はてなキーワード: 気づきとは
いうなれば殆ど大人である。選挙権だってもう手に入るし、子供料金も適用されない。バイトだってできる。もうなんでもできるから、大人だ。
と思っているのが大半だと思うし、私もその大半である1人だ。
“しかし”?接続詞おかしくない?あっそういう技法?文章力ないことの強調??
とか、ここまで読んでそう思った人も居ると思う。いて欲しい。今の高校生には文章力が足りないような気がする。
現代日本ではグローバル化だのグローバリゼーションだの…まぁ国際化が進んでいるわけだ。海外に留学するためにそういう大学行ったり、そうじゃなくても必死に英語の勉強をしたり。時代によって価値観も変わるし、それに沿って個人の考え、やりたいことが変わっていくのは自然なことだと思う。
しかし、そのように英語を頑張っている諸君。国語は得意かい?日本のことは理解しているかい?
私はそうじゃない。でも、自国のことを知らない留学生が来てその国は嬉しいだろうか。英語を学ぶ前に学ぶことがあるんじゃないだろうか………。
実際、英語ではその子に負けるが現代文は私のほうが出来るのだ。
1度その友人の文章を読んだことがある。“それっぽい”文章を書こうとしすぎて支離滅裂…というか意味が二重三重してしまって、よく分からなかった。
その子は頭が良くて、私は頭が悪いが文章力は私のほうがあるんではないか……と思ってしまった。その子もプライドがあるだろうから言わなかったけれど。
いくら数学が出来ても、暗記が得意でも文章力が書けなかったり、日本語力がないのでは将来困るんじゃないか…。
要するに、日本語を磨けと言いたいのだ。
さて、ここまで読んでくれた優しい読者の皆様、
導入と結論が繋がっていないことにお気づきだろうか。もっと言うならずっと繋がりがないような気もしてくるだろう。
最近の流行では、お金を貯めて仕事を辞めて不動産や株などから不労所得(実際に不労といえるかは不明だけど)を得て生活するスタイルがあるらしいのですね。はっきりいってこうならざるをえない状況だと思う。なぜなら自分はこの10年で一切仕事ができないとわかったから。でもそういうことができるのは、そもそも仕事ができたり才能を持っている人に限られる。いったいどうすればいいのやら。
鬱で休職中ではありません。単純に仕事をしていても使えない人間なのです。例えば車知識の無い人がカーディーラーで営業するのとはちょっと違うのです。ポテンシャル的にはできそうなのに最終的に「あ、こいつに任せたら駄目だな」という感じになるんです。自分でもなんでなのかわかりません。車でいえば、本人も周りも運転できると思っていたらペーパーか、もっと酷いと免許もなく教習所すら通っていなかった、みたいな感じです。勘だけで運転している状態なのが自分なのです。もちろん自分は普免もっていますが、仕事においては何をしてもペーパーや無免許並のことしかできません。道交法も交通標記もよく知らずに「たぶんここはこう曲がるはず」と逆行・速度超過上等で走る暴走トラックな自分。現実にそんな車がいたら事故にあってしまうけど、仕事上だと自分がペーパーなことを全然意識してない。自信過剰というより、なんとなく出来ちゃうし出来なくても周りも自分も気づきづらいからそのままにしておく。
自分に仕事を任せても意味が無いと思ってやってます。何をしても不勉強だし簡単な予測ができない。
職場を掃除しようとしても、ちりとりやモップを用意したはいいけど他の人の備品をかたづけて貰うことを忘れていて時間になっても始められない、とこんな感じです。朝一で行われる会議の資料を出勤後に作成している。そんな風です。手取り足取り教えて貰っても必ず「なんでそんなところが」という肝心の部分ができない。
今の仕事は安定性があって他社との競合も殆どないのだけど、仕事では実直さとかが求められるのでなおさらです。人間関係もある程度濃いめですから自分の無能さは誰もが知っている。いま仕事に就いていられるのは、なんだかんだでそこそこの教育を受けられてきて履歴書に埋められる程度の学歴があるからです。でも資格は全然無い。普通免許とフォークくらい。
ここにくる前に地方都市の心療内科に通っていたことがあり、初期にIQテストのような長ったらしい試験をした結果、他の人よりバラツキがあるという判定を受けたと思います。投薬や自立支援プログラムも受けました。しかしそうしたものが成果に繋がったとは思えません。転職を機にそこに通うこともできなくなりましたし、紹介されたところも青い薬だけくれるだけで全然いいとは思わずいつのまにか通わなくなりました。遠かったのと実家の理解が得られなかったのも要因です。ようは何も変られなかったのです。
自分の生い立ちを振り返れば極めて目立った奇行を繰り返していたのは確かです。それをわかって解釈してくれる第三者としてはやはり心療内科くらいしかないのかもしれない。
頭痛とか不眠症とかはないのですが、自分の状態を正しく理解したい。自分がなぜこんなにもおかしな言動を繰り返すのか本当にわからないから。どうしたらいいのかわからない。
最初は誰からも「ちょっと変わってるかも」としか思われていないため、とりかえしが付かなくなってようやく自分の存在がやばいと知られてくると転職、という感じを繰り返してきました。
いまは実家とも離れており、やはり転職先で苦しい思いをしています。だからこそなんとかしないとなーと思ってます。もう転職しようにも後がないので。
最初に心療内科に行ったときはハードルが低かった。なぜなら自分の状態を相談できる人が外部にいたし、忙しかった割に個人の自由時間をたくさんとれたから。地方都市とは言えそこそこ活気があってクリニックに通いやすかった。それに自分のことを知りたいという気持ちが大きかったんですよ。
いまはやや田舎で車がないと大きな所にはいけないし、心理的・物理的なハードルが多い。やろうと思えばできるけれど、知りたいという欲求より同じような無意味な診療にならないかという不安の方が強い。やりたい気持ちを抱えたままズルズル引きずって先延ばししている。
ちゃんと本文読めば書いてあるけど、もともとジェンダーバイアスのことを描く!って発想がスタートじゃなくて、編み物マンガはどうだろう?ってのがスタートなんだよ。結果的にそこからジェンダーバイアスってあるよね、となって、そこを主軸にしてみたら今までにない作品になるんじゃないか…っていう連想があったわけ。キャッチコピーを額面通りに受け取るなよ。あれは刺さるようにガツンとバイアス掛けるもんなんだから。
「その後、連載の構想について考えている時に『編み物漫画を描くんだ』という話を友人にしたら、『主人公は女の子なの? 』と聞かれて、『えっ? 』と思ったんです。友人はなんで女の子だと思っちゃったんだろう、って。
実は私自身も『男性が編み物をやっていると珍しいんじゃないか』『漫画として面白いんじゃないか』という発想があったのですが、その時に、それがジェンダーバイアスだってことに気づきました。このことをちゃんと書かないといけないんじゃないかと思い、1話がそうした話になったんです」
盛夏の候、嫁の誕生日も過ぎましたが、お元気ですか?
まだ原作のゲームを続けてますか?もうすぐ期待のアプデがきそうですよ。
飽きちゃいましたか。
大して親しかった訳でもないですが、ある日突然、活動を止めてしまったので少し心配していました。
あなたの描く嫁漫画が好きです。嫁が生き生きしていて、ちょっとした表情が可愛くて可愛くてたまりません。
確かニ、三文くらいコメしていましたが正直、あの感想では足りないくらいに好きなのです。
全ての嫁作品が好きです。特に最後に投稿した作品は、圧巻でした。
今思うとあれで嫁の全てを描ききってしまった、ということなんでしょうか。
あなたが活動をぱったりと止めた頃、私も嫁の創作をはじめました。
嫁のイラストを描く人はいっぱいいますが、ストーリーを書く人は少なかったからです。
某所では女性向け小説の人気があって、男性向け小説はあまり需要がありません。
でも、あなたは嗜む方だったので、もしかしたら読んでもらえるかも?と淡い期待を抱いてました。
古のにちゃんねるに投稿してコメをもらったこともあって、文章にはある程度、自信があったのです。
ある日のこと、最近はあなたのコメを見ないなと思い、ブクマページを確認しました。ネトストみたいなことして申し訳ありません。
そしたら、ある日を境にブクマもコメもしていないことに気づきました。
そして来たる嫁の誕生日。もしかしたらという可能性にかけて、新規投稿をチェックしました。何もありませんでした。
この日ですら活動を再開していないということは…そういうことなんだろうな…。
もしも、万が一、この書き込みを見ていて、まだ嫁のことが好きなら、某所で嫁小説を探してみてはくれませんか?
R指定で2本上げています。お眼鏡にかなうかどうかは分かりませんが、当時の筆力を振り絞って、嫁への思いを詰めて書き上げました。
今は3作目を書いています。しかし、ちょっと嫁とは関係ない所で嫌なことがあり、創作意欲が下がり気味です。
ついつい感傷的になってこんな気持ち悪いラブレターじみたものを書いています。自分語りすみません。
そんな訳でもしかして、あなたが投稿を止めたのは、そういう嫌なことがあったのかなと思ったりもしています。
何か理由があって(何も理由がなくても)描きたくなくなったなら、しょうがないです。きっぱりと諦めることにします。
ただ、まだ嫁が好きで、某所をのぞく時間があるなら、嫁小説を読んでもらいたいということ。
たとえ投稿者でなくなったとしても、同じ嫁好きとしてのリスペクトの気持ちは変わりません。
漫画以外の所からも本当に嫁が好きなんだなということが伝わってきたからです。
7月の青空を見上げながら、あなたもどこかで同じ空を見ているのかな、などとふと思います。
投稿者をやめても、ゲームをやめていたとしても、あなたが健康で楽しい生活を送られていることを、自分勝手にお祈りしています。
それでは。
追伸
小学生低学年の頃の増田は男勝りで(ほんとに男の子みたいな見た目で)、いっつも男の子とふざけ回ってるタイプだったんだけど、
一緒に遊んでた男の子の内ひとりから「ブタゴリラ」ってあだ名で呼ばれてたんだよね。
その時は別になんとも思ってなかったんだけど、学年が上がるにつれて段々気にするようになってきたんだよ。
でも別にその子だって私のことをめちゃくちゃいじめてやろう!と思って言ってたわけじゃないだろうし、ほとんどその男の子だけに呼ばれてたあだ名だから単なるおふざけだったんだろうけど
中学生になってブタゴリラなんて全く呼ばれなくなってもずっと「あー自分の顔って豚とかゴリラみたいなんだろうなー」と思って過ごしてた。
結局大学生になって一人暮らし始めてからバイトするようになって、バイト代を整形に使うために貯めるようになったんだよ。
最初はメジャーで安くてダウンタイムの短い二重埋没、その次に目頭、とやって
目がマシになったらやっぱり豚鼻が気になってきたわけで。
でも鼻は高いしダウンタイムも長いからなー…と思って渋ってたけど、
整形垢でその頃アデノイド顔貌を知って、自分って鼻なくて口が出てて顎もないからこれじゃん!となってやっぱ最終的には鼻もやったんだ。
口ゴボは大学卒業して就職してから歯列矯正して直すことにして、今もまだリテーナーつけてる。
最終的に顔面には260万くらい(うち矯正代は親も出してくれた)かかった。もういいかな〜とおもってまあまあ満足してる。
でもこの間Twitterで「アデノイド」でパブサしたら(まだ気にしてたから…)、『チー牛顔とか簡単に言うけど、アデノイド顔貌かもしれないし馬鹿にするなよ(意訳)』と出てきて、
増田が「自分はアデノイド顔貌かも」と思ったときはまず「だから直さなきゃ」ってなったから、この考え方にはちょっと衝撃を受けた。
でもよくよく考えたら、顔のこと馬鹿にしちゃいけないってことは当たり前だったはずなのに、
自殺未遂をした。
その日は仮眠をとって頭がスッキリして、そこそこ元気だった。
しかし、信じていた人からSNSを全部切られたことに気づき、「あの人との繋がりがない。未来がもうない。全部疲れた。」みたいな感情になった。
睡眠薬を飲み、眠くなった段階でありったけの薬を飲み、嘔吐する前に寝落ちすることで確実さを狙った。
薬を飲み干した後は、「あとはもう死ぬだけ」と清々しさえあった。
気分よくシャワーを浴びて、そこそこ気に入ってるワンピースへ着替えた。
あとは、猛烈な眠気がくるまで猫たちと遊んだ。申し訳ないけど、本当に心が安らかで幸せさえ感じる時間だった。
布団をいつもより整えて、ベッドに入って眠った。
運悪くも良くも、自殺が思ったより早く見つかってしまい、緊急病棟へ搬送されたらしい。
というのは、その3日間くらいの記憶が驚くほどなかった。
意識不明になり、そこから目覚めて会話も出来ていたらしいが、全く思い出せない。
そして、生きたくもないのに無理やり治療され、望んでいないのに入院させられ、
感謝するべきと頭ではわかってるものの、周囲を恨みながら眠るだけの日々を過ごした。
退院後、自宅にもどって食事をしようとして、箸がうまく使えないことに気がついた。
前にこの増田↓を書いた者なんだけど少し前からU-NEXT加入してZガンダムを見始めた、面白い。
https://anond.hatelabo.jp/20210611214541
Zガンダムが面白くてたまんないのにツイッターでも周りでも見てる人いなくて長々感想ツイートしてんのもなんだかなあなのでここでとりあえず13話まで見た感想をただただ書きたい。
大昔に再放送で飛び飛びで見ただけだったんだけどティターンズがあまりにも汚くひどい連中でびっくりしてしまった。
カミーユの親を人質にする以前にブライトさんを殴るわ蹴るわ、エマ中尉もセクハラされてたんじゃないかと心配でならない。良かったエゥーゴに来てくれて…。
昔見たときはカミーユをただ反抗的なやつだな~って感じに見てたけど
若い女と不倫する父親、仕事忙しさにかまけて夫の不倫を放任してた母親っていう機能不全な家庭に育っているというだけでもうなんかあの不安定な性格になるよねって思うし
そういう不安定さを1話から爪を噛む癖として表現してたんだなぁという気づき…。
カミーユのあの反抗的な態度は「甘え」だけど親がいなくなったことで更に不安定になって文字通り周囲の大人に甘えたくてしょうがなくて
ただのカミーユというだけで肯定してくれる人がほしかったんだろうな、とも思った。
必要なところで叱責しつつも「生きろそなたは美しい」みたいなこと言って抱きしめてあげられる人がいたら何か違ったのかもしれないなと思う。
ウォン・リーさんって口も手も足も金も出す出資者なんだな…。言ってることは割と正論だった。
カミーユが戦果あげて増長しては修正されて少し成長したりしつつもクワトロや周囲の大人と良い関係を築き始めているこの感じ、
SEED DESTINYのシンとアスランを想起するんだけどもしかしてあれ若干Zガンダムをオマージュしてたの?
当時もそういうこと言われてたのかな?
あと個人的にエマ中尉が好きだからなんでカミーユがレコアさんの方が好きなのかよくわかんない。あんま会話してなくない?エマさんの方がカミーユのこと気にかけてくれてたやんか。
あとジェリドがめちゃくちゃカミーユに固執してんのにカミーユほとんどジェリドのこと眼中になくて面白い。
典型的なティターンズって感じの「有害な男らしさ」に満ちてたジェリドがライラ大尉に出会って不要なプライドを捨てて自分の弱さを認めたり、
相手のことを考えるとか、そういったことを学び取ろうとしていくのすごく良かっただけにライラ大尉死んだのが悲しい。
ライラ大尉に対して恋慕というより人として尊敬して信頼関係も築こうとしていたのが良かっただけに…
ジャブローから脱出するときに人を足蹴にして助かろうとするのがまるで「蜘蛛の糸」のようでどこかでしっぺ返しをくらうのではないかと思う。
ジャブローに降下してからアマゾン川で波乗りしてるMk2もおもしろかったし
クワトロの百式目立ちすぎてて面白いし、レコアさんがふしぎ発見のひとしくん人形みたいな探検隊の格好してんのもなんか面白かった。ノリノリじゃんって感じ。
ライラ大尉もエマ中尉も制服は腕出ししててティターンズもエゥーゴも女性にそういう制服着せるの?怪我したらどうすんの?って思ったけどクワトロも同じような格好だからなんかよくわかんなくなった。
まだ半分以上楽しみが残ってると思うとワクワクする~
ツール・ド・フランスに関する増田を書いたところ興味を示された方が少しおられましたので、私が考えるツール・ド・フランスの楽しさを少しずつご紹介できればと思います。うまく伝わるとよいのですが。
なお、私なんかの雑な解説よりもはるかにキチンと書かれた解説文献がネット上にはごろごろあります。内容が少し古いのですが JSPORTS の「ツール・ド・フランスを知るための100の入り口:Vive le Tour!」などがオススメです。
https://www.jsports.co.jp/cycle/tour/tour_100/
100年以上の歴史を持つ、世界最大の自転車ロードレースです。町から町、村から村へと移動しながら3週間かけてフランスを一周するというコンセプトの催しです。tour は英語のツアーではなくフランス語の「一周」。定冠詞をつけて le Tour と言えばフランスではツール・ド・フランスを指します。たぶん。
「だんじり祭りのようなもの」という対比が腑に落ちると支持を集めていましたが、さりとて完全に形式的な行事というわけでもなく、UCI(国際自転車競技連合)では最上位の格式を与えられたれっきとした国際競技です。勝者には多くのポイントが与えられ、テニスやスキーのようにランキングされます。
お祭りムードなのはツールの規模や歴史がそうさせているのであって、観客にとってはお祭りだけれど選手たちにとっては重要な(そして最も栄誉のある)国際試合です。
全世界に配信されるツールの中継は観光立国フランスの観光案内の側面も持ちます。
選手たちの熱戦のあいまあいまに風光明媚なフランス国土の景観、雄大なアルプスやピレネーの大自然、中世のたたずまいをそのまま残す町並み、古い城塞や寺院等の生映像がこれでもかと挿入されます。レースの流れはいまいちわからないという人でも、数機の空撮ヘリを駆使して送られてくるそうした風景を眺めているだけでもまったく飽きさせることがありません。
自転車ロードレースには、一日で終了する単発の「ワンデーレース」と、数日かけて開催される「ステージレース」があります。
ツール・ド・フランスに代表されるステージレースは一日一日のレースが独立したひとつのレースで、その都度優勝者がひとりいます(これをステージ優勝といいます)。が、それとは別に、すべてのステージを通して通算ゴールタイムが最も短かった人が総合優勝となり、基本的にはこの総合優勝がそのレースでもっとも名誉のある成績となります。
ツール・ド・フランスはステージレースの中でも最長のもので、途中で2度の休養日を挟みつつ全21ステージを戦います。
勘のいい方なら、ステージ優勝と総合優勝はそれぞれ個別に狙うことができることにお気づきでしょう。
その通り、総合優勝を狙うほどの実力がない選手でもステージ優勝は狙えるし、逆に、大会の最後まで通算トップタイムを維持できれば、必ずしもステージ優勝を獲らなくても総合優勝することができます。
このように、同じひとつのレースを走っているように見えても「ステージ優勝したい選手」と「総合優勝したい選手」とが入り混じって走っていて、それぞれの思惑、それぞれの戦略、それぞれに警戒すべき競争相手がいるという重層構造がステージレースにはあるのです。
総合優勝、ステージ優勝のほかに、ツール・ド・フランスには「ポイント賞」や「山岳賞」といった名誉も同時進行します。
毎日のコースにはそれぞれチェックポイントが設定されていて、そこを上位で通過すると通過順に応じた点数が与えられます。
ポイント賞はスプリンター(短距離を全力疾走する力にすぐれた人)のための賞で、ステージ中間の平地や、平坦なステージのゴール地点に点数が設定されています。
山岳賞はその名の通りクライマー(山登りが得意な人)向けの賞で、上り坂のしんどさに応じて点数が設定されています。
これらの各賞争いのゆくえもレースの進行に奥行きを与える要素となっています。
ツール・ド・フランスには総勢184名の選手がエントリーしていますが、マラソンなどのように「個人参加が184名」ではなく、「8名チームが23組」です。
23のチームは
「ウチはめっちゃ強い選手がひとりおるけん、こいつを総合優勝させたるんや」
「ウチは総合優勝を狙えるような選手はおらんけど、ステージ優勝をいくつかカッさらうつもりやで」
といったように、それぞれに異なる思惑を持って大会に参加しています。こうした目的意識の違いから、あるステージでは空気のようにおとなしくしていたチームが別のステージでは突然はりきりだす、といったことがあります。
このように、どのチームも「ある選手を勝たせる」ことを目標としてチームを作り、作戦を練っています。8人で参加していても、ステージ優勝も総合優勝もワクはどっちみち1人なので、たった1つのそのワクをチーム員8人に互いに競争させて争わせるよりも、かつぐ1人を決めて残りの7人でその選手をバックアップしたほうが勝率は上がりますよね。
かつぐ選手をエースといい、バックアップする選手たちをアシストと言います。
エース格の選手はふだんはアシストたちから様々なサポートを受けながら自分のポジションを守り、ここぞと言う時にその実力でライバルと勝負をします。
アシスト格の選手は自分の体力やタイムと引き換えに(いわば捨て駒として)エースをサポートしつつ、出番がなければ体力を温存したり、エースの出番がないステージならステージ優勝を狙って名前を売ったり、というスタンスでレースに参加しています。
マラソンなどと違い、自転車ロードレースは集団走行をします。これは空気抵抗と大きな関係があります。
前面投影面積の自乗に比例とかそういう難しい話は省略しますが、とにかく平均時速40km/h以上という自転車のレーシングスピードにおいて、もっとも大きな走行抵抗は「空気抵抗」です。
そしてこの空気抵抗は誰かの真後ろを走ることで劇的に軽減することができます。これをスリップストリームとかドラフティングといいます。
長時間長距離となる自転車ロードレースでは、誰かが風よけとなって先頭を走り、みんなでその後ろをついていく省エネ走行をします。たまに風よけ役となる選手を交代しながら、身を寄せ合うようにして走ります。
集団の人数が多ければ多いほど、すなわち風よけ役となる交代要員の数が多ければ多いほど集団走行のメリットは大きくなるので、敵対関係にあるチーム同士でも「今は一緒に走ってたほうがトクだよね」と利害が一致することになり、敵同士なのでまるで味方同士のように全員で仲良く集団走行をすることになります。
レースの中でもっとも大きな集団をメイン集団とかプロトンと呼びます。
(7/6:今日読み返して間違いに気づきましたが「前面投影面積の自乗に比例」ではなく空気抵抗は「速度の自乗に比例」です)
平坦基調のコースでは、多くの場合「ゴールスプリント」がステージ優勝を決めることになります。瞬発力と最高速度に優れたスプリンターたちがゴール前の数百メートルをお互いに肩をぶつけながら猛ダッシュして着順を争う、とてもエキサイティングな勝負の場面です。
なので、有力なスプリンターを擁するチームの目標は「我がチームのスプリンターをゴール前まで無事に・いい位置で連れて行くこと」になります。
しかしゴールラインは200km先です。スプリンターをゴール前まで無事に連れて行くことが目標のチームばかりだと、レースは終盤近くまで非常にのんびりと穏やかな集団走行になってしまいます。
そこで、抜け駆けを狙う選手が出てきます。長距離を比較的ハイペースで走ることに秀でた選手たちがステージ優勝を狙って一発「逃げ」を打つのです。
たいていの場合逃げ集団は数名から20名ほどの小集団で、「逃げたい」という思惑の一致した色んなチームの選手から構成されます。敵対関係にあるはずの選手同士ですが、「メイン集団から逃げる」という利害関係が一致している間はお互いに協力し合って、メイン集団を突き放そうとします。
一方、メイン集団はスプリンターを勝たせたい人たちの集まりですから、彼らをまんまと逃げおおせさせるわけにはいきません。ただ、上でも書いたとおり集団は大きければ大きいほど有利です。なので、逃げ集団をいつでも捕まえられる位置に泳がせておいてほどよく追いかける、という展開になります。
なぜ逃げを許さずに早々に捕まえてしまわないかと言うと、捕まえてしまって集団がひとつにまとまってしまうと、またそこから逃げを打とうとする選手が出てきて、そのたびに追いかけたりなんだりの悶着があってペースが乱高下し、大事なスプリンターを消耗させてしまうからです。
逃げ集団は多くの場合ゴール寸前でメイン集団にとっ捕まってしまいます。これはレースの力学上しかたのないことなのですが、それでもなお逃げ屋が逃げを打つのはなぜかというと、「絶対にとっ捕まるとは限らないから」です。風向きの変化など様々な要因によってメイン集団が思うように逃げ集団との差を詰められないことがたまにあり、「確率は低いものの狙ってみる価値はある」くらいの勝機があるのです。
今日の放送時間が迫ってしまいました。とりあえずここまでで一旦投稿します。後ほど続きを書き足していきます。
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山岳ステージは峠道の上り坂をコースのメインに組み込んだステージです。1つのステージでの標高差(垂直方向への移動)が2000mから3000m以上にもなります。ツール・ド・フランスではアルプスとピレネーのふたつの山岳地帯が必ず日程に組み込まれていて、大会のハイライトとなります。
当然ながら山岳賞争いが展開しますが、同時に総合優勝候補同士のぶつかり合いになるのが山岳ステージの見どころです。
まず山岳賞を狙うクライマーたちが集団を抜け出してヒルクライム競争をします。一方、メイン集団では総合優勝を狙う選手同士がガチンコの直接対決をし始めます。先頭と後方でふたつの戦いが同時進行するような感じです。
ヒルクライムは走行速度が低くて空気抵抗があまり問題とならないため、アシストを動員した集団走行のメリットが少なく、チーム力よりも個人の登攀力が勝負の鍵になります。山登りの得意な、あるいは調子のいい総合優勝候補にとって、そうでないライバルをふるい落とすチャンスなのです。
大集団の中で体力を温存する(ある意味サボる)ことができない山岳ステージでは選手ひとりひとりのコンディションの良し悪しが表面化するというのもひとつの見どころかと思います。
書いたのはおとといなんだけど今ごろになってブクマがつき始めたぞ?
しばらくブクマもトラバもまったくなかったので投げ出しちゃったんですよね。寄せられたコメントを見る限り、現時点でも読んでくださっているのはすでにサイクルロードレースをよくご覧になっている方々ばかりのようなので、紹介記事という体裁ではありますがのんびりと書き足していきます。
しくみの項で述べたとおり、ステージレースの最終目標は総合優勝です。各ステージのゴールタイムの合計がいちばん短かった人。
総合タイムは毎ステージ加算されていきますので、第1ステージから先は常に「今のところ持ちタイムがいちばん短い暫定首位」が一人いて、この選手は真っ黄色のジャージを着て走ることになっています。いつでもどこでも、あの選手が暫定トップなのね、ということが一目瞭然です。この黄色いジャージをマイヨ・ジョーヌといい、ツール・ド・フランスはこの黄色いジャージの争奪戦と解釈することもできますね。
緒戦第1ステージをいいタイムでステージ優勝すればまずはリーダージャージを着られるので、序盤のうちは総合優勝など全然狙っていない選手が着用するなどリーダージャージのゆくえは流動的です。
ですが、レースも中盤に差しかかってくると各チームの本命選手たちが総合タイムの上位を占めるようになり、ジャージ争奪戦の様相が濃くなっていきます。
2位以下の選手はトップ選手から突き放されないように、トップの選手はライバルに出し抜かれないように、互いが互いをマークしながらレースを進めることになります。
リーダージャージを着てしまえば、あとはずっと2位の選手にぴったりくっついて走ることできればタイム差は縮まらないのでそのまま総合優勝できてしまいそうな気がしますが、これは半分正しくて半分正しくありません。
リーダージャージ防衛の基本戦略はたしかにそれなのですが、必ずしもそう簡単に事は運びません。アシストに守られながら集団のままゴールできるステージばかりではありません。大会中1~2回設定されるタイムトライアルのステージは一人ずつ走るので駆け引きの余地がありませんし、山岳ステージではアシストを使い果たした本命同士の一騎打ちや複数チームが包囲網を敷いてリーダーに波状攻撃をかけたりと、リーダージャージを奪い取るチャンスは時おり訪れます。
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中継が始まったので今日はここまで
大学の時から6年も付き合っていた男がモラハラだったのだが、気づかずズルズル長年付き合ってしまった。
フェミニズムに出会ってからモラハラに気づき、別れた。そいつはフェミニストをものすごく馬鹿にしていた。
フェミニズムの本を読むと、世の女性の結婚後の悩みは基本的に男女不平等から来ているのではと思った。そんな時出会った男は若干フェミニンで手先が器用で、家事能力が高くちょっとした家の不便をパパッと解決してくれる男だった。ただし年収は女の私より低く、デートなどにおいてもリードはしてくれない。
しかし家計診断してみると、自分の今の稼ぎでも共働きならいけると思った。自分から結婚を申し込んでOKしてもらい、今は子どもも生まれ、年収ではなく労働時間を基準に公平に(結果ほぼ同程度)家事育児を分担し、育休も平等に負担し家族3人で楽しく暮らしている。夫は年収は低いがケチなのでそこそこ貯金もできている。
先日オシャレカフェで「夫は休日何の相談もなく遊びに行くのに、私が遊びに行こうとすると『子どもは誰が見るの?』といい顔しない」と女性2人組が話していた。うちの夫はそんなこと絶対言わない。
フェミニズムかじっていれば、出産後にそういう事態がありふれていることを事前に知れただろうし、そんなやべー夫を避けることができたのではないかと思う。
みんながフェミニズムかじれば、稼ぎがいいだけのクソ男に女が群がることもなくなり、弱者男性にもお鉢が回ってくるし、みんな幸せになれると思うよ!
ハサウェイは完全に恋愛工学をマスターしたニュータイプと言えるだろう。
YouTubeで見れるのでぜひみてほしい。
https://www.youtube.com/watch?v=iMAj6ggHEyU
ケネス大佐を始め、多くのメンズがギギ・アンダルシアを口説くが、美女ギギ・アンダルシアには見向きもされない。
恋愛工学がどのような女性にも通用する、というのは完全な誤解で、上位20%程度のSクラスの女性にしか通用しない。
早速ハサウェイは、テロ集団をバッサバッサとなぎ倒し、機内で圧倒的なプレゼンスを発揮することで、ギギ・アンダルシアへのアピールを成功させるのだった。
ハサウェイが空港のロビーに入ると上品な女性に握手を求められ、
「皆さんにご紹介させてくださいな」などと言われ、両手に花状態で引っ張っていかれる。
そう、この時点でハサウェイの「モテスパイラル」は始まっている。
もちろん女性は モテている男性=魅力のある男性と認識するので、
他の女性からも連鎖的にどんどんモテ出し、加速度的に魅力が高まっていく。
「さっきは、なんで笑ったんだい?」
素晴らしいオープナーである。
「表参道ヒルズってどっちですか?」という道聞きオープナーや「この辺でこれくらいのペンギン見ませんでした?」と聞くペンギンオープナーなどがある。
と言われてしまうことだろう。
「さっきは、なんで笑ったんだい?」
「笑った?そう?私が?」
「なんでマフティーを騙った連中だと見抜けたんだ?」
この返しには、正直、唸らされた。
美女に対して「かわいいね」「きれいだね」と伝えても、美女はそれに慣れているし、それではきっと、
と言われてしまうことだろう。
しかし、女性は褒められなれていない意外な点を褒めてあげると喜ぶことが多い。
これは質問形式でありながら、相手の素性を見抜く能力があると伝えているわけであり、相当高度な褒めテクニックである。
そしてこの後、ハサウェイは高度な会話テクを駆使し、ハサウェイ=マフティという秘密をギギ・アンダルシアと共有することに成功する。
ここで、少しギギ・アンダルシア側に主導権を握られそうになる。
だが、ハサウェイはこれを許さない。
「だけど、言葉で人を殺すことができるということは覚えておいてほしい」
これは、ハサウェイが「調子に乗るな小娘、俺が格上だ」というメタメッセージを伝えた、ということである。
女性は格下の男性には惹かれない。美女はさらにその傾向が強い。
ハサウェイの術中にはまり、ギギ・アンダルシアは狼狽、無事にどちらが上かを印象付けることに成功した。
そしてリムジンの中。
窓の外を見つめるハサウェイにギギ・アンダルシアが「何が気になるの?」と問いかけると、
と耳元で囁く。
これは、仕草と声色ばかりが注目されがちだが、言葉選びにも注目いただきたい。
「お前を危険にしたくない」という意味合いで女性の庇護欲をかきたてるし、「おあづけ」プレイも兼ねている。
何者なんだ…ハサウェイ・ノア…
そして、ギギ・アンダルシアからの同室オファーをきっぱり断るハサウェイ。
「俺はそんなに簡単に女と寝る男じゃない」と伝えることで、「俺は女に困っていないほどステータスの高い男だ」というアピールができる。
ますます女性は「このステータスの高い男性に抱いてほしい」と思うことだろう。
男性は性欲を喚起させられると、おおよそ70%程度は知能が低下する(要出典)と言われているが、視線に気づいた彼女に対し、ほぼノータイムで
「君が元気になってうれしいのさ」
と返せるハサウェイの知能指数はIQ300くらいと推察される。
「君がいるということで、気を遣うということはしたくない」
とシャワーを浴びに行くハサウェイ。
これは再度の格上アピール。
「同じよ」
「この事態はどう考えたらいいんだ…」
「失礼ね」に対し、
「よく、そう言える…(中略)…どこ構わず裸でいる女は嫌いだな」
これは決まった…と思いきや、残念、GOALならず。
理想では、「散歩に出るが!?」⇒「一人にしないで」⇒GOALLLL!!!!だったものを…
と反省するハサウェイ。
さすが、女性を類型化しパターンで攻略しようとするのが恋愛工学の基本的なパラダイムと言える。
その後、ケネス大佐になびいているような素振りでハサウェイの気を引こうとするギギ・アンダルシア。
これはまあ、仕事も忙しいのでスルー。同室の優位性は揺らがないのである。
そう、昼の顔はハサウェイ、夜の顔こそがマフティ。
ギギ・アンダルシアの寝室に向かう。
いつ非常停止するかわからないエレベーターに乗り込むかの判断を迫られるハサウェイとギギ・アンダルシア。
ここが最も決定的なシーンだった。
「乗るか?」と目で訊くハサウェイ。
必ず相手の同意を得て進めなければならない、という啓蒙要素も表現されている。
なお、「大丈夫」の母性的な安心感、「乗ろ」の清純的な少女感。上田麗奈様の表現も素晴らしかった。
「どうして私に訊いたの?」
「君のカンにかけたのさ」
「それなら、さっきのごちゃごちゃした話もすっきりさせてよ」
いいですね。こういうトークで始められるようにしたい。
賢明な読者はすでにお気づきだろうが、このあとハサウェイは「やっぱりコワいことする」(=行為に及ぶ)わけである。
ギギ・アンダルシアから見たとき、行為は「戦場で逃げ惑う」ようなものに見えているのであり、
行為に積極的な女性であれば、例えばクェスのように、パイロットとして戦っていたはずだ。
そう考えれば、ギギ・アンダルシアは過去にそうした虐待を受けていた可能性がある。
余談だが、ガンダムにおける男性パイロットと女性パイロットの戦闘は行為の比喩であることが多い。
直近の好事例としては、ガンダムUCのマリーダとバナージの戦闘シーンがそれだ。
途中まで無我夢中で攻め立てていたバナージが、マリーダの壮絶な過去を聞いて萎えてしまったが、
マリーダはそんなバナージに優しさを感じる、というシーンは素晴らしいと思った。
これは、ベッドで2人のときにスマホが鳴り、彼女からLINEが来たような状態を意味しているだろう。
そうであれば、ギギ・アンダルシアの「置いていくの?」に対しては、
「まさか」
としかなりえない。
逃げ惑う2人。
男性は女性ほど行為の最中に快感を感じられないというが、もしかすると、男性にとっては、戦闘行為での興奮が女性のそれに相当するのかもしれない。
そして、閃光。
ハサウェイはクェスが去るときのイメージがフラッシュバックし、真っ黒に塗りつぶされる。
そう、これこそが恋愛工学系ニュータイプ・ハサウェイの正体である。
過去の女性に傷つけられたことを引きずり、いつまでたっても非モテ/インセルの呪いは消えない。
それはどんなに良い女、例えばギギ・アンダルシアのような女性を抱いたとしても
消えることのない、本質的な自信のなさ、センシティブな心そのものなのである。
それにしても、アジア圏で製作された男ふたり女ひとりの実写映画ってなんだろう?
https://febri.jp/topics/gundam_hathaway_4/
遅い。
これにすごく悩んでいる。
一度聞いただけでは何を言っているのかわからなかったり、資料を読み解けなかったりする。(ただ目が文字の上を滑る感じ)
仕事においてはこれが本当に最悪で、その場で理解したくても、頭が回らずにあとで改めて追いかけることになる。
ロジック、というものが苦手で、筋道立てて喋れる人はどれほど頭の中が整理されているのだろうと思ってしまう。
本を読むのも時間がかかる。
自分の書いたメモは捨てられない。この先活用することがないと思っても、一度自分のフィルターを通したものは、いつか自分の理解の助けや、気づきになるという経験もあり捨てられない。
スクリーンショットは星の数ほどある。
何かを作る過程の、形跡が捨てられない。資料の草稿や、イラレで作ったアートボードの外の何か。
一言一句取りこぼさず何かをインプットしようとしているのがしんどい。
最近よくあるのは、常に脳内で喋っている。口語で。この現象は何?
知識欲や好奇心は強い方で、寝食を忘れるほどの集中力と忍耐力はあるように思うが、
インプットしようとしているものの見極め、またその量と脳の処理速度が見合っておらず、結果として寝食してないだけのような気もする。
メモしておかないと不安なのもあるが、自分の頭を信用していないのだと思う。
その場で理解できないのを分かっているから、のちの自分のためにといいつつ、その瞬間で理解すること、記憶しようとすることを放棄しているのか?と考えたりもするが、頭が混乱するばかり。
変なギャグとか、場を和ますための一手、みたいなのは自分でもよく思いつくなと思うくらい瞬発力とかあるのに。
この人今この話してるけど、そういえばそれで思い出したけどこのネタがーみたいなのは尽きない。
でも、文章や人の話(堅い系)は脳が空回りする。
同じミスを何回もするタイプではなく慎重にこなすタイプ。変な瞬発力があるくせに、処理速度がやばい。
学生の時も、人一倍時間をかけて努力をしないとついていけない感じだった。
はるか昔、こんなに脳の処理速度が遅いのに国立の大学に受かった。(全然すごいとは思っていない。かけれる時間があったということ。)
どうせ死ぬのに、やめられない。
みつからない。
親がやってた零細企業を受け継ぎ、腐りかけのビジネスモデルで食いつなぐ。
会社の資産も少しあるので、博打半分で借金して会社を潰さなければなんとか生きれるだろう。
自分の人生が成功しているとはまったく思わないが、では一般的な「成功した人生」を目指すのかというとそんな気も起きない。
じゃあ南の島に移住して毎日魚を釣り星を眺める生活をしたいか?
どれもピンとこない。
別にやりたいことがないわけではない。
毎日仕事は忙しい。素直につらいが、やりがいがあるとも言える。
プライベートでもやりたいことはたくさんある。世間的には地味だが、ゲームして楽器して料理して自転車こいで、楽しい。
でもこれと同じことをあと20年30年続けて生きていくのだろうか。
原作改変したことでアニメ版を見た身からも途中が飛んだことがはっきりわかる印象に。
ハードSFらしいかったるい説明と、学者だけで全て済ませてしまう展開はどっかの小説で見た印象。小説家が脚本を描くとSFを使ったサスペンスに終止してエンタメを考えない悪例として刻まれたと思う。基本有川と銘だけが事件を解決してゆく形式で、ほかがおまけ、という雑な配分もハードSF小説くさくて正直ある意味では小説の作法を無視しまくってる。都合の良い狂言回しの人間を使い捨てて無駄に字数を増やすのがハードSFの作法に見えて仕方がない。加藤侍とかいらんでしょ、狂言回しにすらなってないし。SFの解説をサスペンスに仕立て上げる、という手法は古典SFで見られる手法だけども、映像分野に合わないんですよ。ずーっと地味なやり取りが続くだけだから。
ゴジラじゃなくても成立しただろ、という印象を受けた人が少なからずいたはず。
個人的には好きです。オールマイトからエンデヴァーに移り変わったあとの一戦も熱く、オールマイト不在の隙間を埋めてくれましたし、潜入捜査しているホークスや隠された能力に目覚める未だ成長途中のデクくんなど普通に面白さが継続できてるのが良い。今期はきのこがかわいかった。
前回よりも惰性で作っちゃった感じ。過去に思いを残した人々が精算し、狭っ苦しくて制限だらけの今に戻るという普遍的なテーマ。
SFカテゴリで見ちゃだめです。少なくともはてなでは。ただし物語としてはリゼロの作者だけあって過去改変や世界の変容をテーマ化していて、タイムリープものとしては(同一人物と遭遇するシーンの記憶がないのでリープかな)まあまあだったんじゃないかと思う。この作者の肝は熱血と涙にあるので、そこを受け取りたかった人は刺さったと思う。筆者はおっさんだし壮大なヒロイズムに自己同一視できるほど夢は抱いていないので、若い人が感動してくれたら宜しいかと。こういうナウシカみたいな壮大な世界を一人で背負う、ってことに聖女性を見いだせません。だって増田だってクズばっかなのに人を救いたいと思いますかって話。
ちなみに物語的になんで人を救いたくならないかって、Vivyとその周辺にいるのがAIばっかだからです。AIに対する人権とか、Vivyが苦しかった際に救ってくれた人間とか、そういう感情移入させるシチュエーションがない。だからVivyやマツモト博士が勝手に一人で戦って死んだ話にしか見えない。物語を作る際に思い入れる「環境」を作れてない。Vivyが救うトァクのメンバーの実情もスピンオフにしなきゃならないほど語られない。そんな意味では24話構成にしてもいいくらいなんだけど、削りながらでももっと感情移入できるキャラを増やせたとは思う。トァクなんて敵対してただけなのに救いたくないですよね、あんなもん。感情移入と逆のことやってんですよ。
仕組みに振り切るのか、人間ドラマに振り切るのか作者も配分に頭を悩ませたんじゃないかな。
ぐちゃぐちゃ言ってますが悪感情はないんですよね。ただ佳作感しかないというか。
途中まで見て予約がかぶって潰れちゃったのでそのまま放置。このすばよりパワーダウンしてるので見逃してもいいかな感しかなかった。なんかぼんやり見てても頭に入ってくるタイプじゃなく、他のことしながら見てると頭に入らなかったのでそれもまずかったなと。要するにこのすばを期待した層をある意味で裏切った感じがするというか。ほんとよそ見しながらなので的はずれなこと言ってる可能性あり。
ダークホースじゃないか。とぼけたドラゴンと飄々とした魔王、アホの姫が物件を買い求めながらじんわりと旅する。騒がしすぎないのもいい。力を抜いて見られるコメディで、深夜アニメの本道だと思う。
単なる男子よしよしアニメかと思いきや、実は子育てアニメだった件。誰もが途中で「あーもういいからやっちゃえば?」と思っただろう。でも実のところ、このアニメは男のナイト気取り欲求を満たす効果を持っていて、安易なヒロイズムに酔いやすいやつがハマるアニメの一つだと思います。普通はあんな女子高生みたらヤバそうだから関わらないほうが良さそうだ、という思考が最適解として頭をよぎります。
ちなみに、ヒロインがエアーズロックもまっぷたつに割れるレベルのブスだったらどうするんでしょうか。これはもう無理でしょう。成立しません。何が成立しないかって、物語的にブスでも通用するかってこととルッキズムは別問題だからです。
国の上層部が作り出した金剛鉄兵と、別に組織された零機関。そして物語中に挿話される舞台、サロメなど。これらの話はキャラクターの背後にある一人の女の話に絡んでいて、デフロット君と前田義信の奇妙な縁など明らかになる。
丁寧な作りなんだけどいかんせん小粒な感じがある。サロメや他の挿話を十全に知らないと理解できない気もする。原作知ってる人なら言いたいことが山ほどあるんじゃないだろうか。
天スラはキャラが楽しいので日常系に耐えうるのもわかるものの、延々とやられると中だるみするんだなという話。
マインが司書やるあれの空気感をなんとなく感じつつ視聴。かなり王道少女漫画的で、イケメンのあれと仲良くなってゆく過程でうつむきながら逃げ回るなど、まあそりゃ受けやすいと思います。ただしひねくれた女子以外。イケメンに気に入られない自分と比べてしまって辛いらしいね。なんでそんなところに自分が登場するのか謎ですが。おっさん的にはありだと思います。
地味だけど今期で一番人情に振り切った作品じゃないかと。時代劇を意識した作り、子連れ狼などのモチーフ、復讐と許しの葛藤という普遍的テーマ、古典的ながら骨太だとは思います。ただ、名作かって言うとそうじゃなくて、今となってはなくなった形式を今やってみたという作品かと。
中身がニコニコ、旧2ch的。ヤンデレとクズ、陰謀家など嫌な感じのキャラをやり尽くしてんだけど、嫌な性格って実はテンプレ化しやすいな、という印象。話自体はおバカ系なんだけど、それ以外に感想は出てこない。エンディングの「だいだいだい好き」の部位はおそらく「Die」だと思います。
なんか良さげだと持って見始めたら、作者が炎上して延焼すらせず燃え尽きて終了した悲惨なアニメ。二次絵もどういうわけか自分の周辺では見ません。渋のランキングにもあまり見なかったような。中身も深みがありそうでなにもない作風で、原作の文体も正直うまいとは到底言えない文章力なので、「増田カブ」というふざけた二次創作がはかどりました。これは単なる雰囲気アニメでしょう。礼子と小熊がでかいカブを引っこ抜いて、や~ん大きい、などという下らない同人誌が出ることを期待しています。あと、恵庭が嫉妬のあまりコーヒーのプールを作って小熊の殺害を企てるエピソードも見てみたいですね。
うーん。安定しちゃったかな。はっちゃけてほしかったですね。メディアミックスとかスケベ心が出たんでしょうか。
普通です。面白いともつまらないとも言えない。リーゼントの回くらい毎回ふざけてほしかった。
見た。普通。例のヒールみたいにエロに振り切っちゃったほうがいいのでは。
メタネタやパロディが減りすぎててあんまり。もともと大人用じゃないのだな、という厳しい現実がのしかかる。
ロジックが画作りと構成に追いついてない。キャラ原案がありむー岸田メルなんだけどまるで原作絵を再現するつもりがない。やりたいことは明らかにまどマギ系やゆゆゆの類似品。駄作だったアサルトリリィ以下。こうなると何がやりたいのかわからない。低予算が透けて見えるのが悲しい。
この系は絵面さえ良ければだいたい面白いと相場が決まってんだけど、これは本当につまらない。前回の魔女の旅々を思い浮かべたり、その他日常系を思い浮かべるとその退屈さに驚く。退屈なのに驚くってどういうことなんですかね。
もう一つのVivy枠。作者に失礼なんだけど、多分原作の方はもっと悲壮感溢れる感じなんだろう。
日本人の大好きな悲観的なメロドラマで、みんなと心が通じてるのに世界のシステムが許さなくって、という内容。ちなみにこれを男女の恋愛に置き換えると不倫ものになりますし、断絶をボーイ・ミーツ・ガールに置き換える事もできます。ロミオとジュリエットがその原型です。そして断絶と死はとても相性がよく、実際レーナさんたちと86スピアヘッド部隊は出会えません。あとはそれにハマるかどうかという話です。
一話だけ。これは糞だなと思ったので取りやめに。SFとしても中途半端、少年漫画としても王道を履行しすぎてなにもない。
画作りがすごい作品。まあ、あの人監督なら当然でしょう。内容はびっちり西尾節なのでそれ以外に感想はない。やってることが怪異か普通の探偵かの違い。
新宿スワンの作者なのでヤンキーバリバリになるのはやむを得ないでしょう。ただ、キヨマサくんの本物感は声優ともどもよくできてんなと思います。他のヤンキーがいなさそうなのに、あれだけ田舎にいた感じというか。たちの悪そうなボス感もよく表現できてますね。マイキーくんは完全に創作です。あんなヤンキーもいるにはいますが可愛がられる立場で、トップはったりしません。せいぜいトップの腰巾着です。そして連絡係程度のチビは背後の権力を傘に来て偉そうな態度を取ります。なんでそんな事知ってるかって、もともと田舎者だからです。
タイムリープものというより、キャラものとして見るのが正しいかと。なぜなら彼女だけでなく、ドラケンとマイキーの二名に死んでほしくないタケミチ、というラインがしっかり描けているから。
原作よりわかりやすく、かつ原作を踏襲してるのでおすすめ感はあります。ただ原作は大作感のある無味乾燥とした物語なので、見続けることによって激しく感情を揺さぶられるとか、涙が流れすぎてトイレの便器から離れられないといった現象に見舞われることはありません。それはまあ、二期三期と続けてみればこの意味がはっきりわかると思います。作者が感動させに走ってないので。フシというサーガではなくフシという歴史を通した群像劇という立場なんでしょうね。
もうこういうのはいいかなと思ってさっさと切った話。一話目も覚えてない。むしろ見たつもりで見てないかもしれない。
まあこういうもんでしょう。だって他になんか言うことありますか?
単なる雰囲気アニメと言われた一期ですが、二期も割とそうです、ただし、音楽、美術センス、造形どれをとっても渋くて、昭和テイストを残しながら現代的という良い意味での線引を果たしている佳作だと思います。エンディングテーマのマリアッチを思わせる歌声は郷愁を誘います。OPのベンチャーズ的なギターサウンドも良い。肝心のボクシングシーンがしょっぱいと言われた前作ですが、少し改善してます。むしろボクシングを通したジョーの人生を描く作品なので、ボクシングシーンこそおまけかも知れません。
追記:NOMADはノマド以外に「俺はマトモさ」という意味が込められていると思います。
実は零と同じ轍を踏んでいる作品。要するにストーリーの骨組みはちゃんと考えてあるのに、舞台が同じ場所の繰り返しだったり、キャラが多い割に話に広がりがなくラスト二話程度で一挙に情報量が増えるという、昔のアニメにあった悪いパターンが戻ってきている印象です。舞台と勢力、そして敵と味方両方を映し出すだけでちょっとは面白くなったことでしょう。
視聴者をお舐めになってるのでしょうか。
久々に俺節風の人間ドラマが見られる傑作かなと思いきや、いきなりトーナメント化してしまい、某カルタ漫画か! と手に持ったバチを画面に投げつけた思い出。いえ、実際には投げつけてません。三味線持ってませんし。ハイセンスなお母様の全く方言が抜けきってないのはやりすぎじゃないだろうか。自分の音を鳴らせ、じっちゃんのコピーになるなで終わったので二期あるんですかね。
これですね、個人的に好きなんですけど増田でボッコボコだったのでまあいいかなと思って書きませんでした。個人的には見れば面白い類で、キャラに馴染みが必要なので1期からおすすめしたい感じ。トリックスター役の凜雪鴉(リンセツア・鬼鳥)の奇っ怪さが今作の面白さの一つだと思ってる。どうも虚淵玄って名前出すのがいかんらしいですね。
地方でAT-Xに入ってないんです。おわかりください。ちなみに超絶低速回線です。お察しください。
うーん。この手のいわゆる勘違い成り上がり系って80年代からあって、ある意味では普遍的なものなんだよね。でもこの入間くんはその古典芸を古典芸としてでしかやれてなくて、一期の一話目から俺は真顔で見ました。終始真顔でした。それでも頑張って一期の4話まで見たんだけど、どうしても真顔でした。これは二期も真顔に違いないと思ったので見ませんでした。
幼少期編……三浦先生も死んじゃったのにこっちも酷い扱いにしてはだめでしょう……。
中島かずきの脚本で、ガイナックスを忘れられなかった中村が再びガイナックスをやりたがった作品。この人のテーマ性はBNA以外、底辺の場所から天を目指す、という部分に集約されていて、そのモチベーションが「人の持つ無限の希望」にある、と本人の中で解釈されてんですね。しかしこれって彼の最も得意とするところなので、ある意味最も保守的な作品になっちゃった感じがします。細胞の一部っていう仕掛けもありきたりでもありますし。
用語が超わかりにくい。あとコンテの構成(シーン)がバンバン過去と現在を交差しまくるので今何が起こっているのか飲み込みにくい。カメラワークと効果音と演出などは映画風で大変高度だとは思うんだけど、とにかくわかりにくさで損をしている。メモ取らなかったのを後悔しました。絵は美しいし、中国がアニメの本拠地になりかねない別の意味での恐怖を感じさせる作品かと思います。
これ面白いんだけどアニメは知名度ゼロ過ぎて悲しい。基本的に作りは古いです。何しろポストアポなんちゃらで少女漫画のSF黎明期の匂いを強く残している。サバイバルといえばさいとうたかおのサバイバルや自殺島などでも既出なので新規性もありません。ただ、女性作者ならではの繊細な人間関係の描写や、ほんの些細な出来事から気づきを得て成長してゆく姿は、無人島生活ものと相性がよく飽きにくい構造かと思います。作者の目線に人間の身勝手さを越え、人間の暖かさを信じる気持ちが伝わってくる点も良いかと思ってます。
これ語っていいんだろうか。なぜなら1期見てないから。この期に限って言えば運営側の陰謀と陰謀に立ち向かいながらも自らのアスリートとしての矜持を貫こうとする女性たち、という組み立てで、よくよく考えると一番フェミ枠なんじゃあるまいかと。やんなくてもいいのに時代に機微な気がします。なぜならおそらく一期はそういう作品じゃなかったであろう予測がつくから。
ともかくね、尻がエロい。それだけですよ。尻のために全話見るのが正解です。
19日正午すぎ、大阪・寝屋川市の新型コロナワクチンの集団接種会場で、ワクチンの保管に使う冷凍庫のコンセントが抜けていることに、現場責任者を務める委託事業者が気づきました。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/osaka/20210621/2000047383.html
https://twitter.com/hashtag/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%82%92%E6%8A%9C%E3%81%93%E3%81%86
お前らがワクチンを怖いと思う、打ちたくないって気持ちは自分で勝手に言ってる分には、お前らの勝手だ。
だが、冷蔵庫の電源を切ったりして、廃棄処分にするというなら話は別だ。
1000回分が破棄されれば、単純に1000人の命が(コロナに感染し失われる)危機にさらされたことになる。
ワクチンを待ってる1000人に更に感染リスクを下げる機会を待たせることになる。
貴様らの行為は身勝手で、貴様らは社会のどこかで活かす価値のないゴミでしかない。
ワクチンを待ってる俺たちを巻き込むんじゃねぇよ。お前らの命には、もう1円の価値も感じねえよ。
勝手に一人で死んで行け。
今日、夕方、すげー元気なくて、まあいつもないんだが、しかし元気なさすぎるのもよくねえなと思い、気合を振り絞って、せめて明るいうちに買い物に行くことにした
チャリに乗ってスーパーに向かう途中、川の横を通るんだが、その川沿いがジョギングロードになってて、なんとなく今日はそこを少し歩きたい気分になった
チャリ止めて、あてもなくジョギングロードに入って、少しでも開放的なほうに行きたいと思って、海側の方角に歩いてたら、河原に降りる階段があった
河原っつっても、メチャメチャ草が生い茂ってるもんだから、サンダル短パンで出かけた俺にとっては、実質立ち入れないような場所だ
なので、黒ずんだコンクリートの階段の途中に腰かけて、たまにはちょっと自然に触れてみようと思ったわけだ
ウグイスの鳴き声、生活排水が横の水路を伝って川に注ぎ込む音、そういうのを聞きながら、ただ草を眺めるということになった
しかし、草なんて見ててもつまんねーので、なんとなく横を見てみると、カニがいたんすよ
そんで、俺は弱っているんだ
別に何があるってわけでもない ただ純粋に、労働するのが嫌になってきたという話だ
休んでも休んだ気がしないし、気がついたら週末が終わっていて、何にも手がつけられてない そういう状況が心から嫌になってきて、もう、その辺に倒れて、そのまんま動かなくなってしまいたい そういう気分なわけだ
カニですよ
俺は弱っている 心は泣いていると言っていい
誰の歌か知らねえし、さらにいうと上の句も知らねえが、「われ泣き濡れてカニとたわむる」ってやつじゃないですか
もう、そういう、日々の小さな気づきみたいなのを楽しみってことにやっていくしかないってわけ
カニってそんなにその辺にゴロゴロいる感じではないと勝手に思ってるので、見かけるとレア感があって嬉しい
俺はひとつ、カニ観測スポットを手に入れたわけで、と同時に、いよいよ泣きたくなったら、本当に泣き濡れてカニとたわむることが可能にもなった
そうですよね
増田は一期一会が基本だが、「記事への反応」は特定の相手とのつながり、いわばパイプライン、ホットライン(?)を保ちうる唯一な手段だ。
やり取りが白熱しているうちは自分の日記欄の上の方に自分が相手にした書き込みが表示されるから「記事への反応」の変化に気づきやすい。
しかし永遠に続く熱量というものはなくだんだん双方とも書き込みの頻度が落ち込んでいく。すると相手に最後にした書き込みは他の書き込みに埋もれて2ページ以降に追いやられていくことになる。
こうなった時点でだいたいの場合その「記事への反応」は二度と確認されなくなる。
といっても細く長く続けるタイプの粘着もいてそういうのはしばらく相手から反応がなくなっても適当に他の増田に茶々を入れながら頭の片隅にその相手のことを覚えておくものだ。
2ページどころか3ページ目とかになっても完全にはつながりは途切れない。最初数分間隔でトラバし合ってたのが一日ごとになっていく場合もありえる。
こういう関係は最高何日(いや何ヶ月?)持つものだろうか。お前らの経験でいいから教えて欲しい。
個人的には同じ相手への一連のツリー内のトラバには回数制限を設けてほしい。たまにものすごい粘着がいてきりがない。レスバトラーだらけの知恵袋すら同じ質問者に対して最高百回あるいは七日間までしか返信できないようになってるのに…。