はてなキーワード: 清貧とは
私は今世間で話題になっている某ゲームの数々の盗作を絶対に許しません!
そのゲームはクリエイターたちが丹精込めて作った知的財産に手をかけキャラクターデザインとその要素を盗み取りました!
そしてゲームシステムのアイデアをあたかも自分たちが考えたかのように扱いました!
ましてや実在の人物の肖像権を犯し侮辱し裁判まで起こされたのは自業自得!
「ポケモン」ってなんですか、完全にカプセル怪獣を真似てつくりましたよね!?
サイホーン/サイドンなんてほとんどシーゴラス/シーモンスだ!
ヒトデマンの設定は完全にウルトラマンだしアニメ版のあの鳴き声はふざけているのか!
メタモンはDQのスライムをピンクにしただけ、ミュウツーなんてほぼフリーザ様のデザインでしょう!
冒険して出会ったモンスターを捕まえて仲間にし育てて冒険する、完全に
そもそも冒険RPG!D&Dのパクリじゃないですか、これは大変なことですよ!
沢村さんのサワムラーや海老原さんのエビワラーなど、存命人物の生モノなんて絶対しちゃいけないですよね!
そりゃユリゲラーさんも訴訟しますよ、絶対に許しちゃいけません!
・・・え、もう本人は許した?みんな有名な話?
歴史を紐解くとポケモンさんが行ってきたのは「パクリ」ではなく「オマージュ」だったようです。
なるほど、ではパルワールドさんも「オマージュ」だから大丈夫ですね!
オタクさん「それは違うよ!ポケモンのは笑えるオマージュだったけどパルワールドは許されない盗作だよ!」
よくわかりませんが大丈夫ではないようです。なぜでしょう。
仮に今回の件を任天堂が提訴し裁判になったら問題なのでしょうが、今のところそのような話は聞きません。
現段階で誰かが非合法に直接の被害を被ったという様子も見られません。
「クリエイターのやる気が削がれる!」
ただすんなりと飲み込むこともできないので、一つずつ見ていきましょう。
清貧で潔白な心の持ち主の方に多いのですが、何かを利用して金儲けすることが汚いことだという嫌儲思想の方が多い気がします。
そもそも最初に挙げたポケモンのオマージュも金儲けのためだと思いますよ、話題づくりのために利用したと言えるでしょう。
企業として営利目的或いは営利を妨げない範囲での活動は自然なことなので私は良いと考えていますが。
必要かは知りませんが、それはそれとしてあると思いますけどね。
二次創作にも言えますが、お金目的だけが目的の創作ってかなり精神削る作業です。
全然好きじゃなかったらあんなに魅力的なキャラ達の作成はできないと推測します。
(推測というかただのお気持ちですが、ていうか別にいらないでしょそんな感情)
・・・まぁ関係者の方でちょっとあれな過去の発言があったらしいことは擁護しませんが。
プロの方が言うのはわかります。生活を守るためでもありますし、立場での主張があるのは当然のことなので。
基本的に私は合法であれば何してもいいと考えている人間なので(これについてこの後少し話しますが)近年よく上がるAIによる画像生成の話題なども概ね賛成なんですね。
ただそれでクリエイターの方々に損害があるのは嫌なので、必要であれば適切な法の制定やそれに関する活動はどんどん行うべきだと思うのですよ。
今回の件で権利を守りたいという意見もそういう類のことだと思います。それはいいです。
しかしこれ、趣味で絵を描いてる方や創作活動をしていないような方がよくお話しされているように見えました。
よく意味がわかんないけど、こんなのでやる気なくすならやめればいいじゃんと思いました、趣味なんだし。
マクロな視点を持ち出して(主語を大きくして)「クリエイターが育たなくなる!」という方もいましたが、別に関係ない気がします。
まず絵とかって模写して参考にして絵柄を真似てなんかしてうまくなるものじゃないですか。
そういうことを趣味でしてる人がこの件を叩けるとは思えないんですよ。(営利が関わる場合話は変わりますが。)
だからこれについて話してる人の多くって自分の創作に満足できてなかったりただのワナビーだと思うんですよ、偏見ですがそういう人ってすごい模写などを嫌いますし。
結論、すみません、これについては本当に理解できませんでした。
業界を盾にして自身の不快感を何とかしてるように見えませんでした。
いろいろ書きましたが、不愉快に感じている方が多いのは確かです。
なぜ不愉快に感じるのか、先に挙げた意見もありますが、そもそもパルワールドを「ポケモン」だと勘違いしてるからだと思うのですね。
「パル」に銃撃をさせたり暴力行為をすることが「ポケモン」への侮辱になるという方が多くいました。
そうですね、公式でもない第三者がポケモンの二次創作でそういう描写をしたら大変ですね、例のMODは明確な侵害だと思います。
でも大丈夫です、それを行っているのは「パル」なので。
勘違いしてる方が多いのですが、これは「ポケモンが好きな人」向けにつくったのではなく「ポケモンのような世界観が好きな人」のためにつくったものです。
そしてオリジナルの消費者には前者より後者の方が数多かったため売れたというのが現実です。
ポケモンライクな疑似餌ではありましたが彼らはポケモンを売っていません。彼らが仕掛けた本当の餌は違う世界です。
その世界が本当に素晴らしく大変面白くできていたため真に刺さり一発ネタで終わらず今もなお売り上げ数接続数を伸ばしているのです、ポケモンというコンテンツを自己のアイデンティティと見紛う程愛している方を除いて。
それでも本当に合理的な理由の元パルワールドのやり方を批判するべきだと思う人は同じようにポケモンの歴史も批判しなければいけません。それが条理です。
ずいぶん長く書きましたが、私が一番言いたいのは、
「空気悪くなるからみんな楽しく遊んでる中に入ってきて買ってもない部外者が無い権利を主張しないでほしい」
です。
「合法なら何してもいいとは限らない」というのはわかりますしモラルが大事なのはわかります。
ただモラルやマナーって時代やコミュニティによって違うじゃないですか。
それを全くの部外者が押し付けてくるのって相当傲慢だと思いますよ。
だから法律っていう大前提の根本的なルールがあるわけじゃないですか。
任天堂法務部の名のもとに主張をしていいのは任天堂法務部だけです。
わざわざXのリプライやディスコード、YouTubeのコメント欄に出張って遊んでる人自体の人格を否定してくるのは気持ち悪いです。
人格否定するならここや5chのような完全匿名掲示板で行いましょう、なぜならこんな肥溜めみたいな場所をわざわざ見る人はそういう覚悟がある人だけなので。
思えば美大に通って絵を描いているときも、私は自己表現をしたいなんて思いはなかった。
それっぽい、かっこいい、かわいい、誰かに褒められる絵を描きたかった。自分がないから、どこかで見たような絵ばかり描いていた。
好きな世界観を突き詰めてそれが否定されるくらいなら、最初から全力で向き合わずに傷つかない道を選んだのかもしれない。
何を言われても、4年間自分のしたいことを貫いて描き続けた人たちは強かった。
私は意味の分からない、理解のできない、粗削りの絵を心の中で冷たい目で見ていた。
でもそれを続けた人たちはどんどん強くなって、冷笑して逃げていた私はどんどんしょぼくなる。
思い返すと私の行動の理由も、そこに居続ける理由も、傷つきたくないから。
傷ついたり、自分が無価値であると思い知らされるのが怖くて、それならない方がいいと思って全てを回避していた。
友達に野菜を食べなきゃだめだよと言われて泣く、幼稚園の時の私。
自分のことかわいいと思っていて、「あっちゃんかわいい!」が口癖だった。
繊細ではあったけど人見知りというレベルで、3学期になれば皆と仲良いし、基本人は好きだった。
親の喧嘩が嫌で泣く私。
池田大作の本に、子供の前で夫婦は喧嘩してはいけないと書いていたのに、何でお母さんは大好きな池田先生の言いつけを守らないのかがわからなかった。
小学生、中学生の頃までは必死に空気を読んで、喧嘩する親を和ませようとしてた。自分の発言で親が笑って、喧嘩が止まるとほっとした。
中2の正月に、全部終わった。
何とかしようとするのをやめて、ずっとイヤホンをして聞かないようにした。
クラスの全員と仲良くすることもなくなった。
色んなことに向き合うのをやめた。
どんなに悲しくてもつらくても、生きなきゃいけない。
生きようとする力と、生きづらさがせめぎ合った結果、回避するという術を身につけた。
それが今の人生に影響を与えていて、スムーズに進むことを妨げているけど、でもそうしないとあの時の私は生きてこれなかったなら仕方ないか、と最近ふと思った。
子供は環境を選べないので、どうにかその場に自分を適応させたのだと思うと泣ける。
自分の心を守った私のことを、今の私が否定して、こんな自分嫌いだなんて言ったらあの頃の私は悲しむかもしれない。
認めようぜ自分を。
経済力がないと、文句しか湧いてこない相手と別れられないと学んだから、自立心が強くなった。
貧しさがいかに人を荒ませるか、清貧なんて嘘だと幼くして知ったから、お金の大切さがわかる。
自分の存在意義がわからなくて、あやふやだったからこそ、一労働力だとしても人に必要とされて感謝されるバイトが楽しかったし、仕事も好き。
白黒思考は恋愛との相性は最悪だけど、仕事では役に立つこともある。
人の顔色声色を伺って機嫌を取ってきた経験は、接客に活かされている。
自分一人でずっと暮らしていけるお金と、メンタルを保てる仕事を追い求めてたら、20代は終わってしまった。
大金持ちは目指してない。日々、ケチケチとお金で心が荒まない程度に、自分へのご褒美を難なく買える収入があればいい。
たぶん優先順位の問題で、私が一番欲していたのは経済力と安定した仕事で、そのためにもがいた結果、社会人10年目にしてやっと着地できた。
もし私が心から欲していたのが、パートナーとか温かい家族で、この10年めちゃくちゃ恋愛を頑張っていたらそれなりに形になっていたのかもしれない。
両立出来たらよかったのにな。
これから10年がんばったら、恋愛もどうにか着地できるのだろうか。
我慢を続けて抑圧しながら生きていると、40代や50代になっていきなり鬱になったりするらしい。
姉は20代で体もメンタルも壊して、通院することもあったけど今は健康に過ごしている。自分を大切にできているし、私の自己肯定感のなさに引いているくらい。羨ましい。
私は大きく調子を壊すことなくここまで来たけど、どこかのタイミングで病名がついて適切な治療を受けられたら良かったのに。
嫌になるくらい健康だから、このまま何事もなく一生何となく不調なまま、終わる気がする。
でも最近強い意志で変わりたいと思ってるので、健康な心を目指すべく片っ端から色んなことやっている。
ドツボにハマらない程度に心理学の勉強をするべく、4月から通信大学に通うつもり。
何も変わらなかったとしても、心の仕組みを知りたい。
とにかくとにかくとにかく恋愛が上手くいかないので、日記を書きました。
でもそんな自分も愛そう。
子供番組である『セーラームーンSS』では「心の清い人から出てくる鏡」を集め、ペガサスを生け捕りにしようつーのが目的だった(うろ覚え。なんで生け捕るかは忘れた。多分榊原良子のコレクションだったか)。
ソイツの描く絵にちびうさは惚れるんだけど、その心をの鏡を引きずり出されたら、鏡は汚かった。
「貧乏だと心も汚い」っていう言い分にちびうさは反論しようとするけれど、心の鏡はソイツ自身の真しか出てこないので、コイツは「(現状では)100%心が汚い」っていう事実。
一応オチとしては「きっと幸せになる(だろう)」という希望的観測でおしまい。貧乏学生は救われないまま、ただ貧乏のまま。
この回を見て思ったね。「弱者だろうと、いや弱者だからこそ心が汚い奴がいる」っていうお話。
弱者成り上がりの奴が「意地汚い」「生き汚い」ってのは別に不思議じゃないし、むしろ「衣食足りて礼節を知る」なんで。
日本社会には「良いものを安く売ることが良いことだ」ということを美徳だと感じている人たちが多いと思う。
しかし良いものを安く売ることは、その良さを減じている。良いものとは高いのである。良質なものは珍しいことが多く、手に入らないから高いのだ。
良いものを作り安く売ることで、作り手には何が入るのか。名誉である。
良いものを安く売ることで「あの人はいい人だ」「できた人だ」「立派な人だ」という称賛を浴びることができる。
逆に、買い手はその安さのかわりに称賛を売っているのだ。
もし良いものが価格に十分見合ったものだったらどうだろう。買い手は「こんなものか」「そういうものだろう」「なぜ感謝しなければならない」「正当な対価である」と感じるのだ。称賛などしない。
「良いものなのに安くする」というのは、自信の無さの裏返しである。高い値をつけたときの罵倒に耐えきれないから、その自信の無さが値段に出るのだ。
「でもみんなに提供するためにこんな低価格でやっているんです」と言えばみな納得する。「そんなに安いならしょうがない」「こんなに安いのにうまい」「こんなに安いのに高品質だ」という評価になる。
その頑張り、その苦心がいっとう評価される。買い手は安くものが手に入って満足する。素晴らしく理想的な物語である。
しかし良いものとは高くなるべきなのである。本来もっと価値があってしかるべきである。そういう売り手と買い手だけが存在する一商品のクローズドな市場ではなく、世の中には別の市場もある。世界とは魑魅魍魎が跋扈する極めて不安定な世界であり、小さなクローズドな世界とは性質が完全に異なる。その別の市場での価値からだいたいいくらぐらいになるのかを知っているのが転売ヤーである。
転売ヤーは基本的に悪である。買い手からすれば、「手に入るハズだったものが、欲しくもないヤツに目の前でとりあげられて、ニヤニヤされるムカつき」を味あわされる。
そうして「どうせ手に入らないなら手にした者が破滅すればよい」というルサンチマン・すっぱい葡萄の合理化から、転売ヤーが敵視される。
これは自然な感情であるので、転売ヤーを擁護することはしない。転売ヤーは大人しく罵倒を受けていればよい。
売り手からしても、転売ヤーは名誉をかっさらうモンスターである。自分には人徳があり、美徳を重んじたために、その対価として名誉を得られるはずだったのに、転売ヤーは購入しても売り手に称賛など送らない。したがって売り手も転売ヤーを敵視する。顧客が高い金を払って転売ヤーから買った場合、顧客は称賛など一切しないからだ。
これも自然な感情であるので、転売ヤーを擁護することはしない。転売ヤーは大人しく罵倒を受けていればよい。
そう。悪いのはすべて転売ヤーである。転売ヤーは徹底的に悪である。
しかしその罵倒のメカニズムもまた、市場経済に組み込まれている。転売ヤーは、罵倒されることで、金銭的な利益を得ている。
一方で売り手も買い手も、適正な価格というものを理解していない。売れるならば、それで手に入るユーザーが少なくなっても高くしなければならない。それが適正価格だからだ。
この適正価格では、名誉の売買などされず、感謝はない。単なる正当で公平な取引である。もちろん「価格以上のものを売る」というピュアな精神自体は素晴らしいものであり、経済を推進させるために重要なものだ。
買い手の「高くて買えない」「高いなら買わない」という思想は、資本主義を悪とみなし、みんなが平等に貧しくなろうとする清貧な思想につながる。
結局のところ「そこまでして欲しくはない」のだ。「そんなに高いのならいらない」のだ。適正価格よりも安くすることで、本来手にとれないはずだったユーザーにまで裾野を広げ、そして人気と称賛を得る。
安いのだから、責任は負いたくない。どこまでいっても、最後の最後で「だって、こんなに安いのだからしょうがないじゃないか」という言い訳を作ることができる。
だから成長しない。
適正価格よりも安くすることで、従業員の給料なども安くなる。取引先にも「安さ」の圧力をかけ、よりものを安く安くと要求する。「いいものを安く」とは聞こえがいいが、「安くなければまともに買ってもらえない」「安くなければ称賛などされず対等だと思われてしまう」ことを知っている。
「高いけど買う」「買うために稼ぐ」「ほしいものを手に入れるために戦う」という思考にならなければならぬのだ。
日本はこの「名誉」とその逆である「恥」を子ども時代から徹底的に教育されている。「嫌われること」「排除されること」「村八分にされること」を必死で恐れている。
現代日本で起こっていることは、名誉の価格が下落しているということだ。名など腹の足しにならず、名を取っていると死ぬときが来たのだ。しかも、名のため他人のためにどれだけ自己犠牲を払っても、他人はそれに見合った称賛をくれはしない。名を贈る余裕がなくなった。いよいよそれが耐えきれなくなったときに日本人の感情は爆発する。「実ばかりだけでなく、名も無いぞ」と。
誉や称賛を重視して、良い人であろうと、純粋であろうと、潔癖であろうと、善良であろうとするから、転売ヤーを敵視するのだ。実際には血塗れで強欲で禍々しいはずなのに。
実際には、転売ヤーだけが悪なのではない。売り手も買い手も悪なのだ。その悪を直視せず、小さな世界だけで完結しようとして、己と異質の黒船民族を排除しようとするのは、尊王攘夷と何が違うのか。江戸はもう終わったぞ。
いい加減「いいものを安く」はやめろ。良いものは高いのだ。高くしろ。プロであるならば。感謝や称賛など求めるな。
ダンピングしてお手軽に名誉を獲得しようとする輩は、徹底的に糾弾し、より合理的・徹底的に搾取しなければならない。それが全体のためにふさわしい。
だからお金でお金を増やす意味を説明したら、「お金を増やす話はしていない」ってさ
そもそも大金があるほど運用するものだよ、って話から始まっているのに、お金を増やす話はしていないっていうわけだし、そもそもお金の運用を何にも知らないのよ
増田の例えで言うなら、でもスポーツ選手がそこまで体を管理する必要性や意味は分かるでしょう、って説明に対して、スポーツセンシュ?そんな言葉は知らないな?え、まんじゅう1個で糖尿病にはならないと思います!って感じだよ
じゃないでしょう
だって金を飛びぬけた何かで稼がない限り60億持つことはないんだよ?
60億持っている時点で実際はばりばりスポーツ選手なんだよ
金を稼ごうと思えば60億稼げるけど清貧で生きたい、みたいな人は最初から資産持ってないし、資産持って清貧暮らししてる人は絶対不労所得運用して得てるって
反論を想定してないですね。
普通に主張して普通に絡まれて、勝手に自己論理破綻して、「私は議論する気もない変人なので」になるのか…恐ろしい
バカに対してバカと指摘するのは最も愚かとされている国だから、誰もお互いにバカと教えることができず、自分がバカだとつゆほども思わずに、
「軍事力など関係ない。日本は風に護られているから必ず勝つ」ってアメリカと戦争しちゃったんですかね??結果は爆弾で更地でした…
少子化対策も、バカしかいないのでお前はバカだとお互いに教え合うことができないから、先延ばしにし続け、もう学者からは手遅れ、回復不可能、50年後は地獄って言われてるんですね!
日本には批判を受け入れられる読解力がないですもんね。お前はバカだと指摘してもこうやって理解できない人が沢山いて、知りつつあえて自ら滅ぶ胆力は逆に尊敬します!