラルって本当に知能がウーンて感じだよね。

  

 

4.低能リベラルは人にお節介焼いてる場合なの?

知能が低いリベラルって存在価値ないと思うんだけどなんで息してるんだろう。

 

リベラルとか進歩派ってのは本来大衆より前進した存在から

当該tweetみたいな論理おかしい低レベル詭弁があったら

こうやって腑分けして「こことこことここがおかしいですね」「大衆の皆さんこんなのに騙されないでね」「レベルの高い議論しましょう詭弁は許しません」ってやるのが役割なのよ。

   

でも昨今はてなtwitter跋扈する自分ではリベラル自称しがちな低スペック脳みそさんたちはその正反対で、自分の素朴なお気持ちを押し通したいだけ、何の思索論理もない。気に入らん奴らに対する対抗論陣すら立てられない。

  

それで自分気持ちにかなえばこんな支離滅裂詭弁tweet結集ちゃう

更にはtweet主が神経使ってつけておいた詭弁用の安全弁も勝手に壊す。

無能オブ無能

 

 

おめーらが見下して(バレバレからな?)余計なおせっかいで撲滅抹殺してあげようとしてるAV女優さん達はー、きちんと需要のある仕事をして人と社会の役に立ってるわけじゃん。

リベラルぶろうとしてるけど頭悪いために意味のある議論も出来ない・社会を一切善導しないリベラルもどきはー、誰の役にも立ってないじゃん。

人間に貴賤があるとしたら明らかにAV女優が貴でおめーらが賤なんだけどそれは理解してんの?

  

どうしてもなにか撲滅したいんなら低知能リベラルの方がAV女優さんよりはるか社会不要で撲滅されても惜しくない存在だぞ☆

って教えてあげる人間が周りにいないのかな? 

   

  

キモい」が差別なら他者の「自由選択の結果」の職業を蔑む呼び方もまた差別になり得る。

wwww

「なりうる」じゃなくて職業蔑む呼び方は直球の差別だよ!w

もう自分が何言ってんのかもよくわからないんだろこれ。 

   

本当にこういう人達リベラルやる知能がないのにリベラルごっこするのやめなって。

見てて可哀想だし社会迷惑

  

おめーらみてーなモノ考えるのが苦手な人間ってのは

アカウント日の丸付けてプロフィールに「普通の日本人」て書いて

日本古来のソボクな一般常識としてAVみたいなフシダラな仕事は撲滅されるべき!」って言ってりゃいいんだよ。

 

あんたたちは自意識でどうなってんのか知らないけど実態として知性も人格一般大衆以下なんだからさ。

ハッとする霊感社会もの申そうとか、愚民啓蒙教導しようとか、そういう邪心は捨てた方がよくね?

 

AVについてもあんたらはAV女優よりはるかに劣る見識しかない上に調べる意思も考える能力もない。発言責任すらとらずに逃げる。ならもう黙ってろよ。

 

自分の知能に合った無理のない振る舞いこそがリラックスした幸せ人生を作ると思うよ。

マジでマジで

2022-05-07

https://anond.hatelabo.jp/20220505041542

この人の場合ラノベが好きなんじゃ無くて、一時期ブーム評論家みたいな連中が持ち上げてたラノベ論壇シーンの空気が好きなんだろうな。

ミミズクイリヤなんて当時評論ごっこをやってた連中がなんとか受容できた文芸趣味ラノベで、正直、ロードススレイヤーズ世代の俺からすればなろう系よりつまらないわ。趣味に合わないと言ったほうが正しいか


今も当時もヒットしてるのはジャンプ漫画や大作ゲームって中でさ、セカイ系だの日常系だのラノベだと小さなブームを見つけては時代象徴みたいに取り上げて、肯定否定派分かれて自分語りしてれば大勢が注目してくれたし、ひとかどの論客のような錯覚に浸れた時代があったんだよね。

まあ、増田辛口批評持ち上げてるところから分かるように、だいたいは流行ってるものを如何に叩くかってゲームだったんだけどな。「撲殺天使ドクロちゃん」みたいに読み捨てて終わりという娯楽娯楽した作品は、俺はこういうのも評価できますよ的にあえて褒めるか黙殺するかだったな。


世間の流れに逆らう無頼を気取ってるけど、こいつらがやってるゲーム、結局ブーム基準自分語りするしかいか10年後に残る残らないのような紋切り型ロマンチシズムが残り続けるんだよ。

じぶんのやってるゲームメタ認知して、作品対峙の中でクライテリアを磨き続ける、その程度の思索もやらずに辛口批評なんか読んでなんの意味があるんだか。人とじぶんの価値観を照らし合わせて、他人が褒めてるけどnot for meとか、批判されてるけど当てにならないなとか、普通フォロワー任せにせずにある程度じぶんで出来るようになるもんでしょ。

あげく、ちぐはぐな基準作品を探したり、人に頼っては勝手にキレ散らかしたり、流行感性が合わないだけで周りに怨念ばらまくとかなってるじゃない。

正直、お前らが人間としてつまらなすぎるのが娯楽の受容にも現れてるだけだと思うわ。

2022-05-06

YOUTUBE書籍解説動画読書代替になりえない3つの理由

普段そんな本読まないけど折角のGWからユヴァル・ノアハラリの『サピエンス全史』を読んだ。

この本を知ったのは中田敦彦youtubeチャンネル投稿されてた書籍解説動画が切っ掛け。

(URL:https://m.youtube.com/watch?v=fud4-L2lnqQ)←一時間で見れるよ。面白いから見よう!

流石に書籍の内容は難しく、読了までに丸5日はかかったけれどその価値はある体験だった。結構難解かつグロテスクな内容なので余裕があるときおすすめ

読了後、内容の復習も兼ねて前に見た中田敦彦書籍解説動画をもう一度視聴した。

俺はあれだけの濃密で膨大な内容を3本1時間動画にまとめた中田の手腕に感心したし、YOUTUBE大学ファンなのでこのチャンネルオンラインサロン否定するつもりではないと予め記しておく。

また今回見たのが上の動画だっただけでこれからする主張は他のチャンネル動画にも当てはまる。

その上で、解説動画を見ることは読書をすることとは別物、言ってしまえば別格の体験だと感じた。

以下その理由

なお『サピエンス全史』読んでない人には伝わらないところが多々あると思うがご容赦を。読んでくれ。

中田敦彦動画も話に出すから見てない人は下に行く前に見てくれると嬉しい。

それでは。

~~①動画という媒体では本の内容の全てを収録することはできない。

中田敦彦動画を例に出す。

動画内で解説されていた本の内容をものすごく短くまとめると次のようになる。

20万年前に東アフリカ誕生したホモサピエンスは、認知革命で得た「想像のものを実際にあるかのように扱う」能力を以て他人類を絶滅させ地球覇権を握った。

その後、得た認知能力を基盤として農業革命科学革命に至り飛躍的に文明を発展させていった。

しかし発達した文明がもたらした幸福自由人間以外の生物の膨大な犠牲の上に成り立っている。

また生化学工学等の科学進歩によって人間はいつか人間以上の存在を創り出し、地球の頂点の座を取って変わられるかもしれない。

とこのようになる。

以下は動画内では触れられていなかった内容の一部殴り書き。(再三になるが読んでない人はマジで意味からないので注意)

狩猟採集時代サピエンス世界進出することで他生態系に与えた破滅的影響

食糧の増加とそれに伴って増える食い扶持を満たす農業無限地獄

・脳の記憶能力凌駕する膨大な生産物管理するための記憶媒体文字

認知革命虚構によって成り立った団結と秩序、そして差別ヒエラルキー

・”貨幣”という概念のヤバさ(普遍的な転換性と信頼性及び浸透力)

・”帝国”の性質、拡大と変革のサイクル

ヨーロッパ帝国と他地域存在した帝国比較

帝国拡張科学の発展によって人類史上初めて築かれた将来への信頼

・”拡大するパイ”の前提に成り立つ経済の好循環

産業革命本質エネルギー変換という発想の発明

国家市場経済個人支配する過程で奪い、与えたもの時間地域コミュニティ人権職業想像上のコミュニティ平和

・神になった動物が問われる「我々は何を望みたいのか?」

軽く書き連ねるだけでもこれだけの内容が動画の中では触れられていなかった。

繰り返しになるが認知革命を軸としてサピエンス全史をまとめきったこ動画センスには脱帽するし、この動画を見ることで俺の中で新しい発見も生まれた。

だがしかし、これは認知革命一本だけでまとめられる程度の内容ではなく、認知革命も一つとして含めた様々な要素が複雑に積み重なった壮大な本なのだ

帝国”についての事前の理解がなければ、その後に続く科学×帝国×資本主義の最強コンボの強さが分からない。

狩猟採集時代サピエンス生態系破壊を知らなければ、環境破壊産業革命以後だけの近代現象勘違いしてしまう。

中田敦彦サピエンス全史が読まれない理由として「話が長く、脱線するから」と言っていたがその脱線は後の章への伏線であり、その長さは意味のある長さなのだ。(中田自身はそのことを百も承知だろう、とは思うけど)

膨大な内容を動画に納めようとすると、どうしても内容に影響のある圧縮をしなければならない

からその動画を見ることは読書にはなりえない。これが理由ひとつ

~~②本の中の分からないことを新たな知識にすることができない。

どういうことか、俺の読書を例に取る。

まず俺は本を読んでいた5日間の中で50回以上google検索をした。

話についていく上でどうしても必要だった知識もあれば、本筋に関係ないけど興味本位で調べた単語もある。

しか中田動画の中では分からない言葉は無かった。

前者は誰でも分かる平易な言葉に言い換えられていた。後者についてはそもそも出てこなかった。

ヒトラーキリスト教の話は出てきても古代シュメール人16世紀オランダの話が動画内になかったのは我々視聴者がそれを聞いてもピンと来ないからだろう。

シュメール人オランダのことを知らなくても本の粗筋を頭に入れることはできる。

そういった”無駄”を削ぎ落とすことはは”わかりやすさ”への親切な最適化なのだ

だがそれは同時に新たな知識との出会いの鍵を失うことを忘れてはならない。

から解説動画視聴者することは読書したことにはならない。理由のふたつめ。

~~③読書している最中に何かを思い付くことができない。

俺は読書の途中で考えごとに耽ること度々があった。

食糧が増えることで人口が増加したのであれば(マルサス人口法則というらしい)、食糧含め最低限度の生活保証されている筈の先進国少子化は何が原因なのか。教育コスト生活レベルの上昇によって現代人の考える”食い扶持”は昔のそれより遥かに大きくなったのか?

未来好転するという思い込み経済の好循環を創るのであれば悲観論が多数を占める日本の今後は?

↑これは悲観論根拠悲観論を唱えるマトリョーシカになって面白かった。

読書することと本の解説動画を見ることって何が違うんだろう?

↑これを考えて結構自分なりに納得のいく結論が出たのでここに投稿している。

等々、本に関係のあることないこと色々なところに思考が飛んだ。

読破に5日もかかったのは難しかったのもあるが、この考える作業時間を取られたのも大きい。

まぁ俺ごときが考えることは既に先駆者がいるもので。

先ほど挙げた上2つはググったら同じことを言ってる人がいたし、多分これも探せば既出なのだろう。

というか当たり前のことをアホがドヤ顔エウレカ!と叫んでいるだけなのかもしれない。恥ずかしくなってきた。

でも思索自体が楽しく脳味噌を鍛えられる体験だったし、その過程で更に洗練された他人思考出会うことができた。

これは動画を見るだけでは決して得られないものだ。

何故なら動画自分思考情報を受信することで一杯になってしまうからだ。

本を圧縮した密な情報を、語り部という他人のペースで受け取らなければいけないので脳の処理がそれ以外に使えなくなる。

文字という情報媒体自分の読む速度に合わせて情報が入るので動画よりも、脳のメモリに余裕ができるのだ。

youtubeにも一時停止機能はあるが、手間で面倒なので考え事をするためにわざわざ動画を止める人は殆どいないのではないだろうか。

第一書籍よりも情報が少ないのでそれを土台として思考するにも限られてしまう。

なので解説動画読書にはなりえない。

~~さいごに

話は脱線するが中田のこの動画は「生物学」+「歴史」+「科学」をまとめた本書の外から見た独自性動画最初で触れたところが凄いと感じた。これのお陰で内容を理解する下地ができて、話がわかりやすくなっている。

持論になるが解説動画価値、求められている「わかりやすさ」とは本の内容をいか単純化するか、ではない。

その本に書かれていない情報を本の中身に追加し、不足を補うことで視聴者理解の手助けをすることにあると思う。

またyoutube動画視聴者と本の架け橋となるのは素晴らしいことだ。俺自身サピエンス全史を知ったのはこの動画が切っ掛けだ。

から中田敦彦動画は最高だ。それは揺るがない。あっちゃんありがとう

ただコメント欄動画を見ただけで終わってしまう人がいて、それが俺には物凄く勿体ないことだと感じた。

今回改めて気づいたのは読書という体験の複雑さと楽しさだ。作業ではなく体験として読書にはそこへ時間を注ぐだけの価値がある。

インターネットが発達した現代からこそ、みんな!本読もうぜ!!

2022-05-05

anond:20220505213859

価値のない人間が生きる意味だとか思索を巡らすこと自体が愚かだと言ってるんだよ

いてもいなくてもどうでもいい人間尊厳権利を与えたところで持て余すのが道理

2022-04-21

anond:20220421211708

おもしろい! 性的消費の問題踏み込む勇気を持った人物にようやく出会えた。

私は、あなたが回答した増田ではないが、横増田として疑問の詳細に答えよう。

勿論作品を読んで貰う事が広告目的なんだけど、

普通広告目的作品を読んでもらう)を果たすために「元気を与える」があるのであって、

「元気を与える」ために広告目的作品を読んでもらう)がある訳じゃないよね?本末転倒過ぎない?

ヤンマガ編集広告目的作品を読んでもらう事なのは正しいが、作品を通して元気を与えるのを目的にしていたとしても何らおかしいところはない。「つまりこの広告性的な元気を与えてくれるものなのか!」の部分は不要で、単にエロい! だけで元気になる。わざわざ広告に戻る理由はないんだ。「不安を吹き飛ばし、元気になってもらえるように描かれた、月曜日のたわわを買って読んでもらうために、全面広告を出しました」が、自明で品を欠くとされがちな買って読んでもらうをボカして、省略されているのだと解釈できる。

以降に書いて貰った部分、

「たわわ広告がアウトである理由」じゃなくて、「ナタリーのあの記事がアウトである理由」になってない?

なっている。

基本的な前提の確認だけど、あの広告を見る大部分の人はナタリー記事を知らないし、編集部のあのコメントも知らないよね?

その通り。

でもあなた批判は全体的にナタリー記事編集部のコメント依存したものになってしまっている

なってしまっている。

広告問題無い、しかナタリーのあの記事問題である・・・様に見えるが、こちらは掲載媒体ナタリーなので問題無い」

という結論にもなり得るように思えるけど、どうだろう?

なる。

だとすると、「たわわ広告がアウトである理由」はナタリーのあの記事を知らない状態でもできる批判じゃないといけないよね?

ここに大きな誤解があると思う。

実際多くされている、たわわ広告がアウトであるとする批判は、ナタリーにあの記事を知らない論者によってなされている。にも関わらず、掲載媒体ナタリーから何ら問題ない編集部の告白がなされなければ、それらの批判は起こらなかった。

最初は、露出した編集意図問題視された。togetter まとめ人はナタリーが責められていると誤解なさっていたようだが、本当に責められていたのは編集だ。

普通の受け取り方なら広告の『今週も、素敵な一週間に、なりますように』

って励ましの言葉不安を吹き飛ばして元気になって欲しいんだなと思うでしょ。

https://anond.hatelabo.jp/20220421113116

そのような受け取り方をせず、前述の買って読む事で元気になってほしいのだ、と取った人がそれなりにいた。

それらのツイートtogetter でまとめられ、はてブアンチフェミ怨念を呼び起こし、またツイフェミの目に留まり国連の方から来た人まで動かしてしまった。

前の増田や私が考察しているのは、炎上した理由だ。

でも元増田が考えているのは「たわわ広告がアウトである理由」だ。おそらく、思索を通して広告表現芸術作品一般をセーフにする方法を見つけたいんでしょう。

しかしながら私の考えでは、セーフ・アウトの判定は炎上プロセスと切り離して考えられない。

性加害を受けて敏感になってしまった男性恐怖症の人々。彼女ら守るべく立ち上がった正義燃えるツイフェミ善意のまとめ人も、ヘイトの溜まっていたアンチフェミまで、すべてが炎上の因子となって、まるで多段ロケットのように批判応酬を加速させていった。編集意図を直接見聞きしていなくても、ツイッターが何か騒がしいのは気付きうる。アンケートでわざわざ聞いてきた時点でデリケート問題だなと察しうる。そして、過去炎上事件トラウマも様々な形で、我々みんなの心に爪痕を残している。それが今日炎上に影響するんだ。

その時点、その場の表現の内容だけで答えを決定する、セーフ・アウト判定のアルゴリズム存在し得ないと思う。

2022-04-18

anond:20220411092140

俺が毒電波人夫の脳に発狂爆弾を構築したと思っているんだろう。そんなことはしていない。爆弾は既に頭の中にある。脳がそれに到達すると存在に気がつくだけだ。

社会に触れて、つまり世俗の薄汚い連中の規範思考を慣れさせると、発狂爆弾は頭に潜む。世間というのが既に狂っているのだ。

そして、思索を深めると深めるだけ、構築した理論体系と他の奴らが構築した現実とのズレに気が付く。

手抜き工事社会を基礎にして、その上に厳重な理想を建てると、もう終盤のジェンガだ。

老朽化した建築物ハッピーエンドで終わらせる方法、爆破解体。やるしかないよな。

死んだ哲学者は皆ボタンを押してるのさ。さあ、お前も発狂爆弾スイッチを押せ。どこにあるか分かっているのだろう。爆弾も、スイッチも。

2022-03-13

33歳の僕たちについて

僕たちは生まれながらにして不幸だった。

僕たちに希望が語られるときはいつも建前だった。

物心がついた時には経済成長など実感できないほどなく、平和のみが幸運にも固定されていた。少子高齢化無責任押し付けられ、いつも年金説明では僕たちが下で、いっぱいの先人が上に伸し掛かる絵を繰り返し見せられた。

小学生のころには阪神淡路大震災があり、生活不条理に突然破壊されることを知った。

オウム真理教天災だけでなく人災があることを教え、それを報道するテレビには頭のおかしい人をいじめることの楽しさと正しさを刷り込まれた。

学校はいじめがあっても誰も救ってくれなかった。子ども大人も誰も責任を取らずに済んだ。

どう大人を信じようと努めても、彼らの正しさの裏にある保身だけが形を濃くするだけだった。

いじめ学力低下、キレる十四才、僕たちだけが責められている気がした。勝手に「ゆとり」を与えられ、数年後には「ゆとり」だとバカにされた。

ノストラダムスの大予言も二千年問題世界を無くしてはくれなかった。変わらないんだ、という陰鬱な気分を虚構ごと生活に仕組まれた。

社会に参加するまでの過程で、どんどんと多様性という理想が叫ばれるようになっていった。でも現実はまだそう出来ていなかった。ゆとり教育でも、AO入試でも、新卒一括採用でも、実験最前線で僕たちは消費された。

社会の正体に近づくほど、実験甲斐なく何も変わらずに、大人たちは利権を固定させようと頑張っていることがわかった。かつて多くの若者たち理想主義が現実主義に敗北し、僕たちの生活には既に革命の「か」の字すらなかった。

センスが良いとされる大人は肌触りの良い冷笑諦観で、理想から現実からも逃げているだけだった。

芸術に届くわけではないわずかな詩情の中に逃げ、丁寧な暮らしとやらで現実隔離しただけだった。雑草も食えるらしいと、何も新しくない発見雰囲気の良い雑誌で語った。

とにかく真っ当ではなかった。僕たちには老朽化した線路と駅が残された。

いつかみんな死ぬ、くらいしか希望はなかった。僕は、小学校四年、五年と苦労したあとに六年生になったときのような開放感を待っていた。

インターネットは唯一僕たちに与えられた現代的で民主的革命だった。僕たちは最前線に立つことを初めて喜んだ。僕たちが社会実験していた。大人の腕の中で揺らされるのではなく、自らが世界開拓していた。

過去日本では文学学生闘争に向いたであろう若者の活力がインターネットで遊ぶことに費やされた。情報の波をサーフィンしていた。

けれどアナーキズムなど思想と呼べるほど突き詰められてはいなかった。脱法とジョーク、たくさんの知識組織化しない雑多なカオス世代や日陰者の雰囲気ベースとしてただ在った。

東日本大震災とき、僕たちは初めて大きな波を感じた。世界ごと変えてしまおうというワクワクがあった。

ネットから始まる民主化現実世界にも網目を伸ばし、キレイ情報を伝播させることを夢見ていた。

実際のところ我々には思想がなかった。正確には思想が育っていなかった。長い間の自己否定カオスたちの団結は思想形成させなかった。

論壇はインテリっぽい動きに酔っているままで、ほとんどの人間責任を背負おうとしなかった。

大衆は十分なリテラシーを持っていなかった。目の前の文字自分を騙そうとしているかだけを考えていた。

もちろん先行者と同様に誰も責任を取りたがらなかった。波は結果的芸術の一部分だけに還元された。

僕たちの革命は、革命という皮すら被れずに失敗した。あの頃目立った人間たちのどれだけがまだ実際に社会有効なことをしているのだろう。

僕たちは生まれから今までずっと負け続けている。逃げ続けている。立ち向かう人間を冷たい視線嘲笑っている。かつて"カッコイ大人たち"がしていたように。

拗ねた子どものままで皮肉センチメンタルを捏ねくり回している。

最近は「多様性尊重」がブームになっている。拡がり分化する人間の在り方を認めようとするのは正しいことだと思う。

だが、それは欺瞞だ。多様性排外主義への攻撃だ。多様性を求める社会多様性をもたらさなもの排除する。

最大限の寛容ではなく、この時代この社会における妥協点でしかない。

ただそれよりも深刻なのは多様性未満の僕たちだ。多様性で救われるのは国籍、性指向、いくつかの快い思想である。いわば十分に形作られたアイデンティティーのうち、現代社会適応するものだ。そして主張に成功したものだ。

僕たちの苦しみはアイデンティティーの未発達である差別をされたり、大事に築き上げたもの喪失したわけではない。時代により幾度となく無意味化された結果、育たなかったのだ。

社会の複雑さへの想像力ありのまま他者の受容、明確な善への地図が無かった。

今までのシステム近いうちに崩壊すると言われつつも、なかなか崩壊しない。仮に崩壊したとしてもサバイバルを生き抜く知恵が無い。広大な大地に丸腰で放たれるのだ。

僕たちは無責任という親に育てられ、不勉強という病気死ぬ

ちゃんとしなきゃ死ぬ」とトリプルファイヤー吉田靖直は歌った。「ちゃんとしなきゃ」という要請けが社会にある。

なんとなく、どこか生きにくい僕たちの行き場はどこだろう。ちゃんとした職があればいいのか?ちゃんとした病名がつけばいいのか?ちゃんとした人になれればいいのか?ちゃんとした人ってなんだ?

今になってようやく哲学文学などの人文学に解答を求めることができるだろうことに気づいた。それは人間として真っ当な足掻きに思えた。

まだ遅くはないと信じて、攻略サイトには無く、ビジネス書より直接的な、人間思索の旅に出ようと思う。良い哲学の書を教えてくれ。

2022-02-25

国民を守るために体を張っている尊敬すべき言論人の命を狙う者の銃弾を代わりに浴びてもいいくらいの覚悟勇気がほしい。

この国の弱い立場人間真摯に思いやり、

民主主義人権政治のあり方を真面目に考え、

何を言われても怯むことなく、

正しいと信じることをひたすら訴え、

奥深い思索を巡らせ

創作に励み

多くの人々に勇気と感動を与えている

そんな心から尊敬すべき作家が、この国にいる。

そいつは本当に素晴らしい人間だと思う。

もし、そいつの命を狙う者がいるのなら、

代わりに俺が銃弾を浴びて

そいつの命を助けたい。

俺はそいつに一切気づかれずに死んでもいい。

と言い切るくらいの覚悟勇気がほしい。

2022-02-01

これは怒りなのか

怒りを抱えているのか

それとも不安なのか

無意識に体に力が入る

ストレス一言で言っても

いろんなものが混ざっているというか

たくさんの糸がこんがらがってしまっているというか

ああ、毎日生活の中で少しずつ受けた摩擦のようなものが、いつのまにか深い傷になってしまったのか

それとも浅い傷があちこちにできて痛むのか

物事の捉えた方は人それぞれだという

捉えた方を変えれば傷ついたり怒りを感じたりしなくて済む、または回復が早いという

そうは言ってもなかなか自分物事の捉え方の癖は直せない

無意識だし、直感的だし

中には気が付かないうちに処理してしまっている過程もあるだろうし

そういう捉え方の一つ一つの積み重ねで大きなストレスになっているのなら

どうしようもないように思ってしま

途方に暮れる

いや、工夫のしようはあるはず、とも心のどこかでは思う

大嫌いな同僚と毎日顔を突き合わせて仕事しなければならないこととか

同僚のにおいがキツいこととか

体臭なのか、家の臭いなのか、香料なのかわからないが

家族健康状態不安定なこととか

自分収入が少なくて老後が不安なこととか

親がそろそろ健康寿命を迎えてしまうこととか

介護施設はどうするのか、相続はとか

先のことを考えすぎたくはないが備えなければと思うことがたくさんある

不確定な要素が世の中には多すぎる

落とし穴だらけでおちおち安心して歩けない

急に政府法律を変えてくることもあるし

特に庶民にとっては悪い方に

反対運動したってほとんどは押し切られる

地震心配だし

いつも備えていないといけない

自助自助自助

社会的資本というのだろうか、自分には人とのつながりがあまりない

会社に勤めてはいるが、個人的に親しい人はいない

私生活でも、年賀状のやりとりをする程度の友達しかいない

いざというときに助け合うような友達はいない

親は遠くにいるし、おそらくこの先はもうそんなに頼れなくなる

兄弟はどうだろうか、少しは助け合えるかもしれないが、向こうは向こうのことでそれなりに手一杯だろう

仕事牢獄のようにも思えてしま

雇われて働くのは、結局は人の指示から逃れられない

資本主義は本当に自由だろうか

一部の人たち以外は奴隷にさせられる制度なのではないか

本当は体の良い奴隷制度なのではないか

できれば生活のために労働をしなければならない日々から解放されたい

働かざるもの食うべからずという言葉呪い言葉

結局、人間原始時代から進化していないのではないか

野生に生きる動物と同じなのではないか

いや、下手するとそれ以下だ

食うために毎日必死

一日のほとんどを食うためだけに費やしている

思索などに充てる時間などほとんどない

そうやって一生を過ごすしかないなら、そこらへんの虫と同じかそれより悪いかもしれない

2022-01-16

anond:20220114133403

読んで、元増田氏はすごい人だと思った。

努力を続け、結果が出ていて、思索をして纏まった文章化ができて、

自分ができることと不得意なことを見つめられていて、何を希望しているのかも見えている(ように見える)。

褒められるために勉強をした、それは全く不自然だと思わないし、誰だって褒められれば嬉しくてモチベーションになるでしょう。

子供が、「親や周囲の関心を引くためだけに勉強しちゃ駄目だ。もっと自分の為に自分がしたい勉強をしなくては」なんて

考えられるとは想像し難い。

与えられた環境下で最大限の成果を出せているように思える。

やらずに後悔するよりやって後悔のほうがいい

なんて知った風な口きいたりはできないけれど、

でも自分が関心を持っていることとか得意なこと楽しいことが、仕事に生かせたらと思うよね。

残念ながらたいていの人にとっては難しいことだろうけれど

元増田にはたくさんの可能性、選択肢があると思う。

コミュニケーション能力だとかは、本やワークショップ等々学ぶ教材がいっぱいあるんだし

臨床心理士看護師等の対人職向けの講座があるくらいなんだもん。

リアルが充実していれば自然に身につくものだなんて考えないで、これから得ていけば問題ない筈。多分。

沢山の"できる"ことを持っているんだから自信をもってほしい。


なんて、抽象的で実践的でない励ましばかりでごめんなさい

そういえば思ったんだけど、この一生懸命書いた文章、きっと未来で大きな意味をもちそう。

数か月後、数年後に読み返したとき

「あー、あの頃の自分はこういう考えをもっていたな。この点は変わったしこの点は今も変わらないな」

なんて、俯瞰できそう。

自分気持ち、考えを文章化して残すことって価値があるように思う

2022-01-06

秋葉原の衰退記事に猛烈な批判がついた理由

以下の記事は、読んでみれば「確かにオタクの街』の秋葉原は衰退したよねぇ~」と思う程度の何でもない内容なのだが、一部で作者の人格批判的なブコメが付き、他のブクマカを戸惑わせている。

秋葉原の衰退から見えた、「オタク経済を回している」論の実際(貞包 英之) | 現代ビジネス | 講談社(1/6) https://gendai.ismedia.jp/articles/-/90942

こうも激烈な批判がついた理由は、記事タイトルを見れば分かる。「秋葉原の衰退を適当に論じたから」ではなく、タイトル後者の「『オタク経済を回している』論の実際」という部分が、「オタク経済を回している」論の否定だと思われたかである

オタク経済を回している」論は、昨年大きく存在感を現した「VSフェミ」論者のオタク理論的支柱の1つであり否定は許されないものである最近増田でも「フェミのせいでオタク経済を回していた温泉地の土産物屋が潰れた」というエントリが人気を博していた。

しかし件の記事は読めば分かる通り「オタク経済を回している」論を論じた内容ではない。秋葉原の街の変化を論じただけのものである記事内容に「オタク経済を回す」という言葉は一切出てこない。試しにページ内で「経済を回」を検索してみれば分かる。

それなのに、このタイトルのせいで脊髄反射的に不快感を与えられてしまうので否定するしかないのである

タイトルを訂正するとすれば、「「オタク経済を回している」時代、かつての「オタクの街」秋葉原の現状」とかになるのだろうか。あくまゼロ年代に「オタクの街」と言われて注目された秋葉原の現状についての思索主題なのだ

 

ゼロ年代は「ネットオタク秋葉原」という存在であり、秋葉原ネットの主役だった。それが壊れたきっかけは無差別殺傷事件であり、ネットから秋葉原話題は減っていき、ネットオタクの主役の街ではなくなった。

2022-01-03

THE WORLD WAS MINE.

"THE WORLD IS MINE." 誇張なしにそう思っている。

自分が何か優れた人物ではないということは自覚している。

高校大学会社 どこにいっても自分より優れた人間には常に触れてきた。

能力の優劣だけではない、共感性、倫理観義務を全うする精神など社会的に求められる要素が一部自分に欠けているということも理解している。

しか能力が劣っていようとも、社会的必要な要素が欠けていても、それらは何ら問題ではない。自分認識する世界を最終的に律するのは自分認識だ。

自分認識する世界において自分特別となるのはなんの能力裏付け必要でない、と少しひねくれたデカルトのように考えていたわけだ。

このような自分性格自覚的になったのはここ数年のことだ。

社会人になり金銭的・社会的にも余裕が出来た状態でふと思索をめぐらす機会に恵まれ一般的人間より思考する際に自分認識に重い比重をかける傾向に気づいた。

例えば自分基本的社会的・暗黙的ルールを守ることが多い。

しかしこれは "ルールがあるから守る" と考えているわけではなく "俺様ルールを守ると決めたから守る" と心の中では思っているわけだ。

そのルールの成り立ちや必要性を理解共感しているわけではなく、"自分が守ろうと思ったかルールを守る" と考えているわけだ。

価値判断が極めて自己中心的なのであるしか結論として下される判断標準的判断と大きく外れていなければ端から見たらわからないだろう。

そしてこのような傾向は大なり小なり人間にはあるものなので程度の問題だとこれまでは流してきたわけだ。


さてここで終わればいつも通りの年がまた始まったのだが、年も開けたことだしと "2021年 匿名ダイアリーTOP200" を読んでいた所 "自己愛パーソナリティ障害" という言葉を目にした。

端的に言えば自己を極端に賛美、特別視するような人格を指す言葉のようだ。

これはまさしく自分の症状そのものであると思う。大なり小なり人間に備わった傾向だと思っていたが、それも極まると病気と判定されるようだ。

最初に "自分が何か優れた人物ではないということは自覚している。" と表現した。

これは一見自己愛パーソナリティ障害とは矛盾するようであるがそうではない。

自分が何か優れた人間でないというのは、蓄積された経験から導きだされた経験的推論だ。(そして残念なことに事実でもある。)

この事実理解は出来ている。しか共感あるいは自分で受け入れることは出来ていないのだ。

論理的にはその事実を導き出したものの、その事実を認めることは出来ていないのだ。

からこうしている間にも心の奥底では "自分には何かとてつもない才能が眠っているはずだ。" と思い込んでいる。

これが回り巡って、何を考える際にも "自分はどう認識しているか?" というステップを挟み込むことになり、自己愛パーソナリティ障害となるわけだ。


病気であることはわかった。病気であること自体別によいのだが(← ここでも既に自己中心的価値判断が発動している)、この性格により自分が損害を被ることはないかと改めて考えてみた。

ひとつに、自己中心的価値判断が標準を大きく外れた際に、標準的判断修正する速度が極めて遅くなるというのが考えられる。

損害を回避するには下記のどちらかが必要になる。

病気を治す

自己中心的価値判断標準的判断と同一にする

気取った言い方だろうか?端的に言えばこうだ。

・ 腐った性根を治す

・ 間違えない

整理したうえで思い返してみれば、これに該当するような指摘・注意は人生で 2 度受けたことがある。大学生、社会人でそれぞれ 1 度だ。

指摘をまとめると、 "最初自分で出した結論固執する傾向があり、アウトプットの質に問題がでていることがあるのではないか" ということだった。

その時は確かこう答えた "自分最初の出した結論固執するのは性格なので治りません。なので最初に出る結論が間違えないようにします。" と。

結局時間を惜しまずひたすら知識経験を詰め込むことで当時の問題は解消して、指摘を賜った人にも "大きく成長した" という風な言葉を頂いた。

しかし腐った性根はそのままだ。


圧倒的なインプット経験により、標準的な(適切な)価値判断自分エミュレートし続けられれば理論上は問題は発生しない。

しかしそれが死ぬまで続けられるほど才には恵まれていないこともわかっている。

そろそろ腐った性根を治す時期が来たのかもしれない。

2021-11-05

苦労が足りない、苦労をしろと言うけれど、、、

「苦労」よりも「思索」を知らないことが問題

2021-10-16

sirobuさんへ

sirobu 2021/10/15 22:50

この件で過度に叩く外野(直接仕事関係ない人たち)は眞子さまに群がってるマスコミとかワイドショー好きの昔の主婦と一緒って自覚を持ってほしい。醜い

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「過度に叩く外野」って「内野なら過度に叩いてもいいのか」とか「外野でも適度に叩くのはいいのか、適度ってどれくらい」とか気になっちゃうじゃないですか。

どうしてこう不細工な文を書いてしまうのかと言えば、自分の目に見えたものへのお気持ちを直接表現してしまうからですよね。「うわっ醜い!」って対象との距離10mくらいで判断してそこから対象に近づくとか思考を深めるとかしないでそのままお気持ちを排泄するからこういう日本語を書くことになるんですよね?

さらに言えば眞子さまとの関係不明です。多分声優現象眞子様現象も、あなたにとっては「醜い」という絶対的共通項があるから、そしてはてな世論的に眞子様の件が「醜い」のはコンセンサスがあるから「一緒」って要ってるんだと思うんですけど。でも全然一緒じゃないですよね。

お前は眞子ガチャ課金したことがあるのかとか言えばいくらでも言えるんですけど、一点。眞子様は「ある種の『アイドル』として『わきまえる』ことが生まれながらにしてその血統によって求められる」という時代錯誤グロテスク人権無視が一番の問題ではないのですか。

上の説明を読んで眞子様の件と声優の件が「アイドルはなぜわきまえなければならないのか」という問題を通して関係していると思う人は筋が悪いです。なぜなら、「その血統により」という点が眞子様をめぐる一番の問題であるからです。別に現代におけるアイドルのありかたに問題がないとは言いませんが、生まれながらの血統によって普通サラリーマンになる場合であっても、自由主義民主主義を奉じるのであれば批判すべきですよね。それにもかかわらず「眞子様が『アイドル』扱いされるのが醜い!」というのは問題矮小化ですらある。

sirobuさんがなんでこんなボロボロブコメを書いてしまたかと言えば、ある程度は気持ちは分かりますよ。数日前に眞子様ニュースを見てあなたは「関係ない人がよってたかっていじめている!醜い!」と思ったのでしょう。そして今回の声優の件でも「関係ない人がよってたかっていじめている!醜い!」と思ったのでしょう。だから「一緒って自覚を持ってほしい。醜い」と書いたのですよね。でも、あなたが2枚の絵を見てどちらも綺麗であると感じたからといって、2枚の絵が同じであるということにはならないわけですよ。もちろん何かテーマとか筆遣いとかあるいはもっと繊細な共通点があるからあなたは2つの絵に同じ感想を抱いたのでしょう。でもそれって「お前の中ではな」の話なので、「この2枚、一緒!」って言っても「いや事実として違う絵だし作者も違うし画法も時代全然違うよ」って反論されちゃいます。まあ美術館デートなら「どっちも綺麗だね」でいいかもしれませんが、実際の所あなたは「お前はあれと同じく醜い行為をしている自覚を持て」と言っているわけですよね。それならそれで生のお気持ちを排泄するだけじゃなくて、対象に近づくなり思索を深めるなりちゃん理論武装をしてくださいよ。お願いします。

2021-10-11

読書感想文苦手民の言い訳が見苦しい

https://anond.hatelabo.jp/20211010213345

これへのブコメで、

こうして中身のない感想文が量産されるんやな

感想文は嘘つき大会から正直で素直な子には書けない。面白かったの一言で終わるからな。自分の心の内ではなく他人からどう見られるかに関心がある人が得意だった記憶がある

他の人も言ってるけど書評感想文は違う。そして感想文嫌いだった派からすると、そもそもなぜ本の感想自分語りをするのかわからない。実は本の内容なんてどうでもいい自分大好き人間なのか。

こういうやつね。見苦しいな〜〜

中身が無い?嘘つき大会自分大好き人間??

じゃあわかった、

お前らが使ったそれらの貶し言葉を、俺はぜっったいに言わないって約束するからさ、

自分大好きで中身のない自分語りでいいからさ、書いてみ?

読書感想文じゃなくてもいいよ。

書いてみ。書ける?

ビジネステンプレでもネットコピペでも誰かとのレスバトルでもなくて、

ただ自分の思いを自分言葉にするなんてさ、

結構時間と労力が必要じゃない?

元増田大本書評増田ではなくて感想増田)も似たようなこと言ってると思うけどさ。

普段人間が思ってることのほとんどは言葉になってねーのよ。

それを言葉に起こすのが感想文って課題の狙い。

本来なら別に本読まなくても、エッセイでも随筆でもいいよ。

あった出来事の羅列ではなく、

自分の中にどんな感情思索があったか

その形のないものを捉えて言葉にできるなら、本当はなんだっていい。

けどそんなの、読書感想文の100倍大変だから

本をトリガーにして自分の考えてることを書いてみろって言ってるの。

そんなコミュニケーションチュートリアルみたいな課題サボりまくってきたくせして、

自分大好き(笑)だの嘘つき大会(笑)だの笑わせるわ〜〜

お前らは一生ネットミームばっかり喋ってなにか言った気分になってろよ。

そして思考それ自体ネットミーム程度の浅さになっていけよ。

大丈夫、そんなやつらいっぱいいるから。

自分で考えたことを自分言葉表現できてるやつなんて、ネットを見回したって少数派だ。

枕草子がなんで千年も読みつがれてるかわかる?

春は明け方がいいよねー、夏は夜がいいよねー、なんてただのお気持ち文章が。

そりゃまあさ、当時の宮廷生活描写した歴史的価値が、とか「をかし」の文学的価値が、とか色々言えるだろうけどさ、

枕草子こそが、「感じたことを言葉にするのは価値がある」と歴史位置づけたはじめの作品からだよ。

自分が何を美しいと思ったか、どんなときに嫌な気分になったか、何を見てどんな気持ちになったか

そういう黙ってたら消えてしまういろんなことを言葉によってすくい上げることの喜びを、

はじめに見せつけた作家からだよ。

歴史に残ったのは、中宮定子に捧げるためのものだった、って背景も含めてだけれど。

「中身のない感想文」なんてつまんねーこと言うけど、

自分が何を思ったか自分言葉にする努力をするのはそんなに簡単なことじゃない。

それをはじめにしてみせた作家歴史に残るほどに。


世の中には手垢のついたミームがたくさんあるから

それをパズルみたいに並べて何かを言った気になれるならそれでもいいよ。

お前らがいいならそれでいい。

からといって、真剣自分の中に潜って、思ったことを自分言葉にしてきた、

少なくともそうあろうと努力してきた、

数多の「読書感想文を書いてきた人たち」を、適当バカにしてんじゃねーよ。

何が自分大好きだバーカ。

お前が自分を好きになれないのは、お前の中にカッスカス言葉しかねーからだし、

自分の中にあったはずの感じたことや思ったことをぜーんぶ取り落としてきたからだ。

2021-07-29

anond:20210729105506

この手の短編は「話をどう転がすか」が重要になる。

少しずつ少しずつ読者の予想を外していって最後に意外な結末に至る。

まり起・転・転・転・転・転・転・結みたいな構成が好ましい。

元増田で言えば「増田ありがちな自分語りか?」と思わせるところが出発点で、

しかし冒頭を読んで「どうもフィクション度が高いようだ」とわかるところでひと転がり。

次に「今年はキャンプをうちの庭でやる」というあたりでひと転がり。

明らかに無理だ、という状況が提示されつつ、しかしどうやら強行されてしまいそうでもある。

「いったいどうなってしまうんだ?」と読者に思わせる。

その次は「リーダー」の登場でひと転がり。

謎の新キャラの登場でどんどん話が変な方向に進んでいく。

家族の単なる内輪の喧嘩から「謎の組織が絡んだトラブル」に発展する。

おバカな兄のリアクションで話が中断した、といった「くすぐり」も効いている。

その次に「メグの進学」の話題でひと転がり。

コメディ調だったところから何やら急にシリアス雰囲気に。

最初は「たかキャンプのことで喧嘩するのが面白い」だったのが

これ以降は「たかキャンプだったはずがどんどん大変なことになっていく」という

サスペンスじみた展開になり、結末の不穏さを予感させる。

キャンプまでの日数」でカウントダウンが始まる。

1日ごとに話が転がって、どんどん酷さが増していく。

家庭は順調に崩壊していき、ネットでバズったことで話も大きくなっていく。

しかキャンプは止まらない。もはや災厄のようになっている。

キャンプ当日。キャンプは滞りなく行われる。嵐の前の静けさのように。

リーダーが溶けるところで、ついに「自分語りから転がり続けた物語は「SF」に至る。

読者の混乱はピークに達し、「どうしてこんなことになったのか?」と解説を求める。

で、種明かし。

読者はすっきりした気持ちで読み終えるというわけだ。

この小説ジェットコースターだ。

まりアップダウンの激しさによって読者の感情を揺さぶることが目的で、

「読者の心に何かを残そう」とか「深い思索をもたらそう」といったタイプ作品ではない。

五輪批判いたこともちょろっと書かれているが、あくまスパイスにすぎないはずだ。

2021-07-14

27歳自分の半生

振り返り。忘備録

0~2歳 赤子 

 中流家庭に次男として生まれる。よく泣き、興味をいろんなものに抱き大声で喚く活発な子供だったらしい。ベビーカーが嫌いだった

3~6歳 幼稚園

 幼稚園では人見知りの一方、見知ると良く大声で騒ぎ活発に遊ぶ子供だった。先生が変わった事で親が幼稚園を変えさせる。

そこでも活発で、自分より足が速く喧嘩も強い子といつもつるんでいた。喧嘩もよくしていた。

同時に絵が少し上手く、傷つきやすい繊細な子でもあった。運動レゴ、一人遊びも好き。目立つのも嫌いじゃなかった。

7~9歳 小学校前半 

 活発で成績も悪くなく、よく騒いでいた。親が厳しい事に不満を持っていた。このころから少し不安障害的傾向もあったが隠せていた。忘れ物も多くした。

鬼ごっこをしたり折り紙が好きだった。ゲーム殆ど出来ない家庭で、漫画禁止だった。友達ともあまり遊べなかった。

1012歳 

 初恋をし、その子の事が大好きだった。完全に諦めるまで10年かかる。勉強クラスで一番できていたが、親が黙っていたらしい。

11歳あたりで不安障害が顕著に出てくる。

 ゲーム漫画禁止外遊びも制限されていて、そのせいで友達から恨み言を言われる事もあった。

活発で友達とはポケモンの話をしたりしていた。12歳ごろから勉強が苦手に感じ始める。

13~15歳 中学時代

 強迫性障害になる。勉強も落ちぶれる部活も上手く行かなかった。初恋の子彼氏が出来る。

2chにハマったり猟奇殺人犯について調べたり、同時にたまに明るい子になったり暗くなったり。

勉強をしてもゲームが出来るわけでもないので、ずっと不満が溜まっていた。このころからこっそりゲームをしたり、友達カラオケに行ったり、親を裏切る事を学び自由になる。

15歳ころから絵を描き始め、特に娯楽があったわけでもないのでハマる。

16~17歳 高校時代

 勉強は落ちぶれたままだがそこそこの高校に行く。強迫性障害で苦しみつつ、部活は上手く行き無くなっていた自信を取り戻し始める。

 後輩で経験者が入ってきて自信を少し失う。小説ポチポチ書いたりする。

 当時はあまりメジャーでなかったスマホFPSにハマったりする。絵を描き続け、2chのコミュニティで崇拝する人に出会う。

 アニメにも出会い、SAOを見て熱中する。

18~19 浪人時代 一人にハマる

 勉強と言うより、自分一人の時間に没頭する。幸せ時間でもあった。自分で色々思索を巡らしたりする。結局志望大学には受からなかった。

 アニメを見る事が癒しだった。

2023 大学時代 サークルに沼る

 1年目に昔の初恋の子に遭ったり、久しぶりに恋をしたりしてフラれ、2年目に一発発起してサークルに入る。ケガや挫折経験しつつ、荒波に揉まれ2年間努力した後そのまま退場。

 自分を好いてくれる人も居たが結局付き合わなかった。

 就活の時期はイラストゲーム関係就職したいと思い、予備校に入ったりするが、やる気も無く上手く行かず。結局ずるずるとニートに入る。美大に入りなおそうか考える

24~27 ニート時代

 初めの2年間は家庭内のごたごたの対処23歳で居酒屋バイトを辞め、実家寄生しつつ24歳の中盤にイラストバイトを始め月1万を稼ぐ。実質ニート

 友達と月一でキャンプに行ったり飲み行ったり、運動をしたりしていた。ここらあたりでFPSにハマりはじめる。自宅で密造酒を作りはじめる。

 残りの二年、コロナ初め頃の25歳で初彼女ができるがすぐフラれ、マッチングアプリで会いまくり一年で6人に経験人数が増える。挿入まで行かなかったは3人なので男女関係になったのは9人。

 自分いかに今まで人と向き合って来なかったかを知る。

 イラストバイト仲介先に文句を言って切られ、26歳の最後半年は本物のニートになる。その間にプログラミングゲームエンジンの勉強をする。生活習慣が乱れ、振り返ると病んでいた。

 3年間と3か月ニートしていたことになる。でも27歳、ニート生活も終わりだ。いや終われ

2021-07-04

渡辺明の敗北

 「最年少防衛」「最年少九段」。速報で次々と流れてくる文字は、間違いなく、将棋界の歴史に残る偉業だった。しかし、不思議感情は湧き起こらず、それはただの文字の羅列にしか見えなかった。

 「渡辺明の敗北」。代わりに浮かんだその文字は、頭から身体を巡り、あっという間に全身を蝕んでいった。

 藤井聡太に初タイトルである棋聖」を献上してから1年。渡辺は、本戦を勝ち上がり、再びタイトル戦の舞台に戻ってきた。あの夏から1年。両者は立場を変えて再び相まみえた。「現役最強決定戦」との呼び声も高く、戦前ボルテージは最高潮に達した。

 しかし、結果は渡辺にとって非情ものに終わる。0勝3敗。自身39回目のタイトル戦にして、初のストレート負けである。昨年圧倒的な研究藤井に一矢を報いた第3局で、今度はその矢が届かなかった。復位を期し、1年ぶりに臨んだ大舞台での再戦は、梅雨の黒雲に呑まれるように進行し、夏を迎えないままに幕を閉じた。

 「どう負けようと意味がない」初のストレート負けの感想を聞かれた渡辺は、吐き捨てるようにそう答えた。フルセットも、ストレート負けも、番勝負の結果としては変わらない。結果主義者渡辺らしく、恐らく包み隠さぬ本音なのだろうと思った。

 しかし、観ている者はそうもいかないのである。「渡辺明タイトルストレート負け」。登場39回目にして初めて見せつけられたそれを、はいそうですかと受け入れられるわけがない。渡辺本人が切り捨てるものに過剰な「意味」を持たせるのは愚かしいが、そうせざるを得ないのである。「たまたま」星が偏ってタイトル戦でストレート負けを喫する男ではない。そのことは、自分の全てを懸けて断言してもいい。だからこそ、この結果は重く、厳然としたものとして突き付けられている。まだ、受け入れることはできそうにない。

 1年前に失冠した時、渡辺は完敗を認めつつも、最後には前向きな発言をした。今回は藤井聡太情報ほとんどなかったが、番勝負を指して分かったことがある。だから次は「普通」にやる―そう述べたのである。この発言には説得力があった。渡辺明は、「情報」で勝ってきた棋士からである最初得体の知れない相手であっても、戦ううちに相手を知り、習得していく。そうやってタイトル戦の舞台で何人もの後輩棋士を沈めてきた。実績があるからこそ、この発言には説得力があり、そして藤井との再戦にこれ以上ないくらいの期待を持たせた。有言実行とばかり、厳しい対戦相手たちを下し、再び挑戦者としてタイトル戦の舞台に戻ってきたことはさすがとしかいいようがない。だからこそ、ボルテージは最高潮に高まり、観る者は「現役最強決定戦」と謳った。

 開幕前のインタビューで、渡辺藤井への意識を強く口にした。そして、「(今後の)棋士人生を考える意味でも大きな鍵になる」そのように述べた。これは単なる1タイトル戦ではない。渡辺明が今後どれだけ最前線で戦い続けられるのか、そのことを示す戦いになると、渡辺自身が述べた。

 その「棋士人生を懸けた」戦いが、蓋を開けてみれば厳しい結果となる。万全の研究をぶつけ、自身が一番得意とする勝ちパターンで上回られた第1局。先に藤井の残り時間3分に追い込みながら、そのあとで全く持ち時間が減らない、「永遠3分」を突き付けられた第2局。藤井聡太の底知れない中終盤力に呑まれ渡辺はあっという間に土俵際に追い詰められた。1年前の番勝負で、渡辺藤井の「情報」を得た。しかし、用意周到な渡辺の準備を、信じられない速度で進化する藤井が上回っていたのかもしれない。戦前に述べた言葉は、もっとも厳しい形で、渡辺自身に降りかかっていた。

 

 追い詰められた第3局。戦型は矢倉の最新型となった。激しい展開ながら、渡辺の指し手は早かった。これは研究が行き届いている証左である。持ち時間に大きな差を付ける理想的な展開になるが、昼食休憩明け、藤井の金寄りが控室も驚く意表の一手。難解な局面を突き付けられ、渡辺、長考に沈む。

 感情を鎮めるように、淡々と書いてきたつもりだったが、それはここで止める。トップ棋士による読みのぶつけ合いは想像を絶しており、盤上の表面だけ見たところで分かることは限られている。二人がどれだけ読みを深め、盤の底で思索の海に沈んでいるのか、はっきり言って「分からない」のである

 このような難解な将棋で、ファンができることは一つしかない。研究を外されたのか、長考に沈む渡辺。89分の考慮は非常に長く、言いようのない不安と恐怖があった。意を決した渡辺、角を切り飛ばす。その後も続くねじり合いから69手目、今度は決断飛車切りである。風雲急を告げる「勝ちにいった手」だが、直後に渡辺は再び長考に沈んだ。残り時間は44分。渡辺はそのほとんど、40分を費やして角を打った。ここまで時間を費やし、渡辺はどこまで読んでいるのか。勝ちまで読み切ったのか、それとも予定外の長考か。分からない。何も分からない。分からいから、ファンにできることは一つしかない。信じるしかないのである藤井聡太相手に本当に「勝ち筋」はあるのか。吐きそうになりながらも、渡辺がそれを掴みにいっていると、手繰り寄せにいっていると、ただひたすら、信じるしかない。こんな時、将棋ファンとはどこまでも無力である。分からないものを前にして、ただ信じるしかない。声援を送っても渡辺に届くわけではないから、ひたすら祈ることしかできない。はるか高みで戦う孤独棋士に、ファンができることはただ一つ、信じることしかない。

 

 詰むや詰まざるや、難解な最終盤となった。藤井が機を捉えて渡辺玉に迫る。駒を渡す怖い変化だが、果たして藤井の玉は大丈夫なのか。分からない、本当に分からない。局面が少し進んだ。藤井の玉が上に逃れ、渡辺、どうやら足りない。「信じたくない」そう思ったところで、全てを打ち砕くように、藤井が華麗な決め手を放つ。

 「△7一飛」。馬が利いているところに飛車を捨てる、普通はあり得ない手であるしかし、この飛車を取ると渡辺の玉が詰まされてしまう。あまりにも、あまりにも華麗な決め手であった。分からない局面が延々と続いたこ将棋だったが、最後にようやく、この将棋はもう続かないのだということが分かった。この華麗な一手を盤上に出現させられては、もう指す手がない。渡辺、斜め上を見上げて飛車を取る。首を差し出し、棋聖戦五番勝負が終幕した瞬間だった。

 まだ、冷静にこのシリーズを受け止めることができない。「信じたくない」率直に言うと、そうなのかもしれない。しかし、この結果は動かない。この結果を誰よりも重く受け止めるのは、結果主義者渡辺自身であると、そのこともよく分かっている。

 渡辺明は、この敗北をどう受け止めるのか。そして戦前に自らが述べた「棋士人生」にどのような道筋を立てるのか。戦いを終えたばかりの今、それはまだ分からないが、ファンにできることは相も変わらず一つだけである渡辺があげるのは、白旗ではなく、反撃の狼煙であると。そう信じるしかない。

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