はてなキーワード: 考察とは
誤用ではありませんでした
謹んでお詫び申し上げます
「恣意的 誤用」で検索すると非常に沢山の記事が出て来ます、もう何年も前から有名な話なんですね
こんな有名な誤用も知らずに自分は今の今まで、ドヤ顔で「恣意的に~」とか使っていたわけです
正しい意味を知っている人たちは誤用を見るたびに内心笑っていたことでしょう
本当に恥ずかしい……
以下正しい使用例です
「恣意的」であるとは一貫した思想に基づかずその場限りの考えに基づいている点で、明確な目的をもった「意図的」とは区別されるべきである
ttp://d.hatena.ne.jp/keyword/%D7%F3%B0%D5
『恣意的』という言葉は、文中での登場の仕方が似ているせいか意図的、作為的、故意とという意味で使われることがあるが、恣意的には、無作為や定まった意図がないというニュアンスがあり、正しくない
http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%81%A3%E6%84%8F%E7%9A%84
▼「恣意的」を「意図的」と同じ意味で使ってる人は低学歴 「恣意的」は「偶然に」という意味ですよ
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1343400752/
自分や誰かの行動の理由が説明できない(と思われる)ときに使います
▼恣意的の読み方は?皆が誤用しているその意味とは?反対語は?
http://rubeusu-trend.com/1709/
▼どうして意図的って書かないの?
「勝手気ままに」「任意に」「ランダムに」「自分勝手に」「無作為に」「その場その場の思いつきで」
http://blogs.yahoo.co.jp/delightful_mikan/60763792.html
▼【誤字等の雑記帳 3】
深く考えず、でたらめに行動している様子
分かりやすく2点書き出すとすると
ということらしいです
つまり「意図的」という言葉に置き換えてもニュアンスこそ違えど意味が十分に伝わる文章や、"偶然に"といった意味が含意されていない文章は誤用ということですね
ではここからは誤用だということも知らずにドヤ顔で「恣意的に~」とか言ってる日本語の下手くそな馬鹿達を見ていきましょう
▼****さんのツイート
まずは個人です、まあ可哀想なので晒さないであげますが、NHK批判の前に自分の言葉を直してほしいですね、思いっきり誤用しています
▼政府、年金運用情報を開示へ…懸念払拭の狙い : 政治 : 読売新聞
次は世界最多の発行部数を誇る読売新聞、なんと振り仮名まで振って誤用しています、これは恥ずかしいですね、情報公開で偶然性を廃するなんて意味不明ですからこれは言い逃れできません
▼フェイスブックのニュース表示 恣意的と指摘で調査 | NHKニュース
フェイスブックが利用者の画面に表示するニュースについて共和党の政治家の話題を避けるなど恣意的(しいてき)に選ばれているとアメリカの一部のメディアが伝え、内部で調査が進められることになりました
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160514/k10010520761000.html
言葉遣いには厳しいはずのNHK、なんと表題で誤用してます、相当恥ずかしいですね、しかもこれは"偶然に"という意味だったとは絶対に言い逃れできない誤用です、NHKしっかりw
▼「哲學研究入門」小石川書房 - 1949(昭和24)年9月30日発行
併しこういう歴史的現實の把握は全く恣意的な直觀に訴えるわけにはいかないから、そこに類型的了解ということが必要になって來る
京大名誉教授、矢田部達郎先生が1949年に上梓した本の一節です、旧字体でカッコつけてる割には普通に誤用してますね
場当たり的な直感っておかしいですし、明らかに「作為的な」という意味で使っています、先生どんまい
全文読めばわかりますが、明らかに偶然性など含んでいませんし、自分の思うままに~という典型的な誤用例と同じ形で使っています
皆さんご存知、坂口安吾の文章です、文意にはまったくもって「ランダム性」など含まれていません、典型的な誤用ですね
▼油脂の浪費は法度監視制を創設 : 帝国油糧重点統制要綱決る : 化学 日本産業経済新聞 1943.4.14
地方割当民需(雑工業油、食料油等)の割当を、地方官吏の低度観点、古めかしい実績主義、業者請託による虞あるが如き恣意的割当等に委せない制度の確立
▼日支政府相呼応す : 社説 - 大阪朝日新聞 1940.3.31
思うに、今般反共和平建国親日政府の樹立の挙たるや、他国家のロボット政権として恣意的に駆使するていの意図によるものでもなくてさりとて戦争相手国政府として講和談判の衝に当っているわけでもない
▼減債基金存廃問題 大阪朝日新聞 1916.11.22(大正5)
経常費とす可しというにあり、乍併這は既にシェフレーの言えるが如く国債償還費は恣意的に定む可き最可動的の臨時費として各年の予算状態に応じ国家余裕を考察し大小有無伸縮的に定めらる可く
大正の新聞記事です、「ほしいままに~」という意味で使っています、偶然やランダム性などという意味は含まれていません誤用ですね
ちなみにこの大正5年の使用例が調べる限りでは最も古い「恣意的」の使用例となっています
つまり「恣意的」という言葉は一番最初に使われた時、生まれた瞬間から誤用されていたんですね
そしてこの大正5年から2000年頃まで、1世紀近くの間、ほぼ全ての使用例が誤用となっています
酷いですね
正しい使い方、本来の意味で使われるのは2000年以降、ネットが普及してからになります
とか
とか言って正しい使い方を普及してくれています
ありがたいですね
皆さんも誤用には気を付けましょう
俺もたまに増田文学投稿したら、まじで何も考えずに書いたのに読者が勝手に都合の良い考察を繰り広げて、作者の合意もなしに多数派が真実になるのをよく経験する。
試しに作者であることは明言せずに、その部分はこういう意図で作ったのでは?と書いてみると、それは作者の意図したことではないと思うと返されて草生えたわ。パヤオなんてそういう信者によって偶像化された部分いっぱいあると思うよ。今回の件しかり
・・・接客商売?・・・小売屋?・・・まあ、そういう店員な者ですが。
数人で現場?・・・というか店頭に居るんだけど、自分が客の相手しててとか、ほかの人が接客してるのを横とか離れた所で接客以外の作業しつつ気にしててとか、
そういうときにおもうのが、やっぱり客と店員でも、気が合う・合わないの組み合わせがあるんだな、という。
で、
ときどき注文する、でも初対面の瞬間から、そう店に入って来る直前のそれからオレん所に近づいてくるまでの様子やら風貌←これにはどういう表情でなんの物事に対応してたか、の意味が含まれる、っていうかソレがほとんどなんだけど、
その段階で、あーなんかやーな○○だなー、とか、あーこれはヤヤコシイひとだろなー、とか直感して、元気のあるときなら「ウッシャア!」ダウナーな気分のときなら「やだな・・・。でも頑張って自分の気持ち殺さなきゃです・・・」とか覚悟をキメてるんだけど、
ヤヤコシイひと、っていうのは、これ自分もちょっとそうだからたぶんそういう連鎖反応みたいになっちゃうんだろうなとはおもってはいるんだけどまだそれ以上には直せないからわかってもいまのところイミねー状態なんだけど、
こっちのできない事を要求してそれを通そうとしてヒステリックな響きが声色に出てくるとか、そういうかんじに態度が豹変するひと、っていうのか。でまた、こっち、オレもソレはできないのでなんとか宥めながらこっちの事情、ったってまあ客側にしてみればそんなのほんとカンケーないことなんだけど、まあそれを理解してもらって要求を引っ込めてもらおうとしてるうちに、こっちもヒステリックに拒絶を繰り返すだけの流れになっちゃって。
で、なんかヤな奴だなあ、ってのは、これはもうホントに余計なお世話なハナシなんだけどもさ、んーと、ああそうあれ、こっちの、オレからすると”ぞんざい”な言い方とか物事のあつかい方とか、なーんかみててムカつくというか、そうそう”残念”なかんじな人。そんな表情でそれやんなくても・・・、みたいな、そんな言い方はねえだろ!って、アレです。
でね、くりかえし来ていただいてるそんな方々にね、やっぱりこっちもそのつど毎回何度もなぶられてるとね、身構えちゃって、そしてやっぱりいやこれはイカンことなんだけどね「なんだコイツ!」ってのをその奴にこっちも放散しちゃってるのだろうね、そんな方々も表情くもってたり強張ってたりしてんのよね。そこまでしていやされててなんでまた来る、いや来ていただけてるのかそれはそれでよくわからんのだけども、まあそれはまた別の考察、ってほどでもないか単にウチが最後の最果ての地なだけか、ってなにこれ烏滸がましいイヤすんげー失礼、ってまあそれは今回はさておいて。
・・・きのうね、年令がそうオレと同じくらいかいってて10才したくらいかって、これもまあね、もしこれ年上だと、ははっ御高説拝聴いたしますッって姿勢制御モード?でなんとか自分の気持ちをねじ曲げて納得させて抑えることができるけど、同い年とか変に近い若さ、ってなんだそりゃまあ同世代的な年恰好だと「オマエそんなオレとおんなじ年代でソレかよ・・・。ちゃんとしろよなさけねー、ってかオレもいっしょくたにみられて評判おとされてる気分だわーヤダヤダ!」って気持ちで考えちゃう、ま、まあそのくらいの世代だろう同性のが来てね、まあやっぱり何回か顔を合わせてる客なんだけど、注文後に訊いてきたのよちょっと細かいとこの内容をいまから変更できるか?ってね、んでオレそれは通すとあとあと対処がキリないことになる内容だと判断したんで即座に端的に、それはできません、つったのよ、そしたらソイツは了承してくれて引っ込めてくれたんだけど、そんときオレの返事のあとにちっさい声で、
『ぁっメンドクサイですか』
っていったのよ!・・・おめーまえからも思ってたけど、ぜったいがっこーとかでいじめられてただろってかイジメられてるだろそんな言い方してるからじゃー!!・・・・・・ふう。
・・・で。そんなこともありつつ仕事あがって、最寄駅から帰宅しようとタクシー乗り場を通り過ぎてたら、なんか駐禁防止みたいなチェーン付きポールはさんでる二人組が立ってたのね、向かい合って。片方は大学生くらいな年恰好でケータイあてて喋ってて、反対側は青年から中年くらいの、スーツ着てて手ポケットに突っ込んでその学生だかを仏頂面でじっとみてる様子の。なんだろうこれ連れだってタク待ちしてるにしては立ち位置が変だし、っておもって注意がそっちにむいてその学生のアンチャンの通話に意識がいって内容聴いてしまったら、
どうもコイツ、つまりスーツのほうのひとね、が、そのアンチャンの目前で、喫い終わったブツを側溝だか排水溝だかにポイしよった、それを俺、つまり電話でガンガンどこやら、もしかしていやたぶんケーサツ?か?にしゃべりまくってるアンチャンね、が見咎めて注意したけど聞きよらへんのじゃあ、わあわあガアガア、みたいな・・・。
あーあーあー。
これはそれは・・・。って気持ちで足取りもゆるめずそのまま通りを渡って自宅への路地に入っていくオレ、そしてその背にかぶさるようにヒートアップしたアンチャンの関西弁の罵声が~。
バカには主旨が理解できないようだからそこは解説してあげよう。
「海外で仕事する上で、Rya, Ryu, Ryo のローマ字表記が相手の言語圏では発音しにくいので、自分の名前を正確に呼んでもらえないこと。だから『Rya, Ryu, Ryoの表記以外で正しく読んでもらうにはどうすればいいか』」だ。
(俺は元増田じゃないけど、主旨は極めて平易に書かれていると思うぞ。それと、後は考察とトラバへのレスで、それを読み取れずに単に全否定するなら、あんたはやっぱり生産性のないバカだ。)
日本人以外で、ロシア語をネイティブに話せる人を対象にしたエントリーじゃないので、そもそもロシア語がどうとか全く関係ない。
貴方の意見よりも、「発声記号で統一すれば?」って意見の方が、まだ生産的で建設的だ。
あと「主旨の前提となる認識」って何を指して言っているのか全く分からんので、そこは俺を馬鹿扱いしても良いので、きちんと説明してみてください。よろしく。
1.SEOが強すぎる
2.文章が長い
くどい
3.情報が薄い
全部読まなきゃいけない
全部読んでも欲しい情報が書いていない
結果、中身が無いように思える
4.構成が良くない
よくある記事の構成としては、ピンポイントなテーマについて考察がある
「主張したいテーマ、事例、理由、注意点、結論(=テーマ)」という構成
WELQはある領域についての特徴を羅列しているため読みづらい
情報量が多いのに薄いため、質が悪いという印象を受ける
Wikipediaのほうがマシに思える
5.伝聞やコピペが多い
Neverあたりも同じだから、手法としては有りなのかもしれないが
また、3や4と組み合わさって悪化している
(Neverなどはピンポイント)
更に、「良い情報だった結果目立っている」という状態になっていなく
質が悪くともSEOで上に来てしまうため、全体的に質が低い印象を受け「またWELQか」となる
6.画像が多すぎる
画像が多すぎる上にでかくスクロールをいっぱいしなければならない
自ずと「サッと眺める」速度で読んでしまうが、テーマが分散してるので頭に入ってこない
間違いなくあの日の出来事が決定的だったのは分かるが、何があいつにとって不満だったのか、俺には不可解だった。
同級生のタイナイにそのことを話すと、やはり冗談半分にしか聞いていなかった。
「じゃあ、あくまで仮定の話として、カジマが魔法少女になることを拒否した理由を考えてみてくれないか」
タイナイは十数秒ほど唸ると、おもむろに口を開いた。
「マスダの弟は、カジマは魔法少女になりたいわけではないといったんだよな」
「ああ」
「恐らく、正解だと思う」
「はあ!?」
「人が心から何かになりたいとき、『なって何をしたいか』とかも考えるんだよ。なったら終わり、ではないんだから。それに『ならなければ出来ないこと』じゃないといけない。ならなくても出来ることなら、今の状態でもやろうと思えば出来ることなわけで」
確かにあいつは『魔法少女になりたい』とは言っても、『何をしたいか』は観念的なことばかりで不明瞭だった。
「あと、『なるためには何をすればいいか』ってことも考えるんだよ」
「それは……『なるためには何をすればいいか』が、そもそも分からなかったからだろう?」
「僕もそう思っていたけどさ。マスダがわざわざ方法を見つけ、お膳立てまでしてくれたのに、それを反故にしたのは妙だ。なる気がないと考えたほうが自然だ」
俺も薄々気づいていたのかもしれない。
それでも、その答えを先送りしたかったのは納得したくなかったというのもあるし、もう一つ分からないことがあったからだ。
「そうだとして、なぜあいつはそんなことを吹聴していた?」
そう、あれほどまでカジマが「魔法少女になりたい」と周りに言っていた、その理由が分からないのだ。
「僕たちも『有名人になりたい』だとか、『大金持ちになりたい』だとかを妄想したことはあるだろう?」
「まあな。この年齢にもなると、言葉にするのすら憚られるが……」
やっと気づいた。
カジマは『自分は、今の自分ではない何者かになりたい』と言いたかった。
俺たちが考えているよりも、もっと気軽に、まるで呟くように発露したかった。
つまり、カジマにとって『魔法少女になること』は本来の目的ではない。
「そう。だからそれに伴った行動もしない、するつもりもない。なったところで、これといってやりたいこともない。というより本当になってしまったら『魔法少女になりたい』と言えなくなるから、むしろ困るんだよ」
「あいつの『魔法少女になりたい』も、本質的にはそれと同じだと? だが、なぜ数多ある中から魔法少女なんだよ」
「やるべきことが分かっている以上は行動に移さなければいけないからさ。周りにそれを期待される。その期待に応えられないと、失望される」
「周りにそう思われてまで語れるほど、あいつはバカになれなかった?」
「そう、つまりカジマは夢を語る人間だと周りに思って欲しかったが、不必要な期待も失望もされたくなかった。だから、なれる方法すら不明だった『魔法少女』を選んだってことなんだと思う」
「虚言癖ってやつだったのか、それも打算的な」
「マスダ、端的な結論は本質から遠のくぜ。虚言とはちょっと違う。多少はなりたいと思っていただろうさ。でも、必然的に伴うリスクを負ってでもなりたい程ではなかった。もしかしたら、そういう事態になるまでカジマも自覚がなかったのかもしれない」
だが、あいつがあの日以来『魔法少女になりたい』と言わなくなったというのは事実で、俺のやったことは余計なことだったという確信はあった。
徒労感、失望感といったものはなかったが、ただただ俺は脱力した。
カジマが『魔法少女になりたい』と吹聴しなくなって、周りはやっとそれが不可能な夢だと気づいたなんて思っているが実は違う。
カジマは「魔法少女になりたかった」というより、「魔法少女になりたいと言いたかった」のだ。
俺はそれを暴くという、野暮なことをしてしまった。
今はただ、カジマが新たな“なりたい”を見つけることを願うばかりだ。
いや、びっくりしちゃいましたよ。
知的でクールな36才男性、恋人いない歴=年齢、IT業界って、
いや、しかしそんな人間がなぜ恋人いない歴=年齢の記録を伸ばしてるのか、
そんな高齢童貞が生まれる要因について、自分の経験も交え、以下考察していきますよ。
頭が良い人は、幼少の頃から、頭が良いということを理由に敬遠されやすく、
また、どこか大人びたところがあり、子供らしい子供では無いため、
また、小学生の教師なんかからも、あまり勉強もせず出来るということで、
気に入られなかったりします。
また、周囲の同級生からも「真面目で面白く無さそう」と思われたりして、
うまく輪に加わることが出来ません。
こういったことが原因で、「自分は好かれない人間なんだ」と思い込むようになります。
これは、「思っていることが現実になる」側面があり、実際にあまり人には好かれないような言動、
例えば人に対して冷たく振る舞ったり、などをすることで、さらなる悪循環に陥っていきます。
スポーツもダメ、特に美的才能も無く、という人はそれが最大のアイデンティティとなります。
そのため、その部分を否定されることに、自分が自分で無くなってしまうような、大きな不安を持ちます。
それがプライドが高いように周囲には写り、敬遠されるようになります。
頭が良い子、成績が良い子の母親は、しばしば子供に過度の期待をする教育ママです。
勉強をしないことで怒られたり、また、テストの点数が悪かったことで叱りつけるなどで、
そのため、女性を見ると「また恐怖でコントロールされるのではないか」と、大人になっても考えてしまいます。
また、そんな母親が家の外では体面よく振舞っているのを見て、
女性のことを、「表面は取り繕っても影では何をしてるのか分からない」存在と考えるようになり
頭が良い人は、前項の理由により女性の支配下に入ることを極度に恐れます。
そのため、女性にモテるための行動は、支配される第一歩と写り、なかなか行うことが出来ません。
例えば女性に好かれるようなファッションをするなどのことも、抵抗を感じます。
そういった人は高校や大学など、恋愛が初心者で許される時期に、
自信の恋愛経験値の低さを理由に気後れしてしまいがちになります。
難関高校、難関大学では、もちろん真面目な人が多く恋愛に消極的になりがちということもありますが、
それに加え、勉学が大変で恋愛などする余裕が無いということもあります。
自分の高校時代のことを言えば、学年で付き合ってるカップルは3〜4組程度で、
・・・その他、IT業界的なことも書こうかと思うけどやめます。
業界の女性比率とか、そもそも人と長期的に関係を続けるのに向いていないとか。
今後ちゃんと描写されるかもしれないし。
ブログで記事を書くわけでもかい
ブコメの多くは毒にも薬にもならない数行の皮肉や軽いジョークであり、そんなブコメをid入りで行っても何も得にならないにもかかわらず
「損得がないのに行動するのはおかしい」という理念で他人を非難する場合、自身の行動が全て損得で説明できなければ説得力がなくなってしまう。
ではこの増田はどうか。
まず、はてな匿名ダイアリーに表示されるアフィリエイトはクリックされても記事を書いた本人に還元されることはない。よって増田がこの記事を金銭目的で書いたわけでないことはほぼ間違いない。
金銭というわかりやすい得が発生しないのならば、増田自身が文章を書くことによって物理的ではない、何か精神的な方面に寄る得があったのかもしれないが、
そのようなことは増田があずかり知らない事情でブコメを書いてる人間にも当てはまることであり、そこまで考えが及ばないほど想像力が低い人間がいるはずもないので、
結局増田が何の得があってこの記事を書いたのかは謎ということになる。
ザーバのように名物変人になり自分のブログに誘導するほどのキャラ作りをしているわけでもない
xevra氏のことと思われる。
このようにわざと名前を間違えるのは「俺はお前(ら)に本当は興味はない」とさりげなくアピールする際に中二病入りたてあたりの小中学生に多様される手法である。
後述の「ブクマカなんかどうでもいい」発言も併せ、実年齢または精神年齢が小中学生程度であることが推察できる。
あれはまじものだとは思うが
ここまでは頑張って大人が書くような文章を書いてきたが、限界が来たのか、唐突に語彙力がいつも通りなってしまう。
人間の脳は自分の意見を書くと快楽物質が出るという記事をよんだことがある
前述で「増田が結局何を得としてこの記事を書いたかわからない」と結論を出したが、
「快楽物質で気持ちよくなってしまった」という可能性が増田自身がどこかで読んだ(記憶力が悪い)記事により、ここで浮上してくる。
書いてる途中でブクマカとかどうでもよくなってきたので
「本当は○○に強い興味を持っているが、それを知られたくはない」という感情の動きは思春期少年少女にありがちな心の動きである。
それを隠そうとして○○について長く語った挙句「まぁ○○になんて興味ないんだけど」などと最後に捨て台詞を吐いてしまう。
大人から見ると「本当は○○が大好き(または大嫌い)なんだろうなぁ」と微笑ましいものであるが。
また、実際はどうでもよくなったというより、普段文章を描き慣れいないので体力的に限界が来たというのが正しいのであろう。
まだ20行も書いていないのにこの前後から唐突にはてなブックマークユーザーへの煽りに力を入れ、明らかにシメに来ているのが伺える。
【総括】
単純にブクマが貰えない記事しか書けないか、何かしら叩かれるようなことを書いてはてブユーザーに叩かれたか、そのあたりの理由の腹いせにこの記事を書いた可能性が高い。
また、嫌いならば嫌いとはっきりした態度を表明すればいいものを、それをあえて覆い隠そうとするが全く隠せていないという実年齢ないしは精神年齢の低さが伺える。
休日の6:30という朝早くからこのような記事を書くことに精を出してしまう人物であるという点にも興味がそそられる。
また、俺はネットに蔓延るクソガキ死ねと思っているはてなブックマークユーザーであり、少しでもクソガキの神経を逆なで出来れば気分が良いと考え、筆を取った次第の性格の悪い暇人のオッサンである。
理系男子校出身大学時代ぼっちアラサー童貞彼女なし友達なし鬱病趣味なし激務の自分が恋愛感情をいだいた?ときのまとめ
経過
・去年になって産まれて始めて恋?をする。職場の後輩だけど同年齢
・話してて好きになったようだけど、最初はその好きって感情がどういうものか理解できなかった。もともと自分の好みのタイプ(二次元とかの話)とは全然違っていて、自分の中ではタイプではない=好きになるはずがないみたいな考えがベースにあったので、もやもやした感情がどういうものかわからなかった。
・一方で、元々、他人と話しただけで惚れるところがあるのだけど、いつものそういう感情の延長だと思ってたのでスルーしてたんだけど、徐々にコントロールがつかなくなってきた
・相手のことをいつも考えてしまって、仕事に手がつかなくなってきて、良くわかんなかったんだけど鬱以外に何らかの精神疾患に罹患した可能性を考慮したけど解決方法なく、酒と残業を増やすことで忘れようとした。休日出勤を含めると残業は150時間を越えた。ある程度忘れられた。
・自分はコミュ障で仕事と勉強の話しか出来ないから、仕事をしっかり教えてた。
・なんか職場以外でも仕事の話がしたくなったんだけどどうやったらいいかわかんなかったから職場の飲み会にでるようになった。
・ラインを交換したけど自分から送れないので仕事の相談うけたら返すようにした。こちらからは迷惑だろうしスタンプを少し送ったりのみにとどめた。
・仕事以外の話(好きな本とか)の話はできるようになった。向こうに合わせようと向こうの言ってた本をよんでみたけどおもしろくはなかった。逆もしかりだった様子。本の話でもりあがってまとめてSFなどの複数ジャンルを10冊くらい貸したのが間違いだったのかも(これは後で謝罪した)。
・ある時から向こうから誘われたので、飲みにいった。自分は飛びついたが、向こうはいわゆるリア充で、他者と飲みにいくのは普通の感覚だったようす。飲み代は出すほうが良いと知っていたのでこちらが全額出した(向こうは最初は割り勘を希望したものの受け入れていたので、慣れており形だけの拒否だったと推測されるが、これも間違いだったのかもしれない。割り勘にするべきだった?)。
・徐々に自分の感情がコントロールできなくなってきた。向こうのことを四六時中考えるようになって日常生活にも支障がでて、仕事も手につかなくなって、残業して自分をいじめても改善せず。発狂しそうになった。夜間も過換気を何度も繰替えすようになった。どうしたらいいのかわからなくなった。
・いろいろ推測して調べてこれが恋愛感情ではないかと考えるに至った(1年かかった)。けどどうしたらいいかわからなかったし、調べると一般的になんとも知らない他人からの好意は気持ち悪がられるらしいと知ったので我慢した。特に恋愛感情なのか執着なのか性欲の一端なのかストーカー的精神なのかの鑑別がつかなくて(これは今でもついていない)、考えすぎるとストーカー的殺人みたいなのを起こすんじゃないかと恐くなって考えないようにしたけど耐えきれなくなった。いわゆる向こうはリア充のようで、他者と二人で飲みにいくという行為は向こうにとっては(というより普通の人には)普通のものであると把握することは簡単だったので飲みに集中して、その他のことは意識しないようにした。仕事の話を中心にした。
・ほぼ1年残業150時間オーバーで推移した。徐々にやつれた。上司からは心配してもらえた。残業代がちゃんと出るので貯金は増えた。よかった。
・いろいろと耐えきれなくなって仕事に完全に支障を来たすようになって鬱が加速して常にその人か死かってことばかり考えるようになって、まともな生活もおくれなくなり、いい加減これはまずいと判断した。
・いろいろ悩んだが、思いきって好きですと告白してみた(謝罪しながら、どういう返事であっても職場での問題は生じさせないし、仕事上でのサポートは継続すると約束した)。
・結果をじっと待っていたが2ヶ月くらい経つと自分でもこれは上手くスルーされたのだなとわかった。一旦言ってしまえばこちらの感情も落ち着いた。向こうもそういうことを知っているのかもしれない。やはり自分なんかよりもそういうことの人生経験が多いのだろう。尊敬する。
・今は大分と落ち着いて、ぐしゃぐしゃになって過換気になることも月に1.2回まで減少した。仕事もできるようになり、何とも思わない時間も長時間出現している(突然爆発するが、嵐をじっと耐えれば大丈夫)。残業も減らせた。酒は続いている。その人にはあまり接触しないようになった。向こうから相談をうければ仕事の相談には乗るようにして、誘われたら飲みに行っているが、向こうも成長して新人じゃなくなってきたので相談も減った。時間経過と共に落ちつくのだろうと考えている。時々相談されると嬉しい。
・相手には迷惑をかけたことを謝罪したいが、謝罪すること自体が向こうの迷惑になるかもしれないので、風化をじっとまっている。悪いことをしたと反省している。
・彼氏はいないって飲み会で言ってた。これは他のリア充が聞いてた。このリア充の悪口を言っているのを聞いたけど、もしかすると裏では仲が良かったのかもしれない。さらっと聞いててすごいって思った。
・今回の件で、発想が相当気持ち悪いと思うのだけど、自分の年齢では結婚とかそういう将来のことを真面目に考えるべきなのだろうが(父親は私の年齢のときに私を産んでいる!)、友達のいない人間はやっぱり気持ち悪いだろうし、恋愛経験もないし、そういうのを乗り越えても結婚式とかに呼べる友人もいないし、親も病気だし、そういうことを冷静に考慮すると結婚は難しいのだろうなと評価した。仮にそれらを乗り越えても、他者との生活がうまくいくとは思えず、うちの両親のように罵り合ってギスギスと生きていくのもいやだし、一生独りでいるのだろうし、そうあるべきなのだろうと結論した
・人生について、こういうことを真面目に考えれたのはあの人のおかげではないかと考えている。感謝している。今までだらだらと生きてきたが、完全に詰んでいることが分かったのはよかった。上手く対応できそう。早く死にたい。
・いろいろと本で勉強はした。モテ術みたいな本をよんで、こちらが上から話しすぎるのはよくなく聞くようにするとよいと学んだので向こうから話をしてもらうようにしてて、聞くことをずっとしてて、それは上手くいったと思う(冷静に考えると、これは向こうが気をつかって話をしていただけなのかもしれない、とすれば悪いことをした)。その他会話を広げるのが重要とのことだったが、難しく、仕事の話以外は天気の話とかしかできなかった。人生経験があまりなく、話題が全然なかった。ファッションは清潔感を意識したが、ダメだったと思う。笑顔は意識して、うまく作れるようになったのはよかった。できるだけ紳士的に接しようと頑張った。
・はてな民は嫌いだろうけど、恋愛工学も勉強して、こういうのが恋愛工学でいうところの非モテコミットとフレンドシップ戦略ということはわかった。けど恋愛工学で推奨されているナンパを繰り返したり女性を下にするような発言は自分には難しかったのでやってない
・相手には本当に申し訳ないと思う。かかわったことをいつか謝罪したいが、これ以上かかわらないほうがいいかもしれない。
まとめ
・恋愛感情?というのは相当の魔物で、これがあると仕事や日常生活に多大なる影響を及ぼすことがわかった。今後はこういうものを産まないようにしたい。 他者に感情を動かされずに生きていきたい。もうこりごり。精神的障害が大きすぎる。
・例えばシンガーソングライターをストーカーを滅多刺しにしたようなニュースがあったりしたが、ああいうのが他人事じゃないなぁって思えるようになった。明日は我が身。気を付けないと。
疑問
・このような感情を他者はどのようにコントロールしているのか? 一般的に恋愛は普通のことらしいが、それで仕事に支障を来しているようには見えない。どうやっているのか。慣れの問題?
・経過の中で悩んでいたことだが、自分のタイプではない人を好き?になるというのは、根っこのところでは相手を第一に考えているわけではなく相手を尊重しているわけではないので、女性差別的考え方ではないのか?という疑問がある。このあたりも他者はどう折り合いをつけているのか?
某xevra先生が布教していることの正しさがイマイチ広まってないようなのでムラムラして書いた。(*´д`*)
うつ患者は脳の海馬の萎縮がみられ、統合失調症患者は発症前に脳体積の減少がみられる。
ストレスホルモン(コルチゾール)が過剰の患者において、海馬の萎縮、脳細胞の減少等がみられる。
ストレスホルモンの増加が後述のBDNFの減少、機能低下を招く。
脳由来神経栄養因子(BDNF)はニューロン新生促進、神経伝達物質放出の増強、神経の保護、シナプス形成等に関わるタンパク質。
BDNFによる脳の修復がストレスによる損傷に追いつかなくなり、うつ病が発症する。
・器質的な異常がみられない非特異的腰痛に心理的ストレスが関係すると考えられており、抗うつ薬投与や認知行動療法が行われている。
・普段は発達障害(アスペ等)の症状がない人でも、ストレスにより症状が発現しやすくなる。
瞑想によってストレスフルな思考を停止させたり、マインドフルネス認知療法のように否定的な価値判断から離れることによりストレスから離れることができる。
ストレスによる脳の破壊から逃れるためには、瞑想によるストレス回避や適切な適度な運動、良質な睡眠、食事習慣改善による脳の回復が必要である。
ストレスにより前頭葉が損傷し続けることで、もともとボーダーだった人に認知、アスペ、統失、ADHD、学習障害の症状が出てくることが考えられる。
ストレスによる神経系の損傷と関係あるかはわからないが、ストレスは腰痛・肩こり等の痛みを起こしうる。
私は先生の「大脳は回復しない」発言は違うと思っているけれどどうだろうか。
ともあれ、先生の言葉を守らずに精神疾患が出てからでは遅いのだ。
恐ろしい、恐ろしい。
http://qiita.com/secret_hamuhamu/items/718924867ff3ed11d6b9
http://b.hatena.ne.jp/entry/qiita.com/secret_hamuhamu/items/718924867ff3ed11d6b9
を読んで,少し暗澹たる気分になったので書く。
元記事の「起票(運用)」に書かれているのは,人に仕事を依頼する上では割と当たり前のことだと思う。
例えば,「背景」がなければ,なぜその問い合わせが発生したのか/なぜ回答しなければいけないのかがわからない。自分は特に「理由」厨なので,「なぜ」がわからないのは論外だと思っている。自分でチケット切って自分で作業する時ですら「背景」は書く。そうしないと,チームの他の人がチケットを見た時「こいつ何でこんなことやってるんだ(この忙しい時に)」と思われる可能性だってある。背景を書くことで,自分の中の優先順位を確認することもできる。
「リスク」は,なぜこのチケットを処理しなければいけないか/どれくらい優先してやるべきかという価値を共有するための一つの手段だろう。背景だけだと認識ズレがおきる可能性があるので,それを避けるためのものだ。認識合わせためのコミュニケーションのきっかけくらいの位置づけだと思うので,その見積もりが間違ってても(非常識なものでない限り)責められることはないだろう。
次の「事象の確認&再現手順」は,障害対応やったことのある人ならほぼ必須であることはわかるだろうと思うので以下略。
「すぐに対応可能できるか」は,個人的には「リスク」とまとめてもいい気がするが,このチームでは優先順位と緊急度を分けて考えているのだろうという理解はできる。
「過去の同様チケットへの参照」は,optionalだが,書いておけば双方にメリットがあるのだから,思い当たる節があれば書けばいい。Optionalなのだから書かなくても責められない。
「背景」を書く=コンテキストの共有 である。チームで仕事を進めるにあたって,コンテキストの共有が極めて重要であることは,それができていないお偉いさんに仕事をぶち壊された経験がある人なら,よくわかるだろう。
先にも書いた通り,自分は理由厨なので,「背景」のないチケットなどあり得ないと考えている。むしろそんなチケット今までどうやって処理してたのだろうと疑問に思うくらいだ。
「背景」の記述がなければ,このチケットがどれくらい重要なのかわからない。
「背景」が書いてあれば,例えば,
【背景】
顧客の□□社から,標題の件で問い合わせがありました。社内体制の変更により,△△が必要になりそうなので,可否を至急教えて欲しいとのことです。
というのと,
【背景】
1つは,これが「お客様神様主義」の変形ではないかと感じたからだ。
いわゆるIT業界では,よく「要件定義のできないクライアント」が批判される。そして,そんな顧客の曖昧な要求に対してナァナァで対応する営業や管理職が批判される。
運用から開発への問い合わせチケットも,仕事の依頼という点では同じである。
顧客は仕事の依頼と引き換えに金を払っているし,ITに関しては(他社に依頼するくらいだから)ある程度素人だが,運用から開発であれば,たいていの場合は同一社内で金が動くわけでもないし,しかも双方プロなんだから,むしろもっと厳しくてもいいくらいだと思う。
なのに http://qiita.com/secret_hamuhamu/items/718924867ff3ed11d6b9 程度のルールを作っただけで批判するのは,要件定義のできないクライアントを擁護するのと同じではないかと思う。
ブコメに多い(しかもスターを集めている)のが,この種のルールによって「チケットの数が減る」「Redmineが使われなくなる」という声だ。
だが考えてみてほしい。Redmineを使うことが目的なのではない。Redmineを使って仕事を効率的に進めるのが目的なのだ。仕事が効率化するなら,チケットが減ろうがRedmineの使用頻度が落ちようが本質的には問題ではない。
(もちろん,Redmineが全く使われなくなってしまうのであれば本末転倒だが。)
そもそも実際にチケットが減ったりRedmineの使用頻度が落ちたりしたのかは元記事には書いていないので,事実はわからない。もしかしたら,この施策によって,運用側でもチケット化するメリットがはっきりして,今までチケットを使ってなかった人(実際元記事には「Redmine使いにくい」という声が書かれていた)が使うようになった可能性だってある。
何か「Redmineでチケット管理」というとそれ自体を目的にしたようなコメントが(この記事以外でも)しばしば見られるような印象があるので気になった。
「問い合わせの削減」というと,サポートやったことがある人ならわかると思うが,ドキュメント,特にFAQの充実が定番である。
今回の記事のチームでも,当然そういう努力は別途行うべきだろう。
(その辺を全く書いていなかったのが,ブコメでの批判につながった可能性はありそう。)
しかし,チケットを使って問い合わせを行うのは仕事の効率化が目的であり,そのためには(依頼する側もプロなんだから)ある程度仕事の依頼=チケットの起票をルールに則ってやることはごく当たり前のことだと思う。
シカトされるかボコボコに批判されるのを承知で(だから増田で)書く。むしろ論理的批判は歓迎だ。あと、この件について学問的に素人であることを最初に告白する。その上、これを書くための調査に要した時間もたかだか一時間程度であり、材料が偏っている可能性がある。だが科学的思考はできるつもりだ。
今広く報道される例の事件は、電通の労働事情が問題であるかどうかについては検討の余地があると思う。
日本で一年間の自殺の件数は2万人台で(https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/H26/H26_jisatunojoukyou_01.pdf)、ざっくり考えると一日50人以上自殺している。世界的には、40秒に一人、誰かが自殺している(http://apps.who.int/iris/bitstream/10665/131056/5/9789241564779_jpn.pdf 以下、「WHO報告」と呼ぶ)。これほど数が多い場合、統計学的考察が有用だ。個々のエピソードで語るのは、思考を歪ませてしまう。
今、報道やネットで大きく議論されているのは、電通での長時間労働が非常に悪かったのではないかということである。だがそれは真だろうか。私が疑問を持つのは、労働時間が短いことで有名なフランスでも自殺率は低くないじゃないか、ということがあるからだ。詳しく見よう。日本の自殺率23.1/10万人に対して、フランスで15.8/10万人、というデータがある(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2770.html)。フランスは週35時間労働であり、超過勤務については法的制裁を含む強い規制がかけられている。アメリカでは13.7/10万人。条件を揃えるためには先進国で比較するのがよかろう。労働時間については、この3ヶ国では予想通りフランスが最短、次が日本、最長がアメリカ、とある(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3100.html)。自殺率とは相関していないように見える。
「過労によって自殺した」という場合、統計学的には、超過労働時間と自殺率とのトレンドが、各種因子、例えば男女・年齢・社会経済状況、を補正したのちにも見られないといけない。ちなみに男性の自殺率は女性の3倍だ(WHO報告)。だから、上に述べた国別比較は、参考にはなるが、あくまで参考である。ネットで調べた限り(http://www.econ.hit-u.ac.jp/~kawaguch/class/seminar_undergrad/ugthesis2013/fujimoto_thesis.pdf)少なくとも日本で、超過労働時間と自殺率の関係に関する先行論文はないように見える。そしてこの参照先PDFには、「所定外労働時間(中略)については自 殺率を減少させていることが分かった。」と結論しているのだ。もちろんこの一件で全ての結論を出してはいけない。同じデータの違う解析や、独立したデータでの再現の確認などが必要だ。
しかし、「超過労働が明らかに自殺率を増加させる」ということについての、社会経済学的根拠が私には見つけられなかった。
医学的には自殺と関係するものとしてのは精神疾患、特にうつ病が挙げられるだろう。ならば、「超過労働がうつ病発生率を増加させる」→「うつ病が自殺率を増加させる」という因果関係にある可能性はあるか。これも短時間調べた限りだが、これまた「労働時間とうつ・抑うつなどの精神的負担との関連について,一致した結果は認められなかった。」とする報告がある(http://joh.sanei.or.jp/pdf/J48/J48_4_01.pdf)。
労働時間をどんなにすることよりも、もしかするとそれとは関係なく発症しているうつ病を早期に検知し、投薬を含むメンタルカウンセリングへのアクセスをよくすることの方が、自殺防止にははるかに重要だったりしないか。
我が子を自殺から守るためにするべきことは何か。考えている次第である。
もちろん、日本の超過労働(しかも効率の悪い)は是正されるべきだ。しかしこれは、例えば妻や子供といる時間を増やしてより豊かな家庭生活を送ることとか、余暇を増やしてレジャーによってより経済・産業を回すこととか、そういったことが目的であるだろう(これも学問的検討が必要だが、「家族といる時間が増える」ことについてはほぼ明らかと言えよう)。その上さらに、労働時間を減らせば自殺率は減るのか?自殺率を減らすために労働時間を減らすのか?本文で参照した論文によれば、自殺率と失業率は強く相関するとのことだ。労働時間を減らすと、少なくとも今の日本の労働慣行のままでは、経済は悪化すると思われる(これは将来的には労働慣行そのものを変えるべきだろう)。それで経済が悪化することで失業率が高まり、却って自殺率は高まらないか?
もしそうなら、その時政治に必要な決断は、労働時間を減らすことにより一時的に自殺率が増える可能性があり、メンタルヘルスケアを強化する、ということが必要になるだろう。これは、「労働時間を減らせば自然と自殺率は減る」と思っていたら起きない発想ということになる。
プログラマーとかなら読めるだろうと思いきや、プログラマーの中でも半分は読めない
旧帝大クラスなら読めるだろと思うが、そうでもない(東大クラスは流石に読める)
もちろん程度の差はある
でもバイアスを疑えないというか、出てきたデータを鵜呑みにする
信じた上で分かった風な口を利く
考えてみれば俺も疑い始めたのは2chでボロクソに突っ込まれた後からだ
分かった風な口を利いたあとで指摘されて顔真っ赤みたいなのを3年はやった
あいつらは騙そう騙そうとしてくるから、データを出されると身構えるようになった
やっぱり痛い目を見ないと疑わないようになってしまうんだろうか
当たり前だけど仕事でも統計データというか、数字やデータから事実を読み取るシーンは出てくると思う
じゃあ読めない奴らはどうしてんのか、観察してみたら結局どうにもなってない
間違ったまま報告して、報告された側も間違いを疑わずに信じる
で皆で沈没していく
読める人はダメ出しするんだけど、大抵伝わらない
伝わらないからその人もやっぱり諦める
そんな風にして世の中ちょっとずつずれていく
______
追記:
寝ぼけながら書いたのでもう少しちゃんと書く
統計が深いのはよく分かる
でもそれは数学と同じような話で
ちょっとしたアンケートから、複雑な統計学に至るまでいろいろ含めて「統計」だと思う
俺が気にしているのは
数学で言うところの算数レベルのような、簡単な統計でさえ皆が間違っているという点
http://r25.jp/relationship/00051355/
>6月20日、明治安田生活福祉研究所は、「20~40代の恋愛と結婚」に関する調査結果を発表した。
>報告の中で、20代男性53.3%が「交際経験なし」という結果を受け、
>ネットでは「20代男性の半分が童貞」「交際経験がないだけで非童貞も多い」という二分した議論が巻き起こっている。
http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0622/blnews_160622_7568338403.html
>明治安田生活福祉研究所は、全国の20歳から49歳の男女3,595人を対象に「恋愛と結婚」に関する調査を実施し、結果を公表した。
>調査結果によると、20代未婚男性の53.3%、30代未婚男性の38.0%が交際経験なしと回答。
>女性では20代未婚の34.0%、30代未婚の25.7%が交際経験なしだった
未婚の男女に対して行った調査だが
BIGLOBEの記事は、タイトルに「未婚」が抜けていて、R25の記事は記事から「未婚」というワードが消えている。
要は記事の時点で間違っている(あるいは故意にミスリードしている)のだが
R25の記事にもあるように、ネットでは簡単にミスリードされている
データ → 記者も間違うし読者も間違う → 間違ったまま盛り上がる → それを話題にした記事が出る
こういう状態だ
なんか考察だけはそれっぽいところだ
>年収が恋愛・結婚の意識に大きく影響していると指摘している。
>こちらも見逃せないデータだ。
>今回の調査とネットでの議論から、若者の恋愛に対する消極的すぎる姿勢が改めて感じられるデータであったことは確かだといえそうだ。
R25は故意のミスリードかも知れないが、こういう傾向はネットでよく見かけると思う
記事に驚く → 疑わないで信じる → 前提条件で間違う → 考察や結論だけがまとも
このアンバランスさを見かけるたびに「お前何言ってんだよ!」とモヤモヤするんだよね
例えるなら、考察がしっかりしたレポートで足し算間違ってるような感じ
記事を読むときって「それが本当か調べる」行為と「その事実から考察する」行為の両方が必要だと思うんだけど
「それが本当か調べる」行為が抜け落ちてしまっているのか、そもそもその能力がないのか、なんなんだろうなぁ
___
トラバで言われて気づいたけど、たしかにこれって統計というよりは
論証とか批判的思考の話なのかもしれない
「人は数字やグラフを出されると途端に『正しい前提』にしてしまう説」
どうだろ?
「稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか?」(本のタイトル)にも似てるかもしれない
・稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか? ← 話題を前提においている
___
真面目に記事を読んでいないっていう指摘があるけど
半分くらいはそうだと思う
数字に関係しないネタも元を辿れば捏造だったってケースが多いしね
「◯◯が増えてる」って記事に引っかかりを感じるのは俺だけ?
萌え絵がエロいかエロくないか、不快か不快じゃないか、見る人の感性がまともかまともでないか?みたいな話の先に決着点は絶対にない、ということをまず最初に宣言しておこうと思う。
歴史・文化、なんかの単語で置き換えたとしても、それは実は何にも説明していなくて、実は主観の多数決のようなものでしかない。
その辺の話は一旦置いておこうと思う。
ではここで何を論じたいか?というと、メインでは、なぜ不快と感じる人がいるのか、という問題かな?
絵画の裸婦像はエロくないとか、グラビア写真ならまだ許せる、でも萌え絵が不快でたまらない的な声も多い。
そのへんをちょっと掘り下げてみようと思う。
小学生くらいの頃、美術室で裸の絵とか像とかがあって、掃除の時間とか図工の時間とかにそういうのを見ると、なんとなく気恥ずかしいような、なんでこんな物があるんだろう?という感覚はあった。
親と一緒に入ったレストラン、というか居酒屋っぽいところで、ポスターの水着のお姉ちゃんがビールジョッキ持ってるのも、なんか意味がわからなくて不思議に思った。
地下街の看板に裸のお姉ちゃんの写真があるところがあって、まあ芸術的なんだろうけど、前を通る時にどうしていいかわからないような感覚があった。
これに近いような経験って、誰にでもあるんじゃないだろうか?
もう少し大きくなると、家族で見てた映画やテレビでのベッドシーン。
気まずくなる瞬間あったよね。
つまり、萌え絵か写真か像か、とかに関わらず発生する感情である。
この辺の感情って、まとめるとこうだと思う。
「写真であれ映像であれ絵であっても、今その場の人がしていい格好・振る舞いじゃないと違和感が生じる」
その違和感は、気恥ずかしさであることも、目のやり場に困るという気持ちや、または不快である人もいると思う。
ただ、萌え絵問題はこの原体験に加えて、もう少し別の要素も絡んできていると思う。
10年近く前だと思う。
しかし、用事で東京に行った時、ホームに入ってきた電車が、アッキーナのラッピングカーだったとき、なんだかすごい不快感を持った。
別にエロい格好でもなかったと思うし、宣伝の内容も見ていないし記憶にない。
あの宣伝のラッピングが、吉永小百合とか松嶋菜々子が上品に写ってる宣伝なら、特に何も思わなかったろう。
当時のアッキーナは、水着で毎週のようにグラビアを飾るほしのあきとかと違って、純正グラビアアイドルじゃなかったと記憶している。
あんまりテレビも出ないから素人っぽさがあって、そして当時18歳くらいだったと思う。
なのでなんとなく、東京の若者文化の象徴としてのエロさ、みたいなものを見出していたと思う。渋谷の援交女子高生みたいな?
だからこそ、グラビアアイドルの見せるための綺麗なエロさじゃない、クラスの女の子のエロさみたいなものがあった。
そもそもエロとは何か?
それは、自分の延長上で性的な行為が連想されるかどうか?じゃないだろうか。
洗練された女の子より、素人っぽいAKBが受けるのも、「そこにリアルなエロさ」があるから。
例えば、桐谷美玲がドラマの打ち上げでお酒飲んでいる写真が出てきたとしよう。
それともうひとつ、AKBのギリギリ成人くらいの子が、AKBコスチュームで、ドラマの打ち上げでお酒飲んでいる写真が出たとしよう。
なぜなら、AKBって枕やってんじゃないの?とか、俺もうまく仲良くなればやれるかも、的な欲望の対象になっているから。
それに対して桐谷美玲は、綺麗すぎてリアルな欲望を見出せない。大好きなんだけどね。
つまりだ。
あの辺の萌え絵が、女性の身体的特徴を誇張して描いていることに関しては反論はないと思う。
その誇張を、自分の身近なエロと結びつくのかどうか?が最大の焦点と思う。
女性が女性の身体的特徴を誇張表現された時、真っ先に結びつけるのは間違いなく自分の身体だと思う。
その自分の身体に関して、誇張された部分に周囲の人間が全員注目しているかのような気分になるのが、不快感の元と思われる。
自分の嫁が女性の身体的特徴を際立たせるような格好をした写真を、昼間仕事中にいきなり会社の壁に貼られたらものすごく不快になるに違いない。
グラビア写真や芸術的裸婦像は、たぶん自分のセックスを想起させないのが大きな違い。
そろそろまとめよう。
萌え絵に限らずなんだけど、女性の身体的表現を見て、不快に感じるかどうかは、チェックポイントがあるように思う。
1. その状況・ポーズ・構図等の意味を正しく理解できているか?理解できないと不快に感じるケースが多い。
2. 強調された特徴が、自分のセックスの延長上に結びつくのか結びつかないのか?結びつく人は不快。
3. その絵を見る状況が、セックスを受け入れられる状況か否か。2を満たしていてセックスしたいと思えない状況で見ると不快。
4. あと、身体的特徴を強調しすぎると不気味の谷に差し掛かって不快。
考察するに。
オタクが萌え絵をエロく感じないのは、その女性の絵を自らのセックスの延長上に結び付けられないからではないか。
または、自分のセックスパートナーとの身体的特徴があまりにもかけ離れている人。
あ、童貞は延長上に思えないってはなしじゃないよ!!
あと逆に。
過剰にエロさを感じる人は、強調されている部分にコンプレックスを持っている人。
周囲にそこを見られている、と思うくらいの自意識がある人。
自意識かはおいておいて、痴漢によくあったり、男性に不信感を持っているような女性なら、周囲の男性からは自分がこんな風に見えてるんだ的なショックと不安感があるんでしょうね。
そりゃ不快だ。
そして嫌いなオタクを攻撃しようと萌え絵批判をする、って構図もある。
これはヘイトスピーチというか、オタクを低く見たいコンプレックスの表れのような気もする。
こういうのはなんか、話す価値がない。
まあ、なんだ。
不快か不快じゃないか、おかしいかおかしくないか、を論じることに意味はない。
どっちが変とか正しいとか麻痺とかじゃない。
主催者としては、不快な層が一定数いるなら、やっぱりなんかしら必要じゃね?
と言って締めます。
ヴィジュアルロック=「社会を否定するため、あらゆるメッセージを拒否(現実からの逃避)」
ということで、形は違えど「社会的な影響を受け、それに反発するためのムーブメント」だったように思うのです。
以下、もう少し詳しく。
まずパンクロックがなんぞやというと、60年代後半から80年代に入るまでにかけてのイギリスの経済停滞による社会の鬱屈感と、同時期に複雑化しすぎたロックミュージック、両方への反発として生まれた若者中心のカウンターカルチャーの亜種であり、それまでに流行していたファッションに対しても反発する個性的なスタイルをとっていたことも特徴のひとつ。
対してヴィジュアル系は、特に社会に対するメッセージなどはなかったが、歌舞伎役者ばりの白塗り&奇抜なメイク、カラフルな頭髪、中世の雰囲気を取り入れたり、ハードロックのバンドマンが着ているものを参考に、さらに派手に彩った衣装などとにかく凝った外見と各々独自の世界観をもつことが特徴であり、音楽性については特に定まった様式はなかった。(強いて言えばバンドサウンドが基本にあり、ハードロックをベースとしているというのが共通項かもしれない)
で、ここから本論なんだけど、ヴィジュアル系には「メッセージ、主義、主張」ってのは一切なかった。(一部例外を除く)
あるのは、自分たちのビジュアルはこうだ!っていう世界観だけ。
これって実は、
メッセージを全く持たないものを信仰する=メッセージを押し付けようとする社会を全否定する=パンク的
当時の社会情勢としては、まず80年代後半にX JAPANが登場。時はバブル絶頂期。景気の良さも手伝ってか沢山のフォロワーが誕生する。(ちなみにヴィジュアル系の起こり自体は70年代後半までさかのぼれるが割愛。)
次に90年代に入りバブル崩壊。この時点でも世の中はそこまで暗い雰囲気でもなく、ヴィジュアル系は徐々にその勢力を大きくする。後に成功するバンドたちはこのあたりで結成されたケースが多い。
そして90年代中盤。いわずもがな、就職氷河期のスタート。不景気による世の中の停滞、鬱屈した雰囲気から逃れたくて、若者は縋るものを求めた。そこに、今までの価値観と全く異なるものを体現したカルチャーが表舞台に現れた。それがヴィジュアル系だった。メジャーにも多くのヴィジュアル系バンドが台頭し、大きなブームになった。それに伴い一層先鋭化した個性的なバンドが現れたりもした。が、所詮は一過性のブームであり、そう長くは続かなかった。
90年代後半。勝ち残ったバンドは僅かだった。そしてその代表格であるのがGLAY。だがこのGLAYこそ、じつは本当の意味でのヴィジュアル系ではないと筆者は考える。なぜか。彼らは「メッセージをもったバンド」だからである。
もちろんそれは社会や体制を批判するようなメッセージではない。恋人や友人に語りかけるような、いわゆる普通のポップスやロックの世界観の上に、ヴィジュアル系の要素を軽く味付けしたしたバンド。それがGLAYであり、その普通さ故にブレイクし生き残ってこれた。
皮肉にもヴィジュアル系ブームで最も恩恵を受けたバンドがじつはヴィジュアル系ではなかったことが、音楽業界では王道的な価値をもったものが生き残るということを証明したのではないかと思う。(GLAYが最も影響をを受けたというBOOWYもビジュアル系ではなくロックバンドである)
ここから更に話は飛躍するが、このGLAYが最もブレイクしたのと同時期に、ヴィジュアル系のような独特の世界観を持ち、GLAYのような身近なメッセージで大ブレイクしたものあある。ご存知「新世紀エヴァンゲリオン」である。
既存のロボットアニメからは大きく飛躍した独特のヴィジュアル、言い回し、中身があるようで無い、複雑でわけがわからないけど「なんかすごい」と感じられる世界観。しかし実際テレビシリーズの中で伝えられたのは、視聴者同様の思春期によくある悩みを抱えた主人公・碇シンジの成長物語という、とてもシンプルな内容であったことが、この90年代後半の「何に希望を見出したらよいかわからない世代」に対するヒットの要因であったのではないかと考えられる。(細かくはそれ以外にもたくさんあるんだろうけど専門外なので割愛)
さて、時代は回って2016年。この時代を代表する音楽文化とはなんだろう?ぼんやりとした括りではあるが、それは「アイドル」ではないかと筆者は思う。
AKB,perfume,ジャニーズ、地下アイドルetc、、、それぞれにスタイルは異なるが「メンバー個人に対して熱烈なファンがいる」「楽器の演奏ではなく歌とダンス、パフォーマンスが主体である」「ライブ以外に活動する場所がある」というあたりが共通項と言える。
そしてアイドルは、社会に対する反抗者への、「癒やしと共感」なのではないだろうか。
我々は失われた20年の間に大きく傷ついた。後退した。その傷を埋めるために「つらいのすごくわかるよ」「一緒にがんばろう」というメッセージを発したのがアイドルたちだった。それは、理由もわからず暗い時代を過ごすことになったゼロ年世代にとってとても甘美なものだったに違いない。
アイドルに求められる像というのも、昔は「憧れの存在」であったものが、いまやバラエティ番組どころか街角の中まで進出し、アイドルという唯一の存在でありながら「身近なお兄ちゃん、妹」のような共感を得られる人がヒットしているのもそれを後押ししている。
さてここで気になるのは大ヒット中の「君の名は。」である。これもエヴァの考察がヴィジュアル系のそれであったように、アイドルの「癒やしと共感」というキーワードで紐解くことができるだろうか。
そろそろ書くのめんどくさくなったので終了。
誰か気が向いたら続き書いてくれると嬉しいです。
http://anond.hatelabo.jp/20160613215804
全く自社データが無い申し込みの審査にあたっては、CICやCCBなどカード会社が加盟する信用情報機関から得られるデータを参考にしたうえ、自社の審査基準に照らし合わせて審査をすすめます。まずは出力されたデータが真正か否かからスタートして、婚姻によって姓が変わっていないか、ほかに漢字氏名の読み方はないか、生年月日など数字の入力間違いなども考察します。
申込者の氏名・住所・生年月日・勤務先などの記載内容の裏づけ調査は勿論のこと、外部信用情報から収集するネガティブなデータとの整合を判断することが重要です。
CICやCCBなどの信用情報に類似するネガティブな情報が存在することが判明した場合には、「本人申告情報」といって氏名・生年月日と免許証番号などを組み合わせて情報登録を依頼しておくことで、自分の情報とネガティブ情報とが類似データとして名寄せされ同一人であることを誤認するのを防止することができます。
おお、これは良い考察。
男のいう清楚な女って、女のいう清潔感のある男、みたいな意味かもしれんね
夜の女性がみんな派手めなのは、あれは「非日常」という記号をまとっている、という説がある。
サーチ機能ちゃんとしろしろうるさい奴らが多いし、実際運営はサーチ機能つけるつもりのようだ
近づくほどに足跡マークが減っていくので、離れているのか近づいているのかわかるって機能
この足跡機能をなんでやめたかっていうと、銃殺事件が起きたから、と言われている
レアポケモンが民家の庭に出たら、おかしな輩が不法侵入してくるわけで、住民からしたら恐怖でしかない
当然、銃を持てる国なら自衛のために撃たれることだってあるだろう
つまりだ
不正のマップツールでも同じ問題が起きたけど、結局、このゲームの構造上、ピンポイントでレアポケモンの出現場所がわかる、ってトラブルの素でしかない
銃撃事件は起きないにせよ、不法侵入での訴訟問題はどこの国でも起き得るし、実際に、ポケモン出現させるならその土地の所有者に金を払えって訴訟も起きている
それでだ
結局こんな問題を解決するには、ゲームの構造をガラリと変えるか、変えないのならばピンポイントでわかっちゃいけない、ってことになる
ピンポイントでわかっちゃいけない、ってのは、責任を曖昧にするだけで、解決には何もなってないんだけどね
そこで、運営が考え出した第3の手法がこれ、ポケストップ周りのポケモン表示機能
この、ポケストップ周りのポケモンを教える機能にどんな意味があるのか?というと、これはもう重要なファクターはひとつしかない
ポケストップ周辺、という場所は、「その周辺の安全性」と、「大勢が集まっても大丈夫な場所かどうか」と、「その周辺にレアポケモンが出て人が集まる可能性をその場所の人が許せるかどうか」を運営側が把握できる唯一の場所とも言えるような地点だ、ってこと
しかし、国道沿いのマクドにラプラスが出ても、マクドが混雑するだけ、ってことになる
だからこその、ポケストップ周辺限定の出現情報開示なんだと言える
そして、その他何もないところのレアポケモン出現は、今まで通り探索能力の長けた人だけが見つけて、訳のわからない多人数が集まることなくなる、という期待だろう
自力で探索できる人は少人数だし、良識もある、という信頼があるのかどうかは知らないが
そこから、今後の展開を予想
1. ポケストップ周辺の出現情報開示は、スポンサーポケストップ周辺に限られる可能性
どこのポケストップ周辺も安全か、人が集まってもいいか、と言えば絶対にそんなことない
そこで、スポンサー側に、ポケストップ探索機能で表示されていい店舗だけリストにしてもらい、そこだけが探索対象になる、というのは、一番簡単ですごくありそうな線と思う
2. 運営側がポケストップ周辺の安全性を調べられる何かをすでにしている可能性
上述の通り、どこのポケストップ周りも探索対象にできる訳じゃない
そこで、人の交通頻度や、出現ポケモンの捕獲状況、そのポケストップの回され具合なんかのデータから、そのポケストップがレアポケモン出現の公開に耐えられるかどうかを判定するシステムをすでに開発中である、というのはありそうなところ
アメリカでの試験がやたら長いのはこれで、安全性等の判断に使えるデータ収集がうまくいっているのか、実際に安全でトラブルは起きていないか、なんかを解析している時間なんじゃないか、とも思える
自動安全ポケストップ選別ロボットが完成しない限り、全世界でのポケストップ周辺の出現情報開示機能は導入されることはない、と言えるだろう
3. 無策のまま、なんとなく導入
何のトラブル回避にもならないし、誰の利点にもならないし、無能過ぎる、ってことになる
さすがにこれはないだろう
というわけでだ