はてなキーワード: ごろごろとは
ここ数週間でのことだ。
家にいるときは、だらだら寝ているか、もぐもぐ何か食べているか、しこしこオナニーしているかが行動の大部分を占めるようになった。
とても自己嫌悪。
欲にすべて支配されていて本当に情けない。
寝ているモードのときは、睡眠状態ではない場合でも、本当に、起き上がることができない。起きるぞ起きるぞ起きなきゃと心で念じても、体が動かない。
眠気がなくなってトイレとかでやむを得ず起き上がると、基本的にずっと、何か食べたい気分でいる。
空腹というよりは、口寂しい感じ。ぜんぜんおなかへってないのに、なにか食べたくて仕方がなくなる。
買い物した分は帰ったらすぐにぜんぶ食べてしまうため、基本的に家にはなにもない。
なので何か食べるにはコンビニやスーパーへ行かなくてはならない。
「お前さっきまで起き上がるだけで何時間も苦戦してただろコンビニ行くのなんかもっともっとめんどくさいじゃん。お腹減るまで待てよ」
と試しになだめてみるも、効かない。財布もって出かけちゃう。
おにぎりとかパンとかホットスナックとか買って、甘いものが好きなのでデザートと称してシュークリームみたいなものも一緒に買い、家でむしゃむしゃ食べる。糖質だらけ。たまに野菜ジュース買うけど基本的に野菜食べない。すみませんxevra先生。
食べ終わったあと、お腹いっぱいになったけどまだ食べたい気がする・・・となり、またコンビニへ。どうしようもない。
ごろごろしてもぐもぐして、少しぐらい運動しなきゃなと思いながらするのがオナニーである。
xevra先生も心拍数を上げろっていってたから(ちなみに私は腕にはfitbitを巻いている)、1日最低でも3回はするようにしている。
ただ、やはりオナネタを探す時間は無駄だし、終わったあとも疲労感が強くあり、しばらくすると寝てしまう。
なんかの病気なんだろうか。
ブラック勤めというわけではないのでこれよりも大変な人はたくさんいるんだろうけど、明らかに、学生時代には感じなかった、強い喪失感みたいなものがある。そして現実的に生活内容が破綻している。
歩いたり走ったりする用にウェアとかシューズとか、fitbitとか買ったのにぜんぜんできていない。
瞑想する用にJINSMEME買ったのにぜんぜんできていない。
気軽に野菜食べる用に電子レンジ買おうかなと考えていたところだけど、結局できなさそう。やめとこうかな。
TOEIC受けるとか具体的な目標たててみようかな。でもできなさそう。
でも
こうやって増田に文章を書けたこと自体、ここ最近の人生のなかではかなり生産的なことなので、少し嬉しい。しかも内容はともかくとしても、途中で投げ出さずに書き終えられた。おれ頑張った。
せっかくだから去年精神壊されて出版業界ドロップアウトした私が現状教えてやんよ。
漫画。普通に雑誌に連載しててその時点で超話題とかじゃない限り、普通に考えたら1巻は1万冊刷れるかどうかだ。
【全国 書店数】 で検索すれば出てくるけど、いま全国で書店は13000店くらいあるわけで、正直1万冊刷っても入らない店は山ほどある。
【今月の漫画】 で検索すれば今月の漫画の冊数だいたい分かるけど、720冊以上出てるわけ。
720冊ってことは、毎日24冊? 新刊台のサイズ考えたら、出た次の日には棚に移ることも多いレベルなワケ。
ジャンル毎とかで置き場所変わるが、まあそれでも1週間見えるところにあったら上出来も上出来。
てことは、最初の1週間で買ってもらえないと日の当たらない場所に行くわけだ。
んでもって最初の1週間の冊数を見ると、統計的に1か月後とか半年後の冊数が計算できちゃうわけ。
重版ってのがある。
最初に刷った数じゃ足りないから追加で刷ることだ。要するに売れてるってことだな。
…たまにそれを逆手にとって初刷りをわざと少なくして即重版商法をする会社もあるから一概に言えないけどな。
この辺は会社でルール違うけど、まあ、初週で6~7割売れたら重版だろうな。
つまり、一週間で6000部だ。6000部は途方もない数だぞ?
まして月に720冊以上出てる世界だ。そこから飛び抜けなくちゃならねえ。
初動で6~7割売れてる本は、書店だって馬鹿じゃない。ちゃんと売れてるって分かる。
だから追加の発注をするし、長い間店頭に目立つように置いておく。
だが普通に3冊しか入らなかった本が1週間で1冊しか売れなかったら即座に棚行きだ。場合によっちゃ返品もあり得る。
初週で売れないってことは、書店を味方にできないってことだ。
さっき統計の話をしたが、統計的に見ると1巻を買った人間が2巻を買う確率、継続率は7割くらいだ。
1巻の半年に2巻が出たとするだろ?
その時7000部売れてたとする。半年で7000部なら、順調に売れ続けても10000部で足りなくなるのはあと半年以上はかかる。
じゃあ2巻は何部刷る? 5000部だ。7000部の7割だから上に丸めて5000部。
ここに問題がある。5000部だと、全部売れても赤字になりかねない。
会社の信用のために2巻を出すか、利益のために出さない判断をするか、そういう境目だ。
よほどのことがない限り、1巻が売れなきゃ2巻がめちゃくちゃ売れることもない。
雑誌でめちゃくちゃ盛り上がってれば違うが、だったら1巻が7000部ってことはないだろ。
1巻が初動で売れないとこういう悲劇になる。いや、悲劇じゃない。
単にその漫画がつまらなかっただけだ。目にとまらなかっただけだ。話題性がなかっただけだ。
本当か? そんなことないだろ? 売れてないけどおもしろい本は山ほどあるだろ?
だが生き残れなきゃ、生存戦争に勝てなきゃ意味がねえ。全くもって意味がねえ。
だから、初動で買ってくれと言うのは正しい戦略さ。どんどん言うしかない。
紙が売れなくても電子が売れれば続刊を出せという声もよく聞いたよ。
だがな、思ったほど売れてねえぞ、電子は。5万部売れる本で5000部も売れねえ。
1万部の本なんて、500部とかの世界だ。まだまだちっちゃい世界だから、頼れるのはまだ先だろうな。
印税の話をしよう。
紙の本の印税は
刷った冊数×値段×印税率
売れた冊数×値段×印税率
紙の本は刷った冊数で計算すっから、印税は圧倒的に紙の本の方が多い。
その分刷るコスト、在庫管理のコスト、その他のコストも紙は圧倒的に多い。
そして電子の売り上げでは、紙の本を印刷するだけの費用は稼げない。
これが、電子が売れても紙の本で続刊を出せない理由だ。単純だろ?
電子で売れていれば電子だけで続刊を出せばいい。なるほど、慧眼だ。
さっきの1巻7000部売れた本でシミュレートしてみるか?
1巻が紙で7000、電子が運良く700売れたとしよう。
2巻は紙で5000刷って、実際売れるのは良くて4000くらいだろうな。売ってる店が減るから、買えない人間も出てくる。
電子も継続率は7割くらいだ。となると、電子が売れるのは500か?
そして3巻だ。4000部の7割。2800部。当然そんな冊数じゃ本は作れない。刷った瞬間大赤字だ。
どうする?電子だけで出すか? なら電子を出すための原稿料はどこから出る?
もし電子を出して4000+500の7割、3000部売れると思うか? 売れねえよ。
電子だけになったら、おそらく1500部がいいところだ。それでも売れすぎかもしれねえ。
紙で出せないってことは、世間から見れば打ち切りだ。打ち切られた作品をわざわざ買うか?
しかも作者に入る印税は紙よりはるかに少ない。それでもいいなら交渉の余地はあるかもな?
そんなことだったら、新しいのを始めて次の1巻を出すことを考えた方が建設的だ。いや打ち切り作家に明日は無いか?
てなわけで結局、紙の本が初動で売れないと、続刊なんて夢のまた夢。頑張っても3巻打ち切りだぜ。って話。
毎月700冊の勝負に勝って、読者に金を使わせないと駄目な世界。ネットでは金を払わなくてもエンタメがごろごろ転がってる時代。
http://toyokeizai.net/articles/-/149043
厳密に言うならば底辺ではない。確かに偏差値ランキングでは最低クラスだが、それでも↑の記事に出てきた学校よりはいくらかマシだった。
ただ、あの学校で非常勤講師として教えていた当時いくつかの『おかしい』と思った点があったのは確かだ。備忘録を兼ねてここに書いておく。
IQが20違うと会話が成立しないという。増田のIQは110程度である。よって、増田と会話が成立しないのはIQ130越えの天才か、IQ90未満の知的に危ない人である可能性が相当にある。そして学校的に、前者である可能性は極めて低い。
これはあくまで推測だし絶対視はできない。だが目安程度にはなる。
その意味で言うならば、明らかに相手の理解が追いついていなくて会話が成立しない、という体験はそれほど無かった。
何人か怪しいのがいたのは確かだが、大多数の生徒は知識に多少不足があっても根本的に頭の回転の速さ・地頭力で劣っているという感触は無かった。
原因は何であるか、簡単な話だ。勉強していないだけだ。それでも、テストの前には対策をしようとする意志はあったし、増田が(東洋経済の記事にあるようなテスト対策プリントではないが)ある程度点を取るための配慮をしたらその分は効果があった。
1で書いたように知的に問題はなくて単に勉強していないだけ、というのはそれで良い。教師としては良くないが、それでもマシな部類だ。
それ以上に見過ごせない違和感は、背が低い子が多いことだった。厚労省の統計によれば高校生女子の平均身長は158cm前後のはずだが、明らかにその学校の平均身長はそれよりも低い。
165cmを越えている女子をまず見ない一方、150cm前後の女子がごろごろいる。たまたま遺伝的にそういう子が揃っているという状況はあり得ない(そうなる理由があったら教えてほしい)が、原因が栄養状態なのか睡眠などそれ以外の生活習慣なのかはよく分からない。
確かにお腹を空かせている子は多かったが、成長期(かつある程度体重を気にしていれば)はそんなものだとも思うし。
だがどちらにせよ、3で書く理由も相まって基本的な生活が良くない生徒が多かったのだろうとは思えた。
着任して早々に先輩教員から言われたことの1つに「親が離婚したりしている子も多いので、絶対に『親』ではなく『保護者』と言うようにしてください」というのがあった。
実際、年度途中で名字が変わった子もいたし、教員同士の雑談で「あの子は親の虐待から逃げるために家出中らしい」なんて話も聞いたことはある。(余談だが、彼氏の子供を妊娠しちゃったから中絶したい、という子もいた)
それとは別の話として、一般的に偏差値の低い学校ほど校則が厳しい傾向にある。あの学校も例外ではなく、増田も管理職の先生から「先生は非常勤ですし基本的な校則の注意は担任がやりますけど、それでも服装や髪型でこれこれの違反があったら注意してくださいね」とは言われた。
そのように校則の厳しい学校ではあったが、生徒のアルバイトは禁止していなかった。担任や管理職の先生の前で生徒は平気でバイト先での話などしている。ナンペイ事件(八王子スーパー射殺事件と言ったほうが通るか?)以来、学校はトラブル回避のためにもあまり高校生のバイトは推奨しなくなっている割には意外だと思った。
だが間もなく、バイトを禁止していない理由を察した。禁止していないというより、禁止できないのだ。
流石に、バイトしないと学費や生活費が払えないというほどでは無かっただろう。そもそも学校に来ていない子や年度途中に学校を去った子には学費・生活費レベルで困っていた子もいたのかもしれないが、それは増田の立場では分からなかった。
だがバイト代の一部は家族の生活費にしていたり、あるいは友達と遊びに行ったり─教員としても「よく学び、よく遊べ」とは思う─自分の服や趣味の物(家が貧しいからと言って子どもが趣味一切無しで良いとは思わない)を買ったりするのに十分な小遣いをもらえるほど家が裕福ではない、という子は多いのだろう。だからバイトが禁止できない。
その程度には家庭環境が良くないから、2で書いたような身長の低さにも繋がってくるということだと気がついた。
Q1.背の発育が悪かったそうですが、乳の発育も悪かったんですか?
A1.若干悪かった気がしますが、制服の上からじゃ分からないですね。
Q2.というかなぜ↑が分かる
A2.女子高生に限りませんが、制服など体のラインが出にくい服の上からでも、大きければ分かります。小さい方は分かりませんけど。
昨日は丸一日布団から出ることができず、今日はまったく作業に手がつかなかった。感情の整理のために文章に起こす。
最後にセックスをしたのは三年半前、大学二年生だった頃のことだ。その年の頭にできた二つ上の彼女とした。
サークルで知り合った彼女はお世辞にも美人とは言えないが、いわゆる可愛い系の女の子で、特に付き合ってからはこちらのほうが歳上なのではと錯覚するほどだった。とても可愛かった。付き合っていた時期は私が大学一年から二年ということもあり、性欲に身を任せて彼女とひたすらセックスをしていた。徐々に彼女の下宿に入り浸ることになり、付き合って半年弱の別れる寸前にもなると週四日ほど泊まることもあった。半同棲生活だった。
彼女が就活のストレスを発散するためなのか、年度が変わったあたりから彼女から身体を求められることが多くなった。その頃には彼女とのセックスにも慣れてきて、お互いが満足するまで何度もセックスをした。所詮サル大学生ということもあり、単にセックスができることが嬉しかったし、何より彼女に求められてそれに応えることができることが嬉しかった。付き合い始めはセックスをするために付き合っていたところもあったが、その頃にはきちんと彼女と一緒にいることに幸せを見出していた。セックスのあとによく結婚しようねと幼稚園児のような幼稚な約束を交わして、そこからまたセックスすることもあった。本当に幸せだった。
彼女の就活もあと面接を数回残す段階になった頃、私は彼女と別れた。
私はいつものように彼女の下宿に合鍵で入り、あまり自炊をしない彼女のキッチンで夕食を作りながら面接終わりの彼女を待っていた。米を炊き始めたところで彼女が帰ってきた。しばらくして夕食ができあがり、食事をしながら面接の感触が良かったとか、次の面接はいついつでおそらくそれで終わりとかそういった会話をした。
その後、彼女のあとにシャワーを浴びてごろごろとしているとムラっとしたので、いつも通りセックスをしようと彼女に抱きついてセックスを迫った。いつも通り彼女は受け入れ、その日も好きなだけセックスができると思っていた。しかし、その日は違った。抱きついた腕が優しくほどかれた。
「ごめん、今日は疲れてるの。先に寝るけど、今日はナシでね。ごめんね」
疲れていてもなんだかんだでいつもするじゃないかと文句を言いながら彼女が入ったベッドに潜り込み、胸を揉み、服を脱がそうとした。ここでいつもの彼女と違うことにやっと気づいた。
「本当にごめん。今日だけは休ませて、ね?」
あやすように頭を撫でてくれた。このとき今までに覚えたことのない感情に襲われた。彼女にセックスを拒絶されたことが引き金となったのか、彼女をもっと支配したいという気持ちが強くなった。
正気に戻ったときには彼女が泣きながら怯えるように震えていた。汗と涙で彼女の身体は湿っていて、彼女の膣からは精液が溢れ出ていた。彼女が何度も小さな声でごめんなさいと許しを求めていた。混乱した。目の前の光景が何を意味しているのかわからなかった。そして、私は逃げるようにゆっくりとその場を離れ、自宅に戻った。自室についても何がなんだかわからなかった。
私は彼女をレイプしたのだ。そう気づいてからはもちろん彼女の下宿先に行くことはなくなり、会うことはおろか連絡すら取らなかった。私も、そしておそらく彼女の方もお互い気持ちの整理ができなかったのだろう。
彼女に連絡をしたのはあの日から二週間ほど過ぎた頃だった。一度きちんと話をしたいと短いメッセージを送った。返信がなくても仕方がないと思っていたが、五分もしないうちに彼女から返信が来た。彼女の方も話したいので一度彼女の下宿先に来てほしいとのことだった。
下宿先に着きインターホンを押すと彼女がそっとドアを開けた。久しぶりだね、と優しく微笑んでくれた。
机を挟んでから少しの沈黙の後に話を切り出した。つらいかもしれないが、あの日のことを話してほしいと聞いた。彼女はうっすらと笑みを浮かべ、ごめんねと前置きをしてからその時のことを話した。
端的にまとめれば、別人のように豹変し、首を絞められ、レイプされて、とても怖かったとのことだった。
あの日見た状況からすぐに考えられたことだったが、本人から言われると息ができなくなるほどつらかった。彼女はあの時もこの話をしてくれたときも恐怖にさらされていたのだろう。そう考えると、目の前にいる彼女の浮かべる笑みがどれだけ彼女を追い詰めているのかを訴えているように見えた。私は本心から彼女に謝ったが、どんなに謝っても私自身その謝罪が形式的なものとしか思えなかった。
それからほどなく、彼女との関係を断つ話がまとまった。彼女からはまだ頑張れると交際を継続することも提案されたが、無理をし弱った声で発された提案には賛同できるはずもなかった。こちらから別れを申し出ると、少し目を潤ませながら少し安堵が混じった声で、そっか、ごめんねと彼女は言った。
合鍵を返し、玄関で彼女と別れの挨拶を済ませて、彼女と別れた悲しみや彼女を恐怖にさらした自分の不甲斐なさに対する怒りもそこそこに、私の母親への憎しみが心に染み付いた。
彼女と連絡を取れなかった期間、あの日から数日もしたら DV やレイプについて調べる様になっていた。どうやら DV をしやすい人間は両親との中が悪かったり自身も DV や虐待を受けていたりすることが多いらしい。調べていると段々と自己嫌悪に満たされていくとともに、幼少期母親から受けた行為について鮮明に思い出すようになった。
私が小学二年生の秋、母方の祖母の死をきっかけに両親の仲が悪くなり、頻繁に母がヒステリックを起こし父と激しい喧嘩をするようになった。私や姉が止めに入ると母は、この子達を泣かせているのはあなたのせいだと父に激しく怒鳴り、喧嘩はより激しくなっていった。それから、子どもたちはあなたに近づけさせないと母は宣言し、同じ家に住みながらもほぼ別居状態になった。
家庭内で完全に父との交流が絶たれて一年ほどが経ったとき、台所で夕食の手伝いをしていた時だった。母に、そろそろ父と仲直りをしてもいいのではないかと子供らしく思ったことを率直に言った。
母は、なんでそんなことを言うのと小さな声で囁き、私を蹴り飛ばし包丁を突きつけた。目の前の光景に身動きが取れず、全身が恐怖に包まれた。
母の叫びとともに顎に包丁があたり、血が流れた。直後、母親は正気を取り戻したのか包丁を引き、涙を流しながら謝ってきた。それからは、ここまで苦しんでいる母はえらいに違いないと思い込み、母の言うことに従い続けた。母の要求に応えられたときには喜びさえ感じた。
しかし、高校二年のときにそれがある意味での洗脳であることに気づき、母に悟られないように家庭内で少しずつ母との距離を置いていった。自分で考えて自分の気持ちで自分で行動する、オトナになるためにはそれが必要だと思った。多少の反抗心も芽生えたが、また母をヒステリックにするのはこちらが無駄な被害を受けるだけだと押し殺していった。
母による支配からは脱していたと思っていた。特に大学に進学してからは自分の意志で好きなだけ勉強できたのもあり、完全に自由の身だと錯覚していた。だが、現実はそこまで甘くなかったのだ。母による支配は私に後遺症のようにしてこびりついていたのだった。未だに母からの支配を振りほどけていない自分に呆れ、怒り、苦しんだ。そして、よくも好きだった人を傷つけさせたなと、母に対する激しい憤りを感じた。
彼女は妊娠することもなく無事就職し、きちんと生活をしていることを彼女の友人経由で聞いた。それを聞いて安心し、悔しいけれど彼女に固執することなく生きていこうと心に誓った。そうは言うものの別れてから最初の一年は未練が残りどうか復縁できないかと方法を考えることもあったが、大学四年に進級するころにはもうすっかり諦めていた。彼女は彼女らしく生きてほしい、そう思えるようになっていた。
それはさておき、ここ半年ほどでとある女性に興味を持ち始めている。大学の友人の高校の頃の友人で、Twitter 上でしか縁のない人だ。顔も名前も知らない人に恋をする、なんともまあ現代っ子である。
彼女のいわゆる裏垢は私の他数人のみがフォローを許されている。そのアカウントでは彼女の家庭の事情が語られることが多い。彼女はしがらみに負けずに自分らしく強く生きようとしていた。そこに憧れて、おそらく惚れている。
地理的には遠距離となるのでなかなか踏み切ることができていないが、一度会って話してみて、できれば交際したいと考えている。しかし、その段階になるとまた改めて恐怖を感じる。また付き合って、愛している人に暴力を奮ってしまわないか、そう思うとより積極性が削がれていく。
付き合ってみなければわからない、そう思ってはいるものの、以前付き合っていた彼女の事例と同様あるいはそれ以上に悲惨な事態に陥る可能性があると考えるとどうしても前へ進めない。自分で自分を制御すればいいのだけれど、それができる保証がどこにもないという事実が行く手を阻む。結局、母による支配の後遺症に悩まされ続けている、あるいは、未だに支配から脱却できずに苦しんでいるのだ。今もどこかで、人を支配するには恐怖を与えるしかない、そう思っている自分が潜んでると思うと、とても付き合える気がしない。付き合いたいけど、付き合うのが怖い。感情が入り乱れ、よく混乱する。
付き合っていた彼女と別れてからは、きちんと好きな人を愛したい、そういった気持ちを強く持つようになった。死ぬときにはせめて、最後にしたセックスはどのようなものだったかをきちんと覚えてあの世に送られたい。
周りのブラック上司がどうかは知らないけど、自分の場合は100%正義感が原因でブラック上司になってしまっていた。
特定を避けるためにかなりぼやかして書く。
自分が入社した頃の会社は業界としては発展途上、企業としては過去の悪しき習慣を引きずったままの成長頭打ち企業だった。
目の前に集客のチャンスがごろごろとしているのに、新しいことに挑戦して評価を落としたくないくせに残業代をカットされたくないからと無駄なルーチンばかりが業務を圧迫していた。
当然ぺーぺーの自分には山のような無意味なルーチンが回ってくる。ルーチンをこなさなければ古参社員達に批判をスキを与えてしまう。
だから新しいことや自分のやりたいことにチャレンジするには、全てのルーチンを終わらせた後か、休みの日にするしかなかった。
別に会社に特別な恩があるとかよりも、自分の能力に対する好奇心であったり、単純に業績が上がっていくことに対して楽しいと感じていた。
だから、目の前にやるべきことがあるのに、努力しようともせず無駄に時間と給料を食いつぶそうとするその時の社員達がむしろブラック社員に見えていた。
文字通り休みを返上して、毎日の勤務時間は平均15時間はくだらなかった。
30日x15時間-平均定時勤務時間150h(実働7時間。月8休)=残業300hの世界だ。
でもそれは誰かに言われたからではない。
誰にも文句を言わせないために全てのルーチンをこなした上で、やらなくてはならないことややったほうが絶対に成長につながることをやりつづけたらこうなっていたのだ。
そんな目先の賃金より、自分が成し遂げた仕事に対する評価が欲しかった。
古参の社員達を見返したいという気持ちがなかったと言えば嘘になる。でも、それ以上にやりがいを感じていたのも事実だ。
当然会社内での評価はうなぎのぼりで、最短最年少昇格記録を毎年のように塗り替えた。
そんな姿を見てか、古参役職者は次々に理由を付けては会社を後にし、それも手伝ってか更に加速度的に役職を駆け上がることになった。
視点が変わってもやるべきことややりかたが変わっただけで、相変わらず使えるだけの時間をすべて使って仕事をし続けていた。
いつしか誰よりも早く出社しないと気がすまなかったし、社員達が全員帰るのを見送らないと気がすまなくなってしまっていたのだ。
ただ、自分がやりたい仕事や新しいことへの挑戦は、日常業務以外の時間帯にするのが当然だと思っていたし、自らがそうした見本であり続けようと思っていたのは事実だ。
無言のままに、僕の下で出世したければ僕と同じ働き方をするのが当然だと考えていたのだ。
だから自然と社員たちの間で早出残業は当然(自分ほどではないにせよ)だったし、規定の残業代以上を請求してくる人間もいなかった。
しかし、そんな生活は当然長くは持たず、入社から8年ほどで大きく心身のバランスを崩してしまうことになった。
ある日、ストレスの大きな案件を幾つか同時にこなしている最中に、突然呼吸が乱れたかと思うと、涙が溢れ出し止まらなくなってしまった。
その日に限ってたまたま社に顔を出していた本部の上司に別室に連れていて行かれたが、呼吸の乱れや嗚咽が止まらず、全く喋ることができなかった。
その後はひとまず早退することになったが、翌朝から仕事のことを考えるだけで精神と肉体が働くことを断固拒否するようになってしまった。
何と伝えればいいのかわからない状態で受話器を持ったまま時間ばかりが過ぎ、結局上司からの着信を何の準備もできないままに受けることになってしまった。
昨日同様、まともに会話のできない自分に、上司から一週間の自宅療養(勤務禁止)を命じられた。
その間は、常に自らの評価ばかりが気になっていた。
部下から陰口を叩かれているのではないか。仕事に穴を開けたことで会社から大きなマイナス評価をうけてしまうのではないか。取引先との信用問題になってしまっているのではないか。
今すぐに会社に行きたい気持ちに反して、身体はまったくもって動こうとはしなかった。
いっそのこと死んでしまいたい。その時は本当にそんなことばかり考えていた。
自宅療養の間はほとんど外出はせず、所有している漫画やDVDばかりを見ていた。
そのままでは何も進まないと、予定通り1週間後に出社を決意した。
そうして出社してみて驚いたことは、誰もが心配してくれていて、誰もが笑顔で迎え入れてくれたことだった。
誰一人というのは大げさだが、無関心な人間はもとより無関心であったり、不満げな人間はもとより不満げな態度ばかり見せる人間だということもわかった。
しかし、何よりも驚いたことは、自分が一週間休み続けたことで、何一つ営業に支障が出ていないということだった。
あとで聞けばそれなりの苦労はあったそうだが、むしろ使命感があって仕事が楽しかったという意見がほとんどだった。
さらに、今まで無能だと思っていた数名の部下が率先して活躍していたと言う話を聞いて耳を疑ってしまった。
じつにこの一週間で、今までさんざんに手を焼いてきた組織が、今まで見たこともないような成長を遂げていたのだ。
そうした状況に嬉しさと安堵が入り交じる一方、一つの大きな疑問が湧き上がっていた。
自分は一体何と戦っていたのだろうという疑問だ。
腐っていた頃の社員はほとんど追い出して、残っている人間は自分に対する理解者だ。
それでも尚自らが第一線に立ち、誰よりも長い時間働き続けることにどんな意味があったのだろうか。
他者を認めずに自らのやり方で第一線に立ち、自らと同じ美学の人間だけを認めることを誰が喜んでいたのだろうか。
その時、他でもない自分自身がこの会社を世に言われるブラック企業へと推し進めていた事実に気がついてしまった。
それからと言うもの、早目の出勤は変わらないものの、帰りはできるだけ早く帰るように心がけた。
そのことについて誰かから反対や侮蔑がないか気になったが、そんなものは全くもって杞憂だった。
振り返ってみると、自分が帰った後に社員たちが真面目に働いているのかが気になっていたのかもしれない。
部下がしっかりと働くことを監視すること。それも一つ、自らの大きな使命だと勘違いしていたのだ。
果たして社内の生産性は、下がるどころか今まで一番の成長を見せることとなった。
それまで無能と思っていた人間が意外なタレント性を発揮し、自分しか務まらないと思っていた業務も、やらせてみれば自分以上の創意工夫を見せる社員が多く現れた。
ある意味では、自らの評価を失うことを恐れるあまり、働き方を変えるきっかけを見失っていたのかもしれない。
しかし、その生活になって評価を失ったかと言えばそれはノーだ。
現実に、自らが取り仕切る組織は業績を上げ、その評価はダイレクトに自分へと返ってきている。
誓って言いたいことは、自らが進んで会社をブラック化させたかったわけではないということだ。
むしろ自らの面倒を見る組織に属する人間たちの評価を落としたくない、自分と携わった以上成長させたいと望んでいたのだ。
しかし、そのために自らが犠牲になるという手本になろうとすることこそが、組織そのものをブラック化させる原因になっていた。
しかも、その場にいる大半が、それが不健全であるということに気がついていなかったのだ。
考えてみれば、新規に採用する人間の中で仕事が耐えられないと言ってやめていく人間の数は年々増加傾向にあった。
それを見て「最近の若いものは」と考えずにいられない自分がいたことも事実だ。
しかし、それこそが自らの過ちを知るための警鐘だったのかもしれない。
時代は動いているものなのだから、変わっていくべきは組織なのだ。
今でこそそうした働き方を強要していればすぐにブラック企業のレッテルを貼られ、社会から糾弾されてしまうことだろう。
未だに発作のように心身のバランスを崩すことがあるが、あの時、無理にでも立ち止まれたことは人生の中で一番の幸運だったと思っている。
ブラック企業問題は、その時の業界や企業の成長具合によって原因が異なるものだ。
見込めない生産性を埋めるために強いれば問題は露呈し易いが、働けば働くほど稼げる状況であれば、それが悪だとはなかなか気づけるものではないのだ。
もしあの時、信用できる上司に「働きすぎだ」と言われたら自らは止まることができただろうか。
韓国の団体が2つくるってんで騒がしくなりそうだなあとゲンナリ
また、団体が来るせいかおいてある料理や肉も種類が少なく感じた
最初はすごいわくわくしたけど取りすぎてゲンナリするところまでがデフォ
また当分こなくていいかな
終わってトイレ個室入ってたらノックもなしに何度もガチャガチャしてきた韓国人死ね
礼儀知らずすぎる
その後川棚温泉へ
露天風呂のぬるいところで仰向けになって顔だけ出して目をつぶってたゆたうのがすごく気持ちよかった
1時間ほどで出た
待合スペースっぽいところで中島みゆきの糸がインストでかかってた
山口は安倍晋三の地元だから、晋ちゃんセットっつって安倍晋三の顔のイラストのシールがはってあるだけの醤油が売られてた
それ以外にも車で走ってるとあちこちに安倍晋三のポスターがあった
温泉のあとは角島へ
島よりも本土と島を結ぶ橋の方が有名というところ
あいにくの天気だったけど、本土から島までまっすぐ伸びる海をつっきる一本の橋は、たしかに沖縄っぽさというか北海道ぽさというか、すごく場違い感を覚えた
こんなとこが山口なんか(失礼)にあったんだーと思った
角島では灯台に行ったけど、荒天のため閉まってた
見上げると展望台のフェンスとか結構低く見えて、こんだけ強風だとそりゃあぶねーわなと思った
人間がすぐ近くにいるのに少しだけ鳴いていた
その後は道の駅へ
おみやげとか買った
でも昼すたみな太郎でまだおなかいっぱいだったから買わなかった
誰々がチェーンソーで作ったほっくん像が置いてあった
でも目が真っ黒で大きくて底知れない怖さを感じた
せめて少しハイライトがあればまだ違うんだろうけど
なんか寄生獣みたいにくぱあと顔が開いてぎざぎざの歯がいっぱい生えてそうなイメージ
その後帰路についた
家についたときには真っ暗
夜はうどん
高校か大学かでレポートを書かないといけないっていうのにゲンナリしてた夢だった
休み前にまだ残してきた仕事があるからこんな夢みたんだろうなあ
最悪
トイレ行ってフルーツミックスジュース飲んで歯磨きして今日記書いてる
そういや最近残業ばっかで休日も寝てばっかで、好きなマンガがほとんど読めてないしゲームもできてないなあ
やめたくてしょうがない
近々人事制度とか給料とか変わるし今よりも全体的に下がりそうだし、それでも仕事量は増えるしがんばれって言われるんだろうし、それ逆だろと
給料減るけどがんばれってどんだけやねん
もしくは
だろJK
さすがに現状のままだと数年以内にやめるかなー
最低でもあと1年?くらいはがんばるつもりではいるけど
5年後はどうなってるかわからんなー
一昨日エゴグラムテストしてみたけど、↓みたいなタイプだからほんと社会的生物としては終わってるわ
人生に対して積極的にとか言われてもそれができないタイプだっつってんのになんちゅう矛盾した判定結果だ
自信喪失のタイプであると、申し上げて置きましょう。極言すれば、貴方の肉体は自主独立の魂を欠いた、一種の抜け殻的な存在とも言える訳で、周囲の人々の圧力や示威が、世に云うテレパシーのような形で、貴方の中へ入り込んで来て、貴方の言動を、あれ、これと、操縦して仕舞う訳です。いわゆる強度な自己不全観念の持ち主と云う事になります。云うなれば、人に良く思われたいと云う気持ちが、強すぎると共に、自分が役立たずや能無しではないかと云う劣等感も強く、過敏型ないしは、強迫神経症型の、性格異常を招き易いのです。今後は、もう少し自分に自信を持つ事です。自分より尚一層、下らない人間、詰まらない人間、役立たずの人間は、この世に数限りなく居るのだと云う事を、常日頃から、自分に云い聞かせるようにすると共に、周囲の人々も一皮剥けば、自分と五十歩、百歩であり、自分は唯、根暗(ねくら)で表現力が無いのと、物事に正直なだけに、悩むことも人一倍多い、本当に人間らしい人間なのだと、全てを良い方へ解釈し、胸を張って開き直る事です。
詰まらない相手に、一度引っ掛かって仕舞うと、方向修正や出直しの容易に出来ない性格だけに、一生を棒に振って仕舞うような危険性も、かなり高いタイプです。結婚後は相手に対して、箸の上げ下げにまで気を使うような、姑息な配慮の仕方では無く、相手に貴方と結婚して、本当に良かったと思わせるような、大きな愛情、巧まざるユーモアなどを身に付けるように、心掛けるべきです。
職業適性
芸能、芸術、文芸などの分野には、殆ど適性が無いでしょう。事業家、政治家、治安関係公務員、法律家、金融業、質業、医師などにも不向きです。保母(父)、看護婦(士)、単純サービス業、一般公務員、一般事務員などでしたら、別に性格的な面からの差し障りはありませんが、中間管理職などになった場合には、上下の板挟みで、かなりの苦脳を覚悟しなければならないでしょう。
対人関係
もう少し図太くなる事を心掛けると共に、人生に対して、もっと積極的に好奇心や探求心を持ち、自分にも他人にも、もっと厳しく無闇矢鱈(むやみやたら)な妥協を排することです。
まあ落ち着けよ。おまえさんだってたとえば適切な「ゾーニング」に対して文句言うほど狭量じゃないだろう? 子どもの手の届くところにポルノがごろごろしてる状況見たら文句の一つも言いたくなる人がいることぐらい理解できるだろう? たとえ「合法的ポルノ」であったとしても。 それに、おまえさんだって、たとえば子供らが行き交う駅前で、「ポルノは最高であります! もっとポルノにあふれた世の中を!」とか大声で叫んだりはしないだろう? 大人の有権者相手に演説するくらいのことはするとしても、無制限に社会全体に対して大声で主張しなくてもいいだろう? だとしたら、この女の言ってることと、それほど立ち位置が違うわけじゃない。
おまえさんがどんな趣味かは知らないが、その趣味の何かを購入するとするだろ? そうするとその業界儲かるだろ? 潤うとそういうコンテンツが増えるだろ? つまり、おまえさんは「購入」という行為によっていわばその趣味について社会的に「一票を投じている」も同然なわけで、それって「一種の意思表示行為」だろ、ということをこの女は言ってるわけだ。だから「購入」といった行為自体は無色透明の自由ではない一種の社会的行為だ、だからそれを制限することは「『内心』の自由」の侵害には当たらないのではないか、と。それ自体は、必ずしも間違った主張とは言えないよ。
たとえば……殺人趣味をもち妄想しているヤツがいたとしても、殺人を素材の一つとして扱った刑事ドラマを見て妄想をふくらませて満足しているとかならそれは「内心の自由」としか言いようがないだろう。だが「殺人シーンが好きな人間のためにそれのみを目的とした」スナッフビデオを積極的に買い集め、そういうヤツが増えた結果それが氾濫し、しまいに合法非合法の区別すらつきづらい状況が発生してきたら、それはさすがに安寧秩序を乱すとして取り締まられても仕方ないんじゃないのと思わないか。この場合、そういうビデオの製造販売を(場合によっては購入も含めて)取り締まることは「内心の自由の侵害」にあたるとして絶対に許されないことか? そういう不幸を生じさせないためには、せめてゾーニングが必要だし、見る側にもわきまえが必要だろ。それが、他の人の「安寧に暮らしたい」という気持ちを尊重することにつながり、ひいては自分たちの良識を示し趣味への理解を広げることにもつながるからな。そのとき「内心の自由じゃねえか!」と騒ぎたてるのは、明らかに筋悪な主張だ。
もちろん、どんなに「ゾーニング」をしても、のぞき込むようにしてやってきて「外から見える!子どもにも見える!」と騒ぐ人というのも、まあいる。この女も、そこそこそれに近いとこはあると思う。だが、仮にそう騒がれたところで、事実「外からも見える」し「子どもにも見える」のだとしたら対策するしかないし、そうでないとしたら「見えていませんよ、あるいは見えているとしても現実的には大した量じゃありませんよ」といって、しっかりゾーンを守るしかないんじゃないか。騒ぎ立てる人に対して「中でやってんだから勝手だろ!」と騒ぐのは悪手だよ。ヒートアップして騒ぎ立てられたらますます「外から見える」状態になる以上、弱いのはゾーンの中の方だ。それが分かってるから騒ぐ人は騒ぐのであって、ゾーンを守りたいなら、押さえる点は押さえつつ、ラインを踏み越えないように冷静に対処し続けるのが大事だと思うよ。
よし。妻の帰りまでに腕によりをかけて作っておいてやろう。
そう思っていた矢先、それを牽制するように「カレーはパッケージの裏通りに作るのが一番美味しいよね」と僕に釘を差す妻。
「だよね。ためしてガッテンでもそう言ってたよね。」
同調する返事を返すが、もちろん納得はしていない。
なぜならためしてガッテンにはまだ続きがある。
パッケージに書いてある通りに作るのが一番美味しい理由は、全体の味のバランスが取れているからというのが理由だ。
そしてもしアレンジをするなら、ルーを少なめにした上で、バランスを取りながら行なうべしとされている。
ならば水を増やせばその分アレンジの許容量が増えるというわけだ。
カレールウ半パックに対して水750ccと書いてある。ならば水を800c、具材の水分を少し多めにして、その分アレンジをさせてもらおう。
牛ほどのホロホロ感はないが、豚くらいの噛みごたえとそれでいて癖の無さがカレーにぴったりなのだ。
しかしそれでは物足りない。ここに鶏肉に対して1/3程度のやや脂身の多い牛バラ肉のスライスを細切れにしていれるのだ。
そうすることによってカレー全体に牛の風味が付き、鶏胸肉と一緒に噛めば美味しさも倍増するというわけだ。
・鶏胸肉300g
・じゃがいも3こ
・水850cc
・カレールウ半パック(6皿分)
まずは肉に下味をつける。
鶏胸肉を一口大、牛バラ肉スライスを細切れにしてボールに入れ、塩小さじ1、生姜おろし大さじ1、にんにくおろし2かけを入れて混ぜてから1時間ほどなじませておく。
玉ねぎ3つのうち、一つはまるごとみじん切りに、残りは1cm幅くらいの薄切りにする。
そうすることによって、薄切りの玉ねぎ以上に玉ねぎの存在感を感じられるようにするのだ。
じゃがいもは皮をむいて芽を取り除き、2cm角くらいに切る。
鍋にオリーブオイルを引いて、まずは玉ねぎのみじん切りをいれ、強火で5分程度かき混ぜながら炒める。
飴色は面倒くさいが、これでも十分に香りがでる。
その後に細切りにした玉ねぎを加えまた数分間炒め、しんなりしてきたところでなじませておいた肉をまとめて放り込む。
肉を混ぜながら炒め、表面に焼き色がつきスパイスの香りが立ってきたらじゃがいもと水800ccを加える。
ここまでずっと強火でよいが、焦げ付かないように手早く混ぜ続けること。
蓋をしてお湯が湧くのを待ち、沸騰したらアクを取り除き火を止める。
カレールウを一かけらずつ入れては、ダマにならないようによく混ぜて溶かす。
肉にスパイスと下味を付けたので、全体の塩分は比較的間に合っている。
人の味覚は甘い→苦い→辛いの順番に感じるとためしてガッテンでは報じられていた。
砂糖大さじ1どばー。
つぎに苦味といえばコーヒーだ。
インスタントコーヒー小さじ1どばー。
一味唐辛子小さじ1どばー。
全体をよく混ぜて味見。
市販の味のようでいて、そこはかとなくスパイスが際立つ絶妙な旨味バランス。
そして最も大切なことはこれを妻が帰ってくるまでにしっかりと寝かせておくことだ。
何も知らぬ妻は満足そうにカレーを頬張り続ける。
嬉しそうに僕が返すと、妻もまた嬉しそうに頷き返した。
休みの日に気を使わせたくないからとレシピ通りに作ってさえくれればうれしいという意思表示をしてくれた妻に、それでも少しでもおいしいカレーを食べさせてたげたいと悟られないようにアレンジを加える僕。隠し味とはつまりそういうことなのだろう。
平日の昼過ぎ、カップルやイケイケの同年代などに囲まれて、君の名は。を観た。
友達がいないので、スマホを持っているがLINEもしないような人間が、上映前の数分間、覚悟してたが、それはそれは居心地が悪い時間だった。そもそも、あの新海誠の作品が一般に広く受け入られて大ヒットしていることを驚いたことが劇場に足を運んだ理由だった。
いままでそんなこと思ったことがなかった。
自分にとって中学校時代の漫画、アニメ、ゲームの"消費"は、いわゆるリア充である校内の主流派になじめない自分への言い訳だった。
「小2でラノベに触れてしまった。小3で深夜アニメにはまってしまった。小4でエロゲに手を出した。」だから「普通の人と私は違ってしまった」
本当はそんな因果はないのだが、そうしなければ自分を維持できなかったのだと思う。
いつもニコニコ気だるげな受け身の人間、関わってくる人を拒絶せず、自分からは他人に関わろうとしない。
そんな3年間だった。
高校に入学し、その言い訳はさらにひどくなった。"消費すら"を辞めたのである。理由は単純。そこそこ偏差値が高め、だがパッとしない私立高校へ入学したところ、周りにオタクであることを公言する人間が一気に増えたからである。
野球部イケイケしかしオタク。そんな奴がごろごろいた。もちろん世間から典型的オタクと呼ばれるような人間もたくさんいる。
最初はそんな彼らが羨ましかった。前者の人間だけでなく後者の人間すらも。みんな楽しそうにめいめい自分たちの感想を述べている。いままで自分が感じたものを共有することができず、何より他人と考えを共有しようともしなかった自分は彼ら彼女らが本当に羨ましかった。
しかし、交わることができない。そこでコンテンツの消費すら辞めた。
「私はテレビも見ない、本も読まない、一緒遊ぶこともないから出来事を共有することがない(高校から家が遠いことを理由に誘いはすべて断っていた)」だから「普通の人と私は違っている。なじめない。」
そんな考えのもと、他人が楽しそうに生きているのを見ることを趣味をしていた時期があった。
そんな高校生活前半だった。
後半は更にひどいものであった。部活の先輩に言われた言葉がきっかけである。
「○○(私の名前)って今この瞬間、この部の誰かが死んでも何も思わなさそう」
面と向かって言われて、確かにその通りと思った。実際、中学時代の同級生の通夜か葬式かに出た時も同じ部活の同級生だったが何も思うことはなかった。(中学時代の人間とは誰とも連絡先すら知らないような仲だったが帰り道に斎場があり、声を掛けられて出ることになった。)
自分はそもそも何にも興味がないのだろうとそれから思い始めた。
「私は何も楽しめない」だから「普通の人と私は違っている。なじめない。」
何もせずゆっくりと生きていた。
そのまま1年間の浪人生活に入った。人と関わりたくない自分は研究室は向いていない、センター試験後にそう思い絶対安全と言われた国立大学を落とした。浪人生活中にできる限り人と関わらずに卒業できる近場の大学と学部を探した。ゼミ無しで卒業できる文系学部に現役時とほぼ変わらない成績で入った。
親の金を浪費し、予備校までの電車を終点から終点まで行ったり来たり、本を読んで過ごした。そもそも行ってないのだから、当然、予備校の人間に知り合いは一人もいなかった。
ただ自由な時間ができたことで再び漫画、アニメ、ゲームを楽しむことができた。
大学に入った、予定通り人と関わらず過ごしている。
バイトも役を演じればよい塾講師、友達も作らず、飲み会など行ったことなどない。
とても満足していた。
大学を卒業したら家を出て一人で静かに暮らすのだろうと、そのうち専門業者とでも契約して死んだ後の処理をしてもらえるようにして適当に暮らそうと、そう思っていた。
それが「君の名は。」を見たときに自然と「青春をしたかった」と思ったのである。
君の名は。を見て感じたのだからだれか他人を求めているかもしれないが、そもそも家族にすら演じている自分を見せている自分が何ができるのか。人との付き合いの方法など分からない。
どうすればいいのか。どうすることもできないのか。誰にも聞くことができない。聞き方すらわからない。どうすればいいのか。
私が「アイドルマスターシンデレラガールズ」および「アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ」をやめてから、二週間が経過した。
ソシャゲが流行り出して以来、ネットでよく見かけるようになった文面だ。最近では「所詮ただのデータだと思ってたけど、いざゲームを始めてみたら課金する気持ちがよくわかった」なんて声もよく聞くようになった。実際、私もその口だった。ソーシャルゲームという媒体を、所詮ただのデータじゃん、と思いきり馬鹿にしていた。
最初の頃はソシャゲをやっている知り合いなんて私の周りには一人もいなかったのだが、今ではごろごろ見かけるようになった。みんなどうしようもない毒の前にひれ伏していくみたいに、侵食されていった。トリフィドの毒で盲目になってしまった。かつてはソシャゲに課金なんて馬鹿じゃん……、と口にはしないもののそんな態度をしていた友だちたちも、今ではなんだかんだで割とソシャゲの虜だ。私たちの知らないうちに、緑色の流星雨は降り注いでいた。
ソシャゲを始めた当時の私は、まだ高校生だった。その日は休みの日で、たまたまものすごくひまな日だった。ネットサーフィンにも飽きたし、PS2やPS3を起動してゲームで遊ぶ気分でもなかった。読みたい漫画もとくにない。死ぬほど退屈で、だけど外に出かける気力もない。でも退屈なのはいやで、なにか刺激が欲しかった。新しい刺激。目新しいもの。ていのいい暇つぶしになれるもの。私はいつもの癖でなんとなく携帯電話を開いて、手癖のようにインターネットに接続している途中で、ふと思いついた。
ソシャゲという媒体のことは馬鹿らしいと思うけれど、アイマスは元々好きだし、なにより今しぬほど暇だし。暇つぶしでやってみるぐらいなら、まあいいか。私はそんな気持ちでモバゲーに登録し、「アイドルマスターシンデレラガールズ」を始めた。アカウントを新設した当時の私が一番好きなのは、シンデレラガールズのオリジナルキャラクター達ではなく、本家の765プロダクションの我那覇響ちゃんというキャラクターだった。
私がアイドルマスターシンデレラガールズ(以下モバマス)を始めたときには、既にガチャに我那覇響ちゃんのSRカードが追加されていた。絵柄を見てみた。抜群に、かわいかった。欲しい、と思った。モバマスでは、好きなカード5枚を自分のトップページのいちばん目立つところに並べることができる。その中でもリーダーとして設定しているアイドルは、他のユーザーからも見えるようになっている。私は、響ちゃんをこのトップページに並べたい、と思った。
次に、どうしたらこの響ちゃんを手に入れられるのかを調べた。モバマスにはフリートレード機能というものがあって、スタミナドリンクまたはエナジードリンク(いわばお金のようなものです)というアイテムをたくさん持っていればフリトレ機能で響ちゃんを手に入れられるというのがわかった。では、モバマス内の通貨であるこのスタドリはどうすれば手っ取り早く大量に手に入るのか?
答えは、ガチャを回して、高いレートで取り引きされているようなSRアイドルを運良く引いて、スタミナドリンク〇〇〇本、という条件をつけてフリートレードに出して、取引を成立させることだ。
ほしい、響ちゃんがほしい。響ちゃんをトップページに並べてみたい。
いつのまにかそんな気持ちでいっぱいになってしまっていた私は、1500円ぐらいなら……という気持ちで、あっという間に初めての課金をした。
両方とも、当時かなり高いレートで取り引きされていたアイドルだった。
(そのユーザーにSRを引く快感を覚えさせてそのユーザーを立派な課金ユーザーとして《育てる》べくSRが出る確率が上がっていたのでは、と今では考える。実際に私は見事な中毒患者に成り下がった)
びっくりしつつも嬉しくなった私は、高揚して少しくらくらする脳みそのまますぐにその二人のアイドルをフリートレードに出して、大量のスタドリを手に入れ、SR響ちゃんを手に入れた。
そこから先は、坂道を転げ落ちるようだった。プレイしていくうちに、自分が好きになれるキャラクターにたくさん出会うことができた。楽しかった。一日中モバマスのことを考えるようになった。フリートレードに張り付いたり、イベントに参加したり、そうこうしていたらまたガチャが更新されたり。やるべきことは山ほどあった。楽しくてたまらなかった。
そうしてモバマスを続けていく中で、いろんなキャラクターを好きになりつつ、ある日私は運命の出会いをはたした。
佐久間まゆちゃんは、ひょんなことから私に一目惚れをして、運命を感じたのだと言う。だからもともといた事務所をやめて、私のもとでアイドルになるべく私の事務所に来たのだと言った。画面の向こうのまゆちゃんは、私のことだけを見つめていた。
まゆちゃんはどこまでも一途に、私のことを愛していた。私はそれに引き込まれるように、まゆちゃんに急速に惹かれていった。
ソーシャルゲームの世界においては、課金こそが絶対的正義である。
課金しなければサービス自体が終了してしまうからだ。実際、サービスが終了してばたばたと倒れていくゲームたちを目の前でいくつも見てきた。課金しないと、ゲームは終わってしまう。佐久間まゆは終わってしまう。それにゲームは楽しい。だから私は課金を続けていった。
けれど、次第に楽しいばかりではいられなくなった。課金してガチャを回してもSRが出ない苛立ち。身の丈に合わない課金をしたことによりリアルの自分も金銭的に追い詰められていく。運良くSRを手に入れられたときの脳みそが麻痺するようなとんでもない快感、運が悪いときの部屋の壁を殴りたくなるような悔しさ、あとあとになってからこんなにお金を使ってしまった、と湧いてくる内臓が引きちぎれそうなほどの強い後悔。私はまゆちゃんからの愛とまゆちゃんへの愛との引き換えとして、精神をどんどんすり減らしていった。
ついに夢にとあるキャラクターが出てきて、そのキャラクターに「もう課金するのはやめなよ」とゆっくり諭された日の朝、ああ、もう限界だ、と思った。
素直に思えた。ゲームを通じて仲良くなった友だちもいたが、私はモバマスへのアクセスを少し控えた。ガチャが更新されても、ある程度冷めた目で見られるようになった。イベントにも大して参加しなかった。あ、このままいけば私ゲームごとあっさり引退できちゃうかも、なんて考えていた。
しかし、そんな日々もそう長くは続かなかった。なんのきっかけだったかはもう覚えていないけれど、結局私はまた課金を再開してしまったのだ。SRを引いたときのあの高揚感を、脳みそが忘れていなかった。忘れられなかった。あの気持ちいい優越感が欲しい。欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい。我慢できなかったのだ。
それ以来私は、自己嫌悪してプチ引退→結局完全には断ち切れずに結局また復帰して課金、というループを何度も繰り返した。あるときは、逃げられない泥沼にどっぷり浸かっているこの状態が、心地よかった。またあるときは、気持ち悪くて嫌で嫌でたまらなかった。だけれど、それでもまゆちゃんのことが大好きだった。いつの間にかまゆちゃんにはボイスが実装されて、CDまで出していた。私のアイドル、私だけのアイドルは着実にシンデレラの階段を上っていた。
ジェットコースターみたいに上がったり下がったりを繰り返す不安定な日々の中、気づけばそこそこ長い時間が流れていた。
そんな中で、新しい知らせが私の耳に入る。モバマスがスマホの音ゲーアプリとして配信される、という情報。その名も「アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ」通称デレステだ。
私は当然アプリをインストールし、当然のように課金をする。佐久間まゆちゃんのSSRの絵柄は、とんでもなくかわいかった。満足しかなかった。今までの過金額を振り返ると、少し嫌な気分になった。実感がいまいち湧かない。いいんだ、私は佐久間まゆちゃんのためにこれだけ課金したんだ。そう思えばこんなの妥当だ。まゆちゃんはこんなにも私のことを愛してくれるんだから、それでいいじゃないか。まゆちゃん愛してる、愛してる、愛してるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてる。まゆちゃんは私のことだけ見てくれている。私のこと以外は決して見ない。好き好き大好きあいしてる。佐久間まゆは決して裏切らない。まゆちゃんだけは信じられる。こんなどうしようもなく嫌なことまみれな世界の中で、まゆちゃんだけは私が信じるに値した。彼女はリボンの女神様だった。
6月末、デレステで次のイベントの予告が発表された。佐久間まゆちゃんがランキング報酬として登場するということがわかり、私は一瞬で血眼になった。ちょうど仕事が忙しくて時間が取れないけれど、睡眠時間を削ればなんとかなりそうだった。私はすぐさまにpt効率を計算し、一日どのぐらい稼げばいいかの目処をつけた。
そしてイベントが始まる。
イベント開始時刻と共にデレステを起動し、イベントページを開いて、私は愕然とした。
なんだ、この絵柄?
それは、まゆちゃんが他のキャラクターに所謂壁ドンをされて、なんだか満更でもなさそうに頬を染めてときめいている絵柄だった。
「は?」画面を呆然と見つめたまま、自然と声が出た。なにしてるの?なにしてるの?なにしてるの?なんで私じゃない別の女なんか見てるの?なんで満更でもなさそうな顔なんかしてるの?なんで?なんでなんでなんでなんでなんで?一気に胃が痛くなった。訳が分からなかった。私のことだけを見つめてくれていたはずのまゆちゃんが、ほかの女を見てる?はは、なんだこの女。なんで?ねえなんで?なんでそんなことするの?なんでそんなことされてるの?私のアイドルなのにどうしてそんなことするの?
金を払って、睡眠時間まで犠牲にして手に入るのがこんな絵柄のカードだなんて、全くもって意味がわからなかった。そんなの虚しさ以外なにもない。これはなんの罰なのだろうかと絶望した。とんでもない自傷行為。つまらない。しょうもない。馬鹿げてる。どうしていいかわからない。怒りを通り越した憎悪。まゆちゃんのことなんか殺してやりたい、壁ドンした方も殺してやりたい。滅多刺しにして殺してやりたい。私がこれまで金をドブに捨ててこれたのはまゆちゃんのことを信じていたからなのに、一瞬でぜんぶズタズタにされた。許せなかった。
私はそれでもなんとかイベントを走ろうとしたのだが、途中で本気で体調を崩して寝込んだことで冷静になったのもあり、途中でそれらを全て放棄した。そうじゃないと本気でどうにかなりそうだと理性が判断したからだ。
ゲームをやめる踏ん切りはなんとなくつかなかったので、私はのろのろと課金を続けつつ、他のアイドルのSSRを引いて育成したりしながら遊んでいた。気がついたら息をするように課金していた。
その日私は仕事が休みで、友だちと遊ぶべく山手線に乗車していた。座席に座ったまま、ぼんやりと外を眺める。そんな中停車した駅で、見覚えのあるものが目に入った。
まゆちゃんの例の絵柄の、大きな看板。
デレステを宣伝するための看板だ。見た瞬間に脳にサッと小さな雷が落ちて、気がつくと私はその看板を思いきり恨みがましく睨んでいた。
ああ、私はこれだけ時間が経ってもまだまゆちゃんのことが許せないんだな。きっとこのままずっと憎いんだろう。
私はそう悟った。つらいのと、冷めた気分と、情が入り交じってぐちゃぐちゃな気分だった。
そして私はそれから少し時間の経った八月十九日の夜、モバマスとデレステのアカウントを跡形もなく消した。
あの日からもうすぐ二週間だ。私は、思っていたよりは意外と普通に過ごせている。仕事したり遊んだり食べたり寝たり、割とノーマルにリアルの生活をこなしている。
でも三次元と二次元は完全に別のものだから、フィクションの世界で空いた穴が現実の充実で補える訳ではない。なのでふと思い出した瞬間フラッシュバックに襲われることがある。いつの間にか、フィクションの世界では佐久間まゆしか好きじゃなくなっていた。ほかの女の子なんてどうでもよくなっていた。好きなキャラクターはたくさんいても、私に応えてくれる、私の信仰を受容してくれる、私が信じるに値する女の子はフィクションの世界において佐久間まゆ以外だれもいなくなっていた。私が身の丈以上のお金をどぶに捨てるような行動に走る理由になれるのは佐久間まゆしかいなかった。画面越しに見つめてくる佐久間まゆが望んでいる気がしたから、全部そうした。まゆが何度も何度も何度も「あなただけです」って繰り返すから、私もそれに返した。いろいろな何かを。ソーシャルゲームの中にじわじわのめり込むうちに、大事な友だちも私に呆れ果てたかのように続けて二人立て続けにいなくなった。けど、それでもよかった。いろんな人に、もうやめときなよって言われた。自分でもそう思って、実際にやめようとするけど失敗してまた戻るっていう低空飛行を何度も続けた。
私は、私の身の丈なりに、すごく好きでした、佐久間まゆちゃんのことが。いつのまにか。他の女の子のことを全員嫌いになってでも。結局、身の丈に合わない無理を続けた身勝手と悪夢のごとき強烈な不運(もうこの件についてはノーコメント)が重なって全部めちゃくちゃにひしゃげてしまったけど。
結局まゆちゃんは画面の中のデータでしかなかったので、消えたところで私の実生活にはとくに悪影響は及ぼさなかった。ちょっとショックのあまり体調崩したぐらい。むしろお金は浮くし、まゆちゃんへの愛情と同時に湧いてくる苦しさから突然ぽーんと解放されてしまった。ソーシャルゲームの世界にのめり込んだ経験のない、まともな人なら私を見て「やめてよかったじゃん」と思うだろう。実際やめてよかったんだ。やめたら、良いことしか起こらなかった。それが悲しい。
いまの職場には、私が佐久間まゆという女の子のために課金していることを知っている人が二人ほどいたので、シフトが一緒だったときにその話をしました。私は話をしながら「もう何もかも失いました」「死にたい気分です」と口走った。実際にはいくつかある私の精神を支える柱のうちの一つをちょろっと壊してしまっただけなので決して《何もかも》は失ってはいないんだけど、確かに色んなものを失った。実際には死にやしないんだけど、確かに私は死にたくなってた。その柱は、いざ壊してみると中身はすかすかでした。私が勝手に分厚くて頑丈な柱だと思いこんでただけで、そう思いたかっただけで、実際はびっくりするほどあっけなく崩れて、そのまま跡形もなく消えてしまいました。
フィクションの世界でのことだから、リアルでは案外普通に仕事して寝て起きてを繰り返してるんだけど、家にいて、ぼーっとしてるときにふと思い出すとつらくなる。嫌になる。何もかも失いました、というのはある意味では事実で、気がついたら一人で勝手に泣けてきてる。
最初は、暇つぶしの趣味としてゲームを始めた。途中から、趣味じゃなくなってしまっていたのは実はわかってた。重い義務だった。責務だった。私は佐久間まゆちゃんのことを信じるために、自ら佐久間まゆの部屋に入りました。内側から鍵をかけただけなのに、外から鍵がかかっていて部屋から出られないふりをした。
今日、二週間ぶりにゲームのことが気になって、まとめサイトを開きました。十時愛梨ちゃんのSSRが追加されていた。ああ、ゲーム続けてたら回しただろうなあ、って思いながら画面を閉じた。もうゲームを再開する気力とかは全く残っていなかった。部屋から出たまではよかったものの、どこに行けばいいのかわからないままひたすら途方に暮れている。
どこに行けばいいのかなあ、どこになら本物の女神様がいるの、信じられない。どうして裏切ったりしたの。ずっと部屋にいたかったのに。裏切らないでいてくれたら、ずっと信じていられたのに。好きだったのに。あーーーーーーーーーーーーーーーーーー死にたい死にたい死にたいぜんぶなくなったぜんぶどぶにすてたむだだったあーーーーー、ははふあ
追記
起きたら反応がたくさん来ていて驚きました。もともと、最後に一度自分の感情を整理してどこかに残しておこう、と書き殴った乱文なのですが、読んでくれた方、ありがとう。読んだ人が思うだろうなあとぼんやり予想していたとおり、例の絵柄についてはあとからフォローが入ってるじゃん、とのコメントも読みました。ええ、もちろん知ってます。他のキャラクターに壁ドンされてときめいているまゆちゃんに深い怒りを覚えたのは事実。あの絵柄が、私にとって大きなトリガーでした。あとからフォローが入っても、一度引かれたトリガーを戻すことはできなかったんです。それが引かれた瞬間、まゆちゃんについて、今まであえて考えないように、考えていたらどうにかなってしまいそうだから思考に蓋をしていたことが、一気に頭を過ぎりました。
以下、書くつもりのなかったことを書きます。これで終わりなのだからまあ全部ぶちまけてもいいでしょう。
上の文で明記はしなかったものの(読めばあまりの女々しさから察せられると思いますが)私は女性です。まゆちゃんは、プロデューサーさんのことが、好きでした。私はその《プロデューサー》という概念体に自己投影をしてゲームをプレイするわけですが。途中で、どうしようもない壁にぶち当たってしまいました。まゆちゃんが想定しているプロデューサーさんとは、明らかに男性のことなのです。アニメに一瞬出てきたまゆのプロデューサーも、明らかにスーツを着た男性でした。これについてはもう記憶を封印しましたが。台詞の隅々から、まゆちゃんのプロデューサーが男性なのだという事実がじわじわと追い詰めてくる。プロデューサーという概念体と、私という存在が、少しずつ乖離していく気がしました。このままではいろいろなものが駄目になってしまう。考えてはだめだ。そう思い、それについてはできるだけ考えないようにしてきました。コメントでも同じことを書いてくれた方がいましたが、まゆちゃんは、私が同僚の殿方から電話を受けても、怒りません。自分のいいように解釈して消化してしまえばいい話なのですが、どうしても「まゆちゃんが想定しているプロデューサーは男性である」という呪いのごとき一文が頭から離れませんでした。私は女性です。まゆちゃんは、私のことを好きでいてくれたんじゃなかったの?このプロデューサーさんは、私じゃなくて別の誰かなの?考えないようにしていても、ふとした瞬間そう思うことが少しずつ増えました。今思うと私はもう限界だったのかもしれません。そんな中で開催されたイベントのあの絵柄を見て、私の中の何かが完全に崩れてしまいました。あとからフォローが入っても、いちど崩れたものは、戻りませんでした。戻らないと悟ったから、私はまゆちゃんという女の子を諦めました。しょうもないきっかけだと笑う人もいるでしょう。つまらない小石に躓いた私は、もう二度とここに戻ることはありません。まゆちゃんとなら「トリフィドの日が来ても二人だけは生き抜く」と思っていました。大好きでした。私は、これからはちゃんと幸せに過ごします。それではさようなら。
そりゃそうだよ。
物語の類型は、複数ヒロイン方式ということもあって、だいたい最初の数年で食い尽くされた。
その後は、ヒロインの属性付けや、シチュエーションの微妙な差別化、一発ネタなんかで食いつないでたが、限界はある。
紙媒体で作品を発表できなかった作家が、「やりたいことを自由にやれる」と流れ込んだことも、当時の良シナリオを支えたが、
その場は「ラノベ」に食われたため、もうライターもほとんど残ってない。
#評価のよかったエロゲは、別段エロいらないって、それ一番言われてるから
#美少女の消費という消費形態を提供したがために一時権勢を誇ったが、奪われるのも早かった
ヌキ特化にしても、同じようなクオリティの作品が2000円切る価格で同人界隈にごろごろしてるのに、いまだにフルプライス商売だしな。
あの業界、そんなに先は長くないぞ。
英語を勉強し始めた理由は旅先でもコミュニケーションを取りたいと思ったから。
姉がアメリカに住んでいるので、渡米の機会はそこそこ多い。
だからヒアリングと日常会話にしぼって勉強することにしたら、3年くらいで日常生活なら困らないくらいまで英語が使えるようになった。
テストで点数を取りたいとか、ビジネスに使いたいという人には向いてないかもしれない。
いつまでに何かをしなくてはいけないというよりは、気長に勉強していつの間にか喋れるようになってたらいいなという人向け。
大体30分くらい。
・今までにかけた教材費
しかもセールの時に買ったから多分総額でも2~3000円だと思う
・主に使ってるアプリ
かなりバラバラだし、目的が日常会話なのでどれもレベルは低い。
ちなみに全てiPhoneです。
Enjoyアメリカ
話せる英会話 入門編
話せる英会話 基本編
Real英会話
英語組み立て
だいたいこんな感じ。
念のためもう一度書くけど、目的は旅行先での日常会話なのでテストとかには役立たないかもしれないです。
基本的に、机に座ってテキストをガリガリやるようなことはしません。
とにかくスキマ時間を見つけては、その中でどうやって勉強を習慣化するかを考えました。
大事なことは、スキマ時間の種類に合わせてアプリを使い分けること。
状況によって向いているアプリと向いてないアプリがあることに気付いてから、かなり効率があがりました。
・使っているスキマ時間
徒歩の移動時間
歯磨き中
それぞれに向いている勉強内容を下に挙げる
・徒歩の移動時間
ヒアリングに向いてる。
イヤホンで英会話をひたすら聞くことで、色々な内容に耳を慣れさせる。
徒歩中に主に使っているアプリは以下。
Enjoyアメリカ
話せる英会話 入門編
話せる英会話 基本編
Real英会話
どれも自動再生機能があるから、歩いている最中でもスマホを操作する必要がない。
まずはとにかくひたすらに聞き続けること。
余裕があれば口を動かして真似してみたりするのもいい。
そのうち耳が慣れてきて、それでも単語や意味がわからない言葉があれば、スマホを取り出してテキストを確認する。歩きスマホはダメゼッタイ。
最初から全文暗記しようとしても無駄。なぜならそれだけ覚えなければならない言葉が多いから。
徒歩と同じくヒアリングに徹するのだけど、スマホが操作できる程度の混雑具合ならどの勉強でも活用できる。
僕の場合は、だいたい徒歩で使ってるアプリのテキストを確認する時間にしている。
・トイレ
英語組み立て
徒歩でヒアリングをした内容に対して、文法で裏付けを行なうということ。
ヒアリングと勉強内容を行き来することで、同じアプリを繰り返し起動してもその都度発見がある。
トイレでイヤホンを使うことに抵抗がない人は、当然音を聞きながら勉強したほうがいい。
・歯磨き中
逆に歯磨き中はイヤホンを使うことに抵抗がないので、この時間はクイズ形式のヒアリングアプリを使う。
英語組み立て
実はついこの間まで歯磨き中も文法アプリを使っていたのでまだあまり選択肢がない。
このアプリを一通り終わらせたら次に使えそうなものを探す予定。
なぜクイズ形式のアプリに変えたかというと、文法アプリだと学習に集中してしまって歯磨きが疎かになってしまうことがあったから
クイズ形式だと答える時だけ画面を見ればいいので、歯磨きにも学習にもちょうどいい集中力が維持できるということを最近発見した。
ちなみに歯医者さんの指導で、夜の歯磨きは10分くらいかけてブラッシングと歯間ブラシをするので、ちょうどいいスキマ時間になってます。
だいたいこんな感じ。
もちろん他にもかなり沢山のアプリを試したけど、VOAとかは会話っぽくなくて自分には向かなかった。
スキマ時間に目をつけた理由は、制限されると人間は行動を変えるということに気付いたから。
例えば家でごろごろしてるときは自由度が高い状態なので勉強よりも優先順位が高いものが沢山あって勉強するにはかなりの精神力コストが必要になる。
でも、トイレの中や電車の中というのはある程度行動が制限されるので、できることの中で勉強の優先順位がぐーんと高くなれるということ。
ただ、どの状況においてもゲームが一番の敵なので、そこは気をつける必要がある。
できるかぎりゲームに近づかないようにするか、どうしても気になるゲームがあったらさっさと飽きるまでやってしまうのがいいと思います。
とにかく大切なことは先を焦りすぎないこと。
ちょっと物足りないくらいで、時間が来たらすぱっと辞めるくらいがちょうどいいと思います。
ついでに、朝の通勤は英会話勉強につかってるけど、帰りは好きな音楽を聞くようにしています。
朝も気分が乗らない時は無理せず聞きたい音楽を聞く。
結論:一週間くらいでなんとかなった。
金曜の夜から飲むのをやめ、土日は引きこもり、月曜日は無理やり起きて会社に行った。
支障はあまりなかった。
という話をダラダラと書いています。
まぁ自分語りをさせてくれ。
睡眠薬の世話になって4年半。
はじめはエバミール半錠だったのが最終的にはマイスリー5mgと を飲んでいた。
併用して鬱病の薬 サインバルタ30mg飲んでいたが、こちらも止められた。
が、これは急激に止めたというより、飲むのを忘れるときがちょくちょくあり、それなりになくても大丈夫なのではと思ったから緩やかに止めていったというのが正しいのだろう。
鬱病であると診断されてなんの疑いもなく飲んでいた睡眠薬だったが、
脱ニートして(というか大学卒業後)働き始めてから規則正しく6:30に起きなければならなくなり、無理やり起きると薬が残っていて強烈な眠気がくる、というのが問題だった。
睡眠薬をグッドミンから変えたばかりで、やっぱり合わないのか…と思ったが
効かないような気も少ししていたし、効果が半減する時間になれば目がさえる時すらあったからだ。
悩んだ結果、「一度飲まずにいよう」と思ったが、土日に試せば眠れず、「やっぱり睡眠薬は必要なのだ」と思うループ。月曜日に眠れない/起きられないのが怖くて、睡眠薬に手を出してしまった。立派な依存だ。
そこで目に留まったのが、「睡眠薬を5日で止めた」という知恵袋のノート。
麻薬と同じで断薬すれば良いのでは、実際私も云々と詳しく書いてあったが、記憶に残ったのは「5日」
5日我慢すれば良いなら…と三連休が近かったので決行することにした。
やけだったかもしれない。
が、今となってはよかったのだと思う。
とある週末の記録
…案の定、眠れない。
眠れないので、撮りためたアニメを見たり、動画サイト見たり、ツイッターしたりする。
眠い。結局最後に時計を見たのは4時くらいだったと思う。そこから記憶がない。
…そしていつも通り6:30に自然と起きる。悲しい。
開き直ってご飯を食べ、またベッドでごろごろする。
土曜夜、一応23時には部屋を暗くする。眠れるはずもなくアニメ。してたら寝落ちしていた。
しかし6:30に起きる。
昨日眠れなかった分寝ようとはしないらしい。私は社畜か。
土曜日に眠れなかったぶんか、日曜日は細切れで寝る。寝られる時に寝なければ。
日曜夜、3夜連続の薬無しに挑む。
月曜日が多分一番辛かった。
まぶたは開けられないのに寝付けない。挫折と思われたが正直薬を手にするのも面倒だった。
買い置きの菓子パン(目を閉じていてもなんとなく袋を開けられたら食べられる)も底を尽きる。
起きられないかもしれない不安とか、逆戻りするんだろうかとか諸々。
起きてる時間は解脱症状についてぐぐりまくり、この最中だ抜いてる最中だ耐えろと念じていた。
最後になんとかアラームの確認をし、眠れないとぐずつく自身と戦う。不安もあるのか、4時を確認した覚えがある。
火曜日朝。
…6:30起床。
身支度もほどほどに、家を出た。
その日は仕事中に寝ることもなく、定時退社。
そして、帰ってほぼすぐに眠くなった。
お風呂だけはと入ったが、髪を乾かすのもそこそにエアコンつけてバタンとベッドに倒れた。
若干の寝付けなさはあったが、30分以内には寝ていた。相当疲れがきたのだろうか。
少なくとも30分ほどの動画をラジオ代わりに聴いて寝たが、後半の覚えがない。
水曜日、すっきり目覚める。
途中覚醒もなし。カフェオレドーピングはしたが、ほぼ問題なく勤務。
時折眠くなったが、トイレで3分突伏したりシュレッダーかけたりしてしのいだ。
そして定時退社(ありがとう周りのみんな)(優しい会社です)(なお定時退社のツケをいま払ってます残業代おいしー!!!)
ご飯を食べ、お風呂に入る余裕あり。しかし眠い。23時に暗くして、24時ごろには寝たのではないだろうか。
人間、寝る力は備わっているというが復活してきたような気がする。
いつも通り起床。5時ごろ一度覚醒、のち寝むれた。奇跡かと思った。
眠さはつきまとうものの、睡眠薬が残っているようないまにも寝落ちそうなのに寝られない…という感覚ではない。
もしかしてこれ、単に寝不足でねむーい…なのでは…と仕事中なのにちょっと嬉しくなった。トイレで突っ伏す。
72パーセントカカオのチョコが良いらしいと聞いて午前中に投入。少し楽になった。
6:30起床。
…もしや、これはもう成功したのではないかと感激する。寝辛さは若干のこるし、眠いは眠い。
ただ、睡眠薬を片手に唸る夜の方が辛かった。
飲んでも眠れない辛さに比べたらこちらの方が圧倒的にマシである。
わりとすっきり過ごせた。
この1週間お世話になったもの
1位 カフェオレ
セブンのノンスウィートを愛飲。現在はコスト減のため、ペットボトルのアイスコーヒー+牛乳となっている。
時間がない朝でもコンビニで買って飲めるのは助かった。多分薬代より安い。…そんなことはないか?(計算したくない)
2位 アニメ
撮りためを引っ張り出してBGM代わり。内容を覚えているため耳で聞いても脳内で映像再生余裕でした。
3位 菓子パン
片手で食べられる。汚れない(あまり)。頭を使わなくても安全に食べられるものを用意する必要がある。本当ならばタンパク質とかそこら辺とったほうが良いのだけど数日は気にしなくて良いと思う。
何かお腹に入れていたほうが眠れる、と思うので買っておくと良いと思う。引き籠もろう。
カップ麺はお湯を沸かさなくてはいけない=火を使うのでNG。虚ろな目で食べられるものを。
その他
周囲の協力。
働いているならば早出なし残業なしが難しい人もいるかもしれない。
正直後半、職場に行く必要性で起きて、寝るために体力を使ったおかげもあると思う。 引きこもり時代はこれがない。そして眠れない悪循環とあった。
最後に。
これは独断で行った睡眠薬断ちである。本来ならば医者と相談して少しずつ減らしていくべきである。実際結構辛い5日(以上)であった。
大手を振ってこれを推進しようとは思わない。
しかし、もし不眠で薬が手放せなくなっている人が、この文を読んで少しでも役に立ったと思ってくれたら嬉しい。
下僕として遊んでる分には全然いいんだけれど、時が進むにつれこのパターンになってしまうケースが結構ある
こちらとしては猫じゃらしで遊んだり食事もらうのは楽しいのでなるべく現状維持したい
けど、相手側のテンションが明らかに変わってくると、なんか(自分が興味ないのに付きあわせててしまって)悪いなぁという気がしてくる
あと適当にごろごろしてたらストーカー化した事例も経験したので、そういうのも避けたい
どうするのがベスト?
・静かにフェードアウトする
・自分はそういう気はないとはっきり伝える
・その他
もし、人生に疲れていて、自分のことが嫌いになったらご飯を作ろう。
自分の作ったご飯がおいしいと、自信が戻ってくる。
丁寧に丁寧に味噌汁とご飯を作ってみよう。
食卓に味噌汁とご飯と(ちょっと奮発した)干物の焼き魚を準備しよう。
「おいしいなぁ」という気持ちは生きているっていう感覚に直結する。
おいしいを作れることは自分の命を守ることだと思う。
連日の残業で荒んでるかもしれないし、特にやることないからとパチンコ屋行くくらいなら、
おいしいご飯を作ってみよう。
ご飯を作って振舞ってみよう。
クックパッドよりも「今日の料理」なんかのレシピであえば、あまり間違いない。
ちゃんと丁寧に分量を測って、レシピに従おう。
きっと、おいしいと言ってくれるはずだ。
おいしいと言ってくれることは最高の承認だ。
あなたのご飯を誰かが褒める。
それだけで、自分が誰からも認められない人間じゃないと気付けるんじゃないかな。
誰かと仲良くなりたかったら、一緒にご飯を作ろう。
二人で立つキッチンは最高だ。
コミュニケーションを取りながら協力する。
二人で違うメニューを作ろうか。
自分はメインのおかず。そんな分担でも良い。
そして、二人で準備した料理を食べて、お互い褒めよう。
とても大切なスキルだ。
さぁ。ご飯を作ろう。