はてなキーワード: 介護保険とは
https://www.ht-tax.or.jp/sozoku-guide/procedure-schedule
ホットエントリーにあったので、実際11月に父を亡くした際のことを書こうと思う。
また、相続人は母(配偶者)、同居の子(同子)、別居の子(別子)の3人。
一応国民年金の方にも知らせておいてください、とのことだったので年金事務所へも行ったが、そこで具体的な手続きはなし。
母と同子も国保で世帯主が変わったので、そちらの手続きも行った。
葬祭費もあわせて申請。
死亡届提出前に普通口座から葬儀費用として全額引き出し(が、足りずに別子が立て替え)
年金以外に僅かながらも収入があったので発生(再雇用とシルバーセンターの間くらいの仕事)
相続するものは現金土地家屋車。これらについて同子別子は相続放棄をして全て母が相続をすることに。
その旨を記載した遺産分割協議書を作成し、印鑑証明で登録してある印を用いて3枚に割印。
保険金は受取人が母のみのもの、受取人が母・同子・別子でドル建てのもの(フラグ)
死亡診断書は入院先で亡くなったので病院の方で精算とあわせて出してくれた。
死亡届を葬儀会社の人が提出してくれて、そこで火葬許可書を貰ってくれた。
円安のおかげで想定より多くなった保険金の所為で子二人に相続税がかかることになった。
書類を自分達で作成した為、間違いなどないか相談をしたかったのだが。
となって宙ぶらりん状態。
成婚料金の無いマッチング型の婚活サイトを利用している婚活仲間(Aとする)から聞いた話。外資系会社員の女性(Bとする)から、ぜひ会いたいとの申し込みが来た。2歳年上だが、まあまあ美人で、なによりBの仕事がAにとって興味のある業界だったので、会ってみることにした。最初は、探り合いだったのだが、次第に打ち解けて、また会いましょうとの話になった。ところが、次に会った時、なんと偽装結婚しませんか?との提案を受けた。なんでも、Bはかなりの高収入会社員であり、配当金でFIREできるほどの資産ができているのだが、退職すると、その後の1年間で国民健康保険や介護保険で100万円以上支払うことになり、それが悔しくて仕方ないそうだ。
そこで、書類上は結婚して寿退社、夫(A)の扶養となり、健康保険組合被保険者の配偶者として保険料負担なし、国民年金も第3号になりたいらしい。3年以内に離婚するが、その見返りとして、30万円を支払うという提案だ。Bは、離婚後も無職のままで、最低限の国民健康保険料を支払い、配当(分離課税)で余裕で暮らせるそうだ。社会保険的には、無職、無収入だが、そこら辺のサラリーマン以上の年収がある。
Aにとっては、婚姻期間中は配偶者控除が受けられるし、家族手当ももらえて、バツイチが付く以外、デメリットが無い。婚姻期間中でも、当然同居はしないし会うことも無いが、いまどき週末婚夫婦なんて珍しくない。ついでに、離婚の原因は妻(B)の不貞という事にしていいよ、その方が同情してもらえて、すぐに再婚できるよ、と言われて納得しそうになっているそうだ。当然婚姻期間中も合コンなどで本当の結婚相手を探すらしい。
それって新手の結婚詐欺では?と思ったが、上記内容を含む契約書案まで見せてくれた。偽装結婚が日本人同士なので、調査される可能性は低いが、不当に利益を得る内容が含まれる契約書は無効なのではないかと、アドバイスしておいた。仮にBが裏切ったとしたら、Aは健康保険組合や会社から訴えられる可能がある。
そこで、裏切りの可能性をできるだけ潰すプチビジネスを思いついた。
定年まで勤め上げる直前の高収入独身男女と低収入だけど健康保険組合に加入している結婚諦め男女を偽装結婚させて手数料を稼ぐシステムである。オンライン節税セミナーとか銘打って定年間近の独身男女を集めて、偽装結婚しそうな人物を選抜する。偽装結婚相手の結婚諦め男女は、実は仲間で同じことを繰り返してもらう。メールや書類のやり取りはシステムが仲介、作成するので、会うことも無く、本人間のトラブルも起こりにくい。フォトウエディングと称して、AI生成写真でも用意してあげれば、周囲への結婚アピールにもなるし、お互いの顔もわからない。
このスキーム参加者である定年間近は、健康保険料負担が低減されて儲かる、結婚諦めも報酬や控除、家族手当で儲かる、システム管理者も手数料で儲かる。誰も損をしない、誰もが得をする場合、儲けを失いたく無いので、裏切り者が現れる可能性が低い気がする。
絶望的。だから(介護の)暗い話にばかりやたら詳しくなる。そんなもんを楽しいインターネッツに載せてもなってのがある
関係ないやつは見ないし(若くても何故か志がある人は別だけど)
あと、御存知の通り老老介護がメインだから。ほんと利用者の家族自体が老人だからね。要介護状態でないだけで既にアミロイドβたまりまくってる感
みんなスマホ持ってるけど、それで介護情報仕入れる様な人は意識高い系だけじゃないか(そして余計厄介な感じになる)
ゆうて現在でもソレ系の動画を見ればソレ系の動画ばかりサジェストされるようになるし、結構情報溢れてると思う
役人や政治屋や先生方が描く様なお花畑な世界に早いとこ見切りつけねーともう立ち行かないよ
現代的な介護は2000年から始まってるけど、スタートが悪かったと思うわ
ほんで20年以上経過して、年金問題と同じく悪化の一途を辿っている
見通しが甘かったんだよ
そりゃあ、IOT導入だので多少の変化はあれども「却って面倒が増えた」なんてこともあるしね(成熟してないから使用に耐えない)
でもまあ正直、いま政府が目指している方向性はある意味良いのかもしれんと思うね
「老人は家で看ろ」「介護度1.2の人は総合事業に移行(介護保険のサービス使わせない)」
なんつったって、施設というところは「危険が無いように座らせておく」もんだからね
もし家に居られるなら、コケまくりだとしても家の中を彷徨きまくるし色々なとんでもねーアクティビティを行っているじゃない
そら、体操だの歌だの塗り絵だのくらいはするさ。でもさ、そんなもんは家での自由な活動に比べたら天と地ほどの差があるわけよ
ま、施設もさ、コケようが放尿しようが壁に糞便塗りたくろうがティッシュ食おうが好きにせい!という感覚で面倒見れるならいいけどね
そんなわけないじゃん
とにかく座ってろだからね。QOLがどうたらなんて臍で茶が沸くっつー話
老人自身も家に帰ることしか考えてねーし。そりゃ当然だわ。こんな監獄みてえなところに人生終盤で放り込まれたくはねーわな。自分だってゴメンだね
なんの罪科があってそんな目に遭うのよ。真面目に働いて子育てして立派にやってきた挙げ句が家追い出されて見知らぬ他人と寝起きして。起きろだ寝ろだ風呂入れだ飯食えだ指図されてよ
挙げ句「具合悪い」つっても(病院じゃないから)治療して貰えるわけでなし
だって負荷が尋常でないもの。本来の業務である「利用者をよく知ってQOLを高めるべく介護を行う」なんてこと「出来ない」もの
雑務多すぎ
単純にさ、完全分業すりゃあいいだけの話なのよ
「おじいちゃんおばあちゃんの相手だけをする職員」「掃除や洗濯その他諸々だけをする職員」
でもその人材が確保出来ない。後者に関してはパートで入ってくれると思うけど、そもそもそのパートを雇う体力が無いのよ
なんかもう「認知症の治療やケア」についてのドラスティックな変化が無いかぎり
施設だろうが家だろうがね
書いた本人たけど、こないた財務省が統計を出してて(なんで厚労省じゃなく財務省かっていうと、「おい厚労省社会保障費足りないとかぶっ殺すぞ。年金も障害者福祉も医療保険も介護保険も全部全部無茶苦茶だろ」って会議体の資料だから)、こういう福祉がどんだけ受けられるかは自治体差がすごいらしい。
障害者福祉関連のサービスの利用額や給付金の人口あたりの額を都道府県別に並べると、東京都はかなり下位。
東京はいろんな制度があっていいなと羨む声もあるけど、実態からすると、東京は障害者にもひとり親世帯にも生活困窮世帯にも優しくない。
障害者と認定してくれないし、ひとり親だからって相当低収入じゃないと支援はないし、生活保護の認定はおりにくい。
あれだ、75歳以上は高額医療費の上限が5万くらいで、どんなに延命治療しても年間収入のほうが大きくなるからみんな延命するみたいな。
支援してくれるのはうれしいが、寝たきりになる前にもうちょっと助けてくんねーかなっていう感じで、もうちょっと支援対象の裾野を広くしてもいいんじゃないかなとは思う。
元生活保護受給者でアスペと鬱で精神2→3級だが、少し前に、ようやく社会人(正職員待遇)ができるところまで戻ってこれた。
社会人といっても某飲食の一兵隊なので、世間一般でいえば「負け組」とか「底辺社畜」の類だと思う。
そして生活保護をそれより上だの下だの、そういう序列をつけて優越に浸りたいというわけでもない。生活保護には大変お世話になり、このセーフティネットがなければI was gone.しているか、生きていても反社勢力の捨て駒か何かになっていたかもしれない。雨風が凌げる快適な部屋で、布団にくるまって眠れて、贅沢しなければ日に三度の食事に困らず、人の道を誤らないように暮らせたのだから、福祉事務所の方角に足を向けて眠れない。
といっても別に変わった経緯でもないと思う。地元の公立小・中・高を経て地元の宿泊業を営む会社に入りホテルマンとして働き始めたのだが、不規則勤務・薄給に加えてお局の係長からのパワハラにより精神崩壊して退職、精神2級判定、実家に帰る、雇用保険の失業給付が尽きる、実家から出される、保護開始……こういう順序だったと思う。
実家での待遇は良くなかった。特に兄が酷かった。両親も最初の頃は同情的だったものの長男(兄)の機嫌を損ねるわけにもいかなかったのだろう、次第に冷たくなり、雇用保険の給付が尽きるときに30万円を渡され、今のていたらくで盆と正月以外は実家に近寄るなという旨のことを宣告された。田舎だけに周囲の目もあるし、やむを得ない措置だと思うし、今更それを遺恨に思ってもいないし、ここでズルズル寄生を許可されていたら今頃は立派なニートのできあがりだったことと思う。もっともそのときは、ああもうこれは死刑宣告だなと目の前が真っ暗にはなったが。
とはいえそう簡単に自殺できるなら何も苦労はない。役場の障害福祉課(精神障害者の手帳の件でお世話になっていた)に話をしたところ、ありがたいことにこんな穀潰しに親身になってくれ、提案をもらえた。
ひとつは「障がい者のグループホームに入居して集団生活を送る」こと、もうひとつは「手持ちのお金でとりあえず単身向けの安い賃貸を契約して住む」ことだった。いずれにしても精神2級の状態で今後の生活にかかるすべての経費をまかなうことは不可能だろうから、生活保護の申請は前提と言われた。一刻も早く家族(特に兄)からの攻撃から解放されたかったので、障害程度区分(介護保険でいう要介護1~5みたいなの)を取ったりするために必要になる時間も惜しみたくて1Kの賃貸アパートを契約してそこに引っ越すことにした。引っ越すといっても冷蔵庫や洗濯機は家族共用なので家電量販店で買ってアパートに届けてもらうことにし、段ボール箱5つ分くらいの荷物を自室から原付のリアキャリアに縛ったりステップに置いて運ぶだけだから、引越し自体もあっけなく終わった。父のワゴン車に積んで運べば1回で済んだだろうけれど、その迷惑をかけるのも躊躇ったのは覚えている。
生活保護で月に支給される額はおおよそ12万円程度。障害基礎年金は無事3級が出たが、年金は収入として申告し、その分減額される(生活保護+年金になるわけではなく、他の生活保護受給者と同じ金額で生活をすることになる)システムなので、年金が出たからといって裕福になるわけではないことを知ったが、とりあえずこれで、贅沢しなければ衣食住が許されるくらいのベースができた。原付(125以下)が、「事故を起こしたときにちゃんと賠償できるように任意保険にも加入すること」を前提に保有・運転してもいいといわれたのは助かった。
『働かずに食う飯』が美味いかどうか……。考え方に個人差はあると思うが、私にとっては何を食べてもあまり味がわからなかった。保護費支給日に、月に1回くらい口の栄養をと思って高い外食(といってもファミレスとか回転寿司くらいだが)をしても、味に感動するようなことはなかった。むしろ高い飯を食べると罪悪感が強かったようにすら思う。
刷り込みとか色々あるかもしれないが、とにかく、『今この時点において、自分より無価値な人間はいない』ということを感じていた。卑屈になりすぎていたのかもしれないけれど、今の自分が生み出せるものといえば二酸化炭素と排泄物しかないわけだから。テレビを持っていなかったのでもっぱらラジオだったのだけれど、野球中継を聴いて贔屓のチームの選手が拙いプレーをして点を取られたときにも、自分ごときが選手を叱咤できる立場じゃない、となって、野球中継さえまともに楽しめなかったくらいになった。
鬱もなかなかその頃は酷く、家事は勿論のことながら入浴すら自発的にできなかったので障害福祉サービスで週3回ヘルパーさんが来てくれるようになり、相談支援専門員さんがついてくれることになった。モニタリングという定期的な面談のときに「ラジオで野球を聴くのすら申し訳ない」というようなことを話すと、就労継続支援B型という作業所を紹介してくれた。見学に行ったところは障害の程度や意欲に応じて、ほとんど遊んでいるに等しいレクリエーションのようなことから集合住宅や公共施設などの清掃まで幅広くやっていたところで、「ちゃんとできるかどうかわからないが、清掃作業をさせてもらえるなら」という条件で通所し始めた。週1日・午後のみから始めて、少しずつ増やして週4・午前午後になり、報酬として工賃を2万円くらいいただけるようになった。まったくの無価値ではなく、月2万円だが自分にそれだけの価値を認められたことが嬉しかった。もちろん収入なので生活保護の支給額は減るのだが、勤労による収入の場合は控除が認められて、2万円工賃をもらえれば月に1.5万円くらいは実質的に自由になるお金が増えた。この頃には、「月1回くらいは口に栄養しても」の罪悪感も少し薄れ、熱々のハンバーグがとても美味しかった。
……とここで、レジで会計をするときに壁に貼ってあったポスターを見て、「アルバイト募集されているんですね。未経験歓迎とありますけど僕みたいなのでもいいんですかね?」などという畏れ多いなんてレベルを超越した暴言を吐いてしまったのだ。
レジカウンターを挟んで二言三言のあとバックヤードに連れて行かれ、店長がいる時間帯に履歴書を持って面接に来てくれという話になってしまい、そこから何をどうしたかよく覚えていない。作業所までそう離れていなかったので、まずは作業所に駆け戻ったのだけは覚えている。
後日、作業所の管理者さん同行で面接になった。店長と施設長が最初に長く話し、最後の方で何か言いたいことはと問われたときに、施設長が言わなかったこと(生活保護受給中とかただの精神2級ではなくアスペルガー症候群もあること)を言った。施設長がいい顔をしていなかった。ここで仮に採用に繋がれば作業所の実績に繋がる大事なところなので、その足引っ張りになることをされたら困るというのが施設長の本音だと思うが。
採用の前にまず実習ということになった。熱々の料理をお客様にぶちまけるような致命的な失敗こそしなかったが、皿は相当割った。14番テーブルに持って行くはずの料理を24番に誤配したり散々だった。高校生の先輩バイトさんに使えないと舌打ちされたのも覚えている。
……が、総合的な評価はそこまでダメではなかったのか、まずは週2日のランチタイム要員として採用された。10時半から15時の4時間半。百戦錬磨の兼業主婦のパートさんにはこき使われたが数多のフォローや配慮をしてくれて感謝しかない。
週2日と4時間半が次第に延び、フルタイムになり、正職員待遇になった。精神の手帳も2級から3級に見直された。生活保護は基準より収入が上回ったため停止され、半年後に打切りになった。福祉事務所に頭を下げに行ったら担当のケースワーカーさんに激励していただいた。
正職員待遇とはいってもあくまで障がい者雇用なので、健常者とまったくの同一条件ではないけれど、少なくとも今は野球中継を素直に楽しめるようになったし、親や兄・妹との関係もある程度戻ったと思う。兄のところには2人子どもがいるし、妹も近々結婚するらしいことを聞くと、私は家庭を持っていないことが兄や妹と較べてレベルが下だが、これはさすがに相手のあることだから自分だけが足掻いてどうにかなるものでもないし、仕方ない。
お金だけがすべてではないが、今は保護費より相当多い給与を貰えているし、そのおかげで保護の頃より僅かだが広く便利がいいアパートに移った。雑誌や文庫本くらいならそこまで財布と相談しなくても買えるようになったし、何より「お天道様の下を堂々と歩ける」ようになった。
もちろん、今後また何かの弾みで生活保護に助けてもらうことにならないとも限らないが、保護に依存しないように、備忘録として残したい。