はてなキーワード: トップダウンとは
例え、私がアラサーになっても個人主義で中学生から適職診断テストで常に「芸術家」を1位にたたき出していたとしても、ある程度は必要です。
1.職場の飲み会は4回に1回、歓送迎会・忘年会は必ず出席するが一次会のみ
2.社員旅行には出席しない
4.違う考えの人に対しては「そういうもんか」というスタンス
※それに従うとは言ってない
5.挨拶位の会話はする
私の中の協調性は「何か目標があり、それを達成するために自分の良いところと他人の良いところをコラボレーションする事」だと思ってます。
それが、同調圧力とか上下関係(体育会系)だとかトップダウンとか、そういう事になってる印象。
最低限協力関係にあれば、別にそんな慣れ合いとかしなくても良いと思うんです。
仕事場で協調を強要され、実行したところで終身雇用は崩壊してます。
あなたは一生その組織にいるんでしょうか?多分いないですよね。
まあ、実績を積む為に根回しをするのは良い事ですが、それを必要としない人もいるわけです。
友達が上司に「○○手伝って」と言われて請け負い、休日に5時間も残業したという話を聞いておったまげました。
余程良い人か、自主的に「困ってるなら良いですよ」って言えるような人間関係であればOKです。
もしくは凄くお世話になっている自覚があるか。
社長から給料頂いてますけど、普段全く交流の無い人から協力しろって言われても…ってなりますね。
でも、その飲み会で話す事と言ったら大体社長の自慢話で「聞き役」になる社長って少ない印象。
多分、困ってる事に相談乗ってくれる社長や、アドバイスをくれる社長であれば飲み会も楽しいんだろうな。
そう思いました。
https://priconne-redive.jp/news/information/9170/
これのブクマに著作権的な疑義が入ってたので、ソシャゲ会社に勤めてた経験から書く。なお、トレスの事実と発生経緯は真とみなす。
みんなの疑問への答えを先に書くと、「引用のつもりで参考画像渡すのは特段おかしなことではないと見なされてる筈、でも引用の要件満たしてるかは千差万別」です。
トップダウンで変化を生むためには、与野党どこに与すると言った戦略以前に、ボトムアップの声が人の注目を集め、手を貸す人を集め、組織化に繋がるだろう。それを左翼的・ポリコレ的と切って捨てるのは抵抗がある。と伝えたかった。
左翼党派は自分たちの目標(権力奪取=革命)のために動いているのであって、必ずしも「正しい世の中」を実現するために動いているのではないことは常に意識しておく必要がある。あたりまえだけどね。
闘争方針や問題取り組みの優先順位は、党中央が判断し(公平ではない判断も多々ある)上意下達が絶対である。(最近も元格闘家の議員が離党したよね)
まずは回答をありがとう。あなたの返信を読んで大変勉強になった。
国の財源から捻出される介護保険こそが報酬の原資になっているから、その全量を増やすことこそが問題の解決に繋がるという話はよくわかる。手段としてロビーング団体を用いることは、その実現性・有効性に対するわたしの理解が十分ではないので、反論はできない。ただ、物を言うのは組織力であり資金力、それが生み出す発言力ということになるだろう。そこに必要なのは開業医・介護士の組合同士の団結ということになるだろうか。
ロビーングはいわばピラミッドの頂点での交渉、トップダウンでの変化を促すもので、その重要性は理解する。しかし、それを行うに至るまでには労働者の組織化が必要になる。忙しい医療現場で働く元増田のような人たちに、さらに組織化を行い活動を促すのはかなり酷な依頼のように思われる。だからこそ、出発点として現場からの声、具体的・感情的・直接的な労働状況批判が出ることが、ボトムアップでの変化を促すものとして必要と考える。
トップダウンで変化を生むためには、与野党どこに与すると言った戦略以前に、ボトムアップの声が人の注目を集め、手を貸す人を集め、組織化に繋がるだろう。それを左翼的・ポリコレ的と切って捨てるのは抵抗がある。と伝えたかった。
良くも悪くも、"当時の正義"の実現だったわけよ。
例えば公共事業はムダ!っていう潮流は民主以前からあって、脱ダムがどうとか言って、ダムと治水の専門家のことを御用学者と罵って……みたいな話は政権交代以前からずっとあった訳で。
埋蔵金がどうとかいう発想も、似たようなところからでてきた。自民政権と公務員は天下りやらなんやらで腐敗してるに違いないから使える金がありますと。
公務員は信用ならない腐敗した人たちなので、政府主導の名のもとに人民が(実際には素人の政治家が)トップダウンで管理する。これも小泉政権下で田中真紀子が外務省は伏魔殿とか言ってたのと発想が同じだな。
自民の戦後55年体制が悪い悪いって言ってたころで、みんな民主政権的な正義が正しいと思ってた。俺もまだ若造だったけど、確かに思ってた。
じゃあその悪いことを治すっていうやつを実現したら、それが思った以上に机上の空論だったというね。これはポスト戦後の挫折だった。その挫折を顕在化させたのは、ある意味で民主政権の歴史的役割だったんじゃあないかな。
コロナ下の日本におけるトップダウン型の政策は、不明瞭な感染対策と歩みの遅い経済対策を生み出した。
この不安定な情勢で出てきた「検察官定年延長問題への抗議」は、ついに現代政治の限界を露わにしたように思える。
政権とそれに寄り添う人々は「定年延長決議自体は何も問題ない」というが、
国民が怒りを露わにしているのはそうした局地的な法律問題ではなく、今まで少しずつ溜まっていた「政治への不信感」によるものだ。
今の国民は、「与党vs野党」「保守vs革新」「自由主義vs社会主義」なんて図式には一切興味がない。
求めているのは、その政党が取る行動が強権的なのか協働的なのか、透明性が高いのか低いのかという「安全・安心感」という目線でしかない。
強権主義に陥らず、国民に説明責任を果たし、反対勢力に敬意を持って接しさえすれば国民は納得すると私は思う。
様々な政治形態がある世の中で、ポピュリズムが一定数の支持を集める理由はまさにこれであり、
現在のローテクで時代遅れな政治形態では、倍々で膨らむ経済と加速するグローバル化に対処できないことが分かっており、
目の前の魅力的で人々に寄り添う(ように見える)リーダーに、どん詰まりの状況を解決してもらいたいからである。
だが「強い」の意味が昔と違う。
現代の「強さ」は相手を言い負かす能力ではなく、相手と手を取り合う能力だ。
現在の日本の政治は、与党であれ野党であれ、それが出来ているだろうか。
俺が勤めていたのは名もない中小企業。
ご多分に漏れず、社長とその盟友である二名の役員のトップダウンによって組織が回っている。
ノー残業デーに定時退社しないと狂ったようにキレられるのも、社長や役員が「残業は無能の証拠。効率こそ正義」という方針を掲げているからだ。
入社したばかりの頃の俺は、そのことを知って「中小企業なのに進歩的な文化だなあ」と感心したものだが、よくよく先輩に話を聞いてみると「ちょっと前まで定時退社なんぞおっかなくてできなかった」とのこと。
社長や役員がノー残業デーにおける残業に怒りを爆発させるのは決して「定時退社を善と思っている」のではなくて、あくまで「定時退社推奨を理由に社員を抑圧できるから」なのではないかと。
ビジネス書や東洋経済なんかで喧伝される「外資では残業は無能の証拠なんですよ~」という残業害悪論を見つけて、「これ使えるやんけ!」と鼻息荒くしたってだけだろどうせと俺は思ったわけだ。
入社して一カ月くらい経ったある日、俺は社長と役員の三人で昼飯に行くことになった。
皆ビビって逃げたとかなのか知らんけど、突然連れて行かれた。
「会社には慣れたか」とか「俺が若いことはこうして仕事覚えたからお前もそうしろ」とかそんな話をしながら二人と飯食ってるとき、「こういうことをやったら会社が良くなる、そういうアイデアはあるか」と尋ねられた。新人目線の意見を訊きたいと社長は言っていた。
俺は一体何言ってるんだ???
でも気づいたら口走っていた。
「社長は社員を抑圧したいだけなのでは?」という疑惑を確かめたいという欲求を当時の俺は常に抱えていたからだ。
社長の行動原理を明らかにするためのエサ、提案を反射的に投げたのだろう。
テンパリながら適当な理屈をでっち上げて説明したことをよく覚えている。
仕事に必要な忍耐力には二種類ある。会社人としての訓練で培われるもの、肉体的鍛錬によって培われるもの。体育会運動部をやり通した過去がある社会人でもメンタルを病んで辞めてしまうことがあるのは前者を欠いているから。これら二種類の忍耐力が備われば人間として一皮剥ける。山登りでは後者が培われる。
みたいなことを言った。
ほどなくして弊社では富士山登山研修がスタートすることになった。
「勘弁してくれよ!!!!!!!!」、恐慌状態になる同僚を見て俺は昼飯で提案した事実を墓場まで持っていこうと決意した。
ちなみに、俺はこの2年後退職した。
社内正式通達前にYahooニュースに載ってた件だけど、実態は大きく異なる。
顧客の運用を抱えている部門は休めるわけも無いし、ゴールデンウィーク明けに運用開始を控えているシステム開発も言わずもがな。
社内では月次報告のために、20日から27日で資料作成の指示が飛び、来週からの出社予定者の取りまとめ依頼がなるはやで来ている。
まぁトップダウンで決めたことなんだろうけど、寝耳に水の現場は大混乱、責任感の強い中堅以上は
「やすめるわけないじゃん」というスタンス。今回の休業でうれしいのは、責任ある立場じゃない若手じゃないかな。
自分がその立場だったら喜んで受け入れる。もともとインドアだし引きこもりサイコー。
でもウェイ系のやつは18連休中いろいろで歩くんだと思う。
COVID-19の疫病は特異な歴史的コンテクストに現れました。まず、グローバル資本主義と自由民主主義の折り合いをつけるには他に解決策(ソリューション)がないと30年間も信じてきた後で、人類は自らに課した昏睡状態からしだいに目覚めつつあります。状況が改善するかもしれないが、急激に悪化するかもしれないという考えにもはや誰も驚きません。
他方で、これまでの4年間、ブレグジット、トランプの大統領当選、ジェレミー・コービンの登場と失脚――じきにバーニー・サンダースも同じ運命をたどることになりました――といった出来事から、グローバル資本主義がかなりしぶといものだということが見えてきました。世界主義から排外主義へ、ネオリベラリズムから社会民主主義へ、イデオロギーがたんに変わるだけでは、社会的・経済的な諸関係は変わりませんでした。資本主義の完全な作り直しという課題に直面して、かつてはあれほどラディカルに見えたイデオロギーが無力で陳腐なものであることが明らかになりました。
現在の健康上の緊急事態をどう考えるべきでしょうか。COVID-19の引き起こした危機が世界を変えて開放する可能性に希望を抱く人は、すぐに失望することになるかもしれません。私たちの期待が過剰だというのではありません。ユニバーサルベーシックインカムやグリーンニューディール政策は妥当だし、まさに必要なものです。ですが、私たちは現行のシステムのしぶとさを過小評価し、また同時に、思想が堅固な技術的・経済的インフラなしで世界を変える能力を過大評価しています。そうしたインフラがあってはじめて思想を作動させることができるのに。
「ネオリベラリズム」のドグマは諸悪の根源とみなされることが多いですが、このドグマであらゆることの説明がつくわけではありません。知的には「ネオリベラリズム」には似ているものの、これとはまた別の悪について、10年ほど前から私は指摘しています。それは「ソリューション主義」といいます。
このイデオロギーは、ポスト・イデオロギー的であることを標榜しており、グローバル資本主義が生み出す問題や矛盾を解決しながらこれを動かし続けるために、いわゆる「実践的」な、個別の対応策をまとめたものを勧めます。そして驚くべきことに、こうした対応策には美味しい利益がついてくるのです。
ソリューション主義のもっとも有害な帰結は、スタートアップではなく私たちの政府がもたらします。ソリューション主義国家とは、その前の時代の監視国家が人間的になりつつもより巧妙化したもので、二重の使命を帯びています。イノベーションを引き起こす人々(デベロッパー、ハッカー、起業家)は御しがたい存在ですが、これらの人々がその能力と既存のリソースを〔現在のグローバル資本主義とは異なる〕他の社会組織を作る実験に用いないよう、ソリューション国家は気をつけていなくてはなりません。AIやクラウドコンピューティングの恩恵を十全に受けたいのなら、資金的に余裕のあるスタートアップを作らなくてはいけないようになっているのは、偶然ではありません。逆にそれは意図的な政治的努力の結果なのです。
その帰結。非商業的なしかたで社会を編成する制度を生み出す可能性があり、既存の体制を転覆するおそれのある試みは、頓挫する。そういったものは胚子の段階で殺されます。そういうわけで、ウィキペディアの流れをくむ団体はもう20年以上現れていません。とにかくデータが欲しい多国籍企業が世界を完全にデジタル化してゆく時代に、国家は自分の分け前を手に入れようと目論んでいます。監視が完全に行き渡ったことに加えて、企業が世界をデジタル化してきたことで、諸国の政府は市場を利するかたちでソリューション主義的な数々の介入を進めることができるようになりました。
ナッジ (nudge)の技術はソリューション主義の完全な実践例です。ナッジのおかげで、問題の原因は変えないまま、取り組みやすい作業の方に集中することができる。それは、個人の行動を不可変の現実(それいかに残酷な現実であっても)に「合わせる」という作業です。
ソリューション主義者のみなさん! COVID-19はソリューション主義国家にとって、9/11のテロが監視国家にとって持っていたのと同じ意味を持っています。しかし、ソリューション主義が民主主義的な政治文化に対して示す脅威は、〔監視国家よりも〕陰険とはいわないまでも、より微妙なものです。
COVID-19の危機にさいして中国、韓国、シンガポールがとった独裁主義的な戦略は評価されました。3国ともに、市民が何をしてよいか、してはいけないか決めるために、アプリ、ドローンやセンサーの展開をトップダウンで決定しました。西洋で民主主義的な資本主義の擁護者を標榜する人たちは予想通り、すぐさまこれらの国を批判しました。
エリートの臆見をもっとも雄弁にうたう詩人たるユヴァル・ノア・ハラリがファイナンシャル・タイムズのコラムで表明した代替案は、シリコンバレーのプロパガンダマニュアルからそのまま出てきたようなもので、知識によって市民を自律的にしよう! というものでした。
人道主義的なソリューション主義者はみんなに手を洗ってほしいと思っています。それがみんなにとって、社会にとってよいことだと知っているからです。中国政府が暖房や電気を切るぞと脅したように、みんなを力ずくで束縛するよりは、そのほうがよいと思っているのです。このような言説は、政治のアプリ化〔アプリで市民を監視し行動を制限する方向性〕にたどりつくだけです。手洗いの奨励をめざして作ったアプリがその人道的な見地によって報酬を受けたとしても、そうなるのです。
認知行動的な介入によって市民を自律的にしようというハラリの呼びかけは結局のところ、キャス・サンスティーンやリチャード・セイラーに代表されるようなナッジの擁護者が推奨するステップとたいして変わりません。こうして、過去数百年で最大の健康上の危機への政治的な対応は、石鹸や手洗い槽の自販機というかたちで「実践的な」言説に還元されてしまいます。これはサンスティーンとセイラーが〔共著の『ナッジ』で事例として紹介しているアムステルダム〕空港の小便器の形をめぐる思考〔小便器の底に蠅の絵を印刷するというナッジにより、男性利用者がトイレの床を小便で汚す率が大幅に減るというもの〕の系統にある発想です。
ソリューション主義者の想像の中では、あらゆる中間団体や制度は、歴史と同様、政治のシーンからほぼ消えてしまったので、他にできることはあまりないのです。ハラリやサンスティーンのような人たちにとっては、世界は本質的に、消費者としての市民、企業、政府で成り立っています。労働組合、アソシエーション、社会運動、そして感情と連帯で結びつけられたあらゆる共同的制度のことをこの人たちは忘れているのです。
「知識による自律化」というお題目は古典的なリベラリズムの根底にあるものですが、今日ではひとつのことを示しているだけです。もっとソリューション主義を、ということです。だから諸国の政府は、去年私が「生存のための技術」(survival tech)と名付けたもの(つまりスペクタクル(見せ物)としての資本主義が、その主要な問題を緩和しつつ続くようにするデジタル技術の総称)に大金を投資するものと予期しておかねばなりません。そうやってソリューション主義国家は自分が「中国の道」は採らないことを標榜しつつ、自己の正当性を強化することになります。
この危機から脱するためには「ポスト・ネオリベラリズム」の政治が必要なだけでなく、とくに「ポスト・ソリューション主義」の政治が必要です。まず、スタートアップか、中央集権的な計画経済か、といった人為的な二項対立はもうやめてもいいでしょう。この考え方は、私たちが今日、イノベーションや社会的な協力を考える仕方を規定しています。
新しい政治的議論の中心となる問題は、「社会民主主義とネオリベラリズムのどちらの勢力が市場で競合する力を制御できるか?」ではなく、「社会的な協力と連帯の新しいかたちを追求するうえで、デジタル技術がもたらす巨大な機会をどの勢力が活かすことができるか?」でしょう。
「ソリューション主義」とはだいたいのところ、「他に選択肢はない」(There is no alternative)というマーガレット・サッチャーの有名なスローガンを応用したものにすぎません。このようなロジックは残酷で実践できるものではないことを、左翼の思想家は過去40年間にわたって明らかにしてきました。とはいえ、〔このサッチャー的なロジックが〕破綻していても、政治的な権力を持つようになるうえで支障はなかったのです。結果的に、私たちの暮らす技術的な世界は、市場が支配する世界秩序を逸脱するような試みはぜったいに制度化されることがないようにできています。私たちの議論の輪郭〔つまり議論の組み立て方〕そのものが、そのような〔逸脱の〕可能性を排除してしまっています。
COVID-19への技術的な対応策を考えるさいに直面する困難は、ポスト・ソリューション主義的な政治の方向性が私たちにどれほど必要か示しています。イタリアのような国では――私はローマで外出制限の3週間目に入るところです――提案されるソリューションは酷いほどに野心を欠いたものです。私生活と公衆衛生のあいだで妥協点をめぐって議論が繰り返されており、さらには、これはハラリが示した方向性に従うことですが(「反抗または生存」を参照)、「生存のための技術」を使ってスタートアップがイノベーションを引き起こしやすいようにしなくてはいけないという議論になっています。
他の選択肢はどこに行ったのかという疑問が浮かぶのはもっともなことです。なぜ公衆衛生のために私生活を犠牲にしなくてはならないのでしょうか。テクノロジー企業や通信事業者が作った現在のデジタルインフラが、それを提供する会社のビジネスモデルにかなった利益をもたらすようにできているからなのでしょうか。
現在のデジタルインフラは、私たちを個別に消費者として識別し、ターゲティングを行うようにできています。集団の行動についてマクロなレベルで匿名の情報を提供するようなインフラを実装する努力があまりされてきませんでした。なぜでしょうか。そのような〔匿名のデータ〕分析をする必要について検討した政治的プロジェクトがなかったからです。非商業的なしかたで社会を編成する形態の中でも、とりわけ〔社会主義的な意味での大規模な〕計画はネオリベラリズムが用いる手法ではなかったからです。社会民主主義を信奉する人たちのなかでも、そのような手法を用いるべきだと主張する人はいませんでした。
現在のデジタルインフラは残念ながら個人が消費活動をするためのインフラであり、相互扶助や連帯のためのインフラではありません。デジタルプラットフォームと同様、現在のデジタルインフラは、アクティヴィズム、人の動員や協力といったさまざまな目的に使うことはできますが、そのような使い方は、たとえそう見えていなくても、高くつくことになります。
ネオリベラリズム的でもなくソリューション主義的でもない社会秩序の基盤としては、これはじつに脆いです(さらにこうした基盤には、消費者、スタートアップ、起業家とは違う働きをする人が必ずいなくてはなりません)。アマゾン、フェイスブック、あるいはあなたがお住まいの国の通信事業者が提供するデジタル基盤のうえにこの新しい秩序を建てる誘惑にもかられますが、そうしてもろくなことにならないでしょう。それは良くてソリューション主義者が跋扈する新しいフィールドになるか、悪くすれば、監視と抑圧に基づく全体主義的で押し付けがましい社会となるでしょう。
この危機的事態を権威主義的な体制よりも民主主義がうまく収拾できると熱く説く声が、左翼方面からさかんに聞こえてきます。このような呼びかけは無意味なものに終わる可能性があります。現在の民主主義は民主主義的でない私的な権力の行使にとても依存しているので、名ばかりの民主主義になっているからです。これぞ「民主主義」と考えるものをほめたたえることで、潰れかかっているスタートアップの見えない持ち分を意図せずほめたたえたり、スタートアップほどには無害でなくソリューション主義国家を構成するテクノクラートの持ち分をほめたたえたりすることになります。
もしこの生ぬるい民主主義がCOVID-19を生き延びることができるのなら、私企業の権力から完全に自由になるためにポスト・ソリューション主義の道をまず選ばなくてはならないでしょう。そうしなければ権威主義的な体勢への道へまた踏み出すことになります。それは「民主主義的価値」、「規制の機序」、「人権」について、以前にもまして偽善的なエリートの支配を許す道です。
Covid-19, le solutionnisme n’est pas la solution
*ナッジとは、「行動経済学や行動科学分野において、人々が強制によってではなく自発的に望ましい行動を選択するよう促す仕掛けや手法を示す用語」(株式会社日立総合計画研究所)
だと思う。今はほぼ書いてないが。話題になっていたらしいので読んでみた。
一言で言えば原作と他人の二次創作は切り離した方が精神的にはいいと思います。
それは解釈の問題だったり自分の力量が関わっていますが、自分が書く推しと原作の推しがはっきりと乖離してる自覚があります。
ではなんでキャラ改悪二次創作が生まれるのか、自分の思ったことを書いてみる。
真面目に二次創作してる人はイラっとくるかもしれない。あくまで偏った個人の意見です。あと腐視点。
・あるシチュエーション・要素が好きで好きで仕方ない
・他に書きたいものがあっても原作の設定を間借りすることに意味がある
1つ目は性癖の問題。どのカップリングに行っても、必ずあてはめるシチュエーションがある人はいると思う。
きっと元記事の筆者は、好きな要素を優先させるより原作考察から発展した二次創作が読みたいのだろう。
だがこの世には萌え先行というタイプがいる。とりあえず好きなものに好きな推しを足し算して萌える。原作に馴染ませようとする人から、最悪辻褄が合わなくても萌えれば正義な人まで様々。
どちらが支持集めるかは、正直タイプに関係ない気がする。二次創作者は考察してるつもりでも読者の捉え方と一致するとは限らない。
そして読者は全員が全員原作を考察しているとはいえないと割り切った方がいいと思った。
私は推しが自分好みのことしてくれるだけで興奮するので、それを書いている。ここの捏造が原型を留めていないと改悪と呼ばれるのだろう。
改悪とわかっているのに書く理由は、「そこに原作があるから」だ。
2つ目はそもそも原作を下敷きにしたIFが見たくてやっている。これが原作の否定に見えるかもしれない。
IFといっても、これも考え方が色々だ。公式でないカップリングの存在自体がIFだとか、そもそも原作以外はIFとみなすこともできる。
現パロやオメガバース、女体化など世界観ごと置き換えるパラレルから、「もしもAじゃなくてBを選んでいたら」レベルも全部IFだ。
たまに根幹を守ったままIFに落し込む作品に出会えると感動もひとしおだ。脱線した。
元記事によると界隈では原作設定を無視したパラレル設定が流行したということだろう。それをまるでA×Bの本流みたいにされると違和感がある気持ちはわかる。
ではなぜそれが流行るのか。それは書いた人がめちゃくちゃ文章が上手い人なのかもしれないし、単に大手の人の性癖に刺さって拡散されたからかもしれない。
でも極端な話、「このキャラがこんなことする訳ない!」という話は「絶対に原作じゃやってくれないこと」だ。
ギャップ萌えといえば聞こえがいいか。怖いものみたさかもしれないが。
それらは原作があってこそ「ありえない」と感じられる。その「ありえなさ」に説得力や文章力がついて面白かったりすると、ある種のIFとして読めてしまう。
最初は「○○さん次元のA×B」と消費していたつもりが、あまりに斬新だったり強烈だと侵食されてしまうこともしばしば。
他人の解釈に影響されやすい人って意外といると思うんですがどうだろう。
こんな風に原作を踏み台にして、二次創作が前面に出ていることが「リスペクト不足」にみえているのではないか。
それは…書いている本人にしかわからない。ヤバめな欲求だって表に出さなければ、普通の原動力だ。
諦めるぐらいなら二次創作するなという意見もあると思う。まっとうな正論だ。
まず、よっぽどの上手い人じゃないと一次創作で書いても人に見てもらえない。
一次創作に持ち出すとして、設定はどこまで寄せたらパクリになる?見た目?世界観は?
それに二次創作でついたフォロワーを失いたくないという人もいるだろう。二次創作を求められたらどんなに歪んでいても「推し」を書くことでしか界隈にいられなかったりする。
最初は原作の推しが好きだったけど、だんだん自分の欲望を優先させたくなった人もいてもおかしくない。
というか三次創作まで発展してしまうような影響力がある人のことは全然わかりません。それを持ち上げる人のこともわかりません。
交流がとても楽しくてそっちの方が本音だったり、推しを改変することに生き甲斐を覚える人なのかもしれないし、あるいは本気で原作に沿ってると確信して書いているのかもしれない。
正しい推しより原型のない萌え、原作よりキャラ改悪が支持される界隈。
それはつまり仲間内で騒ぐ燃料として、その人の二次創作が選ばれただけです。
正直良さはわからないけど、この二次創作いいね!と言っておかないと輪に入れない。本気で面白い解釈だと思っている。三次創作を通してさらに仲良くなりたい。なんか流行っているから乗ってみた。
推しカプが好きという名目で集まっているけど、その内実は人それぞれ。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってことですよね。考えすぎです。界隈のとばっちりです。
大体元ネタがある創作をインターネットに上げて、それに賛同するのって不思議な現象ですよ。
あんなIFが見たい。推しを書いて人に求められたい。同志で仲良く萌え語りしたい。書きたいものが書きたい。
表では言わないけど原作への尊敬だけが創作の原動力ではない人ばかりだと勝手に思っています。
リスペクトゆえに言えないけど、本当は自分の書いた推しが原作より好き。むしろ原作より面白いものが書ける自信がある…人もいるかもしれない。
とにかく共通設定が守られている(と作者が考える)だけで『二次創作』でくくれるって中々乱暴で懐広いですね。すごい。
また話がズレた。
そこまで考え込んでしまうなら、二次創作は等しく人形遊びの発表で交流ツールだと思ってみるのはいかがでしょうか。
原作にまで悪影響を及ぼしているなら、尚更二次創作を切り離して同姓同名の別人だと見切り付けるべきです。
リスペクトしたら面白くて萌えるものになるとは限らない。していなくても読者は萌えるときがある。そんなもの。
創作者の方々、原作からわざとキャラを改変させている際は注意書きを忘れずにしていただきたいです。
なぜなら、キャラ崩壊が性癖なんです!!!大好物なんです!!!
まず各分野の専門家の意見を聞くこと。勝手に判断しない。党外にも非公式に接触。
その上でブレーンと相談してトップダウンで即決するか余裕があれば根回しをした上で実行する。
もともと知力の低い大衆がより動物に近い状態になっているので率直な言葉でないと伝わらない。
「出るな」「集まるな」「手を洗え」等、大和言葉を用いた短い台詞で。ドリフのあれだ。
知識層に向けてはエビデンス、判断プロセス、法的根拠を網羅した資料を提出。
状況が変われば都度説明。
この週末、気の置けない友人と呑んだ。
急な開催である。
馴染みの飲食店のユーモアを交えつつも悲痛な声に、少しでも助けになりたかったこと。
また突然の休校により子供が在宅するにあたり、妻とヘトヘトになりながら時間調整をしたことへの慰労をこめて開催のはこびとなった(なお妻は翌日に友人と飲みに行った)。
普段は友人とであってもこれらの話題は避けたほうが無難だが、つい出してしまった。
なぜ急に(子供は重症化の懸念が薄い)学校を急に休みにするのか。
効果はゼロではないにしても、共働きの親含め負の影響が大きすぎる。
調整もなしに突然発表するのもよろしくない、云々。
それに対し、友人は反対意見を述べた。
曰く、ここまで感染が広がるという事実は今わかったことである。感染初期に中国からの渡航制限など、経済に負の影響を与える策が打てたとは限らない。
曰く、他にも(今考えれば)打てる手はあったが、すべて結果論である。
曰く、過去の対応をどうこうしようもない中、今(例え科学的根拠が薄いとしても)何か出来ることをしなければ、後々の批判は必至である。
そして最後に言った。
"もし君が総理なら何をする?何か他に有効な手を打てるのかい?"
端々には反論点もあるが、おおよそぐうの音が出なかった。
なお本件では余談であるが、この友人も野党支持者であった。自分と立ち位置は同じ。
森友や桜を見る会、検事定年延長など政治の私物化問題と、今回のコロナ騒動の評価は分けて考えるべきなのだと。
さて、実はここまでが前置き。超長い。
上記のような話をしても友人とは喧嘩にもならず、お互いの考えを理解することができた。
1番心にひっかかった言葉が
"もし君が総理なら何をする?"
である。
結局よくある言葉で言えば"批判ばかりでなく対案を出せ"なのであるが、
週末、通勤とずっと考えていたので、案をまとめてみたので吐き出させて欲しい。
また急に"こんな案を考えたんだ"と友人にLINEしてもさすがに引かれる気がするので、ここで吐き出させてもらいたい。
評価はお任せする。馬鹿の考え休むに似たり、なのかもしれない。
さて本題。
前提として
A.感染はすでに蔓延期にある(どこに感染者がいるかわからない)
B.理想論でなく、短期で実行できる現実的な案でなくてはならない
とする。
"人と人との接触を出来る限り減らす"
である。
現時点で空気感染は報告されておらず、
患者は(若く体力があれば)自宅で療養すれば治るものなのであれば、
よって、今も提唱されている
・手洗い、うがい
・アルコール消毒
マスクは健康者、無症状者は使用しない(在庫切れ防止のため)。転売などがないよう、メルカリなどオンライン販売業者には強く要請する。
これも今と同じ。
今と違う点は以下の通り。
①鉄道事業者、バス事業者に対し、増便の検討を要請する。できれば24時間運行を検討してもらう。
→満員電車などの濃厚接触を防ぐには、1車両あたりの人数を減らす必要がある。
現政権でも時差出勤の要請しているが、効果はあまり出ていない。
理由は、朝ラッシュなど以外の時間の電車は本数が少ないため、少ない便に人が集中してしまい、結局満員電車になってしまうこと。
よって、時差出勤を要請するなら、電車等公共交通機関の増便もセットにする必要がある。
24時間営業を要請するのは後述する、オフィス勤務の三交代制を実現するため。
増便による経費増は国庫負担とする。営業係数を基に計算できるのではないか。
これにより、出勤する人の密度をできる限り下げる。
→現実問題として、会社を休業させることは難しい。どの業種をさせるかの線引き、また経済が冷え込まないか、など負の影響が大きいと考える。
よって
②-1 オンライン勤務が可能な会社は出来る限りそちらに移行してもらう。また、それに付随して携帯3大キャリアなど通信事業者に、公衆wifiの開放、スマホからのテザリング開放など、ネット環境を使えない人を出来る限り減らし環境を整備する。
②-2 オンライン勤務は無理だが、時差出勤が可能な会社は時差出勤してもらう。可能なら、上に書いたようにオフィスに夜間勤務も含めた三交代制などを導入し、同じ時間に同じオフィスにいる人を減らす。ただし前提として公共交通機関が夜間も動いている場合。
②-3 時間も、場所も動かせない会社は従来通り。ただし、風邪気味の人に出勤強要するような会社がないよう労働基準局の指導を徹底する。
などを実施する。
会社により対応の温度差はあるだろうが、出来る範囲での分散を促すことが必要と考える。
③学校や保育所などは休校しない、ただしクラスを分割するなど、1部屋あたりの人数を減らす。感染者が出たクラスは閉鎖するが、オンライン教材などの活用で勉強の遅れを出さないよう配慮する
→全国一斉休校にもメリットはあるが、社会に与える負の影響が大きすぎると考える。学校内の感染を減らすためにも、1クラスあたりの密度を出来る限り減らす(担任外にも授業をもってもらう、理科室など空き部屋活用)。
感染者が出た場合は現在の学級閉鎖に準じる。ただし、3月に学級閉鎖は授業遅れを引き起こしリカバリが難しいため、教育委員会単位でオンライン教育業者(ベネッセやスマイルタッチなど)と契約し、該当範囲をオンラインで勉強すれば授業を履修したものとする。できればスマホやタブレットにインストールするタイプが望ましい。idなどは学校の緊急連絡網を利用して配信。
塾なども授業の録画配信できれば配信をメインとする。実際そうやっている塾もある。配信不可の塾はそのまま実施するしかないが、
④在宅者(高齢者など)の通販の利用を推奨する。Amazonなどだけでなく、スーパーの食材配達のようなサービスの利用も推奨する。現在未対応の業者には、Uber eatsなどの利用を検討してもらう。
→生活必需品含め、買い物は通販を推奨(強制ではない)する。ジャパネットなども協力してもらえば高齢者にも届くのではないか。現在の通販業者の配達増が懸念されるが、在宅者メインということで再配達は増えない、と考える(要詳細詰め)。既存のスーパーなどの売り上げが減るが、短期は政府系金融機関のつなぎ融資、中期的にはUber eatsなども活用するなどしてオンライン販売にも対応を要請する。
⑤上記対応により顧客減、また救済されない業種が発生するが、緊急つなぎ融資相談窓口を設置する。
→上記では救えない業種は当然発生する。一律補償は財源の裏付け等難しいのではないか(今回の給食業者のように、被害が明確な場合は補償すべきとは思うが)。ただ、資金のショートは避けなくてはならない。震災時の対応をテンプレートとして対応できないか。
⑥病院等の混雑を下げるため、電話やネットによるオンライン診断、処方箋発行を認める
→現在心配されている問題の中に"病院が感染源になりうる"がある。とは言っても病院にかかるべき人は居るし、病院に行くなといっても心配の残る人は居る。そこで、電話やネットによるオンライン診断を(時限立法でもよいから)一時的に解禁し、郵送やオンラインプリントでの処方箋発行を行えるようにする。電話などで判断つかない場合は、その時点で初めて来院を要請する。街の病院で対応ができない場合は国により集中的なコールセンターを整備できないか。少し中期的な話ではあるが検討に値すると考える。
などがこの2日間でつらつら考えたこと。
仕事の三交代制などの案は、夜間バッチなど回してる会社の社内SEは顔真っ青だろうし、医療や教育関係者からすれば不可能なことを言ってるのかもしれない。
ただ、医療機関以外にも各自に出来ることはあるし、厚労省だけでなく、それぞれに対し監督官庁が指導力を発揮できるところもあるだろう。
何よりこの案を素案として各自の出来ること、出来ないことをブラッシュアップできるのではないか。そのための経団連や全国首長会ではないのか。
もちろん今頃官僚の人たちは色んな案を考えているだろうし、もっといい案を持っていると信じたい。
ただ、パフォーマンスのためのトップダウンで四苦八苦している今、
首相批判を"対案を出せ"というテンプレートで封殺している人々(友人は含みません、念のため)に対する"対案"として、
【追記とお礼】※また長くなってごめん
子供寝かしつけてから見たらホッテントリに(下位とはいえ)上がったことにびっくり。
まずは反応ありがとう。
トラバにブコメ、全部読ませてもらいました。特にトラバで1つ1つ反論なんかもらって感激!議論は大好きなんです。机上の…なのが問題なのですが。
さて、さすがに全件個別では無理っぽいですが、ご指摘に反応させて下さい。
・総理は案を出すんじゃない、首相の私案で進めるな、対策会議設して意見を募って調整しろ、意見対立に決断するのが仕事だ、軽い神輿に徹しろ
→ごもっともです。どうも現場よりの案しか思いつかないのが自分の限界かなと。実は仕事でも下を上手く使えと言われてるんで同じなんでしょうねぇ…。
ただ、今の総理の取り巻きでは不安が残ります。書かれているように、専門家会議作って謙虚に実行してくれればよいのですが。
・上がすべきは正確な情報提供じゃね?こないだの枝野の質問(各省庁の連携不足)は見た?野党案チェックしてるか?
→はいこれまたごもっとも。3.11の時枝野さんが寝ろ寝ろ言われながら定例会見を開いてた事は無駄ではなかったと思っています。民主党内閣すべての判断が妥当だったかは歴史の判断に委ねますが、今私が野党(立民)支持なのはそこに由来します。こないだの質問はよくできてましたね。短期間でも官房長官になってたからこその質問だったと思います。が、割とまともな質問はニュースにならないというジレンマ…。なお野党案はチェックしてます。議論もろくになしで否決で悲しくなりますが。
→うーん、どうでしょう。彼にも彼の持論があるんでしょう。私は相手を論破したい訳ではないので、自分に対案がないことの指摘はありがたかったです。ちなみに私が現首相がキライなのは国政の私物化、三権分立の軽視、答弁をまともにしない事、そして学校休校が直接自分の利害関係に関わったからでしょうね。コロナの件に関しては是々非々で見るべきだったのかもしれません。
余談ですが、この話のあと友人と"なぜ我々は意見が割れるのか"という分析に熱が入り終電を逃しましたwそれに付き合ってくれる希有な友人なので、好感しかありません。
→それはその場で友人とも話しました。が、総理の保身、という意味では割と合理的なんですよね。終息(休校が原因ではなくても)すりゃ手柄ですし、広がっても"やることはやったのに力及ばず"感が出ます。
もし2w後に感染者の増加が緩やかになれば(検査せず数をごまかしたとしても)彼ヒーローですよ。
・リソースどうするんだ、さらに現場が混乱するじゃないか、鉄道や学校などにしわ寄せが行ってるぞ、ぼくのかんがえた最強のコロナ対策、素人考え、お前も愚作
→これまたごもっとも。書けてはいませんが、引退した資格持ち活用、家庭に入った女性の復帰支援とか、現職には賃金割増とかで報いるしかないかな、と思ってました。リタイヤ組の再教育はすぐではないし、金でなんとかなる話じゃないですよねー。あ、でも電車の乗降分散でいうと高輪ゲートウェイは前倒しで開業はアリかも?(また細かい話)。そしてリソース的にキツイですよね、なんかあれもこれもと盛っちゃって破綻する悪い癖です。
ただwifiなんかは災害用の"00000japan"の開放はアリだと思ってはいます。
→ごもっともです。私も(製造工場の緊急対応で仕方なく)三交代の現場に入ったことありますが、心と体がみるみる弱っていきました。慣れない人にはツライですよね。目的(社員の分散)のために手段を間違ったと思います。
→読むのは好きですが書くのは無理ですwそもそもこれが褒め言葉なのか皮肉なのか分からない読解力では無理ですw
・ただ、最後に。今政府が出してる案って、基本中止や自粛→経済のシュリンクなんです。すべて自粛だけが道じゃないよね、逆に雇用や賃金増やす対策案もあっていいよね、ってのは今でも考えてます。電車なんかはそれベースの案でした。いい案とはいかなかったけど。
あと、今回の休校を"お前の案よりはマシだ!"と言うのは事実かもしれません。ただ、これによる不利益を被ってる人がいること、それに怒っている人がいるのも事実です。逆に影響ない人から見れば"大騒ぎしやがって"なのかもしれません。しかし、これで世論が分断されるのは悲しいです。子供のために休まざるを得ない人だって仕事と育児の両立で疲弊します。同時に子供のいない方も、上記の休んだ方のフォローで疲弊します。共に免疫力を下げてしまうでしょう。お互いを分かり合えない敵と思わず、共に戦うためにも、今回の休校は、もうちょっと水面下で調整しといてよ、という気持ちは拭いきれません。
1つ余談。
やったよ!xevraさんにコメントもらったよ!
Covid-19で政府の対応が後手後手という指摘があるが、今回の案件はほぼWHOの腐敗と中国の隠ぺいだったため
いずれにせよパンデミックは防げないってことなんだけど、今後発生する様々な問題、たとえば企業の資金繰り等を
勘案すると、今回のコロナの件に災害対策基本法を適用できないかと考える。
災害対策基本法では
内閣府防災のホームページ http://www.bousai.go.jp/shiryou/houritsu/001-1.htmlより
第二条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。
一 災害 暴風、豪雨、豪雪、洪水、高潮、地震、津波、噴火その他の異常な自然現象又は大規模な火事若しくは爆発その他その及ぼす被害の程度においてこれらに類する政令で定める原因により生ずる被害をいう。
今回のコロナウイルスは、自然にあった新しいウイルスが人体に大きな被害を与えたとあって、その他の自然現象に類するのではないかと思っている。
かなり無茶な論法だからできれば改正してくれればいいんだけどね。
災害対策基本法が適用できれば、激甚災害認定で補助金投入をはじめとした国費の投入
トップダウン形式の災害た対策本部の設置が可能になる。また内閣府防災はそれらに必要な
人材を流動的に呼び出せるので、厚生労働省を呼ぶのも容易だし、関連メンバーを一気に集め
地方自治体との連携をリエゾンを駆使して行うことが可能になる。
また、今後の問題等の教訓に今後は防災対策をとることもできる。
東京防災などの書籍にウイルス禍に関する対応方法を書いたり、マスクの代用方法を書くことも可能だ。
また、災害対策基本法における災害緊急事態条項の1を別運用として、不足物資の流通制限を仕掛けることも必要だと思われるが
災害対策基本法を適用できれば色々なことが 特に情報集積や地方自治体との連携が容易になるので
なんとか通してほしいところ。
その1つは世の中には『根本的に働く気がない人たちが存在する』がある
↓ 根本的に働く気がない人たちの見本
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200212111557
自分自身の経験に基づいてもそれらは確かにいたなと認識しているし、残念ながら能力も職階も給与の額も組織規模も関係なく存在する
日本社会がぬるま湯だから存在するというわけでもなく、日本よりも厳しい経済環境下でも、日本よりも厳しい競争環境下においても存在している
彼/彼女らは『生まれつきそういう生き物』(利他的な精神のある無しはDNAが関係するのだとか)なのだ
ゆうて生まれつきの要素の多くはゼロでない限りは学習で何とかなることも多いが
『目の前の自分の利益を追求することを最優先する。未来のことはその時になったら考えるし、他者と協力して利益を最大化する必要はない』、
『なにをしても報われないので何もしたくない』
この2つなので、どう考えてもどうにもならない
(後者の学習性無気力は、出来る仕事を振って褒めてあげれば良いかもだが、主体性を育てるところから始める必要があるのはわかるよね?)
ただ、こうやって、ネットができるし、蛇口を開けば水が出るし、荷物は届くし、看護師さんや介護士さんは命に責任を持ってくれるし、消防士さんはしっかり消火活動をしてくれる
なので根本的に働く気がない=利他的な精神がない人たちばかりではないので、過剰に悲観的になる必要はないんじゃないかなとは思う
自組織の現実的なマネージメントについてなら、あんまり有用なのは出ていない気がする。だって生き方の話だからね
トップダウンで強烈なプレッシャーをかければ一丸となって主体的に動くけど
祈ろう
ボトムアップ的な見方をするかトップダウン的な見方をするかで今回の件は相当見方が変わるよね。
何を最も求めるかって、情報公開の仕組みかな。
ぶっちゃけレッドとグリーンがごちゃごちゃでもいいんだよ。俺的には。
重症率も死傷率も高くないんだから、関わった人みんな後で隔離します。重傷者を先に対応します。検査できる人数は限られてるから、毎日増えるように見えるけど、みんなとっくに発症してます。
けどそうじゃなかった。で、疑念や不安がピークに達した時に、センセーショナルな告発があった。
そりゃ火がつくよね。
あるべき姿として、最初からそれをしっかり構築できていれば問題なかったし、それは最初に感染科の専門医の指示に十全に従わなかったことが問題。
あなたと私は何が違って何が一緒ですか?
私の中には第二次世界大戦が入っている。そう話すのは渡辺恭子。
広島で原爆により死んだこと、オッペンハイマーの思考、第二次世界大戦に関することが彼女にあった。
ある日製薬会社の東藤恭子という女性と寝るが、二度目会った時に拉致されてしまった。
拉致されてから「等国:皆で皆を支え合う」「錘国:天皇を頂点としトップダウンで統治する」の争いに巻き込まれる
徹の祖父である茂樹は第二次世界大戦までに活躍した軍人で満州国の統治にも関与していたが、その際石原莞爾と「等国」「錘国」の概念を話す。
終戦後のごたごたで彼らは離れ離れになったが、茂樹は戦後重鎮となり日本の高度成長の礎となった。
そんな彼は埼玉の奥村でallthingという板に触れ、意識不明になってしまう。
人類は進化を続ける結果、個が廃止され、言語が廃止され、最終を迎えた。
Geniuslul-lulは天才である。天才が故に世界に絶望し、コールドスリープを選んだ。
700年後目覚めた彼は最後の人類になっていた。
人類は予定された未来に到達した。個の廃止が実現されたこの世界では、rejectedpeopleと称された肉の海の一部分達が寂しさを埋めるべく活動しているだけであった。
geneuslulilulは「すべての権限を放棄しろ」とall thingに願った。
立花茂樹は「等国」と「錘国」を融合させることで世界最終戦争を終わらせた。
消えゆくrejectedpeople、geniuslululはサイパン島のrejectedpeopleに見守られながら死んだ。