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はてなキーワード: 思索とは

2023-09-30

anond:20230930121415

これ実は逆で、こいつ含めたキモメン

  

「まともな女から相手にされる魅力がない」

ってことなんだと思う

オウム返しと人格攻撃しか出来ない知能なんだろうけど

そもそも俺はここで俺の主張は一切述べてないし

俺は「ネットキモメン」と同じ主張を共有してない

 

ネットキモメン」の主張は、これこれこうなのではないか

と書いただけ。

  

この程度の文章入れ子理解してほしい。

  

 

人間性格への嗅覚とか判断能力ずば抜けてる女むしろいっぱいいるし、

人間の筋力以外の男女差なんてほぼないし、

それは君が異性との接触が少ないか

異性を含めて自分他者客観的に見ることが出来てないと思う

筋力以外でも男女差って滅茶苦茶あるよ

(俺はどっちが優れてるとかは書いてないからな)

  

普通生活送ってたらそんな発想になるわけないよね

そこで「普通生活」というものが何の規定もなく出てくる時点で

素朴に自分スタンダードにしてしまあんまり知能の高くない人間の特徴を感じる

 

人間まれつきかなり違ううえに生育環境や見てきた者が異なるので

能力も発想も結構違う仕上がりになるしそれは簡単に分かり合えないぐらいの谷になる

男女差についても当然で、そもそも身体も違えば取り巻く社会も違うのに

筋肉以外の差がない仕上がりになんかなるわけない

それぞれの性別の何かしらの傾向は出て当然

 

 

でいちいち断るけど俺は特定性別について何の主張もしてない

個人の印象から君は結構頭悪そうだなと感じたよつってるだけな

  

文章が読めない

・反撃(そもそも攻撃されてないんだが)がオウム返しや人格攻撃のみ

自分他者差異無頓着

物事の観察能力思索が明らかに貧しい

あたりが理由

2023-09-28

いまこの文章POMERA DM250で書いている。夜の静けさが部屋に満ち、デスクの上の薄暗い電球色の明かりがぼんやりと輝いている。窓の外は漆黒で、星が遠くからちらちらと光っている。この小部屋は都市の喧噪から隔離された楽園のよう。そしてここでは、ただ指の軽やかなダンスポメラの静かな応答の音が、穏やかな調べを奏でている。

ポメラシンプルさと静謐さが、夜更けの執筆優雅もの昇華してくれる。ここではインターネットの誘惑から解放され、一心不乱に言葉と向き合うことができる。他のデバイスでは気が散りがちだが、ポメラの前ではその心配がない。集中する力がこの場所とこの時に存在する。

この小さなデバイス思索の道を明るく照らしてくれる、まるで一本の灯りのように。ポメラと夜更けの静かな時間を共有すると、心はもっと自由で、もっと広い空間へと飛び立つ。新しい思いが次々と湧き上がり、素晴らしいアイデア生まれる。この一瞬一瞬が、深い満足感をもたらしてくれる。

インターネットから切り離され、全てが静かになるこの時、心は落ち着き、真の創造性が花開く。これぞ、ポメラの真髄。これぞ、ポメラで夜更けに書く喜び。ポメラはただの道具ではない、それは創造パートナー心の友だ。

そう、ポメラは静寂と集中、そして創造の喜びを与えてくれる存在なのだ。夜更けのポメラとともに、新しい一日を、新しい考えを、新しい世界を迎えよう。

2023-09-12

「闇が深い」

現代人は理解の及ばない出来事を見ると、闇が深い、闇が深い、と口を揃えて言う。

闇が目の前にある。そこに何かが隠れている。

しかし、皆、その正体に光を当てる気はないようである

自ら調査せず、思索せず、ただ対象を指差し、仲間内で身を寄せ合っている。

二日もすれば忘れている。

時折、賢者あるいは冒険者が、闇について知り得た情報を公開する。

これを見た者たちは、喜び、ざわめき、そして再び言う。「闇が深い」

一隅を照らす人は国宝なり、とはよく言ったものだ。

2023-09-11

恐ろしい夢を見た話

増田大学2年、女。

昨日の夜から今日の朝にかけて、恐ろしい夢を見た話がしたい。

どこにも吐き出せないからせめてここにだけ書き残させて。

夢の内容は

高校時代の友人と数年ぶりに会って現在自分生活高校生活を振り返りながら談笑する」という字面だけ見れば何ら恐ろしい要素は無い他愛のない夢だった。

その友人との関係性を加味しなければの話だが。

・・・

その友人はみらい(仮名)という名前だ。

元々面識はなかったが、高2の新学期コロナによる数ヶ月にわたる臨時休校狭間で行われたクラス替えで同じクラスになり自己紹介で私が「趣味読書で◯◯◯◯◯と◯◯◯◯が好きです」と言ったのがきっかけで仲良くなった。

自己紹介が終わって自由に席移動して気になる人と話していい時間になった時、私は元々友達が少ないためクラス内に友達がいないこと、そして他人に執着しない性格だったこともあり手持ちの本を読んでやり過ごそうとした。

すると、「ねえ、◯◯◯◯◯好きってホントわたしも好きなんだ〜」とみらいが話しかけてきた。

第一印象は「綺麗だな」だった。

二重まぶたに通った鼻筋、光を湛える黒目がちの瞳、細く白い腕、赤い唇。

どこをとっても絵に書いたような美少女だ。

◯◯◯◯◯は私達の世代が好んで読むような作家ではないので本物の読書家だということは問わずとも明らかだった。

その後時間の許す限り◯◯◯◯◯や他の好きなこと、部活などの話をした。

その日の下校の時にはどちらともなく先生の目を盗んで校内でスマホの電源をつけ、LINEを交換するほど意気投合していた。

その日から臨時休校で暇を持て余していたこともありほぼ毎日のようにLINEでいろいろな話をした。

初めて話したときからなんとなく感じていたが、みらいは私と思考パターンが似ていた。

そして学力もほぼ差が無かった。

得意な教科の話になったとき時、二人とも同じ教科を挙げた。

その教科は私が1年の間たった1度だけ1位を名も知らぬ誰かに明け渡してしまった教科だった。

まさかと思いながら「もしかして1位取ったことある?」と返信した。

すると、「もしかしてずっと1位だったの◯◯(増田の下の名前)だったの!?私、1回だけ1位取ったことあってその回以外はずっと2位だったの!」と返ってきた。

こんなことってあるのかと思った。

それと同時に彼女のは切磋琢磨しあえる良い関係になる予感がした。

臨時休校が明けて登校が始まると私達はさらに仲良くなった。

それとともに私の中には負の感情が巣食いはじめた

初めて遠隔ではない担任の授業を受け、二人で談笑しながら教室へ向かっていると、担任からしかけられた。

増田新川(みらいの苗字)(仮名)!お前ら1年の頃から同じクラスだったのか?」

担任にはそれぐらい仲がよく見えたのだろう。

「違いますよ〜!担任なら前のクラスぐらい把握しておくのが筋ってもんじゃないですか〜?」

とみらいが軽口を叩いているのを横目に見ながら私は内心嬉しくて堪らなかった。

こんな美少女と対等な友人関係を築けていることが他人の目から見ても明らかなこと、私はその事実歓喜した。

しかし、その数日後私は地獄を見た。

その日、授業が終わると担任ロッカーを整理しているみらいの所へ向かうのが見えた。

その数秒後、廊下から二人の笑い声が聴こえてきて、今度は私のもとに担任がやってきた。

その担任第一声が

「ごめん。新川増田だと勘違いして声かけちゃった。だってお前ら背丈といい雰囲気といいなんか似すぎなんだよ。」

だった。

信じられなかった。あの美少女を私だと見間違えるなんて。

だって私は重い一重まぶたで背も彼女ほど高くはない。

それなのに見間違えるなんて許せない、彼女の美に対する冒涜だとさえ感じた。

きっと委員会の連絡か何がだったとは思うが、担任のその後の言葉が頭に入ってこないほどの衝撃だった。

担任と会話したあとチャイムがなったので自分の席に戻るともう一度さっきのことについて思索を巡らした。

そこで私は気付いてしまった。

私がおかしいということに。

普通人間なら心の中で喜ぶべきことを私は赦されないことだと感じて、しかも怒りさえも感じた。

どう考えてもおかしい。

他人に執着しないはずの私が、彼女には彼女に対しては何故かこんなに心を掻き乱されている。

もう手遅れだった。

その頃にはもう彼女への、そして彼女の美に対する感情はもはや信仰の域に達していたことを、その時ようやくわからされた。

私とみらいはいつもそばに居た。

休み時間になると彼女の方から私の所へやってくるのが当たり前だった。

その美しさや性格から友達は多いが、その数多くの友達の中で私のことを選んでくれた。

それが私にとっては至上の喜びだった。

クラスメイトが

「みらいちゃんかわいい〜」と言うと

みらいは

「まぁね〜」と当たり前だとばかりに返答していた。

そんな彼女自己肯定感の高さがこの上なく好きで、でもそんな彼女が眩しかった。

だってはいつも彼女の影だったから。

彼女が他のクラスメイトの「かわいい」と言われる時、私はいつも息苦しかった。

私をかわいいと言ってくれる人はいいから。

当たり前だ。わかってる。私が彼女より醜い事は私自身が誰よりも知っている。

決して表には出さなかったが称賛を全てほしいままにしている彼女が横にいると気が滅入ることも多々あった。

それでも私は彼女と一緒にいた。

二人でいる時だけは、その美しい瞳に私以外は映らないから。

それから数カ月後、修学旅行が始まった。

もちろん全ての行動を共にした。

一日目は某県の某資料館へ2学年全員で向かった。

みらいも私も暗い場所は苦手なのでドキドキしながら入館した。

手が触れたのを契機に、どちらともなくお互いに指を絡めて相手の震えを感じながら暗い館内を歩いた。

私は手汗が出やすい体質なので1度手を解こうとしたが、

「怖いから話さないで」と小声で訴えられたので逆らえるわけもなく結局出口までそのまま向かった。

その次の日は班別活動で某県の某洋館へ向かった。

私がお土産を見繕っていると、みらいが

「ねえ、◯◯こういうの好きでしょ?」といきなり声をかけてきた。

彼女の指差す先には、色とりどりの硝子でできた美しいエジプト香水瓶(中は空)があった。

美しい曲線と精緻彫刻

まさに私の求めるもののものだった。

凄く綺麗……とつぶやく

「全部一点ものらしいよ!せっかくだからお揃いで買おうよ!」とみらいはもう買う気満々でその手の中には桜色の香水瓶が収まっていた。

私は彼女のそれとデザインの一部がよく似た空色香水瓶を選び二人でレジへ向かった。

その日の夜食ホテルレストランで食べた。

なかなか量が多く、少食気味なみらいは食べきることができるのかと心配になったのでそれとなく隣にいる彼女を見やるともう限界という顔をしていた。

すると彼女の方から

「これとこれ食べれる?」と言ってきたので有り難く拝借した。

それで終わると思いきや、デザートミニケーキの二種盛りがやってきた。

私はぺろりと平らげたが、彼女はどうしても最後の一つが食べられないようだった。

そして

「ごめん。これ食べれる?」と聞いてきた。

私はうんと言おうとしたが、

私の食器フォークはつい先程席を巡回しているホテルの方に回収されてしまったので食べる術がない。

手で食べるのははしたないしと逡巡していると

はい、あ〜ん」

と私の方に彼女フォークで刺したケーキ差し向けてきた。

同じテーブルの生徒の視線彼女の手と私の顔に集まり、恥ずかしさで頬に熱が走るのを感じた。

いつまでもこのままではいられないと思い、覚悟を決めて顔を近づけ、食べた。

修学旅行でそんなことが起こったため、その後の学校生活ではクラスメイトに彼女との仲をからかわれることも増えた。

「なんかみらいちゃん増田さんって二人だけの世界?っていうか独特な空気感あるよね〜」と言われたりなんかもした。

今まではそう感じたことは無かったがあの修学旅行を経ると確かにと思う自分も居た。

その関係に心地よさを感じる一方、今振り返ればどこか嫌悪感があった。

念のため言っておくと、私は普通の女だ。

小中学生の頃は普通男子と付き合っていたし、好きになるのはいつも男だった。

でも共学は嫌いだった。共学の女が嫌いだった。

あらぬ噂を立てて私と彼氏を引き離そうとする、そういう汚い女が大嫌いだった。

から高校女子校を選んだ。

中学時代仲の良かった先輩から

女子校は本当に生きやすい。男がいないとそういう争いとかもないし。」と聞いていたのもあり必死勉強して女子校入学した。

女子校は先輩の言う通り生きやす空間だった。

秘密の花園なんてのは空想だけれど、進学校だったこともあり皆自分が一番大切だから自然無駄な争いを避けるようになっていたから本当に生きやすかった。

彼女存在けが想定外だった。

今思い返すとというより当時から薄々感じていたが、みらいはボディータッチが多かった。

1日に少なくとも2回以上はハグしてくるし、堂々と人前で手は繋ぐし、とにかく距離感おかしい。

最初こそ戸惑っていた私も仲良くなるにつれて気にしなくなってきたものの、時折嫌悪感に近いものを感じることさえあった。

でも、やめてとは言えなかった。

だってそうされている時だけは自分特別だと感じられたから。

2年の3学期になって3年生0学期なんていう進学校あるあるワード教師の口から出始める中、彼女との関係が変わった(と増田勝手に思っている)出来事が起こった。

2学年最後模試だ。

その前の記述模試から国数英3教科に加えて理社科目が追加された。

その記述模試ではあの教科は二人仲良く同点だった。

最後模試マーク模試だった。

2年最後だしここで一つ頑張ってあの教科でみらいに勝ちたいと密かに思っていた。

毎晩負けまいと勉強して迎えた本番。

習っていない範囲もあったが自分勉強してカバーした分自身はあった。

3月、結果が出た。

私はその教科で全国一桁の順位を取った。

模試順位掲示されるので早速見ると、みらいは私のすぐ下の段にいた。

しか偏差値には20程の差があった。

私は勝ったと思う前に彼女の不調が気になった。

トイレに行っていたみらいがこちらに来て順位が張り出された紙を見ると

「やっぱり◯◯はすごいよ、」と一言言って自分の席に戻っていった。

その日は話しかけてもどこか上の空だった。

次の日、彼女は休んだ。

心配休み時間隠れてスマホを起動させ、LINEを開いてメッセージを送った

すると数分後

明日は行ける。心配かけてごめん。」と返ってきた。

こんな時まで謝ってくるのが彼女らしいなとその時は思った。

次の日予告通り彼女は帰ってきたが、いつものボディータッチは無いしなんだかひどく静かだった。

結局2年の終業式の日まで彼女はずっとそんな感じだった。

3年になるとクラスが離れた。

前はあんなに同じクラスがいいと思っていたのに、最近彼女の煮えきらない態度をあまり好ましく思っていなかったので実際の所は

嬉しさ7割悲しみ3割といったところだった。

しかしその思いはすぐ覆された。

一つがクラスメイトの私に対する反応だった。

2年の時みらいと私ともう一人のクラスメイトの3人でたまに会話することがあった。

3年に進級してそのクラスメイトとはまた同じクラスになったので声をかけると

素っ気無いそぶりですぐ別の友達の所へ向かっていった。

そこで私は気付いてしまった。

結局私は彼女が隣りにいなければ価値のない、何も特別なところなどない人間だと。

みらいとはクラスが2つ離れていたため頻繁には話すことは無かったが、たまに会話するとそれはそれは惨めな気持ちになった。

彼女友達が多い。

私にとっての彼女はたった一人の心を許せる友人だった。

けれど彼女にとっては大勢友達の中の一人でしか無いという事実に串刺しにされる気持ちだった。

から私は彼女抜きで特別になると決めた。

2月模試の結果が私の背を押してくれた。

私にはポテンシャルがあることを教えてくれた。

それだけに縋って、今までの人生でやったことのないぐらい死ぬ気で勉強した。

その成果は存外早く出て6月模試では早速学年1位に躍り出た。

この結果には教師陣も驚いたのか露骨におだててくるようになった。

それをあしらいながら只管勉強した。

7月、もう何ヶ月もLINEなんて送ってこなかったのにみらいから急に連絡が来た。

夏休み日中学校勉強するよね?

良かったらうちの部室くる?」という内容だった。

彼女美術部の期待の星で、大学も某美大を目指していた。

3年に入ってからは画塾にも通い始めたと聞いた。

彼女には夏休み特別に部室の一角占領する権利顧問からもらったらしい。

私はその誘いにあっさり乗った。

彼女と実質二人だけで過ごせる時間をみすみす手放す訳がなかった。

夏休み、みらいの部活の日はみらいの部室で、それ以外の学校開放日はひたすら教室図書館勉強をする日々が始まった。

部室ではみらいが自分の背丈ほどの大きさのキャンパスにひたすら油性絵の具を塗りたくっていた。

正直油性絵の具の匂いは苦手だったが、みらいと同じ空間にいる方が大切なので我慢した。

他愛のない話をしながら、彼女は絵を、私は過去問をそれぞれ仕上げていった。

そんな夏が終わると、また連絡を取る回数が減った。

それもそのはず、彼女は推薦と一般美大受験するため、画塾に通うだけでなく面接練習なども必要になったからだ。

私はただ勉強していった。

この頃には志望校偏差値を大幅に上回る成績を取れるようになってきた。

冬がやってきた。

去年のクリスマス彼女と一緒に過ごしたのに今年はひとりだ。

そんなことを思いながら夜食で出されたホールケーキの残りを頬張りながら勉強していると突然LINE電話がかかってきた。

みらいだ。

素早くスマホに手を伸ばし電話に出た。

「ねえ、受験終わったら卒業旅行行こうよ。

修学旅行でまわったとこ、また二人で全部回ろう」

みらいは電話越しにそう言った。

私が

「うん、絶対行こう。約束

と言うと

「うん。約束。」という言葉最後電話が切れた。

突然そんな提案をしてきたのには驚いたが、その約束は私を鼓舞した。

そして迎えた共通テスト

かつて無い手応えを感じた。

自己採点をするとこれまで取ったことのないほどの高得点だった。

私は私大1本だったか2月受験は終わった。

みらいは家の都合で国公立しか受けられないと言っていたか3月にならないと結果は出ない。

祈るような気持ち2月を過ごした。

3月の頭、卒業式があった。

式が終わってもみらいの元へ向かった

「◯◯、待ってた」

そう彼女は言った。

写真撮りたい」

そう言うと彼女は私にカメラを向けてきた。

自分顔面に自信が無い私はせっかくだから二人で映ろうよと言って彼女スマホを借りてツーショを撮った。

その後は卒アル落書きをし合って別れた。

案外あっさりした別れだった。

そのときはそれでいいと思っていた。

だって卒業旅行に行こうと彼女は言ったから。

その日、LINE彼女スマホで撮った写真が送られてきたのを最後彼女からLINEが送られてくることは無かった。

みらいは志望校合格したら連絡すると言っていた。

彼女志望校合格発表日が過ぎても連絡が来なかったので、私はある決意をした。

整形をする決意を。

幼い頃から親に「醜い顔で産んだから形代は出すよ。ただし、高校卒業したらね」と言われていた。

今こそその時だと思い、すぐカウンセリングの予約をし、施術プランと日程も決まった。

私の思い一重は施術とダウンタイムを経て左右差のない整った二重になった。

大学が始まってからもみらいから連絡が来ることは無かった。

私は私で上京したので新しい暮らしと新しい環境に慣れるので精一杯でみらいに連絡している時間もなかった。

二重になってから人生難易度体感20レペル下がった。

大学同級生とはすぐに仲良くなれた。

それこそみらいが高校時代同級生から言われていたように

かわいい」なんて言われるようにもなった。

高校時代までの私からしたら信じられないほど環境が変わった。

やっぱり美は正義だなと感じた。

前期は友達遊んだテストレポートと格闘している間に過ぎ去っていった

夏休みも終わりに差し掛かった頃、ふとみらいのことを思い出した。

そして私からLINEを送った。

時間後、数日後、数週間後。

待てども待てども返信が来ない。

それどころか未読無視をされている。

プロフィール画像などは変更されているかLINEを見ていない訳では無いだろうに。

つの間にか私は彼女LINE確認しなくなっていった。

しかし私は今でもふとした瞬間にかつての彼女を思い出してしまう。

例えば鏡で自分の顔を見るとき

いつだっただろうか。

私とみらいはあの時担任が言ったように本当に瓜二つだと初めて気付いたのは。

卒業式の後、送られてきた彼女と一緒に写った写真をまじまじと見てみると

私と彼女は鼻の高さ、形、口の大きさ、頭蓋の形が本当によく似ていた。

そう、違っていたのは目だけだった。

私が二重に整形したことで、私の目はぱっちりと開くようになり、彼女の瞳の形そのものになっていた。

今の私と彼女双子のようにそっくりなのだろう。

今の彼女はどんな顔をしているのだろう。きっと美しさが増しているだろう。

そんなことを、私は鏡で自分の顔を見ると考えてしまう。

・・・

今日見た夢は

みらいと数年越しに会って食事なんかしながら

近況や今までのこと、あの時はお互いをどう思っていたかについて話し合う夢だった。

美しいのは相変わらずだなぁなんて彼女を見つめていると、

「◯◯、整形したの?良いじゃん似合ってるよ」なんて言ってきた。

本当に彼女らしいなんて思っているとアラームの音で現実に引き戻された。

起きて夢かぁと思いながら十数ヶ月ぶりに彼女LINEを開いたがやはり既読はついていない。

午後、用事を済ませて家に帰って来ると既読がつくはずないのになんとなくまたみらいのLINEを開きたくなった。

その衝動のまま、トーク画面を開き、自分の送ったメッセージを目で追う

「みらい!最近どう?元気?」

見慣れたそのメッセージの上に目を向けると、そこにはそのメッセージを送った日付が表示されていた。

それを見て息を呑んだ。

そこに表示されていたのは

「1年前の今日の日付」だった。

こんなに都合のいいタイミングで夢に出てくるほど彼女の幻影をいつまでもいかけている自分が心底恐ろしい。

という話。

2023-08-06

紙の辞書を買った

買ったのは新明解国語辞典(8版)

別に辞書趣味ではないが言葉を扱う機会が増えてきたので索引先を明解にするために買った

辞書的な意味ではこれはなんというのだろう、ということを日々考えていたので今更ではあるが

これとは別に10年位前に当時の会社上司や先輩から紙の辞書を勧められていたのを思い出す

ただし彼らは別に辞書のものを愛用していたり実際に所有・使用しているわけではない

たんにネット検索している自分への当てつけに言ったに過ぎない

いわく「紙の辞書だと雑学が深まる」「ネット検索しても紙のような発見はできない」のだそうだ

当時は鼻で笑っていたがそれも一理あるとは感じていた

だけど勧めている人が別に辞書に興味を持っていない時点でその言葉には大した重みはないと感じる

辞書書籍は単なる知識の塊でしかないので使っている人にのみその恩恵がある

読書は単に知識材料提供するだけである。それを自分のものにするのは思索の力である。』

イギリス哲学者 ジョン・ロック

2023-07-29

anond:20230729012429

これは教養のある増田

命を見て世界思索を巡らせるのは本当に満足してる人間じゃないと難しい行為だし、スーパーセンタートライアルかいうクソダサを極めたスーパー名前がとても良い

真ん中の挑戦…?まあこの田舎では中心地なんだろうなと言う事は感じ取れる。しかもド田舎なのに夜10時以降もやっている。これは大変な事ですよ。

2023-07-05

anond:20230704192359

左翼はそんな主張してないってブコメ多いけど自分たちの主張はこうですとは言わないのね

それが何か問題あるの?お前だって自分の主張はこうですとは言ってないよね?

まあどうせ徹底した思索の上で書いたエントリーじゃなくてなんとなくパヨク攻撃されて気分が悪いと思ったから書いただけだろうからそんなもんあるわけないだろうけど

ネトウヨって虫みたいだよね

その場その場で右往左往するの

2023-06-18

anond:20230616221824

その2つの値段差が倍ほどあるとして

その間を埋めるべく納得できる材料がそれだけの思索と行動だったんだよね

売ってる側は知名度販売域とか品質保持とか原材料選択して価値ピークを食べた経験に置いてるとは思うけど

買う側としては経験したあとの残留現金量に比重をおいたんだね

その選択肢もちゃんと捉える商品ラインナップがあったことは豊かさだね

君が食べた情報としてはそれだけの体験ができたというアイスに纏る自分再確認だったんだね

倍払える人はそれをすっとばして体験だけを得て空いた時間は別の事してるんだろうね

アイスでうめつくされた時間価値を満足出来たことはきっとよいものだったんだろうね

2023-05-17

早く子供を持てば子育てが終わっても若くて自由に生きられるという話

いま話題のこの増田 https://anond.hatelabo.jp/20230515161310 もそうだけど、最近インターネットでは

「早いうちに子供を持てば子育て終わっても若いから自由に好きなだけやりたいことをやれる」

という意見が褒めそやされ拍手喝采で受け入れられる傾向がある。

しかし、上の増田でもそうだけど、例えば20歳子供を持ってとにかく家族のために働き20年過ごし、いざ「子育て終了!自由だ!」となったとき自分自身は、

20歳から働けるようなキャリア20年間働き続け、その間は家庭と子育て重視で自己研鑽思索も新しいことをやる試行錯誤経験中途半端な、20歳に毛が生えた程度経験しかない上に肉体的にも精神的にもくたびれた自由40歳

しかないと思うんだよね。

自由自由で、好きなことをやれるのはその通りだけど、その状態からできることってそんなに大したことじゃなくなってしまうというのがあると思う。

新しい趣味ギター始めちゃおっかな〜とか、海外旅行行きまくっちゃおうかな〜とか、そういうのはできるけど

音楽プロになるために自分が納得するまで挑戦してみるとか、海外赴任して国際的ビジネスにかかわるとか、そういうことは(本当にごくごく一部の超例外を除いて)不可能だと思う。

みんなそれが分かっているから、早く子育てが終わって自由になれると理解していてもそうしようとはしていないんじゃないの?と思う。

挑戦したいこととか達成したいこととか全然ないですお金が稼げて楽しく生活できればそれでいいですというのが最近ネットでは主流派かのように言われるけど、言ってるだけで実際は全然そんなことないからこそ少子化してるんじゃないのと思う。

2023-03-14

3月14日

家事をしていると脳が勝手物事を考え始め、思索を深め、世界真実へとたどり着くのだが、

その思考ゴム手袋をはめた手ではメモを取ることも出来ず、洗剤混じりの汚水とともに排水口へと流れてゆく

そんな今日3月14日はオキシクリーンの日!みんなもお掃除して部屋も気持ちスッキリちゃお

2023-02-14

anond:20230213135504

大学はぜひとも不義理があって行きにくいところであるべきだという固定概念(?)(固定観念誤記?)がある。

裏を詮索するに、(大学にとって)我々(ごとき教育などというの)は物足りないのだろう。

(我々が役不足であるという)結論が出る状態に至るのも嫌なので、話の核心部分だけにしておこう。

さて、狭いユニットバス性癖解放しよう。

最高学府は須く敷居が高いという固定概念がある。穿った見方をすれば、我々の役不足に過ぎないのだろう。煮詰まるのも嫌なので、話のさわりだけにしておこう。さて、狭いユニットバス性癖解放しよう。

「須」は漢文で「すべからく」と読み下す場合は「〜べし」とセット(成句)だが、国語辞典では「下に『べし』が来ることが多い」と説明されており、つまり「べし」を伴わない用法も許容されている。

煮詰まる」には「もうこれ以上新たな展開が望めない状況」という意味もあるので、今回はそのような意味だった可能性もある。大抵のものさわりこそ煮詰まった末なので、煮詰まるのが嫌なのにさわりだけにするというのはいささか不自然ではあるが、結論のみ投げられている分には案外逃げ道があったりするので、そういうシーンを想定しているのかもしれない。

性癖解放ということは、日頃は己の性癖を抑えているのだろう。単にユニットバスというのではなく狭いというからには、もしかするとバストイレ一体型かもしれない。したがって住居自体も狭いだろう。狭い住居のさらに狭い風呂場、したがって他人からも見られない、そんな所でのみ自身の偏りを表現できるという。

この閉塞感の背後にはもしかすると、己の学問心が非才ゆえに大学で軽くあしらわれてしまったというような、大学に対しコンプレックスを抱くような挫折があったのかもしれない。己の凡才ぶりという核心に正面から向き合うのも苦しい。

そうすると、狭く孤独風呂場で開放される性癖とは、学問的な思索かもしれない。

2022-12-19

anond:20221218205833

わたしは「もにょる」という言葉が嫌いです。しかしその理由をここで開陳するのはやめておきましょう。そんなことを書き出したらわたし本来書きたいことが書けなくなってしまますから

わたしが書きたいのは、元増田さんが

もにょるに苛ついてるのも大概HSP…繊細さん(笑)だと思う

ということについてです。

元増田さんはきっと「繊細さん」ではないのでしょう。「繊細さん」を「(笑)」などと言って嘲笑しているのですから

なぜそう判断するのか。簡単です。多くの人は自分嘲笑したりしません。というか、できないのです。自分あざ笑う為には自分客観的に観察する必要があるからです。多くの人が自分の心は、胸若しくは頭の中という自己の体内にあると認識していて、それを自分の外部に持つことができないのです。自分あざ笑う為には自分の体の外部に視点を持って自己点検してみなければなりません。目の玉を切り離してその目で自分を見るというようなホラー映画のようなことを言っているのではないですよ。思索のことです。そういう思索が多くの人はできません。元増田さんはきっとそうできない、そうしない人でしょう。だからこんな一文を全世界から閲覧できるインターネットに放つのでしょう。でもご心配さらないでください。元増田さんはきっと多くの人と同じですからマジョリティですからマジョリティであることほどこの社会で生きていく上で安泰なことはないのですから

すいません。元増田さんが繊細さんではないという説明字数を費やしてしまいました。わたしが書きたいことはそれではないのです。ただ元増田さんが繊細さんではないという前提で話は進めさせていただきます。その条件は整っているので。

話を進めます。世の中を白か黒かに二分することをわたしは悪手だと思っています。が、しかし、世の中は繊細さんと鈍感さんに二分されると思っています。その間には大きな中間部が存在して実を言うと彼らこそがマジョリティです。中間層にもグラデーション存在しますが、しかし繊細さんが問題になるときには、その中間層と鈍感さんが結託して繊細さんを苦しめるのです。だから中間層も鈍感さんの寄りの人々は鈍感さんの一部であると言ってもよいとわたしは思っています

わたしが言いたいのはここからです。この世界は未だに鈍感さんに支配されているので残酷まりないのです。あなたたち鈍感さんが何も気にしていない、どうってことこと無いと思っているせいで、環境問題や、地球人口の増大や、資本主義の行き過ぎや、貧富の拡大や、男女格差問題や、女性の生き辛さや、男の苦労や、結婚できない若しくはできなかった男女の苦悩や、結婚子育ての大変さや、資源を浪費することや、核爆弾人類死滅してしまうかも知れない危険性や、科学を軽視しスピリチュアルに心の癒やしを求める問題や、インターネットによる陰謀論拡散や、差別発言問題や、利己的でなければ敗者に陥ってしまうことや、障害者の生き辛さや、あらゆる犯罪や、共産主義不自由さや、綺麗で印象の良い言葉を次々に無思慮な人々が汚染していくことや、労働者の酷い待遇や、権力者の横暴や、腐敗や、既得権益や、行政不作為や、ルッキズムに関することや、子どもたちに真っ当な教育が届けられない問題や、人口の減少問題や、マチズモや、自己責任論や、著作権や、資本を持つもの資産を拡大し維持しつづけるというシステム問題や、詭弁や、宗教原理主義や、知識人の軽視や、警察の横暴や、勘違いしたフェミニズムの行き過ぎや、儲かれば法に触れない程度で何をしても良いと思っている人たちの問題や、暴力連鎖や、権力者批判することを揶揄する人々の薄気味悪さや、都会の若者孤独や、高齢者孤独や、詐欺しを教祖だと勘違いすることや、自然が日々損なわれいてる問題や、性的表現問題や、商業の無法さや、法の軽視や、音楽家に対価が支払われない問題や、過去発言を顧みないコメンテイターや、氾濫する性的画像や、右派暴力的な言説や、倫理を超えた技術有用性や、左派の極端な規制主義や、識者を名乗る人が権力者に寄り添った発言しかしない問題や、労働者を軽視する経営層の発言や、異常気象や、生活が困窮していく人が日々増えている問題や、あらゆる問題世代問題にして解決しようとする安易言論や、質疑応答言語共通理解破壊されている問題や、良い権力者には権限を無制限に与えてもいいという安易な強権国家入り口や、南北極圏の氷山が融解する問題や、グローバルノースとグローバルサウスの問題や、エネルギー問題や、自由制限することで効率化がはかれるのならそれを推し進めようとする人たちがいることや、税金の使い途や、政治家不透明性や、核廃棄物万年単位管理し続けない問題や、日々劣化していく倫理観の問題や、不採算部門は切り離してもよいという行政営利企業目的を導入することや、美しいもの以外は滅んでもいいという傲慢さや、情報発信が容易になっていくことになることで不確かな情報拡散していく問題や、伝統が失われていく問題や、科学の軽視や、豊かさという強さに人々が憧れを抱き思慮もなくそこに追随していく問題や、権力差の強さに同調して同じ論調を繰り返す愚かな人々の問題や、後先顧みずに営利原理主義で法の穴をつく者がいる問題や、弱肉強食種の起源本質である勘違いしていることや、戦争貧困倫理常識平等や公平や優しさが失われること、は改善改革もされず放置されています

もう少し真面目に繊細さを獲得すべきだと思います。というか、これらは繊細差の問題ではなく、あなた達が鈍感過ぎることによる弊害です。

人のことをあざ笑う暇があれば少しは考え直していただきたいです。

2022-12-14

anond:20221214194834

あなた分析力が高い。

俺の言葉で言うと物語フレームって感じか。しかあなた説明を通すともっと具体的に、明確にイメージできる。説得力がすごい。

俺も以前考えてた。ロボットアニメロボットが出てくる理由

おそらく販促のためだろうなって。

男児ロボットが好きだからロボットを出している。

しか男児ロボットを好きってよくよく考えると意味わからんね。

男性ホルモンの影響で競技などの勝負事や戦争、バトルトーナメントを好むのは合理。

だけどロボットが好きって何? 原始人の雄の狩りは原始的ロボットを使ってたの?

STEMとか理系科目を男性は好むらしい。その影響だと考えると理解できるが…

でもそもそも理系男性が好み女性が避ける理由意味不明だ。

男性論理女性共感

を認めると、少女マンガ恋愛メインなのにも説明がつくが…?

ってここまですらすら書けたけど、

流石に信じんぞ。深い論考には深い思索が不可欠。

2022-11-26

anond:20221126163527

文脈理解する必要があるかはわからないが、意思決定AI作るのにわざわざ「哲学」というものを導入する必要特にないよなぁ

結局哲学好きな人の言う「哲学とはなんぞや」みたいな話になってて、思索すること全体を哲学と呼ぶならそりゃ哲学いるやろってなるし(〇〇を作るためには言語必要ですとか言われてるのと同じ)、ナントカ主義どうこうの議論哲学と呼ぶなら別にお前らいなくても何一つ困らんぞって気持ち

2022-10-25

恋愛を「優生思想認定する人達、「思想」の意味が分かってないよね

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%9D%E6%83%B3

思想(しそう、英: thought)は、人間自分自身および自分の周囲について、あるいは自分が感じ思考できるものごとについて抱く、あるまとまった考えのことである。」

「単なる直観とは区別され、感じた事(テーマ)を基に思索し、直観で得たもの反省的に洗練して言語言葉としてまとめること。また、まとめたもの哲学宗教の一部との区分曖昧である。なお、その時代が占める思想の潮流(時勢)のことを思潮と呼ぶ。」


まり思想とは、直観で得たもの反省的に洗練して言語言葉としてまとめること又はまとめたものを言うのであって

単なる直観思想ではない。

恋愛というのは、思想とは区別される「単なる直観」の最たるものでしょ?

例えば、一女性個人として「低身長の男とは結婚したくない」と思う事は単なる直観だ、

だが、「低身長の男は(如何なる女性とも)結婚すべきではない」となったらそれは優生思想

こういう単なる直観というか好みって何も恋愛、というか人間相手に限った事じゃないんだけど

人間相手の時だけ優生思想認定する人が増えるよね

例えば、「犬より猫が好きだから猫を飼いたい」は優生思想ではないが、

「犬は全て殺処分すべきだ」となったら優生思想

あるいは、「肉や魚は苦手なので食べたくない」は思想ではないが、

「肉や魚は動物虐待であり環境にも悪いので食べるべきではない」となったら、それはヴィーガニズムという「思想」。

2022-10-21

人生の中の数年は嫌でも物質的にマテリアルに生きなければ思索に耽る事もできないのだ

と思った

2022-10-09

沖縄の話、感情的問題なんだって話が結構出てるけど、職場で隣に座ってるやつの気持ちも考えもわからんのに、沖縄の人のことなんて正直遠すぎてわからんわからんけど、わからんなりに大変で気の毒だなという素朴な気持ちはある。

 

ただまあ、日本自体軍事的にはアメリカ属国なわけで、基地問題はこっちに言われてもな、感はある。

国のメンツがあるから日本がなんか関与できる風な態度でいるけど、実質的にはアメリカに逆らえない状態でしょ。「極東軍事事情が云々」だってアメリカの都合の代弁者になってるだけだし。

正直直接アメリカとやりあった方が話が早いと思うので、琉球として独立したのちに自分アメリカ交渉したほうがよさそう。

琉球っていう独立国が日本支配され、アメリカ占領され、日本に復帰したけど、なんで琉球まで戻らずに日本復帰だったんだ。

二次大戦後の帝国主義国家から独立ラッシュをみても琉球になるべきだったのでは。

 

結果として軍事的緊張とか実際の戦争とか起きるかはわからんけど、沖縄の人の気持ち解決するならそんなに悪くはないでしょう。

今のままだって戦争になるかもしれんし。仮にひどいことになっても、苦しい目に合う人のお鉢がこちらに回ってくるのは仕方ないところはある。

自分の中の沖縄への罪悪感に向き合っても、じゃあこちらがひどい目にあってもいいよ、としか言えないぐらい何もできない立場

 

という雑感、というかニュース眺めるぐらいで何もできることはない立場から思索

2022-10-04

哲学者って人生退屈しなさそう

なんでも深く考えられるから退屈というものがなさそう

いつも使っているドライヤーを眺めながら3時間は平気で物思いに耽りそう

近所をぶらぶら散歩に出かけても斜向かいの家の生垣に咲いたカンツバキを見てしばらく立ち止まりその美しさに浸っていそう

旅行なんて行った日には目に入るあらゆるもの思索欲を刺激されて大変そう

情報量洪水で全てに時間を注げない勿体なさに歯痒さを感じつつも喜びに震えていそう

哲学者って人生楽しそう

2022-09-28

北斗七星人間寿命運命の話

北斗の拳』が大ヒットした当時、学校見学旅行プラネタリウムを訪れたことがある。その際に、解説役の女性ナレーターが、おおぐま座北斗七星について語る場面で「誰ですか?『死兆星が見える』なんて言っている人は」とジョークを挿入してきたことを、場内が爆笑の渦に包まれたことと共に、今でも記憶している。

北斗の拳』がヒットして以降「北斗七星は死を司る星辰(星座)」という認知も、神話伝承にそれほど明るくない人々にまで普及した。特にプラネタリウムでもジョークに用いられた「死兆星」は、たとえ天文学的正式名称(ミザールとアルコル)を知らなくても、当時の少年ジャンプ読者で知らぬ者はいないと言っても過言ではない。

この北斗七星柄杓の柄の端から2番目の星が、二つの恒星から成ることを見分けられるか否か、それを尋ねることで兵士視力検査するという手法が、古代エジプトでは採用されていたという。しかし、古代エジプト人が寿命の長短を判定するのにこの二重の星を利用していたか否かは、寡聞にして知らない。西欧星座伝承の大部分は、古代エジプト以外で言えば、古代バビロニア古代ギリシア・ローマ等に起源を持つと思ってさほど間違い無いと思うのだが、これらの方面でも寿命の長短を見分けるのに使われたという形跡は、今のところ見かけた記憶が無い。単に私が不勉強で知らないだけかもしれないので、有識者意見を知りたいものである

死兆星元ネタとして、とりあえず直ぐに思いつくのは、この二重の星が日本では民俗名称として「ジュミョウボシ」と呼ばれていたことであろう。この名称個人的に初めて知ったのは、星空に関する多数の優れた本を著し、我が国における少年少女天文ファンの数を増やすことに貢献した、作家野尻抱影(SF作家野尻抱介ペンネーム元ネタである)の本で読んだ時であった。野尻抱影の本には、次のようなことが記されている。

この名の由来は、二重の星を見分けられなくなった者は、それからから一年かそこらで、御迎えが来ることから付けられたものらしい。主に、漁業従事生活者たちの間で用いられていた名称のようである海上での航海が主要な部分を占める漁業において、視力の良さは要であった。そのため、視力の衰えは即ち食い扶持を稼げなくなることを意味し、そこから、星が見えなくなることで寿命が来たのを悟るという話になったのであろう、と。

まり、ジュミョウボシは、死兆星とは正反対に、見えなくなることが死の予兆というわけである。おそらく『北斗の拳』の作者たちは、星が見えなくなるよりも、見えるように変化するという現象にした方が、視覚的に表現することが容易である(見えない星では絵に描けない)という漫画表現上の要請から、これを改変したものであろう。

これ以外に、北斗七星人間の生死に関わる星辰として語られる起源を遡れば、中国東晋時代の人・干宝が著したとされる志怪小説『捜神記』に収められた物語に行き着くことになる。

原典漢文を読んだわけではないし、若い頃に読んだ日本語訳(私は平凡社東洋文庫で読んだ)の記憶を掘り起こすだけだが、おおよそ次のような物語である

「或る農夫が、息子と共に畑仕事をしていたところ、その傍らを方士が通りかかった。方士が、農夫の息子の相を見て『この子は、このままでは十六の歳で死んでしまう』と彼らに伝えた。驚いた農夫が、方士に『それを避けるためにはどうすればいいのか』と尋ねると、或る策を授けてくれた。方士言葉に従って、農夫は、用意できるだけの酒と干し肉を携えると、南の畑の桑の木が植えられた場所へと赴いた。

方士が教えてくれたとおり、南の畑の桑の木陰では、二人の老人が囲碁に打ち興じていた。囲碁に夢中になっている老人たちは、農夫が傍に来たのにも気づかない様子であった。方士に言われたとおり、農夫は無言のままで、酒と干し肉を老人たちの手元にそっと差し出した。碁を打ちながら老人たちは、差し出されるままに干し肉を食べ、酒を飲み続け、農夫はお代わりを差し出し続けた。さんざん飲み食いし終えた後で、ようやく二人の老人は、農夫の存在に気がついた。

二人のうち、険しい顔つきの老人が『何者だ貴様は?いつから傍にいた?人間が儂らの傍で何をしておる?』と責め立てたが、方士に言われたとおり、農夫は平身低頭して無言を貫いていた。すると、柔和な顔つきの老人が『この者が振る舞ってくれた酒と干し肉を、儂らは楽しんだのだ。そう怒るな』と、怒る一人を宥めた。そして『この者に、酒と干し肉の返礼をせねばなるまい』と柔和な顔つきの老人が言うと、険しい顔つきの老人と共に何やら帳面を捲り、農夫の息子の寿命が『十六』と記されている箇所を彼らは見つけ出した。険しい顔つきの老人が、渋々それを『六十』と書き換えると『これでよかろう。もう去れ』と農夫に言い渡した。農夫は無言のまま、二人の老人に頭を下げて感謝の意を示すと、その場を去って家に帰った。

家で待っていた方士に農夫が一部始終を伝えると、方士は『これでお前さんの息子は、もう心配が無い』と言った。農夫が『あの人たちは何者なのですか?』と尋ねると、方士は次のように語った。

『あの者たちは、北斗と南斗である。柔和な顔つきの方が南斗六星、険しい顔つきの方が北斗七星である。人は南斗からまれ、その生涯は星々の間を辿り、北斗へと還る。それで、人が寿命を延ばすためには、北斗祈りを捧げねばならないのである』と」

現代人の目から見た感想を率直に言えば「これ、お人好しの農夫が、単に詐欺に遭っただけじゃねえか?」と思うところであるが、それは置いておく。

天空天体太陽や月や星や星座の動向が、地上世界で生きている人間に影響を及ぼす、或いは逆に、人間運命その他の動向が、星など天空現象に反映されるという考え方は、洋の東西を問わず広く見られる文化現象である。そういう意味では『捜神記』の物語も、ごくありふれたものだと多くの人は思うかもしれない。

しかし、私が『捜神記』の物語面白いと思うのは、最終的に北斗七星南斗六星のように夜空で目立つ星座重要な役目を果たすにせよ、社会的に見れば無名の人にすぎない農夫の息子のような人間にも、個別対応するような名も無き天空の星が存在しているという考え方を示している点である

古代ギリシアには、現代民主主義政治の源流があったけれども、無名市井の人であっても天空の星との結び付きを得ることが出来る、という古代中国のような発想には至らなかったようである。してみると、天空の星との結び付きに関しては、古代ギリシア・ローマは、神話登場人物レベルの選ばれた者にのみ許されるという選民思想だったわけである。そう考えてもらえれば『捜神記』の物語ユニークさを分かってもらえることと思う。

北斗七星おおぐま座のように、明るくて目立つ恒星とそれらが形作る星辰(星座)は、自然と人目を惹くものから古今東西人類の記録に残されている。金星火星木星などの惑星もそうである太陽や月は言うまでもない。しかし、観測技術が発達するまでは、星辰(星座)の構成員になるほどの明るさを持たない目立たない星々のことは、一々観測して天球上のどの位置存在するのか、動いているのかいないのかと確かめることは非常に困難であったことは想像に難くない。しかし、事実として夜空には、命名位置確認も追いつかないほどの無名且つ無数の星々が存在することを、昔の人は知っていたのである科学的な知識を持つ我々現代人よりも、むしろ昔の人々の方が、実感としてそれを知っていたはずである現代文明社会のように至る所に夜間照明がある条件下とは異なり、太陽が沈んで「本物の夜の闇」に包まれて空を見上げた昔の人々の肉眼には、文字通り無数の星々が見えたのだから現代人も、もし口径が大きい双眼鏡の力を借りて夜空を眺める機会を得たならば、その時は、名前も知らない星々の多さを実感して驚くことだろう。私は今でも時々、双眼鏡で星空を見て感嘆する。

こういった、存在することは分かっていても昔の技術では天球上の位置を確定することが困難であった無数の星々については、占術師たちが「実は、天球上の無数の星々は、消えたり現れたり移動したりしているのだ」と主張したとしても、民衆確認しようが無く、比較簡単に信じてもらえたことだろう。恒星の間を動き回る「惑星」、何処からともなく現れる「彗星」、明るさの変化する「新星」など、変化を示す天体現象現実に見られることも、占術師たちの主張を補強してくれたに違いない。

ただし、庶民自分個人運命専用の星を天空の何処かに持つことができたとしても、自分意志でその星を動かせる訳では無い。天空の星の動きでも人生でも、同じことである王侯であろうと庶民であろうと、現代人であろうと昔の人であろうと、人生を己の自由にするというのが困難なことに関しては、立場は同じである自分人生がままならず、自由意志で動いているのではなく、自分以外の超越的な何者かによって動かされているのではないかと感じるという感覚は、古今東西の汎ゆる宗教的思索の出発点となる。

この何者かに動かされているという感覚を『捜神記』の筆者は、南斗・北斗の両老人が打つ囲碁の対局という形で表現している。つまり、ここでの囲碁の盤面に配置されている碁石とは、夜空の無数の星々の象徴ではあるまいか将棋チェスの駒とは異なり、碁石は没個性的である分だけ、名も無い星に擬えるのには都合が良い。囲碁という遊戯起源がどのようなものであるか、それを現代人の我々が確実に知ることは不可能であろうが、もしかしたら、星々の配置を操作することによって人間運命を変えようと働き掛けるような、呪術儀礼としての遊戯にその起源の一端を持っているのかもしれない。

もっとも、これはあくまでも個人勝手空想に過ぎないので、南斗六星から北斗七星へと星空を動くというのであれば、この場合には囲碁よりもむしろ双六の方が象徴的な遊戯には相応しいのではないか、といった具合に幾らでも異論を唱えることは可能と思う。

それに、南斗と北斗囲碁の対局結果は語られていないので、囲碁の対局によって星々が動かされ、運命が左右されるという仮説は、正直に言えば我ながら牽強付会であることは否めない。まあしかし、たとえ学問専門家ではなく、実生活に役立つわけではなくても、こういった空想をすることは非常に楽しいので、なかなか止められないのである

農夫が酒と干し肉提供した行為が、祈願の対象である神への御供え行為であることは無論言うまでもないが、この他にも、無言を貫くという後代の神事や魔除けにおける物忌と通底する行為が見られる点や、南斗・北斗の翁神に邂逅する場所が霊樹の一つである桑の木の傍である点など、興味を惹くところがまだまだある。いずれまた暇を見つけて『捜神記』を再読してみようかな。

2022-09-19

anond:20220919090423

男の性欲を「彼を傷つけずに」無くす方法存在するよ!!

コツは理想女性身体イメージさせること。

あなたにとって究極にエッチ女の子身体ってどんな感じ?」

最初こそ恥ずかしがったり、真面目ぶって明言を避けたがるだろうけど。

そこは上手く信頼関係を築いて、自由思索をうながして。

おっぱいは垂れてる感じがいいか、とか乳輪の色は? 形は?

この女優の顔、ダメ出しするならどこが問題? エラの張り方は理想に比べてどう?

気にくわないポイントを挙げるならどこ?

そんな風に性的理想女性を追い求めさせる。

一見より性的に旺盛になるように見えるけど、実は逆効果になるんだよね。

夢のエロティック女神なんて実世界には存在しえないし、仮に存在したとしても自分人生では決っして手が届くことは無い。実際にやらせてるのは、そんな現実再確認する行為。やればやるほど性欲と現実ギャップを思い知らされて、性欲の萎えが期待できるってわけ。

面白いのは、理想女性像を二次元に設定しても同じ効果が得られるってこと。

このエロ画像は、このヒロインは、本当に究極にエッチか? 落ち度はないか? って考えると必ず欠点が見つかる。ダメ出しする程に絵のアラが見つかるようになって、追えば追うほど未だ見ぬ女神は遠ざかってしまう。

2022-09-07

anond:20220906195034

単に女がムカつくから叩きたいだけっていう明確な理由があるのに何をそんなに悩む必要があるのだ?

単語で言うと差別だが。

私は貴方レスをした増田を書いたものだが。

考察する必要があると言ったきり、私自身の見解を述べていなかったので追記に記した。

思索の結果、悩む必要のある事が隠れていると解った。ぜひ読んでいただきたい。

警戒しろという要請が「単に女がムカつくから叩きたいだけ」ではない場合がある。

その解説はここに書いた。

https://anond.hatelabo.jp/20220907021026

かに言うとおりミソジニーによる性差別攻撃場合があって、元増田からのツリーでもそれは明白に見てとれる。しか差別マスクされている奥にも、差別構造が隠れていて、それが表面上のダブルスタンダード引き起こしてるんだ。

想像だが、「女性論理的でない」などという言説の実態の背後すべてに、こうした社会構造が隠れているのではと思う。

2022-08-29

anond:20220829113902

ポンコツは1エントリあたりの密度が低い

漢字をあまり使わない、ひらがなが多い

・常にツイッターに張り付いてて目の前の事象脊髄ツイートする

仕事生産性ではなく、人間のことをつぶやくことが多い

思惟思索ではなく、日常出来事をつぶやいている

あたりかな

こういうのはミュートして、この逆をしている人のツイートだけ選別できるのもいい

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