はてなキーワード: 意図とは
盛り上がってるところにマジレスですまないけど、実際日本でもこれから会社の同僚と付き合うのは禁止になっていくと思うけど、たぶんそれで救われる部分もありつつ若者たちが苦しむことにもつながると思う。
高学歴の婚活女性の悩みを見聞きしてると、婚活で自分の周囲のふつうレベルの男性にぜんぜん出会えないってことで悩んでる。
結局学校や会社とかって、社会的に近いステータスの人たちが集まってるから、そこから急にごった煮の婚活市場に放り出されてそのギャップで苦しんでるんだよね。
高学歴の婚活女性に限らず、それぞれの婚活女性に近いステータスの人たちって職場にいるはず。
でもごった煮の婚活市場だと、男は比較的学歴とか収入とか気にせず結婚するから、高学歴女性ってあまりやすいんだよね。
だから高学歴の婚活女性からしたら、できればごった煮の婚活市場よりも社会的に近いステータスの人たちが集まってる職場の繋がりで出会える方が望ましい。
だけど、最近の風潮だと仕事関係者と付き合うのはどんどん禁止になっていくから、たぶん高学歴の婚活女性にとっては苦しい戦いになるはず。
なーにどいつもこいつも「作品の受け取り方は人それぞれですからね^^」ってすまし顔しとんねん。
ええから「ワイはこういう意図でこの作品を作りました!」って堂々とネタバラシせぇ!
このシーンのこれはこれのメタファーでこのキャラは◯◯を表していて、最後の展開は××を意図してます!
質問文は原意をくんで変更してある。
そうおっしゃっていただけると大変ありがたい。
これだけでブルマー増田として記事を書いてきた甲斐があったというものだ。
前述のエロマンガソムリエの友人も実は評論島に足を運ぶらしく、全国のエスカレーターの機器の分析だとか、その土地ならではの文物を記録した優れた同人の存在を教えてくれた。また、先行研究としてはこちらがある。
ブルマーの歴史・改訂版 [オペレーション・ボックス(しづみつるぎ)] オリジナル - 同人誌のとらのあな全年齢向け通販
ウィキペディアに載っていないような、英語圏・共産圏のショーツ型のブルマーの分布について論じているのも、自分だけだという自負はある。
単純にブルマー増田の素顔・正体を見られたくないというのもあるのだが、そもそも売り物にするだけの水準に達していないと考えている。確かに書き溜めてきた量はそれなりになるが、例えば事実確認がいい加減だ。
また、出版するならば引用元のサイトに画像の転載の許可を願わねばならないが、これも膨大な量になる。
もっとも、はてなという企業に万一のことがあれば、この研究というか随筆を誰も読めなくなってしまうのは損失かもしれないという、迷いはゼロではない。
(韓国のブルマーについて扱った記事で)アフリカの文化を紹介すると称して、トップレスで釣っているyoutubeチャンネルを批判しているが、タイトルに「おっぱい」を引用し、そのくせ対して議論を深めていない貴君も同罪ではないか?
雑談のつもりだったのでそういう意図はなかったが、言われてみればその通りだ。
やりかたが不適切だったかもしれない。異国の文化なのでもっと敬意を持って扱うべきだった。謝罪したい。
トップレスについてはいずれ真面目に考えてみたいと考えている。
自分は海外で何度かヌーディストビーチや混浴サウナの経験があり、性的でない裸体を実践してきた。その点でも大変興味がある。隠せば隠すほど性的視線を向けたくなる一方、全裸でも堂々としていれば爽やかだというのが実体験である。
ところで、次項にまとめた表や、過去のブルマー増田まとめを見ていただくと、実はブルマーだけについて議論した記事よりも、ブルマー以外のものについて語っている記事のほうがブクマは伸びている。
露出度が増えれば増えるほど伸びているのだ。
特に100以上のブクマを稼いだのは、デビュー作のインパクトがあったイギリスのブルマーを除けば、手塚ブッダのおっぱい、陸上ブルマー(ビキニタイプ)、それからビーチバレーのビキニの記事である。
投稿日 | 記事名 | ブクマ数 |
---|---|---|
2023/5/23 | ソ連のノーパンブルマー少女 | 3 |
2023/6/29 | 体操着さまざま ウクライナ語ウィキペディアより | 14 |
2023/7/10 | エアロビのレオタードとタイツ、60年代から90年代まで | 12 |
2023/8/28 | anond:20230828074847(無題) | 1 |
2023/12/28 | スイスのブルマーと各国のブルマーの呼称、VtuberとパンチラMV | 18 |
2024/1/4 | 韓国のブルマーについての短信、あとアフリカのトップレス | 92 |
2024/1/8 | ブルガリアのブルマー、台湾とルーマニア、手塚漫画と少女漫画 | 39 |
2024/1/11 | チェコのサマーキャンプ、ドイツのブルマ再び、バルト三国のブルマ(男の子のブルマーについて書いた) | 2 |
一旦ここでまとめておこうと思ったのは、たとえば旧ユーゴスラビアのブルマーを調べても、画像があまりヒットしなかったので段々面倒くさくなり、ここで区切ろうかという気持ちになったからだ。
はじめのうちは、旧ユーゴスラビアのブルマーについてまとめて書こうと思っていたのだが、独立した七か国について並行して調べているうちに目移りしてしまい、調査が体系的に進まなかった。
また、前回はバルト三国をまとめて記載してしまったが、本来は各国の体操着の変遷については一か国ごとにまとめて記事を書くべきだろう。以前はポーランドやチェコ、ドイツのブルマーについては記事を独立して記載している。歴史はそれだけの深みがあるはずだ。
しかも、考えてみれば、旧ユーゴスラビアやコーカサス地方の国々については、そもそも地理や歴史をほとんど知らない。バルト三国や東欧諸国は二十世紀の歴史を扱った書物で多少聞きかじっているし、その国ごとのイメージや著名な出身者を思い浮かべることをできるが、前述の国々についてはそうではない。旧ユーゴスラビアと聞いて最初に出てくるのがチトーとミロシェビッチだ。あとはドブロブニクくらい。
その国のブルマー事情について調べる前に、まずは当該地域の基礎知識を身に着けるべきではないか。それが礼儀ではないのか。
あと、コーカサス地方では文字がラテンアルファベットもキリル文字でもない。自動翻訳に書けるので困らないのだが、キリル文字はギリシア文字を知っていると読みが推測できる一方、アルメニアやジョージアの文字は全く推測できないので心理的な壁を感じる。
調べていない国もまだたくさんあると気づいた。
ベネルクス三国やデンマークもまだだ。オーストリアについてもドイツの陰に隠れてしまっている。
これくらいの数で区切ったもう一つの理由が、記事なら見返すときに便利だからだ。
あと、最初のうちはanond:でリンクを貼れば、http:のようにリンク数制限に引っかからないと気づかず、8~9個でまとめていたのだけど、その名残り。
https://www.youtube.com/watch?v=31MQBXy2g3w&ab_channel=MilanDubek
https://www.youtube.com/watch?v=q7ktb56-Y-4&ab_channel=AMASLOU
https://www.redbull.com/hr-hr/stvari-koje-moras-znati-o-odbojci
はっきり言ってわからないことだらけだ。
そもそも各国のブルマーがどんな素材でできているのかはあまりわかってない。
また、色合いについてもあいまいだ。意外と白黒写真が多いため、例えばドイツのブルマーが黒だったことは文章からわかった。画像が荒く、提灯ブルマーかショーツ型ブルマーかはっきりしないことも多々ある。
国によっていつからいつまでブルマーだったのかも、正確な数字はわからない。
日本国内でさえ地域差があったのだからはっきりしないのは当たり前かもしれないが、日本ほど体操服の変遷を記録しているのは英語圏くらいしかない。
ブルマフェチがいるかどうかという問題だけでなく、その国の歴史をどれくらいアーカイブ化しているか、また、その国のネット利用者数や総人口という問題ともかかわっていそうだ。実際、人口が数百万規模の国だと検索してもヒット率が格段に落ちる。数千万規模の国とは格段の違いがある印象だ。
あとは、以前にちらりと新聞や広告、SNSなどで調べたいとも書いたのだけれど、それ以外にアーカイブ資料を使いたいと感じている。
実際、韓国のブルマー写真は「Korea Democracy Foundation」というNPOの画像だし、ポーランドの場合はポーランドのポズナンのデジタルアーカイブだ。
もしかしたら各国のデジタルアーカイブが、ブルマーについて調べる良い資料となるかもしれない。
あとはdeviantartのフェチの人のつぶやき。
各国のブルマー事情を考えると、アメリカだとバスケットボールのときにブルマーだったという証言があるし、バレーボール部もブルマーだったようだ。つまり、同じ体育の授業でも内容によって服装が違っていた可能性がある。
実際、国内でも創作ダンスの授業でレオタードだったという例もあるようだ。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14254151119
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12227793622
つまり、例えばバレーボールではブルマーが広く使われていたが、それが体育の授業一般ではどうだったかははっきりしない。バレー部がブルマーでも授業は短パンってこともあるだろう。
個人的には、バレーボールだけの画像を積極的に探さなかった理由がそれだ。自分が知りたかったのは、ブルマーが体育の授業の制服として使用されていたかどうかだった。バレーボールで検索すると、プロの選手の画像がヒットし、学校教育での実態がわからなくなる。
最初の調査理由がそれだった。ときどき、何のために調べていたのかがぶれてしまうので、そのあたりは気を付けたい。
一旦ブルマーを休んで、へそ出しやトップレス、ヌーディズムについて調べてもいいだろう。
というか、いい加減にネットだけの調査だけでなく、書籍で調べるべきなのだろうが、積んである本が多すぎる。
それにしても、ブルマーに対する執着の根っこにあるのが、小学生時代に憧れていたお姉さんの、パンツのようなハイカットブルマーだとしたら、初恋? をこじらせ過ぎである。
今気づいた。
ブルガリア語のキーワードについてかなり突っ込んで考察してくださっている。
やはり熱意のある方の増田は読んでいて嬉しくなる。
時間を見つけて精読させていただく。
トップレスの民族はフツーに現存するやんけ anond:20201102080505
以上。
横から
金融資産は1億届いてないです
元々不動産やってる家系に生まれて、いい意味で自転車操業(借りては買う)やってきて
父親がなんか思考おかしくて、付き合いの深い取引先さんの(悪い意味の)餌にされてました
そんな状況とかが嫌でほぼ見て見ぬふりしてたのですが、祖父が亡くなって、関りを持たざるを得なくなったのが数年前
(だいぶ前から祖父は父に任せきり。暴力父だったので、幼少のトラウマから体力逆転してもできれば顔も見たくなかった)
金融系以外は共有財産になり、頭おかしい父と不動産なんもわからん私の同意がないと動かせないという状況
ですが、アホでも一人より二人がまだマシで、銀行さんやら不動産屋さんの中でもまともな方々とのお付き合いを重視し
(父時代はかなりひどいとこと深かった。あほみたいな接待とかまだあるんですよ。数千万とか億動かすのに、数十万、下手しい数万の接待で何判断狂っとんねん)
要らん物件整理しました(父は借金返したり変な保険入ったりしました)
私には背負った借金と同じくらいの現金と、その数倍の不動産があって、さてどうしようというのが今
とりあえず今年のNISAは使い切りました
アホなので積み立てなので、オルカンとなんちゃら500と新興国と日本株のやつ(どっかに連動のETF?)適当に
もうひと枠は、今までお世話になった強そうな企業の株にしました。(日本株は去年からちょこちょこ色々買ってて、買いそびれてたところとか)
一年分とかめっちゃすぐ使い切るというか全然足らず、2(3?)企業100株ずつと、30株のとこであと15万円くらい残ってるだけ
で、本題
何が言いたいかっていうと、他人の、それも何の責任もない匿名ブログを信じるなというのは真理
ただ、ブコメ(タイトルにしたやつ)が多分悪ふざけというか(どういうふざけ意図かはわからないですが)変にいじってるのも趣味が悪いし、言い方がよくないなと
人を貶さないと否定できないのってなにも言ってないのと同じなんですよね。(政治批判とかでもそうですが)
それと小学生じゃないのだから、いちおくえーんてのもなんだかなぁと
ただそういう言葉を使わないと、匿名ブログを信じて思考停止するな と伝えたい層には届かないとか深い意味があるのかも とは最近思ってます
どちらにせよ、金融資産が幾らだから真面目に考えて正解に近いところにたどり着きつつ、親切に本当のことをブログに書くことができるというのもおかしな話で
確かに、金融以外でも数+億ありつつ、遊ばしてる金融が1億以上ならお金持ちではあるのですが、将来のことを正しく見れてるかというのは疑問
かといってじゃあ他にどんな基準があるかって考えたらなんにもないので、結局は
人の言うこと真に受けるな と
金融資産1億もない小魚みたいな表現使う人のこともあんまり鵜呑みにしないほうがいいというのは当然として
小魚の一匹としては、色々分散、とにかく分散。そこは忘れずにノリとか勢いとか感謝の気持ちで投資をしていこうと思っております
中野の怪しげなお店に連れて行かれたんだけど
そこには今時珍しいパチモンが沢山売ってたんだが
儲けるためにパチモン売ってるというか、それもあるだろうけど、意図してそういうのやってる感じがして
しかもそれがかなりウケてるようで
自分の中でようやく点と点が繋がったというかそんな感じがあった
偽物の価値っていくつかあるんだなと気づいて
・偽物でも良さを発見することは、ブランドを棄損しても良いということで却って本質である(美味けりゃ良い理論)
・偽物の悪さを発見することで、本物の良さを際立たせる
とか
前からちょっと思ってたけど、2010年代ってバチもんで遊ぶ文化が若者の中にあったと思うけど
2020年代は偽物、パチモン、パクリが妙に評価されてる気がしていた
何かのミームやコンテンツがあると、それをパクったものが登場するが、若者は騙されてそれを使うのではなく本物と偽物の中から一番良いものを採用しているきらいがある
夜の巷を徘徊しながら食事をとったりしていたら少し精神的に落ち着いた。
妻の心配をしている人が多いけど、ちゃんと離婚するのでご安心を。
妻は聖女ではなく普通の感性を持って普通の人生を送ってきた普通の女性であり、異常者の俺がそれを受け入れられなかっただけだ。
家の名義や慰謝料など応えられる要求には応えるし、場合によってはもっと条件の良い独身の男性を紹介する。
今、トラバ見てからこのブクマ見て、何回も「どこかに年下なんて書いたっけ」って見返したけど、よく考えたら「自分と同年代かそれ以上で独身な時点で異常者」だから「条件の良い」って言ってる時点で年下になるのか。
俺は「年下の男性」なんて全く意図してなかったけど、こういう周りの人が当たり前に持ってる感覚を持ってないのが異常者なんだよ。
すまんな。
年下の男 って書いてあった時期があった。
ない。
書いていないものを「書いてあった」と断定されるのは最も見過ごすことのできないものなので、トラバにも返信したけどここでも書かせてもらう。
可能ならば削除して欲しい。
というか「書いていないもの」を「書いてあった」と断定するのは俺と同等かそれ以上の異常者なのではないか。
「書いてあったのかもしれない」なら理解できるけど「書いてあった」という断定は流石に人のことをどうこう言っていられる場合ではないと思う。
原神しかやってないけど、初期低レアキャラがゴリゴリ使えてるあたりインフレは感じない。最初の方より今のほうがキャラの調整うまくなってるな(初期キャラではこの性能なくても良いからこの性能伸ばしてほしかったな、みたいな)というのはちょっとある。
課金圧は運営からというよりユーザーから感じることがある。大きいコミュニティのメインユーザーは課金者or重課金者なことが多くて、課金して当然みたいな風潮がある。
ゲーム自体は一番難易度の低いミニゲームに一番美味しい報酬を用意したりとか、むしろ初心者や無微課金でも遊べるようにしたい意図を感じる。
うーむ、そこはやっぱり相入れないのか。
悲壮さを伝えたい、加害者側の気分で興奮するためではない何らかの演出意図でそういうシーンを入れる可能性は、普通にあると思うのですよね。
物語って、別に加害者・被害者の視点だけで見るものではないので。
現状だと局部を映さなければ18禁にはならないので、ダイレクトエロでなければ(不快であっても)普通に流してOKとなってしまうと思いますが、それもやはり注意書きだけではダメというご意見なのでしょうか?
個人的には、(性被害ではないものの)いじめのシーンもけっこうクるんですが、いじめの悲壮さを伝えたい意図があるなら制作側は入れたくなるだろうと思う。
それと同様に性被害の描写を入れたい、と思う作り手がいてもなんらおかしくはない気がするんですよね。
あと全ての表現がすべて意図に基づいているわけでない可能性もあるかなと。
あとは表現意図でそこを分けることがそもそも可能なのか?そこで分けてもいいのか?という問題もある気がします。
アニメも映画であればPG,R指定がありますが、やはりR指定となると
・内容が反社会的
・犯罪を賛美するように描いている
・薬物関係は特に厳しい。注射器が映っただけで即アウトになる場合もある。
でもそういう基準を全部飛ばして、制作意図のあいまいな可能性を検討できずに一律で長く描写するなら18禁、というのであればそれはこうしてほしいという表明以上の、現状の規制を変える話になってくるように思います。
なんか気になるブコメがあったので言及しておく(長いのでトラバで)
ミホヨはインフレキャラを次々に出してて課金圧ヤバい印象しかないが、やってる人らが軒並み「ミホヨだけは違う」みたいな論調で狂気を感じている。
そもそもゲームを実際にプレイしてない人が煽ってなんぼのまとめ記事かなんかを見て「インフレヤバい」「課金圧ヤバい」という認識を正確にできてると思うことのほうがおかしい。
結論から言うと、トータルで見ると外野が思うほどインフレしてないし、課金圧も業界水準と比べてもだいぶ低い。基本の調整クオリティがそもそも高水準で、繊細で周到なバランスの枠内で、異例かどうかで大仰に騒いでるようなもの。
戦闘バランスの設計は、ものすごく多面的な要素で構成されてる。局所的には革新的なゲームチェンジャー的役割を果たせるキャラが次々に出たとしても、使い所やビルドなどの影響でソシャゲみたく「ほとんどの人がこの最強パ使ってる」みたいな事にはならない。理想的な状況で(というのがほぼないが)、チームDPSが最も高くなりがちな編成に対して、最新アタッカーを活かす編成をぶつけると10%くらい伸びることがままある、というレベル感だ(星5完凸前提みたいな過剰で趣味レベルの領域のバランスについては言ってない)。
ただその差が常に発揮できるわけではなく、最近メディアで騒がれたスターレイルの飲月や鏡流についても、実際にプレイすると強さの反面デメリットがそれぞれに目につくようになっていて、トータルでは納得感のある範囲に収まっている。
デメリットをうまく吸収するためにチームをビルドする楽しさがあり、そのためのパーツとして色々なキャラにスポットライトが当たるようになっているので、ユーザーはむしろ「どんだけ先まで見据えて調整されてるんだ」という部分に舌を巻く印象のほうが強くなる。
それでもとりわけ強い感じがするキャラがたまにいるが、世界観的に意図してそう設計されていることが分かるようになっており、そう頻繁に登場するものではないのでインフレと騒ぐものではない。
ヌヴィレットの強さなどはむしろ物語に対する憶測と感動を誘導する先出し演出の一環だったと今なら言える。メディアだけ追っているエアプ勢はそういうキャッチアップをせず飛ばし記事だけ真に受けるので、いつも先走った見当違いな印象ばかり持つことになる。キャラゲーでも戦闘ゲーでもなく、物語と世界観を大事にしているからこそ忖度しなかったと受け取れ、ゲーム全体として見たときにユーザーに不満を抱かせない説得力をもたせるのが巧みだ。
それにそもそも、原神の元素反応システムにしても、スタレの敵が複数の弱点をもつ靭性システムについても、従来のソシャゲのように平面的な有利不利属性で理解できる単純な代物ではない。属性縛りゲーのような画一感を打破しつつ、多様な攻略を可能にする基礎ができあがっている上での単純比較が困難なお話だという前提を非プレイヤーの人が想像しきることは至難の業だと言える。だからメディア記事にすること自体がそもそも誤解を誘発するのだ。
課金圧に対しても、ここまでの話では常に環境に合わせたキャラを補充しつづけなきゃついてけないように思えるかもしれないが、エンドコンテンツにあたる高難度のもの含めても難易度は基本的にゆるめで、ステージに優遇措置がある最新キャラを取っていればより低い育成具合でも楽に突破できるが、既存のキャラでも正しい組み合わせと立ち回りを考えてそれなりの育成ができていれば突破は難しくないくらいの、ライト層に対して過剰に苦痛を抱かせない設計になっている。言葉で説明する限りじゃ「そんなのはどんな量産ソシャゲだってそうしてるわ」と思うだろうが、その具体的な細かい部分のクオリティが異様に高い。
凸に関しても、無凸や無モチーフ武器でどんなコンテンツも(特性を正しく理解していれば)十分に攻略できる。それ以上を課金して求めるのは、数字を増やす自己満足の類だ。なにせ対戦・競争コンテンツが存在しないから(崩壊3rd以前は除く)。あるいは、週次の戦闘コンテンツを、環境の接待効果を無視できるほどのキャラパワーを備えた推しキャラで強引に突破したい!的な、ゲーマー的にはナンセンスなP2Wゲー的遊びをしたい人のためにあるようなものだ。凸などを強いられていない、なんなら星5ですら好みで取る程度で問題ないくらい星4で編成を極められることは現役ユーザーが一番理解している。もちろん、ミホヨゲーを始めて間もない人が、従来のガチャゲーのノリで凸などの過剰な課金へと行き急ぐ可能性はあるが、ゲーム的にそれを推奨するような表現がされることはない。そもそも、ここのゲームが売れてるのはキャラ取って使うみたいなガチャゲー的遊び方がどうこうじゃなく、本編やイベントの作り込み具合がスマホゲーの常識を超えているから。そこのオフゲー的な感動を与える部分がありつつ、それ以外の日課的な部分では時間的束縛も少なく、あらゆる部分で圧が低くて、遊び方を押し付けずに委ねる姿勢が強いことで、ユーザーへ安心や信頼感を与え、運営とユーザーが互いに敬意を持てるコミュニティを作っていることに成功の核心がある。ネトゲ時代から、オンラインゲームのプレーヤーは運営を敵視あるいは蔑視しがちだったが、そういう関わり方を越えてきたところを俺は評価しているんだよ。もちろんユーザーに愛される運営自体はネトゲやスマホゲーでもあった。でもそれはあくまでクリエイティビティに関してくらいで、ビジネス面まで含めてうまくやっててここまでユーザーからの運営批判が生まれない(批判しようとするとまずヨソにぶっささるから自嘲へと化けてしまう)会社は見たことがない。個人的に00年代からゲーム審美眼とビジネスモデルが優れてたと評価してるネクソンでさえ、運営に対しては結構厳しい意見が多かったのを見てきたから特に。オンラインゲームの開発としての上品な思想と実力に優れたところとして、ミホヨ出現以前まではdevCATを推してた俺だが、今オンラインゲームの世界にすごいやつが登場してるってことを広く知ってもらいたいな。
地震やでかい台風といった大きな自然災害が発生すると、被災地の復興に税金突っ込む事に反対する人たちがでてくる。
「過疎化する地方のインフラに投資したり維持費を払うのは無駄!」みたいなやつ。
まあ考え方は人それぞれだからいいとして、集約って言葉をマジックワードみたいに扱ってることが気になってる。
「農村部に散らばった人口を近隣の地方都市に集約して効率化! インフラ維持費軽減!」みたいなやつね。
確かに散らばってる人口を集約できれば、色々と効率的になるとは思うよ。
でもこの手の意見って、人口を集約する際にもインフラ投資を行う必要があるって事を見落としてる様に感じるんだ。
当たり前のことなんだけど住んでる人が引っ越したとしても、その人達が耕してた農地まで移住先に付いてくる訳じゃない。
農業会社を立ち上げ、既存の農家から農地を買い上げて農地の区画整理を行ったとしても、土地そのものを動かせる訳じゃない。
となると農業会社に雇われた人が、地方都市から農地に通勤して農業やる様になる訳だ。
そうなったら既存の貧弱なインフラでは仕事が成り立たないケースがほとんどだと思うんよ。
既存の貧弱なインフラでも妥協できてたのって、農業従事者が農地のすぐそばに住んでるからなんだ。
農地と離れて住む様になるなら、広くて立派な広域農道作ったり、収穫物の選別や洗浄、梱包を行う集荷場を新しくしたりといった投資が必要になる。
害獣対策や野菜泥棒などへの対策や、土砂災害などの早期発見も農地に隣接して人が住んでいるから可能な事が多いと思う。
人の目が無くなるなら代わりに機械の目を、監視カメラやセンサーを設置したりドローンを定期的に飛ばしたりといった対策が必要になるし、それらを扱える人材の育成も必要だ。
農村部の人口集約と効率化を推し進めるにはハード、ソフト両方に結構な投資が必要だと俺は思うんだけど、果たして都会の人達はこういう事へ税金を使う事を許容するんだろうか?
ぶっちゃけ田舎への投資を無駄と考えていて、その無駄を減らしたいなら現状維持が一番だと思うよ。
災害が発生した時に復興予算とか組まれたとしても、どうせ東日本大震災の時みたいに予算を流用して都会に流れる様になるでしょ。
そもそも大規模なインフラ整備を行うのは大手ゼネコンで、大手ゼネコンの本社は大抵東京にあるんだから公共事業の美味しい部分をほぼ東京が独占してる訳だしね。
一票の格差が是正されて国政への都会の発言力が強化されていけば、ますますこの傾向は強まっていくだろう。
正直なところ、災害時に田舎の復興にいちいち文句つける人達の意図がイマイチよく分からない。
雄弁は銀、沈黙は金じゃないけど、現状のまま放置しておけば田舎の被災地に流れる税金はどんどん減っていくのに、わざわざ騒ぎ立てて無駄に論争を引き起こしている様に見える。
そんなことに労力を割くよりも、田舎が滅んだ後に都会でも可能な食料生産技術(昆虫食とかミドリムシとか?)への投資を議論した方が都会の人達にとっては建設的なんじゃないかと思う。
株式会社Wacomは、高品質なペンタブレット類を筆頭に、クリエイター向けのデジタル製品を展開する埼玉県の企業だ。
超有名ペイントソフト『CLIP STUDIO』のセルシスと提携してイラスト情報サイトを運営したり、YouTubeにて著名作家による液晶ペンタブレットでのメイキング動画を配信するなど、顧客だけではなく、クリエイティブの世界全体に寄り添ってきた印象の強い企業だった。
そんなWacomが、言うまでもなく数多のクリエイターから侮蔑され、今に至るまで常に批判を浴び続けているAI生成画像を広告に使用した。
当然、界隈には激震が走り、すぐさまWacomは非難と誹謗中傷の雨あられにさらされることとなった。
全ての発端となったその画像は、Wacom米国支社が新春セールの告知バナーとして掲載した画像に使用されている龍のイラストだ。
それは昨今の精緻化しつつあるAI画像事情を考えればまったく稚拙と言っていいAI丸出しっぷりのカスみてえなクオリティのポンチ絵であり、切り抜きすらガバガバで、目にしたユーザーが正気を失うのも無理はない瘴気を放っている。
Wacomの弁明によればストックフォトサイトから購入した画像であり、説明には手描きですって書いてたらしい。信じるなよ。
ゆえに、
①ペンタブという、血と汗と涙を流してがんばるクリエイターの相棒となる機器を売っている会社が、クリエイターの成果物を無遠慮に搾取して作られたAI画像なんぞを広告に使いやがったことへの怒り
②たとえ本件が広告代理店単独のやらかしであってWacomは悪くないのだとしても、創作の現場と密接に関わってきたはずのトップ企業があんな分かりやすいAI画像を見抜けなかった、あるいはチェックさえせず素通りさせた可能性があることへの懐疑
③そもそもWacomとかいう超有名かつクリエイターと親密なはずの企業が、自社の広告に使うイラストを新たに発注せず、ストックサイトから拾って済ませたことへの落胆
④ユーザーの告発がバズったさいに、迅速な対応を見せることなく火元の投稿を無言で削除してしばらくだんまりだったうえ、ようやく出た謝罪文がどうも歯切れの悪い内容であることへの🤔
⑤Wacom製品の宿痾であるタブレット用ドライバの虚弱体質への不満が炎上ついでに大噴出
上記を主な理由として燃えに燃え、もはや消し炭すら残さないフェーズに入っている。
自分は生成AIをゴミだと思っている人間であり、Wacomのbambooに導かれて絵を描くようになったおえかきオタクであり、同じくWacomが展開する液晶ペンタブレットのフラグシップである"Cintiq pro"に憧れてきた一介のユーザーであるため、Wacomが燃えているのは我が事のように苦しく、歯痒い。
はじめはWacomに対する困惑と、とにかくは炎上を追わねばという気持ちだけがあり、なぜAI画像を使う羽目になってしまったのかさえ知れればよいと思っていた。
だが、炎上が際限なく広がり、どこまでも飛び火しまくっている現状を見るほどに、自分でもよく分からない様々なお気持ちや悪態が自分の内で噴き出しまくってないまぜになり、どう整理すればいいかさえ分からなくなってしまった。
非難にあわせて拡まった不買運動や、やおら他社製品の液晶ペンタブレットを持ち上げ始めるインフルエンサーの挙動にイラつく自分も情けない。
その代替として挙げられた製品だって過去にAIで広告作って燃えてるし、そもそもそいつらがCintiqに敵うものかよ。
一方で、そんな悪口が出てきてしまうのは、私が持ち合わせているある種の国粋主義的な、権威主義的な部分が強く認知を歪ませているせいであるという点を否定できない。私はWacom信者だ。恥ずかしながらこの目は曇っている。
なんにせよ、よく分からないお気持ちを抑え込むことさえできない自分があまりに馬鹿みたいでつらいのだ。
AI慎重派の筆頭論客でもある某イラストレーターが「XP-PEN(Wacom以外であれば真っ先に候補に上がる中国の優秀なメーカー)の液タブ買ったよ」というツイートをしただけで「Wacomへの当てつけかよ!!!?!!!!!!!?!」となってしまう自分の単細胞が恨めしい。
だから、彼がとてもとても理性的な筆致で書いてくださっていたnoteを読み、示されていたフラストレーションの殺し方のすすめに従って、こうして文章の形で消化しようとしている。私は絵でしめすより文章をしたためるほうが相対的に得意だから。うまくいくかな。
思いついた順に書く。くどいので今後は液晶ペンタブレットを「液タブ」と表記する。
本件を概観するうえで見落としてはいけない気がするファクトとして"Wacomの液タブ"という存在・概念が、デジ絵に親しむ者にとっては単なるハイエンド製品に留まらない、絵描きとしてのステータスシンボルでさえあった実情がある。
「Cintiq」という名は単なる製品の名前ではなく、それこそCHANELの「N°5」のような、ある種の象徴を背負ってきた。なぜなら長い長いあいだ、Cintiqこそが唯一の“本物の液タブ“だったからだ。
どういうことかといえば、Wacomの特許でもある電磁誘導方式(EMR)という動作形式で作動するの液タブは、長らく新生Cintiqシリーズしか存在していなかったのである。
EMR方式は、グラフィック用タブレットの動作方式として最も優れていると言っていい代物だ。飛び抜けて高度な筆圧感知と動作検知能力を持つため、まるで紙に線を引くかのように繊細な描画が可能であり、ペンの充電に煩わされることもない。
かつては板タブの専売特許であった強力な描画能力を、液タブだてらに誇示してみせたことでCintiqは伝説となった。
EMRの特許が切れた現在となっては、他社も盛んにEMR方式の液タブを発表しはじめているものの、依然としてそのクオリティの高さは変わらず、Wacomの歴史に根ざした信頼もあって、“Cintiqという名前“は永遠に“すんげーつよつよ液タブ“の比喩であり続けている。
趣味であれ生業であれ、デジタル創作に親しむ人々はみな、ショーウィンドウ越しのトランペットを見つめる黒人少年のごとく、Cintiq proに憧れながら絵を描いているのである(主語デカ案件)。
だからこそ、"あの"Wacomが!!?という衝撃は大きかった。よその企業がAIを使いやがったときのそれとは、話が違うのだ。
むろん、いくら創作にまつわる機器を扱う会社だからといって、告知に使う全てのイラストにコンペを設けたりできないことは、さすがに分かる。
それでも、だとしても、誰しもが「なんで社内イラストレーター使わねえんだよ」と失望するほどには、Wacomの名前は重かったのだ。
当のWacomにさえ抱え切れないほどに。
また、消費者による企業への信頼とはすなわち資本への信頼でもある。
ただ、ただ単純に「高え金払ってんだからしっかりしてくれよ頼むよ」という話だ。
「Cintiq pro27」とかでググっていただければ分かるとおり、Wacomのフラグシップ製品は、おしなべてアホみたいに高い。Apple製品とタメを張るくらい高い。ちなみに企業姿勢もどとこなく似ているところがある。
Wacomがどんだけ儲かってるかは知らんけど、あんな高いもの売ってるなら相応にお行儀よくあってくれたまえよという話なのだ。
これはカスタマーが企業に怒りを覚えるポイントとしてあまりに分かりやすく、またその気持ちを分からない消費者はいないだろう。
ちなみに、米WacomがAI画像をうっかり購入したフォトストックサイトが、よりにもよってAdobe Stockであるのも見逃せない点だ。
かのAdobeもまた、AI魑魅魍魎に占拠され AI汚染の震源地とすら揶揄されるようになったAdobe Stockの有様をユーザーに咎められ、「高えAdobe税払ってんのに自社のフォトストックすら守れねえのかよ」という失望を集めて絶賛失速中の身である。どうも示唆的なものを感じずにはいられない。
ただまぁ、個人的に上記の諸々は単なる背景情報であって私には正直どうでもよかったりする。ここまでクソ長々と書き綴ってきたうえでこんなことを言うと正気を疑われるかもしれないが。
私はただ、頭が固くて権威主義で旧弊なオタクであり、Wacomを埼玉の誇りだと思ってる埼玉県民ゆえ、ただただ、たった1回の過ちでWacom製品を投げ捨て、""有象無象"“の""中華""製品に手を伸ばせるみんなのフットワークが信じられないのだ。
そして今回の傷が重篤な致命傷なのは否定できないとはいえ、なにもWacomが主体的にAIを推進したわけでもないのにここまで炎上が広がっていることに引いているのだ。
なんかこう…例えばCintiqの次世代モデルにAI積みますとか言い出したわけでもなく、ただAI画像をなんとなく手にとってしまっただけなのに、叩かれすぎじゃないかと思うのだ。確かに迂闊で許される範囲じゃないとは思うけどさ。
とくに、まるでWacomが生成AIを大歓迎し、諸手を挙げてユーザーに押し付けようとしている企業であるかのように罵っている一部のAI慎重派の言動はあさましく思えて仕方がない。
むしろWacomは絵柄を署名のように扱える技術を研究し、「AIでAIをぶちのめす」道を探ろうとしている途上にあるというのに、というかその話題が出た当時はみんなしてさすワコしていたというのに……。
……長い長い冬を抜けて、ようやく著名なイラストレーターの方たちでさえ腹を括ってAIの被害を訴えてくださるようになり、ここ最近にきて生成AIに関する議論が持ち直したように感じられる場面が増えたように思う。
一方で、その暗い冬のあいだに摩耗した精神を顧みぬまま、あれもAIこれもAIAIAIと呪詛の言葉を撒き散らすようになってしまったインフルエンサーの方が何人か思い浮かぶ。
特に、最近になって「2023年8〜10月以降にいきなり生えてきためちゃうま絵師は基本AIだと思え」というド失礼な認識が自然発生し、ぽつぽつと苦言が出ることがあっても、とくに大きな反発もないままその認識が界隈に定着したのを見たとき、私は「底が抜けてしまった」と思った。
そこに畳み掛けるようにして、絵描きの最良の友であったWacomへの過剰な警戒がドバドバドバドバ噴出しているのだ。しっちゃかめっちゃかだよもう。
AIbroが吐き捨てていった「AI規制派はフェミ!」というお里が知れる鳴き声を、彼の意図した形ではないとはいえ、私は捨て置くことができない。
今の「AIカスどもVS絵師とかの連合」の泥沼バトルは、慄然とするほど「"フェミニズム"VS表現の自由」の界隈が辿った道筋に似すぎているのだ。
あの人たちはどうなった?
ギャグみてえな炎上の渦中にあっても気高く振る舞ってきた、"フェミ"と蔑称されるいわれなき本物のフェミニストたる女性達は、数回の炎上ですぐさまインターネッツ・レスバの無意味さを悟り、彼女らがまだ"まなざし村"という懐かしい名で呼ばれていた時代の終わりと共に雲隠れしてしまった。
こうして萌えコンテンツをひたすら理不尽に憎み、ダブルスタンダードな思想を振り回しながらLGBTに迷惑をかけまくる、だいぶ苛烈な女性だけが鼻息荒くリングに残ることとなった。
一方の"オタク"の側も、愛するコンテンツを守りたい一心で不器用にも声を張り上げていた層が、本当はそんなふうに怯えなくてもいいことを知り、安心して去った。オタクコンテンツを傷付けやがる連中の正体見たり枯れ尾花。好きなものを愛でる時間のほうがよほど大切なことに気づいたのだ。
そうして気持ち悪くて不謹慎な処女厨の童貞が一番カッコいいという化石じみた価値観のまま、アニメやゲームに言うほど思い入れがないにも関わらず、現実の女性を逆恨みする原動力として自分をオタクだと思い込まねばならない可哀想な男性だけがオタクのバトンを勝手に引き継いだ。
そんなこんなで、かの界隈は"炎上のための炎上"の火の手が毎日どこかしらで上がり続ける、オタク嫌いとミソジニストがこの世の終わりみたいなナワバリバトルをやるだけの地獄と化してしまった。
他人事とは思えない。
「絵が描けるだけで好きなだけイキれてvtuberにフォローしてもらえるキモオタどもが羨ましい」という凄惨な嫉妬が胸の内で渦巻いていることにさえ気づけないまま、自分は最先端技術を理解しているすてきなテックギークだと心から信じて、満たされることなく価値のない画像を貪り続ける“彼ら“の壮絶さを思えば、相対する我々はたしかに、さすがに、今のところは同じ場所まで堕ちてはいないと言っていいだろう。
今のところは。
だが、その尊い正気が首の皮一枚でつながっているに過ぎないことを、前線にいる多くのひとが忘れてしまっているように思う。
自分がすぐにでも怪物に成り果ててしまうほど疲れ切っていることに気づかず、このまま怒りと悲しみを免罪符にして諍うだけの日々を送っていれば、すぐにでも炎上の熱狂と、レスバのライブ感に飲まれてしまうことだろう。
これは自戒でもある。
この戦いはコップの中の嵐ではない。
議論の場としては最悪なインターネットが唯一のフィールドというのも逆風だが、それでも。
非常に緩慢なテンポで、ときに腹立たしい揺り戻しに見舞われながらも、世界は確実に、ゆっくりとまともな方向に舵を切ろうとしている。
それもこれも、生成AIという忌子の産声に迅速に反応し、大衆がことの重大さに気づく前から、狼少年のような扱いを受けながらも折れることなく声を上げ続けてくれた人々がいたおかげである。
あなたたちが戦ってくれたからこそ、ようやくたくさんの人々が目を覚ましはじめている。
だから、我々はその目を裏切ることなく戦い続けなければならない。
だから、少しでいいから、休んでほしいのだ。ふと立ち止まるだけでもいいから。
この局面にあって、些細なことから「やっぱ反AIって頭おかしいわ」と思われるような事態があってはならないのだ。
私は恥ずかしながら、かつて表現の自由戦士と揶揄される感じのあのへんの活動に片足を突っ込んでいた。
そしてその日々の中で、素晴らしく聡明で、洞察力があって、敵を糾弾する時も優しさを忘れない、人間としても尊敬を集めていたオピニオンリーダーがある日突然ぶっ壊れてよくわからないことを言い出し、クソほど炎上するのを何度か目にしてきた。敵にも味方にもそんな人が出ていた。彼らはそのまま、“炎上のための炎上”をやるためのゾンビと化していった。
思い返せば彼らはいつも最前線に立って、独りで戦っていた。“界隈の人間ではない“人間がそばにいて、エコーチェンバーの反響を適度に遠ざけることさえできていれば、ガス抜きさえできていれば、何かが変わっていたかもしれない。
怪物と戦うものが怪物にならない方法は、ひとつだけ。連帯することだけだ。
あなたたちの仕事は言うまでもなく私が、そしてなによりあなたたちが呼び覚ました無数のビジランテが引き継いでいく。
だから、少しでいいから息をついて、AIbroどもにもみくちゃにされる中で削ぎ落とされてしまった何かを取り戻してほしい。我々にとってあなたたちが必要だからこそ、壊れないでほしいからこそ、私はこんなことを言っているのだ。
Wacomを許せるなら我々はまだ引き返せるはずだ。
このエントリがあなたたちの目に入ったら、お前は手ぬるいだの悲惨な現実を理解できてないだのの有難いお言葉が飛び出してくることだろう。
確かに前半のWacom擁護は、贔屓にしている会社かわいさゆえの妄言ではあると思う。正直。
でも、後半で言っていることを取り下げるつもりは絶対にない。
現実がまじくそだとしても、だからこそ、意地汚くAIを押し付けてくる連中とこれからも戦っていくためにもここで少し立ち止まり、あたりを見回して我が身を振り返らねばならない時期にきていると私は強弁する。
筆者は6年くらいクトゥルフ神話TRPGをやっているTRPGプレイヤーである。
6年といっても本格的に遊び始めたのはここ3年くらいの話で、クトゥルフ神話TRPGは死ぬほどやっているが、他のシステムは数えるほどしかやっていないというあたりで、有識者にはどのあたりの層なのかわかると思う。
こんな増田を読んでいる人はご存じだと思うが、昨今のCoCの市場では、ありえんくらい同人シナリオが増えている。
そんなの元から多かったといえばそれまでだが、数年前のそれとは毛色が違う。
なんか素材が豪華になってるとかそれによりシナリオごとの単価が高すぎるとかショッキングな地雷要素がうんぬんとか改変禁止がうんぬんとか様々な問題が浮上し、日夜学級会が行われる、それはまあ治安の悪い界隈になっている。
とにかく数年前とは比べ様々な変化が起こっているわけだが、今回はその中でも「セッションの目的が「卓それぞれの物語体験を得ること」から「同シナリオを回った人たちとの体験共有」にシフトしている気がする」という面に着目したい。似たような考察をしている人を何度も見かけたことがある。(もちろん今でも前者を求めている人はいるだろうし、単に筆者の周辺が後者の人々に偏っているという事実は多分ある)
こうなるとシナリオの内容はどうなるかというと、「プレイヤーに規定ルートを通ってもらう」必要がある。つまりは自由度が減る。規定ルートを通らないと大事な見せ場のシーンに辿り着けないから。
そもそもTPRGは対話ゲーだ。「空気読み」だというのも当然の話ではあるのだが、そういう、「他のプレイヤーやGMとケンカせずみんな納得できる形で遊べるようにしようね」というのとはちょっと話が違う。
「プレイヤーに規定ルートを通ってもらう」ことを前提としたシナリオを遊ぶ場合、プレイヤー側としても空気を読みながら規定ルートを探しつつ慎重に行動を取らないといけなくなる。つまり顔色を窺う相手は同卓者ではなくシナリオとその作者である。
長々と書いたが、この増田は、要は「これが最近きついよ~」という愚痴だ。いやもう、界隈全体のパラダイム・シフトが既に起こってしまったことである以上、解決策は「適応する」以外にないとは思うのだが。
「これをやりたいと言ったらKPは困るだろうか」「これをこう解釈するのはシナリオ上規定なのか?」というのをうだうだと考えてしまい、なんかきつい。自分もKPをするのでプレイヤーがシナリオにないことを言い出した時の焦りはよくわかる。その分KPにめちゃくちゃ忖度してしまう。
聞いたらシナリオに書いてあるかどうかはっきり言ってくれるKPもいるが、「やんわりと止めてくる」とか「聞いたこととちょっとずれたことを答えてお茶を濁す」タイプの煮え切らないKPもいる。無理なら無理と言って欲しいし誤った解釈をしているのならそう言って欲しい。
「自分はどうしたいか?」よりも「シナリオの『欲しい行動』はなんだ?」をずっと考えている気がする。これちゃんとゲームか?自分何やってんだろうと時々思う。
こういうプレイ上の戦略の空気読みはまだ良くて、先日、エモシというか、感情を揺さぶってくるタイプのシナリオに行った時がきつかった。
ネタバレのためにシナリオ名は伏せるが、黒幕との戦闘後、「味方NPCが瀕死になっている状況で黒幕が逃げそうになっている」というシチュエーションが発生した。
シナリオ的にはこれは負けイベである。だが黒幕は神格でも神話生物でもなく人間であり、野放しにしてはまた悪いことをすることは火を見るよりも明らか。
ならフリでもPCは追わないといけないのでは?と思い、後を追うという宣言をしようとした瞬間だった。
味方NPCがなんか喋り始めた。
筆者はこの瞬間なんとなく「こいつ『良い事』を言うな」と思った。この場合の「良い事」とは、戦略上助かる手がかりではなく、PCの心に深く残るエモいセリフを指す。(実際、激励の言葉だけで次につながる情報は何一つなかった)
でも正直筆者はこのNPCのことがそこまで好きではなかったため、「はっやっく 追わせろよ~~~!!!」とレインがなかなか剣を振らなかったときのアリスみたいになってしまったのだ。
なんとなく黒幕を捕まえるのが今じゃないことは察するけどフリで良いから追わせろよ!!!声聞こえたもん見失うまで追わせろよ!!!!
いや言えるわけねえ~~~。
みんなNPCの「良い事」に耳を傾けて「いい人だ……」ってなってるし、「すいません、俺だけでも追って良いですか?」なんて言い出せる空気ではなかった。
なんかこれがずっと納得いっておらず、多分「追う」が規定ルートじゃなかったんだろうな~~。いや、それくらいそのときからわかってたが……。とずっと悶々としている。
しかもこれは要するに「PCを引き留めたNPCは無能ではないか?」という告発(NPCディス)になるため、同卓に言えずにここに書いている。シナリオ名を出してふせったーを書いてやりたいとも思ったが、炎上しそうで怖い。
でも「優秀な警察官」という設定のこのNPCがPCを引き留めたことはやっぱりおかしかったんじゃない?せめて関係の深いPC一人置いて残りは追わせてもよかったんじゃないかなあ………。ううん。そこまでして規定ルートの遺言必要だった……?なんならこのNPCが「有能かつ人格者」として扱われている現状に納得いってないだけの可能性もある。
正直、このモヤモヤを発散するために文を書いた。前半部分は要らなかったかもしれない。
まあ空気を読みすぎて鬱々しているのは界隈が悪いとかではなく自分の性格要因がかなり大きいと思うので、恐れず自分の考えを提案できるように成長できたら良いのだが。
※もし「あのシナリオかな?」と思ってもシナリオ名は出さないでほしい。そういうネタバレを含むシナリオ告発をしたくて書いたわけじゃないから。
【追記】
実は増田に投稿したのが初めてだったので「ちゃんとコメントつくんや……」とちょっとびっくりしている。
本当にたまたまなのだが、この増田を書いた直後に件の卓のKPとサシで会話する機会があり、思い切って話してみた。
真相としては「KPPL間の描写意図が伝わっていなかった」である。
まず、上記の「声聞こえたもん見失うまで追わせろよ!!!!」についてだが、これは「黒幕の声が遠くから聞こえる」という描写があったためである。そしてこの描写はKPが追加したものだったことが判明。(まだシナリオを読めていないので筆者は知らなかった)
シナリオでは黒幕がこの場に残ったままNPCの遺言が残されることになっており(多分作者も気づいてなかったんだと思うけど)「そんな状況だったら遺言どころじゃないし、まず捕まえにかかるだろう」と考えたKPが描写を追加。
この「遠くから声が聞こえる」をKPは「もう遠くにいるので追えない」というつもりで書き、筆者は「声が聞こえる距離ならそう遠くないはずだし逃げた方角もわかる」と解釈したのが不一致の原因である。
とりあえずKPとは互いに「ごめんね」とした。
あの場で空気が壊れるとか気にせず一言「KY発言かもしれないけど追った方がよくね……?」と言っておけばこんなにモヤモヤしなかったかもしれないなあと天井を見ている。
いずれにせよ筆者は「規定ルート」の風潮に過剰に吞まれていると思うので、空気を読まないことを恐れ過ぎないように意識していきたいと思った。
【コメントについて】
・NPCの語りが終わった後に、自分のPCは黒幕を追って見失い戻ってきたという既成事実を作ればよかったのでは
→それだ。言えなかったら言えなかったでそれが一番正解な気がする。今後の参考にさせて頂こうと思う。ありがとう。
先日のことだ。
Deviantartのこちらの記事を読み返していた。二列目の写真に、チェコの女の子のブルマー姿の写真がある。
また、ヤフー知恵袋の次のページも見返していた。
ttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11230851566
欧米では、子どもが親元を離れて何日か自然の中で過ごすサマーキャンプが盛んだ。では、そこでもブルマー姿だったのではないか。そこで、チェコ語で「Letní tábor. dívka. vintage fotografie」と検索した。「サマーキャンプ、女の子、ヴィンテージ写真」という意味だ。
すると、上の写真とは違って白黒写真なので色はわからないが、実際にブルマー姿で過ごす女の子が見つかった。
https://rohozna.net/akce/1983/letni-pionyrsky-tabor-zalesak/
https://zelenabara.cz/na-nocni-bojovky-se-nezapomina/
二番目のリンクでは、どうも男の子がブルマーをはいているらしい。
個人的に興味深かったのは、以前書いたアメリカでのサマーキャンプとの関連だ。
公共の場では女性はスカートで過ごすべしという規範から自由だったのが、アメリカではサマーキャンプだったのだ。だからそこで彼女たちは体操服で過ごしていた。
なお、ポーランドについても調べてみたが、特にヒットしなかった。
今までグーグルやツイッターの検索でブルマーについて調べていたのだが、そういえばFacebookはどうだろうと思って検索してみた。すると「gym knickers」「navy knickers」「basketball scungies」のキーワードで「60年代あるある」「昔の学校」みたいなアカウントがヒットした。実は今までフェイスブックの検索はアカウントを探す機能しかないと思い込んでいた。それぞれの記事を検索できるのね。
そこで自分は、今までグーグルでは見つけられなかったドイツのブルマー「Turnslips」を検索してみた。すると次の画像がヒットした。
ttps://scontent-nrt1-2.xx.fbcdn.net/v/t31.18172-8/13662363_1141951349213276_7500798634715242075_o.jpg?_nc_cat=110&ccb=1-7&_nc_sid=9da984&_nc_ohc=jmFgDFiNFfQAX_KJ31x&_nc_oc=AQn6SurxKJjLpIYzl0MgNdO7jgOmONz98MfbxkeqgJkz2mwIyCMrZe2f2EUuaMCYdS0G0gob9A6s_p2zFtMkC90W&_nc_ht=scontent-nrt1-2.xx&oh=00_AfBOSUR3LqK8Q3kTGK7UmaFsFuNOxa1RrId-KlfcIQSwLA&oe=65C63680
→リンク切れ https://www.facebook.com/photo/?fbid=1141951349213276&set=o.299357643521861&locale=ja_JP
こちらは当時のドイツのカタログだ。図のように、Knabつまり少年用のところに、ショーツ型のブルマーが描かれている。自動翻訳すると次のような個所がある。
当時私たちがスポーツのためにドレスアップしたものです。 10歳までは男の子と女の子のトレーナーと半ズボンがあり、その後スウェットではなく男の子のトレーナーを手に入れました。
これは、自分が以前投稿した次の証言と一致する。
女性、女の子、男の子の場合(ただし、男の子の場合は約10歳まで)、1960年から1990年の間にパンティーの形のジムショーツがありました。これは通称ジムブリーフと呼ばれていましたが、カタログにはジムショーツとして記載されていました。当初、使用された素材は黒いダブルリブとヘランカでした。それに合うジムシャツもありました。
このように、ドイツでは男の子も10歳まではブルマーをはいていたのだ。
「turnsilp」で検索すると、実際にブルマーをはいている写真もヒットする。
https://www.facebook.com/groups/wisstihrnoch/permalink/2153063888287153/
上下黒なので、今までレオタードだと思っていたのも、こういうセパレートタイプだったのかもしれない。それにしても、数年越しに画像が見つかって謎が解けるとすっきりする。
ところで、これはドイツだけのことではない。日本の一部地域でも少年がブルマーをはいていた時期もある。
ttps://www.at-s.com/news/article/shizuoka/907768.html
ttp://www.tsv-radeburg-handball.de/verein/geschichte.html
バルト三国は当時はソ連の支配下だったため、どのみちロシアと同じようにブルマーが採用されていたのだろうと思っていた。しかし、証拠がないので念のため検索してみた。
「kehalise kasvatuse tund. tüdruk. 1970」つまり「体育の授業 女の子 1970」で検索。
https://www.facebook.com/groups/916933231650615/posts/2272210679456190/
https://www.sporto.lv/sporta-veidi/komandu-sporta-speles/kombinaciju-kamola-tineja/
体育学校の様子。
https://www.ventasbalss.lv/zinas/sports/43673-sporta-skolai-jubileja-70
体育学校の写真。「Lietuvos kūno kultūra. mergina」つまり「リトアニア、体育、女の子」で探した。
ちなみに、ブルマーをリトアニア語で探そうとしたのだが、出力された「žydintys」は「咲く」という意味だった。「ブルマー」を英語経由で「bloom」と解釈したらしい。言語によってはブルマーがうまく翻訳されないので、やはり自動翻訳に頼りっぱなしなのは危険だ。
学校の体育も体育大学も一緒くたなので、ブルマーの存在を確かめたにすぎず、どの程度普及していたかは不明だ。ブルマーの各言語での名称も不明。
なお、バルト三国では今でもナチスの鍵十字だけでなく、共産主義のシンボルである槌と鎌を公共の場に掲げることは禁止されていると聞いた。
また、今までは昔の写真や文章だけを検索していたが、当時のカタログの存在は盲点だった。これは素材や色合いなども細かく載っているだろう。
一方で、フェイスブックを使った調査はもやもやするものがある。もちろん、基本的には本人や関係者がアップロードしているのだろうが、すべてがそうではないだろうし、本来の意図と違って歴史の調査として使うのは何となく後ろめたい。
僕はネットとは危険なもの、個人情報を安易に出してはならないものとして育ってきた世代で、facebookに始まりTikTokに続く顔出しの文化にはいまだになじめない。
少なくとも自分は子どもを授かったとしても、写真をSNSに載せることは決してしないだろう。
また、ブルマーが男の子のものでもあったということも知らなかった。
衣服や露出の強制は女性同様、男性でも問題になりうる。実際、20世紀の欧米の体育は、男性が上半身裸でやっている写真もある。
今の学校での水泳の授業は、男性も上半身を覆える。いい傾向だ。
あと、最近は「ポーランド ブルマ」「チェコ ブルマー」と検索すると、自分の記事が上位に出てくることが多く、照れくさい。
以上。
関係者によると、改正案では学校やスポーツ施設、公共交通機関など不特定多数の人が利用したり、出入りしたりする場所で「性的な意図をもって同意を得ることなく、かつ正当な理由なく、人の姿や部位などを撮影する行為」を、着衣の有無や撮影した人の認識にかかわらず「性暴力」と定めた。
その上で、盗撮された画像の拡散や2次利用などで「(被害者の)精神的被害が更に甚大になる場合もある」と指摘。県やスポーツ施設の管理者などに対し、盗撮を未然に防ぐ措置を講じるよう盛り込んだ。
性的な意図をもって同意を得ることなく、かつ正当な理由なく・・・・・「見る」事そのものが性加害なんですよ。
気付いて。
ともあれ、ようやくマトモな時代が近づいてきてるのは確か。
以下 メールより
沖縄県条例(案)から「ノラ猫への餌やり禁止条項」を削除してください
11,290人が公益財団法人 どうぶつ基金さんのオンライン署名に賛同しました。目標賛同数15,000を一緒に目指しましょう!
公益財団法人どうぶつ基金と連名者は沖縄県知事と沖縄県議会議長宛に
「沖縄県動物愛護及び管理に関する条例(案)第13条 何人も、飼い主のいない猫に対し、県又は市町村が定める方法によらず、給餌又は給水を行ってはならない。」の削除を求める要望書を提出します。
私たちは、沖縄県動物愛護及び管理に関する条例(案)第13条について深刻な懸念を抱いています。
第13条 何人も、飼い主のいない猫に対し、県又は市町村が定める方法によらず、給餌又は給水を行ってはならない。
というこの規定は、具体的な餌やり禁止の条件が「県又は市町村が定める方法によらず」としか示されておらず、その方法以外では、飢餓状態の野良猫に対して給餌や給水を禁止するというものです。
この規定は日本国憲法第13条で保障された幸福追求権を侵害し、動物愛護管理法に抵触する可能性があります。また、市民団体から要求された「条例(案)策定過程の議事録の開示」が拒否される等透明性も欠如しています。
私たちは社会全体でノラ猫問題を解決すべきだと考えています。そのため、沖縄県条例(案)から第13条「ノラ猫への餌やり禁止条項」を削除することを求めます。
この問題は私たち全員が関与すべき重要な課題です。今こそ声を上げ、行動に移しましょう。
今スグ!署名して、ノラ猫たちの命と幸せを守る一歩としてください。
沖縄県条例(案)から第13条「何人も、飼い主のいない猫に対し、県又は市町村が定める方法によらず、給餌又は給水を行ってはならない。」を削除すべき理由
愛護動物である猫に対してみだりに、給餌又は給水をやめ、衰弱させることは、動物愛護管理法第44条2項に例示された虐待行為であり、1年以下の懲役刑又は100万円以下の罰金刑が法定刑として定められています。
ノラ猫問題は住民、県民一丸となって取組むべき重大な社会的課題であるのに、ノラ猫への給餌給水に何らかの条件や制限を設けることは、(猫好きVS猫嫌い)のような対立構造を生み出し住民同士の不要な分断を招きます。
また「国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養」「人と動物の共生する社会の実現を図る」という動物愛護管理法の目的を阻害しかねません。
無秩序な餌の配散や後片付けの懈怠(置き餌)など周辺環境を汚染する行為に対しては、動物愛護管理法第25条に定める「動物の飼養、保管又は給餌若しくは給水に起因した騒音又は悪臭の発生、動物の毛の飛散、多数の昆虫の発生等によって周辺の生活環境が損なわれている事態」として都道府県知事は必要な指導又は助言、勧告、命令をすることができます。
また、生活環境の保全や公衆衛生上に支障が出るまでの悪質な行為に対しては、「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」で対応すべき問題です。
そして、生活環境の悪化の原因は飼い主のいない猫に限ったことではありません。
にもかかわらず、このような猫に特化した条例を作ることは、殊更に飼い主のいない猫が住環境を悪化させる(悪者)ものとして印象付け、排除する意図を表徴しており、動物愛護の良俗に反するものです。
【ノラ猫が増える原因と減らす方法】
ノラ猫が増える原因は餌やりではなく、
第一に猫を遺棄すること。
現時点、増えてしまったノラ猫問題の解決方法は給餌給水の制限ではなく、唯一、繁殖制限手術を迅速に実施することです。
(沖縄県行政が2022年度、行った飼い主不明猫や地域猫に対する無料不妊手術は42頭、過去10年間で見てもたった235頭にすぎません)
沖縄県の現状は、「猫を遺棄した者」を取り締まらず、ノラ猫、地域猫の行政による無料不妊手術をほとんど実施せず、多頭の猫の手術を実施できる体制も構築してこなかった無責任な行政の不作為の結果です。
【教育的側面への悪影響】
条例が施行された場合、例えば小さく弱き者に思いやりの心を持った子供が、お腹を空かせてやせ細っているノラ猫にえさを与える行為も、「違法である」と蔑まれる可能性すらあります。
弱き者に手を差し伸べる素朴な優しい気持ちが非難される状況は、果たして、未来を担う子供たちに胸を張って誇れるものでしょうか。
【観光産業への打撃】
世界中から多くの観光客が来訪する沖縄県ですが、素朴で温かい沖縄に住む人との触れ合いもダイナミックな景観と並ぶ大きな魅力です。もし13条案が施行されると、観光客がやせ細った野良猫にエサを与える行為が違法と非難され、衰弱した猫を放置する沖縄県という風評が立ち、イメージに悪影響を与えることが懸念されます。このような評判が広まれば、「気温は高いが、弱者や動物に冷たい沖縄」というイメージが広がり、観光業に大きな打撃を与える可能性があります。
ごっつええ感じとか見た時に「ダウンタウンが」いじめ構造に見えるのは
浜田が悪い
セクハラ・パワハラなど、ハラスメントに見えることをずっとやっている
つっこみという免罪符すらなく、単なるコントの登場人物として、ハラスメントしてる
松本はシュールなコスプレで登場してギャップで笑わせるというコントが目立つ
そこを突っ込まれるわけだから、松本のネタは自虐的に見えるかもしれないが
あれは見方を変えれば、「そういう人間を嗤って良い」というコントだったんだよ
ボク笑えるでしょ?っていうコントではなく
コレ嗤えるでしょ?っていうコント
バラエティ番組が変質した
僕を笑えというコントだった
いやいや違うよという人もいるだろうが
少なくとも私には