はてなキーワード: 事務員とは
すごく長文ですごく愚痴
なにかの主張に使われることは望みません。今、数年たって要領が悪かったなぁっておもう事はいっぱいあります。
保育士と幼稚園教諭免許が取れる短期大学を卒業して幼稚園に就職した。
初任で年少組(3歳児~)20名弱おはな組(仮)さんの担任になった。
私の初任給は手取り丁度15万円+交通費(3か月定期代を1/3ずつもらう)
。
8:00には出勤 (バスでのお迎え当番が1ヶ月に2.3回7:50までには出勤)
園庭の準備をする(遊具にカバーをかけていたり水を拭いたり、園庭の水溜りを掃除したり)
もちろん素直に上手に着替えができない子だっている。着替えもせずに遊びまわったりしている。
そういった子の手伝いもしながら、園庭で遊ぶ子どもたちも見ないといけない、徒歩でやってくる子を門前で引き受けないといけない、お休みした子どもの制作もさせないといけない
一人ひとりかばんを開けて提出物や保護者からのお手紙を確認して、体に傷がないか、しんどくなさそうか チェックする。
私は毎日先輩の先生たちに「なぜ園庭に出てなかったの?門前にいなかったの?制作させてないの?先生のクラスの○○ちゃんが着替えられなくて戸惑ってた!」とお叱りを受けていた。
正直「もうどこで何をしていれば正解なのか」解らなかった。
登園~朝の挨拶~一日の遊び(制作や行事の練習)~お昼ごはん~自由時間~降園
教職をとったことのある方ならわかるだろうけれど
これらはその日そのときの思いつきで行われているわけじゃない。
私を含めクラス担任たちは毎日毎日 一日の流れを分刻みでスケジューリングしてそれを日案という形で毎朝指導教諭に提出していた。
まず年少組の先生たちと話し合った内容にそって 何時何分~何分までに説明して、実行して、できない子がいたらどうして、こうして、こういう声を掛けて、
A4の紙いっぱいにo.3mボールペンでみっちりと1日につき2~3枚書いていた。
はさみで丸を切る。 紙の端からはさみを入れて紙を動かしながら切ることを示して見せる。
難しい子どもを把握して早めに声をかける。終わった子どもにははさみを置き静かに待つように予め伝えることで事故を防ぐ、遊ぶことが予想される子どもからははさみを預かる。
こんな感じ。これを行動の逐一に書いていく。そして決して「できない子ども」とは書かないのだ。
初任の私はまずそれを指導教諭に渡す、すると次の日に足りない部分を指導される。
帰宅してそれを青いボールペンで修正、朝主任に提出して夕方指導を受ける。
帰宅して赤いボールペンで修正して当日の朝一番に再度主任に提出するのだ。
これを毎日繰り返した。つまり3日分の日報を修正含めて毎日書いていた。
どれだけ書いても終わらない、いたちごっこがつらかった。
制作物も行事や季節にそっていたり、発達に会わせているのだけれど
なぜ作るのか、なぜこの形なのか、どういう意味があるのか 子どもにもわかるように、そして行事に期待や思いを寄せられるように話さなくてはならなかった。
たとえば七夕 なぜ笹なの?なぜ短冊に願いをかくの?飾り物の意味は?
考えたことのある人はどれだけいるだろう。でもそういったことを逐一お話することが求められた。
また毎月1枚 その月に子どもたちに達成させたいことや、覚えてほしいことについてを記入して提出(※月案 これも学年主任、主任のWチェック)
毎週1枚 生活面で達成してほしいこと、衛生面についての意識付けをするための活動について提出(※生活案 同じくチェック)
他にも行事(遠足、運動会、発表会、参観、お祭りetc)のたびに特別指導案を書いた。これは5枚近くになるときもあった。天候などで行事が中止になった時のための普段の日案も書かなければならない為行事は大嫌いだった。
そこから何往復かするバスに乗せて子どもたちが完全に帰るのは16:00ころになった。
もちろん朝からそこまで休憩は一切無い。
14時~16時はバス当番でない先生で園内の掃除をして回る。各部屋に掃除機を掛けて、おもちゃを清拭して、廊下の泥を掃いて、トイレを洗って・・・
16時からは気になる家庭へ連絡をいれる。
熱っぽかった、けんかした、誰かに叩かれた、手を上げた、登園時には無かった傷(それが何かに押し当たっただけのスレでも)があった、登園時に泣いていた等などの理由で電話をかける。
そして次の日の制作物の準備に取りかかる。画用紙など画材を用意するのは園でしかできないから。
(子どもの描いた絵を完成品に仕上げたりするのは自宅で行うのが暗黙の了解だった)
1人600円の延長保育(おやつ付)は14:00~18:00 平均して15人ほどの子どもを1人で見るのだ。
1ヶ月に2回ほど回ってくる 延長保育に関しても同じように日報を提出した
子どもの事、ご家庭のこと全クラスの事を共有できるように一人ひとり発言していく。短くて30分、長いと1時間かかることもあった。
職員会議後には日案の指導が始まる。指導教諭から指導を受け、主任から指導をうけるといつも20:00ころになっていた。
私は自宅が少し離れていた為帰宅はいつも10時ころだった。そこから夕飯を片手に指導案を修正して、書いて、制作物の仕上げをして、気がつくといつも午前3時4時だった。
気を失うように寝て、6時半に飛び起きて出勤していた。
いつもお風呂から上がった後は勤務着(ジャージ)を着ていた。飛び起きてそのまま出勤できるからだ。
化粧もしなかった、朝ご飯も食べなかった。園で食べるお昼ご飯は詰め込むように5分もかけずに食べた。
だんだん寝てしまうことが多くなり、指導案の提出がずれて、しかられることも多くなった。ズレればずれる程自分が大変になるのに、どうしてもできなかった。書くことがなにも思いつかなかった。
家だと寝てしまうと思って夜にファミレスに行って指導案を書いた。6時前に帰宅してそのまま出勤した。
夕方の掃除の時間にトイレにこもって三角座りで仮眠をした。バスの中でも何度も寝てしまった(子どもが乗っているのに)
それでも一日も休まなかった。休みたかったけれど、園には余剰な人員なんていない、休んだら誰が私のクラスをみるの??
10月に園長先生から「来年度もがんばれるか。続けられるか?」尋ねられた。
「がんばります。来年こそはご迷惑をかけないようにしっかりします」そう答えた。
1月冬休み明け出勤の1日目「すみません。今年度で退職させてください」
引き留められなかった、当然だ。そのときには私は園の厄介者になっていたからだ。
情けなかった。自分の容量の悪さが不甲斐なかった、だんだん私の指導が御座なりになる指導教諭が怖かった、申し訳なかった。
そして冬休み前に行われた保護者との個人面談で「先生、本当に子ども好きなんですか?」
1人の保護者からそういわれたことで、私のなかでこの仕事への未練がなくなってしまった。
4月に学生時代に貯めたお金で買った礼服はちょっと胸周りがきつい服で入園式の写真に残っている。
卒園式で撮った職員写真では、礼服はガバガバのユルユルだった。
1年で10キロ以上は痩せた。3学期には保護者にも心配されるくらい急激に痩せていた。(元が太りすぎというのもあるかな)
京大卒の主婦の人がそんなようなこと言われたつーブログが話題。
記事読んでないから詳細わからん(すんません)のだけど、いるよねこういうこと言う人。京大じゃないし結婚もしてないけど自分。ずっと女子事務員。
いや、他人なら大したことないんだけど。「そんなーw全然もったいないことないですよーw私みたいなボンヤリが入れるくらいなんだから、努力すれば誰でも入れますしw」みたいなイヤミ飛ばせる。「惜しいと思うならぜひあんたが入んなされ、私ゃ邪魔せんよ」で通せる。
でもねー。親戚に言われるとねー。凹むよねー。
「お父さんお金出して良い大学入れてくれたのに、ずっと事務員じゃあ勿体無いな」って。
うっせえよクソジジイばーかばーか、と思うより先に、お父ちゃんも本当はもったいないって思ってたんだろうか。というのが必ず頭をよぎってしまう。
継ぐような職業があるのにそれ蹴って別の学部行って、そんで結局大学の知識全然関係ない薄給事務員って。就活どこにも受かんなくて唯一引っかかった職にしがみついてるのがやっとで。
せっかく大金かけたのにって、そう思ってるだろうか。
専門職のきょうだいは激務高給で私の3倍くらい可処分所得があるが私の5倍くらい忙しい。逆に言えば私は彼の5分の1ぐらいしか働いていないことになる。
遊び呆けて見えるんだろうな。実際遊び呆けてるしなヤツに比べりゃ。
仕事もかなり遊び感覚に近い。マクロ組みまくるの面白い。マクロ組んでるだけで同世代の平均年収くらいのお金もらえるの正気の沙汰じゃない感ある。楽しいことやってお金が出るって、すごいお得感というか、割の良さというか。
でも、ペイはまったくしてない。今すぐ一括で学費返せるような貯金はないし、今から貯めると5年10年かかる。ボーナスとか絶望的だし。家賃高いし。病院通いにもなっちゃってるし。
転職しようにもマクロ組んでるだけで今より高い給料払うような頭おかしい職場があるとは思えない。そして私はマクロが組みたい、VBAをもっと使えるようになりたい、Accessとかファイルメーカーいじっていたい。あれ使い勝手が良いように作るの面白いよね。誰かに使わせて便利って言われるとちょっと嬉しい。
同級生にはすごい大企業に勤めてる人が掃いて捨てるほどいる。政治家とか一山いくらで売れるくらいいる気がする。
母校近くの喫茶店なんぞ入ると、後輩と思われるスーツ集団がえらい景気のいい話をしている。どこそこの商社は初任給いくら、銀行は何歳までに年収いくら、外資のナントカ社は年俸がどのくらい……
金額には大いに惹かれるが、仕事内容には興味が持てない。完全に別世界だ。自分は薄給で生き延びながらマクロ組みまくる方が多分楽しい。
でも、それじゃ、ペイできない。
金食い虫って思ってるかな。
怖くて聞けないそんなこと。
がっかりさせてごめんなさい、っていい歳こいてひとりで泣いてる。
このエントリを書いている私とは別の人が、 http://anond.hatelabo.jp/20160517150742 で間違いや思うところを挙げている。
本当はこのエントリを書く予定は無かったが(だって書いたとしても、簿記や管理会計を知っている人から見れば自明だし、知らない人から見ればどちらが良いのかなんて判断できないので、結局自分の時間がすり減る以外の効果がないのだ)、↑の増田に触発されたので自分も少し書いてみることにしたよ。
(なお、元のエントリである『原価計算の基礎と基本について全力でまとめてみる』 http://www.yutorism.jp/entry/costing 、および↑のエントリ、そしてこのエントリは(たぶん)すべて別個の人間が書いている。前の2つはもしかしたら同一人物かもしれないが、すくなくともこのエントリを書いた私は、前の2つのエントリとは何の接点も持たない人間であることを表明しておきたい)
では参ろうか。なお、これ以降の「元のエントリ」は、『原価計算の基礎と基本について全力でまとめてみる』 を意味する。
元のエントリは最初にちょろっと「原価計算とは何か」とか、「原価計算の目的」について書いてあって、それらは正しい。前に話題になった簿記の基本の話のときは、最初からずっこけたんだけど、今回はずっこけなかったので「これは成長したなあ」なんて思って読み始めたが、やっぱりというか、だんだんと原価計算の基本とは異なる「よくわからない何か」になってゆく感じだった。とりあえずその中から自分が気がついたところをいくつか指摘する。(全部は大変なのでやらない)
そもそも原価計算基準について、元のエントリを書いた人はどういう認識なのかな? この基準は当時大蔵省がまとめたものなんだけど、拘束性がない。原文を参照してみよう。
しかしながら、この基準は、個々の企業の原価計算手続を画一に規定するものではなく、個々の企業が有効な原価計算手続を規定し実施するための基本的なわくを明らかにしたものである。したがつて、企業が、その原価計算手続を規定するに当たつては、この基準が弾力性をもつものであることの理解のもとに、この基準にのつとり、業種、経営規模その他当該企業の個々の条件に応じて、実情に即するように適用されるべきものである。
というものなので、財務会計のいくつもある会計基準と比べるとかなりルーズである。「原価計算を実施する企業体で合理的にやってね」というくらいの基準。(合理的というのは、その企業体で原価計算の目的を達成できる程度の合理性という意味合いで、何か法令で○○製品は☓☓法で処理しなければならない、などと決まっているわけではない。したがって、同じ製品を製造している企業でも、企業によって異なる原価計算手法を採用していることはありうるし、実際にあると思う。さらにいえば、この大蔵省の原価計算基準に載っていない計算方法であったとしても、その製品の計算において合理的であれば採用してかまわない。)
そういった説明が無いので、おそらく何も知らない人から見ると、「原価計算は同じものに対して何個も処理法があってよくわからない」みたいな感じになるのでは?、と思う。
くわえて原価計算基準でも指摘しているように、企業毎に原価計算の目的や計算方法が異なるのが通常なので、「○○が一般的」などということは、一般的には言えない。元のエントリはところどころに「○○が一般的です」といった説明があるが、何をもって一般的と判断しているのか?、より詳しい説明が聞きたいところ。
で、次に進む。青い太字で「分類は『誰が、どの時間軸で見るのか?』によって変わる」とあるんだけど、「誰が」とは誰なんだろう。原価計算担当者以外、原価計算を行うものは企業内でいるとは思えない。だとすると、計算担当は一人(あるいは当事者といってもいい)しかいないだろう。複数の「目」を仮定しているからこそ「誰が」という話になるんだけど、ここでなぜそういう仮定を置いているのだろう?
まあ、たまには計算担当が引き継ぎなどで変更されることがあったり、別の会社の似たような事例を参考にすることはあるので(そんなふうな試験問題もある。例えば会計士試験などでは、「ある原価計算担当者は『〇〇』よりも『☓☓』が良いと主張している。どちらがより適切か論じなさい」みたいなやつ)、絶対に無いかと言われるとちょっと怪しいけれど、「誰が」が、問題になることは、ほぼ無いのではないかな。
ちなみに、このちょっと前の、
管理可能性に基づく分類・・・自らの意思で減らすことが出来るかどうかZ
というのの最後は「Z」ではなくて「?」だろうね。分類の説明もかなりアヤシイところがあるね。(4の操業度の説明は、「製造量」で良いのかな? 操業度と製造量は別個の概念だと思うが)
製造費用の分類の画像も知らない人が見ると混乱する要因がありそうに思った。
で、あまり気にしないでどんどん進む。このあたりから、いろいろとどうなの?というところが増えていく。
費用と原価がざっくりまとめられているんだけど、この説明はこれで大丈夫なのかなあ。この原価の説明はなんか、はじめて聞いたくらい。「費用を今期分に調整」って、それが原価なの? 期間に着目して原価を説明するのは無理なんじゃないかな。(製造した製品の視点がどうしても必要だろう)
このあと、いらすとやさんの画像を使って、カレー/カレーパン/シチューを作る例で話が進むのだけど、カレーとカレーパンの工程は、少なくともパンを作る工程くらいは入れるべきだろうね。(脱線するけれど、カレーの画像に緑色のものが載っているけれど、これはなんなのだろうか。グリーンピース?)
「事務員さんによるサポート(赤矢印)」という太字のところは「赤」ではなくて、「青」だよね。
で、進む。部門別原価計算の例で進むけれど、部門別原価計算って、一番シンプルな例で進むとしたら、部門別である必要はないのでは?費目と製品別で原価計算の基本は説明できると思うけれど。実際に簿記2級で最初に習う一番シンプルなものはそんなところだったはず。
このあたりで終了。やる気のある方は、この続きや自分の指摘以外の箇所をやってください。「計算の金額:実際原価計算 と 標準原価計算」の箇所もどうかな?と思うところがあったり、他にもいくつもありますが、疲れたので終了します。久しぶりに管理会計や原価計算の本を見たりして、ぐったりした。
これらが「原価計算の基礎と基本」なのかな? すごいトリビアルな箇所があったり、説明が適切ではないところがあったりするので、知らない人からみると相当混乱するのではないだろうかと思っているんだけど、どうだろうなあ。
前の簿記のエントリ http://www.yutorism.jp/entry/2015/11/11/100336 を見ると、コメント欄に初学者の方が質問されているようだけど、その質問に対する回答も無いようなので、知っている人から見れば「ちょっと変だなあ」くらいで済むけれど、知らない人から見ると理解の妨げになりそうな感じがしております。まあそれも仕方ないのかもしれないけどね。
※ 前の簿記のエントリについて、私が書いた増田が読みたいという(奇特な)方は、
- 『簿記の人気エントリ』 http://anond.hatelabo.jp/20151112103436
- 『簿記のエッセンス(簿記という言葉の意味を間違えないために。)』 http://anond.hatelabo.jp/20151113140308
を参照していただきたい。
金持ち側が都心地主等の高額不労所得持ちならともかく、事務員年収の10倍程度の小規模開業医だろ。大した差じゃ無いから気にすんな。
親父さんの年収2000~3000万くらいか?そのくらいなら平民の一番上程度だよ。
むしろ、本物の金持ちで江戸から続く家ならこういう反対の仕方はしない。無自覚に階層の違いを思い知らせて、相手から引くようにする。ってゆーか相手が勝手に引くんだが。
増田の親父さんは、平民の上の方に居るから調子に乗ってる程度のオッサンだ。素直で可愛らしいじゃないか。
子供に補助金を配る余力は日本に無いので、いっその事金持ちに重婚を認めるのはどうだろう。
男性的にはOKだと思うのだが、女性的には許せない事だろうか?
重婚時に、妻又は夫を複数持つ人は重婚1につき2~3億の供託金を積ませる。子供が生まれたら追加も有り。
日本アメリカEUの物価連動国債で運用。世界が崩壊しない限りは価値を保つようにしておく。
そのお金は別れた時に子供やパートナーの生活費や学費となる。無税の2~3億が有れば、生きていくのに不自由は無いだろ。
要するに、養える人だけが複数のパートナーを持つ事が許される。
国の金を使わず、少子高齢化を防ぎ、教育の行き届いた子供を増やせる策だと思うのだが、どうだろうか?
上位は兆の人も居るので、持とうと思えば嫁1000人とか出来る人も居る。
なぜ、もっと簡単な解決策(別姓・非婚姻家庭の権利保全、再配分の強化と保育・育児関連予算増加など)を選ばないのかが、えいえんのなぞ。
まずその金はどこから出てくる?公務員や議員歳費を削ってもせいぜい数千億しか出ないぞ。
市民運動家(笑)が言うような無駄な公共事業や防衛費か?ならば具体的にどの支出が無駄なのか指摘しろ。
保育園はキャリア持ちのパワーカップルが使うなら理解できるが、生涯年収1億少々の人が使うにはコストがかかりすぎなんだよ。
俺も思いつきで言ってるけどな、国の金をアテにはしてないんだよ。
初めてなのに屋根登ってベッドを一人で持てとか指示された。
1日に2件行く予定だったけど、1件目終了後に引っ越し会社で降ろされた。
まったく何も教えてくれないし怒られまくる。
素人にいろいろ求めすぎ。
1日でやめた。
二度とやりたくない。
半年ぐらい続いたアルバイト。厳密にはアルバイトではなくて業務委託。
8時半に事務所に向かってチラシを受け取り、担当エリアに向かってチラシをポストに投函して終わったら夜の22時すぎ。
夜になると会社から「まだ終わらない?」「まだ終わらないの?」と催促の電話が1時間毎にかかってくる。
事務員の人も当たり外れがあって、良い人はいいんだけど基本的にクズが多い。
チラシ配り員=奴隷。
二度とやりたくない。
一番ながく続いたアルバイト。
終了時間は客次第。
早い時は26時に終了。遅い時は29時に終了。店によっては客が帰るまで営業しているブラック店舗も存在する(昼前まで働くとか地獄だ)。
おっぱいパブやってるところはどの店も100%違法営業と断言できるぐらい無法地帯。
開店準備の2時間は一人で掃除から買い出し、キャストの出勤管理までしなくてはならなかった。
本来は複数人でやるべきなのに先輩が働かなかったから全部一人で開店準備をしなければならなかった。
先輩が客引き(某条例ができる前の話ね。今は100%違法で現行犯逮捕されるから絶対にやってはいけない)に出たと思ったら古本市場に行ってたりとかね。
いかに後輩をこき使って自分が楽をするかしか考えられない先輩がいた。
自分への負担がかかりすぎて体を壊すし精神的にも疲れたから飛んだ(業界用語で無断で店をやめることを飛ぶと言う)。
無法地帯のこの業界はオーナーが脱税しまくりなので水商売の店からしっかり税金を収めさせられるなら国も豊かになるのに。
二度とやりたくない。
現場に出た時点で飛んだ人が多かった。
白船は名簿を元に電話をかけること。
黒船はxx-xxxx-0001、xx-xxxx-0002のように手当たりしだい電話をかけること。
黒船で893の事務所っぽい所にかかってめちゃくちゃ罵倒されたのは今でも覚えている。
2週間ぐらいしかやってないけど全然契約取れなくて居づらくててやめた。
働いた期間に取れた契約数は多分2〜3件。
すごい人は1日に10件ぐらい取ってた。
自分には向いてない事が分かったので、二度とやりたくない。
二度とやりたくない。
わたしは1995年生まれで、今年からついに就活生という称号を手に入れてしまった。
長くなってしまったし、性/的/虐/待表現もあるから、注意してね。
わたしが保育園のころ、親が離婚した。母はわたしと二つ下の弟を捨てたらしい。だから父親に引き取られた。父親にはわたしの母以外にも家族がいたらしい。よく分からんよな。わたし達を引き取った父がどこでどうやって私たちを育てたのかは良く聞けていない。その家族の元で育てたのか、それとも1人で育てたのか。それとも、母と暮らしていた家で自分の親と子育てをしたのか。
とにかく、結果的にわたしと弟は、父にも捨てられたようだった。育児がままならず、このままではわたし達がまともに育たないとの結論だったようだ。当時のシングルファザーに対する風当たりは冷たかったろう。他の子供もいるのだから、私たちが近くにいなくても寂しくはなかったんだろうな。
そしてわたし達は母にもう一度引き取られ、母方の祖父母の家で暮らすこととなった。わたしが覚えている記憶はこの家からだ。
祖父母の家には、伯母もおり、伯母も子どもを連れて帰ってきていたのでわたしと弟は従姉妹と共に4人で育った。伯母もかわいがってくれ、祖父母も孫を平等に愛し、叱り、育ててくれた。楽しいものだった。母は夜の仕事をして私たちを育ててくれた。父は養育費をくれなかったみたいだった。
小学校の頃に、母が再婚した。新しいお父さんはわたし達を本当の子供のようにかわいがってくれた。かわいがるだけでなく叱ってもくれたし、わたしはお父さんには本当に感謝しているし、尊敬もしている。母は水商売をやめ、事務員になった。
そのうち弟が生まれ、妹も生まれた。わたしは4人兄弟の長女になった。弟妹はみなかわいかった。二つ下の弟とは歳が近い分やはりよく喧嘩をした。わたしの方が口が上手く、弟はよく理不尽に言いくるめられていたようで、反省している。
わたしはお父さんというものにずっと憧れており、やっとできたお父さんに本当によく懐いていた。お風呂も一緒に入ったし、膝の間にもよく座った。お父さんのベットにもよく潜り込んだ。小学五年生のある日を境にベットに潜り込むのを止めた。
察しがつくかもしれないが、お父さんはわたしを性的な目で見ることもあったようだ。前から体をまさぐられる事はあったが気にしていなかった。わたしも多少、エッチなことに興味があり、お父さんを放置したことも悪かったと思う。とにかくその日、わたしはお父さんに処女を奪われたのだった。エッチは気持ちいいと思ってたのに痛くてびっくりして、その瞬間にわたしは何てことを許してしまったんだと後悔した。わたしはいつも寝たふりをしていたから、お父さんは寝ているであろうわたしにごめんなと声をかけて、やがて寝た。
翌朝はお父さんと上手く話せなかった。でもわたしの元来の、忘れっぽく、大雑把な性格と、母が手に入れたこの幸せな家庭を壊してはいけないという思いから、あの夜を忘れお父さんとも普通に接した。いつの間にか普通に接することが当たり前になっていた。
挿れられたのはあの一度だけだったが、中学生二年生の頃にリビングで寝こけていたらやはり体を触られた。翌日メールで昨日みたいなことはやめて、そう送った。分かった、ごめんなさい。そう返事が来た。でも、高校一年生の時にまた触られた。クリトリスを執拗にいじられて痛かったことを覚えている。その日からわたしは決してリビングで寝こけないようにした。それ以降は触られていない。初めて挿れられたのも、なめられたのも、指を挿れられたのも、全部お父さんだ。仲のいい友達にも彼氏にも、もちろん家族の誰にも、誰にも、言っていない。
でもわたしは性行為はトラウマにならず、セックス大好きである。毎日したい。話が逸れた。
まぁ、そんなことがあったけど、お父さんとわたしは、仲良しだし、わたしはよその子を育ててくれた父を尊敬しているし、ユーモアのあるお父さんのことが好きだ。評価できない部分があることも、もちろん理解しているんだ。でもわたしは家族の手前、お父さんと仲良しな娘でいなければならなかった。日常生活で思い出すこともなかったからそれでよかった。過ぎたことはもういいんだ。
ここで突然だが、母の性格を書いておく。母はプライドが高く、完璧主義者で、人にもそれを押し付ける部分がある。本当に最近改善されてきた部分もあるが、まだまだ自分にも他人にも厳しい。叱るだけでなく、自分の怒りに任せて怒鳴ることもあったし、今振り返ると一歩間違ったら虐/待なんじゃないかなってこともあった。閉じ込められたりごはんを抜いたり殴ったりはしなかったけど、言葉の暴力は二日に一回は必ずあった気がするな。
まぁとにかく、わたしと二つ下の弟は、よく母の言葉のサンドバッグになっていた。弟は気が弱く、そこが母の気に障るようでわたしよりも当たられていた気がする。今のわたしなら庇ってあげられるのに、当時のわたしは庇ってあげられなかったなあ。 怒鳴られていたピークは小学生までだと思う。
中学生の時は私も弟も尖っていた。家の空気はギスギスしてた。いつの間にか落ち着いたけど、本当に空気は重かった。高校生になってからは楽しい仲良し家族だったなあと思う。たまに喧嘩もあったけど。
さて、わたしが大学生に上がってからのことだ。二つ下の弟が部屋で首を括って死んだ。前から患っていた病気と、受験のことが重なってのことだった。家はめちゃくちゃになった。多感な時期の弟妹には辛い思いをさせた。弟妹には自殺という事実はまだ伏せてある。母は特にボロボロだった。母の自殺騒動も起きたが、半分本気、半分は悲劇のヒロイン気分になった構ってちゃんだったんだろうな、なんて冷めた目でしか見れなかった。悪い娘である。でもそういう人なんだ。
母が親と絶縁したり、お父さんのお金遣いが荒くなったり、私に彼氏が出来たり、当時一緒に住んでた祖父がストレスから弟妹をいじめたりいろいろあった。自分で言うのもなんだけど、私のがんばりで家族は立ち直ったと思う。祖父から弟妹を救うのは親の役目だったと思うんだけど、私しか気付かなかったから私が始めに動いて父母も巻き飲んで解決した。辛かったな。
今は母に怒鳴らないで教育しなきゃだめだよって諭してるところ。弟妹が、死んだ弟のように追い詰められないように私が弟妹のフォローをしている。弟が自殺したのは別に母のせいではないけれど、弟の性格を作ったのは間違いなく母だから。
まぁこんな感じ。
私の癒しである彼氏とは遠距離になった。続くかわからない。遠距離最悪。
そして私はシューカツ生の一員としてがんばりはじめたところ。
私はがんばって生きていくよ。みんなも、できる範囲でがんばって生きてね。
自殺は、できれば、やめてほしいな。
ここまで読んでくれた人ありがとう。
阿倍野ハローワーク・インターネットサービスで閲覧出来る職業は以下の通り。
詳細は伏せていますが、ハロワに行けば、これよりももう少しマシな案件が見られる。
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NO 職種
1 指導員
2 (障)事務職
18 (障)SE/プログラマー
32 (障)機能訓練指導員(デイサービススタッフ)住込可平野区
35 (障)庶務
40 (障)インテリアデザイナー職(大阪市北区)
46 (障)言語聴覚士
52 (障)訪問マッサージ師
55 (障)人事アシスタント及び一般事務【人事・総務】大阪市内
56 (障)一般事務(セールスアシスト事業部 行政事務G)大阪
57 (障)営業・事務・キャリアアドバイザー/スタッフ採用担当
58 (障)営業・事務・キャリアアドバイザー/スタッフ採用担当
60 (障)薬剤師
61 (障)医療事務
62 (障)理学療法士
63 (障)作業療法士
68 (障)販売職【セールスアシスト事業部大阪支店】契約社員
70 (障)サービスステーションスタッフ
72 (障)グラフィックデザイナー
73 (障)プログラマー
80 (障)事務職、他
85 (障)あん摩マッサージ指圧師/大阪
86 (障)庶務
91 (障)訪問看護
94 (障)組込エンジニア
96 (障)作業療法士
109 (障)アドミニストレーター(一般事務)天満課
115 (障)データセンターにおけるオープンシステム系の運用SE
118 (障)あん摩マッサージ指圧師
134 (障)アドミニストレーター(一般事務)難波オフィス
144 (障)パソコンを使って受注確定や配送手配・売掛金消込など
145 (障)パソコン設定や操作などについてのコールセンター業務
152 (障)看護助手
子供を産め育てろはうっせーお前に言われることじゃねーよ!って所は同意する。
「出産・育児が終わってからキャリアを開始できるわけがないのにその道を示すなんて現実的ではない」その通りだ。
なぜ、それが現実的ではないと切り捨てるのか。
子育てひと段落してからキャリアをつめない(積むのに相当な努力を要する)のはおかしい、そこをなんとかしようという風には考えないのか。
私は就職氷河期初代で、少しニートしてブラックで働いてそこ辞めて普通の会社で非正規から正規になって働き、結婚して熟年離婚した自分の親と同居して子供産んで2人目の保活で挫折して会社辞めて親が病気して死んで、子供の手が少し離れたから学校行ってる間ちょっとパートしたけど3人目出来て今は専業主婦でカツカツな生活してる。
生活も厳しいし今後の子供の進路のこともあるから3人目がある程度落ち着いたらまた仕事探さなきゃいけないけど、子供がいて40オーバー、学歴も大した事ない、特殊な資格もない、パソコンもスマホ一通り使えるけどエキスパートじゃないから正社員、事務員なんて無理。(2人目の育児落ち着いて探したけど無理だった)正直パート仕事だって子供3人いたら厳しい。子供が熱を出すリスク3倍、子供の休みには働けない。
この国は一度レールから外れたらそうそう戻れない。大学からの就職の流れから落ちてしまえばもう戻れない。子供がいたらなおさらだ。
子供いなくても年齢があがったら流れに入れない。だから流れから出てしまうような事、流れに入れないことを勧めるのは非常識。
でも戻れないのがおかしいから戻れるようにしてこうって考えはないのか?
安倍首相が子供3年間抱っこし放題といって、育休3年間って話を持ち出した時、現実的ではない3年間あいたら戻れないって意見がおおかった。現状そうだろう。
だけど、3年間育休取れてなおかつ戻れるルートはないのか?現実的ではないから潰すんじゃなくて、3年間取れて確実に戻れる道を考えて、そこを開いて、今の1年で戻るルートと併用出来れば、0才から保活で苦労とか入れないから仕事辞めるってのが減るんじゃないか?
受け皿を大きくする事にばかり熱心で受け皿の種類を増やす事を潰してないか?
あ、これに触れると信者、ネトウヨと言われるかもしれないから、私は安倍信者じゃないのは付け加えとく。
現実的ではない馬鹿馬鹿しいと言ってあの校長や安倍晋三のアレを全否定して非難する人間はキャリアのルートから落ちてはならないってベクトルで若い人を、そしてレールから落ちた人間を殴りつけてる。
「妻(夫)を社会保険の扶養に入れたい」という人の手続きは、1ヶ月あたり20~30人くらいやってる。
「○○さんの奥様の△△さんですが、この方は外国人か、帰化された元外国人の方ではないでしょうか」
みたいな電話がくるの。どう見ても日本人でしょ?みたいな名前でも。
外国人だったら本名とローマ字の氏名も届け出なくちゃいけないとか、そういった関係で聞いてくるみたい。
適当に答えるわけにもいかないから、「本人に確認してみますね」と言って電話を切る。
それで、本人に連絡する。
って。
今んとこ、「はい、そうです」とか「昔はそうでしたが、今は帰化しています」とか、「祖父母の代で帰化したそうです」いう返事しか聞いたことないからいいけど。
こういうの詳しくないからよくわからないけど、もしも『自分の配偶者が(帰化した)外国人だと知らないで結婚していた』という人だったらどうなるんだろう。
男性の割合が比較的高く、あと高齢化も結構進んでいるような会社に勤めてる。私は事務員採用で6年前にたまたま空きがあって採用されたけど、ぶっちぎりで会社の中では若い。社内恋愛をしているんだけど、相手の男性は8つ上の人。それでも会社で2番目に年が近い。
社会人をやっていて、年上の男性と関わる機会が多いので、年が同じくらいの男性との接し方をだんだん忘れてしまった感はあった。社会人になると、異性の友達は急に離れて行ったし。
そして今年、うちの会社は4年ぶりの採用を踏み切り、新卒の子が入社した。若い。若すぎる。ピチピチ。声もでかい。足音もでかい。
私は高卒、彼は大卒なので年が同じくらいで、彼がとても私に親しみやすさを感じてくれているのは嬉しいんだけど、本当に一緒にいてカルチャーショックしか受けない。
まず、元気過ぎる。
私は喋るスピードが遅いので、彼がほとんど喋ってる。多分めっちゃ気をつかってくれているんだけど、私はとにかく喋るターンがこない。ずっと彼のターン!ずっと彼の話題!
フットサルとか最近話題の歌手とか車とか、そういう話題ばっかりで「ウワ、噂に聞くリア充だ」と思うことしきり。私はただただ若さとパワーに圧倒されて頷くのが精いっぱい。
そして、体力がすごい。
1日働けばうちの会社の人たちはだいたい疲れ果てて、各々背中を丸めて満足げに家に帰っていく。だというのに、彼は何だ。仕事が終わった後に「飲みに行きましょうよ」なんぞのたまう。すごい。体力と気力がすごい。
あと、すごく食べる。彼は二人分くらいの量を平気でたいらげる。上司たちも、彼の食いっぷりがいいことを気に入ってよく餌付けしている。だからあんなに体力があるんだろうな。動く分、人はカロリーを摂取しているのだな、と思わずにはいられない。
私は多分社会人をし始めて長いからかもしれないけれど、やっぱりなんとなく、同じ年代なのに10歳くらい違う年の子を相手している気分になる。
もちろん、馬鹿にしているわけではないんだけど、本当に「住む世界が違うんだな」という感じがする。
でも、若い人が入ってくれて、現場の人も少し元気をもらって元気になっている気がするから、彼には元気で頑張ってほしいと老婆心ながら応援している。
20代の数年間SIで働いた。1年以上前に退職して今は別業界にいる。
今日、Evernoteを整理していたら「退職理由、SIの嫌な点」というメモが発掘された。退職直前のかなりストレスがたまっていた時期に書き殴った文章だった。学生の頃の私は絵を書いたりしていて、ものづくりで暮らしたいな〜などと思って始めたプログラミングが楽しかったので安易に受託開発業を選んでしまったが、その後悔が如実に表れていた。
一部自分でも覚えていない話もあったがコンテンツとしては面白かったし、今でもシステムインテグレーター業界で消耗する若者を減らしたいとは思うので公開してみる。
以下、同メモに加筆・修正したものなのでファンタジーだと思って読んでくれ。
受注した時点で売上がおよそ確定するので、後はその予定工数に収めて納品できれば御の字という考え方。よくある話だが、見積がおかしくても顧客と対等な関係が築けていないから追加請求もできない。時間(工数)をかければ良い成果物ができるかもしれないがそれを説明して顧客に嫌な顔をされたくないから、限られた工数の中での最善を尽くす。最善を尽くす、聞こえは良いが要は手を抜く。
つまり、どう頑張っても売上は同じなのだから、良いもの・価値を生むものを作ろうと考えない人が多い。社内で開発者と呼ばれる人間もそうだし、マネジメント層はそういうものづくり志向を持った人をリスク扱いすることもある。
これが諸問題の根源で、いかに述べるような組織・プロジェクトが出来上がっていく。
マニュアル作業の正確さをかたくなに信じてる人だらけで、ITとは何なんだと考えさせられる。
私は定型作業を効率化しようとjsやrubyでスクリプトを書いたりしていた。テストデータを開発用DBに突っ込んだり、テキスト処理して整形したり、Excelからコード生成したりするよくあるやつ。
あるとき上司に肩越しに自分の作業を覗かれて「何やってるの?」と聞かれ、そういうスクリプトを作ってると答えたら、工数とリスクの話をされた。曰く「そのスクリプト作るのに何日かかるの?工数に乗ってないよね?」「スクリプトのテストもちゃんとしないと結果が正しいって保証できなくない?」と。この時はイラッとして「30分でできる数十行のスクリプトだし自分の作業工数内で完結する。むしろ後工程や別の人でも同じことを再現性できて楽になる」とか真面目に説明してプログラムも見せたが、読もうとはせず(読めないので)1時間無駄にした。
前述したようなビジネスモデルだから、営業力と、予定工数で無難にプロジェクトを終えるマネジメント力が大事。IT企業だが開発者は自社で持たない。不況の時に待機コストが発生するリスクがあるし、自社で抱えるより単価の安い開発者が人材派遣系の企業や下請けにいっぱいいるから。
社長があるとき社内広報で「技術は買うものだ」と言っていた。文脈で明らかに技術=技術者のことだったので、使い捨ての人売り業と揶揄されていることへの自覚が無いと思う。
そういう人が集まっているor残っている組織なので開発者はほとんどいない。20〜30人ぐらいの課に1人ぐらいの割合でstaticおじさんがちらほらいるぐらい。大体20代からプロジェクトリーダーという立場をやり始め、だんだん大型の案件を扱えるようになっていき、後は出世ゲーム。部長のお気に入りが課長になり、部門長のお気に入りが部長になる。その繰り返し。
開発案件でのBP(ビジネスパートナー、委託先、派遣、下請け)比率は自分の周りだと1:5ぐらいが多い。プロパー社員一人が5人の開発を仕切る、みたいな形。案件規模によりだいぶ差があると思う。この比率が高い=マネジメント力のある組織と考える会社はこの数字を上げようと必死で、比率の低い組織は評価が下がる。
私は開発が好きだったのでエンジニアとして生きていきたい、というようなことを評価面談の度に伝えているが、その度に会社の目指す方向を説かれてモチベーションが下がる。
上述の通り、案件で接する開発者は基本的に社外の人間なのだが、彼らの技術力と意識の高さにはものすごいばらつきがある。言われたものはなんでもこなせる人、何でこの歳まで技術者やれてるんだと疑う人、このプロジェクトはおかしいと良い意味で騒ぐ人、何も意見を言わない人、CっぽくJavaを書く人、人当たりは良いが技術力がいまいちな人、すぐ休む人、バグやミスを隠す人…etc。
まぁ色んな人がいるのはどの業界のどの職種も同じだが問題は質だ。私の主観になるが本当にエンジニアとして尊敬できるレベルの人は1%いるかいないか。というのも、ほとんどの技術者は長年SIやその周辺企業と付き合ってきているので同じ体質に染まっているのだ。顧客が良いといえば良いという態度(この場合の顧客は私が所属する企業)、請負の場合は工数を超えない範囲で手を抜く姿勢、その他諸々。技術力だけをひたすら磨き続けてきたという人はごく一部だけだったし、そんな人でもGitHubアカウント持ってない・ブログやってない・OSSに貢献したことない、といった具合でクローズドな世界で生きている。
そうした技術者とやっていく中で最も厄介なのが教育コストだ。案件のあるなしで人が都度入れ替わり、新しい人が来るたびに同じシステム・技術要素の説明をして何とかやる気が出るようモチベートして、というのを繰り返すのに疲れた。私の会社固有の変なルールの説明はてきとうにしておいて、私は技術が好きな仲間が欲しかったので今のシステムの課題と技術面での改善や展望をよく話す。が、あまり食いつかれることはない。これは私の問題だが、そうした期待と落胆のループも疲弊の一因だ。
ある時、一つの課に6年近くいるというBPと一緒に仕事をする機会があった。その課にはプロパーの技術者が長いことおらず、彼がその課の技術的中心を担っているという話だった。抜けられると途端に色んなものが崩壊するからという理由で、その人の派遣元にはかなり高額の単価を支払っていたと聞いた。課員が口をそろえて「あの人はすごい」「何でもできる」というので初めはかなり期待していた。
だが、拍子抜けした。あまりにも仕事が雑なのだ。コミットされたコードはTODOコメントだらけだし、バグがあまりにも多かった。一度も実行されずにコミットされ、他の人がチェックアウトした時点で判明したバグなんかもあった。それでも声が大きく、プロパーが技術を知らないのをいいことに自分のブランディングに完全に成功していた。客先にも顔を出し、信頼を得ているらしかった。「自分は設計が得意でテスト以降の工程には興味が無い」と言っていた。確かに彼が関わった各システムには独特の概念が埋め込まれた設計があったが、その複雑な設計は保守性が低く、他の開発者が触ると容易にバグを引き起こしていた。
また、彼はJavaの有名なフレームワークであるStrutsを拡張したいわゆるオレオレフレームワークを開発しており、それの出来は悪くなかったと思う。そのフレームワークに欠けているものをうまく補うような形になっていた。だがフレームワークのバージョンを上げると壊れるというのが残念な点で負債になりかけていた。
私は異動したが、彼は今でもそこにいると聞いた。
(最低限のものしか作らないから)安くて早い!という触れ込みで売っているので、テストの工数が異常に少ないことも多い。特にテストコードを書くなんてもってのほか。そういう世界でやってきた人ばかりなので、30や40超えたマネジメント側は「テストコードって何?」状態だ。大型の改修案件が来た時にはコア機能だけでもテストを書いていこうと見積段階から社内で提案したが「顧客に『そんなメリットあるなら何で今までのプロジェクトではやってないの?』って問われるから、絶対言うなよ」と拒否された。
保守案件をやっていた頃、時間を捻出してコソコソとテストコードを書いたりしていた。その案件を離れてしばらく後、ある時リポジトリを覗いたら私が書いたテストコードがばっさり消えていて驚いた。コミットログから課内のstaticおじさん的な人が消したとわかったが、そのコミットコメントが「現在使用していないコードを削除」だった。これはもう問う気も失せて何も言えなかった。
先述したようにテストがそもそもないプロジェクトが基本なのでリファクタできないのだが、たとえテストがあったとしても勝手なリファクタは許されない。ソースコードは顧客の持ち物なので同意なしに改変することはいわば契約違反なのだ。たとえ内的品質が向上してコスト削減に繋がるとしても、そのためにお金を支払う顧客はまずいない。
私がいたどの案件にもコードレビューがなかった。リーダーと開発者数人という構成の場合、まず開発者は全員下請けでリーダーは技術の心得がない場合が多い。そうなると彼らの成果物の良し悪しを図るのは目に見えるシステムの挙動と実施されたテスト結果のExcel報告書だけになる。これが非常に非効率で、少しコードを読めばわかる明らかなバグや仕様理解の齟齬が頻発していた。特に受入試験と呼ばれるリリース直前の顧客側での最終確認や本番稼働中におけるhotfixは全機能をきちんとテストせずにデプロイされることが多く、そのhotfixがさらなるバグを引き起こしたりもしていた。
そもそもテストを書けという話だがテストが無いプロジェクトに足すのはかなり大変なので、レビューサイクルをきちんと回すだけでもかなり変わる。実際、私が入った案件ではすべてのコミットに目を通すようにし、明らかな問題は都度指摘することで品質の向上に繋がった。欲を言えば他の開発者にもレビューしてもらいたいが、下請けの彼らの工数を増やすことは嫌がられる。
無難にプロジェクトをこなすことと新しい技術を試すことの両立こそ技術者の腕の見せどころだと思っているが、ほとんどの場合それは許されなかった。新規にせよ継続にせよ案件を受注する段階で営業やマネジメント層と顧客間で「今回は過去に実績のあるこの技術でやります」という契約が結ばれているからだ。その技術(言語やフレームワーク)がいかに古く、保守性も将来性もないものだとしても受注できればよいし、その技術のサポート切れか何かの拍子で再度リプレイス案件でも受注できればさらにラッキーぐらいの考えでいる。
また横に倣えが加速してさらに悪い事に、同じアーキテクチャ・ネットワークを再利用するために既存のサーバに新システムも相乗りすればよいという発想も珍しくない。「資産の再利用によりコスト削減」という触れ込みだったが、ただでさえスケールしない低スペックのオンプレミスサーバ上で複数のアプリケーションサーバを運用した結果、予想通り耐障害性が下がった。
また、Oracleのライセンスが高いという理由で一つのDBインスタンス上に10数個のシステムが同時稼働しているなんてこともあった。1つのシステムが高負荷なクエリを投げたせいで関連する全システムが共倒れになったこともあったがOracleのバグとして報告していた。
新人の頃にOJTでstaticおじさんの下に付いたことがあった。そのとき担当したのはPerlでデータ連携用のバッチを書くという開発業務だったのだが、最悪の思い出だ。
まずプログラム構造仕様書というのを書かされた。メソッド単位でのモジュールを全てExcel上に記述し、処理の順番と内容を説明するという謎資料だった。あまりに意味がわからなかったので「UMLのクラス図を書けばよいのですか?」と聞いたら「Perlにクラスなんて必要ない。構造化プログラミングを研修でならってないのか」と返ってきた。「俺が前に書いたPerlのバッチがあるから参考にしろ」と言われ、あるリポジトリをチェックアウトして見てみると1ファイル4,000行の.plがいくつか並んでいた。その時の私は何もわかっていなかったのでそういうものかと思ってしまったが後で調べて明らかにおかしいと気づいた。
また、そのプロジェクトのメイン言語はJavaで、Eclipseを使っていたのでPerl用プラグインを入れてコーディング・デバッグをしていたらやめろと言われた。理由は「Eclipse上で動くPerlが信用できない。サクラエディタで書いてプリントデバッグすれば充分だ」と言われた。その時の私は何もわかっていなかったので、プラグインの品質が悪いとかそういう話かと思い「じゃあvimで書きます」と言ったら「サクラエディタにしろと言っただろ!」と一喝され、vim vs サクラエディタという史上類を見ないエディタ論争が起きた。
SI業界の中では高いのかもしれないが決してよくはない。4年目(たぶん25歳)ぐらいで残業込みで年収400万にやっと届いたがそこからほとんど変わっていない。30歳の先輩に聞いたところ「500万前後、残業してない場合の月の手取りは未だに20万切ることがある。残業抜きでは新婚生活が厳しい」と言っていた。いわゆる年功序列がきっちりしていてこのまま続けてもしばらくは給与が伸びないということがわかった。
個人での貢献で差がつくのは±10万程度。その程度ならいっそ無くてもいいのでは、と思う。というかそもそも生産性をきちんと評価する制度が存在しない。これはどの組織でも難しい問題だと思うが、形骸化した評価制度で上司の気に入った人間にS評価を付けているだけならいっそ止めたほうが時間の無駄にならなくてよい。
会社から貸与されるノートPCは低スペックすぎて開発には使い物にならない。なので開発者は基本的にデスクトップを使用せざるを得ないのだがこれもメモリ4G、1.2GHz程度で大したマシンでもない。本当に開発する気がない。
いつの間にかどこかで意思決定がされていて、関与する機会がほとんどない。だがほとんどの社員がそれで良いと思ってる。失敗しても自分が決めたことじゃないから上層の責任だ、そう言えるので楽だから。
情報共有をしない、というか意図的にしないようにしているとまで感じる。連絡はメールと添付ファイルベースで行っているし、共有のファイルサーバなんてのもあったが一部のフォルダは権限を持った人間しか見られない。何で他の部や課が行った過去の見積や提案資料が自由に見られないんだよ。
ソースコードのリポジトリも同様。外部に公開しないのはまだわかるが、プロジェクト外にすら基本は公開していない。別に奪われて困る大した技術もない。
会社が用意した提案資料共有サイトみたいなのもあったが、それに至ってはもっとひどい。課長以上もしくは部長から承認を与えられた者のみ閲覧可能。共有とは。
どうでもいいことを決めるにも承認や根回しや説得が必要になる。それがプロジェクトの利害関係者ならまだわかるものの、まったく関わっていない上長(課長や部長、時には部門長)を通さないと進まないという異常さ。
利益率向上のためにコスト削減ということがしきりに言われており、過剰なコスト削減対応が生産性の低下を招いている。たとえば顧客に見せる資料以外は白黒で印刷しろ、みたいなルール。色がないために情報が伝わりにくい。というかそもそも印刷せずに各自のノートPCで見ろという話だが、先述したようにノートPCは低スペックすぎるので多くの社員がデスクトップを使っている。ITとは。
本当に無駄としか思えない承認・申請フローの煩雑さに加え、使っているシステムの使い勝手も悪く、ひどい日は一日がそうした事務作業で終わる。しかもそのシステムは自社で以前開発したものだというから泣けてくる。こんな作業が定常的に発生するのでいっそ事務員を派遣で雇うべきという提案が何度もされたが、課の予算をオーバーするから無理だという回答しか返ってこない。
表向きは社員の健康促進という触れ込みで残業時間削減を全社的に取り組んでいる。残業減らせと声をかけただけでは誰も帰らないので、勤怠システムと入退館管理システムを監視し、削減できていない組織や人間の評価を下げるようになった。
その結果、サービス残業が復活した。30時間を超えると部長に説明しないといけない、50時間を超えるとその上へ…みたいなループ。表向きの残業時間削減・コスト削減としては成功したかもしれないが、社員の残業時間を管理するとかいう無駄な仕事を増やしたし、管理される社員のストレスとサービス残業に繋がったので下策だと思う。
他人の残業時間をExcelにまとめる仕事があって、そこに給与が発生してると思うと泣きたい。
そもそも無駄な作業や工数至上主義で作業効率が悪いから残業しているので、残業が少ない奴が偉いと一斉に舵取りしただけでは生産性をちゃんと評価できていないことに変わりはない。一昔前の残業多い奴は頑張ってて偉い、というのと本質レベルで何も変わっていない。
いやー、毎度のことではあるんですが冷静になると泣いた自分が悔しいものですね。
非常に長い話になりますが、要約するとタイトルの通り、仕事中に面談スペースに呼ばれて「昨日もらったこのメールと文書ですが、これは何ですか」「非常に不愉快」「僕はあなたに指示をもらう立場じゃない」「まるで僕が何もやってないみたいな書き方をされた」「ショックだった」と詰められて「すいません、そういうつもりじゃなかったです、失礼いたしました」と泣いてしまったという話。
私が送った問題のメールは「これこれの件での関係者ミーティングのことですが、出席予定者への通知はどうなっていますでしょうか。自分はこれこれの関係者への通知も含め、特になにもしてない状態です」という内容。文面としてもだいたいこれくらいの固さというか丁寧さ。
内容としては、本来そのミーティングの通知を発行せよという指示は私には下ってなかったのだが、そのミーティングの出席予定者や関係者を別の指示で詰めている途中の状態で、そういえばこのミーティングの出席予定者って前に関係者名簿は作ったけど最終的にはまだ決まってなかったよなー、でも詰めの締め切りよりミーティング開催の方が日程的に早いし、もしかしてミーティングの出席者は上司間とかですでにある程度固まってたりするのかな?と思いついて、確認のために送ったメールだった。
これに対しメールで返信があり、「このメールはどういう意味ですか。受け取り手がどう考えるか考えて送ってください」というような内容で、誤字があった。
自分としては「?」「どういう意味ってどういう意味だろう?なんか怒ってるっぽいけど何を怒っているの?」という感じで、「失礼しました。来週頭の何月何日に予定されているミーティングの件ですが、自分はこれこれとかそれそれとかの関係者には特に通知を行っていないけれども、どういう運びとなっていますかということです」とちょっと詳しく書き添えて返信した。
そしたら定時まで30分切ったくらいの時点で「これこれの資料に上がっている関係者名簿の全員に通知の文書を出してください。場所と時間はこれこれこうで。以上」というメールが来た。
この時点では自分もイラッとした。単にもともと指示されていなかった突発の作業だったというだけではなくて、1ヶ月以上前にその件でその名簿に基づいた関係者に通知を出しますかという作業確認をした際に、「まだ日程が固まらないし、通知は出さなくて良い」と言われていたからだ。関係者が多岐にわたるので、「本当に通知しなくて大丈夫ですか。日程が固まるのはいつ頃ですか。通知するなら早く通知しないと、呼ばれる側にも準備とかあると思うのですが」と進言してみたら「呼ばれる側の準備ってなに?準備なんかあるか?」と鼻で笑われたので、「そうですか。では決まり次第通知が必要なら指示をください」と言いつつ内心で「あっそ。じゃあもう知らんで」ということでほっといた件なのである。
イラッとしながらも指示は指示なので、実際に文書を作って、関係者に届くよう手配した。ウチはペーパーレス化を掲げてはいるが進んではおらず、また関係者のメルアド全てを掌握もできていなかったので、なんだかんだ作業して2時間近い残業となった。
1ヶ月以上前の時点で「準備なんぞいるか」言うておいて土壇場で2時間の残業である。しかも本来なら向こうが指示を下すはずで、ヤブヘビをこいた自分はバカだとは思うがそのヤブヘビがきっかけで指示出してるんならあんなぶっきらぼうなイライラメールもらう筋合いはない。だいたい人に土壇場で「出しとけ」言わんと自分で出しても良かったんじゃボケ。
という気持ちが募っていたので、実際に関係各位にまいた文書のサンプルを指示者のデスクに叩きつけ、余白に「1ヶ月前からはよ日程決めて指示くれ言うとったやろ」「こんな突発で言われても次は対応できんわ」という旨をオブラートに包んで書いて帰った。
前提として、自分は女でヒラでアラサー、相手は男で干支一回り以上年上、役職は二段階ぐらい上。それぞれA子とB男とする。
A子とB男はもともと別部署で、他に経営幹部C男やD子、A子ともB男とも部署の違う最年少E子とで構成されるあるチームに属して一時的に同じプロジェクトのための仕事をしている。
同種のプロジェクトについて、A子はペーペー時代に事務雑用ポジで関わったことがあるが、他のメンバーは全員関与初めて。ただしB男は外部にそのプロジェクトにかなり詳しい知人がいるらしく、その人脈を買われて彼が今回プロジェクトの実務面の中心的ポジとしてチームが構成された。
前回事務雑用ポジだったのでA子は少なくとも社内において、何をどう確認してどこを変更・改善してどの部署のその変更・改善を依頼してそのためにいつごろに会議なり小規模ミーティングなり設ければいい(設けなければならない)のかがある程度見える。
見えるがA子は発達グレーを疑われるレベルのコミュ障であり、人にものを頼むのが下手で苦手で、しかもその下手さをどう改善していいかわからないタイプ。役所とかで発揮されてそうなタイプのちょっとよそよそしい愛想の良さを備えた冴えないイモ姉ちゃん、というのがおそらくご想像には一番近いかと思う。ついでに言うと近視眼的だとか長期のスケジュールを見据えて日程組むのが苦手とかいろいろ作業を後回しにするだとかも指摘されたことがある。逆に「得意なこと」は非常に熱心に行うし結果もかなり作りこんで提出するとも言われている。
対してB男はコミュ力抜群で組織の内外にいろんなコネクションがあるということで有名で、ものを頼んだり調整したりはじゃんじゃんやると本人も言っていた。
幹部のC男D子は全く別の業務も詰まっていて忙しい身で、E子はチームには加えられているが、もともとの所属部署に異動して間がなく、またその所属部署そのものが発足したばっかりでバタバタしており、はっきりいってこっちのプロジェクトのことを勉強してもらうとかは全く期待できない。資料の印刷とか配布とかの、人手が欲しくて割と誰にでもできる作業を振るしかないポジにとどまってしまっている。
要するにチームの実働はほぼA子とB男のみという状況。そしてA子は所属部署の仕事は大幅に減らしてチームの仕事に支障がないようにと幹部から所属長にも通達が行っているが、B男は普通に所属部署の仕事もしており、また、監査に対するアドバイスとかを外部から頼まれて(休暇取ったりして)やっているようで忙しい。
で、
A子は自分の欠点である「人にもの頼んだり交渉したりが苦手」「視野が短期的で時間の見積もりが下手」を熟知していた(つもり)ので、それが裏目に出ないよう、「これこれこういう理由でそろそろこういうことを始めた方がいいと思うんですが、必要な指示をいただけますか」「こういうことをやっといた方がいいように思うんですがいつごろすればいいですか」的なかたちで指示を待つより先にB男に相談しに行くようにした。
B男は嫌な顔もせず「これはこうだね」とか「これは幹部に話を通した方がいいからまず自分が相談しておく」とか指示をくれたので非常に助かっていた。
だけども一回、そのプロジェクトで人をいっぱい集めてイベントのテストみたいなことをやらなければならないということになって、そのイベントテストでは突発事項(開催側の詰めの甘さによるもの含む)もあったりしていろいろ振り回され、少なくともA子はへとへとになった。
だがB男はどうもそのテストを「どうせテスト(本番でない)」という感じで捉えていて、そういうことを結構たびたび口に出して言っていたし、テスト中も例えば必要な記録を取っていなかったり(「(B男が自分で準備してた録音機を示して)これね、ぜんっぜんダメ。何も聞こえない。録れてない(半笑い)」とか。流石に「メモなり何なり手で記録取って下さいよっ」って言ってもうた)、プロジェクトの中心たるB男から関係者に情報を回しといてもらわないとならないことをやってなかったり、何かこう「……」というところがA子には目に付いたのだった。あと地味にイベントテストの準備中にYouTubeで自分の好きな曲とかかけながら作業してんのもA子としては「業務時間中やで?金もろてんのやで?」という感じでアレだった。
極め付けはイベントテストの後片付け時、ノートPCをある部署から借りていて、終わり次第返却しに行くという約束になっていたのだが、ゴミを片付けている作業をしながらこのあと何をしなきゃならないかを自分で自分に言い聞かせる感で何となく口に出していたA子の頭にそのことがふっと閃き、何ということもなく、「ああそうだPCも返しに行かなきゃならない…」と言ったとき、自分の分のゴミは片付け終わって特にやることもなくただ立っていたらしいB男が、「うん。そうだね」とだけ言って、やっぱり何もせず立ったままだったことだ。
A子としてはそれがトリガーだったと思う。「あ、こいつアカンわ」という感じで脳が切り替わったのを覚えている。
脳は一応「いや、別にB男さんに頼むつもりで言ったんじゃないけどね? でもさ、こういう状況で「あ、じゃあ俺行ってくるわ」って言えない人はね、何ていうか、やっぱダメよね。だいたい返答が「うんそうだね」じゃ、役職も低い自分としては今更頼めないし」とも言っていた。
脳の結論を受けソッコーでE子に内線かけてPC取りにきて返して来てと頼んで、あとは夢中で後片付けをしてその日は終わった。E子がPC取りに来たタイミングでB男は「俺自部署の作業あるから戻ってるわ」とデスクに帰って行った。E子は逆にPC返したあとまた戻ってきて、「何かできることは」っつーて残って片付け作業に加わってくれた。
以来A子はB男に対する「相談」の回数をちょっと減らして、案件をある程度まとめて持って行くことにした。A子も部署異動があって忙しくなったし、B男に以前「相談」した件で「その件は俺が関係各位と調整しておく」と言われたやつで、その調整の結果とか決定事項とかが来ないと移れない作業が増えてきたのでそもそも相談するようなことも減ったからだが、心理的には、この人に相談しに行くのが純粋に気が進まないと思ったのも事実である。
というのも、脳のトリガーが引かれてからいろいろとアレな面が思い返されてしまい、関わりたくないなーという気持ちが強まってきたからである。
例えば、
・プロジェクトの最終結果の発表会(審査会みたいな側面があり、社の幹部も全員同席するし外部から人を呼んだりしなきゃならない)の日程を、「俺が話つけてきたから大丈夫」みたいなニュアンスで社内全体に発表してしまったり(あくまでその時点では内定でしかなく、というか文書とかもないので内定ですらない口約束にすぎない)、
・関係者を集めてのミーティングを何回もしなくてはならなかったのだがB男と幹部(C男・D子)の都合だけで一方的に日程を決めて発表したためチーム外の「関係者」からクレームが噴出したり(流石に全件B男に対応を任せたが)、
・発表会の審査基準に照らし合わせたときに不備と見なされかねないのではないかとA子が思った要因があり、それについて相談して関係部署に改めてもらうか、せめて人脈があるなら審査会の関係者に一回確認を取ってもらいたいと言ったら「しつこい」「いいって言ってるだろ」「いち事務員が口出すことじゃない」と怒鳴られて追っ払われたり、
・実務の細かい雑用とかをA子に振りまくりA子のキャパがやばくなって体調に影響が出てきたので「これこれのチェック作業について、正直限界なので代わってください」とメールを書いたらB男から「僕も見ます」という返事は来たものの一向に見た形跡がなかったり(後日の会議に資料として提出したやつも結局A子作成)、
・E子がもう少しチームの作業に時間が割けるよう、せめて発表会のひと月前に、別室で予定されてる作業とかにも加わってもらわなきゃ人員的にも回らないので、E子の上とチームの上とで交渉してもらいたいと依頼したら、依頼した時点では「おっけー。伝えときます」という返事だったが結局戻ってきた決定事項が「発表会本番の月初から」「E子は部署デスクから基本離れずにできる作業のみ」という回答で、「話が違う」と言ったら「そうだっけ?っていうかE子ちゃんそんなに長期に(人員として)要るか?」と言われたり、
などされており、また業務中にデスクでYouTube見てるとか私物のスマホいじってるとか自分の人脈関係でのスライド資料みたいなのを会社のPCで作ってるとかを見たりしてしまったので、A子としてはもはやチームメンバーとしての信頼とか以前に「関わったらアカン」という方向に脳がシフトしてしまっていたのである。
「『脳が』『脳が』じゃなくてオマエがだろうが」というツッコミを自分で入れてしまいたいくらい脳脳連呼しているが、感覚的にはそういう表現がぴったりくる感じで、とにかく前提として「関わり合いを最小限にし、かつ任務を達成するにはどういうルートで行くか」を自動的に考えてしまうのである。
当たり前だがチームとしては非常に良くない。良くないが、かといってA子はB男に対して「相談」しかできることがなく、しかも「相談」では解決しない。
「あのさあ、A子さんて自分勝手っていうか、自分の思い通りにしたがる傾向が強いよね。スケジュールとかもそうだけど」「あと会議中にさあ、チームで決めたことを発表するときとかに疑問とか不満とか顔に出てるよ。あれすごい不快なんだけど」みたいな感じでいろいろ指摘され、要するに「お前の態度が気に入らない」ということでお叱りを受けた。
業務上の命令系統を違えたおかげで、作業に混乱が出た或いは出かねない事態になった、とか、そういうお叱りならわかる。ちゃんと改善しようと思うしどうすればいいかを考えようとか次は気をつけようとか思える。
しかし「お前の態度が気に入らない」と言われても、はっきり言って何をどう改善したらいいのかわからない。まあ会議中に嫌な顔するのは流石に態度悪かったな品性下劣だな次からはやめなきゃなと思うが、メールの問題点が本気でわからないのである。
「僕はあなたに指示をもらう立場じゃない」と言われても、B男が「相談」しに行くより前に指示をくれたことがあったかどうか思い出せない。B男と幹部の間で決まったことや「B男と幹部との話し合い」の中でこういう指示を下そうという話になったのであろうことは伝えてくれたし、外部の関係者からの連絡事項なども伝えてくれたが、他には何があっただろうか。というかぶっちゃけた話、そんな調子のB男の指示を延々待ちっぱなしだったら仕事が進まない。
「非常に不愉快」と言われても、仕事である。何がどう問題かを明らかにせず愉快不愉快で仕事されたらたまったものじゃないのである。だいたいそれを言うならA子もしばしば「非常に不愉快」だったのだが。
「(「1ヶ月前からはよ日程決めて指示くれ言うとったやろ」「こんな突発で言われても次は対応できんわ」の件について)まるで僕が何もやってないみたいな書き方をされた」と言われたときは「あ、自分文章力そこそこあるわ」と思えてちょっと嬉しかった。「あなたは何もやっていない」という字句を使わずに「あなたは何もやっていない」と伝えることができるというのはちょっとした能力ではなかろうか。もちろん最初のメールはそんなつもりはなく本当に単なる確認メールだったのだが。
そして何より「ショックだった」と言われても、それがどうしたとしか言いようがなかった(ので黙っていた)。「信頼していたのにああいう書き方をされてショックだった」ということだが、B男はA子がB男を信頼しているかどうかを考えてみたことがあるのだろうか。なんかすごく無条件に、A子は年下で女だからB男を信頼しているに違いないと思ってそうで、はじめて気持ち悪いと思った。
正直テストイベントの前くらいの時点までは信頼してたと言えなくもないと思うが、それも甘かったと今は思う。
よその部署から聞くB男の評判は揃って「何もしない」だった。あの人は何もしないと、幹部級からヒラまで全然立場も部署も違う人がみんな言う。E子も遠回しながらそう言ってた。それを「えーそうかなー、なんか人脈とかすごいみたいだし、相談すればアドバイスくれるし指示もくれるから何もしないってことはないんじゃないかなー」と思っていたA子がウルトラ級のバカで甘ちゃんだっただけだ。
ああ、それにしても、泣くのは悔しい。
泣かしたやつはみんな「泣かないで」とかいう。好きで泣いてると思ってんだろうか。
上司とまでは言わない、仮にA子がB男と対等な役職者であったなら、最初から「あなた実際に何もしてないじゃないですか」と切って捨ててもそれで終わりだろうに。
密室の面談スペースに呼ばれても「忙しいから、今ここで口で言って下さい」と言って一対一で詰められたりしなくて済んだかもしれない。
それなら泣いたりする必要はない。
あと少しでプロジェクトの発表会なのだけが救いだ。賞を受けようと炎上爆発しようと知ったことか。とにかく終われ。はよ終われ。
コンピュータサイエンスの研究室配属を控えた人 or 他大院進学を検討してる人で、ちゃんと研究をしたい人
予算が足りなかったことで、やりたかった研究がやれなかったという話ならまだかわいい方です。
予算不足が原因で、学会に行く費用や、研究に必要な参考書を購入する費用の大半を自己負担しなければならない研究室もあります。
したがって、国から研究費をコンスタントに調達できている研究室に入るべきでしょう。
研究費は分野や予算元や期間(大体は3年か5年)によってまちまちで、100万程度のものから億の単位が動くものまであります。
予算元は様々ですが、科研費というものが国内では一番メジャーで手軽とされています。
科研費の情報は全て https://kaken.nii.ac.jp/ で公開されていますので、教員の名前で検索しましょう。
また、億の単位で動く大型予算の存在も覚えておきましょう。国内だと科学技術振興機構(JST)のものが一番有力でしょうか。
JSTのプロジェクトもプロジェクト代表者(や主要な共同研究者)は公開情報となっておりますので、志望教員の名前でぐぐった時にひっかかると思います。
企業との共同研究では、あまり予算の額が大きくなかったり(下手すると10万ちょっととか)する上に、情報が公開されていない場合が多いのであてになりません。
助教、研究員、ドクターの誰もいない研究室は控えた方が無難でしょう。
教員は授業や会議などで忙しいため、実際に研究室を動かすのは助教や研究員やドクターだったりします。
そういう人がいない研究室ではM2が下級生の面倒を見たりしますが、修士の時点で下級生の面倒を見きれるほどの実力者は相当少ないです。
周囲に頼らずに研究を進めるというやり方もあるにはあるのですが、学部生、修士の段階ではかなり危険です。
確かに成長はするでしょうが、成長する前に(あるいは成長の途中で)大きなミスを犯していて、
それに気付くくらいに成長した時にはかなり手遅れで卒論(修論)が大変なことになったという話を時々耳にします。
(ドクターでもよくある話ですが、さすがにドクターでは自己責任でしょう)
しかし、彼らがいれば安心かというとそうとは言い切れないところがあることには留意しましょう。
特にドクターについては注意が必要です。やる気をなくしてしまった人はもちろん、社会人Dや博論を書くためだけに在籍していて実際は他の研究機関で研究している人、というように、
秘書(事務員)が研究室にいるかどうかもポイントです。特に国公立大学でありがちな面倒な書類作業をある程度任せられるので、研究に集中することができます。
秘書は研究費で雇うことが多いので、秘書がいるということはそれなりに大きな研究費を獲得していると考えて良いでしょう。
多くの場合、その研究室を出願するときは教員と直接面談をすることになると思います。
ただし、研究室の空気を作るのは学生です。教員と面談をする時に学生居室やミーティングなどを見学したいと教員側に要求してみましょう。
日中ならば、最低でも1人は学生がいる(いない場合は考えなおした方が良いでしょう)はずですので、会話してみると良いと思います。
ミーティングの雰囲気は重要です。学生が自主的に発言する雰囲気のある研究室を選ぶべきでしょう。
また、「レッドブルやモンスターが大量に捨てられている研究室はブラック」という説は、コンピュータサイエンスに限って言えば成立しにくいと思います。
エナジードリンクを愛飲する人、というのがコンピュータサイエンスにはそれなりにいるので。
業績(論文)リストを研究室のページや教員個人のページに載せてることはよくありますが、この記事が対象としている学生が読んでも「海外発表が多いな」「この時賞を取ったのか」程度の情報しか得られないと思います。
国内(電子情報通信学会や情報処理学会など)で発表された論文は、ほとんど価値がないとみなされる傾向にあるので、この記事では国際的なものに絞ってお話します。
コンピュータサイエンスの業績は大きく分けて、ジャーナル、プロシーディングス、ポスターの3つに分類されます。
(一部を除いて)ポスターはほとんど価値がないとみなされていますので、ここでは更にジャーナルとプロシーディングスに焦点をあてます。
ジャーナルとプロシーディングスは、出すジャーナル名はカンファレンス名で掲載されるまでの難易度が大きく変わります。もちろん難易度が高ければ高いほど凄いとされています。
研究室選びという観点でだけでならば、次の2つの観点を持っておけば問題無いでしょう。
では、ジャーナルとプロシーディングスはどっちの方が偉いかというと、簡単には優劣が付きません。
他の分野ではジャーナルが第一なのですが、コンピュータサイエンス特有(?)の大きな特徴として「そこらのジャーナルよりも、トップレベルのプロシーディングスの方が上」ということが挙げられます。
ですので、ジャーナルが多いからこの先生は凄いとか、ジャーナルが少ないからこの先生はヤバイ、と考えるのはコンピュータサイエンスに限っては違うと考えましょう。
また一部の教員には、COREランクに載ってないような学会での発表は業績リストに入れない、という人がいます。
このように主要な業績のみからなる業績リストをSelective Publicationといいます。
Selective Publicationのみを公開してる人と、単純に学会に論文を出してない人は区別する必要があります。
色々挙げてきましたが、「結局どれを優先して見るべきか」というのは難しいところがあります。
しかし間違いなく言えることがあって、業績を全く挙げてない人が大型予算を確保できることはありえませんし、優秀な教員の下には優秀なスタッフがついてくるものです。
つまり、これらの要素はお互いに作用しあっているので、今まで挙げたうちの1つでも「あ、この研究室凄そうだ」というのがあれば、少なくとも地雷を踏むことはないと思います。
せっかく個人としての能力は優秀なのに、研究室選びで失敗してしまい、折れてしまった人を今まで何人か見てきました。この記事でそういう人が1人でも減ってくれることを祈ってます。
会社での話。
以前にも多くの人が言っていた事なんだけど、
どうして或る人が自分のために用意した(買ってきた)ティッシュを、
なぜ、平気でいられるんだろう。
「ティッシュくらい、いーだろー。」
「そんな高いもんじゃないし。」
「一枚や二枚どーってことないだろー。」
リーマンショックの前だとか、バブルの前だとかなら、会社の経費で購入している所も有ったらしい。
でもその後は、個人で使用するティッシュを、なんで会社が用意する必要が有るんだ!となって、
ティッシュは自分で用意しなければならなくなった。
おやじ:「あれっ、ティッシュ無いの?」
...
おやじ:「あ、あったあった!」
事務員:「あっ、それは○○さんの!」
花粉症で大変な人達は、保湿なんとか、うるおいなんとか、やわらかなんとか...
高級なティッシュを自前で用意していたりするよ。
それを「ちょっとくらいー」で、済まされるわけにはいかねーんだよ!!
まるで中国人がトイレに置いてあるトイレットペーパーを根こそぎ持ってくのと同じ!!
自分が必要なティッシュを自分で用意しないで、遠慮も無しに使うやつには、さらっとこー言ってやれ。
「○○さんて、中国人みたいですねー。」