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はてなキーワード: 片渕須直とは

2020-07-01

anond:20200701180441

コナン子供向けじゃないぞソース片渕須直

――新千歳空港国際アニメーション映画祭取材に行ったのですが、ラトビア韓国から来た監督に、なぜ日本アニメ世界で人気があると思うかという質問しました。そしたら、「あなたの言うアニメジャパニメーションという一つのジャンルしか過ぎない」と言われ、世界にはそれ以外のアニメーションがたくさんあると逆に指摘されました。

その通りです。日本アニメーションの中にジャンルが一個しかないのはおかしいと思いませんか? だって今は、『名探偵コナン』まで同じジャンルに入っているんですよ。名探偵コナンは少なくとも子供向けとして始まったはずなのに、いつの間にか同じ「隙間向け」のジャンルに入ってきているじゃないですか。おかしくないですか?

――コナン子供向けじゃないんですか?

ないんですよ。子供向けは全滅しまたからね。夜7時台のテレビアニメーションから子供アニメ全くなくなりましたから。映画で作られているのは、『ドラえもん』、『アンパンマン』、『ポケットモンスター』、『妖怪ウォッチ』、それからプリキュア』など。これって、何年同じものを作っていますか? 20年ですか、30年ですか。ドラえもんは50年です。


日本アニメ世界の潮流から外れている 片渕須直監督が本気で心配する、その将来:朝日新聞GLOBE

https://globe.asahi.com/article/13185352

2020-03-24

anond:20200323084726

実写作品だと片渕須直いうところの「後期思春期」向け作品が少なくなるからじゃないの。アニメはそういうジャンルほとんど。

実写だがスターウォーズもその「後期思春期」向け作品マーベルとかゲーム・オブ・スローンズとかもそっち。片渕監督が言ってたように、世界的に「後期思春期」向けコンテンツばかりになってきている。

2020-03-07

また朝日が捻じ曲げていたのか…

日本アニメ世界の潮流から外れている 片渕須直監督が本気で心配する、その将来

https://togetter.com/li/1477632

つーか、監督は苦言をしていたのに朝日が捻じ曲げた様な事をして記事にした結果があの様な代物になったのか。

何時もながらのアサヒクオリティが発揮されていたのね。

監督があの様な人だと思ったからこれ 片渕氏がこの場合被害者だったんだな。

まりこれは記者の方の意見と言う訳ね。

そりゃ朝日ならこれ位の行為はするし、あの手のグローバル的な事を言い出すのも納得だわ。

うちはうち、よそはよそ

日本アニメ世界の潮流から外れている 片渕須直監督が本気で心配する、その将来

https://globe.asahi.com/article/13185352

そんなに他所が良いのならばあんたがよその子になりって、それこそステレオタイプおかんが言う様なセリフを送りたい。

日本人は日本人で好き勝手やっているからほっといてくれって感じ。

そもそも年齢層に限らず、フェミニストリベラルポリコレ界隈の連中はその手の傾向はあるけど、この手の方々でもある一定の年齢層から特にやたら彼等の言う(脳内の都合の良い)世界を言い出す事から、やたら海外に対して劣等感があり、それらに対する海外賛美や信奉があるのかなと思ったりもする。

ただそんな平等人種人権弱者権利等と言う綺麗事お題目として、これ等を盾にして、屁理屈を言う連中に推し進められた規制によって、世間規制疲れを起こし、その結果、日本に限らず、それこそ彼等の言う所の世界においてもグローバル化嫌悪されつつあり、ローカル化が進みつつあるのにね。

今やそのグローバル化リベラルフェミニズムポリコレ等と言ったものは逆に時代遅れダサいものになってきているのは事実

それと数日前から棘のまとめにもあったけど、この手のポリコレ仕草の奴等がアニメファン議論していると言う風な事にもって行きたいのかなと思ったりもする。

恐らく正攻法で潰す事に失敗したから、映画みたいに乗っ取ろうとしているのかもねと邪推してみる。

何にしろ~は不健康だの健全化だの言っている奴の言う通りにして、悪化した事例は数知れずあれ、それで良くなった事は一度もない。

はっきり言って下らないものしかできなくなるからな。

おまけ

記事アニメ西洋の為にポリコレになるべきかと日本アニメファン達が議論中」→外人「なわけ無いだろ!!」

https://togetter.com/li/1476786

2020-03-06

片渕監督だけではない噛み合わないインタビュー

日本アニメ世界の潮流から外れている 片渕須直監督が本気で心配する、その将来

https://globe.asahi.com/article/13185352

絶賛炎上中だけど他に思い出せるのをちょっと挙げてみる。

バックグラウンドの違いによる悲劇とでも呼べばいいんだろうか。

加藤久仁生監督に聞く、ネットアニメ現在地

https://ascii.jp/elem/000/000/211/211293/

ギリギリ問題なさそうな感じだけど配信プラットフォーム

話まで加藤さんに聞いてどうするんだよというのがなくもない。

しかアカデミー賞ノミネートされてたのに(そして受賞)。

アートアニメ商業アニメ不思議越境URAHARA久保亜美監督スタッフインタビューhttps://web.archive.org/web/20180111123402/https://jp.ign.com/urahara/20853/interview/urahara

記事が消えてて掘り起こしたら10日くらいで消えたらしい。

長編アニメーションの新しい景色主催土居伸彰氏が語る21世紀アニメーションの世界とは?

https://jp.ign.com/anime/20984/interview/21

同じ時期に載せた土居さんのインタビューに「僕はアートアニメーションという言葉

使わないようにしてる」ってあるんだからそれに準じればちぐはぐにならなかったのでは。

まず「商業」と「アート」って比較が現状にそぐわない事を知らねばならないような。

妥協は死」が社訓 「ポプテピ」で話題CGアニメスタジオ神風動画社員はなぜ徹夜をしないのか

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1803/05/news042.html

こちらは特に問題ない気がするけど当初に聞きたかった事とは

違うインタビューになってるんじゃないかというのが透けて見える。

神風所属じゃない青木純さんにも話を聞くつもりが最終的にこうなった的な。

朝日バカにされとるやん。

2019-08-19

anond:20190819180319

上田慎一郎「えっ、俺らでも80人くらい使ったのに」

片渕須直予算5500万円っていう僅少な中でも万人クラス参加してますが何か?」

2019-07-12

anond:20190712111632

(続き)

これ、『サマーウォーズ』--これは脚本自体は奥寺さんですけどね--の頃からの一貫して細田さんの弱点だと思うんだけど、いわゆるカギカッコつきの“リベラル”的な女性観・家族観理解がひっじょーに浅薄で浅いんですよ。女性家長、新しい!女性子育てをしていて偉い!男はイクメン気取りだけど全然わかってない!主夫育児なんてドタバタダメダメ!→ね?俺わかってるっしょ?みたいな意識無意識ですね。

まず、イマドキ4歳児に「男の子でしょ!」って言って説得するのは“絶対になし”とまでは言えないまでもちょっと古くさい感覚だと思うし、そんなあさーい理解からサイコ父ちゃん無慈悲既読スルーをする一方で、クソガキ様の自転車練習とき--この父子モチーフもイマドキ手垢つきまくってませんかねえ--急に古くさい父親イメージとなるんですよ。要するに無理してかっこつけて大衆に目配せしているおかげで世界観キャラクターの知能レベルがガタガタなんです。

さらに痛いのがね、ミライちゃんが初めて現われたその動機ネタバレになるから一応伏せますけどね。何か裏事情があるのかなーと思って見てたらそのまんまで、は?なんじゃそりゃ!っていう。何故そこだけ急に価値観昭和中期以前になるのかな・・・?キミ、設定上は一応令和時代を育ったんでしょ・・・?ってかそれ、おもしろい、のですか・・・??

ところが、このミライちゃんについては、はあ、それで・・・?未来のミライちゃんにとっての“今”ならまだしも新生児ときのソレってそんな気にするもんなの?というか、我々はリアリティラインをどこに設定すればよいのかな・・・?となっちゃっていて、行動原理が全くロジカルじゃない!ギャグとしても全くおもしろくないし。そもそもね、あれだけドタバタしてたらいい加減お父さん気付くでしょ?何か不思議な力が働いているのかな?ってか結局“現実”ではどう処理されたの?ってのが全く意味不明、というね。

良かった点も一応言っておきましょう!特にクソガキちゃんクネクネクネクネした動きね!ここに関してはいわゆるアニメーションに疎い私でも「あっこれは気合い入れてるな、金かけてんなー、他の諸作品とは次元が違うなー」と思わせるものがありました!

でもね、それに関しても、「動きリアルっしょ?」「幼児の動きわかってるっしょ?」という自意識が先に見えてしまって素直に楽しめない自分がおりました。ここもなー、動きを見せようというのが先にあって全くロジカルじゃないんだよな。

擁護派の中には、「アニメーションリテラシーちょっと高くないと」「『話がどうこう』って言い出すとやっぱり『つまんない』って感想が出てきやすい」っておっしゃってる方もいるみたいですけどねー。専門学校生卒業制作で作る映画の話をしているならまだしも、あれだけ大メジャー作家アニメーション映画でそれ言い出しちゃったらダメですよ。動きを追求するにしても「話がどうこう」の最低限のレベルクリアしてくださいよ。そこは逃げないでくださいよ。比較するのはちょっと残酷すぎるかもしれませんが、宮崎監督作品高畑監督作品批評アニメーションリテラシーの高低の話出てきますか?そりゃリテラシーが高い方の方がより作品世界を楽しめる。そういうことは往々にしてございます。両巨匠作品もそういった性質のものですし、ポスト世代では、庵野監督作品片渕須直監督作品だってそのように評価できると僕は思います

しかしね、それにしても、あれだけの資本がついていて、ちゃん作品に力があればリテラシーの高低にかかわらず、大衆みながそれぞれの立場で楽しめるものになるはずなんですよ、本来は。

極端なこと言えばリアルアニメーションが欲しいだけならモーションキャプチャーウニウニ動かせばいいだけの話で。僕は、それ以前の、物語としての最低限の誠意やマナーの話をしているんです。

その象徴として最たるものがあの“意識高い系”住宅。あれ、わざわざ建築家の方にオリジナル建築設計発注したとのことですが、あのねえ・・・これ、建築家の方は発注に答えたまでで全く悪くないと思いますが、新生児と4歳児をかかえたサイコ父ちゃん仕事をしながらワンオペ育児をする家があの作りって・・・。あのう・・・控えめに言って狂ってるんでしょうか?これも「ためにする」デザインしか思えないというか、あの家の作りでこの家族--暴れ回る幼児たちやこれから年を取るご夫婦--が一人も頭をかちわらずに天寿を全うできたらそれこそ奇跡なんじゃねえかという(笑)。やっぱりねーそこらへんの視点への気配りも含め、とことん不誠実なんですよ。

あとねー、クソガキちゃんについてもですね、「アナルプラグ(笑)」って書いてきたリスナーもいましたけれども(笑)未来のミライちゃんに対して顔を赤らめて言うセリフとか、“王子様”に対する態度とか、サイコちゃんアルバム唐突に出てくる、結婚式スライドのようなリアリティのないアルバム。あれだけ小綺麗な写真見せといてなーにが“黒歴史ww”じゃい!)への反応とか、カギカッコつきの“東京駅”での振る舞いとか、ラストシーンミライちゃん説明ゼリフとか、もうとにかくその場その場で場当たりでてっきとーにキャラクターを動かしているから、まとめて一本の映画として見させられると賢さの設定がぶれぶれなんです。

特にアナルプラグクダリなんて完全に大人側の欲望目線やんけ、これのどこがリアルな4歳児なんすか!というですね。

ぶれぶれといえば、こちらも指摘しておかなければなりません。

物語の根幹かつクライマックスにもかかわる、世界観の設定ですね。

ミライちゃんがこれまた脈絡のない説明ゼリフでとあるタブー説明するんですが、その数十分後にはたやすタブーが破られる。そして特にペナルティーもない。じゃああの説明ゼリフはなんだったの?観客ポカーンみたいな。

そもそも未来のミライちゃんが全て知ってるように振る舞っているのは何故?とかね。言い出したら切りがありません!

BTTFシリーズのようにパキッと全ての伏線を回収しろとまでは言いませんよ!けどね、作品独自タブーを出したらペナルティもあわせて説明してくれないと意味ないでしょ!ってかそれって創作における最低限の誠意、マナーなんじゃないんですか?

どういうことか。要するに、タブーが実際に破られる?大丈夫か?大丈夫か?あーとうとう破られてしまったー!そのあと一体どうなるー?、という状況があって初めて我々観客は一緒にハラハラできるわけですよ。たとえるならアレですよ。映画グレムリン』ありますよね。1984年。ジョー・ダンテ監督出世作。その中で、例の3つのルール、ありますね。

この作品でたとえるなら、映画内で3つのタブー説明したにもかかわらず、結局ペナルティはよくわからない。映画の後半でギズモが太陽が燦々と照る真っ昼間にグラサンかけてジャブジャブ海水浴をしている。そんで最後最後にそれまでの展開と無関係な第4の設定が唐突にギズモの口から語られる。なんじゃそりゃ、みたいな(笑)。もう一体何がしたいの?というレベルですよ。

世界観の設定自体もね、これ、実は初見とき、クソガキちゃんインナートリップやらセルフセラピーやらの話かとも思ったんですが、どうもそうじゃない。福山ひいじいちゃん東京駅クダリを踏まえると、クソガキちゃんが明らかに経験しえないこと・知りえないことを経験していて、なんでインナートリップルールからも明らかにはみ出している。

あのねえ、4歳児を主人公にすること、オムニバス形式であること、現実と夢、空想あいまいなことって世界観がグチャグチャであることの免罪符には決してなりませんからね。童話寓話不条理ってそういうことじゃあないんですよ。ことほどさように、幼児を、というか人間のあり方そのものなめている所作しか思えません!

細田さん、クレヨンしんちゃん映画版だけでもいいからもう一度じっくり全部見てくださいよ。全てが100%の傑作というつもりはもちろんありません!ありませんけど、幼児主人公であること、ギャグマンガであることを世界観言い訳にしているのはほとんどありませんよ。その上で、幼児幼児性、第一子と第二子関係性、ペットとの関係性、親子が親子であること、夫婦夫婦であること、家族家族であること、などなど、比べるのもホントおこがましくてしんちゃん側に大変失礼な話ですが、大人子供も笑えるギャグも交えつつ逃げずに遙かに高度のレベルで達成してますよ。

クレしんとの対比でいえばクライマックスのアレね。あー出た出た細田演出はいはい。なんて意地悪な僕は呟いてしまったわけですけれども、これもちょっとしたネタバレなっちゃますが、クレしんの某・大名映画監督脚本原恵一ナンチャラ帝国(笑)オトナナンチャラ(笑)の、“あの例のシーン”。これ、見た方はおわかりかと思います。と同じようなシーンをクドクドクドクド・・・。犬まで登場させてクドクドクドクド・・・。そもそも犬ってああやって母犬と別れるのか・・・?違うんじゃねえの(笑)?ってかそれもセリフ説明すんのかーい!見てりゃそれくらい黙っててもわかるわ!それ以前の問題としてに父犬はどこに?ということも含めて、とにかくひっじょーにテンポが悪い!!

あと一つ、これだけは言わせてください。

僕、前から言ってますよね。我々の用語でいうところの、いわゆる一つの“ベロベロバー問題でございます

クソガキたちがおどけた何か面白“げ”なことをやれば面白くなると思ってますよね。テレビではそれでいいかもしれないけど映画はそれじゃあ笑えないんですよ。

なおかつ、それ以外のギャグアナルプラグでしょ!?単に下ネタダメってんじゃないですが、時と場所と見せ方を選んでください。ただただ不快です。R指定なくていいのか?これ、子供に見せてもいいの?という。

特に前半パートギャグが全部が全部ダダ滑りっていうね。

さらに、その滑ったギャグを、全然成長しないクソガキのワガママサイコ両親の立ち振る舞いで上書きして不快感を増させていくという(笑)。もはや“げ”ですらないじゃないか(笑)

うるせー!こちらがお前らを「好きくない」んじゃー!とホント上映中心の中で何度叫んだことか。

そんで全然成長しないサイコ両親が終盤あまーい自己満足セリフを言い合いますよね。はあ・・・。それはまあいいんですが、まずご自分たちのサイコ性に手を当てて顧みていただいて、素晴らしいご両親のご美意識にはお反しあらせられるかもしれませんがご自宅に子供用の転落防止柵をつけるなり、恵まれ収入ハウスキーパー雇うなりしないと死人が出ますよ、なーんてひねくれた僕なんかは思っちゃいますけどね!ええ、ええ、どうもすいませんねえ!ひねくれ者なもので!

え、もうこんな時間時間がない!あと最後にこれだけ。

いわゆる細田演出ね。

これもねえ、今回は残念ながらあざとい部分だけ、“やだみ”ばかり印象に残ってしまいました!

はいカメラパンしました。時間が経過しましたよ。これ省略だよ。映画的でしょ?というのもさー、それはそれでいいと思うし、正直さすがうまい演出だなあと感じたカットも中にはありました!冒頭の息でガラスを曇らすシーンとか、雪のシーンとかですね。でも、これは演出じゃなくて脚本の方の問題かもしれないけど、とにかく登場人物がクドクドと設定を喋る喋る。別に未来の人だからってイコール全知の人じゃないですからねえ?

これもそれなりの理由があれば設定を喋ること自体全然いいんですよ。

さっきたとえにあげたBTTFシリーズのドクとか、顕著な例ですよね。要は、彼は物語構造上、観客が知らないことを「知っている」からタイムマシーンの設定を「知らない」マーティン(=我々)に対して多少くどく説明しても全く嫌みにならないじゃないですかちゃん時間が変わって彼が設定上「知らない」世界のことは観客が知っていても一切説明してないでしょ。

このあたりもなー。知識レベルの設定が全然統一されてない。観客は最初から最後まで悪い意味で置いてけぼり。

たとえばこれ僕からの一つの稚拙提案ですけどね。ひな人形を巡るくっだらねードタバタをどうしてもやりたいんなら、おじいさんのエピソードも、一見するとくだらない代々の言い伝えである迷信的なナニカを律儀に守りました→そうしたらおばあさんとめでたく結婚できました→ミライまでの血脈が繋がりました→だからミライもそれをなぞったのです、ってすればですね、まあ設定のレベルとしてはひとまず統一できるじゃないですか。そのあたりも含めてとにかく“雑”の一言に尽きるんですよ。

あと、これ、感想メールで指摘していたリスナーもいましたけど、父ちゃん側の血筋はガン無視問題ですね。誰しもそうですが、父と母が「両方いて」初めて今の我々に繋がるんじゃねえの?おいしいところ、ドラマチックなところのつまみ食い的な、「ファミリーヒストリー」をそのままやりたいならわかりますよ?でもこの映画テーマって、平凡な一家族の、非・ファミリーヒストリー的な部分にあるんじゃないんですか?

ファミリーヒストリー」的にいってもですね、もうこれ作品の根幹の価値観の話なんですが、サイコな両親とは距離を置き、血縁自分からは繋がず、一人で自己完結してアナルプラグで遊んで暮らす一生は果たして「不幸」なのか?「何かしらの罰を受けなければいけないこと」なのか?という問いにはこの映画、実は全然答えられていませんよね。そのように考える人は、排除され、存在しえない世界となってしまっている。ここ、最初にも述べた“この光景果たしてユートピアなのかそれともディストピアなのか(笑)!”という問いにも繋がるところですが、このあたりも、昨今生産性だなんだとニュースになったりしていますが、イマドキの価値観でいえば、全体としてはどんどん多様な個人価値観尊重する方向に向かっていっていますよね。少なくとも、僕個人はかくあるべきだと考えています。「家族派は家族派」、その立場はもちろんそれで否定しないけれども、一方で「アナル派はアナル派」だし(笑)、「乳首派はもちろん乳首派」(スタッフ爆笑)、本当はね、みんな違ってみんないいと思うんですよ。

このあたりも細田さんの“臆面のない傲慢さ”の意識無意識、いわゆる“やだみ”がどうしても透けて見えてしまっているというか。というよりも、悪いこと言わないからもう細田さんはこれ以上家族のテーマは触らないか、触るとしても設定から脚本からから全部外注して演出だけに専念する方が良いと思いますけどねえ。僕は。

というか、そもそも幸せって他人と比べてしまった時点で大概幸せにはなれないですからね。“あの”東京駅の“あの”新幹線の設定を踏まえるとどうもここはそういう世界ではないようですが。僕はこの世界は断固拒否したいです。絶対に嫌です。別にひとりぼっちでも本人が幸せならそのままで全然いいじゃねえか、というね。僕なんかはそう思ってしまますけれども。

あー時間がない!声優お話とかもしたかったんですけどね。福山雅治さんの意外なはまりっぷりとかね。

結論としては、申し訳ないですが、僕個人は「好きくない」類の映画と言わざるを得ませんが、山下達郎さんの主題歌劇場音響で聴きたい方、幼児アナルプラグを刺して絶頂する場面を超絶作画で見たいという方に対しては・・・・・・オススメです!

(終)

2018-07-04

anond:20180704102632

片隅以前の片渕須直作品の売上とバーチャロンの売上を比べりゃ一目瞭然だがな

anond:20180704101112

片渕須直増田さんが知ってるかどうか知らないんですが、クラウドファンディングで集めたお金アニメを作るって、実は実現不可能なんですよね。僕もやったことあるんですけど、製作費の半分も賄えませんでした」

2018-05-25

anond:20180525010926

今日(というか昨日)片渕須直が「高畑勲コメントを受けて絵コンテに手を入れてる」ってツイートして1000RT以上されてたよ。

2017-10-11

マチアソビにて片渕監督講演会覚え書き

キャラクターに宿る存在感

この世界の片隅に」が目指したこ

片渕須直監督

藤津亮太アニメ評論家

いつもだと自分パソコン開くんですが。今日は藤津さんのパソコンで。

コメンタリー上映会2回目。まだ喋る内容がある。というかしゃべる時間が足りない。映画ポーズで止めたかった。

キャラクター作りについて。すずさんがそこにいるということを目標ひとつとしていた。これはマイマイ新子の頃から

絵空事では無く。肉付け。外側の世界を充実させることで、結果的パーソナリティを描けるのではないか

世界構成要素を本物で描く。我々の作るアニメーションファンタジーとなるのだが、日常空間から逸脱することでファンタジーを描くのだが、実際の世界を描くことでファンタジーリアリティが与えられる。

名犬ラッシーからラッシーイギリス舞台エリザベステイラー時代アメリカホームドラマの影響で作ろうとしてた。ロケハンにも行けなかったので、行ったことの無いヨークシャの炭鉱想像と調べたことの組み合わせで作っていった。

町に住んでいる人達準レギュラーにすることで、街自体を描く。そうやってストーリーにしていった。炭鉱の浮沈や犬を手放すことになったサブシーンを描いていく。考えながら走りながら作っていった。

町を本物らしく見せる鍵は町自体歴史があるという背景。町の川側から町を描くシーン。その世界を裏側から描写する。立体的に書き割りでは無い町。

アリーテ姫リアリティのあるファンタジー。国がどうやって運営されているかとかが描きこまれていた。城下職人暮らしを描くことで、アリーテの気持ち世界を描いた。

人の生活を示すことで、キャラクター存在感が出てくる。

大学入った頃に観た、高畑勲さんの作品の影響もある。ハイジの話し。ドイツの町に住むことになって、ハイジクララピクニックに行くが、楽しんでいたクララが突然限界がきて辛そうになる。二面性。リアル世界

当時はすごいめんとくさいなと思った。学生の頃はみえてない。世界みえてなかった。

人間を描くのはめんどくさいなと思った。名探偵ホームズはやりやすかった。宮崎駿さんが、人間の深みとか書くつもりの無い人だったから。

魔女の宅急便の時にそのあたりに踏み込んだ。普通の人がどう生きてるか。成長していくか。心の構造精神発達心理学など。伊丹十三さんとか岸田秀さんの唯幻論。人はどうできているか

1人の人の中には複数個性バランス。その場に応じて表面に出てくる割合が変わっていく。

アリーテ姫原作は単純なキャラ。悪役の魔法使いボックス原作主人公クレバーでは無いが、ボックスの悪役を掘り下げたことで、アリーテ姫は機転がきいた子になる。

自分を偽って生きているのが、自分たちの正体ではないか?虚飾の魔法使い。本当の人生を生きていない人の描きこみがアリーテ姫から始まった。

ブラックラグーンの作り込み。原作が途中から追いつかなかったので、ストーリーを聞いて描いていった。

この世界の片隅にの径子の台詞。径子は自分自分の道を選んだから。すずとりんはそうじゃない。ブラックラグーンOVA。周りのキャラにも、そうじゃない人生があったというエンディング悪漢たちの別の顔。

自分が選んだ道を歩いていけてる訳ではない。だからこそ、そういうありたかった人生に触れることでその人間を描く。

原作を超えたところを描きこんだブラックラグーン。立体的な背景。タイのような舞台タイ基本的外国支配を受けていないが、南の一部はインドネシア領フランス占領されたりしていた。

アリーテ姫自分人生を歩き始めたところから始まる。

そうじゃないところから始まったのが、ブラックラグーン

最初丸山さんは監督無しで3話ごとに交代でやる予定だった。さすがにそれはまずいだろうと基本設定決めるところをやってたら、丸山さんが監督を全く考えてなかったので気が付いたら監督していた。

ブラックラグーンはこれまでの片渕監督作品イメージと違うので、ペンネームでやるかという話しがあった。マイマイ新子と同時期。

うまくいかなかった人生を書いたブラックラグーンマイマイ新子の周りの大人たちは上手くいってない。原作には1000年前の設定は無かった。国府の話しは出た。

でも、1000年前の話しが出たら、そこをふくらませてそこに見えない世界を描くのがファンタジーであり、そこを描き込むのが本能みたいなもの

1000年前のことをきちんと調べることでファンタジーの描きこみができる。実際の280回くらいの発掘調査報告書を読んで、その中の図を集めて今の地図に重ねる。でも全然足りない。国衙調査でも足りない。でも道路などがわかる。1000年前と今の間にもいろんな世界がある。

1000年前の世界1000年前の話し。1000年前が真ん中。

ブラックラグーンタイ取材にいこうとしてたら、洪水でいけなかった。ベトナム香港などは行った。

マイマイ新子は3回くらいしか現地に行ってない。終わった後の探検隊10回。そちらの方が多い。

発掘調査報告書がメイン。古本屋から写真など。干拓地のきーこ。カネボウ工場社宅。そのカネボウ最後工場長から写真などをもらえた。

事前の知識を持ってロケハンに行かないと見てもわからない。塀のイメージなど発掘している現地でイメージが湧くためには知識が無いと出来ない。

事前に知っているからこそ、現地で発掘している人と話しがきちんと理解し合える。情報をもらえる。今でもあって昨日も泊まらせてもらった。

ハイジクララ矛盾マイマイ新子では子供たちは純粋だけど、周りは思ったように生きられてない。

マイマイ新子金魚が戻ってきたのが最後原作者体験らしい。死んだはずの金魚がまた出てくるという思いが子供世界。おじいちゃんの死の原作での書き込みを外して。

原作者は男女の性愛を描く人。それを入れなかった代わりに死の表現がにじみ出ている。死を描くための映画にしたくなかった。

普通に歳をとって死んだおじいちゃんの話しは重くしたくなかった。で、ヤクザの話しを膨らませた。

この世界の片隅にのすずさんは大人少女から大人への端境期という面が原作より強いと原作者から言われた。すずさんは18歳で自分意思とは関係無く嫁にいかされる。

すずさんは自分空っぽだと思っていたが、実は中にはたくさんあった。

マイマイ新子のきーこ。新子に対して現実的な子。自分には無い想像力を持った新子をうらやましいと思っている。きーこと新子は2人とも主人公

すずは自分の内側にあるものから変化する。空っぽな人はいないが、それを表に出せないタイプのすず。アニメーションやってる人も普通の人。

日本アニメドキュメンタリー性を持って進化してきたと思う。記録性。

年齢層が上がってきた。巨人の星読売巨人軍や二軍。実際にある世界を描くようになってきた。オバケのQ太郎とは違う。観る年齢層があがる。

長くつしたのピッピルパン企画書を見つけた。タバコや銃のブランド定義ピストルで済ませるのでは無くワルサーP38ルパン三世カリオストロでは赤いきつねコカコーラを描いてる。

日本アニメにそういうリアルを描く流れができた。母を訪ねて三千里は、周りの人間リアリティが入ってきて、中学生くらいがみられる作品

手塚治虫さんの漫画の描き方の本。アシスタントに車を描けといったらできなかった。手塚治虫さんの言う車は抽象的な車だったが、今は実際の車。

この世界の片隅にでは実名のある描きこみ。実現できなかったすずさん。抽象的な戦時中ではなく、現実カケラを組み合わせた。

出来るだけ背景を捉える。人物サイズを大きくしがちだが、もっと背景を描く。背景にあるもの存在感

効果音BGMについて。この世界の片隅にでは、出来るだけ実写の音響でということをお願いした。アニメ表現より実写の表現BGM無しでも良いかとも思ったが、BGM心理描写ができた。

2017-10-09

■マチアソビにて片渕監督講演会覚え書き



キャラクターに宿る存在感

この世界の片隅に」が目指したこ

片渕須直監督

藤津亮太アニメ評論家

いつもだと自分パソコン開くんですが。今日は藤津さんのパソコンで。

コメンタリー上映会2回目。まだ喋る内容がある。というかしゃべる時間が足りない。映画ポーズで止めたかった。

キャラクター作りについて。すずさんがそこにいるということを目標ひとつとしていた。これはマイマイ新子の頃から

絵空事では無く。肉付け。外側の世界を充実させることで、結果的パーソナリティを描けるのではないか

世界構成要素を本物で描く。我々の作るアニメーションファンタジーとなるのだが、日常空間から逸脱することでファンタジーを描くのだが、実際の世界を描くことでファンタジーリアリティが与えられる。

名犬ラッシーからラッシーイギリス舞台エリザベステイラー時代アメリカホームドラマの影響で作ろうとしてた。ロケハンにも行けなかったので、行ったことの無いヨークシャの炭鉱想像と調べたことの組み合わせで作っていった。

町に住んでいる人達準レギュラーにすることで、街自体を描く。そうやってストーリーにしていった。炭鉱の浮沈や犬を手放すことになったサブシーンを描いていく。考えながら走りながら作っていった。

町を本物らしく見せる鍵は町自体歴史があるという背景。町の川側から町を描くシーン。その世界を裏側から描写する。立体的に書き割りでは無い町。

アリーテ姫リアリティのあるファンタジー。国がどうやって運営されているかとかが描きこまれていた。城下職人暮らしを描くことで、アリーテの気持ち世界を描いた。

人の生活を示すことで、キャラクター存在感が出てくる。

大学入った頃に観た、高畑勲さんの作品の影響もある。ハイジの話し。ドイツの町に住むことになって、ハイジクララピクニックに行くが、楽しんでいたクララが突然限界がきて辛そうになる。二面性。リアル世界

当時はすごいめんとくさいなと思った。学生の頃はみえてない。世界みえてなかった。

人間を描くのはめんどくさいなと思った。名探偵ホームズはやりやすかった。宮崎駿さんが、人間の深みとか書くつもりの無い人だったから。

魔女の宅急便の時にそのあたりに踏み込んだ。普通の人がどう生きてるか。成長していくか。心の構造精神発達心理学など。伊丹十三さんとか岸田秀さんの唯幻論。人はどうできているか

1人の人の中には複数個性バランス。その場に応じて表面に出てくる割合が変わっていく。

アリーテ姫原作は単純なキャラ。悪役の魔法使いボックス原作主人公クレバーでは無いが、ボックスの悪役を掘り下げたことで、アリーテ姫は機転がきいた子になる。

自分を偽って生きているのが、自分たちの正体ではないか?虚飾の魔法使い。本当の人生を生きていない人の描きこみがアリーテ姫から始まった。

ブラックラグーンの作り込み。原作が途中から追いつかなかったので、ストーリーを聞いて描いていった。

この世界の片隅にの径子の台詞。径子は自分自分の道を選んだから。すずとりんはそうじゃない。ブラックラグーンOVA。周りのキャラにも、そうじゃない人生があったというエンディング悪漢たちの別の顔。

自分が選んだ道を歩いていけてる訳ではない。だからこそ、そういうありたかった人生に触れることでその人間を描く。

原作を超えたところを描きこんだブラックラグーン。立体的な背景。タイのような舞台タイ基本的外国支配を受けていないが、南の一部はインドネシア領フランス占領されたりしていた。

アリーテ姫自分人生を歩き始めたところから始まる。

そうじゃないところから始まったのが、ブラックラグーン

最初丸山さんは監督無しで3話ごとに交代でやる予定だった。さすがにそれはまずいだろうと基本設定決めるところをやってたら、丸山さんが監督を全く考えてなかったので気が付いたら監督していた。

ブラックラグーンはこれまでの片渕監督作品イメージと違うので、ペンネームでやるかという話しがあった。マイマイ新子と同時期。

うまくいかなかった人生を書いたブラックラグーンマイマイ新子の周りの大人たちは上手くいってない。原作には1000年前の設定は無かった。国府の話しは出た。

でも、1000年前の話しが出たら、そこをふくらませてそこに見えない世界を描くのがファンタジーであり、そこを描き込むのが本能みたいなもの

1000年前のことをきちんと調べることでファンタジーの描きこみができる。実際の280回くらいの発掘調査報告書を読んで、その中の図を集めて今の地図に重ねる。でも全然足りない。国衙調査でも足りない。でも道路などがわかる。1000年前と今の間にもいろんな世界がある。

1000年前の世界1000年前の話し。1000年前が真ん中。

ブラックラグーンタイ取材にいこうとしてたら、洪水でいけなかった。ベトナム香港などは行った。

マイマイ新子は3回くらいしか現地に行ってない。終わった後の探検隊10回。そちらの方が多い。

発掘調査報告書がメイン。古本屋から写真など。干拓地のきーこ。カネボウ工場社宅。そのカネボウ最後工場長から写真などをもらえた。

事前の知識を持ってロケハンに行かないと見てもわからない。塀のイメージなど発掘している現地でイメージが湧くためには知識が無いと出来ない。

事前に知っているからこそ、現地で発掘している人と話しがきちんと理解し合える。情報をもらえる。今でもあって昨日も泊まらせてもらった。

ハイジクララ矛盾マイマイ新子では子供たちは純粋だけど、周りは思ったように生きられてない。

マイマイ新子金魚が戻ってきたのが最後原作者体験らしい。死んだはずの金魚がまた出てくるという思いが子供世界。おじいちゃんの死の原作での書き込みを外して。

原作者は男女の性愛を描く人。それを入れなかった代わりに死の表現がにじみ出ている。死を描くための映画にしたくなかった。

普通に歳をとって死んだおじいちゃんの話しは重くしたくなかった。で、ヤクザの話しを膨らませた。

この世界の片隅にのすずさんは大人少女から大人への端境期という面が原作より強いと原作者から言われた。すずさんは18歳で自分意思とは関係無く嫁にいかされる。

すずさんは自分空っぽだと思っていたが、実は中にはたくさんあった。

マイマイ新子のきーこ。新子に対して現実的な子。自分には無い想像力を持った新子をうらやましいと思っている。きーこと新子は2人とも主人公

すずは自分の内側にあるものから変化する。空っぽな人はいないが、それを表に出せないタイプのすず。アニメーションやってる人も普通の人。

日本アニメドキュメンタリー性を持って進化してきたと思う。記録性。

年齢層が上がってきた。巨人の星読売巨人軍や二軍。実際にある世界を描くようになってきた。オバケのQ太郎とは違う。観る年齢層があがる。

長くつしたのピッピルパン企画書を見つけた。タバコや銃のブランド定義ピストルで済ませるのでは無くワルサーP38ルパン三世カリオストロでは赤いきつねコカコーラを描いてる。

日本アニメにそういうリアルを描く流れができた。母を訪ねて三千里は、周りの人間リアリティが入ってきて、中学生くらいがみられる作品

手塚治虫さんの漫画の描き方の本。アシスタントに車を描けといったらできなかった。手塚治虫さんの言う車は抽象的な車だったが、今は実際の車。

この世界の片隅にでは実名のある描きこみ。実現できなかったすずさん。抽象的な戦時中ではなく、現実カケラを組み合わせた。

出来るだけ背景を捉える。人物サイズを大きくしがちだが、もっと背景を描く。背景にあるもの存在感

効果音BGMについて。この世界の片隅にでは、出来るだけ実写の音響でということをお願いした。アニメ表現より実写の表現BGM無しでも良いかとも思ったが、BGM心理描写ができた。

2017-09-26

けものフレンズという神話KADOKAWAによる神殺し

けものフレンズTVアニメ版は、神話構造を持った物語であった。

フレンズ達はヒトの叡智の残滓によって暮らしており、同時に世界ジャパリパーク)は危機さらされている。

そこにかばんちゃんという救世主が現れ、迷えるフレンズたちを救済していく。

すなわちフレンズ達は現世で苦しむ人々のメタファーであり、ヒトは神のメタファーなのだ

11話でセルリアンに取り込まれ復活するのは、

まさに一度ゴルゴダの丘で槍に貫かれ死んだイエスが復活した物語代表されるような再生物語であり、

「ヒトのフレンズ」だったかばんちゃんが取り込まれ元の「ヒト」に戻る、つまり神に成る物語に他ならない。

また、アライさんはカバンちゃんがした覚えのない「かばんさんの発言」を述べるが、

それもまるで弟子に寄って口伝され象徴化されていったキリストブッダを思い起こさせる。

神に生み出され、神に見捨てられた人々が、神から与えられた救世主によって救済され、新たな神を得る。

それがけものフレンズ物語だ。

そしてこれは、アニメの外の現実においてもそうだった。

アニメを含むオタク業界は、神を失っていた。

製作委員会によるメディアミックス一般的になり、二次創作によって誰もが創作者たる時代

宮﨑駿のような「作家」が「作品」を作るといった考え方は古いものになり、

企業」が「コンテンツ」を育成するという時代

その時代においては、1つのコンテンツには複数クリエイターがいるのが当たり前。

さながら「君はアニメフレンズなんだね!」「君は小説フレンズなんだね!」と言った具合で、

誰がそのコンテンツを生み出したのかよく分からないというそんな世界だ。

そして長らくエポックメイキング作品が生まれず、

ガンダムだとかエヴァだとか、ポケモンだとかプリキュアだとか、十年二十年前のコンテンツが未だに続いている世界

これはまさにヒトの遺物によって、フレンズ達が誰に導かれるでもなく暮らしている当初のジャパリパークのものである

しかし去年はそんな気分を吹き飛ばすように、次々と作家性の強い作品がヒットを生み出した。

新海誠君の名は。庵野秀明シン・ゴジラ片渕須直この世界の片隅に

どれもメディアミックス的な商業展開に頼らず、一人の作家依存しながらも、

同時に多くの人が参加することもまた許容する懐の深さがある作品で、

大きな広がりと作家の神性を両立しうる、新世界の訪れを感じさせる作品ばかりだった。

けものフレンズアニメ版も、その1つだったのだ。

たつきという神が君臨しながら、企業によるメディアミックスも、ファン二次創作共存しうる、新たな時代作品だ。

だが、ここに来てのKADOKAWAによるたつき降板

これはつまりKADOKAWAによる神殺しに他ならない。

フレンズたちを救い、身を捧げて戦ったかばんちゃんを殺した黒セルリアンが如き所業

なぜそんなことをしたのかはわからない。

だが少なくとも、たつき監督がいなくても他のクリエイターがやればいい、という考えを持っているのは確かである

しかし、人々はたつきを、神を求めている。既にそういう時代なのだ

確かにたつきけものフレンズというコンテンツ創造したわけでなかった。

アプリを作ったフレンズ」や「コミカライズ担当フレンズ」のごとく、

「一作目のアニメ担当したフレンズ」にしか過ぎなかったのだ。ヒトのフレンズしかなかったカバンちゃんの様に。

だが、たつきは多くの人を楽しませた。多くのフレンズの悩みに答えたかばんちゃんの様に。

からたつきは、人々の嘆きに応えて復活するはずだ。一度セルリアンに取り込まれたかばんちゃんの様に。

そしてその時、たつきは本当の神になるのだ。かばんちゃんの様に!

2017-09-20

君の名は。』と絵コンテと騒ぎ

私はアニメ絵コンテが好きです。そこには監督演出家が考えた「生」の表現があるからだと思います最近買った絵コンテは、最近でもないですが『君の名は。』のちょっと後に公開された『この世界の片隅に』です。絵コンテ片渕須直監督監督補の浦谷千恵さんによって描かれています。そこにはあの濃い原作をどうアニメーションに落とし込むかの筆致が出来上がった映画以上に濃く感じ取れます

原作があるのですから原作の駒を貼っても良いわけです。少し古い作品になりますTVアニメ魁!!クロマティ高校』は意図的にかどうか漫画の切り抜きで絵コンテ構成されていました。基本的にはこちらが例外で、絵コンテ監督演出家が「表現」としての設計図役割を持っています

この世界の片隅に』の絵コンテ原作漫画の魅力に加え、数年にもわたって監督広島に通って得た膨大な取材の結果が通りの一本一本、呉の港に列ぶ戦艦一隻一隻まで、絵コンテを読む魅力に溢れています

君の名は。』についてはどうでしょう。さすがにパクりや盗作とは言い過ぎと思います。ただ、宇野鋼之介監督は「(新海)監督の中でキチンと変換できていればそれはオリジナル。」と軟らかく書いていますが、キチンと変換するというのは他の作品カットを持ってきてトレスすることでしょうか、と疑問もわきます。あの三葉の家は箱で書いて「宮水右手側面・設定参考」で良かったと思うのだが。庵野秀明引用の名手と思っていますが、新海監督ほどには迂闊ではないように思いますオマージュなら隠そうともしませんし。

さて、この騒ぎの収穫は以下のレビューが読めたことです。

君の名は。 - Hold Fast that Which is Good」

http://yokimono.hatenablog.com/entry/2016/09/11/220139

これだけは新海監督に対して声を大にして言いたい!

監督、この作品、すごく【虹色ほたる】っぽいですよね?」と。

この文句、私も言いたかったです。

で、最後にひとこと。

虹色ほたる』は良い映画なので今回初めて知った方は観てください。

https://m.youtube.com/watch?v=hPOnRKvxWqw

2017-01-28

君の名は。=宮﨑アニメ この世界の片隅に高畑アニメ

ポスト宮﨑駿と言われる新海誠君の名は。

高畑勲火垂るの墓と比べられる片渕須直この世界の片隅に

同じ年に公開され、両者ともに大ヒットを記録。

ロングランロングランを重ね、今でも興収ランキングに入ったりしている。

29年前、宮﨑駿のとなりのトトロ高畑勲火垂るの墓は同時上映されていた

これは今でもアニメ界の伝説となっている

せっかくだから君の名は。この世界の片隅にも同時上映してみてくれないかなぁ

東宝のちからで何とかならないかなぁ

2016-12-09

そういう意味ではヘルシング最初は恵まれなかったのに対してブラクラ最初からまれてたんだなあ

別にそれが原因ではないとは思うけど、今となっては、

前者はいまだにまだガンガン書いてるけど、

後者はそこで「自分のやりたいことやってくれた」ってなってしまって燃え尽き症候群みたいになっちゃってるのかなあ

なんて思ったり

ブラクラ双子編は、はえ~って思いながら見てたけど、今のこのムーブメントを見る限り、あんだけすばらしかったのも当然だったんだなと改めて思った

から、あのどぎついOPの中でも最後に出てくる片渕須直って名前は、あのとき初めて俺に焼き付いたんだ

2016-12-02

実は極左には評判が悪い「この世界の片隅に

一般的には悲惨戦争体験の新しい表現として評判のこの映画だがガチ左翼、とくに朝鮮シンパにはすこぶる評判が悪い

そもそもこうの史代の「夕凪の街 桜の国」が日本人被害者ぶって戦争体験だけ美化されてるニダとかなんとかで受けが悪く、

こうのが「この国に生まれながらこの国のことが嫌いな人たちがいるようです」みたいなことを口走ったおかげでド極左に敵視されてたようだ

「この世界の〜」原作では例の太極旗のくだりでこうの自身批判落とし前をつけたようだが、今回の映画版ではそのへんをわりとサラッとやってしまったのがいたく朝鮮シンパの気に食わないらしい  片渕須直監督の「あの場面ではすずさんに唐突国家を背負わせる必要もなかったのでは〜」的な発言も心象が悪いらしい

そもそも呉みたいな軍都に住んでて無垢にひたむきに生活を営み、彼らの産業植民地三国人どもを抑圧してることを見ないようにしてるようなほんわかした生活描写朝鮮シンパ的にはありえないみたいだ

まあそんなこんなで日本人としての加害性を無視した本作も戦後民主主義左翼に言わせれば大政翼賛映画になってしまうようだよ

最近増田でなんか見る気がしない的なネガキャンがさかんに行われてるのもその辺の事情もあるのではないか

単にインターネット接続料以外はビタ一文コンテンツに金を落とせないというクソネット貧民ニートであるだけという可能性も大きいけど

2016-11-21

アニヲタなら片渕須直監督くらい知ってるよね

この世界の片隅に」の監督ジブリの初期スタッフ宮崎駿の一番弟子のような存在庵野監督と同い年。

名探偵ホームズ脚本名犬ラッシー監督であり、BLACK LAGOON監督でもある。

ちょびっツカードキャプターさくらあずきちゃんなどの可愛い女の子アニメ演出も手がけ

マイマイ新子と千年の魔法では海外の賞も複数受賞。

魔女の宅急便」で企画から脚本からモデルとなる舞台の視察をして世界観を作ったのに

スポンサーから宮崎駿じゃないと認めない」と言われて監督から演出補という肩書に下ろされることになったのち

映画完成後ジブリを去った人だということは勿論知っているよね。

パン屋美術設定まで作ったところで降りることになったみたいだね

宮崎駿がキキをメイちゃんみたいなキャラに変更する提案にしたらしいけど、元の案が採用されたんだってね。

なんか鈴木Pが落ち込んだ片渕監督を「あんたは最後まで立ち会うべき」と現場に残らせたらしいね

まぁそういう話を知っているからこそ、魔女の宅急便という映画が他の宮崎作品とは違うなということも実感できるし

宮崎駿好きならきっと当然知っているんだと思う。

うんまぁ多分みんな知ってるよね。

まさか新進気鋭の突如出てきた監督、みたいな認識持ってないよね。

2000年代後半以降のテレビアニメの延長線上に

いまのアニメ映画の流れはあると思う。


君の名は。」も「聲の形」も「この世界の片隅に」もけいおん!あたりからブームが起こった

美少女動物園日常アニメとかのテレビアニメからの流れがある。

あの時期、真摯作品に向き合った人達だけに今があるのだ。


ジブリアニメをもろに模倣して叩かれまくってもめげずに次の作品をきっちりハイレベルで作り上げてきたとらドラ大好き、イカ娘大好き釘宮病患者新海誠

・ややもすればキモオタ巣窟揶揄されてしまいそうな「けいおん!」を馬鹿にすることなく、女子高生日常を細部まできっちり作り上げた山田尚子

ステレオタイプアニメ玄人からすれば馬鹿にされかねないB級傑作漫画ブラックラグーン真摯に取り組み、マイマイしんこで全然ヒットしなくても腐らずに観客を信じた片渕須直


あの時代アニメ馬鹿にしてまともに向き合わなかったヤ○カ○先生反省するように。

2016-11-18

この世界の片隅での自主規制

原作だと幼女すずとすみの上半身裸のシーンが顔アップになってるので、しずかちゃん全裸入浴シーン守護同盟のかたがたは自主規制に屈した片渕須直監督非難しないのかな?

[]こうの史代この世界の片隅に」(再読)

映画化されたので再読

やっぱりあのシーンは再読でもくるものがあったな・・・

知らない人のところへお嫁にいくのが普通戦争で死んでも普通な世界ってのがやっぱ異常に感じた

でもすずさんのいい意味での能天気さが読んでて唯一の救いだった

これですずさんが鬱屈した人だったらとても何度も読めるもんじゃなかっただろう

確かにどっかのブコメであったとおり、途中明らかに左手で背景が描かれてマジカ・・・と思った

映画の話にそれると、PVにあのシーン入れたのはネタバレになるからやめたほうがよかったと思う

原作と同じように日常ものとおもいきやああいショッキングなのもあるってのがまたいいのに、あのPVはそれをスポイルしちゃってる

片渕須直監督も、ラストあたりがああなることしらずに映画化したいって思ったらしいし、同じように映画ではじめてな人にサプライズをあげたらよかったんじゃないかもったいないなーって

閑話休題

おざわ ゆき「あとかたの街」 を読んだ後だと、当時の一般市民の「生活感」という意味ではひもじさがあんまり前面に出てこないのが気になったか

節約レシピみたいなのをやってるとことかはあるけど、現実問題めっちゃひもじかったってのがなかったかちょっとふわふわした童話みたいな感覚がある

またちょっと映画の話にそれるけど上で映画PVのあるシーンは駄目だっつったけど、好きなシーンもある

バイオリンみたいにまな板の上で包丁動かしながら切ったはっぱを鍋におとしてるシーン

音楽あいまってすごくいいシーンをチョイスしたなって思った

原作だとさらっと終わっててまったく印象にも残らないとこなのに動いて歌がつくだけでなんかすごくいい画になってて感動した

からこそPVに上述のネタバレをもってくるのがなおさら残念でならないんだけど

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