はてなキーワード: 社会党とは
減税して若い子の給料と消費を増やすか、生活コストの低い地方で暮らせる人を増やすために若い子が上京しないように大学進学率下げちゃうのが近道だと思うよ?
世の中、同級生と結婚する人が多いのに、大学進学したら人間関係リセットになるからね。
私の言ってること、ものすごく保守的でおおよそ30代の人間が考えたこととは思えないと言われそうだけども…そらそうよ。
大昔のこと調べたり、今ネットで論争になってることを整理したら
「中途半端なやつが大学進学できるようにしてしまったことが大失敗なのでは?」
としか思えないのよ…うん
私の言ってること、ものすごく保守的でおおよそ30代の人間が考えたこととは思えないと言われそうだけども…そらそうよ。
大昔のこと調べたり、今ネットで論争になってることを整理したら
「中途半端なやつが大学進学できるようにしてしまったことが大失敗なのでは?」
としか思えないのよ…うん
不要論って言っても、
「そもそも、大学自体がエリート教育なんだから、一部の上澄みだけで良くね?50%もエリート教育したら質が下がるか、船頭多くして船山に登るかのどっちかやろ?」
という感覚です。
全部いらないって言うより、「それ大学出る必要あった?」と思う人多すぎ問題です
リーマン・震災・民主党政権の時代を見ちゃってるせいで、今の子ほど性善説でモノを考えられなくなってる気がするが、同時に
とも思うから、ズレてることに安心感も感じててフクザツな気持ち。
ひねくれ者は俺より上の世代だけでいいよ。
この間、「大卒そんなにいらなくね?」みたいな話をしたけど
受験自体が選別なんだから、もう早い段階で見切りつけさせた方がいい
高卒を政治的(学校の先生の雇用を守るため)に増やした背景を知ったときから「なんかキナ臭いな」と思ってた。
誰でも入れるしょーもない大学はより選別機能及び大学(大卒)の価値を暴落させてる。
高校時点で「学問や大企業戦士は難しそうだな」という人を一定数作ったほうがお互いのためよ
「高校野球の引退試合や、独立リーグは野球をプロ養成でもあるが、大半の人にとっては【野球を諦めさせる場所】である」
と言われてる。
大卒がそんなにいらないことに加え、中卒・高卒でもいい人が学問から切り替えて、働けるようにしづらくしてるのも、またね
夢は叶えられない人に与えるのは、むしろ残酷な呪いでしかない。
呪いになる前に夢を諦めさせる・切り替えて新しい進路をちゃんと作る方がはるかに大人の仕事で、教育的だと思うんだけど…こういう意見ってウケないのよね。
大学の授業料が高すぎるから、自然淘汰によって変わっていくとは思うけど
ちなみに、「大学の授業料、欧州に比べると高い問題」もこれも闇が深くて…大学が無料・安い国は税金で大学が運営されてたりするらしい。
つまり、大学無償化とか授業料抑えろって意見は、いらない大学を淘汰した後に言わないと、無駄な税負担が増えるだけ…というオチになりかねない。
いらない学校を淘汰した後でやらないといけないんだけど…民主党がこの政策に熱心で、その裏に日教組という支持母体がいることを知ってたら「こんなもん利権だろ」って、秒でわかる話。
で、社会党も民主党も(多分、支持母体も)資本主義や市場経済がわからんから、
金で客を選別できなくなるとね…どんなやつでもサービスを利用できる分、現場負担がえげつないことになるのよ
と言ったけど、アレは高校無償化しちゃった人たちにこそ当てはまる言葉。
八百屋は果物で儲けてるのだが、果物を快く買ってくれる人は客層がいい。
つまり、「大卒や高校を淘汰したほうがいいよ」というのは別に学生のためだけに言ってるんじゃないのよ。
仕事が楽になれば、学校の先生になりたい人を増やせるから…政治的じゃない人は先生も生徒もみんな得する。
仕事って客で大変さ変わるもん
ぼくが、
と言ってるのは、そこよ。
無償化して職員がクビにならない状況がハッピーかと言うと、違うのよ。
仕事は客層悪くなって大変。
逆に、客もサービスが改善されない不便または追加料金で別サービスに加入するしかなくなる。
「学校は偏差値で入れる入れないがあるんだから、市場経済とは切り離されてるし、そうあるべきだ」
と言いたい人もいるかとは思うけど…親が授業料払ったり、参観する以上は切り離せないのよ。
いや、全員高卒にしたり、無償にしなかったらDQNやその親まで見なくてよかったかもですが…しちゃったから
東京で安くこき使える社畜がどうして生まれるかと言うと、大学進学のために上京する人が多すぎるからです
これも「東京に大学って固まってるよね」と気になって調べたんですが…やっぱダントツで多いんですよ。
ところが、東京の大学に進学して、借金したまま東京で就職・バイトするから…社畜問題に行き着く。
これぼくも香川県までの道中を青春18きっぷで行ったからわかったけど…完全にセルフレジしかないような駅のコンビニが地方にはあるんです。
ところが、首都圏は必ず人のレジがいるし、そもそも自動がないとこもまぁまぁある。
ホリエモンが言う「社畜がいるから自動化が進まない」は首都圏のお話
で、
「首都圏で自動化が進まない・技術が発展しないから嫌な仕事から人々が開放されない理由」
を掘り下げていくと、技能実習生もさることながら、安くこき使われる学生バイトと、若手フリーターが多すぎる問題…もっというと「大卒多すぎ問題」に繋がってるのです。
最近、
大阪と京都の割と中心部に2、3年ずつ住んでたけど、東京への対抗心を左翼につけ込まれてる感があった
"東京"を打ち負かす事にカタルシスを覚えるような人ほど共産党や社会党に肩入れする傾向が強い印象がある
沖縄には一度も行った事ないけど、似たような感じなのかな
これがかなり近いTweet
ttps://twitter.com/charinko_fumi/status/1178697622787260417
”真面目な話、大阪で共産党にネオリベ的な改革を期待していた人が、選挙の際に『反自民』のマインドで維新に投票した人も多かったというのもよく聞きます。”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/372187950/comment/memoryalpha ”世の中には志位委員長をネトウヨ呼ばわりする面白い人も居るから困るよw”
ttps://twitter.com/orthodoxygkc/status/922806463273230337 ”勝手な試算を流布してブルジョワへの課税強化を邪魔する赤旗のネオリベ化が嘆かわしい”
〇 ttps://twitter.com/orthodoxygkc/status/857378841378947074 ”ネオリベと共産党の親和性が高いこと、それを多数の有権者が支持しているということを知らしめた功績はあるかもしれません”
ttps://twitter.com/orthodoxygkc/status/904871189436174336 ”共産党社会党とネオリベがつるんで小さな政府を追求してきたのが日本の戦後”
ttps://twitter.com/sunafukin99/status/1242662640993763328 ”「税金の無駄遣いをやめて効率的に使え」論って、要するに「俺の気に入った使い道に回せ」という話にすぎないからなあ。たとえば共産党などは昔から「軍事費削って福祉に!」と叫んでたけどそれも同じ発想”
ttps://twitter.com/onigumoobasan/status/1213710614066909184 ”共産党までもが消費税減税とか廃止を主張していることに、暗澹たる気持ちになる。彼らは「小さな政府=自己責任の社会」を目指しているとしか思えない。”
ttps://twitter.com/lautream/status/1200036696080801793 ”日本共産党もネオリベなのかい”
ttps://twitter.com/BarberSeidan/status/1178662366818422785 ”日本の共産党も隠れネオリベみたいなとこありますからね 大きな政府や公共投資に対する不信感とか”
ttps://twitter.com/charinko_fumi/status/1019369443665670144 ”未だに、市民オンブズマンが共産党系とか共産党よりとか思っているtweetには、少々辟易するな。寧ろネオリベやぞ。”
ttps://news.yahoo.co.jp/articles/b598fe0e3a9b22bc3f0839ef40d86c9c930889fc ”若者は共産党が「保守」だと思っている…最近の日本における「保守」「リベラル」って何?”
ttps://kojitaken.hatenablog.com/entry/2020/06/20/113931 ”MMTerにもネオリベにもコミュニストにも「無税国家論」の俗信が一定存在すると共産党大和高田市議・向川まさひで氏が指摘”
これは中国共産党
ttps://twitter.com/kaikaji/status/1260839714384306178 ”コロナで大きな影響を受けた主要国の経済対策の中で、中国のそれが最も供給面重視かつ財政支出に消極的、すなわちネオリベ的である、ということはもっと広く知られるべき事実”
京都じゃないけど、労組がくそ強くて社会党と共産党がクソ強い地域に住んでいる
クソ強いのはせいぜい10年くらい前までで、今は周辺選挙区より少し共産党が強いくらいだけど
具体的には、10年くらい前は、選挙になると数百メートルくらい全ての電柱に共産党と社民党のポスターが交互に貼られていたくらいの地域
比べると現在はかなり弱くなったけれど、昔の強かった頃の影響はずっと残っていて、障がい者や生活保護に対して今でも行政は優しいから関連する施設は周りより多いし、そういった方を対象にする民間の施設も多い
あと日教組を固められている
うちの県だけかもしれないけれど、日教組を特定の地域や学校に多く配属する
双方の利益というのは、日教組の教員はバラバラになるよりある程度固まっている方が活動しやすいし、教育委員会は面倒な日教組をまとめて対応できるから
10キロ離れた隣の自治体から越してくる人が驚くくらいにルールが違う、本当に
生まれ育ったとかじゃなきゃ、変な人が多いと思われるのはしょうがないと思う
それは障がい者とか生活保護が多いとかじゃなくて、住民の考え方が全く違うから
乗っ取られたもクソもねえわ。
枝野さんの個人的な立ち位置はともかく、スタッフも当時気色悪いほど盛り上がってたはてサ含むシンパも、まさにネオ社会党そのもの。
そこから希望の党の残党やら国民民主・社民の連中やらを節操なく取り込み始め、当初の純粋リベラル路線はあっけなく頓挫したかに見えた。
あれほど大騒ぎした割には結局元に戻っただけで、そこのグダグダを個人崇拝じみた何かでず~っと目ェつぶってきたのがアンタらというわけです。
今でもよく覚えてます。
彼らが一番発狂したのは、あの衆院選の惨敗ではありませんでした。
あのアタック25みたいな動画群に、なぜか再生数に全く見合わない数のブクマを集め、
連合が難色を示そうものなら「あんなプチブル連中要らん! もう縁切っちまえ!!」と怒鳴り、
野党再編のゴタゴタで横取りした議席でイキった割には支持が伴わず、結局ボロ負けして大恥かいた、
その時ではなかった。
その後の代表選で泉健太が勝ってしまった時の方が、よほど彼らこの世の終わりみたいにギャオってましたよね?
共産党と組むのも選挙に負けるのも我慢できたけど、代表選に負けるのは我慢できなかった。
「党を乗っ取られた」っていうのはああいう時のことを言うんです。
正直同情はしますよ。
「あの時枝野が立った」というのが立民シンパにとっての創世記であり、そのストーリーを無視した泉体制が今そこにある現実は、まさに聖地を異教徒に踏みにじられる悲劇でしょう。
最近のポリコレ汚染を嘆くオタクも同じような気持ちだと思います。
オタクついでに言わせてもらえば、あなた方大概厄介オタクだと思いますよ。
泉に「党を乗っ取られた」のがそんなに気に食わないなら、また党を割って今度は共に民主党でも作ったらいいのにそうしない。
はっきり言いましょう。
「今更よそに居場所がないからただそこにいるだけ」の分際で、ひたすら現状に文句ばかり言ってる。
そんなあなた方は立民にとっても日本にとっても、単なる老害厄介ファンそのものです。
全員死に絶えたその後にでも期待するしかない。
都市部は昔から「農家を大事にするような自民は嫌、個人主義で集団でつるむのヤだから社会党や共産党は嫌」的な感じで一定数いたよね
維新は石原フォロワーで、石原都政をコピーしたかった(だから都構想って名前にこだわってた
都民ファは維新フォロワーで、まあ、小池が女だからあのへんの支持者的には無理、と
石原が自民の枠内だったのは年齢的なものと、出てく必要なかったのと
もとは、みんなの党が拾おうとしてた層だよね
自民党国政サイドが農家切り捨て、慰撫政策だけ、都市部個人主義層を回収してく向きになったんで今はもう有耶無耶になってるが、
基本的には「俺は行政に援助されなくても一人で生きていける、政治に興味ない、税金で他人を食わせる減反とか生活保護とか年金とか理解できない」みたいのが維新支持層で、それは政治運動として表に出るもんではないだろうと。そもそも政治が嫌いで、政治に関わりたくないから維新支持
そういう人が地方行政に目が向くかな? というのは甚だ疑問で、たぶん気にもしない
ただ、役人が目立つとこにいるのが嫌、目に入るな、ぐらいの感じではないか
実際に社会が回る上でどんぐらいの人間が関わって、どんぐらいの役割分担がなされてるかが想像できない、というか、
自分の理解の範囲だけで世の中が回ってると思ってて、自分の理解の外にどんだけ大勢の人や仕組みが動いてるかとか想像したことなくて、
それで世の中の全てを理解したと思える万能感いっぱいな人
けっこう多い(100文字で一刀両断できちゃうブクマカとか)のが判明しつつあるので、そのへんが維新支持層なのは割とまあ、そらそうやろ
「原爆投下が日帝からアジアを解放した」って考えは確かにあって
リベラル左派の皆さんも普段「核兵器=絶対悪」みたいなノリのくせに、あの辺が絡むと妙に手ヌルくなる
まあ韓国人の被爆者だっているし、そういう意見が現実としてあることは受け止めつつも、そこをなんとか説得していかなきゃいけないはずなんだけどな
「原爆投下で終戦が早まって戦死者が減りました、だから必要だったんです」って似たようなこと言ってるアメちゃんの世論にはしょっちゅう物申してるんだから、それと同じように頑張ればいいだけなのに
こういうのは別に今に始まった話じゃない
「アメリカが核を持つならソ連も核を持っていいか」をめぐって、被爆者団体が社会党系と共産党系に分裂したぐらいだ
ちなみに容認したのが共産党系(その後ソ連と仲が悪くなって手のひら返した)
以下、非武装中立をぶん殴る、日本共産党: 「1970年の焦点 : 日米安保条約をめぐる30問」 (1968)
社会党の「非武装中立」論は、日本が中立化すれば、外部からの侵略の危険はなくなるという希望的・主観的な判断を前提に、中立日本の安全保障の問題について、真剣な追求を事実上放棄しているのが特徴です。そのことは、安保条約を破棄した独立・民主の日本において、外国からの圧迫や干渉、中立の侵害、さらには侵略の危険などからどうして国の主権と独立、中立を守るかという問題にたいして、説得力のある具体的な解答をもちえないでいることにしめされており、そしてまた、そこに社会党の「非武装中立」論の最大の決定的な弱点があります。現に、一九六八年の参議院選挙にさいして、NTVテレビと『読売新聞」が共同でおこなった立候補者のアンケートでも、「非武装中立で万一日本が侵略を受けたとしたら、あなたは、次にあげる態度のうちどれをとりますか」という質問にたいして、社会党の候補者の回答は、「非力でも抵抗する」十四人、「国連、又は第三国の援助を要請する」十三人、「抵抗しないで連命を甘受する」三人、「その他」十一人、「わからない」四人、「無回答」八人と、まったくばらばらで、社会党が中立日本の安全保障の問題について統一したまとまった見解をもっていないことを、あらためて暴露しました。
ところで、社会党はどのような論拠をもってこの「非武装中立」論を主張しているのでしょうか。
社会党は、同党中央機関紙『社会新報」六八年七月三日付に、「事実を歪め、国民を欺瞞するな、日本共産党の非難に答える」というMなる署名の長論文を発表しましたが、そこでのべられている主張は、さいきんの成田委員長の発言や同党の方針のなかでもくりかえされています。それは、第一に、「日本が断固として非武装政策をとることによって」「いかな国も非武装の日本を攻撃する口実をもてなくなり、日本が侵略される危険がなくなる」と主張しています。これはきわめて無責任な議論です。
だいたい、「侵略がなくなる」というこの断定自体、なんの根拠もないものであり、日本が安保条約を廃棄して中立の道をふみだしたからといって、なお帝国主義が存続する以上、アメリカを先頭とする帝国主義陣営が、そのアジア侵略政策のいっそうの破綻のなかで、日本をもう一度アメリカを盟主とする軍事同盟にひきこもうとして不当な圧迫や干渉をくわだてたり、侵略の挙に出たりする危険は、依然としてのこっています。日本が非武装政策をとれば、どんな国も日本を攻撃する口実がなくなるから、「侵略される危険はなくなる」などというのは、帝国主義の侵略性、凶暴性に目をふさいだ、まったくの主観的、希望的な観測にすぎません。
したがって、帝国主義者の干渉や圧迫、侵略の危険などをどのような手段で防止し、日本の独立と中立を守るかという問題は、日本の平和・中立化の政策を真剣に追求するものにとって、けっしてゆるがせにすることのできないきわめて重大な問題です。まさにこの問題で、「侵略の危険はなくなる」などと勝手にきめこみ、なんら現実的な考慮をはらおうとしない社会党の態度が、独立・中立日本の前途に真剣に責任をおう態度でないこと、さらに、将来にわたって「非武装中立」などを固定的な原則として宣言し、あらかじめ自衛の手をしばってしまうことが、真に日本の主権と中立をあらゆる情勢のなかで守りぬく正しい態度でないことは、まったく明白です。
なお、ここでとくに指摘しなければならないのは、社会党の「非武装中立」論が、日米関係についての同党の根本的な誤りと結びついたものであるということです。いうまでもなく、一国の中立政策を問題にするばあい、その国がどんな外国の支配からも解放され、真の独立を確保していることが、その前提です。このことは、第二次世界大戦後の日本のように、アメリカ帝国主義の占領あるいは半占領下におかれている国では、アメリカ帝国主義の対日支配を打破し、真の独立を達成することをぬきにしては、ほんとうの意味で国の中立化や中立政策を語ることはできない、ということを意味しています。ところが、社会党は、「日本がアメリカに本質的に従属関係にあるものとみることはできない」(「旧本における社会主義への道」、一九六六年一月第二十七回党大会)として、日本の対米従属の関係を本質的に否認する態度を公式にとっているのです。帝国主義の存続と侵略性に目をつむるだけでなく、現実のアメリカ帝国主義の対日侵略を否認する立場からは、もちろん、日本の真の独立の達成という課題が提起されることはなく、けっきょく、この課題を軽視あるいは回避する社会党の立場が、真の日本の平和・中立化をめざす態度と両立しえないことは、あきらかだといわなければなりません。
社会党の「非武装中立」論のもうーつの論拠、問題点は、自衛権をめぐる問題です。
結論的にいえば、日本人民が主権者となった独立・中立日本の安全保障問題において、周囲にアメリカ帝国主義のような侵略勢力があるなかでの「非武装中立」という主張は、けっきょくのところ、いっさいの自衛権の発動の手段をみずから否定して手をしばるものである、ということです。さきにあげた『社会新報』のM署名の論文は、独立・中立日本の自衛権についての日本共産党の主張を攻撃して、つぎのようにいっています。
「日本共産党は、……プルジョア国家間の規範である国際法上の自衛権をもちだしている。これを根拠にして自衛軍隊を主張するなら、一国がプルジョア政府であろうと、民主連合政府であろうと、軍隊をもつことができるのであって、主観的にはどうあれ、自民党が進めようとしている自主防衛論、憲法改悪と核武器をふくむ軍備強化に積極的に手を貸すものといわざるを得ない」
まったく乱暴で、おどろくべき議論ですが、独立・中立日本の自衛権を主張した日本共産党の安全保障政策を批判しようとした『社会新報』は、問題の自衛権そのものを、「プルジョア国家間の規範」だという説でどこかにふっとばしてしまっています。しかし、自衛権とは、国家あるいは民族が、外国の圧迫や侵略から自国の主権と独立を守る正当防衛の権利のことです。これはすべての民族がもっている国際法上も広く認められた固有の権利であり、「プルジョア国家」だけにかぎられるものでは、もちろんありません。にもかかわらず、それが『社会新報』がいうように「プルジョア国家の規範」だとするならば、独立・中立日本には自衛権はないことになり、けっきょく、さきに引用したNTVテレビと『読売新聞』のアンケートへの社会党候補者の回答にあるように、「抵抗しないで運命に甘受」しなければならないというようなことになってしまいます。
なお『社会新報』はここで、自衛権についての日本共産党の主張を「自衛軍隊の創設」の問題と同一視し、最近になっても、「共産党は……外交政策における自衛権の主張は武装自衛の方向をとっている」(「一九七〇年安保廃棄をめざす闘争方針案」、六八年十一月社会党中央執行委員会決定)などといっていますが、これは、日本共産党の主張をきわめて一面的にねじまげたものです。自衛権は日本民族が一貫してもっている固有の権利ですが、これを行使する形態は、内外情勢や憲法上の制約などによってちがいます。日本共産党が、現憲法下では、たとえ真の自衛のためであっても国が軍隊をもつことを明確に否定していることは、ここでくりかえすまでもなく、「日本共産党の安全保障政策」および「日本の中立化と安全保障についての日本共産党の構想」にあきらかです。
自衛権をめぐる問題で最後にいっておかなければならないことは、さいきんの成田発言でもくりかえされている、日本共産党が自衛権を問題にすることは自民党の「自主防衛」論に手を貸すものだという議論が、ぎゃくに自民党の「自主防衛」、調をたすけてやる結果になっているということです。
日本共産党が、自民党政府の「自主防衛」論や自衛隊増強に反対しているのは、一般に国を守ることそのものに反対だからではなく、自民党の「自主防衛」論が、日本の主権と独立を守るどころか、反対に、アメリカの指揮下にアジア侵略の「日米共同作戦」態勢を強化することをめざしたものであり、自衛隊が憲法違反の対米従属と人民弾圧の軍隊であるからです。自民党のこの「自主防衛」論を粉砕するために必要なのは、「自主防衛」の名による日米軍事同盟強化、自衛隊増強の危険な実態を具体的に暴露するとともに、アメリカ帝国主義の対日侵略と主権侵略を許している日米安保条約のもとでは、一具の自主防衛はありえず、日米安保条約を廃棄し、日本の真の独立をかちとり主権を回復してはじめて、ほんとうの意味で、日本の自衛や安全保障を問題にすることができるという根本の道理を、広範な国民のあいだで明確にすることです。この意味では、日本の主権を侵害し、領土を侵略しているアメリカ帝国主義を日本から追いはらうことこそ、日本民族の正当な自衛権の発動なのです。
これにたいして、もしわれわれが成田氏らの主張のように、自民党の「自主防衛」論に反対しようとして、日本民族の自衛権そのもの、外国の侵略から主権と独立を守る権利そのものを否認する立場にたつならば、それは、日米安保条約をなくす民族的な権利をあいまいなものにするだけでなく、かえってわれわれの立場を道理のないものにし、自民党が「自主防衛」論を欺まん的にふりまわして日米軍事同盟強化の方針をおしすすめるのをたすけてやる結果になることは明白です。このことは、六八年の参議院選挙中、テレビやラジオの政党討論会などで、自民党が中立政策に打撃をあたえようとして、自衛の問題を無視している社会党の「非武装中立」論の弱点に攻撃を集中する作戦をとり、社会党がこれに明確な反撃をおこなえないできたことにも、はっきりとあらわれています。このように、社会党の「非武装中立」論は、自民党との対決という点でもかれらに乗じられる決定的な弱点をもっています。
毎々お世話になります。
下には下があると言う話をしておきたくキーボードを叩いております。
なお、これはジョークである為、笑っていただきたい。ジョークなので、よく似た会社があったとしてもそれは錯覚であり、実在しない。
以上、ご査収の程お願いしたく。
ある菓子製造業の労働組合がある。比較的歴史が長い企業で、戦後に労働組合が結成された。
古老が言うには、結成されたときの最初の要求は「安全な作業着を支給せよ」と言う所から始まったと言う。
地域の中で中心的な役割を果たす労組で、かつてはこの労組から、同系統の労連の組織内候補として国会議員が送り込まれたこともある。(社会党が強い時代)
しかし、それも昔の話だ。
バブル崩壊前は、業態として製造から販売まで同じ会社でやっていた。が、バブル崩壊で同じように出来なくなり、製造会社を分離する事になった。その際に、労働組合が反発した。
ここまではよかった。しかし、労働組合が出した条件が、組合員の給与と立場の維持のみであった。
そこで、その会社が執った手段とは、子飼いの下請け企業に指示して会社を作らるということであった。
親会社との間に資本関係が無いが、技術顧問という形で人を送り込み、事実上支配したのである。
そこでは、不景気の労働市場に乗じて、親会社の給与水準・待遇と比べ遙かに低く、その地方としても下の中ぐらいの待遇で人をあつめた。(その際に、親会社の名前は大いに役に立ったことだろう)
さらに製造業への派遣労働が解禁されると、それを大いに活用した。この時、労働組合はこれを黙認した。何故なら、組合員は出向に選ばれても給与水準や待遇は維持されたからである。
こうしてできあがったのが、コストを削減することのみを目的とした子会社であった。安易な解決策である。
その後、失われた10年が失われた20年に向かおうとする中で、製造会社の経営が悪化する。
当然である。この会社はコストを削減のみを目的としているから、まともな経営改善は行われていないし、投資活動もできていないのだから。
世の中の景気が少し上向けば、他者は投資をして、改善する。そうなると、ついて行けなくなって競争力は落ちていく。しかし、もはやこの子会社がなければ商品が作れない。
そこで、いちど会社を倒産させ、清算、その上で、今度は資本をいれて買収することになる。
この際に、労働組合はどう動いたかというと、やはり「組合員の賃金と待遇の維持」を要求するのみであった。
そして、経営側は、この際、元々別の会社であったものを救済目的で買収するものであるから、ユニオンシップ制は適用されないと言う事で合意を取って買収をしている。
こうして、資本関係のある子会社というものが誕生した。この頃は、まだ子会社も労組入りを呼びかけるべきであると言う話もあったようだ。
しかし、この労組は、親会社内では待遇の維持を堅持して主張していた。このなかでは、自分たちの労働の価値を下げるとして、派遣労働者の導入も組合の同意がなければ駄目だと言う形にしていたようだが、その反動で製造会社の方の待遇は、当時からかなりの格差があったと聞く。
労組が、子会社社員らをに入れる事を躊躇っているうちに、親会社は業務を拡大する。コスト削減目的で作った子会社によって生み出される利益は大きい。他にも何社も子会社を設立していくことになる。
そして訪れるリーマンショック。この時、労働組合は、組合員の給与と待遇の維持を要求。親会社は本体には手を付けられなかった。子会社は大幅なリストラが行われた。
ここで、子会社で働く下々の者から見たら、悪の枢軸としか見えないような労働組合が固まったのである。
さあ、みなさん、ここ最初の笑うところですよ。さあ笑ってください。
リーマンショック時のリストラ攻勢に対し、子会社の社員の中にも組合に相談し、加入したいという要求があったそうである。が、当然のように組合はこれを拒否している。
ではと言うことで、子会社の有志が集まって労働組合を結成しようとしたことがあった。
しかし、この会社の労働組合の幹部は、地域の労働組合、さらには産業別の組織でもそれなりの力を持っており、この労働組合設立の動きに対して、表向き「いずれは自分の所に加入させるため、設立支援はしないでほしい」という話をした。つまり、既成の組織が支援しないようにさせ、労組結成を阻止したのだ(当時は会社に関係なく入れる労組などはなかった)
もしかしたら、彼らは当時本当に組合員として受け入れるつもりがあった可能性も微粒子レベルで存在しているが、結果が全てだろう。
その後、労働組合から会社に都合の悪い部分だけを外したような「従業員互助会」という組織が、親会社人事の指導の下に設立される。
ここは社員だけではなく、社長以下全社員が所属していると言う組織だ。だから労組ではない。1ヶ月500円を徴収し、この金で社員の交流会(花見と月見と忘年会、と言う飲み会。参加はほぼ強制で、欠席には理由書の提出がいる)を行うと言う組織である。表向きは。
しかし、36協定など、労使協定を結ぶときには、経営側の人間は投票権なしとすることによって、従業員代表組織とみなしている。
もはや、御用組合どこでは、ない。
会社の経営危機は何度もあった。その際に、彼らは組合員の子会社を活用すればリストラは不要なはずだ、構造改革が足らない、と組合側が提案書まで書いたらしい。
具体的に子会社をリストラしろ、派遣切りしろとあったかどうかは定かではない。しかし、事実その後、リストラの嵐がやってきて、派遣は総じて契約を解除されたのは事実だ。
そうして人がいなくなった子会社に、親会社で余った人間が出向してきた。
親会社の人間が天下ると、何故か1階級特進すると言う習わしがある。平社員は係長に、係長は課長に、課長は部長に、部長は役員になる。
そうして、実務者が3人減ると、その費用で親会社の雇用が維持される。
さらには、親会社での職位はあくまでも係長なので労働組合員だが、子会社では管理職と言う者が大量に出現する構造ができあがったのである。
彼らは毎年、春闘を行う前にスト権投票を行い、要求を挙げている。しかし、もう30年以上ストライキは行われておらず、交渉は妥結している。
その結果、毎年ベースアップと定期昇給は維持されており、ボーナスも5ヶ月分程度は出ていると考えられる。また、利益は出ていたので、それを背景にした待遇改善要求も通っていたようである。
が、その成果を、ある時から一切公表しなくなった。その理由は「関連会社に配慮するため」とされる。
簡単に言えば、子会社側で、親会社と同等の賃上げレベルを要求する動きが、ごく一部であったらしいのだ。
それを親会社から天下りで来ていた社長が親会社に伝え、親会社は交渉結果を非公開とすることを要求。現在は一切公開されなくなった。
ただ、当たり前だが、人の口に戸は立てられぬ。
続き → anond:20230331164112
増田でもコメントでもまだあんまり上がってないやつだとこんなのも良かった
元・薬学生、現・現役薬剤師のゲーム実況が主だが、見どころはゲーム実況そっちのけで始まるおくすり解説。
ニコニコではよくランク入りしているのでニコ厨は知ってるかもしれない。
病気の症状から、薬の作用機序、薬の法的な規制・流通などなどについて詳しく解説してくれる。
とにかくめちゃくちゃ説明がうまい。うまい人の説明聞くのが好き! という人はお薬に興味がなくてもおすすめ。身近にある薬について「そういう意味/理由/仕組だったのか……」と腹落ちできるのも気持ちいい。
ほぼほぼ毎日動画投稿されるのもすごい。いったいどうやってるんだ。
日本一「高い」薬ってどんな薬なの?【VOICEROID解説】 ゾルゲンスマ 脊髄性筋萎縮症:https://www.nicovideo.jp/watch/sm41741182
は本当に面白かった。一発の薬価が1億円以上のおくすり「ゾルゲンスマ」の解説
一言でいうとメーデー!系。航空機事故などについて実際の報告書や当時の無線通信などをもとに解説するチャンネル。
航空事故だけではなく、航空インシデント(事故にならなかったがほとんど事故直前やん!といういわゆるヒヤリハット的事例)も扱う
メーデー!でまだ取り上げていない事故・インシデントも出てくるのでああいうの好きな人は見て損なし
【解説】PA-46マリブ N264DB 墜落https://www.youtube.com/watch?v=zTIlOnEurf0
現役サッカー選手エミリアーノ・サラが移籍先への移動中チャーター機の墜落で死亡した事故の解説。サッカーファンなら覚えている人も多そう。続報と根本原因を知らなかったので動画見てめちゃビビった。
主にナチス・ドイツで活躍した(してしまった)人物の生涯について解説する。たまにそれ以外のドイツ~東欧史もやる。
Twitterの逆張りキッズがやるようなナチ党や関係者の持ち上げはあまりなく、個人史~ナチ党に入ってろくでもないことをしでかすまでを細かく解説しており、しでかした悪行に対してびっくりするほどしょうもないパーソナリティであることなども伝わってきて面白い。
近年の史料にもあたっているようで、最近評価が(悪い方向に)覆ったことなども取り扱うことがある。
最近は動画投稿がすこし滞っているが既投稿ぶんでも相当暇つぶしになると思う。続編まってます。
【ゆっくり解説】ハンス・アスペルガーhttps://www.youtube.com/watch?v=x3gpKQ1G6AU
アスペルガー症候群を発見し、障碍者は「生きるに値しない生命」として安楽死(T4作戦)を進めたドイツにあって障碍者の保護に努めた人物であるアスペルガー……というのが通説だった。
だが近年、普通にT4作戦にかかわってました~ということが判明し、評価が覆っちゃった話をしてくれる。
超おすすめ。最近独ソ戦について研究発表か!?ぐらいのレベルの動画を投稿し始めた。デイヴィッド・グランツ「巨人たちの激突するとき」をはじめとする大ッ量の史料を使って解説する。
独ソ戦とその前後の戦争を背景にナチ・ドイツのヤバさ(悪い意味で)とソ連のヤバさ(いい意味でも悪い意味でも)を知ることができる。
難しい原著もCevioで訳文読みながらかみ砕いて解説してくれるので安心
ドイツ君がなぜソ連相手に戦争をおっぱじめたかの思想的背景までも説明してくれた回はアツかった。
【独ソ戦】同志六花と学ぶ大祖国戦争 #3: 第三帝国の躍進【CeVIO解説】https://www.youtube.com/watch?v=2ihTqEh3_1Q
「なぜ独ソ戦が『史上最大の戦争』であるのみならず、『史上最悪の"絶滅"戦争』になったのか」を資料の抄読軸で解説する回。
ヒトラーは「この世界は人種間の果てなき生き残りデスゲームで構成されており、だから融和とか多人種主義とかはそれ自体がユダヤ的やねん」ということを思っていたらしい。えっ何それは…。
ナチズムは通常の人種差別からは1翻2翻違う別格のやべー思想であることを伝えてくれる。
「イギリスからみたアメリカ独立戦争」「ロシアから見た日露戦争」など日本人の歴史観からは「逆」の視点からみる歴史的事件を史料等に基づき解説する。
「逆」から見るとそっち側からの合理性・合目的性というものがあるんだなあという学びになる。
かつては野党第一党、何度か与党にもなりながら今や両院合わせても2しか議席がない社会党(現:社民党)の誕生からの歴史解説。
立憲民主党内のここ数年のあれこれが「全部社会党のリフレインじゃん!」となる
見返すと半分くらいはニコニコ経由で知ったやつだな。
日本社会党中央執行委員長、議員淺沼稻次郞君は、去る十二日、日比谷公会堂での演説のさなか、暴漢の凶刃に倒れられました。
私は、皆様の御賛同を得て、議員一同を代表し、全国民の前に、つつしんで追悼の言葉を申し述べたいと存じます。
ただいま、この壇上に立ちまして、皆様と相対するとき、私は、この議場に一つの空席をはっきりと認めるのであります。私が、心ひそかに、本会議のこの壇上で、その人を相手に政策の論争を行ない、また、来たるべき総選挙には、全国各地の街頭で、その人を相手に政策の論議を行なおうと誓った好敵手の席であります。
かつて、ここから発せられる一つの声を、私は、社会党の党大会に、また、あるときは大衆の先頭に聞いたのであります。今その人はなく、その声もやみました。私は、だれに向かって論争をいどめばよいのでありましょうか。しかし、心を澄まして耳を傾ければ、私には、そこから一つの叫び声があるように思われてなりません。「わが身に起こったことを他の人に起こさせてはならない」、「暴力は民主政治家にとって共通の敵である」と、この声は叫んでいるのであります。
私は、目的のために手段を選ばぬ風潮を今後絶対に許さぬことを、皆さんとともに、はっきり誓いたいと存じます。これこそ、故淺沼稻次郞君のみたまに供うる唯一の玉ぐしであることを信ずるからであります。
淺沼君は、明治三十一年十二月東京都下三宅島に生まれ、東京府立第三中学を経て早稲田大学政経学部に学ばれました。早くから早稲田の北沢新次郞教授や高校時代の河合栄治郞氏らの風貌に接し、思想的には社会主義の洗礼を受けられたようであります。
当時、第一次大戦が終わり、ソビエトの「十月の嵐」が吹いたあとだけに、「人民の中に」の運動が思想界を風靡していました。君は、民人同盟会から建設者同盟と、思想運動の中に身をゆだね、検束と投獄の過程を経て、ごく自然に社会主義運動の戦列に加わったのであります。
大正十二年母校を卒業するや、日本労働総同盟鉱山部、日本農民組合等に関係して、社会運動の実践に情熱を注ぎ、大正十四年の普選を機会に、政治運動に身を挺したのであります。
すなわち、同十四年農民労働党の書記長となり、翌十五年日本労働党の中央執行委員となった後は、日労系主流のおもむくところに従い、戦時中のあの政党解消が行なわれるまで、数々の革新政党を巡礼されたのであります。
君が初めて本院に議席を占められたのは、昭和十一年の第十九回総選挙に東京第四区から立候補してみごと当選されたときであります。以来、昭和十七年のいわゆる翼賛選挙を除いて、今日まで当選すること前後九回、在職二十年九カ月の長きに及んでおります。
戦後、同志とともに、いち早く日本社会党の結成に努力されました。昭和二十二年四月の総選挙において同党が第一党となり、新憲法下の第一回国会が召集されますと、君は衆望をになって初代の本院議運委員長に選ばれました。書記長代理の重責にあって党務に尽瘁するかたわら、君はよく松岡議長を助けて国会の運営に努力されたのであります。幾多の国会関係法規の制定、数々の慣行の確立、あるいは総司令部との交渉等、その活躍ぶりは、与・野党を問わず、ひとしく賛嘆の的となったものであります。
翌二十三年三月、君は、日本社会党の書記長に当選、自来、十一年間にわたってその職にあり、本年三月には選ばれて中央執行委員長となり、野党第一党の党首として、今後の活躍が期待されていたのであります。
かくて、君は、戦前戦後の四十年間を通じ、一貫して社会主義政党の発展のために尽力され、君自身が社会党のシンボルとなるまでに成長されたのであります。淺沼君の名はわが国政治史上永久に特筆さるべきものと信じて疑いません。
君がかかる栄誉をになわれるのも、ひっきょう、その人となりに負うものと考えるのであります。
淺沼君は、性明朗にして開放的であり、上長に仕えて謙虚、下僚に接して細心でありました。かくてこそ、複雑な社会主義運動の渦中、よく書記長の重職を果たして委員長の地位につかれ得たものと思うのであります。
君は、また、大衆のために奉仕することをその政治的信条としておられました。文字通り東奔西走、比類なき雄弁と情熱をもって直接国民大衆に訴え続けられたのであります。
よごれた服にボロカバン
きょうは本所の公会堂
あすは京都の辻の寺
これは、大正末年、日労党結成当時、淺沼君の友人がうたったものであります。委員長となってからも、この演説百姓の精神はいささかも衰えを見せませんでした。全国各地で演説を行なう君の姿は、今なお、われわれの眼底に、ほうふつたるものがあります。
「演説こそは大衆運動三十年の私の唯一の武器だ。これが私の党に尽くす道である」と生前君が語られたのを思い、七日前の日比谷のできごとを思うとき、君が素志のなみなみならぬを覚えて暗たんたる気持にならざるを得ません。
君は、日ごろ清貧に甘んじ、三十年来、東京下町のアパートに質素な生活を続けられました。愛犬を連れて近所を散歩され、これを日常の楽しみとされたのであります。国民は、君が雄弁に耳を傾けると同時に、かかる君の庶民的な姿に限りない親しみを感じたのであります。君が凶手に倒れたとの報が伝わるや、全国の人々がひとしく驚きと悲しみの声を上げたのは、君に対する国民の信頼と親近感がいかに深かったかを物語るものと考えます。
私どもは、この国会において、各党が互いにその政策を披瀝し、国民の批判を仰ぐ覚悟でありました。君もまたその決意であったと存じます。しかるに、暴力による君が不慮の死は、この機会を永久に奪ったのであります。ひとり社会党にとどまらず、国家国民にとって最大の不幸であり、惜しみてもなお余りあるものといわなければなりません。
ここに、淺沼君の生前の功績をたたえ、その風格をしのび、かかる不祥事の再び起ることなきを相戒め、相誓い、もって哀悼の言葉にかえたいと存じます。
鈴木は陣営外の人にも話が通じる右翼として有名だったが、実は朝まで生テレビの成立に大きな関りがある。鈴木が居なければあの番組は無かったんである。
また風桶式に鈴木が居ねばネットの団塊叩きも無かったんである。ちょっと説明しようと思う。
鈴木の親は民族主義新興宗教の「生長の家」の熱心な信者だった。その為大学時代は六本木にあった生長の家道場の寮に住み込みんで大学に通うと共に国粋宗教活動と学生運動に身を投じ、全共闘の左翼学生と殴りあいをしていた。最近話題の宗教二世だったのだな。
この道場は乃木坂の緑の中にあった。https://goo.gl/maps/tv9eakNek34ZLQXU6
今では生長の家の3代目がエコロジー志向になったので建物も塀も取り払われて開放的な森として一般にも開放されているが、一昔前は周囲の階段が「おばけ階段」と呼ばれるほど鬱蒼とした場所だった。
日本会議の中核メンバーも多くここに入寮しており実はこの寮は戦後の右翼運動の胎盤みたいな場所なんである。安倍政権で日本会議が急接近した事で政治にも影響を与えた。米議会は安倍政権と日本会議の関係を問題視していたのでこの寮の輩出者も分析把握されているかも知れない。
この敷地内には日本教文社という出版社もあってこれは生長の家の教祖谷口雅春の著書を出版して思想と教義を広める為に設立された出版社だ。しかしフロイトの『精神分析入門』や『夢判断』、ユングの選集などをいち早く出版するなど、実は学術分野でも存在感を示してきた社でもあった。
余談だが防衛庁(当時)の庁舎は2000年まで六本木にあり(現ミッドタウン)、更に60年代まで門が開いていたので近所の人は庁舎内の売店で買い物をしていたそうである。六本木、赤坂の物価より安い上に生長の家道場と防衛庁庁舎は目と鼻の先だったので鈴木も利用して安いパンツ等の購入に重宝していた。
ところがある日、左翼学生による防衛庁突入事件があり、それ以来門は閉められ部外者が売店を使用することは出来なくなった。
六本木交差点の先や青山まで行ってハイソ価格のパンツを買うしかなくなってしまった為に怒り沸騰、全共闘と衝突した際には「お前らのせいでパンツが安く買えなくなっただろ!」と叫んで相手を殴っていたとの事である。相手も何を言われているのか不明だったろう、と鈴木は述懐していた。まー、面白おかしく話を盛ったんだろうけど。
1970年に三島由紀夫の市谷駐屯地東部方面総監部占拠と割腹自殺事件が起きて世間を揺るがしたが、三島の介錯、つまり斬首をしたのが森田必勝。森田もまた割腹し介錯された。この森田必勝は鈴木の後輩で、思想的に鈴木の影響を強く受けていたという。
この為に鈴木は強く動揺、やがて右翼として生きる事を決意する事になる。やがて勤めていたサンケイ新聞も退職してしまう。(デモでの狼藉で解雇されたとの話)
鈴木はこの事をずっと気にしていて十字架を背負っているかの如くだったが、2000年頃になると「森田氏」と敬称を付けて呼ぶようになった。十字架を下したのかもしれない。
余談だが、小泉政権時代に男性か女性か判らんと評判になった井脇ノブ子という政治家が居たが、彼女は学生時代、右翼学生運動のマドンナで、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の様に数万の男塾みたいな学生の先頭に立ち、当時新右翼学生運動のプリンス的立場だった森田との交際の噂もあったとの事である。
1977年google:image:『おまえらがかわいいけんなぐるんや!』は井脇31歳の時の刊行だが表紙写真の井脇は暴力教師だかダチョウ倶楽部上島だか素人には見分けがつかない。
鈴木らは「新右翼」であり、これは全共闘などが含まれる新左翼に対抗する為に生まれ、政治権力に癒着した旧右翼らと違う軸を志向した。そもそも対抗する相手の新左翼自体が、日本共産党が暴力路線を放棄する事に反発して生まれたもので、要するに暴力vs.暴力。
最初から硬派なバンカラと軍国路線で、彼らが卒業して政治結社を結成するようになると国防色(カーキ)の街宣車を使うようになった。これが80年頃になると威圧感を与える黒塗り街宣車と旭日旗、日章旗、軍歌を流すというスタイルが定着した。
鈴木が代表を務める一水会も黒塗り街宣車で軍歌を流して通行人を威圧して居たが、やがて鈴木はこのスタイルは良くないと考え出す。こんなスタイルでは話を聞いてくれる人が居ない。
という事で今の機動隊バスのような爽やかなブルーに塗り直して大音量の軍歌も怒鳴り声も止めた。これは今で言うとテニスサークルヤクザとか好青年暴走族みたいな強烈なミスマッチである。(考えれば機動隊バスが国防色止めたのも同じ動機だ)
すると傍目には社会党などの街宣車に見えるから、すれ違う右翼街宣車に怒鳴られる事もあったそうである。「あー、てめえらふざけんじゃねえぞおいゴラ!」「あ、一水会さんでしたかどうもすいませんでした」って事が度々あったそうだ。
ただ、話を聞いて貰えないスタイルが流行したのは大人の事情もある。威圧感があって相手が震えあがるというのは、例えば企業相手の抗議に行くときは相手が折れてやり易い訳だ。
更に活動費というのは支持者の寄付と機関紙の購買費で稼ぐのだが、相手が折れた先に機関紙の購買も持ち掛ければ受諾されやすい。そこで心付けを渡してくる相手もいる。
するとシノギの手段としてヤクザが参入してくるようになる。民事介入暴力だ。ヤクザは元々旧右翼と不可分だったが、それが新右翼のスタイルを模倣して参入するわけ。威圧感を高める為に街宣車もカーキや灰色じゃなくて黒塗りの方がいいし、車格も小さいライトバン等より大型のワゴンやバスの方がいい。こういうのを警察用語で右翼標榜暴力団という。当時沢山いたヤクザが参入する事で「業界」のパイも大きくなった。
鈴木はこういう威圧じゃなくて議論や対話を好むスタイルだったので、敵のはずの新左翼側とも交流があり、新左翼出版社から自書を出版して居たりもした。それで「一般人の方も向いている面白右翼」という評判が高くなっていた。
そこで1985か86年に全共闘上がりの活動家と鈴木含む新右翼の大討論会というのを開催する事になった。司会はあの田原総一朗である。
この当時は全共闘とか学生運動というのは完全に過去のものになっていて嫌悪さえされていた。流行っていた思想はポストモダンで、モダンの内容も踏まえずに言葉の戯れを繰り出すのが流行していた。これは凄惨な内ゲバを繰り返して自滅したのに青臭い異議申し立てさえすればよいという立場で「議論」の場に居座っていた学生運動的なものに参加したくない、そうではないものが新しい価値ある態度なんだという、以前の政治的なものへの強い忌避、反感がベースにあった。あの田中康夫も事あるごとに全共闘残滓の異議申し立て的態度や代ゼミ講師的ノリをコキ下していた(湾岸戦争で日本が参戦を求められた事に衝撃を受け転向)。
そんな時代背景では政治議論なんてものはカビが生えた扱いで部外者には面白い訳がない。
そう思われていたのに、いざ討論会をやってみたら部外者にもかなりウケがいい。やってる方も面白い。
それでこれはいけるぞと踏んだ田原総一朗がテレ朝に持ち込んだ企画が朝生だったんである。
当時、エロ一本鎗だった深夜放送枠でフジTVが色々実験的な番組を放送し始め、その深夜枠のいい加減さも相俟って好事家的視聴者層にウケていた。そこにCNNの放送権をゲットして社会路線で行きたかったテレ朝が乗ったのだろう。
こういう経緯だから最初の頃の朝生は体制派vs.反体制派orリベラルという構図が鮮明だ。田原は最近「朝生は最早保守だ左翼だという時代ではないというのが朝生を始めた動機だ」みたいな事あちこちで言ってるんだが、この経緯を見ればこれが嘘って事は判るだろう。ボケちゃってるんじゃないの?討論なんてウケない時代に「激突全共闘と新右翼」討論会の成功で行けると踏んだのが朝生なのだから。
そしてこの討論会は鈴木の左右を超えた交流と議論好きの人格が無ければあり得ず、田原も来なかった筈なのだから、鈴木の存在が朝生を産んだと言って差し支えないんである。
こういう風に鈴木の活動と波及した社会現象は停滞して煙たがられていた政治議論を活性化した。すると全共闘上がりの人士らは元気になって「異議申し立てが必要だ」「もう一度騒いでもいいだろ」と言うようになった。これらを受けて刊行されたのが1994年の『全共闘白書』である。
この動きに対し、同世代の松原隆一郎が文藝春秋社の雑誌『諸君!』で批判を加える。更にこれを受けて諸君!誌では「うるさいばかりで無責任 上と下からぶっ叩け全共闘世代」という特集を組んで、その名の通りに上の世代と若手の執筆者が全共闘叩きをする記事を寄せた。
つまりはこれがネットで長年繰り返された団塊批判の始まりなのだ。この全共闘的振舞いへの批判から団塊Jr.世代(増田もそう)の日本を支配するオヤジ世代へのルサンチマンと甘えが被さり、「団塊世代」全体を叩くという風にスライドしてきたのである。そこでは例えばいい年になっても漫画を読んでるというスタイルを確立したのが団塊だ(劇画市場の成立)とか子供部屋が個室とか結婚は好きな相手とすれば良いしなくても良いという常識とか若者向け流行歌の市場とか個人のプライバシーとか時給制アルバイトとかが団塊世代がわがままをしたせいで出来たって事にも向き合わないで済んだ。
些か「風が吹けば桶屋が儲かる」的だが、鈴木の活動が無かったら全共闘上がりが活性化して『全共闘白書』が刊行されることも、それに対して下の世代が反発する事も無かったのである。そしてそれがネット民の甘えを吸収して団塊叩きに変化する事になったのだ。
最後に現在も統一教会との関係で取り沙汰される朝日新聞襲撃殺人事件の赤報隊に関して。
1990年代に新右翼を名乗る男の脅迫で柳美里のサイン会が中止されるという事件が起きた。鈴木はSPA!誌に連載を持っていてそれを批判したところその男が抗議してきた。その中で男が赤報隊の名を語った為、鈴木は「赤報隊とは面識がある、名前を騙ったお前を赤報隊は必ず殺すだろう」と伝え、懺悔の言葉を引き出す事に成功し、それを連載記事に書いた。
すると、直ぐに警察が何らかの容疑で令状を取り事務所を捜索して書類の類を皆押収してしまったのである。赤報隊の情報を得る為の別件事件だ。これに鈴木は怒って赤報隊の情報は二度と官憲に提供しないと書いてそれきりになってしまった。
結局赤報隊と鈴木の面識が脅迫犯へのブラフだったのか真実だったのかは不明なんである。
ヤクザの根絶やしを目的とする暴対法が施行される事になった時、任侠右翼とも付き合いがある野村秋介に鈴木はヤクザの人権を守れデモに参加しようと強く誘われたが、鈴木は「イヤですよヤクザなんて」と気乗りがしなかったが、野村は親分肌なので断れない。仕方なしに参加したら呉智英らに「アウトローの人権とは笑止」などと言われてしまった。
>まず、大日本帝国当時でも当然政府は自分たちが侵略戦争を行っているなどと説明はしていなかったし、国民も侵略戦争に加担しているなどという自覚はほとんどなかったたわけで。大日本帝国、というか現代史から得られる教訓と言うなら、「自国の政府を疑う」という発想が真っ先に来なければならないと思うのだが。
現代は一方的な公共放送しかなかった当時と違ってネットによる情報の透明性が全く違う。一般人が政治家の人となりを見て判断し意見することまで出来る。加えてマスコミによる取材や批判、報道も自由だ。さらには中国が何を行い問題となっているか海外メディアまで見通す事もできる。そう言った様々な情報から判断してこの点に於いては政府を疑うほどの事はなく、むしろ国際的に今中国共産党の行いは懸念されている。これは日本の政府どうこうの問題に留まらない。
侵略戦争という言葉を挙げているが経済的にも国力的にも現在最も非現実的な話が日本が侵略を仕掛けると言う話だと思う。
また、ネットによる情報の透明性の話をしたが、逆に例外もある。中国の金盾だ。中国だけは人民への情報統制のためにネットを監視に使っている事は常識的なレベルで広く知られている。それとも大日本帝国当時、人々は情報統制に気付かなかったと言う話を推すのであれば、現代日本政府も同様に米国やEU諸国、国連などと共に巨大なネットワークで誰にも気付かれず情報統制を行なっていると言う話が出るのかな?
>あと、他国の思惑云々で中国やロシアを槍玉に挙げているが、統一教会という朝鮮半島のカルトとズブズブに癒着している自民党が進める軍拡をなぜ肯定できるのか。
自民党でなければならないと言った覚えはない。他の党でも現在の情勢を踏まえて中国共産党の脅威への対策を行なってくれるのであれば歓迎したい。
ただ実績として中国への包囲網を外交で組み立ててきたのは自民党だし、そうした中国を脅威とする動きに反対してきたのはかつての民主党、共産党、社会党あたりである事実は留意している。
← そのへんはマックス・ヴェーバーあたりが論じている通りかと。人によっては「資本主義はプロテスタンティズムの放蕩息子」と言ったりする。けだし名言かと。
ちなみに、新約聖書には、カネを預かったのに増やさずに大事にタンス預金していて主人に叱られる召使いの寓話をキリストが弟子たちに語る場面がある。
← こちらもまた、社会主義や共産主義の萌芽にはキリスト教があることを考えればさほど不思議ではないかも知れない。「キリスト教的社会主義」とか「キリスト教的共産主義」などという言葉もあるし、初期のキリスト教信者たちは正に共産主義的コミューンを作っていたようだ。
ちなみに第46代内閣総理大臣となった社会党の片山哲は熱心なクリスチャンだったし、マッカーサーも彼が総理に就任したことを歓迎していた。今でも日本のキリスト教界は左派的な空気が強いように思う。
なお、ガチガチの唯物論的無神論的共産主義については、これを「プロテスタンティズムの鬼子」などと評する向きもある。
そもそも結党の経緯がそれだからね。55年のいわゆる保守合同は左右社会党の統一で社会党が巨大化したのに対抗してのことだったわけだし。
なお、自民党も決してガチガチの保守でないことは明らか。自民党の自由(リベラル)は最近の左翼が言う「リベラル」じゃなくて、古典的なリベラル(自由主義)だから、むしろ資本主義と相性が良いわけで、財界も当然こっち寄りになる。
そういう意味の自由主義政党の中では日本の自民党はむしろかなり共同体主義的(コミュニタリアン)であって、社会保障制度などに力を入れてる方だから、社民的な要素も強いんだよね。解雇規制の強さなんかもそのあらわれかと。
あるサイトによれば、中央大学の原理研究会が募集を始めたは1961年4月。年度は書かれていないが白門祭にも参加し統一原理を紹介する企画を行っている。
別のサイトによれば、1964年の早稲田祭で原理研による「原理展示説明会」が行われている。
【山上徹也容疑者に関連して】思い出したこと 日本史野島博之 のグラサン日記
年度と大学名は書かれていないが、本人のツイートによれば1978年駒場祭。
記事では、青山祭実行委員会の「構成メンバーはサー連とほとんど同じ」(サークル連合については「原理系サークルの聖書研・青山学院学生新聞会・弁護部を中心とするサークル連合(以下、サー連)」と説明されている)で「事実上〝青山祭〟は〝原理祭〟と化しています」と述べている。
『噂の眞相』1981年2月号「学園祭資金にまつわる不穏なウワサあれこれ」
伝聞や噂としてであるが、青山学院大学の学園祭について次のようなことが書かれている。
「大学から出る補助金の一部を原理研の連中が流用しているってウワサが前々から出ていたんだ。で、前期の終わりごろ、体育会の学生の一部と原理研の人間(実行委員)とが学内で、補助金問題をめぐって言い争うという事件がボッ発。傷害事件にまで発展したそうだ」
「模擬店などが学園祭期間中に得た収益の一部を例年ウワマエとしてハネ、それをほとんどフトコロに入れていたってウワサもある」
ついでに言えば、この記事でも取り上げているが左翼系の学園祭も金銭面の疑惑は多い。
筑波大学では学生の政治・宗教活動を厳しく規制していたにもかかわらず、学園祭で原理研の企画は許可されるという問題があった。『筑波學生新聞』などがこの問題を取り上げている。
筑波大学の学則と学生の自治に関する質問主意書(社会党の竹内猛議員提出)
原理研究会、NF期間中に講演会開催 抗議の学生らと衝突も 京都大学新聞社/Kyoto University Press
2011年、京都大学11月祭(NF)から追放されている原理研が学園祭期間中に学内で講演会開催。学生が借りることはできない百周年記念館のホールを名誉教授名義で使用。
最近、統一教会が話題になっているが、大学自治を経験したものからすれば、統一教会のイメージは最悪だ。それは、カルトというよりも、自治破壊の実力部隊だからだ。 - Togetter
東北大学新聞(258号) 「私が見た麻原彰晃」
副委員長(寄稿者)は「実力行使しても企画を中止させましょう」という意見だったが断念。「我々はできるだけ統制をしたくなかった(略)しかし秩序と信義を守るためには毅然たる態度こそ必要だったのではないだろうか」と書いている。
1992年、確認書違反を理由に駒場祭委員会がブレーカーを落として麻原彰晃講演会を強制終了。テレビ取材が入っていたのかはわからないが、映像が残っておりテレビでも放映された。
この時実行委員につかみかかった井上嘉浩は、その後地下鉄サリン事件などに関わり2018年死刑。
『東京大学新聞』第1776号によれば、駒場祭委員会は事前の企画書にない行為の一つとして「個人情報(氏名・住所・電話番号)の収集」を指摘している。
『「オウム真理教」追跡2200日』 江川紹子 1995年 文藝春秋
オウム真理教の学園祭企画で「住所や電話番号を書かされて」その後オウム真理教の会員となったケースが紹介されている。
すでにオウム真理教という名前はなくなっている2001年、信者が名古屋大学学園祭のフリーマーケットに教団名を隠して参加し来場者に住所氏名などを書かせた。詳細は不明だが『年表でわかる現代の社会と宗教』にも記載あり。