はてなキーワード: 考察とは
まずこの記事にはある固有名称が複数出てきますがそれらに他人を誹謗・中傷する意図はない事を前以て誓わせていただきます。
元恒心教信者(ハセカラ民、恒心教徒ともいう)で2015年末~2016年2月中旬にかけて連続爆破予告事件を実行、
2016年2月に逮捕・起訴されて同年10月21日に猶予判決を貰った21歳の元大学生です。
なぜ、そんな彼の話題を今更するのかと言うわけですが、まず12月1日、12月2日にサイモントン療法協会被害者の会掲示板(通称サヒケー、現存していない)に彼の書き込みがありました。
権利の関係で彼の書き込みを転載する事は出来ないため、書き込みの概要とURLへの誘導に留めて以下にまとめておきます。
・再びガサ入れがありキャッシュカードと再購入したiPhoneを押収された(12/2)
・任意同行に行き虚偽の上申書を提出した所解放された(12/2)
http://i.imgur.com/ghToK9i.jpg
http://i.imgur.com/d7nNTpU.jpg
http://i.imgur.com/on9fbmv.jpg
嫌疑と関係のない物の押収に加えてクレカ、キャッシュカード、トークンなどのライフラインの差し押さえ等安藤氏の精神を摩耗させようという魂胆丸見えですし。
そもそも現在日本に蔓延ってる爆破予告なんてTorが使われていて、犯人の推測こそ出来ても前科が無い限り特定なんてまずできません。
そしてそれらは近代法の前提である推定無罪の原則からして法治国家であるならば起訴・有罪判決に持ち込めちゃ行けない代物ですしガサ状出すのだって慎重にならなければいけない物なんです。
そしてこれらがどうなったか、というと静岡新聞にて彼が品川~静岡の無賃乗車で静岡中央署に逮捕された事が報道されました。
住所不定と記載されていましたが裁判の人定質問で上尾市の自宅を引き払った事を証言してましたし特段不思議な事でも無いでしょう。
まぁカード類押収して返さずに任意同行と称して静岡までセコセコ呼び出し続けてりゃ金もすぐ無くなってそりゃそうなりますわな、と言った感じです。
こんなもんが押し通って起訴・有罪判決になったら法治国家としての日本は終わりと言っても過言じゃないでしょう。
今後の続報と安藤氏の無事を期待したいところです。
追記
一回の射精のために、20本くらいは選ぶが、精鋭たちだから、10本も見おわらずに、射精する。
絶対に、使い切れない量だよ。
昔はさ、1本の神エロ動画を、何回も何回も使って、2年とか3年とか使ってたのよ。
俺にとってそういう動画の最期は、『ブルセラ生撮り 27』ってやつのトイレでのフェラシーンだったんだけど。
これ以上の動画って、なかなかなかった。
だけど、xvideosって、もこのレベルの動画がそろいまくってるのね。
元々白人コンプレックスが強かったから、白人でオナニーできること自体がすごいんだけどさ。
「ガイジン」
「特選」
「日本人」
「アナル舐め」
「一人」
って感じでシンプルなんだけど。
「特選」に入ってるやつは、もう絶対抜けるレベルの奴なんだけど、60本。
昔は、これ1本あれば、5年は困らないわ、ってレベルが、60本。
オーバーキルなんですね。
絶対に追いつかない。
1日10回射精しても、年間4000回も行かないわけだ。
多分、俺は、『ブルセラ生撮り 27』で、300回は抜いた。
それぐらい抜いても、まだ抜ける。
効果音のセミの音にパブロフの犬みたいに勃起するようになって、一時期は狂ったようにセミの音が入ってるAVを収集し続けたくらいだ。
何秒でどういう表情をするのか、他作品との表情や態度を比べて、この時の心情はなんなのか。
まるで、真夏の夜の淫夢なみに、俺の中では考察がされまくっている。
それぐらい、一本の作品で抜きまくれる作品ってのは、数年に1度とかだったんだよ昔は。昔ってか、2006年くらいかな。
クッソ微妙なスナッフフィルムとかの特殊系で刺激をごまかしながら、「なんか違うなあ。もっとストレートにエロ力が高いAVないのかなあ」とそういう気分で過ごしてたんだよ。
強すぎだろw
もうなんだ。
これはシェンロンですわ。
これらの、動画達を、『ブルセラ生撮り 27』ぐらいに愛することができなくて非常に残念だ。
もう、俺は、『ブルセラ生撮り 27』だけでは満足できなくなっている。
確かに、抜けるけど、これ一本で抜きとうそうなんてことは多分ない。
あるとしたら思いで補正。
ああ。ああ。
そのオナニーにも誠実になれないっていうのが。
なんか、悲しいような、寂しいような。
時代についていけてない気分。
興味をもってくれた一人の国会議員にTwitterで現状を説明することも解決への一段階にはなりえるとは思う。しかし、いろいろと違和感を感じる。例えば、
大学教員クラスタには、知性においては、国民の最良の部分があつまっていると思うのですが、なぜ、そのように現状への不満をツイートするだけで、建設的に解決策を導くため、その知性を使えないのか?
一人称であれこれ語っているのに、具体的な名称もあれこれ混ぜているのに
なにか作り物感がするのはなんでだろうと
きれい過ぎる、典型的すぎる感じがある
1人称で語っている割には神の視点というか、自殺する彼女視点な話の展開
読者を意識して物語をきれいに作ったけど、そしたら1人称の視点が微妙になったってところだろうか
あとは普通に自分の経験と照らし合わせて、自身の妊娠出産育児の負担をまるで語らず
友人と毎月会ってたというのはちょっとありえないな、とか
書いた増田に妊娠出産育児の経験はないし、近しい友人で妊娠出産育児を経験した人もいないように読める
突っ込むなら働いた経験もなさそうな気がする、
IT(一般的に長時間労働)とアパレル(土日休みではないであろう業種)と別業種に勤めて毎週のように会うとかちょっと想像できない
長く働いて40にもなったら”部長クラス”の役職になっているだろうというのも典型的だなと思う
最後に、増田に対して何かレスしようと思って読み直しても、増田が何を言いたいのか伝わらなかったこと
心の整理のために吐き出した、旦那を貸せばよかったとは書かれてるけど、気持ちが伝わらなかった
旦那を貸さなかった自分を責めており慰めがほしいのか、自身の不安定な精神状態に困っているのか、書いたからには欲しいレスってものがあると思う
そういうのが読み取れなかった
そんななかで迫ってくる中間発表、本当に書くことに詰まってどうにもならない。
今年から授業をまた受けねばならなかったこと、いきなり英語論文の投稿と発表でてんやわんやとなり、まったく研究に思考や作業を割けなかった。あまりにも自分が不器用すぎる。
そうして学会発表終わった9月から研究を始めたけれど、春先にボスと話していた研究内容が食い違い、考え直しに。何度考えてもボツをくらい、研究が固まったのが10月後半。
プログラムを完成させ実験を行うも、最終的にボスから「当初の目標から大きく逸れてるよね。軌道修正しよう」と言われ今までの研究がボツになりかける。「その研究やっててもいいけど、それじゃあ将来性がないし院生レベルの研究とは言えない」と言われてはどうしようもない。
結局、今の研究の流れから大きく変更となり、その中での小さな研究とし今の研究を行うことになる。今までやってきたことはこれだけだったのか、悲しい。しかも、結局提案した手法の成果は従来手法より悪化する。おいおい、結果考察が書けねえ。
研究内容も大幅に変わり、今まで考えていた導入から大幅に変更を加えなきゃいけない。
実験結果は前述の通り。
中間発表は目前。
もう疲れた。
どうにかボスと相談して、もう少しマシな導入を考えて、実験結果も考察して。
どうにか中間発表を乗り切らなければ。
頭では、まだそう考えられる。
でも、心も体もそれに追いつかなくなってきている。
今更何をやっても無駄なのかな
疲れたよ、結局何をやっても否定されて「院生レベルじゃない」とか「将来性」とか言われるし
結局なにも成果ないし
疲れたよ
結局のところ何もしてなかったんだけどさ
頑張ったつもりでいただけの話なんだけどさ
辛いものは辛いしどうにかしたいんだけど
もう、どうにかしようと体や心を動かせなくなってきてる
研究室の誰にもこういう話できないし
今まで映画のレビューとか感想とか考察とかあんまり探してこなかったんだけど、「この世界の片隅に」の感想探したら上位に出てきたのがほとんど、いわゆるマジで小並感、小学生並の感想だったんだけど元々こんなもんだっけ?
「『この世界の片隅に』ヒットしてますね!観てきました!」みたいな文言から始まり、経緯(クラウドファンディングで資金集めしたとか)をさらっと流し、かいつまんだあらすじを書いて、最後に「まとめ」と章立てして、どっかから拾ってきたような「戦時下の日常を丹念に描いてる」「観る価値がありますよ!」みたいなことを書くだけの、本当に、感想。つまらん!!!!
まあ俺の検索力とかみたいな話なんだろうなとは思うけどな……。
大人気ソーシャルゲーム兼スマホ音ゲーであるシンデレラガールズだが、この主要キャラクターの中でも圧倒的にアンチの多い嫌われ者アイドルが存在する。
そう、パッションタイプ代表であり、デレマスを代表するユニット「ニュージェネレーションズ」のリーダー"本田未央"だ。
このキャラクター、実のところびっくりするぐらい嫌われている。ちゃんと担当Pも存在し、好きなキャラクターに上げる人物も多数いるのだが、
それでもすさまじい勢いでアンチが量産され、今日に至る。アニメ放送時期なんか凄いありさまで叩かれていたほど。登場するだけでニコ動のコメントは荒れ、アニメの実況スレは本田死ねの一文で溢れかえった。
ではなぜ、こんなにも嫌われているのか。それには大きく4つの理由が存在している。
このキャラクターがなぜここまで嫌われるかに至ったのか、その経緯を研究することで、今後同じようなアニメやゲームを作る際に「嫌われないキャラクター作り」に生かせられれば、この記事を作ったかいもあると言ったところである。
なお、最初に書き込んでおくが、筆者は決して本田未央アンチではないことを明記しておく。ただ、本田未央が登場した際に荒れるありさまについて、ひたすらにうんざりしている側であり、
その原因もやはりシンデレラガールズの運営そのものに存在すると自負しているだけであることを分かっていただきたい。いわば運営が作ってしまった「負の遺産」であるということを認めるほかないというスタンスである。
では、早速如何に本田未央がなぜ不人気キャラになってしまっているのか、その4つの理由を記述することにする。
本田未央で検索してもらえれば分かるが、とりあえずあんな感じの見た目である。
シンデレラガールズには180人を超えるデレマスオリジナルキャラクターが存在するが、ぶっちゃけた話、その中でもキャラデザの良さ、可愛さと言う面では、半分以下のキャラクターに劣るといっても過言ではない。
特に注目すべきポイントは「極端すぎる横ハネの髪型」である。髪型は不人気要素を大きく左右すると言われつづけているキャラクタービジネス界だが、アイマスも当然例外ではない。
先輩アイドルキャラである「秋月律子」などが分かりやすいだろう。Xbox版の律子の髪型はご存知の通り"三つ編み"であるが、これがまた律子の不人気に拍車をかけていたと言わざるを得ない。
ニコマス界隈では、この三つ編みを取った律子を「覚醒律子」と持て囃し、可愛い、こっちの方が良いなどといったコメントで溢れかえった。
つまり、キャラの可愛さにおける髪型の注目ポイントは非常に大きいということである。緑髪は不人気であるという風潮もネット界では有名か。
そう、未央の髪型は不人気への拍車をかけているのである。筆者はこれが一番のマイナスポイントだと思っている。
横ハネを持つキャラクターはアイマスには何名か存在する。大正義主人公である「天海春香」もその一人。だが、あまり目立つことがない横ハネであることが見た目で分かるだろう。
そしてシンデレラガールズでは「輿水幸子」が有名か。こちらも大人気キャラであり、キュートタイプの筆頭人気キャラとして君臨しているほど。同じ横ハネでありながら未央と人気の差は歴然。
なぜここまで差があるのか、それは横ハネが自己主張をするレベルで目立っているかどうか、である。未央の場合、髪型を見たとき、とにかく横ハネが目に付く。
ショートヘア―の下半分すべてが左右に跳ねているのである。これはいけない。可愛い見た目を台無しにしていると言わざるを得ない。
その証拠に、同じ髪型をしている「西島櫂」も不人気キャラの筆頭である。なんと未央以上の横ハネ持ち。これでは人気がでるわけがない。二人とも折角の巨乳キャラなのに実に勿体無い。
これをシンデレラガールズ稼働当初にやってしまい、第3回総選挙まで一回も50位内入りすることが無かったほど人気が無かったのだ。レアリティNのカードイラストも実に可愛くない。特訓後のN+なんて修正を入れなければならないレベル。
未央の特徴の1つはやはりパッション溢れる元気娘で誰とでも気軽に友達になれる社交性を持った性格であるだろう。
そもそもとして、オタクは元気で積極的な子に苦手な印象を持つことがわかっている。特に未央はコミュ力魔神であるため、間違いなくスクールカースト上位勢だろう。
未央はそういったキャラクターの中でも特段コミュニケーションを取るという意味では飛び抜けている。無作為に相手にスキンシップを行い、許可も得ていないのにあだ名をつけ、どんな相手にも遠慮なく絡みだす。
未央の場合、ただ元気が良いとは勝手が違うのである。性格上「誰かと絡む積極性」という意味ではシンデレラガールズ随一の行動力の持ち主である。この特徴が逆効果になってしまっていると言えるだろう。
暗い学生時代を過ごしてきた彼らにとって愛着が湧くような性格ではなく、行動そのものが異次元世界の住人みたいなものである。傍から見たら近寄り辛いという印象をうけていることだろう。
そんなキャラクターを果たして彼らは好きになるのだろうか。きっと一部にはいるだろうが、大多数は無理だろう。なぜならオタクが好きなのは「大人しく、自分でも守ってあげられるようなか弱く清楚で小動物な子」だからだ。
デレマスの人気上位キャラクターにはやはりというか、そういう子が多い。緒方智絵里、鷺沢文香などがそれに当てはまるだろう。
この二人は極端だが、とにかく元気過ぎず、自分のテンションでもついていけそうな子がこの手のキャラクターではモテている傾向にある。
つまるところ、自分でも相手が出来そうなキャラクターに愛着をもったり、興味をもったりするのである。普段から根暗な人物たちの人間心理としては至極当然のことだろう。まさに未央の性格とは真逆なのである。
アイマスを好きになるようなユーザーは、未央みたいな性格のキャラクターを好きになることはなかなかないのである。悲しいことに。
同じソシャゲであるガールフレンド(仮)の人気投票1位が誰か知っているだろうか。「村上文緒」というキャラクターであるが、このキャラクターの設定と性格は先ほど紹介した鷺沢文香とほぼ同じである。最早語るまい。
アニメで発言した「ほらほら笑顔、忘れてるぞ☆」はあらゆる視聴者をイラつかせたことだろう。なお、この発言は後述する問題のアニメ6話~7話の次の話である8話で発言されたセリフである。タイミング悪すぎと言わざるを得ない。
ここで言う酷いとは、"不遇だった"という意味ではない。全くの逆、"超優遇"だったからである。それとは別に、最早デレアニ界隈では黒歴史とされている6話についても含め、酷い扱いと捉えることとする。
まずアニメシンデレラガールズ6話について語ろう。この6話が、アニメシンデレラガールズの人気の全てを左右してしまったと言っても過言ではない。
6話の内容だが、軽く説明すると「本田未央が新ユニットニュージェネレーションズのリーダーとなり、ユニットとして初ライブに挑むが、あまりにも少ないお客に未央がプロデューサーに逆ギレし、アイドル止めると叫び逃げ出す」といったストーリーである。
これだけ書くと誰もが思うだろう。なんだこのクソキャラと。実際のところ、この話の背景には様々な思惑やすれ違いが発生しており、一口に語るのは早計であるのだが、この6話を普通に見ていた視聴者達の大半はそう考えなかったのであろう。
放送後、もう荒れに荒れるのである。記事冒頭に書いた通り、アニメの本スレ、ゲームの本スレ、実況スレ、アフィブログ、Twitter、その他SNS、ありとあらゆるサイトで荒れた。
当然と言えば当然だろう。こんな描写をされ、それでも「未央の気持ち分かる」「これはしょうがない」「これでこそ未央」「子供だし仕方ない」だなんて思った人物が果たして何人いるだろうか。いたかもしれないが、決して多くは無いだろう。
この6話以降、アニメ終了まで、いや終了し1年が経過した今でも「本田リーダー」とバカにされ続け、アフィブログの恰好の餌となり、未央アンチを大量生産してしまった結果となったのだ。
アニメのスタッフ曰く、「未央は非常に脚本的にも使いやすいキャラクター」と雑誌のインタビューでも公言しており、シリアスやキャラの成長描写を入れたかったがために、落として上げる脚本にしてみたのだが、結果はごらんのとおり。
落としたら人気が0以下になり、頑張って上げたが0に戻ることは無かった。そんな印象をうけたアニメであった。7話で武内Pと和解するが、それで救われた未央Pがいるのならそれはそれで良しとしよう。
だが、今日の未央の嫌われっぷりを見て、果たして何人の未央Pが心身安定の状態でいるのか実に気になるところ。
このテーマの冒頭でアニメにおいて未央は"超優遇"だったと記述した。上記ではまるで不遇な扱いを受けているように感じるが、問題は8話以降である。
2つ上げるとするなら、「セリフ量がアニメで最も多い」「とにかくいろんなキャラに絡み、出番が多く目立つシーンが多い」。
メイン回が6話にあったにも関わらず後半も数えきれない量で出番があり続け、1期の8話のメイン回以降ろくに出番のなかった蘭子に比べると破格の扱いであることがよくわかる。
ただでさえ6話で下がりまくった人気なのにこのアニメでの扱いである。アンチは量産され続け、普通の視聴者すら面白い心境ではなかったであろう。火に油を注ぐ結果になったのは言うまでもない。
それもこれも「脚本を書く上で使いやすいため」という結果に収束するからである。なんと皮肉なことか。
4.極端すぎる運営贔屓
テーマタイトルそのままの意味である。未央は基本不人気のまま進んで来たキャラであるが、やはりニュージェネレーションの一人として、そしてパッションの代表キャラとして表に出さざるを得ないキャラとなってしまっている。
だが、現状の人気は今まで説明してきた通り。第2回まで圏内入りすることはなく、フリートレードの価値も安い、pixivでもイラストの数は卯月や凛と比べると圧倒的に少ないといった感じ。
だが、第3回総選挙では5位。第4回では18位、第5回では6位を記録している。こう書くと、なんだ普通に人気キャラじゃんと思うかもしれないが、実はここにテーマタイトルの真の意味がある。
シンデレラ総選挙はあるシステムに則って行われている。それは投票権1枚につき1人一票を"何度でも同じキャラに投票できる"という仕組みと、投票券は"ガチャを引くことで手軽に手に入る"という仕組みである。
つまり、その投票期間に行われているガチャのキャラクターがもし自分の担当だった場合、ガチャを回しまくり、手に入れた投票権を担当に突っ込みまくるといった現象が発生するのだ。
もうお分かりだろう、この未央が5位、6位を獲得した第3回と5回の総選挙、未央がガチャ登場キャラだったのである。当然ガチャに登場させるキャラクターは運営が選出している。
こんなことが行われていたら当然納得いかない奴らはこういうだろう、「運営は未央を総選挙上位に押し上げたいからガチャに未央を選出した」。至極ごもっともな意見である。そう思われても仕方がない。
第3回はテーマ上、1stライブに先駆けてニュージェネレーションの卯月、凛と共に月末ガチャに登場といったものだったので、ここはまだライブ関連、ユニット繋がりで言い訳が通りそうなものである。
だが第5回に至っては特にイベントもライブもないにも関わらず直前に未央単体のガチャを投入。あきらかに狙ったものであると言わざるを得ない。
第4回の時には未央ガチャが行われなかったため、18位という結果になり、Paのみでも4位という結果に終わった。
これはマズイと思った運営が未央を上位に組み込むため、総選挙のタイミングでガチャを行ったと思われても不思議ではない。これを贔屓といわず何と形容されるべきか。
上記以外にも、ちょうどいまこの記事を描いているときに問題になっている事柄が1つ存在する。未央の他キャラへのカードイラスト出張である。
つまりどういうことかというと、スターライトステージのガチャで出てくるアイドルのSSRイラストに「未央がそのキャラクターと一緒に映っている」というものである。
SSRイラストといえば、そのキャラクターをこれでもかというほど可愛く書いたイラストであり、手に入れたユーザーにとっては宝物にも等しい。
なのにそのイラストに、全く別のキャラクターが出張ってきてるのである。特訓前のみの登場であるが、これに苦言を示した該当キャラの担当Pが本当に多く存在した。
当然文句を言う人らは「未央アンチである」といった扱いをされ蔑まれているが、当人たちの気持ちとしてはたまったものではないのであろう。分からないことも無い。言葉にはしなくとも、内心そう思っているP達はきっと多いことだろう。
さて、ここまで大長文でお送りしてきたが、いかがだっただろうか。
こんな文章を最後まで読んでくれた方がいるのかはわからないが、今自分が考えていたことを文章として残しておきたかったが故の行動である。
最後にもう一度書くが、筆者は未央アンチでは決してない。思っていたこと、考察したことを文章にまとめただけである。勘違いしないでほしい。
冒頭にも書いたが、これら4つの要素は決してそのキャラクターとそのキャラのファン達を幸せにすることは無い。絶対に無い。
溢れかえる今日のキャラクタービジネスコンテンツだが、明らかに「運営による無能行為」によって闇を見るキャラクターが多くなっている。
ここに記載した考察が世に広まり、アニメ・ゲーム業界の方々の目に入り、今後も本田未央のような「人間の悪意」を一身に背負うような不幸なキャラクターが生まれないようにして頂きたい。
是非とも、これらの要素を今後の反省課題として脳内にとどめて置き、新しいキャラを作り、そのキャラクターを育てていく際の糧としてくれることを切に願う。
以上
猫の多頭飼い崩壊のニュースを見て人間でも同じことが起こっているのではないかと思った。
3-4の繰り返しで崩壊
4.まともな教育を受けていない人たちは自活能力がなく、自分たちが可哀想であり、格差があると主張し支援を要求
3-4の繰り返しで崩壊?
ちなみに、バカが増えすぎた未来を描いたIDIOCRACYという映画では崩壊している。
https://www.youtube.com/watch?v=BBvIweCIgwk
a. 殺処分
雇用主を探すという意味ではハローワークがあるが機能しているかは疑問
別の国に行ってもらうということも考えられる。日本では能力が発揮できずに自活ができていなくても、発展途上国などでは能力に需要があるかもしれない。(想像)
しかし、出産に経済力による制限をかけることは可能かもしれない。
しかし、教育をすることで野良にする(支援から切り離す)ことが可能かもしれない。
これは最低限のマナーを教えてホームレスとして生きさせるということだろうか。
猫についても人についても、どちらもどのように解決していけば良いのだろうか。
猫の場合は最終手段として殺処分や去勢・避妊があるが、人ではそれは不可能だろう。
それは、性教育の延長として子育てにどれだけの費用がかかるかなどを教え、無責任な繁殖を防ぐことである。
但し、その結果少子化は加速すると考えられる。
A.バケモノ
そのまんまバケモノです。
なんのためにいるのかは謎です。
見てる人が座敷わらしちゃんKAWAIIするためなのかも知れません。
怖いおじさんにあったという思い出が改変されてバケモノになりました。
一番筋が通ってる気がします。
夜空は脚色です。
実際はただ逃げたです。
なんで唐突にファンタジー要素が登場するのかをもう考えなくていいのが魅力的です。
戦争に巻き込まれていくという様子をバケモノに誘拐される形で表現しました。
「夜までに帰らないと」はバケモノに出会った場所と終戦直前に何が起きたかを考えれば明白です。
実際どれなんでしょうかね。
あのシーン以外の部分にヒントが紛れているのかも知れません。
自分はNTRれボーイが幼少期にフラグ立てに来た辺りで既にバケモノの存在を忘れていたので見落としがあってもおかしくないです。
今週の文春。
連載なので、具体的に某ファストファッション企業の売り場から見える実態と闇の深さの考察は次号を読まねばならず、
今週は導入部分といったところか。
しかし、今回触れられていたバーゲンと呼ばれる催事期間中の販売員、店舗業務に従事する労働者の過酷な労働環境とプレッシャーは、
いくら初めから納得の上で課せられた「仕事」とはいえ、読んでいて本当に胸が痛くなる。
アパレル流通においてSPAの中で店舗型対面販売の部門は、その売り上げを通信販売・無店舗型のインターネット取引に取って代わられつつある。
販売員を長時間拘束し、人件費家賃含め諸経費がかかりすぎる店舗経営というのは、これから縮小の一途をたどるのは明白だ。
売り場は、今、時代に即したやり方でもっとスピーディーな情報伝達体系を模索して変化しなければ生き残れない。
しかし、記事を読む限り、そして同業他社の様々な人たちから聞く限り、
いまだに売り場というのは原始的かつ高圧的なトップダウン形態に支配されている。
ブランド名や商品力だけでは響かぬ、移り気で流動的なお客様が購入に至る過程において、
商品の力だけでは補えぬ「知識」「信頼」「安心」を生み、ブランドのファンを増やすという点において、非常に重要な仕事だ。
広告とネームバリューと商品力だけでは補えない、人と商品との「出会い」と「絆」は、
むしろ今こそ実店舗経営は他社との明確な差別化を訴求するための、強力な武器になりうると思う。
売り場は、そこに行った者にしか味わえぬ強烈な「体験」がある。
販売員はお客様の個性に合わせて演出し、魔法をかけ、喜びと優越感を体感してもらう。
だが、その売り場に今となっては「数字」「雑用」「クレーム処理」ばかりが、しわ寄せのように押し寄せる。
働いている人々のポジションも賃金も、本社に属する者より低く安い。
過去には現場重視の会社も多々あったが、この不況でグッと数が減った。
年齢が上がり売り場に立てなくなった古参販売員の他業種への流出も、具体的な受け皿がないままダダ漏れ状態。
数字がキッチリ取れるほどの販売力、心地よいサービスを提供する接客力というのは、数ヶ月〜1年ではなかなか身につかない。
しかし販売の離職率は上がり、キャリアの浅いバイトや派遣ばかりで、接客スキルの質の著しい低下も、最近はとても目に付く。
「売り場重視」「働きやすい環境」を謳う何社かも、比較すれば他の業界に比べ圧倒的に賃金・福利厚生共に水準には全く届かない。
現在、Twitterのトレンドに「#SMAP存続署名37万3515人」というタグが踊っている。
なるほどSMAPの熱心なファンが、存続してくれと自発的に署名を集めたというのだ。
しかし、その署名を集めた発起人とされるアカウントのツイートを見てみると、
📎 🖇5☆SMILE 📎 🖇 @cantstop_susume 5時間5時間前
掲載をして頂ける事になりました‼️
#朝日新聞を買いに行こうよ
#朝日新聞を買いに行こうよ というタグが唐突に付加されている。
そして案の定、それを拡散したジャニヲタの皆さまが「#朝日新聞を買いに行こうよ」のタグを使って熱心につぶやき、朝日新聞の購入・応援に走っているのだ。
はっきり言おう。朝日新聞はこの署名が何の効力も産まないことだって分かっている。
それどころか、
「SMAP解散騒動とは結局何だったのか。芸能マスコミの報道への疑問」 http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20160123-00053721/
「ジャニーズのファンクラブ規約問題を朝日新聞も報道。SMAP解散で山が動いた?」http://randomview.seesaa.net/article/444268368.html
の2つの記事を見れば分かる通り、SMAP解散騒動の時点では真っ先にジャニーズ事務所側の肩を持った報道を行い、
ファンクラブ規約問題が炎上すれば今度は特集報道を行うなど、ジャニーズに対してある意味でコウモリ的な立ち位置の報道を行っていたマスコミが朝日新聞である。
つまり朝日新聞はここまでの時系列で「SMAP解散騒動を燃やし、ジャニーズ内に亀裂を作る一端をになった挙句、SMAP存続署名のことを取り上げてジャニーズファンの支持(&新聞の売上とイメージアップ)をごっそり頂いていく」
現在朝日新聞をツイッターでべた褒めし、「SMAP存続署名を取り上げてくれた朝日新聞に感謝の購入を」みたいな空気で盛り上がっているSMAPファンの皆さんは、
あなた達は朝日新聞の狙い通りに操られているということを一刻も早く理解するべきだと思う。
そもそも、この署名の管理運営を行っている人物がちゃんとしたSMAPファンであれば、
「朝日新聞の取材を受ける」ということをここまで喜ばしく表現する事自体がおかしいのだ。
何故ならSMAP解散騒動が燃え上がったとき、そのど真ん中でキャンプファイアーをしていたのが朝日新聞なのだから。
「あんた達が燃やしたせいでこんなことになっているのに、今更取材しに来て恩を売ろうとするとは何事か」と激怒してこそSMAPファンではないのか。
そして、#朝日新聞を買いに行こうよ というタグをわざわざ作ってまで拡散しているところからしても、
「今回のSMAP存続署名は、もともと朝日新聞とつながりのあった人間が企画した、朝日新聞のイメージ戦略としての側面を持ったものであった」
といえるのは間違いない。
そして、それが実現されてしまったのはジャニヲタの最大の弱点「盲目性」のせいである。
「自分たちや自分たちの応援しているタレントに都合のいい情報や考察であれば、何でもかんでも拡散して支持してしまう」という盲目性を持っているのが多くのジャニヲタであり、
良識ある人が「いやそれはちょっとおかしいのでは」と冷静に動くことを促そうとすると、使命感や高揚感からかマトモな考えを経ずに「邪魔者・敵」だと判断してしまう人がとても多い。
パーナさん事件で嘘の避難所情報や「レイプ車」などの情報を、周囲の制止も聞かずに信じて拡散した人々のことを記憶している人も多いだろう。
そして、一晩で21人のパーナさんを(ツイートしている状況からしたらタコ部屋以上の殺人的な詰め込み方をしないと運べないし泊められないのに)
救助したと表明したジャニヲタ女性に賞賛の言葉やフォローが殺到したという滑稽極まりない話もあった。
そういう人たちが今でものうのうと活動しているほど、ぬるいのがジャニヲタの世界なのである。
そして、その人々の盲目性に乗っかって、過去に自分が撒いた種で燃え上がった騒動の美味しいところを総取りしようとしているのが朝日新聞であり、
それに気づかずに両手を上げてありがたがっている盲目なSMAPファンがこれを美談として語り継いでいく限り、ジャニヲタの盲目性を利用して美味しい思いをしようとする者たちは、
「この世界の片隅に」
何となく評判が良さそうなのと、こうの史代が原作だというのとで、
北海道じゃ知る限り今のとこ札幌の1つの映画館でしかやってないけど、観に行ってきた。
もう言葉も出なかった。
帰り道の途中、あーでもないこーでもないと、頭の中で感想をひねり出そうと頑張ったんだけど、とにかく上手く表現できない。
ただただ、素晴らしい。この「素晴らしい」という言葉も何か陳腐なものに聞こえて、却って作品を貶めてしまってる気がする。そんな感じ。
もちろん、個々に素晴らしい要素を取り出すことはできる。
背景がとにかく綺麗で、建物や草花、人々の描写が緻密で、登場人物たちも何か温かな感じで、
物語も、すずさんという主人公を中心に、戦時中の市井の人々の暮らしが丹念に描かれていて、
それでいて、あの時代、あの戦争というものに、いわゆる普通の人々がどう向き合っていたのかを考えさせられる。
今さら自分が言わなくても、もういろんなところで考察や感想があがっているから、これ以上言及する必要はないだろう。
それでもどうしてこの映画がこんなにも心を打ち抜いたのか、説明できない。
自分の表現力が乏し過ぎるから上手いこと言えないだけなんだろうけども、何とか自分の言葉で感想を言いたいなぁ~と考えて考えて、
そこで思いついた!
そういえば自分の中で同じくらい心を打ち抜いた映画があったなぁ~と。
それと「この世界の片隅に」で、なにか共通するものがあるんじゃないかなぁ~と。
はぁ?「この世界の~」と「ぽんぽこ」を一緒にするんじゃねぇぞカス!
とどちらのファンにも言われるかもしれないけど、言われても仕方ないんだけど、
少なくとも自分はこの映画を語るのに、「ぽんぽこ」という“触媒”が必要だった。
「平成狸合戦ぽんぽこ」は高畑勲監督が手がけたご存知スタジオジブリの作品だ。
内容をごくごく簡単に言えば、ニュータウンの開発で自分達の住処を失う危機に面した狸たちが、必死の抵抗を試みて敗れる物語である。
でもここに出てくる狸たちは、そんな深刻な事態なのにどこか暢気でズレていて、人間との「戦争中」だけど恋も遊びも楽しんでいる。
そしていよいよ追い詰められていく中で、ある者は徹底抗戦を唱え玉砕し、ある者は自分たちを受け入れてくれるこの世の楽園(そんなものはないのだが)を目指して旅立ち、
主人公を含むその他の者は、人間社会への同化を試みることを決意するのである。
この作品、たくさんの風刺やメッセージが込められていて、解釈も様々ある。
そして自分が感じたのは、「(それでも)生きていく」というものだった。
ニュータウンの開発。それはそこに暮らす狸たちにとって、自分たちを取り巻く環境や価値観を一変させる脅威だったに違いない。
だからこそ必死に抵抗するのだが、しかし圧倒的な力の差に敗れ去ってしまう。ただ、それでも―
主人公を含む一部狸たちは、人間社会の中で、人間の価値観の中で、「(それでも)生きていく」ことを選んだ。
映画の最後の方で、主人公はかつて豊かな森であったろうゴルフ場の片隅で、小さな宴会を楽しむ昔の仲間を発見し、再会を祝う。
その小さな幸せを楽しむ向こう側には、絶望的なほどに圧倒的支配者となった人間の暮らす街が広がっていた―。
なんだか救いがないように見えるけど、でも、不思議と希望も持てるラストだと思った。
きっと狸たちは、もう今までの自分たちの世界は取り戻せないけども、それでも新しい世界のどこか片隅に自分たちの居場所を見つけて、
さて、「この世界の片隅に」はもちろん「ぽんぽこ」とは全然違うんだけど、
でも根っ子の部分で重なるんじゃないかなぁ~と、少なくとも個人的には感じた。
自分たちを取り巻く社会、価値観、環境が変化する中で、それに戸惑ったり抵抗したり適応したりしながら、それでも生きていくということは、人間の普遍的なテーマだと思うから。
この映画はその普遍的なテーマを直接言及するわけでなく、戦時中の市井の人々の日常という形で描いてるものだから、
何か上手く捉えられず表現できないんだけど、心を深く揺さぶるんだと思う。
余談だけど、今まさにこの現代にこの映画が出たことは、タイミング的に奇跡なんじゃないかな。
というとオーバーだけど…でも、世の中が激変し過ぎて、正直自分は不安を感じてるよ。
テロの多発、英国のEU離脱、トランプ大統領の誕生等々…。あんま政治的な話を持っていくとこじれるからこれ以上はやめとくけど、
いったいこれからどんな世界が訪れるんだろうか、全然分からない。
分からないんだけど、考えるのを止めて狸寝入りしちゃ駄目なんだろうな。
最初の記事は「飽きて別れる率高いよね?人は飽きる生き物なんだよ?離婚する可能性があるなら、一緒にいようねってってだけならそうしたら良いじゃん」という記事。
後の記事にも続くけど、制度としての結婚には制度上のメリットがある。それを否定はしないからだ。
二番目の記事は、「まぁ色々言われてそれぞれ考える意味はあるみたい、でも金以外の意味はまだ解からない。おしえて?」とまぁ、若干あおり(?)気味だ。
結局のところ、「愛の誓い、儀式としての結婚」と「戸籍の問題、制度としての結婚」という話だと思う。
ここで「愛の誓い、儀式としての結婚」は「その時誓ったって、未来に関してはわからないじゃん!」というよく考えれば当たり前の答えに行き着く。
(「自分だけは」…って思っても、どうせ大多数がそう思ってる。だから結婚する。でも 1/3 は離婚している。そう考えれば否定はしちゃいけない)
結論として、「戸籍の問題、制度としての結婚」と「同等の権利を事実婚で得られるなら、事実婚だけでいいじゃん、別れるかも知れないんだからさー」という話だと考えられる。
まぁそれとは別に感情で考えれば、「死ぬまで愛したい、そういう気持ちで一緒になったんだ」といった「記念」としての結婚も分からなくない。
そこを踏まえての理想は。下記の2点があれば良いのかなって思う。
まぁ実際のところ、日本においては年収600万位?を超えてこないと、「戸籍の問題、制度としての結婚」に付随する権利がないと色々厳しくなると言うのは事実。
そこそこの企業の特にWeb系で渡り歩いた経験から、真実を書こう。
はっきり言う、ほとんどのプログラマと自称する人間の 9 割はコーダーである。
言われたものを作る事はできるが、それ以外何も出来ないと言って過言ではなく、何もしない。
そんな驚きの生体をここに晒していく。
標準化と呼ばれるプロセスで、プログラマが環境の設計、組み合わせ、開発プラットフォームのセットアップ、開発環境の構築手順作成、開発手順の作成、必要な技術の考察を行う。
なぜそうなったのかは知らないが、一般的にそうなっている。
その環境に浸っているせいか、彼らはゼロベースでものを作ることが出来ない。
彼らにできるのは HelloWorld をコマンドプロンプトで表示するプログラム程度の事しか出来ない。
複数ソースの連結、ライブラリの読み込み、サーバへのデプロイ、どれも手動で出来ないのだ。
逆にそれ以外のこと、コードの読みやすさや、クローン率の低減、メソッドコメントの記載などの保守に関わることをしない。
それは彼らにとって「必要ない無駄な作業」としか考えないのだ。
早く仕上げるためなら、似たような動いてる箇所から、よく読みもせずにコピペを行う。
そして彼らは、作るより運用する期間の方が遥かに長くて、その間に修正で地獄を見るという簡単な論理に気づかない。
…何度味わっても気づかない。
たとえするとしても、業務時間中に業務で使ってる技術をピンポイントで学習するだけだ。
だが、プログラマと呼ばれる人間の母数に比べれば微々たるものだ。
彼らは言う「土日にまで仕事してられるか」「勉強会行ってるの?馬鹿か?」
あえて言おう、馬鹿は彼らだ。
Web で仕事をするならIDE(統合開発環境、エディタやコンパイル、テストやデバッグ実行などを画面から行えるツール)はほとんど必須(エディタで済ませる事も出来なくはない)が、彼らは状況に応じたセットアップができない。
たとえば「Maven(プロジェクト管理ツール)、checkstyle(コーディング規約チェック)、editorconfig(改行、インデント、文字コード設定)」が入っていたとする。
するとEclipseなどを使うとして
マニュアルやチュートリアルを用意しないと、道具の使用もままならない。
テストをなるべく機械にやらせようということの利点が理解できない。
そのために、何十回もコンパイル、デプロイ、アクセス、ログインの手順を何度も繰り返す。
関連する他の修正を行うたびに繰り返す…。
そしてやっと動くとひと仕事終えたと満足感に浸る。
ラリー・ウォールというとある有名な人物(Perl開発者にしてC言語ハッカー)がいる。
これは、自分の作るものは完璧なのだ、だから完璧であるように出来る限りのことをするという美徳である。
彼らは金のために嫌々動くだけのものを作るのだ、動きさえすれば報酬は変わらない、よって当然完璧かどうかなどどうでもいい。
同じ金でより良いものを作るのではない、要件だけ満たせばよいのだ。
変なプライドを持つコーダーは、それで運良く成功すると、自分の知識は正しい、自分の技術は十分なのだと考えている。
こういう人間は、プライドの無いコーダーよりたちが悪く、うまくいかないと他人か環境のせいにする。
そして調べず周囲を苛立たせるのだ。
土日に自ら勉強会に行くプログラマや、それこそ 50 人以下などという会社であればこうした事はあまりない(んじゃないかと思う。)彼らは自分でなんでもやらないといけないからだ。
だが、大企業に飼われる子飼いの企業、派遣(そもそも人手のみを求められる企業)、100人以上の企業では、役割分担に伴いこうした状況が多々発生する。
だが役10年、エンジニアを見てきた結果は変わらない。現実問題こうなのだ、こんな人間が大多数なのだ。
人の多い企業ほど考えたほうがいい、それでより良いものが生まれるのかと。
必要とされる技術だけを叩き込んで金にしたいと言うのは分からなくないが、基本姿勢や思想はどうなんだと。
経営者よマネージャーよ、あなた方の言う「最適化」とは現場が日々考え行っている最適化か?人員最適化だけを行って、生産性が伸び悩んでいないか?
そのあたりは考えた方がいい。
近親相姦とは、どこまでを「家族」とするかで定義される。だから日本では合法のイトコ婚も儒教国家では違法。
古代日本では女性の家が子供の監督権を持っていたので、別々の女性の家で育てられた異母兄妹は「他人の家の子」とみなされた。
だから異母兄妹は「家族」ではなく、異母兄妹婚も認められたのである。
匿名ですら性文化や生殖に関する考察って少ないな。社会から生物、進化、果ては人工生命にまで及ぶ興味深い分野だと思うのだが。
「ポリコレ棒」という用語はあれか、ようするに「議論が終わった事柄」について説明を省略した「やったら駄目なことリスト」を見せられた人が「初めから全部説明してくれ」という引き伸ばし作戦をするためのものか。— 丹菊逸治 (@itangiku) 2016年11月14日
そう、まさに、少し前までの「ポリコレ」という言葉は、こういう意味で使われていたはずだ。
すでに政治的闘争を経て決着した、これら社会的弱者を差別してはいけない、地位を向上していきましょうという合意のことだ。
@tyk97さん連続Tweet:乙武さん入店拒否の件から考察する「グローバルいんちき」というプロトコル - Togetterまとめ
@H_Nobunagaさん連続Tweet:乙武さんの件、橋下市長の従軍慰安婦の件とPolitical Correctness - Togetterまとめ
上記リンクは、ネットでPCという言葉がよく使われだした頃の議論だ。
人種と文化のるつぼである移民国家アメリカで、マイノリティが闘争を経た末に権利を勝ち取り、歴史を逆戻りさせることのないよう不可侵の約束事となった、それがポリコレ。
個人的にも得心が行ったし、Twitter上の頭の良さそうな人たちにも概ね好評だったので、なるほどポリコレというのは政治的運動で勝ち取るものなのだな、と思っていた。
オタクを差別してはいけないというのは、特に社会的なコンセンサスなど取れていないので、PCの範囲ではない。
そこに突然、君たちもPCで守られてきたんだよ、なんて言われたら、はぁ?となるに決まってる。
ところで、ポリコレの辞書的な意味は「差別・偏見が含まれないよう配慮された言葉」で、マイノリティに限らないものらしい。
ポリティカル・コレクトネス(英: political correctness、略称:PC)とは、政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことで、職業・性別・文化・人種・民族・宗教・ハンディキャップ・年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現を指す。
しかし、オタクが差別されてる!とか噴き上がってるエントリなり発言なりに対して「うんうんそれもまたポリコレだね」と答えた者が、過去にどれだけいたのだろうか。
オタク蔑視に文句があるなら、先人の手柄にフリーライドするのではなく、オタクはオタクで政治的主張をしていくべき、という意見を何度も見た。
その意見自体は正しいと思う。ある程度他から借りてこられる部分はあるにせよ、当事者が声を上げなければ始まらない。
しかし、それをポリコレという言葉を使って表現しているのは、過去には殆ど、あるいは全く、見たことがなかった。
今日これだけポリコレという言葉が溢れているにも関わらず、だ。
つまり、多くの者は暗黙には「ポリコレ=政治的闘争を勝ち抜いた一部のマイノリティを守るもの」と認識していた、と考えるのが自然だ。
いや、オタクがPCで守られているという意見も、言いたいことは多分理解できてるつもりだよ?
オタク側にも、俺達の趣味を蔑視するな!アニメやゲームと犯罪を結びつけるな!と主張する権利は認められているし、現にそうしてきた。
今後のオタクの努力次第では、アニメやゲーム等の趣味や職業で蔑視してはいけませんという社会的合意が取れる(つまり、PCになる)可能性もあるだろう。
今PCという概念を否定したら、その未来すらも否定してしまう。
これまでマイノリティの尊重を訴えてきた方々のお陰でオタクも少なからず楽になっているんだ、という意見も見た。
それは至極尤もな話だ。
一口にオタク差別というと内容が非常に曖昧だが、表現に関わる職業に対する差別、それを消費する趣味に対する差別、オタクという属性そのものに対する差別等があるだろう。
この中のいくつかは、オタク以外の政治家や運動家たちによって改善された部分も少なくあるまい。
それでも、少なくとも現時点では、オタクを蔑視するのは社会的に非難されるような行為ではない。
オタクはマイノリティなので地位向上に取り組みましょうという社会的な動きがあるわけでもない。(むしろどんどんマジョリティ化していきそうだがそれは別の話だ)
「ポリコレはオタクの事も守ってきた」というのは、単純に言葉の使い方がおかしいんだよ。
たとえ辞書的には正しい用法だろうと、相手の認識と齟齬があるときはちゃんと説明して使って頂きたい。
それをしないのは「消防署の方から来ました」とやってることは同じだ。
はてなブックマーク - べるお@冬コミ落選マンさんのツイート: "だから「俺らはポリコレで割を食ってばかりだ」って言い分には全然賛成できないんだ。ポリコレのない世界で毎日投げつけ何でもかんでもポリコレに含めるな!テメエの身はテメェで守れ!我々はお前のママじゃねぇ!→あれもこれも全部ポリコレが守ってきたんだ!ポリコレを否定したらお前も死ぬぞ!って変節にしか見えないんですよ。2016/11/13 00:41
フィクションを見て散々大勢の人たちが語り合い考察しあい、今の時代について語った。
これから映画はどうなっていくのか、エンタメはどう変化するのか。
新しい時代の幕開けなんだと、興行収入を見ながらみんな浮足立った(アニオタ中心として)
この世界の片隅に 見た。
どこまでをフィクションと捉えるか。なにもかもがリアルだと捉えるか。
圧倒的に現実だった。圧倒的に身近で圧倒的な凄みがあった。これが、現実か。
そして受け入れることのできないような現実を、受け入れて立ち上がる。そして進む…その延長線上に自分たちが居る。
この映画を見る前に、あの2作品を見ていたら…楽しめなかったともう。
しかしちゃんと段階を踏んでみただけあって、いろいろなことを考えることが出来た。
傑作とか、名作とか…いろんな声が上がっているけど、「衝撃作」だと思う。
ショックを受けている。それはとても強く暖かいショック。