萌え絵がエロいかエロくないか、不快か不快じゃないか、見る人の感性がまともかまともでないか?みたいな話の先に決着点は絶対にない、ということをまず最初に宣言しておこうと思う。
歴史・文化、なんかの単語で置き換えたとしても、それは実は何にも説明していなくて、実は主観の多数決のようなものでしかない。
その辺の話は一旦置いておこうと思う。
ではここで何を論じたいか?というと、メインでは、なぜ不快と感じる人がいるのか、という問題かな?
絵画の裸婦像はエロくないとか、グラビア写真ならまだ許せる、でも萌え絵が不快でたまらない的な声も多い。
そのへんをちょっと掘り下げてみようと思う。
小学生くらいの頃、美術室で裸の絵とか像とかがあって、掃除の時間とか図工の時間とかにそういうのを見ると、なんとなく気恥ずかしいような、なんでこんな物があるんだろう?という感覚はあった。
親と一緒に入ったレストラン、というか居酒屋っぽいところで、ポスターの水着のお姉ちゃんがビールジョッキ持ってるのも、なんか意味がわからなくて不思議に思った。
地下街の看板に裸のお姉ちゃんの写真があるところがあって、まあ芸術的なんだろうけど、前を通る時にどうしていいかわからないような感覚があった。
これに近いような経験って、誰にでもあるんじゃないだろうか?
もう少し大きくなると、家族で見てた映画やテレビでのベッドシーン。
気まずくなる瞬間あったよね。
つまり、萌え絵か写真か像か、とかに関わらず発生する感情である。
この辺の感情って、まとめるとこうだと思う。
「写真であれ映像であれ絵であっても、今その場の人がしていい格好・振る舞いじゃないと違和感が生じる」
その違和感は、気恥ずかしさであることも、目のやり場に困るという気持ちや、または不快である人もいると思う。
ただ、萌え絵問題はこの原体験に加えて、もう少し別の要素も絡んできていると思う。
10年近く前だと思う。
しかし、用事で東京に行った時、ホームに入ってきた電車が、アッキーナのラッピングカーだったとき、なんだかすごい不快感を持った。
別にエロい格好でもなかったと思うし、宣伝の内容も見ていないし記憶にない。
あの宣伝のラッピングが、吉永小百合とか松嶋菜々子が上品に写ってる宣伝なら、特に何も思わなかったろう。
当時のアッキーナは、水着で毎週のようにグラビアを飾るほしのあきとかと違って、純正グラビアアイドルじゃなかったと記憶している。
あんまりテレビも出ないから素人っぽさがあって、そして当時18歳くらいだったと思う。
なのでなんとなく、東京の若者文化の象徴としてのエロさ、みたいなものを見出していたと思う。渋谷の援交女子高生みたいな?
だからこそ、グラビアアイドルの見せるための綺麗なエロさじゃない、クラスの女の子のエロさみたいなものがあった。
そもそもエロとは何か?
それは、自分の延長上で性的な行為が連想されるかどうか?じゃないだろうか。
洗練された女の子より、素人っぽいAKBが受けるのも、「そこにリアルなエロさ」があるから。
例えば、桐谷美玲がドラマの打ち上げでお酒飲んでいる写真が出てきたとしよう。
それともうひとつ、AKBのギリギリ成人くらいの子が、AKBコスチュームで、ドラマの打ち上げでお酒飲んでいる写真が出たとしよう。
なぜなら、AKBって枕やってんじゃないの?とか、俺もうまく仲良くなればやれるかも、的な欲望の対象になっているから。
それに対して桐谷美玲は、綺麗すぎてリアルな欲望を見出せない。大好きなんだけどね。
つまりだ。
あの辺の萌え絵が、女性の身体的特徴を誇張して描いていることに関しては反論はないと思う。
その誇張を、自分の身近なエロと結びつくのかどうか?が最大の焦点と思う。
女性が女性の身体的特徴を誇張表現された時、真っ先に結びつけるのは間違いなく自分の身体だと思う。
その自分の身体に関して、誇張された部分に周囲の人間が全員注目しているかのような気分になるのが、不快感の元と思われる。
自分の嫁が女性の身体的特徴を際立たせるような格好をした写真を、昼間仕事中にいきなり会社の壁に貼られたらものすごく不快になるに違いない。
グラビア写真や芸術的裸婦像は、たぶん自分のセックスを想起させないのが大きな違い。
そろそろまとめよう。
萌え絵に限らずなんだけど、女性の身体的表現を見て、不快に感じるかどうかは、チェックポイントがあるように思う。
1. その状況・ポーズ・構図等の意味を正しく理解できているか?理解できないと不快に感じるケースが多い。
2. 強調された特徴が、自分のセックスの延長上に結びつくのか結びつかないのか?結びつく人は不快。
3. その絵を見る状況が、セックスを受け入れられる状況か否か。2を満たしていてセックスしたいと思えない状況で見ると不快。
4. あと、身体的特徴を強調しすぎると不気味の谷に差し掛かって不快。
考察するに。
オタクが萌え絵をエロく感じないのは、その女性の絵を自らのセックスの延長上に結び付けられないからではないか。
または、自分のセックスパートナーとの身体的特徴があまりにもかけ離れている人。
あ、童貞は延長上に思えないってはなしじゃないよ!!
あと逆に。
過剰にエロさを感じる人は、強調されている部分にコンプレックスを持っている人。
周囲にそこを見られている、と思うくらいの自意識がある人。
自意識かはおいておいて、痴漢によくあったり、男性に不信感を持っているような女性なら、周囲の男性からは自分がこんな風に見えてるんだ的なショックと不安感があるんでしょうね。
そりゃ不快だ。
そして嫌いなオタクを攻撃しようと萌え絵批判をする、って構図もある。
これはヘイトスピーチというか、オタクを低く見たいコンプレックスの表れのような気もする。
こういうのはなんか、話す価値がない。
まあ、なんだ。
不快か不快じゃないか、おかしいかおかしくないか、を論じることに意味はない。
どっちが変とか正しいとか麻痺とかじゃない。
主催者としては、不快な層が一定数いるなら、やっぱりなんかしら必要じゃね?
と言って締めます。
あんたも性に敏感すぎ そういう感受性豊かすぎる発達障害が多いから揉めるだけだよ
性に敏感すぎても鈍感すぎても生きにくい世の中よね