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2017-12-17

『いえのかぎ』問題感想

全年齢向けノベル『いえのかぎ』Steamから削除―“ペドフィリアターゲット”と判断 - https://www.gamespark.jp/article/2017/12/14/77430.html

同人ゲーム「いえのかぎ」Steamから不当にBANされたとして異議 「幼児性愛者を対象としている」と判断され - http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1712/15/news137.html

 

問題の詳細は↑の記事を見てもらうとして、この話に関して2つ論点から感想を述べたいと思う。

ひとつは「『いえのかぎ』は幼児性愛者向けのゲームなのか」という点で、

もうひとつは「Steamは全年齢の幼児性愛者向けゲーム排除していいのか」という点。

 

『いえのかぎ』は幼児性愛者向けのゲームなのか

エロゲオタであり、心に残るエロゲー10選を挙げるとしたらその中にかの有名な『はじるす』の後継作である『ななみとこのみのおしえてA・B・C』をチョイスする俺に言わせれば「YES! YES! YES!」というほかない。

もっと制作者はこれを否定している。

主人公犯罪者である嫌悪感をもよおさせる人物であるということはこの作品テーマ必然性のあることで、意図的にそのように描かれています

この主人公存在自体が、この作品幼児性愛者向けではない理由の一つになるかと思います

また、作中に犯罪肯定する描写は一切ありません。

https://twitter.com/Piro_Shiki/status/941568925623447552

それぞれの問題を抱えた4人の少女と頼りない新任教師が、ふとしたきっかから子供搾取対象とする悪と戦うことになり、その過程を通して児童学校を取り巻く問題を浮き彫りにすることを目指した社会派ノベルゲームです。

http://steamcommunity.com/app/710370/discussions/0/1499000547482233373/

正直に言えば、こうやってその場しのぎの言い訳をするの、事態悪化させるだけだからやめたほうがいいと思う。

『いえのかぎ』の公式ページに載ってるあらすじには、

小学校教員25才ガチロリダメ人間アパートに、女子小学4年生9才悪魔天才少女がやってきた!

http://ugainovel.web.fc2.com/ienoKagi/

ってあるわけ。ロリコン向けじゃないなら「ガチロリ」とか「女子小学4年生9才」とか何のために強調してるのかって話ですよ。

主人公紹介は

同僚や児童にも若干見下されているヘタレ。重度のロリコン学校トイレ盗撮カメラを仕掛ける犯罪者ヒロイン幼女の罠にはまり利用されるが、それも何だか嬉しくなってきた手遅れな変態

となっていて、Sなロリいじめられたり顎で使われることに興奮するM男をコアターゲットとしていることがあきらかな書きっぷりである(し、盗撮という犯罪行為に一切の批判が向けられていない紹介文である)。

PVサンプル画像を見ればわかるが、女子小学4年生9才が脚を大きく上げて、太ももをむき出しにし、短いスカートの中が見えそうになっている一枚絵がある。本作が「児童学校を取り巻く問題を浮き彫りにすることを目指した社会派ノベルゲーム」というのならどういう必然性があってこの一枚絵を作ったのか。ライターは「お色気どころかパンチラ一つない非扇情的作品」とツイッター発言しているが、ならこのシーンはなんなのか聞きたい(これがもし盗撮に対する懲罰シーンというなら舐めた話だ)。

そもそも創作をやっていればわかることだが、文章ひとつとっても表現意図がある。一枚絵をイラストレーター発注するというコストのかかる行為は相応の意図があって然るべきである。では上述の一枚絵を発注した意図はなんなのか。

もっと言えば本作のイラスト担当したMUK氏は18禁ロリイラストを多数手がける同人作家である。直近のC92では「えっちで容赦ない少女たちのイラスト漫画本」を上梓していて、これがまたいい仕事っぷりである個人的に欲しい)。しかしそういうイラストレーターを起用した意図もまた当然あるはずで、本作が「児童学校を取り巻く問題を浮き彫りにすることを目指した社会派ノベルゲーム」というのなら以下略(強調しておくが18禁仕事をした者は、全年齢の作品を手掛けたときも常にそういう視線さらされるべきといっているわけでは断じてない。あくまロリエロ絵師普段と変わらない絵柄でロリ絵を描いてもらった制作側の意図問題にしている)。

ついでにいえばこういうツイートもあった。

ロリコンノベルゲームSteamのストアに公開したら「お前は自分がやろうとしていることを理解しているのか!? パンドラの箱を開けようとしているんだぞ。やめろォー!!!」と大変ドラマチックな忠告を受けたが、そんなオモロイ箱があるなら何の迷いもなく開けるのである

https://twitter.com/Piro_Shiki/status/936604268181667840

お前、自分で「ロリコンノベルゲーム」って言ってるやんけ……。

しかし、である

俺は「幼児性愛者向けゲーム」がただちに悪いとは思わない。というかペド向けゲームを作って、売ろうとして何が悪い。何も悪くないはずだ。悪いのは「ペド向けゲームですが何か?」と胸をはらない態度だと思う。そういう意図をこめ、そういう客をターゲットゲームを作っていながら「いやそうじゃありません」とウソをつく態度に腹がたつ。

そして本作をBANしたSteamにも腹が立つ。

 

Steamは全年齢の幼児性愛者向けゲーム排除していいのか

あかんやろ。

こう書くと「Valve私企業から権利がある」とか「DMMとか他で売ればいい」とか言い出す輩が必ず沸くが、Steam比肩するPCゲームダウンロード販売プラットフォーマーが世界存在しないことを考えれば、彼らには一私企業という枠を超えた責任があることを議論の前提にしてもらないと困る。

TwitterからComic LOアカウントが凍結後撤退たことやTogetterをはじめサードパーティ垢のBAN祭りがあって問題になっているが、TwitterGoogleAmazonSteamといった競合のいない巨大プラットフォーマーは、利用者権利を不当に奪わないための公明正大運営が求められてしかるべきだろう。AmazonLINEAIスピーカー販売禁止にしたときは「独占禁止法違反可能性もある」という指摘があった(http://www.sankei.com/economy/news/171119/ecn1711190006-n1.html)。

Steamには、提供国の法律に反しない限りあらゆるゲームを取扱い、ディベロッパーユーザーの側に立ち、世界代表するPCゲームダウンロード販売プラットフォーマーとしての矜持を見せてもらいたい。

 

追記

ロリコンペドフィリアについて言及することや描くことがそれらを肯定したり、それらの人間に媚びている理由にならない。勝手に作り手の意図忖度しないで欲しい。/『いえのかぎ』問題感想

https://twitter.com/Piro_Shiki/status/942375135268315141

HentekoDoujinの新作ゲームのストアページを公開しました

今回挑戦するテーマは禁断の「ロリコン」。

活動漫画屋が幼女を愛するすべてのお兄ちゃんに贈るサスペンスノベルゲーム「いえのかぎ」

5ヶ国語対応で今冬リリース

https://twitter.com/Piro_Shiki/status/930081645377437696

うーん。

2017-12-10

anond:20171209143501

多分幼児性愛者への差別とか表現弾圧日本よりアメリカのが余程酷いだろうし

そういうのを取り締まる法案に反対してくれたのは日本リベラル政党くらいでは

2017-11-24

anond:20171124011444

でもロリペドや近親性愛判断能力の低い側が被害者になりやすいから殴っていいことになってるし

さらに言うと同じ理屈を援用して立場や年齢が上の男が下の女に言い寄ること自体キモい扱いで

それはまあある程度しょうがない部分もある、と理解もしてるつもりだけど

ならどうして衆道けが都合よくLGBT擁護に利用できると思ってるの? という疑問は正直ある

天皇がどうとかいうのとは関係なしに

2017-11-19

フェミニストオタクはなぜ相性が悪いのか』北原みのり って本が出たよ!

anond:20170331101630

北原みのりさんによると、幼女殺害事件宮崎勤は「オタク市民権を獲得し、秋葉原をつくり、萌え文化をつくり、幼女性愛ファンタジーとして肯定する文化を生み、ひいてはクールジャパン経済効果を生み……時代社会シンボルになってしまった。」

https://togetter.com/li/1172746

オタクフェミを敵視するのは単純に、フェミオタク攻撃するのを辞めないからじゃね?

くだらねーなー、とは思うが、ホントほっといてくれよ、と思う。

2017-11-16

anond:20171116094448

パートナーシップ性愛の有無は関係ないやろ……入ってる場合もあるし入ってない場合もあるで

あの漫画の人は知らんが別居の週末婚でそのときセックスとかよさそうやん。憧れるわ

オープン関係」とかもよさそうやん。詳しくはググれやけどハリウッドカップルとかのものすごい金持ちにはこういうカップルもたまにいるけど幸せそうやで

パートナーシップを求めてる人って、他所にめちゃくちゃセックスする女がいても文句ないよね?

だってパートナー性だけを求めてるんでしょ?

じゃあ性愛はいらないよね。

パートナー性だけをしっかりこなせば、よそで性愛してこようが自立した一人の人間自由だよね。

anond:20171116094125

https://anond.hatelabo.jp/20171116003042

ロリコン対義語って何

グランドマザーコンプレックス

グラコン?

グラコロみたいで美味しそうだねっ

【即追記】

ジェントロフィリア(老人性愛)という言葉があった

2017-11-06

なぜLGBTOKロリコンNGなのかガチ説明する

先日BBCの「若い小児性愛者の告白」という記事を読んで、色々と思うところがあった。これまで自分が考えてきた性的少数者人権についての考えを整理するために、今回初めて増田として日記を書いてみようと思う。

「子供に手は出さない」 若い小児性愛者の告白 - BBCニュース

この記事を読んでもらいたい人
僕が主に言いたいこと
前提の整理

本題に入る前に、議論の前提とする事柄を整理する。

前提1: 人権とその運用ルールについて

日本では、あらゆる人間には基本的人権が生まれながらに備わっている、という思想憲法で表明している。今回の議論関係がありそうなのは平等権」「自由権」あたりだ。それぞれが意味するところはWikipediaでも読んでほしい

(なお、人権よりも別の規律が上位に来る国ではこの前提は成立しない。そのような状況は今回の議論範疇ともしない。)

雑に説明すると、人間は誰しも生きる権利(生存権)があり、差別なく平等に扱われる権利(平等権)や、欲しいものを手に入れたり、やりたいことを自由にやってよい権利(自由権)がある。基本的には、これらの権利は最大限尊重されなければならない。

もちろん、この権利運用には例外があって、それはある人の権利他人権利侵害するケースだ。こういった場合は、より重要度が高い権利の方が保護され、重要度の低い権利制限される。あるいは、場合によっては両者がバランスよく制限される場合もある。この権利制限必要最低限度でなければならない。

こういった訳で「人のものを盗んで自分の物にしたい」「他人を意のままに傷つけたり、命を奪いたい」「相手同意なく暴力セックスしたい」といった自由は、他人権利を奪うため制限されるし、その決まりを守らなかった場合罰則もある。当然ながら、こういった自由よりも、その自由によって侵害される他者権利の方が、より保護する優先度が高いと考えられているためだ。

反対に、もし他人権利侵害していないのに、生存権平等権自由権などが制限されていたとしたら、これは是正されなければならない不当な権利侵害と言える。もしそのような立場に置かれている人がいたら、彼らにはその不当さを訴え、本来正しい状態是正してもらうよう主張する権利もある。

ここまでの話を端的に整理すると、次のようになる。……【前提A】

このため、ある権利制限が正当なものか不当かであるかを判断するには、例外規定した「2」の条件にあたるかどうかを検証すれば良いということになる。……【前提B】

前提2: 性指向性自認性的少数者定義範疇

性的少数者について特に問題となる概念として、自分本能的に欲しいと感じる性の対象が何であるかを表す「性指向」と、自分がどういった性別人格であるかを表す「性自認」がある。

性的少数者定義

「性指向」と「性自認」は「肉体的な性別性自認が一致しており、かつ異性愛である」という組み合わせが最も多い。この多数派の性指向性自認の組み合わせから外れたパーソナリティを持っている場合、その人は性的少数者である。……【前提C】

一般的性的少数者と言われている分類(いわゆるLGBTに含まれもの):

この中でも、両性愛者やアセクシャル比較多数派世界に溶け込みやすく、他の性的少数者に比べて存在が表面化しにくいとも言われている。

また、様々な理由からまり性的少数者としては分類されにくい小児性愛動物性愛、対物性愛といった性指向存在する。

一般的ではないが性的少数者定義合致する分類:
性的少数者の「矯正」は不可能

性的少数者の性指向性自認多数派と同じ状態になるように矯正しようとする試みが過去になされてきたが、成功しなかった。(多大なストレスで鬱になったり、自殺する場合もあった。)現在では性的少数者根本的に矯正することは不可能と考えられている。

なお、なぜ性的少数者が生まれるのかについては、先天的後天的両方の仮説がある。しかし、そのどちらかなのか、どちらのケースもありえるのかなども含め、原因は明らかになっていない。

このように、性指向自分意思によって変更できるものではなく、また、どういった原因によって性指向が決まるのかも明らかになっていない。……【前提D】

(ちなみに、性自認に肉体の方を適合させたり、半陰陽の人をどちらかの性別に寄せる、といった物理的なアプローチ可能である。)

指向性癖区別

特定の物・衣装行為に興奮する(フェティシズムSMプレイなど)などといった性癖と性指向言葉の上では区別される。しかし、時代によって何がどこまで正常/異常に分類されるかはとても曖昧になっている。

そこで、今回の議論では、ある人の性的な興味を形づくる根幹的な事柄であれば、その内容を問わず指向として尊重する立場をとる。……【前提E】

例として、異性愛者にとっては相手が異性であることは欠くことができない根幹的な事柄であるため、異性愛は性指向一種であるとする。

また別の例として、ある男性ケモナーで、ある種の動物性愛的とも言えるポルノを好んでいたとしても、実際の恋愛では人間女性交際結婚可能場合、必ずしも動物性愛が根幹をなしていないので、性指向としての動物性愛ではないと見なす。

逆に、もしこの男性にとって動物性愛が根幹を成しており、人間との交際結婚が全く考えられない場合、彼は動物性愛の性指向を持っていると見なす。

正常と異常

指向性癖の内容を問わず、正常/異常、良い/悪いの価値判断は行わない。ただし、その性癖他者他者権利侵害せずには成立しないもの(プレイではなく実際のレイプ行為など)については制限必要という立場をとる。

本題

前提が長くなったが、ここから本題となる。

なぜLGBT権利が認められつつあるのか

現行の社会の仕組みは性的多数派を前提とした仕組みとなっており、本来多数派と同様に保障されていなければならない権利制限されている。これを、多数派と同等のレベルにまで回復してほしいというのが、権利是正を求めるLGBTたちの主張として共通していることである

【前提A・B】に立ち戻ると、LGBTであっても可能な限り性的多数派と同等の権利が認められなければならないが、その権利他者権利侵害する部分については制限しても良いということになる。

では、上記のような事柄を認めることによって、他者権利侵害される場合はとはどういうときだろう?

同性愛者がはびこることによって、異性愛者がレイプされるかもしれない」

という懸念は不適当と言える。現状も異性愛者同士によるレイプ事件は起こっているし、同性愛者の権利回復したとしても、同意なくレイプして良いという特権を認める訳ではない。もしそのような事件があれば適切に処罰されるだろう。

LGBT不快感を持つ人々の権利侵害される」

というのは認められない。単に嫌いだから不快から、見なれないからという理由だけでは権利制限する根拠とはならないからだ。今まで生活していて、体臭が非常にキツかったり、顔立ちが全く気にいらなかったり、もの凄く性格が合わない不快な人と会ったこともあるだろうが、だからといって犯罪をしている訳でもない彼らから権利剥奪して良いかというと、全く関係がないのは明らかだ。

男性に見えるトランスジェンダー女子トイレに入ったり、その逆が起こるのは嫌だ」

というのは議論余地がある。男性から女性へのトランスジェンダーの人がありのままに生きたいという権利と、異性からトイレを見られたくないという権利が衝突しており、何らかの解決がなされるべきだろう。

最後問題のように細かい部分では利害の調整が必要な部分はあるにせよ、大きく見れば、LGBT権利回復することによって、他者権利が大きく侵害される場合というのは想像が難しい。【前提A・B】で説明した運用ルールから考えると、彼らの権利回復しない積極的根拠を挙げるのは難しい。

小児性愛性的少数者

【前提C】の条件によるなら、小児性愛者は性的少数者として考えて差し支えないと思う(ただし、単に小児性愛的な嗜好を好むだけで、その人の性的興味の根幹を成していない場合性癖範疇とする。これも【前提E】のケモナーの例に同じ)。

LGBTの例と揃えると、小児性愛者の権利多数派と同等な状態というのは、以下のようなものになるだろう。

LGBT事情が異なるのは、現代では子どもと成人間恋愛性交渉子ども人権侵害する行為とされている点である

【前提B】を鑑みれば、これは権利制限する十分な正当性があると見なせてしまう。同じ性的少数者でありながら、これほどまでに明暗が分かれてしまうのが悲劇である

という部分が認められることはほぼあり得ないだろう。

小児性愛者は差別されている

それでは、小児性愛者の権利制限されて当然なのであろうか。

しかに、子どもに対する直接の危害や、児童ポルノ製造は明確な犯罪行為であり、被害者の子もの権利侵害する行為である。そのような事件に対する世間の目はとても厳しい。

しかし【前提D】で述べたように、性指向自分選択できるものではなく、また、矯正可能ものでもない。異性愛者や同性愛者がたまたまそう生まれしまったのと同等に、小児性愛者もただそう生まれしまっているだけだ。子どもと実際の恋愛セックスに及ぶことはは制限せざるを得ないが、自身の性指向社会から否定されながら生きたり、その性指向理由にして社会的差別を受けるいわれはない。

なので、この権利可能な限り回復されなければならない。

LGBTと違うのは、ただその性の対象を実際に得る自由がないというだけで、それ以外の部分においては本来同様の権利回復が行われなければならないだろう。下へ、先ほどのLGBTの例と対応させてみる:

小児性愛者がはびこることによって、子どもレイプされるかもしれない」

という懸念は不当である。現状も異性愛者同士によるレイプ事件は起こっているし、小児性愛者の権利回復したとしても、子どもに手を出してよいという特権を認める訳ではない。もしそのような事件があれば適切に処罰されるだろう。

小児性愛者に不快感を持つ人々の権利侵害される」

というのは認められない。単に嫌いだから不快から、見なれないからという理由だけでは権利制限する根拠とはならないからだ。今まで生活していて、体臭が非常にキツかったり、顔立ちが全く気にいらなかったり、もの凄く性格が合わない不快な人と会ったこともあるだろうが、だからといって犯罪をしている訳でもない彼らから権利剥奪して良いかというと、全く関係がないのは明らかだ。

これが詭弁かどうかをよく考えてみてほしい。

小児性愛者への適切な寛容さとは

それでは、理想的小児性愛者と社会関係とはどのようなものになるのだろう。

私は、同性愛者やトランスジェンダーであることが、効き手が左効きであることと同じくらい何でもないことになることが理想だと考えている。小児性愛者についてもそれくらい「ふーん、それは大変だね…。」と言えることになるくらいが良いと思う。

そして、この考え方は小児性愛者以外の理解を得られにくい性指向にも適用されるべきだ。

争点となりそうな事柄

LGBTですら権利回復がままならない状況で、小児性愛者の権利回復までは遠い道のりと言わざるを得ない。また、具体的に小児性愛者と社会の間でどういった適切な関係がありえるかもまだ分からないところがたくさんある。それは、特にポルノの扱いについてだろう。

なぜ小児性愛者へライトがあたらないのか

言うまでもなく、世の中では犯罪と直結したイメージを持たれやすいことだ。このことを危惧してか、本質的に同じ問題があるにも関わらず、私が知る限り小児性愛者の権利回復を主張する団体は見たことがない。

また、この投稿でも前提が長くなっているように、問題を端的に説明できないことから、短絡的に児童への性犯罪容認しているととも捉えられかねない危険があり、公に意見を主張することもまだ難しい。

しかし、LGBT問題が同じである以上、いつかは必ず議論されなければならない。その意味でも、今回のBBC記事はかなり先進的なものである評価したい。

最後

お読みいただきありがとうございます。僕自身バイゲイの間くらいのセクシャリティですが、ほとんど葛藤なく生きてこられてきました。ただ、周囲にはセクシャリティについて大きな自己否定感を経験した友人や知り合いも多いです。BBC記事での独白が、そういった方の抱えていた気持ちほとんど同じような内容に思えたのが、この投稿を書こうと思ったきっかけです。また、もしご自身過去や、身近なところに児童性犯罪被害を受けている方がいらっしゃった場合不快かもしれず申し訳ございません。

2017-11-01

日本では小児性愛者の権利は割と認められている

が、それを好ましいと思わない人間権利制限を求めている

主にキリスト教圏の小児性愛と獣性愛ギルティ基準日本にも取り入れようという動きは大きい

日本ユニセフ協会の「準児童ポルノ」という造語まで作った「なくそう! 子どもポルノキャンペーン」がその一例である

主に先進国と言われる国々だから将来的にも取り入れられる可能性は高く、非常に不安

小児性愛者の権利を主張するのは、そのような運動に対する行動である

2017-10-11

マチアソビにて片渕監督講演会覚え書き

キャラクターに宿る存在感

この世界の片隅に」が目指したこ

片渕須直監督

藤津亮太アニメ評論家

いつもだと自分パソコン開くんですが。今日は藤津さんのパソコンで。

コメンタリー上映会2回目。まだ喋る内容がある。というかしゃべる時間が足りない。映画ポーズで止めたかった。

キャラクター作りについて。すずさんがそこにいるということを目標ひとつとしていた。これはマイマイ新子の頃から

絵空事では無く。肉付け。外側の世界を充実させることで、結果的パーソナリティを描けるのではないか

世界構成要素を本物で描く。我々の作るアニメーションファンタジーとなるのだが、日常空間から逸脱することでファンタジーを描くのだが、実際の世界を描くことでファンタジーリアリティが与えられる。

名犬ラッシーからラッシーイギリス舞台エリザベステイラー時代アメリカホームドラマの影響で作ろうとしてた。ロケハンにも行けなかったので、行ったことの無いヨークシャの炭鉱想像と調べたことの組み合わせで作っていった。

町に住んでいる人達準レギュラーにすることで、街自体を描く。そうやってストーリーにしていった。炭鉱の浮沈や犬を手放すことになったサブシーンを描いていく。考えながら走りながら作っていった。

町を本物らしく見せる鍵は町自体歴史があるという背景。町の川側から町を描くシーン。その世界を裏側から描写する。立体的に書き割りでは無い町。

アリーテ姫リアリティのあるファンタジー。国がどうやって運営されているかとかが描きこまれていた。城下職人暮らしを描くことで、アリーテの気持ち世界を描いた。

人の生活を示すことで、キャラクター存在感が出てくる。

大学入った頃に観た、高畑勲さんの作品の影響もある。ハイジの話し。ドイツの町に住むことになって、ハイジクララピクニックに行くが、楽しんでいたクララが突然限界がきて辛そうになる。二面性。リアル世界

当時はすごいめんとくさいなと思った。学生の頃はみえてない。世界みえてなかった。

人間を描くのはめんどくさいなと思った。名探偵ホームズはやりやすかった。宮崎駿さんが、人間の深みとか書くつもりの無い人だったから。

魔女の宅急便の時にそのあたりに踏み込んだ。普通の人がどう生きてるか。成長していくか。心の構造精神発達心理学など。伊丹十三さんとか岸田秀さんの唯幻論。人はどうできているか

1人の人の中には複数個性バランス。その場に応じて表面に出てくる割合が変わっていく。

アリーテ姫原作は単純なキャラ。悪役の魔法使いボックス原作主人公クレバーでは無いが、ボックスの悪役を掘り下げたことで、アリーテ姫は機転がきいた子になる。

自分を偽って生きているのが、自分たちの正体ではないか?虚飾の魔法使い。本当の人生を生きていない人の描きこみがアリーテ姫から始まった。

ブラックラグーンの作り込み。原作が途中から追いつかなかったので、ストーリーを聞いて描いていった。

この世界の片隅にの径子の台詞。径子は自分自分の道を選んだから。すずとりんはそうじゃない。ブラックラグーンOVA。周りのキャラにも、そうじゃない人生があったというエンディング悪漢たちの別の顔。

自分が選んだ道を歩いていけてる訳ではない。だからこそ、そういうありたかった人生に触れることでその人間を描く。

原作を超えたところを描きこんだブラックラグーン。立体的な背景。タイのような舞台タイ基本的外国支配を受けていないが、南の一部はインドネシア領フランス占領されたりしていた。

アリーテ姫自分人生を歩き始めたところから始まる。

そうじゃないところから始まったのが、ブラックラグーン

最初丸山さんは監督無しで3話ごとに交代でやる予定だった。さすがにそれはまずいだろうと基本設定決めるところをやってたら、丸山さんが監督を全く考えてなかったので気が付いたら監督していた。

ブラックラグーンはこれまでの片渕監督作品イメージと違うので、ペンネームでやるかという話しがあった。マイマイ新子と同時期。

うまくいかなかった人生を書いたブラックラグーンマイマイ新子の周りの大人たちは上手くいってない。原作には1000年前の設定は無かった。国府の話しは出た。

でも、1000年前の話しが出たら、そこをふくらませてそこに見えない世界を描くのがファンタジーであり、そこを描き込むのが本能みたいなもの

1000年前のことをきちんと調べることでファンタジーの描きこみができる。実際の280回くらいの発掘調査報告書を読んで、その中の図を集めて今の地図に重ねる。でも全然足りない。国衙調査でも足りない。でも道路などがわかる。1000年前と今の間にもいろんな世界がある。

1000年前の世界1000年前の話し。1000年前が真ん中。

ブラックラグーンタイ取材にいこうとしてたら、洪水でいけなかった。ベトナム香港などは行った。

マイマイ新子は3回くらいしか現地に行ってない。終わった後の探検隊10回。そちらの方が多い。

発掘調査報告書がメイン。古本屋から写真など。干拓地のきーこ。カネボウ工場社宅。そのカネボウ最後工場長から写真などをもらえた。

事前の知識を持ってロケハンに行かないと見てもわからない。塀のイメージなど発掘している現地でイメージが湧くためには知識が無いと出来ない。

事前に知っているからこそ、現地で発掘している人と話しがきちんと理解し合える。情報をもらえる。今でもあって昨日も泊まらせてもらった。

ハイジクララ矛盾マイマイ新子では子供たちは純粋だけど、周りは思ったように生きられてない。

マイマイ新子金魚が戻ってきたのが最後原作者体験らしい。死んだはずの金魚がまた出てくるという思いが子供世界。おじいちゃんの死の原作での書き込みを外して。

原作者は男女の性愛を描く人。それを入れなかった代わりに死の表現がにじみ出ている。死を描くための映画にしたくなかった。

普通に歳をとって死んだおじいちゃんの話しは重くしたくなかった。で、ヤクザの話しを膨らませた。

この世界の片隅にのすずさんは大人少女から大人への端境期という面が原作より強いと原作者から言われた。すずさんは18歳で自分意思とは関係無く嫁にいかされる。

すずさんは自分空っぽだと思っていたが、実は中にはたくさんあった。

マイマイ新子のきーこ。新子に対して現実的な子。自分には無い想像力を持った新子をうらやましいと思っている。きーこと新子は2人とも主人公

すずは自分の内側にあるものから変化する。空っぽな人はいないが、それを表に出せないタイプのすず。アニメーションやってる人も普通の人。

日本アニメドキュメンタリー性を持って進化してきたと思う。記録性。

年齢層が上がってきた。巨人の星読売巨人軍や二軍。実際にある世界を描くようになってきた。オバケのQ太郎とは違う。観る年齢層があがる。

長くつしたのピッピルパン企画書を見つけた。タバコや銃のブランド定義ピストルで済ませるのでは無くワルサーP38ルパン三世カリオストロでは赤いきつねコカコーラを描いてる。

日本アニメにそういうリアルを描く流れができた。母を訪ねて三千里は、周りの人間リアリティが入ってきて、中学生くらいがみられる作品

手塚治虫さんの漫画の描き方の本。アシスタントに車を描けといったらできなかった。手塚治虫さんの言う車は抽象的な車だったが、今は実際の車。

この世界の片隅にでは実名のある描きこみ。実現できなかったすずさん。抽象的な戦時中ではなく、現実カケラを組み合わせた。

出来るだけ背景を捉える。人物サイズを大きくしがちだが、もっと背景を描く。背景にあるもの存在感

効果音BGMについて。この世界の片隅にでは、出来るだけ実写の音響でということをお願いした。アニメ表現より実写の表現BGM無しでも良いかとも思ったが、BGM心理描写ができた。

2017-10-09

■マチアソビにて片渕監督講演会覚え書き



キャラクターに宿る存在感

この世界の片隅に」が目指したこ

片渕須直監督

藤津亮太アニメ評論家

いつもだと自分パソコン開くんですが。今日は藤津さんのパソコンで。

コメンタリー上映会2回目。まだ喋る内容がある。というかしゃべる時間が足りない。映画ポーズで止めたかった。

キャラクター作りについて。すずさんがそこにいるということを目標ひとつとしていた。これはマイマイ新子の頃から

絵空事では無く。肉付け。外側の世界を充実させることで、結果的パーソナリティを描けるのではないか

世界構成要素を本物で描く。我々の作るアニメーションファンタジーとなるのだが、日常空間から逸脱することでファンタジーを描くのだが、実際の世界を描くことでファンタジーリアリティが与えられる。

名犬ラッシーからラッシーイギリス舞台エリザベステイラー時代アメリカホームドラマの影響で作ろうとしてた。ロケハンにも行けなかったので、行ったことの無いヨークシャの炭鉱想像と調べたことの組み合わせで作っていった。

町に住んでいる人達準レギュラーにすることで、街自体を描く。そうやってストーリーにしていった。炭鉱の浮沈や犬を手放すことになったサブシーンを描いていく。考えながら走りながら作っていった。

町を本物らしく見せる鍵は町自体歴史があるという背景。町の川側から町を描くシーン。その世界を裏側から描写する。立体的に書き割りでは無い町。

アリーテ姫リアリティのあるファンタジー。国がどうやって運営されているかとかが描きこまれていた。城下職人暮らしを描くことで、アリーテの気持ち世界を描いた。

人の生活を示すことで、キャラクター存在感が出てくる。

大学入った頃に観た、高畑勲さんの作品の影響もある。ハイジの話し。ドイツの町に住むことになって、ハイジクララピクニックに行くが、楽しんでいたクララが突然限界がきて辛そうになる。二面性。リアル世界

当時はすごいめんとくさいなと思った。学生の頃はみえてない。世界みえてなかった。

人間を描くのはめんどくさいなと思った。名探偵ホームズはやりやすかった。宮崎駿さんが、人間の深みとか書くつもりの無い人だったから。

魔女の宅急便の時にそのあたりに踏み込んだ。普通の人がどう生きてるか。成長していくか。心の構造精神発達心理学など。伊丹十三さんとか岸田秀さんの唯幻論。人はどうできているか

1人の人の中には複数個性バランス。その場に応じて表面に出てくる割合が変わっていく。

アリーテ姫原作は単純なキャラ。悪役の魔法使いボックス原作主人公クレバーでは無いが、ボックスの悪役を掘り下げたことで、アリーテ姫は機転がきいた子になる。

自分を偽って生きているのが、自分たちの正体ではないか?虚飾の魔法使い。本当の人生を生きていない人の描きこみがアリーテ姫から始まった。

ブラックラグーンの作り込み。原作が途中から追いつかなかったので、ストーリーを聞いて描いていった。

この世界の片隅にの径子の台詞。径子は自分自分の道を選んだから。すずとりんはそうじゃない。ブラックラグーンOVA。周りのキャラにも、そうじゃない人生があったというエンディング悪漢たちの別の顔。

自分が選んだ道を歩いていけてる訳ではない。だからこそ、そういうありたかった人生に触れることでその人間を描く。

原作を超えたところを描きこんだブラックラグーン。立体的な背景。タイのような舞台タイ基本的外国支配を受けていないが、南の一部はインドネシア領フランス占領されたりしていた。

アリーテ姫自分人生を歩き始めたところから始まる。

そうじゃないところから始まったのが、ブラックラグーン

最初丸山さんは監督無しで3話ごとに交代でやる予定だった。さすがにそれはまずいだろうと基本設定決めるところをやってたら、丸山さんが監督を全く考えてなかったので気が付いたら監督していた。

ブラックラグーンはこれまでの片渕監督作品イメージと違うので、ペンネームでやるかという話しがあった。マイマイ新子と同時期。

うまくいかなかった人生を書いたブラックラグーンマイマイ新子の周りの大人たちは上手くいってない。原作には1000年前の設定は無かった。国府の話しは出た。

でも、1000年前の話しが出たら、そこをふくらませてそこに見えない世界を描くのがファンタジーであり、そこを描き込むのが本能みたいなもの

1000年前のことをきちんと調べることでファンタジーの描きこみができる。実際の280回くらいの発掘調査報告書を読んで、その中の図を集めて今の地図に重ねる。でも全然足りない。国衙調査でも足りない。でも道路などがわかる。1000年前と今の間にもいろんな世界がある。

1000年前の世界1000年前の話し。1000年前が真ん中。

ブラックラグーンタイ取材にいこうとしてたら、洪水でいけなかった。ベトナム香港などは行った。

マイマイ新子は3回くらいしか現地に行ってない。終わった後の探検隊10回。そちらの方が多い。

発掘調査報告書がメイン。古本屋から写真など。干拓地のきーこ。カネボウ工場社宅。そのカネボウ最後工場長から写真などをもらえた。

事前の知識を持ってロケハンに行かないと見てもわからない。塀のイメージなど発掘している現地でイメージが湧くためには知識が無いと出来ない。

事前に知っているからこそ、現地で発掘している人と話しがきちんと理解し合える。情報をもらえる。今でもあって昨日も泊まらせてもらった。

ハイジクララ矛盾マイマイ新子では子供たちは純粋だけど、周りは思ったように生きられてない。

マイマイ新子金魚が戻ってきたのが最後原作者体験らしい。死んだはずの金魚がまた出てくるという思いが子供世界。おじいちゃんの死の原作での書き込みを外して。

原作者は男女の性愛を描く人。それを入れなかった代わりに死の表現がにじみ出ている。死を描くための映画にしたくなかった。

普通に歳をとって死んだおじいちゃんの話しは重くしたくなかった。で、ヤクザの話しを膨らませた。

この世界の片隅にのすずさんは大人少女から大人への端境期という面が原作より強いと原作者から言われた。すずさんは18歳で自分意思とは関係無く嫁にいかされる。

すずさんは自分空っぽだと思っていたが、実は中にはたくさんあった。

マイマイ新子のきーこ。新子に対して現実的な子。自分には無い想像力を持った新子をうらやましいと思っている。きーこと新子は2人とも主人公

すずは自分の内側にあるものから変化する。空っぽな人はいないが、それを表に出せないタイプのすず。アニメーションやってる人も普通の人。

日本アニメドキュメンタリー性を持って進化してきたと思う。記録性。

年齢層が上がってきた。巨人の星読売巨人軍や二軍。実際にある世界を描くようになってきた。オバケのQ太郎とは違う。観る年齢層があがる。

長くつしたのピッピルパン企画書を見つけた。タバコや銃のブランド定義ピストルで済ませるのでは無くワルサーP38ルパン三世カリオストロでは赤いきつねコカコーラを描いてる。

日本アニメにそういうリアルを描く流れができた。母を訪ねて三千里は、周りの人間リアリティが入ってきて、中学生くらいがみられる作品

手塚治虫さんの漫画の描き方の本。アシスタントに車を描けといったらできなかった。手塚治虫さんの言う車は抽象的な車だったが、今は実際の車。

この世界の片隅にでは実名のある描きこみ。実現できなかったすずさん。抽象的な戦時中ではなく、現実カケラを組み合わせた。

出来るだけ背景を捉える。人物サイズを大きくしがちだが、もっと背景を描く。背景にあるもの存在感

効果音BGMについて。この世界の片隅にでは、出来るだけ実写の音響でということをお願いした。アニメ表現より実写の表現BGM無しでも良いかとも思ったが、BGM心理描写ができた。

2017-10-07

山口敬之に見る昏睡強姦などの性犯罪者心理

この手の犯罪者が、心理的犯罪正当化する場合反動形成合理化で自らの心理改ざんする自己性愛人格障害のような症状が発現する。

昏睡レイプを行った後の「パンツ貰っていいかな?」「君をロサンゼルスに連れて行きたい」の新潮暴露された、性犯罪者的な発言の後、打って変わって、「中出ししましたが、精子が弱いので妊娠しません」「あなたから誘った」などの多数の証拠犯罪から逃避するために、自己正当化未来思考に切り替える精神病質者の分類、情性欠如型に相当すると思われる。

この型は例で上げると、「バラバラ神隠マンション」の星島貴徳。附属池田事件宅間守など。

数多の証拠と、途中の逮捕中止騒動であまりにも見え捨てた忖度だったが、今更考えてみれば、安倍政権はよくこの犯罪者を匿った者である

現在総選挙解散中の安倍政権では森友学園不祥事隠蔽事件などの不信から小池内閣への期待がなされている。

与党であることで隠蔽された事件なら内閣が交代されることで強姦犯罪が露呈されるのでは?という疑問に突き当たる。

海外に逃亡中である山口敬之はどんな青白い顔でこの行方を見守っているのか。

それともまた、犯罪隠蔽要求するため小池忖度本でのり口をしのごうとしているのかもしれない。

どちらにしろ強姦罪厳罰化された今、自業自得強姦罪カルマ山口の身を裁こうとしてる。

https://anond.hatelabo.jp/20160728022110

ずいぶん直結的な考えだな。だいたいセックスしたいなんて思わない。AVで十分だろ。恋愛する意味理解できない。友達で十分だろ。

世の中には無性愛者という存在がいることも覚えておいたほうがいいよ。

2017-09-28

LGBTになりたい

私は20代の女だ。

私は自分セクシャリティが分からないことに不安を感じている。

男でも女でも人に恋愛感情を抱いたことはないので無性愛者かもしれないと考えたことがあるのだが、無性愛者の人はドラマ小説などの恋愛機微理解できないと聞いて、私は無性愛者とは違うなと思った。(NLBLGL問わずラブストーリー大好きなので)

性自認は女だけど人から女として扱われることに軽い嫌悪感はある。

どこのジャンルにも属していない感じが不安なのでどこかしらに属したい。

2017-09-26

恋愛って怖い。俺はようやらんわ

男女の恋愛ってさ、セックスよりも、「芦田愛菜ちゃんの中学校ナイフ持って児童を刺しに行くからねはぁと」とかの男女版だろ。

「○○くんナイフで殺したいよお!!!!」とか。

恋の情熱って。女性声優に「ママァイクよぉ」とかリプしたりするような人間の男女の変種だろ。

気持ちわりぃよ、俺なんかストーカーに発展したりDV可能性あるのにようやるなと思いますわ。

一時期マスコミ出会い系サイト叩いてたけど出会い系よりも危険じゃないですか現実性愛って。

要はプラトニックとか言ったって上坂すみれに「素直に射精です」とか「ママァイクよぉ!」とかクソリプする奴の心理と何ら変わらないわけだが、

恋愛プラトニックもヤリ目もありません

とにかく恋愛至上主義ウザイので消えてくれ

恋愛はこわい

2017-09-15

[]ワンダーウーマンを見た

ワンダーウーマン」を見たので感想。と言うか考えたこととかのメモネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので、見た人向けだと思いますフェミの話とかも出てくるんでそういうの苦手な人も回避よろしくっす。

総評

まず最初に、「ワンダーウーマン」、個人的にはそんなに評価高くない。少なくとも世間で(特に欧米で)いうほど大絶賛、大感動をすることはできなかった。これは映画を見終わったあとのファーストインプレッション

しかしじゃあ評価低いのかというとそんなこともない。

「1800円という価格&2時間という投資に見合った体験できるのか?」という視点で自問したところ、その答えは「100点」なのだ。十分高評価だろう。いい加減な脳みそだなあ、オレ。とも思った。

なんでこんな評価のすれ違いが発生してしまたかというと、今年見たアメコミ映画の先行2本、すなわち「レゴバットマン ザ・ムービー」と「スパイダーマン:ホームカミング」の評価が高すぎた、というのが原因であるらしい。前出の基準で言うと、「レゴバットマン」も「スパイダーマン ホームカミング」も200点くらいの評価なので、「ワンダーウーマン」はタイミング的に損をしてしまったのかもしれない。これが「ドクター・ストレンジ」のあとだったら感激できてたのに。

無垢子供ダイアナ

PC的なディレクション――批判に対して自覚的で先手を打って内容を適正に作っていこう――は最近ハリウッド映画では多かれ少なかれあるのだと思うけれど、そういう制約(どういってもある種の制約ではあるだろう)を逆手に取って笑いやネタにしたり(デッドプールにおける「女性も男同様にブン殴ったほうが公平じゃない?」)、むしろそこに正面から踏み込んでえぐり出す(スパーダーマン:ホームカミングの敵役ヴァルチャーはいま注目されている「見捨てられた白人労働者」)のにくらべ、ワンダーウーマンのそれは踏み込みが浅くどうしても「そういうルールなので設置しました」感が出てしまっている。

おそらく「ワンダーウーマン」という作品――つまり女性戦場に出て戦うという作品を作るにあたって、制作側は、(フェミニズムを中心に)炎上可能性を覚悟して作ったのだと思う。だから、予め潰せる問題点は潰しておいた。

それは主人公ダイアナ人物設定にも反映されていて、彼女美女で、アマゾン族の王女で、めっちゃ強い。すごい跳躍力や筋力を持ってるし、噛み殺しの特殊能力を持つスーパーゴリラだ。だが多分そのままだと脳筋批判も巻き起こすだろうから、島で英才教育を受けてた設定になっている。作中でも数百の言語を操り、古典に詳しく、第一次世界大戦当時の最先端化学式を読み取るなど知能面でも卓越している。(第一次世界大戦当時の)女性からといって馬鹿ではないのだ!

しかし、だからこそというか、逆説的にというか、なんだかすごく残念な人物描写になってしまっている。

彼女世間から隔絶された島で育ったので無垢だ……という設定なので、物語終盤になるまで「人間は悪神アレス洗脳されているせいで地獄のような戦争をしているのだ。悪神アレスさえ倒せば人間正義と慈悲に立ち返り戦争は即座に終わる」と信じ込んでいる。ここは物語テーマなので、外せない重要な要素だ。

それはそうで、重要に間違いはないのだが、それってどうなのだろう。

言語というのは必ずその文化を含んでいる。外語を学んだことがある人ならわかると思うけれど、外語を学ぶというのはその言語を操る民族地域文化を学ぶということをニアリーイコールだ。文化歴史言語には含まれいるからで、そこに理解無くしては言語意味理解するなんてできない。ましてや古典まで学んだダイアナが、人間の持つ二面性や、善悪といった内面を「全く理解してない」なんてのはありうるんだろうか? いやまあそこが物語キーなわけだから理解していないということにしないといけないのはわかるのだが、そういう描写にしてしまったせいで作品は別のメッセージを持ってしまった。

すなわち「知識教育倫理人間についての理解の助けには全くならない。世界を良くするという意味では、教育は全く無意味である」というメッセージだ。多分これは随分うがった見方だろうし、制作側はそんなメッセージを発信するつもりはないだろう。けれど、物語上ここでねじれが生じているために、そう取られかねない「隙き」が生じてしまっている。批判される要素をなくそうと頑張っていた制作陣が、塞げなかった穴に見えてしまうのだ。こういうねじれが、どうも彼女をそこの浅い子供に見せてしまっている。

ワンダーウーマン」は「(邦画では珍しくもないが)戦う女性主人公」「女性監督した初めての大手スタジオによるスーパーヒーロー映画」という点で、フェミニズム界隈から賞賛を受けた。

けれど、個人的にはダイアナ女性ではないのだと思う。すくなくとも、フェミニズムが想定するような「解放されるべき女性」ではまだなくて、子供なのだ。まだ思春期すら迎えていないような子供で、世界に対して良く言えば無垢だし、シニカルに言えば無知無責任だ。

ダイアナに強い好感を覚えられなかったのがこの映画評価に加点が少ない理由だと、整理した今なら自覚できる。

善き大人スティーブ

多分、自分にとって不幸だったのはこの部分で、それは「ワンダーウーマン」を観るまえに「ウーマンリブ的な文脈フェミニスト絶賛」みたいな評価を知ってしまった点だ。「そういうつもり」で見てしまったせいで捻じれが目についてしまった。

しかし、見終わったあとに思い返してみると、魅力的な部分がいくつもある映画だ。その最大のものアメリカ外征軍大尉スティーブトレバである

彼はドイツ軍スパイした結果恐るべき毒ガス計画を知り、逃亡の最中に絶海の孤島アマゾン島に漂着し、主人公ダイアナを「外の世界」に連れ出す役目をする。無垢美女ダイアナエスコート役であり物語最終局面まで彼女を支えて導き続ける。

ぶっちゃけ、序盤はただのイケメン俳優だと思っていた。

いやイケメンなのは最終盤まで変わらないけど。

ヌードシーンがあったりもするので、女性向けの眼福要素も担当させられたイケメン俳優だと思っていたのだ。二回もイケメンって言ってしまったよ。

彼は優秀な軍人でありパイロットなのだが当然人間なので、スーパーヒーローで神の子であるダイアナに比べたら喧嘩においてはまったく弱い(軍人として適正に強くはあると思う)。おまけに非文明圏であるアマゾン島では虜囚に近い扱いも受けていたし、さらにいえば彼はアメリカ大尉であり、物語中盤の舞台イギリス(&イギリス議会イギリス軍)では大きな権力を持っているわけでもない。上司に対しては愛想笑いを浮かべたり、自分意見をひっこめたりもする。

物語中盤、未知の世界である外界に出たダイアナは完全にお上りさん状態であり、大都会ロンドンにおいて常識を知らないことから、スティーヴに迷惑をかける。それにたいしてスティーブはなだめたり、すかしたりしてダイアナに行動を抑制しようとする(そして失敗する)。スティーブダイアナに「外の世界常識や考え」を事細かに説明して理解を得ようとはせず、断念する。命の恩人ではあるし天下無双戦闘能力を持ってはいるけれど、「面倒くさい子供」でしかないダイアナに呆れているように見えることもある。

こうやって説明すると際立つけれど、スティーブイケメンが売りなだけのダイアナの介添に見えていた。

しかし、上映後に振り返ってみるとこの映画の中心はスティーブだと思う。

ド派手なCGバトルアクションとか、世間フェミ的な評価を全部取っ払って、個人的に「ワンダーウーマン」の感想を述べるならば、「ワンダーウーマンスティーブ映画なのだ

全般的人物内面描写が浅いきらいのあるこの映画だが、スティーブに関しては脚本俳優も素晴らしい仕事をしている。

彼は心の中にロールを持っている男だ。それは「善き男」であり「善き大人」であり、おそらくだけど「善きアメリカ人」であり「善き隣人」だ。彼はそういうふうに生きたいのだ。正しさや信念というよりも、自分の中に理想像ロールモデルがあると表現したほうがしっくりくるのがスティーブである

彼が軍に身を投じたのは、混迷続く世界情勢の中で、善きアメリカ人として社会奉仕しようとした時、そのモデル軍人だったかである。今の価値観で言えばもちろん異論はたくさんあるだろうけれど、その当時の常識で言えばそれは愛国心であったし、善き市民の善き行動だった。

ドイツ軍密偵した結果、彼は恐るべきマスタードガスの開発と、それが講和間近のイギリス軍へ向けられていることを知ってしまう。彼はこの情報を持ち帰るために命を捨てるような危険を犯す。それもまた、彼の中にある「それが善き男の行動」だからだ。

その過程ダイアナに命を救われ、彼女の「外の世界戦争を止めたい」という希望を叶えるためにも、一緒にイギリスまで情報を持ち帰ることにする。

しかし、イギリスにそれを報告したが、結果ははかばかしくない。講和が間近に迫ったイギリス軍は、ドイツ軍(の一部)に災厄的な行動があったとしても全面攻勢には移りたくない。スティーブ情報事実上握りつぶされる。

彼はここで彼自身の行動規範である「善き人」を曲げられる。軍の階級差という世俗権力構造のせいで、彼がすべきだと信じる行為を行うことができない。

講和のためとは言え、前線舞台マスタードガスの脅威の前に放り出してよいのか? 良いはずはないが、議会政府の決定に従うのも「善き国民」の義務ではあるのだ。

でも隣には精神的に子供ダイアナがいて「ねえなんでなんで? なんで正義しないの? まさかここでやめるわけ? 処す? 処そうか?」という視線で見てくる。彼は、その結果、軍の命令無視して、私費で(というかボランティアのつもりだった?)傭兵を雇い前線に向かう決意をする。彼は心の中にある「善き人」の指し示すところに従ったのだ。ダイアナあんまりにも無垢なので引っ込みがつかなくなったという側面があったにせよ。

前線に向かい、血みどろの後背地を抜けて塹壕にたどり着き、取り残された村をダイアナ神話的な能力にも助けられて開放して、ダイアナスティーブ関係は接近する。男女間の性愛的な意味での愛情もあったような描写だったけれど、個人的にはスティーブ父性も強く感じた。その父性というのは、子供しかないダイアナに「善き大人」を見せるというものだ。戦争なんて醜悪ものなのだけれど、それだけではないということ、世界には「善き隣人」の「善き努力」もあるということを示したかったように見えた。孤島から世界に連れ出した人間として、世界失望してほしくなかったのかもしれない。

終盤。マスタードガスの大量生産はすでに完了しており、その暴挙を止めるために一行は秘密基地に忍び込む。ダイアナはその中で、アレス化身だと思われるドイツ軍ルーデンドルフ総監を倒すことに成功する。ダイアナは「これで悪神アレス洗脳は溶けて戦争は終了する!」と歓喜するが、兵士たちは戦闘をやめない。殺戮の準備を辞めない兵士ダイアナパニック状態になる。ダイアナにとっては今まで信じてきた世界観が崩れ去った瞬間なのだ

そのダイアナに向かって、スティーブは今まで何度も説明しようとしてしきれなかったことを告げることになる。

それは「この戦争人間が開始して人間が拡大させたものなんだ。神はいない。僕たちの責任だ」ということだ。その告白はとても辛い。「善き男」として生きたかったスティーブは、まったく「善き男」ではなかった。戦争をしちゃってるのだから極悪人なのだしかし、スティーブは「この戦争は僕達の罪なのだ」ということを認める。なぜなら、戦争責任を誰かに転嫁するのは、戦争を始めるよりも更に恥ずべきことだからだ。「善き男」として彼は、世界の醜さの責任を取らなければいけないと決意する。

スティーブダイアナの間にあったものは多分とても複雑で、男女でもあったし、父と娘でもあったと思う。でもその一部には神と人間というものもあった。

彼女戦闘能力があまりにも隔絶してたかスティーブもその視点を持たざるを得なかったのだろう。

ダイアナの考えは「神が神の邪悪を振りまいたせいで人間迷惑をしている」から「神の使命を持つ私が人間を救う」というものなわけだけれど、スティーブはこれに「善き人間」としてノーを叩きつける。ダイアナの考えはある種のパターナリズムだが、スティーブの答えはそこからの脱却だった。

神々の戦いは神々であるアレスゼウスの娘ダイアナが決着をつけるだろうし、人間であるスティーブはそこには関与することができない。

しか人間の始めた戦争であり、人間の悪意であるマスタードガスは人間であるスティーブが止めなければならない。筋としてそれが正しい。

ダイアナ戦闘能力スティーブたちの状況を考え合わせると、彼らはここで戦闘放棄すれば逃げて安全に暮らすことは十分に可能だったように見える。その場合はもちろんマスタードガスで前線部隊凄惨なことになるのだけれど、倫理的に考えてスティーブが彼らを救う(その結果命を落とす)絶対的義務があったわけではない。戦争悲惨すべてを、個人であるスティーブが背負う必要はないからだ。

スティーブが命をかけた動機として、父(先行者)として娘(後続)に「この醜悪な外の世界にも善はあるのだ」という事を示したかったのか、人間として神に「あなただけにすべてを背負わせない。人間は弱いけれどそれでも自分たちのしでかした行為責任は取る」ということを示したかったのか、それとも男として女に「俺も戦う」といいたかったのか、それはわからない(そこが返ってスティーブという男のテーマとしてよかったと思う。彼の愛情には名前がつけられない)。

けれど、スティーブは「自分の戦い」として今まさに離陸していこうとする毒ガス満載の爆撃機を止めるために飛び出す。そして乗り込み、爆弾を抱えて、前線を救って、結果としてダイアナを残して死ぬ

こうやって思い直してみると、中盤、ロンドンの街で常識知らずにうろつくダイアナに手を焼いていたのも、「善き大人」として子育てに苦労してたんだなあ、と思える。

スティーブ大尉からおそらくエリートなんだろうけれど、まだ若いし、それ以前にすべての人間がそうであるように、不完全で未熟だ。しかしそうであるからこそ、彼には「こんな存在でありたい」という理想像があった。そして常にそうであろうと、努力していた。都会ではトラブルメーカーダイアナを「善き保護者」として(オロオロしつつも新米父親のように)導こうと思ってたし、最前線では「善き戦友」として肩を並べて戦った。戦火から救い出した村でチャーリーが歌ったときは「善き男」としてダイアナを熱っぽく見つめた。彼は最終的に、「惚れた美人との安全生活」よりも自らの役割を優先した。自分自身の信じる正しさに殉じた。それは「善き人間」として神の前に立った時、他の誰でもなく自分が、人間すべての代表として神に「人間の誠実」を見せるべきだと思ったからだ。

それは上野千鶴子あたりの言葉を借りると「男性の安っぽいヒロイズム」であり「戦争に興ずる幼児性」なのかもしれないけれど、物語としてみるとスティーブ人物描写はこの映画の中で一番複雑で深みがあった。魅力的だった。

そんなことを考えると、「ワンダーウーマン」はウーマンリブ的な価値観映画というよりも、男性的な価値観の、そして「神(あるいは超越的な力を持つスーパーヒーロー)の前に立った『善き人間』の覚悟と誠意」の映画だと思う。そして、そこがこの映画の美点だと思える。

2017-09-11

ロリコン分類案

https://anond.hatelabo.jp/20170911171731

 

書いてみた

厳密なロリコンではなく、ロリコンと称される人の分類

 

真性ロリコン 小学生女児しか愛せない

ペドフィリア 幼女性愛

少女志向 女子中高生特に好き

ファッションロリコン趣味 ロリ系のコスチュームシチュエーションが好き

性愛者 男と女中間みたいな人に魅力を感じる(ショタ併発する)

支配性欲者 強引に女性支配下におけることに興奮する(抵抗力が弱いか女児が好きなだけ)

リョナラー リョナラー

二次ロリ好き 二次元におけるロリが好き(リアルロリは嫌いと言う人もいる)

守備性愛者 女なら何でも好き、ロリペドも好き(犯罪者に多い、狙いやすかったか女児を狙ったなど)

無垢志向者 無垢な娘が好き(ロリでもビッチNGタイプ

守備性愛者 成人女性も好きだが守備範囲小中学生くらいまで及んでる人

細身性愛者 ロリ特有の細い体が好き(貧乳好き、脚フェチショタを併発)

華奢性愛者 弱い娘、守って上げたくなる娘が好き、父性混同しているタイプ

身長好き 150cm未満が好きな人高身長ロリNG

性的倒錯者 色々患っててよく分からない人

 

もっといい分類が欲しい

こういうの参考になる↓ 名前かっこいい

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/性的倒錯

2017-09-09

https://anond.hatelabo.jp/20170908230300

近親相姦法規制の是非について、いろいろ議論拡散しててモヤモヤするので自分なりにまとめてみたい。

<2017/9/10 12:21 ブクマ数187users 追記した。イヤマウンターへの回答になるか分からないけど…あと微細な誤字修正

 2017/9/10 23:01 ブクマ数350users 良い指摘も貰ったので再追記&読み辛い記号は省略して浄書した。>

近親相姦と近親婚の区別

まず、近親間の「性交」と「婚姻」を分けて考える必要がある。

前提の確認として、2017年現在日本には、成人(=18才)した近親間のセックスを取り締まる法律はない。

ただし、13歳未満に対しては例え同意があっても強姦罪強制性交等罪)が構成される。(刑法第177条)

18歳未満であれば、地方自治体が定める青少年保護条例に基づいて規制されうる。(淫行条例

また、3親等以内の近親間は婚姻はできない。(民法第734条)

成人した近親間の合意に基づくセーフセックスなら許容されるか?

たとえ法律的に禁じられていなくとも、現時点では、近親間でセックスすることについて、単純に不快感を感じるから反対するという意見大勢を占めると思われる。

しかし、不快感だけに戻づいて法規制を行うことは、「ゲイ不快から反対する」となんら変わらず、その他の行為にも「利害関係にない他人の心情」という不確かな要件法規制を成しうるため、不快感法律根拠にするのは避けるべきだろう。

規制根拠としては、「年長者が年少者に対して、権力的優位を利用して性交する虐待可能性がある」から禁止という論理展開をとるのが適当だろう。

そして「権力的優位を利用した強制性交」というところまで抽象化すれば、これは何も近親相姦に限らないと気付くはずだ。最近大学教授学生を言いくるめ性的関係を迫る事件が起きた。

慶応大教授女子大生を「洗脳不倫 “先生とだったら世界征服も”週刊新潮 2017年9月14日掲載

https://www.dailyshincho.jp/article/2017/09061659/?all=1

年齢差、年収差、肩書、男女…あらゆる要素で権力勾配は生じうる。相手の弱い立場につけ込み強制的関係を迫るのは近親間に限らない。20歳差以上もある男女や玉の輿と呼ばれる婚姻を訝しむ人は、暗黙的に権力勾配による強制性を疑うのだろう。

かと言って、権力勾配がない平等な男女でなければ性交婚姻できないとするのは現実的ではないように思われる。

生物として長年同棲した人間は互いに性欲を感じない」という意見もある。(ウェスタマーク効果

では、年長・年少の差異(=権力勾配)がない双子が、生まれてすぐ別々に過ごし、互いに成人した後出会ったのちの近親相姦はどうか?

成人した両者が合意の上で、子どもも儲けず血も交わらない安全なセーフセックスをする分には、外部の人間がそれを規制する根拠は乏しいと思われる。

「両性の合意に基づく婚姻」の捉え方

現在日本には同性婚制度が存在しないが、近年の議論として、「同性愛者・両性愛者・性転換者(LGBT)にも同性同士の婚姻を認めるべき」という意見がある。

日本国憲法第24条では、「婚姻は、両性の合意のみ」に基いて成立すると定めている。

ここから(もちろん歴史的な経緯からも)長らく「婚姻とは、男女間の契約であることが含意されている」と認識され、現在同性婚は認められていない。

しかし、この「両性」には男同士・女同士も含まれるとして、LGBTにも婚姻を認めるべきという容認論が出てきた。

アメリカでも同様の議論がなされ、リベラル派は賛成し、宗教保守派は反対している。

保守派は、反対理由として「LGBT間の婚姻が認められるならば、近親婚、複婚(ポリガミー一夫多妻多夫多妻制)、児童性愛ペドフィリア)も認めることになるだろう。」と主張している。

http://www.hrc.org/blog/texas-legislators-argue-same-sex-marriage-leads-to-incest-polygamy-pedophil

まり、「両性」にLGBTが含まれるなら、なぜその「両性」が近親ではダメなのか?なぜ「両性」が2人の関係でなければならないのか?3人でも4人でも彼らが合意すれば外野が口を出す必要はないではないか?相手児童でもいいのではないか?(いやダメである。)という論理だ。

親子ときょうだいの区別

次に、近親の組み合わせが、親子ときょうだいの場合を分ける必要がある。

一般的に、親子ならば、父×娘、母×息子。

きょうだいなら、兄×妹、姉×弟が想定される。

しか最近LGBTを擁護する世論考慮すれば、近親相姦・近親婚においても父×息子、母×娘、兄×弟、姉×妹の組み合わせすら理論上ありえる。

そして、異父母きょうだい×異父母きょうだい、親×連れ子、親×養子、連れ子×連れ子、3親等まで広げれば叔父×姪、叔母×甥、祖父母×……さらにそれらの複婚関係……といった創作の題材になりそうな組み合わせも無限にありえる。

多様性絶対善」なのか?形を変えた優生学批判されないか?

「近親交配しないのは不利な劣性遺伝子顕在させず、生物的な多様性を保持するため」として近親交配に反対する意見がある。

ここで注意したいのは、劣性(潜性)遺伝とは、即、不利な形質を示すわけではない。

もちろんハプスブルク家ロマノフ家の例を出すまでもなく、近親交配によって虚弱体質等の潜性遺伝子顕在することもありえる。

しかし、サラブレッド育成や家畜品種改良に見られるように、近親交配(インブリード)によって、人間が有利と認める形質を顕現させる交配は日常的に行われている。

では、優れた(とされる形質を持つ)人間を顕現させるための手段として近親交配を行うことは許されるのか?

かつて優生学として批判されたのではなかったか

優生学」とは、表層的には「優れた人間人為的に作り出す」を意味するが、もっと抽象化すれば「社会に貢献する人間遺伝子操作で生み出す」ことである。「優れた子を産み、社会へ貢献せよ」という繁殖圧力が埋め込まれている。

同様に、遺伝子多様性を守るべきという立場は、(遺伝多様性を備えた「=優れた」)子どもを儲け、社会に貢献することを暗示的に求めていないか?

「多様な遺伝子(=新たな「優れた人間」の基準)を持つ子を産め」という圧力である

日本の国力を維持するために子どもを2人以上作るべき」という意見は、時代遅れの家父長制として批判されるだろう。

では、この考えを拡張した「人類繁栄遺伝子多様性のために、近親相姦子どもを儲けるべきではない。遺伝子的に遠い組み合わせを選ぶべき」という意見優生学として批判されないのだろうか?

なぜ、見ず知らずの他人社会のために、子ども遺伝子多様性を考え子作りしなければならないのだろう?また、子どもを作らなければならない社会的圧力は、不妊夫婦LGBTカップルにも襲い掛かる。

(※再追記)「遺伝子多様性」についてコメント重要な指摘があった。

要旨としては、「一個体単体での多様性存在しない。遺伝子多様性とは、社会全体で見たときに様々な遺伝子をもった個体がいて、あらゆる環境変化にも社会全体として生き残る可能性のある個体を総体として保持する状態を指す」というものだ。

まさに、そのとおりである

元増田コメント欄 http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20170908230300 で、「近親交配は遺伝子多様性を狭める」「『血が濃い』子どもを産むのは多様性に反する」といった反対論がいくつか見受けられた。

似た遺伝子を持つ近親が交配することで生まれ子どもは、その遺伝子一族が持つ因子以外の多種多様な因子を持たず不都合が生じるといった主張だろう。

これを受けて、一族が持つ因子と異なる個体と交配することを「遺伝多様性」と表現した。

だが、「社会全体の遺伝多様性」と捉えなおしても、やはり結論は変わらないだろう。

社会全体の遺伝子多様性考慮せよ」ということであれば、近親交配で生まれた「血の濃い」子どもだろうが、高齢出産で生まれ障害児やダウン症児だろうが、互いに遠い因子を持つ両親からまれた「(元コメントが支持する)多様性を実現した」子どもだろうが、すべてイコールなのである

どんな組み合わせの子もも、何に役に立つかわからないから全て尊いのだ。

酷い貧血で苦しむ鎌状赤血球を持つ個体は、マラリアに耐性を持つ。

「血が濃い」ことによって何らかの潜性遺伝が顕現し生活不自由を生じるかもしれない。だが、それすらも何らかの環境で役立つかもしれないのだ。


カンブリア大爆発で生まれた珍奇な生物は、ほとんどが「失敗作」だったかもしれない。

生物ミクロにおけるあらゆる試みは、現時点で正しいかどうか判断できない。

しかしたら将来、障害児が持つ因子がを生かしておくことが正解だったと判断される時代が来るかもしれない。

ミクロレベルでは、将来どんな因子を持つのが有利なのか判断できないし、そんなことを判断して子孫を作るわけではない。

(※再追記ここまで)


互いに愛し合う両性は、人類遺伝子多様性を守るために子どもを儲けるのではないはずだ。

多様性を善とするならば、近親交配で生まれ子ども多様性一種として認められないのか?

「生まれ子ども可哀想」という意見もあるだろう。

「やーい、インブリード」「お前の母ちゃんふーたり」「淫乱家族」「本能自然の摂理に反している」「相続税が複雑になる」といった差別罵倒を受けるかもしれない。だが、これはLGBTが受けてきた偏見のものである歴史は繰り返す

富裕層節税に使う」といった意見は単なる税制の失敗であり、状況に合わせた税制改正対応すべきであって、税制設計ミスが人々の自由恋愛を拘束してよい理由にはならないだろう。

意図的遺伝子編集は許されるか?

近年、CRISPR/Cas9の登場で、生物遺伝子を直接改変する「ゲノム編集」が技術的に可能になってきた。

まるでタトゥーを彫るごとく、遺伝子編集し、発現する特質コントロールする時代がいずれ訪れる。

多様性が善」ならば、各人が好き勝手自分遺伝子編集することは許容されるのか?

自分の子希望通りに設計する「デザイナーベビー」もいずれ可能になるだろう。

果たしてデザイナーベビー子どもに対する人権侵害なのか。アメリカ宗教保守派は、受精卵にも人権は生じると主張する。だが、精子卵子状態から設計」し始めたらどうなるのだろう?

予め遺伝子由来の病気が顕現することが分かっていて、予防的にゲノム編集による遺伝子治療を施すこととの線引きはどうするのか?

また、近親交配に反対する理由として挙げられていた、生活上不利な劣性(潜性)遺伝子の発現を抑えることができるのならば、近親交配は許容されるのか?

「近親交配で生まれた『失敗した』子どもは間引かれる」という意見もある。だが、遺伝子治療によって間引く必要がなくなったらどうなるのだろう?

女性を交換財産としていた時代の名残

文化人類学観点から近親婚に反対する意見がある。

「女は、他の家に嫁がせ血族ネットワークを拡大し一族繁栄を図るための道具」という認識から、女は他の一族に対するプレゼントとして考えられていた時代があった。

まり、「身内で女を消費するな。嫁入り前の性交大事な贈答物が『キズモノ』になる」から近親相姦を禁じる論理だ。

これも現在では、前時代的家父長制と批判されないだろうか?

婚前交渉を『キズモノ』となじる貞操観念も、もはや薄れつつある。

そもそも婚姻」の意味が変容しつつある

何のために婚姻をしていたのか?

家督」を守り繋げるため?

子どもを育てるため?

相続上の利益を守るため?

家族になったという感情的な満足を得るため?

婚姻制度形骸化し、婚外子一般化しているフランス北欧では、事実上多夫多妻制度に移りつつある。

皮肉なことに、女性は一度子どもを儲けると長期間にわたって身体不自由が続くため、自由恋愛事実婚社会では一夫多妻に近い形態をとる。(奥さんが子育てをしている間に、男が他の女に会うなんてスキャンダル最近もあったね。)

一人の恋愛強者男性精子バラまき、多くの女性子どもを産ませる。恋愛弱者遺伝子は途絶える。(安心したまえ、恋愛強者の子ども達は社会全体とキミの税金でしっかり育てるから。)

まり一夫多妻制の基では、社会遺伝子プール多様性を減らす方向に働く。

これは、社会遺伝子多様性を守るために規制されるべきだろうか?

自分の頭の整理のために書き散らしたので、結論はない。

※「気持ち悪い」「素直に近親相姦したいだけって言え」⇒つまりフィクションお姉ちゃん最高!飯田ぽち。先生の「姉なるもの」好評連載中!

http://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_AM09000031010000_68/

相手クトゥルフ神だったらいいよね!自然に反したおかし衝動創作物で紛らわそう!

2017-09-03

三次性愛者のほうが変態じゃね?

二次元欲情したり恋愛したりする人間変態扱いされることがあるけど、リアル人間にそういう感情を抱くほうが病的だと思う

二次性愛者は物語物語として認識してるけど、三次性愛者は現実物語として認識してるってことでしょ?三次性愛者は常にフィクション現実混同している

2017-08-10

から生じる苦しみから逃れるにはどうしたらいいんだろうか

性に挑戦しそれを克服したその分、自身の性によって焼かれる感じがして恐ろしくなる

からといって性愛から逃げたくはないのだが、

今までやってきた

不特定多数女性関係を結ぶ

・それらの女性性的に深い所まで行く(性的に屈服させる)

等々、それらは概ね上手くいっている

ところが恐怖感は消えないどころか、自身倫理復讐される感すらある

そもそもそれら全てが弱い自分を守るための防御機制だったような気もする

そして彼女彼女たちが自分から去って行くのがとてつもなく恐ろしい

自分のように汚い人間が突然、一点の曇りない美を求め始めてバカを見ている

2017-08-02

https://anond.hatelabo.jp/20170802123737

高校大学教育無償化は国によっては実現されてるね。

それが妥当だと判断されたら導入されるだろうね。

クレイマーのクレイだって妥当だと判断されたら採用されるよ。

でも「全ての人間私的性愛パートナーを(実際のところはなぜか彼らは「全ての人間」でなく「男性」に限ったもの言いをするが)」という要望採用されることは恐らくないだろうしそれが採用されないのは妥当でないからだろうね。

それはそういう要望を出す人間が少数派だからではなく、商慣習のような社会ルールとしてそれが相応しくないと判断されるから

2017-08-01

https://anond.hatelabo.jp/20170731152739

自分も含めた3姉妹全員「弱者男性」(自分より収入が少なく男性性への拘りもない)と結婚してるんだけど、「男性性に乏しい男性」を性愛対象とする女性も多数ではないけど確実に存在するんだよ。

そもそも弱者男性だって少数でしょう。(多数だったらそもそも問題になるような事態になってない)

弱者男性」はたくさんいるけどそれでもOKという女性が足りないから不均衡が生じているという認識はほんとか?と思う。

「多くの女性男性性を重要視するんだから意味がない」という言い方は正しいようで正しくないんじゃないか

この手の人たちの実態は「自分男性性を重要視するような女性が好みだけど自分にはその要素がないのでマッチングできない」だと思う。

そりゃ頑張って男性性獲得するか好みを変えるしかないんじゃないの?

2017-07-31

エマ・ワトソン演説と「個人的なことは政治的なこと」

始めに言っておくと、私はエマ・ワトソン男性側にかなり融和的な方向性取ってるな、と思ってて別にエマワトソンになんら含むところはありません。

ただ、それでもエマ・ワトソンが述べている理屈にも論理的に穴はあると思ってるし全てに賛同できるわけでもありません。

それはフェミニズムでもメンズリブでもなんでもそうだと思いますけど。


個人的なことは政治的なこと」っていうフェミニズム重要役割果たしてきた言葉があります

従来、個人的プライベートパーソナル※指摘あったので修正)なことってのは公的パブリック)な部分とは完全に分けられていて基本的関係のないことです。

という前提で議論がされていました(1920年代以降の第一フェミニズムのあたり)

例えば選挙権に関して言うと公的ことなのできちんと女性の権利を向上させよう。

といった具合に。


ところが第二波の辺りからこの点に関して疑義が呈されるようになってきました。

「実は個人的なことって政治的な事にものすごい影響与えてない?」

とか

政治的にはこうだから個人的なこともこうなっちゃうんじゃないの?」

っていうロジックが出てくるようになったんですね。

これは具体例で言うと

女性ばかりが家事の分担をするのは、女性家事をするべきという公的目線が原因じゃないの?」

とか

仕事を任されないので時間がある女性ばかりが家事をしてしまっている。公平であるなら男女の仕事時間も同じになってその結果家事労働平等化されるはずだ。」

とかね。

当然その観点で見た性愛家族に関する議論もおこなわれました。

その中に

男性若い女性ばかりを性的目線で見るから女性がそういう行動をとるようになる」

といった意見存在しました。

今でもそういった議論の影響は強くて男性はそうした観点から有形無形の批判をあびてます

この考え方って経済学マクロミクロ関係性に似ていて

例えば、不景気なので個人個人銀行お金を預けないでタンス預金していたら

市場お金が回らなくなって結果的に全体で不利益を被る人が増えた。

っていう話が経済学関連にもありますね。

まり

「個々人で見ると小さなことなんだけど、それをマクロ視点で見ると社会に非常に大きな影響を与えてしまっている」

って言う話に繋がるわけです。

この理屈で行くと

「ある女性恋愛対象が誰なのか?」

という一見して社会的構造とはあまり関連性のないように見えることが議論の上で非常に大きな論点になってくるわけです。

女性意識的無意識的に強い男性を好むほど、男性女性から承認を得ようと強くなろうとする。その結果普遍的女性一人一人の選択が家父長主義的な社会構造を維持することに大きな影響を与えてしまう」

という話に当然なってしまうんですね。

もちろん男性側の選択もそういった家父長主義助長してしまう側面は大いにあって

若い女性を好むと、相対的に知恵も経験も薄い女性が選ばれがちになってしまって無意識的に家父長主義になってしまう、という側面があります(というか、フェミニズムなんだから当然こっちが主題だけど)

こういった人達が集合すればするほど社会に家父長主義的な風潮が増加しちゃいますよってことなんですね。

強い女性に指摘される「弱い男性無意識的に排除してしまうと結果的に家父長主義蔓延ちゃうだろうが!」

ってのが

フェミニスト個人的なことは政治的なことを無視している」→「フェミニスト弱者男性無視している」

というお話に繋がるわけです。

で、それを踏まえた上で「エマ・ワトソン演説」を見ると実は従来のフェミニズムに比べて大きく弱者男性に歩み寄った姿勢だと言えます

まりようやくフェミニズム弱者男性に目を向け始めた第一であると捉えられるわけです。

※もちろん以前からこういったことを言っている人は山ほどいるし、少し大げさな言い方ですけどね。でも影響力の強い人がこういったというのは本当に重要なことですよ。


なぜエマ・ワトソンが一部の女性から強烈に叩かれるのか、というのもこれで構図がわかると思います

なので、その歩み寄ったエマに対していきなり「弱い男性と付き合えよ」ってのは話を進めすぎだし性急に過ぎると思いますね。

議論もまとまりきってないし、女性から男性への個人的政治的な介入をどうすべきなのかについてはもっと違う方法があるかもしれません(強者女性がそのまま弱者男性を養うのが政治的にただしいこととするにはまだ理屈が弱すぎます)

ただし、エマ本人ではなく「女性一人ひとりの選択社会に大きな影響を与える」っていうのに無自覚だった女性はこの点について大きな矛盾を指摘されているのも事実です。

もしあなたが「家事労働男女平等に大きな影響を与えるので男性も考えるべき」と思っているのであれば

女性が強い男性を好む事に無自覚である」という部分にも大きな注意を払わねばなりません。

エマ・ワトソン演説というのはフェミニズムにおいて、そういう意味で非常に重大な、一つのポイント・オブ・ノーリターンであったわけです。

男女が平等になるには男性に全てを任せるだけでは駄目で、女性自身もそういった社会に対するコミットメントが求められます

女性無自覚に、強い男性ばかりを好きになり結婚してしまう」

というのは

不倫しまくって精子をばら撒く獣のような男」

の対比であり、厳しいことを言うなら

強者男性に媚を売る女性動物本能のままに生きている獣のような女性

と言うことに過ぎないわけです。


もちろん実際には全ての女性がそういった振る舞いをしているわけではありません。

というか一般的には色んな立場男性に対して優しく接している人も多いですし、好みの男性じゃないからといって職場ゴミのようにあしらうなんてことしてる女性はまずいません。

若い女性が部下にいるからといってすべての男性がその女性を明らかにえこひいきしているわけではないようにです。

環境で行動は左右されがちですし、男女どちらにも例外はいものですが。


ここでは女性をメインにした話をしましたが、男性も改めて「個人的なことは政治的なこと」とはなんなのか考えてみるといいですね。

2017-07-21

セクシャルマイノリティってさ

同性愛者とか無性愛者とか色々いるみたいだけど、ああいう人たちって何か脳の構造的なとこに異性愛者との違いがあってそういう思考回路になるの?

それとも生活環境とか過去経験とかの後天的ものでそういう価値観が醸成されるの?

そのへんの原因というか仕組みがわかれば異性愛者としても理解やすいと思うんだけど

2017-07-09

童貞が顔真っ赤w」って言うのってセクハラモラハラじゃないの?

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20170708030900

冷静に聞きたいんだけど、某童貞批判記事に付随するブコメって「政治的正しさ」的に見て明らかにアウトだと思うんだけど、どうなの?

コミュニケーション能力の無い人間童貞勝手レッテル貼りしている

風俗に行ったりそもそも女性迷惑をかけない童貞のことを考慮していない

(或いは童貞は気づいてないだけで必ず女性迷惑をかける悪魔の証明論法を使い出す)

・無性愛アセクシャルと言った人間に対する配慮がなく恋愛至上主義すぎる

また童貞反論したら「顔真っ赤www」とか言い出すのも明らかに「政治的正しさ」に反しているとしか思えない。

これに関して「政治的正しさ」をモットーとしてる人らが皆ガンスルーなので首を傾げるんだが…

あっ!はてなってポリコレ遵守!な人が多いと思ってたか違和感があったけど

「『政治的正しさ』なんてどうでもいいだろwゴミだろ」ってことでいいの?

なんだよかったよかった安心した…

はあああああああ?「童貞批判することはポリコレにおいて何ら問題ない」だああああああ?

何その「俺は童貞差別が嫌いだ!」論法

童貞には何行ってもハラスメントにはならない」なのか。怖ッ怖すぎる。

これだからポリコレとか一切信用できないんだよなあ。

非モテ童貞と行った存在ポリコレによって守られることはなく、

反差別」というポジションを維持しつつ安心して「非モテ童貞」をバッシングできる。

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